Ⅰ 学説管見
アメリカ合衆国憲法制定の歴史的意義について Gordon S. Wood は次の ように述べる(1)。1776年、アメリカ独立宣言の直後、アメリカ人に最も望ま しい政体モデルはその起源を古代ギリシアにまで遡る混合政体だった。混 合政体とは王(monarch)、貴族(nobility)、民衆(people)という三つの 社会階層を政府に取り込み、社会全体を政府のうちに体現する制度であ る。アメリカ人は植民地時代から母国イングランドの混合政体に親しみ、
1776年以降のほとんどの諸邦憲法はこの政体を前提とした。けれども、と 論 説
アメリカ合衆国憲法と古典古代
原 田 俊 彦
Ⅰ 学説管見
Ⅱ アメリカ合衆国憲法の制定と古典古代 ① フィラデルフィア憲法制定会議 ② The Federalist
Ⅲ 古典古代の混合政体論 ① アリストテレス ② ポリュビオス ③ キケロ
Ⅳ 混合政体論の古典古代的変容
( 1 ) Wood, G. S., The Creation of the American Republic 1776 ─1787 (1969) [=
American Republic]
りわけ貴族政的要素をどのようにアメリカ社会に実現するかが問題だっ た。王の任命する世襲貴族が存在しないのだから、上院(Senate ─元老
院[senatus]─)はどのように構成されるべきか。民衆を基礎とするア
メリカ革命という原義に則り、一院制も模索された。しかし、単一の立法 府による権力濫用を阻む装置として、今一つの立法府の存在が望ましい。
この二つの立法府はいずれも民衆が選出する。つまり、社会を構成するさ まざまな階層が政府に参加するのではなく、民衆というただ一つの社会構 成単位が複数の政府機関に自らの代表を送り込むのである(2)。この「代表民 主制」がアメリカ政体の原理としてアメリカ合衆国憲法に定められ、The Federalist で主張された。このように、アメリカ憲法制定の持つ歴史的意(3)
義は、古典的混合政体論─ジョン・アダムズに認められる(4)─から脱却 し近代民主制─代表民主制─を確立した点にある(5)。Wood の叙述で は、古典古代の混合政体論はほとんど触れられず(6)、アメリカ憲法制定の政 治思想史上の実体的意義は、中世的身分制度─イングランド政体─に 基づく混合政体論からの脱却にあると解される(7)。
Wood の研究に先だって、Bailyn は植民地時代の混合政体論が権力分 立論に変遷したと主張する。アメリカ植民地人は混合政体であるイングラ
( 2 ) Wood, American Republic, Chap. Ⅵ , 197─255.
( 3 ) The Federalist のテキストは本稿では The Federalist, Edited, with Introduction and Notes, by Jacob E. Cooke (1961) [= The Federalist] を用いる。
( 4 ) Wood, American Republic, Chap. XIV, 567─592. とりわけ言及されるアダムズ の作品は、John Adams, Defence of the Constitutions of Government of the United States of America [= Defence] で あ る。 本 稿 で は Adams, Defence, in Charles Francis Adams, ed., The Works of John Adams IV─VI (1851, rep. 1971) を用いる。
( 5 ) Wood, American Republic, 606─615.
( 6 ) Wood, American Republic, 197 で古代ギリシアが示唆されるに留まる。
( 7 ) Wood の見解については、中山道子「アメリカ革命史におけるリベラリズム対 リパブリカニズム─日本の近代憲法学にとってのその意味─」立教法学47
(1997)、72─111、とりわけ81─83も参照。Wood のその後の見解(とりわけ、The Radicalism of the American Revolution [1992])については、さしあたり、中野勝 郎「学界展望」国家学界雑誌106(1993)、241─244、とりわけ240─242参照。
ンド政体を理想的政体と考えたが、貴族政を構成する要素をアメリカに見 出せず、一部機関に権力が集中しうる事態をどのように妨げるかが問題と なった。そこで、混合政体における社会階層間の対立に問題の解決を委ね るのではなく、利害の対立に、つまり、特定利害を共通にするものたちの 党派の形成とそれら党派間の対立に委ねるべきと構想されるに至った。こ うした成果は憲法制定と The Federalist の主張に体現され、後の権力分 立論の形成に連なるものとなった(8)。
権力分立理論の歴史的展開という観点から、Vile はアメリカ憲法制定 の政治思想史上の意義を古代以来の政体思想の克服に見出している(9)。Vile によれば、古典古代の政治理論は基本的に混合政体論で、この理論は権力 分立の理論とは本質的に異なる(10)。混合政体論は社会の階層的構造を認めそ れぞれの階層の利害を調整しあるいは均衡を図るものだが、権力分立論は 政府の持つさまざまな機能を政府の諸機関に分割することから出発し、階 層的社会構造を前提としない。つまり、執行、立法、司法という政府機 能・機関は、王、貴族、民衆という階層には相応しない(11)。アメリカ合衆国 憲法は、混合政体論─ジョン・アダムズに代表される(12)─から脱却し、
民衆に由来するさまざまな権力を政府内部で分割する権力分立理論を体現 するものであった。ただし、元来は混合政体論を構成する三つの要素間の チェック・アンド・バランスを権力分立論における三つの部門間で機能さ せて、権力分立のシステムを維持しようとするものだった(13)。古典古代から
( 8 ) Bailyn, B., The Ideological Origins of the American Revolution (1967) [=
Ideological Origins], 272─301.
( 9 ) Vile, M. J. C., Constitutionalism and the Separation of Powers (1967) [=
Constitutionalism]
(10) とりわけ、Vile, Constitutionalism, 23; 33. Vile, Constitutionalism, 35─36 は、
古典古代の混合政体論としてプラトン、アリストテレス、ポリュビオスの思想を取 り上げている。
(11) Vile, Constitutionalism, 34─36.
(12) Vile, Constitutionalism, 148─149.
