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デジタルアーカイブ学会第 2 回研究大会予稿 [C21] 日本ニュース は何を伝えたのか新たな戦争を受け入れる時に人々が見た 映像 1940 年 1941 年宮本聖二 1),2), アリアナ ドゥフゼル 3) 1) 立教大学大学院, 東京都豊島区西池袋 ) ヤフー株

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新たな戦争を受け入れる時に人々が見た「映像」 1940 年〜 1941 年

宮本聖二1),2),○アリアナ・ドゥフゼル3)

1) 立教大学大学院, 〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1

2) ヤフー株式会社, 3) ルーヴァンカトリック大学大学院

E-mail: [email protected] E-mail:[email protected]

“Nippon News” during World War 2

How to make Citizens Accept Another War 1940-1941

MIYAMOTO Seiji1),2), DEGHESELLE, Ariana3)

Graduate School of Rikkyo University, 3-34-1 Nishiikebukuro-cho, Toshima-ku, Tokyo Japan

2) Yahoo Japan Corp., 3) Graduate School of Catholic University of Louven

【発表概要】

太平洋戦争の直前から戦後にかけて映画館で上映されていたニュース映画、「日本ニュース」。

1940年6月に上映が始まり、戦争が終結した1945年夏までは、戦争遂行と国家総動員のための プロパガンダを目的に制作された国策映画である。軍官当局の検閲を受け、あるいはその指導の もとで制作されていた。現在、デジタルアーカイブ「NHK戦争証言アーカイブス」でこの間の現 存するすべての「日本ニュース」を観ることができる[1]。

当時、人々が接していたメディアは、ほかにラジオや新聞、雑誌などもあり、ニュース映画は その一部でしかない。しかし、唯一の動画であり、映像の持つ独自の訴求力で人々の意識に強く 働きかけたはずである。ここでは、1940年6月から太平洋戦争開戦までの18ヶ月間(毎週火曜日 公開、第1号から79号まで)に「日本ニュース」が何をどのように伝えたのかを見つめ、人々が 新たな戦争を受け入れるにあたってどのような役割を果たしたのかを考察する。

1. はじめに

「日本ニュース」の上映が始まった1940年 6月から 1941年12 月までは、日中戦争に加 えて太平洋戦争へ向かって行く激動の1年半 である。

1940 年に入ると日本軍は、泥沼化した日中 戦争を打開しようと空陸の大攻勢をかけなが らも国民党軍・共産党軍の大規模な反攻で行き 詰まる。勝利の行方が不透明になる中、米英に よる国民党政府への支援いわゆる「援蒋」が、

戦争を打開できない障害になっていると言う 論理を日本側は打ち出して行く。一方、欧州戦 線では、ドイツがフランスを屈服させ、さらに ソビエトへ侵攻。ドイツと同盟を結んだ日本は、

宗主国フランスの支配力が空洞化するとの見 通しから北部仏印へ進駐を進める。米英は強く 反発し、日本へ経済制裁を課す。そして、1941 年4月「日米交渉」がスタート。その後も日本 は南部仏印へ軍事進駐を行い、対日石油禁輸な ど制裁は経済封鎖ともいえるものに強化され、

日本は新たな戦争に突き進む。

この18ヶ月間の「日本ニュース」は、行き 詰まった日中戦争を戦いながら日本が何を選 択しようとするのかを映し出している。同時に、

内務省や軍部は「検閲や指導」を通して日本の 行動を正当化し、国民が戦争を受け入れる環境 を整える役割をニュースに強いた。

「日本ニュース」は、朝日、毎日、読売、同 盟といった大手新聞・通信社のニュース映画部 門が統合されて誕生した。この統合は、不足す る生フィルムの統制と当局による検閲を容易 にするためであった[2]。1940年6月に上映を 開始した「日本ニュース」は、前年の1939年 に施行された「映画法」によって全ての映画館 で上映することが強制された。そのため、1941 年の国内の映画観覧者は、のべ4億9600万人 [3]でそのほとんどが「日本ニュース」を見た と考えられる。この年の一人当たりの平均の映 画観覧回数は7回(2015年は1.8回)になる。

「日本ニュース」は全て当局の検閲を受けた。

(2)

