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2 今回の旅行のカミさんへの報告は 最近は 孫が来た際が 定番で 小金井の次女の理人 (5 歳 ) 奏太 (3 歳 ) が遊びに来た際 来週の水曜日は 海外なので 遊びに行けません ( 毎週 奏太の小金井公園の散歩に行っている ) と さり気なく報告 無言の承認を得る 4 月 15 日 ( 水 )

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1 北欧三都市紀行 ○ プロローグ 今回のコペンハーゲン、オスロ、ストックホルムの北欧三都市の計画は、至っ て早い。中国の張家界に、行く前から(2014年10月)、航空券もホテルも 押さえていたので、未だ、円安になる前なので、相当得したかと、今年の1月に なってから、同じコースの航空券を探して見たら、同じくスカンジナビア航空で はあるが、2万円も、安くなっている? ガソリンが、世界的に安くなっており、 燃料チャージが、相当安くなった為らしい。エックスペディアに、キャンセルし て、買いなおそうとしたが、キャンセル料が、3万円掛かると言うことで、キャ ンセルも出来ない。122,150円の航空券で行くしかない。6月の(イスタ ンブール)ウィーン、ブタペストの航空券も、既に同じ時期に、押さえていたが、 こちらは、何千円かで、それでも安くなっている。世界的オイル安は、旅行者に は、助かる話であるが、円安は、少々、頭が痛いものになろうか。 今回の日程は、以下の通り。 1. 2015年4月15日(水):成田空港ターミナル1から、11:40分 発のスカンジナビア航空の984便にて、コペンハーゲンへ(ターミナル3) 16:05分着。空港から、タクシーにて、Copenhagen Go H otelへ。 2. 4月16日(木):終日、地下鉄、トラム等で、コペンハーゲン市内観光。 3. 4月17日(金):コペンハーゲン空港から、ターミナル3から、9時丁 度発のスカンジナビア航空1464便にて、オスロへ。10:10分着。空 港から、地下鉄、トラム等で、Anker Hostelへ。午後、観光。 4. 4月18日(土):終日、オスロ市内観光。 5. 4月19日(日):オスロ空港:10:55分発のスカンジナビア航空 484便にて、ストックホルムへ。11:50分、ターミナル5着。空港か ら、地下鉄等で、Urban Hostels Gamla Stanへ。 午後、市内観光。 6. 4月20日(月):終日、市内観光。 7. 4月21日(火):13;30分発、ストックホルム空港、ターミナル5 から、スカンジナビア航空1423便にて、コペンハーゲン空港へ。14; 40分に、ターミナル3着、同じく、ターミナル3から、15:45分発の スカンジナビア航空983便にて、成田へ。 8. 4月22日(水):成田空港、ターミナル1に、9:35分着。

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2 今回の旅行のカミさんへの報告は、最近は、孫が来た際が、定番で、小金井の 次女の理人(5歳)、奏太(3歳)が遊びに来た際、来週の水曜日は、海外なの で、遊びに行けません(毎週、奏太の小金井公園の散歩に行っている。)と、さ り気なく報告。無言の承認を得る。 ○ 4月15日(水)コペンハーゲンへ 成田では、当然、三国(デンマーク、ノールェイ、スエーデン)とも、ユーロ だろうと6万円前後で、450ユーロに換金した。(これが、慣れによる油断か、 三国とも、共通ではない三国のクローネ) 近くの飛行機の私の隣は、デンマークに帰るデンマークのお兄ちゃんで、仕事 は、“シェフ”日本の桜を鑑賞に、シェフ仲間の日本で働いている友達のところ に遊びに来た帰りらしい。シェフ仲間には、世界中を仕事で、回っている友達も いる由。考えて見ると中々、国際的な仕事なのであろうか。 コペンハーゲンは、まだ、15時近くで、長が~い、一日である。 (コペンハーゲン空港) (今回泊まったGo Hotel) 空港のインホーメーションの叔父さんに、ホテルの地図と名前を見せながら、 行き方を聞くと、列車で一駅、タクシーで、5 分くらいとのことなので、タクシ ーで行くこととした。頭から、ユーロと信じきっているので、タクシー乗り場で も、ホテルの地図と名前を見せながら、係りのおじさんと運転手に、値段を聞く と、馬鹿でかい数字が帰って来た? 何と、デンマークは、ユーロではない。ユ ーロで払いたいと言うと、何人かの運転手の中から一人、行ってやるとのことで、 15ユーロとのことで乗った。ホテルには、直ぐ着いて、20ユーロ札出したら、 お釣りのユーロが無いので。50クローネくらい返してくれたか。 3階のホテルの一室に落ち着いて、ホテルのフロントで貰った市内地図を見