(13) Vile, Constitutionalism, 152─161. Vile, Constitutionalism, 13 は権力分立の
受け継がれてきた混合政体論がアメリカ憲法制定を通じて権力分立論によ り克服された、という理解は一般に認められるところである(14)。
このように、アメリカ革命初期には古典古代思想が建国者たちの基本的
「純粋理論」(‘pure doctrine’ of the separation of powers)を定義づけ、立法、執 行、司法という三つの部門に統治機構が分割され、それぞれの部門はそれぞれに固 有の機能のみを実行し、他の部門の領域に入ることを禁じられ、一人の人物は同時 に二つ以上の部門が持つ権限を行使することを許されないとする。他方、チェッ ク・ ア ン ド・ バ ラ ン ス は、 元 来、 混 合 政 体 論 に 認 め ら れ る 機 能 で(Vile, Constitutionalism, 18)、権力分立の「純粋理論」とチェック・アンド・バランス は、概念上、峻別される。
(14) 例えば、Casper, G., Separating Power. Essays on the Founding Period (1997), 9 ─12; Gordon, S., Controlling the State: Constitutionalism from Ancient Athens to Today (1999) [= Constitutionalism], 296─308; とりわけ302─308〔80─84で古代ギ リシアの混合政体論、107─112でポリュビオスおよびキケロの混合政体論が論じら れる〕; Morrow, J., History of Western Political Thought. A Thematic Introduction 2nd. ed. (2005) [= Political Thought], 243─244 〔The Federalist を中心として論じ ている〕; 247 〔230─236でプラトン、アリストテレス、ポリュビオス、キケロの混合 政体論が論じられている〕邦語文献として、奥村博司「アメリカにおける権力分立 制の起源および成立についての研究史概観」北大史学14(1974)、1─15; とりわけ10
─14は、アメリカにおける権力分立理論成立に関する学説史を概観し、Bailyn およ び Vile の説を高く評価している。なお、Gerber, S. D., A Distinct Judicial Power:
The Origins of an Independent Judiciary, 1606 ─1787 (2011) [= Judicial Power], 4─
26 は、三権分立の一側面として司法権の独立に焦点を当て、アリストテレスの混 合政体論からジョン・アダムズの Thoughts on Government, in Charles Francis Adams, ed., The Works of John Adams IV (1851, rep. 1971), 189─209 に至る展開を 跡づける。Gerber がジョン・アダムズで叙述を終えたのは、アダムズのこの作品 を Defence とは異なって合衆国憲法第 3 条に体現される司法権の独立に向けての最 後の一歩と解するからである(Gerber, Judicial Power, 24)。この点を除けば、
Gerber の理解はこれまで引用した作品と異なるものではない。他方、von Bose, H., Republik und Mischverfassung ─Zur Staatsformenlehre der Federalist Papers
(1989) [= Republik] は、基本的に Vile の見解に基づきながらも(von Bose, Republik, 127; 127 A. 1)、The Federalist, No. 14, 84 の “unmixed and extensive republics” という表現に着目し、ここで意味される共和制は、古代以来の混合政体 ではなく民衆という単一の基礎による民主制であり(von Bose, Republik, 36; 66─
67; 127; 224)、大統領、上院、下院という政府機関は身分制を象徴するものではな く「統治権力の混合」を表しこの点で形式的混合を維持するものと捉える(von Bose, Republik, 140─143)。もっとも、“unmixed republics” という表現は、通常は、
認識枠組だったが、合衆国憲法制定を画期に古典古代思想は後景に退いて いく、こうした理解が政治思想史上は通説と考えられる(15)。また、建国者た ちの古典古代にたいする知識・認識も、Bailyn によれば、古典古代のテ キストを直接参照したものではなく、イングランドの急進ホイッグから間 接的に得られたとされる(16)。
以上の見解はわが国でも一般的な認識であろう。他方、古典古代学研究 者を中心としてこうした通説的理解と異なる認識が示されている。しか し、筆者の見る限り、わが国ではほとんど紹介されていない。
まず1934/35年の Ames と Montgomery の論考がある(17)。この作品は、
Farrand, M., ed., The Records of the Federal Convention of 1787 [=
Records], I 〜 III (1911); IV (1937) 所収のフィラデルフィア憲法制定会議 の議論、そして、The Federalist の叙述、これらに基づき古典古代の事例
民衆主権に基づく 「混合されていない
4 4 4 4 4 4 4 4
共和制」 と解されている。例えば、 Hampsher
─Monk, I., A History of Modern Political Thought. Major Political Thinkers from Hobbes to Marx (1992), 236 参照。なお、Vile への批判を含めて古代の混合政体論 から近代の権力分立理論への変遷と理論類型を扱う邦語文献として、稲田陽一「混 合政体論より権力分立論へ─抑制均衡型と玉虫色的中和均衡型─」岡山大学創 立三十周年記念論文集『法学と政治学の現代的展開』(1982)、1─29; 同「国家の最 高機関性と権力分立─混合政体的分立論より人民主権的分立論へ─」岡山大学 法学会雑誌36(1986)、115─138がある。
(15) アメリカ史研究にも憲法制定を契機に古典にたいする態度が変化したとする理 解 が 見 出 せ る。 例 え ば、Miles, E. A., The Young American Nation and the Classical World, in Journal of the History of Ideas 35 (1974), 259─274 によれば、革 命までのアメリカに歴史はなく、したがうべき先例は消去法により古典古代しかな かったが、したがうべき先例が革命に見出されると、古典古代が持っていた意義は 失 わ れ た。 ま た、Commager, H. S., The American Enlightenment and the Ancient World: A Study in Paradox, in Proceedings of the Massachusetts Historical Society. Third Series, 83 (1971), 3─15, とりわけ、13─15は、ジョン・アダムズとジェ ファソンを対比し、ジェファソンによってアメリカは古典古代から解放されたとす る。
(16) Bailyn, Ideological Origins, 23─26.
(17) Ames, R. A. and Montgomery, H. C., The Influence of Rome on the American Constitution, in Classical Journal 30 (1934─35), 19─27.
が憲法制定の議論にどのように影響したかを検討している。この手法は以 降の古典学者の中心的検討方法となり、本稿も次章でこの方法に基づき検 討する。この限りで、この作品は古典古代学者による当該主題へのアプロ ーチの端緒とすべきだろう。検討の結果、Ames と Montgomery は、建 国者たちはローマ政体についての理論およびその実際を知悉していたが、
モンテスキューからこれらの知識を得たとする。
けれども、憲法制定に古典古代の思想が大きく影響したとする研究とし てまず上げられる文献は、1940年の Chinard の論文である(18)。まずジョン・
アダムズの Defence を取り上げ、次いで、憲法制定会議および各邦での憲 法 批 准 を め ぐ る 議 論、 そ し て The Federalist を 検 討 す る。Ames と Montgomery に比べ検討史料が広がり、表題のポリュビオスに象徴され るチェック・アンド・バランスが主要な検討素材となる。そして、「政府 の最も近代的な形態は古代の政治思想や政治的経験に関連しないものでは なかった(19)」という結論に至る。
Chinard の結論は憲法制定に古典古代の事例が大きく影響したと解さ れ、こうした立場から論考が発表されていく(20)。Gummere の論考(21)は、建国 者たちは直接古典古代のテキストを参照し、ギリシアおよびローマの諸事 例が憲法制定の基本史料だったことを強調する。Murphy は憲法制定会議
(18) Chinard, G., Polybius and the American Constitution, in Journal of the History of Ideas 1 (1940) [= Polybius], 38─58.
(19) Chinard, Polybius, 58.
(20) 建国者個々人の古典古代に関する学識を主題とする論考も発表された。例え ば、Chinard, Thomas Jefferson as a Classical Scholar, in American Scholar 1
(1932), 133─143; Wright, L. B., Thomas Jefferson and the Classics, in Proceedings of the American Philosophical Society 87 (1944), 223─233; Robatham, D. M., John Adams and the Classics, in New England Quarterly 19 (1946), 91─98; Gummere, R.
M., John Dickinson, the Classical Penman of the Revolution, in Classical Journal 52 (1956), 81─87 etc.
(21) Gummere, R. M., The Classical Ancestry of the Constitution, in Gummere, The American Colonial Mind and the Classical Tradition. Essays in Comparative Culture (1963), 173─190, 219─222.
