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中国文献に見える麝香について ―その香と薬の効用―

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(1)

︹論  文︺ 中国文献に見え︐る爵香

−そ  の 香 と について

 薬 の 効 用1

高   橋 庸   郎

扇字について

 漢・許慎﹃説文解字﹄︵以下﹃説文﹄と簡称す︶では︑爵字は腰

字でとっている︒・鉄は金・韓孝彦﹃四聲篇海﹄に︑﹁鉄︑亦た敢に

作る︵妖亦作敦︶﹂とし︑この﹃篇海﹄の基謄となった梁・顧野王

﹃玉篇﹄の︑今残る残巻を集めた﹃原本玉篇残巻﹄︵中華書局・一

九八五年九月刊︶には︑鉄字は無いが︑日本・市岡正﹃大全字林玉

篇﹄には︑﹁妖は射に同じ︵鉄同射︶﹂とする︒また明・張自烈﹃正

字通﹄には︑﹁族は射に同じ︵族同射︶﹂とある︒・族は﹃説文﹄に︑

﹁弓弩は身より発して遠きに中る︵泌㎜︑弓弩讃於身而中於遠也︶﹂

とするが字解としては要領を得ない︒射は今︑身と寸に従うが︑射

字の構成素としての身と︑本来の身字とはその成り立ちが同一では

ない︒身は﹃説文﹄に︑﹁躬なり︵菜︑躬也︶﹂とする︒所謂互訓で       かが ある︒段玉裁が︑﹁躬は身の幅むを謂うなり︑脊骨に於て主とする

   中国文献に見える慶香について なり︵躬謂身之偲主於脊骨也︶﹂とするのは︑﹃説文﹄の呂部に︑﹁躬 は身なり︑躬︑或は弓に從う︵熊︑身也︑鮮︑躬或從弓︶﹂とあ るからであろう︒康駿﹃文字源流淺説﹄は︑﹁腹を椙ぎたる裸誰の 人の形の側颪を象る︑男誰なり︵象担腹的裸誰人形側硯︑目疋誇張胸 鶴腹鱈人形︑晩金多作男形︶﹂とする︒白川静可字統﹄は︑﹁みごも

っている人の側身形﹂とし︑両者男女対象となっているのは興味深

い︒てれに対して射字は欺字であり︑康殿﹃古文字学新論﹄では︑

射を一字素から成る字とし︑﹁手にて弓を引き矢を讃するの状を象

る ︵象手引弓蟹矢之状︶﹂とする︒﹃説文﹄は︑爵字を慶字とする

が︑いずれにせよ射︑妖は一字構成の中の音符である︒

 次に爵字の上部鹿かんむりであるが︑﹃説文﹄は︑

 ﹁農︑獣なり︑頭の角︑四足の形を象る︑鳥鹿は足相い似たり︑

 也と尺に從う﹂

 ︵獣也象頭角四足之形︑鳥鹿足相似從七尺︶

とする︒段玉裁附注本は﹃鵠舎﹄によって︑﹁烏と鹿は足︑相い比

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(2)

   阪南論集 人文・自然科学編 第二十三巻第三号

べて︑比に從う︵鳥鹿足相比從比︶﹂とし︑更に静嘉堂蔵本﹃宋本

説文解字﹄にある︑﹁尺に從う︵從尺︶﹂をはぷく︒尺は﹃説文﹄に︑

 ﹁十寸なり︑人の手十分を郡きたる動脈を寸口とし︑十寸を尺と

 す︑尺は規築の事を指尺する所以なり﹂

 ︵十寸也人手都十分動脈爲寸口十寸爲尺︑・尺所以指尺規築事也︶

とある︒段玉裁は︑

 ﹁寸は十分也︑禾部に日く十髪を程とし︑一程を分とし︑十分を

 寸とす︑又日く︑律の数は十二︑十二禾は秒にして一分に當る︑

 十分にして寸なるは︑漢志に日く︑九十分は黄鐘の長なヶ︑一を

 一分とし︑十分は寸とし︑十寸を尺とし︑十尺を文とし︑十丈を

 引として一五度審かなり﹂

 ︵寸十分也︑禾部日十髪爲程︑程爲分︑十分爲寸︑又日律敷十

 二︑十二禾秒而當一分十分而寸︑漢志日九十分黄鐘之長︑一爲一

 分︑十分爲寸︑十寸爲尺︑十尺爲文︑十丈爲引而五度審夷︶

また︑  ﹁指尺は當に指序に作るべし︑聲の誤なり︑指序は猶標目なり﹂

 ︵指尺當作指序︑聲之誤也︑指斥猶標目也︶

と注している︒また﹃字統﹄は︑﹁手の指の栂指と中指とを展げた

形﹂としている︒いずれの場合も鹿がこうした意味を持つ尺に従っ

ているとは考えられない︒散に陳昌治刻本などの︑﹁尺に從う︵從

尺︶﹂がはぷかれたテキストの方が穏当と考えられる︒鳥は籟文で

は−黒で︑鹿の七に当るものとほぽ同形のものが一つその足として

付いている︒﹃説文﹄が︑﹁鳥と鹿とは足相い似たり︵鳥鹿足相似︶﹂       二 というのは︑康殿も﹃文字源流淺説﹄に︑﹁鹿の足がなぜ島の足と 似ているなどと言えるのか︵鹿足想能与鳥足相似?︶﹂というよう に疑問に思わざるを得ないが︑両字の籍文の下部が似ているという のであれば理解出来よう︒鳥は足二本の爲七が一つ︑鹿は四足の爲 二つのヒ︑即ち比に從うと言うことになる︒

二︑獣鳥について

 扱︑﹃説文﹄は︑﹁巖︑は小慶の如し︑膳に香有り︑鹿と鉄に従う

︵爵︑如小廃瞬有香︑從鹿鉄︶﹂とする︒塵は﹃説文﹄に︑﹁濠︑

鹿の属なり︑鹿に従う︑米聲︑廉は冬至に其の角を解く︵簾︑鹿脇

従鹿米聲冬至解其角︶﹂とする︒これについては﹃穗記・月令﹄に︑

伸冬の月に﹁廃の角解く︵廉角解︶﹂とあり︑伸夏の月に﹁鹿の角

解く︵鹿角解︶﹂とみえる︑廉は一年でその角を落す鹿で︑申国で

は極くありふれた鹿類であったらしく︑﹃山海経・北山経﹄に︑﹁獣

有り︑其ノ状鼠の如し︑而して菟首慶身︵有獣焉︑其状如鼠︑而菟

廃身︶﹂とか︑﹁獣有り︑其ノ状塵の如し︵有獣焉︑其状如廉︶﹂と

かまた﹃東山経﹄にも︑﹁獣有り︑其ノ状慶の如くして魚目︑名づ

けて袈胡と日う︵有獣焉︑其状如廃而魚目︑名日袈胡︶﹂というよ

うに︑他の動物を説明するのによく引き合いに出されている︒爵は

その廉よりも小形の鹿である︒﹃爾雅︑緯獣﹄に︑﹁爵父ハ磨足ナリ

︵爵父腐足︶﹂とあり︑郭瑛は注して︑﹁脚は魔に似て香有り︵脚似

薦有香︶﹂としている︒魔は﹃説文﹄には塵で取り︑﹁慮︑暮なり︑

(3)

