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免 陸 奥 国

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(1)

平城 宮跡 資料 館 秋期 企画 展

地 下 地 下 地 下 地 下 のののの 正 倉 院 展 正 倉 院 展 正 倉 院 展 正 倉 院 展 コ ト バ コ ト バ コ ト バ コ ト バ とととと 木 簡 木 簡 木 簡 木 簡

展示期間一期

二〇 一一 年一

〇月 一八 日(火 )―一

〇月 三〇 日(日 )

二期

一一 月 一日 (火)―

一一 月一 三日 (日)

三期

一一 月一 五日 (火)―

一一 月二 七日 (日)

ⅠⅠⅠⅠ 全 国 全 国 全 国 全 国 にににに 広広広広 が る が る が る が る 文 字 文 字 文 字 文 字

陸奥 国関 連 陸奥 国関 連 陸奥 国関 連 陸奥 国関 連の のの の役 役職 職役 役職 職を をを を免 免免 免じ るこ とに じる こと に じる こと に じる こと に関 関関 関す する るす する る木 木簡 簡木 木簡 簡 33 33

(SD 四一

〇〇 出土

。『 平城 宮木 簡』 5―

、以 下、 宮5

― と略 す) 6360

6360

免 陸 奥 国

陸奥 国に 関わ る何 らか の役 職を 解任 した こと に関 わる 木簡

(削

屑)

。詳 細は わか らな いが

、国 司の 四等 官( 守・ 介・ 掾・ 目)

であ れば

「陸 奥守

」の よう に記 し「 国」 は不 要な ので

、史 生な ど

四等 官よ りも 下の 役人 か、 ある いは 郡司 の任 免に 関わ る可 能性 が 高い 郡 。 司は

、地 元の 有力 者か ら任 命さ れる が、 その 人事 は都 で決 定 され た。 また

、任 命時 には 都で 試験 を受 ける 必要 があ るな ど、 平 城京 とさ まざ まな 往来 があ った

。陸 奥国 から も、 多く の人 々が 都 と往 来し

、人 事に 一喜 一憂 して いた こと だろ う。

女官 女官女 女官 官が がが が命 命令 令命 命令 令を をを を伝 伝伝 伝え たこ とを えた こと を えた こと を えた こと を記 記記 記す すす す木 木簡 簡木 木簡 簡3 33 3*

**

((((* ))))

6 66 6

(SK 八二

〇出 土。 宮1

― 83)

〔 婦 ヵ 〕

  □ 宣

〔田部ヵ〕

□ □ □  □  

女官 を通 じて 命令 が伝 えら れた こと を記 した 木簡

(削 屑)

。「 婦」 はお そら く「 命婦

」の 二文 字目 であ ろう

。女 官が 口頭 で伝 えた 命

令が

、木 簡に 文字 とし て書 きと めら れて 伝達 され

、実 現さ れて い った

。音 声が 文字 とし て定 着し た瞬 間の 木簡 であ る。

ⅡⅡⅡⅡ コ ト バ コ ト バ コ ト バ コ ト バ をををを 漢 字 漢 字 漢 字 漢 字 でででで

物品 物品物 物品 品の のの の進 進上 上進 進上 上を をを を日 本語 日本 語 日本 語 日本 語の のの の語 語順 順語 語順 順を をを を用 用用 用い いて てい いて て書 書書 書い いた たい いた た木 木簡 簡木 木簡 簡 1313 1313

(SD 四七 五〇 出土

。『 平城 京木 簡』

、以 下、 京

― と略 す) 2 1705

2 1705 (表)

о 移 司 所 米 无 故 急 々 進 上 又 滑 海 о

附 辛 男

(裏)

о 藻 一 駄 進 上 急 々 十 五 日 家 扶 о

家 令

(2)

長屋 王家 木簡

。米 と滑 海藻

(海 藻の 一種

)を 至急 進上 する よう

命じ る家 政機 関か らの 移。

「移

」は

、上 下関 係に ない 役所 の間 で

用い られ る文 書形 式。 至急 進上 して もら いた い理 由が

「米 无( 無) 故」 の部 分に 表さ れて いる

。こ こは

「米 无き が故 に」 と読 み、

「米 が無 いの で」 と

いう 意味 にと れる

。そ の語 順に 注目 する と、

「无

」字 は、 中国 語 では

「米

」字 の前 にな るは ずで ある が、 日本 語の 語順 その まま に 三文 字を 連ね てい る。

「故

」字 につ いて も、 中国 語で は、 文頭 で 理由 を表 す接 続詞 とし て用 いら れる のが 一般 的で ある が、

「故

」 字が

《理 由》 を表 すと いう こと に起 因し て、 文頭 の接 続詞 とし て では なく

、日 本語 の理 由を 表す こと ばと して 利用 し、 因果 関係 を 前後 に綴 った もの とみ られ る。

「~ 故に

」と いう 表現 は、 宣命 体

(日 本語 の語 順の まま に漢 字を つら ね、 さら に音 をあ てた 万葉 仮名

も混 ぜて

「テ ニヲ ハ」 など の付 属語 まで 表記 する 方法

)で 書か れ る宣 命に もみ られ る。 日本 語の 文の 作り 方の 特徴 をよ くあ らわ し てい る。 築地 塀 築地 塀 築地 塀 築地 塀を をを を修 修理 理修 修理 理す する るす する る職 職人 人職 職人 人へ への のへ への の米 支給 米支 給 米支 給 米支 給の のの の伝 票木 簡 伝票 木簡 伝票 木簡 伝票 木簡 14 14 14 14