で取り上げられたローマの事例すべてを抽出し、建国者たちはローマの諸 制度やローマ史を熟知し、それらを憲法形成の際に用いたと結論づける(22)。 憲法制定に古典古代の事例が大きな影響を与えたという主張は Rexine の 論考で頂点に達した(23)。建国者たちが持つ古典古代についての豊富な教養を 確認し、混合政体、権力分立、アリストテレス的な社会階層分化、民主政 的基礎を持つ下院、貴族政的傾向を持つ上院、これらすべてが古典古代の 政治理論に基礎を持ち、合衆国憲法で体現され完成されたとする。
他方、Reinhold は18世紀後半に流布した古典文献の英訳作品を収集し(24)、 18世紀アメリカが古典文化のルネサンスだったこと、建国者たちには古典 文献の豊富な教養があったこと、けれども、古典作品は一般に翻訳を通じ て人口に膾炙したこと(25)、古典作品は選択的・実用的に読まれたこと、そし て、古典に批判的な建国者たちもいたこと、これらを明らかにする(26)。さら に、これまで古典学者が言及することのなかった Bailyn や Wood の見解 にも一定の判断を下している(27)。Reinhold は、政治理論に関する論考も著
(28)し
、古典は憲法制定の議論で間違いなく言及されたが、あらかじめ想定さ
(22) Murphy, J. P., Rome at the Constitutional Convention, in The Classical Outlook 51 (1974) [= Rome], 112─114.
(23) Rexine, J. E., Classical Political Theory and the United States Constitution, in The Greek Orthodox Theological Review 21 (1976) [= Political Theory], 321─340.
(24) Reinhold, M., The Classick Pages: Classical Reading of Eighteenth─Century Americans (1975) [= Classick Pages]
(25) 18世紀に流布していた古典の英訳作品の概略については、 Colbourn, H. Trevor, The Lamp of Experience. Whig History and the Intellectual Origins of the American Revolution (1965) [= Lamp], 22─24 参照。Colbourn, Lamp, 200─222 には、18世 紀アメリカのカレッジ図書館、公共図書館、個人蔵書の概要が示され、古典の蔵書 を概観できる。
(26) Reinhold, Classick Pages, 1─27.
(27) Reinhold, Classick Pages, 19─20 では、Bailyn を極端な見解と退け、Wood を 支持している。
(28) Reinhold, M., Classical Influences and Eighteenth─Century American Political Thought, in Reinhold, Classica Americana. The Greek and Roman Heritage in the United States (1984), 94─115.
れていた結論を根拠付け擁護するための先例として用いられたに過ぎず、
建国者たちの政治理論は古典から直接得られたわけではなく、同時代の政 治理論家から得られ、あるいは、植民地時代にすでに流布していたとす る。
Reinhold の研究を基礎に Cohn─haft は次のように述べる。建国者たち が憲法制定に関する議論で古典古代に言及する事例はスイスや神聖ローマ 帝国の事例に比べて多いわけではなく、内容的には「忌避すべき事例」と して言及されている(29)、と。一方、Kennedy は(30)、The Federalist を集中的 に検討し、アリストテレスの『アテナイ人の国制』、キケロの『国家につ いて』といった基本史料が発見されていない状況では古典の持つ影響力に は一定の限界があり、さらに、The Federalist には18世紀アメリカが古典 に比べ進歩しているという認識が見出されるとする。他方、僭主政、自 由、正義、デマゴーグ、元老院、連邦といった観念は古典に由来し、こう した点で古典は積極的な影響力も持ったとする。
このように、1980年前後には古典古代学者が政治思想史研究へ接近する 傾向が見られた。しかし、90年代には元来の傾向への回帰が生じた。
Richard は建国者にたいする古典の影響を主題とする単著でこれまでの学 説を概観している(31)。彼が検討する学説のほとんどは Bailyn 以降の政治思 想史文献で、古典古代学者として取り上げられるのは Reinhold だけであ る。そして、Bailyn、Wood 等の見解を批判し、彼らの見解に接近しすぎ たため Reinhold は古典の影響を過小評価するに至ったとする。結局、
「古典は合衆国政体の基礎(32)」を提供し、「古典の考えは政府の形態、社会的
(29) Cohn─haft, L., The Founding Fathers and Antiquity: A Selective Passion, in Survival of Antiquity. The Smith College Studies in History 48 (1980) [= Founding Fathers], 137─153.
(30) Kennedy, G., Classical Influences on the Federalist, in J. W. Eadie, ed., Classical Traditions in Early America (1976), 119─138.
(31) Richard, C. J., The Founders and the Classics. Greece, Rome, and the American Enlightenment (1994) [= Founders], 1─7.
(32) Richard, Founders, 8.
責任、人間の性質、徳についての理論の基礎を創設者に提供した(33)」と結論 づけ、Gummere に近しい立場に至っている。
Richard の作品と同年に、Sellers はアメリカ的共和主義が古代ローマ に基礎を持つとする単著を公にした(34)。彼も Bailyn や Wood を批判し(35)、ジ ョン・アダムズから憲法制定に至る統一的過程を強調する。彼によれば、
合衆国憲法はポリュビオス的なローマの混合政体、18世紀イングランドの 政体、独立宣言以降の諸邦憲法、これら三つの歴史的先例を反映してい
(36)る
。ただし、それぞれを無批判に受け入れるわけではなく、ローマ的モデ ルは、拒否権が存在しないコンスルに代わり大統領に拒否権を認め、元老 院(senatus)の助言と承認という慣習上の機能を義務的なものとする、つ まり、上院(Senate)による下院への抑止を憲法上の制度とする、といっ た形で修正された(37)。これはローマ共和政を修正・補完すれば完全な共和制 的国制を達成できる、というジョン・アダムズの構想(38)を実現するものであ る。このように理解して、Sellers は古典古代の政治思想が憲法の基礎を 形成するとしている。
2000年代には、ギリシア古典の政治哲学を主題とする論文集に古典思 想と建国者たちの思想の関連を扱う二つの論考が収録された。Biondi は、
アリストテレスの混合政体論と合衆国憲法の政体思想について検討した(39)。 オリガルキアとデモクラティアの混合というアリストテレスの混合政体論
(33) Richard, Founders, 232.
(34) Sellers, M. N. S., American Republicanism. Roman Ideology in the United States Constitution (1994) [= Republicanism]
(35) Bailyn については、Sellers, Republicanism, 105; 286 n. 8、Wood については、
Sellers, Republicanism, 34─35参照。
(36) とりわけ、Sellers, Republicanism, 61.
(37) とりわけ、Sellers, Republicanism, 62.
(38) とりわけ、Sellers, Republicanism, 47─48.
(39) Biondi, C.─A., Aristotle on the Mixed Constitution and Its Relevance for American Political Thought, in D. Keyt and F. D. Miller, Jr. eds., Freedom, Reason, and the Polis: Essays in Ancient Greek Political Philosophy (2007) [=
Aristotle], 176─198.
を取り上げ、この混合政体論が合衆国憲法に反映されていることを、憲法 制定会議におけるハミルトンの演説のためのノート、The Federalist、建 国者たちが抱いた民主政への反感、「自然の貴族政」への共感、これらを 通じて見出そうとする(40)。Wood や Reinhold への言及はなく Gummere と Richard しか引用されない(41)。Miller, Jr. は、建国者たちの評価が極めて低 いプラトンの思想(42)と The Federalist の構想に根本的な類似点を見出す(43)。 ただし、建国者たちはプラトンの思想の本質を見出すことに失敗したと Miller, Jr. も認めており、その主張はプラトン思想─とりわけ『政治 家』に見出せる理性的な法による支配─の普遍性を巡るものとなってい
(44)る
。
筆者が参照できた最新の研究は、The Federalist の分析を通じて古典が 建国者の思想的基盤だったことを立証しようとする Broschart の作品であ
(45)る
。The Federalist における古典への言及を分析し、他方では、古典にお
(40) とりわけ、Biondi, Aristotle, 190─196.
