平城 宮跡 資料 館 秋期 企画 展
地 下 地 下 地 下 地 下 のののの 正 倉 院 展 正 倉 院 展 正 倉 院 展 正 倉 院 展 コ ト バ コ ト バ コ ト バ コ ト バ とととと 木 簡 木 簡 木 簡 木 簡
展示期間一期
二〇 一一 年一
〇月 一八 日(火 )―一
〇月 三〇 日(日 )
二期
一一 月 一日 (火)―
一一 月一 三日 (日)
三期
一一 月一 五日 (火)―
一一 月二 七日 (日)
ⅠⅠⅠⅠ 全 国 全 国 全 国 全 国 にににに 広広広広 が る が る が る が る 文 字 文 字 文 字 文 字
陸奥 国関 連 陸奥 国関 連 陸奥 国関 連 陸奥 国関 連の のの の役 役職 職役 役職 職を をを を免 免免 免じ るこ とに じる こと に じる こと に じる こと に関 関関 関す する るす する る木 木簡 簡木 木簡 簡 33 33
(SD 四一
〇〇 出土
。『 平城 宮木 簡』 5―
、以 下、 宮5
― と略 す) 6360
6360
免 陸 奥 国
〇九 一型 式 陸奥 国に 関わ る何 らか の役 職を 解任 した こと に関 わる 木簡
(削
む つ
屑)
。詳 細は わか らな いが
、国 司の 四等 官( 守・ 介・ 掾・ 目)
し とう か ん
かみ
すけ
じょ う さか ん
であ れば
「陸 奥守
」の よう に記 し「 国」 は不 要な ので
、史 生な ど
む つの かみ
しし ょう
四等 官よ りも 下の 役人 か、 ある いは 郡司 の任 免に 関わ る可 能性 が 高い 郡 。 司は
、地 元の 有力 者か ら任 命さ れる が、 その 人事 は都 で決 定 され た。 また
、任 命時 には 都で 試験 を受 ける 必要 があ るな ど、 平 城京 とさ まざ まな 往来 があ った
。陸 奥国 から も、 多く の人 々が 都 と往 来し
、人 事に 一喜 一憂 して いた こと だろ う。
女官 女官女 女官 官が がが が命 命令 令命 命令 令を をを を伝 伝伝 伝え たこ とを えた こと を えた こと を えた こと を記 記記 記す すす す木 木簡 簡木 木簡 簡3 33 3*
**
***((((** は重 要文 化財 ))))
6 66 6
(SK 八二
〇出 土。 宮1
― 83)
〔 婦 ヵ 〕
□ 宣
〔田部ヵ〕□ □ □ □
〇九 一型 式 女官 を通 じて 命令 が伝 えら れた こと を記 した 木簡
(削 屑)
。「 婦」 はお そら く「 命婦
」の 二文 字目 であ ろう
。女 官が 口頭 で伝 えた 命
みよ うぶ
令が
、木 簡に 文字 とし て書 きと めら れて 伝達 され
、実 現さ れて い った
。音 声が 文字 とし て定 着し た瞬 間の 木簡 であ る。
ⅡⅡⅡⅡ コ ト バ コ ト バ コ ト バ コ ト バ をををを 漢 字 漢 字 漢 字 漢 字 でででで
物品 物品物 物品 品の のの の進 進上 上進 進上 上を をを を日 本語 日本 語 日本 語 日本 語の のの の語 語順 順語 語順 順を をを を用 用用 用い いて てい いて て書 書書 書い いた たい いた た木 木簡 簡木 木簡 簡 1313 1313
(SD 四七 五〇 出土
。『 平城 京木 簡』
―
、以 下、 京
― と略 す) 2 1705
2 1705 (表)
о 移 司 所 米 无 故 急 々 進 上 又 滑 海 о
附 辛 男
(裏)
о 藻 一 駄 進 上 急 々 十 五 日 家 扶 о
家 令
長さ 二九 九㎜
・幅 三二
㎜・ 厚さ 四㎜
〇一 一型 式
長屋 王家 木簡
。米 と滑 海藻
(海 藻の 一種
)を 至急 進上 する よう
あ ら め
命じ る家 政機 関か らの 移。
「移
」は
、上 下関 係に ない 役所 の間 で
か せ い き か ん
