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農業保護貿易制度の歴史的検討 : 19世紀末ドイツ の農業保護関税

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農業保護貿易制度の歴史的検討 : 19世紀末ドイツ の農業保護関税

著者 村田 武

雑誌名 金沢大学経済学部論集 = Economic Review of Kanazawa University

7

1

ページ 97‑124

発行年 1986‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/2297/24012

(2)

農業保護貿易制度の歴史的検討

-19世紀末ドイツの農業保護関税一一

村田

はじめに

I農業保議貿易体制の成立

Ⅲ農業保護貿易とドイツ農業

はじめに

GATT「自由貿易」体制の存在をおびやかし続けてきたのが,農産 物貿易問題であること,しかも先進国の国内農業保護のための国境措置で あることは,いまさら強調するまでもない。GATT規約第11条2(c)(数量 制限の一般的廃止についての例外規定),第25条5(ウエイバールさらに 輸出補助金,国家貿易,緊急輸入制限などは,いずれも何よりもまず農産物 について適用されたのである。たとえば,IMF6GATT体制の主導国である アメリカ自身が率先して,ウエイパーの適用を自国農業保護のために獲得し たという事実がある。他方で,EC共通農業政策は,工業品.農産品同時輸 出国アメリカの主導下に編成された戦後の国際貿易構造にたし、する西欧先進 諸国の対抗関係を政策化したものともいえる。日米貿易摩擦では農産物残存輸 入制限品目がわが国の「保護主義」の象徴にまつりあげられてきた。戦後の 国際貿易における農産物問題は,発展途上国の一次産品交易条件にかかわる 問題だけでなく,先進国間貿易の問題でもあったのである。

なるほど今日の先進国の国家独占資本主義的農業保護政策は,通商政策手 段(国境措置)による対外的保議にとどまらず,直接的な農産物過剰対策。

生産制限政策とリンクされた農産物価格支持政策として展開されており,そ

-97-

(3)

金沢大学経済学部論集第7巻第1号1986.12

のかぎりで外国貿易論にはおさまりきらなくなっている。しかし,独占資本 主義段階の農業保護政策は,いうまでもなく19世紀末大不況のもとでカルテル 関税と同時に設定された農業保護関税制度にはじまるものであって,その後 1930年代大恐`慌にいたる過程で国家独占資本主義的農業保護政策体系として ほぼその完成をみたものである。もちろん第1次世界大戦後の国独資農業保 謹政策,さらには第2次世界大戦後の現代国独資農業保謹政策と19世紀末か ら第1次世界大戦までの農業保謹政策を同質なものとして直接つなげて理解 するつもりはない。しかし,先進国画今日,高まっているとされる「保護貿 易主義」のなかでは農産物貿易問題が重要な一環をなしており,このような 現代保護貿易主義の性格の経済学的解明が外国貿易論にとって重要な理論的 課題のひとつであることからしても,農業保護貿易については,独占資本主 義段階のそれを全体としていま少し歴史的に検討しなければならない問題を

残していると考えられる。

このような研究の一環として,ここでは19世紀末から第1次世界大戦にい たるドイツにおける農業保護関税制度に焦点をあてることにする。ドイツを 分析の対象とした意味合は,以下で検討するように,第1にドイツでは独占 的保謹関税たるカルテル関税と-体で農業保護関税が導入・整備されて,帝 国主義的貿易政策として機能する側面を有したこと,第2にこの農業関税が 独占資本主義段階の農業保護が国内農業におよぼす影響を分析するうえで,

農業部門がユンカー階級と農民層との二重構造のもとにあったドイツは,資 本制農業支配のイギリスとも,また農民経営支配のフランスとも異なって-

つの典型たりうること,さらに第3に,ドイツは当時の農業保議をめぐる論 争においても,今日にいたる研究史においても,数多くの資料を提供してくれ

ることにある。

I農業保護貿易体制の成立

1873年にはじまる大不況を契機とする独占資本主義への移行にともなって,

各国の貿易政策は独占資本の市場独占指向に照応して保護貿易主義に転換す る。しかし,いまやその保鐡はまず第1に独占的基幹産業たる重化学工業部 門にたいするカルテル関税への転化,つまり独占的保護貿易政策(超保護主

-98-

(4)

農業保鍍貿易制度の歴史的検討(村田)

義)への転化をともなうものであった。

ドイツにそくしてこれをみれば,ビスマルクによる1879年の新関税定率の 導入にはじまり,1890年代にはカプリヴイのもとでの通商条約体制の構築(い わゆる「新コース」政策),そして1902年のヴユーロウ関税改革にいたって このようなカルテル関税体制がほぼまとまった姿をとることになる。

このようなドイツにおけるカルテル関税,したがってその帝国主義的貿易 政策の成立過程については,わが国の国際経済学分野でもすでに数多くの研 究がある。とりわけヒルファデイングの保護関税論を視野に入れながら,19 02年の関税改革,つまリヴューロウ関税をドイツの帝国主義的貿易政策の典 型として位置づけ,そのような関税改革の背景,なかんずくそれの1879年ビ スマルク関税との本質的な差異の解明を前提にして,その歴史的意義なり役 割なりを明らかにしようとしてきた。

たとえば藤村幸雄教授は,カプリヴイ「新コース」政策が1890年代後半に 行きづまり,貿易政策の再転換=保謹政策の再強化がうながされる諸要因を 次の4点で整理した:)

第1に,ドイツの帝国主義的進出のための軍備,ことに強力な海軍力(艦 隊)の建設のための財源調達が関税収入の増加を要請したこと,第2に鈩農 業恐,虎の深化にともなってユンカーの保謹再強化の要求が強まったこと,第 3に,帝国主義列強間の国際市場争奪戦が激化したこと,とくに1897年 のアメリカのディングレイ関税法の成立,カナダの対イギリス本国特恵関税 の採用などが,ドイツにたいしても保護政策をさらに強化せざるをえなくさせ たこと。第4に対労働者問題。つまり力を強めつつある労働運動に対抗する ために,本格的な形成過程にあった金融資本としては,「新コース」政策の もとで離反していたユンカーを中心とする国内の農業的利害との結合をはか り,支配体制を強化する必要があったこと。このような4条件が,かつての

