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「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実 現の構想」再論

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実 現の構想」再論

著者 高野 真澄

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 19

号 1

ページ 111‑127

発行年 1970‑11‑30

その他のタイトル L'idee de la souverainete populaire dans la constitution francaise de 1793.

URL http://hdl.handle.net/10105/3061

(2)

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「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権 実現の構想」再論

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小塙は、筆者が先に「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」 ( 『研究紀要』

尾道短期大学、第16集、1967年、33‑70頁所収)と題して論じたものの再論として書かれたものであ る。

はじめに、本稿での考察の範囲について一言しておきたい。先の論稿では、 1793年のフランス の歴史的時期に国民公会の憲法制定事業の所産としてうまれたジロンド憲法草案(Plan de Con‑

stitution presentee a la Convention Nationale les 15 et 16 fevrier 1793.以下、 「ジロンド案」とよ ぷ)とジャコバン憲法(Constitution du 24 juin 1793.以下、 「1793年の憲法」とよぷ)を、 93年の憲 法体制と規定した上で、その両者における人民主権実現の構想を主として91年憲法との比較にお いて論じようとした。ジロンド・ジャコバン両憲法は、人民の主権即ち人民による権力統合の原 理に基づいて議会支配制、直接・普通選挙制、命令的委任、半直接民主制の実現を構想しようと した点で、ともに人民主権の憲法類型に属し、国民主権に基礎をおく1791年憲法に対し特異な地 位にたつ。ビュルドーも、大革命の統治類型の変化を説明する中で、主権の国民帰属にも拘らず、

国民自らその主権を行使する権利を奪った91年の「統治される民主主義」(d4mocratie gouvernee) は国民公会とともに93年の「統治する民主主義」 (democratie gouvernante)の支配へ移行し た(1)、と述べている。しかし、さらに吟味すれば、公会の二つの統治する民主主義の構想はまた

° ° ° ° ° ° °

相互に異同相半ばするものがあるのである。即ち、 1793年の憲法は、 92年4月のオーストリア宣

蝣v "蝣*

戦布告、同年8月10日のパリ市各地区の蜂起‑この二つの事件は革命渦中のフランスの政体 を君主制から共和制へ事実上転換させた点で不可分である(2) の後を承け共和制宣言の下で公 会が人民の制憲権力に基づいて最初に起草したジロンド案とは多くの類似をもつけれども、それ は単にジロンド案の延長としてのものではなく、 93年5月31日‑6月2日の蜂起を推進した人民 階級の政治的表明、換言すれば、 1789年からジロンド体制に至る封建寡頭的な第‑革命体制を瓦 解せしめて、権力の再編成‑人民統合を企てたジャコバン勢力の政治的表現であり、政治思想的 にも、それが人民優位の方向に革命をより前進させる目的の下にジロンド派の穏健主義を超克し ようとした徹底したルソー主義者ロベスピエール(Maximilien Robespierre)の憲法恩想に導か れて成ったものだけに、両者の問には和解し難い多くの面が存在している。従って、先行91年の 制限君主制憲法体制との対比において93年のジロンド・ジャコバンの共和主義憲法を論ずる場合 においても、むしろ後二者の問に存在する環境の実相の差異並びに制度媒体要因としての政治思 想の上での相魁面に留意して考察を施してゆくことが要求されるのではないかと思われる。(3)

(3)

Illl     「ニ" r?二・ド  ヤ べ二(ill膳注こね軋る人民主権実現の構想」再論(高野)

ところで、本稿「再論」の執筆を決意したのは、この分野における近時の貴重な諸研究からの 刺戦によるものであるが、ロペスピェールの憲.法思想を重視したはかは、旧稿でとり残されてい た不徹底を少しく解消することができた程度で、それ以上には論じきれていないことを怖れる。

さらに機会を得て続論を提出したいと思う。

I 1793年憲法と権利宣言

「1793年の憲法」は、後述の人民の支配の原理即ち人民主権の統治構造の面だけでなく、憲法論 理の前提としての人民の自由の原理即ち権利宣言の面においても、重要な進化の一時期を画する。

しかし、以下においては権利宣言の内容を逐一検討する余裕はなく、本稿の主題(統治機構)の 考察に欠くことのできない二・三の点の指摘に一瞥を投ずることに留めておきたいと思う0

93年の憲法は、91年憲法やジロンド案の形式に倣って、「権利宣言」 (前文、本文35ヵ条)を「憲法」

(124ヵ条)の前に置いている。 「権利宣言」は、 「憲法」の部分が簡略でむしろ不備を感じさせるの に比べ、詳細・完備の内容をもつ。まず、ロベスピエールは、人権(lesdroitsdeshommes)は憲

° ° ° ° ° ° ° ° °

法の結果というよりもその基礎であるという近代憲法の基本観念を全く自己のものにしていたこ とが知られる。彼によれば、 「憲法と政府の目的は人間の幸福つまり人間の諸権利、安全、自由 及び財産の保護にある。」 「この原則に徹するならば、憲法の審議は人権の部分から始めることが 必要であるし‑‑‑権利宣言を憲法に先行させることが絶対に必要であるCO。」と(5)。次に、ロベス ピエールの憲法論は、その基調において、ルソーに至って頂点に達した革命の個人主義的国家観 を、革命を更に推し進めるための人民の政治的闘争の手段として援用し政治的にマニフェスト

・ ・ ・ ・ ・        ・ ・ ・ ・

する点にあるが、それと同時に、適切な歴史的判断と鋭利な現実認識の上に立論されていること が知られるO 「共和国(Republique)は唯一かつ不可分である」 (92年9月25日国民公会デクレ、 93 年憲法、憲法1条参照)。かかる共和国の憲法的基礎をなすものは人民主権と人民の自由及び権利 である。共和制は人民主権の実現形態(6)であると同時にそれは万人の自由享受のための制度的保

レソ̀ン  ユマニテ

障である(7)。従って、共和制憲法は理性と人間性、自由と平等の永遠の基礎の上に打ち建てられ なければならない。ロベスピエールは、「89年の人権宣言」は「すべての人類に適用の可能なるこ とを意図して作られた普遍的で不変かつ不動の司法的公準の一体(8)」としてこれを高く評価しつ つも、同時に入間の現実生活における奴隷と不幸、堕落と圧制に対する現実認識に立脚して、「わ れわれの使命は大革命を準備した人間理性の進化の度合いを一歩前進させることにある」 (国民公 会での憲法演説1793.5.10)と述べ、さらにつづけていう。 「私は1789年7月14日の革命以来とり

