ERINA Discussion Paper No. 1502
中国は北朝鮮を放棄できるのか? :中朝関係の歴史考察
北京大学 金東吉
2015 年 6 月
環日本海経済研究所
(ERINA)
中国は北朝鮮を放棄できるのか ? : 中朝関係の歴史考察
金 東 吉
緒 言
2013年2月12日 に 第3次 の 核 実 験 が 強 行 さ れ た 後 の3月8日 、 国 連 に て 、 対 北 制 裁 決 議 案2094号 が 中 国 の 同 意 の 下 に 可 決 さ れ た 。 北 朝 鮮 の 第3次 核 実 験 は 瞬 く 間 に 、 中 国 の 知 識 人 と 世 論 主 導 層 に 反 北 朝 鮮 感 情 を 引 き 起 こ す 原 因 と な っ た 。
『 環 球 時 報 』 、 『 南 方 周 末 』 な ど 、 中 国 で 相 対 的 に 進 歩 性 を 帯 び た メ デ ィ ア で は 、 連 日 、 北 朝 鮮 の 核 実 験 に 対 す る 非 難 と 、 北 朝 鮮 制 裁 に 中 国 政 府 の 賛 同 を 必 要 と す る 記 事 が 並 ん だ 。 さ ら に 中 共 中 央 党 校 の 『 学 習 時 報 』 副 エ デ ィ タ ー 鄧 聿 文 は 2月28日 フ ィ ナ ン シ ャ ル·タ イ ム ズ (Financial Times) に 投 稿 し た 寄 稿 文 で 、 中 国 の 「 北 朝 鮮 放 棄 」 を 求 め て 、 韓 国 が 朝 鮮 半 島 を 統 一 で き る よ う に 助 け る べ き だ と 主 張 し た 。 彼 は 、 北 朝 鮮 は 真 の 社 会 主 義 国 家 で は な く 、 た と え 「 北 朝 鮮 と 中 国 が 」 同 じ 「 社 会 主 義 国 家 だ と し て も 、 そ の 格 差 は 、 中 国 と 西 側 諸 国 と の 格 差 よ り も 大 き い 」 と 主 張 し た 。 ま た 、 地 政 学 的 に 安 全 地 帯 あ る い は 緩 衝 地 帯 と し て の 北 朝 鮮 の 役 割 が 失 わ れ 、 中 朝 間 の 同 盟 は 既 に そ の 意 味 を 喪 失 し た と 主 張 し た 。 彼 は 、 北 朝 鮮 は 中 国 か ら 疎 遠 に な ろ う と し て お り 、 逆 に 米 国 と 手 を 取 り 合 っ て 、 将 来 、 中 国 の 安 全 を 脅 か す こ と に な る と 警 告 し た 。
中 国 の 知 識 人 社 会 が 懸 念 を 表 明 し た よ う に 、 中 朝 間 は 同 盟 関 係 な の か ? 北 朝 鮮 は 中 国 に 地 政 学 的 緩 衝 地 帯 な の か ? 中 朝 関 係 の 真 実 は 何 か ? 中 国 の 朝 鮮 半 島 に 対 す る 究 極 的 な 目 標 は 何 か ? 中 国 は 果 た し て 南 北 間 の 統 一 を 望 ん で い る か ? 中 国 が 好 む 南 北 統 一 の 条 件 は 何 か ? こ の 点 は 、 中 朝 関 係 を 研 究 す る 学 者 た ち の 絶 え 間 な い 論 争 の 焦 点 と な っ て き た 。 本 報 告 書 で は 、 こ の 点 に つ い て 、 中 国 と ロ シ ア 、 北 朝 鮮 の 関 連 資 料 を 利 用 し て 、 初 歩 的 な 答 え を 得 よ う と 試 み る 。
1953年7月 、 朝 鮮 戦 争 の 終 結 後 、 中 朝 両 国 の 指 導 者 は 両 国 関 係 を 「 唇 亡 歯 寒
( 唇 亡 び て 歯 寒 し ) 」 の 血 盟 関 係 と 称 し 、 同 盟 関 係 を 誇 示 し た 。 「 北 朝 鮮 は 唇 で あ り 、 中 国 は 歯 に 対 応 し て お り 、 北 朝 鮮 が な け れ ば 、 中 国 の 安 全 保 障 が 危 険 に 陥 る た め 、 中 国 は 北 朝 鮮 を 助 け な け れ ば な ら な い 」 と い う 論 理 だ 。 こ れ は 、 社 会 主 義 国 家 と し て の 血 盟 論 理 に 加 え て 、 冷 戦 時 代 の 中 朝 関 係 を 表 す 最 も 代 表 的 な 論 理 だ っ た 。 現 在 ま で も 、 こ の 主 張 は 、 西 側 諸 国 の 学 者 た ち の 間 で 、 特 に 拒 否 感 な し に 、 現 在 の 中 朝 関 係 を 描 写 す る 論 理 と し て 受 け 入 れ ら れ て い る 。 中 朝 関 係 を 「 歯 と 唇 の 関 係 」 、 「 安 全 地 帯 あ る い は 緩 衝 地 帯 」 論 に よ っ て 説 明 す る こ と は 果 た し て 妥 当 で あ ろ う か ?
筆 者 は 中 華 人 民 共 和 国 が 成 立 し た1949年 の 中 朝 関 係 と 、 朝 鮮 戦 争 に 中 国 が 介 入 し た 原 因 を 明 ら か に す る こ と で 、 こ の 問 題 に 対 す る 答 え を 提 示 し た い 。
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1) 中 華 人 民 共 和 国 成 立 前 後 の 中 国 の 北 朝 鮮 観
国 共 内 戦 で 中 国 共 産 党 の 勝 利 が 確 定 し 、 中 華 人 民 共 和 国 の 発 足 準 備 の 最 中 の 1949年5月 初 め 、 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 の 政 治 局 員 金 一 が 秘 密 裏 に 北 京 を 訪 問 し た 。 彼 の 訪 問 の 目 的 は 、 金 日 成 の 密 命 を 受 け 、 中 国 人 民 解 放 軍 に 所 属 し て い た 約5万 人 の 朝 鮮 人 部 隊 の 北 朝 鮮 へ の 帰 還 を 要 求 す る た め だ っ た 。