(SD 四七 五〇 出土

。『 平城 宮発 掘調 査出 土木 簡概 報』

、 頁下 段。 21 22 以下

、城

― 下と 略す ) 21 22

御 垣 塞 廝 三 人 米 三 升 受 手 子 十 二 月 廿 二 日 甥 万 呂 о

長屋 王家 木簡

。長 屋王 邸の 四周 には 築地 塀が めぐ って いて

、そ

の修 理を 担当 した

「御 垣塞

」の 職人 の「 廝

」( 飯炊 き役

)へ の

米支 給の 伝票 木簡

。一 人あ たり の支 給量 は一 升で

、今 の約 四合

、 米約 六〇

〇グ ラム に相 当す る。 手子 は、 同じ く長 屋王 家木 簡で 勤

務評 定の 木簡 の削 屑に

「… 部手 子」 とみ え( 京2

)、 三三 歳 2097 で姓 をも つこ とが わか るの で、 奴婢 では なく 長屋 王邸 に勤 務す る 帳 内( 従者

)の 可能 性が ある

この 役名 は「 御垣 塞廝

」で ある が、

「塞

」の 語順 に注 目す ると

、 中国 語で あれ ば「 塞」 を前 にし て「 塞御 垣廝

」と 書く べき とこ ろ

を、 日本 語で 読む とお りの 順序 で「 塞」 を後 ろに 書い てい る。 中 国語 では なく

、日 本語 とし て書 いて いる こと がよ くわ かる

。築 地 塀の 修理 担当 の役 名と して

「ミ カキ フサ ギ」 と呼 ばれ てい たの を その まま の語 順で 反映 して いる のか もし れな い。 くじ びき の くじ びき の くじ びき の くじ びき の木 簡木 簡木 簡木 簡

(SE 四七 七〇 出土

。京 1― ) 1515 1515

88

此 取 人 者 逃 女 成

長屋 王邸 内の 井戸 から 見つ かっ たく じび き札 とみ られ る木 簡。 日本 語の 語順 で漢 字が 連ね られ

、「 此を 取る 人は 逃げ る女 と成 る」 と日 本語 を読 むと おり に読 める

。単 語や 文の 一部 分だ けで はな く、 文全 体に わた って 表し たい 意味 に該 当す る漢 字を 連ね てい る例 と して 注目 され る。

「此取 人者

」に つづ く後 半部 分を

「御 六世 相」

(弥 勒〈 御六

〉の

世に あう

〈生 まれ 変わ るの 意味 か〉

、京 1―

)や

「盗 人妻 成」

(ぬ 89 すび との 妻と なる

)、 京1

)と する 木簡 も一 緒に 見つ かっ て 90 おり

、く じび き札 と考 えら れて いる

。( 東野 治之

『日 本古 代史 料 学』 岩波 書店

、二

〇〇 五年

「「「

「叙 叙叙 叙」

」」

」な どの など の など の など の文 文字 字文 文字 字を をを を記 記記 記し した たし した た習 書木 簡 習書 木簡 習書 木簡 習書 木簡

**

*(S

K八 二〇 出土

。宮 1― ) 2020 2020

546

□ 叙 叙 叙 叙

(表)

叙 叙 叙 叙 叙 叙 叙 叙

信 信 信 信 信 □

(裏)

請 □ 信 □ 信

習書 木簡

。表 面に 二行 にわ たっ て「 叙」 を、 裏面 には

「信

」「請

」 など を書 き連 ねる

「叙」 の偏 は、 雁垂 に「 未」 のよ うな 字形 で書 かれ る。 旁も

「又

」 だけ でな く、 一点 加え て「 叉」 と書 くも のも 見ら れる

。裏 面の

「信」

(3)

もあ まり バラ ンス のよ くな い字 形で

、一 行目 の最 後は 書き さし の まま 塗り つぶ して いる

。二 行目 は「 信」 の旁 であ る「 言」 を意 識 して いて

、ま ず一 文字 目に

「言

」を 偏に もつ

「請

」を 書く

。二 文 字目 は「 言」 の二 画目 を「 乙」 のよ うに 伸ば す。 ある いは

「気

」 を意 識し たも のか

。三

・五 文字 目の

(四 文字 目も

「信

」の 可能 性 が高 い) 旁の

「言

」も

、二 文字 目と 縦に 揃う 位置 に書 かれ てお り、 人偏 を後 から 書い たと 見ら れな くも ない

。字 形や 字配 りに も書 き 手の 思考 過程 や個 性が 見え 隠れ し、 さま ざま な想 像を 膨ら ませ る。

「叙」 は役 人に とっ ては 切実 な文 字だ った はず だが

、習 書木 簡 には ほと んど 見ら れな い。

「信

」も あま り書 かれ ない 文字 で、 言 偏か らの 連想 であ ろう か。 なお

、同 じS K八 二〇 から は、

「叙

」 と「 信」 が共 存す る習 書木 簡が 見つ かっ てい る( 宮

)。 同 1 605 じ書 き手 によ るか

、あ るい は何 らか の出 典が ある のか も知 れな い。 なお

、「 叙」 の右 側が 切れ てい るよ うに 見え るが

、上 下両 端の 角を 落と すな どの 加工 があ るこ と、 上端 の加 工部 分に 墨痕 が残 る こと

「又

」を 狭い 部分 に無 理に 書き 込ん でい る文 字が ある こと (第 一行 五文 字目

)な どか らみ ると

、手 近に あっ た端 材を 利用 した も ので

、習 書し た後 に右 端を 加工 した もの では ない だろ う。 言偏 言偏 言偏 言偏 のの のの 文字 文字 文字 文字 など を など を など を など を記 記 記 記し たし たし たし た習 書木 簡 習書 木簡 習書 木簡 習書 木簡

(SD 四一

〇〇 出土

。宮

― ) 21 21 21 21

4 4688

□ □ □ □

(表)

青 青 青 秦 秦 秦 謹 謹 申

謹 論 語 諫 尋 計 課 辱 謂 虫 誰

(裏)

□ □

(二 )㎜

(二 )㎜

主に 言偏 の文 字を 書き 連ね た習 書木 簡。 偏を 固定 し、 旁を 次々 に変 えて いく

。ど ちら の面 から 書い たか は定 かで ない が、

「謹

」 の続 き方 から 表裏 を判 断し てい る。 書か れて いる 文字 から 推測 する と、 秦某 とい う人 が何 かを 請求 する 文書 木簡 を念 頭に 置い て書 いた もの だろ うか

