現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力 について : 国家の相対的独自性との関連において
その他のタイトル On the Essential Contradiction in Contemporary Capitalism and Democratic Consumption
Pressures
著者 守谷 基明
雑誌名 關西大學經済論集
巻 10
号 5
ページ 529‑559
発行年 1961‑01‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15537
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶ この研究の展開は︑現代資本主義における危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趨勢としての独占ない
( l )
しは寡占によって惹起され︑かつ激化される本質的矛盾を解消させるためには︑いかなる要因が必須不可欠である
かという問題についての︑
からはじめられた。すなわち、第一に自由社会主義の立場より
J•E・ミードのとなえる経済権力の分散をめざす
趨勢としての自動調節作用の条件付回復という経済内的要因︑第二に社会民主主義の立場より
J・ストレイチーの
となえる政治権力の分散をめざす趨勢としての民主主義的圧力
三に近代経済学の立場より
J•K・ガルブレイスのとなえる経済権力の均衡をめざす趨勢としての拮抗力
Coun-t e r v a i l i n g P ow er
という経済内外的要因がそれである︒
まず︑ミードのいわゆる中間道
m i d d l e wa y
で あ
る が
︑
序論
ー国家の相対的独自性との関聯においてーー—
七 七
つぎの三つの立場を分析することとそれとの関連における政策の限界性を吟味すること
D e m o c r a t i c P r e s s u r e s
という経済外的要因︑第
これはかれ自身もその限界をみとめているように︑﹁過渡
守
谷
民主的消費圧力について 現代資本主義における本質的矛盾と
基
明
/J30
期に必要とせられる諸調整には多大の影響をおよぼしうるが︑要求せられている急激な大規模な構造的変化を完成
( 2 )
するにはそれだけでは不適格である︒﹂
つぎにストレイチーの民主主義的圧力であるが︑かれはあるときは民主政治を︑あるときは労働者の政治的圧力
を意味しているので︑ この概念は明確にされていない︒しかしながら民主政治の根本精神と労働者階級の利害とは
同時即応的ではない︒なぜなら民主政治は全階層の大衆の総意にもとづくものであるからである︒また︑かれの現
代資本主義論の骨子は経済生活における権力の集中をめざす趨勢としての独占ないしは寡占と︑政治生活における
権力の分散をめざす趨勢としての民主主義的圧力との︑
( 3 )
共存︑不安定な均衡にあるのであり︑ いわば異質局面の︑しかも反対方向の流れの緊張にみちた
したがつてそこでは︑独占ないしは寡占のもたらす本質的矛盾の解消はほと
んどなされていないことになる︒おなじことが︑さきのミードの場合でもいいうるのである︒
ガルプレイスにいたると︑完全独占については消極的にこれを否定するが︑寡占についてはその正当化をはかろ
うとする︒いなむしろ︑寡占の正当化を論証するためにその代償として完全独占を否定するといったほうが正しい
であろう︒もちろんこれは本質的矛盾の激化の隠蔽であって︑けつして解消ではない︒すなわち︑生産面では︑﹁産
( 4 )
業が進歩をつづけるためにはその産業に独占の要素が若干なくてはならない﹂といい︑﹁流通面での過大な広告やセ
ールスマン等によって象徴される独占の浪費の制度化は経済がすでに能率をあまり重視する必要がないほど貧困を
. ( 5 )
克服し社会のくらしがあまりにゆたかなために生まれるのである﹂という︒そして最後の難関である分配面におい
ても︑かれの論法によれば︑寡占はみずからが生みだした労働組合ー拮抗力によって力が抑制されることでその存
在が正当化されるのであり︑また政府は拮抗力を強化しさえすれば寡占に千渉しなくてもよいのである︒しかしか 現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
七 八
, . ̲ , . . , . , ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ , ̲ . ‑ ・ ― ‑ ‑ ‑ ‑
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
七 九
ヽ れがいまひとつの拮抗力として︑実はそれ自体が独占的商業資本である百貨店や巨大なチェーン・ストアなどを労 働組合と同列にあげるにいたっては︑現実には商業独占が産業独占に対抗する場合よりもいつそう支配的傾向は両 者が結合する場合と商業独占が零細生産者を支配する場合であるので︑拮抗力の意義はますます混乱し︑したがつ て拮抗力の形成者としての国家の前提になっている超階級性および反独占的性格は逆転せざるをえなくなる︒また インフレーションのときには﹁拮抗力に基礎をおく自動調整機能も有効でなくなる︒そしてその機能はそれみずか
( 6 )
らがインフレーションの原動力の一部となるところのたちの悪いものとなる︒﹂
かくて以上の三つ
g立場よりのそれぞれの要因はかかる本質的矛盾を解消させうる手段たりえないことになるで
あろう︒そして国家の相対的独自性の確保も︑その必要条件が後述するように本質的矛盾の解消であるかぎり︑期
と こ
ろ で
︑
ここでいう国家の相対的独自性の確保とはけつして国家がたんに現実の諸階級勢力の相対的均衡のう
( 7 )
