日本政策主体論序説 : 戦後人口政策の主体として の国家構造論
その他のタイトル An Introductory Note on Subject of Population Policies in Japan
著者 市原 亮平
雑誌名 關西大學經済論集
巻 8
号 1
ページ 1‑29
発行年 1958‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/15630
は し が き
日 本 政 策 主 体 論 序 説
市
ー ー 戦 後 人 口 政 策 の 主 体 と し て の 国 家 構 造 論 ー ー
一︑
戦前
の政
策主
体と
して
の絶
対主
義
二︑戦後の政策主体としての立憲主義
三︑政策主体と官僚四︑政策主体と資本
宇野弘蔵教授の構想に従うとすると︑人口論は政策論︵発展段階論︶に位置するのであって︑とうぜん資本主義の
発展段階︵初期資本主義←産業資本主義←高度独占資本主義︶に即して﹁経済的力能﹂としての国家形態の変容を媒介と
して展開さるべき性質のものとなってくる︒このように人口論をあくまでも原理論を前堤として構築さるべき特殊
ー段階政策論であるとすると︑人口政策の主体としての国家形態論は人口論にとつて必須の内的要素とみなされね
ばならない︒とりわけ日本人口論史をすでに数回にわたつて本論集誌で発表してきているわたくしにとつて︑戦後
日本
政策
主体
諭序
説︵
市原
︶
原吉元平
戦前における日本政党や議会のきわめて制限された地位について︑クーシネンは一九三二年三月二日につぎのよ
一
︑ 戦 前 の 政 策 主 体 と し て の 絶 対 主 義
たえられているのはいう迄もない︒ 日本政策主体論序説︵市原︶
の民主化措置の一環としての政治経済的構造変動にともなう政策主体の変貌は無視することをゆるされない︒私見
は戦前の人口政策を重商主義に体系化された絶対主義的ボピュレーショニズムとみ︑戦後のそれをマルサス説ない
し新マルサス主義に代表された近代的デポピュレーショニズムとみる以上︑従来掲載してきた日本人口論史を政策
主体論という別個の角度から照明するの必要にせまられ︑以下の政策主体論を試みた次第である︒第一次大戦後の
高度独占資本主義と半封建的農業関係との体制的矛盾の顕現化は︑機構的には習律力をもった政党政治とそれを反
撃する半封建勢力との角遂としてあらわれ︑政策主体の二重性は金融資本の産制運動の実質的承認の線と︑絶対主
義の満蒙生命線の理論に立った生める殖えよ運動の継続の線とに分裂してあらわれる︒そして満州事変以後の政治
過程については周知の論争をもちわたくしじしん別稿﹁現代史における政治と経済﹂を﹁近代史研究﹂に掲載する筈
であるが︑問題はそこから発出して敗戦後の民主化措置の本質と国家形態の変貌をどのように評価するかにかかわ
るのであって︑岩波資本主義講座に凝集されたような誤った戦後国家形態論によっては絶対に戦後の人口政策をふ
くむ諸政策の本質と主体とを科学的に把え得ないゆえんを本稿でしめしたかった︒そこで論点はおのづから戦前戦
後における政策主体の変質に集約され︑吉田政権退陣以降のいわゆる﹁日米新時代﹂の政策主体
1
1政治構造論は続
稿であきらかにする筈であって︑その意味で本稿はあくまでも﹁序説﹂の域を出ていないことを予めおことわりし
ておく︒ただし本稿ですでに戦後政策の主体が官僚であるか︑天皇制であるか︑資本であるかについての論断があ
3 このような帝国議会と政党政治の運命は︑
いえ
よう
︒
あり
︑
正末から昭和にかけてのこの政党政治も︑所詮︑﹁専制主義者の唯一の装飾物﹂︵幸徳秋水︶にすぎなかったわけで 兵をはかろうとし︑ ことがかくも困難な国は他にない︒﹂ ﹁なるほど憲法は存在する︒だが紙上に存在するにすぎぬ︒議会も存在する︒だが世界のどこをさがしても少くともいくらか主要な国で︑議会政治がかくまでにあらゆる民主主義的権利から﹃自由﹄であり︑あれほど憲法上の保証から﹃清掃﹄されている国はない︒議会がかくも非独立的であり︑言葉の完全な意味においてかくも形だけの議会である国︑君主主義的な官僚と高位の軍部の機構が議会にたいしかくも独自的である国︑事実上の天皇主義的︑階級的テロルの﹃憲法﹄の条件のもとにおいて︑選挙により被圧迫階級のいかなる代表をも議会に送るこの報告があってすぐあと︑五月十五日に︑満州事変の拡大を憂へた犬養政友会内閣・首相が勅命にすがつて撤
一群の青年将校に﹁問答無用﹂に射殺されたわけであるが︑大正十三年の護憲三派内閣以来ひ
きつづいてきた政党政治も犬養の肉体とともに亡んでかえらなかった︒両度の憲政擁護運動を踏台としてできた大
一八四八年から一八六六年までのプロシャの帝国議会が絶対王政の徐々の死滅を隠蔽し媒介したのでエンゲ
ルスによって﹁外見的立憲主義﹂とよばれた︵﹁住宅問題﹂︶のにくらべると︑
見性が強くて絶対主義の解体ではなく存続をこそ隠蔽し装飾してやったーー︑とくに政党政治時代に華やかにーー'と
遠く明治二十三年に欽定された明治憲法によって決定づけられてい
た︒旧憲法では行政権が天皇に属し︵第四条︶内閣は憲法上の機関ではなく勅令たる﹁内閣官制﹂でやっとその地
日本政策主体論序説︵市原︶ 日本の帝国議会はもつと似而非的外 うに報告した。ー—
“•
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
︵マ
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ー第
五十
六代
﹂︶
の厳
存は
︑
真の
位を認められた天皇の﹁輔弼﹂機関にすぎなく︑国務大臣の任免も天皇の信任いかんにかかつていて議会に責任を
負う必要もなかったので︑超然内閣︑官僚内閣や軍閥内閣の出現はまったく合憲的であった︒だから政党政治は大