用い られ る文 書形 式。 至急 進上 して もら いた い理 由が
「米 无( 無) 故」 の部 分に 表さ れて いる
。こ こは
「米 无き が故 に」 と読 み、
「米 が無 いの で」 と
な
ゆゑ
いう 意味 にと れる
。そ の語 順に 注目 する と、
「无
」字 は、 中国 語 では
「米
」字 の前 にな るは ずで ある が、 日本 語の 語順 その まま に 三文 字を 連ね てい る。
「故
」字 につ いて も、 中国 語で は、 文頭 で 理由 を表 す接 続詞 とし て用 いら れる のが 一般 的で ある が、
「故
」 字が
《理 由》 を表 すと いう こと に起 因し て、 文頭 の接 続詞 とし て では なく
、日 本語 の理 由を 表す こと ばと して 利用 し、 因果 関係 を 前後 に綴 った もの とみ られ る。
「~ 故に
」と いう 表現 は、 宣命 体
せん みょ うた い
(日 本語 の語 順の まま に漢 字を つら ね、 さら に音 をあ てた 万葉 仮名
まん よう が な
も混 ぜて
「テ ニヲ ハ」 など の付 属語 まで 表記 する 方法
)で 書か れ る宣 命に もみ られ る。 日本 語の 文の 作り 方の 特徴 をよ くあ らわ し てい る。 築地 塀 築地 塀 築地 塀 築地 塀を をを を修 修理 理修 修理 理す する るす する る職 職人 人職 職人 人へ への のへ への の米 支給 米支 給 米支 給 米支 給の のの の伝 票木 簡 伝票 木簡 伝票 木簡 伝票 木簡 14 14 14 14
(SD 四七 五〇 出土
。『 平城 宮発 掘調 査出 土木 簡概 報』
、 頁下 段。 21 22 以下
、城
― 下と 略す ) 21 22
御 垣 塞 廝 三 人 米 三 升 受 手 子 十 二 月 廿 二 日 甥 万 呂 о
長さ 二二 五㎜
・幅 三三
㎜・ 厚さ 二㎜
〇一 一型 式 長屋 王家 木簡
。長 屋王 邸の 四周 には 築地 塀が めぐ って いて
、そ
つ い じべ い
の修 理を 担当 した
「御 垣塞
」の 職人 の「 廝
」( 飯炊 き役
)へ の
みか きふ さぎ
かし わで
米支 給の 伝票 木簡
。一 人あ たり の支 給量 は一 升で
、今 の約 四合
、 米約 六〇
〇グ ラム に相 当す る。 手子 は、 同じ く長 屋王 家木 簡で 勤
て こ
務評 定の 木簡 の削 屑に
「… 部手 子」 とみ え( 京2
―
)、 三三 歳 2097 で姓 をも つこ とが わか るの で、 奴婢 では なく 長屋 王邸 に勤 務す る 帳 内( 従者
)の 可能 性が ある
。
ちょ うな い
この 役名 は「 御垣 塞廝
」で ある が、
「塞
」の 語順 に注 目す ると
、 中国 語で あれ ば「 塞」 を前 にし て「 塞御 垣廝
」と 書く べき とこ ろ
を、 日本 語で 読む とお りの 順序 で「 塞」 を後 ろに 書い てい る。 中 国語 では なく
、日 本語 とし て書 いて いる こと がよ くわ かる
。築 地 塀の 修理 担当 の役 名と して
「ミ カキ フサ ギ」 と呼 ばれ てい たの を その まま の語 順で 反映 して いる のか もし れな い。 くじ びき の くじ びき の くじ びき の くじ びき の木 簡木 簡木 簡木 簡
(SE 四七 七〇 出土
。京 1― ) 1515 1515
88
此 取 人 者 逃 女 成
長さ 一四
〇㎜
・幅 一九
㎜・ 厚さ 三㎜
〇一 一型 式 長屋 王邸 内の 井戸 から 見つ かっ たく じび き札 とみ られ る木 簡。 日本 語の 語順 で漢 字が 連ね られ
、「 此を 取る 人は 逃げ る女 と成 る」 と日 本語 を読 むと おり に読 める
