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消防科学と情報 人的被害を大きくした思い込みの恐さと
イマジネーションの欠如
地震が起こったとき、気象庁をはじめ、岩手県、
宮城県、仙台市などの自治体の防災担当者のほと んどすべてが、想定していた宮城県沖地震が起こ ったと思い込んでしまった。それをさらに確たる ものにしたのは、地震3分後に発表された気象庁 の地震マグニチュード7.9、岩手県沿岸3m、宮城
県6m、福島県3mという大津波警報の値であっ
た。
これらの津波の大きさであれば、津波防潮堤な どの防災施設で被害を抑えることができると考え ても不思議ではない。それを信じるに足るものに したのは、2010年2月28日のチリ地震津波に際 しての、津波警報、大津波警報の過大な予測値が 伏線にあった。「大津波が来ても、実際にはそれほ ど大きな津波ではない」という住民や関係者の「正 常化の偏見」があったことは間違いがない。
住民が津波を甘く見た背景は、つぎのようにまと められる。
①1933年以来、10mに及ぶような津波を80年 近く経験しておらず、過去の大津波は他人ご とになっていた。3m の大津波が来ると知っ た住民のうち、「3mより低い津波が来る」と 思った人が38.6%(国交省調査)もいた。
②10年以上にわたって三陸沿岸に発令されてき た津波情報は、実際に来襲した津波高さに比 べていずれも過小であった。したがって、発 表された津波高さより小さいに違いないと
いう住民の思い込みがあった。
③地震マグニチュード 9.0 にしては揺れがそれ ほど激烈でなかった。これは、太平洋プレート の浅い潜り込み部分での破壊が、いわゆる津波 地震を引き起こしたために、震度がそれほど大 きくならなかった。今回の震災では、沿岸部の 建物の大規模破壊は、ほとんどすべて津波で発 生したと考えてもよい。もちろん、内陸部を南 北に走る東北自動車道に沿って立地していた 企業の製造拠点は、岩手県から栃木県にかけて 地震の揺れによる大きな被害を被ったが、これ は主としてやや長周期地震動によるものであ る。
④近地津波、遠地津波、津波地震などの違いを住 民や関係者が理解していなかった。
手前勝手な思い込みは、往々にしてイマジネー ション(想像力)の欠如をもたらす。そのために、つ ぎつぎと対応の悪さが露呈した。すなわち、地震 直後から続いた、岩手県、宮城県、福島県の災害 対応の悪さは、テレビから迫真の映像が配信され ていたにもかかわらず、被災市町村への思いが希 薄であった。それは、救援物資の手配はもとより、
避難所の開設・運営、仮設住宅の手配、津波残存 物の処理、被災者生活再建支援法の適用、義援金 の配分に至るまでつぎつぎと続いてきた。
特集Ⅰ 東日本大震災(4) (津波と避難)
☐東日本大震災と今後の津波避難対策
阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター
河 田 惠 昭
関西大学社会安全学部長・教授
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消防科学と情報 津波は「逃げなければ死ぬ」ことを肝に銘じる
東日本大震災以降、全国の津波常襲地帯だけで なく、これまで大津波が来なかった沿岸各地でも 住民の不安感が高まっている。自治体によっては、
独自の設定条件で津波計算を行ったり、早々と地 域防災計画を見直したりするところも出てきてい る。しかし、想定される津波の高さが高ければ、
住民はすぐに避難するかといえばそれほど単純で ないことは、これまでの避難に関する研究成果が 示すところである。住民が津波を正しく理解しな い限り、東日本大震災の悲劇を再び繰り返すこと になろう。
津波がいかに多くの住民を殺すかは、阪神・淡 路大震災と比較すれば一目瞭然である。阪神・淡 路大震災では、被災者の死亡率は約0.1%であった。
東日本大震災では、岩手県と宮城県の沿岸市町村 の被災者の死亡率は約1%であり、丁度10倍であ った。しかも、死者・行方不明者数/負傷者数の比 は、阪神・淡路大震災が0.15に対し、東日本大震 災は3.35であり、実に22倍の大きさである。
まさに「キラー津波」である。
東日本大震災の死因の 90.5%は溺死であるが、
