「 子 どもの権利 に関す る一考察 一子 どもの権利条約を中心 に」
佐 藤 修 司
A Studyonchild'srightsFocusingon
̀ConventionontheRightsoftheChild'
ShujiSATO
abstract
Thechild'srighttolearnhasbeenattachedimportanceinthetheoryof'thepeople'srighttoedu‑
cation'.Achildisthoughttohavethepossibilitytodevelop,andtherightstogrow/developandlearn.
Inthe1980'S,theissuesbegantooccurfrequentlysuchasschoolregulationsandcorporalpunishment. Astheresultachildhasbeensupposedtohavethesamehumanrightsasanadult.Thispaperaims atstudyingabouttherelationbetweentherightspeculiartoachildandthegeneralhumanrightsby examiningtheConstitutionoりapan,theFundamentalLawofEducationandtheConventiononthe RightsoftheChild.
Thefollowingthingsaretheconclusionofthispaper.
①Thecivillibertiesmustbeguaranteedtoachildassameasanadult,Thelibertiesmustnotbere‑ strictedsofarastheother'srightsandcommongoodarenotviolated.
②Thesocialrightssuchastherighttolearnareguaranteedtoachildaswellasanadult,too.Those canberestrictedassameasthecivilliberties.
③Thechild'srightstoliveanddevelopareplacedonthebaseofallotherrights.Thosemustnotbe restrictedforthereasonofimmaturityofachild.,butmustbegivenmoreconsiderationandprotection.
は じめに
国民 の教育権論 において,子 ども固有 の権利 としての 学習権 は中核的な位置を占めて きた。親 の教育権や,教 師 の教育権 は子 どもの学習権 によ って根拠づ け られ,教 育 の内的事項への国家介入 の禁止 が導かれた。堀尾輝久 は,発達可能態 とい う,子 ど もの存在 に即 しなが ら,成 長発達 の権利, その成長発達 にふ さわ しい学習 の権利 を 子 ど もの権利 の中核 に据 え ることを主張 していた。成長 発達権,学習権 は,人権 の基底 をなす権利,人権 を実質 化す るための権利 ととらえ られ るo つ ま り,子 どもに一 般人権 を単 に適用す るとい うことにとどま らず,一般人 権 自体 を,子 ど もの回有性 か ら豊 かな ものに読 み替えて い くことが 目指 され るのである(1)。
しか し,80年代 に入 る頃か ら,体罰 や校則 など,子 ど もの人権 を侵害す る事例,裁判が多 くなると同時 に,千 ど もであることを理 由に権利 を制限することは許 されず, 成人 と同様 の権利 が認 め られ るべ きことが主張 され るよ
うにな った。子 ど もの固有性,成人 との違 いが主張 され
る中で,一般人権が軽視 されて きた こと,子 ど もや親 の 学習権 ・教育権が教師 に信託 され る論理的擬制が と られ ることで,逆 に子 どもや親が無権利状態 に置かれて きた ことが批判 され る。
今橋盛勝 は,子 どもの人権 を,教育 に固有 の人権 と し ての 「学習権」 と,市民的 自由に連 な る 「一 般 人権 」, 生存権 の三つか らなるもの とと らえ る。学習権 を人権 の 一つ とした上で,子 どもの一般人権が傷つ け られ る状況 で は学習権 は保障 されない として,一般人権 を,子 ども の人権 の中核 に据 えよ うとす る。従来 の学習権が 「ある べ き」教育 を追求 していた ことを批判 し,「あ りうべ き」
教育 と して学習権 を とらえ ることによ り,「あ って はな らない」教育 を排除 しよ うとす るのであ る(2)0
このよ うに,基本的人権一般 が子 どもに適用 され るべ きことにつ いて は共通 の理解があるわ けだが,人権 と子 ども固有 の権利 との関係 や,学習権 の内実 について は, 大 きな隔た りが存在 している。1989年 に国連で採択 され, 1994年 に日本で も批准 された子 どもの権利条約 との関係 ー 75‑
秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第58集
も問われるところであろう(3)。そこで,本稿では,子 ど もの権利に関 して,憲法 ・教基法,子 どもの権利条約を 中心 に しなが ら,理論的整理を行 うこととする。その際, 単 に条文上の解釈だけではな く,国際条約 と日本社会に
おける権利 ・義務観の相違 も考察の対象 とする。