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3 ながら、まず今日と明日の予定を計画。今日は、また、空港に行って、換金し、 夕食と帰りの買い物くらいで、明日の予定も、一応、リストアップした。フロン トで、空港まで歩いていったら、どのくらいか聞いたら、40分くらいとのこと。 列車なら、一駅とのことで、通り出て直ぐとのことで、列車が、地下を走ってい るので、分かりにくかったが、直近くに、駅があった。駅の通りの向こう側には、 スーパーもある。空港へ行って、まず、換金。三分の一ずつで、150ユーロ換 金した。夕飯を、空港のレストランで食べて、24Hフリー切符は、明日買いに 来ることとして、今日は、片道切符買って帰った。(来る時は、切符の買い方分 からないし、車掌も来ないので、ただ乗りしたか。)帰りに、スーパーに寄って、 寝酒のビールと、明日と明後日の朝食のパンやら、オレンジジュース、ペットボ トルの水、バナナ、オレンジ等買って帰った。 ○ 4月16日(木)コペンハーゲン市内観光 まず、今日も、空港へ、24Hフリー切符を買いに行った。切符売り場の買い 方が、最初分からなかったが、番号札をまず、取って、自分の番号が、表示され たら、買い行くシステム。(昨日は、並んでいる客が、少なかったので、直接窓 口で、切符買えた。)私の目の前でも、私のように、分からなくウロウロまごつ いた外国人が、何人かいた。切符は、9時ごろの打刻だったので、明日17日の 9時まで有効。早速、列車に乗り込み、まずは、コペンハーゲンと言えば、“人 形の像”で、中央駅を通り過ぎて、Osterpot駅へ。 最初、駅構内で、可愛いらしい美人に聞いたのが悪かったか、全く、別の方角 を教えくれて(私が、聞き違えた?)、しばらく進んでから、途中で聞いた叔母 ちゃんと、一緒に、また駅まで戻って、別の通りを教わった。“タック”と別れ た。(来る時の飛行機の中で、デンマークのお兄ちゃんに、“タック=サンキュー” 教わった。)駅前で、良く見ると“人形の像”方向指示板もあり、それに従って、 進むと、(一回、叔母ちゃんに、もう一度確認したか。)普通の日だし、持って来 たセーターを着込んでも、少々、風が、寒いくらいである為か、観光客も、ちら ほらの“人形の像”が、ありました。

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(Osterpot駅) (ご存知、“人形の像”)

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5 次は、ローゼンボー離宮だが、隣のNorteport駅まで乗った。駅前で、 地図片手のお姉ちゃん二人組がいたので、聞いてみたら、フランス娘二人組で、 同じく探しているとのことで、入り口まで、御一緒して、“メルシィ”と別れた。 (ローゼンボー離宮) (入り口の門) (遠く衛兵の整列) (離宮内部)

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7 (離宮の庭園の桜も満開) 離宮内での衛兵の整列行進は、後で分かったのであるが、今日は、クイーンの 誕生日で、その為の整列行進等のリハーサルかもしれなかった。 次に、ローゼンボー離宮の脇の大通りを歩いて、アメリエンボー宮殿を目指し た。途中、国旗の小旗を持った人達も、今日は、女王の誕生日でアメリエンボー 宮殿を目指して大勢進んでゆく。途中で、デンマークの国旗の小旗を配っている 人もおり、私も貰った。通りには、お巡りさんも、沢山出ている。 途中、運河が走る港町コペンハーゲンを象徴すると言われている“ニューハウ ン”のカラフルな家並みも、途中見ながら、進んだ。

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8 (カラフルな町並みのニューハウン) アメリエンボー宮殿に着いて見ると、宮殿の中庭は、大勢の人、人、人で、先 が、全然見えない。正午近くだったので、正午にでも、クイーンが、(キングも 一緒か?)バルコニーにでも、顔を出すのだろうが、私は、デンマーク人ではな いので(?)帰ることにした。途中の“ニューハウン”の近くのレストランで、 昼食にすることにした。ここは、当然ビールとレストランの中年の給仕の勧める 一品料理。野菜、魚とチーズの一品で、まあまあであったか。コーヒーは、飲み 放題で、何杯でも注いでくれる。昼のビールとその国の一品料理、旅の楽しみの 一つであろうか。 (宮殿の中庭は、大勢の人だかり)

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(まだ、沢山来るが、私は、退散) (宮殿前の通りの反対側の眺め)