鹿と困の省に従いて聲なり︵塵︑蟹也從鹿困省聲︑讐層︑穐文は省せ

ず︵薦︑籍文不省︶﹂とする︒爵について﹃輝名﹄は︑﹁爵︑小鹿の

如し︑香有り︵爵如小鹿有香︶﹂とする︒また﹃山海経・西山経﹄

の︑﹁其ノ陰︑旛牛︑麗^爵多し︵其陰多旛牛露騨︶﹂に対する郭瑛

の注は︑﹁爵は揮に似て小︑香有り︵爵似樟而小有香︶﹂とある︒﹃説

文﹄は︑﹁虐︑廉の属︑鹿に從いて︑章聲﹂とするから︑揮は恐ら

く塵のことであって︑それは郭瑛の説く所からすると︑ほば腐と同

じ属であり︑又それは﹃説文﹄によって廃とほぽ同じ種に属するも

のであるということになる︒現に﹃本草綱目﹄で李時珍は樟と摩と

は同じものとして扱い︑更に魔とも同じとしている︒そして唐の孟

読の注を引用し︑

 ﹁肉は廉の肉と同じ︑酒を醸すに良い︑遭家は其の肉を以て星辰

を供養す︑名づけて白蹄とす︑十二辰には慶さず︑握賦ではなく︑

禁忌は無きなりと云う﹂

 ︵肉同簾肉醸酒︑良︑道家以其肉供養星辰︑名爲白臓︑云不麗十

 二辰︑不是腫賦︑無禁忌也︶

と説明し︑更に時珍は︑﹁揮は胆白く性は怯︑水を飲むに影を見れば

轍ち奔る︑道書には揮鹿は魂無きと謂うなり︵揮胆白性怯︑飲水見影

軽奔︑遣書謂樟鹿無魂也︶﹂と述べているがこれは段成式﹃酉陽雑遇

績集巻八﹄の﹁公又道書中に説きて摩鹿は魂無き故に食するは可な

りと言ふ﹂︵公又説道書中言摩鹿無魂故可食﹂によるのである︒この

﹃本草綱目﹄は爵について︑﹁其の形は樟に似たり︑故に俗に香揮と

呼ぷ︵其形似樟︑散俗呼香揮︶﹂としている︒また﹃周穗︑考工記﹄の︑

   中国文献に見える魔香について ﹁天時愛火以圏︑山以章︑水以龍﹂の鄭玄注に︑﹁章は讃みて揮と爲 し︑揮は山の物なり︑衣に在りては︑齊人廃を謂いて揮とす︵章讃爲 揮︑樟山物︑在衣齋人謂簾爲樟︶﹂という︒また晋・崔豹﹃古今注﹄に︑  ﹁暑は牙有りて瞳む能はず︑鹿に角有りて鰯く能はず︑蟹は一名  層︑青州の人は魔を謂いて蟹とす︵肇有牙不能瞳︑鹿有角不能  鰯︑蟹一名魔︑青州人謂麿爲塵︶﹂とある︒  つまり爵は︑薦︑麗︑塵とよばれる鹿と殆んど同じ類の鹿で︑そ れ等と異る点は︑爵が少し小型である点と︑香を有しているという 点である︒﹃説文﹄の︑﹁麟に香有り︵膀有香︶﹂については︑宋・ 黄鑑の﹃楊文公談苑﹄に︑  ﹁商の汝山中︑爵多し︑其の踏を絶愛す︑人に遂われ急すれば印  ち岩に投じ︑爪を學げて其の香を捌裂すれども就ち繁して猶四足

・を操して其の糖を保つ﹂

 ︵商汝山中多爵︑絶愛其踏︑爲人遂急即投岩︑撃爪捌裂其香︑就

 繁猶洪四足保其踏︶

とある︒また唐・段成式﹃酉陽雑姐﹄にも︑

         Lたた      すす  ﹁水爵瞬中︑皆水渥る︑一滴を一斗の水中に用いれば︑衣物を溺       や  ぐも莫の香歓まず﹂

 .︵水爵瞭中皆水涯︑一滴於斗水中用︑濯衣物︑其香不歌︶

とある︒また宋・林適の﹃梅花詩﹄に︑﹁小園の姻景は正に凄迷た

り︑陣陣たる寒香は爵瞬を塵す︵小園姻景正凄迷︑陣陣寒香歴爵

膳︶﹂の句がある︒また李時珍は﹃本草綱目﹄の中で爵番のことを

爵贋香と呼んでいる︒つまり爵麟は爵香の分泌する所であるが︑ま

      三

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(4)

