トレス海峡地域の集落と住居
著者 杉本 尚次
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 7
号 1
ページ 1‑57
発行年 1982‑03‑31
URL http://doi.org/10.15021/00004482
杉本 トレス海峡地域の集落 と住 居
トレス海 峡地 域 の集 落 と住 居
杉 本 尚 次*
Villages and Dwelling Houses in the Torres Strait Region
Hisatsugu SUGIMOTO
The Torres Strait Region, as discussed here, includes the Torres Strait Islands, Daru, on the southeast coast of Papua New Guinea, the coastline opposite Daru, and the Fly River Delta, such as Kiwai Island.
Present-day locations and types of settlements are the first topics surveyed in the paper. Various characteristics of present-day
(1975-1979) dwelling houses are examined in comparison with the data obtained by A. C. Haddon and his Cambridge Anthropolog- ical Expedition (late 19th century) in order to elucidate stylistic changes. High-elevated houses, Round houses, and Longhouses are compared with those in Southeast Asia and Oceania (parti-
cularly Melanesia), focusing on geographical distributions.
1. は じめに
2・ トレス海 峡地 域 の 集 落立 地 と集落 形 態 2・1 トレス海 峡 諸 島
2・2 パ プ ア ・ニ ュー ギ ニ ァ南 西岸 3. トレス海 峡諸 島 の伝 統 的住 居 3・1 バ ッ ドン調 査 隊 の報 告 を 中心 に 4. トレス海 峡 地域 住 居 の諸 特 色
4・1 建 築 材料(屋 根,壁 面 を 中心 に) 4・2 屋 根 型
4・3 高 床 式(杭 上 家 屋)と 地 床 式(土 間 式)
4・4 高 床 式,地 床 式 の 分布 4・5 円形 住 居 の分 布 を め ぐって 4・6 間取 型 と住 ま いか た 4・7 付 属 建 物
4・8 ロ ングハ ウスを め ぐって 5.む す び
1.は じ め に
昭 和50年 度 お よび 昭 和54年 度 文 部 省 科 学 研究 補 助金 に よ る共 同 調 査 「西南 太 平 洋 島
*国 立民族学博物館第4研 究部
国立 民族学博物館研究報告 7巻1号 喚 部(ト レス海 峡)の 漁 労 民 の 地 理学 的 ・民 族 学 的 研 究 」(第1次 お よび 第3次 調 査)
に参 加 す る機 会 を得 た 。
この 調 査 はア ジア大 陸 と太 平 洋 諸 島 の 接触 地 域 に お け る島 嗅 民 の 伝 統 的漁 労 文 化, 漁 民 社 会 の 研究 を通 じて,接 触 地 域 の もつ文 化 伝 播 上 の役 割 を 明 らか に し,加 え て 当 地 域 の文 化 変 容 の 過程 を 明 らか に しよ う と して い る。
第1次 調 査 に関 して は,ハ モ ン ド島[杉 本 1978:95‑113],木 曜 島[杉 本 1977:
1‑19]に つ いて 報告 した。 第2次 調 査 は1977年 に実 施 され た が,筆 者 は民博 開 館 の た め 参加 しな か った 。
第3次 調 査 で はス ー 島 お よ びパ プア ・ニ ュー ギ ニ ア側 の ダ ル ー 島 を中 心 に調 査 を進 め た 。全 隊 員 の調 査 地 域 は,ト レス海 峡 諸 島 の 住 民 の居 住 す る 島 につ いて はス テ ィー ブ ン島 を除 いて 全 島 にお よび,パ プア ・ニ ュー ギ ニ ア 側 の ダ ル ー を は じめ 数村 落 につ いて も分 担 調査 が進 め られ た 。
ま とめ の 方 向 と して は,分 担地 域 の地 誌 作 成 と項 目別 に よ る研 究 の総 括 が行 わ れ た。
筆 者 は 集 落 と住 居 を分 担 した の で あ る。
本 研 究 で 対象 とす る トレス海 峡地 域 は,ト レス 海 峡 諸 島(オ ー ス トラ リア の ク イ ン
図1 ト レ ス 海 峡 調 査 地 域 全 図
杉 本 トレス海峡地域の集落 と住 居
ズ ラ ン ド州 に属 す る)と,パ プ ア ・ニ ュ ーギ ニ ア南 西岸 のダ ル ーお よび 対 岸 地 域,キ ワイ 島 な ど フ ラ イ川 デ ル タ地 帯 を ふ くん で い る。
ま ず現 在 の集 落 立 地 と集 落 の形 態 を概 観 す る。 集 落 の 重要 な構 成 要 素 で あ る住 居 に つ い て は,19世 紀 末 のA.C. Haddon調 査 隊 の資 料 と比 較 しつつ,ト レス海 峡 諸 島 の 住 居 を展 望 す る。 つ いで 現 在 の トレス海 峡 地 域 にお け る住 居 の諸 特 色 を構 成 要 素 別 に考 察 し,住 居 様 式 の変 化 を 追 跡 す る。 トレス海 峡 地 域 内で の 比 較 を行 うと共 に,構 成 要 素 の2,3に つ いて は,そ の 分布 を軸 に して,東 南 ア ジァ,オ セ ア ニ ァ(と くに
メ ラ ネ シァ)地 域 と の比 較 を試 み る。
2. トレス海 峡 地 域 の 集 落 立地 と集落 形 態
2・1 トレ ス 海 峡 諸 島
トレス海 峡 諸 島 の 大半 の 島 の村 落 地 区 に つ い て は,調 査 隊 員 の 分 担 で簡 易 測量 に よ る1000分 ノ1地 図 を作 成 して い る。 い くつ か の 島 につ い て は詳 細 な航 空 写 真 が完 成 し て お り,集 落 立 地 や 集 落形 態,屋 敷 内家 屋 建 物 配 置 な ど の考 察 に利 用 で きた 。 オ ー ス トラ リア 大 陸 北端 ケ ー プ ヨー ク半 島 とパ プ ア ・ニ ュ ーギ ニ ア南 西 岸 との 間 に 散 在 す る トレス 海 峡 諸 島 の集 落 は,人 口規 模 も30〜400人 と幅 が あ るが,100〜200人
の集 落 が多 く,一一般 に 小規 模 な集 落 が多 い。
西 部 諸 島 の う ち,南 部 に 位 置す る プ リン ス ・オ ヴ ・ウ ェー ル ズ島 は新 し い集 落 だ が 北 部 海 岸 に列 状 村 を な す 。木 曜 島 の場 合,ト レス 海 峡諸 島 の行 政 ・経 済 の中 心 で もあ り,白 人 主 導 型 の 島 で あ る。 ポ ー トケ ネデ ィか ら丘 陵性 山地 にか けて市 街 地 を 形成 し
写 真1 トレ ス海 峡諸 島 の行 政 ・経 済 の 中心(木 曜 島市 街 地)
国立民族学博物館研究報告 7巻1号
写真2 木 曜 島 タ モ イ 集 落
て い る。 新村 落 タ モ イ は トレ ス海 峡 諸 島民 を集 め た計 画 的 村 落 で,一 種 の疎 集 村 形態 を と って い る。
ハ モ ン ド島 は カ ト リック聖 心 派 に よ る教 会 主 導 型 の村 づ くりで あ る (1928年)。 集 落 は島 の 南東 部 に 位 置 し,海 岸 部 と,や や 内 陸部 の2地 区 に わ か れ た疎 集 村 で あ る。
小 丘 の上 に石 積 み の 教会 が あ り,神 父 館,集 会 所,旧 小 学 校 舎,バ ス ケ ッ トコ ー トな どが 集 ま って 美 し く整 備 され,島 民 の生 活 の 中心 とな って い る[杉 本 1978:95‑113]。
バ ドゥとモ ア の2島 は 山岳 島 で海 峡 諸 島 の中 で も面 積 が大 きい 。
モ ア 島 の セ ン トポ ール は1917年 に英 国 国 教会 に よ って つ く られ た村 で あ り,列 状 村 の形 態 を と って い る。 ク ビ ンは モ ア 島 南 端部 の台地 上 に 立 地 し,や や 疎 らな集 村 状 (疎 集 村)を な して い る。
マ ビオ グ 島 は150m余 の高 い丘 を頂 点 とす る丘 陵性 の 島で,集 落 は1920年 代 に計 画 的 に 島 内各 地 か ら集 め られ た 。東 部海 岸 の北 半 部,丘 陵前 面 の砂 堆 上 に立地 し,細 長 い列 状村 を 呈 して い る。
北 西部 諸 島 のサ イバ イ島 は,島 の 中央 部 に広 い低 湿地 が あ り,低 平 な 沖 積 島 で あ る。