レストランを出ると、通りを、クイーンの誕生祝の衛兵の軍楽隊の行進が、通 りを進んで来た。

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10 次に、コペンハーゲンの町並みを見下ろせる“ランド・タワー(円塔)”を目指 した。途中、中年の夫婦に尋ねたりしても、余り苦労せずに、探し当てた。 (ランド・タワー) (一階は教会か) (これが、結構な勾配) (途中の休憩所) 結構な勾配のぐるぐる回りながらタワーを登る。日本なら、エレベ-ターにな ろうが、コペンハーゲンの市民にとっては、これは、健康増進に、大いに役立つ と思われる。

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11 (頂上(展望台)からの市街) (帰りも、ぐるぐる回りながらの下り) 次は、列車に乗って、コペンハーゲン中央駅まで。今朝、ホテルのフロントで、 私の今日見て回るところのリストを見せて、他に、お奨めの観光地が無いかと聞 いた際に、フロントのお姉ちゃんに教わった中央駅の目の前の“チボリ公園”に、 入って見ることとした。

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12 (コペンハーゲン中央駅) (チボリ公園内) チボリ公園は、言って見れば、家族連れの来る公園で、遊園地であろうか。当 初、入場料損したかと思ったが、まあ、折角親切に、教えてくれたフロントのお 姉ちゃんには、感謝しなければならないか。

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13 (今日は、クイーンの誕生日からか、衛兵の行進が、園内に入ってきた。) 次に、ここから、近くの“ニュー・カールズベア美術館”と、その先の“国立 博物館”に、歩いて行くこととした。自転車に乗った何か調査している婦警さん に聞くと目の前だった。 (ニュー・カールズベア美術館)

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国立博物館は、美術館の直先、直分かった。

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(トルコ、インドコーナーか)

(エジプト、メソポタミア・コーナー)

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(ギリシャ・コーナー)

コペンハーゲン中央駅近くのレストランで夕食。中央駅から、ホテルの駅まで は、それでも、20分くらいは掛ったか。歩き疲れて、ホテルに付いたら、バタ ンキュー。

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22 ○ 4月17日(金)オスロへ ホテルの駅から、一駅なのに、何故か、今日に限って、車掌が、乗ったら直に チェックに、来た。24Hフリー切符の期限が、まだ、有効で、切符を見せて、 セーフ・・・。アムステルの列車で、切符を持たずに乗っていたら、50ユーロ の罰金と言われた経験があるが、危ない、危ない。(その際は、貧乏そうな、ア ジア人と思われたか、お金ないといったら、あっさり、許してもらえたが・・・。) 空港駅では、最近のテロ騒ぎの影響か、自動小銃を構えて防弾服を着込んだ、 二人組みのお巡りさん(それとも兵士だったか)が、朝から、警戒に、歩き回っ ているのには、少々、ギョッとした。 コペンハーゲン空港は、9:00発なので、一時間前の8時前には、空港へ。 一時間くらいで着いたオスロ空港でも、手続きは無いようなもので、パスポート 検査のみで入国。今回も、150ユーロを換金する。オスロ中央駅までは、エキ スプレス・チケットを往復買う。 (コペンハーゲンのホテルの近くの駅) (オスロ空港) (中央駅までのエキスプレス車内) (泊まったAnker Hostel)

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23 オスロ中央駅までは、難なく着いた。さて、オスロのホテルへは、最初から、 地下鉄かトラムかと思って、24Hフリ-切符は、何処で買えるか駅員に聞くと 何故か、コンビニで売っているとのことで、コンビニの青年から、今日と明日の 二枚買う。後で考えるとラッキーだったが、一枚買った後で、もう一枚買い直し て、領収書と一緒に、財布の中に入れ置いた。地下鉄のトラムに乗ろうとしたが、 その前に、先程のコンビニのお兄さんに、ホテルの地図と住所のプリント見せて、 行き方聞くと、この先を出て歩いて行けるとのこと。歩き出す。一人目の説明で は、分からなく二度目のお姉ちゃん達三人組に聞くと、何と、彼女達の泊まって いるホステルとのこと。着いて行く。オランンダからの女子学生達のようで、ア ムステルには、去年行った等話ながら直着いた。 フロントでは、まだ、チェックインは、3時からだとのことで、市内地図と青 のボールペンを貰って、ナップザックに、折り畳み傘、旅行ガイドなど、詰め込 み、リックを預けて、ホステルの近くのトラムで、直だが、中央駅まで乗って見 て、地下鉄で、ムンク美術館に、行くことにした。何故か、入場は、無料だった。 (オスロ中央駅) (ムンク美術館)

