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蟹工船 は中国でどのように読まれてきたのか

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蟹工船 は中国でどのように読まれてきたのか

陳 君

はじめに

蟹工船 は小林多喜二の名作で, 戦旗 1929年5月号と6月号に掲載さ れた。書かれた時期は 1928年 10月 28日から 1929年3月 30日までと推定さ れている。 蟹工船 はほとんど世界各国で翻訳され,国際的に日本の文学を 代表する名作として良く知られている。蟹工船 が掲載された翌年の 1930年 に中国の文学者の手によって,中国の広い読者に紹介された。このことは世 界の 蟹工船 ないし小林多喜二文学の翻訳の扉を開き,大変な意義をもっ ている。 蟹工船 は プロレタリア文学の傑作 として認められ,中国社会 の独特な社会背景と関連して評価されてきた。言い換えれば, 蟹工船 は中 国と縁深い作品だということができる。

時代の流れにつれ,同じ 蟹工船 であっても,中国において色々な読み 方がなされてきた。プロレタリア階級の力が大きい中国では,プロレタリア 文学としての 蟹工船 は特別に注目されつつも,社会の変化に従い,その 視点が変わってきている。 蟹工船 は中国の文学の流れの中で,どのように 読まれたのか,その読み方の後ろに何があるのか,その読み方にどんな特徴 が出てきたのか,次の文学評論段階にどんな影響を与えたのかなどのことは 興味深いところである。本論文は 蟹工船 が中国に紹介されてから現在ま での評論を踏まえながら,当時の社会状況と結びつけて評論に出てきた特徴 を検討し,その具体的な様子(問題点も含む)を見ていくことにする。まと めて言えば,評論そのもの,社会背景,特徴,影響などの面からその評論を 見ていくことにする。

★行ズレ時注意‼★

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1930年以後,現在までに 蟹工船 に関する中国語の評論は九篇ある。そ の九篇のなかには 30年代に二篇(1 拓荒者 ⎜ 蟹工船 について 若沁 1930年1月 10日,2 現代小説 第四期 1930年1月号 ⎜ 小林多喜二の蟹 工船 王任叔),60年代と 70年代の前半に四篇(1 文学評論 1960年第3 期 ⎜ 日本プロレタリア作家小林多喜二 立強,2 北京大学学報 1962 年第5期 ⎜ 小林多喜二創作の主な特徴試論 立強,3 人民日報 1963 年2月 17日 傑出した革命作家と戦士 ⎜ 小林多喜二の誕生 60周年と殉 難 30周年の記念 楼適夷,4 蟹工船 ⎜ 訳後記 人民文学出版社 1973年 10月),80年代前半に三篇(1 小林多喜二の典型化の認識と実践 張朝

遼寧大学学報 1980年6月,2 小林多喜二小説選 人民文学出版社 ⎜ 訳 本序 劉振 1982年6月,3 蟹工船の感染力はどこから来たか ⎜ 小林 多喜二の美学価値を話す ⎜ 日本文学 林治広 1984年1号)というわけ である 。

30年代の中国は国外でも,国内でも大変危険な時期であり,60年代と 70年 代前半の中国は文化大革命の時期に当たり,人々の文学意識がプロレタリア 文学だけに閉じ込められていた時期である。80年代前半の中国は改革開放が 実施され,人々の意識が解放されていく〝新啓蒙" の時期である。 蟹工船 の評論も上述の大きな背景に染められ,それぞれの特徴が現われてきた。こ ういうわけで,本論文は以上の九篇の評論を時期によって三段階に分けるこ とにした。つまり,30年代の二篇の評論を第一段階とし,60年代と 70年代 前半の四篇の評論を第二段階とし,80年代の三篇の評論を第三段階とする

(第三段階の後に出てきた評論は 21世紀の動きとした)。

人 文 研 究 第 116 輯

2005年に河北大学での小林多喜二国際シンポジウムの開催をきっかけに,河北 大学日本語科の太陽舜先生が 小林多喜二における話し言葉の表現の特色―話し 言葉から 蟹工船 を読む という論文を書いた。 蟹工船 の読み方の 21世紀 の新しい動きとした。

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一 反帝闘争の武器としての第一段階(20世紀 30年代の 蟹工船 評論について)

1 評論の紹介

一番目の評論は 蟹工船 について である。この評論は 1930年1月 10 日の 拓荒者 に発表され,若沁 によって書かれたものである。 蟹工船 の印象深い描写の引用により 蟹工船 の残酷な労働状況とそこに含まれて いる特殊な社会関係などを紹介したこの評論は,まず具体的に帝国主義の圧 迫と労働者の反抗に触れ,さらに全体から 蟹工船 の構成と位置づけを評 論した。典型的な論調は次の通りである。

この小説は労働者の生活要求と歴史的事件の進展を特異な織物に巧みに

1930年に成立した中国左翼作家連盟の機関紙である。

夏衍の一つの筆名(1900.10.30‑1995.2.6)もともとの名前は沈乃熙,字端先で ある。浙江杭州人。1920年に日本に留学,明治専門学校電機科と九州帝国大学で 勉強した。勉強の間にマルクス主義理論に触れた。1924年国民党党員となる。

1925年東京国民党駐日総支部常務委員兼組織部部長に任じた。

★ 中 脚 注

あ り

作 字

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織りあげ,この繊細な経糸と緯糸の結合の中に無限の力が蓄えられてい る。作品の中には決まった主人公が設定されず,主人公の特定の性格が 描写されていない。だが, 全体的 に読む時,血まなこな戦いの中に,

二つの代表的な典型,一つは悪夢の中で魔物のようにたけり狂いそうな 北海の上を覆っている帝国主義であり,もう一つはこの死の脅威のもと で成長し続け,我が階級の力を急速に認識してきた労働者であることが わかる。(省略)しかし,芸術の使命は読者の感情を励まし,芸術の目的 は読者の心を奮い立たせ,彼らに有益な意識を獲得させ,この意識を組 織化された行動に転化するところにあるということを認めれば,われわ れは次のように大胆に推薦することができる ⎜ 蟹工船 はプロレタリ ア文学の傑作である。( 拓荒者 ⎜ 蟹工船 について 若沁 1930年 1月 10日)