集 落 は19世 紀 末 に宣 教 師 の 指導 で 島 の北 西 部 の 現 位 置 に集 め られ た 。低 湿 地(1・2〜1・3 m)と 海 との間 の細 長 い微 高地(2.0〜2・6m)に 一線 上 に立 地 して い る。 この 海 岸 の 狭 長 な微 高地 は3カ 所 でL5m前 後 の低 地 が あ る。 潟 を 形成 す る砂 州 的 な地 形 上 に 集 落 が立 地 して い る。
ボ イ グ島 も低 湿地 が 多 く,集 落 は北 岸 の3.6〜4.Omの 微 高 地 に立 地 して い る・ 疎
集 村 形 態 だ が,や や烈 状 村 に 近 い 形 態 で あ る。 ダ ウア ン島 は最 高29ρmの 古 い 火 山
島 で,か な り急斜 面 が海 に迫 って い る。集 落 は北 東 海 岸 の10m以 下 の 狭 長 な 場所 に
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
図2 ス ー 島 全 図 道 路 沿 いに 列村 状 の形 態 を と って い る。
中 部 諸 島 の ヨー ク島 は整 然 と した疎 集 村 形 態 で あ る。 ヤ ム 島 は古 い火 山島 だ が,西 部 の小 平 地 に集 落 が立 地 し,疎 集村 形 態 で あ る。
コ コ ナ ツ島 はサ ン ゴ礁 の細 長 い島 で,南 側 に8.0〜10.Omの 微 高 地 が連 な って い る(小 浜 堤)。 集 落 は島 の北 西 部 に立 地 し,疎 集 村 状 だ が,や や列 状 に近 い タ イプ で あ る。
ス ー 島 は周 囲3.3kmの 楕 円形 の サ ンゴ礁 島 で あ る。
村 落 は 島 の東 部,標 高4〜5mの 平 坦 地 に 立地 して い る。1956年 に 作 った新 しい 村 で,主 要部 は5m幅 の道 路 に よ って 整 然 と区 画 され て い るが,道 路 区 画 の東 側 に も民 家 が あ り,こ の部 分 は僅 か に 高 くな って い る(6m)。 村 落 の 北 側 の 海 岸近 くに は,
写 真3 ス 丁島 の集 落(5m幅 の 道 路 を中 心 とした 整然 と した村 づ くり)
国立民族学博物館研究報 告 .7巻1号 コ コ ヤ シ の 葉 で 編 ん だ 壁 面 を もつ 伝 統 的 様 式 を 残 した 教 会(英 国 国 教 会),冷 凍 庫, 通 信 所,診 療 所 が あ り,少 し村 か ら離 れ た 海 岸 に 亀 の 養 殖 場 が あ る 。 北 寄 り の1区 画
に は 公 会 堂,六 天 水 タ ン ク2基,倉 庫 兼 車 庫,役 場,1・1・B(Island Industries Board) の ス ー 島 支 店 が 集 ま って い る。 小 学 校 と 幼 稚 園 は村 落 の 南 寄 り に あ り,村 長 宅 は 南 端
に 位 置 して い る 。
井 戸 は 村 落 の ほ ぼ 中 央 部 に2カ 所 あ り,揚 水 タ ン ク が 村 落 景 観 に 特 色 を 加 え る 。 天 水 の み に た よ る コ コ ナ ッ 島 に 比 べ て 飲 料 水 に は 恵 ま れ て い る が,洗 濯 そ の 他 は 天 水 を
図3 ス ー 島 村 ・落 図
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
利 用 して い る 。 島 の 中 央 部 滑 走 路 脇 と南 端 近 く に 小 凹 所 が あ る が,そ の 中 に 旧 井 戸 が ふ くま れ て い る 。
村 落 の 東 ・南 側 は 微 高 地(最 高8.4m)で,低 い 樹 林 が 続 き,強 い 南 東 貿 易 風 を 防 い で い る 。 道 路 に 沿 って 小 石 が 整 然 と 並 べ ら れ,各 屋 敷 も よ く整 頓 して あ る 。 道 路 に よ る 区 画 内 に は 各 屋 敷 が あ り,道 路 区 画 の 外 側 に も屋 敷 地 が あ る が,屋 敷 の 境 界 は コ コ ヤ シ や ア ー モ ン ド,ワ ンガ イ(野 生 の ス モ モ)な ど の 樹 木 の 見 通 し線 を 用 い て い る も の が 多 い 。
各 屋 敷 に は 主 屋 と 炊 事 棟,水 浴 場,洗 濯 場,倉 庫,便 所,天 水 タ ン ク な ど が セ ッ ト に な っ て い る例 が 多 い 。 雨 季 に は屋 敷 内 に も甘 藷 な ど を 栽 培 す る家 が あ る 。 集 落 形 態
は 疎 集 村 で あ る 。
村 落 の 西 側 は ブ ッ シ ュ だ が,北 西 側 は 微 高 地(6m)と な り,役 場 や 公 会 堂 か ら空 港 へ の 道 路 が 通 じ て い る 。
東 部 諸 島 は,ス テ ィ ー ブ ン,ダ ー ン リ ィ,マ リ ー の3火 山 島 に 集 落 が あ る 。 ス テ ィ ー ブ ン 島 は 戸 数 も少 な く,集 落 は20〜25mの 台 地 上 に 立 地 し,ほ ぽ 道 路 に 沿 って 配 置 さ れ て い る 。
ダ ー ン リ ィ 島 の 集 落 は,南 岸 に1〜8戸 か ら な る9集 落 が 散 在 し,小 村 状(Hamlets, Weiler)を な し て い る 。 ど の 集 落 も コ コ ヤ シ と マ ン ゴ ー の 繁 る 海 岸 の 小 平 地 に 立 地 し て い る 。
マ リー 島 の 集 落 は,A. C. Haddonの 調 査 時 に は22の 村 が 基 礎 的 単 位 で,い くつ か の 村 が 集 ま って8つ の 地 区 を 形 成 して い た 。 現 在 で も1村 で は な く,小 村 状 を 呈 し て い る。
トレ ス 海 峡 諸 島 の 伝 統 的 な 集 落 形 態 は ク ラ ン を 単 位 と す る 小 村 分 散 的 で あ っ た が, キ リ ス ト教 の 伝 来,布 教 に よ って,集 落 の 再 編 成,整 備 が 行 わ れ,現 在 で は,東 部 諸 島 を 除 い た 島 々 で 集 住 一 村 化(形 態 は 疎 集 村 ・ 列 村 状)が 進 ん で い る 。 こ の キ リ ス ト教 の 伝 来 に と も な う集 落 の 変 化 や,伝 統 文 化 と キ リ ス ト教 と の か か わ り に つ い て は,大 島,橋 本 論 文 に 詳 し く展 開 さ れ て い る[大 島 1980:ll3‑136;橋 本 1979:
1‑8]。
な お,東 部 諸 島 が 小 村 状 の ま ま 現 在 に 至 っ て い る 要 因 と して,次 の よ う な こ と が 考 え られ る 。
東 部 諸 島 で は,19世 紀 後 半 に は ク ラ ン社 会 が ロ ー カ ラ イ ズ さ れ,定 着 性 を 高 め て い
た こ と(ク ラ ン 的 社 会 意 識 の 残 存)が,集 村 化 の 障 害 と な っ た 。 他 の 島 々 で は 集 落 の
定 着 性 や ク ラ ン の ロ ー カ ル 性 の 弱 か っ た こ と が 集 村 化 を 容 易 に した の で あ ろ う 。 さ ら
国立民族学博物館研究報告 7巻1号
図4ダ ル ー 島 土 地 利 用 図
に居住 の た め の 自然 条 件 や,東 部諸 島 が他 の 島 々 に比 べ て 農 業 が盛 ん で あ り,定 着 的 な 石 干 見漁 が行 わ れた こ と な ど も一 因 と考 え られ る[橋 本 1979:1‑‑18]。
2・2 パ プ ァ ・ ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸
パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 の ダ ル ー お よ び 対 岸 か ら,キ ワ イ 島 な ど フ ラ イ 川 デ ル タ 地 帯 は,低 平 な 沖 積 地 形 が 多 く,ダ ル ー 島 か ら見 た パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 は び っ し り繁 茂 した 濃 緑 の 樹 林 が 続 い て い る 単 調 な 景 観 で あ る 。
写真4 ダ ル ー島 と突 堤,背 後 に低平 な パ プ ア ・ニ ュ ーギ ニ ア南 西 岸 が み え る。
(手前 は タ タ クと よぶ カ ヌー)
杉本 トレス海峡地域 の集落 と住居
写 真5 ダ ル ー の ネ イ テ ィ ヴ マ ー ケ ッ ト
ダ ル ー は,パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 西 部 州 の 首 都 で あ る 。 ダ ル ー 島 北 寄 り の 海 岸 か ら 内 陸 部 の 微 高 地 に か け て 市 街 地 に な っ て い る 。 官 庁 街,ネ イ テ ィ ヴ マ ー ケ ッ ト,バ ー ン ズ ・ フ ィ リ ップ な ど 商 店,ホ テ ル,病 院,放 送 局,教 会,高 校,刑 務 所 。 空 港 に は 首 都 ポ ー トモ レ ス ビ ー を 結 ぶ エ ア ・ニ ュ ー ギ ニ と ロ ー カ ル ラ イ ン の タ ル ・エ ア の オ フ
ィ ス が あ り地 域 中 心 的 な 諸 施 設 が 集 ま って い る 。