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25 (ムンク自画像?) ムンクの当時の白黒のトーキーも、上映しており、若いうちは、悩み、苦労し たようだが、晩年は、絵が売れてか、大金持ちになった由。この辺は、最近、や っと読み終えた分厚い伝記“シャガール”のロシアのユダヤ人画家“シャガール” と・・・否、やはり、世界的に有名になる人は、絵画・美の天才なのであろう。 ホテルに、戻って、フロントで、シーツやら、枕カバーを受け取って、磁気カ ードを貰って、3階だったか。階の入り口は、磁気カードで入り、部屋にも、磁 気カードで入る。二段ベッドが、八個程ある共同部屋だ! トイレ、シャワー室 も、一つしかない。安いが、とんでもないところに泊まってしまったかと思った が、後の祭り。タオルは、持っているが、バスタオルが無いので、フロントから 有料で借りて来た。一人、クロアチアのマリオが、既にいて、少々、話している うちに、スペインのサラゴサからと言うアレックス青年も来て、三人で、テーブ ルで、少々話した。マリオの出身地は、聞いたが、分からなかった。アレックス とは、“デ、ドンデ、ウステ?(どちらからですか?)”“トダス、マニアナ、エ スタディオ、エスパニェル.(毎朝、スペイン語は、勉強しています。)”など、 エスパニョルの勉強(?)。サラゴサは、スペイン語の教材に出てくるので、直 に覚えた。マリオは、シェフで、ポーランドとか、いろんな国のシェフ仲間で働 いている由。従って、会話は、英語とのこと。マリオから、美術館、博物館等回

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26 るには、オスロ・パスが、便利なこと教わった。中央駅の時計塔の一階の案内で 売っているとのこと。当然、トラム、地下鉄、バス、フェリーも、乗り放題との こと。当初、とんでもないところと思ったが、考え見ると、便利な情報交換が、 出来て、結構、メリットもあることが、今回の旅の収穫か。(更に、後で分かっ たのであるが、こういうホステルは、若い人ばかりなので、朝のうちは、全員、 遅くまで寝ていて、朝方の私には、トイレも、シャワーも、一人使い放題なので、 この面からも、私のような、貧乏老人には、向いているかも知れない?) 荷物をベッド近くに、置いて、まだ早いので、トラムにでも、乗って見ること に、出掛けた。出掛けに、フロントの若いお姉ちゃんに、行きたいところのリス トを見せてトラムでどう行くか聞いたら、大抵のところに、12番のトラムで、 行けること教わった。方向音痴の私には、この情報も助かる。 (乗ったトラム内部) (バイキング博物館は、この港から) (オスロ市庁舎) ホステルに、戻った際は、マリオトアレックスもおり、三人で、夕食にと思っ たが、何故か、二人とも、乗ってこないので、一人で、夕食に。何と、近くのレ ストランは、何処も、ビール等の酒類は、サービスが無い!

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27 最初の店で、ビールも酒類も、無いとのことで、即、出たが、次の店も、アルコ ールは無いと分かって、一見、美味しそうな料理のあった最初の店に戻って、夕 食とした。 ホステルに戻ると、マリオも、アレックスも、何処かに出かけていなかった。 私は、入り口近くの二段ベッドの一段目で、寝ていたら、今度は、大きな旅行鞄 持った韓国の学生“朴(パク)”さんが、入って来た。話すと、何と、偶然、明 後日、ストックホルムで、行きの飛行機も、これまた、何と同じホステルに! 考えて見ると、貧乏仲間で、安宿が、共通事項で、たまたま、重なっただけあ ろうか。それにしても、驚きである。まだ早いが、時差ぼけが、治らないので、 寝ることにした。夜中に、二人ほど、また、入って来て、何語だか分からない言 語の小声へで、ごそごそやっていて、目を覚ましたが、私が、5時ごろだったか 起き出した時には、既にこの二人は、居なかった。 シャワーの音が、煩かろうと、しばらく、散歩に出かけ、6時半ごろ戻って、 シャワーの後に、買い置きの朝食。今日行くところのリストを整理したりしてか ら8時ごろには、まだ、早くて開いていないかも知れないが、歩いて、中央駅ま で。時計塔の一階の案内所は、8時には、既に開いていて、オスロ・パスを買い に。当初、オスロは、何かと、物が高くて(マリオとアレックスと話した時、オ スロは、世界一物価が高いとのこと、確かに、実感する。)、少ない現金ではなく、 カードで買おうとしたが、何故か、暗証番号を二度間違えて、使えなくなってし まい、現金で買った。その際、24Hフリー切符と領収書が、役に立って、その 分、引いてくれた。また、去年の財布の中に残っていたユーロが、90ユーロ位 あったので、それも、中央駅の両替所で換金した。 (今回泊まったホステル) (散歩の際の通り)