軍に関するニュースは、陸海軍の検閲を受け、

それ以外のニュースは内務省の検閲を受けた。

また、軍が必要と考えれば、「日本ニュース」

に撮影を強制した。そうした中でまさに渦中だ った日中戦争と間もなく戦うことになるアメ リカをどのように伝えたのか見ていく。

2. 検閲と指導の下で作られたニュース

2. 1 演出、編集、ナレーション

タイトル映像は勇壮な音楽とともに地球の 上に立つ鷲である。ナチス政権下の「ドイツ週 間ニュース」(Die Deutsche Wochen-schau) のタイトルに酷似しており、「東亜に冠たる日 本」を象徴しているといえる。

1. 日本ニュース ドイツ週間ニュース

個々のニュースを見て行くと、現在のテレビ ニュースと変わらない伝え方が確立されてい ることがわかる。映像には、字幕、ナレーショ ン、音楽、効果音がつけられ、インタビューや 演説などは音声をしっかり聞かせる演出にな っており、現在と同様に視聴者の理解しやすさ に配慮した工夫がなされている。実際の出来事 から公開までは最短で1日、中国戦線もフィル ムを航空機で輸送、短時日で編集から収録まで 行なわれていた。

ナレーションは、ひたすら日本軍の勇壮さを 強調する。空襲部隊は海軍なら「海鷲」、陸軍 は「陸鷲」と呼び、戦闘シーンには勇壮な音楽 がつけられ、砲弾の炸裂音も付け加えられてい る。「赫赫たる戦果」、「神速果敢の我が攻撃」、

「頑敵を覆滅し」など漢語調の威勢の良い言葉 を使って強さと速さを強調する。日本や軍につ いては、我が国、我が軍と呼ぶ。例えば、2号

(1940年 6月18 日)の「抗日首都重慶大爆 撃」の一節に「敵戦闘機が小癪にも我に戦いを 挑んできました」とある。この我にという表現 で、国家、軍、国民(観客)、取材に当たる撮

影者までも一体のものとし、攻撃を受けている のは、日本でありこの映像を見ている自分たち、

日本人であることを強く印象づけている。

海外通信社から配信される欧州戦線のニュ ースでは、ナレーションがドイツの視点で書き 直されている。3号(1940年6月25日公開)

のフランスの陣地マジノ線での攻防をこう表 現している。「パリへ。パリへ。空陸呼応する 怒涛の大進撃を阻むべき何者もありません。復 讐と勝利を誓うナチスの精鋭は、全軍炎と燃え て、進撃、また進撃」。ここではドイツの強さ を謳い、ドイツとの同盟が正しいことに共感を 得ようとしていることがうかがえる。

2. 2 日中戦争をどう伝えたのか

この18ヶ月間で最も多く取り上げられたニ ュース項目は、日中戦争である。1937年7月 に始まった日中戦争では、1939年末からの中 国軍の「冬期大攻勢」もあり、1940年には100 万人もの兵力を中国大陸に送り込んでいた。ほ とんどの日本人が家族か知人を戦場に送り出 していたはずで最大の関心事だった。「日本ニ ュース」では 200 人の取材陣を中国に送り込 み、ほぼ毎号陸海軍の戦いぶりを伝えている。

この間の79号、319本のニュースのうち日中 戦争に関わる項目は77本で、そのうち地上戦 が 29本、空襲が22 本である。号によっては 複数項目で日中戦争が取り上げられている。

当時は、一週間経つと次の号が公開されて いたが、私たちはデジタルアーカイブによって まとめてこのニュースを見ることができる。そ こでわかることは、日中戦争の戦闘のニュース がワンパターンの構成で制作されていること である。例えば、35号(1941年2月4日公開)

の「新黄河一帯制圧 輝く太和入城」では、城 内突入、激しい戦闘、逃げ去る中国兵、掲げら れる日の丸という構成だ。地上戦を伝えるニュ ースのほとんどがこの構成に収まる。

空襲についてのニュースも同様で、流れは、

攻撃隊の離陸〜爆撃して敵基地などを粉砕〜

全機無事帰還、である。さらに、すべてを視聴 してわかったのは、日本軍の被害については一 切言及していないこと。映像にも、死傷者や避 難民の姿は一切出てこない。実際には、陸海軍

(3)

ともにかなりの損失が出ていた。陸軍の爆撃機 に同乗して撮影にあたった川口和男は、1940 年6月10日の重慶への爆撃行で二機撃墜され たと証言している[4]。この爆撃は2号(1940 年6月18日公開)で見ることができる。なお、