   阪南論集 人文・自然科学編 第二十三巻第三号

た爵香そのものの別名でもある︒

 鹿部の字には他に屡字があり︑﹃説文﹄には無いが︑明・梅鷹昨

﹃字彙﹄に︑﹁磨は爵磨なり︑獣磨なり︑俗字︵農︑爵磨︑獣瞬︑

俗字︶﹂とあり︑﹃正字通﹄にも磨字の説解として︑﹁農は俗の香字

なり︑爵香に因りて別に屡を作る︑誤なり︑香は印ち爵膀の出す所

なり︵磨︑俗香字︑因欝香別作屡︑■誤︑香印所出爵麟也︶とある︒

この爵に本当に騰なるものがあるかどうか定かでないが︑亮阿閣梨

兼意の﹃香要抄﹄には挿図があり︑角のない小鹿様の動物が丹念に

描かれている︒そしてその爵の下腹部には︑明かに香が発せられる

麟として描かれたと思われる円形の巻紋がはっきりと書き込まれて

いる︒因みに﹃本草綱目﹄にも爵の挿図が附されているが︑これに

は蹟と覚しきものはえがかれておらず︑その絵は頸部が長く︑頭部

は異形で全体として稚拙である︒また寺島良安の﹃和漢三才漢圃

會﹄にある挿図は︑﹃本草﹄で言えば猫類に当るもののようで鹿類

とは全くかけ離れたものがえがかれている︒例えば頭部はまるく︑

口を挟んで上下にそれぞれ髪竈をつけ︑胴には虎様のしま紋様が入

り︑尾は太く長いと言った具合である︒この図にはそのもととなっ

たものがあるはずであるが︑その由来に與味が感じられる︒また

﹃政和護類本草﹄に附された爵は︑角がなく︑全体に鹿類のそれら

しくは描かれてはいるが︑細い点や特徴などは判然としない︒しか

し以上述ぺて来た挿図で共通する特徴は︑いずれも角がなく︑髪髭

らしきものがあり︑上顎に牙状のもの.があるという点であろう︒こ

れ等三点が爵と他の鹿類と外見上の相違を示す最も大きな特徴とい えるのであろう︒

三︑六朝以前の康についての記述 四

 爵につ−いて触れた最も古い文献は︑前掲﹃爾雅﹄の︑﹁爵父は魔

足なり﹂を除いては︑恐らく﹃山海経﹄ではなかろうか︑前に挙げ

た例文の外に﹃中山経﹄に︑﹁陽帝の山︑美銅多く︑其の木は橿︑

紐︑簗︑楮多く︑其の獣は黒爵多し︵陽帝之山︑多美銅︑其木多橿

柾簗楮︑其獣多農爵︶﹂ともある︒﹃山海経﹄に書かれた動物は荒唐

無稽なものが多いから︑これ等の文に見える疑が︑果して本当に後

の所謂爵香を取る鹿類の爵を意味しているかどうかは疑問である︒

更に﹃山海経﹄での爵は︑その瞬や香に触れられることが全くな

い︒それはやはりこの場合の爵と言われているものが︑後の爵香ジ

カではないということなのか︑或は﹃山海経﹄の撰述者が︑欝の香

というものを全く知らなかったのかどちらかであろう︒時代的には

撰述者が香の知識を得るには少し早や過ぎたと見る方が妥当であろ

うか︒  ﹃後漢書・南蟹西南夷列樽﹄に︑宣帝時代の蜀郡の栴駝夷につい

て記した箇所があり︑そこに︑

 ﹁露羊有り︑毒を療す可し︑又蘂鹿を食す有り︑鹿魔にして胎有

 る者は︑其の腸中の糞︑亦た毒疾を療す︑又五角の羊︑欝香︑軽

 毛號鶏︑牲牲有り︑其の人能く旛麗︑班騎︑青頓︑毫灘︑■羊搬の

 魔を作る︒特に雑薬多し﹂

(5)

  ︵有簸羊︑可療毒︑又有食薬鹿︑鹿魔有胎者︑其腸中糞亦療毒

 疾︑又有五角羊︑爵香︑軽毛疑難︑牲牲︑其人能作旛麗︑班闘︑

 青頓︑毫魏︑羊鞭之麗︑特多雑薬︶

とある︒前後の療毒︑薬鹿︑療毒疾︑雑薬といった語旬から見て︑

この爵香は明かに薬用としての産物に違いない︒この時代に爵香の

薬としての効用が認識されていたということは特筆すべき事である

にちがいない︒しかしこの部分の記述は飽くまで︑西南夷の俗とし

て書かれており︑ということは寧ろ当時漢民族にはこうした習俗は

入っておらず︑よって爵香の薬用効果もまだ認識されていないとい

う事を裏から証明するものでもあろう︒漢・劉散の﹃西京雑記﹄に

成帝の后妃となった超飛鷲の話があり︑そこに︑       曲く  ﹁趨飛鷲︑皇后と爲り︑其の女弟は昭陽殿に在りて飛鷲に書を遭

      あ﹂た      ﹃と   う  りて日く︑今日の嘉き辰︑饗姉︑洪擬を愁め鷹けらる刀謹みて三

    たてまつ 曲く  十五條を上り橦りて︑以て踊躍の心を陳べん﹂

 ︵趨飛鷲爲皇后︑女弟在昭陽殿︑藩飛鷲書日︑今日嘉辰︑費姉愁

 鷹洪帯︑謹上壁二十五條︑以陳踊躍の心︶

とあり︑その三十五條の中に︑金博山香鐘︑青木香︑沈水香︑香螺

層︑九真雄爵香などの名が見える︒しかし前漢成帝の時代︵武帝よ

り四代後︶に已に︑青木香︑沈水香︑爵香などが実際に香櫨で焼か

れていたとはどうも考えられない︒これ等の香の名称は馬王堆出土

医禺書や︑武威出土漢代医簡にも見えないから︑香としてのみなら

ず︑薬用としてもまだ用いられていなかったものと想像されるし︑

それに中国に於材る焼香の風俗の定着と確立はどうみても仏教の伝

   中国文献に見える騒香について 来以後と考えられるからである︒勿論だからと言ってそれ以前には. 全く無かったというわけではないだろうが︑香の名称などがそれ程 判然と確定されていたとは些か考えにくいのである︒﹃西京難記﹄ は晋の葛洪の撰とも︑梁の果均の依託ともいわれるように︑この辺 りの記述にはやはり六朝期以後の匂いを感じないわけにはいかな い︒因みに九真雄爵香というのは︑九真山で獲れた雄の爵香ジカか らとった香ということであろう︒九真山は湖北省漢陽縣の西南で︑ 九つの峯に九人の仙女がいたといわれている山である︒また爵の生 息している所については︑文献として他に﹃太平御覧︑香部﹄所収 の﹃嵩高山記﹄に︑  ﹁人有り︑嶺上に在りて︑異聲にして清︑和︑雅︑妙なると聞き  尋ねて復た得ず︑唯だ一爵香︑嶺上に在るを見るのみ︑側足震跳  して忽ち在る所を失う﹂  ︵有人在嶺上聞異聲清和雅妙︑尋不復聞︑唯見一爵香在嶺上側︑  足愛跳忽失所在︶ とある︒爵の声の清︑和︑雅︑妙というのは︑その香の持つ特質を そのまま声の特質としてとっているのであろう︒嵩高山とは嵩山の ことで︑河南省登封県の北にある名山で五岳の一つである︒また

﹃荊州圏記﹄にも︑﹁臨澄縣の南に龍寄山有りて獣有り︑爵多し︵臨

潜縣南有龍寄山有獣多爵︶﹂とある︒龍寄山というのはよく知られ

ないが︑九真山・嵩山ともに仙人伝説を持つぐらいの山であるから

可・成り高く険しい山であろう︒爵は山岳・高山に生息するものであ

るらしい︒

      五

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(6)