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28 当初、中央駅から、歩き出し、国立美術館探し当てたが、まだ、開いておらず、 王宮目指して歩いた。 (中央駅時計塔一階案内所) (王宮目指した途上で) (林の向こう王宮) (王宮) (王宮の近くのトラム車窓)

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29 何番線かのトラムで、中央駅に戻り、バイキング博物館へのフェリー乗り場へ の12番のトラムに乗り換えた。フェリー乗り場の近くで降りて、今正に、フェ リ-が、出航しようとしており、私の目の前の叔父さんが、駆け出して乗ろうと しているので、私も一緒に走って、飛び乗った。混雑した船に乗り込むと、乳母 車を押したお兄さんが、私が、外国人のためか、この船は、博物館には、行かず、 周りの島々への周遊船であること教えてくれた。どうすればよいか聞くと、最初 の島で降りて、一時間後に来る船で帰るか、そのまま、島々を回って戻れば良い と教えてくれた。私は、島々を回って帰ることとした。思わぬ周遊船でのオスロ 近郊の島々巡りの船旅となった。 (慌てて飛び乗った周遊船) (出航、市民ホールが良く見える) (最初の島の港)

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30 (島々の家は、カラフルで可愛らしい) (このフェリーが、博物館へ) (我々も出航) 元の港に戻って、今度は、しっかり、どの船が、博物館へ行くか、確認して乗 り込んだ。20分位で、着いた港からは、皆が、バイキング博物館に向かうのだ ろうと中学生くらいの男女の子供連れの家族の後を着いて行った。それなりに 歩いた後で、何と、コンチキ号博物館まで来てしまった。一人、今来た道を引き 返して、何度か聞きながら、バイキング博物館探し当てた。

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32 バイキング博物館を満喫した後は、また、一度来た道を戻り、コンチキ号博物 館、ノルウェー海洋博物館、ブラム号博物館へ。中学生の頃だったか、読んだこ とのある“コンチキ号の冒険”は、ンルウェー人の冒険だったの思い出した。 今の私の考えでは、南米から、インディオが、太平洋諸島に、乗り出すのは、 不自然で、やはり、インドネシア、フィリッピンから、乗り出して行ったと考え るのが自然のようだが。 (コンチキ号博物館内)

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33 すぐ隣のノルウェー海洋博物館では、ノルウェーは、バイキング以来の海洋国 家であること実感した。 (ノルウェー海洋博物館内) 隣接の“プラム号博物館”は、大きなプラム号を色んな角度から、見られるよ うに展示してある。

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(プラム博物館内)

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35 (戻りのフェリー内) (遠く博物館) (戻った港) (昼食のバー・レストラン) 歩き回ってお腹が、ペコペコなので、中央駅近くのバー・レストランに、入る こととした。ビールとチッキンのグリル料理一品のみであったが、何と、300 クローネ位した。世界一物価が高いとは言え、また円安もあるからだろうが、大 体、1ユーロ、9クローネ位であるから、これだけの昼食だけで、4千円位掛か った。誠に、恐ろしくなる。また、財布の中身を、気にしながらの惨めな旅も、 初めてである。 次に、一度、行った国立美術館へ。近くをトラムが、走っていたので、歩いて も行けるが、トラムに乗って行くこととした。

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ムンクの作品が、こちらに沢山展示していたので、ムンク美術館は、無料だっ たのであろうか。

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中央駅に戻って、また、12番のトラムで、ヴィーグランド公園に行くことと した。中々、広い公園で、面白い、色んな銅像が、至るところにある公園で、色 んな表情の銅像が、延々と続いていた。

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(公園入り口近く)

(相当に広そう)

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(奥までは、相当有りそうで、途中で戻った)(多くの市民で賑わっていた)

同じ12番トラムで、フェリー乗り場近くで降りて、オスロ市庁舎近くのアー ケーシフース城跡に行くこととした。

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(最初の門) (第二の門)