正期の激しい民衆のデモクラシー運動を踏台として独占ブルジョアジーが絶対主義勢力︵特権的軍部︑枢密院︑貴族
院︑元老重臣勢力など︶に譲歩をもとめ﹁値切り買い﹂してえた﹁事実上の慣習﹂でしかなかったわけである︵第二
次護
憲運
動の
とき
三井
の池
田成
彬は
ハッ
キリ
政党
政治
を要
求し
た︶
︒
この事実上の慣習と力とによって三菱を頂点とするブルジョア政党で主に都市を地盤とした憲政会︵民政党︶と
三井を頂点とするプルジョア・地主の政党で主に農村を地盤とした政友会は交互に政権を担当しいわゆる﹁議院
内閣制﹂の習律をつくりあげたのである︒絶対主義の頭部である天皇自身︑
ス流の立憲君主としてほぼ行動したし︑デモクラシー運動のたかまりにもかかわらず依然半封建遣制として残され
てきた元老制も︑熱烈な絶対主義者山県有朋の歿後は政党政治の育成をつうじて元老制そのものを解消しようとし
た立憲的な﹁最後の元老﹂西園寺を残すのみとなって︑過去の半封建的な内実はうしなわれた︒だが議会や政党政
治を天皇制から独立させ独自のプルジョア的国家形態として評価し︑これを天皇制に対置させるのは誤まりであっ
た︒旧来の絶対主義機楠が部分的にプルジョア立憲主義的に変容しても︑
立・軍部大臣武官制を守りつづけてきた﹁独立せる軍隊﹂
嶽事件ー﹁売勲﹂
﹁私
鉄﹂
疑嶽
︑
この政党政治の慣習に適合してイギリ
﹁憲法の番人﹂たる枢密院や統師権の独
政党政治の確立︑したがつてきた独占ブルジョアジーヘの権力ヘゲモニーの移行をかた<阻んだのである︒事実は
何よりも雄弁であって︑絶対主義勢力︑とりわけ軍部は︑政党政治がうみだした・政権と利権との結合による多くの疑
﹁山梨﹂事件等々ーや軍縮問題とくにロンドン条約をめぐる統師権千犯問題を利
四
5
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
昭和五年以降の農業恐慌のあふりを食つて呻ぐ農民を同盟軍として動員し
さり旧財閥を﹁転向﹂ー三井や三菱・住友の国防軍事献金や社会事業献金︑
︵軍
・民
一体
︶︑
財閥家族の隠退︑
五
政党政治を葬り
特株の公開などー
だがブルジョアジーはもともと﹁議会の代表によってのみ真の規則正しい政治
﹁プ
ロン
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事問
題と
ドイ
ツ労
佑者
党﹂
︶︑
的権力を行使することができる﹂
らの政党政治の育成をつうじて独占ブルジョアジーの政策上の発言力は強められ︑相当程度規則正しく政府権力を
左右し得ていたから︑政党内閣が﹁射殺﹂されてのち無為に政党政治を復活させる﹁希望図﹂を投げすてたのでは
昭和八年になると斉藤中間内閣が窮乏に呻ぐ農村救済のために実施してきた救農村対策がかなりの効果をあらわ
し︑生糸の値上り等もくわかつて農業恐慌はやA好転し農村事情も鎖静しいわゆる﹁非常時
1
1反動小康時代﹂がや
つてきたところへ︑九年度予算の編成をめぐつていままで救農主のようにふるまつてきた軍部が軍事予算のために
農民のための予算を大幅に食ったため︑その反農民的本質が暴露され﹁軍・民離間﹂が叫ばれはじめた︒いままで
反財閥の嵐を避けて﹁財閥の転向﹂工作に狂奔していた旧財閥ブルジョアジーはこの情勢を利用して二大政党が大
同団結して政党政治の昔にかへすよう︑昭和八年暮れからいわゆる﹁政党連合運動﹂をおこすことAなった︒だが
絶対主義天皇制の強度の保護・育成をうけて生長し︑その軍事力の独占︑はてしない領土の独占︑もしくは他民族
中国その他を掠奪する特別の便宣の独占によって補佐し代行されてきた旧財閥プルジョアジーは︑この際にのぞん
でも﹁政党と財閥も圧迫されていましてこの儘ぐづぐづしていると三井も潰されてしまう﹂と危惧した池田成彬の
言にしめされたように︵池田述﹁思想と科学﹂二四年一月号︶卑屈であった︒かれらは三井系財界世話役であった郷誠 な
かっ
た︒
しめることに成功したのである︒ 用
し︑
のであり︵エンゲルス
事実
︑ 大正末か
^ ‑
た︒政友会も民政党もきたがこれにも出さず︑︵財界回顧︶と述べている︒ 日本政策主体論序説︵市原︶
︵ 註︶
之助の率いる二︑三流の独占資本家の政商グルー︒フ﹁番町会﹂を使って自らの政党連合工作を代行させるのである
が︑このもくろみが大疑嶽事件﹁帝人事件﹂の突発により連合運動の政治面ならびに資金面の担当者が多数検挙収
容されてしまい︑もろくもついえ去ると︑既成政党を最終的に見捨て内閣顧問・調査機関をつうじて直接絶対主義
ーとくに軍部勢力と接触をはじめる︒旧財閥ブルショアジーが政党への資金援助をやめ政党政治の時代にできた強
い結合関係を解いた経験については、•たとえば池田成彬は「合名が政治に関係したことはないですね。ただ私の入
る前迄は総選挙の時に選挙費を取られたということはあったようです︒これもそういう金ですから帳面にのせるわけではないし、記録が残っておるわけでなし;…•私が合名へ行ってから一ぺん総選挙があった。……ところが十一
年の選挙の時には御承知の通り財閥と政党との関係で非常に世の中がうるさくなっていた︒どうしても政党に金を
出しておつては駄目だ︒⁝⁝だから十一年の選挙の時には政党からい︐ろいろ運動にきたが私は絶対に出さなかつ
一切政党には出さなかった︒﹂
︵註︶旧番町会は大正十三年頃︑三井系財界世話役︵三菱系の世話役は井上準之助︶であった郷誠之助の麹町の邸に︑かれの秘 書後藤国彦︵京成電車︶の肝いりで財界第一線の河合良成︵日華生命︶永野護︵山叶商店︶正力松太郎︵読売新聞︶渋沢正雄
︵日本鋼管︶金子喜代太︵浅野セメント︶中野金次郎︵内国通運︶岩倉見光︵国際通運︶伊藤忠兵衛︵大阪綿系紡績︶春田護射
︵中日実業︶ら旧財閥とは直榜関係のない二︑三流独占資本家や政商が集つてできた︒このグループのうちとくに河合︑永野︑
正力が政党進合の資金面を︑
