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農 業 恐 慌 と 費 本 主 義 膿 剃

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(1)

農業恐慌と費本主義膿剃

湖 覧良

(2)

   前篇農業恐慌数資寡電義

一︑研究の手がかりとしての高田樽士の恐慌観

二︑一般経濟恐慌と農業恐慌の本質

三︑農業恐慌と工業恐慌との交錯關係

四︑農業恐慌の必然性と賢本主義

覧︑農農物市揚の擾大と農業恐慌︒高田博士﹁恐慌減少﹂論の批鋼

   後篇 世界農藁恐慌の必然縫

六︑農業恐慌の原爾・謂ゆる内鞭的及び外獲的農業恐慌

七︑謂ゆる外鞭的農業恐慌としての世界農業恐慌

入︑世界戦後の濃業生産における構造縫化

九︑世界農業恐慌の必然性と資本主義

一〇︑﹁世界農業恐慌における三つの型﹂︒河西氏所説の批朔

(3)

前篇 農業恐慌と資本主義

 先づ農業恐慌とは何であるか︑それは一般維濟恐慌とどんな關係にあるか︑またその嚢生の必然性は何であ

るか︑それらの基礎的課題をこの前篇が果たす︑難く後篇はこの一般的理論的基礎に立ちての世界農業恐慌の

研究にあてられる︒

嗣︑研究の手がかbとしての高田博士の恐慌観

 高田保馬博士の﹃景氣鍵動論駆① 一それは激多き博士の輝かしい諸論著のうち︑必ずしも第一級に属せし

めらるべき﹁名E作﹂② とは云ひがたからうが︑景氣攣動のみを論じたる日本における最初の紐織的著作であ

る一iによると︑すべての恐慌はその本質において信用恐慌である︒即ち博士は自から﹁恐慌とは何ぞや﹂の

問を設け︑これに答へて次のやうに云はる玉︒つこれは二様に答へらる玉ことが出弄る︒一はその申核をなせ

る事實によのて︑二はこの申核に俘ひて必然的に生じ上る俘随現象によりて︒前者は云は璽相當の廣がりを竜

つ支佛不能にして︑後者はこれに伴ひて生じ埋るところの輕濟的活動の申止︑その無方向である︒前者はあく

まで信用の事象にして︑後者は経濟的活動一般に於ける事象である︒この意味に於て︑すべて恐慌はその中核

     農業恐慌と賢塞主義騰制       五四三

(4)

       五四四

に於て信用事象なりと云ふことが出留る︒L紛進みて博士は一般恐慌と部分恐慌との匠別を論じて云はる曳i

﹁恐慌はその本質に於て信用恐慌であるが︑この信用の行詰るのには過度なる信用の増加が前提とせられてる

る︑この信用過増が如何なる方面に生するかに從ひて恐慌の作用する範圃が異って掘る︒この差異によりて恐

慌は或は取引︑所恐慌であり︑或は商業恐慌であり︑或は金融恐慌︵所謂狭義の信用恐慌︶であったりする︒こ

れらの各範幽に於ける恐慌を部分恐慌と煙して置かう︒これらは孤立的に起ることもある︑併しながら︑多く

は相關幽して起る︑部分範國に於ける恐慌が聯關して起り︑從ひて経費の驚き範團がこの恐慌の渦中に投じ︑

その運動の申止せらる瓦が如き姿にあるとき︑それを一般恐慌と稻する︒﹂㈹

  H︶H本騨論批版︑現代経濟學全集第十二谷︑昭利三年十一月刊︒

 楠︶高島教授の讃榊︑岡氏︑信用統制と景氣攣動︑四四三頁︒

 い︶高田簿士︑景氣攣動論︑四〇一頁○

 轟︶同上︑四〇三−四〇四頁Q

 右の引用章句よりして窺はれる高田博士の恐慌観によって確定されてるる論黙は次の三つ一⁝即ち︑すべて

の恐慌はその本質において﹁相老の廣がりをもつ支出不能﹂によって象徴される信用恐慌であること︵段︶︑し

たがって一切の恐慌は﹁過度なる信用の増加﹂を前提として獲生すること︵b︶︑及び︑﹁この信用重々が如何

なる方面に生するかに從ひて﹂個々の部面における﹁部分恐慌﹂が現はれること︵c︶一である︒ところで

私は今これら論顯の個々について批制を試みようとするのではない︒差響っての私の問題は︑その見解の﹁大

(5)

艦は從來支配的なる墨読の範園からいくらも出てみない﹂③ と云はる玉この著作について︑謂ゆる﹁從來支配

的なる墨読﹂が一般に恐慌の本質を如何に解してみるか︑また部分恐慌の一と解せらるべき吾々の農業恐慌は

その本質において一般恐慌と如何なる關係に置かれてあるか︑を検してみようと思ふにすぎない︒今︑かやう

な見地から高田博士の所読一同時に﹁從來支配的なる學読﹂に近づいてみると︑何より恋風づ問題となるの

は﹁すべての恐慌はその本質に於て信用恐慌であるしとの上掲の第一命題︵我︶でなければならぬ︒

 蝋︶高田簿士︑景氣縫動論︑ばしが藩ご頁○

 私は不幸にしてこの黙博士の所読に從ふを得ないのであるが︑それは姑く措き︑假りに博士の立場に立っ

て︑さて農業恐慌は如何と考へれば次のやうな困難が生じて昇る︒即ち農業恐慌もまた﹁過度なる信用増加﹂

を前提とした信用恐慌であるかとの疑問である︒尤も博士はこの書において農業恐慌には論じ及ばれす︑部分

恐慌としても僅かに取引所恐慌︑商業恐慌︑及び金融恐慌を墨げて居らる玉に過ぎないが︑しかし︸︑すべての

恐慌はしと云はる製以上はiIたとひその執筆の時期︑春から秋にかけての一九二八年が︑今Bの七難と深度

とにおける世界的農業恐慌が未だ世人一般の注覗にまで爆破するに至らなかった前夜であったとは云へ︑部分

恐慌としての農業恐慌そのものは夙に十九世紀初頭からの歴史的存在をもつものであり︑その上︑世界職掌の

農業恐慌は既に一九二〇年にその前足を現はしたものである以上は−⁝その恐慌本質論において博士がこの農

業恐慌を全然度外に置かれたものとは考へ得ない︒果して配りとすれば︑博士の恐慌本質論はこの農葉恐慌に

     農業恐慌と賢本主義髄制      五四覧

(6)

       五四六

超して次の二つの庭理の何れか一を輿へねばならないであらう︒農業恐慌もまたその本質においては信用恐慌

であると短く途がその一であり︑こNで﹁すべての恐慌﹂といふもの瓦申には農業恐慌は属しないと説く途が

その二である︒さうしてその何れの途も︑博士にとっては致命的な困難を伴ふ竜のであるかに見える︒

 先づ農業恐慌がその本質において一つの信用恐慌であると粗くことの誤りなるは取りにも明白であらう︒な

るほど農業恐慌の時期には︑勘なからぬ農民員債が﹁支梯不能﹂に隔る︑そしてそれは髄かに﹁相當の廣がり﹂

をさへもってみる︒が︑これは恐慌の結果であって︑恐慌そのものではない︒のみならす恐慌は︑博士の場合

では過度の投機と︑それに俘ふ信用の膨脹が前提とせむれ︑その一反動として恐慌歌態が草生するものと考へ

られてるるの︒これは然し︑農業恐慌には心76全に當てはまらない︒そこでは﹁過度の投機﹂もなければ﹁信用

の膨脹﹂もないからである︒次いで第二の途一同ゆる﹁すべての恐慌﹂の中には農業恐慌は厩せす︑したが

ってそれは取引所恐慌や商業恐慌と並びての部分恐慌にあらすとして︑これを恐慌の一般的考察から除外する

途一⁝を選ぶとすれば︑それで一憲は解決がつくやうである︒が問題は︑何故に農業恐慌を全然度外に置くか

である︒忌事なく思ふところを云はして貰へば︑博士が﹁部分恐慌﹂に移してコ般的恐慌しと云ひ︑またこ

れらを総括して﹁すべての恐慌﹂と云はる玉場合には︑一般的な恐慌論のもとでは却って除斥せらるべき流通

部面上の恐慌をのみ取扱ひ︑肝心の一しかり︑これを除いてしまうてはその恐慌論は意味をなさない1一

贅本主義的生塵部面上の一般恐慌を︑意識的にか無意識的にか︑除外して居らる芝のではなからうか︒

(7)