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43 (城からの港の遠景) 近くの12番のトラムの停留所から、ホテルの近くまで戻って、昨夜と同じレ ストランで、夕食とした。楽しみのビールはなくて、健康的に飲み物は、生のオ レンジジュース。ホテルに戻ると、朴さんも、戻っていて、明日の朝は、一緒に、 ストックホルムに行くこととした。私は、早々に、ベッドの中に、大学時代の寮 生活が、ものを言ったのか、少々の騒音は、無視して、眠れる。 ○ 4月19日(日)ストックホルムへ 当然、朝は、誰も起きていないうちから起き出した。少々煩いが、無視して、 シャワーを浴びて、買い置きの朝食を済ませ、フェリー乗り場、市庁舎の直ぐ近 くに、有った、ノーベル平和センターを見るのを忘れていたので、オスロ空港に は、10:55分発のストックホルム行きなので、9時過ぎまでに着けばよいの で、乗り慣れたトラムに乗って見に行ったが、当然、朝が早過ぎて、まだ閉まっ ていた。仕方がないので、センターの外観の写真と市庁舎、港の写真などを撮っ て、ホテルに戻った。 マリオ、アレックスも、まだ寝ているので、マリオには、オスロ・パスのお礼 及びアレックスには、昨日だったか、ホテルに戻った際、アレックスが、一人で 居る部屋の中で、スマホで、スペインの(?)彼女(ノビア)と電話で話をして いて、どうも、泣かしていたようなので、正しい英語か、不明だが、Alex→ “More take care your novia(恋人).”のメッセー ジをテーブルの上に残して、朴さんと二人で、ホテルを後にした。中央駅までは、 一緒に歩いて行ったが、彼は、経済観念豊富で、空港からは、高いエックスプレ スではなく、普通列車を利用するとのことで、私は、エックスプレスで。空港に は、直ぐ着いて、朴さんは、それでも、搭乗には、十分間に合う間に、待合ゲー トには、来た。

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44 (ノーベル平和センター) (近くの市庁舎) (フェリー乗り場) 朴さんの経済観念の高さには、私も助けられた。ストックホルムの空港で、ス トックホルム・カード(72Hの三日間、これも、主な交通機関、博物館、美術 館等無料カード)と空港からのエックスプレスの往復切符を買った際、エックス プレスの切符は、65歳以上は、割引(往復500クローネ→300クローネ) を領収書のプリントから、さっと見つけて、教えてくれたので、窓口のお姉ちゃ んから割引額に、直してもらった。今回は、パスワード間違えなかったので、ク レジットカードが、使えた。朴さんも、エックスプレスを利用して、中央駅まで、 地下鉄も、朴さんに、着いて行くけで助かった。ホステルの近くの駅(中央駅か ら、一駅のGalma駅)からも、朴さんは、私が、PC・グーグル・マップ世 代なら、次の世代のスマホ・グーグル・マップ世代で、ストックホルムのホステ ルへは、彼の後に着いて行けば、良かった・・・。しかし、最後のところでは、 私のPC・グーグル・マップのプリントアウトが、役に立って、通り掛かりの夫 婦に、プリント見せて、教えて貰って、やっと、たどり着いた。しかし、確かに、 朴さんと一緒でなければ、私一人では、相当、苦労したであろう。また、ホステ ル、入るにも、ドアには、鍵が掛っていて、簡単には、入れず、一緒でなければ、 誰かが来るまで、入れなかっただろう。(ドアのキー・ボックスのようなものに、

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45 表示されているキー番号・文字を入力するとフロントと応答が出来て、鍵を開け てもらう。)しかし、朴さんと一緒に居て分かったのであるが、スマホの欠点は、 直ぐ電源が切れてしまうことのようで、電車の中でも、ホステルでも、しょっち ゅう、充電しなければならないのは、私には、大きなマイナスに思えるが・・・、 僻みだろうか? 朴さんとは、部屋も同じで、フロントで貰ったベッドの番号は、 私は、入り口近くの一段目であったが、朴さんは、ちょっと離れたベッドの一段 目であったか。流石、朴さんは、慣れており、ロッカー・ボックスにかける鍵も 持っていて、貴重品は、鍵を掛けて置いておく。今回のホステルは、オスロのと きのホステルより、大部屋で、二段ベッドの数も多い。トイレとシャワー室は、 別の小部屋が、何個かある。また、日本では考えられないが、男女の区別はなく、 若いお姉ちゃん、中年の叔母ちゃんも、一緒。 朴さんとは、近くのレストランへ、それから、歩いて、国立美術館まで、行っ たが、残念ながら、こちらの国立美術館は、休館だった。また、朴さんは、2時 か、3時ごろから、英語のフリ-・ツアー(ボランティアが、観光地を説明案内 してくれて、最後に、各自が、チップで、済ませる。ホステルのフロントに、案 内が出ていて朴さんは、申し込んだ。)に参加するとのことで、私も誘われたが、 明日は、月曜日なので、休館するところが、多いだろうから、ストックフォルム・ カードが、勿体無いだろうと、今日中に、近くの博物館等を見て回ることにした。 (王宮背景に、朴さん) もう一箇所に、国立美術館あり、ここから、朴さんとは、別れて、一人で見て 回ったか。近くの地図上での博物館、記念館等は、手当たり次第に、入って行っ た感じ。王宮の周りにも、色んな博物館がある。王宮博物館、王家武儀博物館、 王立貨幣館等々。