本稿で対象 とする子 どもは,法制上明確ではないが, 成人 と同等の,一人前 になる前の段階であり,社会的に も自立 してお らず,親などの保護の もとに置かれている 段階 と考え られる。おおよそ,子 どもの権利の特性 は一 般的に以下のようにとらえ られる。
①子 どもは, 自らの権利を十全に行使す る ・させるこ とが,判断,決定,行動,責任の能力の面か ら困難 である。
②子 どもは権利行使の能力 ・経験がない段階か ら, 自 由に行使できる段階へ と成長 ・学習 しなければなら ない。権利 は行使す ることによって,個々人 により 獲得 される。
③親や,教師など,子 どもの権利行使を代行 ・援助 し, また,権利行使のための能力を形成す るための援助 者が必要である。
子 どもの権利条約では18歳未満であり, 日本の児童福 祉法の18歳未満 (児童) と,同 じであるが,民法では20 歳未満 (未成年者) と,一定 していない(4)。ただ,18歳 ない し20歳 までの子 ども期をひとくくりにすることには 無理がある。 旧来の子 どもイメージ (児童の権利宣言 : 国連1959年等) は,思春期以前の少年たちであり, そこ か ら種々のイニシエーションを経て社会に参加 し,成人 へ と脱皮 してい く存在であった。 ところが,現在の社会 では,中等教育,高等教育の拡大の中で,成人にいたる 前段階 として,青年期前期 (思春期)あたりまで,子 ど も期 ととらえ られるようになったと考え られる。子 ども は保護の客体であると同時に,権利行使の主体でもある。
前者か ら後者へ と徐々に比重を移 し,成人 していくわけ だが,やはり,思春期を境 に した発達段階の質的変化を 重視すべ きであろう。
1,子 どもの市民的自由
基本的人権 とは,人が人であるが故に生 まれつ き有 し ている不可侵,不可譲の権利であり,子 どもであれ,成 人であれ,そこに格差 は存在 してはな らない。その中に は,思想良心の自由など,国家か らの自由を規定 した自 由権,市民的自由や,国家による保障を求める社会権, 国家の有 り様を規定するための参政権 とが含まれる。
まず,子 どもの権利条約では,市民的自由が,全ての 子 どもに対 し,成人 と同様に完全な形で適用 されるべ き ことを明示 している。そして,表現 ・情報の自由,思想 ・ 良心 ・宗教 の自由,結社 ・集会の自由については, その
制限要件を,おおよそ以下のように明示 している。
形式上の要件 :法律によって定め られること 目的上の要件 :①他の者の権利 または信用の尊重
②国の安全 もしくは公の秩序 または公 衆の健康 もしくは公衆道徳の保護 さらに, プライバ シィ ・通信 ・名誉の保護については, 一切の制約を認めていない。 これ らの要件 は,国際人権 規約 とほぼ共通 してお り,子 どもと成人 との問に差がな いことを示 している。子 どもと成人に区別な く適用 され るべ き国際人権規約 と別個に,取 り分 けて子 どもに関す る権利条約が作成 されたことの意義の一つは,子 どもに も成人 と同様の権利が保障されることの国際的確認にあっ た。広沢明が指摘す るように,子 どもの市民的自由の制 限について,「一般 に違憲性の推定が働 き, 政策的制約 は原則的に認め られず,内在的制約のみが許容 される」
のである(5)。
例えば,J.S.ミルはその 『自由論』の中で,個人 の行 動の自由への干渉が許容 される唯一の目的は自己防衛で あ り,他の成員に及ぶ害の防止であるとしている(6)。ロー ルズも,『正義論』の中で,「基本的自由は, 自由それ自 身のためによってのみ,つまり,同 じ自由あるいは別の 基本的自由を適切に保護することを保障 した り,最善の 方法である一つの自由の体系を調整 した りするためにの み,制限 され うる」,「自由の制限が正当化されうるのは, それが自由それ自体のために,事態を一層悪化 させ るよ うな自由の侵害を防 ぐために,必要 とされるときのみで ある」 としている(7)0
以上か ら,内容上の要件の① は理解 しやすいが,② は どう理解すべ きだろうか.憲法 は,人権の濫用を禁 C, 公共の福祉のために人権を利用すべ き責任を規定 してい る。公共の福祉の概念 は極めて漠然 としてお り,人権制 限を拡大 させる危険性を有 していることか ら,特に,忠 想良心の自由など,精神的自由,市民的自由については, 他者の権利を明白に侵害することがない限 り,制限 され
るべ きではないとされることが多 い。 ただ,個々人の利 害,主張が相矛盾 し,対立す ることの多いことか らすれ ば,社会全体の利益 も, 自由の制約要因 として,限定的 にではあるが,考慮 されるべ きだろう。②を,社会全体 の自由の総和 ととらえることも必要である(8)。
日本では,法制上の建前 は別 として も,子 どもは成人 と同様の権利主体 とはとらえ られない傾向にある。子 ど もの権利 は,法律 によらず,校則 レベルでたやす く一方 的に制限されて しまう。判例において,学校長 は,教育 目的を達成す るために必要な事項を学則等により一方的 に制定 し,在学する生徒を規律す る包括的権能を有する とされている。その際の条件 は,①その規定が教育 目的 と関連 していること,②その内容が社会通念 に照 らして