毛 沢 東 は こ の 朝 鮮 人 部 隊 を 北 朝 鮮 に 戻 す こ と に 快 く 承 諾 し た 。 そ の 理 由 は 、 国 共 内 戦 が す で に 最 終 段 階 に 入 り 、 こ れ 以 上 の 朝 鮮 人 部 隊 が 不 要 に な り 、 経 済 的 負 担 を 減 ら す べ く 中 国 人 民 解 放 軍 自 身 も 大 規 模 な 削 減 を 既 に 開 始 し て い る た め 、 毛 沢 東 は 遅 滞 な く 、 こ の 部 隊 の 帰 還 に 同 意 し た 。
こ の 時 、 毛 沢 東 は 、 金 日 成 が 中 国 革 命 の 成 功 に 刺 激 さ れ 、 韓 国 を 攻 撃 す る こ と を 懸 念 し て い る 。1948年12月 に 北 朝 鮮 か ら ソ 連 軍 が 撤 退 し て 、 そ の 後1949年6月 ま で に 韓 国 か ら 米 軍 も す べ て 撤 退 す る こ と が 予 定 さ れ て い た 。 朝 鮮 半 島 か ら 米 ソ 両 軍 隊 が 既 に 撤 退 し 、 あ る い は 撤 退 が 予 定 さ れ て い る 状 況 下 で の 北 朝 鮮 の 韓 国 攻 撃 は 、 こ の 状 況 を 変 化 さ せ て し ま う か ら だ っ た 。 つ ま り 、 新 た に 建 国 さ れ る 中 華 人 民 共 和 国 の 安 全 を 最 も 確 実 に 保 証 す る 方 法 は 、 中 国 と 国 境 が 接 し て い る 朝 鮮 半 島 に 米 軍 が 駐 留 し な い こ と だ っ た 。
こ れ ら の 考 え に 基 づ い て 、 毛 沢 東 は 、 金 一 に 北 朝 鮮 が 韓 国 を 絶 対 に 攻 撃 し な い よ う に 強 調 し た 。 さ ら に 、 韓 国 の 李 承 晩 大 統 領 が 米 軍 あ る い は 日 本 軍 の 援 助 の 下 、 北 朝 鮮 を 攻 撃 し た 場 合 、 仮 に 一 部 領 土 を 失 う と し て も 、 積 極 的 に 対 抗 せ ず 、 山 岳 地 域 に 後 退 し て 遊 撃 戦 を 展 開 す る こ と を 呼 び か け た 。 米 国 と 日 本 が 韓 国 を 援 助 し な い 状 況 で も 、 絶 対 に 韓 国 を 先 に 攻 撃 し な い よ う に 強 調 し た 。 中 華 人 民 共 和 国 が 成 立 す る 以 前 か ら 、 中 国 は 、 外 国 軍 が な い 朝 鮮 半 島 の 状 況 、 す な わ ち 「1949年 6月 の 朝 鮮 半 島 体 制 」 に 非 常 に 満 足 し て い た 。 毛 沢 東 が 後 に 、 金 日 成 の 韓 国 攻 撃 に 反 対 し た の は 、 ま さ に こ の 「1949年6月 の 朝 鮮 半 島 体 制 」 に 変 化 を 望 ま な か っ た か ら だ 。 北 朝 鮮 に よ る 先 制 攻 撃 は す で に 撤 退 し た 米 軍 を 再 び 朝 鮮 半 島 へ 呼 び 戻 す 危 険 が あ っ た か ら だ っ た 。
中 華 人 民 共 和 国 成 立 後 も 、 中 国 は 、 金 日 成 の 武 力 で 朝 鮮 半 島 を 統 一 し よ う と す る 計 画 に 対 し 、 繰 り 返 し 反 対 し た 。 中 華 人 民 共 和 国 成 立 直 後 の1949年10月21日 、 毛 沢 東 は ス タ ー リ ン に 対 し 、 韓 国 の 先 制 攻 撃 に 反 対 す る と い う 意 を 伝 達 し 、 韓 国 地 域 内 で の ゲ リ ラ 活 動 の 強 化 を 通 し て 、 解 放 区 を 拡 大 し 、 こ れ に よ り 、 劇 的 に 朝 鮮 半 島 の 統 一 を 成 す こ と が で き る と 主 張 し た 。 毛 沢 東 の こ の よ う な 主 張 は 、 北 朝
鮮 に よ る 全 面 的 な 侵 攻 が 、 朝 鮮 半 島 を 去 っ た ア メ リ カ を 再 び 朝 鮮 半 島 に 呼 び 戻 す 危 険 性 が 大 き い た め で あ っ た 。 つ ま り 、 毛 沢 東 は 、 米 国 が 朝 鮮 戦 争 に 介 入 す る 可 能 性 は 高 い 、 見 て い た 。 し か し 、 韓 国 内 で ゲ リ ラ 活 動 を 強 化 す る 方 式 を 用 い れ ば 、 韓 国 内 の 内 戦 に 偽 装 す る こ と が で き 、 こ れ を 大 義 名 分 に し て 米 国 は 朝 鮮 半 島 問 題 に 介 入 す る こ と は で き な い だ ろ う と 思 っ た か ら だ 。 毛 沢 東 は 、 米 軍 が 朝 鮮 半 島 に 再 び 立 ち 入 ら な い よ う に す る こ と が 、 朝 鮮 半 島 政 策 で 最 も 重 要 な も の と 見 た 。 毛 沢 東 に と っ て 、 こ の 点 は 、 朝 鮮 半 島 の 統 一 よ り も 重 要 な 考 慮 す べ き 事 項 で あ っ た 。
1949年12月16日 、 モ ス ク ワ を 訪 問 し た 毛 沢 東 は ス タ ー リ ン と の 会 談 で 、 現 時 点 で 中 国 に と っ て 最 も 重 要 な こ と は 、 経 済 の 回 復 で あ り 、 そ の た め に は 安 定 し た 周 辺 環 境 が 必 要 で あ る と 改 め て 強 調 す る こ と で 、 金 日 成 が し つ こ く 要 求 す る 武 力 に よ る 朝 鮮 半 島 統 一 方 案 に 反 対 し た 。
毛 沢 東 の こ の よ う な 考 え は 、 朝 鮮 戦 争 勃 発 直 前 ま で 続 い た 。 中 華 人 民 共 和 国 成 立 を 前 後 し て 、 中 国 は 、 中 国 の 安 全 保 障 と 経 済 発 展 の た め に 米 軍 が い な い 朝 鮮 半 島 と そ の 安 定 を 重 要 視 し た 。 現 在 の 中 国 の 朝 鮮 半 島 政 策 は 、 実 は 、 新 中 国 成 立 時 の 毛 沢 東 の 朝 鮮 半 島 政 策 に そ の 根 が あ る と 言 え る 。
(
2) 中 国 は 北 朝 鮮 を 緩 衝 地 帯 と し て 認 識 し て い た か ?