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歩いて、王宮近くに戻り、まず、ストックホルム中世博物館へ。

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次いで、王宮中の王宮博物館、王家武儀博物館、宝物の間等へ。

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50 王宮博物館には、余り、写真に撮りたい物がなかったか。 (王宮正面?) 青の衛兵も中々である。一回に、何時間ぐらい立っているのか聞いたら、2時 間で交代とのこと。 (王家武儀博物館)

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(王宮広場の僧侶が、印象的)(青服の衛兵も中々)

(丁度、交代式であったか)

次いで、王宮広場の直ぐ前の王立貨幣館へ。

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53 (多分、ローマ時代の金貨の拡大版) 次も、王宮の近くのノーベル博物館へ。ノーベル博物館から、出たら、フリ-・ ツアーの二十人くらいのグループの中に、朴さんが居るのが分かった。(彼は、 身長が、180センチ以上なので、目だって、直ぐ分かった。)ホテルには、五 時半ごろ戻って、食事をご一緒すること、約束して、別れた。

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54 (ノーベル博物館入り口) 朴さんのグループと別れて、近くの、“本の博物館、郵便博物館にも、行って 見たが、既に両方とも、閉館であったので、ホテルに戻って、しばらく休むこと にした。 (本の博物館) (郵便博物館)

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55 (今回泊まったUrbanホステル(旗の奥、入り口の階段)) (ホステルの近くの何かの銅像) 五時ごろには、朴さんも、帰って来たが、彼も、大分歩いて、疲れたとのこと で、少々、休んでから、七時近くに、近くのイタリアンレストランへ。私は、ビ ールを、彼は、飲まないが、二人で、別々のピザを頼んで、半分ずつ分け合った。 まあ、両方とも、大きなピザであったので、十分お腹一杯になった。朴さんは、 近くの何かの博物館に、行くとのことで、私も誘われたが、少々、二杯のビール でも、歩き疲れのためか、酔ったようなので、私は帰って、直ぐにダウン。

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56 ○ 4月20日(月)ストックホルム市内観光 シャワーは、別室なので、朝早くても、心置きなく、ゆっくりできる。朝食 も、買い置きで済ませて、フロントに、今回、選んだ回るところ以外にも、お勧 めあるか、聞きに行ったら、昼は、お姉さん達であったが、夜勤からなのだろう か、ペルーの叔父さんが、フロントに一人おり、“オラ! デ、ドンデ、ウステ?” 等のスペイン語会話が出来た。私は、二、三年前に、マチュピチュ行った話など した。何故か、奥で、コーヒー飲んで行けと盛んに、進めるので、行って見ると、 このホステルは、朝食付きかと、ビッフェが揃っていたので、コーヒーと一緒に、 勝手に食べた。ペルーの叔父さんも、朝が早いので、客も誰も降りてこないので、 市内地図持って来て、是非、“スカンセン”行くよう勧められた。まだ、朝が早 いので、ここのレストラン室で、コーヒーを飲みながら、地図上に、今日の回る ところを、整理した。 九時ごろに、ホステルを出発、散歩代わりに、フェリー乗り場まで、歩いてい ったら、既に何人か、乗船の列が出来ていて、私も並んだ。隣の金髪のお兄さん に、このフェリーは、“スカンセン”に行くか、尋ねたら、上着の下のスカンセ ンのロゴ・マーク入ったシャツを見せてくれて、“スカンセン”で働いていると のことで、出勤の乗船らしい。 (船内) (出航)

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57 (船窓から) (下船) 最初に、しばらく歩いてから、“ヴァーサ号博物館”に、行ったが、朝早過ぎ て、隣の北方民族博物館もまだ、開いていなくて、少々、歩き回ったり、ベンチ で休んだりして、開くのを待った。その内、何人か、列が出来て、10時開館だ ったかで、皆で入っていった。 (ヴァーサ号博物館) (隣の北方民族博物館)

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(模型の海戦模様か?)