7ナ/レシー

わけ1792年8月100の革命以来たびたび無政府という噂を耳にしている。だが、それは決して政 治的団体の病癖としての無政府ではないO私によれば、それは専制主義(despotisme)と貴族制 (aristocratie)である(10)。」 「社会の悪は断じて人民から由来するのではなく政府から由来するも のである‑‑‑‑私としては、倣慢と悪徳のすべては権力と富裕から生れること、これに対して労 働と節制と欠乏とは徳の擁護者であることを注目したい‑‑‑‑各市民の不幸は政府の罪以外の何 物でもない ‑・故に、すべての憲法の第‑の目的は公的及び個人の自由を政府そのものから保 護しなければならないということに帰着する(ll).。」と。

後述する93年の政治権力機構の編成は、上に述べられた,君主制の遺制としての執行府に対す る体制的な敵意‑彼のことばをもってすれば「人間の諸権利の尊重を充分保障することができ るがそれらを侵害するほどには強くない政府をいかにして作るかの命題(12)」‑が塵調となり、従

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「ジロンド・ジャコパン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野      113

って権力の分立によって社会的諸力の均衡を図る必要はなくなるが、それだけに「権利宣言」は

an包もES^

単に市民の自由を宣言するだけではすまされず、サン・キュロット大衆の不満を鎮静するに 値する内容‑各市民の自由と平等を基礎とする人間の現実的な諸権利を記録することが必要であ

ったU3)その特色は、就中、次の三点に凝集されている。

lo 自然権としての個人の「平等」 (l'壬galit占)の理念が強調されること(14)。

ドt)ワ.ソシオー

20 平等権の強調のコロラリイとして、労働権、生存権等の社会権が重視されること(IB)。

30 圧制に対する抵抗権を承認するだけでなく、飯乱権(l'insurrection)が正当化されること。

n1793年憲法と人民主権

ロペスピエ‑ルほ、93年5月10日の国民公会での憲法に関する演説(以下、憲法演説という)に おいて、次のように述べているo人民の憲法は真理(verite)である理性と人間性の恒久的基礎の 上に構築されなければならない。フランス人民に責任を負う憲法制定者は「人民は善良であるが 人民の代理人は腐敗しやすいということ、政府の悪徳と専制主義に対する予防は徳(vertu)と人 民の主権(souverainet芭dupeuple)の中に講じられなければならない(17)」という異論の余地の ない公理をまず提起したいと思う、と。93年の憲法の政治機構は上記の憲法演説で集約的に説か れた彼の憲法図式の制度的表現ともいうべきものである。その憲法は、.ルソーの理論に由来する

「人民主権」(「主臆は本質的にフランス人民に属する」)の原理を権力構成の至上原理とし(「一切の

°°°°°°

国家機構を≪一般意思≫の最高の指導の下におくこと、これである)、以下に示すような人民による国

°°°°°°°°°°

家権力の統合システムを実現しようとする。即ち、人民統合下の政治制度の構成においては、第

‑に、人民は人民によって選挙される立法府に対する執行府の厳格な従位を確保する。ここから はいわゆる議会支配制(rさgimed'assemblee)が帰結される。第二に、人民は人民に対する立法 府自体の厳格な従属を要請する。ここからは次の三点が帰結される(i)人民は自ら直接に叉 は直接・普通選挙で選挙する代表者を通じて主権を表明する(主権者の政治的自由).00人民は、

「一切の公職は人民の受任者である」ことに基づき、人的に、受任者を選定すると同じ方法で彼 らを罷免することができる(命令的委任).(m)同上の公理に基づき、人民は、物的に、受任者と 独立して意思を形成しもしくは受任者の意思決定に対して最終的承認を留保する(半直接民主制)。

以上のような内容を含む、93年の人民主権の原矧ま、要するに、91年の国民主権原理と法理的に 両立し難いものであるということができる(18)

序論‑人民主権の概念

主権の担い手は「人民」(peuple)である。「人民は主権者である」(Lepeupleestsouverein.

ロペスピェ‑ル宣言案演説14条)0「主権は人民に存する」(LasouveraineteresidedansJepeuple.

宣言25条、同旨ジロンド宣言案27条)。即ち、93年憲法における主権の担い手‑権力の唯一の源泉

‑は人民である。93年憲法(3篇1条)における「人民」は91年憲法の「国民」(nation)とは 異なる(。ォ93年憲法7条は「主権者としての人民はフランス市民の総体(universitddescitoyens FranGais)である」という。フランス市民の総体とは国家において一般意思に参加する個々の市 民の合計ないし主権に参加する個々人の全体、制度的には各市民の団体としての選挙人団を意味 ブーブJL,スダヲンナシオンスグラン

する(20)。従うて、ここでの人民‑主権者概念は、国民二主権者における道徳的人格に統一された

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ilE 「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野)

集合体の意味での抽象的、理念的なものではなく、主権が社会集団を構成する各個人にいわば現 実的な持分として帰属するという意味で具体的な観念に立っている。かくて、 93年憲法の人民主 権の理論は、主権が国民全体に不可分に帰属するとする制憲議会の国民主権論とは異なり、ルソ ーの主権の原子論的構成つまり分有主権の観念を論理的に内包している。かような代表制の作用 によって「国民」化されない「人民」、単なる凝制ではなく、 「事実」 csyとしての人民、 「それが 存在するという事実だけで、常にあるべき姿をとっている(22)」主権者概念が認められる場合‑

それが93年の歴史的時期における労働者民衆の権力への接近という変化しつつある政治現象の認 識を前提としてのそれであるか否かは別とし蝣」<aサ‑ 、統治機構は国家意思の形成の仕組みにお いて主権者を排除することはできない。

〔I〕 執行府は人民によって選挙される立法府に厳格に従位する。

人民による権力の統合(l'unite du pouvoir)を基軸とする政治機構は、何よりも、執行府に対 する徹底した不信と敵意によって貰徹される。ロペスピェ‑ルは、憲法演説において国家機関の 編成に触れて、執行者の権限(puissance des magistrats)の限界画定は単に政治の無力化の手 段としてではなく人民の諸権利の保障の観点からなされるべきことを強調している 1793年の 憲法は、この従位的行政府制(executif dependant)の面において、彼の意図をかなり忠実に受

