博 士 ( 水 産 科 学 ) 朴
太 健
学位論文題名
トドEz.tn7etopias jubatus の音響行動生態に関する研究 学 位論文内容の要旨
【 目的 】
北海道沿岸に来遊するトドは,オホーツク海周辺の繁殖場から北海道沿岸までの長距離 回遊において,数頭から数十頭の群れを構成して,移動するものと考えられる。この時,
彼らが群れを維持しながら長距離回遊をするためには,少なくとも個体間の相互信号体系 が形成されている必要があり,その中でもトドの鳴音は極めて重要な役割を担当している ことが推測される。これまで動物の音響生態学的研究としては,クジラ類のエコ,ロケー ションに関する研究,コウモりの反響定位行動に関する研究,陸上哺乳動物の鳴音行動に 関する研究,鳥類や昆虫類の鳴音の地理的変移に関する研究などが数多く行なわれ,多く の新しい知見が得られている。しかしながら,鰭脚類の音響生態学的研究はアシカやアザ ラシに関するものがほとんどであり,トドの鳴音を対象にした研究は少なく,特にその鳴 音 の 周 波 数 分 析 , 波 形 分 析 , 音 長 分 析 等 の 研 究 事 例 は 見 当 た ら . な い 。
本研究は,トドが発生する鳴音の音響学特徴を明らかにすると同時に,トドの鳴音が回 遊行動や群れの維持にどのような役割を担っているかを把握するため,水族館で飼育され ているトドと北海道西海岸に越冬する野生卜ドが生成する鳴音と行動を観察して,行動生 態学 的見 地か らト ドの 鳴音 を分析 した もの であ る。
【方法】
飼育トドの鳴音と行動の観察は,室蘭市立水族館,小樽水族館,龍仁水族館,ソウル水 族館において,飼育されているトドを対象に行った。トド行動の観察および鳴音の録音は,
飼 育プール全体が見渡せる産室の上に,マイク口フォンが内蔵されたビデオカメラを設置 し ,トドの行動と鳴音を昼夜連続観察した。実験は,トドに刺激を与えないようにピデオ デ ッキ とピ デオ モニ ター を設置 して ,ト ドの 行動 を24 時間 連続的にモ二夕ーしながら行 動の録画および鳴音の録音を行った。
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一方,野生トドの鳴音の収集は,雄冬岬において,越冬中の野生個体約42 〜66 頭を対 象に行った。トドの行動および鳴音の観察は,トドが上陸場としている岩礁にピデオカメ ラとマイクロフオンを設置して行った。野性トドの行動と鳴音の収録は,トド島から約 丶
300 メートル離れた高台にピデオデッキとモこターを設置して,トドの行動をモニターし ながら行った。同時に観測地点には望遠レンズっきのピデオカメラを設置してトドの行動 を 30 分間隔で5 分間の録画を5 日間連続して行った。飼育トドおよび野生トドの鳴音と 行動を記録したピデオカメラテープは後日再生し,音声信号はオシロスコープ,FFT アナ ライザーおよびデジタルソナグラフで解析した。
まず,トドの発生する様々な鳴音の特徴を抽出するため,ソナグラフを用いて飼育下の 個体と越冬中の野生個体の鳴音のフォルマント周波数F い基本周波数Fo ,音長T ,バルス 密度PRR を定量化し,ピッチパターンをその形状から6 大分類,21 小分類に分類した。
次に,トドの鳴音が群れの維持と意志伝達において,どのような役割を担っているかを 明らかにするため,飼育個体と野性個体の鳴音とそれに伴う行動を同時に観察し,音響パ ラ メ一 夕と ピッチパターン分類を用いて,鳴音の行動学的意味について考察した。