  N︶ 高田憧阿士︑鳳息氣慶鋤墾醐︑例⁝へげh四二〇頁以下︒

 私は初めからこの序説的部分において︑農業恐慌を直接に取扱うた丈献以外に多く隣れることを差控へるつ

・もりであったが︑こ瓦まで論述が進んで來た序でに︑机上にあるデイール博士の﹃理論経濟肇﹄第二毬を試み

に披いて見ると︑経濟恐慌を論じたその第九工費四十九節以下では︑謂ゆる農業恐慌は部分恐慌の一種として

考察外に置かれ⑤︑また高田博士が取って研究の主艦とされた貨幣︑信用H︑投機鐸︑及び取引所恐慌は︑

何れも流通部面の内部において特殊の原因かち獲生するもの︑したがって︑それは時に全國民の維濟生活を震

讃せしむることがあり得るにしても︑生産部面に生するところの一般的維濟恐慌には署しないとしてみるゆ︒

私はディールの所書をもつて︑何人も從はねばならない班規の軌道であるなどとは固より考へてるないが︑博

覧張記の高田博士が何故に︑むしろ特殊の原因に基づいて流通部面の内部に獲生する取引所恐慌や金融恐慌の

みを拾ひあげて︑これに﹁一般的恐慌﹂や﹁すべての恐慌﹂といふが如き総括名稻を冠せらる玉かが︑私には

不思議に思へるのである︒

  ◎◎︶d凶魯謂数こ爵飼8話馨09鷺跨坤◎器叡ぎ離◎彰5嵩曝b6録ρ密暴超蕊り○◎●い◎9︒.

  ゆ︶ 図ぴ窪鎌辞ω儀いε凸瞬ρ

 スペクタトールはかつて︑恐慌問題に慰する在來諸聾者の見解に総括的な痛評を下して云ふたfi﹁ブルジ

翼ア経濟學はこの問題を意識的に混齪させやうと志向し︑資本主義のこの根本的な抜き取り難い病氣を何等か

    農業恐慌と費本主義臓制      五四七

(8)

       五四入

の方法によって﹃ごまかさう﹄としてみる︒資本主義の曙においてはブルジ㌶ア経濟學は産業恐慌の事實その

      も  も ヘ  へものを否定しようと試みた︒この経濟學は天災︵凶作︑洪水等々︶の結果何等かの物資が不足するために生す

     へ  みる恐慌や︑投機から練る恐慌︵信用ほ及び貨幣恐慌︶や︑最後に國民経濟の個々の領域における生産の不均衡

      も  あな分配ーーその結果詣る物資の不足と他の物資の過剰が現れた⁝一から來る恐慌を認めた︒だが市場における

販路を見出さないところの商品の一般的な過剰や︑商品債格の一般的水準の低落をこの維丸焼は考へることが

繊來なかった︒LG田 だが讃者は私のこの引用に﹁ごまか﹂されて︑こ玉に論評されてみる﹁維濟學﹂がやがて

また高田博士ゆ経急信だなどと早合勲されては困る︒私はこの引用章句によって︑私自身を鞭うつてるるので

ある︒ 回︒︶ 皿ム・xぺ〃タトール︑マル〃スの恐慌灘論︒シア版マル〃ス主義の旗の下に・︑第一輯︑︸一二頁︒

﹃一般纒濟恐慌と農業恐慌の本質

 それはともあれ︑農業恐慌についての吾々の手がかりは途に﹁鼻面支配的なる學論﹂からは得ることが出來

なかった︒私は當然に︑これとは別個の途を歩み行かねばならぬ︒

 おもふに︑一般的な維濟恐慌はその根元を︑市場を目當てとする商品生産の本質そのものにおいて見られね

ばならぬ︒したがって﹁支彿不能﹂を貯砂とする信用恐慌は︑費られざる商品の市場における溢剰の結果であ

(9)

り︑それ故にまた︑一定の便格における販費一⁝同時に︑この商品に投下された便値の實現一iの︑遽延或は

完全なる不可能の結果であると見られねばならぬ︒一般的な砂壌恐慌の場合には︑何よりも先づ︑費られざる

商品の市場における盗剰が最も明白なる徴候となって現はれる︒この観黙から見れば︑一切の維濟恐慌は一

憲︑商品の過剰生産恐慌であると嚢ふことが出動よう︒だが商品の過剰生産とは云ふまで罪なく︑人間のすべ

セの要求に姦しての過剰であるといふ意味ではない︒如何なる商品も人戸のすべての要求を満すには不足して

みる︒しかもなほ且つ一聯の商晶が或る特定の時々において過剰となるのは︑支佛能力のある需要がその生産

に伴ふて起らないか︑或は減湿するためである︒ ﹁過剰生産とは︑パン︑砂糖︑珈緋等々を必要とするものが

       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へてんでないといふ意昧ではなく︑難事能力ある買手がないといふ資本主義的意味の過剰生産である︒﹂︵ヴァル

ガ︶ゆ  誕︶縄濟批判會三編︑國際農業恐慌︑昭和五年十二月刊︑三三頁︒

 商晶の過剰生産はかやうに支梯能力ある需要に封しての過剰であるが︑この意味における過剰生産は必然に

當該商品の債格の低落を反映する︒なぜならば商品は從來の優勢においてはその販路を見出し得ないからであ

る︒之の事實は特に農業生産物の場合に激しく現はれる︒が︑程度の差はあるにしても商晶修羅の激しい低落

は︑ 一般経濟恐慌にも農業恐慌にも共通の︑最も確かな示標である︒それ故に農業恐慌は一般経濟恐慌と同檬

に多くは過剰生産の形をとり︑同時に償格の反落によって象徴されると云ふことが墨蹟よう︒その限りにおい

     農業恐慌と費本主義膿制      職四九

(10)

       五五〇

て過剰生産は一つの債格現象である︒債絡に反落が起らなければ︑商品の生産は如何に豊饒であっても﹁過剰﹂

は起らない︒少くともその場合の﹁過剰﹂は恐慌となって生産者側の破滅を招議しないのである︒ところが︑

過剰生産をばかやうに一つの債格現象と見ることは生産者︑特に農業生産者の側に自由なる選御構を認めるご

とを意味しない︒この錯誤に陥ったものに︑たとへば﹃東洋経濟新報﹄がある︒

 ﹁事愛鳥は憶うして過剰の親を呈せるか︒それは唯だ領格の問題である︒米を喰ひたい者は幾らでも居る

が︑それ等に米を喰ひ得させるためには︑その値段が安くなければならぬ﹂働と云ふとき︑吾々の東洋経濟新

報は正しい︒だがそれに荒いて一﹁所が左様に安い値段では︑米の生産者はその生産学債を償ふことも出來

   へ  め  も  ち  み  へ  ふ  へ  も  や  へ  も  あ  へない︒故にそれでは米を萱りたくない︒こ玉に即ち米の過剰は生するのだ﹂⑲と云ふとき︑それは完全に事の