け継いでいるといえる。

コ   ジスラテイフ

lo 執行府(Conseil executif)の構成員(24人)は、立 法 府により、各県の選挙人会の作 成する85人の侯補者名簿に基づいて任命され、その半数は毎年改選される(憲法63、 64条)。立法 府の選任権の範囲はきわめて広汎である。また、ここでは、再選の規定はないO内閣成員と議員 の兼職が禁じられることはジロンド案と異ならない(憲法演説10粂参照NfSB)だが、ジロンド案では 大臣は人民の選挙によって選ばれ任期は2年で再選が認められ、それだけ執行府の独立と強化が 図られていた(憲法案5第2節1条、 20条)。執行府は立法府の選任する24人で構成される(憲法62 秦).合議的行政府制(executif collegia】)が採られるのは、執行者の職務を一部に集中するより 多数の者に分散して非個性的にしておくことが、立法府を通して人民の支配を担保するために適 当であるとする考慮に基づくものであることはいうまでもない。さらに、何人も同時に多くの執 政者に就くことはできず、また執=j庁jj各部門は、事項の性質に従がいできるだけ区分し、異 なる機関に分掌させるという点も、ジャコバン共和政体の一つの特色に数えられる。それは、就 中、執行府はその構成員以外から行政各部の長官(いわゆる大臣)及び外交使節を任命する(同、

66、 69条)、としている点に、あらわれており、憲法は、この趣旨を徹底して、行政長官は執行府 を構成せず又相互に関係をもたず、いかなる個人的権威も行使しない(同、 68条)旨を定めてい る。

20 権限についてみると、立法と執行はこれを浜重に分離することが要求されるO執行府は、

憲法上、直接行政権を行使する機関ではなく、自己の任免にかかる職負(Les agents administ‑

ratifs)の一般行政を指導・監督する機関にすぎない.しかも、一般行政はことごとく立法府の 法律又は決議により指示される。執行府は立法府の意思(法律及び決議)を執行するのみである (同、 65、 73条) 。法律を制定する任務をもつ一団は法律を執行するために使用された一団を監視 する。執行機関の構成員はその職務について立法院に報告する.執行府の怠慢(prevarication) の場合につき立法府に告訴され、法律・決議の不執行、職権の濫用につき、立法府により政治 責任が問われうる(同、 71、 72条) 。かくして、執行府は立法府の近くに所在することが要求され

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「ジロンド・ジャコバン両憲法をこおける人民主権実現の構想」再論(高野) 115

ている(同、75粂)。また内閣の成員は立法府の要求があるときは議場に出席するが、出席の権利 はなく(同、77条)、法律の発案権は否定され、拒否権、解散権も与えられない。かように、人民 が委託する法律の執行の任務を超えて政治的怪物になることは厳しく阻止される。この点、議会 制的君主制の政治機構にみられる権力の抑制・均衡の仕組みに対する敵視が明瞭に看取されるの である。(26)

しかし、より重要なことは、立法と執行の分離は、いわゆる権力の分離ではなく公務(foactions°°

publiques)の指定を意味するという点である。この考えは、「社会契約論」における立法(これは 21ベルヌマン

人民自身に属する)の権力(pouvoirs)と憲法によって組織される政府(統治の全機構を意味し、立 法有も含まれる)の作用(fonctions)の区別を前提としていると恩われる。憲法は人民の権力以外 にいかなる権力も認めないのであるから権力の委任の観念はここでは否定される。従って、89年 人権宣言16条の権力分立は「公務の限界」(limitesdesfonctionspubliques)に置きかえられ

(「公務の限界が法律により明白に定められない場合・・・‑・社会的保障は存在しない」宣言24条)、制度上立法 府、執行府及び司法府への政府の諸任務即ち公務の指定がなされる(憲法演説11条「執行、立法及び

司法の各任務は分離される」)。しかも、意思は代表され得ないから代表者の観念は成り立たず、原理

・・・・・

的には何れも人民の受任者ないし代理人の地位にたつ。ただ、公務の性質に基づく指定関係にお ロワデタレ

いて立法府は各市民の議員指名権により指名された議員から成り、人民の承認の下に法律と決議 の制定に参与する第一の権限(premiとrepuissance)'が与えられるのに対して、執行府は立法 府により選任され人民と立法府の統制及び決定の留保の下に法律と決議を「執行」するに留まる アジヤンところの「立法府の代理人」(28)であり、従って相互の関係における任務の性質に基づく「権能の 位階制(29)」ないし「権威の格差(30)」から、執行府の立法府に対する完全な規範的従位が帰結される。

91年憲法でも、政府の作用は原理的には国民に由来するも制度上はやり国民によって選挙され る立法府と執行府に分けられる点で異ならないが、国民は立法権を国民議会に、執行権を国王に委 任することによってのみ主権(憲法制定権力)を行使するものとされ(3篇2条)、かくて議会と国 王はともに代表的性格を与えられ国民のために意思する権力として厳格に分離・独立し,また司 法権は立法・執行両権と並んで対等の地位が与えられ(3篇3、4、5粂)、(31)その限りで分立を前 提とする三権の均衡が維持されていた。これに対して、ジロンド案では、ジャコバン同様、89年 人権宣言16条の権力の分立は「公務の限界」に代置され(32)(宣言案29条)、分立を前提とする権力 の均衡はコンドルセのいわゆる立法府、執行府及び人民の「行動の統一」の原則に変えられる。

しかし、ここにおいても、執行府を人民達挙として立法府からの独立を認め、また執行府の対議 会政治責任を否定した点で91年の権力分立論の影響が目につく。かくして、以上の叙述から一つ の総括を与えるとするならば、1793年の憲法の態度はまさに91年憲法における代表民主制の原理 及び権力の分立を前提とした均衡の原理並びにモンテスキュー流の議会主義的な権力の抑制・均 衡の原理に対する徹底した排斥の表明と規定することができ、制度論としては、人民優位制内で の「議会支配制」(regimed'assemblee)をみることができる(33)

1793年の憲法は、人民投票による承認を得て成立したが、緊迫した内外情勢のため結局実施さ れずに終ってしまったDそれは、いわば計画された制度(regimeprojete)に留まり、92年末か ら95年末にかけて実際に行われた現実の制度(regimereel)は革命政府即ち憲法なき公会支配制 コングアノシオン・ナシオナル

である。国民公会(92年9月21日招集)は、激変の政情の下、先にはジロンド、今はジャコ バンの新憲法の制定に取組むとともに、実際にも国王と立法議会に代わる最高の国家権力機関と して政治の動力の中心:存在としての役割を果たし、その過程において「臨時執行府」(Conseil

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116 「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野)

executif provisoire)  これは執行権をもつが既に最高首長(国王)を欠き、従って法律の拒否 権もなく、大臣は議会によりその議員外から選任され、全体としてその地位は脆弱かつ不安定で あった‑を統制と監視の下におき、また公安委員会(Comite de salut public)をとり込んで 国政上最高の存在となった。このような政治の情況において、権力分立の教説が衰微の傾向にむ かったことはきわめて当然であったC30。周知の如く、公安委員会は、公安の理念の下に公会内の