。そ の内 容が

「謹

申」 で一 段落 し、 役人 であ れば 文書 作成 でお 馴染 みだ った

「謹」 の文 字を 裏面 冒頭 に書 いた あと

、言 偏の 文字 へと 次々 に連 想を 働 かせ てい った のだ ろう

。「 論語

」は

、習 書木 簡に しば しば 登場 し、

「千字 文」 とと もに

、役 人が 文字 の練 習を する 際に 身近 に置 いて

参照 した と思 われ る文 献で ある

。偏 と旁 のバ ラン スが 悪い 文字 も ある ので

、言 偏だ け先 に書 いて おい たの かも 知れ ない

。四 文字 目 以下 の文 字を どの よう に連 想し てい った のか を想 像し てみ るの も 楽し い。 漢字 とし て意 味の わか らな い文 字も ある ので

、偏 と旁 の 組み 合わ せの 文字 遊び の趣 もあ る。 木簡 木簡木 木簡 簡を よむ をよ む をよ む をよ む 木簡 木簡木 木簡 簡を よむ をよ む をよ む をよ む 習書 文字 ラン キン グ や のよ うに

、習 書木 簡に は、 さま ざま な文 字を 練習 した あと が 20 2020 20 21 2121 21 のこ って いる

。全 国か ら見 つか った 木簡 を含 め、 どの 文字 が習 書さ れ たか を調 べた のが

、左 の表

。第 一位 は、

「大

」の 字、 次い で「 人」 とな って いる

。左 右の 払い を練 習し たの だろ うか

。習 書に は、 練習 だか ら とい って 意味 もな く漫 然と 機械 的に 書い てい るば かり では なく

、似 た 文字 や同 じ部 分を 持つ 文字 など 連想 しな がら 書い てい るも のも ある

。 書き 手の 心理 やつ ぶや きを 読み 取る 格好 の素 材だ

「日

)

(4)

犬 犬犬 犬へ へへ へ支 支給 給支 支給 給す する るす する る米 米米 米を をを を「

「「

「瘡 瘡男 男瘡 瘡男 男」

」」

」に にに に渡 渡渡 渡し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡 26 26 26 26

(SE 四七 七〇 出土

。京

― ) 1 65 (表)

犬 六 頭 料 飯 六 升 瘡 男

(裏)

六 月 一 日 麻 呂

犬 犬犬 犬へ へへ へ支 支給 給支 支給 給す する るす する る米 米米 米を をを を「

「「

「加 佐乎 加佐 乎 加佐 乎 加佐 乎」

」」

」に にに に渡 渡渡 渡し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡 27 2727 27

(SE 四七 七〇 出土

。京

― ) 1 66

受 加 佐 乎

(表)

о 又 犬 四 頭 飯 八 升

(裏)

□ 月 廿 七 日 о

(一 )㎜

とも に長 屋王 家木 簡で

、類 似の 内容 をも つ。

は犬 六頭 分の 飯 26 26 26 26 六升

(一 頭あ たり 一升

)を

「瘡 男」 に、

は犬 四頭 分の 飯八 升( 同 27 27 27 27 じく 二升

)を

「加 佐乎

」に

、そ れぞ れ支 給し たこ とを 記録 して い る。 一頭 あた りの 支給 量が 異な るの は、 犬の 体格

(種 類) の違 い によ るの か、 それ とも 複数 日分 をま とめ て支 給し てい るの であ ろ うか

。当 時の 一升 は、 今の 約四 合、 米約 六〇

〇グ ラム に相 当す る。 飯を 受け 取っ てい る「 瘡男

」と

「加 佐乎

」は

、お そら く同 一人 物。 とも に「 カサ ヲ」 と読 むの であ ろう

。 は漢 字の 意味 を利 用 26 2626 26 した 表記 であ り、 これ に対 して

はい わゆ る万 葉仮 名表 記、

《加

2727 2727

=カ

》《 佐= サ》

《乎

=ヲ

》と なる

。 だけ では 必ず しも 読み 方を 26 2626 26 決め がた いが

、 があ るこ とに より

、「 カサ ヲ」 とほ ぼ断 定し う 27 27 27 27 る。 なお

につ いて は、 全体 の書 風と

、裏 面の 支給 担当 者「 麻呂

」 2626 2626 の表 記も 見の がせ ない

。流 れる よう な行 書風 の筆 づか いは

にも 36 36 36 36 通じ

、こ の木 簡が 日常 的な 業務 のな かで 使わ れた こと を物 語る

。 また

、通 常「 麻呂

」の

「呂

」は 比較 的は っき りと 書か れる こと が 多く

、こ こま で簡 略化 され るの は珍 しい

( 参照

)。 これ も全 体 474747 47 の書 風に よる ので あろ う。

万葉 仮名 万葉 仮名 万葉 仮名 万葉 仮名 で でで で「

「「

「ツ クヨ ヨミ ウカ レ ツク ヨヨ ミウ カレ ツク ヨヨ ミウ カレ ツク ヨヨ ミウ カレ

」」」

」と とと と記 記記 記し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡*

**

* 3030 3030

(SK 八二

〇出 土。 宮

― ) 1 79

 

津 玖 余 々 美 宇 我 礼 □ □ □ □ □

〔 解 ヵ 〕

故 森 □ 由 由 我 礼 由 由 男

(表)

謹 解 川 口 関 務 所 本 土 返 沁 夫 人 事 伊 勢 国

□ 夫 人 男 

故 漢 □ 解 解 解 務 都 本 善 礼 我 還 事 事

〔 尊 ヵ 〕

□ □ 白 大 郎 尊 者 借 銭 請 □ 右 取 □  □ 下

 

〔 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 〕

□ □ □ □ □ □ □ □

未 未 未 未 未

皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 讃 讃 讃 讃 讃 讃

(裏)

雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 寒 雁 雁 雁 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 □ □

未 未 未 未 □

遠 量 疏 疏 応 未 未 反 反 其 労 結 結 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 苞 □

未 未 未 未 未

〔 疏 ヵ 〕

□ 書 □ □ □ 未 之 □ □

(三 )㎜

(六 )㎜

(5)