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合理的な ものであることであった(9)。権利条約 の国会批 准に際 して出された文部事務次官通知 (1994年5月20日) で も,「学校 においては,その教育 目的を達成す るため に必要な合理的範囲内で児童生徒等 に対 し,指導や指示 を行い, また校則を定めることがで きる」 としてお り, 判例 と同 じ立場 に立 っている。 これでは,子 どもの自由 の制限範囲 は学校長の専門的 ・技術的判断に委ね られて しまう。教育のためであれば,制限は大 きいほどいい。
合理的範囲 も暖昧であるが,その範囲 ぎりぎりまで制限 は拡大 されるのである。
ここには,国際常識 とは違 う, 日本的な権利観が存在 している。権利 とは,行使者の私的利益 ・利得の主張で あり,他者や社会 に対す る配慮を欠 き,利益を侵害する ものととらえ られる。それに対 し,義務 ・責任 とは,私 的利益の実現を抑制 し,他者や社会の利益を実現するこ とであ り,教育 とは,権利行使を抑制 し,義務 ・責任の 遂行 に努めさせること,無私性を付与することなのであ る。先の文部次官通知では,「学校 において児童生徒等 に権利及び義務をともに正 しく理解 させ る」 とされてお り,権利 と義務 とが並列的, 対立 的に とらえ られてい る(lD)。
日本的な権利観 に比 して,権利条約 にあ らわれている 市民的 自由は,抑制 されるべ きものではな く,他者の権 利を侵害す ることがない限 り,積極的に行使 されるべき ものととらえ られている。権利行使 は,個人の利益を実 現することであるとして も,それは他者や社会の利益を 侵害す るものではな く,む しろ,増進することが期待 さ れているのである。権利条約上,明文で子 どもの義務を 述べている部分がないことか ら,子 どもにとっての義務 とはよりよ く権利行使を行 うことにつ さるだろう。教育 は,権利行使を通 じて権利主体 として成長 させることな のである。
市民的 自由については,子 どもの将来の利益の観点か らではな く,現在の意思を重視する立場に立っべ きであ る。子 どもが,誤 り ・間違い,失敗を犯す ことは当然で あり,試行錯誤を繰 り返 しなが ら,権利主体 として成長 してい く。その過程での指導 は必要であるが,権利行使 の規制 は,他者の権利侵害などの場合を除いて行われて はな らない。
ただ,権利条約の立場 に立 った場合で も,校則が全 く 否定 されるわけではないだろう。校則 は,学校を構成す
る校長,教職員,子 ども (親 も含めて) による自治的, 集団的同意 によって作成 され,正当化されなければな ら ない。兼子仁 は,生活指導 に関 して,「各学校毎 の教育 自治関係 として,父母や生徒等の基本的合意の下で慣習 法的に生徒等の権利の保障範囲 ・制約は決められていく」
としているが, これ も同意の原則を提起 していると考え
られる(ll)。その場合 も,校則による自由の制約 はで きる だけ抑制的であるべきだ し,個々人に拒否権が保障 され るべきだろう。
そ して,規則違反による不利益処分 は,校則 レベルで 科 されるべきでな く,法律 レベルで行われるべきである。
学校教育施行規則13条の退学事由や,校則違反等による 懲戒処分 は,判例上,事実判断や,社会通念上の不合理 がない限 り,校長の専門的裁量 に委ね られているが,千 どもの権利条約等の観点か ら言えば問題であろう。具体 的に,教育環境に重大な悪影響を及ぼ し,他者の学習権 等を侵害す るものでないかぎり,指導の レベルで対処す べ きものである(12)0
2,基本的人権 としての学習権
市民的 自由だけでな く,教育や福祉などに関わる社会 権 も年齢制限は行われず,国民全体 もしくは,すべての 人に保障されるべき人権である。憲法26条の 「教育を受 ける権利」 もまた,子 どもに限 らず,国民全員 に保障さ れた権利である。その対象は,義務教育段階 にとどまる ものではな く,高校や大学,社会教育にまで広がりを持 っ ている。 この点 は,世界人権宣言や国際人権規約,学習 権宣言 にも通 じることであり,「教育 への権利」 (right toeducation),学習権 は,国民 に限 られず, 万人 に保 障されている。義務教育段階の子 どもに対 しては,格別 に権利を厚 く保障 しているととらえ られるが,本質的に は,他の年齢段階の者の権利 と異なるわけではない。
学習権には,第一 に教育機会の量的,外面的側面 に関 する権利が含 まれる。 この際,単一の選択肢 しかない場 合 と,複数の選択肢がある場合がありうるが,後者の場 合には,学校や教師,授業等の選択権が考え られる。第 二 に,学校 (施設設備等 も含めて)や教師,授業の改善 など,機会の質的,内面的側面 に関する権利,第三 に, 授業料や奨学金,教育扶助など,機会へのアクセスを求 める権利,第四に,学校運営などに参加 し, 自らの機会 の創造 に参加する権利などが,含 まれている。 いずれ も 密接な関係を持ち,明確に分 けがたいものであるが,倭 宜的に以上の四つにおおまかに分 けられるだろう(13)。
この学習権に対 して も,制約 は存在 している。第‑の 制約 は,教育 目的の法的な規制である。世界人権宣言の 26条や,国際人権規約A規約の13条では,教育 の目的 と して,①人格の完成,人格の尊厳,人権 と基本的自由の 尊重,② 自由な社会への参加,国民間 ・人種 ・種族 ・宗 教集団間の理解 ・寛容 ・友好の促進,③平和維持のため の国際連合の活動の助長,を挙げている。 これ らはおお よそ教基法1条の目的規定や,憲法の民主主義,基本的 人権,平和主義の原則に共通 している。これらの制約は, 他者の権利の尊重や,公共の福祉を敷宿 したものであり,