太平洋戦争直前までの日中戦争の日本側戦死 者は20万人に上っていた。中国人の死者は軍 民合わせて100万人は越えていたと見られる。

これらのニュースから、伝わるのは、勇壮・

優勢な日本軍が中国軍を蹴散らして次々に占 領地を広げ、国民党の臨時首都である重慶を圧 迫し続けているということである。だからこそ

「日中戦争」が泥沼化していることが感じられ る。どんなに勝利しても戦争の終わりが来ない からだ。

日本軍の被害や死体を見せないなどは、検 閲当局の「国民に対して厭戦気分を与えないた め」という指導によるものだが、その制限の中 で制作されることになったがゆえに、一方的な 勝利を伝える画一的な表現の連続となり、皮肉 なことに勝利を続けても「終わらない戦争」と いうイメージを人々に与えたのである。

2. 入城する日本軍部隊 日本兵と“姑娘”

「事変の完遂」を最大の目標としている国家、

軍部は厭戦気分の広がりは最も避けるべきこ とで、家族を戦場に送り出すことを国民に受け 入れさせなければならずこうした表現になっ たといえる。

また、戦闘以外では占領地域の復興や平和 を前面に出し日中親善を伝える。31 号では、

広東での新年の交流の様子を描く。「今日ばか りは兵隊さんもすっかり子どもになって、クー ニャンたちと楽しい羽根つき合戦に大はしゃ ぎ。美しい親善風景が至るところに見られま す」。日本兵の笑顔を紹介し、故郷の家族を安 心させることを意識している。「日本ニュース」

は、このように日本軍の占領する地域が穏やか であることを伝え、蒋介石政権が中国を不安定

にしているいわば戦争の原因であることを印 象づけている。

1940年の後半になると「援蒋」をしきりに 使い、英米による蒋介石政権への支援に言及す るようになる。7号(1940年7月23日公開)

で、中国と仏印国境の援蒋ルートへの圧迫を伝 えている。しかし、ここでは援蒋の主体が英米 であることは名指していない。その後援蒋ルー トのひとつ「ハノイルート」を閉鎖させること などを目的として 9 月に日本は仏印へ部隊を 進める(北部仏印進駐)。18号(1940年10月 8日公開)で「皇軍精鋭堂々と仏印へ進駐」と いうタイトルで、フランスと軍事協定を結び、

地元住民の歓迎を受けて日本軍が入域する様 子が伝えられている。国際社会の非難が高まる 中、日本軍の歓迎シーンを描き、国内に向けて 正当化をはかっている。この1年半では19本 のニュースで「援蒋」に言及しており、43 号

(1941年4月1日公開)で援蒋の背後にアメ リカがいると初めて伝えた。以降、第三国など の用語も使い、援蒋を通して英米が日本に敵対 することを伝えるようになった。

2. 3 アメリカをどう伝えたのか

北部仏印進駐と日独同盟の締結などの日本 の行動に対してアメリカは日本の必要とする 資源の禁輸などに乗り出した。その打開のため 1941年4月に「日米交渉」が始まった。しか し、日本は妥協の方針を打ち出せず交渉は決裂、

1941 年12 月8日日本の機動部隊はアメリカ 軍の太平洋の根拠地ハワイ・真珠湾を強襲した。

では、そのアメリカについて「日本ニュース」

はどう伝えているだろうか。これから全面戦争 をする対手にもかかわらずこの18ヶ月間の全 ニュースのうちアメリカに関するものはわず か12本しかない。日米の対立を直接テーマに したニュースは数少ない。その一本は、太平洋 戦争を目前にした76号(1941年11月18日 公開)「遣米第一船 龍田丸帰る」で、アメリカ の経済制裁によって日本人や関連の在米資産 の凍結が行われたことで多くの人が帰国せざ るをえなくなったと伝えている。しかしここで も、「資産凍結で引き揚げを余儀なくされた」

にとどまりアメリカを非難する表現はない。

(4)

日中戦争が始まって以降、英米との間では中 国内の利権と国民党政府への支援をめぐって 対立が深まる。それに伴って国内の対英米感情 は悪化した。しかし、内務省は1937年8月「北 支事変ニ関スル一般安寧禁止基準」を通達し

「敵国視しみだりに開戦を主張するが如きは 禁止すること」と反英米の言辞が広まることを 警戒した。日中戦争の解決のための仲介者とし てアメリカに期待していたからである。