えにたつ独自の超階級的機関となるということではない︒それは︑現代資本主義における独占ないしは寡占によっ
て 惹
起 さ
れ ︑
かつ激化される本質的矛盾を解消させうる手段の成長・発展につれ︑独占ないしは寡占による超過利
( 8 )
潤が減少・消滅することによって︑国家の二重機能のうち社会組織のなかでの階級対立から生じた権力としての抑
圧者的機能︵政治的諸機能︶が相対的に縮少し︑もうひとつの正当な機能すなわち非階級的公的機関として社会組織
のなかでの個人的活動の調整に必要なかぎりでの権力︵権威︶としての機能︵行政的諸機能︶が相対的に増大するこ
とによって︑国家が国家本来の目標を達成することができるようになるということである︒
かくして現代資本主義における危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趨勢に強力に対抗しこれにうちか︐ しえられないのである︒
532
ちうるものとして︑ いわば同質局面での︑しかも反対方向の流れとしての経済権力の分散をめざす趨勢が現に受動
的ではあるがつくられつつあり︑ そしてその趨勢が今後、能動的な意味で成長•発展するようにつくりあげられね
ばならないのではなかろうかという結論に筆者は到達せざるをえない︒そしてかかる後者の趨勢として筆者は民主
的消費圧力という経済内外的要因をもって解明せんとするのである︒なぜなら民主的消費圧力の成長・発展こそは ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 現代資本主義の危機的な状態から惹起される本質的矛盾を解消させうるもつとも有力な手段であるとかんがえうる
からである︒なお本論でふれてもいるように︑労働組合連合体の圧力も︑もとよりそれが本質的矛盾の激化を緩和
させうる手段たりうることでは異論はない︒だが︑
としての国民大衆の目的がそこなわれないかぎり︑ それは本質的矛盾を解消させうる手段ではない︒しかし消費者 このことは民主的消費圧力と労働組合連合体圧力の相互不可分
端的にいえば︑かかる民主的消費圧力は国家の相対的独自性の確保の絶対条件となりうるものであり︑また国家
は経済活動の質的深化と量的増大をとおして国家の相対的独自性をたかめうるのである︒ここにはじめて国家独自
の立場からの政策目的および政策手段の設定がなされうるであろうし︑したがつて政策の限界は独占ないし寡占が
生みだした本質的矛盾とかかる矛盾をたえず解消しようとする民主的消費圧力との代替的な力学作用によって規定
されうるであろう︒
註
( 1
)
寡占
(o li go po ly )
という言葉の起源については︑ッュンペーターの﹃経済分析の歴史﹄
Hi st or yo f E co n 0
mi c Analysis,
N 9
55 .
I︱1
0
五頁参照︒おどろいたことに︑かれはその起源をトーマス・モーアの﹃ユートピア﹄までさかのぽりえてい
る︒かれはこう書いている゜ーもし売手の数が少なければ価格は高い水準にとどまるだろう︒なぜならば︑少数の売
の強力な補完的関係を否定するものではない︒
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
八〇
,,..,_·~~-へ·---· 一··-·-••
. . • ―現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
八
手は﹁かりにわれわれが独占とよびえないとしても︑あきらかに寡占だからである︒﹂
(J.S t r a
c h e y
, C
o n
t e
m p
o r
a r
y
CaPi•
talism•
L o
n d
o n
,
1956•
p . 24 .
f n .
laKliffi~
・三字二止也訳﹃現代の資本主義﹄東洋経済︑一九五八年︑一八頁脚註︒︶
さて︑寡占は独占にくらぺて技術革新と価格引下げをおこなうことを有利とする企業が支配的な地位にたっことは否定 しえないが︑このことはかならずしも他の寡占者をおびやかすものではない︒むしろ︑かかる地位にある寡占者をリー ダーとする管理者価格制度によって寡占者すべてにとつては以前よりもより強力な︑かつ安定せる市場が確保されるの
である︒だから寡占における価格引下げも技術革新も︑そこではあくまでも︑労働者︑非独占企業とりわけ中小企業︑
それに消費者からの超過利潤の長期にわたる獲得のための短期人為的手段にすぎず︑したがつて寡占はその本質におい
て独占となんらことなるところはないのである︒
(2)J•
E .
M e
a d
e ,
P l a
n n
i n
g a
n d
t h e
P
r i
c e
M e c
h a
n i
s m
,
London•
19 48 ,
p .
1 0 .
関嘉彦訳﹃経済計画と価格機構﹄社会思想研
究会︑一九五
0年︑三七頁︒
( 3 )
C f . ,
J.
S t r a
c h e y
, o p
cit••
.
p .
180•
p .
25 5.
前掲訳書︑ニニ六頁および三二六頁参照︒
(4)J•
K .
G a l b
r a i t
h ,
A m
e r
i c
a n
C a
p i t a
l i s m
, t h
e C
o n
c e
p t
o f
C o u
n t e r
v a i l
i n g
P o
思r ,
C a
m b
r i
d g
e
&
M a
s s
a c
h u
s e
t t
s ,
1 95 2, p .
9 3
. 藤瀬五郎訳﹃アメリカの資本主義﹄時事通信社︑一九五五年︑一︱八頁︒
(5)J•
K ,
G a l b
r a i t
h ,
o p .
c i t . ,
p .1 0 2
. 前掲訳書︑ーニ七
I
︱ 二 八 頁
︒
(6)J•
K .
Galbraith•OP.cit••
p . 19 6.