二番目の評論は 小林多喜二の蟹工船 である。この評論は 現代小説 第四期 1930年1月号に発表され,王任叔 によって書かれたものである。こ の評論は五つの部分からなっている。 一 は小林多喜二が 蟹工船 の中国 語版に書いた序文であり, 二 はプロレタリア文学の四種類を作者なりに紹 介した。 三 は全編の立場に立って 蟹工船 の構成を分析した。 四 は 蟹工船 の展開により 三 の分析を証明した。 五 は小林多喜二の芸術 態度と日本評論界の 蟹工船 への評論を紹介した。その典型的な論調は次 の通りである。

浙江奉化人。中国共産党党員。1923年に文学研究会に参加,1941年南洋で華僑 文化活動と統一戦線工作を展開,インドネシア武装闘争に参加,中国駐インドネ シア大使,人民文学出版社副社長を歴任した。

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蟹工船の構成はいわば,総合主義の構成法であり,そのなかにいわゆる 重要な主人公はいないが,どの登場人物も ある点 に収斂している。

鉱山から来た人も,学生出身の漁夫も,秩父丸の沈没も,船長の叱責さ れることでも,川崎船の行方不明も…… ある点 に収斂し,前半の描写 となっている。そして,その橋渡しとしての北海道の開発を総合的に解 明すると,政府の駆逐艦による会社の保護,会社の映画による宣伝政策,

行方不明で帰ってきた漁夫の談話,学生の組織,監督の高圧政策も……

また ある点 に収斂した。前半の ある点 と後半の ある点 はま さに車の両輪のように,互いに補い合っていて,一種の力学の進展となっ て,さらに大きな ある点 に総括している。これは車夫が車を動かせ る必然的な機構であり,力学上に反映している ある物 である。これ が作者のイデオロギーによって,作品に現われていたイデオロギーの力 なのだ。( 現代小説 第四期 1930年1月号 ⎜ 小林多喜二の蟹工船 王任叔)

2 評論の特徴と影響

以上の二篇の評論によって,中国左翼文学ないし世界文学への小林多喜二

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文学紹介の扉が開かれた。 蟹工船 は 1929年に完成され,この二篇の評論 は翌年の 1930年に誕生した。評論発表のこんなに早い原因は何だろう。それ は当時の中国の社会背景と緊密に関っている。20世紀 20年代末,30年代の はじめごろの中国では階級的矛盾が次第に激化し,民族的危機がひどくなる 一方であった。日本に激しく侵略されているこの時期は,蒋介石反動政府が 日本帝国主義に妥協し, 先安内后攘外 (内を安定させてから外と戦う)と いうスローガンを打ち出してきた。こんな危機に面している中国左翼文学は,

反帝国主義の作品を何よりも待っていたわけである。ちょうど 蟹工船 が この時期に誕生した。当時国際的な注目を集めていた北洋漁業に取材し,駆 逐艦の援助のもとにソ連領海に侵略する日本帝国主義の植民地的搾取の真相 を,非人間的な労働を強いられる蟹工船労働者の自然に盛り上がる自覚と反 抗の戦いを描いた 蟹工船 は,プロレタリア文学として中国左翼文学者の 至宝となった。 蟹工船 が書かれたころは,日本のプロレタリア芸術運動は 理論的にも創造的にも大きな発展の一時期にあった。創作方法,芸術大衆化,

芸術的価値,内容と形式などの問題をめぐって,ナップの内外で活発な論争 が展開された。 蟹工船 の掲載は大きな意義があった。同じような困難な状 況下に置かれていた中国は,様々な視点から出発して 蟹工船 をすぐに紹 介したのである。この二篇の評論に以下のような特徴が現われていた。

① 蟹工船 の構造に着眼し,社会の需要に応じて 蟹工船 を紹介したこ と。

この時期の中国社会で中華民族と帝国主義の矛盾が次第に主要なものと なっていき,反帝国主義の文学はある意味で社会の要求となってきた。小林 多喜二が 蟹工船 漢訳本の序文に 蟹工船 の残虐を極めている原始的搾 取,囚人的労働が,各国帝国主義の鉄の鎖にしばられて,動物線以下の虐使 を強いられている支那プロレタリアの現状と,そのまゝ置きかえられること が出来ないだろうか と書いたように, 蟹工船 は当時中国の要求に合って いたのである。以上の二篇の評論は反帝国主義をめぐって 蟹工船 の構造

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を論じ,労働人民と帝国主義の戦いに重点を置いている。言葉の上で多少の 区別はあるが,事実上この二篇の評論が同じであることがわかる。つまり,

当時の社会的要求(帝国主義と戦う要求)から出発し, 蟹工船 を二つの場 面(労働人民が帝国主義に圧迫されている場面と労働人民が帝国主義と戦う 場面)に構造分けしている。

② 魯迅の外国文学紹介の原則に従い,意識的に 蟹工船 を評価すること。

魯迅が外国の文学を紹介,翻訳するときの一番重要な選択基準は 社会に 反省作用があり 読者に有益である という基準である。この二篇の評論は 蟹工船 の足りないところを一切書かず,真正面から 蟹工船 を紹介し,

極めて高い評価をしている。 蟹工船 は発表当時高い評価を得ていながら,

足りないところも指摘されていた。蔵原惟人は この作品にはまさにその正 反対の現象がある。プロレタリア作家は集団を描くために個人を全然埋没し てしまってよいだろうか というふうに批評した。当時の文学評論家はこの 批評を知っていたはずである。なぜ当時の中国では 蟹工船 を評論すると き,蔵原惟人の評論をあまり強調しなかったのだろうか。 蟹工船 を完璧な 作品にし,中国のプロレタリア文学の模範にしようという考えからなのでは ないだろうか。 蟹工船 はプロレタリア文学の傑作である という評価は,

蟹工船 の価値を肯定している。 蟹工船 は,かならず当時の中国の若い プロレタリア文学に激励の働きを期待できると考えられていた。 蟹工船 を 社会的背景と結んで評価する方法は,長い間において影響をおよぼしてきた。