翼相を見誤ってみる︒米の生産者はたとひその儂格が低落して﹁生産原債を償ふこと特出來なしくても︑彼れ

      へ  ゐ  へ  も  もは幾分にても償値の天意をはかるためにこれを手離さねばならぬ︒﹁それでは米を漁りたくない﹂など製云ふ

自由選操は彼れに淺ざれてみない︒ ﹁生産物を生産した人聞は︑それを費のたいか費りたくないか︑といふ選

      ヘ へ も ぶ ゐ へ ゐ擁は出來ない︒彼れは費らねばならぬ︒恐慌にありてはまさに次のやうな事實が現れる︑即ち彼れは費ること

は出盛ないか︑或は軍に生産債格以下に費らねばならぬか︑或は積極的な損害をもつて費らねばならぬといふ

事實が︒﹂︵スペクタトール︶鯉しかしてこの︑生産者の側における抜き差しのならない事事が︑市場における

商品の浴剰をますます重ならしめるのである︒資本主義枇會における農業生産の本質を理解しない東洋面面新

(11)

報は︑今なほ︑マルクスによって排棄された﹁小兇的饒読﹂を繰返へしてみるに過ぎない︒

 憲︶東洋経回漸報︑昭和五年十一月八磁単行︑第扁四二四號︑九−一〇頁◎

  ご︾同上︑一〇頁︑傍購は引用者◎

  岡轟︶  スペクタトール︑ ㌣ル恥グスのソ恐慌理塾醐︑ 晶朋蝋四訟繍一 一八智只◎

 以上の迂同属叙蓮を経來たって︑こ製に漸く吾々は︑農業恐慌の本質に誉れ得たやうに思ふ︒即ち農業恐慌

は︑一般経濟恐慌と同じやうに多くは過剰生産の形をとるが︑その本質においては一の藩儒關係であり︑しか

もその結果として多撒の農業者が破滅的な窮境に陥入れられることを意味するのである︒したがって農業恐慌.

を構成せしむる主要モメントを分析すれば︑︵一︶農業生産者がその生産物を生産便格以下でか或は積極的な損

害をもつて費らねばならぬほどの算筆低落︑及び︵二︶これよりして受ける打撃が少欝欝にと穿まらす多数の

農業生産者に︑或は時に一定地域の全艦に及ぶこと︑の二つである︒この意味において︑世界農業恐慌の根本

原因については吾々はその所見を一にするを得ざるところのゼーリングが︑一般に農業恐慌を定義して次のや

うに云ふとき︑私はそれを拒否する理由を見出さないのである︒曰くーー−︑.H9器韓移①顛葺巽..︾㈹雷存置幽︒︒.げぎの

男爵︒・鴨︒・巳ε轟§儀︒ぎ器量鋤霧ま㎡①薮戴く自裁擁護開白・伽白塗欝鋳導露譲悩窪図◎︒・需ほ量傷ピ銀翼麟≦o︸9①脇く置のピ穿・a鼠醤の

欝翻欝欝くの誌霧隠○拶鎖鈴ω瓢民鍛9&窪鵬屋舎︒器①ご6震凶陣の鼠貯叡窪く巽α9接げa暦◎深︑︑.ーー︵﹁余は﹃農業恐慌﹄〃の

竜とに一の債格形成︑及びそれより生ずるところの︑費用と員憺とに封ずる牧入の關孫︑即ちそれによって多

     農業恐慌と資本主義髄制       五五一

(12)

       五五二

数の豊業者が家屋敷の喪失に脅かされ︑または全く大きい地方が荒屡に脅かされるところの歌態を解する︒L︶㈹

  巖︶ ○りΦ旨西糟寓己﹀鴨㌶騨吋囲ω窪髪箆︾ぴQ鏡農α嵩ρ翻︒瓢謎転層鉱智⁝αqぢ膿鳩ψ憶賢

 しからば次に︑農業恐慌は一般維濟恐慌︑特にその重要局面たる工業恐慌とは如何なる關係にあるか︒

騨﹃農業恐慌と工業恐慌との交錯關係

 農業恐慌が.一般維濟恐慌の重要局面たる工業恐慌と全く無零丁であり得ないことは明かである︒たとへば

各々の工業恐慌は︑少くとも農業のうち工業原料品−:i生瀬︑棉花︑羊毛︑黄麻︑等々ーーを生産する農業部

門における敏感なる後退を意味する︒だが︑このことよりして工業循環上の各々の恐慌局面は一つの農業恐慌

を含むと論結することは譲りである︒なぜならば︑工業恐慌に俘ふて生するところの工業原料品生産部門にお

ける後退は一般的農業恐慌を意味せす︑ ﹁一般的農業恐慌にとっては︑何よりも先づ穀物類と飼料との便格態

様が決定的しなのであるから㈲︒たとへば︑後により詳しく誉れるであらうところの前世紀末葉における翁ー

ロッパ農業恐慌は︑疑ぴもなくいくつもの工業循環を通じて長びいた︑が他方において︑一九〇七一○八年の

恐慌局面は少しも農業恐慌を作はなかったのである︒世界戦後の農業恐慌について見ても︑それは既に︑今日

の世界維濟恐慌がなぼ爆獲しなかった一九二〇年に現はれかけたのであり︑日本の場合においても昭和五年の

生綜恐慌は直接にはその前年末アメリカ合衆國から襲ひ來たった経濟恐慌によって燭嚢されたが︑しかし米︑

(13)

雑穀︑金茶等のより廣範國にわたる日本の一般的農業恐慌は︑決してその獲生の時期を前者と一にしなかった

のである︒

  獄︶ヴァルが世界縄濟年報︑縫濟三朔會講︑第九輯︑四〇!購一頁◎

 農業生産が多くは市場を目撃てとする生産の形をとるに拘らすその増減において各々の工業循環に適慰し得

す︑したがって農業恐慌が工業恐慌と必ずしも同時的に進退し得ない特殊事情は︑何よりも先づヴァルガがこ

れを明確に規定した︒試みにそれを三黙に要約して述べるとーー

 ︵a︶主食物たるパンの就會的浩費高は工業循環の進行歌謡から極く僅かな程度で︑しか恐矛盾しながら影

響を受けるだけである︒恐慌は︑貧乏な諸國ではパンの消費の減退を意味し︑富裕な諸國では上等食料品︵肉︒

脂肪・牛乳︶の使用が慶ってパンの溝費が増加することを意味する︒

 ︵b︶農業では生産期が長くか製り︑且つその生産は孤立分散してみるので︑悪化しゆく景氣への反作用は

工業におけるやうにさう迅遽に︑且つ組織的に行はれるものではなく︑反封に景氣がい製からと去って迅速に

生産擾張を行ふことが出來ない◎

 ︵c︶農業生塵費のなかでは︑固定支出即ち生産の量もしくは牧穫の高に無毒係に要る支出が工業における

よりも遙かに大きな役割を演じてみる︒借地料︑土地抵當利子︑帯心の利彿及び償却︑牽引用動物の飼料︑常

傭勢働力の賃銀︑租税︒これらの要素は合計して個別的生産費の少くとも七〇%を成してみて︑生産制限をや

     農業恐慌と資本主義騰制       五五三

(14)