これは水を飲んで水死したのではないことに注意 する必要がある。未発見の遺体が多いのは、水死 ではないから海面に浮上しないことや津波が陸上 に運んできた津波堆積物の下敷きになって埋もれ ているからである。大部分の犠牲者は、津波のは ん濫急流の破壊力によって身体が翻弄され、建物 や浮遊物などに激突して気を失い、あるいは、負 傷して水中で窒息して亡くなっているのである。
命を守るために枕元や建物の屋上に救命胴衣を用 意しておき、いざという時に身につければ助かる のではないかという意見があるが、津波の激流を 甘く見てはいけない。極度の恐怖下で、たとえ水 面に顔を出していても死亡する危険性は大きいの である。
津波避難対策のあり方
ここでは、あり方を提示するために、東日本大 震災の被災地におけるアンケート調査結果(内閣 府)とヒァリング調査結果(国土交通省)を参照にし て考察したい。いずれもホームページ上で公開さ れている。
(1)生存避難―直ちに避難を実行する―
津波は避難すれば助かるのである。これを生存 避難と名付けたい。そのためには、以下の事実を しっかりと理解する必要がある。まず、生存者870 名のアンケート調査結果によれば、57%は地震後 直ちに安全なところに避難している。31%はいっ たん自宅に戻っている。11%は助かったけれども 危険な状態であった。初めから安全な場所にいた のはわずかに1%であった。したがって、犠牲者を 減らすには、これらの 31%と11%の合計 42%の 人を減らせばよい。しかし、今回はウイークデー の午後2時46 分の地震であった。地震が夜中で あれば、この数字は大きく変化したと想像できる。
31%という数字は小さくなるものの、57%が小さ くなり、11%や 1%の数字がもっと大きくなると 考えるのは容易である。ヒアリング調査結果によ れば、津波到達前に避難開始した人は62.6%であ
り、残り37.4%の人の内訳はそもそも避難行動を
とらず(26.8%)、あるいは、津波到達後に避難を開 始した(10.6%)のであった。この計37.4%という数 字を小さくしなければならないことはいうまでも ない。これら42%や37%という数字は、沿岸部の 住民のうち、潜在的に津波の犠牲になる危険性を もつ人たちと考えられる。
また、62.6%の避難開始した人のうち、地震発 生直後(14:46~50)は、行動全体の39%、その後、
(14:55~15:00)では 25%が、家族、親せき、知人 の探索や被害状況の確認のために行動したことが わかっている。
もちろん、一人で行動できない家族や近隣の要
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消防科学と情報 援護者を助けることも大切である。しかし、それ
が許されるためには、地震後、津波の第1波が何 分後に来るかを事前に知っていることが必須であ る。そうでなければ、助けようとする本人も犠牲 になってしまうであろう。その上、62.6%の数字 を大きくするには、避難訓練に参加することが必 須である。助かった住民の「避難所に行ったら、
そこにいた顔ぶれは、日ごろ、避難訓練した人ば かりだった」という証言は重要である。しかし、
「津波で死ぬかもしれない」と思わない限り、避 難訓練に参加しないであろう。東日本大震災では、
自ら避難しない、あるいは避難を促しても行動し ない住民が多かったのが、消防団員が254名も犠 牲になった最大の理由である。自己責任の原則の 徹底しかほかにない。
(2)自動車で避難する場合の心得
アンケート調査は、57%が車で避難したことが わかっている。また、ヒアリング調査は、徒歩に よる避難と車による避難はほぼ半々であり、20歳
代は61%が車を使っており、若い人ほど多いこと
が判明した。避難に要した時間は、徒歩が平均 11.2分に対し、車は平均16.2分であった。それぞ れの平均移動距離と移動速度は、438m、2.3km/時
および2,431m、9.Okm/時であった。これらの数
字から、つぎのことが指摘できる。
(ア)徒歩による避難では、避難距離500m、避難
時間15分が標準といえる。
(イ)車による避難では、避難距離2.5km、避難時
間15分が標準といえる。
現状では、500m以上避難しようとすれば、車 が必須になると考えられているということである。
ただし、ヒアリング調査によれば、28.3%が渋滞 に巻き込まれ(アンケート調査では車避難の約1/3 だった)、40.7%は信号が点灯していなかったと答 えたことがわかっている。しかも、車中で遺体で 見つかったドライバーは約 700 名に達している。