前掲訳書︑二三八頁︒
( 7 )
長洲︱二編﹃現代資本主義とマルクス経済学﹄︵大月書店︑一九五七年︶のなかでのソヴェトのユ・ジーリンとユーゴ
スラヴィアのエル・イ︵だれの頭文字か不明︶との論争﹁資本主義は変ったか﹂一八 0
頁および一八六頁参照︒これは
︑︑︑︑︑︑︑︑
エル・イの見解であり︑これにたいしてユ・ジーリンの反批判は国家機能の二重性の一面︑すなわち抑圧者的機能だけ
を強調している︒
( 8 )
国家機能の二重性については︑石堂清倫編﹃現代革命の展望
1
社会主義への移行の理論ー﹄︵合同出版社︑一九五 七年︶のなかでの>.ジェルラターナの論文﹁マルクス主義の国家論と社会主義へのイタリアの道﹂九三頁参照︒なお ジェルラターナはマルクス自身がすでに国家機能のこのような二重性をみとめていたことを立証するために同書九四頁
脚註のところでマルクスの﹃資本論﹄の一部を引用している︒すなわち︑﹁あらゆる共同体の本性から生ずる共同事務の
534
遂 行
︑ な
ら び
に 政
府 と
人 民
大 衆
と の
対 立
か ら
生 ず
る 独
自 的
機 能
﹂ ︵
長 谷
部 訳
︑ マ
ル ク
ス ﹃
資 本
論 ﹄
青 木
書 店
阪 ︑
第 三
部 ︑
五 四
五 頁
︒ ︶
一︑現代資本主義における危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趣勢としての独占ないしは寡占に
よつて惹起され︑かつ激化される本質的矛盾の形成基盤である資本主義の基本的特徴︒
現代資本主義は
J・ストレイチーによれば︑あたらしい段階しかも最後の段階をしめしていると断定される︒す
な わ
ち ︑
こののちには資本主義体制の第三の形のものがくるのではなくて資本主義とよぶこと自体があきらかに言
( 1 )
葉の濫用であるような体制がくるというのである︒その理由としてかれは︑①競争の形態変化︑⑨国内的な発展の
不均等性︑③対外的な発展の不均等性︑④国家との結びつき︑伺技術の進歩と蓄積︑⑥所有と経営の分離︑ m 統制
( 2 )
の可能性の七つをあげ︑結局︑﹁経済は自動的・自動調節的性格をうしない︑はるかに中央集権的︑集中的なものに
( 3 )
︵4)
なっている﹂という︒最後の段階の資本主義の目的は実に権力の集中にあるのである︒
かくて現代資本主義の危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趨勢としての独占ないしは寡占によって本
質的矛盾が惹起され︑かつ激化されるのであるが︑
し︑そのまえにまずかかる本質的矛盾の形成基盤としての資本主義の基本的特徴を考察しよう︒
資本主義の基本的特徴のうち︑第一は︑資本主義生産の直接的目的または規定的動機は利潤の追求・増大である
ということである︒そしてその利潤が投資に向けられる︵そのことは資本の本質に内在している︒︶結果としての私的資
本
論
その本質的矛盾とはなんであるかについての考察はあとにまわ
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
八
,.,.._,.、~
ー‑ ‑ ‑ ‑ ‑
‑―八
本の蓄積は利潤増大のための第一義的かつ不可欠の手段である︒第二は︑投資は利潤が見込まれなければなされえ
ないということである︒個々の資本はその大小にかかわらず利潤の実現・増大のためには可能なあらゆる人為的手
段を講ずるのであって︑利潤の実現はけつして日動的ではないのである︒第三は︑生産力の増大とおなじ歩調で消
費を増加させることはできないということである︒なるほど﹁景気循環の上昇局面では生産と消費の増加率のちが
いから生ずる潜在的な不均衡は蓄積の急速な増加で遮蔽される︒しかし結局︑蓄積の増加は生産力をさらに増大
( 5 )
させ︑不均衡を激化させる︒﹂
以上の三点が少なくとも資本主義の基本的特徴である︒
註
( 1 )
C f . ,
J.
S t
r a
c h
e y
,
C o
n t
e m
p o
r a
r y
C a
p i t a
l i s m
, L
o n
d o
n ,
1
9 5 6 , p .
4 1.関嘉彦・三宅正也訳﹃現代の資本主義﹄東洋経済︑
一九五八年︑四
0頁 参 照 ︒
( 2
)
C f . ,
J.
S t
r a
c h
e y
, o
p .
c i t . ,
p p
.
26 ー
3 9
. 前掲訳書︑ニニー一
1一
八 頁
参 照
︒
( 3
)
J.
S t
r a
c h
e y
, o
p .
c i t . ,
p .
・ 2 7 9
̲
前掲訳書︑一
1一 五
八 頁
︒
( 4 )
C f . ,
J.
S t
r a
c h
e y
̀
o p .
c i t . ,
p .
2 5 5 .