       五澱四

ってみたところで殆んど影響がない︒だから個々の農業生産者は︑生産物の債格安の時にも︑却って全幅作業

を績けやうと熱霊するのである︒

 かやうにして農業生産には工業生産に見られない特殊事情があるので︑各工業恐慌は一日本の生面恐慌に

次いで繭恐慌が現はれた如く⁝⁝農業中の工業原料生産部門の後退を惹起することになりはするが︑また他方

において農業恐慌の存在は疑ひもなく︑農業生産者大衆の購買力を減縮することによって工業上の恐慌局面に

尖鏡化作用を及ぼしはするが︑それにしても︑工業と農業とにおける胸壁循環の動態は全く違ふのである留︒

これ農業恐慌σ様相なり原因なりの研究が一般経濟恐慌の研究から離れて行はる製を要する所以である︒だが

農業恐慌は一般に経濟恐慌から全く無關係に無始するものでなく︑多くの場合これともつれ合ひ︑これを尖鋭

させる一方︑農業恐慌は経濟恐慌によって︑特に工業原料品の生産部門を通じて深刻化されて行くものであ

る︒かやうな相互のもつれ合ひの結果としで農業恐慌の研究は︑一般経線恐慌がその最深黙にすでに底入れし

たかどうかの問題に義定を下すに當っても︑除外されてはならないものとなる働︒ けだし近代諸國における農

業生産は︑その獲展の様相において特殊性を有するとは云へ︑就會生産の全機構一吾々の謂ふところの資本

主義膿制iから切り離して親察せらるべきではなぐ︑全過程の共通の一環として考察せらる瓦に及び︑初め

てその性質が正當に理解されうるからである︒農業恐慌の本質もまたこの立場において初めて正嘉に論明され

うるであらう︒

(15)

慧︶ヴァルが世界経濟年報︑第九輯︑闘二!四三頁肇照︒

以⇔︒︶ ヴァルが世界経濟年報︑第十二輯︑ 一九i二〇頁謬照︒

四︑農業恐慌の必然性と資本主義

 ところで農業恐慌を不可避ならしむるもの︑即ちその必然性は何であるか︒これは個々の場合の特殊原因か

らは論明され得ない︒同時に一般経濟恐慌の必然性からも切の離された竜のではない︒農業恐慌の必然性を私

は農業生塵そのもの製資本主義的性質に見る︒

 農業生塵は︑特に零細農の多い漆黒のやうな國においては確かに︑言葉の嚴密なる意味における資本主義三

生産ではない︒そこでは何よりも先づ︑雇入れられ買入れられたる他人の聾働力が歓如し︑機械による大規模

生産の代のに自己及びその家族の勢働力が決定的である︒この意昧において田本の農業は多く資本主義無蓋螢

の学外に鵬するものと考へられよう︒がこ製に重要なることは維螢規模の大小で竜なければ︑用ゐらる製勢働

力の自他の細別でもない︒これに反して︑農業生産が全膿として依存する條件︑即ち農業生産物の商贔性が根

本的に重要である︒農業生産物が市⁝場を目當てとする意義として生産されること一;そこに農業生産の︑資本

主義肚會における一般的性質が現はれ︑同時に農業恐慌の遜けがたき必然性が包藏されるのである︒一⁝﹁かく

して︑生︷摩者をばその生塵物の貨幣慣繁忙僑存せしむる資本制生産方法の弱黙は︑この場合︑資本制生産方法

     農業恐慌と資本主義騰制      五五五

(16)

       五五六

の不十分なる獲達に起因するところの弱黙と相一致することになる︒農民はこの場合︑その生産物を商品とし

て生産することを得せしめる條件なくして︑商人となり産業者となるのである︒﹂︵マルクス︶働

 回ゆ︶ 窺鍵き︼︵.し︶蕊嗣︵節℃一欝γH洲〆ヒご釦.い.︑男①間ご◎︾灯簿㏄●Q鼻◎一息畠氏﹁課本︐新潮就阪︑第三巻下︑四八・七一四八八頁︒

 農民が︑それに封ずる確固たる條件なくして商人となり産業者となることは︑彼れが貨幣経濟の全機構中

の︑抜き取りがたい一環となるごとを意味する︒農民が市⁝場を目當てとせす專ら自己のために生産した間は︑

彼れを携ましたものは凶作であり疫病であった︒だが﹁農民は今や市場に依存して來た︑その市場たるや天候

よりももっと氣まぐれで︑豫卸し難いことを農民は知った︒天候の悪戯に然しては少くと竜認る程度まで防禦

し得た︒農民は下水溝によって過度に漁氣の多い夏の影響を緩和することが幽來︑過度の乾燥には灌慨装置に

よって封抗することが出來︑また焚き火の煙で葡萄畑を春の霜から保護することが出來た等々︒だが債格の低

落を防止したり︑買手のない穀物を萱る何等の方法も持合してみなかった︒また曾ては彼れにとって一つの恩

恵だつたものが︑今や一つの不幸となった︑即ち豊作︒このことは殊に今世紀︹十九世紀︺の初頭西ヨー鷺ッ

パにおいて突如として現はれて來た︒そこでは農業生産が一般に商品生産の性質を取ってみた﹂︵カウツキー︶

     のであるσm︒

 8︶魏翼ωξ醤・し︶器︾鴨鎖誌謁ρω貯蒜・︒皆同︒︒ゆP︒︒・H9プロレ4リア科學研究所豊本︑鐵言書筆墨︑上巻一四一一五頁︒

 農業恐慌の必然性はかやうにして︑根本的には農業生産物の商品性そのものに横はつてみるが︑このことは

(17)

農業において演ずる資本の作用が大なるか小なるかによって憂化しない︒農業生産が或る乗艦ではより多く資

本主義的基礎で行はれ︑他の國々ではより多く牛封建的性質をもつてみるの差別はあるにしても︑それらの生

産物が等しく商晶性をもつてみる以上は農業恐慌はその何れの場合において竜馬現する︒た穿前の場合にあっ

ては︑恐慌原因はより多くそれ自からの生塵の内部において醗酵し︑後の場合にあってはより多く︑それ以外

の諸モメントil例へば農作の豊凶﹂農家負憺の重墜等ーーによって白墨される︒云ふまでもなく︑資本が農

業生産に入り込む程度と範團が大となればなるほど︑換言すれば農業生産が純粋の資本主義的生産に近づけば

近づくほど︑農業恐慌の必然性はますます彊固となって曇る︒それは後篇に詳論されるやうに︑世界戦後の農

業恐慌に最も明確に認められ得るところである︒が農業恐慌に封ずる農民の危機は︑すでに︑彼れが自己の消

費のために生産することを止めて︑不完全なるしかし濁立の商品生産者と化した刹那から孕み滞るのである︒

 豪いてこ鼠に到れば︑おのつから湧き來たる問題は︑何故に農民は自己溝費のための生産者たることをやめ

て市場を目覚てとする商品の生産者となるか︑といふことである◎この問題はこ玉で詳しく取扱はるべきもの

ではないが︑行論の便宜上少しく濁れてみると︑その根本的な理由は農民の側における貨幣獲得の必要であ

る︒しからばこの貨幣獲得の必要は何によって起るか︒第一は租税の支携のために︑第二は利子借地料の支佛

のために︑しかして第三は自己の家内生産物を騙潔し始めた工業生産物の購入のためである︒ ﹁農民はどんな

犠牲を彿って穿も金を手に入れる必要があった﹂とレー轟ンはイスクラ時代に読いた︑﹁情深い改革︹一八六一

     農業恐慌と資塞主義膿制      五五七

(18)

       五五入

年の農奴解放を指す︑引用奢︺によつてこ薬事加された租税を支沸ふためにも︑土地を賃借するためにも︑農

民の家内生産物を駆逐し始めた工業生産物をホンの少しばかり購入するためにも︑更にパンを買ったりするた

めにも︒貨幣の樺力はかくて農民贋を座し潰した︒﹂幟手近い所では朝鮮の農民がその具艦的な例誰を示してみ

る︒日本経濟年報からその一節を81用すると一⁝﹁明治廿七年償本が支那に勝ち所謂顧問政治を施いて︑從來

      へ  あ  も  や  や  へ  を  ゑ  へ  も  へ  みの物納租税を貨幣納に改むるや︑農民は納税のため自己の農産品の大部分を貨幣化することを飴麗なくせられ