「穀物と鉄の同盟」段階から,ヴューロウ宰相のもとでのいわゆる「結集政策」

段階へ保謹貿易体制を大きく推進し,保護政策の再強化による金融資本の 利害と農業的利害との調整がこの政策の不可欠の一環となった。

またドイツ資本主義論の分野では,「ユンカー利害とブルジョアジー上層

の利害共同態])したがって「農エ複合の保護関税体系」=カルテル関税と農

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金沢大学経済学部論築第7巻第1号1986.12

業保謹関税の統合にドイツ資本主義類型の特質を見い出す論理を基礎に,そ の前提条件として1890年恐`慌後の不況期に重化学工業分野での資本集中.結 合が大きく進んだこと(たとえば1893年にはライン・ヴェストファーレン石 炭シンジケートが成立),1885年を転換点としてドイツ資本主義が大不況期 を脱し高度蓄穣の新段階に移行すること,その過程で1891-94年の「中欧通 商諸条約」(diemitteleuropiiischenHandelsvertriige)体制が構築され,19 02年ピューロウ関税改革は,この中欧通商条約体制を継承しつつ保護貿易体

制の強化をはかったところに注目してきた:)

そして国際経済学,ドイツ資本主義論のいずれからも共通して,1902年ビ ューロウ関税法は,第1に工業品関税(一般工業品では鉄鋼製品,綿・羊毛 製品関税引きあげ,銑鉄関税率は1879年ビスマルク関税以来の100kgあたり1 マルクに据え置き)そのものがカルテル関税としての性格をいっそう渡厚に

したこと{)第2に「農産物を中心とする関税率の再引きあげ,とくに主要穀

物についての最高・最低税率を設ける複関税制度や,最恵国条項を実質的に 形骸化する課税品目の細分化,報復関税制度の設定などは,それまでのドイ ツ関税制度にはみられなかった特徴であって,制度自体としても帝国主義的

な性格をそなえていた】)ことも強調されてきたのである。

さて,ここで焦点を農業保謹貿易にあわせよう。

エ業品カルテル関税と一体で導入された農業保謹関税の性格に関しては,

うえの藤村教授の指摘にもみられるように,1902年ヴューロウ関税では主要 穀物についての複関税制度を設定し,関税率も大きく引きあげられたこと,

またそれに先行する1894年のいわゆる「同一性証明」の廃止.「穀物輸入証 明書」の発行,つまり事実上の穀物輸出奨励金制度の導入などとも結びつい て,農業保護関税制度そのものが帝国主義的貿易政策の武器たりえたことも 指摘されてきた。

帝国主義的貿易政策の武器としての機能をはたしうるまでに体系化される にいたったとされるドイツ帝国主義の農業保謹関税体系の成立過程を追跡す るのが,まずここでの課題である。

第1表は主要農産物についての関税率をしめしてある。

1879年ピスマルク関税にはじまる農業保謹関税は,第1段階は1892年まで

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(6)

農業保漣貿易制度の歴史的検討(村田)

の「穀物と鉄の同盟」時代たるピスマルク関税期,第2段階はそれの一時的 軌道修正期としてのカプリヴイ「新コース」・中欧通商条約体制期(1892~

1906年),そして第3段階(1906~1914年)は「結集政策」への再転換のも とでのビューロウ関税改革による農業保謹の新たなレベルでの強化と帝国主 義的貿易政策としての整備と,このように3段階に時期区分できる。

ドイツ農業保護関税は一般に穀物を根幹にするものとされてきたが,その さいの穀物とはパン穀物(小麦とライ麦)を意味するものであって,パン穀 物と飼料穀物(とくに大麦,とうもろこし)については保護対象としては区 別されていた。

第1にパン穀物である。

1879年ビスマルク関税によって,小麦・ライ麦はそれ自体としては「節度」

のある関税率とされた100kg当たり1マルクの関税カゼ賦課され,ここに保護6)

関税制度が導入されたのであるが,1880年代前半の農業恐'慌の激化による穀 物価格の崩落(ドイツの穀物関税に対抗するロシアの鉄道運賃引きさげや大 西洋海上運賃の低下のはたした役割が大きい)にともなって1マルク関税が 保護機能を発揮できなくなる段階において,85年には小麦・ライ麦関税率を 3倍化(3マルクへ)し,さらに87年には5マルク関税率へ引きあげ,「ビ

スマルク時代の保護関税運動の頂点」とよばれる段階を迎えるのである?

また,穀物については輸入関税の引きあげと並行して,1879年ピスマルク 関税法と同時に穀物再輸出にたいする戻し税制度が実施されることになった。

穀物を輸入して,再輸出する場合,輸出穀物が輸入された穀物と同一である ことが証明されるかぎり(いわゆる「同一性証明」),輸入関税を再輸出分だ け払いもどす制度(穀物再輸出報奨制度)が主にユンカーや穀物貿易商の要 求にもとづいて実現されたのである:)

このような穀物保護関税を一時的に軌道修正させたのが,ビスマルクの失 脚(1890年3月)ののちの新宰相カプリヴイの「新コース」.中欧通商条約 体制の成立であった.カプリヴイ「新コース」は1892年の大通商条約(対オ ーストリア=ハンガリー,イタリア,ベルギー,スイス),93年の小通商条 約(対ルーマニア,スペイン,セルビア),そして94年の対ロシア通商条約

(これでドイツはロシア産穀物とついて対オーストリア=ハンガリー関税率

-101-

(7)

金沢大学経済学部論巣第7巻第1号1986.12 第1表主要農産物についての関税率

(マルク)

ピスマルク関税期 ヴューロウ関税

J1

:2-190 定関挽

-14b

小麦(100kg当たり)

ライ麦(〃)

えん麦(〃)

、大麦(〃)

00m0画0

0.50

一釦》釦■G』●33}1{1

2.25

3.50 3.50 2,80

5.50

醗造用4 飼料用1.30 とうもろこし(

雄牛(1頭当たり)

種牛(〃)

雌牛(〃)

若令牛(〃)

仔牛(〃)

豚(〃)

仔豚(〃)

ガチョウ 鶏とその他家畜 生鮮肉(100kg当たり)

冷蔵肉(〃)

冷凍肉(〃)

-次調理済肉(〃)

職終調理済肉(ノリ)

家禽肉(〃)

パター(Ⅱ)

チーズ(硬質)(〃)

鶏卵(〃)

ワイン(〃)

粗糖(〃)

0.50

0 1.60

(鐘\)8

0053

■■066422000 099636100 釦99636100

25.50

豚肉17 その他15

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17

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坦一釦釦3 1←222『003 旭一猫応2

87.7 00322

(注)

(出所)

a・オーストリア=ハンガリー,イタリアとの協定関税率。

b、1902年ヴューロウ関税法が諸通商条約によって発効した際に実施された関税率。

M・トレイシー「西欧の農業』(阿瞥村・瀬崎訳),88ページ。ただし1865年につい てや,畜産物については,DWOttawa(本文注11)参照)やStatistischesJahr‐

buchfUrdasDeutsCheReich,1881,s、78-80などで補足。粗糖についてはU TeiChmann(本文注17)参照)による.