今になっても,この評論方法は文学評論家にある程度影響している。

③ 政治を優先にし,反帝闘争と階級闘争にサービスするという視点から評 価すること。

この特徴は社会的必要から出てきた特徴である。この時期,小林多喜二文

1929年6月の 東京朝日新聞 に掲載した 作品と批評 。

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学( 蟹工船 も含まれている)は文学という形式で紹介されていたが,より 深い意味では反帝闘争と階級闘争の手段として利用されていたといっても過 言ではない。前に書いたように,この時期の中国では階級矛盾が激化し,民 族問題がひどくなる一方で,プロレタリアをリーダーとしている左翼文化運 動が力強く展開されていた。日本プロレタリア文学の代表として, 蟹工船 は当たり前のようにみんなの注目される対象となった。 蟹工船 は日本で出 版されたとき,大きな反響を呼んだ。当時日本であまり人気がなかった 戦 旗 が 蟹工船 を載せてベストセラーとなった。プロレタリア文学として の 蟹工船 は作り方に非常に新しいものがあったので,たくさんの読者を 集め,プロレタリア文学運動の励ましとなった。日本のプロレタリア文学自 体も 蟹工船 の出版で確立された。 蟹工船 の日本での反響が中国の文学 者に注目され,中国社会でも同じような影響の出現を期待して,中国に紹介 された。以上の二篇の評論もこういうような状況下で出てきた。

④ 小林多喜二が期待している 蟹工船 の働きとずれが出てきたこと。

小林多喜二は 蟹工船 中国語版の中にこういうような序文を書いている。

支那プロレタリアの英雄的な奮起は,膚を隣り合せている日本のプロレタリ アをどの位力付け,はげましているか分からない。―私は今 蟹工船 が同 志 念之の尊敬すべき努力によって,其の英雄的な支那プロレタリアの中に 読まれるであろうことを考え,異常な興奮を感じている。この作で取扱われ ている事実は,日本のそれのようには支那プロレタリアには或いは縁遠いか もしれない。然し ,仮りに, 蟹工船 の残虐を極めている原始的搾取,囚 人的労働が各国帝国主義の鉄の鎖にしばられて,動物線以下の虐使を強いら れている支那プロレタリアの現状と,そのまゝ置き換えられることが出来な いだろうか。出来るのだ 。とすれば,この貧しい一作は貧しいと雖も一つ の 力 となり得る。私は何よりもこのことを信じている。では,道を同じ くする支那の仲間等よ,私は,君達が常に健康で,朗らかであることを望ん でいるのだ 。つまり,小林多喜二は中国のプロレタリア階級の団結,中国の

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プロレタリアと日本のプロレタリアとの団結を期待し,中国の貧しい労働者 を 蟹工船 で救おうとしているのである。もちろん, 蟹工船 が中国に紹 介されたのはプロレタリアの団結が期待できるという面の要素もあるが,中 華民族と帝国主義との矛盾が主要な存在となるにつれ,中国での 蟹工船 の紹介は反帝国主義に重点を置くようになった。こういう点から言えば,中 国の 蟹工船 の紹介は,小林多喜二が期待している 蟹工船 の働きと少 しのずれが出てきた。

総じて言えば,この時期の 蟹工船 評論はまだ初期の段階であり,つま り主に構造から出発し, 蟹工船 を二つの構造に分けて評論をしたわけであ る。一つは帝国主義の労働者に対する圧迫であり,もう一つは労働人民の自 発から自覚までの帝国主義との戦いである。一般的に言えば,新誕生の事物 に対する紹介と評論は事物そのものから着手し,次第に深化していくもので あり, 蟹工船 の中国語評論も同じである。だが,当時特定の歴史条件のも とで, 蟹工船 を紹介,評価することは,はじめから 蟹工船 の読み方に 政治の帽子をかぶらせ, 蟹工船 が政治闘争の道具となった。これは 蟹工 船 の認識に良くない種を撒いたのである。それからの長期間,人々の 蟹 工船 に対する認識はずっと政治の枠に囲まれてきた。

二 階級闘争武器としての第二段階(20世紀 60,70年代の 蟹工船 評論について)

1 評論の紹介

一番目の評論は 日本プロレタリア作家小林多喜二 という評論である。

この評論は 文学評論 1960年第3期に発表され, 立強 によって書かれた。

安徽無為出身である。1955年に北京大学日本語科学部を卒業し,北京大学日本語 科学部主任,アジア,アフリカ研究所副所長,日本研究センター常務副主任,学 術委員会委員を歴任。中国翻訳協会理事,早稲田大学社会科学研究所研究員及び 京都外国語大学教授である。

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評論はまず小林多喜二を 偉い共産主義者,本当の愛国主義者,徹底的な国 際主義者 というふうに評価した。それに続いて具体的な例を出して小林多 喜二への評価を裏付けた。次の段階では世界(中国を中心に)の小林多喜二 の受容史を紹介した。この中の 蟹工船 についての評論は以下の通りであ る。

この作品は全編を通して,反駁できない事実をもって日本漁業資産階級 が日本帝国軍艦の保護を利用して,ソ連領海に侵入し,掠奪の強盗行為 をすることを暴露していると同時に,激しく駆使されていた日本労働者 が耐えてきた最野蛮,最残酷な搾取と酷使をされたことを描写し,最後 に,労働者が自覚し,資産階級と手先代理人と生きるか死ぬかの戦いを 行ったことを描写している。この作品は具体的に日本帝国主義が日本プ ロレタリアと世界プロレタリアの共同の敵であること,プロレタリアこ そ本当の愛国主義者と国際主義者であることを説明している。( 文学評 論 1960年第3期 ⎜ 日本プロレタリア作家小林多喜二 立強)

二番目の評論は 小林多喜二創作の主な特徴試論 である。この評論は 北 京大学学報 1962年第5期に発表され, 立強によって書かれた。全体の評 論は時間を手がかりにして小林多喜二の出身,卒業後の就職,文学趣味,創

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作背景などを具体的に紹介してから,これらを基にして小林多喜二の作品を 例に,その創作の特色を三つにまとめて紹介した。 蟹工船 についての部分 は以下の通りである。

蟹工船 は当時日本に存在している普遍的な搾取関係を典型的に概括し ている。この関係は濃厚な前資本主義の半封建性を伴い,労働者の生活 と生存の権利は一切剥奪されている。それにこの関係はとても複雑で,

大独占資本は半封建的な手段で労働者を搾取しているだけではなく,後 ろに強力な日本軍国主義の軍隊をバックアップにして,統治階級の対内 搾取と軍国主義の対外侵略が結びついている。多喜二は 蟹工船 の中 で極く鮮明な芸術描写で以上の複雑な搾取関係を分析し,典型的で正確 に日本資本主義の搾取の特徴を描写している。…… 蟹工船 のなかで,