た︒更に叉日韓の交易は︑資本主義経界下に製造せられし田本商品をして︑容易に朝鮮海峡を渡り︑從來の牛

農的維螢下に製造せられし︑布島︑その他商品を短甲的に駆逐し︑農村に入り込ましぬた︒かくて農村は二

藍︑陶磁器︑砂糖︑石油︑進んでは肥料︑農具等の購入のためにもなほ多くの貨幣を必要とし︑自己の農産品

 ヘ  へ  ぶ  ヘ  ヘ  へ  ゆ  も  へ  ゑ  ヘ       うの一暦多くの部分の貨幣化を計らねばならなくなった﹂鵬のである︒

 鎗︶り︒繊ぎ蕎●ポも︒簿韓饒︒冨ぞ︒昏ρご傷﹂く㌦●濁巴びげ9博○︒●H図吾この部分の邦灘︑薦川魚甘々︑農村問題︑改瀧武庫本︑一

    〇頁︒

 器︶B本纏濟年報︑第三輯︑昭和五年第四四牛偏︑五五頁︑倶し傍職引用者︒

 かやうにして農民の側における貨幣獲得の必要は︑こ玉でもまた農民自身の自由選鐸からは起ってるない︒

そこには︑國家に封ずる租税の悪策を除いては︑張力な高利貸資本と商工資本よりする避けがたき鷹迫がある

のみである︒一般的に謂ふて︑それは近代的資本主義の暴力的作用である︒奮來の意味における農民的存在は

(19)

農村以外に獲農したところの︑この資本主義の暴力作用によって完全に攣革されをはるのである︒そのために

は︑カウツキーが適切に云ふやうに︑農業生産の内部に資本が入り込み︑そして大経螢と小丁番との聞の面立

を形成しなくともよい︑ただ都市における資本主義的生産方法の畿展だけで充分である醐︒ それだから︑たと

       ゐ  へ  ま へ  も  マへば那須皓博士が農村経濟の改造と農民心理を轟いて︑ ﹁鯨りに歓陥多き資本主義の後塵を平して之に追随せ

むとするが如きは︑農業の特殊性を忘れ自己の使命を郷ち去るものなりと云へるし傑と輪ぜらるるとき︑博士

       ヘ  へ  も  も  ヘ  ヘ  ル  もはその﹁後塵を拝﹂せざらんとしても饗せざるを得ざるこの資本主義の︑遜けがたき歴史的必然性を看取し得

ないのである︒同様の︑或はそれ以上の錯誤は︑吾々の高田博士において見出される︒ ﹁⁝一然るに︑資本主

義生産の進行は漸次にこれらの自給せられたる生産物を都會の工場から農村に輸入するやうになった﹂働と云

はる玉とき︑吾々は幸にも博士の所読に賛同し得る︒がそれに績いてーー﹁それは値段の問題よりもむしろ外

擬の︑膿裁の問題である︒手づくりの恰好のわるい︑田舎らしい軽物は盤くすてられた﹂と云はる蕊とき︑私

はこの巧妙︵?︶なる読手を何と評してい玉か知らない︒お蕊︑こ瓦にカウツキーの言葉があった襯一..︾ぴ霧

費の囚碧ぎ︸ぴ8︒貯爵号⑭のぎ≦凶陣窪鼠︒ぽ器臨饒oHa器鼠③◎◎◎冨霞①︒・ひq窪二挺︒a巽の欝顎下︒・びび︒ヨ餌9賦磐⑦ω︒︒凶畠碧3鎌窪

い鍵傷鼠誉︒冨浄︹き傷諺ぴq鐵魯欝9傷窪瓢民︒§観貯◎き鑓窪口︑﹁﹁だが資本はその作用を工業の上にのみ極限する

ものではない︒充分に彊力となるやそれは農業をも︹そして同時に駒寄學者をも︶また捲き込むし1

  楠い︶嶽碧窪閣ざごδ渉購鑓笥節σ窺ゆもα・蕊◎前掲邦諜︑二〇頁謬照○

     農業恐慌と賢本主義騰制       菰五九

(20)

沁Nb

ひ)奪r趣

))H貯9路審回︶審誤σq岡㌶坤勲σqρQQ.ご︒ 高田保馬氏︑農村の入として︒経濟往來︑昭瀦六年五月號所載︑三頁Q 那須皓氏︑農村経濟の改造と農疑心理︒矢作敏授黒甜記念論丈集︑農業政策の認問題︑昭和六年刊︑二七八頁︒        五六〇

玉︑農産物市揚の鑛大と農業恐慌・高田博士

  ﹁恐慌減少﹂論の批制

 以上述ぶるところによって吾々は︑農業生産は︑たとひその内部に資本が入り込まなくとも︑またその経螢

者が商晶生産者としての一般的條件を備へなくとも︑農業生産物の商品化過程そのものを通じてかたく資本主

義全艦制の中に編み入れられ︑すでにそこに農業恐慌の獲生地盤を用意してみることを見た︒しからば次い

で︑この農産物商舗化過程の地域的擾大一農産物市場の振大は︑一般に農業恐慌の出現と如何なる關係をも

つものであるか︒より具墨譜に云ふて︑農業生産物が國内市場を超えて國際市場を目當てとするに至る場合︑

農業恐慌はその出現の急激と深度を低めるものであるか︑或は高めるものであるか︒

 との問題に封してはこ製に一つの理論がある︒尤もそれは特に農業生塵物を封象としたものではなく一般に

商晶生産について立論されたものであるが︑資本主義妻事における農業生塵物が前述のやうに商品生産の性質

をもつてみる以上︑その理論は移してもって農業生産物に轟き及ぶことが出來よう︒ところでその一つの理論

(21)

       や  や  ヘ  ヘ  へ  や  ネ  ゼ  も  や  も  ぶ  へ  や  ま    を  マ  へ  ぶ  や  ネ  や  や  ぶ  ゑ  み  やといふのはかうである  ﹁恐慌は費本主義経濟の成歯と共に︑漸く消滅する傾向を有する︒この傾向がどこま

でつき進み得るか︑やがてはその行詰りにかへりて激しくなるのではないかと云ふことは︑別に考察を要する

問題であるとしても︑事實に於て少くとも減少したること︑その綾和せられたることは︑争ひ難い︒この黙か

     さ  ゐ  へ  を  ヘ  ゼ  も  へ  や  も  も  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  マ  さ  み  ゑ  ヘ  セ  も  も  さ  み  へ  ぢ  ヘ  ヘ  へ  も  ぬ  も  ぶ  も  ぬ  へ  や  も  マ  やら云へば︑恐慌は資本主義経濟そのものが比較的に未成熟である場合に頻繁に生起したる特殊の現象なりと云

ふべきであらう◎し⑳一さうしてそれは︑云ふまでもなくわが高田博士の理論である︒しからば﹁この恐慌減

少の傾向しは如何なる事情から來たるのであるか︒これに封ずる博士の答解は⁝一

 ユ︑投機の勢力が漸次失はれつ瓦あること

 2︑信用組織の釜々完成せられつ製あること

      ヘ  へ  も  も  ル 3︑財の側に存するもの︑即ち︑市場の撲大と企業結合の傾向と醐

 以上三つを重げて居らる紮︒吾々の問題はその第三原因たる﹁市場の事大﹂にか瓦はる︒そこで博士はこれ

を論いて云はる製一﹁維濟の嚢達に俘ひて市場は事々新に開拓せられる︑この市場の撰大には外延的のもの

と内包的のものとがある︒⁝⁝何れにせよ︑此の如き道行により市場が事大せらる玉ほど︑所謂世界維濟に三

っての歩みが進められる︒この進みと共に戦馬輪飾0熟勧紳が加はるものとは考へられないか◎⁝⁝種々なる

固有の事情からして︵例へば過剰生産︑信用の過度なる膨脹︶上昇が行詰るとする︒この際︑それが恐慌とし

      へ  も  ヘ  セ  ゆ  へ  や  や  や  も  ま  み  み  も  も  ぬ  も  ゆ    マ  や  や  や  で  ぶ  ゆて爆擁することは極めて困難となる︑何となれば︑この行詰りの困難は世界経濟の他の部分︑即ち有機的聯絡

