48 1 ねらい
石庭、能、水墨画、連歌など、室町時代の文化の多くが差別された人々によって担われたもの であることを知るとともに、優れた知識や技術、芸能をもちながらも差別された人々の悲しみを 感じとり、なぜ差別が生まれたのかを考える。
2 進め方
(以下、< >内に予想される生徒の答えを記す。) (1) ワーク 1 について
① ワーク 1 にあげられた①~⑥の文化や文化財の中で知っているものに○をつける。
② ワーク 1 にあげられた①~⑥の文化や文化財について簡単な説明を聞く。
(2) ワーク 2 について
① 慈照寺(銀閣)の庭園の写真(社会科の教科書に掲載されているものなど)を見て、感じ たことを書く。<きれい。風流。…>
② 慈照寺(銀閣)の庭園をつくったのはどんな人か、考えて書く。<センスのいい人。自然 に対する知識のある人。庭づくりの技術をもった人。…>
③ 慈照寺(銀閣)の庭園をつくった人は人々からどのように思われていたか、考えて書く。
<尊敬されていた。慕われていた。…>
(3) ワーク 3 について
① 又四郎の「わたしは、人々から差別される立場にあることを心から悲しいと思う。」とい う言葉を聞いて、感じたことを書く。<こんなにすばらしい庭園をつくった人が差別されて いたなんて驚いた。…>
② 「又四郎の言葉」から当時の日本がどのような社会だったか、考えて書く。<差別される 立場の人々がいる社会。差別する人がいる社会。差別することが認められている社会。…>
③ ワーク 1 にあげられた①~⑥の文化を担った人々も、又四郎のように差別されたことを 知る。また、彼らが差別された理由を聞く。
④ 「又四郎の言葉」が生まれた理由(=又四郎が差別された理由)を知って、感じたことを書く。
<特別な技術や技能をもっているというだけで差別するなんておかしい。…>
(4) ワーク 4 について
① ワーク 1 ~ 3 をふりかえって、気づいたことや考えたことを書く。
3 解説
古代や中世の人々は、地震や洪水のような天変地異や、人や動物の生死など、それまでの状態 に変化をもたらす力を「ケガレ」として非常に恐れていました。そして、この「ケガレ」を元の 状態に戻すことを「キヨメ」として大切にしてきました。
こうした意識は、古代には貴族や朝廷周辺にしか見られませんでしたが、平安時代の終わりご ろになると次第に民衆の間に広まっていきました。
ちょうどそのころ、大きな川の河原に様々な事情から住みつく人が現れるようになります。当 時の人々にとって河原は、「ケガレ」を「キヨメ」るための水が存在する場であり、川という人
14
同和問題
又四郎の言葉
49
児 童
・ 生 徒 間の支配の及ばないものの流れる地であり、あの世とこの世の境目である特別な場所でもありま
した。そういう河原に住みついた「河原者」と呼ばれる人々は、当時の人々から人知の及ばない 霊力をもった存在と考えられ、牛馬の解体や死体の処理、町の清掃といった「ケガレ」を「キヨ メ」る仕事や、屋根葺きや井戸掘り、庭づくりといった自然に手を加える仕事、猿楽や能楽、く ぐつ(操り人形)といった神との対話としての芸能に携わるようになりました。
ところが、時代が下るに連れ、こういった人たちに対する見方が次第に「特別な技術や技能を もった人たちだ。」という「畏怖・畏敬」から、「差別すべき対象、排除すべき対象だ。」という「賎 視」へとかわっていきます。
その結果、又四郎のように、様々な技術や技能で人々の生活を支えていた人々が差別されるよ うになったのです。
ワーク 1 では、導入として、差別された人々の知識・技術・芸能が発展させた中世の民衆文 化を思い起こさせます。関連する図版を提示するなどして、児童・生徒の興味を引くようにして ください。
ワーク 2 では、慈照寺(銀閣)の庭園という、文化的・芸術的価値が視覚的にわかりやすく、
児童・生徒にとっても比較的馴染みのある題材をとりあげます。そのすばらしさからそれをつ くった人々が当然尊敬されたであろうことに児童・生徒が思いを致したところで、ワーク 3 の
「又四郎の言葉」を聞かせます。
ワーク 3 の「又四郎の言葉」は、「鹿苑日録」という相国寺鹿苑院の歴代院主の日記に記され ているもので、賎視された人間の言葉としては、現存最古のものといわれています。あらかじめ 紙に書いたものを掲示するなどして、児童・生徒がワーク中いつでも「又四郎の言葉」を読める ようにしてください。
又四郎は、足利義政に寵愛された庭づくりの名人、善阿弥の孫で、慈照寺(銀閣)の庭園は、
善阿弥とその子小四郎、孫の又四郎の三代によって完成されたといわれています。又四郎も庭づ くりの名手であり、その技術は高く評価されていました。その又四郎が、親しかった相国寺鹿苑 院主周麟に語った言葉が、前述の「又四郎の言葉」です。
「又四郎の言葉」から、どんなにすばらしい知識や技術、芸能をもっていても理不尽に差別さ れた人々の悲しみを感じとらせるとともに、異質なものに対する忌避が差別へとつながることに 気づかせます。
なお、差別された人々の知識・技術・芸能が発展させた中世の民衆文化とその担い手には次の ようなものがあります。
○ 相国寺、龍安寺、天竜寺、西芳寺、慈照寺(銀閣)などの庭園:善阿弥、又四郎(山水河原者)
○ 猿楽、田楽 → 能楽:観阿弥、世阿弥
○ 水墨画:能阿弥、芸阿弥、相阿弥(河原者)
○ 華道:文阿弥(河原者)
○ 連歌:木阿弥、量阿弥(河原者)
これらの文化が、当時だけではなく、現代にも生きる文化であり、わたしたちの生活を潤すも のであることにも気づかせたいものです。
室町時代の文化に限らず、同和問題にかかわる内容は、社会科の教科書に載っています。しか し、教師側で意識しないと、深く掘り下げて扱われることはありません。このワークをきっかけ に、教育課程の中で同和問題にかかわる学習をどう位置づけるのかを考えるとともに、年間指導 計画づくりにも生かしていくことが大切です。
<参考資料など>
・「部落史に学ぶ 新たな見方・考え方にたった学習の展開」外川正明(平成 13 年)
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( )年( )組( )番( )
次にあげた日本の文化や文化財について、知っているものに○をつけましょう。
① ( ) 慈照寺(銀閣)の庭園
② ( ) 龍安寺の石庭
③ ( ) 能
④ ( ) 水墨画
⑤ ( ) 華道
⑥ ( ) 連歌
慈照寺(銀閣)の庭園の写真を見て、考えてみましょう。
1 慈照寺(銀閣)の庭園の写真を見て、感じたことを書いてみましょう。
2 慈照寺(銀閣)の庭園をつくったのは、どんな人だと思いますか。
3 慈照寺(銀閣)の庭園をつくった人は、人々からどのように思われていたと思いますか。
ワーク 1
ワーク 2
又四郎の言葉
1 -⑭
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児 童
・ 生 慈照寺(銀閣)の庭園をつくった「又四郎の言葉」について考えてみましょう。 徒
1 「又四郎の言葉」を聞いて、感じたことを書いてみましょう。
2 「又四郎の言葉」から当時の日本がどのような社会だったか、考えてみましょう。
3 「又四郎の言葉」が生まれた理由を知って、感じたことを書いてみましょう。
ワーク 1 ~ 3 をふりかえって、気づいたことや考えたことを書いてみましょ う。
ワーク 3
ワーク 4