前掲訳書︑三二六頁参照︒
(5 )
都留重人編﹃現代資本主義の再検討﹄︵岩波書店︑一九五九年︶のなかでの C ・ベトレイムの寄稿論文﹁変るもの変ら
ざるもの﹂八四頁︒
二︑本質的矛盾とその形成基盤としての資本主義の基本的特徴のあいだの媒介項
しかし︑本質的矛盾がかかる資本主義の基本的特徴から直接に惹起され︑かつ激化されるわけではない︒本質的
矛盾が惹起され︑かつ激化されるためには︑ これら二つのあいだになんらかの媒介項がなければならない︒
かかる媒介項は︑独占ないしは寡占と︑技術革新である︒前者は資本主義の三つの基本的特徴をささえる経済諸
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
5 3(r
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
法則の必然的反映としで生じ本質的矛盾を惹起せしめる︑いわば内生的・自律的媒介要因である︒これにたいして
後者はそれ自体としては資本主義経済諸法則の︑ましてや独占ないしは寡占の必然的反映ではなく︑経済体制のい
かんにかかわらず︑質的・量的な生産性向上へのエネルギー的要因でしかない︒だがしかし︑それは前者によって利
用されるかぎりにおいて結果的には本質的矛盾に拍車をかけそれを激化させるのである︒かかる意味においてそれ
はいわば外生的促進的媒介要因である︒論者のなかには独占的寡占的大企業が大規模な技術革新を可能ならしめた
と主張するものもいるが︑現在の技術革新の主要内容は戦争技術と密接に関聯しており︑第
1一次大戦の刺激によっ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ て発達したのであり︑それも﹁大規模企業のもづ技術的長所が資本主義のわく内では独占資本の長所としてあらわ
( 1 )
れたにすぎない﹂のである︒したがつ﹃て右のような主張はかならずしも正しくない︒技術革新は︑寡占体間のしれ
つな競争をのりきり不安定期におけるアウトサイダーの播頭をおさえ超過利潤の追求・増大という目的のための手
段として︑寡占体のおこなう短期人為的方策のあらわれである︒したがつて価格と市場のまったく独占的な支配︑
超過利潤の長期的保障があれば︑そのかぎりで技術革新への意欲およびその実現は阻害されるかもしくは遅延する
で あ
ろ う
︒
註
( 1 ) 越
村 信
三 郎
編 ﹃
最 近
の 独
占 研
究 ﹄
︵ 東
洋 経
済 ︑
一 九
五 九
年 ︶
の な
か で
の 長
洲 ︱
二 氏
の 論
文 ﹁
独 占
評 価
の 諸
類 型
﹂ 九
一 頁
︒
三︑本質的矛盾
さて現代資本主義における危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趨勢としての独占ないしは寡占によっ
て惹起され︑かつ激化される本質的矛盾とはなんであるかというに︑ それは過剰貯蓄の傾向︑消費需要不足の傾向 八四
,...‑‑,‑.,̲ ― .._:.____—今一.• — ‑‑‑‑‑
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
て過剰貯蓄の傾向は激化するのである︒ および過剰生産の傾向︑ これら三傾向の悪循環である︒
まず本質的矛盾を構成する第一の傾向としての過剰貯蓄の傾向であるが︑
八 五 これは投資機会の減少と高利潤のため
である︒技術革新はなるほど新資本設備が稼動するまでは投資プームをひき.おこすであろう︒だがしかし軍事投資
をのぞいては︑そののちは膨大な過剰生産の傾向を︑ひいては資本設備の遊休化を生ぜしめるであろうから︑技術
革新投資が継続しておこなわれないかぎり急激な投資機会の減少が生ずるであろう︒また独占ないしは寡占の支配
する場合においては技術革新の結果として労働生産性は増大するが︑それに比例して商品の価格水準は低落しな
い︒かかる潜在的インフレーションは独占ないしは寡占における超過利潤獲得の有効な手段として作用する︒かく
つぎは第二の傾向としての消費需要不足の傾向であるが︑これはさきの過剰貯蓄の傾向によって必然的に生ぜし
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽ
( 1 )
められる︒しかしそのほかコスト・インフレーションによっても生じ︑かつ激化されるものである︒すなわちコス
ト・インフレーションは生産費の高騰の反映としての価格騰貴であるが︑その生産費の高騰の原因は︑独占的寡占
的大企業が超過利潤を獲得するため︑技術革新が必要とする生産手段およぴ労働力の他企業よりの強引なひきぬき
的インフレーションが拍車をかけることになるので︑ ないしは誘引にあるのであり︑しかもこの場合もっぱら騰貴するのは生産手段のほうである︒賃銀率は独占的大企 業の利潤動機によってそして技術革新が総体的に労働節約的であるために騰貴がおさえられる︒これにさきの潜在
その結果︑消費需要の減退となり︑いずれにせよ消費需要不
足の傾向は投資需要に限界をあたえることになる︒また最近の技術革新にみられるように資本・労働いずれをも節
約するようなものがふえれば技術革新の資本財にたいする需要効果もよわくなるであろう︒
538
註
(1 )
﹁ラーナーは最近のイスラエルの例をひき︑賃銀はもともと高い水準から出発したうえに以後は生計費指数にスライ ドしてきまり価格のほうは生産費によってきまるという事態になっているため需給関係は影響力をもたず︑かくして
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ コスト・インフレーツョンとよぷぺき事態が発生したと主張する︒﹂(‑九五七年三月十八日︑ハーヴァード大学経済学 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
部における購演︶サムエルソンはこれをあたらしいインフレーツョンとよんだ︒
(F is ca l Po li cy I mp li ca ti on s of
t
ぎ ことはできないのである︒ 業による技術革新投資は戦争技術の革新をべつとすればかかる傾向にいつそう拍車をかけることになる︒ くて過剰生産の傾向とその結果としての設備遊休化の傾向はつねに存在するわけである︒さらに独占的寡占的大企 持ないしは騰貴させようとする傾向を内包しているので︑生産しうる財貨をすべて市場に向けようとはしない︒か 占ないし寡占は︑労働生産性の上昇による生産力の増大にたいして相対的に価格を下落させないばかりかたえず維 いする需要は︑軍需品等への浪費的支出の場合をのぞき︑なんら自動的に保障されるものではない︒そのうえに独 最後は第三の傾向としての過剰生産の傾向である︒資本主義経済においては︑投資が生みだす将来の生産物にた
本質的矛盾を構成するこれら三つの傾向︑すなわち過剰貯蓄の傾向︑消費需要不足の傾向︑過剰生産の傾向は相
互に密接不可分の関係にあることはいうまでもない︒かくして資本主義のさきの三つの基本的特徴を形成基盤と
し︑この三つの傾向の悪循環より生ずる本質的矛盾は︑独占ないしは寡占という内在的・自律的媒介要因によって
惹起せしめられ︑技術革新という外生的・促進的媒介要因によって拍車をかけられ激化される︒その本質的矛盾は
つねに構造的失業を生みだし︑かつ経済恐慌を惹起するものである︒しかるに恐慌は生産力の急激な破壊をまねく︐
ことによって本質的矛盾にたいし部分的かつ一時的な解決をもたらすけれども︑本質的矛盾をまったく解消させる 現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶ 八 六
Cu rr en t E co n
0
m ic Outlook, Hea ri ng s b ef or e th e Su bc om mi tt ee on i F sc al Policy o
f th e J o in t E co n
0
mic C om mi tt ee ,
1 9 5 8 ,
p .