(41) Gummere の引用は Biondi, Aristotle, 190; 196 ─「結局、彼ら〔=建国者た ち〕はアリストテレスのポリテイアを設置したのである」という Gummere, Epilogue, in Gummere, The American Colonial Mind and the Classical Tradition.
Essays in Comparative Culture (1963), 192 の文章を引用して、本論の主要な論述 が終わる─、Richard への言及は Biondi, Aristotle, 190 n. 24; 191 n. 26; 191 n. 27;
194 n. 35; 196 n. 43 を参照。
(42) さしあたり、Reinhold, Classick Pages, 114─115 参照。ジョン・アダムズとジ ェファソンの著名な書簡が引用されている。ただし、Adams, Defence I, 449─461 で はプラトン『国家』の長い要約がされ、プラトンへの評価は低いものではない。
(43) Miller, F. D., Jr., The Rule of Reason in Plato’s Statesman and the American Federalist, in D. Keyt and F. D. Miller, Jr. eds., Freedom, Reason, and Polis: Essay in Ancient Greek Political Philosophy (2007), 90─129.
(44) 2000年代には、Bederman, D. J., The Classical Foundations of the American Constitution. Prevailing Wisdom (2008) も発表された。ただし、本書には石川敬 史氏による詳細な紹介(石川「アメリカ合衆国憲法の古典的基礎」アメリカ法 2009[2009]、302─306)があるから、ここでは省略したい。
(45) Broschart, Ch. M., “The Federalist” and the Classical Foundations of the American Republic (2013)
ける混合政体理論の展開を跡づけることで、古代の混合政体論が近代政治 理論の基礎となっていると主張する。けれども、The Federalist と古代の 混合政体論が有機的に結びつけられておらず、その主張に説得性は低い。
以上のように、古典古代学研究者は、80年前後の Reinhold を中心とし た研究を除けば、近年に至るまで合衆国憲法制定に古典古代の影響を見出 そうとしている。わが国には古典古代学研究はほとんど紹介されてこなか ったため、問題の存在が理解されていないように思われる。もっとも、ア メリカでも、Reinhold 等を除けば古典古代学者は政治思想史研究にほと んど言及しない。政治思想史研究者が古典古代学研究を参照・検討するこ とも稀である(46)。けれども、こうした見解対立を認識すれば、合衆国憲法制 定に古典古代は影響を持ったのか、持ったとすればどのように影響した か、検討すべきだろう。そこで、次章では、フィラデルフィア憲法制定会 議の議論および The Federalist で古典古代の事例がどのように論じられ ているか、検討することにしたい。それに基づき、古典古代の事例と合衆 国憲法との関係を明らかにできるだろう。次いで、Ⅲ章では、古典古代の 混合政体論とされるものを古典のテキストに基づき概観する。その成果の 下に、Ⅳ章では、混合政体論(47)という概念を検討し、アメリカ合衆国憲法が
(46) von Bose, Republik では Chinard、Gummere、Rexine が言及され、Gordon, Constitutionalism では Chinard、Richard が参照・検討されている。von Bose も Gordon も、合衆国憲法に古典の影響を認める見解だけを引用し否定的に扱う。他 方、Bailyn, Ideological Origins, 24 n. 2 は、Mullet, Ch. F., Classical Influences on the American Revolution, in Classical Journal 35 (1939─40), 92─104 から 93; 94 を 引用し、建国者は直接古典を参照していないとする。けれども、Mullet の議論の ほとんどはアメリカ革命に古典古代の思想が影響したとするもので、例外的な箇所 を引用して自説の根拠とする Bailyn の姿勢は説得的でない。Richard, Founders, 2 も参照。
(47) 混合政体論に関する概説的邦語文献には、犬塚元「混合政体」古賀敬太編『政 治概念の歴史的展開 第六巻』(2013)97─117がある。混合政体論についてまとま った議論が2000年代半ばに展開された。専門論文集としては、Le gouvernement mixte. De l’idéal politique au monstre constitutionnel en Europe. Études réunies et introduties par Marie Gaillie─Nikodimov (2005) および Materiali per un lessico
古典の混合政体論を克服したという政治思想史研究の認識が妥当するかど うか、考察したい。
Ⅱ アメリカ合衆国憲法の制定と古典古代
① フィラデルフィア憲法制定会議
まず、フィラデルフィア憲法制定会議で言及・議論された古典古代の事 例を見、建国者がどのようなスタンスで古典古代を扱っているか、検討し よう。以下で検討する事例は、Farrand, Records, vol. IV 所収の David M.
Matteson 作成の総索引(General Index)から古典古代に関する項目を取 り出し、各項目の該当箇所から抽出した。総索引自体の遺漏、筆者の見落 とし、これらのため、以下の検討は一定の蓋然性を示すものにすぎない点 に留意いただきたい。
以下の表記、例えば、「6. 6 月 7 日、マディソン(I, 151f.; 158)」は
「 6 番目の事例。6 月 7 日のマディソンの発言。Farrand, Records, vol. I の pp. 151〜152、p. 158 に掲載。」を意味する。それに続く箇所は筆者による それぞれの事例の内容紹介であり、原史料の忠実な翻訳ではない。この点 にも留意されたい。
1. 6 月 1 日、ジェイムズ・ウィルソン(I, 74)
複数の執行権力を設置すると、アテナイの30人の僭主やローマの十人委 員のような悪しき僭主を生み出す。
2. 6 月 4 日、ジョージ・メイソン(I, 112)
市民が自らのために闘うとき、専制支配に対しても勝利を収めることが politico europeo: « costituzione mista », in Filosofia politica 19 (2005), 9─122 があ る。これらの内容については、さしあたり、Taranto, D., Sul “Governo misto” tra antico e moderno, in Il pensiero politico. rivista di storia delle idee potiliche e sociali 38 (2005), 433─439 参照。また、大部の概説書として、Riklin, A., Machtteilung.