‑委員会として任命・設置され、臨時執行府の監視を通じて公会の法令の通用を確保する任務を もったが、やがて執行府を完全に自己の下にしたがえ(93年4月6日のデクレ第2条は公安委に執行 府の決定を任意に停止させる権限を付与している)、(35)他の委員会を引きはなして自ら執行権の実質を もつに至る。この関連において、オーラ‑ルほ委員会は責任内閣であったとし、またゲェツユヴィ ッチは委員会が公会多数派の代表であったとする立場から公会はフランスにおいて議院内閣制を

レジーム・パJレルマンテエル

最初に実行したと結論づける。議 会 制の本質的要素を議会の選任を前提とする多数派統治 におくか政府の対議会政治責任におくかそれとも無責任な元首の存在と解散制の結合に求めるか ば一つの重要な問題である。確かに委員会の委員(9人のち12人となる)は公会議員の中から公会 により選任された。そこに議会制への徴かな類似(faint resemblance)(36)が認められないではな いが、ここでは委員は一カ月毎に任命されることになっていたし(但し再任は認められる)、ダント ン(Danton)の率いる第一次公安委(93年4月以降)もロペスピェールの指導する第二次公安委 (同年7月末以降)もともにはっきりした首長はなく内閣的一体性は見られず、また公会の政策と の不一致に基づく責任も必ずしも問われることはなく、さらに解散権も行使することはなかっレシム・〆サンブレ た。ここには議会制の要因は見出すことはできない(37)。それではいわゆる議会支配制というべき であろうか.現実の局面はむしろ逆に、とくにロペスピェール委員会において、臨時執行府に対 する監視活動、公会議員に対する威嚇と恐怖行動が示されその異常支配性がきわだっている。と

くに、革命政府に関する法令(93・10・10)以後のテルール期になると、公安委は「憲法的拘束か ら自由サ8)」な「変則的政府(39)」となり、ロペスビュールの個人独裁に基づいて一切の国権を集中 し、統制と威嚇の恐怖政治の下、権力の重心は公会から委員会に転位し、立法府と執行府の分立 の観念、立法と執行を一般利益と個別利益の関係の下におく観念は消え(40)、あげて公安確保のた めの直接行動(Faction directe)  G.ソテルによれば、直接民主制の極端な帰結(41)‑の機 関と化するのである。かような委員会の変則的な反議会制的独裁体制においては、議会支配制を 見出すことは困難といわねばならないO

〔II〕 立法府は、それ自体、人民の蔽格な支配・監視の下におかれる。

(1) 直接・普通選挙‑人民の政治的自由

人民は、それぞれ、主権の一部分の保持者即ち市民として自ら直接に又は代表者たる議員を通 じて主権を行使する。人民が直接参政権を行使する第一次選挙会について、憲法は「主権者の集 会の各部分は完全な自由をもってその意思を表明する権利をもつべきである」 (宣言26条)と定め、

また間接参政権について「各市民は法律の制定及び受任者の指名に協力すべき平等の権利を有す る」 (同29条)と規定する。かくして、立法府(corps legislatif)は、一院制で、議員(depute) は選挙人団を構成する人民が直接・普通選挙により、一年の任期で選挙する。

° ° °

93年の二つの憲法ではともに立法府は一院制(systとme monocameral)で、議員の任期は 一年である(憲法39、 40条、憲法案7篇1節1条、 91年憲法では2年)。短期任期制(duree breve)は、

「公職は本質的に有期的であるO これは栄誉又は報剛と考えられるべきではなく義務と考えられ るべきである」 (宣言30条、宣言案演説32姦)の具体化であり、その根拠は、議会の専断の予防、人

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「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野) 117

民支配の担保に求められる。

・・・・・

2。普通選挙制が実行される。周知の如く1789‑1791年の政治体制では、家僕でない25歳以上 の男子で3日分の労賃に等しい直接税を支払いうる市民(能動市民)だけが第一次集会(カントン) に参加することができ(91年憲法3篇1章2節2条以下)、このうち10日分の労賃に等しい税を支払 いうる者が県ごとの選挙入会で代議士を選出する選挙人となりうる。市町村自治体の首長の選挙 にも能動市民だけが参加したO制限選挙を基礎づけるために提唱されたシェイエス(Sieyes)の いわゆる第三身分の能動市民(citoyensactifs)と受動市民(citoyenspassifs)の区別は、制憲 議会期から、主権者の政治的自由を制約するものとしてロペスピェールの抗議の対象となってい たC42)

。彼は91年8月22日の演説では受動市民の存在と人権宣言の不一致を痛論している(43)

。しかし、

これら理論家の普選論は、当時の市民一般にみられる政治の無関心をよそにかつ労働階級の権力 闘争と必ずしも結びつかないままに独走した感を免れ難く、92年8月10日に、立法議会がフラン ス人民に普通選挙(suffrageuniversel)で国民公会を選挙する旨のデクレを定め市民的身分の一 元化を公約したことは、権力の側における譲歩としての意義において評価の対琴となろう。何れ シトワイヤンフ

にしても、8月10日の「第二革命」後、新たに選挙梅を与えられた受動市民は、かの「株 主達」(actionnaires.能動市民の意)とともに第一次集会の構成員となり、又9月210の公会のデ クレでは選挙人団に憲法の人民投票権が確約され、ここにおいて都市及びカントンにおける主権 者集会の各部分としての「第一次集会」(assembl芭eprimaires)の政治的比重は高まったといえ る。93年憲法は満21歳以上のフランス市民たるすべての男子に選挙権を与え、又一定の要件を充 たす外国人にも選挙権を付与するとともに(憲法4条)、第一次集会に関しては、ジロンド案と同 様に、「立法府」の前にこれを規定している。そして、ロペスピェールは、以上に付加して「こ れらの権利(選挙権‑筆者)は空しいもの、架空の平等ではないが故に、社会は‑‑・・労働で生活 する市民に対して彼と彼の家族の生存を損なうことなしに法律が要求する公けの集会に参加する ことが出来るようにしなければならない」(宣言案演説23条)とし、出席者に対する補償、簡潔・

明瞭な選挙法、彼等の便宜を考慮した集会の日程の諸点(45)を指摘している(憲法演説)。また、以 上の普通選挙制に加え、91年憲法が常にそうであったような間接選挙制(第一次集会の構成員は最終 抑こ代議士を選挙するのではなく彼らを選挙する一定数の選挙人を選任するに留まる)は撤廃され、ジロン ド・ジャコバンともに、第一次集会に参加する人民は、直接(immddiatement)、議員を桔名す