     農業恐慌と資本主嚢騰制       .   璽コ

(22)

      五六ニ

ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  モ  ヘ  ヘ  ヘ  セ  も  ヘ  ヘ  ヘ  へを保てる限りの他の部分に波及し分散するからである︒例へば一意の生産過剰ありとすれば︑その財のはけ口

が他に求められるであらうし︑資本の鋏乏ありとすればその供給が同じく海外に求められ得る可能があるか

ら︒㎞ 謡﹀窩田保馬氏︑景氣縫動論︑四二三一四二四頁︑傍鰍に引用潜◎

 め⇔◎︶ 同上︑四五〇頁︑傍贈ぼ引用藩◎

 いゆ︶ 同上︑四五六i四覧七頁︑傍驕引用者︒

 これに吟味を加へる前にもう一度次の一事をお断りする︒博士はこの場合農業恐慌を取扱って居られるので

はない︑したがって謂ふところの市場の披大は直接に農業生産物についてではないこと︒それだけの心構へを

護者に乞ふて︑さて博士の所論は∩趨りにこれを吾々の農業生産物に歴てはめてみて︑理論的にまた事劇的に

正しいかと問ふてみる︒私は遺憾ながらこの場合にも︑博士と所見を異にせぎるを得ない︒所以はかうであ

る︒i一−

 市場の搬大︑同時に世界経濟への歩み寄りが︑有無相通する國際交通の一般原則から︑特定の生産部門に生

じた過剰生産のはけ口となってこ玉に﹁恐慌防止の安全辮﹂が加はると見るのは︑たしかに一癒は正しい︑

吾々の常識がそれを確認するやうに見える︒が︑この常識は﹁資本主義経濟そのものが比較的に未成熟である

場合に頻繁に生起したるしものである︒この常識は一﹁恐慌は﹂ではなくーー︺資本主義経濟の成熟と共に︑

(23)

漸く浩滅する傾向を有する﹂︒なぜならば︑理論的にはその反封が正しいから︒市場の華墨︑世界経濟への歩み

寄りは過剰生産のはけ口となるどころか︑却って﹁有機的聯絡を保てる限りの他の部分﹂をも相牽みて︑一般

的過剰生産の深みに陥らしめる︒その理由は資本主義的商粟生産の本質そのものに横はつてみる︒たとへば一

介における農業生産上の技術的進歩は︑箪にその國一州にのみ極限され得ない︒農業維螢をより有利ならしめ

んとする生産者自艦の不断の努力は︑やがて同様の技術的進歩を他の國々に導入せしむる︒一國における生産

過剰はそれ故に︑氣まぐれな天然の山際的な差別作用が起らない限り︑同種生産物の他國における盗剰と︑殆

んど時を同じうして生起する︒のみならす︑資本主義嘉事の向上期において為書せられた﹁海外市場しの孚奪

はその國自膿における塵業の無爵と相倹って︑ますます困難の度を高めざるを得ぬ︒世界経濟への歩み寄りは

かくて結局︑ ﹁恐慌防止の安全細しとなるどころか︑却って蓮に︑より廣汎なる︑より深刻なる恐慌局面を︑

しか竜より急速に爆獲せしめざればやまぬのである︒

 心中的にもまた︑この事の方が﹁争ぴ難いしやうに思はれる︒輔近アメリカにおける農業生産技術上の急激

なる攣革は︑申部闘一獄ッパにおける農業維螢の合理化と相俘ふて起つた︒前者における生産の激増は後者に

おける同様の現象fたとひその程度は低いにしても一iと略ぼその時を等しくせざるを得なかった︒天然の

氣まぐれは︑また時にこの共通的過剰生産を促進する︒昭和五年揖本における繭生産の増牧は︑磨タリアにお

けるそれと同時に獲生したのはその一例である︒かやうな場合︑一画における過剰生産は︑いつくにその﹁は

     農業恐備慌と資本主難魍贈へ制       五山ハ三

(24)

       五六四

け口﹂を見出し得べきか︒因みに日本の政府は昭和五年の農業恐慌に當面して︑かつて石三十四圓見當で買上      ヤ  ぬげた倉庫米を石十二︑三二で海外に投慮りした︒それはたしかに︑よい﹁はけロ﹂であった! 博士にはなほ

嘗葉がある−一﹁資本の庸君ありとすればその供給が同じく海外に求められ得る可能がある﹂と︒たしかにそ

の﹁可能﹂があるやうだ︒一九二九年十月末における︑あの合衆國の取引所大動齪の前夜には何が起ってるた

か◎﹁資本の嵌乏﹂であった︒その年の七︑八︑九月頃にはアメリカ合衆國は事實上︑封外資本影行を停止し

て臨本輸入國に逆戻りしてしまった︒投機熱はいやが上にも高潮して﹁資本の飲乏﹂は到る庭でなげかれた︒

かくて﹁多額の滋ーロッパ短期資本は︑凱ウヨーク取引所で株の買入れに投下されるか取引所貸付資金に投下

されるかしたのである︒﹂︵ヴァルガ︶脚しかして︑世界経濟恐慌の成熟!  ﹁世界経濟に向っての歩み﹂はなる

  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へほどありがたい﹁恐慌防止の安全辮﹂ではある︒

 ωo︶ ヴァルが世界纒癩㌘年報︑第八輯︑三二頁︒

後篇 世界農業恐慌の必然性

      六︑農業恐慌の原因・謂ゆる内登的及び外登的農業恐慌

農業恐慌はかやうに︑農業生産物の商晶化と共に︑またその性質の撰大化と共に︑その獲現の素地が備へら

(25)

れ深度またこれに鷹じて相加はるのであるが︑これを鰯馴するには別の原因がなければならぬ︒撒少なからぬ

農業恐慌の丈献のうち︑最も簡潔にしかも組織的にこの原因を叙述したものは︑おそらくコンスタンテイン・

フォン・ヂィーツ誠のそれ鋤であらう︒た議しディーツ瓢の立場は根本的にはゼーリングーヴァルガの評言

によれば﹁ゼーリングは恐らく農業恐慌の最も優れたブルジ遡ア研究凝し働一⁝のそれと一致する︑或はむし

ろ︑このゼーリングに從って研究を進めたものと云ふことが出來よう㈹︒吾々は主として︑より薪しい日附を

有するディーツ苫の論述に從ひながら以下︑園主リングHデイーツ鵬一派の農業恐慌原因論の大様を紹介し︑

これに封ずる分析批判を試みるであらう︒

  鴇︶U搾欝ρρメご冨σ登の㈹①夏霞陣就③..︾σ幾鐸械霞難の︑︑.薫凶誘︒︸属翻箕◎鷺︒讐の伽巽○一握護碧卸し霧騨く◎灘涛偽○属蔦葛9瓢§評瞬費︸ぽ

    おQ◎●

    UΦ撰魯︶ρ︾猛ぽ︸へ︑︾㈹鷺詩誌鴇昌︑︑剛建嶺α隊窪99伽禽く◎岡騨饗ぼ亀・9斡ρ気弱島響回.翻伽.ωのいい蕊ρ

  鴇︶ヴァ〃が世界経回年報︑第九輯︑四五頁◎

  ωい︶ セ!サングの代蓑作は次のごつ一

    もα2ぎσq噂竃壱︾㈹鍔詩唖討露煽づ伽湊αq欝轟α昌ρ瞬⑦藻鄭薪◎ピの首鼠㈹お哉.