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秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第58集
日本国憲法や国際条約が想定 している社会観か ら導かれ る。 もちろん,個 々人の学習の 自由,学問の自由は存在 しているわけだが,教育基本法 に規定 されているように, 家庭教育,社会教育 も含め,すべての教育 は,以上の規 定 に制約 されているのである(14)。
第二 の制約 は,学校選択 など,選択 の制限である。義 務教育段階で,公立学校1校 のみへの就学指定が行われ 国立 ・私立学校への入学 には入試等 の関門があ り,加え て,私立学校では授業料が とられている。憲法上 は,普 通教育が義務かつ無償 とされて いることか らすれば,学 校外での教育 の実施や,国公私立 を問わない選択制,無 償制が導かれるはずであるが,教基法 レベルで無償の範 囲が9年間 と国公立学校 に限定 され,学教法 レベルで公 立学校への就学指定が規定 されている。高校入試や,大 学入試 の際 も,総合選抜制 ・学区制の実施,国公立 と私 立問の授業料格差 などか ら, 自由な選択が保障 されてい
る状態 とは言えない。
進学競争 の激化や,居住地域か ら離れた学校への通学 は, そ こに参加 している子 ども当人の健康面,精神面な どを損 な う危険 と同時に,特 に成績下位層,経済的下位 層 の子 どもの自由を制約す る側面 を有 している。上位層 の 自由は確保 されて も,子 ども全体 にとって見れば,主 体的で 自由な選択が阻害 され,偏差値輪切 りによる意図 せざる選択が強制 され るのである。多 くの場合,受験競 争 は将来的な地位や報酬を目的 として行われていること か らすれば, その際の学校選択 は,子 ども ・親 にとって 経済活動 に他な らない。 とすればその選択は公共の福祉, すなわち子 ども全体の自由を最大化す る観点か ら制約す ることが可能でなければな らない。
ただ し,学習者側の自由が原則 であることか らすれば, その制約 は最小限 に抑え られ るべ きものである(15)。選択 権を保障 ・拡大す ることで,教育機会の提供者間の競争 が生 じ,機会 の質的向上が図 られ る側面 も存在す る。私 立学校進学 ・在学者‑の補助 によ って,授業料等を低廉 化 し,選択機会 を保障す ることも必要である。 また, い Cめや,体罰等 の管理的,抑圧的環境を拒否 した り,舵 力主義的学校 のあ り方 を拒否す る観点か らの選択権の行 使 は,積極的に認め られ るべ きであろう。選択の制約は, あ くまで も,教育への権利をよ りよ く実現す るために行 われ るべ きものである。
第三 の制約 は,教育機会の有限性である。社会的資源 が有限である以上,誰 もが希望通 りの教育機会,就業機 会等 を持て るわけで はない。大学 や高校等の入試 による 選抜 を改善す ることはあ りうるとして も,消滅 させ るこ とは困難である。 また,能力を基準 とす る場合で も,必 要 を基準 とす る場合で も, それによる教育機会の格差 は 生 じうる。機会 の分配格差が正当化 されるためには,ロー
ルズが指摘す るように,格差の存在が最 も恵まれない人々 の便益を最大化す ることや,職務や地位が全 ての人 に平 等 に開放 されていることが求 め られ る。 いかなる遺伝, 環境の もとに置かれ るか,生 まれ るか は, いずれの者 に とって も偶然が支配す るとすれば,幸運 に して才能 に恵 まれた者 は,社会全体,特 に弱者 の利益 に貢献 しなけれ ばな らないのである(16)。
学習権が,教育機会の拡大を要求す る側面を持 ってい ることか らすれば,教育機会の有限性を制約要因 として あげることには問題があろ う。 しか し,社会的資源が有 限であ り,福祉や労働などに関わ る国民 の権利を実現す るために も資源が使われなければな らないのであるか ら, 無限の教育機会が提供で きるわけで はない。諸権利問の 調整が必要 となるところである。 また,個 々人 にとって 真 に必要であるとは言えず,「大多数 が進学 ・就学 して いるか ら」,「就職等で不利 になるか ら」 とい った社会的 圧力 ・風潮 によって教育が強制 され ることは,学習権を 真 に実現す るものとは言えない。
3,子 どもの固有性 による権利特性
市民的 自由が,子 どもと成人の区別な く適用 され るべ きことを確認 した上で,年齢制限のある人権 (職業,婚 姻,職業,選挙等)や,親権をどう理解すべきだろうか。
子 どもの権利条約 に規定 された子 どもの最善 の利益 の考 慮や,親その他の者の指導 の尊重,意見表明権 も,成人 とは違 う点である。 さらに,情報へのアクセスについて は, それを社会的,精神的,道徳的福祉や心身 の健康 の 促進 を目的 とす る情報 ・資料 に限定 し,子 どもの福祉を 害す る情報 ・資料か らの子 どもの保護を打ち出 している。
義務教育 について も, その義務が,子 どもの就学す る 義務ではな く,親の側の就学 させ る義務 を意味す るとし て も,学校 に行かない子 どもが要保護児童 として指導 の 対象 となることか ら,義務教育段階以降の場合の扱 いと は大 きく異 な っている。社会教育 の分野で, 自己学習 ・ 教育 が原則 とされ,行政 の役割が 「環境の醸成」 に限定
されているのに対 し,学校教育では,国などの公共的な 支出 ・規制 によって学校や教職員が維持 されている。