・・・・・

るとして直接選挙制を採用する(憲法8条、ジロンド案3篇3節)。92年9月初旬において、二回投 票制(scrutinadeuxdegres)が、「命令的委任の禁止による代議士の独立性の強化と結びつ

いてまさに一団のグル‑プに立法権を集中させ」、「ブルジョワジーの寡頭支配体制C46)」を強行す る政治手段となっていたことを考えると、直接選挙の採用は93年における人民支配の一つの到達 点を示したものといえよう。

30ジロンド・ジャコバン両憲法の差異の一つとして、議員代行者制の採否がある。93年憲法

・・・・・

では「第一次集会は‑一一・直接に議員一人を指名する」(憲法23条)ものとし、いわゆる代行者 (suppleant)の選出を認めず、議員が欠けた場合はその都度「これを指名した第一次集会により その後任者を指名する」(同、30条)としている。議員選挙の際、将来における議員の空席に備え それと同数又は一定数の代行者の選出を一括投票させる方法は、91年憲法(3篇1章3節1条)、ジ ロンド案(3篇3節、7篇1節4条、lo泉)のともに認めるところであったし、93年憲法の審議過程 でのエロー(HeraultdeSeche】les)の報告にもそれは是認されていた.しかし、議員の代行者 制を認めるエロ‑報告の部分は、最終的には修正され、前示憲法の規定となったわけである(4?)。

(9)

it C: 「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野)

代行者制度は、議員の欠けた都度補欠選挙(electionpartielle)を行うの煩を避けるという点で法 技術的意義に乏しくはないとしても、政治的には人民の意思との関係において重大な危険を包蔵 しているからである(48)かくして、第一次集会は、直接・普通選挙により小選挙区・単記で、投票の 絶対多数で議員を指名する(憲法24粂)。「第一回の投票結果で絶対多数を得ない場合、第二回の投 票が行われ、最多数の票を得た二人の市民の中一人が選出される」(同26条)。従って、ジロンド案に おいて、第一次集会の選挙は侯補者名簿作成のための予備選挙と名簿に記載された侯補者につい て行う本選挙の二回の投票により行う旨規定されていたが(憲法案3篇2節1条)、これは否定され た。ジロンド案の選挙手続が極めて複雑でかつ選挙の完了に至るまでの県行政部の規制が著しく 強いことについて、ロベスピエールは主権者の自由の侵害だとしてつとに非難を浴びせている(49)

40以上の叙述と関連して、ジロンド・ジャコバン両憲法問の差異で看過し得ない一点として

・・・蝣・

第一次集会の行使する選挙の範囲をとりあげることができる。確かに、ジロンド・ジャコバンの 第一次集会は、その構成においては、既に述べたように、直接・普選制を基盤とすることになり、

またその役割においては、新しく、公職の選挙以外に法律の発案・拒否、憲法の制定・改正の発 案・拒否等に直接に関与することが認められるようになり(憲法10、58‑60、115条、ジロンド案3篇 2節2条)、立法権、執行権に対しいわば「選挙人権」(pouvoirelectif)0的地位にまで高められ 鞍点は注目される‑91年の純粋代表制において第一次集会の役割が専ら議員の指名に限定されて いたことに比して(憲法3篇1葦4節1条、同旨共和暦3年憲法37条)、93年の人民統治体制における 選挙人団の役割の拡大・強化はこれを否定することはできないと思われる。しかし、問題はやは り選挙制度ことに第一次集会が直接関与する選挙の範囲にあるO箪一次集会が人民優位の国家組 織に占める基本的な役割はむしろ上述の選挙権行使の条件以上に重要性をもっているからであ る。両憲法を対比すると次の如くである。即ち、ジロンド案の第一次集会は議員のほか大臣、国 庫委員、会計検査委員、市及び県の行政委員、裁判官、国民陪審員を選挙する。これに対して、

93年の憲法では、第一次集会の選挙は人民の代表としての議員(depute)の選挙だけとし、議員 ニ1ノクトタ‑Jt,

以外の公務員、調停委員、裁判官及び内閣の成員の選任は一切選挙人全の選挙委員に委ねている (憲法9、63条)O憲法はなお、第一次集会のほかに選挙人全(assembleeelectorate)をおいてい る。が、選挙人会は、第一次集会の市民がその出席数のいかんに拘らず指名するところの選挙委員 で構成されるものとし(同37条)、それは第一次集会に従属してただ前記公職の指名機関としての 役割に留められ、従っていかなる代表的性格ももたないCM)。立法府はこの選挙人会の提出する侯 補者名簿に基づいて内閣の成員を任命する。第一次集会が関与する選挙の範囲に関する限り、ジ スキ1ンタL,レ

ロンド案は一見して民主的な本質をもっているようであるが、人民優位制の下ではそれは破廉 クズダンジェ′レクズ

恥なこと、危険なこと(エロー)であった。ロペスピエ‑ルはこう述べている。「憲法は立 法者の陰謀を追い払い、自由そのものを維持するのに必要な一般原則を示すだけで充分であり、

それ以外の事項はすべて人民主権に対する攻撃である」(ォ)/‑憲法潰鋭)と。

50最後に、投票は公開投票(votepub一ic)である。これは民主社会における選挙人の主体性

を表徴する手段として弁護されるO「公開は徳の支持者であり、真理の守護者である」(65)^憲法演説)o この場合記名か口頭か、それとも両者の選択を選挙人に委ねるかで議論が岐れた。ロベスピエー ルは口頭を支持していたが、憲法は最後の方法をとった(憲法16条¥(ォ0

)。

(2)命令的委任

89‑91年の国民主権に基づく政治体制においては、政体は純粋代表制(「一切の権力は国民から

(10)

「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野119

発し、国民は委任delegationOによるほかその権力を行使することはできない」91年憲法3篇2条)であり、

その論理的帰結として、議員(d占pute)の地位は全国民の代表者(representant)、即ち国民全体 のために自由に意思する権力とされ、選挙は一般利益の実現者の指名行為という意味において議 員に対する命令的委任は禁止され(prohibitiondumandatimperatif「鼎こおいて指名された代表

者は特定の県の代表者でなく全国民の代表者であり、代表者にはいかなる委任も与えられない」同憲法3篇1葺 3節7条)、国民代表の選挙人(団)からの完全な独立が措定された。これに対して、93年の人民

主権制においては人民は代表者(国王はこれに含まれない)を通じて又は自ら主権を行使すること

°°ができる。第一に、人民は自ら主権を行使する‑ことに各市民は自ら法律の制定に参加する‑

意味において人民は主権者である。故に、主権の行使を全面的に代表者に委ねることは、ルソー のいうように、「国民は自由でなくなり、国民としては存在しない」ことになるので、それはでき ない(58)

。第二に、憲法は人民が代表者を通じて主権を行使することを認めるが、ここに代表者とは

°°e実質的には人民の先行意恩に従属する人民の「受任者」(mandataire)を意味する(宣言29、31条).