    dの拳亀︶ρH黛①遷簿剛︒謬β︾紺筆鉱ωびの零︒雲離㈹鍛類島轡嚢︸σq⑩飛禽冒§伽鼠壁雷9帥謹翻掃傷窪熱雲器洋δ嘗零冨瓢ピ麹9讐鳩b6⑦婆瀞おおり

 先づデイーツ記の論述によれば︑一農業恐慌の特殊原因は農業生産者の行手つ♂昏艮窪︶においてか︑或は

経濟生活上の妨害に基礎づけられねばならぬ︒前の場合に獲生するものが内獲的農業恐慌︵凶弾○鴨ま諺ぴ9藤縄互静︶

     曲凝⁝業恐慌と資本主熱物購脳制       澄山ハ五

(26)

       覧六六

後の場合に生起するものが外獲的慶業恐慌︵賃◎σg窪①︾㈹欝詩語芭である︒内印的農業恐慌の本質は︑農業生産者

が需要以上に生産物を増加することによって債格の反落を招擁することにあり︑反封に外獲的農業恐慌は政治

的關係か或は他の意義濟的關係かに基づくものであって︑これにより農業生産物に封ずる市場の吸牧能力が縮

少されるを特色とする︒

 内獲的農業恐慌を構成をしめる農業者の一般的な超過生産によっては︑進歩的な経濟の場合にはた穿稀の場

合にしか債格重墜をびき起さない︒それに封立的作用を現はすものは重心増加無痛の法則である︒この作用は

技術の進歩によって停止されうる︑がそれは多くの場合︑農業生産上の部分領域にのみ現はれうる︒領域的に

見ても内嚢的農業恐慌はどこででも同時に起るといふことはありえない︒何れにしてもそれは規則正しき景氣

循環の轄同を構成しない︒その原因はむしろ構造上の攣化に横はるのであって︑その場合には原則として︑あ

る特定の地域が利釜を牧めるものとなり︑他の地域が不利釜を蒙るものとなるのである︒

 ところでこれを農業恐慌の歴史に照して見るとその原因はより多く外獲的原因に秘してみたilと︑ディー

ツェの所読はなほ綾く︒ナポレオン戦争後の農業恐慌︵それはヨー躍ッパにおける最初の大きい農業恐慌︶は

殆んど專ら外獲的性質をもつてみた︒これに反して十九世紀の最後の四分の一期におけるヨー鷺ッパ第二の農

業恐慌では︑新開國における黒作面積の著しき増大の結果として穀物の過剰生産が起つた︒がその際には交通

機關の改良と低廉化とが完了されてみたので︑この恐慌もまだその性質において草聖的農業恐慌に近いと云ひ

(27)

うる◎世界職箏以後特に一九二四年越では︑3一獄ッパの購買力の減退は主として賠償員憺にからまるのであ

って︑それは露玉リングが論明した通りである︒一九二八年以降はこれに反して若干の部分領域において︑特

に小輩の耕作において技術的進歩が行はれた︑したがってこれは部分的には内獲的農業恐慌に属すると嚢へよ

う︒最近のバターの激落もまた同檬に設明されうる︒

 本曇の内獲的農業恐慌はしかし︑すでに治療の萌芽をそれ自身に包乏してるるを常とする一と︑ディーツ

誠は最後に嚢ふ︒経濟生活が全罷として︑したがって農業もまた萎縮したとしても︑しかもなほかつその間か

ら︑生産を正規な軌道にとゆ戻し︑攣化した構造の歌態に鷹ぜしめ︑もって留置形成を再び同復せしめるやう

な応力が獲展する︒がドイツ現在の農業蚕包は︑鋤く僅かな部分しかこの内稜的農業恐慌の作用とは認めえな

い︒それはなほ強く︑過重なる賠償員播の璽墜のもとに立ってをり︑それが特に高い金利と︑重い租税の基礎

となってみるのである︒重縁態様もまた依然として叢濃的農業恐慌によって影響されてるる︒外獲的農業恐慌

の治療に澄しては然し何等の豫断もなさるべきでない︒それが経濟生活上の政治的妨害に基づく懇のである限

りは︑多くはまた政治的手段によって克服されねばならぬ︒一粟からその力を超えた貢納を墜面するならば︑

農業恋また永きにわたっては︑その貢納の義務が菟除されるか又はその支梯能力に適合せられる場合に初め

て︑その困窮から救ひ出されるであらう鰯︒

 零︶ご螢器v驚篇剛飢..︾αq舞露場窪︑鳩言燧α醤笹野賊勢巽く︒同算曝凶誘︒咽摂鼻翼粂がも︒・疑雲◎.同糠の叙蓮ば溺著ーーご勘鷺鵬窪≦簿・

     農業恐樽嚥と資本主蕪職蟹制      五晶ハ・七

(28)

五六入

   銘αq①.︑︾σq簿祷臨︒・♂︑博楠おいρoQ.Qい塗

 以上デイーツ瓢の所論を特徴づける農業恐慌原因の二類別︑即ち内獲的H及び外獲的原因の匝別は︑その

○甑σqぎ象・三無の詮索は問は・ずとして︑たしかに注意を債する︒たが問題は次の諸々黙にか玉はる︒一⁝

 ︵翫︶内獲的農業恐慌は時霜覆にも場所的にも多くの領域において一様に生起せすといふこと

 ︵b︶内嚢的農業恐慌はそれ自身治療の萌芽をもつに反し︑外獲的農業恐慌はこれを戯せすといふこと

 ︵c︶戦後世界の農業恐慌は殆んど全く外獲的原因に基づくといふこと

 先づ第一黙から批判を始めると︑農業生産の技無上における攣化即ち構造魚船化が︑農業生産のすべての部

門を通じて同時に現はれないといふことは首肯し得られる︒特に改良されたる農業機械の使用はすべての農業

生産部門に同時且つ一様には行はれ得ない︒が︑一の部門における改良器具の使用は他の部門におけるそれの

使用から切り離しては行はれ難い︒特にこれは一般的な農業化學や農作技術の進歩において明かに認められ

る︒たとへば人造肥料の使用は︑一の生産部門におけると同時に他の生産部門にも普及し來たる︒これはデイ

ーツ二曲からが他の論著において論くやうに農業者が﹁鋭く打算する螢利的人間し︵︒・︒訂鳳器︒冨窪乙津≦︒Hげωヨ?

   ラ器︒ぴ窪誘であればあるほど︑より迅遽に行はれねばならぬ︒農業生産技術の改良進歩は農業維働者自答の地位

の改善を意味するからである︒場所的にもまた︑そこに自由交通が著しく制限されてるない限り︑農業上の構

造攣化は多くの場合柑一致して起る︒吾々は前に︑アメリカにおける耕作技術の観近の進歩はヨーμッパにお

(29)

けるそれと相照篤してるることを述べたが︑更に具艦的な例誰を求めらる玉ならば︑それにはジェール︒アル

ビーq幕︒︒︾殴ξ︶の︑職後の欝一獄ッパ各國における人造肥料の翻倒的増加に質する明細なる調査がある㈹︒

 雛︶ ご一驚Nの鳩ご冨鵯囎瞬暑鱗戦酔戯①︑.︾嬢㌶ξ愚m鳩︑㍉ゆいρOQ●嚢●

 ︑もゆひ︶ 蒙簿2嗣︵這ピ碧伽≦一慧︒・魯$・融一室︒国里a簿︸§囎陣窪伽良器類汐創窪ぐくφドぎNの冨︒貯漆露地伽圃のび⇔o巽ヨ冨望器鍵鼠釦・︒︒窪︒・oゴ勲欝◎◎N●