多喜二は残酷な搾取階級を暴露している一方で,プロレタリアの被搾取 被圧迫のなかでの自覚を描写し,自発的な闘いがどのように自覚的な闘

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いに発展していったか,強大な統治階級によって鎮圧されたプロレタリ アが落胆せず, もう一度立ち上がる かを描写している。これは人民の 闘いに消えない火種と無限の希望を与えている。( 北京大学学報 1962 年第5期 ⎜ 小林多喜二創作の主な特徴試論 立強)

三番目の評論は 傑出した革命作家と戦士 ⎜ 小林多喜二の誕生 60周年と 殉難 30周年の記念 である。この評論は 人民日報 1963年2月 17日に発 表され,楼適夷 によって書かれた。この評論は小林多喜二誕生 60周年の記 念をきっかけに書いた評論であり,時間の経過順に小林多喜二の主な作品と 経歴を紹介した。まとめとして小林多喜二がどうしてこういうような立派な 作品を書いたのかということを,自らの意見として陳述した。この中で 蟹 工船 に関する部分は次の通りである。

楼適夷(1905.1.3‑ )もともとの名前は 春で,楼建南という筆名を使ったこ ともある。浙江余 の出身。1928年に上海芸術大学に入学した。1929年,日本 に留学し,ロシア文学を勉強した。1931年に帰国し,〝左連"機関出版物 前哨 ,

文学導報 , 文芸新聞 に参加した。ロシア文学翻訳者になり,日本作家の作 品も紹介する。

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5

★ 脚 注 中

作 字 あ り

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蟹工船 は北海道蟹工船の中で抑圧に耐えられない奴隷労働者が自発的 に搾取に反対し,天皇と軍国主義の圧迫に反対することを描写している 強烈な闘争小説である。作者は強烈な色彩を備えている油絵の筆で,カ ムチャツカの荒波の中で,蟹工船博光丸の労働者の原始的で残酷な搾取 の下での地獄のような生活情景と,耐えられない苦痛な生活の中で爆発 した勇敢な闘いを描写している。闘いは帝国海軍の鎮圧により失敗した が,作者はこれにより日本独占資本主義の驚異的な野蛮性と残酷性を力 強く暴露し,この野蛮と残酷な圧迫が日本労働人民の搾取者と闘争する 革命精神を破壊することができないだけではなく,労働人民の階級的覚 悟を高め,自発的な闘いから組織的な闘いへの道を進める姿を描いた。

( 人民日報 1963年2月 17日 傑出した革命作家と戦士 ⎜ 小林多喜二 の誕生 60周年と殉難 30周年の記念 楼適夷)

四番目の評論は,人民文学出版社 1973年 10月第一版として出版された翻 訳 蟹工船 の解説評論である。葉 渠によって書かれたものである。評論 はまず小林多喜二の経歴を簡単に紹介した。それに続いて 蟹工船 のでき た背景と粗筋を紹介した。次に 蟹工船 の意義を簡単にまとめた。そのな かで 蟹工船 についての典型的な部分は以下の通りである。

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作者は階級社会の基本的矛盾を掴んで,マルクス主義の階級分析方法を 使い,資本主義制度の醜い本質を鋭く暴露し,労働者階級が自分の力で,

団結奮闘することしか階級解放の道がないという事実を提示している。

この作品は日本プロレタリア文学の斬新な局面を開き,日本文学史上に おいて重要な位置を占めている。 蟹工船 の出現は日本反動統治階級に 打撃を与え,日本人民の革命闘争を振興した。( 蟹工船 ⎜ 訳後記 人 民文学出版社 1973年 10月第一版)

2 評論の特徴と影響

以上の四篇の評論は,新中国が成立してから改革開放する迄の時期におい て,中国文学評論家が 蟹工船 について書いた評論である。前にも書いた ように,中国が 蟹工船 についての評論の三つの段階においてこの時期は 一番多く,数から言えば四篇にも達している。それに,四篇がすべてなくて はならない重要な雑誌や出版社の本に発表されている。 文学評論 , 北京大 学学報 , 人民日報 ,人民文学出版社などである。その中で前の三篇は文化 大革命に入る前の評論であり,残った最後の一篇は文化大革命中の評論であ る。これは当時の中国の社会情勢と国際情勢と緊密に関っている。読んでわ かるように,この時期の評論は当時の社会背景に影響され,階級社会,階級 矛盾という言葉は前の時期より多くなっている。それに,政治に囲まれてい るという視点から言えば,この時期の評論は前の段階に影響され,前の時期 の影から出ることができなかった。まとめて言えば,この時期の評論は以下 の特徴を持っている。

① 資本主義社会の基本的矛盾に着眼し,プロレタリアとブルジョアとの階 級的矛盾に重点を置いていることである。

前の段階と同じように,この時期も構造の面から 蟹工船 を評論してい るのであり,ほとんど前の段階の方式の延長線上にあると言っていいぐらい である。つまり, 蟹工船 を一部分は残酷な階級搾取で,もう一部分は資産

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階級との生きるか死ぬかの闘争という二つの部分からなっていると評論して いる。だが,詳しくこの四篇の評論を読むとわかるように,帝国主義の言葉 が少なくなり, プロレタリア階級 資産階級 のような階級的な言葉の現 われる頻度が前の段階と比べて高くなっている。これも当時の社会需要によ る特徴である。20世紀 60年代での中国は社会主義制度が成立されてまだ 20 年にもなっていないので,プロレタリア階級政権が継続的に強固にされる必 要がある。このように経済発展を重視しながら,プロレタリアとブルジョア との階級闘争も社会矛盾として重視されている。ソ連との縁切り,資本主義 国家の封鎖などの国際情勢も厳しくなる一方で,この強固な論調は経済発展 重視から離れ,階級闘争だけを重視するところに誤りがある。それは文化大 革命である。このような国内情勢と国際情勢に影響されているプロレタリア 政権の行動上の強固さのほかに,思想上の強固さも含まれている。以上の情 勢のもとで,どういうふうに思想上から社会主義政権を強固にすることがで きるのかということは重要な課題となった。文学はこの時期,思想上の強固 さの役割を果たしたのである。