: 中 国 の 朝 鮮 戦 争 介 入 の 原 因 か ら 分 析
中 国 と 北 朝 鮮 の 指 導 者 た ち は 、 冷 戦 の 時 期 、 血 盟 関 係 あ る い は 「 唇 亡 歯 寒 」 関 係 と 呼 び 、 両 国 の 同 盟 関 係 を 強 調 し た 。1950年10月 、 米 軍 を 中 心 と す る 国 連 軍 の 攻 撃 に よ り 、 北 朝 鮮 が 崩 壊 の 危 険 に さ ら さ れ た 際 、 中 国 は 、 義 勇 兵 か ら 成 る 人 民 志 願 軍 を 派 遣 し て 北 朝 鮮 を 助 け た 。 西 側 の 多 数 の 学 者 た ち は 、 北 朝 鮮 が な く な れ ば 、 中 国 の 安 全 保 障 が 危 険 に な る た め 、 中 国 が 朝 鮮 戦 争 に 派 兵 し た と 主 張 し た 。 こ れ は 後 に 、 中 国 に 対 す る 北 朝 鮮 の 「 安 全 地 帯 あ る い は 緩 衝 地 帯 」 論 の 理 論 的 根 拠 と な っ た 。
中 国 が 派 兵 し た の は 事 実 だ 。 し か し 、 さ ら に 重 要 な こ と は 、 な ぜ 派 兵 し た の か を 明 ら か に す る こ と だ ろ う 。 派 兵 原 因 を 明 確 に す る こ と 、 つ ま り 、 当 時 の 中 国 指 導 部 が 、 北 朝 鮮 を 「 安 全 地 帯 あ る い は 緩 衝 地 帯 」 と 認 識 し て 派 兵 し た の か 、 あ る い は 他 の 理 由 の た め に 派 兵 し た の か を 明 ら か に す る こ と で 、 両 国 関 係 の 真 実 に 一 歩 近 づ く こ と が で き る 。 著 者 は 、 中 国 と ロ シ ア の 最 新 の 資 料 を 利 用 し て 、 中 国 が 1950年10月 に 朝 鮮 戦 争 に 参 戦 を 決 め た 原 因 を 簡 単 に 説 明 す る こ と で 、 中 朝 間 の 実 質 関 係 を 理 解 す る 一 助 と し た い 。
中 国 政 府 は 、 こ れ ま で 社 会 主 義 国 家 で あ る 北 朝 鮮 を 米 国 か ら 保 護 し 、 同 時 に 、 中 国 の 社 会 主 義 を 守 る た め に 、 朝 鮮 戦 争 に 派 兵 し た と 主 張 し て き た 。 し か し 、 最 近 発 掘 さ れ た 資 料 は 、 毛 沢 東 を は じ め と す る 中 国 の 多 数 の 指 導 者 が 、 朝 鮮 半 島 で
の 戦 争 と 中 国 人 民 志 願 軍 派 兵 に 非 常 に 否 定 的 で あ っ た こ と を 示 し て い る 。
中 国 指 導 部 は 、 朝 鮮 戦 争 が 北 朝 鮮 に 有 利 に 展 開 さ れ て い る 時 、 あ る い は 戦 争 の 主 な 舞 台 が ま だ 韓 国 の 地 域 内 に 限 定 さ れ て い る 時 、 北 朝 鮮 に 対 し 、 中 国 軍 の 派 兵 を 積 極 的 に 要 求 し た 。 し か し 、 毛 沢 東 の 要 求 は 、 ス タ ー リ ン や 金 日 成 の 反 対 さ れ た た め 、 実 現 し な か っ た 。 1950年9月15日 、 仁 川 上 陸 作 戦 に よ り 戦 勢 が 逆 転 し 、 10月 、 国 連 軍 が38度 線 を 突 破 し て 北 進 す る に つ れ 、 北 朝 鮮 の 崩 壊 は 秒 読 み 段 階 に 入 り 、 中 国 は 派 兵 す る か 否 か の 選 択 の 岐 路 に 立 た さ れ た 。 も し も こ の 時 、 中 国 指 導 部 が 遅 滞 な く 派 兵 し 北 朝 鮮 を 助 け て い た 場 合 、 両 国 政 府 が 主 張 す る 「 唇 亡 歯 寒 」 あ る い は 血 盟 関 係 は 自 然 に 受 け 入 れ る こ と が で き る 。
選 択 の 岐 路 に 立 っ た 中 国 の 指 導 部 は 態 度 を 変 え 、 派 兵 に 対 し 慎 重 な 姿 勢 を 見 せ た 。 1950年10月2日 、 武 器 ・ 装 備 の 不 足 を 理 由 に 、 中 国 は 朝 鮮 戦 争 参 戦 放 棄 の 決 定 を し 、 こ れ を ス タ ー リ ン に 通 達 し た 。 10月6日 、 ス タ ー リ ン の 圧 力 で 、 中 国 政 府 は 朝 鮮 戦 争 参 戦 を 再 決 定 し た が 、 こ れ は ス タ ー リ ン に よ っ て 強 制 さ れ た 決 定 で あ る 。 ま た 、 こ の 決 定 は 、 ソ 連 が 十 分 な 武 器 を 提 供 し 、 朝 鮮 で 作 戦 を 展 開 す る 中 国 軍 に 対 し 、 空 軍 援 護 す る と い う 条 件 の 下 で な さ れ た 決 定 だ っ た 。 中 国 軍 の 参 戦 問 題 と ソ 連 に よ る 軍 事 援 助 の 問 題 を 議 論 す る た め に 、10月11日 、 ソ 連 を 訪 問 し た 中 国 首 相 の 周 恩 来 に 対 し 、 ス タ ー リ ン は 、 ソ 連 が 朝 鮮 半 島 に 進 行 す る 中 国 軍 を 保 護 す る た め の 空 軍 援 護 を 拒 否 し た 。 ス タ ー リ ン の 予 期 せ ぬ 拒 否 に 、 周 恩 来 は 「 も し ソ 連 軍 が 空 軍 援 護 を し な い 場 合 、 中 国 は 派 兵 す る こ と が で き な い 」 と 対 抗 し た 。 こ れ に 対 し ス タ ー リ ン は 、 周 恩 来 に こ れ 以 上 中 国 軍 の 派 兵 要 求 を せ ず 、 そ の 代 わ り に 、 満 州 を 拠 点 に し て 北 朝 鮮 軍 が 米 軍 と 遊 撃 戦 を 展 開 で き る よ う 、 北 朝 鮮 主 力 部 隊 を 満 州 に 退 去 さ せ る こ と を 要 求 し 、 周 恩 来 の 同 意 を 得 た 。 も ち ろ ん ス タ ー リ ン は 満 州 に 退 去 し た 北 朝 鮮 軍 部 隊 に 武 器 を 供 給 す る こ と を 約 束 し た 。
も し こ の 決 定 を 実 行 し た 場 合 、 朝 鮮 半 島 は そ の 時 す で に 統 一 さ れ て い た 。 同 時 に 、 満 州 に 撤 退 し た 北 朝 鮮 の 主 力 部 隊 は 、 ソ 連 の 武 器 支 援 の 下 、 満 州 を 後 方 基 地 に し て 、 朝 鮮 半 島 の 北 部 地 域 で 米 軍 と 韓 国 軍 を 相 手 に 遊 撃 戦 を 繰 り 広 げ る 状 況 が 展 開 さ れ て い た 。
毛 沢 東 は 最 初 、 ス タ ー リ ン と 周 恩 来 の 合 意 事 項 、 す な わ ち 、 中 国 軍 を 派 兵 せ ず 北 朝 鮮 主 力 部 隊 を 満 州 に 撤 退 さ せ る 案 、 に 賛 成 し て お り 、 こ の 決 定 は ス タ ー リ ン に す ぐ に 伝 達 さ れ た 。 し か し 当 日 の 夜 、 つ ま り1950年10月12日 午 後8時 か ら10時 ま で 、 開 か れ た 中 国 共 産 党 政 治 局 拡 大 会 議 で は 、 仮 に ソ 連 の 空 軍 援 護 が な く て も 朝 鮮 戦 争 に 参 戦 す る こ と を 決 定 し た 。 そ の 理 由 は 非 常 に 簡 単 で あ る 。 も し 現 在 、 中 国 軍 が 派 兵 す れ ば 、 戦 争 の 主 な 舞 台 は 北 朝 鮮 に な る が 、 ス タ ー リ ン の 要 求 通 り に す れ ば 、 北 朝 鮮 は 滅 亡 し 、 北 朝 鮮 の 代 わ り に 中 国 東 北 地 域 が 主 戦 場 に な る か ら で あ っ た 。