阪南論集 人文・自然科学編

四︑黎薬としての鳥香 第二十三巻第三号

.爵香が非常に高価なものとされていたことは︑﹃太平御覧・香部﹄

所収の﹃南夷志﹄に︑

 ﹁南詔に婆羅門︑波斯闇︑婆渤泥︑毘籍藪種有り︑外道交易の慮

 なり︑珠珍賓多く︑黄金︑蟹香を以て貴貨とす﹂

 ︵南詔有婆羅門︑波斯闇︑婆渤泥︑毘蕎藪種︑外道交易之虜︑多

 珠珍費︑以黄金爵香爲貴貨︶

とあるのを見れば解る︒また外国貿易としても盛んに取り引きされ

ていたということであろう︒﹃唐書﹄には︑﹁波斯國の人は皆︑欝香

を以て蘇の如く︑髪に塗し︑額に馳じ︑及び耳鼻に用いて以て敬と

す︵波斯國人皆以爵香如蘇塗髪貼額及於耳鼻用以爲敬︶﹂とあるか

ら︑ペルシャ人達の用途は漢民族と少七異っていたようである︒

﹃齋書﹄に︑

 ﹁東昏侯は金に蓮花を襲して︑地に帖し︑藩妃をして其の上を行

 かしめ︑此に歩するは蓮花に歩するなりと日う︑地に塗るは皆爵・

 香を以てす﹂

 ︵東昏侯襲金蓮花帳地令播妃行其上日此歩歩蓮花也塗地皆以爵

 香︶ とあるが︑如何せん爵香は高価なものであったから︑いつもこうし

た豪勢な使い方が出来た訳ではない︒

 前にも述べた如く︑この六朝時代は神仙遣家の思想が大いにもて       六 はやされていた︒香類は︑そうした時代を反映して︑神仙実現への 霊薬として重宝がられていたのである︒晋・陶淵明の﹃綬捜神記﹄ に︑  ﹁桓哲︑字は明期︑豫章に居りし時︑梅玄龍︑太守となり︑已に       ユメミ  病む︑哲往きて之を省て梅に語りて日く︑吾れ昨夜忽ち夢る︑卒  となりて卿の來りて太山府君と作るを迎うと︑梅之を聞きて惜然  として日く︑吾れ亦た夢に︑卿の卒となりて︑衣を着し︑來りて  我を迎うを見る︒数目復た同じく夢みること先の如くして︑二十  八目に當に拝すぺしと云う︑二十七日日に至りて蹄したる後︑桓  忽ち悪に中りて腹脹満す︑人を遣して梅に爵香丸を索めしむ︑梅  聞きて便ち凶具を作らしむ︑桓便ち亡す︑八日にして梅卒す﹂  ︵桓哲字明期︑居豫章時︑梅玄龍爲太守已病︑哲往省之語梅日︑  吾昨夜忽夢作卒迎殉來作太山府君︑梅聞之樗然日︑吾亦夢見御爲  卒着衣来迎我︑藪日復同夢如先︑云二十八日當舜︑至二十七目臓

■後︑桓忽中悪︑腹脹満︑遣人就梅索魔香丸︑梅聞便今作凶具︑桓  便亡︑八日而梅卒︶

という語がある︒この場合︑桓が爵香丸を求めた理由は︑それを飲

むことによって病気を癒さんとした爲か︑或は蟹香を服して□ダ解仙

たらんとしたものかは定かではないが︑いずれにしても︑爵香の霊

薬としての効果を強く期待してのことであったことは確かである︒

また晋・葛洪の﹃抱朴子・内篇十七﹄に︑人が山へ行った時︑蛇を

辞ける法が書かれており︑その後半部分に︑

 ﹁或は乾姜附子を以て︑之を肘後に帯び︑或は牛羊鹿の角を焼き

(7)

 て身に薫じ︑或は王方平雄黄丸を帯び︑或は猪耳中の垢︑及び爵

 香丸を以て足の爪甲中に著すれば︑皆効有るなり︑又爵香及び野

 猪は︑皆蛇を嘆う故に︑以て之を厭うなり﹂

 ︵或以乾姜附子︑帯之肘後︑或焼牛羊鹿角薫身︑或帯王方平雄黄

 丸︑或以猪耳中垢︑及爵香丸著足爪甲中皆有効也︑又爵香及野猪

 皆嘆蛇︑故以厭之也︶

というのであるが︑爵香ジカや野猪︵イノシシ︶が蛇を嘆うという

のはどうも信じがたい︒しかし﹃抱朴子﹄は元来︑荒唐無稽な話が

多いからこの点のみをあげつらって怪しむは足らない︒同じく﹃抱

朴子・内篇十七﹄に︑

 ﹁又沙風有り︑水陸皆其の新雨の後︑及び農暮の前に有りて︑暖

 渉すれば必ず人に著く︑唯だ烈日草燥の時は差稀なるのみ︑其の

 大なること毛髪の端の如く︑初め人に著けば便ち其の皮の裏に入

 り︑其の在る所は芒刺の状の如し︑小犯なるも大いに痛く︑針を

 以て挑みて之を取る可し︑正に赤きこと丹の如く︑爪上に著きて

 行き動くなり︑若し之を挑らざれば︑墨鐘して骨に至り︑便ぢ︑

 周く行き走りて身に入り︑射工と相似て︑皆人を無す︑人此の轟

有るの地を行かば︑毎に住む所に還りて轍ち當に火荻を以て僚

 し︑身に遍くさせしめば印ち︑此の墨地に堕つるなり︑若し八

物︑爵香丸︑及び度世丸︑護命丸︑及び玉壼丸︑犀角丸︑及び七

星丸︑及び舞窟を帯びれば皆沙風︑短狐を騨くるなり︑若し卒に

此の諸薬を得ること能はざれば︑但好生爵香を帯びるも亦た佳し

雄黄︑大蒜等を以て分けて擦いて︑一丸の鶏・子大なるものを帯び

   中国文献に見える畷香について ◆  るも亦た善し︑若し己に中たる所と爲る者は︑此の薬を以て瘡に  塗れば亦た愈ゆ﹂  ︵又有沙風︑水陸皆有其新雨後︑及農暮前蕨渉必著人︑唯烈日草  燥時差稀耳︑其大如毛髪之端︑初著人便入其皮裏︑其所在如芒刺  之状︑小犯大痛可以針挑取之︑正赤如丹著爪上行動也︑若不挑之  轟鐘至骨︑便周行走入身︑其與射工相以皆無人︑ 人行有此鑑之  地︑毎還所住轍當以火荻僚令遍身︑則此虫蝕堕地也︑若帯八物蟹香  丸︑及度世丸︑及護命丸︑及玉壷丸︑犀角丸︑及七星丸︑及葬虐  皆蹄沙風短狐也︑若卒不能得此諸薬者︑但可帯好生爵香︑亦佳以  雄黄大蒜等分合擦帯一丸如鶏子大者亦善︑若已爲所中者︑可以此  藥瘡塗亦愈︶ とある︒少々引用が長くなったが︑爵香の使われる状況がよく解る と思われる︒この中で言われている爵香丸や好生爵香がどういう根 拠に依って沙風や短狐︵人間に害を与える虫の名︶を避けることが 出来るのか全く明らかでない︒また﹁帯びる﹂というのはただ携行 するだけであろうかと思われるが︑それが何等かのカを発揮すると すれば︑それはやはりその香に神秘な力があると信じられていたか らであろう︒つまり﹃抱朴子﹄に出て来る欝香︑及びその他の薬様の 物晶は︑内服用或は外塗布用の薬剤としても若干は用いられてはい るが︑殆んどは︑それを身に帯びることによって薬効が現われる︑ 謂はば霊薬としての用法が眼目であるとともに︑香の場合はそれが 焼かれるのではなく︑そのままに発せられる香そのものが重んじら れている点に注意すぺきであろう︒それは神仙的養生思想をその原       七

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(8)