3 0 . )
四︑独占ないし寡占はかかる本質的矛盾の弊害を他に転嫁させうるか
ここでは国家の経済活動︑労働組合連合体の圧力︑および民主的消費圧力がゼロかないしは無視しうるほど小さ
いと仮定しよう︒そして以後︑ 五︑六︑七の各節において順次かかるファクターを段階的に導入し︑
さていわゆる独占資本主義の段階であるが︑ この段階において独占ないし寡占はみずからが生みだした本質的矛
盾の弊害を超過利潤の確保のためにいかにして他に転嫁しようとするのであろうか︒これについてはつぎの諸経路
がかんがえられる︒すなわち︑い非独占企業とりわけ中小企業の搾取︑回商品輸出︑い私的資本輸出︑日消費者信
用︑樹設備更新の必要以上の迅速化︑包消費財ないしはサービス面における浪費がそれである︒
まず切非独占企業とりわけ中小企業の搾取についてであるが︑
八 七
その結果につ
これは独占資本による中小企業のいわゆる企業系
列化によっておこなわれる。かかる企業系列化は、「独占体が非独占企業や中小企業を原材料•生産・下請加工・
製品販売などの分野において独占体の経営にむすびつけて系列を形成し︑これによって独占体自身の生産・販売体
( 1 )
制を強化︑安定させるための独占資本支配の一形態である︒﹂この結果︑独占資本は︑生産過程での産業合理化に
よる生産費の引下げと︑流通過程でのいわば原料高︑製品安の意識的規制︵これは独占的大企業が主として重化学工業︑
エ ネ ル ギ ー 工 業 ︑ 等 の 生 産 財 産 業 か ら な っ て お り ︑ 中 小 企 業 が 主 と し て 消 費 財 産 業 か ら な っ て い る た め で あ る ︒ ︶ お よ び 下 竿 餌 代
金の支払遅延などによづて非独占企業とりわけ中小企業から二重の搾取をおこなうこととなる︒それゆえに系列下
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
いて考察することとする︒
5
ぷ〇
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
にある非独占企業とりわけ中小企業は労働者の賃銀の実質的引下げをおこなわざるをえない︒他方︑右のような系
列化のために︑その系列外にある多数の中小企業は融資︑生産技術︑販路の点で系列内にある中小企業にたいして
相対的に不利となるので︑それだけいつそう苦境におとしいれられる︒だから賃銀引下げの傾向もいつそう拍車を
かけられることとなる︒かかる中小企業における賃銀の引下げ傾向と中小企業の階層分化の促進傾向は独占的寡占
的大企業における生産性向上の結果としての賃銀の絶対的上昇すら阻止する契機となる︒しかし高利潤と消費需要
の減退がなにを意味するかはあきらかである︒それは本質的矛盾の弊害をより激化したかたちで将来へ転嫁する︒
つぎは回商品輸出であるが︑これは独占体にとつて輸入をうわまわる規模でなされた部分だけ本質的矛盾の弊害
の海外への転嫁となる︒なぜなら独占体は国内での消費需要が限界に達しており︑しかも国内での価格引下げを欲
しないために︑大量の余剰生産物のはけ口をより低廉な価格で海外にもとめようとするからである︒それで︑もし
資本主義諸国において本質的矛盾の激化が趨勢としてつよまつてくればもはや資本主義圏内の貿易では本質的矛盾
の弊害の転嫁先はなくなってくるであろう︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑ 四私的資本輸出と︑目消費者信用とは︑﹁将来需要を借りるという面すなわち現在それにみあった購買能力をも
たぬものにたいして剰余価値の一部分を貸しあたえ︑それによって現在の生産過剰部分を買わせるという方法であ
( 2 )
る︒﹂このうち前者の私的資本輸出は純投資全体の割合からいつても小さく大幅な増加は期待できない︒後者の消費
景気後退期とかさなるときには︑ 者信用は現在において消費者の購買意欲を剌激し消費需要の大幅な増加にみちびくが︑これにひきかえ将来︑それも
それ以前におこなわれた購買力以上の支出によって負債の累積した消費者は現実
の所得減退以上に消費支出を削減せざるをえなくなり︑消費需要はいつそう大きな縮小をまねかざるをえなくなる︒
八八,,,.J'<7;H̲;ev"Lo,.,,,.,,., ̲̲̲ • , ... , .•. ヽ.,,.. 一••
その論理的な帰結は経済に相当の動揺をもたらし︑
八 九
しかも消費者金融の貸付機関の側でも︑貸付にたいする危険負担の見地から一般に景気上昇期には信用条件を緩和
( 3 )
し景気後退期には逆に引締める傾向がある︒したがつて消費者信用は不安定要因であり︑やはり本質的矛盾の弊害
をより激化せるかたちで将来へ転嫁するにすぎない︒
︑ ︑
︑ ︑
︑
紺設備更新の必要以上の迅速化と︑付消費財ないしはサービス面における浪費とは︑いわば浪費の制度化である︒
資本主義が好況維持のために浪費を必要とするというかんがえは︑さかのぽればふるくは
T・ヴェプレンの一九〇
四年の著書
T宮 .