Geschichte der Mischverfassung [= Machtteilung] (2006) も刊行された。
できる。ギリシアの連合軍はペルシア帝国に抵抗しほぼこれをうち負かす ことができた。
3. 6 月 5 日、ピアース・バトラー(I, 125)
ソロンはアテナイ人が受け入れるだろう最良の政府をアテナイ人に与え た。われわれはこの例にしたがわねばならない。
4. 6 月 6 日、ジェイムズ・マディソン(I, 135)
ギリシア、ローマでは、富者と貧者、債権者と債務者、パトリキとプレ ブスが互いに相争い、抑圧しあった。ローマ、アテナイ、カルタゴでは、
母市と被支配地域にもそうした関係があった。
5. 6 月 6 日、ウィルソン(I, 143)
隣保同盟やアカイア同盟はそれらを構成する国家の一部が勢力を増すこ とで解体されてしまった。
6. 6 月 7 日、マディソン(I, 151f.; 158)
ローマのトリブヌスは数を増すごとに影響力を失った。数が増えれば党 派に分裂するからである。トリブヌスの数が少なかったときには、十分元 老院をチェックできた。
7. 6 月 7 日、ジョン・ディキンソン(I, 153 ; 159)
6.のマディソンの議論が正しければ、上院の定員はトリブヌスの最高 数にすべきである。
8. 6 月 7 日、ウィルソン(I, 157)
アメリカ統一国家政府がローマ皇帝のように専制支配することはあり得 ない。
9. 6 月16日、ウィルソン(I, 254; 261; 267; 272)
複数の人物や機関に執行権力を分割すると、そのうちの一つに権力が集 中されるまで権力を担う者あるいは機関で争いが生じ、国家は分裂する。
それを示すのがローマの三頭政治である。また、スパルタの王、ローマの コンスル、これらも定員が 2 名であるため、執行権力の分割と党派が生じ た。
10. 6 月18日、アレクサンダー・ハミルトン(I, 285)
隣保同盟会議は統一されておらず、ピリポスはそれを利用してこの会議 の支配者となった。
11. 6 月18日、ハミルトン(I, 290)
ローマ皇帝は軍団により選出され、民衆による選出とは異なる性格を持 つ。
12. 6 月19日、マディソン(I, 317; 319; 320; 326; 330)
隣保同盟は最初はペルシアの王に、後にはマケドニアのピリポスに、ア カイア同盟は最初はマケドニアに、後にはローマに簒奪された。
13. 6 月19日、ウィルソン(I, 323; 328; 330)
われわれの国家は一つの政府には広すぎる。ペルシアも、ローマも、下 位区分して統治を行った。
14. 6 月19日、ハミルトン(I, 323; 329)
ウィルソンに同意する。ペルシアやローマは広大な地域を支配するた め、サトラップやプロコンスルに大きな権力を委ね、その結果、しばしば 反乱や独立の計画が生じた。ローマではディクタトルを設置しなければな らなかった。
15. 6 月20日、ウィルソン(I, 343; 348; 350)
隣保同盟とアカイア同盟は政治学の幼年時代に形成され、致命的な欠陥 を持った。
16. 6 月25日、チャールズ・ピンクニー(IV, 36)
この国の人々はわれわれが知っている近代世界のどの国の住民とも大き く異なっている。そればかりではない。ギリシア、ローマ、われわれが知 っている古代人のどの人々とも、異なっている。ソロンが導入した制度 も、スパルタの軍事的習慣も、パトリキとプレブスという区別も、われわ れには存在しない。
17. 6 月26日、ハミルトン(I, 424; 432)
財産の平等は成り立たず、不平等は自由そのものから生じる。ローマで
は、トリブヌスがパトリキとプレブスの違いをなくしてしまっても、富者 と貧者の違いがそれに取って代わった。
18. 6 月27日、ルーサー・マーティン(I, 441)
ラケダイモン人は隣保同盟会議を僭主的に支配しようとして、より小さ な国家のいくつかから拒否権を取り上げようとした。
19. 6 月28日、マディソン(I, 448; 449; 456; 458)
有力な諸国が協力しあうという事例は歴史には見出しがたく、力を持つ 国家の間で敵対関係が生じるのが通例である。カルタゴとローマはカルタ ゴが破壊され尽くすまで相争った。ギリシアでは、アテナイとスパルタ、
さらに、これらとテバイが互いに争った。
20. 6 月28日、マーティン(I, 454)
隣保同盟を構成する諸国家は平等だったが、最も有力な国家だったラケ ダイモンは弱小の三つの国家から権利を奪おうとした。
21. 6 月29日、マディソン(I, 465; 472)
外国にたいする防衛は自らへの批判を躱すため僭主が用いる常套手段 で、ローマには、反乱が予知されれば戦争の準備をしろ、という格言があ った。パトリキは、元老院の権限に食い入ろうとするプレブスの関心を逸 らすため、しばしば戦争を鼓舞した。
22. 6 月29日、マディソン(I, 478)
隣保同盟の欠陥は認識されていたが、改良されることはなかった。
23. 6 月30日、マディソン(I, 485; 497)
リュキア同盟はモンテスキューが政体のモデルに最も適うものとして推 奨しているが、とりわけその構造に大きな欠陥がある。
24. 6 月30日、ガンニング・ベドフォード(I, 491)
ソロンのように、民衆が認める政府を作らねばならない。
25. 7 月 7 日、ガヴァヌーア・モリス(I, 553)
ギリシアでは、各都市国家の独立・自治の傾向のため、あらゆる紐帯が 破壊された。
26. 8 月 9 日、ピンクニー(II, 235)
アテナイ人は立法に介入する外国人に死罪を課した。
27. 8 月15日、モリス(II, 299)
政府の民衆的部門が他の部門に進出することへの防御策が必要である。
スパルタのエポロスは最終的には絶対的な地位を得た。
28. 8 月15日、モリス(II, 300)
イングランドでは執行部門が民衆の部門に打ち倒されると一人の僭主が 現れた。ローマでは貴族が王を打ち倒したが、多数の僭主〔=十人委員〕
が生じた。
29. 8 月22日、メイソン(II, 370─372)
ギリシアやシキリアの奴隷反乱は、奴隷制が孕む危険を示している。
30. 8 月22日、ピンクニー(II, 371)
ギリシア、ローマ、その他の古代諸国家の事例が奴隷制を正当化している。
31. 8 月22日、ディキンソン(II, 372)
ギリシアとローマは奴隷のために幸福ではなくなった。
以上から、次の点を導くことができよう。
古典古代に関する知識は会議出席者にとって共通の基礎教養だった。隣 保同盟、アカイア同盟、リュキア同盟、こうしたギリシアの同盟はどのよ うな構造か、どのような経緯を辿りどのような結末に至ったのか─隣保 同盟はペルシアの支配を経てマケドニアに、アカイア同盟はマケドニアの 支配を経てローマに制圧された─、このような事柄は会議出席者が直ち に理解できるものだった。ローマのコンスルやトリブヌスの定員、アテナ イやローマの僭主政、これらも、言及されれば、出席者はすぐ理解できた のである。
古典古代の事項は基礎教養だったが、合衆国憲法の基礎だったというわ けではない。むろん、古典古代の事例は議論に対し一定の効果を持ってい る。問題なのは、それらが新しい国家にとっての善き先例として言及され
ているかどうかである。
そうではない。筆者の見る限り、古典古代の事例が積極的に評価されて いるのはわずか 2 例に過ぎない。具体的には、2および3である。24は3 と同一内容だから、全体で 2 例としてよいだろう。アテナイによるペルシ ア戦争の勝利への高い評価(2)は、僭主政を忌むべきものとする共和主 義にとって当然のことだろう。民衆が受け入れる改革を目指すべきという 基本方針の先例として、ソロンの態度を高評価している(3および24)。 が、改革の内容についてはそうではない。16によれば、ソロンの改革はア メリカに適うものではない。30では、奴隷制のよき先例として古典古代が 言及される。けれども、奴隷制に反対する立場からは、悪しき先例として 古典古代が引用される(29および31)。奴隷制に関する事例は古典古代への 積極的評価を必ずしも示すものではないのである。
これらを除けば、他の事例はすべて避けるべき先例として言及されてい る。15によれば、ギリシアやローマは政治学の幼年期であり、それらの制 度には致命的な欠陥がある。よって、それらから積極的に学ぶべき点は存 在しない。こうした一般論に加え、具体的な事例が否定的ニュアンスのも とで言及される。例えば、悪しき僭主政の先例(1、8、18=20、28)、同 盟の失敗事例(5、10、12、15、22、23)、国内の分裂(4、6、9、17)で ある。したがって、連邦国家そして連邦憲法に古典古代の先例を積極的に 取り入れるべき、という立場から古典古代の事例が言及されているわけで はないのである。
ローマを参照してなされたフィラデルフィア憲法制定会議の議論に基づ いて、Murphy は次のように結論づける。「後世の思想家を過小評価し、
建国の父たち自身の政治経験を無視して、ローマの影響を強調するのは誇 張だろう。にもかかわらず、われわれが見たように、彼らはローマの諸制 度とローマ史を知っていたのであり、合衆国憲法を形成する際にそれらを 用いたのである(48)。」この評価は基本的に正しい。建国者たちは古典古代に
(48) Murphy, Rome, 114.