   阪南論集 人文・自然科学編 第二十三巻第三号

動カとして起った本草薬術学がまだ神仙思想から独立し得ず︑神仙

思想の極く一部として議かにその存在を主張しているに過ぎないと

いう当時の実情をそのままあらわしているのである︒しかしこうし

た情況は︑後になって宋︑元︑明︑清と時代が推移するに随って︑

前記二つのものが全くその立場を逆転させ︑本草薬術学の極く一部

の片胤に︑香薬の神仙的な効果が存在するに過ぎなくなるのであり

また一方で焼香の風だけが独立して︑単なる優雅︑風雅の趣味とし

てのみ行われるようになるのである︒

五︑鳥香と六朝・唐の文学

 香は焼くものという考えが一般に認識され定着するのは六靭期仏

教以後である︒よって疑香が焼かれるものとして文学作晶に出て来

るのも六朝期以後であり︑又逆に︑六朝期以後の文学作晶に出て来

る爵香の殆んどは焼かれた香であって︑焼かない生のものは︑.優

雅︑・風雅とは無縁の本草的薬剤にその席を譲ったのであるといえる

であろう︒

 梁・昭明太子の﹃銅博山香鐘賦﹄に︑

﹃時に青女寒を司り

紅光は霧景として

圓箭の東岳に吐き

丹蟻を西嶺に匿す

翠帳は已に低く ︵干時青女司寒 紅光繋景 吐圓箭於東岳 匿丹礒於西嶺

翠帳已低 八   蘭膏は未だ屏せず    蘭膏未扉   松柏を嚢くの火     嚢松柏の火   蘭爵を焚くの芳     焚蘭爵之芳   榮榮として内に曜やき  榮榮内曜   募募として外に揚り   券券外揚   慶雲の呈色に似て    似慶雲之呈色   景星の箭光の如し﹂   如景星之箭光︶ とある︒博山香鐘とは深山幽谷の複雑に交錯した地形をあしらった 有名な意匠の香鐘のことである︒この賦では焼かれているのは蘭香 であり爵香である︒美しく精巧に作られた山岳漢谷を縫って香姻が 募芳と立ち昇る︒作者はそんな自然の雛形の一角に︑仙人に見たて た自分を端坐させてみたりしたのであろう︒また陳・傳緯の﹃博山 香鐘賦﹄には︑

﹁器は南山に象り

香は西國より榑わる

丁譲巧みに鋳し

粂資匠みに刻す

爵火は朱を埋め

蘭煙は黒を段つ

結捲は危峯にして

横羅は雑樹なり■

寒夜は暖を含み

清宵は霧を吐く﹂ ︵器象南山 香傳西國 丁護巧鋳 棄資匠刻 爵火埋朱 蘭煙殴黒 結溝危峯 横羅雑樹 寒夜含暖 清宵吐霧︶

(9)

とある︒これも前の賦と非常によく似たモチーフに基いている︒丁

譲・兼資は当時の有名な香鐘制作者達の名である︒ここでも勿論爵

香は赤い火を伴って鐘中で焼かれているのである︒風流趣味人の粋

極まった感が︑引用最後σ二句に湊み出している︒

 また唐人小説の一つで︑唐土本国では早くに亡伏し︑.日本にのみ

伝えられて来た張文成の﹃遊仙窟﹄には︑︵江戸初期無刊記本の古

訓︵カタカナ︶をそのまま記す︶

 ﹁即ち桂心ヲ遣シテ通ヨハシム︑暫く五娘ヲ参屈セシム︑十娘少        シ^ラクノ  席ト共二語話トモノカタリス︑須央之間二︑五捜則ち至リヌ︑羅        ︷ノ  縛ノウスモノ綾紛トマカイテ︑丹青ノイロ曄嘩トテレリ︑糖前二       ¶ツハシメ      ウハモノ

     タツワタカヤレリ    テミキ貝      ︑ツヒ      ^ク      貝レ︐

 爵散シ︑ 龍盤︑ 珠ノ縄︑翠杉二絡︑金ノ薄丹履二塗﹂        イトヌ与 丁セ︸︺7ツハソ  ︵則遣桂心通︑暫参屈五娘︑十娘共少府語話︑須奥之間︑五嬢則

 至︑羅縛綾紛︑丹青障曄︑播前爵散︑龍盤︑珠縄絡翠杉︑金薄塗

 丹履︶      ・        

とある︒これは着物の内に疑香を焚きこめているのである︒それは

ここが神仙の窟宅であり︑そこに住む十娘︑五嬢達が仙女であるこ

とを︑爵香の匂いで暗に示しているのである︒

 普︑陶淵明﹃雑詩・其十﹄にも︑

 ﹁閑居して蕩志に執わる    ︵閑居執蕩志

時に験りて稽う可からず

役に駆して停り息む無し

軒裳は東崖に逝く

況陰たること薫爵に擬せば

中国文献に見える魔香について 時駄不可稽 騒役無停息 軒裳逝東崖 況陰擬薫爵   寒氣は我が懐いを激しうす   寒氣激我懐   戯月常に御する有り      戯月有常御   我來りて己が彌に滝れば    我來滝巳彌   懐慨の憶い綱纏たり     懐慨憶網穆   此の情久しくして已に離れ   此情久已離   荏萬として十載を経る     荏再経十載   暫く轟する所の人と爲り    暫爲人所轟   庭宇の騎木に鎗り       庭宇購鉄木   條忽として目月艇く﹂     條忽日月麓︶ とある︒薫爵が況陰とするというのは︑薫陸香︑爵香が裳にたき込 められ︑それが況陰としてわだかまることを言っているのである︒ うっちゃって来た役人生活の過美と煩瑛を憶い︑その比瞭として用 いられているo  また沈佳期の﹃古歌﹄の詩には︑  ﹁燕姫の繰帳芙蓉の色    ︵燕姫繰帳芙蓉色   秦女の金鐘蘭爵の香﹂   秦女金鐘蘭爵香︶ とある︒秦女とは左延年の作った楽府﹃秦女休行﹄の女休のことで あろうか︒宋の為に罐を報じたというその美しい強さを模様として あしらった香鐘なのであろう︒  また騎賓王の﹃捧歌行﹄に︑  ﹁月を篤せば黄を圓くこと罷み ︵篤月圖黄罷   波を凌いで翠を拾いて通ず   凌波拾翠通   鏡花支を揺ぐ日       鏡花揺菱目

      九

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(10)