数度 にわ たっ てさ まざ まな 事が らが 書き 込ま れた 木簡

。表 面中 央に

「謹 解 川口 関務 所」 など とあ り、 元は 過所

(パ スポ ート

) に関 わる 木簡 であ った と思 われ る。 伊勢 国の 川口 関の 務所

(役 所)

へ、 本国 に帰 る「 夫人

」の こと を伝 えて いる

(「 夫人

」は 諸国 か

ら徴 集さ れた 人夫

〔労 働者

〕の こと か)

。川 口関 は三 重県 津市 白

山町 近辺 に所 在し たと 推定 され

、大 和国 から 桜井

・名 張を へて 伊

勢国 に通 ずる 重要 な交 通路 に置 かれ た関 所で あっ た。 この 木簡 の一 番の 見ど ころ は、 表面 右端 の「 津玖 余々 美宇 我礼

」 の部 分。 意味 不明 の文 字の 羅列 にみ える が、 これ は一 字一 音の い

わゆ る万 葉仮 名表 記で ある

。「 ツク ヨヨ ミウ カレ

」と 読み

、お そ

らく

「月 夜好 み、 浮か れ」 とい う意 味で あろ う。 五文 字で 区切 れ

るこ と、 木簡 の上 端が 破損 して いな いこ とか ら、 歌の 冒頭 部分 と 思わ れる

。『 万葉 集』 には 初句 に「 月夜 好み

」を 持つ 歌が いく つ かあ る( 巻一

〇― 一九 四三

、巻 一一

―二 六一 八、 巻一 二― 三〇

〇 六)

。ロ マン チッ クな 月夜 の光 景を 思う と恋 の歌 かと 想像 され る が、

「浮 かれ

」の 語か らは 月見 の宴 も連 想さ れる

(『 万葉 集』 巻四

―五 七一 は「 月夜 よし

」で はじ まり 遊 興を 詠う

)。

「テ ニヲ ハ」

まで を表 現し

、歌 の味 わい をス トレ ート に伝 えら れる こと が、 万 葉仮 名で 書く 一番 のメ リッ トと いえ る。 表面 左端 の「 白太 郎尊 者」

「借 銭請

」な どの 語は

、借 金請 求の 文言

。請 求相 手に

「尊 者」 と敬 称を つけ るあ たり 切実 さを 漂わ

せる が、 これ は書 状で よく 使う フレ ーズ を習

書( 練習

)し たも

ので あろ う。 一方

、裏 面の

「皇

」「 讃」

「雁

」な どは 一文 字ご との 習書 であ る。 熱心 で勤 勉な 姿勢 がか えっ て、 文字 を自 在に 使い こ なせ るよ うに なる まで の苦 労を 物語 る。

ⅢⅢⅢⅢ 文 字 文 字 文 字 文 字 の す が た か た ち の す が た か た ち の す が た か た ち の す が た か た ち

端正 端正 端正 端正 な な な な楷 書楷 書楷 書楷 書で で で で記 記 記 記し たし たし たし た人 事評 価 人事 評価 人事 評価 人事 評価 のの のの 木簡 木簡 木簡 木簡

(SD 四七 五〇 出土

。城

― 下) 3535 3535

21 28

年 五 十

无 位 上 毛 野 君 大 山 「 日 二 百 卅 」

紀 伊 国 一 東 郡

長屋 王家 木簡 の一 つで

、役 人な どの 勤務 管理 のた めの 木簡

。奈 良時 代の 貴族 たち は、 家の 運営 のた めに 多く の人 々を 抱え

、家 政 機関 と呼 ばれ る組 織を 編成 して いた

。上 毛野 君大 山も

、そ のよ う

な長 屋王 の家 政機 関で 働く 一人 であ り、 おそ らく

「帳

内」 と呼

ばれ る従 者で あっ ただ ろう

。 上部 側面 に孔 をあ け、 ここ に紐 を通 して 個人 カー ドと し、 必要

に応 じて 並べ 替え て使 う独 特の 形態 の木 簡。 位階

・人 名・ 年令

本貫 地( 本籍 地) を書 いた 個人 カー ドに

、あ る年 の一 年間 の勤 務

日数 があ とか ら書 き込 まれ てい る。 家政 機関 の職 員や 従者 の勤 務 評定 は、 家政 機関 や従 者を 与え られ た本 人( 本主

)が 上・ 中・ 下 の三 段階 で行 うこ とに なっ てお り、 帳内 の場 合、 評価 を受 ける た めに は年 間二

〇〇 日以 上の 出勤 が必 要で あっ た。 この 年「 二百 卅」 (二三

〇) 日の 出勤 を果 たし た大 山は 問題 なく 評価 の対 象と なっ たで あろ うが

、は たし て彼 の成 績が 如何 ばか りで あっ たか

、詳

らか でな い。 文字 のす がた は、 全体 とし てか っち りと した 楷書 で書 かれ てい る。 行書 風 行書 風 行書 風 行書 風の の の の文 字文 字文 字文 字で で で で記 記 記 記し たし たし たし た酒 司宛 酒司 宛 酒司 宛 酒司 宛の の の の手 紙手 紙手 紙手 紙の の の の木 簡木 簡木 簡木 簡 3636 3636

(SD 五三

〇〇 出土

。京

― ) 3 4554

侍 者

(表)

謹 酒 司 光 余 恩 奠 虚 返 謹 状

(裏)

味 糟 小 々 必 扱 幸 々 甚 々

(6)

二条 大路 木簡 の一 つ。 藤原 麻呂

(不 比等 の四 男) 邸の

「酒 司」 (酒を 担当 する 部署

)に

、酒 糟を 請求 する 手紙 の木 簡で ある

。わ

ざわ ざ「 味い 糟」 を指 定し てい る。 表面 の「 光余 恩奠 虚返

」は

「いた だい たご 恩を 虚し く返 すこ とに なっ てし まっ た」 とい うほ どの ニュ アン スで あろ う。 恐縮 した 姿勢 も、 ある いは 上等 品を 依 頼し てい るこ とに 関わ るの であ ろう か。