憲法は、カレ・ド・マルベールの指摘するように、「各議員は国民全体に属する」(憲法29条)と 規定するだけで、命令的委任を禁止する明文の規定は見当らないのみならず、(59)「公務の限界が 法律により明白に定められずかつすべての公務員の責任が確立されない場合社会的保障は存在し ない」(宣言24条‑s(60)と規定する。人民主権は単なる擬制ではなく分有主権に裏付けられた観念で あるから、議会は憲法上主権者の諸権利に反する何事もなし得ず、人民は議員に対して人民の意 思を強制する憲法上の手段が与えられなければならない。かくして、ロベスピエールは、人民の マンダテエル

意恩を強制して受任者の責任を追求するための手段の設定を力説する。彼によれば、憲法は、議 員を含む一切の公務員を主権者に対し真に従属関係におき、彼らを厳格な責任に服させる規定を おくべきである、という。それによると、一切の公職を道義的と身分的の二種の崇高な「責任」の

・・・・・

下におく、(61)というのであるO道義的責任(responsabiJitdmora一e)は、「受任者の行為を知る 人民の権利」(宣言案演説33条参照)に対応し、一方において、立法府の審議(ここでは12,000人の傍聴

°°人を容れる会場が構想される)と執行府の活動を人民の前に公開(publicite)させ(憲法演説13条参照)

・・・・・

(62)、他方において、受任者をして人民に対する職務の報告(任期終了後2年以内)を義務づけ、人

°°民の厳正な審査(jugement)の下におく(宣言案演説34条、憲法演説18条この場合、人民はそ の信任、不信任を宣言する。不信任を宣せられたものはいかなる職務にも就くことはできな い。以上の二重の基礎の上にはじめて人民の真の自由が確保される、という。(64)この議員に対す る人民の審査に関しては、憲法審議の終結する93年6日24[]にもエローによってそのような趣旨

°°°の条項が表決されるよう提案された。しかし、公会はこれを採択するに至らなかったO身分的

°°責任(responsabilitephysique)は公職の怠慢(prevarication)の場合に加えられる制裁であ る(68)その‑は、「一切の公職は人民に対して責任をおう」(憲法演説14条).「人民によって指名さ れた一切の公職は、受任者を罷免する人民の時効にかかることのない権利という確立した方式に

°°基づいて、人民により罷免される」。「人民の受任者の犯罪は厳しくかつ即座に罰せられるべきで ある。いかなる人も他の市民以上の不可侵性を要求する権利をもたない」(宣言案演説33条、宣言31 秦)。「立法府の議員は、院内で発表した意見のため捜索され訴追されない権利をもつことを除い て(憲法43条、しかし、ロペスピェ‑ルほこの特権付与にも反対した>C67),腐敗行為もしくは飯逆等の積 極的な犯罪事実のある場合特別裁判所に移送される」(憲法演説15、16条、なお憲法44条参照¥(68) J。そ

の二は、執行機関の構成員はその職務について立法府に報告する。その怠慢の場合、立法府によ り告訴される(憲法71条)0

(11)

120 「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野)

以上において、91年の国民主権の原理に基づく国民代表制(従ってここでの自由委任の原月り)に対 して93年の人民代表制を特色づける命令的委任(mandatimperatif)の内容を主としてロペスピ エ‑ルの主張を基にして概観した。上述のところから知られるように、憲法自体は、その大綱に おいて国民代表の受任者的構成に基づいて議員の責任を指示し、その意味で彼らの独立性を否定 する限りにおいて命令的委任を承認しているとしても、ロペスピェ‑ルの構想と意図にも拘ら ず、命令的委任を積極的に肯定し、かつ委任(訓令)の作成手続、その執行、義務違反の法的効 果等について何ら異体的な規定をおいていない。それのみか、憲法審議の最終場面では、ロベス ピエールやエローなどの強制委任論は、人民のセクションが全国民を代表するとみなされる代表 者を排除する権利をもたないとするクートン(Couthon)の先決動議の前に頓挫している(69)。論 者によっては、選挙人による議員拘束の現実化は、フランスにおいては1871年のパリ・コミュー ンではじめてなし遂げられたといわれるが、(70)この点はここで措くとしても、93年の人民主権を 象徴するとみられる命令的委任が全体として観念的なものにとどまっている事実は、93年の時期 において、なお「革命の政策の継続のためには人民自体よりも人民の代表者により強い信任を与

・・・・えなければならなかったC71)」公会の現状判断‑この判断の基底にはやはり権力と人民の階級利 害の不一致に帰因する制約条件がひそんでいたというべきであろう‑に基づいているOとすれ ば、このような命令的委任の不徹底の一面に、われわれはジャコバン的共和政体のもつ限界を見 出すことができるように思われる。

(3)半直接民主制

人民主権原理にたつ93年の憲法では、受任者に対する命令的委任とともに、以下に述べる人民°°

°°°投票制(referendum)が人民の人的・物的統制を担保するための人民統合システムの卓越した 保障として制度上取りいれられる。しかし、立法権の委任を全面的に拒否し、そのトータルな行 使を人民に留保する純粋直接民主制(democraticdirectpur)の実行は手続上過当しないが故 に、人民主権の制度技術上の形式として直接制と代表制の調和の形態即ち「半直接民主制」

(democratiesemi‑directe)が採られる(72)

。従って、直接民主制は国民主権の下においても必ずし

も排斥されないが(半代表民主制)、人民の主権を背景とする半直接民主制においては、人民は単 に選挙に参加するにとどまらず重要な国政の決定に最終的な決定権が留保される形で、いわば代 表の観念の破壊の上に「統治する民主主義」が制度化される。

・・・・lo人民投票は、代表制及びその一つの形式としての議会制の伝統の.強いフランスの憲法性界 においては、憲法事項に関してそれも例外的に認められるにとどまる。しかるに、93年の憲法に

・・・・おける人民投票は、憲法のはか法律一般について認められ、その意味で人民優位性が著しい。

ジロンド案では「国民代表の諸行為に関する人民の審査」(censuredupeuplesurlesactes ア・ポステリオリ

delarepresentationnationale)は事後的である(73)

。議会の表決した法律は直ちに通用される。

ただ、第一次集会に参加する市民は50人の承認の署名により現行法の改正又は新法の公布を得る ために人民投票を要求することができる(憲法案8第1‑3条)。これに対して、93年の憲法では、

「法律は人民の意思の自由かつ厳粛な表現」(宣言案演説15条)であり、「人間の時効にかかるこ とのない諸権利を侵害するすべての法律は本質的に不正であり専制的である。それは決して法律 aiOnE‑M!