   阪南論集 人文・自然科学編第二±二巻第三号

  爵を衣きて荷風に入る     衣爵入荷風

  葉は落ち舟蕩れ難く     葉落舟難蕩

  蓮は疎にして浦は空なり易く  蓮疎浦易空

  鳳媒養として自ら託し     鳳媒養自託

  鴛翼恨みて窮め難し      鴛翼恨難窮

  秋帳の燈光は翠にして     秋帳燈光翠

  侶棲の粉色は紅なり      昌棲粉色紅

  相思に別れの曲無く      相思無別曲

  併に樟歌の中に在り﹂    併在樟歌中︶

とある︒この﹁衣爵﹂も爵香を焚き込んだ衣を着て︑ということで

ある︒  王維の﹃戯題輻川別業﹄の詩︑

 ﹁柳條地を挽いて須く折れず   ︵柳條沸地不須折

  松樹雲を披いて從に更に長ず  松樹披雲従更長

  藤花暗かに採子を藏せんとす  藤花欲暗藏採子

  柏葉齊を初めて爵香を養う﹂  柏葉初齋養爵香︶

は全体としてはあまり意味のない詩であるが結句は稽康の﹃養生

論﹄の︑﹁風は頭に塵して黒く︑爵は柏を食して香はし︵風虚頭而

黒︑魔食杣而香︶﹂に由来するものであろう︒王維の詩には焼香︑

焚香︑を扱ったものが多い︒

 劉萬錫の﹃魏宮詩二首﹄の一首に︑

 ﹁燈を添えて衣に爵を燕薫せんと欲すれど憶い分明なるを得て焼

  するに忍びず﹂        一〇  ︵添燈欲熱薫衣爵︑憶得分時不忍焼︶ とある︒これも衣に爵香を薫ぜんとするの様をあらわしている︒  最後に温庭驚の﹃達摩支曲﹄を掲げておこう︒  ﹁嬢を擦ちて塵香と成せば滅せず   ︵擢爵成慶香不減   蓮を鋤して寸練を作れば絶え難し   鋤蓮作寸絡難縄   紅涙の文姫洛水の春         紅涙文姫洛水春   白頭の蘇武天山の雪        白頭蘇武天山雪   君見ずや愁い無く高緯の花漫漫たるを 君不見無愁高緯花漫漫   津浦の宴は錐て清露寒し      溝浦宴鎗清露寒   一旦臣僚囚虜と共にす        一旦臣僚共囚虜   詫管を吹かんと欲して先づ洩欄たり  欲吹莞管先沈欄   奮臣の頭髪霜華早く        奮臣頭費霜華早   惜しむ可し雄心の醇中に老いたるを  可惜雄心酢中老   萬古の春は蠕れども夢は蹄えらず   萬古春婦夢不蹄   鄭城の風雨は天草に連らなる﹂    鄭城風雨連天草︶  以上挙げて来た詩に出て来る爵香は︑すべて焼香︑焚香︑薫香の 類である︒尤も﹃達摩支曲﹄の爵は些か判然としないが︑﹁擦して 塵香とする﹂というのはやはり細かく砕いて香櫨に入れるのであろ う︒これが唐代文人達の遊びとしての香である︒詩人達は香櫨から 立ち昇る香姻を見︑芳香を聞きながら大いにその想像力をかきたて られ︑詩憎の満ち足りた世界にひたることが出来たであろう︒この

﹁聞香﹂は以後ますます一般化していき︑やがて宋代には一つの全

く独立した趣味の分野として成立することになるのである︒

(11)

六︑臨床薬としての康香

 ﹃抱朴子﹄に於て使われている魔香は薬としての役割を持ってい

るには違いないが︑それは爵香が本質的に持っている所の︑患症部

位に対する治療能カとは殆んど関係がないか︑或はそれを大きくう

わまわる超大な能力が要求されているものと恩われる︒その場合爵

香に︑臨床医薬ではなく︑霊薬と呼ぱれるのが最も適当であろう︒

霊薬は以後かなり後の時代にまでその効果が期待され残っていくの

であるが︑しかし一方で六朝晴唐の代頃から︑徐々にであるが臨床

的︑或いは対症的な現実的な医薬として科学的に認識された効力が

期待されるようになるのである︒それを最もよく表わしているのは

何と言っても本草学の発展であろう︒﹃重修政和護類本草﹄の第十

六巻を見ると爵香についての記述があり︑それには﹃疎農本経﹄か

らの収録がある︒

 ﹁爵香︑味は辛にして温︑毒無し︑主に悪氣を辞け︑鬼精物を殺

 し︑温療︑盛毒︑滴痙など三鍍を去り︑諾の凶邪︑鬼氣︑中悪︑

 心腹暴痛︑脹急癌満︑風毒︑婦人の産難堕胎を療し︑面縄︑目中        うなさ  の膚騒を去り︑久しく服せば邪を除い︑膳めて夢みず︑採て蟹れ

 ず︑神仙に通ず﹂

 ︵爵香味辛温︑無毒︑主鮮悪氣︑殺鬼精物︑温療︑轟毒︑痢痘︑

圭二轟︑療諸凶邪︑鬼氣︑中悪︑心腹暴痛︑脹急搭満︑風毒︑婦

 人産難堕胎︑去面縄︑目中膚騒︑久服除邪︑不夢繕蟹採︑通神

   中国文献に見える爵香について  仙︶

︒とある︒また陶弘景を引いて︑

  ﹁爵の形は塵に似て︑常に栢葉を食﹂︑又蛇を轍う︑五月香を得

 るに往往蛇の皮︑骨有り︑故に爵香は蛇毒を療す﹂

  ︵蟹形似摩︑常食栢葉︑又敵蛇︑五月得香往往有蛇皮骨︑故爵香

 療蛇毒︶

とする︒これは前掲康稽﹃養生論﹄︑渇洪﹃抱朴子﹄に依った記述

であろう︒また﹃日華子﹄に云うとして︑

  ﹁邪氣を辞け︑鬼︑毒盤の氣︑療疾を殺し︑堕胎を催生し︑臓腋

 の墨を殺し︑蛇︑竃咬︑沙轟︑漫痒の毒︑吐風疲を治し︑子宮を  おき  内め︑水臓を暖め︑冷を止め疾を療す﹂

  ︵辞邪氣︑殺鬼︑毒盛氣︑磨疾︑催生堕胎︑殺臓蹄轟︑治蛇︑蟹

 咬︑沙轟漢療毒︑吐風疾︑内子宮︑暖臓水︑止冷療疾︶

とする︒李時珍は﹃本草綱目﹄で他本により﹃日華子﹄を補い︑

  ﹁熟水にて一粒を研服すれば︑小兄の驚客汗を治し︑心鎭し︑神

 を安んぜしめ︑小便の利なるを止む︑又能く一切の痛瘡膿水を触

 せしむ﹂

  ︵熟水研服一粒︑治小兄驚客汗︑鎭心安神︑止小便利︑又能触一

 切痛瘡膿水︶

という︒また唐の敷構の﹃薬性本草﹄をひいて︑

  ﹁又︑云う︑十香丸を入れて服せば︑人をして百毛九藪皆香たら

 しむ︑百病を除き︑一切の悪氣︑及び驚怖悦惚を治す﹂

  ︵又云︑入十香丸服︑令人百毛九藪皆香︑除百病︑治一切悪氣︑

       一一

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(12)