。単 語や 文の 一部 分だ けで はな く、 文全 体に わた って 表し たい 意味 に該 当す る漢 字を 連ね てい る例 と して 注目 され る。
「此取 人者
」に つづ く後 半部 分を
「御 六世 相」
(弥 勒〈 御六
〉の
み ろ く
世に あう
〈生 まれ 変わ るの 意味 か〉
、京 1―
)や
「盗 人妻 成」
(ぬ 89 すび との 妻と なる
)、 京1
―
)と する 木簡 も一 緒に 見つ かっ て 90 おり
、く じび き札 と考 えら れて いる
。( 東野 治之
『日 本古 代史 料 学』 岩波 書店
、二
〇〇 五年
)
「「「
「叙 叙叙 叙」
」」
」な どの など の など の など の文 文字 字文 文字 字を をを を記 記記 記し した たし した た習 書木 簡 習書 木簡 習書 木簡 習書 木簡
*
**
*(S
K八 二〇 出土
。宮 1― ) 2020 2020
546
□ 叙 叙 叙 叙
(表)
叙 叙 叙 叙 叙 叙 叙 叙
信 信 信 信 信 □
(裏)
請 □ 信 □ 信
長さ 一〇 八㎜
・幅 三〇
㎜・ 厚さ 三㎜
〇一 一型 式 習書 木簡
。表 面に 二行 にわ たっ て「 叙」 を、 裏面 には
「信
」「請
」 など を書 き連 ねる
。
「叙」 の偏 は、 雁垂 に「 未」 のよ うな 字形 で書 かれ る。 旁も
「又
」 だけ でな く、 一点 加え て「 叉」 と書 くも のも 見ら れる
。裏 面の
「信」
もあ まり バラ ンス のよ くな い字 形で
、一 行目 の最 後は 書き さし の まま 塗り つぶ して いる
。二 行目 は「 信」 の旁 であ る「 言」 を意 識 して いて
、ま ず一 文字 目に
「言
」を 偏に もつ
「請
」を 書く
。二 文 字目 は「 言」 の二 画目 を「 乙」 のよ うに 伸ば す。 ある いは
「気
」 を意 識し たも のか
。三
・五 文字 目の
(四 文字 目も
「信
」の 可能 性 が高 い) 旁の
「言
」も
、二 文字 目と 縦に 揃う 位置 に書 かれ てお り、 人偏 を後 から 書い たと 見ら れな くも ない
。字 形や 字配 りに も書 き 手の 思考 過程 や個 性が 見え 隠れ し、 さま ざま な想 像を 膨ら ませ る。
「叙」 は役 人に とっ ては 切実 な文 字だ った はず だが
、習 書木 簡 には ほと んど 見ら れな い。
「信
」も あま り書 かれ ない 文字 で、 言 偏か らの 連想 であ ろう か。 なお
、同 じS K八 二〇 から は、
「叙
」 と「 信」 が共 存す る習 書木 簡が 見つ かっ てい る( 宮
―
)。 同 1 605 じ書 き手 によ るか
、あ るい は何 らか の出 典が ある のか も知 れな い。 なお
、「 叙」 の右 側が 切れ てい るよ うに 見え るが
、上 下両 端の 角を 落と すな どの 加工 があ るこ と、 上端 の加 工部 分に 墨痕 が残 る こと
、
「又
」を 狭い 部分 に無 理に 書き 込ん でい る文 字が ある こと (第 一行 五文 字目
)な どか らみ ると
、手 近に あっ た端 材を 利用 した も ので
、習 書し た後 に右 端を 加工 した もの では ない だろ う。 言偏 言偏 言偏 言偏 のの のの 文字 文字 文字 文字 など を など を など を など を記 記 記 記し たし たし たし た習 書木 簡 習書 木簡 習書 木簡 習書 木簡
(SD 四一
〇〇 出土
。宮
― ) 21 21 21 21
4 4688
□ □ □ □
(表)
青 青 青 秦 秦 秦 謹 謹 申
謹 論 語 諫 尋 計 課 辱 謂 虫 誰
(裏)
□ □
長さ (二三 五)㎜
・幅 (二九 )㎜・ 厚さ 五㎜
〇一 一型 式 主に 言偏 の文 字を 書き 連ね た習 書木 簡。 偏を 固定 し、 旁を 次々 に変 えて いく