② 政治優先がさらに強くなったことである。

この時期においては政治優先が変わるどころか,前の段階よりさらに強く なる傾向が現れてきた。この段階ではプロレタリアとブルジョアとの階級闘 争,社会主義と資本主義という二つの道の闘争が明らかになる一方で,文化 大革命の時期で社会主義全時期の主要矛盾にまで行ってしまった。階級闘争 が重視されているこの段階で, 蟹工船 についての評価は階級闘争に影響さ れざるを得なくなり,階級闘争の影から出ることもできなくなった。蟹工船 の解読は個性化あるいは 科学化 された解読や文学の鑑賞活動ではなく,

政治意図を含んでいる文学活動と主張に対する 裁判 の手段である。それ に,中国国内においては文学環境がすっかり変わり,プロレタリア文学が唯 一の正しい文学とされている時期に当たっている。それに,毛沢東文芸思想 が主導的な思想としてこの時期の文学と文学評論に影響をあたえているので

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ある(毛沢東文芸思想:1942年に毛沢東が延安で発表した 在延安文芸座談 会上的講話 に従うものである)。言うまでもなく,プロレタリア文学は重要 な役割を果たした。蟹工船 はプロレタリア文学の代表作として思想的にも,

芸術的にも毛沢東の文芸思想に合っているので,更に多くの注目を集めた。

蟹工船 は規範に相応しい作品だとされ,この時期の純粋な 花に水をやる

(注: 関于正確処理人民内部矛盾的問題 , 毛沢東集 第五巻第 388‑394頁,

人民出版社 1977年版)という役割を果たしたのである。

③ 武器として利用され,一面的な評論が出てきたこと。

前の段階と比べてあまり変化がなく, 蟹工船 は依然として武器として社 会に利用されている。ただ違うところは武器の対象が変化したのである。つ まり,前の段階の民族解放の武器から,この段階での階級闘争の武器へと変 わったのである。ここで特に注目してもらいたいところは四番目の評論であ る。これは文化大革命の時期に出てきた評論であり,当時の社会に影響され,

あまり批判すべきではないが,足りないところを指摘したい。 作者は階級社 会の基本的矛盾を掴んで,マルクス主義の階級分析方法を使い,資本主義制 度の醜い本質を鋭く暴露し,労働者階級が自分の力で,団結奮闘することし か階級解放の道がないという事実を提示している ,もちろん,この言い方は 間違っていないが,この評論自体に従えば, 蟹工船 が小説としての意味が なくなる恐れがある。 蟹工船 の出現は日本反動統治階級に打撃を与え,

日本人民の革命闘争を振興した ,確かに, 蟹工船 は小説として出版され たとき,社会の大きな反響を呼び,小林多喜二自身も 蟹工船 で有名なプ ロレタリア作家となった。だが,あくまでもこれは 蟹工船 が文学作品と しての社会への影響であり,文学の視点を無視し,まったく政治の面からだ け 蟹工船 を読むことには問題があるのである。それに,小林多喜二は確 かにこの時期にもうマルクス主義を勉強しはじめているが,結局どれほどマ ルクス主義を理解しているのかは疑問だろう。言い換えれば,これは一面的 な評論である。

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全体から見れば,この時期の 蟹工船 評論は前より同じ段階で,出発点 が違うようになっただけである。つまり主に資本主義の基本的矛盾から出発 し, 蟹工船 を圧迫された労働者階級と資産階級に分けて評論をしたわけで ある。一部は資産階級の労働者に対する圧迫であり,もう一部は労働人民が 自然発生的闘いから自覚へと,資産階級と戦うことによって,自分の解放を 求めての反抗である。社会主義国としての新中国が 蟹工船 の評論に新た な指針を与えた。この段階では, 蟹工船 に対する紹介と評論は階級闘争か ら着手して評論したのである。ある意味で言えば,第一段階の 蟹工船 評 論と同じ評論といっても良いぐらいである。この時期 蟹工船 の読み方は 政治の帽子をかぶせ続け,政治闘争の道具の役割をずっと果たしている。こ れは次の 蟹工船 の認識にあまりにも圧迫感を与えてしまい,改革開放時 代の別の角度からの認識に基礎を与えた。

三 新啓蒙 の試みとしての第三段階(20世紀 80年代前半の評論に ついて)

1 評論の紹介

一番目の評論は 小林多喜二の典型化の認識と実践 である。この評論は 1980年6月の 遼寧大学学報 に発表され,張朝 (遼寧大学教員)によっ て書かれた評論である。評論はまず 1928年3月 15日 の主人公の典型化を 紹介し,この作品の中にプロレタリアの典型をまだ明らかにしていないと指 摘した。それに続いて 蟹工船 と 不在地主 を比べながら小林多喜二の 典型化認識を紹介した。次に 安子 と 党生活者 の典型を,小林多喜二 の認識の変化を手がかりにして紹介した。最後に小林多喜二の典型化の認識 と実践をまとめることの意義を,自らの意見として述べた。 蟹工船 につい ての典型的な部分は以下の通りである。

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小林多喜二は 蟹工船 の創作過程でプロレタリア 集団 の描写を特 に重視し,強調している。プロレタリア 集団 を表現するというプロ レタリア文学の創作には無理がないのだが,特定の条件でプロレタリア 集団 を描写しなければならないのである。だが,これは現実生活の中 でプロレタリア 集団 が個人で構成されていると同じように,文学創 作は独自の人物を通してプロレタリア 集団 を表現しなければならな い。これはマルクスによって提唱されたように, 性格描写の面 におい て 特殊な物 と 更に目立った性格 を備えなければならないのであ り,エンゲルスに指摘されたように, 代表性のある性格を卓越して個性 的に描写されるべきである。

蟹工船 の中で,作者は漁夫の出身,経歴,タイプを描写しているが,

漁夫たちのそれぞれの精神面貌と性格特徴を表現していない。学生らは 作者が重点的に描いた人物であるが,鮮明な性格特徴を備えていた芸術 典型ではない。作家が漁夫 集団 の類型化を描写したことは人物の感

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動の力を弱めてしまうことになってしまった。この弱点はある程度作品 の芸術効果と戦闘力に損害をもたらした。( 小林多喜二の典型化の認識 と実践 張朝 遼寧大学学報 1980年6月)