と く に ネ イ テ ィ ヴ マ ー ケ ッ トに は,サ ゴ澱 粉,パ パ イ ア,バ ナ ナ,タ ロ イ モ な ど が 対 岸 の 村 々 や フ ラ イ 川 流 域 の 村 々 か ら カ ヌ ー で 運 び こ ま れ,活 況 を 呈 して い る 。 ダ ル ー の 市 街 地 は 整 然 と し た 区 画 で,樹 冠 の み ご と な 並 木 道 が 美 し い 。 屋 敷 内 の 建
物 配 置 は 比 較 的 ゆ った り し て い る 。 方 形 の 屋 敷 地 に 対 し て 斜 め に 家 屋 を 配 置 し た も の も あ る。 住 宅 は 洋 風 熱 帯 住 宅 が 多 い 。
新 し い 住 宅 地 区 は 警 察 官 官 舎 や 教 員 住 宅 な ど 画 一 的 な 建 物 が 多 い 。 最 近 で は 政 府 に よ る新 住 宅 が 少 しず つ だ が 建 ち は じ め て い る 。
ダ ル ー 市 街 地 と 新 住 宅 区 と に 接 し た 外 側 は,ニ ッパ ヤ シ ぶ き の 高 床 住 居 が 多 くな り, 景 観 が 一 変 す る 。
ダ ル ー 島 対 岸 や キ ワ イ な ど フ ラ イ 川 河 口 の デ ル タ の 島 々,フ ラ イ 川 畔 の村 々 か ら 来 住 し た 人 々 が,出 身 地 別 に コ ナ(Kona, Corner)と よ ば れ る ブ ロ ッ ク や,広 場 を 囲 ん だ 形 態 の 集 村 を 形 成 して い る 。
(A)初 期 に 来 住 し コ ナ を 形 成 した 村 は,対 岸 の マ バ ダ ウ ア ン(マ ワ タ を 含 む),ツ
レ ツ レ,カ タ タ イ(カ ダ ワ を 含 む)や,パ ラ マ 島No.1〜No,3,キ ワ イ 島 の サ マ リ
な ど で あ る 。 比 較 的 広 い 面 積 を 占 め て お り,と くに ッ レ ツ レ ・ コ ナ は 広 域 で 戸 数 も 多
畠 い 。 マ バ ダ ウ ア ン や パ ラ マNo.1の よ う に 市 街 地 に 接 して 街 区 を 形 成 して い る も の
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ダ ル ー に コナ を形 成 して い る村 ガ ヌー の コー ス(セ ペ → ダ ル ー)
ロ ン グハ ウ ス の残 って い る集 落(ゴ ゴダ ラ地 方)
図5 ダ ル ー ・コ ナ の 本 村 分 布 図
も あ る 。
(B) キ ワ イ 島 の イ ア サ(No.1, No・2),イ ピ シ ア(No・1,No・2),オ ロ モ サ プ オ, セ ペ 。 フ ラ イ 川 畔 の セ ヴ ェ リマ ブ の 村 々 がAグ ル ー プ に 比 べ れ ば 戸 数 は 少 な い が,各
々 コ ナ を 形 成 して い る 。
(C)比 較 的 新 し い 来 住 村 は キ ワ イ 島 東 岸 の オ ロ モ サ プ オ,ア ゴ バ ロ,サ ガ シ ア,
ワ パ ウ ラ,ウ ウ オ と,フ ラ イ 川 畔 の バ ラ ム ラ,テ ィ リオ の グ ル ー プ で,ひ と つ の 広 場
を 囲 ん で 大 き な 広 場 型 集 落 を 形 成 して い る 。 ビ ナ ト ゥ リ川 沿 い の 内 陸 部 に 位 置 す る ボ
ゼ が5戸 で 小 広 場 型 集 村,ド ロ ゴ リは2戸 で 小 ブ ロ ッ ク を な す 。
杉本 トレス海峡地域の集落と住居
図6 ダ ル ー ・ コ ナ の 主 要 部
(D>空 港 の 南 側 に は デ ィ ビ リ川 河 口 付 近 や デ ル タ 島 に あ る ビ ナ1・2,オ ロ バ イ, シ サ ミ,ワ リオ,テ ィ レ レ,マ イ パ ニ な ど の 村 々 か ら来 住 し た 約50戸 に よ っ て ひ と つ の 広 場(2つ の 広 場 が ほ ぼ 連 続 した 形 態)を 囲 ん で 広 場 型 集 村 バ ム ー ・コ ナ を 形 成 し て い る 。
(E)そ の 他 ク バ イ,マ ラ ガ,ウ ェデ レ ヒ'アモ,ア イ ビ ニ オ,ダ マ ラ,ク ニ ニ か ら の 来 住 者 も あ る が,戸 数 も少 な く,ま と ま らた 集 落 を 形 成 して い な い 。
一 般 に 新 し く形 成 さ れ た コ ナ ほ ど 立 地 も海 岸 や マ ン グ ロ ー ブ 湿 地 林 に 近 く,悪 環 境 と な る 。 飲 料 水 も古 い コ ナ の 井 戸 に 依 存 す る と こ ろ も あ る 。
キ ワ イ 島 北 端 に 位 置 す る セ ペ を 本 村 と す る セ ペ ・ コ ナ は,広 場.(ボ ボ ーbob60)を 囲 ん で 家 屋 が ほ ぽ 南 北 方 向 に 配 置 さ れ て い る。 本 村 の 集 落 形 態 は セ ペ ・コ ナ と 同 じ広 場 を 囲 む 集 村 で あ り,そ の 広 場 は 集 会 や 踊 り な ど に 利 用 して い る 。
広 場 の 名 称 は,パ プ ァ ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 の マ ワ タ や カ タ タ イ,フ ラ イ 川 畔 の セ ヴ ェ リマ ブ で は,ス グ(sugu),少 し内 陸 に 位 置 す る ボ ゼ で は プ プ(pupu)と よ ん で い
る 。
セ ペ ・コ ナ の 場 合,1956‑1957年 頃,本 村 か ら最 初 の 移 住 が 行 わ れ,1965年 に は14
11.
国立民族学博物館研究報 告 7巻1号
写 真6広 場 を 囲 む オ ロ モ サ プ オ ・ コ ナ
家 族 が 移 住 して い た 。 そ の う ち 現 在 残 っ て い る の は3家 族 の み で,他 は 本 村 へ 帰 っ た り,首 都 ポ ー トモ レ ス ビ ー 一 一へ 移 動 した り し て い る。 現 在22家 族 で あ り,1棟(1家 屋) に2家 族 以 上 で 居 住 す る も の が3例 あ る 。
現 在 の セ ペ ・コ ナ の 居 住 者 で,1970年 以 降 に 来 住 した 家 族 が12も あ り,コ ナ は 実 に め ま ぐ る し く変 動 し て い る 。 賃 金 労 働 の 機 会 の 多 い ダ ル ー に 来 た が,一 般 に 生 活 は 貧 し く,チ ャ ンス が あ れ ば 首 都 そ の 他 へ 再 移 住 す る の で あ る 。 コ ナ は,居 住 者 に と っ て は,一 時 的 な 仮 の 村 な の で あ ろ う。
耕 地 は コ ナ の 近 くに 僅 か と,空 港 近 くを 開 墾 し,マ ニ オ ク,バ ナ ナ,タ ロ イ モ,さ と う き び な ど を 作 っ て 生 活 の 足 し に し て い る。
キ ワ イ 島 の セ ペ か ら ダ ル ー ま で カ ヌ ー で 往 来 す る が,凪 で2日 間,海 が 荒 れ る と3
〜4日 か か る 。 途 中 沿 岸 の 村 か ,畑 小 屋 な ど に 寝 泊 り す る 。 本 村 と コ ナ と は 密 接 に 結 び つ い て い る が,頻 繁 に 往 来 す る こ と は で き な い 。
キ ワ イ 島 の セ ペ(本 村)に は,ク ラ ンが 約20あ る と い う 。 セ ペ ・ コ ナ に は そ の 中 の Dudumabu(葦),Duwape(サ ゴ ヤ シ),Mipari(毒 の あ る 実 を つ け る木),Gagaripasa (竹 の 葉),Sokomabu(ニ ッパ ヤ シ)の5ク ラ ンが あ る 。 セ ペ ・ コ ナ の 家 屋 配 置 を み
る と,比 較 的 同 一 ク ラ ン の 家 が 接 近 して い る傾 向 が あ る 。
ダ ル ー 対 岸 に あ た る パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 の 村 落 マ ワ タ は,ビ ナ ト ゥ リ川 河 口 の マ ン グ ロ ー ブ 林 を ぬ け た150m余 の と こ ろ に 立 地 し て い る 。 海 岸 の 侵 食 に よ っ て 移 動 した ら し い 。 コ リオ ・ス グ(korio sugu)と よ ぶ 方 形 の 広 場 を 囲 ん で 高 床 式 の 家 屋 が 並 ん で い る(広 場 型 集 村)。
内 陸 の マ シ ガ ラ や ド ラゲ リ も ほ ぼ 同 じ形 態 だ が,集 落 全 体 の 整 備 状 況 は マ ワ タ よ り
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
図7セ ペ ・ コ ナ 村 落 図
進 ん で い る 。
マ ワ タ 村 に は6つ の ク ラ ンが あ り,現 在 で も 村 落 生 活 に 重 要 な 役 割 を も っ て い る [松 本 1980:133‑183]。
パ ラ マ 島 で は,集 落 立 地 が 島 の 東 岸 の ご く限 ら れ た 範 囲 で あ る 。 集 落 は現 在 で も ク ラ ン ご と の 住 み わ け が み ご と で あ り,1本 の 道 路 に 沿 っ て 街 村 状 の 集 落 形 態 を な し て い る[大 島 1980:113‑136;1982:43‑‑63]。