。ど ちら の面 から 書い たか は定 かで ない が、
「謹
」 の続 き方 から 表裏 を判 断し てい る。 書か れて いる 文字 から 推測 する と、 秦某 とい う人 が何 かを 請求 する 文書 木簡 を念 頭に 置い て書 いた もの だろ うか
。そ の内 容が
「謹
申」 で一 段落 し、 役人 であ れば 文書 作成 でお 馴染 みだ った
「謹」 の文 字を 裏面 冒頭 に書 いた あと
、言 偏の 文字 へと 次々 に連 想を 働 かせ てい った のだ ろう
。「 論語
」は
、習 書木 簡に しば しば 登場 し、
「千字 文」 とと もに
、役 人が 文字 の練 習を する 際に 身近 に置 いて
せ ん じ もん
参照 した と思 われ る文 献で ある
。偏 と旁 のバ ラン スが 悪い 文字 も ある ので
、言 偏だ け先 に書 いて おい たの かも 知れ ない
。四 文字 目 以下 の文 字を どの よう に連 想し てい った のか を想 像し てみ るの も 楽し い。 漢字 とし て意 味の わか らな い文 字も ある ので
、偏 と旁 の 組み 合わ せの 文字 遊び の趣 もあ る。 木簡 木簡木 木簡 簡を よむ をよ む をよ む をよ む 木簡 木簡木 木簡 簡を よむ をよ む をよ む をよ む 習書 文字 ラン キン グ や のよ うに
、習 書木 簡に は、 さま ざま な文 字を 練習 した あと が 20 2020 20 21 2121 21 のこ って いる
。全 国か ら見 つか った 木簡 を含 め、 どの 文字 が習 書さ れ たか を調 べた のが
、左 の表
。第 一位 は、
「大
」の 字、 次い で「 人」 とな って いる
。左 右の 払い を練 習し たの だろ うか
。習 書に は、 練習 だか ら とい って 意味 もな く漫 然と 機械 的に 書い てい るば かり では なく
、似 た 文字 や同 じ部 分を 持つ 文字 など 連想 しな がら 書い てい るも のも ある
。 書き 手の 心理 やつ ぶや きを 読み 取る 格好 の素 材だ
。(
表は
、渡 辺晃 宏「日 本古 代の 習書 木簡 と下 級官 人の 漢字 教育
」『 漢字 文化 三千 年』
(臨 川書 店、 二〇
〇九 年) より
。)
犬 犬犬 犬へ へへ へ支 支給 給支 支給 給す する るす する る米 米米 米を をを を「
「「
「瘡 瘡男 男瘡 瘡男 男」
」」
」に にに に渡 渡渡 渡し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡 26 26 26 26
(SE 四七 七〇 出土
。京
― ) 1 65 (表)
犬 六 頭 料 飯 六 升 瘡 男
(裏)
六 月 一 日 麻 呂
長さ 一六 五㎜
・幅 二三
㎜・ 厚さ 五㎜
〇一 一型 式
犬 犬犬 犬へ へへ へ支 支給 給支 支給 給す する るす する る米 米米 米を をを を「
「「
「加 佐乎 加佐 乎 加佐 乎 加佐 乎」
」」
」に にに に渡 渡渡 渡し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡 27 2727 27
(SE 四七 七〇 出土
。京
― ) 1 66
受 加 佐 乎
(表)
о 又 犬 四 頭 飯 八 升
(裏)
□ 月 廿 七 日 о
長さ (一七 五)㎜
・幅 二五
㎜・ 厚さ 三㎜
〇一 九型 式 とも に長 屋王 家木 簡で
、類 似の 内容 をも つ。
は犬 六頭 分の 飯 26 26 26 26 六升
(一 頭あ たり 一升
)を
「瘡 男」 に、
は犬 四頭 分の 飯八 升( 同 27 27 27 27 じく 二升
)を
「加 佐乎
」に
、そ れぞ れ支 給し たこ とを 記録 して い る。 一頭 あた りの 支給 量が 異な るの は、 犬の 体格