中 国 が 参 戦 を 決 心 し た 究 極 的 な 原 因 は 、 同 じ 社 会 主 義 の 理 念 を 持 つ 北 朝 鮮 を 助 け る こ と で も 、 北 朝 鮮 が 中 国 の 緩 衝 地 帯 で あ る た め で も な か っ た 。 も し 戦 火 が 直
接 中 国 に 及 ば な い 場 合 、 す な わ ち 、 ス タ ー リ ン が 「 満 州 を 拠 点 に し て 北 朝 鮮 軍 が 米 軍 と 遊 撃 戦 を 展 開 で き る よ う 、 北 朝 鮮 主 力 部 隊 を 満 州 に 退 去 さ せ る こ と 」 を 要 求 し な か っ た 場 合 、 あ る い は 、 こ れ ら の ス タ ー リ ン の 要 求 を 周 恩 来 が 拒 否 し た 場 合 、 中 国 は 部 隊 を 北 朝 鮮 に 派 遣 し て い な か っ た だ ろ う 。 米 国 が 鴨 緑 江 と 豆 満 江 に 向 け て 引 き 続 き 北 進 す る 緊 迫 し た 状 況 で も 、 中 国 は 北 朝 鮮 を 緩 衝 地 帯 と し て 見 て お ら ず 、 単 に 戦 争 が 中 国 本 土 に 拡 大 し な い な ら 、 中 国 は 米 国 の 勢 力 と 国 境 を 接 す る 選 択 が で き た こ と を 示 し て い る 。
冷 戦 が 「 熱 戦 」 に 変 わ り 、 中 国 の 安 全 保 障 が 直 接 脅 か さ れ て い た1950年10月 、 中 国 指 導 部 は 、 北 朝 鮮 を 救 う と い う 考 え も 、 安 全 地 帯 あ る い は 緩 衝 地 帯 と し て 見 る こ と も な か っ た 。 現 在 、 米 国 と 中 国 が 国 交 正 常 化 し て30年 以 上 が 経 過 し 、 中 国 と 米 国 は 、 経 済 的 ・ 外 交 的 ・ 政 治 的 に 非 常 に 密 接 な 関 係 に あ る 。 両 国 は 、 当 時 は 敵 で あ っ た が 、 現 在 は 競 争 相 手 、 戦 略 的 な 協 力 関 係 を 維 持 し て い る 。 も し 現 在 、 北 朝 鮮 は 緩 衝 地 帯 あ る い は 安 全 地 帯 で あ る た め 、 中 国 は 北 朝 鮮 を 絶 対 に あ き ら め な い だ ろ う と い う 考 え は 非 常 に 滑 稽 な 主 張 と い え る 。
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3) 朝 鮮 戦 争 以 降 の 中 国 の 朝 鮮 半 島 政 策 : 安 定 し た 現 状 維 持
前 述 し た よ う に 、 毛 沢 東 は 、 金 日 成 の 朝 鮮 戦 争 開 始 に 反 対 し た 。 前 述 の 過 程 を 経 て 、 中 国 は 朝 鮮 戦 争 に 最 終 的 に は 介 入 す る こ と に な り 、 約3年 間 に わ た り 、 米 国 と 戦 争 を し た 。1953年7月 、 朝 鮮 戦 争 の 停 戦 協 定 が 締 結 さ れ る こ と で 朝 鮮 戦 争 は そ の 幕 を 閉 じ た 。
朝 鮮 戦 争 以 後 、 毛 沢 東 の 北 朝 鮮 政 策 は 、 第 一 に 、 北 朝 鮮 が 単 独 で 韓 国 を 攻 撃 で き る 軍 事 力 を 保 持 で き な い よ う に し て 、 第 二 に 、 北 朝 鮮 人 の 経 済 的 な 生 活 水 準 を 韓 国 よ り 優 れ た も の に し て 、 社 会 主 義 の 優 越 性 を 確 認 さ せ 、 第 三 に 政 治 的 安 定 を 実 現 し 、 中 国 に 対 し て 友 好 的 な 北 朝 鮮 に 導 く こ と に 要 約 す る こ と が で き る 。
同 時 に 、 毛 沢 東 は 、1953年7月 の 停 戦 協 定 は 、 中 国 と 米 国 の ど ち ら も 勝 利 を 収 め る こ と が で き な い と い う 認 識 に よ る 産 物 で あ る た め 、 米 国 が 北 朝 鮮 を 再 度 攻 撃 す る こ と は な い 、 と み た 。 そ の 反 面 、 北 朝 鮮 が 戦 列 を 再 び 整 え 、 韓 国 に 対 し 軍 事 挑 発 し な い か と 心 配 し た 。
毛 沢 東 は 北 朝 鮮 に 対 し て 、 北 朝 鮮 の 安 全 保 障 は 中 国 の 責 任 に 委 ね 、 北 朝 鮮 は 経 済 開 発 に 総 力 を 傾 け る こ と を 要 求 し た 。 毛 沢 東 は 北 朝 鮮 の 軍 隊 を10万 人 以 下 に 削 減 す る こ と を 要 求 し ( 当 時 、 韓 国 軍 は70万 人 ) 、 費 用 の 負 担 が 大 き い と い う 理 由 で 、 北 朝 鮮 が 空 軍 を 保 有 す る こ と に 反 対 し 、 さ ら に 、 戦 車 な ど 機 械 化 部 隊 の 保 有 に も 反 対 し た 。
1953年 か ら 中 国 は 第1次 経 済 開 発5カ 年 計 画 を 実 施 し た 。 経 済 開 発 の た め に 、 中 国 は 安 定 し た 周 辺 環 境 が よ り 切 実 に 必 要 だ っ た 。1953年 、 毛 沢 東 は 日 本 に 向
け て 、 中 国 に 残 留 し て い る3万7000人 の 日 本 人 の 送 還 を 提 案 し 、 交 渉 を 経 て 、 約 3万5000人 の 日 本 人 を 送 還 し た 。 同 時 に 、 イ ン ド と の 国 境 紛 争 の 解 決 の た め に
「 平 和 共 存5原 則 」 を 提 示 し 、 イ ン ド と の 和 解 に 積 極 的 に 乗 り 出 し 、 中 国 の 南 の 地 域 、 つ ま り ベ ト ナ ム 問 題 の 解 決 に も 積 極 的 に 乗 り 出 し 、1954年 、 ジ ュ ネ ー ブ 会 議 に て 、 第 一 次 イ ン ド シ ナ 戦 争 の 休 戦 と ベ ト ナ ム 統 一 問 題 の 原 則 に 合 意 し た 。 一 方 、 中 国 は 、 北 朝 鮮 の 経 済 回 復 に 莫 大 な 資 金 を 援 助 し た 。 8兆 人 民 元
(RMB) を 、 北 朝 鮮 の 経 済 回 復 の た め に 無 償 援 助 し 、 数 万 人 の 北 朝 鮮 の 産 業 研 修 生 を 受 け 入 れ 、 技 術 研 修 さ せ た 。