次に,トドの鳴音が個体間および個体群間で共通性や変異性を持っかどうかを明らかに するため,環境の異なる水族館で飼育されている 40 所の飼育個体,および北海道西海岸 の野生個体の鳴音の特徴を標的パラメータと用いて比較分析し,トドの鳴音の個体間およ びグループ間の変異性について分析した。
最後に,トドの鳴音の個体間およびグループ間での変異性が先天的な形質によるもの か,後天的に形成されるのかを明らかにするため,水族館で生まれた新生獣や幼獣の鳴音 と行動を長期間継続して観察することにより,学習による幼獣の鳴音の形成過程について 検討した。
【結果】
飼育ト ドと 野生 トドの 鳴音 と行 動を 分析し た結 果以 下の ことが 明らかとなった。
1 .トドの鳴音は,フォルマント周波数Fi ,基本周波数Fo ,音長T ,バルス密度 PRR の4 つの音響パラメータと6 分類21 種類のソナグラムピッチパターンで特徴付けること ができる。
2 .トドの鳴音は雌雄,年齢で異なり,音響パラメー夕F いFo , PRR は成熟オス,成熟メ
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ス ,幼 獣の 順に 高く なっ た。 これ は成 長と ともに 発声器官も大きくなり,声帯の振動
周波数が低下するためと考えられた。
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. トド の鳴 音は 野生環 境と飼育環境で異なり,
FlとFo は飼育個体が野生個体より高く,
PRR
は 飼 育 個 体 が 野 生 個 体よ り小 さか った 。音 長T は 飼育 個体 が野 生個 体よ り大 きか
っ た 。 鳴 音 の ピ ッ チ パタ ー ンは 飼育 個体 では 複雑な
F型 やD 型 を多 用し ,野 生個 体で
は単純なA 型,B 型,C 型を多用していた。
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.トドの鳴音はそれと付随する行動によって,「交信音」,「威嚇音」,「哀願音」,「認知
音」の4 種類に分類された。威嚇音は単純な形状で音長の短しゝA 型が多く,認知音は
飼育 個体 のみ が使 用し,B 型が多かった。これらのピッチパターンの出現頻度を配列
グラフにプロットしたところ直線上に分布し,鳴音が無意味に発せられたのではなく
各ピッチパターンが情報を持っていると考えられる。そしてこれらの鳴音種は,摂餌
行 動 や , 喧 嘩 や 威 嚇 , 個 体 識 別 な ど に 使 い 分 け ら れ て い る と 考 え ら れ た 。
5.トドの鳴音の発生頻度は,日中に増加し,夜間に減少するという日周期性が認められ,
その 日周 期性 は生 理的 な体 内リ ズム のほ か摂餌 行動や対人行動と深く関わっている
と考えられた。
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. トド の鳴 音の 個体間 変異 を調 べた とこ ろ, 雄と 雌で はフ ォル マン ト周 波数Fi が異な
り,雌雄の識別は鳴音周波数で容易に行なえることがわかった。また,野生個体では
音長T が小さく,ピッチパターンの単純な形状が多いのに対し,飼育個体はT が長く,
ピッ チパ ター ンは 複雑な形状が多かった。生息密度の高い野生トドは,主に音長T を
用 いて 個体 を識 別し ,個 体識 別の 必要 がな い飼育 個体は,複雑な鳴音を意思伝達のた
めに用いていると解釈された。
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.