ついての十分な知識を持っていた。彼らは合衆国憲法を論じる際にそうし た知識を用いた。けれども、範足るべきものではない否定的先例としてそ れらを用いた(49)のである。
6 月18日にハミルトンは演説し、そのノートが Farrand, Record, vol. I に伝えられる。以下がその要旨である。
「権力の妬みが戦争をもたらす。スパルタ、アテナイ、ローマ、カルタ ゴ、ヴェネツィア、ハンザ同盟。… 英国の政体が最良の形態である。ア リストテレス─キケロ─モンテスキュー─ネッカー。社会は自然に二つの 政治区分に分かれる。少数者と多数者である。それぞれは異なる利益を持 つ。少数者が統治を行えば、彼らは多数者にたいし僭主の如く振る舞うだ ろう。多数者が統治を行えば、彼らは少数者にたいし僭主の如く振る舞う だろう。どちらもが統治すべきである。彼らは分離されるべきである。…
分離されたならば相互の抑止が必要だろう。この抑止は王である。それぞ れの原則が完全な力を持って存在すべきである。…王は世襲的であるべき である。… 民主政的議会は民主政的元老院によって抑止されるべきであ る。これら両者は民主政的な主席公職によって抑止されるべきである(50)。」
注目すべきは政体に関する構想である。社会を少数者と多数者に分け両 者が共に権力を持つ、この考えはⅢ章①で概略を見るアリストテレスのオ リガルキアとデモクラティアの混合に相当する。よって、この政体構想は アリストテレスから得られたのだろう。けれども、これら両者を抑止する ものとして王が加えられる。この王は世襲であるべきとされ、英国の政体 が最良と述べられる。以上から、世襲の王=王政、多数者=民主政、少数 者=貴族政、これら三者から構成される政体、つまり、イングランドの伝 統的な混合政体が想起される。けれども、イングランドの混合政体が王、
貴族、庶民という異なる三つの社会階層から成るのにたいし、ハミルトン の構想する政体は民衆を基礎としてその上に王政的部分(主席公職)、貴
(49) Cohn─haft, Founding Fathers, 147 も参照。
(50) Farrand, Records, I, 307─310.
族政的部分(元老院=上院)が存在している。よって、フィラデルフィア 憲法制定会議の時点で、ハミルトンはイングランド的混合政体から脱却 し、政体の基礎は民衆であるという認識に至っていたと理解できるのであ る。
このハミルトンのノートを典拠に、Richard はハミルトンが混合政体を 擁護する立場にあったと捉え、Biondi は建国者たちが古代政治思想一般 をその思想的基礎とするとし、Rexine は古典の政治理論が合衆国憲法に 体現されたと主張する(51)。けれども、彼らはハミルトンのノートを一部しか 引用しない。「…彼らは分離されるべきである」で引用を終えている。そ こまでの引用なら、ハミルトンはアリストテレス的混合政体を支持してい るように見える。けれども、ハミルトンの叙述はさらに続く。それに続く 箇所にこそ、ハミルトンの革新性があった。それは Wood や Vile が主張 する認識なのである。
② The Federalist
次いで、The Federalist における古典古代への言及について検討しよ う。The Federalist には The Federalist Concordance. Edited by Thomas S. Engeman, Edward J. Erler, Thomas B. Hofeller (1980, rep. 1988) とい う極めて詳細な索引があり、ここに掲げられている古典古代に関する項目 から該当する本文テキストを参照し、古典古代に言及する事例を抽出す る。ただし、筆者に遺漏がないとは言い切れず、以下の検討も蓋然性を示 すものに過ぎない。
まず、The Federalist のどこで誰がどの言葉を何度述べているかを示す ことにしよう。以下の表記は次の意味である。例えば、“No. 6, Hamilton, 28 〜36; 29: Athenian, Greecian, Greece, Pelopponnesian, Pericles, Phidias, Samnians; 29 FN: Minerva, Pericles ② , Phidias, Plutarch’s; 32:
(51) Richard, Founders, 141; Biondi, Aristotle, 191─192; Rexine, Political Theory, 339─340.
Athens ② , Carthage ④ , Hannibal, Rome ③ , Scipio, Sparta ②”は、The Federalist, No.6 はハミルトンが執筆し、Cooke 版の28頁から36頁までに 掲載され、29頁に Athens から Samnians までの単語が 1 回ずつ、29頁の 脚注には Minerva、Phidias、Plutarch’s という単語が 1 回ずつ、Pericles は 2 回 見 出 せ、32頁 に は Athens と Sparta が 2 回、Carthage が 4 回、
Rome が 3 回、Hannibal と Scipio は 1 回ずつ見出せる、ということを意 味する。なお、各頁の単語の掲載順はアルファベット順である。
No. 4, Jay, 18〜23; 22: Greece No. 5, Jay, 23〜27; 27: Romans
No. 6, Hamilton, 28〜36; 29: Athenian, Greecian, Greece, Pelopponnesian, Pericles, Phidias, Samnians; 29 FN: Minerva, Pericles ②, Phidias, Plutarch’s; 32: Athens ②, Carthage ④, Hannibal, Rome ③, Scipio, Sparta ②
No. 8, Hamilton, 44〜50; 47: ancient, Greece
No. 9, Hamilton, 50〜56; 50: Greece; 55: Lycia; 56: Lycian No. 10, Madison, 56〜65; 57: ancient
No. 14, Madison, 83〜89; 84: ancient, antiquity, Greece No. 16, Hamilton, 99〜105; 99: Achaean, antiquity, Lycian
No. 18, Madison, 110〜117; 110: Amphyctonic, antiquity, Grecian, Greece;
111: Amphyctions ②, Athens, Delphos, Demosthenes, Greece, Lacedemonians, Leuctra, Macedon, Persia, Plutarch, Thebans; 112:
Amphyctonic, Athens, Greeks, Lacedemonians ②, Peloponnesian, Persian, Phocians, Xerxes ②; 113: Achaean, Amphyctonic, Amphyctions, Apollo, Athenians ②, Athens, Grecian, Greece, Macedon ②, Philip ②, Phocians, Rome, Sparta, Thebans; 114:
Achaean ②, Achaeans, Amphyctonic, Aratus, Greece, Lacedemon, Lycurgus, Macedon, Philopoemen; 115: Achaeans ⑤, Alexander ②,
Amphyctonic, Athens, Egypt, Egyptian, Greece, Greeks, Cleomenes
②, Macedon ⑤, Macedonian ②, Peloponnesus, Philip, Sparta ②, Syria, Syrian; 116: Achaeans ③, Achaia, ancient, Athenians, Callicrates, Etolian, Greece ②, Greeks, Cleomenes, Macedon ②, Macedonian, Messena, Philip ②, Romans ③, Rome; 117: Achaean No. 19, Madison, 117〜123; 117: ancient
No. 21, Hamilton, 129〜135; 131: Caesar No. 22, Hamilton, 135〜146; 143: ancient
No. 25, Hamilton, 158 〜163; 163: ancient, Athenians, Lacedemonian, Lacedemonians, Lysander ②, Pelopponnesian