キ リ ス ト教 の 布 教 に よ っ て 集 落 の 再 編 成 が 進 み,ク ラ ン社 会 の 変 質 した トレ ス 海 峡
諸 島 と は,か な り 異 な っ て い る。
国立民族学博物館研究報告 7巻1号 な お,ダ ル ー の パ ラ マ ・ コ ナ で は,ク ラ ン ご と の セ グ リゲ ー トは 崩 れ て い る 。 メ ラ ネ シ ア の 村 落 で は,こ れ を 構 成 す る 親 族 集 団 の 性 格 に よ っ て 集 落 形 態 と 密 接 に 関 連 し て い る[石 川 1970:27‑39】 。
ダ ル ー の 各 コ ナ の 本 村 は,そ の 村 落 の 新 旧 な ど に よ っ て 差 異 もあ る が,一 般 に ク ラ ン と 密 着 し た 家 屋 配 置 を も つ 広 場 型 集 村 形 態 が 多 い 。
ダ ル ー の 各 コ ナ に は,本 村 の 村 落 意 識 が も ち こ ま れ て い る 。 広 場 を 囲 む 集 村 形 態 は
ゼ本 村 と類似 して い る もの が 多 いが,親 族 集 団 と集 落形 態 との関 連 は,各 コナ に よ って 濃 淡 はあ る が,本 村 に比 べ て 稀 薄化 して い る もの が 多 い よ うで あ る。
3. トレス海 峡 諸 島の 伝統 的住 居
3・1 バ ッ ド ン調 査 隊 の 報 告 を 中 心 に
ト レス 海 峡 諸 島 の 住 居 に 関 す る 研 究 は 少 な い 。 ト レ ス 海 峡 の パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 側 を み る と,山 地 地 域 の 調 査 研 究 は か な り集 積 さ れ て い る が,一 般 に 海 岸 部 の 資 料 は
ご く限 られ て い る 。
A.C. Haddonを 中 心 と し た ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 学 術 調 査 隊 の ト レス 海 峡 地 域 の 研 究 は,大 規 模 な 実 地 調 査 の 先 が け と し て 知 ら れ て い る 。 住 居 に 関 して は,6巻 の 研 究 報 告 の う ち,第4巻 の1章 と して と り あ げ て い る 。HaddonとA, Wilkinが 住 居 を 分 担
し,探 険 家 な ど の 見 聞 に よ る 資 料 を 用 い て 不 足 分 を 補 っ て い る[WiLKIN and HADDoN l912:19‑93]o
こ の 調 査 は19世 紀 の 終 末 期 に 行 わ れ て い る か ら,主 と して 約80年 前 の 状 況 を 知 る こ と が で き る 。
ト レ ス 海 峡 諸 島 に つ い て は,西 部 諸 島 と東 部 諸 島 に 分 け,西 部 諸 島 に つ い て は,南 部 ・中 部 ・北 部 に 区 分 し て 住 居 の 特 色 を 示 し て い る 。 東 部 諸 島 に つ い て は,過 去 に か な り優 占的 で あ った と 考 え ら れ る 円 形 住 居(現 在 消 滅)を と り あ げ て い る の は 貴 重 で あ る 。 さ ら に ト レ ス 海 峡 の 近 代 的 住 居 に 関 す る 記 述 が 注 目 を ひ く。 当 時 新 し い タ イ プ と してsouth sea(ポ リネ シ ア,メ ラ ネ シ ア)か ら の 外 来 者 に よ っ て 導 入 され た 住 居 型 が み ら れ,こ れ が ほ と ん ど 古 い 型 と根 本 的 に 異 な っ て い る こ と を 指 摘 し て い る。 パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 の 住 居 や,フ ラ イ 川 河 口 地 域(と く に キ ワ イ 島)の ロ ン グ ハ ウ ス に つ い て も詳 し く報 告 して い る 。
Haddon隊 の 報 告 以 外 にG. Landtmanが 行 っ た キ ワ イ 島 の 民 族 誌 の 中 に ロ ン グ
ハ ウ ス の 建 築 と 呪 術 に 関 す る 詳 細 な 報 告 が あ る[LANDTMAN 1927:4‑22]。
杉本 トレス海峡地域 の集落 と住居
以 下 本 章 で はHaddon隊 の 住 居 に 関 す る 報 告 の 中 か ら ト レ ス 海 峡 諸 島 の 住 居 の 諸 特 色 を と り あ げ る 。
西 部 諸 島 の 南 部 の プ リ ン ス ・オ ブ ・ウ ェ ー ル ズ 島 で は,① 単 純 な 長 方 形 の2方 か3 方 を 細 い 柱 か 極 で 囲 み,テ ィtieの 木[ubu](Melaleuca leucadendron)の 樹 皮 を 用 い た 屋 根 を も つ 地 床 住 居,②2〜3フ ィ ー トの 高 床 で,先 が 分 岐 し た 柱 が 棟 木 を 支 え る簡 単 な 屋 根 を も つ 民 家 の2タ イ プ が 古 い 型 で あ り,Haddonは そ の ス ケ ッチ を 残 し て い る 。 ト レ ス 海 峡 西 部 諸 島 で は,南 部 か ら北 部 へ 行 く ほ ど 明 らか に住 居 の 質 が 向 上 して い る と して い る が,北 ク イ ン ズ ラ ン ド民 族 誌 の 著 者W.E・Rothの 説[ROTH l910:55‑66】 を 引 用 す る な ど,こ れ は オ ー 一 一ス ト ラ リア 大 陸 北 部 ク ィ ン ズ ラ ン ドの ア
ボ リ ジ ン の 簡 素 な 円 形 住 居 と の 比 較 の 上 か ら の 解 釈 と 思 わ れ る 。
西 部 諸 島 中 部 と して は,ヤ ム,ナ ギ ー ル,ツ ツ,ス ー,バ ド ゥ 島 の 民 家 を 記 載 し て い る 。
ヤ ム 島 の 住 居 は 主 に 竹 造 りで 屋 根 は草 と テ ィ の 樹 皮 で 葺 か れ て い る 。 ナ ギ ー ル 島 (現 在 無 住)で は 骨 組 は竹 で 作 ら れ,屋 根 は 長 い 雑 草 で 葺 い て あ った 。
住 居 は1軒 ご と に 狭 い が 囲 い の 中 に 建 ち,反 対 側 の 海 岸 に は 調 理 用 の 小 屋 が あ る 。 火 は そ の 中 で お こ さ れ る 。
ツ ツ 島(現 在 無 住)の 民 家 は 南 海 型(高 床)で,数 は 少 な い が 住 居 は 塊 状 を な し, フ ェ ン ス で 囲 ま れ て い る 。 し か し 旧 式(古 い 型)の 民 家(地 床 式 の 小 屋)も あ った 。 ス ー(ワ ラ ビ ー ル)島 で は,亀 獲 り に 行 く時 の 一 時 住 ま い の 小 屋 と思 わ れ る も の を 記 して い る 。 バ ド ゥ 島 に は,地 床 で 切 妻 屋 根 の 小 屋,ニ ュ ー ギ ニ ア 型 の 高 床 の 小 型 の 家, 大 型 で 造 り の し っ か り し た 草 造 り高 床 式 の 家 で 南 海 の 人 々 に よ っ て 建 て られ 住 ん で い
る,3種 類 の 住 居 が あ っ た 。
図8 マ ビ オ グ 島 のKwodの ス ケ ッ チ [WILKIN and HADDoN l 912:98]
図9 マ ビ オ グ 島 の ヘ ッ ドハ ウ ス の ス ケ ッ チ [WiLKiN and HADDoN 1912:98]
国立民族学博物館研究報 告 7巻1号 マ ビ オ グ 島 民 の 住 居 もバ ド ゥ島 と非 常 に 類 似 し て い る 。
島 民 の 話 に よ る と,マ ビ オ グ 島 で は 地 床 式 の家 が 古 型 で,白 砂 の 上 に 草 と マ ッ トが 何 重 に も敷 か れ て い た 。 屋 根 の 材 料 は 草 と テ ィ の 樹 皮 で あ った 。 男 性,と く に 独 身 男 性 はkwikwi‑iutとkwodで 寝 て い た 。1888年 に 画 か れ た マ ビ
オ グ 島Bauのkwodの ス ケ ッチ が あ る 。 広 い 入 口 が あ り,平 ら に 近 い 緩 や か な 片 流 れ 屋 根 は コ コ ヤ シ 葉 で 葺 か れ て い る 。7.5×4.5mの 規 模 で,高 さ1.8 m。 kwikwi‑
iutが 混 雑 した り す る と, kwodが 会 合 場 と し て 使 わ れ た 。 kwikwi‑iutと い う 名 称 は, ヘ ッ ドハ ウ ス を 意 味 して い る 。 報 告 書 に は マ ビ オ グ 島 の2つ の ヘ ッ ドハ ウ ス の ス ケ ッ チ が あ る 。 高 床(杭 上)で,両 端 に 出 入 口 が あ り,頭 蓋 骨 や 顎 骨 が ぶ ら さ が って い た 。 コ コ ヤ シ葉 葺 き 切 妻 屋 根 で,両 端 と 軒,そ して 柱 は 赤 く塗 っ て あ っ た 。 ひ と つ ず つ 胞 族(phratry)が 所 有 し て い た と 推 定 し て い る 。 頭 蓋 骨 は 戦 争 で 殺 し た 敵 の も の で あ っ た 。 女 性 と 少 年 は ヘ ッ ドハ ウ ス に 入 る 事 は 禁 止 さ れ て い た 。