し か し 、 金 日 成 は 毛 沢 東 の 主 張 す る 北 朝 鮮 の 軍 備 縮 小 に 反 発 し た 。 彼 は 、 中 国 の 反 対 に も か か わ ら ず 、23万 人 の 軍 隊 を 維 持 し て お り 、 同 時 に 空 軍 と 機 械 化 部 隊 も 創 設 し た 。 さ ら に 、 政 治 的 に 親 中 的 な 延 安 派 を 大 量 粛 清 し た 。 1954年 、 延 安 派 の 巨 頭 朴 一 雨 と 方 虎 山 な ど を 粛 清 し 、1957年1月 、 最 後 の 延 安 派 巨 頭 金 枓 鳳 最 高 人 民 委 員 会 常 任 委 員 長 を 北 朝 鮮 の 政 治 舞 台 か ら 排 除 す る こ と で 、 中 国 の 利 益 を 代 弁 し 、 影 響 力 を 行 使 で き る パ イ プ を 基 本 的 に 封 じ こ め た 。
さ ら に1956年10月 末 、 政 治 的 に ソ 連 の 意 見 を 聞 か な い ハ ン ガ リ ー の ナ ジ ・ イ ム レ (Nagy Imre) 首 相 が 、 ハ ン ガ リ ー 駐 留 ソ 連 軍 に 捕 ま り 粛 清 さ れ た 後 、11月 、 金 日 成 は 毛 沢 東 に 対 し 北 朝 鮮 駐 留 中 国 軍 の 撤 兵 を 要 求 し た 。1958年 、 金 日 成 の 要 求 に 応 じ 、 毛 沢 東 は 、 米 国 軍 が 韓 国 か ら 撤 退 す る か 否 か に か か わ ら ず 、 中 国 軍 を 北 朝 鮮 か ら 撤 退 さ せ た 。 こ れ は 、 中 国 軍 が 北 朝 鮮 か ら 追 い 払 わ れ た も の で あ り 、 金 日 成 は 北 朝 鮮 に 駐 留 中 の 中 国 軍 を 、 自 分 の 体 制 に 対 す る 最 大 の 脅 威 と み な し て い た こ と が 分 か る 。
毛 沢 東 は 北 朝 鮮 に 影 響 力 を 行 使 で き る 物 理 的 ・ 政 治 的 手 段 が な く な っ た 後 に 、 金 日 成 と の 関 係 正 常 化 に 乗 り 出 し た 。 そ の 後 、 中 朝 両 国 の 必 要 に よ っ て 、 両 国 関 係 は 正 常 化 の 道 に 入 り 、1960年 代 、 中 ソ 対 立 が 始 ま っ て 以 降 、 両 者 の 関 係 は
「 同 志 関 係 」 に 格 上 げ さ れ た 。 こ れ 以 後 、 文 化 大 革 命 の 時 期 を 除 い て 、 毛 沢 東 は 北 朝 鮮 へ の 内 政 干 渉 を 一 切 停 止 し て お り 、 北 朝 鮮 が 望 む こ と を 、 北 朝 鮮 が 望 ん だ 以 上 に サ ポ ー ト し た 。 そ の 理 由 は 、 中 ソ 対 立 勃 発 後 、 ア ル バ ニ ア を 除 く 東 欧 諸 国 が ソ 連 を 支 持 す る 状 況 で 、 中 国 は 、 ア ジ ア の 社 会 主 義 国 家 北 朝 鮮 の 支 持 が さ ら に 必 要 だ っ た か ら だ 。
朝 鮮 半 島 で の 戦 争 あ る い は 衝 突 の 防 止 、 す な わ ち 、 中 国 の 朝 鮮 半 島 で の 「 安 定 化 」 政 策 は 、 朝 鮮 戦 争 以 後 か ら 現 在 ま で 続 い て お り 、 朝 鮮 戦 争 直 後 の 毛 沢 東 の 北 朝 鮮 政 策 に そ の 起 源 が あ る 。 「1980年 、 鄧 小 平 に よ る 本 格 的 な 改 革 開 放 政 策 以 降 、 朝 鮮 半 島 の 安 定 化 と い う 政 策 目 標 が 決 ま っ た 」 と い う 学 界 の 意 見 は 、 完 全 に 間 違 っ た 根 拠 に 基 づ い て い る 。
(
4) 第
3次 核 実 験 以 後 の 中 朝 関 係 と 朝 鮮 半 島 統 一 の シ ナ リ オ
2010年 、 中 国 の 北 朝 鮮 専 門 家 た ち は 、2年 間 の 研 究 の 末 、 北 朝 鮮 で 発 生 す る 可 能 性 が あ る 、 各 種 の 事 態 に 備 え た 中 国 政 府 の 対 応 マ ニ ュ ア ル 『 朝 鮮 半 島 危 機 管 理 研 究 』 を 完 成 さ せ た 。 こ の マ ニ ュ ア ル で は 、 中 国 政 府 の 朝 鮮 半 島 に お け る 最 優 先 政 策 目 標 を 「 朝 鮮 半 島 の 安 定 化 」 と 明 確 に 述 べ て い る 。 つ ま り 「 安 定 」 は 、
「 非 核 化 」 よ り 優 先 さ れ 、 朝 鮮 半 島 で 「 安 定 化 」 と 「 非 核 化 」 の2つ の 目 標 が 衝 突 す る 場 合 は 、 「 安 定 化 」 を 優 先 す る と い う こ と を 意 味 す る 。
2006年 、 北 朝 鮮 の 第1次 核 実 験 ま で 、 つ ま り 、 北 朝 鮮 が 核 を 保 有 す る ま で は 、
「 非 核 化 」 を 通 じ た 朝 鮮 半 島 の 「 安 定 化 」 の 達 成 が 、 中 国 の 基 本 的 な 朝 鮮 半 島 政 策 だ っ た 。 こ の 時 ま で は 「 非 核 化 」 は 、 「 安 定 化 」 と 矛 盾 す る 概 念 で は な く 、
「 安 定 化 」 と い う 最 終 目 標 を 達 成 す る た め の 手 段 だ っ た 。 し た が っ て 、 中 国 は
「 非 核 化 」 を 達 成 す る た め に 、 「 米 朝 会 談 」 、 「 南 北 朝 鮮 会 談 」 、 「4者 会 談 」 あ る い は 「6カ 国 協 議 」 な ど に 積 極 的 に 取 り 組 み 、 必 要 に 応 じ て 、 北 朝 鮮 に 圧 力 を か け る こ と も 厭 わ な か っ た 。
2006年 と2009年 の 北 朝 鮮 が2度 の 核 実 験 を 実 施 し た 後 、 「 非 核 化 」 政 策 は 、 実 質 的 に 失 敗 し 、 「 安 定 化 」 と の 競 合 が 発 生 し 始 め た 。 つ ま り 「 非 核 化 」 を よ り 重 視 す る 米 国 、 韓 国 、 日 本 な ど 西 側 諸 国 は 、 国 連 安 保 理 制 裁 案 を 前 面 に 出 し て 、 中 国 が 北 朝 鮮 に 対 す る 実 質 的 制 裁 に 参 加 す る よ う 圧 力 を 加 え 始 め た 。 中 国 政 府 は 、 中 国 ま で 北 朝 鮮 制 裁 に 積 極 的 に 参 加 す る こ と に な れ ば 、 こ れ は 北 朝 鮮 の 経 済 ・ 社 会 ・ 政 治 の 動 揺 に つ な が り 、 北 朝 鮮 が 崩 壊 の 危 険 に 陥 る 可 能 性 が あ る と 考 え た 。 こ れ は 結 局 、 中 国 の 朝 鮮 半 島 に 対 す る 最 終 的 な 目 標 「 朝 鮮 半 島 の 安 定 」 を 脅 か す こ と に な り 、 中 国 は 最 初 か ら 非 核 化 の 手 段 と し て 、 北 朝 鮮 に 対 す る 過 度 な 制 裁 は 考 慮 し て い な か っ た 。
中 国 は 「 非 核 化 」 と 「 安 定 化 」 の 間 で 、2009年 か ら 、 先 に 「 安 定 化 」 し 、 後 に 「 非 核 化 」 す る 政 策 を 調 整 し た 。 つ ま り 、 「 非 核 化 」 を 推 進 す る が 、 こ れ が 北 朝 鮮 の 不 安 定 に つ な が る 可 能 性 が あ る 場 合 は 、 「 安 定 化 」 を 優 先 的 に 選 択 し て 、 北 朝 鮮 に 対 す る 経 済 協 力 と 支 援 を 続 け て い た 。 ま た 、 北 朝 鮮 が 極 端 な 外 交 的 孤 立 に 陥 ら な い よ う に 、 金 正 日 と 北 朝 鮮 の 高 官 を 中 国 に 招 待 し た り 、 温 家 宝 首 相 を は じ め と す る 上 級 幹 部 ら を 北 朝 鮮 に 派 遣 し た り し た 。 中 国 の 朝 鮮 半 島 「 安 定 化 」 重 視 政 策 は 、2010年 の 天 安 号 沈 没 事 件 と 延 坪 島 ( ヨ ン ピ ョ ン ド ) 砲 撃 事 件 に お い て 、 特 に 目 立 っ た 。