「侍 者」 は、 今日 の「 様」

や「 御中

」の よう に、 相手 に敬 意を あら わす 機能 をは たす

。細 字 で書 かれ るこ とが 多く

、脇 付と 呼ば れる

とは 対照 的に

、流 れる よう な行 書風 の筆 づか いで 書か れて い 353535 35 る。 奈良 時代 には 珍し い書 風で ある が、 紙媒 体の 状や 啓と いっ

た今 の手 紙に あた る文 書で は、 この よう に書 かれ るも のが 比較 的 多い とさ れて いる

。( 黒田 洋子

『正 倉院 の訓 読と 注釈

―啓

・書 状

―』

〔平 成十 九― 二一 年度 科学 研究 費補 助金 基盤 研究 ( )「正 倉 C 院文 書訓 読に よる 古代 言語 生活 の解 明」

〈研 究成 果報 告書

Ⅱ〉

(代 表 桑原 祐子

)〕 二〇 一〇 年) 相手 に自 分の 意思 を伝 える ため に、 文字 のす がた も大 切に され てい る。 参河 国 参河 国 参河 国 参河 国か らの から の から の から の荷 荷札 札荷 荷札 札*

**

(SK 八二

〇出 土。 宮

― ) 41 41 41 41

1 426 (表)

参 河 国 額 田 郡 新 木 郷 丸 部 五 月

(裏)

 

丹後 国 丹後 国 丹後 国 丹後 国か らの から の から の から の荷 荷札 札荷 荷札 札

(SD 三〇 三五 出土

。宮

― ) 42 42 42 42

2 2260

丹 後 国 熊 野 郡 田 村 郷 刑 部 夜 恵 五 斗

は参 河国 額田 郡新 木郷

(今 の愛 知県 岡崎 市仁 木町 付近

)か ら

4141 4141 の荷 札。 品目

・数 量は 明ら かで ない が、 木簡 の形 態か ら米 の荷 札 の可 能性 が高 い。 貢進 者は 丸部 五月

は丹 後国 熊野 郡田 村郷

(今 の京 都府 京丹 後市 久美 浜町 付近

4242 4242

から の荷 札。

「五 斗」 とい う数 量か ら、 こち らも 米の 荷札 と思 わ れる

。貢 進者 は刑 部夜 恵。

・ は似 たよ うな 文言 であ りな がら

、そ れぞ れの

「国

」「 郡」 41 41 41 41 42 42 42 42

「郷」 の字 を見 比べ ると

、字 形が 異な って いる こと がわ かる

。こ れら の文 字は 荷札 木簡 など でよ く使 われ

、特 に種 類が 豊富 であ る が、 それ でも 当時 の人 びと には その 文字 だと 通じ てい たの だろ う。 また

、 の「 部」 は、 まる で片 仮名 の「 マ」 のよ うに なっ てい 41 41 41 41 る。 これ は「 部」 の旁

「樊

」を 大き く省 略し たも の。 古代 には

「部」

がつ く人 名が きわ めて 多く

、そ のた め木 簡な どで はこ のよ うに 簡 略に 書か れる こと が一 般的 であ った

。 の「 部」 も似 たよ うな 字形 であ るが

、縦 画が 左に 払わ れて お 42 4242 42 り、

「マ」 より もむ しろ

「ア

」に 近い

。「 部」 は、 七世 紀に は「 ア」 のよ うに 書か れる こと が多 いが

、八 世紀 にな ると しだ いに

「マ

」 に似 た字 形に 変化 し、 定着 して ゆく

。こ の木 簡は 八世 紀の もの で ある ため

、や や古 風な 書き ぶり が顔 をの ぞか せて いる

、と 言え る かも しれ ない

「「

「麻 麻呂 呂麻 麻呂 呂」

」」

」を をを を合 合合 合わ わせ せわ わせ せ字 字風 風字 字風 風に にに に記 記記 記し した たし した た但 馬国 但馬 国 但馬 国 但馬 国の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札 4747 4747

(SK 三二 六五 出土

。宮

― ) 2 2715

村 長 語 部 廣 麻 呂

但 馬 国 養 父 郡 老 左 郷 赤 米 五 斗

天 平 勝 寶 七 歳 五 月

但馬 国養 父郡 老左 郷( 今の 兵庫 県養 父市 八鹿 町付 近) から の赤

米の 荷札 の木 簡。 赤米 は赤 みが かっ た米 で、 悪条 件に つよ く、 野 性的 な品 種と され る。 納め たの は語

部廣 麻呂

、天 平勝 宝七 歳は

七五 五年

。「 歳」 は「 年」 と同 義。 唐( 中国

)で 一時

「年

」の 代

わり に「 載」 の字 を使 って いた こと にな らい

、七 五五 年正 月か ら

七五 七年 八月 まで の約 二年 半の み「 歳」 が用 いら れた

。 男性 名に 広く 使わ れた マロ は、

「麻 呂」

「万 呂」

「末 呂」

「萬 侶」 など さま ざま に表 記さ れる

。厳 密な 使い 分け はな いが

、し いて い えば

「麻 呂」 がフ ォー マル

、「 万呂

」が 日常 用と 見ら れる

。こ の

(7)

木簡 では

、「 麻呂

」二 文字 が密 着し

、ほ とん ど一 文字 とな って い る。

「麻 呂」 のよ うに よく 使う 語句 では しば しば この よう な現 象 がみ られ

、こ こか ら今 も使 われ る「 麿」 の字 が生 まれ た。 これ を 合字 とい う。 それ でも

、や や形 式張 った 文書 で使 われ るこ との 多い

「麻 呂」 は「 呂」 を比 較的 はっ きり 書く こと が多 いが

、「 万呂

」や

「末 呂」 の場 合、

「呂

」を きわ めて 簡略 に書 いた り、 記号 的に 書い たり も する

(一 期展 示

、二 期展 示 参照

)。 時に は全 く書 かな いこ と 43 43 43 43

45 45 45 45 もあ る。

「「

「戸 戸主 主戸 戸主 主」

」」

」を をを を合 合合 合わ わせ せわ わせ せ字 字風 風字 字風 風に にに に記 記記 記し した たし した た阿 波国 阿波 国 阿波 国 阿波 国の のの の白 白米 米白 白米 米の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札*