ヘ ッ ドハ ウ ス は サ イ バ イ,ア ウ リ ド,ヤ ム に も 似 た もの が 存 在 し た ら し い 。 キ ワ イ 島 の ロ ン グ ハ ウ ス(後 述)と 非 常 に 似 て い る。
kwodは 若 者 や 独 身 男 性 用 で,簡 単 な 一 時 的 住 居 で あ り,元 来 ヘ ッ ドハ ウ ス の 離 れ 小 屋 の よ う な も の と み な さ れ て い た ら し い 。
ヘ ッ ドハ ウ ス は 若 い 男 性 が 寝 泊 りす る ク ラ ブ ハ ウ ス と して の 社 会 的 役 割 を 果 た して お り,こ れ が19世 紀 末 ま で 残 存 し て い た 原 因 と 考 え て い る 。
サ イバ イ 島 と ダ ウ ア ン 島 で は1888年,高 床 の 南 海 型 が 進 出 し は じめ て い た が,古 い 型 も杭 上 の 家 屋 で あ っ た こ と を 強 調 して い る 。 竹 材 を 用 い,側 壁 な ど は パ ンダ ナ ス の 葉 を 使 っ て い た 。1888年Haddonの サ イ バ イ 島 民 家 の ス ケ ッチ が あ る 。 こ の 民 家 は 高 床 だ が,下 部 を コ コ ヤ シ の 葉 で 編 ん だ 壁 で ざ っ と 囲 って い る 。 当 時 ボ イ グ 島 民 が 首 狩 り や 海 賊 の た め サ イ バ イ 島 に 避 難 し,高 床 下 に 収 容 し,そ の た め に で き た 型 だ と 説 明 し て い る 。 旧 い 型 と 南 海 型 の 折 衷 の よ う に も み え る 。 サ イ バ イ 島 の 高 床(杭 上)家 屋 の 一 つ は 宣 教 師 が 建 て た ミ ッ シ ョ ン様 式 と 言 わ れ て い た こ と も 注 意 し て よ い 。 な お,サ イ バ イ 島 に 以 前,男 性 の 家(iota)が あ っ た こ と を 島 民 か ら聞 き だ して い
る が,当 時 フ ラ イ 川 デ ル タ め 島(キ ワ イ 島)な ど に 濃 厚 に 男 の 家 が 存 在 し て い た こ と か ら,充 分 可 能 性 は あ る 。
東 部 諸 島(ス テ ィ ー ブ ン,ダ ー ン リ ィ,マ リ ー 島)で はmeta(パ プ ァ ・ニ ュ ー ギ
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
図10サ イ バ イ 島 の 高 床 民 家 ス ケ ッ チ [WiLKiN and HADDoN l912:100]
ニ ア南 西 岸 で は住 居 をmotoと 呼 ぶ)と よ ば れ る 円形 住 居 が 注 目 され る。
極 めて 初 期 に ト レス 海 峡 を航 海 した イギ リス人 の 中 に は,不 正 確 だ がkaub kaub metaと い う蜜 蜂 の巣 の よ うな 円 形 住 居 に 言 及 し た り,描 写 す る も の が あ った 。 Haddon隊 の 調 査 時 に は,ダ ー ン リィ島 に小 型 円形 住 居 が1戸(島 の北 か 北 西 に大 型 が1戸 あ る と言 わ れ て い る),マ リー 島 に は中 型 が1戸 あ り,ま た 円形 住 居 と共 通 し た 特徴 を もつ 小 屋 が あ った 。
円型 住 居 の 規 模 は家 族 数 に よ って 様 々で あ った。 小 型 は直径4〜5m,高 さ も ほぽ 同 じ位 。 大 きな の は直 径9m,高 さ6mで あ った。
中央 の 柱 の 頂 上 に は,細 いつ るが巻 か れ,唯 一 の 外 装 とな って い る。 以 前 は大 きな 貝 が 屋 根 の 上 に 置 か れ,屋 根 は乾 燥 した草 で葺 いて あ った 。数 束 の草 が 中央 の 柱 が 突 出 した 頂 上 に 集 め られ る。 長 いつ る草 で骨 組 の木 舞 に く くりつ け られ る。
円形 住 居 建 築 構 造 を詳 し く記 述 して い るが,要 約 す れ ば 次 の よ うに な る。
第1歩 は円 周 の 画定 で,砂 に片 足 で跡 を つ け るだ け。 ダ ー ン リィ島 の小 型 円 形 住 居
に 関す る記 述 で は,柱 が8〜10本 等 間 隔 に直 径4.5mの 円 を形 成 す る よ う地 面 に打
ち込 まれ る。 そ の 柱 の 内外 両 面 に3つ の竹 の輪 が同 じ高 さに 結 び つ け られ る。 そ の後,
長 い竹 の 柱 を 直 立 に 輪 の ま わ り にか な り密 に して 結 ん だ 。 そ の 端 を集 めて 中央 の柱 に
結 びつ け るた め,ア ーチ 型 に な る。
国立民族学博物館研究報告 7巻1号 こ の 骨 組 に 草 と細 くさ い た コ コ ヤ シ の 葉 を 屋 根 葺 材 と して 非 常 に 厚 く編 み 結 び つ け る 。 出 入 口 は 小 さ く,這 っ て 入 ら ね ば な らな い 。
北 ク イ ンズ ラ ン ドの ア ボ リ ジ ン の 円 形 住 居 は,こ れ よ り は る か に 単 純 な 構 造 で あ り, 東 部 諸 島 の 円 形 住 居 と 同 一 の も の で は な い 。
Haddon隊 のWiIkinに よ る 円 形 住 居 の 断 面 図 や 平 面 図 を み る と,全 面 で は な い が,半 分 近 く が 就 寝 用 の 竹 床 で あ り(地 面 よ り70〜75cm,高 い も の で1.2 m),物 置 棚 風 の も の も あ る 。 地 面(砂 地)は15〜16cm盛 り上 げ ら れ,こ こ で も就 寝 した ら
し い 。 入 口 を 入 っ た と こ ろ は 土 間 で,入 口 と 中 心 柱 の 間 に 炉 が あ る 。 多 く は1住 居 に ユ家 族 で あ る 。 調 査 時 に す で に 南 海 型(south sca type)の 住 居 な ど 新 し い 様 式 が 入 り,円 形 住 居 は 僅 少 で あ った が,過 去 に は 東 部 諸 島 で 優 占 的 な 様 式 で あ っ た よ う で あ る 。 な お,マ リ ー 島 に 残 って い た 古 い 家(当 時,空 屋 で 荒 れ て い た)と し て,一 端 が 円 く な った 長 方 形 の 平 面 を もつ,円 形 と 方 形 の 折 衷 型 の 民 家 を 報 告 し て い る 。 円 形 住 居 はHaddon隊 の 調 査 時 す で に 減 少 して お り,現 在 は 消 滅 し て い る か ら, そ の 点 で,Haddon隊 の 円 形 住 居 に 関 す る報 告 は 貴 重 な 記 録 と い え る 。
ダ ー ン リ ィ 島 を 調 査 し た 瀬 川 隊 員 の 報 告 に よ る と,ダ ー ン リ ィ 島 で 過 去 に 円 い 家 が あ り,地 べ た に へ ば りつ く よ う に 這 っ て 出 入 り した こ と を 老 人 が 人 か ら伝 え 聞 い た 話 と し て 語 っ て くれ た と い う。
Haddon隊 の 報 告 は 調 査 当 時 の ト レス 海 峡 の 近 代 的 住 居 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。
「マ リー と マ ビ オ グ 島 の 原 住 民 は,現 在 住 ん で い る 近 代 住 居 に 関 して は 多 くを 語 る
図11ミ リ ア ム 円 形 住 居 の 平 面 図 と 断 面 図 [WILKIN and HADDoN l 912:102]
杉本 トレス海峡地域 の集落 と住居
必 要 は な い 。 様 々 な ポ リ ネ シ ア 人 や メ ラ ネ シ ア 人 ら外 来 者 が 導 入 した モ デ ル に 従 っ て す べ て 建 築 さ れ て い る 。 ほ と ん ど ど の 面 か ら み て も,古 い タ イ プ と は根 本 的 に 異 な っ て い る 。 住 居 の 変 遷 に 継 続 性 は な く,新 型 は 伝 来 し て す ぐ受 け入 れ ら れ た ら し い 。 旧 式 よ り優 れ て い た と い う よ り は,商 人 や 宣 教 師 が 持 ち 込 ん だ 新 し い生 活 様 式 と 関 係 し
て い た 」[WILKIN and HADDoN 1912:105]。
Wilkinは 図 に よ っ て 数 戸 の 近 代 住 居(ミ リア ム 住 居:東 部 諸 島)を 示 して い る 。
事 例14.5m×3・3m,高 さ2.7m,草 葺 屋 根 で側 壁 は コ コヤ シ葉 を 編 ん だ もの 。 屋 内2/3位 は45・cmの 高 さの床 が あ り,入 口を 入 った と ころ か ら中 央 に か けて 土 間で,炉 が あ る。 家 は 海 岸 と平行 に位 置 す る もの が 多 い。 南 海型 の建 築 が伝 来 す る まで 窓 はな か った。