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(8)

農業保霞貿易制度の歴史的検討(村田)

と同じ関税率を適用,ロシア側はドイツの鉄,鋼,機械,化学製品など141 項目について10-15%関税率を引きさげた)にみられるように,穀物をはじ め主要農産物関税率を引きさげた。小麦・ライ麦関税率(対オーストリア=

ハンガリーをはじめとする協定関税率)は3.50マルクに引きさげられているP:

しかし,穀物価格は1891年の全ヨーロッパ的大凶作による未曽有の騰貴(ベ ルリン価格で1891年には1t当たり小麦224マルク,ライ麦211マルク)のの ち,90年代前半には再び急落(1894年には同じく小麦は136マルク,ライ麦 は118マルク)し,カプリヴィ政府の通商条約政策・農業関税切りさげに対抗 する農業者(1893年腱業者同盟を創立)は,対ロシア通商条約締結に反対す る闘争のいわば成果として,1894年には「同一性証明」撤廃と「穀物輸入証 明書」(譲渡可能な無記名債券)発行による穀物輸出奨励金制度の導入をか

ちとることになる19)つまり,関税とならんで1879年に制度として導入された

が,輸入穀物の再輸出奨励にとどまっていた「同一性証明」制度を廃止し,

国産穀物の輸出促進そのものを狙って,国産穀物の輸出量に応じて同一量の 穀物を無税で輸入できる制度を実現したのである。

ヴューロウ新宰相の「結集政策」のもとでの農業保謹再強化策にともなっ て,小麦・ライ麦関税は,1902年新関税法では最高}・股低税率(複関税率)

を設定し,通商条約による協定関税率の譲歩に限界をおくことになった。ロ シアなど7カ国との協定関税率は1906年3月に発効している。小麦関税は5,

50マルク,ライ麦関税は5マルクと,ピスマルク関税期の最高税率なみにな

った。

次に飼料穀物である。

飼料穀物の関税率については,輸入飼料穀物に依存する国内畜産にたし、す る配慮があって,ビスマルク関税期いらいパン穀物に比較して低率とされて

いる!)ただし,えん麦が大麦やとうもろこしと比較して高い関税率であった

のは,それが主に馬用飼料であって国内生産量が大きく(小麦,ライ麦,大 麦,えん麦の4大穀物中ライ麦につぐ作付面積と生産量である),しかもユ ンカーや大農層にとってライ麦につぐ販売穀物であったために,国内価格を 維持することへの関心が高かったことを反映している。

飼料穀物関税について注目しなければならないのは,ヴューロウ協定関税

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(9)

金沢大学経済学部篭巣第7巻第1号1986.12

において飼料大麦ととうもろこしの間に設定された関税率格差である。

まず大麦については醸造用(主にオーストリア=ハンガリーから輸入)'2)と

飼料用とで大きな格差がつけられ,とくに飼料用大麦については100kg当た り1.30マルクと1885年関税率よりも低率になった。他方で,同じく飼料穀物 たるとうもろこしについては,100kg当たり3マルクで1892年のカプリヴイ 協定関税率の2倍に引きあげられた。この飼料用大麦ととうもろこしにたい する新関税率の差別は,飼料用大麦の主な輸入相手国がまずロシア次いでオ ーストリア=ハンガリーであり,とうもろこしのそれがアメリカであること とかかわっているのであって,中欧新通商条約の締結の実現と対アメリカ貿 易の不均衡是正とを両立させようとした政策の反映である。'3)

次に畜産物にたし、する保護である。

ビスマルク関税いらい19世紀末のドイツ農業保護関税が穀物関税を根幹と するとされながらも,同時に家畜や食肉・乳製品など畜産物についても 関税を導入し,保謹対象としてきたことを強調しておかなばならない。18 79年ビスマルク関税は雄牛(去勢牛)20マルク(1頭当たり),雌牛.種牛 6マルク(同),豚2.50マルク(同),食肉(全種類)12マルク(100kg当たり)を 設定し,雄牛(1885年に30マルクに引きあげ)をのぞき,この関税率はその 後カプリヴィ協定関税にまでほぼ引きつがれる。これをいっきょに引きあげ たのはビューロウ協定関税である。ヴューロウ協定関税は家畜従量関税をそ れまでの1頭当たりから生体重100kg当たりに切りかえ,結果的には関税率 の大幅引きあげを実現した。この時期の輸入家畜1頭の平均生体重は,雄牛 500kg,種牛500kg,雌牛400kg,若令牛200kg,仔牛75kg,豚100kgであるか ら,1906年協定関税(生体重100kg当たり)をそれぞれ1頭当たりに換算する と,雄牛と種牛は40マルク,雌牛は32マルク,若令牛は16マルク,仔牛は6 マルク,豚は9マルクとなる。'4)

さらに畜産に関して重要なのは,1879年関税の導入と並行して,翌1880年 には「家畜防疫法」(Gesetz,betreffenddieAbwehrundUnterdriickung vonViehseuchen,vom23Junil880)や,「アメリカ産豚肉.ソーセージ 輸入禁止令」(Verordnung,betreffenddasVerbotderEinfuhrvonSch- weinefleischundWilrstenausAmerika,von25.Junil880)が制定さ

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(10)

農業保鐡貿易制度の歴史的検肘(村田)

れ,家畜や食肉にたいする衛生上の管理強化を理由に,新たに事実上の家畜

・畜産物輸入制限措鉦と輸入割当制が導入されたことである。これらの法令 にもとずいて,1880年,83年にはアメリカの豚肉は旋毛虫伝染の危険性を理 由に輸入禁止処分を受けた。輸入制限はとくにオーストリア=ハンガリー,