し か し 、2012年12月 の 長 距 離 ロ ケ ッ ト 発 射 と 、2013年2月12日 の 第3次 の 核 実 験 以 降 、 中 国 は 以 前 よ り 強 力 な 制 裁 案 を 盛 り 込 ん で い る 国 連 の 対 北 制 裁 決 議 案 2087号 と2094号 に 賛 成 し た 。 こ れ だ け で な く 、 国 連 駐 在 中 国 大 使 李 保 東 は 、 安 保 理 決 議2094号 通 過 直 後 開 か れ た 記 者 会 見 で 、 「 我 々 は 原 則 を 強 調 す る 」 と し 、
「 決 議 案 通 過 で 終 わ っ た わ け で は な い 。 も っ と 重 要 な こ と は 、 完 全 な 実 行 」 で あ
る と 明 ら か に し た 。 こ れ は 、 中 国 が 今 回 の 決 議 案 を 徹 底 的 に 履 行 す る と い う 意 味 を 明 ら か に し た と 見 ら れ る 。 ま た 、 キ ム·ス ク 国 連 駐 在 韓 国 大 使 も 「 決 議 案 通 過 に は 、 中 国 の 強 化 さ れ た 認 識 が 決 定 的 な 影 響 を 及 ぼ し た 」 と 述 べ た 。 彼 は 「 中 国 が 北 朝 鮮 を 無 条 件 に 庇 護 す る と い う 視 点 が あ っ た が 、 中 国 は 北 朝 鮮 の 第3次 核 実 験 に 怒 り と 深 い 挫 折 感 を 感 じ て い る 」 と し 、 中 国 の 視 点 の 変 化 を 伝 え た 。
第3次 核 実 験 を 前 後 し て 、 中 国 の 学 界 、 研 究 所 お よ び 軍 部 の 将 軍 ま で も が 、 公 然 と 北 朝 鮮 を 公 然 と 非 難 し 始 め た 。 さ ら に 、 北 朝 鮮 が 崩 壊 す る よ う に 誘 導 し な け れ ば な ら な い 、 と い う 主 張 ま で 登 場 し た 。 し か し 、 北 朝 鮮 に 対 す る こ の よ う な 非 難 は 、 そ れ 以 前 か ら あ っ た も の で あ り 、 新 し い も の で は な い 。 中 国 中 央 党 校 の 張 琏瑰 教 授 は 、 第1次 ・ 第2次 核 実 験 直 後 か ら 、 国 際 社 会 の 秩 序 や 規 範 を 無 視 す る 北 朝 鮮 に 対 し て 、 中 国 を 含 む 国 連 軍 が 、 武 力 で 報 復 し な け れ ば な ら な い と ま で 主 張 し た 。 確 か に 、 以 前 と 比 べ て 、 北 朝 鮮 に 強 硬 な 政 策 を 求 め る 世 論 が 増 え て き た こ と だ け は 事 実 で あ る 。
果 た し て 中 国 は 、 北 朝 鮮 に 対 す る 既 存 の 政 策 を 変 え る こ と が で き る か ? 仮 に 中 国 が 北 朝 鮮 に 対 す る 政 策 を 変 え る な ら 、 北 朝 鮮 の 崩 壊 を 含 む 水 準 に 達 す る こ と が で き る か ? 中 国 の 北 朝 鮮 政 策 の 変 化 に 影 響 を 及 ぼ す 要 因 は 何 か ? こ れ は 、 中 朝 関 係 を 研 究 す る 学 者 の 焦 眉 の 関 心 事 と な っ て い る 。
本 文 で は 、 中 国 の 北 朝 鮮 問 題 専 門 家 ら と の 討 論 を も と に し て 、 こ れ ら の 問 題 を 解 き 明 か し て い き た い 。
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4-1) 中 国 は 北 朝 鮮 に 対 す る 政 策 を 変 え る こ と が で き る か 。
中 国 が 北 朝 鮮 保 護 政 策 を 変 更 す る か ど う か は 、 北 朝 鮮 の 存 在 が 中 国 に 何 の 戦 略 的 利 益 を 与 え て い る の か と い う 問 題 と 密 接 な 関 係 が あ る 。 北 朝 鮮 の 改 革 開 放 問 題 は 、 北 朝 鮮 内 部 の 問 題 で あ る た め 、 北 朝 鮮 が 改 革 開 放 を し て い な い こ と は 、 北 朝 鮮 に 対 す る 政 策 を 修 正 す る 直 接 的 な 原 因 に な る に は 不 十 分 で あ る 。 中 朝 間 で 最 も 対 立 が 先 鋭 な 問 題 は 、 北 朝 鮮 の 長 距 離 ミ サ イ ル と 核 兵 器 開 発 と い う 点 で 、 特 に 意 見 の 相 違 は な い 。
北 朝 鮮 が 長 距 離 ミ サ イ ル と 核 兵 器 を 開 発 す る こ と は 、 中 国 に ど の よ う な 戦 略 的 な 不 利 益 を も た ら す か ? 北 朝 鮮 が 新 た に 開 発 さ れ た 武 器 を 持 っ て 、 中 国 を 脅 迫 す る と い う こ と は 想 像 す る こ と も 困 難 で 、 中 国 が こ の よ う な 状 況 を 念 頭 に 置 い て い る よ う に は 見 え な い 。 中 国 の 専 門 家 は 、 中 国 が 最 も 懸 念 し て い る 点 は 、 北 朝 鮮 の 核 開 発 が 韓 国 、 日 本 、 台 湾 の 核 兵 器 開 発 に つ な が る も の だ 、 と 主 張 し た 。 中 国 は 、 北 東 ア ジ ア で 核 兵 器 とICBMの 保 有 を 認 め ら れ て い る 唯 一 の 国 で あ る 。 東 北 ア ジ ア で 、 中 国 の 核 独 占 が 崩 れ 、 核 拡 散 が 進 む 場 合 、 核 の 独 占 的 に よ り 、 中 国 が 享 受 し て き た 戦 略 的 利 益 は 相 当 部 分 失 う こ と に な る 。 も し 、 台 湾 が 核 武 装 を す る 場 合 、 台 湾 に 対 す る 中 国 の 既 存 の 政 策 の 修 正 が 避 け ら れ ず 、 台 湾 の 独 立 問 題 ま で も 新 た