   阪南論集 人文・自然科学編 第二±二巻第三号

 及驚怖悦惚︶

とする︒また﹃湯液本草﹄を著した元の好古の言をあげ︑

 ﹁諸藪を通じ︑経絡を開き︑肌骨を透し︑酒毒を解し︑瓜果食積

 を消し︑中風︑中氣︑中悪︑疲蕨︑また廠痩の積聚するを治す﹂

 ︵通諾藪︑開経絡︑透肌骨︑解酒毒︑■消瓜果食積︑治中風︑中

 氣︑中悪︑疲蕨︑積聚薇痩︶

とする︒以上あげて来た記述はどちらかというと霊薬と臨床薬との

中間ぐらいのもので︑完全な科学的薬剤効果の上に立った判断とは

まだいえないようである︒しかし晋の﹃抱朴子﹄などの理解に比ぺ

れば︑その薬効の判じ方はずっと身体に忠実であり︑生身の体に.よ

り密着したものとなっている︒これもやはり本草学の通らねばなら

なかった一段階であったといえるであろう︒

 更に李時珍は︑元末の朱震亨﹃本草術義補遺﹄を引いて︑

 ﹁五騰の風は爵香を用いて以て衛氣を濾する可からず︑口鼻より

 血出づるは︑乃ち陰盛んにして陽虚し︑昇る有りて降る無し︑當

 に陽を補い陰を抑すぺし︑磯︑爵︑軽揚飛窟の剤を用う可から       す  ず︑婦人は血を以て主と爲︑凡そ血海のごとく虚しくして寒熱汗

 を盗ずれぱ︑宜しく之を補い養うべし︑爵香之散︑琉珀の燥を用

 う可からず﹂

 ︵五麟之風︑不可用爵香以濾衛氣︑口鼻出血︑乃陰盛陽虚︑有昇

 無降︑當補陽抑陰︑不可用脳︑爵軽揚飛窟之剤︑婦人以血爲主︑

 凡血海虚而寒熟盗汗者︑宜補養之︑不可用爵香之散︑琉珀之燥︶

とする︒この記述は陰陽思想に基づいたもので現代科学の観点から       二一 は些か理解し難い点があるが︑しかしこの文は三つの﹁不可用﹂か らなっている︒薬剤の用法に当って否定が用いられるということ は︑その薬剤の使用範囲が限定されているということであり︑使用 が限定されているということはその薬剤の効果の範囲がそれだけせ ばめられ︑確固としたものと認識されているということを意味す る︒それは薬晶としての進歩をより明確にあらわすものであろう︒  李時珍はつづいて﹃用薬法象﹄をあらわした明の李果の解説をあ げ︑  ﹁爵香は脾に入りて内病を治す︑凡そ風病で骨髄に在る者は宜し  く之を用うべし︑風邪をして出すを得しむ︑若し肌肉に在りて之︒  を用うれば︑反って風を引きて骨に入れ︑油が麺に入りたるが如  く出す能はざるなり﹂  ︵爵香入脾治内病︑凡風病在骨騒者宜用之︑使風邪得出︑若在肌  肉用之︑反引風入骨︑如油入麺之不能出也︶ とある︒ここにはもう︑﹁辞邪殺鬼﹂などの語はないし陰陽道的な 表現も見あたらない︒使用上の正買両面に亘ってある一貫した医療 観念が働いているのが解る︒  ﹃本草綱目﹄の中で李時珍自身は爵香について次のように述べて いる︒  ﹁厳氏は風病は必ず先に爵香を用うと言う︑而るに丹漢は︑風  病︑血病は必ず用う可からずと謂う︑皆通論に非ず︑蓋し爵香は  窟を走りて︑能く諸藪の利ならざるを通じ︑纏洛の塞遇を開く︑

 諸風︑諸氣︑諸血︑諸通︑驚癩︑薇痩の諸病︑経絡の嚢閉︑孔藪

(13)

 の利ならざる者の若きは︑安んぞ引き導きて以て之を開き︑之を

 通ずせしむる爲に用いざるを得んや︑用う可からずに非ず︑但だ

 過ぎる可からざるのみ︑︿濟生方︾は︑瓜果を食し積を成し︑脹

 を作す者を治すには之を用い︑酒を飲み消渇を成す者を治すには

 之を用う︑果は欝を得れば則ち壌れ︑酒は爵を得れば則ち敗ると

 云う︑此れ爵の理を用うるを得る者なり﹂

  ︵嚴氏言風病必先用爵香︑而丹漢謂風病︑血病必不可用︑皆非通

 論︑蓋爵香走窟︑能通諸藪之不利︑開経絡之嚢遇︑若諸風︑藷

 氣︑諸血︑諸痛︑驚癩︑薇痩諸病︑経絡塞閉︑孔藪不利者︑若安

 不用爲引導以開之︑通之耶︑非不可用也︑但不可遇耳︑濟生方治

 食瓜果成積作脹者用之︑治飲酒成消渇者用之︑.云果得爵則壊︑酒

 得爵則敗︑此得用爵之理者也︶

 李時珍がここに述べている所の︑爵香は﹁能通諸藪之不利﹂と

 いう考え方は︑古くは前掲元の好古に已に見える考え方でもあ

 る︒清の﹃済生方﹄やその後に出版された﹃本草経疏﹄︑﹃本草

 述﹄︑﹃蟹學入門﹄などに一貫して見られるものであり︑これが近

 代に至るまでの爵香の漢方上の効果とされているものなのであ

 る︒    七︑現代凄方医学に於ける康香

 爵香が如何なる成分からなり︑実際に医学上如何なる病状に効く

かという点については極めて専門的な課題である為に︑門外漢には

   中国文献に見える爵香について 倒底理解し得るものではない︒それに管見では︑爵香のみについて 詳説したような単行本も現代中国では出版されていないようであ る︒そこで今手元にある︑一九七七年七月︑上海科学技術出版社に よって刊行された江蘇新医学院編﹃中薬大辞典﹄の記述をかいっま んで紹介しておこう︒

の 香

魔 ︶ 中 器 燥 千 酸 硫 濃

圧 減

温 常︵

% 56

2. 2

分 水 ︑︑を ㈱誰 ウム鱗 ㍑隣 朴蜜 ㌧搬 蔚x ㍗傾 ㌻麟 ルシ︑︶ カル分む ︵カ鉄合

% 62 3

灰 物 合 化 ︶ 氣 ︵ 素

窒 % 15 L

ウ.

% 89 1

% 40 0. 索 尿 % 07 L % 15 9 % 19 2

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0︐5︒

維酸 繊肪 粗脂 % ■ ユ

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香㎎ 芳m な㎝ 要N 主︵ のン 香ト 魔ケ

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(14)