1941年4月に始まった「日米交渉」は、和 平か戦争かというこのとき最も重要なイシュ ーであったが、ほとんど伝えられていない。関 連ニュースは1本。1月公開の、交渉に臨むた め渡米する野村吉三郎海軍大将を東京駅の送 迎というニュースである。その表現は、「アメ リカへ一億国民の真意と覚悟とを伝えるべく、

太平洋の荒波を蹴(け)って鹿島立つ特命全権 大使、野村吉三郎大将は、」とだけで、交渉内 容には全く言及していない。

「日米交渉」については、新聞でもほとんど 具体的な内容が伝えられていない。当時、朝日 新聞の査閲課長だった横田省己によれば「ハル 国務長官と野村大使が握手をしたことから会 談の時間も今後の予測も、記事にしてもほとん どが検閲当局に削られた」と言う[5]。「日本ニ ュース」も伝えようがなかったはずだ。

英米を刺激しないようにという指導方針が 変更されて、アメリカを非難すべしとなったの は開戦間際の10月だった。この時のアメリカ に関するニュースは79号。開戦翌日公開され たもので、8月のルーズベルト米大統領とチャ ーチル英首相のシンガポールでの会談につい てだ。一旦は、国民を刺激しないよう伏せてい たものを開戦したことで公開したと思われる。

「この軍事拠点(シンガポール)には豪州兵、

インド兵が送り込まれ、蒋政権の軍事代表も参 加して日本を威嚇するかのごとく、さらにまた 蘭印を使嗾(しそう)して対日包囲陣をつくり 上げ、仏印を脅威し、タイ国に迫る。敵性ここ に極まり、米英の謀略、日を追って加わる」と し、米英による日本の敵対行為が戦争として立 ち現れるだろうと思わせる表現になっている。

開戦後すぐに、内務省は「国民のうちに、米

英に対する敵愾心を根強く植え付けること」と いう「一般世論誘導について」を出した。それ を受けて、英米を「鬼畜」と呼び口を極めて非 難する表現になる。1943年2月の141号(1943 年2月16日公開)の「敗残の敵国俘虜」の中 で初めて「鬼畜」が登場する。「米英に残され た我が在留同胞はいかに。鬼畜のごとき米英は 非戦闘員たる我々の同胞を、俘虜(捕虜)以下 の待遇をもって虐待しているのであります。誠、

米英こそは人類、正義の敵であります」。

開戦までの18ヶ月間のニュースは、確かに アメリカとの関係が和平か戦争かに揺れてい たことを反映していた。しかし、経済制裁や日 米交渉の行き詰まりなどから徐々に敵対視す るようになり、開戦後は憎しみをあおる表現へ と変わっていったのである。

3. おわりに

映像は、人々を行動に導く強い訴求力を持つ。

2015 年欧州に急増した難民の問題は、海岸に 打ち上げられたシリア人の子供の遺体の画像 が受け入れを主張する人々の運動を加速させ た。湾岸戦争では、油にまみれた海鳥の映像が フセイン政権の所業として流布され、武力行使 の正当性を補完することとなった。クウェート での原油流出はイラク軍、米軍双方が原因にな っており、当該の原油は米軍の爆撃で流出した ものだった。

「日本ニュース」のそれぞれのカットに映っ ているのは実際に起こっていたことであった が、編集してナレーションを付けて出来上がっ たニュースは、真実を隠し人々を誘導しようと いうものが少なくなかった。いわばフェイクニ ュースだったのだ。

現在、インターネットとSNSの進展でさら に映像コンテンツが拡散されるようになった。

しかし、そこには人々をミスリードすることを 意図したフェイクコンテンツも大量に溢れる。

「日本ニュース」を見るとき、今を生きる私 たちは何を意識すべきなのか。まず、メディア の送り出すコンテンツが事実・真実を伝えてい るのか見極めるリテラシーを身につけること が求められる。さらに、権力の影響を排除しメ

(5)

ディアの自律的な制作環境を私たち市民が主 体となって確保することも欠かせない。デジタ ルアーカイブとして整備されたこの「日本ニュ ース」は、過去を知るためだけでなくメディア の今と未来を考える上で重要なコンテンツに なりうるはずだ。

参考文献

[1] NHK戦争証言アーカイブス

www.nhk.or.jp /archives/shogenarchives/

[2] 映画検閲年報:内務省警保局.1942,9, p2 [3] 映画検閲年報:内務省警保局.1942,9, p77 [4] 日本ニュース映画史:毎日新聞. 1980, 8, p.184-186.

[5] 「検証・昭和報道」取材班. 朝日新聞20 10,6, p.184-186

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