**

* 48 48 48 48

(SK 八二

〇出 土。 宮

― ) 1 419 (表)

阿 波 国 板 野 郡 井 隈 戸 主 波 多 部 足 人 戸

(裏)

秦 人 豊 日 白 米 五 斗

阿波 国板 野郡 井隈 郷( 今の 徳島 県藍 住町

・鳴 門市 付近

)か らの

白米

(舂 米と もい う) の荷 札の 木簡

。「 郷」 の字 を書 き落 とし て

いる

。「 五斗

」は 今の 二斗

、約 三六 キロ グラ ム。

「戸主

」は

、古 代の 戸籍 の単 位「 戸」 の筆 頭者 のこ と。 つま り

この 木簡 は、 波多 部足 人が 戸主 を務 める 戸の 一員 であ る秦 人豊 日

が納 めた 白米 の荷 札と なる

。ち なみ に、 戸主 以外 の戸 の構 成員 を

「戸口

」と 呼ぶ

ここ で「 戸主

」に 目を 向け ると

、「 戸」 の下 に「 主」 が入 り込 んで

、ほ とん ど一 文字 のよ うに なっ てい る。 まる で「 雇」 のよ う にみ える が、 書き 間違 いで はな く、 また この 木簡 だけ に見 られ る 特徴 でも ない

。「 戸主

」は 荷札 や戸 籍で よく 使わ れる 用語 のた め、 独特 の書 き方 が発 達し てい った

。こ のよ うな もの を合 字と 呼び

「戸口

」で も同 じ現 象が 認め られ る( 一期 展示

、二 期展 示 も 44 44 44 44

46 46 46 46 参照

)。

の「 麻呂

」→

「麿

」、 ある いは

「堅 魚」

→「 鰹」 のよ う 47 4747 47 に、 今も 使わ れて いる 類例 もあ る。

「ま いる まい る まい る まい る」

」の の のの 意味 意味 意味 意味 でで でで

「参 参 参 参」

」」 字 字 字 字を を を を用 用 用用 いた いた いた いた 木簡 木簡 木簡 木簡 5353 5353

(SD 四一

〇〇 出土

。宮

― ) 4 4100

散 位 □ □ □ 岸 田 逆

九 月 廿 九 日 参

「「

「み っつ みっ つ みっ つ みっ つ」

」」

」の のの の意 意味 味意 意味 味で でで で「

「「

「参 参参 参」

」」

」字 字字 字を をを を用 用用 用い いた たい いた た参 河国 参河 国 参河 国 参河 国の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札2 22 2*

**

* 5454 5454

(SK 八二

〇出 土。 宮

― ) 1 364

々 別 六 斤

参 河 国 播 豆 郡 篠 嶋 海 部 供 奉 正 月 料 御 贄 参 籠

並 赤 魚

は解 釈の むず かし い一 点。 形態 から は付 札と 考え られ

、す る 53 53 53 53 と「 九月

廿 九日

」に

「参

」っ たの は何 らか の物 品、 岸田 逆 た

ちは その 物品 配送 の責 任者 と目 され る(

「岸 田逆

」の 上の 判読 不 能の 三文 字も 人名 か)

。 ただ し、 文面 から は逆 たち が九 月二 九日 にい ずこ かへ 参上 した こと の記 録の 可能 性も 捨て がた い。 その 場合 は、 元は 今よ り大 き な材 に日 にち ごと の参 向者 を書 き記 した 帳簿 のよ うな もの であ り、 それ を二 次的 に付 札の かた ちに 加工

・整 形し たと 想定 され る。 いず れに せよ

、「 参」 の字 が「 まい る」 の意 味で 使わ れて いる こ とは 確か であ る。 なお

、「 散位

」は 位階 だけ 持っ てい て官 職に つ

いて いな い者 のこ と。 は参 河国 幡豆 郡の 篠島

(今 の愛 知県 南知 多町 篠島

)か ら御 贄

54 5454 54 とし て貢 進さ れた 赤魚 の荷 札。 赤魚 はア コウ ダイ

・カ サゴ

・ウ グ

イな どの 可能 性が 考え られ るが

、詳 細は 不明

。参 河国 幡豆 郡か ら の贄 は通 常「 斤」 とい う重 さの 単位 で表 示さ れる こと が多 く、 こ

の木 簡の よう に「 籠」 で数 えら れる もの は珍 しい

荷札 木簡 の物 品の 数量 は、 一般 的に は通 常の 漢数 字(

「三

」な ど) で書 くが

、こ の木 簡の 場合 は字 画の 多い

「参

」を 用い てい る。 これ は、 改ざ んを 防ぐ ため にわ ざと 複雑 な字 体の 文字 を使 用す る もの で、 大字 と呼 ばれ る。 壹、 貳、 参、 肆、 伍、 陸、 域、 捌、 玖、 拾、 佰、

(8)

仟、 萬な どが ある

「檸 檸 檸 檸」

」と と と と「

「「 呻呻 呻呻

」」

」」 の の の の使 使 使 使い い い い分 分 分 分け け け け ここ で注 目し たい のは

、そ れぞ れの 木簡 にみ える

「参

」の 文字 の形 であ る。

「参

」(

「參

」) とい う漢 字に は、 日本 語の

「ま いる

」 と「 みっ つ」

、二 つの 意味 があ る。 奈良 時代 にも

「み っつ

」の 意 味の とき は簡 単な

「三

」を 使う のが 普通 だっ たが

、今 でも 領収 書 など の数 字に はわ ざわ ざ難 しい

「参

」を 書く こと があ るよ うに

、 昔も 特別 な場 合に は字 画の 多い

「参

」を 使う こと がよ くあ った

(た だし

のよ うに 荷札 で用 いら れる のは 珍し い)