アメリカ,イタリア,デンマーク,スエーデン,ノルウェー,ロシアにたい してなされた。

その後も家畜防疫法による家畜輸入制限は強化される一方であり,さらに 1900年には食肉輸入の増加に対抗して「屠畜・食肉検査法」(Gesetz,betreffend dieSchlachtvieh、undFleischbeschau,vom3Junil900)が制定され,缶 詰肉,ソーセージのような混合肉製品,防腐剤使用肉などの輸入が全面的に 禁止され,その外の食肉についても制限が加えられた。塩蔵肉輸入は4kg以 上の単位に制限された。塩蔵をのぞく肉(生鮮肉,冷蔵・冷凍肉)は,牛(仔 牛をのぞく)の場合は屠体全体,豚の場合は屠体半身以上に制限され,しか も一定の内臓つきでしか輸入が認められなかった。,この「内臓つき」という 条件が食肉輸入にとってはやっかい-輸送費を高めるだけでなく,腐敗し やすいために屠体全体の価値を低下させる危険性大一一であったために,生 鮮肉はもちろん冷蔵・冷凍肉の輸入も事実上阻止することになった。'5)この ような家畜輸入制限は,防疫を理由としながら,通商条約の締結にさいする 差別的手段として機能したのである。1910年の時点で許可されていた家畜輸 入相手国は,牛はオーストリア=ハンガリー(制限つき),スイス,デンマ ーク(海上輸送分のみ),豚はアメリカ合衆国(4週間の検疫期間が必要),

オーストリア=ハンガリー(バイエルンへの制限つき輸入)とロシア(オー バーシュレジェンの屠殺場にたいして制限つき輸入)に限られていた。'6)

いま1つ,甜菜糖についてもふれておこう。

1890年代後半の穀物輸出奨励金制度の導入とならんで無視できないのが,

主にユンカー,大経営で栽培され,ユンカー層と資本的に結合した製糖エ場 で加工される甜菜糖についての保護が,砂糖価格の下落にたいして強化され たことである。80年代のなかば以降,甜菜作がその作付面積と生産性を高め るにつれて,ドイツの甜菜糖輸出が急増した(19世紀末にはドイツは世界最 大の砂糖輸出国となった)のであって,それは穀物など輸入農産物とは異な

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金沢大学経済学部鶴集第7巻第1号1986.12

った経済的意味をもっていたのである。このような甜菜糖にたいしては,す でに1861年に輸出についての消費税払戻制度が創設されていたのであるが,

数次の改訂を経て,90年代には輸出の増加にともなって輸出プレミアム制 (Exportpramie)が整備されている。さらに決定的には1896年法で,(ア)

プレミアム額が引きあげられる(1891年法の精糖100kg当たり2マルクを3.

55マルクに,粗糖1.25マルクを2.50マルクに)とともに,(イ)プレミアム 源資は国内消費税の引きあげ(100kg当たり18マルクから20マルクへ)によっ てまかなう方式が強化され,(ウ)砂糖生産割当制(dieKontingentierung derZuckerproduktion)が砂糖価格の下落に対処するためにはじめて導入さ れた。

これらの砂糖輸出プレミアム制や生産割当制は,結局は砂糖の世界価格の 下落を導かざるをえず,1902年のブリュッセル国際砂糖協定への参加にとも なって廃止されることになるが,第1次世界大戦前において輸出農産物にた いしてとられた保識政策として注目すべきである。なお砂糖輸入関税は1896 年法では20マルク(100kg当たり)に引きさげられたが,これに新たに国内産 と同じく消費税20マルクを賦課したの色実質的な関税軽減にはならなかった

(ただし,砂糖の輸入はほとんどなかったので意味は小さい)。また1903年か らはブリュッセル国際砂糖協定のとりきめにもとづいて砂糖輸入関税は引き さげられた。'7)

(注)

1)藤村幸雄「ドイツ帝国主義と貿易政策-1902年関税改革を中心として-」,同志 社大学人文科学研究所「社会科学」VoLII,No.1,1967年,3-7ページ。

なお大津正道「ドイツにおける1902年関税の成立過程」,東北大学「文化」,第4巻3,

4号,1978年,34ページ以下。横山幸永「1920年代ドイツにおける穀物関税(_)」,立 正大学「経済学季報」第24巻第3.4合併号,1975年.46ページ以下も参照。

2)大野英二「類型・「国民経済」の歴史と理論〔I〕-ドイツ資本主義の類型と経済政策 の展開一」,内田・大野・住谷・伊東・平田編著r経済学史…1970年,123ページ。

3)たとえば藤瀬浩司「帝国主義成立期におけるドイツ対外経済構造とライヒス・バンク」,

土地制度史学会『資本と土地所有小農林統計協会,1979年,154ページ以下。

4)大野英二「ドイツ金融資本成立史論小有斐閣,1956年,152~57ページ。ちなみに 銑鉄卸売価格(1t当たりプレスラウ価格)と,これに対する100kg当たり1マルクの 関税額の割合をしめすと以下のとおりである。

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腱業保霞貿易制度の歴史的検討(村田)

1879年56.8マルク(17.6%),85年56.5マルク(17.7%),

90年74.4マルク(13.4%),95年49.2マルク(2063%),

1900年90.7マルク(11.0%),02年61.3マルク(16.3%)が 06年69.6マルク(14.4%),08年71.1マルク(14.1%)

(銑鉄卸売価格についてはStatistischesJahrbuchfiirdasDeutscheReich各年版よ り)

5)藤村前掲論文,10ページ。

6)J、B・Esslen,DiePolitikdesauswiirtigenHande1s,Stuttgart,1925,s293.

7)パン穀物のうちライ麦と小麦が同一関税率とされたのは,小麦よりも安価で,かつド イツの自然条件により適し,しかも粗放的なライ麦にたいして,より強い保漣が与えら れたことを意味する。

8)ドイツは1870年代以降,全体としては穀物純輸入国(西南ドイツへの輸入)に転ずる ものの,東部の毅作農業地帯(その主たる担い手はユンカー,大腿層)は,輸送上の問 題(西南ドイツへの国内輸送よりも海上輸出運賃の方が低廉)や,ドイツ小麦の品質上 の特徴(グルテンが乏しく粘諭性に欠けるためパン用には外国小麦との混合によって品 質を高める必要があった)から,外国市場への輸出農業としての性格を残したこと,ま た穀物貿易商が主にロシアから穀物を輸入し,国産穀物と混合して再輸出する業務をお こなったことによって,穀物輸入の墹加と輸出の不振でひき起こされた国内市場穀価の 低迷に直面したユンカーが,輸入関税の強化とならんで,輸出助成を要求した結果が,

さしあたりは「同一性証明」制度として,つまり輸入穀物の再輸出に対する戻し税制度 として獲得したものである。横山前掲論文,41ページ以下など参照。

9)K、E、Born,Wirtschafts-undSozia1geschichtedesDeutschenKaise面eichs(1867/

71-1914),Stuttgart,1985,s、132.