(種 類) の違 い によ るの か、 それ とも 複数 日分 をま とめ て支 給し てい るの であ ろ うか
。当 時の 一升 は、 今の 約四 合、 米約 六〇
〇グ ラム に相 当す る。 飯を 受け 取っ てい る「 瘡男
」と
「加 佐乎
」は
、お そら く同 一人 物。 とも に「 カサ ヲ」 と読 むの であ ろう
。 は漢 字の 意味 を利 用 26 2626 26 した 表記 であ り、 これ に対 して
はい わゆ る万 葉仮 名表 記、
《加
まん よう が な
2727 2727
=カ
》《 佐= サ》
《乎
=ヲ
》と なる
。 だけ では 必ず しも 読み 方を 26 2626 26 決め がた いが
、 があ るこ とに より
、「 カサ ヲ」 とほ ぼ断 定し う 27 27 27 27 る。 なお
につ いて は、 全体 の書 風と
、裏 面の 支給 担当 者「 麻呂
」 2626 2626 の表 記も 見の がせ ない
。流 れる よう な行 書風 の筆 づか いは
にも 36 36 36 36 通じ
、こ の木 簡が 日常 的な 業務 のな かで 使わ れた こと を物 語る
。 また
、通 常「 麻呂
」の
「呂
」は 比較 的は っき りと 書か れる こと が 多く
、こ こま で簡 略化 され るの は珍 しい
( 参照
)。 これ も全 体 474747 47 の書 風に よる ので あろ う。
万葉 仮名 万葉 仮名 万葉 仮名 万葉 仮名 で でで で「
「「
「ツ クヨ ヨミ ウカ レ ツク ヨヨ ミウ カレ ツク ヨヨ ミウ カレ ツク ヨヨ ミウ カレ
」」」
」と とと と記 記記 記し した たし した た木 木簡 簡木 木簡 簡*
**
* 3030 3030
(SK 八二
〇出 土。 宮
― ) 1 79
津 玖 余 々 美 宇 我 礼 □ □ □ □ □
〔 解 ヵ 〕
故 森 □ 由 由 我 礼 由 由 男
(表)
所
謹 解 川 口 関 務 所 本 土 返 沁 夫 人 事 伊 勢 国
□ 夫 人 男
故 漢 □ 解 解 解 務 都 本 善 礼 我 還 事 事
〔 尊 ヵ 〕
□ □ 白 大 郎 尊 者 借 銭 請 □ 右 取 □ □ 下
〔 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 〕
□ □ □ □ □ □ □ □
未 未 未 未 未
皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 皇 讃 讃 讃 讃 讃 讃
(裏)
雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 雁 寒 雁 雁 雁 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 □ □
未 未 未 未 □
遠 量 疏 疏 応 未 未 反 反 其 労 結 結 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 啀 苞 □
未 未 未 未 未
〔 疏 ヵ 〕
□ 書 □ □ □ 未 之 □ □
長さ (三四 九)㎜
・幅 (六四 )㎜・ 厚さ 八㎜
〇一 九型 式
数度 にわ たっ てさ まざ まな 事が らが 書き 込ま れた 木簡
。表 面中 央に
「謹 解 川口 関務 所」 など とあ り、 元は 過所
(パ スポ ート
) に関 わる 木簡 であ った と思 われ る。 伊勢 国の 川口 関の 務所
(役 所)
い せ
へ、 本国 に帰 る「 夫人
」の こと を伝 えて いる
(「 夫人
」は 諸国 か
ぶ に ん
ら徴 集さ れた 人夫
〔労 働者
〕の こと か)
。川 口関 は三 重県 津市 白
に ん ぷ
山町 近辺 に所 在し たと 推定 され