二番目の評論は 1982年6月に人民文学出版社から出版された 小林多喜二 小説選 ⎜ 訳本序 である。劉振 が書いた評論である。この評論は三つ の部分からなっている。 一 は簡単に小林多喜二の一生を紹介した。 二 は小林多喜二の代表的な作品 1928年3月 15日 , 蟹工船 , 不在地主 な どの暴露力,風格を紹介した。 三 は小林多喜二に関する論争を紹介し,自 分の意見も述べた。この中で 蟹工船 に関する評論は以下の通りである。

蟹工船 という作品も敵への巨大な暴露力を持っている。この作品は,

北海道大漁業資本家の 蟹工船 が労働人民に血だらけの植民地式の奴 隷労働を施したことを直接に描写している。この奴隷労働は,西洋植民 地主義者がアメリカを開発した時の黒人の酷使された惨状とまったく同

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じである。作者がこの作品の附記に書いているとおりに この一篇は,

植民地における資本主義侵入史の一頁である 。違うところは,敵が鞭と 銃を振るいながら搾取された労働人民に 帝国に貢献する という束縛 を被ぶせることであり,これはさらに統治者が人民を奴隷労働させる陰 険性を増している。……もちろん,この作品は発表されたあとで不足し ているところとして指摘されたことがある。作者は意識的に全篇を貫く 主人公を書かず,全体の労働群衆を描写の対象にしている。この書き方 は集団の心理の描写,雰囲気の推移変化において独特なところがあるが,

読者を感動させる人物典型化の力を失っている。( 小林多喜二小説選 人民文学出版社 ⎜ 訳本序 劉振 1982年6月)

三番目の評論は 蟹工船の感染力はどこから来たか ⎜ 小林多喜二の美学 価値を論ず である。この評論は 1984年1号の 日本文学 に発表され,林 治広によって書かれた評論である。評論は 蟹工船 を紹介しながら,新し い角度(美学角度)から 蟹工船 を紹介した。その代表的な論調は以下の 通りである。

蟹工船 は社会現実を反映する認識的価値と社会的前進に役立つ功利的 価値を有しているだけではなく,人間に審美的快感を与える美学的価値 も備えていて,真善美の統一をよく体現している。これには小林多喜二 の 蟹工船 及びその小説の芸術的感染力の源泉がある。( 蟹工船の感 染力はどこから来たか ⎜ 小林多喜二の美学価値を話す ⎜ 日本文

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学 林治広 1984年1号)

2 評論の特徴と影響

以上の三篇の評論は, 蟹工船 評論の第三段階の時期において中国文学評 論家が 蟹工船 について書いた評論である。この段階は 20世紀 80年代初 期で, 改革開放 された直後の時期にあたっている。残念ながらこの三篇の 評論をさらに深く発展させる評論はあまり出ていない。読んでわかるように,

この三篇の評論は前の二つの段階の評論と比べてずいぶん違うところがあ る。言い換えれば,この段階の評論は,第一段階の国外の帝国主義及び国内 の反動派に反抗するという,圧迫されている民族を危機から救うという雰囲 気が見られないだけではなく,第二段階の 階級闘争 を綱要に,すべてを 階級闘争の角度から評論する雰囲気も見られないのである。これは 改革開 放 後の中国社会の全体の変化と緊密に係っている。 改革開放 の深化に伴 い,海外との交流が広くなってきただけではなく,国内でも政治やイデオロ ギーの束縛から出るという動きも盛んになってきた。80年代の前期,文学界 と思想文化界に相当集中した関心点があった。過ぎ去ったばかりの 文化大 革命 は,当時の中国社会で 封建専制主義 の 嗜虐 だと広く見られて いる。だから, 文化専制 の束縛から解放し,民族全体の観念を更新する,

言わば 文化啓蒙 は思想文化の 主潮 であった。文学界と思想文化界の 関心点もこれであった。こういうわけで政治だけではなく,ほかの面から文 学を評論する,あるいはいいところだけではなく全体から文学を評価すると いう動きが現われてきた。 蟹工船 を含んだプロレタリア文学も例外ではな いのである。だから,この時期,ある程度政治の影響と前の二つの段階の影 響から解放され,この段階の新しい特徴が出てきた。

① 全面的に 蟹工船 を評価すること。

ここの 全面的 の意味は,二つの面,つまり, 独特なところ と 不足 なところ から 蟹工船 を読み,二つの方向から 蟹工船 を評価するこ

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とである。 蟹工船 が日本プロレタリア文学の優秀な代表として揺るがない 地位を持っていることを肯定すると同時に, 蟹工船 自身の書き方において の足りないところ ⎜ 作家が漁夫 集団 の類型化を描写したことは人物の 感動の力を弱めてしまうことになった。この弱点はある程度作品の芸術効果 と戦闘力に損害をもたらした , この書き方は集団の心理の描写,雰囲気の 推移変化において独特なところがあるが,読者を感動させる人物典型化の力 を失っている と指摘している。この見方が正しいかどうかは別として, 蟹 工船 の足りないところを指摘したという点から見れば,この時期の評論は 前の二つの段階より画期的な進歩があったということができる。前にも書い たように, 蟹工船 の個性描写を重視していないというところは,作品が誕 生したときすでに日本人によって指摘されたのである(蔵原惟人は この作 品にはまさにその正反対の現象がある。プロレタリア作家は集団を描くため に個人を全然埋没してしまってよいだろうか と批評した)。残念なことに,

中国においては半世紀後の 20世紀 80年代になってはじめて論文の形でそれ を指摘したということである。中国文学評論界の批評家にとってこれは考え なければいけない課題だと思う。もちろん, 蟹工船 の個人描写を重視して いない書き方については日本でも意見が統一していない状況である。個人描 写を重視していないことは,作者が 蟹工船 を創作する時の足りないとこ ろだというふうに認識している人もいるし,具体的な個人を書かない書き方 は作者の独特なところであり,固定した個人を描写していないおかげで読者 に この労働者を描写している,あの労働者を描写している,プロレタリア 階級の全体を描写している と連想させることができると認識している人も いる。われわれがどういうふうに 蟹工船 のこの書き方,ないしは小林多 喜二文学の全体を見るのかは今後直面しなければならない問題である。

② 新啓蒙 の要求を反映していることである。

この特徴は二つの意味を含んでいる。一つは,この時期の 蟹工船 につ いての評論は 新啓蒙 の要求を反映し,政治を前の二つの段階のように重

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視しているわけではないことである。 改革開放 後,人々は思想の束縛から かなり解放され,政治だけではなく,ほかの面から世界を見るという考え方 が出てきた。プロレタリア文学も例外ではなく,見直されるようになった。