事 例2 典 型 的 な ダ ー ン リィ,マ リ'・ 一 一,マ ビオ グ 島 の南 海型 住 居 で,規 模 は12m×5.4 m,高 さ3.9m,四 方 の壁 と出入 口の 高 さは1.55m。 出 入 口 は海 側 と反対 側 の壁 の ほぼ 中央 に あ る。 海 に面 す る側 だ け図 の よ うに戸 口 の両 側 に,軒 の 下 あ た りに小 窓 が あ る(60cm×45 gm)。 壁 は コ コヤ シの 葉 を編 ん だ も のが 何 層 に も互 い に重 な り合 って いた 。屋 根 は草 葺 きで,庇 の な い寄 棟 型 。 棟 木 上 の草 葺 きは丈 夫 に編 んだ 材 料 で仕 上 げ て い た。 間 口 と奥行 の 比率 は2:1,壁 の高 さ,
家 の 高 さか らみ て,か な り急 勾 配で あ った よ うで あ る。 屋 内 は1室 型で,表 か ら裏 へ ぬ け る幅 1・2m通 路 を 除 いて 床(37〜38 cmの 低 い 床)が 割 り竹で つ く られて いた 。通 路(土 間)の 真 中 に 炉 が あ った 。 多 くの住 居で は床高 は事 例2よ り高 い が,面 積 は限定 され て い た し,住 人 の好 み と必要 条 件 によ って 種 々で あ った 。
事 例3 マ リー 島で は 数戸 の 杭 上家 屋(高 床)が あ った 。そ の1例 。 杭 上家 屋 はニ ュー ギ ニ ア の建 物 と類 似 して お り,多 くの原 住 民 が布 教 船 や通 商 ス クー ナ ーで の航 海 中 にみ る機 会 が あ った と い う。
規 模 は9.3m×6.9 m,高 さ3.9 m,杭 の高 さL35 m,コ コヤ シ材 が使 わ れ て い た。 ベ ラ ンダ が あ り,出 入 口は側 壁 の 中央 に位 置 して いた 。屋 根 は草 葺 寄棟,梯 子 は後 方 の 出 入 口 につ い て い
図12近 代 住 居 aミ リア ム 住 居,b高 床 式 住 居(マ リー 島) [WiLKIN and HADDoN 1912:108‑109]
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国立民族学博物館研究報告 7巻1号 た 。床 は竹 。側 壁 は コ コヤ シ葉 を編 ん だ もの で あ る。
事 例4 小 型倉 庫 で,4.5m×3.Om,高 さ2.7m,草 葺 の壁 は1.2m,屋 内 は床 高30cmの 低 床 が あ った 。 以前 円形 住居 が 多 か った時 代 に,粗 雑 な ドー ム状 の 差掛 け小 屋eud metaが あ った が,こ れ に代 る もの とみ て い る。
事 例5 マ リー島 に は菱型 の建 物 で,最 長 約10m,最 大 幅6m余,海 側 の2面 に 出入 口が あ る。 家 の頂 点 ま で の高 さは4.2m,中 央 の 柱が 少 しとび 出 して い る。 草 葺 屋 根,建 築 材 と して コ コヤ シの 切 り株 な ど も使 用 されて い た 。 内部 は土 間 が広 く,床 高75cm前 後 の床 が2カ 所 に あ った 。
この 中 央 に柱 を もつ 菱 形 平 面 の 住 居 は,円 形 住 居 との 関 連 を示 す 証 拠 はな い と して い るが,構 造 か らみ て興 味 を ひ く。
Haddon隊 調 査 時,住 居 様 式 と して新 し く導 入 され た 要素 を ま と め る と次 の よ うに な る。
③ 従 来 土 間 式 が 大半 で あ った の に対 し,高 床(杭 上 家 屋)の 導 入 が 注 目 さ れ る (但 しマ ビオ グ で は ほ とん ど土 間式 で あ った)。 ⑮ 現 在 よ り低 い が,側 壁 が は っ き り し た形 を整 えた こ と。◎ 屋 内1室 形 式 で 土 間 部 分 に炉 が あ るが,床(高 さは多 様)部 分 が み られ る こと。 ④ 現 在 の 住 居 に比 べ て 小 さ く数 も少 な いが,窓 が つ け られ た こと。
⑥ ベ ラ ンダ を もつ 家 がみ られ る こ と。
4. トレス海 峡 地 域住 居 の諸 特 色
住 居 形 式 は,建 築 材 料,高 床 式(杭 上 家屋)と 地 床 式(土 間 住 居),平 面 型(間 取 り)と 住 まい か た,付 属 建 物 な ど構 成 要 素 に分 解 して 考 察 す る。住 居 は上 記 の ほ か に 屋 敷 地,さ らに集 落 との 関連 な ど も重 要 で あ る。 そ の概 況 に つ い て は前 述 した 。 住 居 は これ ら構 成要 素 の統 合 され た もの と して把 握 す る必要 が あ るが,住 居 は文 化 複 合 体 で あ り,こ れ を一 括 して 把 握 す る こ とは非 常 に 困難 で あ る。本 章 で は構 成 要 素 別 に,ト レス海 峡 地 域 に お け る現 在(1975〜1979年)の 住 居 に つ い て,そ の特 色 を 探 ろ う とす る。 さ らにHaddon隊 調 査 時(19世 紀 末)と 比 較 し,住 居様 式 の変 化 を 追 跡 す る。高 床 住 居 や 円 形 住居,ロ ングハ ウ スな ど に つ いて は,東 南 ア ジァ や オ セ ア ニ
ァ(と くに メ ラネ シ ア)地 域 との比 較 を試 み た い。
4・1建 築 材 料(屋 根,壁 面 を 中 心 に) 4・1・1 トレ ス 海 峡 諸 島
19世 紀 末 に行 わ れたHaddon隊 の調 査 に よ ると,当 時 は屋 根 や 壁 面 は コ コヤ シの
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
葉 を 編 ん だ も の が 多 く,草 類 も使 っ た 。 島 に よ っ て は テ ィ(tie)(Melaleuca leucaden‑
dron)の 樹 皮 を 屋 根 材 に 使 っ た 。 建 築 材 (構 造 材)は マ ン グ ロ ー ブ や コ コ ヤ シ,竹 材 が 用 い られ た 。
フ ラ イ 川 デ ル タ や パ プ ア ・ ニ ュ.一ギ ニ ア 南 西 岸 で は ニ ッ パ ヤ シ(ハ 伽 ゐノ}廊 απ∫)の 葉 が 多 く, サ ゴ ヤ シ (SagUS rhumPhiana) の 幹 な ど も利 用 した 。 ほ と ん ど 手 近 な 素 材 を 利 用 し て い た の で あ る 。
Haddon隊 の 調 査 か ら80年 を 経 過 した 今 日,と く に ト レス 海 峡 諸 島 の 住 宅 は 大 き く 変 化 して い る 。
近 年 トレ ス海 峡 諸 島 に 対 して は,オ ー ス トラ リ ア 連 邦 政 府 や ク イ ン ズ ラ ン ド州 政 府 の 手 厚 い 援 助 が あ り,連 邦 政 府 や 州 政 府 資
写 真7 構 造 材 は マ ング ロー ブ を用 い る こ とが 多 い(ボ ゼ ・コ ナ の民家)
金 に よ る 住 宅 の 建 設 や ミ ッ シ ョ ン に よ る 住 宅 建 設 が 進 ん で い る 。
オ ー ス トラ リ ア 国 立 大 学 のH.Duncanは,バ ドゥ,サ イ バ イ,マ リー,ヨ ー ク4 島 の 住 宅 を 調 査 して い る[DuNcAN l 974:31‑39]。 連 邦,州 政 府 資 金 に よ る住 宅 が ヨ ー ク で76%,バ ド ゥ54%,サ イ バ イ35%,マ リ ー 島 で44%を 占 め,壁 材 料 も ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レハ ブ,ト タ ン,繊 維 質 板(石 綿 な ど)が 大 半 を 占 め て い る 。 コ コ ヤ シ の 葉 な ど を 材 料 と した 伝 統 的 な 民 家 は マ リー 島 で38%あ っ た が,他 の3島 で は ほ と ん ど 姿 を 消 し て い る 。 マ リー 島 で も1975年8月 北 大 路 氏 の 見 聞 で は,ほ と ん ど 消 滅 して い
る と い ケ。
マ ビ オ グ 島 で は,1975年,36戸(う ち空 屋2戸)中20戸(569e)が,連 邦 お よ び 州 政 府 資 金 に よ る 画 一 的 住 居 で あ る[松 本 1977:121‑143]。
木 曜 島 北 側 に 位 置 す る ハ モ ン ド島 は,Haddon隊 調 査 時 は 無 人 島 で あ っ た が,ト レ ス 海 峡 の 島 々 か ら,カ ト リ ッ ク 聖 心 派 が 信 者 を 集 め て 新 し く村 づ く り を し た(1928年)。
1975年 戸 数29(29)[()内1979年],連 邦 資 金 住 宅[ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レ ハ ブ,高 床 式,鉄 パ イ プ]4(6), ミ ッ シ ョ ン 資 金 住 宅[ブ ロ ッ ク]4(6),個 人 資 金 住 宅21
(17),旧 校 舎 利 用1(0)と な って い る[杉 本 1977:95‑113]。
ボ イ グ 島 で は30戸 中,連 邦2,州10,個 人 資 金 住 宅18。 中 部 諸 島 の ス ー 島 で は23戸
21
国立 民族学博物館研究報告 7巻1号 中,連 邦2,州4,個 人 資 金 住 宅17。 東 部 諸 島 の ダ ー ン リ ィ 島 で は33戸 中,連 邦5, 州4,東 部3島 の 共 同 組 合(EMU)資 金 住 宅4,個 人 資 金 住 宅20で あ る 。