﹁番町会﹂のジンパであった鳩山文相︑中島商相が政治面を担当したのであるが︑本工作に費した 資金源の一部が帝人株の肩替りという不当利権にあったことから軍閥や平沼系検察官僚の反攻にあい未曽有の不祥疑狐﹁帝人事 件﹂がおき︑関係者が一網に打尽され︑述合運動はついえ去ったわけである︒
六
7 このようにして︑昭和十二年二月に発足した﹁軍・財協力政策﹂の担い手結城蔵相とかれの要請で就いた日銀総裁
池田成彬とのコンビ財政にいたって︑
離間﹂へ︑さらに﹁軍・財抱合﹂へ︒ いわゆる「軍•財抱合」体制はできあがった。
いまや﹁転向﹂を完了し準戦時経済が要求する軍需産業の主導的な担当者と
なってのりだしてきた旧財閥ブルジョアジーは︑絶対主義勢力︑とくに軍部とふたたび緊密なブロック関係にはい
ったわけであり︑あとは設定された軌道上を轟々とすAめばよかった︒中日事変︑三国同盟︑太平洋戦争はそのい
たましい軌跡でしかなかった︒太平洋戦争を遂行した権力︑世に﹁東条独裁﹂といわれるものは︑現役軍人として
の東条陸相がそのまA首相・内相のポストを兼ねたもので︑
七
﹁機
構
l
を両階級から絶対的に超越した中立的なものとみる
この軍閥独裁を蔑賛したものが明治以来のわが国政党
が近衛の新体制運動のバスに乗りおくれないため自ら解体し大合同して成った﹁大政翼賛会﹂であった︒この惨め
な一国一党体制はなんら明治憲法に抵触するものではなく︑むしろ帝国憲法によって似而非立憲主義︑外見的立憲
主義としての運命を決定ずけられた帝国議会と政党にふさわしい転落の姿であった︒
絶対主義を地主・プルジョアのプロック権力であるとみ︑資本主義の発展とともに権力ヘゲモニーが前者から後者に移行し一般 的危機の段階ではファッズムにもなれる︑ただし絶対主義機棉はそのま
4
のこりファンズムがそれを行使するのだ︑ー
│lこのよ
うに機楷はそのま
4
で権力ヘゲモニーだけが変わるのだ︑とい便利な論法は︑日本の﹁天皇制ファッズム﹂論者によってひろく 採用されている︒だが長い間のソヴェト絶対主義論の最近の決算は︑このように権力機構と地主・プルジョア両支配階級ー別々 の生産関係のうえに立つーの権力ヘゲモニーの問題とを切り離し︑
いわゆる﹁均衡論﹂的な絶対主義論をうちくだいている︒たとえばソヴェト大百科辞典第二阪第一巻︵一九四九年︶の﹃絶対主
︑︑
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︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
義﹄の項には絶対主義論の最近の決算がはたされているが︑そこでは絶対主義が絶対主義であるかぎり権力ヘゲモニーが封建的
︑︑
︑︑
︑︑
︑ 勢力にあることが確認され︑地主とプルジョアジーのプロックの﹃力の均衡諭﹄が批判されている︵名古屋大学法政論集第一巻
日本政策主体論序説︵市原︶ ﹁軍・民一体﹂から﹁軍・民
閥解体と独占禁止および経済力集中排除︶︒
二 ︑
日本政策主体論序説︵市原︶
第一号掲載の稲子氏紹介を参照︶︒すでにクーツネンは一九三二年に﹁日本に現存する絶対主義的支配がその抑圧的な点におい
て他の資本主義国のファンズムにけつして劣ることのない﹂独裁形態であることを指摘し︑
怪を使って現存の天皇制を美化する﹂ファッズム論︵天皇制ファッズム論も同類︶を批判し︑﹁天皇制の絶対主義的性質を蔽い︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑性急な誤まれる結論ーーー﹃日本の国家権力は金融資本のヘゲモニーの下におけるプルジョアジーと地主の手中に存する﹄ーとい
︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
う性急な誤れる結論﹂を警めているが︑これはソヴェトや戦後日本における絶対主義本質論や﹁自由諸国﹂のマルキストたるス
ウィージーとドップの間の絶対主義と﹁過渡期﹂にかんする論争の貴重な成果によって完全に裏書きされている︑といえる︒
戦 後 の 政 策 主 体 と し て の 立 憲 主 義 アメリカ占領者は日本の無条件降伏の直接の結果として国家主権を制限するとともに︑
日本帝国主義のなかのも つとも軍事的・封建的な部分ーそれは同時に反米的要素でもあったーを解体し︵世襲的特権制度ー皇族・華族制度の
廃止︑宮廷・重臣勢力や枢密・貴族院︑軍隊組織の破製︑戦犯の逮捕︑特高・憲兵の廃止︑軍国主義団体の解散︶︑
その経済的 下部構造を改革し︵農地改革︶︑旧日本帝国主義のうちアメリカ帝国主義との敵対性がすくなくむしろ積極的に利
用できる政治経済的諸力は温存して改編・再編成した︵行政官僚・警察・検察機構の再紺︑天皇の神格否定と象徴化︑財
このようにして絶対主義権力機構︑軍事的執行装置は破壊され︑温存され た唯一の旧国家機構ー﹁日本政府機構及び諸機関﹂は完全に政党政治に従属せしめられ︑
リカの軍政的権力機構の立憲的な装飾物・占領下の下部行政機関に変質したのである︒占領者は天皇制権力をとり あげ権力の空白をアメリカの軍事権力でうづめ︑自らの軍政的専制を隠蔽する無花実の葉として政党政治ー立憲主
義を確立せしめたのであり︑
四六年十一月三日に発布された新憲法は︑
この占領者に隷属した立憲主義を公的に確
一九四六年末までにアメ
﹁迫
りつ
4あるファシズムという妖
八
︐
︵註︶旧権力の解体作業は極東軍事裁判や欽定憲法の放棄や新憲法の制定によって完結をみたので︑
九
に依つて