今までに 蟹工船 の政治作用しか関心を持っていない人々は, 蟹工船 を 文学作品として鑑賞するようになった。文学作品である以上,読者によって,

文学作品の感想もそれぞれ違うはずである。 蟹工船 が文学作品として足り ないところがあるということの指摘は,ちょうどそのあらわれである。

もう一つは,美学の面から 蟹工船 を評論することである。三番目の評 論のように, 蟹工船 を美学の角度から評論する評価も出てきた。これも 新 啓蒙 の要求を反映している。この時期西洋の多様な文学評論方法が中国に 紹介され,人々の注目を集めた。 人間に審美的快感を与える美学的価値も備 えていて,真善美の統一をよく体現している というように,人々の価値観 が変わっていくに従い, 蟹工船 についての評論も変わっていく。

③ 新啓蒙 運動のひとつの試みである。

人間は新しい事物に強い関心を持ち始めると,何か試みをしようという気 が出てくるものである。この時期の 蟹工船 についての評論も, 新啓蒙 運動のひとつの試みとして誕生した。この段階に三篇の評論が出たが,前の 二つの段階の継続が多く,自分なりの主張を備えている評論はまず少ない。

一番目の評論と二番目の評論は 蟹工船 の足りないところを指摘したこと を除いて, 蟹工船 の本質についての見解は前の二つの段階と比べてあまり 変化がない。言い換えれば, 蟹工船 の本質を評価するとき,ほとんど労働 者の被圧迫と自覚的反抗という角度から出発したのである。三番目の評論は 新しく美学という角度を使っているが,一篇だけであり,人々に受け入れら れることができるかどうかはまだ疑問である。

全体から見れば,この時期の 蟹工船 評論は 新啓蒙 の試みとして,

政治を別にして新しい角度から評論を行おうとしている時期である。だが,

あくまでもこの三篇の評論は初めての試みであって,いろいろな足りないと

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ころがある。一番目と二番目の評論は日本評論の中国版であり,三番目の評 論は新しい視点だが,結局一篇だけで終わってしまう形となった。一般的に 言えば,生命力に富んでいる評論だったら次第に深化していくはずである。

だが, 改革開放 の深化に従い,中国の社会状況はずいぶん変わった。 蟹 工船 もあまり読まれなくなる運命となってしまった。こういう点から言え ば,社会事情にあった新しい評論の視点を見つけなければならなくなったと いうことが言えよう。

中国小林多喜二国際シンポジウムの開催をきっかけに,河北大学日本語科 の太陽舜が 小林多喜二における話し言葉の表現の特色―話し言葉から 蟹 工船 を読む という論文を書いた。この論文は作風が一風変わっていて,

言葉の面から 蟹工船 を読もうとしている。その粗筋は以下の通りである。

まず 蟹工船 の全体の構造を紹介する(一,物語の展開 1.労働者たち の愚痴こぼし 2.反抗 3.悟り),次は言葉のほうから人物の性格を紹介 する(二,人物の性格の描写)。最後に二つの面から 蟹工船 の言葉を紹介 する(三,間接的な紹介と描写 1.話し言葉により見聞きしたことの紹介 2.性に対しての描写)。太陽舜のこの論文は 蟹工船 の新しい読み方とし て注目されるべきである。だが,あくまでもこれは 21世紀においての 蟹工 船 評論の動きであり,芽生えたばかりのこの動きはどこまで続くのかは疑 問である。というのはこの評論の反響はそんなに大きいわけではなかったか らである。だが,論文にはいろいろな問題があるにしても,アプローチとし ては第一,二段階と明確に違っていることが確かである。これは注目される べきところであろう。

四 評論に出てきた問題

蟹工船 は中国で政治要素,社会要素など色々な要素に影響され評価され てきた。もちろん,各段階から見れば,その段階らしい評論が出てきて,そ れなりの特徴が現われてきたが,中国の文学者として,中国人として読み取

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れるものは以上のようなものを除いてもうないのだろうか。小林多喜二が中 国人の読者に伝えたいものはこれだけなのか。今まで,中国の文学評論家は これについてまだ答えていないのである。

① 蟹工船 の階級性についての評価問題である。

以上の三段階の評論を読んで,階級の立場からの評論が三分の二を占める ほど多いということが分かる。つまり,ほとんどの文学評論家は 蟹工船 が階級性を備えているというふうに認識している。 蟹工船 の階級性とは一 体どんなものだろうか。小林多喜二が期待していた効果は実現されたのか。

小林多喜二は労働者を救うため,階級の立場から出発し, 蟹工船 を書いた わけである。その最大の目的はやはり階級性にあるだろう。今までの 蟹工 船 についての評論は文学としての 蟹工船 の評論が多く,あるいは 蟹 工船 を今の社会問題と結んで評論しているのが多数である。だが, 蟹工船 が小林多喜二なりにプロレタリアを救うことができたのかという立場,つま り 蟹工船 の社会作用から論じた評論はほとんどないのである。確かに,

前に書いたように 蟹工船 は日本プロレタリア文学を確立し,たくさんの 読者を集め,文学作品として最大の成功を得た。しかし, 蟹工船 が発表さ れた当時,引き起こした影響は文学世界だけではなく,日本の社会(例えば,

当時の蟹工船漁業への影響など)にも大きな影響を与えた。日本においても,

階級性からの 蟹工船 の再認識が必要であろう。中国の 蟹工船 評論は まだ文学としての 蟹工船 の階級性評論であり,全体から見れば,一面的 な評論である。日本のプロレタリア文学運動,日本社会,ないしは中国社会 を考えに入れ, 蟹工船 ないし小林多喜二文学を階級性の立場から評論する ことも中国の文学評論家にとって大きな課題だろう。