ではない」(憲法10条)とする前提から、立法に対する人民統制は事前的に強められる(74)

。即ち、こ

こでは、人民は法律の表決権を留保する(同、18条)。「法律」(loi)については決議(decret)と

(12)

「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野      121

° ° °

異なり立法府は提案権をもつにとどまる(同、 53‑55粂)。そして「提案」の名の下に全国の市町 村に送付された法律案は送付後40日に過半数の県で形成された第一次集会の10分の1が異議を申 立てない場合にはじめて法律となる(同、 58、 59条<黙示的承認>).異議申立てのある場合、立法 府は全国の第一次集会を招集し(同、 60条)、人民投票によりその賛否を問わなければならない (同、 19、 20条<明示的承認サt。76‑ロペスピエ‑ルはいう。 「法律案は人民によって確定的に承認さ れるまでは法律の効力を有しない。この瞬間までそれは法案にすぎず、その瞬間においてそれは 人民の意思の表現となる」(76)と。ここでは、法律人民投票(referendum legislatif)厳格には人民 拒否(veto Jegis】atif)のほかに、法律発案までは定められていないO それは法律の発案権をたと

い立法府の専行するところに委ねても、人民の主権者的地位は何ら害されない、とするのが憲法 制定者の意図であろう。そして、法律案の対象となる事項は列記されている(同、 54条)。かよう な法律事項の列記は立法権が至上のものでないことを推定させる一つの根拠に数え得よう。ま た、法律をはじめ決議、判決及び各種の公文書には「フランス共和図・一・・年、フランス人民の名 において」の標題が附される(同、 61条)。政府をあらわすフランス共和国でなく、主権者をあら わす「フランス人民」 (Peuple franGais)の名においでなされる意である。これはロベスピエー

ルの修正によるものである(1793.6.16発言J。

20 この憲法自体、前年9月21日の公会のデクレ「人民により受理される憲法以外に憲法はあ り得ない」 ‑即ち、人民の憲法制定権力と憲法によって組織される権力の分離‑に基づき、

°

憲法投票に付され(93年7月‑8月)、その承認を得て成立をみた。憲法は、また、憲法改正の発

° °

案権(droit d'initiative)を人民(第一次集会)に専属させている(同、 115条、この点ジロンド案が立 法院と第一次集会に競合的に与えていたのと異なる、 9篇1条以下)。

即ち、過半数の県の第一次集会の10分の1が憲法の改正を要求する場合、立法府は全国の第一 次集会を招集し、人民投票に付す(同、 115条)。その過半数の賛成があれば、憲法改正のための 国民公会の選挙が行われ(同、 116条)、公会の憲法審議が開始される(同、 117条)。公会が採択し た新規定は、 「人民により承認される憲法以外に憲法をもつことができない」のであるから、バ スティドがいうように、改めて全国の第一次集会へ諮問され人民の最終的承認を必要とすると解 される(78) ,なお、宣言28条参照)O従って、ここでの人民は、 91年憲法の国民がEg民代表の媒介によ ってしか改正権を行使し得ないのと異なり(7篇1条)、 「憲法を常に検討し、改正しかつ変更す る権利」 (宣言28粂)を現実化し得る地位におかれる。かように、憲法改正が、国民公会の役割の 重要性は別としても、広く人民の発案及び承認を必要的要件とする93年の憲法は、国民主権と代 表民主制の原理にたって国民代表の手にこれを集中させるフランスの憲法的伝統の中で、まさに 特異な地位にたつといえよう。

む  す  ぴ

1793年の憲法は、ルソーに至って頂点に達した革命の個人主義的国家観が、ロベスピエールを はじめとするジャコバン派指導者の手によって革命の一層の前進のための政治的闘争の手段とし てマニフェストされた、一つの貴重な結晶であるといえよう。それ故、憲法には、以上に見たよ うな、ルソーに由来する近代政治理論の遺産とりわけ代表の観念の破壊の上に基礎づけられる人 民主権論を至上原理とした人民統合システムの政治機構がかなり大系化された形で編成されてい

(13)

122      「ジロン ド・ジャコバン両憲法における 再論(高野)

る。この憲法の放つ価値は、数多くの特色が単に平面的に並べられてあるというようなものではな く、人民主権を軸としてかなり立体的な構成上の特色を発揮していることに求めることができる.

ように思う。だから、ゴドショのいうように、・その根本の価値は「社会的民主主義」(democratic sociale)の主要な諸問題を初めて公けの世界に提起した点にある」と(79)規定することも一つの評 価たるを失なわないであろう。しかし、この憲法は遂に実施を延期された。憲法の実現を妨げた 原因は複合的であるであろう。だが、その終局的な原因はブルジョア的な利害に基因するであろ う。ロペスピエ‑ル自身、いったん国家権力の座につくや、一切の攻撃に対して自らを擁護する

・ ・ ・ ・ ・

ために、これまで作り上げた憲法計画の貴重な部分(例えば、半直接民主制)さえ公共の自由の名 において放概してしまった。ここに至って革命政府の指導者ロベスピエールは叫ぶO 「デモクラ シーとは、主権者たる人民が自ら作った法律によって導かれながら、自らなしうることを自分自 身で行ない、自らなしえないことを受託者によって行なう状態をいう」 ""(1794・プリュヴィオーズ・

17演説)とO柴田教授の適切な指摘をもってすれば、 「ルソー的デモクラシーの理論は、常に野党 的反対派であったロベスピエールにとって有効な攻撃武器でありえたが、自ら議会の指導権をと り革命を主体的に指導すべき責任を負った時、このルソー理論は現実性を失ったのであるO人民 が『自分たちで為しえないこと』、それは危機に直面している革命の大局的指導であった(81)」。

この憲法の結末を通じて、憲法の命運を決するものは、規範化される法的価値も第‑の要件であ るが、それとともに憲法規範を支える社会・経済的及び政治的基盤いかんが極めて重要な要素で あることを示唆している。この憲法の学問的価値は貴重かつ豊富である、と同時にまた異質性が きわだっている。 <熱月派>公会が、 93年の人民支配体制に対する反動として権力の重心を人民 から議会にとり戻し、全体として再び91年憲法へ復帰をめざして第三の憲法案(即ち、共和暦3<

1795>年憲法)の作成に着手するこれ以後の革命の行く手に徴しても、この憲法を対象として政か う場合には憲法が革命諸憲法中に占める位置を見定めつつ周到に設定された視点の上に細かな注 意が用意されつつ展開されることが要求されるであろう。小稿はこの要求に耐え得るものではな

く、しかも概括的な論述に終ってしまっている。ど批判を得て、さらに研究を探めたいと思う。

( 1 ) Georges Burdeau, Droit constitutionnel et institutions politiques, 1968, p. 274

(2) Albert Soboul, La I Republique (1792‑1804), 1968, p. 7.