10)この「穀物輸入証明番」制度については、木下悦二「第1次世界戦争前におけるドイ ツの穀物関税制度の性格について-輸入証明野制度を中心として」,九州大学「経済 学研究」第31巻第3.4合併号,1965年,および横山前掲論文,54ページ以下にくわし

い。

11)なお,国内畜産にたいする配圃は飼料穀物関税の低率化だけでなく,穀物以外の飼料 のほとんどが無関税とされたこともしめされている。たとえば油料植物やその搾りかす など蛋白質含有飼料や,じゃがいもぐずやその製品などである。、

VgLD・WOttawa,ProtektionismusinAuBenhandelDeutsch1andsmitViehund FleischzwischenReichsgmndungundBegiImdesZweitenWeltkrieges,FrankfUrt

/M、,1985,s.42.,Cv・Dietze,DeutscheAgrarpoUtikseitBismarck,Zeitschrift fiirAgrargeschichteundA2n・arsoziologie0Jg、12(1964),S203.

12)醜造用大麦はとくにバイエルン農民の利害とかかわっており,その関税率の一定水準 での維持は,彼らの要求にそうものであったとされている。AGerschenkron,Bread andDemokracyinGennany,NewYork,1966,p63.(FimstPUblishedbythe UniversityofCalifomiaPressinl943)

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金沢大学経済学部論築第7巻第1号1986.12

13)藤瀬前掲論文,158ページ参照。この問題を段初に指摘したのはF・Beckmamであ ったようだ。F、Beckmann,DieFuttermittelziille,MUnchenundLeipzig,1913.

前掲のWOttawaの紹介するところによると,Beckmannは飼料大麦関税の維持を支持 する理麓的根拠について以下の3点をあげている。

第1に,飼料大麦関税を引きさげても,飼料大麦需要が一貫して上昇しているので価格 低下にはつながらない。

第2に,飼料大麦関税を引きさげると,飼料大麦の作付がさらに後退し,すでに過剰に なっているライ麦やえん麦の作付をさらに拡大させることになる。これは大麦の外国依 存をさらに大きくし,しかも国家の財政負担を高めることになる。

第3に,飼料大麦関税の引きさげは,輸入大麦で段も高い利益をあげている商業的大養 豚業者(diegewerblichenGro6miister)ばかりを優位に立たせることになり,彼らの市 場支配力を高めさせることによって,価格形成において好ましくない影轡をいっそう促 進することになる。飼料大麦関税はしたがって工業化(工業的養豚)に対抗して,農民 的養豚を育てる育成関税としての機能をはたしているのである。

さらに,Beckmannは,とうもろこし関税については,それが東部ドイツのじゃがい も作にたいする保繊関税になったとしている。その理由としては,西ドイツのアルコール 製造業や菱豚にとうもろこしにかえてじゃがいもを原料とすることを強制したことをあ げている。

Vgl.D・WOttawa,a・a、0.,s、43ff l4)D・Wbttawa,a.a0.,s40.

15)Ebenda.,S53.

16)K,カウツキーはこの家畜防疫法にもとづく畜産物輸入制限がドイツ国内での食肉価 格の騰批や,実際の輸入制限をもたらしたとしている。

VgLKKautsky,HandelspolitikundSozialdemokratie,Berlml901,Zweiteumge・

arbeiteteAuflage,BerIinl911,なおこれには柴田固弘訳「貿易政策と社会民主主義」,

「金沢大学法文学部論粟・経済学繭」19(1973年),24(1977年)がある。

ただし,カウツキーは家畜防疫法による「国境閉鎖」を「支配階級による無法な貿易政 策」の手段のひとつとして,ヴューロウ関税法の複関税制度などと列挙しているのであ って,これの穀物関税との関係や農業経営諸階層とのかかわりを問題にしているわけで はない。

いずれにしろ,社会民主党は,家齋防疫法等による輸入制限が,防疫上の理由による よりも,輸入制限そのものを目的にしているとして,それの批判の先頭に立ったのであ る。VgLS.R・Tirrell,GermanAgrarianPoliticsAfterBismarck'sFall:TheFor‐

mationoftheFaImers,League,NewYork1951,p、78.

J.B・Esslenはこの家畜防疫法による輸入制限が関税よりもより効果的であったとして いる。「家畜と食肉にたし、する輸入関税と輸入禁止令が存在した。1879年から1914年の 時期のほとんどについて,輸入関税はむしろ小さな役割しかはたさなかったといってよ かろうqjJ・BEsslen,a・a,0.,s、310.

-108-

(14)

農業保護貿易制度の歴史的検討(村田)

17)甜菜糖の保繊政策については,UTeichmann,DiePolitikderAgrarpreisstiitzung MarktbeeinflussungalsTendesAgrarinterventionismusinDeUtSchland,Kijln- Deutz'1955,S314fを参照。

また河西勝「帝国主義段階における農業問題」は,甜菜糖のユンカー的資本主義的農 業経営にとっての重要性を強調している。(社会評論社「経済学批判」2,1977年.所

収)

Ⅱ農業保護貿易とドイツ農業

さて,このような農業保護貿易体制の展開過程は,’9世紀末農業恐慌下に あって,農産物価格やドイツ農業の生産構造,さらに農産物貿易の変化とど のようなかかわりをもっていたであろうか。,

第’に,農業保護関税と農産物価格の関係からみることにする。

農業保護関税が農産物価格の下落を緩和,維持ないし価格を引きあげるう えでどのていどの効果を発揮したかは,それ自体が当時の重要な論争点で あった。ここではパン穀物(小麦・ライ麦)と食肉の価格変動をしめしてお こう(第1,2図)。