Tぎo r
y
o f
u B
s i
n e
s s
E n t e r p r i s e
のなかにもとめられる︒すなわち︑産業生産以外の面での支出
つまり産業の立場からすれば純粋の浪費であるような支出によって商品やサービスが吸収されるという現象は今後
ますます多量におこなわれざるをえなくなるだろう
Cそしてもしこの種の浪費的支出が減るようなことがあれば︑
つづいて不況へみちびくということになるよりほかはない︑.と
︑ ︑
︑ ︑
いわれる︒さてかかる浪費の制度化のうち前者の設備更新の必要以上の迅速化の傾向については︑これは独占的寡
占的大企業間での革新投資競争を反映するものとはいえ総資本にとつても個別資本それ自体にとつても浪費である︒
︵もとより独占ないし寡占はこの浪費分を場合によっては商品価格に附加することも可能であろう︒︶数字`のう︐えでこの傾向を
端的にしめすものは減価償却費が純資産にたいして占める割合である︒しかしこの減価償却率には超過利潤の観点
からの絶対的限界があるであろうし、また自国の生産性の優位が他の資本主義国の復興•発展によって狭められる
( 4 )
と減価償却率は正常化されざるをえなくなつてくる︒後者の消費財ないしはサービス面における浪費は総資本にと
つては浪費であるが︑個別資本とりわけ独占資本にとつては浪費ではなく必要経費である︒耐久消費財はいまやそ
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
の耐久性を第一の取柄とはせず年々の新型発売を生命とするようになってきている︒またいわゆるがらくた商品の
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
542
こでもやはり本質的矛盾の弊害はより激化されたかたちで将来へ転嫁される︒
以上からあきらかなごとく︑現代資本主義における危機的な状態すなわち経済権力の集中をめざす趨勢としての
独占ないしは寡占みずからが生みだした本質的矛盾の弊害は︑ある諸経路によって将来へむかつて︑ないしは他国
へむかつて一時的には転嫁することができる︒しかしながら︑
盾をひきおこすという矛盾を内包している︒そして最後にのこった経路を通過することは︑超過利濶の確保という
観点からは︑あるきびしい限界が課せられているのである︒われわれはいまや独占的寡占的大企業が自力では本質
的矛盾をとうてい回避しえないという点に企業政策の限界をみいだすことができる︒かくて独占ないし寡占は︑み の 逃 避 に よ っ て ︑ 現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
氾濫も消費財における浪費の制度化の︱つにかぞえることができよう︒さらにまたサービス部門における浪費は所
︑ ︑
︑ ヽ
( 5 )
.
得の介入現象として戦後の時期にはこの傾向はいつそうつよい︒いまや﹁広告の重要性は︑それが経済の不生産的
部分の不断の拡大を推進し︑
会 社
幹 部
︑
それが消費財の人為的老廃化と不合理な多様化を伝播させるためのもつとも有力な手
段であり︑独占的寡占的企業の要求に合致するように系統的に消費者の欲求を型にはめこむために不可欠の機構と
( 6 )
なつている︒﹂それは消費者としての国民大衆の本来の目的をあざむくことによって民主的消費圧力にたいする阻
害要因となつている︒ところで販売︑広告︑モデル・チェンジなどの浪費的費用は消費者に転嫁されるが︑同時に
セールスマン︑広告業者︑
P
専門家︑市場調査家︑
Rファッション・デザイナーたちの手にわたる莫大
な所得の大部分はこれらの受取人たちに消費されるよりは貯蓄される︒かくしてサービス部門での浪費の増大が消
費者をして半強制的に︑しかも急速に消費需要を実現せしめることによって︑ならびにかかる浪費の消費過程から
一方においては将来の消費需要不足の傾向が生じ︑他方においては過剰貯蓄の傾向が生ずる
eこ
このことはやがて以前よりさらにはげしい本質的矛 九 0
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
九
ずから生みだした本質的矛盾の弊害を超過利潤の確保のために他に大きく転嫁させるには︑国家の経済活動に全面
的に依存せざるをえないのである︒
註
( 1 )
小林義雄編﹃企業系列の実態ー独占資本の相互提携と支配強化ー﹄東洋経済︑一九五八年︑ニニーニ三頁︒
( 2 )
都留重人編﹃現代資本主義の再検討﹄︵岩波書店︑一九五九年︶のなかでの同氏の論文﹁アメリカの繁栄﹂二六九頁︒
(3)『現代資本主義購座第三巻、資本・金融•国家財政』(東洋経済、一九五八年)のなかでの奥村茂次氏の論文「消費者金融﹂三︱︱頁および三一四頁参照︒
( 4 )
都留重人絹︑前掲書のなかでの同氏の前掲論文︑二六七ーニ六八頁参照︒
(5 )
都留重人編︑前掲書のなかでの同氏の前掲論文︑二六九頁参照︒
( 6
)
都留重人編︑前掲書のなかでの P.A ・パランの寄稿論文﹁過少消費にたいする省察﹂一三八頁︒
の で
︑
五︑本質的矛盾の弊害を他に転嫁させるための国家の経済活動と︑国家の相対的独自性について︒
この段階では労働組合連合体の圧力および民主的消費圧力がゼロないしは無視しうるほど小さいと仮定している
この二つのファクターの本質的矛盾におよぽす経済効果および政治効果といったものはないわけである︒し
たがつてそれはまさに典型的な国家独占資本主義の段階である︒この段階においては︑独占ないしは寡占の生みだ
した本質的矛盾を国家は資本主義制度のわく内での財政支出の量的増大と価格体系の併用によってつぎのごとく他
に転嫁させ︑独占的寡占的大企業に超過利潤を確保せしめることになる︒
︑︑︑︑︑︑
まず資本主義体制の絶対的わく内での本質的矛盾の弊害の転嫁方法としては︑財政支出ではい対外援助と︑回最
低必要限度以上の防衛関係支出がある︒前者の対外援助には経済援助と軍事援助があるがいずれも独占資本に超過
利潤を確保させる方法であり︑ いわば被援助国への本質的矛盾の弊害の転嫁である︒しかし粗貯蓄にたいするその
544
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
割合はアメリカを例にとると最近漸減の傾向をたどり一 0 %という水準を維持することがいろいろな事情で困難と
(1
.