絶対主義天皇制の中核で あった天皇大権とそれにもとづく﹁独立せる軍隊﹂を失い改組されている戦後の官僚機構はもはや﹁天皇制官僚﹂ではなく︑立 憲的議会政治に従属しており︑この隷属立憲機構の内部で日本独占プルジョアジーは主媒権をにぎつている︒日本議会政治がア メリカ軍政権力の触手としてその末端を構成しているという本質は占額統治が日本政府をつうじての﹁間接統治﹂﹁間接支配﹂な のだ︑という支配者のギマソ的な表現と宜伝によって隠蔽され︑日本政府は﹁国民代表制﹂にもとづく国権の最高機関ー国会の 信任をうけて自主的・立憲的に占領行政を担当しているのだ︑という錯党を生ぜさせ︑国民の一部も政府と国会とを占領者から きりはなしてそれだけを人民民主主義化しうるかのような幻想におちこんだのである︒
明治憲法の下に存在した帝国議会では議会は天皇に属した立法権をたんに協賛する機関にすぎなく︑議会とは独
立に天皇大権にもとづき強力な立法力をもった内閣や枢密院が存在して議会を抱束したが︑新憲法では天皇大権は
消滅してしまい國会は国権の最高機関になり唯一の立法機関になっている︒それは議院内閣制と総理大臣の任免権
によって立法府たる内閣を抱束するとともに︑裁判官を弾劾し司法官僚を審査する権限をもつのであって︑戦前の
形式的な政治体制を天皇中心主義と呼ぶならば戦後のそれは国会中心主義といえよう︒現国会は衆参両院とも直接
平等の普通選挙︵財産の多寡による有権者の制限なく︑成年の男子はもちろん婦人にもひろく参政権を与えている︶
おり︑参議院は戦前の貴族院のような特権階級の独占物でなくなっているうえに衆議院優越主義をとつているの
で︑この戦後の議会主義は国民の﹁選良﹂を集めた議会が国民の意志にしたがつて立法権力を行使しているのだ︑
という偽制により︑独占プルジョアジーのために﹁何年かに一度支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧しこれを
踏みにじるかを決定する﹂という﹁議会制度の真実の本質﹂を遣憾なく発揮している︑といえる︒
日本政策主体諭序説︵市原︶
︵ 註︶
認したものであった︒
ところが以上述べてきた政党政治や議会主義は占領者の軍政的支配︵単独講和成立までの︶や﹁大使館政治︐一︵構 権力の内閣総理への集中によって一応解決せられた︑といえよう︒
日本政策主体論序説︵市原︶
行政権力の頭部に位置する内閣も︑新憲法ではイギリス流の議院内閣制が採用され︑内閣が連幣して天皇にでは
なく国会の信任に依存することAなり︑天皇の大権事項も内閣の権限に移った︒最大党の首領が国務大臣の過半を
国会議員より得て組閣するというこの議院内閣は︑バジョットの﹁作られたものであるが︑作ったものを亡ぼす権
利をもつている︒立法府の指定のまAに実行する行政者であると同様に立法府の息の根をとめる執行者でもある﹂
という指摘にもあきらかなように︑資本主義の一般的危機の第二段階の条件のもとでは﹁国権の最高機関﹂たる立
法府を行政権力に従属させ議会制度から有機的に資本の反動的暴力独裁ーー占ノァシズムをみちびきだすのに有力な
適合した武器となりうる︒事実︑吉田内閣が政府与党をして国会内部で存分に多数の暴力をふるわせ︑
︵ 註︶
の名におけるファシズム﹂傾向をみちびきだした次第は周知のとおりである︒
﹁民
主主
義
︵註︶帝国主義時代においては︑議会の立法活動は内閣の強い﹁内面指渫﹂のもとにおこなわれ立法権を犠牲にして行政権力の強
化がはかられるのがふつうで︑戦後日本にあっても例外ではない︒かつては天皇大権ごに抱束されて国務大臣と基本的に同栽であっ
た総理の地位は︑新憲法のもとでは名実ともに﹁首長﹂となって国務大臣の任免権をおさめ内閣を代表して行政官僚にたいする最
高の指祁権をえたからには︑談会を犠牲にして強化されていくこの政府権力はさらに内閣総理の一手に集中されていく︒ーー'天
皇大権を笠にきたかつての東条独裁│ーー首相・陸相・内相はもちろん参謀総長をも兼任し国務はおろか統師にまで手をひろげた ーが皮肉にも自らの支配力の及ばない海軍統師とそのパックとなった天皇側近の誼臣屈の天皇大権の発動によって政権を追わ れたという事実に集中的にしめされているように︑絶対主義天皇制のもとでは権力割拠の矛盾はついに救えなかったが︑この封 建的権力機構が本来もつ割拠や分立の矛盾は︑新憲法下の現在︑半封建的権力機楷の破棄とプルジョア議院内閣制の採用︑政府
)0
II
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
和以
後の
実質
上の
高等
弁務
官政
治頷
向の
もと
での
︶
なかのデモクラシーなり政党政治なりを楽しんでいたにすぎないことはすでに述べたとおりであり︑占領前期に占
領者の軍政
1
1超憲法的支配がどのように国会の自主性を侵しもぐらの穴から堤防がこわれるようにデモクラシーと
①立法権の制限︒すでに四五年九月︑占領軍権力は﹁間接統治﹂という偽制の支配形式を利用しつA明治憲法第
八条にいわゆる緊急勅令によって﹁ボッダム宣言の受諾にともない発する命令に関する件﹂
布させた︒これは︵一︶応機敏速ニボ宣言履行二万全ヲ期スルト共二︑
よらずに占領者の一切の要求がいつでも国民に強制できるような万能の命令であり︑
︵勅
令第
五四
二号
︶を
公
諸外国ノ直接強権カノ行使ヲ防止スル﹂ことを理由に︵深井英五﹁枢密院重要議軍覚書﹂押しつけたもので法律形式に
いわゆるボッダム勅令とよば
れた一連の人民弾圧法はこれを根拠にきづきあげられたものである︵食糧緊急措置令︑団体等規正令の前身たる勅令第一
0
一 号 ︑
占領目的有害行為処罰令︑外国人登録令など︶︒この勅令は新憲法の実施後はボッダム政令として残され︑憲法
に違反しそれを超えた存在となり︑占領者はこれを根拠に国会の審議権を無視したし政府もポ政令に依存して国会
を軽んじたのである︒
図法案審議権の制限︒法案の審議は提出から修正・可決・否決にいたるまですべて事前に
G S︵
民政
局︶
によ
る承
認が不文律として要求された。法案の大部分は政府によって堤出されG.H•Q内部で討論してAを通過、日本人
によってなんら本質的な変化をくわえられないようになったものだけが
G