したがって、徒歩による避難を原則としながらも、
車を使用することが一般的になってきていること を考慮すれば、つぎのような視点や改善が早急に 必要になる。
1)地震で停電すれば、交差点で信号が点かず、渋 滞する。渋滞に巻き込まれたら車を放置して徒 歩で避難する。放置して逃げれば、他の車のド ライバーも徒歩で避難せざるを得なくなる。
2)地震で停電すれば鉄道の遮断機は下りたままに なる。そのままでは通行できない。地元に遮断 機があれば、自治体を通して事前に鉄道会社と 協議し、その場合の対処方法を取り決めておく。
3)山道に避難するときは、後に続く車が多数ある と考えて、入り口から数キロ先まで車を止めた り、駐車しない。また、入り口にはそのことを 促す道路標識が必要である。
4)知らない土地を運転中に避難勧告や指示が出た 場合は、車を捨てて徒歩で住民と一緒に避難す る。
5)車を運転中は、携帯電話をオンにしておき、エ リアメールを受信できるようにしておく。
6)高架高速道路走行中に津波警報が発令された地 域に差し掛かった場合は、インターチェンジか ら一般道路に下りてはいけない。サービスエリ アで待機する。
(3)臨海低平大都市で津波避難勧告が出た場合の 避難対策
大阪市のようなゼロメートル地帯が広大に広が る大都市では、大津波来襲に際して避難勧告が出 れば大混乱が起こる可能性がある。ただし、避難 のために十分の時間的な余裕があるから、死者を ゼロにすることは可能である。たとえば、南海地 震が起これば、津波の第1波が来襲するまでに約 2 時間の余裕がある。これを最大限に生かさなけ ればならない。高をくくって避難しなければ、た とえば、大阪湾沿岸部のゼロメートル地帯(JR大 阪駅や梅田周辺のキタや難波周辺のミナミもゼロ メートル地帯である 1)には約 138 万人居住して
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消防科学と情報 おり、ここが津波で浸水すれば、東日本大震災の
結果を適用すると、その1%に相当する約 1.4 万 人が犠牲になる恐れがある。実際には満潮時に津 波の高さだけ水深が深くなるから、これだけにと どまらず、犠牲者はその2倍以上にもなる危険性 がある。
これが絵空事でないことは、つぎの指摘で明ら かである。現在、大阪市沿岸部の防潮堤の高さは、
O.P+5.2mである。ただし、M8.4の南海地震によ って約 20cm 沈下すると推定されているから、
O.P+5mである。この場合、大阪港の天保山(海遊
館という水族館がある)で津波の高さの計算値は 2.4mである。満潮時には潮位はO.P.+2.2mであ るから、水面はこれの足し算で0.P.+4.6mとなる。
かろうじて40cmの余裕がある。しかし、もし、
今回、政府が進めている地震のマグニチュードの 見直しによって8.6に大きくなると、津波の高さ は1.3倍の3.1mになると予想される(この結果は、
筆者がすでに 30 年前に数値シミュレーションを 実施して見出した)。つまり、70cm 高くなって、
防潮堤や河川護岸をほぼ全域にわたって越流する ことになる。これ以上の地震マグニチュードにな れば一層津波は高くなり、大規模な津波はん濫に なることは必定である。では、避難をどうするの か。下記を参照していただきたい。
1)ゼロメート地帯の木造、プレハブ造平屋、2 階
建て以上の住宅居住者は指定避難所(小・中学 校)に避難する。現行では指定避難所が避難者 で一杯になるから、多くの住民は津波避難ビル に避難せざるを得ない。避難勧告が発令された 地域も対処方法は同じである。
2)同じく、マンション住民は3階以上の居住空間
に避難する。
3)低層のオフィスビルにいる人は、中層以上の鉄 骨あるいは鉄筋コンクリートビルに避難する。
4)地下鉄は運行を停止し、乗客をはじめビルの地 下階や地下街の滞在者は地上にまず上がり、そ の後落ち着いて10m以上のビルに避難する。
5)地震と同時に広域に停電する恐れが大きく、そ の場合にも落ち着いて行動することが必要で ある。
6)南海地震が起これば、近畿地方全体が情報過疎 になる恐れが大きく、その時には事前に持って いた知識だけが頼りとなる。
現在、大阪湾沿岸部のゼロメートル地帯の置か れた状況は深刻である。この異常さに気づかない とすれば、それは犠牲者になる危険が大きいとい うことであろう。名古屋市や東京都のゼロメート ル地帯も大阪ほど深刻でないにしろ同じ問題を抱 えている。