   ⇔d伽●い●鎖遣oQo讐.おお鳩○α緊い昌臓

 次いでデイーツ濫所説の第二黙に移ると︑政治的ないし非経濟的原因に基づく経濟生活の擁齪一々ゆる外

動的農業恐慌が︑その外窄群肝原因の除斥なくして平艀歌態に復些し得ないといふことは首肯せられる︒が︑

も  や  も内獲的農業恐慌がそれ自身治療手段を保藏するといふことは? これは自由主義を標榜する從來の経濟學者が

除外例なく到達するところの慨然の麟結である︒吾々はその︑他の一例をストラコッシェに見田す︒ ﹁便格恐

慌はそれ自からに治療手段︵麟鐵ヨ鐸⑦ごをもってみる﹂と彼れは云ふ一⁝﹁債格が長きにわたって生産費以下に

あれば︑農民は作付反別を減少する︒事態が更に悪化すれば︑農民はその農場を放則して他の螢業をさがす︒

この韓業は植民地では画一獄ッパにおけるより竜容易であらう︒かくて生産はおのつから需要に適合し︑憤格

恐慌は一掃されて︑その反響物に急蒋し得よう︒し㈲ さうだ︑こ製に事實がある︒アメリカ合衆國では一九二

〇一二八年聞に三百萬の農民が﹁農場を心嬉して﹂都市に移った︒一九二七年だけでも農業人口は六十萬人を

減少した㈹︒反封に臼本の政府は︑もうこの農民離村の恒久的傾向︑しかもその激しい時期を通砂越して︑都

     懸鯉難網嚢㎞慌と賢本主義繊蹴制       五ゐハ九

(30)

      五七〇

市に群がゆ走れた失業蔚に論いて︑それ自膿過剰入口に拶む恐慌裡の農村に﹁麟農﹂をす臨めてみる︒なるほ      ゆ  やどそれらは︑ ﹁内獲的農業恐慌﹂に内在具存したよき﹁治療手段﹂である! だが待て︑問題は︑農民がその

﹁農場を放榔して都魯に移る﹂といふ心心そのものにあるのだ︒この事實は何を象徴するか︑この事實は如何

なる性質をもつか︑一それが究明さるべき間題の核心である︒

 曾︶ 融欝鋳︒零ダもQ壱H︶霧誤びQ鍔も同○凱︒鑓一諺器g嵩国色︒℃緊︒鴇ごご①観誕おいρω3ωc◎ρ

 ω◎¢︶ 霞鴛ぎ︸●回︶銭函段三〇江葺圃薦簿2盆曇窪鋤鶏ピ翼壁鼠吋岱︒︸属誇脅嘱く①誇ぴ茜け窪もQ鍵舞費二類書審ヨ誕臨£㌦疑︾ぎ一類く蒙唖ω雲鉱窄

   誇尉も・o蕊︒げ象b漆簿義︒っ︒鋤p︶右○︸録ぎα囲﹂峯・押誕.矯聞①葺舞唖HゆNジもQ.H◎

 最後に吾々は︑デイーツ識の第三論罪−i⁝世界戦後の農業恐慌は主として外蓋的原因に基づく一に向は

う︒世界農業恐慌は果して政治的H非経射的原因に基づくものであるか︑主としてそれはドイツに課せられた

過重なる賠償︑員推の結果であるか︒賠償資捨がドイツの︑從うてまたヨー費ッパ諸國の購買力を弱める一方︑

特にドイツ農業の地位を悪化するに全く無關係でありえないことには何人も疑ひをさし挾まない︒だがこれ

は︑その局面を世界にまで鑛げ行った現下の農業恐慌を轟くに充分であるか︒答︑否︒しかしてその次第は︑

まさにかうであるρ⁝i

セ︑謂ゆる外薮的農業恐慌としての世界農業恐慌

(31)

 私の見るところによれば︑世界戦後の農業恐慌が主として漁獲的原因一i賠償員捲による一般購買力の滅三

一iに基づくといふ読明を貫くためには︑何よりも先づ次の二つの困難に衝き當らねばならぬ︒

 ︵罠︶職敗國の賠償費澹は滋一隷ッパ全艦の購買力を減退せしめたと考へ得らる製か︒

 ︵b︶購買力の一般的減退は特に著しく農業生塵物の需要減退となって現はれると考へ得らる製か︒

・假珍に第一の困難が克服されて︑ドイツの賠償費播が繋一輪ッパ購買力の減邊をもたらしたとしても︑特に

それが農業生産物の需要滅退に作用したとは如何にして考へ得らる玉か︒ーー賠償費憺の重墜は確かにドイツ

経濟生活の全燈にとっての重荷である︒ドイツ農業が高き金利と高き租税の重墜下にその歌態を著しく悪化し

       たことも一再の疑ひがなく︑それはデイーツ・︒が更に他の一論交﹃ドイツ農業の歌意﹄㈱ において蓮べたとこ

ろによっても一班が窺ひとられる︒が高き金利と高き租税の重墜は軍に農業部面においてのみ感ぜらる製もの

ではない働︒そればかりではない︒購買力の一般的減退は軍にそれだけで農業生産物に為して︑その恐慌をひ

き起さしむるほどの需要減退を作用しない︒護奢はとの場合︑ヴァルガに從って吾々が前にたてた一命題を想

      ぶ  ぶ  や  み  を  さ  ぶ  マ起されるであらう︒それはかうだった一!恐慌は︑貧乏な諸國では.ハンの消費の減退を意昧し︑富裕な諸國で

      ゐ  を  マ ドマ  ゑ  や  ゑ  ネは上等食料贔︵肉・脂肪・牛乳︶の使用が慶ってパンの浩費が増加することを意味する︒

  雛︶ご篤器藁︶結馬繋藷暁臼鴛猛9鼠簿監鼠誉︒一瞥詩ぎ智ぽ累魯窪盆同翼愚蒙鶏姦︒き薮の餐延焼移譲鉱鮮轟轡や蕊.凄鐸蝋.H磨

    慧臨おお触難3ヤ融登

     農業恐慌と資本主義騰制       五七一

(32)

も︶        五七二伽門へばiH臨駄鑓節厳ポロ4.簿﹃出帰夕霞℃採鉱湊霧回雪出藍︸欝鷺鑓γ囚臨①着陣胆管簿㊦・ノンげ謬超啓蟄O︾節津ごOげΦく○慧銭㈹O霞︸餌︾げ︾節昌臼霞臼αq蝕ど

麟①坤◎心堵ゆ①瓢ぎ図ゆいρ

 濁1鷺ッパ諸國が一般に︑右に謂ふところの﹁貧乏な諸國しに属せざることは明かである︒それ故に︑たと

へば賠償︑貴澹が鷺⁝ロッパ諸國の購買力を割滅したとしても︑まつ粘きに打撃を受くる農業生産物は韻脚やラ

イ萎や馬鈴薯ではなくて︑上等食料品たる肉や脂肪や牛乳でなければならぬ筈である︒ところが事實はどう

だ︒事は全く反封に︑ 一九二八年には主穀物たる小変が最初の債格重堅を受け︑牛肉︑バター︑鶏卵は一ケ年

も後に至って漸く恐慌渦中に捲き込まれたのである︒ ﹁債値から去ふと︑牛乳及び肉の生産は穀物類及び飼料

の生産を遙かに凌駕してみるけれども︑後者における景氣が農業の総艦にとって決定的なのである︒なぜなら

ば家畜及び牧畜生産物の便格態檬は⁝⁝著しく邊れるにしてもーー規則正しく穀物及び飼料の便背競檬に追随

して行くからだ︒﹂︵ヴァルガ︶働かくて問題は︑何故に主穀物が最初の甚大なる打撃を受けるかである︒しかも

この問題は︑つひに︑賠償員播よりする豫ーロッパ購買力の一般的減退をもつてしては解き得なかったのであ

る︒ 食︶ ヴァルが世界纒濟年報︑第九輯︑四一頁脚註︒

 尤もディーツ濫は︑吾々が前に紹述したところによつて明かであるやうに︑最後世界の農業恐慌については

駿後の初年︵一九二〇i二四年︶と一九二八年以降とを匝別してみる︒即ち﹁世界戦争後特に一九二四年まで

参照

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