1875年以降に下落しはじめたパン穀物価格は,1880年代なかばに150マルク(1 t当たり)水準にまで下落した。つまり80年代の国際価格の急激な下落にた いし,100kg当たり1マルクという関税率ではそれとわかる影響を与ええな かった。80年代後半はピスマルク関税の引きあげもあって価格は回復し,91 年には全ヨーロッパ的凶作の影響で220マルク台にまで上昇する。しかし90 年代前半にはふたたび急落し,1894年にはかってない150マルク以下にまで 落ちこんだのである。そしてこのような穀物価格の下落こそカプリヴイ通商 条約体制による関税引きさげの結果だと,当時の農業者にみなされることに なった。ただし,まもなく95年以降は価格回復が顕著であって,これによっ て94年の「同一性証明」撤廃と「穀物輸入証明書」制度と一体となった関税 効果が公認されることともなった。')

1900年恐慌期の価格下落をはさんで,今世紀に入ると基本的にはパン穀物 価格は上昇傾向となった。これには1902年の新通商条約の施行が相当の影響

をおよぼしたとみられる。

食肉の価格をみると,穀物とはかなり異なった動向をしめしている。穀物

-109-

(15)

金沢大学経済学部随築第7巻第1号1986.12 第1図パン穀物の価格変動(卸売価格)

(1トンあたりマルク)

レリン)(上級)

マル 変(上級)

レリン)

、糞中翻

1

期輔

R486889092949698】90002010608

出所)StatistischesHandbuchfUrdasDeutscheReich,Tei11.s474, ただし'906年以降はStatistischesJahrbuChfUrDasDeutscheReich各年版。

第2図食肉の価格変動(銑維)

L(100kgあたりマルク) 仔牛肉,△'32

200

マルク150

〆J

' P146.3172.5牛肉

'--〆 豚肉 'おい、'

タミSZ§ ’、ジン

--三

s、?==二7  ̄ ̄

100

(参 j豚牛 肉肉

騨一加 〃||応

27 12

90929496981900020406081012 第1図に同じ。

-110-

1882848688

(出所)

(16)

腱業保議貿易制度の歴史的検討(村田)

価格が1875年以降下落を開始したのにたいし,食肉はむしろ安定的であって,

1880年代後半に一定の下落がみられる(1888年100kg当たり100マルク以下)

ものの,穀物ほどの崩落現象ではない。90年代には豚肉については変動幅が 大きいが,全体として上昇傾向をしめしており,この傾向は今世紀に入って さらに強まっている。第1次大戦までは,むしろ飛畷的な騰貴といってよか

ろう。2)つまり,19世紀末ドイツ農業恐慌は,とくに穀物への打撃が強く,畜

産物は相対的に小さな影響を受けるにとどまったとしてよかろう。これは,

第1に,輸入関税と家畜防疫法などによる輸入制限によって家畜や食肉の輸 入がおさえられ,ドイツ国内では食肉価格がほぼ世界市場価格と遮断されて 形成されたことによるものである。第2に,19世紀の80年代以降にはドイツ では人口の増加と就業構造の変化(腱業人口の減少),さらに国民生活水準 の上昇にもとづいて,食肉,牛乳,バターなど畜産物需要が大きく上昇した

こと:)さらに第3に,90年代なかば以降の穀物価格の回復と上昇傾向が,畜

産物価格の上昇をもたらす-つの要因にもなった。

19世紀末農業恐慌下にあっても,畜産物価格が崩落をまぬかれたこと,そ して農業恐慌脱出後は,第1次世界大戦にいたるまで価格は顕著な上昇傾向 にあったということは,さらに重要な問題を提起していると考えられる。つ まり,ドイツ農業においては農民経営は畜産物販売をその中心的な所得源と していたことを考えあわせるとき,第1次世界大戦前のドイツ農業保謹関税 体制の「農民層統合メカニズム」が経済的に実際に機能しうる前提条件が与 えられていたということでもある。

次に,ドイツ農業の生産構造の変化と農産物貿易の変化をみよう。

1870年代以降の農業恐慌期において,ドイツ農業の生産構造の変化は,と りわけ80年代のなかば以降にかなり顕著なものとなった。

第1に,農法の近代化(三圃式や穀草式農法から,輪栽式や改良三圃式,

改良穀草式への移行)が1870年代までに大きく前進したこと,さらに,とく に70年代から80年代にかけては,輪栽式経営のドイツ型としての毅作.根菜 経営(つまり豆科作物および油料植物ぬきの禾穀類と根菜類の交替作)が発 展し,しかも農業機械や化学肥料の使用や,品種改良がそれと重なったこと を基礎にして,農用地面積(また耕地面積)の拡大はみられないにしても,

-111-

(17)

金沢大学経済学部鎗築第7巻第1号1986.12

休閑地や放牧地の耕地への転換,さらにはそば,豆類,油料作物や亜麻などの 栽培の減少にみられるように,艇地の集約的利用(その鍵をにぎった作物が 肥沃土製地帯では甜菜であり,また砂質土製地帯では緑肥作物であった)の 成果が,穀物の単位面穂当たり収量の増加および根菜類(まずは穀物につぐ 基本食料となったじゃがいも,そしてとりわけ重要であったのは甜菜)の作 付面穣・生産増となって現われたことである。主要作物の作付面穣は第3図,

総生産量の推移は第2表のとおりである。ここでは,ビスマルク関税以来の 農業保遡貿易体制とかかわらせながら,ドイツ国内の農業生産や農産物貿易 の動きを要約しておこう。

ドイツの代表的パン穀物であるライ麦は,ビスマルク関税期の作付面積580 万ha台,総生産量600~700万t台から,カプリヴイ通商条約期には590万ha 台750~900万t台へ,そしてヴユーロウ新関税(1902年)移行期には,600

万ha台,950~1200万t台という生産状況にある(第4図R

これにたいして,小麦はライ麦に比較して東部では作付適地が少ないが,

80年代の作付面積190万ha台,総生産量250~300万tが,90年代には195~200 万ha,300~400万t~そして今世紀に入ると180~200万ha,350~450万t