5カ所 のト ド集 団の グル ープ 間変 異を 調べ たとこ ろ,
Flと
Tの 関係 にお いて, これら
の グ ル ー プ は ,
FJ,
Tと も分 散の 少な い龍 仁グ ルー プと
F1の 分散 が大 きく
Tの分 散が
小 さい 小樽 グル ープ ,および
Flの分散が小さくT の分散が大きい雄冬の野生グループ,
ソウ ルグ ルー プに 分類された。ピッチパターンを用いて調べたところ,5 グループ共
通 に使 われ たピ ッチ パタ ーン と, その グル ープだ けに使われた鳴音があることが分か
った。トドの鳴音には,本来備わった共通の鳴音とグループ固有の鳴音が存在するこ
とを示すものと考えられた。
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. 水族 館に おい て,新 生獣,
1歳獣,2 歳獣の鳴音を継続的に観察した結果,新生獣の
鳴音は生後,フォルマント周波数Fi が急激に低下し,加齢とともに低く安定した鳴音
を発するようになった。また,生後3 ケ月の新生獣は2 つの周波数成分を持つ特殊な
鳴音を発し,その後,変声期を経て正常の鳴音を獲得するようになることが分かった。
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.水族館における親仔の鳴音をピッチパターンで分析した結果,幼獣の発する鳴音は両
親あるいはそのいずれかの親から受け継がれたものであった。幼獣は親や家族,グル
ープ内の他個体から学習し,加齢とともに多種類の鳴音を獲得するようになると考え
られた。
学 位 論 文 審 査 の 要 旨 主 査 教授 飯田浩二 副 査 教授 桜井泰憲 副査 助教授 向井 徹
学 位 論 文 題 名
トドEu7netopias jubatus の音響行動生態に関する研究
北海 道 沿 岸 に来 遊 す る トド は , オ ホ― ツ ク 海 周辺 の 繁 殖 場か ら 北 海 道沿 岸 ま で の長 距 離 回 遊に お い て , 数 頭か ら 数 十 頭の 群 れ を 構成 し て , 移動 す る も のと考え られる 。この 時彼ら が群れ を維持 しなが ら 長 距離 航海を するた めには ,少な く.と も個体 間の相 互信号体 系が形 成され ている 必要が あり, その中 で も ト ド の鳴 音 は 極 めて 重 要 な 役割 を 担 当 して い る こ とが推測 される 。しか しなが ら,鰭 脚類の 音響生 態 学 的 研 究は ア シ カ やア ザ ラ シ に関 す る も のが ほ と ん どであり ,トド の鳴音 を対象 にした 研究は 少なく , 特 に そ の 周 波 数 分 析 , 波 形 分 析 , 音 長 分 析 等 を 行 っ た 研 究 は 見 当 た ら な い 。 本研 究 は , トド が 発 生 する 鳴 音 の 音響 学 特 徴 を明 ら かにす ると同 時に,ト ドの鳴 音が回 遊航海 や群れ 維 持 に いか な る 役 割を 担 っ て いる か を 把 握す る た め ,水族館 で飼育 されて いるト ドと北 海道西 海岸に 越 冬 す る 野生 ト ド が 生成 す る 鳴 音と 行 動 を 観察 し て , 行動生態 学的見 地から トドの 鳴音を 分析し たもの で あ る 。
飼育 トドの 鳴音と行 動の観 察は, 室蘭市 立水族 館,小 樽水族 館,龍 仁水族館 ,ソウ ル水族 館にお いて,
ビ デ オ カメ ラ を 用 いて , ト ド の行 動 を24時 間 連 続的 に 録 音 ,録 画 し た 。野 生 ト ド の鳴 音 の 収 集は , 雄 冬 岬 に おい て , 越 冬ト ド が 上 陸場 と し て いる 岩 礁 に ビデ オ カ メ ラと マ イ ク ロフ オ ン を 設置 し て 行 なっ た 。 得 られ た デ ー タは , ソ ナ グラ フ を 用 いて 飼 育 下 の個体と 越冬中 の野生 個体の 鳴音の フオル マント 周 波 数Fi, 基 本 周 波 数Fo, 音 長T, パ ル ス 密 度PRRを 定 量 化 し , ピ ッ チ パ タ ー ン をそ の 形 状 から6大分 類 , 21小 分 類 に 分 類 し , 解 析 に 用 い た 。 解 析 の 結 果 以 下 の こ と が 明 ら か と な っ た 。