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(北方民族博物館)

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北方博物館の近くに、動物博物館が有り、入って見た。

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62 出ると、スカンセンの看板。 スエーデンの昔の暮らしが、保存され、垣間見られるとのこと。入り口近くに、 ケーブルカーが走っており、別料金とのことで、歩こうかと思ったが、乗ること にした。 (スカンセン入り口)

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相当に広く、全部は、回れず、途中から、帰ることにした。入り口近くに、ト ラム走っており、当然、中央駅に行くだろうと乗ることにした。

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(トラム降りた後の中央駅近くの雑踏)(列車にも乗って見たが、途中で帰った)

(中央駅の地下広場)

中央駅の地下のレストランで、昼食とし、地下鉄で、ホステル近くの駅まで。 王宮近くの大聖堂に、行ってなかったので、大聖堂へ。

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66 (大聖堂) (大聖堂から直ぐの王宮広場) (途中の国会議事堂) (市庁舎) ノーベル賞授賞式のパーティー会場となる市庁舎にも、歩いて行くこととし た。

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(市庁舎中庭か)

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(観光スポットなのだろか、多くの人で賑わっていた)

(市庁舎からの帰りの王宮への道) (観光客で賑わう王宮の通り)

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69 (今日の夕飯も朴さんと) (翌日の散歩時に) 夕方、今日も、朴さんと夕飯を一緒に食べに行った。また、同じイタリアンレ ストランへ。私は、また、ビール、夕飯は、朴さんに任せた。アメリカでは、普 通の料理だとの骨付き牛肉料理と野菜の盛り合わせだったか。朴さんは、また、 夜の街に繰り出したが、私は、今日も、ほろ酔い加減で真っ直ぐ帰って、ダウン。 ○ 4月21日(火)(から、22日(水))帰国 昨夜、夕飯時に、私は、今日の午後の飛行機で帰国するので、午前中というよ りは、朝のうちに、近くの東洋博物館と現代美術館を見て帰る予定で、ストック ホルム・カードが、今日一日は、まだ使えるので、朴さんは、博物館等まだのよ うなので、朴さんの24H カードと10時半過ぎには、ホステルに戻って交換す る約束をした。 シャワーを済ませ、今日も、朝食をと勇んでフロントの前を通って、レストラ ン室に向かったら、昨夜のペルーの叔父さんと替わった別のお兄ちゃんに、朝食 券持っているかと聞かれ、ないと言ったら、20クローネだったか払わされた。 (ペルーの叔父さんの時は、只で食べてしまったのであるが・・・。) 九時過ぎには、ホステルを出て、現代美術館に、向かったが、開館は、10時か らで、少々、近くの音楽会場のような建屋を覗いたりして、周りをぶらついて、 時間を潰した。10時に開館して、その時には、列の出来ていた皆と、入館した が、現代美術館は、私には、モダン過ぎて余り良く理解できない作品が多かった 感じ。さっと一巡して、東洋美術館に行ったら、開館は、11時からとのことで、 諦めて帰りことにした。途中で、馬車と騎馬隊の行列に遭遇した。

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70 (途中の大聖堂) (王宮と衛兵) (エコ意識が高い為か自転車が多いし、自転車用道路もある) (途中の橋) (時間潰しに覗いた音楽会場?)

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74 ホステルでは、朴さんが待っていて、カードを交換して、私は、チェックアウ ト、朴さんとは、一緒にホステルを出て、彼は、今日は、一人で、博物館等回る ようで、途中で別れた。 (帰りの中央駅) (帰りのエキスプレス・ホーム) (エキスプレス車内)

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75 ストックホルム空港からの飛行機は、座席が窓際で、窓からのスエーデンの風 景が、何枚か撮れた。 コペンハーゲン空港の待合室では、青い目をした子供連れの日本女性に会っ たので、少々話したら、スエーデンからは、列車で、コペンハーゲン空港へ来て 日本に、帰国するとのこと。当然、夫は、スエーデン人で、私が、レストランの 料理の高さ嘆くと、スエーデンでも、外食は、高くて、滅多にしないとのこと。 物は安いので、自分達で料理するとのこと。 成田には、22日(水)9時半頃付きました。会社から、連絡が入っていて、 帰りによって欲しいとのことで、旅行の格好で会社によってから、見積り処理を して帰宅した。 ○ エピローグ オスロ(コペンハーゲンも、ストックホルムもか)の物価の高さと働いている 外国人の多さは、以前円高で、ブラジル日系人、中国人、韓国人が、日本に、働 きに来たことと同じではなかろうか。クロアチアのマリオなども、シェフなので、 食事は、働いているレストランで、安く済ませ、安宿に泊まって、お金を貯めて 帰国するのであろう。スエーデンのペルーの叔父さんも、同様か。また、朴さん は、UCLAに、8年留学して、米語をマスターした為に、既に、70数カ国旅 行した由。外国旅行には、英語だけで十分なのであろうか。やっと、写真も整理 できたので、朴さんに、写真をメールで送った。 中年からの海外旅行 第二十七章完

参照

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