となっている。ライ麦,小麦ともに作付面穂に比べて総生産量の伸びが大き いのは,いうまでもなく甜菜作の導入を基礎にした耕種農業の集約化の成果 である。1890年代はじめにライ麦(1892年),小麦(1891年)ともにその作 付面穣の減勵少がみられるのは,明らかに穀物価格の低落の結果であろう。し かし90年代のなかば以降になるとこれらパン穀物生産は作付面積q生産量と もに80年代よりは1段階上昇しているのであって,これはカプリヴイ協定関 税によって穀物関税は引きさげられたにしても,穀物輸出奨励金制度の実施 によって,94年以降に穀物価格が回復したこととの関連を読みとれるのであ

る:)

このような状況は,ライ麦と小麦の貿易量にも反映している(第5図)。

19世紀末にはドイツ国民のパン穀物嗜好が生活水準の上昇にともなってラ イ麦から小麦に移る傾向もあって,ライ麦については飼料としての利用がか なり増加しながらも,輸入量は90年代なかば以降,なかんずく国内生産量の 大きく伸びた今世紀に入って大きく減少している。他方で,ライ麦は輸出の

-112-

(18)

農業保iiii貿易制度の歴史的検討(村田)

第3図主要作物の作付面積(万ha)

ライ麦

600万腿

500

えん麦 400

じゃが いも 300

200 三三三三三三三言ごC三三つW7Z三三三三三三三二裳

100

甜菜

8788,8284868890929496981900020406081012

(出所)WG・Hoffmann,DasWachstumderdeutschenWirtschnftseitder Mittedesl9・JahrhImderts,1965.s、272-275.

第2表主要作物の総生産量(1800~1913年)

(単位:穀物換算単位1000t)

物一灘 根菜類

何閾iE

指数 指数 指数 指数

匿一

菱I

1800 1883 1900 1913

9,202.1 18,444.4 24,254.8 29,939.3

772.0 10,796.3 15,676.3 19,161.7

716.0 793.6 778.6 764.4

1,02785 380.0 470.0 336,0

1,050.0 4,788.8 6,507.0 7,185.9

(1)穀物単位(Getreideeinheit,GE)は,農業経営の食樋生産を算定するために,農産物すべて をでん粉価(蛋白質は1.5倍計算)で換算したものをいう。畜産物は飼料から算定される。穀 物1.t=IGEで,甜菜・じゃがいも1.t=O25GE,牛肉1.t=6GE,豚肉1.t=5GE,牛 乳(乳脂肪35%)100リットル=1GEなどである。

(出所)V・クレムrドイツ農業史」(大鼓・村田駅).大月轡店,1980年,付録2ページ。

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金沢大学経済学部論菓第7巻第1号1986.12

1878808284868890929k’96981900020406081012

(出所)WiGHoffmann,a・a、0.,s、284-286.より作図。

第5図主要穀物の輸出入量(万t)/|_Ⅱ__l1323.8万u

-I-lL)素興’

田)09294969819000204060F

麦)

93.4万Mライ麦)

(出所)第1図に同じ。

-114-

(20)

農業保護貿易制度の歴史的検討(村田)

増加が同じく今世紀に入って顕著になり,第1次世界大戦直前(1913年国内 生産量の1222万tにたいして輸出量は93.4万t,7.6%)にはドイツは再びライ麦 純輸出国に転じているのであって,しかもそれが国内価格よりも安価に,主に 飼料用としてロシアにまで輸出されるようになったのであって,これは明ら かにヴューロウ関税と穀物輸出奨励金制度を無視しては考えられないのであ

るj)

他方で小麦については,国内需要量の増加に対応して輸入が増え続け,200 万t台代にたっするが,これについても第1次大戦直前には輸出が53.8万t

(1913年の国内生産量446万tの11.5%)にたっしたことは,ライ麦と同じよ うに輸出奨励金制度とかかわっているとみてよいJ)

飼料穀物については,さきにもみたように主に馬用飼料であるえん麦が国 内生産量も大きく,しかも農業経営内の自給飼料としての性格が強いために,

貿易とのかかわりが相対的に小さかったのにたいし,問題になるのは大麦と

とうもろこしである:)

南ドイツに作付の多い大麦は,4大穀物のなかではドイツではその作付面 積が最も小さく,160-180万ha台に推移し,総生産量は90年代の260-280万 tが今世紀には300-350万tに増加するものの,国内畜産(とくに牛,馬)

の急速な発展にともなう飼料需要の増加をまかなえなかった。とうもろこし,

なかんずく種実用のそれはドイツの気象条件には適さなかった(1893年の作 付面積は青刈用5.4万ha,種実用0.7万haの合計6.1万haにすぎない)。,)

こうして,ドイツの国内畜産の購入飼料として大麦ととうもろこしが輸入 されることになるのであるが,この大麦ととうもろこしの輸入動向には,ヴ ューロウ新関税率の新協定関税率への適用にさいする差別的とりあつかいが 顕著に反映している(飼料用大麦関税は1.30マルク,とうもろこしは3マル

ク。第6図参照)。

さきの第5図でもわかるとうり,輸入飼料穀物のなかで,大麦ととうもろ こしは90年代まではほぼ同じ輸入増加傾向をしめし,輸入量でもほぼきっ抗 するていどとなっていたのにたし、し,今世紀に入ると,大麦はその輸入量を 300万tをこえるまでに,つまり国内生産量に匹敵するまでに飛躍的に伸ば

したのである。しかも第7図でわかるように輸入相手国がほぼロシア一国に

-115-

(21)

金沢大学経済学部鰭築第7巻第1号1986.12

収れんする。他方でとうもろこしの輸入は,1898,99年の160万tを頂点に,

今世紀に入ると100万t以下にまで減少し,しかもそれは第8図のように,

とうもろこし輸入相手国としてアメリカの地位が大きく低下したことと結び ついている。大麦ととうもろこしの輸入動向には,ドツ座業保護体制のいわ ゆる「帝国主義貿易政策の武器」としての性格がよく反映しているとみてよ かろう。