に堤出され国会で立法化された︒議員S
堤出の法案もほとんど与党に限定され︑原案修正や審議遅延にたいしては超憲的な﹁その筋の意向﹂が政府によっ 政党政治を阻んでいったか︑を次にみよう︒
︵二︶帝国領土内二於テハ帝国臣民二対シ に従属しその軍事支配を立憲的に装飾するもので︑日本国民は檻の
"'←‑ ん
て強調され無条件通過が押しつけられた︒たとえば四八年七月二十三日のマッカーサー書簡にたいし芦田首相は書
簡を命令と解釈し政令第二
0
一号で公務員の団結権を禁止したが︑リアム国会課長が直接国会に乗りこんで圧力をくわえたのである︒
たのである︒ この政令の国会での改正審議にさいしてはウィ
③予算審議権の制限︒占領者はまた予卵編成権を完全に握ることにより国会の予算審議権を熊視した︒すでに四
五年十二月十六日の占領者の命令でこのことは行なわれていたので︑日本政府はそれ以後予算の編成および修正は
すべて占領当局の許可を要することAなっていた︒野党はもちろん与党議員すら予算内容を知らず︑国会は審議前
に司令部と事前交衝して反対されたら修正はできず︑占領軍の財政的基礎にふれることはタブーとされていた︒た
とえば四七年度予算編成の際占領軍は湘大な終戦処理費︵占領分担金︶の増額を要求したのにたいし日本金融プル
ジョアジーの代表者石橋蔵相もやむなく占領軍予算の放慢さを指摘し増額要求に難色をしめすや︑
G
Sは吉田内閣
をして早速石橋を追放せしめた︒また四八年度予算は芦田内閣のもとで野党と社会党左派の反対で約ニヶ月間もみ
マーカットが政府に急速な成立を要求したので委員会で否決されたものが本会議で可決されて成立し
占領者のもとで国会が国民よりも占領者に近いものとなり隷属を深めれば深めるほど議員の腐敗と買収とは露骨
になり国民の民族的抵抗もたかまつていったので︑国民的エネルギーを議会主義の枠内におしこみ眺着するために
も国会は絶対者にたいし抵抗の姿態をとらざるをえなくなる°││一九五
0
年春の第七国会で占領者の強い支持のもとに条文中の一ケ条の修正さえ許可されないことが予示されて国会に堤出された地方税法案は︑衆議院では野党
総退場という異常な光景のうちに可決されたが︑参議院では政府側の占領者の﹁内面指導﹂をうけてのあらゆるエ に
もん
だが
︑ 日本政策主体論序説︵市原︶
13
国会の役割をますます露骨化させた︒ ︵事後承諾︶︑条約・協定にともなう立法はその内容が事実上決定済となっており︵行政協定にもとづく刑事特別法︑防衛
秘密
保護
法な
どは
国会
では
修正
廃止
の自
由が
ない
︶︑
冬念
的協
i宗〜または外国予算に規定づけられる見返資金特別会計︑防
術分担金等の予算の審議権も国会から失われていること︑占領制度下で押しつけられた超憲法的なポッダム勅令法
が講和後国内法としてもちこまれ国会の審議権を侵していること︵たとえば勅令第一〇一号にもとづく団規令が破防法と
して継承された︶等々にしめされているように︑三条約がもたらしたいわゆる﹁サンフランシスコ体制﹂は従来の占
領者の超越支配をはづし日本政府の直接支配に還元させたのであり︑隷属ファシズムの執行者としての日本政府と
三
︑ 政 策 主 体 と 官 僚
新憲法発布の前後にそれに対応して行政官庁法や国家公務員法がつくられ︑行政機構のプルジョア的な改革がお
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
の隷属性は解消しなかった︒ 作も効なく否決され不成立となったのであり︑一外人記者はこれをもつて﹁日本国会の総司令部に対する最初の公
然たる挑戦﹂と評した︒このとき野党代表者がホイットニー民政局長にだした﹁国会の自主性を認められたい﹂と
いう要請は国会の自主性を要求する国民的エネルギーに押しあげられた声であった︒
だが二七年四月に発効をみた講和•安全保障の両条約と行政協定にもとづくアメリカ軍隊の継続駐屯とは、占領
軍司令部の超憲法的な軍政的支配を︑官僚政党化した保守政権とその附録となりはてた国会との合作による多数決
ファシズムを﹁示唆﹂で内面指導する隠険な﹁大使館政治﹂へ移行せしめ︑強大な軍事的圧力のもとで政府と国会
両条約・協定が﹁国権の最高機関﹂たる国会の審議と承諾なくして締結されたこと
行者
にな
る︑
という特徴をもつており︑戦前のようにプルジョア政党を全体として制圧し︵無産政党にたいする禁 日本政策主体論序説︵市原︶
こなわれた︒第一に敗戦前は政府や行政官僚は天皇に直属し議会から独立しており︑首相以下大臣は軍部もしくは
行政官僚の最上層がなるのがふつうで︑政党政治は僅か八年間の例外的存在にすぎなくしかもきわめて外見的立憲
主義の性格が強かったことは既に述べたとおりであるが︑いまや厳格な議院内閣制のもとでは官僚の上層も政党入
りして幹部や首領にならないと首相はおろか大臣にもなりにくいことAなった︒また敗戦前はあらゆる官制は天皇
の﹁官制大権﹂によってきめられ議会は一指も触れることができなかったが︑いまでは行政機構の大綱が立法府︑
つまり国会によって定められるだけでなく︑各省の部局設置までも法律事項となり︑かくして官僚は議会にそれを
通じて国民に奉仕する﹁公僕﹂となった︒第二に以前の官僚は無制限の専制君主たる天皇によってのみ任命される
天皇の﹁臣﹂であり︑天皇にたいしてのみ責任と忠誠の義務を負い︑天皇の大権を上級から階層的に下級へとわか
ち与えられ︑したがつて上級にたいしては絶対随順であるが下級︑とくに国民にたいしては小専制君主で特権身分
であった︒いまや﹁公共の奉仕者﹂となり国民の選良が決定した政策を忠実に執行する﹁公僕﹂︑つまり立憲君主
制の官僚にかわったのであり︑戦前に独自の政治勢力としてブルジョアジーにたいしもつていた強い独自性が失な
われ︑官僚機構は全体として政党政治とブルジョアジーに従属せしめられることAなった︒すなわち戦後官僚機構