おおよそ,婚姻や,職業,選挙,免許 などの場合 は, 子 どもが能力的に未熟であるが故 に資格が制限 され,喫 煙 ・飲酒,親権,教育 などの場合 は,子 どもが弱 い存在 であるために保護 されていると考え られ る。 いずれに し て も,規制事項毎 に,社会的に合意 された一定年齢を越 えれば,相応の能力が獲得 され,保護 ・規制が必要でな くなるととらえ られ る。年齢制限のない,市民的 自由 と はいったん区別 して扱われるべ きものであろう (17)。
子 どもの人権を尊重す る立場か らも,子 どもの未熟性 と成長 の必要か ら子 どもの自由を制約す る主張 は出て き
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うる。今橋 は,子 どもの人権を強調す る一方で,成長の 過程で,親 ・大人 ・社会 ・子 ども集団か らの強制 ・規制 が必要不可欠であるとしている。 その制約 は,子 どもの 発達,人権保障を目的 とす るものであ って,合理的な制 約が存在 し,必要最小限でなければな らないとす る(18)0 また,子 どもが市民的 自由を行使す るにあた って,子 ど もの権利条約5条 に規定す る親 の指示 ・指導権を,「子 ど もの自由に対す る一般 的 な制約原理」 とす る見方 もあ る(19)。 しか し, この とらえ方 は, 日本政府や判例の考え 方 に近 くな り,実質的には子 どもの市民的 自由を縮小す
ることにな りかねない。
同様 の視点 は, ミルに も見 られ る。 ミルは, 自由の原 理の例外 として子 どもを挙 げる。「いまだ他 の人 々の世 話を受 ける必要のある状態 にある人々は,外か らの危害 に対 して保護 されな くてほな らないと同様 に,彼 ら自身 の行動 に対 して も保護 されなければな らない」。教育 は,
l 理性的 に行動す る能力の獲得や,公共的な動機か ら行動 す る習慣,「一人一人を孤立 させ るので はな く, 互 いに 結合 させ るような目的に向か って行動する習慣を与える」
ことが求め られてお り,「このよ うな習慣 と能力 が なけ れば, 自由な憲法 は運用 されることも維持 されることも で きない」 とす る(20)0
また, ロールズ も,子 どものよ うに 「自分達の力が未 発達で, 自分 の利益を合理的に増進することができない」
など, 自分 の善 のための決定をな しえない場合 には,理 性 と意思の明白な不足 あるいは欠如 によって温情主義的 干渉が正当化 され るとしている。他者 は, 自分 自身のた めに行為す るであろ うよ うに,彼 (‑子 ども)のために
行為 し,彼が欲す るであろうものを彼のために得 よ うと す る。そ して,彼の合理的な力が発達 した際,彼 は彼の ためになされた他者 の決定を受 け入れ,他者が彼のため に最善 の ことを行 ったと同意 して くれ るだろ うと,他者 は主張す ることができなければならないのである(21)。ロー ルズは,子 どもの側 の未来 における同意を原則 としてい る点で, ミル とは違 っているものの,実質的な相違 はな いと言 っていいだろう。
これ らの論理 は,子 どもの自由全般が制約 され ること を正 当化 してお り,今橋 とも共通 している。 ミルは,子 どもばか りでな く,植民地支配 についても,その未熟性, 未開性 を理 由 として正当化 していたのである。子 どもの 将来的な利益を理由 として制限す ることは,権利を先送 りに し,子 どもを無権利状態 に置 くことになりかねない。
憲法や子 どもの権利条約 に明示 されていない権利制限を 認め ることは,子 どもにとっての基本的人権の価値を無 意味化す ることに もなろ う。
もちろん, ミルや ロ‑ルズが指摘す るように,近代市 民社会 は, 自立 した自由な個人 による自由な活動 によっ
て成立す る。すなわち, 自ら判断 し,行動す る能力を有 した個人が,他者か らの権力的な介入 ・統制な しに活動 す ることが求 め られる。憲法が規定 した諸権利 ・自由を 行使す る個人 は,それを行使す るに足 る能力を有 してい なければな らない。成人 としての 「一人前」を前提 とし つつ も,現在の大人を越えて未来を生 きる世代 として, 子 どもは指導 を受 ける権利を持 ってお り,逆 に,周囲の 大人 は適切な指導を行 う義務を負 っている。子 どもの未 熟性か ら,権利制限を容認す るのではな く,必要 な能力 を獲得で きるよう,成長発達 の権利を子 どもに保障 し, 実現す ることが, まわ りの親 ・教師,国 などの義務 とな る。成長発達 は上か ら押 しつけ られ うるもので はな く, 個 々人が主体的に獲得すべ きものなのである。
この成長発達権 は,子 どもの権利条約 において,諸権 利 の冒頭 (第6条 :生存 ・発達の最大限の確保) に位置 づ け られている。成長発達権 と学習権 とが同義語的に使 用 される場合 もあるが,学習権 は,成長発達権を実現す るための重要 な前提条件の一つ ととらえ られ る(22)。学習 権 は,参政権や労働権,表現の自由などを将来的に実質 化す るための不可欠の条件であ り,「人権中の人権」(梶 尾)である。「子 どもは, その学習要求 を充足 す るため の教育 を自己に施す ことを大人一般 に対 して要求す る権 利」を有 し (学 テ最高裁判決),「将来 においてその人間 性 を十分 に開花 させ るべ く自ら学習 し,事物を知 り, こ れによって自 ら成長 させ ることが子 どもの生来的権利」