(3)従って、根本的には、 1791年に対する1793‑'94年の仝体制、後者の中でのジロンド・ジャコバン両 派の政治的対立を規定した客観的な諸要因即ち経済的、生産的諸条件や階級利害の差異について、きめ 細かな分析に基づく評価の上に立つことが、必要にして不可欠と思われるO この点はしかし、革命史学、

社会経済史学上、非常に見解の対立するところでもある。それはともかく、このような視角において論 述された貴重な邦語文献として、高橋幸八郎、近代社会成立史論、第五篇市民革命の構造展望試論昭22、

187頁以下、長谷川正安、フランス革命と憲法(下)、昭28、第六章40頁以下があげられよう。かような、

革命の経済史学的視点に加えて、この期の憲法研究の基礎前提として、時代の傑出したイデオローグで あるコンドルセとロペスピェ‑ルが政治思想上共同の母であるJ.‑J.ルソ‑から夫々いかなる程度にお いて影響下にあったのか、そういう政治思想史的な視点を避けて通ることもできないように思われる。

しかし、本稿ではこの点も果されていない。今後の究明を期したいと思う.

(4) Robespierre, (国民公会での演説1793. 4. 15) citd par CEuvres de Maximilien Robespierre, tome IX, 1958, pp. 434, 438.ロペスピェールほ国民公会が速やかに権利宣言を革してフランス人民の

(14)

「ジロンド・ジャコバン両憲法における人民主権実現の構想」再論(高野     123

前に提示することを要請する。そして彼自身の作成になる権利宣言案は、その後、 4月24日に提出され

J‑.

(5)この点は、ジロンド案の起草に当り主役を演じたコンドルセ(Condorcet)が、権利宣言の採択は

「専制主義を払いのけるための政治的護符」であるということ、 「憲法はそれの統合部分をなす権利宣 言なしには考えられないO憲槙の機能は、単に、自由な政府を作るだけでなく、それはまた自由な市民 を創ることにある」といっているのと基調を同じくしている。この点に関しては、 cf.J. Salwyn Scha‑

piro, Condorcet and the Rise of Liberalism, 1963, pp. Ill, 112,134.ジロンド案前文はコンドルセ の叙上の憲法観を端的に裏付けている。

(6)柳春生「フランス大革命の憲法をこおける人民主権の問題をこついて」 『大意論叢』 10巻1号、昭44、

14, 15頁。本稿は、柳教授の大革命憲法研究上の諸業績に、そしてとりわけこの論稿に多くの教示を仰 いでいることを記しておく。

(7) Robespierre, (8) Robespierre, (9) Robespierre, (10) Robespierre, (ll) Robespierre, (12) Robespierre,

cite par J.M. Thompson, Robespierre, vol. I 1968, p. 159.

cite par J. M. Thompson, op. cit., p. 176

cite par (Euvre de Maximilien Robespierre, t. IX, p. 495.

Citd par CEuvre., op. cit., pp. 495,496.

cite par CEuvre., op. cit., p. 496 cit岳par J. M. Thompson, op. cit., p. 48

(13) 93年の憲法の権利宣言1こほ91年憲法の冒頭に付せられた89年人権宣言16条のような条項はないO こ こでは、権力の分立は、各市民の自由と平等を基礎とする人間の現実的な権諸利を確保するために、権 力の人民的統合という高次の原理によって克服され、公機能の分離に転化せしめられるo

(14) 「権利の平等は国家のすべての構成員つまり労働階級を含む貧富の区別に拘らずすべてのものに帰 せられるべきこと」 (Robespierre, citさpar J.M. Thompson, op. cit., p. 176.)これであり、とく に「各市民は法律の制定、受任者の指名に参加する平等の権利をもつ」 (宣言29条)が注目されるD 93年 憲法の全体は、ゴドショのいうよう軒こ、 「平等」の考慮から発しているといっても過言ではないJacq‑

ues Godechot, Les institutions de la France sous la revolution et l'impire, 1968, p. 281.

(15)財産権(droit de propriるtさ)は、神聖・不可侵の自然権ではなく、公共の利益による制約を伴なう 実定法上の権利として捉えられるO 財産権は「各市民が法律によって保障された財産の部分を享有し処 分しうる権利」 (Robespierre,国民公会へ権利宣言草案を提出する際に行なった演説1793. 4.24、 6条、

以下「宣言案演説」という。旺uvres., t. IX, op. cit., p. 459.)、 「他の諸権利と同様、他人の人権を 尊重する義務によって制約される」 (宣言案演説7条)、 「財産権はわれわれ同胞の安全、自由、生存及 び財産のいかなるものも害することはできない」 (同、 8条)、 「この原則を破るすべての取引は、本質 的をこ不法であり不道徳である」 (同、 9条、 CEuvres., t. IX, p. 465.),,また、権利宣言では一定の人権 配慮のための国家の責務が強調される。ロペスピェ‑ルほ「人間の主要な権利はその生存と自由の維持 に備える権利である」 (宣言案演説2条)として、労働権の保障、生存権の確保(同、 lo泉)、富者の貧 者救済義務(同、 11条)、財産の多寡による累進課税の確立(同、 12条)等を明記する。憲法はこれを確 認する(宣言21‑23条)。それは、 1848年憲法、 1946年4月憲法草案への社会権発展の指導標としての意 義を担うものと評し得るであろう。

(16) 89年宣言、ジロンド案はともに人民の「圧制に対する抵抗権」 (droit de resistance五1'oppression) を認めていた。だが、その方法は、合法的手段であって、憲法によって規定することを聾するとされて いた(ジロンド宣言案31、 32条).これに対し、 93年憲法では、暴力、圧迫、主権の侵奪、権利侵害に対 する人民、人民の各部分、自由な人々、社会の‑構成員の抵抗権(宣言11、 27、 34、 35条)は人間及び 市民が有する自由、安全等の他の諸権利の帰結として(同、 33条、宣言案演説27粂)、明確かつ具体的に 承謬しつつ、さらに政府の圧制に対する人民の最も神聖な権利にして最も不可欠な義務(宣言35条、宣

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