② 小林多喜二文学 蟹工船 の読み(評論)問題である。

以上の三段階の 蟹工船 についての評論を読んでわかるように,中華民 族と帝国主義の矛盾が次第に主要矛盾となって,反帝国主義の文学はある意

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味で社会の要求となってきた民族危機の 20世紀 30年代で, 蟹工船 は民族 解放の武器の役割を果たした。プロレタリアとブルジョアとの階級闘争,社 会主義と資本主義という二つの道の闘争が明らかになる一方で,文化大革命 では社会主義時期を通じる主要矛盾にまで行ってしまい,階級闘争が重視さ れている 20世紀 60,70年代には 蟹工船 は階級闘争の手段の役割を果た した。人々は思想の束縛からかなり解放され,政治だけではなく,ほかの面 から世界を見るという考え方が出てきた 20世紀 80年代には 蟹工船 は 新 啓蒙 の試みの役割を果たそうとしているとともに,あまり読まれなくなっ た ⎜ つまり, 蟹工船 はいろいろな形で利用されてきた。だが,労働者の 圧迫された生活と自覚的な反抗を描いた 蟹工船 は,一部のプロレタリア 文学作品として具体的に読まれたことは今までの中国で本当に稀なことで あった。

蟹工船 は文学作品として読まれる必要がないのか? そうではない。長 い間,社会の束縛(主に政治の束縛)も加わり,人々は前の段階の人々の評 論に作用され,自分なりの作品の読み方を見つけるには難しく,大きな評論 の流れに身を任せたのである。この読み方は 蟹工船 評論の単一化問題を 出している。この読み方で 蟹工船 を読んでいったら, 蟹工船 は中国で どこまで読めるのかについては想像しにくいだろう。現在中国は 改革開放 の新しい時代に入り,社会環境が今までの中国の社会環境と比べてずいぶん 違うようになった。西洋の文学評論の影響,プロレタリア文学の棚上げ,ほ かの作品より面白くないと思われているなどがその変化である。こういうよ うな環境の中でどのように 蟹工船 を,文学作品として中国なりの 蟹工 船 の読みができるのかは重要な課題となるだろう。

③ 蟹工船 評論の発展問題である。

中国での 蟹工船 についての評論は 20世紀 80年代の前半で止まってい る。20世紀 80年代初期から今までにもう 30年弱が経っているところだが,

蟹工船 の評論はあまり出てきていないことについて,中国の文学者は注意

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を払わなければいけない。それに,以上の評論を読んでわかるように今まで の中国語の評論は日本の評論の中国語版が多く,自分なりの評論がまだ少な い。どうして 蟹工船 についての評論は 20世紀 80年代以後になってあま り出てこないのか。蟹工船 はもう語りつくされていると思われているのか,

時代が進化して 蟹工船 を読む価値がなくなっているのか。このことにつ いてわれわれは考えなければいけないだろう。小林多喜二がこういうふうに 書いている。

プロレタリアは,帝国主義戦争に,絶対反対しなければならない,と云 う。然し,どういうワケでそうであるのか,分っている 労働者 は日 本のうちに何人いるか。然し,今これは知らなければならない。緊急な ことだ。たゞ単に軍隊内の身分的な虐使を描いたゞけでは,人道主義的 な憤怒しか起すことが出来ない。その背後にあって,軍隊自身を動かす,

帝国主義の機構,帝国主義戦争の経済的な根拠に,触れることができな い。帝国軍隊 ⎜ 財閥 ⎜ 国際関係 ⎜ 労働者。この三つが,全体的に 見られなければならない。それには蟹工船は最もいゝ舞台だった 。

言い換えれば, 蟹工船 のなかに,作者のいろいろな考えが含まれている といっても過言ではない。だが,今までの中国語の評論はほとんど未組織労 働者の問題にとどまり,あまり国際関係,軍事関係,経済関係に深く触れて いないのである。これは完全な文学評論ではない。これからの 蟹工船 の 評論であっても,小林多喜二の文学であっても,中国の文学者にとっては視 野を変えなければいけないだろう。というのは 蟹工船 のなかにまだまだ いろいろな情報が入っていることは, 蟹工船 がまだいろいろな評論の仕方 があるということになるからである。

定本 小林多喜二全集 第十四巻 (1929年3月 31日蔵原惟人あての手紙)(新 日本出版社)による。

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④ 蟹工船 が正しく翻訳されているかどうか,日本人がどういうふうに 蟹工船 を読んでいるのかという問題である。

より適切な外国文学評論を出すには,より良い翻訳がないとなかなか無理 なところがあるだろう。 蟹工船 も同じである。今まで,中国では 蟹工船 を五回(1上海大江書鋪 念之 1930年 2作家出版社 楼適夷 1955年 3人民文学出版社 葉 渠 1973年 4北京出版社 李思敬 1981年 日 漢対照 蟹工船 5人民文学出版社 劉振 1982年6月 小林多喜二 小説選 )翻訳した。小樽に来てはじめて 蟹工船 の中に出てきた日常生活 上の言葉の意味が分かってきた。これらの言葉については中国で日本語を勉 強するだけではなかなか理解できないのである。果たしてこれらの言葉は意 味どおりに中国語に訳されたのか私は疑問を持っている。というのは中国語 にない言葉もたくさん入っているし,今の日本語の中ではもう死語になって いる言葉(バットなど)もあるからである。これらの中国語版の翻訳を比較 し,その中の相違点を見つけだしたいと思う。中国の 蟹工船 評論はずっ と日本に遅れていることに鑑み,日本人が今までどういうふうに 蟹工船 を読んできたかもまとめて中国に紹介したいと思う。

⑤ 蟹工船 の位置づけの問題である。

残念なことは日本と同じように今 蟹工船 ( 蟹工船 だけではなく,小 林多喜二文学全体も)は中国であまり読まれなくなっていて, 蟹工船 とい う小説も日本文学,日本歴史に興味を持っていない人には縁遠いものになっ ていることである。その原因はなんだろうか。なぜあんなに地位が高かった 蟹工船 は人気がなくなっているのか。原因はいろいろある。社会主義市場 経済が飛躍的に発展している現在の中国の状況で,人々は西洋のほうに目を 向け,西洋のあとを追い,西洋ばかりを研究し, 蟹工船 を歴史のゴミ箱に 捨てた。社会状況が変わっている中国の現実の社会の中で 蟹工船 を位置 づけすることは,むしろ現在こそ重要な問題となってきた。 蟹工船 は一体 何なんだろうという問いに答えなければならない時期が来ている。棚上げに

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されている 蟹工船 をどのように社会発展とうまく結びつけるのかは,こ れからの課題だろう。

〔付記〕本論文の作成は,小樽商科大学への国際特別研究員としての滞在が あって可能になったものです。そうした得がたい機会を与えていただいた佐 野力氏と白樺文学館,小樽商科大学に厚くお礼を申しあげます。

参照

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