No. 34, Hamilton, 209〜215; 209: Roman; 210: comitia centuriata, comitia tributa, patriacians ②, plebeian ②, Roman, Rome
No. 38, Madison, 239〜249; 240: Achaean, Achaeus, Amphyction, Aratus, Athens ②, Brutus, Creta, Draco ②, Greeks, Locrians, Lycurgus ②, Minos, Numa, Plutarch, Rome, Romulus, Solon ②, Sparta, Theseus, Servius Tullius, Tullus Hostilius, Zaleucus; 241: ancient, Athenians, Lycurgus, Solon; 246: Lycurgus, Sparta
No. 41, Madison, 268〜278; 271: Rome ②
No. 43. Madison, 288〜298; 292: Amphyctions, Greece, Macedon No. 45, Madison, 308〜314; 310: antient, Achaean, Lycian No. 49, Madison, 338〜343; 340: Plato
No. 52, Madison, 353〜366; 355: ancient
No. 55, Madison, 372〜378; 374: Athenian ②, Socrates
No. 63, Madison, 422〜431; 425: Athens; 426: Carthage, Rome, Sparta; 427:
antiquity, archons, Athens, Carthage, Greece, Solon; 428: cosmi, Creta, ephori, Greece, Rome ②, Sparta ②, tribunes; 430: antiquity, ephori, Rome, Sparta, tribunes ②; 431: Carthage, Polybius, Punic No. 70, Hamilton, 471〜480: 471: dictator, Rome, Roman; 473: Achaeans,
consuls ⑤, patricians, plebeians, Roman, Rome, tribunes; 474: Rome;
479: Decemvirs, Rome
No. 75, Hamilton, 503〜509; 508: Roman, tribuneship
全85回中24回で何らかの古典古代への言及がある。全回数の28.2%つま り 3 割弱の回数に言及があるわけだから、その言及頻度が少ないわけでは ない。けれども、Cooke 版の本文テキストの総頁数は593頁である。この うち、古典古代に言及がある頁数は42頁である。よって、全頁数の7.0%
で古典古代への言及が見出される。比較対象が存在しないので、この数字 の多寡は判断できないが、少なくとも頁を繰るごとに古典古代が言及され ているというわけではない。他方、言及がある24回中、一つの単語しか言 及しない回が 9 回ある。二つの単語へ言及する回は 3 回、三つの単語へ言 及する回は 5 回である。つまり、24回中の17回がその回の全単語のうち 3 単語以下でしか古典古代に言及していない。回数に占める割合からすれ ば、古典古代への言及は少ないわけではないが、単語数という観点からす れば、言及頻度が多いとはいえないだろう。
さらに、古典古代を主題とする回は 1 回しかない。No.18である。110頁 から117頁までの全頁で古典古代への言及がある。これは古典古代を主題 とするからであり、内容に関する検討でも確認できる。古典古代が主題と なっている回は他には見出せない。No.63は全10頁中 5 頁で言及があり、
No.18に次ぐ多さだが、それでも全頁数の半分に過ぎない。No.70は全10 頁中 4 頁で言及されNo.63に次いで多いが、全11頁中 3 頁で言及するNo.
38は、言及される単語数に関しては、No.70より多い。No. 6 も 2 頁しか 言及がないが、言及される単語数はNo. 70より多い。このように、頁数 や言及回数の多寡に基づき、No.6、No.38、No.63、No.70は比較的古典 古代への言及が多い回と確認できよう。
以上より、The Federalist における古典古代への言及は多くはなく、古 典古代を主題とする回もほとんど存在しない、といってよいだろう。次に
言及されている内容について、言及頻度の多い回から検討しよう。なお、
以下の( )内の数字は Cooke 版の該当頁である。
No.18は、前半で隣保同盟、後半でアカイア同盟を扱い、それぞれの構 造と歴史的展開を検討する。望ましいアメリカの新しい連邦はどのような ものか、というテーマを古代ギリシアの同盟を通じて解明しようとする回 である。検討の末、ギリシアが強固な連邦制を維持していればマケドニア やローマの支配に屈することもなかった、という結論に至る。古典古代を 主題とする唯一の回が主張するのは、古典古代の先例は悪しき先例であり したがうべきではない、ということである。
No.63では、立法府における上院の必要性、代表制の利点、これらに相 応する古典古代の事例の引用・検討がなされる。スパルタ、ローマ、カル タゴにおける元老院は政体の安定と自由とを調和させる制度で、こうした 制度はアメリカにも必要であるとされる。つまり、古典古代の元老院は学 ぶべきよき先例である。けれども、古典古代の元老院を直接には模倣でき ないとされ(426)、古典古代の事例には評価できるものがあるが、そのま まではアメリカのモデルとはならない、というスタンスを確認できる。他 方、アテナイのアルコン、スパルタのエポロス、ローマのプレブスのトリ ブヌス、これらは民衆が選出するので、古典古代にも代表制の原則が存在 しないわけではないとされる(427─428)。エポロスやプレブスのトリブヌ スは元老院の権威を凌駕してしまい、ポリュビオスによれば、カルタゴの 元老院は第二次ポエニ戦争開始の時期に民衆に権限を奪われてしまった。
よって、民衆と元老院が分離すると元老院(=上院)の機能不全が生じる ので、上院も民衆を基礎としなければならない、とされる。フィラデルフ ィア憲法制定会議で見出せたハミルトンの立場、つまり、民衆に基づく上 院という認識がマディソンにも見出せるのである。他方、アメリカが向か うべき代表制あるいは二院制にとって古典古代はマイナスの教訓として引 用されていることも確認できよう。
No.70で、再び古典古代の事例への積極的評価を見出せる。ローマのデ
ィクタトル職、アカイア同盟の公職数、ローマの属州管理が単独でなされ たこと、これらから執行権力を集中すべきことが導かれる。けれども、こ うした事例に言及した直後に「歴史研究が投げかけるぼんやりとした明か りからは離れて」(474)アメリカの現状に立ち返るべきとされる。つま り、The Federalist の基本的スタンスは、歴史研究は参考になりうるが、
それの示す事例はアメリカにとってモデルとはならない、というものなの である。
No.38では、最初の長いパラグラフ(239─241)で、古典古代の政体の構 成に関する概観が示され、ギリシア・ローマの代表的な立法者・為政者が 列挙される。そして、連邦憲法制定は人間の始めての経験で、古典古代の 事例はそれ自体に相応の価値や教訓を含むけれども、連邦憲法制定という 課題には対応できないとされる。つまり、古典古代の事例の価値は認めつ つ、アメリカの固有性こそ重要である、という立場が示される。No.70で 確認できた The Federalist の基本的スタンスを見て取れよう。
No.6 は、ペリクレスとペロポネソス戦争を例に国家の安全を危機に曝 す政治指導者を示し、さらに、スパルタ、アテナイ、ローマ、カルタゴは 侵略と戦争に明け暮れたとし、いずれの事例も、古典古代は学ぶべきでな いマイナスの教訓として示される。
次に、早い回から言及の内容を簡単に見ておこう。
No.4 は、近隣の邦が攻撃されても他の邦が救援に赴くのは期待できな いということが「ギリシア諸国家の歴史および他の国家の歴史」から学ば れるとし、ギリシアの事例をマイナスの教訓として示している。No.5 は、自由を脅かす侵略者の事例としてローマを引き、ローマに否定的評価 を下す。No.8 は、古代ギリシアと18世紀の状況は根本的に異なるため、
古代ギリシアはアメリカの参考にならないとする。No.9 は、強力な連邦 を伴わなかったギリシアが専制支配と無政府状態を繰り返したとし、次い で、モンテスキューが評価したリュキア同盟について批判的に扱う。No.