は米日独占プルジョアジーが行使するのにもっとも適当した立憲君主制官僚であって︑占領権力は直接かれらを手
足としたり官僚政府をつくらせてかれらを使ったのではなく︑政党内閣をつうじてそれに服属した官僚機構を使っ
たの
であ
る︒
したがつてこの戦後官僚制は︑独占プルジョアジーの政党政治をつうじての民族的階級的圧迫を円滑にしその執
一四
15
ジョアジーにたいしもつていた特別な意味における高度な独自性はいまや失なわれている︒
解釈
し︑
自衛隊法第七︑
一 五
圧はいうまでもない︶封建地主階級の権力ヘゲモニーを保証してやることによって︑かれら︵絶対主義官僚︶がプル
満州事変以後の天皇制反動の本山が「独立せる軍隊」をひきいた上層の軍部官僚ー—l軍閥であることは疑いをい
れないが︑かれらが使用した最大の武器は統師権の独立であった︒まづ苦槻民政党内閣を無視したまA満州に兵を
動かしてのちは作戦用兵だけでなく軍の編成や兵額の決定もさらには軍事制度全般も統師権のなかにふくめて拡張
ついには一般国務にまで容隊して政治的制覇を遂げ大東亜戦争という破局にまでつきすAんでいったわけ
であるが、敗戦後の陸海空三軍の生誕といわれる自衛隊ーー—本年七月一日に「戦力ある軍隊」に孵化したー—ーは、
八条によると︑旧軍隊の統師権に相当する最高指揮権は内閣総理の手中にあり︑防衛庁長官は総理
の指揮下に三軍を統括することにきめられていて︑もはや統師権は独立していない︒こAでわれわれは五0年四月
十一日に中国本土の爆撃を主張した日本占領支配の絶対者マッカーサーがトルーマン大統領に罷免され︑現代アメ
リカ大統領制のもとでは絶対者ではなく︑独占ブルジョアジーに頭使される軍部官僚の一人にすぎないことをしめ
した印象的な事件をおもいおこす︒P.スウィジーはかつての日本と現代アメリカの反動政治とを比較して︑旧日
本の軍部・官僚の独占ブルジョアジーにたいする相対的独自性に着目し︑現代アメリカには旧日本のような意味で
の軍部や官僚がなく︑アメリカの支配階級はまった<資本家であってかれらは二大政党を支配し﹁上から﹂
ジョア階級それ自体の軍国主義化﹂をおこしていることを指摘している︵﹁マックアーサーの意味﹂﹃マンスリー・レヴ
ェー﹄一九五一年六月号︶︒現代日本の自衛隊もまた最高指揮権を政党内閣の首班にゆだね︑同時に直接監督権をアメ
リカ軍需援助顕問団(MAAGIJ)に掌握されたまA米日独占ブルジョアジ1︑とくにアメリカにあつく奉仕する
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
﹁ブ
ル
自衛隊︑司法・検察官僚︑警察官僚︑ 装置・軍事装置﹂があった︒ ものといえる︒ 日本政策主体論序説︵市原︶
他衛兵としての性格をもつていて︑もはや絶対主義的な﹁独立せる軍隊﹂ではありえない︒
自由党政 さらに第十九乱闘国会の要因となった︑政府および国会延長をはかつてまで強行通過させようとした改悪警察法
案は︑自治体警察を廃して都道府県警察一本建とし警察力の中央集権化をおこなったうえこれを警察庁長官の単独
の指揮監督にゆだね︑しかも長官の任免権を内閣総理に託そうという構想であった︒こんにちの司法官僚もまた長
たる裁判官を除いては政党内閣が任命し︑検察官僚も法務大臣の一般的指揮監督をうける建前になっているので︑
退陣前の吉田内閣の行政権力がブルジョア三権分立主義にもとづいて分立されたこれらの司法権や準司法権
1 1検察
権を犠性にして異常に強化されていたことは︑造船疑嶽の汚職自由党幹事長救済のため政府によって発動された指
揮権という名の前代未聞の暴力をみただけであきらかである︒しかも衆議院決算委員会が検察庁の首脳を喚問し造
船疑嶽検察の実態を究明しようとしたときに︑小原法相に絨口令をしかれた検察首脳が職務上の秘密を理由に不誠
意きわまる証言しかしなかったことは︑保守党政権に屈従した現代日本官僚の﹁能吏﹂ぶりをイカンなくしめした
十五万をこえる三軍
1
1自衛隊︵実は他衛隊であるが︶と強力に中央集権化されつAある+七万の警察力︑
権の指揮権という名の暴力にまったく屈従した司法権力や検察権力、ー—'こAに史上いまだかつてない権力を独占
した自由党総理とそれを翼賛する自由党内閣とこれらの附録となって与党自由党の多数の暴力の横行にまかされた
最高権の所有主国会と三者が三位一体となって押しすAめている﹁ブルジョア階級それ自身の軍国主義化﹂の執行
一言にしていえば軍事・治安官僚機構が右のようであるなら︑政党政治と
一六
17
が自由党︑一九名が改進党︑五名が無所属︑二名が左社︑
一 七
一名が右社と鳩山派となっており︑自由党議員中の 交渉が多くそれだけブルジョアジーの影響をうけやすい行政官僚ーーー大蔵、通産官僚、農林官僚などー—ーにいたってはほとんどいう必要もない位である︒戦後日本政党︑とくに保守政党議員の最大の補給源が戦前戦時中の天皇制局長ー次官ー大臣という官僚の最大の夢は国会の議席を占め政党幹部にならなければほとんど不可能だからである︒ことに自由党は第二次吉田内閣を組織して以来かの長州閥の伊藤︑桂両内閣に匹敵するような︵ともに延七年半︶長期にわたり政権を独占してきたから︑
八小物>の多い党人よりも旧日本軍国主義やアメリカ占領者の日本支配に 協力し国民抑圧の行政技術を身につけた﹁能吏﹂を吸収して政権担当の能力を強めてきたわけで︑とくに第二次吉
田内閣の組閣当時には︑池田勇人︵前大蔵次官︶佐藤栄作︵前運輸次官︶岡崎勝男︵前外務次官︶吉武恵市︵前労仇次官︶
ら二十八人の上層官僚が入党し︑かれらの先輩吉田首相︵田中内閣の外務次官︑ニ・ニ六事件後の広田内閣の外相候補︶の
もとに官僚派をつくり吉田自由党の主導権︵総裁︑幹事長︑政調局長など︶
︵ 註︶
る ︒
をにぎつていたことは周知のとおりであ
︵註︶この時自由党では次のように述べてかれらを歓迎した︑ー大体官僚とくに上層官僚は一般的な頻向として︑本質的に資本主義