に 膨 ら む と み ら れ 、 将 来 の 台 湾 と の 統 一 問 題 も 大 き な 障 壁 に ぶ つ か る こ と に な る 。 米 中 両 国 は 公 式 に 認 め て は い な い が 、 米 国 の 最 大 の 仮 想 敵 は 中 国 で あ り 、 中 国 を 脅 か す こ と が で き る 最 大 の 仮 想 敵 も ま た 米 国 で あ る 。 し か し 、 現 在 の 米 国 に 対 す る 中 国 の 脅 威 は 、 中 国 に 対 す る 米 国 の そ れ を は る か に 上 回 る 。 米 国 の 航 空 母 艦 や 潜 水 艦 は 頻 繁 に 中 国 近 海 に 現 れ 、 韓 国 と 日 本 を 含 む ア ジ ア 各 地 に 利 用 可 能 な 海 軍 基 地 と 補 給 基 地 を 確 保 し て い る 。 一 方 、 中 国 の 航 空 母 艦 や 潜 水 艦 の 作 戦 範 囲 は 米 国 の 近 海 に は る か に 及 ば ず 、 中 国 は 、 ア メ リ カ と 近 い 中 南 米 の ど こ に も 、 軍 事 基 地 あ る い は 同 盟 国 を 持 た ず に い る 。 朝 鮮 半 島 の 分 断 は 、 米 軍 の 作 戦 範 囲 を38 度 線 以 南 に 留 め 置 く 効 果 を 中 国 に 与 え て い る 。 中 国 も 、 米 国 の 軍 艦 が 西 海 ( 中 国 名 : 黄 海 ) に 出 現 す る こ と に 対 し て 緊 張 を 隠 せ ず に い る 。 こ の 点 は 、2012年 の 延 坪 島 砲 撃 事 件 の 直 後 、 韓 米 海 軍 の 合 同 演 習 を 口 実 に 、 米 空 母 が 西 海 に 出 現 し た 際 、 中 国 が 極 端 に 反 発 し た こ と で も 理 解 で き る 。
以 前 に 比 べ 、 中 国 の 安 全 保 障 に 対 す る 北 朝 鮮 の 地 理 的 重 要 性 が 、 非 常 に 弱 ま っ て い る こ と は 事 実 だ 。 中 国 は 有 史 以 来 、 北 京 に 入 る 要 所 、 つ ま り 、 西 海 と 渤 海 湾 の 重 要 性 を よ く 認 識 し て い る 。 即 ち 、1840年 に ア ヘ ン 戦 争 が 勃 発 し た 際 、 イ ギ リ ス 軍 が 西 海 と 渤 海 湾 を 経 て 、 天 津 に 達 し て 初 め て 、 英 国 と の 休 戦 交 渉 に 乗 り 出 し た 。 1895年 、 日 清 戦 争 の 時 期 、 威 海 の 北 洋 艦 隊 が 日 本 に 敗 北 し 、 北 京 防 衛 が 不 可 能 に な る と 、 日 本 に 降 伏 す る こ と を 決 定 し た 。 こ の よ う に 、 西 海 と 渤 海 湾 は 北 京 防 衛 の た め に は 、 何 に も 変 え ら れ な い 極 め て 重 要 な 地 域 で あ る 。 か つ て の 北 朝 鮮 の 地 政 学 的 重 要 性 、 即 ち 、 「 米 国 あ る い は 日 本 が 中 国 を 侵 略 す る た め に は 、 ま ず 朝 鮮 半 島 を 橋 頭 堡 に し て 、 中 国 大 陸 を 攻 撃 す る 」 と い う 概 念 は す で に 古 い も の に な り つ つ あ る 。 し か し 、 平 和 時 で も 、 米 国 の 海 軍 が 北 緯38度 線 以 北 に 進 出 す る こ と が で き な い の は 、 北 朝 鮮 が 中 国 に 与 え る ま さ に 最 大 の 利 益 と み な す 事 が で き る 。
こ の 他 、 北 朝 鮮 が 重 要 な の は 、 朝 鮮 半 島 が 統 一 さ れ て い る よ り も 、 南 北 に 分 離 さ れ た て い る 方 が 、 中 国 の 戦 略 利 益 に 合 致 し て い る か ら で あ る 。 朝 鮮 半 島 の 南 北 で の 分 割 統 治 (Divide and Rule) は 、 南 北 政 府 を 効 率 的 に 管 理 す る た め に 非 常 に 有 用 で あ る 。 南 北 を 牽 制 す る た め に 、 お 互 い を 利 用 で き る だ け で な く 、 分 断 さ れ て い る 南 北 朝 鮮 は 、 中 国 の 意 見 を 最 終 的 に 尊 重 す る し か な い 。 特 に 米 国 の 軍 事 同 盟 国 で あ り 、 世 界12位 の 経 済 大 国 で あ る 韓 国 を 、 中 国 は 北 朝 鮮 カ ー ド を 利 用 し て 牽 制 す る こ と が で き 、 韓 国 が 過 度 に 親 米 に 傾 斜 す る こ と を 防 止 す る こ と が で き る 。
こ れ だ け で な く 、 分 断 さ れ た 状 況 で 、 中 国 は 北 朝 鮮 の 天 然 資 源 を ほ ぼ 独 占 し 、 無 制 限 に 利 用 す る こ と が で き 、 大 き く は な い が 、2500万 の 人 口 を 持 つ 北 朝 鮮 の 市 場 を 独 占 す る こ と が で き る 。
北 朝 鮮 の 無 分 別 な ミ サ イ ル 発 射 と 核 実 験 に よ る 能 力 の 向 上 に よ っ て 、 中 国 に 発 生 す る 不 利 益 が 、 北 朝 鮮 が 中 国 に 与 え る 前 述 し た 利 点 を 上 回 る と き 、 中 国 は 北 朝
鮮 に 対 す る 政 策 を 変 え る こ と が で き る 。 問 題 は 、 北 朝 鮮 が 中 国 に 与 え る 不 利 益 と 利 益 が 交 差 す る 臨 界 点 (Critical Point) が ど こ か と い う 点 で あ る 。 北 朝 鮮 の 第3 次 核 実 験 に よ り 、 臨 界 点 に 近 付 い た こ と は 事 実 だ が 、 ま だ 北 朝 鮮 の 存 在 が 与 え る 利 点 が 不 利 益 を 上 回 る 。
中 国 の 北 朝 鮮 に 対 す る 政 策 変 化 を 促 進 で き る 要 素 は 米 国 と 韓 国 で あ る 。 中 国 の 北 朝 鮮 政 策 の 転 換 は 、 究 極 的 に は 北 朝 鮮 の 崩 壊 を 前 提 と し て 行 わ れ る も の だ か ら だ 。 こ れ は 中 国 が 、 朝 鮮 半 島 の 統 一 に 際 し 、 北 朝 鮮 が 内 部 の ど の よ う な 要 因 に よ っ て 崩 壊 し て も 、 あ る い は 外 部 の 力 に よ っ て 崩 壊 し て も 、 韓 国 を 中 心 と す る 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 を 仮 定 し て い る か ら だ 。
数 年 前 か ら 、 中 国 の シ ン ク タ ン ク と 研 究 者 の 間 で は 、 朝 鮮 半 島 の 統 一 を 仮 定 し て 、 中 国 が 同 意 で き る 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 の 議 論 が 活 発 に 行 わ れ た 。 こ れ ら の 議 論 が 「 中 国 の 心 臓 」 で あ る 北 京 と 北 京 大 学 の 研 究 者 の 間 で 議 論 さ れ る 、 と い う 事 自 体 が 過 去 に 比 べ て 大 き な 変 化 が 起 こ っ た こ と を 意 味 す る 。 以 下 、 過 去 数 年 間 に わ た る 議 論 の 結 果 を ま と め て み よ う と 思 う 。
(
4-2) 中 国 が 同 意 で き る 朝 鮮 半 島 統 一 の シ ナ リ オ
朝 鮮 半 島 が 統 一 さ れ る た め に は 、 ま ず 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 に 対 し て 米 国 と 中 国 の 間 で 合 意 が 必 要 で あ る 。 し か し 、 米 中 両 国 の 朝 鮮 半 島 に 対 す る 理 解 が お 互 い に 相 反 す る の で 、 両 者 の 間 で 合 意 に 至 る の は 難 し い も の と 見 ら れ る 。