さらに甜菜および甜菜糖についてである。ドイツ腿業の耕種部門・畜産部 門の両方の集約化にとって,基幹的な役割をはたしたのが甜菜であった。し かも甜菜糖はドイツ農業にとっては輸出農産物としての性格をもったことも あって,すでにみたような輸出プレミアム制や砂糖生産割当制などの保護政 策の対象となったのである。このような政策の展開のもとで;粗糖価格は他の 農産物とは異なって今世紀に入っても回復が遅れたが(1800年100kg当たり マグデプルク価格62マルク,1888年48マルク,1892年32マルク,1900年20マ ルク,1902年15マルク,1906年17マルク,1912年18マルク),甜菜作付面祇 の増加(1880年代の30万ha台から90年代の40万ha台,第1次大戦直前の50万 ha台),甜菜総生産量の増加(80年代の800-1000万t,90年代の1000-13 00万t,今世紀1300-1800万t),さらに甜菜の砂糖含有量の改善とあいま って粗糖生産量の飛躍的増加(1880年59万t,1890年133万t,1900年198万 t,1901年231万t)と輸出量の増加(1880年30万t,90年76万t,1900年101 万t’1901年109万t)カゼみられたわけである(第9図)。,10)

最後に畜産部門である。畜産部門は1880年代の後半に顕著な発展がみられ るようになる。飼養家畜頭数は,牛については1883年の1579万頭が,92年17 56万頭(11.2%増),1900年1895万頭(7.9%増),1907年には2063万頭(8.9

%増)に増加した。豚は83年の921万頭が92年1217万頭(32.1%増),1900 年1681万頭(38.1%増),1907年には2215万頭(31.8%増)にもなった(第3表)。

なおのちにかかげる第4表にもみられるとうり,国内での食肉の生産は18 71年の97万tから,80年代には120万t台から150万t台へ,そして90年代に はそれが一挙に200万t台に増加した。とくに豚肉生産の伸びが顕著であっ て,食肉生産量全体にしめる豚肉の割合は1871年の46%から1913年には60%

にまで高まった。

-116-

(22)

農業保議貿易制度の歴史的検討(村田)

第6図大麦ととうもろこしの価格変動,

(1トンあたりマルク)

【X:

マノ

しくうレスラウ〉

スラウ)

虻砥

(出所)StatistischesHandbuchfUrdasDeutscheReich,Tei11.,s、474., s476.,StatistischesJahrbuchfUrdasDeutscheReichl906,1913年版.

第7 X1大霊輸入量

・ハンガリー 909294969819002.0406of

(出所)第6図に同じ。

-117-

(23)

-戸

金沢大学経済学部論集 第7巻第1号 1986.12 とうもろこし輸入量(万t)(輸入相手国別)

第8図

万[150

100

50

ごぢう

『)8

(出所) 第6図に同じ。

第9図砂糖輸出量(万。(主要輸出相手国別)

総丑 100

万t 脳IIL川Y ノス

50 '四~弓一

志アメ )力

969819000204060810 1888909294

(出所)第6図に同じ。

第3表主要家畜飼育頭数 (万頭)

牛合計 うち乳牛 やぎ

143.7 181.8 232.0 264.1 309.2 326.7 353.4 354.8 2,511,7

20801.7 2,499.9 1,919`0 1,359.0 969.3 770.4 552.1 529.7

646.3 712.4 920.6 1,217.4 1,680.7 2.214.7

 ̄2,565.9 1.337.6

1,499.9 1,577.7 1,578.7 1,755.6 1,894.6 2,063.1 2,099.4 273.5

319.4 355.2 352.3 383.6 419-5 434.5 454.8 1853

1861 1873 1883 1892 1900 1907 1913

896.1 908.7 994.6 10045.9 100967 1132.1

(出所)Mクレムrドイツ腱業史」(大薮・村田訳)付表およびMaxSering.,Die deutscheLandwirtsChaft(BerichteiiberLandwirtschaft,Sonderheft 50,1932.s、5.)より作成。

-118-

(24)

農業保護貿易制度の歴史的検討(村田)

このような傾向は耕種部門の集約化を基礎にして飼料基盤が強化されたこ と,また家畜・畜産物関税などによる保謹の効果もあって畜産物価格の穀物 価格にたいする相対的有利さがもたらされたことなどによって,輸入飼料へ の依存を高めながら,畜産が作物の加エ部門として集約化され拡大されてい

ったことによっているJ1)とくに養豚が1905年以降急激に発展したことの要因

のひとつに飼料用大麦の輸入関税率の引きさげが指摘もされている。

このような国内の畜産の発展と,家畜・畜産物についての関税保護と防疫 法による事実上の輸入制限によって,1870年代に急上昇した生畜の輸入(牛 は30万頭台,豚が100万頭台)は,80年代には一時減少した。90年代前半に牛 豚ともに輸入が再び増加傾向をしめすのはカプリヴィ通商条約体制による関 税緩和を反映しているようだ。1894年にピークにたっした牛の輸入頭数(雌 牛15.3万頭〆雄牛8.7万頭,若令牛10.6万頭の合計34.6万頭)はその後1902- 05年頃にやや回復するもののその後は減少傾向をたどっている。豚は1892年 頃に輸入のピーク(86.1万頭)にたっしたが,95年以降は急減しわずか10万 頭にすぎなくなる。このような傾向はとくに家畜防疫法などによる輸入制限 とヴューロウ関税率の発効が強力にはたらいたことと大いにかかわっている

(第10,11図)。

食肉の輸入については次のとおりである。70年代に7~8万t(うち80~

90%は豚肉)に増加した食肉の輸入は,保護貿易に転換した80年代には5~

6万tにまで低下した。90年代以降はやや回復して13-16万tのレベルで第 1次大戦まで推移する。しかしこれは国内消費量が70年代の110~120万tか ら,90年代後半の220万t,今世紀に入っての240-290万tと急増したのと比 較すると,輸入依存度はせいぜい5~6%にとどまった(第4表)。第1次大 戦にいたるまで食肉の輸入依存度をこのような低い水準におさえることにな ったことについては,とくに1900年の「屠畜・食肉検査法」による輸入制限 のはたした役割を無視できない。

以上ビスマルク関税にはじまる農業保誠貿易体制が,工業品カルテル関税 体制と統合されつつ,とりわけ1902年ヴューロウ新関税率段階では,それ自 体が帝国主義的貿易政策の武器として機能する側面をもったことを,現実の 農産物貿易動向から簡単な検証をおこなった。

-119-

(25)

■U

金沢大学経済学部論菓第7巻第1号1986.12 第10図牛輸入頭数(万頭)

アー

、4[]5(胆

(出所)第6図に同じ。

第11図豚(仔豚をのぞく)輸入頭数(万頭)

万頭50

合計

=ロシ ア

トー,~~~~~一一一鰺~---

88890929496981900020406081012

(出所)第6図に同じ。

-120-

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