個 人 資 金 に よ る 住 宅 は 他 の 島 で も同 様 だ が,一 般 に 北 ク イ ンズ ラ ン ド型 と よ ば れ る 高 床 式 の 洋 風 熱 帯 住 宅 が 多 い 。 コ ン ク リ ー トで 基 礎 を つ く り,少 し床 を あ げ た 型(地 床 式)も み られ る 。
木 曜 島 は ト レ ス 海 峡 諸 島 の 中 で は居 住 の 歴 史 も浅 く,本 格 的 居 住 は 植 民 地 拠 点 と な った1877年 以 降 に な る 。 した が っ て 当 初 か ら ト レ ス 海 峡 諸 島 民 の 伝 統 的 民 家 と は 別 系 統 の 白 人 に よ る 北 ク イ ン ズ ラ ン ド型 洋 風 住 宅 が 建 設 さ れ た も の と考 え られ る 。 トレ ス 海 峡 の 政 治,経 済 の 中 心 と な っ た 木 曜 島 の 家 屋 型 が 新 し い ハ ウ ス タ イ プ と して ト レ ス 海 峡 の 島 々 に 普 及 し,さ ら に 連 邦 や 州,ミ ッ シ ョ ン に よ る 新 住 宅 が 建 設 さ れ た た め, 伝 統 的 民 家 は 急 速 に 減 少 して い った の で あ る 。
1864年 セ ン サ ス で,個 人 住 宅 屋 根 材 料 に つ い て ク イ ン ズ ラ ン ド 州 全 域(Q)と 北 部 )イ ン ズ ラ ン ド(NQ)を 比 較 す る と,板 葺 で は40%(Q)/14%(NQ),カ ン ヴ ァ ス 10%(Q)/25%(NQ),樹 皮45%(Q)/58%(NQ)と な り,当 時 は 北 部 ク イ ン ズ ラ ン ド で は,よ り一 層 手 近 な 素 材 を 利 用 して い た こ と が わ か る [SUMNER l974;47‑61;
RoN 1978]。1921年 セ ンサ ス で は トタ ン が 急 増 して95%(Q)/90%(NQ)と な って い る 。
1966年 と1971年 の セ ン サ ス に よ って,ク イ ン ズ ラ ン ド州 全 域 の 家 屋 壁 面 の 材 料 に つ い て み る と,煉 瓦4.9%→9.O%,煉 瓦 と ベ ニ ヤ 板2.4%→5.1%,コ ン ク リー ト2・4%
→2.9%,木 材71.290→65.9%,ト タ ン1.8%→1.7%,ア ス ベ ス トセ メ ン ト(石 綿 板) 17.2%→15.1%と な っ て い る。 こ の 年 代 で は 大 き な 変 化 は み ら れ な い が,全 般 的 に 木 材 使 用 が 減 少 し,煉 瓦 な ど の 増 加 が 目 立 つ[AusTRALIAN BuREAu oF STATIsTlcs
1974]。
木 曜 島 で は1975年9月,住 宅 は市 街 地231戸,新 集 落 タ モ イ60戸 だ が,1979年8月 市 街 地271戸,タ モ イ71戸 と な り,住 宅 は か な り 増 加 し て い る。
屋 根 材 料 は ほ と ん ど トタ ンで あ り,波 状 トタ ン(corrugated iron),小 波 状 ト タ ン (ripPle iron),薄 鉄 板(sheet iron)な ど 各 種 の タ イ プ が 混 在 し て い る 。 ス レー トな ど も み られ る 。
こ の トタ ン 屋 根 は,木 曜 島 の 場 合,1898年 のHaddonの 調 査 記 に も記 載 さ れ て い る[HADDON l932]か ら,当 時 木 曜 島 で は トタ ン が す で に 普 及 し て い た こ と が 明 ら か で あ る 。
家 屋 壁 面 の 材 料 に つ い て み る と,木 曜 島 市 街 地 で は,繊 維 質 板 (石 綿 な ど)48%
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
写 真8 伝 統 的 な コ コヤ シ葉 を 用 い た民 家(ス ー島)
(51%)[1975年9月,()内1979年8月],木 材(下 見 板 も あ る が,こ れ は 戦 前 の タ イ プ と い わ れ て い る)30%(20%),ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レ ハ ブ10%(23%),ト タ ン10 90(4%),ブ ロ ッ ク2%(2%)と な っ て い る 。 木 曜 島 で は, トタ ン 屋 根 で 木 造, 下 見 板 の 外 壁 を も つ 住 宅 が 古 く,最 近 で は トタ ン,繊 維 質 板(石 綿 な ど),ア ル ミニ
ュ ー ム プ レ ハ ブ な ど が 多 くな っ て い る 。 最 近 中 心 街 密 集 地 区 の 新 築 建 物 は,防 火 的 な レ ン ガ,ブ ロ ッ ク構 造 を 義 務 づ け て い る し,一 般 ブ ロ ッ ク住 宅 も あ る が,熱 帯 の 住 環 境 に 適 した も の と は い え な い[杉 本 1977:1‑19]。
ト レス 海 峡 の 他 の 島 々 で も,屋 根 材 料 は ほ と ん ど ト タ ン が 普 及 して い る 。 伝 統 的 な コ コ ヤ シ 葉 を 用 い た も の(コ コ ヤ シ の 葉 を 編 ん で シ ー トを つ く り,こ れ を 半 重 ね に し て 葺 く)は,最 近 ま で 交 通 不 便 だ っ た ス ー 島(ス ー 島 に は コ コ ヤ シ 葉 を 編 ん だ も の を
写 真9 コ コヤ シ葉 を 中 肋で わ けて編 み,シ ー トを 作 る
国立民族学博物館研究報告 7巻1号 用 い る 民 家 は23戸 中9戸,そ の う ち 壁 面 も屋 根 も コ コ ヤ シ 葉 を 用 い た も の は2戸 しか
な い)と コ コ ナ ツ 島 に 僅 か に 残 って い る の み で あ る 。 パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ プ 南 西 岸 に 近 い ボ イ グ 島 に は,ニ ッ7xeヤ シ の 葉 を 使 っ た 高 床 住 居 が2戸 あ る 。 こ れ は 対 岸 の マ バ
ダ ウ ア ンか らの 移 住 者 で あ る。
壁 面 の 材 料 は,ハ モ ン ド島 で は 石 綿 が 多 く(38%),ア ル ミニ ュ ー ム プ レ ハ ブ24%, トタ ン14%,ブ ロ ッ ク24%。 ス ー 島 で は 石 綿39%,ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レ ハ ブ12%,コ コ ヤ シ葉39%,マ ビ オ グ 島 で は 石 綿68%,ト タ ン25%,バ ドウ 島 で は 石 綿53%,ト タ ン26%,ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レハ ブ21%と な り,い ず れ も新 し い 材 料 で あ る 。 屋 根 の 場 合 と 同 じ く,伝 統 的 材 料 は ご く最 近 ま で 交 通 不 便 だ っ た 小 離 島 ス ー 島 や コ コ ナ ツ 島 な ど に 残 って い る の み で あ る 。
4・1・2 パ プ ァ ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸
パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 側 の ダ ル ー 市 街 地 に 接 した 外 側 に 位 置 す る ダ ル ー ・コ ナ の う ち11の コ ナ に つ い て 調 査 を した 。11コ ナ 全 般 に つ い て み る と,屋 根 材 料 は ニ ッパ ヤ シ の 葉 を 用 い た も の が49%,ト タ ンが51%。 壁 面 材 に つ い て は,ニ ッパ ヤ シ47%,ト タ ン25%,石 綿1290,残 り は トタ ン,石 綿,ニ ッパ ヤ シ,パ ンダ ナ ス な ど 各 種 材 料 を 併 用 し て バ リエ ー シ ョ ン に 富 ん で い る[杉 本 1981:54‑58]。
屋 根 と壁 面 の 材 料 に つ い て,伝 統 的 な 総 ニ ッ パ ヤ シ 造 り の 民 家 と,ト タ ンや 石 綿 な ど 新 し い 材 料 か らな る 民 家 を 両 端 と し,そ の 間 に 過 渡 的 な もの と し て7種 類 を 配 列 し 11コ ナ 別 に 集 計 した の が 表1で あ る 。 各 コ ナ は ほ ぼ 来 住 時 期 の 古 い も の か ら並 べ た が,
屋根材
表1 屋 根,壁 面 の 材 料(ダ ル ー ・コナ)
トタ ン トタ ン ト タ ン トタ ン ニ ツ ノ'ξニ ツパ ξ
(1979。9)
コ ナ
壁桝 石 綿
トタ ント タ ン ニッパ ξ
ニ ツ ノNe石 トタ ン 綿
トタ ン 二 ・ツ ノ'ξト タ ン
ニ ツパ
マ バ ダ ウ ア ン パ ラ マNo.1
ツ レ ツ レ
カ タ タ イ
サ マ リ
セ ペ
イ ピ シ ア
セ ヴ ェ リ マ ブ マ ダ メ1コ ア ブ
ワ ブ ダ
ボ ゼ
計
12 5 5 2 3 0 0 0 0 0 0
27
5 7 20 2 9 2 0 0 0 0 1
46 1 1 5 0 3 1 0 0 0 0 0 11