。 545454 54 とこ ろが

、木 簡や 正倉 院文 書な ど、 生の 史料 に書 かれ た「 参」 の字 形を よく 観察 する と、 下半 部を

「彡

」と 書く もの はひ とつ も なく

、あ るの は「 龝」 と「 三」 の二 通り のみ であ る。 しか も、 今 では

「ま いる

」と

「み っつ

」の どち らの 意味 でも 同じ

「参

」を 用 いる けれ ど、 万葉 びと は意 識し て、 意味 によ り字 形を 使い 分け て いた らし いこ とが わか って きた

。( 桑原 祐子

『正 倉院 文書 の国 語 学的 研究

』思 文閣 出版

、二

〇〇 五年

) の「 参」 は下 半が

「龝

」、

は下 半が

「三

」の 字形 で書 かれ 53 53 53 53

5454 5454 てい る。 これ は の「 参」 が「 まい る」 の意 味で ある のに 対し

、 53 53 53 53 は数 字で ある こと によ る。 奈良 時代 の初 めに 少し 例外 があ るだ 5454 5454 けで

、特 に七 三〇 年代 以降

、こ の使 い分 けは ほぼ 完璧 に守 られ て いる

(そ の背 景に は大 字を 用い る地 方財 政の 決算 報告 書、 正 税 帳

の書 式整 備が ある らし い)

。 こう なる と「 檸」 と「 呻」 は、 字形 の違 いと いう より も、 互い に 意味 の異 なる 別の 文字 の関 係に あっ たと みた 方が いい かも 知れ な い。 ちな みに

は、

「参 籠」 の「 参」 が数 字で ある こと はも ちろ ん 54 54 54 54 だが

、「 参河

」の

「参

」も

、今 では 一般 に「 三河

」と 書か れる よ うに 数字 の意 味で あり

、同 じ字 形で 書か れて いる

ⅣⅣⅣⅣ 木 簡 木 簡 木 簡 木 簡 か ら か ら か ら か ら 万 葉 歌 万 葉 歌 万 葉 歌 万 葉 歌 を の ぞ く と を の ぞ く と を の ぞ く と を の ぞ く と

(前 略)

我 が 毛 ら は み 筆 は や し 我 が 皮 は み 箱 の 皮 に

我 が 肉 は み 膾 は や し 我 が 肝 も み 膾 は や し

我 が み げ は み 塩 の は や し

(後 略) 吾毛 等者

御筆 波夜 斯 吾皮 者 御箱 皮尓

吾完 者 御奈 麻須 波夜 志 吾伎 毛母

御奈 麻須 波夜 之 吾美 義波

御塩 乃波 夜之

(巻 一六 ー三 八八 五)

(・・・私の毛は筆の材料、私の皮は箱の材料、私の肉

は膾の材料、私の肝も膾の材料、私のミノ(胃)は塩

辛の材料・・・)

芸能 者が 家々 の門 で歌 う「 門付 け」 の一 節。 猟で 殺さ れそ うに なっ

た鹿 の言 葉。 鹿の 利用 を具 体的 に述 べる

。鹿 は食 材と いう 側面 も含 め 利用 価値 が高 かっ た。 鹿

鹿 鹿 鹿の の の の干 肉干 肉干 肉干 肉の の のの 付札 付札 付札 付札 11 11

(SE 四七 七〇 出土

。京

― ) 656565 65

1 86

鹿 干 宍

鹿 鹿 鹿 鹿の の の の干 肉干 肉干 肉干 肉の の の の付 札付 札付 札付 札2 2 2 2

(SD 五二

〇〇 出土

。宮

― ) 666666 66

3 3174

鹿 宍 一 斗 二 升

「鹿宍

」の 付札

。「宍

」は 肉の こと

。貢 進者 の情 報な どが 記さ れ

てい ない こと から

、荷 物に つけ られ た荷 札で はな く、 届い た物 品 を管 理す るた めの 札と 考え られ る。

の「 干宍

」は 干し 肉の こと

65 65 65 65

(9)

は宍 とし か書 かれ てい ない が、 こち らも 干し 肉で あろ う。 ただ 666666 し66

、万 葉歌 によ れば 鹿肉 は膾

にさ れる こと もあ った よう なの で、

干し 肉と 明記 され ない

は膾 用の 生肉 の可 能性 もあ る。 66 66 66 66 万葉 歌に よる と、 鹿は 肉の みで なく 内臓 も食 用と して 利用 され てい たら しい

。平 城宮 では

「鹿 宍〈 在五 蔵〉

」と 記さ れた 木簡 も 出土 して いる

(宮

)。 これ 自体 は『 延喜 式』 など に規 定さ

3 3565 れる 釈奠

(孔 子を 祀る 儀式

)で 使用 され る犠 牲( いけ にえ

)用 の

鹿の 可能 性が 想定 され てい るが

、干 し肉 のみ でな く、 内臓 付き の鹿 肉も ある 程度 流通 しう る状 況に あっ たこ とは 注目 にあ たい する

。 阿波 国 阿波 国 阿波 国 阿波 国か らの から の から の から の鹿 鹿鹿 鹿の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札

(SD 四七 五〇 出土

。京

― ) 67 67 67 67

1 445

〔 鹿 薦 ヵ 〕

阿 波 国 贄 □ □ □

阿波 国( 今の 徳島 県) から の贄 の荷 札。 現状 では 墨痕 はき わめ て不 明瞭 であ るが

、お そら く「 鹿薦

」は

「鹿 薦纏

」と 思わ れる

贄と ある ため

、食 用品 であ るこ とは 間違 いな いが

、詳 細は 不明

。 鹿肉 を薦

(マ コモ やワ ラで あら く織 った 筵

)で くる んだ もの で

あろ うか

ひ さ か た の 雨 も 降 ら ぬ か

蓮 葉 に 溜 ま れ る 水 の 玉 に 似 た る 見 む

久堅 之 雨毛 落奴 可 蓮荷 尓 停在 水乃

玉似 有将 見

(巻 一六 ー三 八三 七)

(雨が降らないかなあ。蓮の葉に水が溜まって、玉のよ

うに見えるのが見たい。)

兵衛 府で の宴 席で

、料 理が 盛り つけ てあ った 蓮葉 を題 材に

、兵 衛が

即興 で詠 んだ 歌。 蓮葉 や兵 衛は

、木 簡で もお なじ みの 顔ぶ れで ある

。 片岡

片岡 片岡 片岡 の の の の所 領所 領所 領所 領か らか らか らか ら届 届 届届 けら れた けら れた けら れた けら れた 蓮 蓮 蓮 蓮の の の の葉 葉 葉葉 の の の の送 送 送 送り り りり 状 状 状 状1 1 1 1 686868 68