︶
なりつつある︒後者の最低必要限度以上の防衛関係支出は浪費の制度化のひとつである︒しかしそれは国民経済に
とつては浪費であっても個別資本とりわけ独占資本にとつては浪費ではない︒結局︑将来なんら生産力を生みださ
ず︑しかもやがて消耗してしまう軍事投資は超過利潤が保障されるかぎりにおいてもつとも絶対的な本質的矛盾の
弊害の転嫁方法として独占資本に歓迎される︒しかし防衛関係支出は国際平和による経済発展が強調されている今
日︑絶対的にも減少する可能性がつよく︑
( 2 )
ることが困難なことをしめしている︒ アメリカを例にとつてみても国民総生産にたいする比率は一 0 形をこえ
一方︑金融政策の基盤は︑寡占的大企業間の競争が価格競争から品質競争へ︑
革新投資の競争へと連鎖反応的に高度化したこと︑およびそれをささえる内部蓄積の増大したことによって︑企業
が投資決意において金利よりむしろ税率のほうを問題にするようになったために︑以前にくらべてはるかに狭陰な
ものになった︒そのかわりに租税特別措置法を中心とする一連の税制措置がとりわけ独占資本に超過利潤を保障せ
しめていることはいうまでもない︒
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
つぎに資本主義体制の相対的わく内での︑すなわち国家独占資本主義段階ではそのわく内にあるが将来そのわく
をのりこえる可能性のある︑ つまり変革をまねく可能性のある場合の本質的矛盾の弊害の処理方法としては︑財政
支出ではり公共事業による公的資本の増強︑目産業国有化︑紺社会保障支出がある︒これらの処理方法は元来︑資
本主義の論理にさからうものであるが︑さきの資本主義体制の絶対的わく内だけの処理では本質的矛盾の弊害が十
分に転嫁できず︑したがつて超過利潤の確保が保障されえないことから採られうるやむをえざる方策である︒
いの公共事業による公的資本の増強については︑ これは本来︑私的資本の活動分野としては企業収益がまった<
九
vu,~-~- . 一 〜 ←-"---—-—--·-
な限界があることはいうまでもない︒ え
る ︒
九
ないが︑しかし公共的な事業を国家がおこない︑かつ拡大することによって本質的矛盾の弊害を転嫁するものであ
( 3 )
り︑具体的には道路建設︑資源開発︑公衆衛生施設の増強などのかたちをとる︒それは生産過程および流通過程に
おける産業能率を増進せしめることによって個別資本とりわけ独占資本の高利潤の確保をたすける︒だがしかし︑
それが結果的であれ︑利潤獲得の対象となる分野をおかし利潤率を下げるような効果をもつものであるならば︑そ
の種の対策にたいする独占ないし寡占の抵抗はきわめてつよいであろう︒このことが国家の公共投資に限界をあた
目の産業国有化についても同様にいえるであろう︒だからこの段階では国有化は独占資本にとつて超過利潤の獲
得というたてまえから企業採算がまったくあわなくなってきたようなたとえば石炭産業のごとき斜陽産業の買上げ
というかたちで出発するにすぎない︒ しかも価格体系の併用は
化産業から二重の利益をひきださしめる︒第一に多額の補償費をうけとる旧所有主および利子そのほかの支払いの
受領者としてであり︑第二に私的資本家にこれらの産業がまかせられているばあいよりも低廉な価格でこれをうけ
( 4 )
とるサービスならびに生産物の利用者としてである︒﹂
悧の社会保障支出による本質的矛盾の弊害の転嫁はかかる政府支出が主として低所得者層に支払われるものであ ﹁資本家階級︵とりわけ独占資本家階級︶をして国有
るから累進税率の実施がなされるかぎり有効需要創出的再分配効果をもつことになる︒しかし累進税率の上昇は独
占的寡占的大企業の投資決意をにぶらせるものであり超過利潤の減少をもたらすものであるかぎり︑そこには大き
以上の考察によって︑価格体系の併用による財政支出の増大は本質的矛盾の弊害を他に転嫁させうるが︑しかし
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
5~6
いえるであろう︒ 資本主義体制のわく内ではその限界にきているということがしめされた
Cこのように︑本質的矛盾の弊害の転嫁は
けつして矛盾そのものの除去ではない︒われわれは財政支出の上述の量的限界ということのほかにその財政支出の
財源に注目しなければならない︒いうまでもなく財源の主たるものは一方において租税であり︑他方において公債
ち租税の割合は一三彩から三二劣に︑公私負債総額にたいする国債の割合は八︑六彩から四〇︑
国民大衆の購買力はかくして直接的には租税の増加によって︑間接的にも公債発行の必然的結果としてのインフレ
ーションの傾向によって減少をよぎなくされる︒もつともこのことはそれに相応して将来に膨大な過剰生産傾向を
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
まねくことになり︑本質的矛盾の弊害の転嫁がたんなる転嫁にすぎなかったという︑いわば質的限界をあたえるも
の で
あ る
︒
第二次大戦後のアメリカの経済繁栄を一九二 0 年代のそれと比較するとき繁栄の背後には本質的矛盾の弊害を転