(杉本判決)なのである。
とすれば,子 どもは学習,教育 を拒絶する自由はな く, 自らの能力を高め,社会の成員 として自立 を目指すべ き 社会的責務 を負 っていると言 うべ きであろう。子 どもの 十分な成長発達がなければ,他者の権利 を侵害す る危険 性が高 まり, また,憲法 ・教基法等が想定す る社会秩序 の形成 ・維持が困難 となるのである。
この学習権 は,機会の量や質ばか りでな く,結果,つ まり,分かることまで も保障 しているのだろ うか。学校 教育法 は,義務教育段階であって も原級留置を想定 し, 課程主義の立場 に立 っていることか ら,学習権 は機会提 供の レベルにとどまり,結果 は自己責任 の問題 とす るこ とも可能である(23)。 しか し,成長発達権 として とらえ,
「一人前」 をすべての子 どもに保障す る観点か らすれば, 学習権 は,結果 に関す る保障 も含んでいなければな らな い。少な くとも,義務教育 レベルの学力水準を保障す る とともに,現段階では,高等学校 レベルの保障 も必要 に な っている。
子 どもの権利条約 は,特 に,親の指導責任 を高 く位置 づ けている。権利条約 は, その前文 の中で, 「家族 が, 社会の基礎的集団 として,かつそのすべての構成員およ びとくに子 どもの成長および福祉のための自然的環境 と
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して,その責任 を共同体内において十分 に果 たす ことが で きるよ うに,必要 な保護 および援助が与え られ るべ き である」 としている。 また,教育 の目的 として,国際人 権規約 の規定 に加え,29条で,人格 ・才能 ・精神的 ・身 体的能力の最大限の発達 と, 自然環境の尊重 とともに,
「子 どもの親および自己 の文化的アイデ ンテ ィテ ィ,言 語及 び価値,居住す る国及 び出身国の国民的価値な らび
に自己の文明 と異 なる文明の尊重」 を規定 している。
それ故,子 どもの権利を擁護すべ き第一次的責任 は親 にある。一般的 に,親 は子 どもとは血縁的な関係に立つ, 最 も親密かつ 自然 な存在である。 それに対 し,国 は,十 全 な教育機会を保障すべ き義務を負い,親 ・子 どもは国 または自治体,学校法人 と契約関係 (在学契約 :兼子) に立っ ことになる。教師 は,国 もしくは自治体,学校法 人 に雇用 され, より身近 な レベルで,職業的教育者,教 育専門職 と して親や子 どもと相対 して教育 を提供す る。
親 は子 どもの権利 を擁護す る観点か ら,その選択権や拒 否権,参加権等 を行使す ることが求め られる。親の権利 杏,親義務 と して とらえた上で, さらに実効的な権利 と
して位置づけることが必要 なのである(24)。
ただ し,親の権利行使 について も,上述の学習権 と同 様,他者 の権利 を侵害 しないなどの制約が伴 うことにな ろ う。 その制約 が課 され るのは,子 どもの学習権を親が 代位 しているか らに他 な らない。 また,専門職 としての 教師に対 してほ,人権侵害,学習権侵害が存在 しない限 り,職務内容を直接的に統制 ・規制す ることは問題であ ろ う。
子 どもの権利,特 に学習権 を,「あるべ き」 か ら 「あ りうべ き」基準へ と転換す ることも必要である。 あるべ き理想を内容 とす る場合 には,その ことへの違反 は問い に くい。 それ故,学習権が具体的な裁判規範 として機能 しうるには,「あ りうべ き」学習が内実 とされ なければ な らない。 しか し, その 「あ りうべ き」基準 は,子 ども の固有性故 に,一般成人 よりも高 い基準 に設定 されな く て はな らない。児童虐待 などの場合,成人への暴行以上 に厳 しい基準が決 め られ,罰則が設 けられていることも, 同 じ意図 と考え られ る。
しか し,学習権が持 っている理想 としての性質 は否定 され るべ きではない。子 どもの権利条約 の教育 目的に し て も,教育基本法の教育 目的で も,相当程度に理想的で, 抽象的な目的が掲 げ られている。 それ故,その目的が実 現 されていない ことを もって,直ちに罰則が科 され ると は考 えに くい。 目的の実現 のためには,教育提供者の側 の努力ばか りでな く, とりま く環境の影響 も大 きい。現 在 のように,様 々な価値観が存在す る中では, その調整 も難 しい。 ただ し, 目的に反す る価値を志向す る教育 は 明確 に否定 され るべ きなのである。
以上 のように,子 どもの固有性か ら,一般人権 の意義 が低 め られ るわけではない。固有性 の原理 は,子 どもば か りでな く,障害者 ・児, マイノ リティ,女性 な ど,一 般成人 と対比 して,特別な配慮が必要 な階層 に対 して, 共通 に適用 されるべ きである。 いわゆる社会的弱者 と位 置づ けられる人々に対 しては, それぞれの固有性 に基づ いた,適切 な法的配慮,社会的配慮が必要 なのである。
基本的人権の特例 として,機会 の格差,不平等が正当化 されなければな らない。
おわ りに
子 ども固有の権利 と,子 どもの一般人権 との関連 を検 討 した結果 として,以下 のよ うな整理を行 うことがで き
る。
①子 どもに対 して,市民的 自由に関 しては成人 同様 の 自Eblが保障 されなければな らないO他者 の権利 を侵害 す るようなことがない限 り, 自由に委ね られ るべ きで あ り,子 どもは試行錯誤の中で権利主体 と して成長す る。その際,周 りの成人 は,指導の責務 を負 っている が,強制,禁圧を行 うことはで きない。