の経済組織を是認するものでこの意味から社会主義政党より保守党にヨリ身近なものを惑じている︑と︵読売︑四八年七月二十日︶
一九五三年四月の総選挙における衆議院議員当選者のうち官僚出身者は九三名にたっし︑
%︑改進党中の二五%が実に官僚出身者で占められていることになる︒自由︑改進党内部の官僚派はたとえば池田
勇人のように出身官庁大蔵省にたいする﹃顔﹄を利用しこれと有機的と結びつき官僚機構を円滑に﹁ブルジョア階 官
僚︑
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
戦後の﹁占領官僚﹂であることはいうまでもない位で︑
このうち過半の六六名
これは議院内閣制が確立されたこんにちでは︑
部
日本政策主体論序説︵市原︶
級それ自身の軍国主義化﹂すなわち政府権力の強大化と奉仕せしめる役割を果すのであり︑かれらの政党内部にお
る︒造船疑嶽で指揮権を発動して汚職内閣の馬前に討ち死んだ犬養法相の後始末に﹁司法部の大先輩﹂小原直を据︑︑︑︑︑︑︑︑︑えた理由は﹁朝日﹂によれば﹁今度の疑嶽問題などでかなり反政府的な面もある検察陣に抑えを利かせる意味をも
属させることによってー事実︑衆院決算委員会における検察首脳の証言を聞くと法相の検察陣鎖撫の目的が完全に
はたされたことがわかる1政府権力を強め﹁上から﹂のファシズム化に貢献しているのをみれば︑以上のことはさ
らにあきらかである︒つまり小原法相が﹁部内出身の法務相﹂であることによって旧吉田政権に奉仕した役割は︑
保守党内部の官僚派︵かれらの出身官庁にたいする影響力が強ければ強い仕ど官僚支配は容易となる︶
た重要な任務であり︑官僚機構と保守政権との間に介在して前者を後者に円滑に従属させることができた事務官僚
︵ 註︶
出身の政党人が︑たちまち政党幹部になりあがつて絶大な発言権をもつてくる︑という例は戦後乏しくない︒
︵註︶官僚出身政党人の出身官庁は農林省がもっとも多くついで内務︑通産︑運輸という順になっているが︑政党幹部になるの は外・渉外官僚と大蔵官僚が多い︒池田男人が異数の抜擢をうけ吉田外遊の留守居の番犬として党幹事長にも就いた理由は︑戦 後自己資本が貧弱になった財界から政治資金を調整するには是非国家の財政投資や特銀関係の融資のカスリをとるほかないので
﹁金融官僚﹂を引き具したかれが党資金調達係として活躍した実鎖と﹃顔﹄とにもとづく︒これにくらぺると官僚機撒にたいす る影響力もなく戦後の新しい地盤の開拓もない戦前派﹃大物﹄政党人がおくれをとるのは当然で︑第五次吉田内閣当初の農相 内田信也がたまたま﹁麦価問題﹂で多くの自省出身の代議士を送り出し団拮力も強い農林省官僚ー吉田内閣の再三の行政整理案
にも強い抵抗をしめし撒回させる主力となってきたー—ーと池田政調会長の強引な圧力とに狭まれて、ついに辞職した事情をみれ たせているようである﹂
︵二
十九
年六
月十
九日
夕刊
︶そ
うで
ある
が︑
にひとしく課せられ
小原法相が検察官僚を自由党政府にまった<従
ける役割を天皇制官僚の政党支配と解すべきではない︒むしろ先に述べたように政党の官僚支配とみるべきであ
一八
19
このように戦後日本の官僚制は政党内閣に完全に従属することによって米日独占ブルジョアジーにあっく奉仕し
ているのであり︑
一九
上層の行政官僚は在任中に最大限に保守第一党に忠勤を励んでおきかつての﹁治績﹂の褒賞とし て政党入りした際に重要ポストを獲得するのである︒たとえば片山連立︵社会党と民主党︶かつ内閣は公務員の生活 補給金
O ・
八ヶ月分の財源を社会党左派のいう輸出不合格のメリヤス売却代金で宛てることをせず鉄道通信の運賃 値上げという大衆負担に求めたため左派の強硬な反対にあい自党の鈴木委員長の率いた予鍔委員会でみごとに否決 されこれを直接の理由に退陣したわけであるが︑政権タライ廻しをうけた後続の芦田内閣のときには﹁不思議なこ
これは片山内閣当時の主計局長
F
氏が公務員 とに全然運賃の値上りによらない予算が組まれていた﹂のであって︑
手当の財源が絶対に出ない︑と頑張つて社会党首班内閣倒閣の具に供し保守第一党の点数をかせいだことにもとづ く︵世界二十八年八月号︑座談会﹁立法の頬廃﹂︶︒
とくに買弁性のつよい官僚が米日独占ブルジョアジーの帝国主義的利害がとくにするごく対立してきたとき︑
日本
ブルジョアジーよりもアメリカ独占ブルジョアジーに強く従属しその限りで日本ブルジョアジーにたいし相対的独
︵ 註︶
自性を強める︑という事態の発生をさまたげない︒
︵註︶ただし戦後絶対主義権力が破棄されていくなかで行政官僚機構だけは改組されはしたが存続を許された唯一の旧制炭で旧
時代の天皇制官僚の性格を残したこと︑政党政治が一応確立したにもか4わらず明治以来の日本政党の非立憲的な伝続のため立
法府として完全な国会活動ができず官僚の立法能力に依存しなければならないこと︑占領者がしばしば立憲的国家機樅の正規の
ルートを経ずに直接官僚を行使しいわゆる﹁占領官僚﹂の横行をまねいたこと︑等々が隷屈行政機構内部で官僚機構の力を非常に
日本政策主体論序説︵市原︶ ばこのことはあきらかである︒
だがこれらの事情は︑
隷属国家機構の内輪で渉外官僚のように
ち通
過し
たの
は一
︑
0六一︶であるのに︑衆厳院談員による提出法案はニー五︵通過したのは一五六︶︑参談院厳員による提出
法案は八二︵通過したのは五二︶であり︑久しく政権から締め出され戦後再絹して新発足したわが国政党の立法能力が強大な機
構・スタッフ・予算権力をもち法案作製過程を握る官僚にいかに強く依存しなければならないかがわかる︒しかし﹁ストライキ
規正法案﹂を作製した官僚が﹁官僚はんて命令のま4に打つタイプライターです﹂と洩らし︑個人的には﹁私は現状で十分と考
えており︑法律でストを規制するのは好ましくないと思う﹂と答えながら国会で答弁に立ったり起草に当ったりする場合︑政府