嫁するいくつかの支えがあらたに登場していることに注意しなければならない︒浪費の制度化としての設備更新の
必要以上の迅速化・消費財ないしはサービス面における浪費・必要限度以上の防衛関係支出︑無償の対外援助︑将
来需要の現在需要への転嫁としての消費者信用︑
達するものであった︒ 一九二九年にくらべて一九五二年には国民所得のう
( 5 )
五形に上昇した︒
それに公的資本増強のための支出など︑
一 九
二 年代がこれらの支えなしに繁栄し︑第二次大戦後がこれらの支えをもつてしか繁 0
栄できなかったということは︑第二次大戦後のアメリカ資本主義がかつてのような本来的活力をもたぬことを示唆
( 6 )
するに十分であるし︑しかもこれらの支えに量的・・質的限界を有する現代資本主義はまさに危機的な段階にあると 発行であることに気づくであろう︒アメリカ資本主義の場合︑
現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
これらはいずれも巨額に
九 四
. , ‑ ‑ ‑ . ̲ . 一 ― ‑ ‑ ‑
いうまでもなく国家本来の目標は︑ 第一に客観的秩序の維持︑
九五 そこにはもはや国家の相対的独自性はけつしてありえない︒なぜならば︑本質的矛盾の激化を緩和することはお ろかその弊害の転嫁すら量的・質的限界にぶつかるという事情のもとでは︑また国家の二重機能のうち階級対立か ら生じた抑圧者的機能︵政治的諸機能︶が価格体系を併用せる財政支出の量的増大︑質的深化のため本来︑非階級的 公的機関としてあるべきはずの機能︵行政的諸機能︶と密接にむすびついてともに増大するという理由から︑国家は 国家本来の目標を自律的に達成することはできないからである︒かくて国家は独占資本の利害の擁護機関とならざ
第二に国家の自衛︵対外的に
は国防、対内的には治安維持)、第三に国民生活の安定・向上、第四に文化・教育の向上•発展であるが、しかるに国
家の政策目的および政策手段の設定は国家独自の立場からではなくつねに独占ないしは寡占の圧力によってなされ
るから︑政策の限界は本質的矛盾の激化によって一面的に規定されることになるであろう︒
それゆえに国家の財政支出の質的深化および量的増大︑ないしはその反映としての行政的諸機能の増強はけつし
て国家の相対的独自性確保の絶対条件ではない︒その絶対条件は本質的矛盾そのものの解消でなければならない︒
一九五九年︶のなかでの同氏の論文﹁アメリカの繁栄﹂ 註
( 1
)
都留重人絹﹃現代資本主義の再検討﹄︵岩波書店︑
照 ︒
( 2
) 都留重人編︑前掲書のなかでの同氏の前掲論文︑二六五頁参照︒
( 3
) 都留重人絹︑前掲書のなかでの同氏の前掲論文︑二七三頁参照︒
( 4
)
井汲卓一綱﹃国家独占資本主義﹄︵大月書店︑一九五八年︶のなかでの J ・クルーグマンの論文﹁国有化と国家﹂一九 0
頁 ︒
(5 )メアリ・ノリス﹁アメリカの恐慌とその諸対策﹂長洲ご一訳︵エコノミア六巻一号︶参照︒
現代資本主義における本質的矛盾と民主的消費圧力について︵守谷︶
るをえないのである︒
二六四頁参
S
島&現 代
資 本
主 義
に お
け る
本 質
的 矛
盾 と
民 主
的 消
費 圧
力 に
つ い
て ︵
守 谷
︶
( 6 )
都 留
重 人
編 ︑
前 掲
書 の
な か
で の
同 氏
の 前
掲 論
文 ︑
二 七
四 頁
参 照
︒
六︑本質的矛盾を緩和させるための労佑組合連合体の圧力と︑国家の相対的独自性について︒
この段階では前述の国家の経済活動というファクターについで労働組合連合体の圧力というファククーを導入し︑
そしてそうした場合においてのこのファククーの本質的矛盾におよぽす経済効果および政治効果といったものを考
察する︒したがつてここでは最後のファクターである民主的消費圧力はゼロないしは無視しうるほど小さいと仮定
さて労働組合連合体の構成体である労働組合の目的は生産力の発展による生産物増加の分前としての賃銀の不断
の引上げ闘争と労働条件の不断の改善とにあることはいうまでもない︒これは当然︑個別資本とりわけ独占資本の
超過利潤にたいする制限としてあらわれる︒﹁利潤こそ︑その特徴がフローであるために漸進的侵蝕がいつそうや
( 1 )
りやすい点であり︑﹂とくに独占資本にとつてはもつともよわい環である︒いまや労働組合の圧力による超過利潤の
漸進的侵蝕が本質的矛盾を緩和せしめうることはあきらかである︒なぜならそれは労働組合員の消費需要の増大を
保障するものであるからである︒だから労働者階級が生産物の分前にたいする闘争において超過利潤のいつそうの
漸進的侵蝕をなしうればうるほど︑独占ないしは寡占にたいする抵抗力をつよめうることはいうまでもない︒この
ために労働組合は組合闘争を一定方向へ︑しかも強力に結集することを必要とする︒このため労働組合はたんに個
々の労働組合として活動するだけでなく労働組合連合体を結成しなければならない︒
労働組合連合体︵たとえばアメリカでは AFL
やCIO ︑わが国では総評︑総同盟︑全労会議など︶は社会の圧力集団
す る
︒
九 六
,.,.., ヽ‑‑‑"'‑_• a . .•.· ・.—•• . ‑ .. 一 ・ 三