校則 は同意を原則 として認 め られ るが,違反 を理由 に不利益処分が課 され るべ きではない。
②学習権など,社会権 も,成人 と同様 に子 どもに保障 されなければな らない。学習権 について も,教育 目的 や,選択,教育機会の量 などにおいて制約 され うるが, 制約理由は,憲法 ・教基法,子 どもの権利条約が 目指 す社会観や,他者の権利,学習権以外 の諸権利 を侵害
しないことに限定 されなければな らない。
③年齢制限のある人権や,親権 は,資格や,保護 の観 点か ら正当化 され うるが,一定年齢 までに,子 どもの 能力を一定 レベルに引 き上 げる責務 を,親 をは じめと す る社会が負 っていると考えるべ きである。
④子 どもの権利条約が掲げる子 どもの最善 の利益 の考 慮や,親 の指導の尊重,生存 ・発達権の保障 は,成人 にはない,子 ども固有 の ものであ り,市民的 自由,礼 会権等の基底 に位置づけ られている。 それ故,すべて の権利 は,子 どもの固有性の観点か ら,成人以上 の尊 重が求め られていると考えなければな らない。成人か ら子 どもへの働 きかけは,子 どもの成長発達権 を十全 に保障す る観点か ら正当化 されるとともに,限定 され るのである。
⑤子 どもは成人 として,十分 な権利行使主体 となるよ う,成長発達,学習を保障 され るとともに,社会的責 務を課せ られていると考え られ る。 それ故,権利 を放 棄す ることは認め られない。
⑥親が第一次的に子 どもの権利の代位者 ・援助者 と位
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置 づ け られ る。 国 は, 教育 機 会 の整備 を義務 づ け られ る とと もに, 親 や子 ど もに対 して, 契約 関係 に立 っ。
親 の権 利 行使 も, 他 者 の権利 や, 公共 の福祉 の観点, 教 師 の専 門職 性 の観 点 か ら制 限 され うる。
結 論 と して は, 基本 的 に,堀 尾 の説 に立 っべ きで あ る と考 え る。 つ ま り,子 ど もの固有性 か ら導 かれ る成長 発 達 権 が基 底 に位 置 づ け られ,学 習権 や,その他 の人権 は, 成 人 と同等以 上 に豊 か な もの と して読 み込 まれ な けれ ば な らな い ので あ る。 その際,成 人 と同様 の人権 が保 障 さ れ る点 と, それ故 に, 人 権行使 に課 せ られ る制約 を明確 に して お く必要 が あ る。最 初 か ら子 ど もの固有性 を考 え るので はな く, まず成 人 との同等性 を確認 した上 で, 千 ど も固有 の配 慮 か ら くる特例性 を考 え るべ きなのであ る。
国民 の教 育 権論 が, 1970年 代 まで, 主 に国家 か らの教 師 の教育 の 自由 を主 眼 に して いた こ とは確 かで あ るが, そ の ことを も って,子 ど もの人権軽視 につ なが った とす るの は, 早 計 で あ る。 堀 尾 が言 うよ うに, 国民 の教育 権 は, 教 師 で はな く,子 ど もの権 利 を出発点 に して い る点 で, 先 駆 性 を有 して いた。 現 在 は,子 ど もの権利条約 な ど, 国 際条 約 も含 め た, よ り詳 細 で, 轍密 な解釈 が求 め られ るよ うにな って い るのだ と考 え るべ きだ ろ う。
(注)
1)掘尾輝久 「子 どもの人権の思想系譜」『ジュリスト』963号, pp.67‑68,『人権 としての教育』岩波書店,1991年,参照。
2) 今橋盛勝 『教育法 と法社会学』三省堂,1983年,pp.76‑84 今橋盛勝 「子 どもの人権 ・権利をめ ぐる裁判一研究序説」『ジュ
リス ト』963号,1990年9月15日,pp.79‑80
3) 子 どもの権利条約については,永井憲一編 『子 どもの権利 条約の研究』法政大学出版局,1992年,永井憲一 ・寺脇隆夫 ・ 喜多明人 ・荒牧重人編 『新解説 ・子 どもの権利条約』 日本評論 社,2000年,石川稔 ・森田明編 『児童 の権利条約』一粒社, 1995年,子 どもの権利条約総合研究所編 『子 どもの権利研究』
創刊号, 日本評論社,2002年7月等参照。
4) 子 ども規定の多様性。多 くの論者か ら指摘 されている。広 沢明 『憲法 と子 どもの権利条約』 エイデル研究所, 1993年, pp.73‑76,等参照。
5) 広沢明,前掲書,p.4。広沢明は,子 どもの人権制限を2 類型 にわけ,まず第‑の輯型を,「子 どもの人権主体 たる地位 それ自体の制限であり,法定代理人を通 じて もなお人権を行使 できない場合」 とし,第二の類型を,「子 どもの人権行使 に伴 う制限であり, これは子 どもが人権主体たる地位には立 ってい るが,それを単独では行使 し得ず,法定代理人の代理や同意が あって初めてそれが可能 となる場合」 としている。前者には, 市民的自由と,その他の自由 (年齢制限が可能なもの) とに分 け,後者 には,親権による子 どもの人権行使の制限を挙げてい
る。(広沢,前掲書,p.3)
6) ∫.S.ミル 『自由論』(Mill,∫.S."ONLIBERTY"1859) 塩尻公明 ・木村健康訳,岩波書店,1971年,p.24
7) ∫.ロールズ 『正義論』 (Bawls,∫."A THEORY OF JUSTICE")矢島鈎次監訳,紀伊国屋書店,1979年,p.159, p.167