(SD 四七 五〇 出土

。城

― 上) 21 9 (表)

片 岡 進 上 蓮 葉 卅 枚 持 人 都 夫 良 女 о

(裏)

御 薗 作 人 功 事 急 々 受 給 六 月 二 日 真 人 о

片岡 片岡片 片岡 岡の のの の所 所領 領所 所領 領か から らか から ら届 届届 届け られ た けら れた けら れた けら れた 蓮 蓮蓮 蓮の のの の葉 葉葉 葉の のの の送 送送 送り りり り状 状状 状2 22 2 6969 6969

(SD 四七 五〇 出土

。京

― ) 1 176

持 人

(表)

о 片 岡 進 上 蓮 葉 矢 枚 о

都 夫 良

(裏)

о 女 六 月 廿 四 日 真 人 о

長屋 王家 木簡 の一 つで

、片 岡か ら蓮 葉を 進上 した 際の 木簡

。片 岡は

、現 在の 奈良 県北 葛城 郡王 寺町 から 香芝 市に かけ ての 地を 指 す地 名。 片岡 には

、長 屋王 家の 領地 があ った

。片 岡周 辺に は聖 徳

(10)

太子 建立 とさ れる 般若 寺( 片岡 尼寺

)や 片岡 王寺 など があ り、 般

若寺 境内 から 長屋 王宅 と同 じ型 式の 軒丸 瓦 が出 土し てい るこ と

も、 木簡 を考 える 上で 手が かり とな る(

『平 城京 左京 二条 二坊

・ 三条 二坊 発掘 調査 報告 書』

(奈 良県 教育 委員 会、 一九 九五 年)

)。 この 二点 の木 簡で は、 片岡 から 平城 京の 長屋 王邸 まで

「都夫 良女

」と いう 女性 が蓮 の葉 を運 んで いる

。「 真人

」は おそ ら

く道 守真 人で

、片 岡の 長屋 王家 所領 の管 理担 当者 だっ たら しい

片岡 から はジ ュン サイ も進 上し てお り、 領地 の中 に沼 沢地 も含 ん でい たよ うで ある

。 一回 に運 んで いる 蓮の 葉の 枚数 は三

〇枚 と四

〇枚

。長 屋王 邸の 宴会 一回 で利 用す る枚 数と して

、こ の程 度が 標準 的だ った のだ ろ う。 二条 大路 出土 木簡 には

、蓮 葉を 二〇

〇枚 進上 した とい う例 が あり

、宴 会の 規模 によ って 必要 な蓮 葉の 枚数 も異 なっ てい た。 兵部 省 兵部 省 兵部 省 兵部 省か らの から の から の から の兵 衛兵 衛兵 衛兵 衛の の の の呼 呼 呼呼 び び び び出 出 出 出し し しし 状 状 状 状

(SD 五一

〇〇 出土

。城

― 下) 70 70 70 70

22 8

左 兵 衛 出 雲 佐 為 麻 呂

(表)

兵 部 省 召 出 雲 浄 麻 呂 右 今 日 不 過 参 向 省 家

江 野 麻 呂

付 □ 村 安 万 呂

(裏)

天 平 八 年 十 一 月 廿 八 日 大 録 田 辺 史 真 立

武官 の人 事や 兵士

・兵 器の 管理 を司 る兵 部省 が、 左兵 衛府 の兵

衛三 人に 当日 中に 本庁 に来 るよ う命 令し てい る召 文の 木簡

。二 条

大路 木簡

。当 時の 兵部 卿( 長官

)は 藤原 麻呂

。呼 び出 され た兵

衛た ちは

、皇 后宮 の警 備に あた って いた ので あろ う。

召文 は呼 ばれ た人 がそ の木 簡を 持参 する 例が 多い とさ れる が、 この 木簡 の場 合、 呼ば れた 人が いた 付近 で廃 棄し てい る可 能性 が ある

。兵 衛達 は、 首都 防衛

・警 護部 隊の 主力 であ る。 休日 でも

、 遠出 は原 則禁 止で あり

、ま た時 には 呼び 出し を受 けて

、あ わて て

出勤 した りと

、楽 しい ばか りで はな かっ たか らこ そ、 宴会 とい う もの を余 計に 楽し んで いた のか もし れな い。 宮殿 宮殿宮 宮殿 殿を をを を守 守守 守る るる る兵 兵衛 衛兵 兵衛 衛た ちが たち が たち が たち が記 記記 記さ れた され た され た され た木 木簡 簡木 木簡 簡*

**

* (SK 八二

〇出 土。 宮

― ) 7171 7171

1 91

〔戸

〕 磯 宗我 八尸 河内 養徳 (表)

北 炬 兵 衛

石前 錦部 道守 枝井 田部 若麻 (裏)

合 十 二 人

尾張

北炬 門の 警備 にあ たる 兵衛 名を 列記 した 木簡

。S K八 二〇 出土 木簡

。北 炬門 は内 裏北 側に 開い た門 のう ち、 夜間 もか がり 火を 焚 いて 開け て管 理し てい た門

。こ のS K八 二〇 から は、 この 木簡 同 様に

、門 名の 下に 人名 が列 挙さ れた 木簡 が多 く出 土し てお り、

「西 宮兵 衛木 簡」 と通 称さ れて いる

。西 宮兵 衛木 簡は

、そ れぞ れの 門 の守 衛に あた る兵 衛に 関す る日 々の 記録 であ り、 当番 の日 の食 料 を請 求す るた めの もの でも ある

。 西宮 兵衛 木簡 には いず れも 年紀 はな いが

、他 と同 じく 天平 末年 のも のと 推定 され る。 人名 中、

「八 尸」 は八 戸、

「枝 井」 は榎 井

・朴 井か

。 兵衛 達は 夜と なく

、昼 とな く、 平城 宮の 治安 と、 天皇 の安 全を 守っ てい た。

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