10は、アメリカ諸邦憲法が古代や近代の政体に改良を加えたとする。No.
14では、民主政である古代ギリシアは批判の対象となりうるが、共和政で あるアメリカは批判の対象にならないとされ、「古典古代の諸政府」はア メリカのモデル足りえないことが導かれる。No.16では、アカイア同盟と リュキア同盟が古代の連合で最も称賛に値するとされる。No.9 とNo.16 はハミルトンが執筆者で、No.9 は古代ギリシアの連合に批判的なのだか ら、No.16における両同盟についての高評価は古代の連合の中での相対評 価と考えられる。No.19での言及は「前回で引用した古代の連邦について の諸事例」で、この回独自の内容上の付加はない。No.21では、唾棄すべ き専制支配者として、カエサルとクロムウェルが挙げられている。No.22 は、外国による買収といった手段が古代の共和国の破滅に大きな効果を上 げた、とする。No.25は、法の改正によらず法の抜け道を使って現状に対 処したスパルタの事例を引き、このような手段を用いれば民衆は法にたい する信頼を失うとする。No.34は、同一の権限を持ち互いに対立する組織 が並存しうることを、ローマのケントゥリア民会とトリブス民会に言及し て、主張する。ローマ民会が積極的に評価できる事例として示されてい る。No.41は、ローマは軍団の力で世界支配を実現したが、自由はその犠 牲となった、とする。No.43では、隣保同盟に専制国家であるマケドニア が加わることで隣保同盟はマケドニアの支配に屈したとされ、同盟は同 質・同一の原理に基づくものの間で結ばれるべきとされる。No.45では、
アカイア同盟とリュキア同盟に憲法を構成する原理に近しいものが見出さ れるとするが、結局、これらも崩壊したとされ、これらの同盟も合衆国の モデルにはならない、とされる。No.49では、非現実的な思想家としてプ ラトンが名指しされる。No.52では、「古代のポリテイア」では代表制は 不完全にしか知られておらず、古代は18世紀のモデルとはならないとされ る。No.55は、アテナイ市民のすべてがソクラテスであろうと、アテナイ 民会は衆愚政に陥るとし、直接民主政を評価できない制度としている。
No.75は、全員一致による決定は統一を阻害するという文脈で、プレブス のトリブヌス職を例に挙げる。
The Federalist で言及されている古典古代の事例も、フィラデルフィア 憲法制定会議で確認できる点を理解させる。古典古代に関する知識は The Federalist の著者たちそして読者たちに共通する基礎教養だった。この基 礎教養を通じて語られるのは、1787年、アメリカ人はこれまでに先例がな い歴史上始めての事柄を経験している、ということなのである。もっと も、フィラデルフィア憲法制定会議での古典古代への言及はマイナス・イ メージを喚起する場合がほとんどだったが、The Federalist では古典古代 に積極的に評価できる場合があることも認めた上で、それらの事例も1787 年のアメリカに相応しいものではない、という認識が示されるのである。
本章での検討の結果、次のように確認できよう。古典古代についての知 識が18世紀後半のアメリカで少なくとも政治指導層にとり基礎的な教養だ ったことは間違いない。けれども、それがアメリカ憲法を形成する基本理 念だったとは到底言えない。この限りで、前章で見た古典学者の見解は、
Reinhold 等の見解を除けば、支持できるものではない。それだけでなく、
Wood や Vile の見解には一定の根拠があることも確認できる。けれども、
古典古代の思想をアメリカ憲法が克服したという見解を支持できるか、こ れは別の問題である。これを検討するために、次章では、古典古代の混合 政体論とされるものを概観することにしよう。
Ⅲ 古典古代の混合政体論
本章では古典古代の混合政体論とされている代表的な議論、すなわち、
アリストテレス、ポリュビオス、キケロの議論の概要を見て(52)、古典古代の
(52) 周知のようにプラトンもとりわけ『法律』で混合政体を構想している。けれど も、プラトンにたいする建国者たちの評価は極めて低く、プラトンの思想が建国者 に論じられるのは稀である。前注(42)参照。よって、本稿ではプラトンについて の検討は省略する。なお、ポリュビオスおよびキケロの混合政体論に関する叙述 は、基本的に、原田俊彦「『国家について』におけるキケロの歴史叙述について」
混合政体論とされているものの一般的特質を把握することとしよう。
前提となるのは、政体が混合されるのだから、複数の種類の政体が存在 するということである。よって、政体の種類を弁別する基準が存在しなけ ればならない。政体を担う主体の数がその基準である。これに基づき、政 体を担う主体が一人である場合、少数である場合、多数である場合に分類 される(53)。このように政体の三種類が弁別され、次いで、それぞれの類内部 に区分が設けられる。すなわち、善き一人支配と悪しき一人支配、善き少 数者支配と悪しき少数者支配、善き多数者支配と悪しき多数者支配であ る。以下で検討する三者とも、この政体類別に基づいている。よって、こ の政体類別は古代ギリシア・ローマの基本的政体区別であると認識できよ う。
① アリストテレス
アリストテレスの混合政体論は『政治学』で述べられる。けれども、こ の作品が混乱と矛盾に満ちていることは周知のところだろう。まず、全体 の構成を把握し難い。政体論の観点からみると、第 3 巻の末尾で最良の政 体について述べることが約束され、第 7 巻と第 8 巻でそれが述べられるか ら、第 3 巻から直接第 7 巻に繋がるように見える。けれども、第 3 巻まで の議論を第 4 巻から第 6 巻も受け継いでいるから、第 4 巻から第 6 巻が 第 7 巻に続くというのも不自然である(54)。
人文論集54(2015)、121─160に基づいている。
(53) この類別の始源には議論があるが、少なくともヘロドトスやトゥキュディデス にはこの政体区分が見出せる。Hdt. 3, 80─83; Thuc. 8. 97. なお、トゥキュディデス の当該テキストは前 5 世紀末のアテナイの政体について少数者と多数者の「混合さ れた」政体を述べ、現存するテキストで政体の「混合」について述べる最古のもの である。
(54) こうした構成上の難点、それを克服するための試み、これらについての概略 は、さしあたり、Rowe, Ch., Aristotelian constitutions [= Constitutions], in Ch.
Rowe, and M. Schofield eds., The Cambridge History of Greek and Roma Political Thought (2000), 366─389; とりわけ366─368参照。