「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 に お い て 、 「 分 断 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 が 中 国 に 提 供 す る 安 全 保 障 の 軍 事 的 利 益 を 侵 害 し な い こ と が 、 中 国 が 同 意 で き る 出 発 点 で あ る 。 そ の 他 の 経 済 的 利 益 の 問 題 は 、 統 一 さ れ 経 済 が 活 性 化 さ れ た 朝 鮮 半 島 が 中 国 東 北3 省 の 新 し い 発 展 の た め の 動 力 を 提 供 で き る の で 大 き な 問 題 に は な ら な い 。
ま ず 、 中 国 が 最 も 好 む 可 能 性 が あ る 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 体 制 は 、 「 中 立 国 」 で あ る 。 こ の 場 合 は 、 韓 国 駐 留 米 軍 の 撤 退 を 前 提 に す る た め 、 米 国 の 同 意 は 難 し く 、 韓 国 の 主 流 保 守 陣 営 も 同 意 し か ね る の で 、 非 常 に 非 現 実 的 で あ る 。 よ っ て 選 択 の 対 象 に な り に く い 。
第 二 に 、 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 は 親 米 的 な 資 本 主 義 体 制 を 維 持 す る が 、 在 韓 米 軍 を 朝 鮮 半 島 か ら 撤 退 さ せ る 、 い わ ゆ る 「1949年6月 体 制 」 の 回 復 で あ る 。 こ れ は 、 か つ て1949年6月 に 韓 国 か ら 米 軍 が 撤 退 し た 状 態 を 意 味 す る も の で 、 中 国 は こ の シ ス テ ム を 非 常 に 好 む が 、 米 国 が 同 意 す る の は 難 し い 。 し か し 、 こ の 案 は 、 韓 国 の 保 守 右 翼 の 支 持 を 確 保 す る こ と が で き る と い う 利 点 が あ る 。
第 三 に 、 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 に 米 軍 が 引 き 続 き 駐 留 す る が 、 現 在 の 駐 屯 地 を 離 れ な い 案 だ 。 こ れ は 、 分 断 さ れ た 朝 鮮 半 島 が 中 国 に 与 え る 安 全 保 障 上 の 利 益 を 侵 害 し な い と い う 利 点 が あ り 、 中 国 も 賛 成 で き る 統 一 方 案 で あ る 。 こ の 場 合 に も 、 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 は 中 国 東 北3省 の 経 済 発 展 を 刺 激 す る こ と に な る だ ろ う
し 、 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 と 中 国 東 北3省 、 そ の 他 モ ン ゴ ル 、 ロ シ ア 、 シ ベ リ ア と 一 緒 に 、 経 済 共 同 体 を 形 成 す る こ と が で き る 。 こ の 場 合 も 、 中 国 に 損 害 は な く 、 利 益 だ け が あ る 案 だ 。
第 四 に 、 第 三 案 と 同 じ 体 制 下 で 、 中 国 の 積 極 的 な 参 加 を 誘 導 す る た め に 、 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 北 部 に 韓 国 軍 が 駐 留 せ ず 、 治 安 維 持 の た め の 少 数 の 警 察 力 だ け を 維 持 す る 案 で あ る 。 こ の 場 合 、 中 国 も 鴨 緑 江 と 豆 満 江 周 辺 に 配 置 さ れ た 中 国 人 民 解 放 軍 の 一 部 分 を 北 に 後 退 さ せ る 相 応 措 置 を と ら な け れ ば な ら な い 。 こ の 場 合 、 朝 鮮 半 島 北 部 と 東 北3省 の 一 部 地 域 に 、 非 武 装 地 帯 あ る い は 平 和 地 帯 を 創 設 す る こ と が で き る 。 ま た 、 こ の 案 は 、 中 国 側 の 積 極 的 な 賛 成 を 得 る こ と が で き る と い う 利 点 も あ る 。
2013年2月19日 、 退 任 を 控 え た 李 明 博 大 統 領 は 、 退 任 記 者 会 見 に お い て 、 第 三 の 統 一 案 に 言 及 し て 、 国 内 外 の 注 目 を 浴 び た 。 筆 者 は 、 米 中 両 国 の 積 極 的 な 支 持 を 受 け ら れ る 朝 鮮 半 島 統 一 方 案 は 無 く 、 た だ 、 米 中 両 国 の 消 極 的 な 支 持 を 受 け ら れ る 統 一 方 案 だ け が あ る と 考 え る 。
統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 が 中 国 の 安 全 保 障 上 の 利 益 を 損 な わ ず 、 中 国 に さ ら に 大 き な 利 益 を も た ら す こ と が で き れ ば 、 中 国 が 、 東 北 ア ジ ア の 平 和 に 対 す る 問 題 児
(Trouble Maker) 北 朝 鮮 を こ れ 以 上 か ば う 理 由 は な い 。 し か し 、 先 に 議 論 し た よ う に 、 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 の 案 に は 、 米 国 と 中 国 が 最 も 重 要 な 変 数 で あ る 。
2013年 は 、 中 国 が2012年 に 設 定 し た 「 新 型 大 国 関 係 」 の 元 年 で あ る 。 中 国 は 、 か つ て の よ う な 大 国 間 の 衝 突 で は な く 、 大 国 間 の 平 和 共 存 ・ 相 互 の 利 益 を 追 求 す る 「 新 し い 大 国 関 係 」 を 樹 立 す る と 宣 言 し た 。 朝 鮮 半 島 関 連 の 問 題 は 、 今 年 初 め て 試 さ れ る 「 新 型 大 国 関 係 」 の 発 展 方 向 の リ ト マ ス 試 験 紙 で あ る 。 よ っ て 、 米 中 両 国 の 関 係 が ど の よ う に 設 定 さ れ る か が 非 常 に 重 要 で あ る 。 だ と し て も 、 韓 国 は 手 を こ ま ね い て 待 っ て い ら れ な い 。 中 国 と 米 国 が 受 け 入 れ ら れ る 統 一 方 案 で 、 こ ま め に 両 国 を 説 得 し な け れ ば な ら な い 。 し か し 、 「 統 一 さ れ た 朝 鮮 半 島 」 は 、 絶 対 に 戦 争 を 通 し て 成 立 さ せ て は な ら な い と い う こ と が 大 前 提 で あ る 。 な ぜ な ら 、 核 兵 器 で 武 装 し た 北 朝 鮮 と の 戦 争 は 、 朝 鮮 半 島 全 体 を100年 前 に 後 退 さ せ る 可 能 性 が あ る か ら で あ る 。