の意見の忠実な代弁者になるのであって︑官僚の政党や企業への従属やそれらとの結合が指摘される︵小林正樹﹁戦後重要立法
の立法過程研究﹂社会科学紀要第三輯︶︒
四
︑ 政 策 主 体 と 資 本
戦前にあっては︑すでに触れたように︑元老・重臣︑枢密院・貴族院制︑軍部の統師権︑国務大臣の単独﹁輔弼﹂
制 ー ー と の よ う な 半 封 建 的 な 法 制 上 も し く は 慣 習 上 の 権 力 が 分 立 し た ま
A
しかも全体として政党政治を牽制したの で︑大正十四年に護憲三派内閣は普通選挙案を通過せしめた返す匁で﹁予防戦争﹂ならぬ﹁予防階級戦﹂の見地か ら
﹁ 治 安 維 持 法
﹂ を 制 定 し
︑ 資 本 と 賃 労 佑 の 公 然 た る 政 治 斗 争 は
﹁ 一 般 を 戒 め 不 穏 な る 行 動 に 出 づ る が 如 き 事 を 予
防﹂するため︵若槻内相の第十九帝国談会答弁︶未然に否認された︒こA
では多くの封建的権力機構の牽制と﹁治安維 持 法
﹂ の
﹁ 予 防
﹂ と に よ っ て 総 資 本 と 総 労 仇 と の 政 治 斗 争 が 公 然 と 舞 台 に あ ら わ れ る こ と も な く
︑ し た が つ て 資 本 も 総 資 本 と し て 鍛 練 さ れ 組 織 化 さ れ る こ と も な く
︑ い く ら 政 党 政 治 の 習 律 が で き て も 独 占 プ ル ジ ョ ア ジ ー は 主 と し
︵註
︶
て係累関係だけで二大政党と結合したにとどまった︒
たかめたことは疑いえない︒ 日本政策主体論序説︵市原︶
たとえば第一国会から第十回会までの間に提出された法案をみても︑
政府
提案
は一
︑ 二0
一六
六︵
う
21
な動きの是正を求めたことにもあらわれている﹂
︵註︶たとえば最初の本格的な政党内閣である原政友会内閣の首相原敬は古河財閥の顧問︑護憲三派内閣の首相で憲政会総裁だ った加藤高明は三菱の岩崎弥太郎の婿︑政友会田中内閣の首相田中義一の勘定奉行が久原房之助︵久原財閥︶︑民政党浜口内閣 の首相で民政党総裁浜口雄幸の勘定奉行が三菱の仙石貢というように︒またこの結合関係自身がいかに非公然のものであったか
敗戦後半封建的権力機構は解体され︑.﹁予防階級戦﹂のための治安維持法も撒廃され︑政党政治を中心とするボ
総資本と総労佑の政治斗争も合法化し公然とあらわれた︒
対主義的な戦後内閣︑東久弥︑幣原両内閣のあと旧国家権力の瓦解と民主勢力の革命的なたかまりのため憲政史上
未曽有の一ヶ月におよぶ政治的空白ー権力のマヒがあったが︑それも占額者の軍事権力によって代置され補強され
第一次吉田内閣が登場してすぐーー'ニ︱年八月には経済団体連合会
︵経団述︶が発足したかまる労佑攻撃に対抗した︒マヒから立ち直った独占ブルジョアジーの組織的攻撃は片山︑芦田
両中道内閣にいたつて占領権力と右翼社会民主主義者の露骨な協力をえて強められていったが︑さらに単独講和が
成立し財界人の追放解除が始まったころから︑かれらの自由党政府にたいする圧力活動と保守政党にたいする組織
的な指導とは急速に強化された︒この間の事情について朝日は﹁安定した単独内閣を期待するため財界には自由党の
分裂をさけたいとの空気がきわめて強い︒
日本政策主体論序説︵市原︶ これは解散後まもなく財界人有志が集まり︑政党とくに自由党を対象と
した政治献金について︑政治資金規正法にのせ党一本としての献金を申合わせるとともに︑自由党幹部に対し分裂的
︵二
十七
年九
月十
八日
︶と
った
え︑
さらに﹁財界人の間に治安︑と
くに防共体制の確立︑占領下経済行政の修正などを急務とする意見がもりあがり︑財界の発言力強化による保守政 ることがあきらかとなつて最初の議院内閣︑ ッダムデモクラシーが広汎にあたえられた結果︑
は池田成彬の言︵本文六頁︶にあきらか︒
絶
よれば︑ー﹁:・・・・財界からまとめ役を買つて出た番町会のチエ者永野護氏︑
る写真をアメリカに送ることだ﹄と走りまわって︑三木︑前田会談をとりもつて︑党の一本化ー財界ーアメリカと
いうのが保守陣営の共通の目の向け所のようだ⁝⁝﹂と︒
自由党一本化を条件に合法︵届出︶のものだけで総額二億円におよぶ選挙資金を投じた財界の保守安定政権確立
の要請も効なく︑吉田・鳩山の対吃がふかまり民同派が結成され(+一月八日︶民同派の野党への同調により前代
未聞の吉田首相懲罰動議が可決され︵二十八年三月二日︶吉田内閣不信任案が可決され直ちに衆議院解散︑自由党民
同派の分党となった︵三月十四日︶︒
米日独占ブルジョアジーが総選挙に期待したのは総資本を政治的に収束するような﹁安定政権﹂の実現であり︑
め︒
ハー
ジさ
れて
いた
︶の
永野
護︵
万邦
交易
社長
︶
であ
った
︒
﹃私の目的は吉田・鳩山が握手してい ﹁朝日﹂が財界の某代表人物の談としたったえるところに 党の結集によって独立直後の重要な時期を乗り切ろうとの動きがある点に注目されている︒今回の総選挙に当つても︑各企業から立候補に対するのと並んで財界がまとまつて政党執行部に資金援助をするなど︑積極的な動きをみ
総選挙で自由党が過半数を占めながらも内紛のため安定政権の成立が危ぶまれた十月三日︑
長は林自由党幹事長と会見し自由党の一本化を要望︑おなじ日に川北興銀頭取は﹁もし政界の安定が保たれない場合
は︑財界があえて政界をリードする党悟さえ必要だ﹂と述べた︒翌四日には指導的な四経済団体が一致して自由党
がきめられたが︑ 分裂反対の決議をつきつけており︑十月二十三日の吉田・鳩山会談でようやく吉田首班が決定︑ふたたび吉田政権
この間内紛の解決にもっとも活澄に動いたのが旧番町会員で追放解除︵戦時中謀咬代議士だったた
せた
︒﹂
︵同
十月
六日
︶と
報じ
てい
る︒
日本
政策
主体
論序
説︵
市原
︶
﹁経団連﹂の石川会
,:̲且