8) 広沢,前掲書,pp.93‑94
9) 『別冊 ジュ リス ト・教育判例百選 (第三版)』 有斐閣, 1992年7月,pp.30‑31,pp.128‑135参照。
10)事務次官通知では,権利条約が,「世界の多 くの児童 が, 今日なお貧困,飢餓などの困難な状況に置かれていることにか んがみ,世界的な視野か ら児童の人権の尊重,保護の促進を目 指 したもの」 ととらえ られてお り,意図的に,権利条約の意義 を途上国にとどめ, 日本の問題か ら切 り離そうとしている。
ll)兼子仁 『(新版)教育法』有斐閣,1978年,p.410 12) 『教育判例百選 (第三版)』,前掲書,広沢,前掲書,森田 明 『子 どもの権利 と育っ力』三省堂,2002年,等参照。判例で は,中学生の校則 (髪型,制服等)については,違反への制鼠 強制を認めていないが,高校では,違反に対する懲戒処分を認 めており,問題の残 るところである。
13)学習権 は,単に,人種,信条,性別,社会的身分,門地, さらには経済的地位によって教育機会が差別 されず,能力に応 じた教育機会が保障されるべきことを内容 とするだけではなく, 教育機会の量的拡大,質的向上や,参加をも含み込んでいると 考えるべきものである。
14)教育目的の法規定の問題性については, これまで も指摘 さ れてきた (兼子,前掲書,pp.195‑196)。 しか し, 公教育 と し て公費によって支え られた教育が,教基法等の目的規定か ら自 由であるとは考えにくい。教育委員会が,地域住民の教育意思 を集約,実現する機関であるとすれば,教師が,教育委員会か ら全 く自由に教育を行い得 るわけではない。国や自治体が,敬 育の内的事項に責任を負 うか らこそ,公務員 としての教師が, 教育権限を持つのである。 もちろん,教師の教育活動に対する 具体的,個別的な規制は,教師の専門職性の観点や,教育機関 としての学校の自律性の観点か ら否定 されるべきであろう。公 権力か らの自由は,教師ではなく,子 どもや親について語 られ なければな らない。
15)選択の自由をより積極的に認めるべきだとす る説 も存在す る。単に市場原理の適用の観点か らではな く,学校の真の改革, 学校づ くりの観点か ら行われる学校選択 は,積極的に認められ るべきだろう。黒崎勲 『教育の政治経済学』東京都立大学出版 会,2000年,等参照。
16)ロールズ,前掲書,pp.76‑82,p.232。「出生や生来の資質 の不平等は,不当なものであるか ら, こうした不平等 はともか く補償 されるべきなのである」。「格差原理は,実際には,生来 の才能の分配をある点で共通の資産 とみな し, この分配を補整 することによって可能 となるより大 きな社会的,経済的便益を
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秋田大学教育文化声部研究紀要 教育科学部門 第58集 分け合 うことに,同意す ることを表 している」。 格差原理 は,
教育 に資源を配分す ることにつながる。「教育 の価値 は, 経済 的効率性や社会的福祉の面だけか ら評価 されるべ きではない。
人々を して自分の社会の文化を享受 し,その社会の出来事 に参 加で きるよ うに し,か くて各個人 に自分 自身 の価値への確固 と した感覚を与える教育の役割 も,それに劣 らず重要なのである。」 (pp.76‑77)
17)広沢 は,年齢制限を付加することが可能 な,市民的 自由以 外の自由で,年齢制限を付 されているものにつ いて,「年齢要 件を設 けることに合理性がある限 り,政策的理由による制約 も 合憲性の推定を受 ける」 ととらえている。市民的自由と同様に, 本人の利益 よ りは,他者や社会の利益の観点か らの制限 ととら え られるとしている。 また,親権 による子 どもの人権行使の制 限 は,「薫別ま子 どもが意思能力に欠 けてお り, 人権行使 につ い ての自己決定がな し得ない場合 に限 り,子 どものために,子 ど もの代わ りにその権利内容を判断 し, 自ら決定 し行使すること が許容 される」 としている。 この場合 は,子 ども本人の利益の ために権利制限が行われる。 (広沢,前掲書,pp.ll‑12) 18)今橋盛勝 『教育実践 と子 どもの人権』青木書店,1985年,
pp.48‑52
19)石川 ・森田,前掲書,pp.26‑27 20)ミル,前掲書,p.25
21) ロールズ,前掲書,p.193
22)成長発達権 と学習権 との関係 については,広沢,前掲吾, pp.16‑19,参照。広沢 は①発達権 と学習権 を同一視す る説,② 発達権を教育 と福祉の統一 とみる説,③発達権を労働権 と教育 権 との統一 とみる説,④発達権を子 どもに重要な人権の源泉 ・ 総体 とみる説, に整理 している。本稿執筆者は,④の立場に立 っ て,学習権を発達権の一部 ととらえるべ きだと考える。 しか し, 教育への権利よ りは広範 なものであろう。
23)「各学年の課程の修了又 は卒業を認めるに当 っては,児童 の平素の成績を評価 して, これを定めなければな らない」 (学 教法施行規則27条) とされ,小学校や中学校を卒業 しないまま, 義務教育期間が終了することがあ りうるとされている (学教法 22条,39条)0
24)親の権利の重要性。今橋,前掲書や,『い じめ ・体罰 と父 母の教育権』岩波書店,1991年等参照。
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