1. ト ド の 鳴 音 は 基 本 周 波 数Fa, フ オ ル マ ン ト 周 波 数Fi, パル ス 密 度PRR,音 長Tの4つ の 音 響パ ラ メ ー タ と 6分 類 21種 類 の ソ ナ グ ラ ム ピ ッ チ パ タ ー ン で 特 徴 付 け る こ と が で き る 。 2.トド の 鳴 音 は雌 雄 , 年 齢で 異 な り ,音 響 パ ラ メー タFo,Fエ,PRRは 成 熟オ ス , 成 熟メ ス , 仔 獣の 順 に 高 く なっ た 。 こ れは 成 長 と とも に 発 声 器官 も大き くなり ,声帯 の振動 周波数が 低下す るため と考 えら れた。
3.ト ド の 鳴 音 は 野 生 環 境 と 飼 育 環境 で 異 な り,FiとFoは 飼 育個 体 が 野 生個 体 よ り 高く ,PRRは 飼 育個 体 が 野 生個 体 よ り 小さ か っ た 。音 長Tは 飼 育 個体 が 野 生 個体 よ り 大 きか った。鳴 音のピ ッチパ ター ン は 飼 育 個 体 で は 複 雑 なF型 やD型 を 多 用 し , 野 生 個 体 で は 単 純 なA型 ,B型,C型を 多 用 し てい た 。
4.ト ドの鳴 音はそ れと付 随する 行動に よって「 交信音 」,「威嚇音」,「哀願音」,「認知音」の4種類に 分 類 さ れ た 。 威 嚇 音 は 単 純 な 形 状 で 音 長 の 短 いA型が 多 く , 認知 音 は 飼 育個 体 の み が使 用 し ,B型 が 多 か った 。 こ れ らの 鳴 音 種 は, 摂 餌 行 動や ,喧嘩 や威嚇 ,個体 識別な どに使い 分けら れてい ると
考えられた。 ― 1177―
5.トドの鳴音の発生頻度は,日中に増加し,夜間に減少するという日周期性が認められ,その日周期 性 は 生 理 的 な 体 内 リ ズ ム の ほ か 摂 餌 行 動 や 対 人 行 動 と 深 く 関 わ っ て い る と 考 えら れ た 。 6.トドの鳴音の個体間変異を調べたところ,雄と雌ではフオルマント周波数Fiが異なり,雌雄の識別 は鳴音周波数で容易に行なえることがわかった。また野生個体では音長Tが小さく,ピッチパター ンの単純な形状が多いのに対し,飼育個体はTが長く,ピッチパターンは複雑な形状が多かった。
生息密度の高い野生トドは,主に音長を用いて個体を識別し,個体識別の必要がない飼育個体は,
複雑な鳴音を意思伝達のために用いていると解釈された。
7.5カ 所のト ド集団の グルー プ間変異 を調べた ところ,FlとTの関係において,これらのグループは FいTと も分散の 少なぃ龍 仁グル ープとFiの 分散が 大きくTの分 散が小さ い小樽グループ,および F・の分散が小さくTの分散が大きい野性,ソウルグループに分類された。ピッチパターンを用いて 調べたところ,5グループ共通に使われたピッチパターンとそのグループだけに使われた鳴音があ ることが分カゃた。トドの鳴音には本来備わった共通の鳴音とグループ固有の鳴音が存在すること を示すものと考えられた。
8.水族館 におい て新生獣 ,1歳獣,2歳獣の 鳴音を 継続的に観察した結果,新生獣の鳴音は生後フオ ルマント周波数Fユが急激に低下し,加齢とともに低く安定した鳴音を発するようになった。また生 後3ケ月は2つの周波数成分を持つ特殊な鳴音を発し,その後,変声期を経て正常の鳴音を獲得す るようになることが分かった。
9.水族館における,親子の鳴音をピッチパターンで分析した結果,仔獣の発する鳴音は両親あるいは そのいずれかの親から受け継がれたものであった。仔獣は生後,親や家族,グループ内の他個体か ら 学 習 し , 加 齢 と と も に 多 種 類 の 鳴 音 を 獲 得 す る よ う に な る と 考 え ら れ た 。 これらの知見は,トドの生態研究に韜いて極めて有益であり,また音を用いたトドの行動制御の可能性 を示すものと高く評価される。よって審査員ー同は申請者が博士(水産科学)の学位を授与される資格 のあるものと判定した。
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