阪南論集 人文・自然科学編 第二±二巻第三号

爵香の薬理作用

 ω中枢作用

 天然爵香ケトン︵覇︶或は人工爵香ケトンの小剤量はオオシロネ

ズミの食物運動性条件反射に対して顕著な影響を与えない︒中等剤

量︵−冨︷o︒旨〜o.o蜆昌昌①q︶は陽性の条件反射の潜伏期間を延

長させることが出来るか︑或は反応を消失させ︑分化相殺させ︑別

の動物分化を生じさせてそれを受け入れて抑制させることが出来

る︒大剤量︵−暦丑−昌自oq︶は大多数の動物に中毒現象をおこ

させ︑陽性の条件反射の反応を不規則にするか或は消失させ︑分化

相殺させて抑制させる︒

 天然欝香の原生薬︑天然爵香ケトン及び人工爵香ケトンはともに

アミールパルビタールの引き起すネズミの睡眠時間を短縮させるこ

とが出来る︒しかし大剤量ならば︑反って睡眠時間を延長させる︒

天然爵香の︸昌昌①q︑−o冒昌①目︑曽昌冒胴の剤量をオオシロネズミに

二日︑三日︑五日と与えれば︑顕著にアミールパルビタールの引き

起す睡眠時間を短縮させることが出来る︒故に爵香の中枢神経系統

に対する作用は︑小量なら興奮を与え︑大量なら抑制を与えること

になる︒  ω呼吸︑循環系統に与える影響

 爵香は離体心臓に対して興奮作用がある︒ウサギ︑イヌに願香を

静脈注射すれば︑血圧を上昇させ︑呼吸数を増加させることが出来

る︒人工・及び天然爵香ケトンを麻酔をかけたネコに静脈注射すれ       一四 ば︑血圧を上昇させる作用があり︑呼吸回数を著しく増加させる︒ ネコの乳頭肌︑モグラの気管の平滑肌等を用いて実験すると︑爵香 にはアカシアフェノールアミンを増強させる作用があることを観察 することが出来る︒  ㈹手宮に対する作用  爵香は離体及び在位の子宮に対して等しくはっきりとした興奮作 用を呈し︑後者に対してはとりわけ敏感である︒妊娠している子宮 は︑妊娠していない子宮よりもその反応は敏感であり︑妊娠してい ない子宮に対する興奮作用の発生は比較的緩慢であるが︑比較的持 続する︒

.⁝川抗菌︑抗炎作用

 爵香の稀釈液は︑試験管内で大腸杵菌︑及び金黄色ブドウ球菌を

抑制することが出来る︒分枝秤菌抗原注射液によって引き起された

オオネズミの関節炎に対して︑その消炎作用はプタケトンより強

い︒  旧その他の作用

 普は爵香をシャックリ︑中枢神経の衰輻によく用いられたが︑今

はあまり用いられない︒しかし人工爵香は小児百日咳のセキ︑声門

ヘントゥセンに用いることが出来る︒

 以上が大要であるが︑専門用語が多く用いられよく理解出来ない

点も多い︒しかし要するところ︑爵香は小量ならば神経を興奮させ

大量ならば神経を麻痒︵抑制︶させること︑また血行をよくし︑そ

(15)

の為心臓の活動を活発にさせ呼吸活動も活発にさせる︑という点が

その最も大きな特徴といえるであろう︒好古や李時珍が言う︑﹁能

通諸藪之不利︑開経絡之塞遇﹂は︑以上のような点を漢方的に解釈

■し︑しかも可成り適確に言い当てた言葉といえるであろう︒

おわりに

 中国の医学の歴史は極めて古い︒﹃史記﹄巻一百五にその伝を見

ることの出来る名医扁鵠は戦国時代の人問である︒方薬鐵灸に精通

し︑魏曹操の傷病の手当をした華佗は﹃後漢書﹄巻一百十二に伝を

持つ︒本朝邪馬台国卑弥呼の時代である︒還って﹃論語・子路﹂に・

孔子の言葉として﹁南人有一言日︑人而無憧︑不可以作巫蟹の実態は

解りかねるが︑恐らく巫魏︑醤者が未だ分化せず一体となった職能

であったと思われる︒現に﹃説文﹄は蟹字について︑﹁治病工也︑

或以従巫﹂といい︑麗字のあることを証している︒ということは中

国の蟹は更に古く︑孔子の時代︑春秋時代に已にその活動を始めて

いたのである︒︒しかしこうした長い歴史を持つにもかかわらず︑中

国の蟹は陰陽五行思想によってあまりにも参差なく整理され過ぎて

しまった為に︑対症療法としてはともかく︑論理の面では些かいび

つで隻解なものになってしまった︒現代の中国では中医と西医との

間の交流が盛んであるが︑その溝にはまだまだ埋め難い点が数多い

ようである︒夏華の地で且て信じられた香の持つ対患治療力が︑現

代漢方医学でも復権するとはとても思われないが︑しかし香のもと

    中国文献に見える爵香について となった多くの香物は︑これからも薬材として大いに使われること になるであろう︒  爵香は︑現代の我々一般甘本人にとって殆んどなじみのないもの であるが︑案外今後口にするかもしれない漢方薬などには含まれて いるかもしれない︒そして更に爵香を︑香そのものとして︑六朝唐 の文人がそうしたようにゆったりとした気分で香鐘に焚き︑心ゆく までじっくりと聞き味う機会を是非とも持ちたいものと願うばかり である︒

注 ここに参考として︑訳出して掲げた﹁中薬大辞典﹂の疑香部の﹁薬

 理﹂の条の原文を附しておく︒

 ︻菊理︼①対中枢的作用 天然爵番胴或人工慶香胴ハ剤量対大白鼠食物

 這劫性条件反射元目皿著影哺︑中等剤量︵O・〇一〜○・〇五毫寛/公

斤︶可使阻性条件反射潜伏期延長或反皮消失︑分化相改善︑有介別劫物

 分化相受到抑制;大剤量肘︵二毫克/公斤︶則使大多数劫物呈中毒現

象表切性条件反射的反皮不規則或消失︑分化相受到抑制︒天然魔香原

生菊︑天然爵香胴及人工魔香醜均能箱短戊巴比妥靹引起的小鼠睡眠肘

伺︑但犬剤量則反而延長睡眠吋同︑天然碍香五︑十︑二十毫克的剤予大

 白鼠二︑三和五天者︑可昆著縮短戊巴比妥靹引起的睡眠吋同︒故爵香対

中枢神努系銃的作用カ小量x奄︑大量抑制︒

 ②対呼吸︑循琢系銃的影鴫魔香対萬体心駐有呉杏作用.爵香酊静脈注

射干家冤及狗︑可使血圧上升︑呼吸次数増加︑人工及天然爵香静腺注射

子麻酔猫亦均有升圧作用︑呼吸次数及頻率増加︒用猫乳美肌︑豚鼠汽管

平滑肌等作実唆︑可瑚察到魔香能増彊几茶醗膝的作用︒

  ③対子宮的作用騒香対萬体及在位子官均呈明昆x奮作用︑后者更カ敏

感︑妊娠的又較非妊娠的敏感︑対非妊娠的呉杏作用笈生較慢但較持久︒

  ④抗菌︑抗炎作用爵香酊的稀癖液︑在拭管内能抑制大脇杵菌及金黄色

      一五

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無断転載禁止。 

(16)

  阪南論集 人文・自然科学編 第二十三巻第三号

■葡萄球菌︒対由分枝杵菌抗原注射液引起的犬鼠美苛炎作用彊子布他胴︒

 ⑤其他作用逆去曽将爵香用子晒逆︑申枢神努衰蜴︑現巳少用︑而人工

魔香可用干小几百日咳的咳漱及声痘牽︒

      ︵一九八七年一〇月五日受理︶ 一六

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