1 0 8 1 5 4 1 0 1 0 1 22
1 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 4
1 0 0 1 2 1 2 1 0 0 0 8
0 0 3 1 1 1 1 4 1 0 0 12
ニ ツ ノぐ
0 2 12 4 4 7 14 10 14 6 3
76
計
21 15 55 11 28 16 18 15 16 6 5
206
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
写 真10す べ て ニ ッパ ヤ シ葺 きの 高 床民 家(マ ダ メ ・コナ)
コナ 自体 変 化 が 激 し く,来 住 の古 い コ ナで も,新 移 住 者 が多 くを 占め て い ると ころ も あ る。
比較 的 早 く来 住 した マバ ダ ウ ア ン,パ ラ マNo・1は 市 街 地 に接 す る区 画 にあ り,す で に街 区 の一 部 を な して い る。 これ らの コナ は トタ ンや 石 綿 板 を 用 い た もの が80%を
占め,伝 統 的 材 料 を用 い た もの は皆 無 か 僅少 で あ る。
ボ ゼ,ワ ブ ダ,マ ダ メ な ど 新 し い コ ナ ほ ど,立 地 も海 岸 や 湿 地 林 に 近 く な り,ニ ッ パ ヤ シや パ ンダ ナ ス な ど 伝 統 的 材 料 を 使 っ た 民 家 が 多 く な る 。 新 旧 の 各 種 材 料 を 併 用
し た 過 渡 的 な 家 も 目 立 ち,こ れ が コ ナ の 村 落 景 観 を 雑 然 と した も の に し て い る 。 ダ ル ー ・コ ナ の 場 合,ニ ッパ ヤ シ の 葉 は, 対 岸 の オ リオ モ 川 流 域 の も の が 多 い 。 軸 に
は 竹 を 使 い,ニ ッパ ヤ シ の 葉 を 二 つ 折 に し て,・ 葉 柄 で と め る 。 長 さ約1.7m,幅 約 80cmの シ ー トを つ く る 。
セ ペ(キ ワ イ 島)で は コ ボ ボ ウ ェ リ(kobo bo weri),フ ラ イ 川 畔 の セ ヴ ェ リマ ブ で は
ナ ウ ウ ェ リ(nau weri),テ ィ リオ で は エ ラ ドガ(eradoga)な ど 種 々 の 名 称 が あ る 。 こ の ニ ッパ ヤ シ の シ ー トは 半 重 ね に し て
写 真fl トタン屋 根,石 綿 壁,ル ー バ 窓つ きの民 家(マ バ ダ ウ ア ン ・コ ナ)
25
国立民族学博物館研究報告 7巻1号
写 真12ニ ッパ ヤ シ の 葉 を 編 ん で シ ー トを 作 る(マ ダ メ ・コ ナ)
葺 き あ げ,押 え に 竹 を 使 って い る もの が 多 い 。 棟 の 部 分 は 二 重 に葺 く。 屋 根 の 場 合 約 2年 で 葺 き か え る場 合 が 多 い 。 サ ゴ ヤ シ の 幹 の 一 部(表 皮)'を 使 う 例 も あ る 。 僅 か だ が,パ ンダ ナ ス の 葉 を 編 み あ げ た も の(パ テ レ,patere)を 壁 材 に 使 う家 も
あ る 。 屋 内 の 部 屋 の 間 仕 切 り に も ニ ッパ ヤ シ を 多 く用 い て い る 。
パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 南 西 岸 の マ ワ タ で は,14戸 全 戸 が ニ ッパ ヤ シ葺 き の 屋 根,壁 面 も全 戸 ニ ッパ ヤ シ の 葉 を 編 ん だ もの を 用 い て い る。 水 浴 用 の シ ェ ル タ ー も,商 店 も, 教 会 も ニ ッパ ヤ シ づ く り で あ る。 新 材 料 トタ ン は み ら れ な い[松 本 1980:133‑183]。
ダ ル ー の 各 ゴ ナ で 本 村 の 状 況 を き く と,コ ナ よ り も伝 統 的 材 料 が 多 く用 い られ て い る と い う 。 ほ ど ん ど新 建 材 に な った ト レ ス 海 峡 諸 島 の 民 家 と は か な り の 格 差 が み られ る 。
4・2屋 根 型
屋 根 型 は全 般 に切 妻 型 が 多 い 。Haddonの 報 告 書 で は寄 棟 型 の記 述 が あ る が,現 在 で は 切妻 型 が 大 半 を 占め て い る。 ベ ラ ンダ と の関 連 もあ り,庇 を もつ もの が 多 い。
木 曜 島 に は洋 風 熱 帯 住 宅 の 各 様 式 が あ り,切 妻 以 外 に寄 棟,方 形 ピラ ミ ッ ド,入 母 屋,片 流 れ な ど が あ る。 個 人 の嗜 好 も反 映 して い る ので あ ろ う。
ス ー島,コ コナ ツ 島 に僅 か に残 る コ コヤ シ葉 葺 き の住 居 も全部 切 妻 型 で,棟 の両 端 と 中 間 に1本 加 え た棟 持 柱 を た て た 簡 素 な構 造 で あ る。
パ プ ァ ・ニ ュ ー ギ ニ ア南 西 岸 で は,ダ ル ー市 街 地 が や や 木 曜 島 と類 似 して い るが,
切 妻 型 が大 半 で あ る。 ダ ル ー ・コ ナで も新 旧材 料 共 切 妻 が 多 く,単 純 な片 流 れ 屋根 が
少 しあ る。 小屋 な ど付 属 建 物 に は片 流 れ が 比 較 的多 い。
杉本 トレス海峡地域の集落 と住居
4・3 高 床 式(杭 上 家 屋)と 地 床 式(土 間 式) 4・3・i トレ ス 海 峡 諸 島
ト レス 海 峡 諸 島 で は,19世 紀 末 に は,単 純 な 屋 根 を も つ 地 床 式 住 居 が 優 占 的 で あ っ た 。 現 在 消 滅 し て い る が,東 部 諸 島 に あ った 円 形 住 居 は,全 面 土 間 で は な く,一 部 に 床 が 張 られ て い た 。 当 時 の 新 し い タ イ プ の 住 居 と して,長 方 形(方 形)平 面 で 狭 い 土 間 と 低 い 床 を も つ 型 と 高 床 住 居(杭 上 ・高 さ1.3m)が あ った 。 これ ら の 型 は 南 海 や パ プ ア ・ ニ ュ ー ギ ニ ア 海 岸 部 の 建 築 様 式 の 折 衷 型 で あ る[WILKIN and HADDoN 1912:93‑119]。
現 在 ト レ ス 海 峡 の 島 々 で は 高 床 住 居 が 過 半 を 占 め る[表2]。 地 床 式 で は コ ン ク リ ー ト床 の も の や,コ ン ク リー トで 基 礎 を つ く り,少 し床 を あ げ た(40… 」50 cm)型 が 多 い 。 か つ て の 地 床 様 式 の 残 存 形 態 か も しれ な い 。 近 年 建 て られ た 連 邦 政 府 住 宅 は 鉄 パ
表2高 床,地 床 の 分 布
地域,村 落
指 標
ト レ ス 海 峡 諸 島 ダ ル ー ・ コ ナ 南 西 岸
木曜島市街地
タ モ イ
ハ モ ン ド
ス ー
ヤ ム
ヨ ー ク
ボ イ グ
マ ビ オ グ
バ ド ウ
ダ ー ン リ ィ
サ マ リ
セ ペ
イ ピ シ ア
パ ラ マNo.1
マ ダ メ
ワ ブ ダ
ツ レ ツ レ
カ タ タ イ
ボ ゼ
セ ヴ ェ リマ ブ マ バ ダ ウ ア ン
マ ワ タ
高 床
high block loW block
137 43 14 3 6 5
3 12
16
21 105
26 1 2 15 14
13 31
26 14 16 13 12 6 43 11 5 6 21
7
2 2 2 2 4 0 12 0 0 9 0
7
地 床
29 2 14 18 10 9 14 12 15 12
O O O O O O O O O O O
0
計
171 71 29 31 31 28 30 28 58 33
28 16 18 15 16 6 55 11 5 15 21
14
国立民族学 博物 館研究報告 7巻1号
写 真13伝 統 的 民 家 は主 屋 と炊事 舎(右 端)が 別 棟形 式(ス ー 島)
イ ブ の高 床 式,州 政府 住 宅 は コ ンク リー ト床 の地 床 式 が 多 い。 ス ー島 な ど に僅 か に残 って い る コ コ ヤ シ葉 づ くりの 伝統 的民 家 の事 例 を示 す 。
事 例(ス ー 島) 切 妻 ト タ ン葺,コ コ ヤ シ 葉 壁,規 模6。Om×6.2m,こ れ に1.65mの 庇 が 出 て い る 。 コ コ ヤ シ の 葉 を 編 ん だ シ ー ト(2・7m×0・6m)[ワ ル バ ウ ・ ピ ウ warbau piu]を30 cm ず つ 重 ね て 壁 面 を つ く る 。 外 側 は ヤ ム 島 産 の 竹 で 押 え る。 屋 内 は 一 室 だ が,最 近 奥 か ら1.8m幅 に 柱 を た て,ビ ニ ー ル 幕 を 張 っ て2室 に して い る 。 こ の 狭 い 奥 の 空 間 は 砂 地 で,物 置 。 他 の 部 分 は 寝 室,居 間(utui・ ・lag, niai‑lag)で,40 cm盛 土 を し,板 床 を 並 べ て,パ ン ダ ナ ス 製 の マ ッ トを 敷 い て い る 。 炊 事 場 は 別 棟 で 四 方 トタ ン壁 で 土 間(砂 地)。 食 事 兼 作 業 場 で あ る 。 小 突 出 部 に ガ ス レ ン ジ を 置 い て い る 。