、大 和国 から 桜井
・名 張を へて 伊
や ま と
な ば り
勢国 に通 ずる 重要 な交 通路 に置 かれ た関 所で あっ た。 この 木簡 の一 番の 見ど ころ は、 表面 右端 の「 津玖 余々 美宇 我礼
」 の部 分。 意味 不明 の文 字の 羅列 にみ える が、 これ は一 字一 音の い
ら れ つ
わゆ る万 葉仮 名表 記で ある
。「 ツク ヨヨ ミウ カレ
」と 読み
、お そ
ま ん よ う が な
らく
「月 夜好 み、 浮か れ」 とい う意 味で あろ う。 五文 字で 区切 れ
つ く よ よ
るこ と、 木簡 の上 端が 破損 して いな いこ とか ら、 歌の 冒頭 部分 と 思わ れる
。『 万葉 集』 には 初句 に「 月夜 好み
」を 持つ 歌が いく つ かあ る( 巻一
〇― 一九 四三
、巻 一一
―二 六一 八、 巻一 二― 三〇
〇 六)
。ロ マン チッ クな 月夜 の光 景を 思う と恋 の歌 かと 想像 され る が、
「浮 かれ
」の 語か らは 月見 の宴 も連 想さ れる
(『 万葉 集』 巻四
―五 七一 は「 月夜 よし
」で はじ まり 遊 興を 詠う
)。
「テ ニヲ ハ」
ゆう きょ う
まで を表 現し
、歌 の味 わい をス トレ ート に伝 えら れる こと が、 万 葉仮 名で 書く 一番 のメ リッ トと いえ る。 表面 左端 の「 白太 郎尊 者」
「借 銭請
」な どの 語は
、借 金請 求の 文言
。請 求相 手に
「尊 者」 と敬 称を つけ るあ たり 切実 さを 漂わ
ただ よ
せる が、 これ は書 状で よく 使う フレ ーズ を習
書( 練習
)し たも
しゅ うし ょ
ので あろ う。 一方
、裏 面の
「皇
」「 讃」
「雁
」な どは 一文 字ご との 習書 であ る。 熱心 で勤 勉な 姿勢 がか えっ て、 文字 を自 在に 使い こ なせ るよ うに なる まで の苦 労を 物語 る。
ⅢⅢⅢⅢ 文 字 文 字 文 字 文 字 の す が た か た ち の す が た か た ち の す が た か た ち の す が た か た ち
端正 端正 端正 端正 な な な な楷 書楷 書楷 書楷 書で で で で記 記 記 記し たし たし たし た人 事評 価 人事 評価 人事 評価 人事 評価 のの のの 木簡 木簡 木簡 木簡
(SD 四七 五〇 出土
。城
― 下) 3535 3535
21 28
年 五 十
无 位 上 毛 野 君 大 山 「 日 二 百 卅 」
紀 伊 国 一 東 郡
長さ 三〇 三㎜
・幅 二七
㎜・ 厚さ 八㎜
〇一 五型 式 長屋 王家 木簡 の一 つで
、役 人な どの 勤務 管理 のた めの 木簡
。奈 良時 代の 貴族 たち は、 家の 運営 のた めに 多く の人 々を 抱え
、家 政かせい 機関 と呼 ばれ る組 織を 編成 して いた
。上 毛野 君大 山も
、そ のよ う
き か ん
かみ つけ のき みお おや ま
な長 屋王 の家 政機 関で 働く 一人 であ り、 おそ らく
「帳
内」 と呼
ちょ うな い
ばれ る従 者で あっ ただ ろう
。 上部 側面 に孔 をあ け、 ここ に紐 を通 して 個人 カー ドと し、 必要
あな
ひも
に応 じて 並べ 替え て使 う独 特の 形態 の木 簡。 位階
・人 名・ 年令
・
い か い
本貫 地( 本籍 地) を書 いた 個人 カー ドに
、あ る年 の一 年間 の勤 務
ほ んが んち
日数 があ とか ら書 き込 まれ てい る。 家政 機関 の職 員や 従者 の勤 務 評定 は、 家政 機関 や従 者を 与え られ た本 人( 本主
)が 上・ 中・ 下 の三 段階 で行 うこ とに なっ てお り、 帳内 の場 合、 評価 を受 ける た めに は年 間二
〇〇 日以 上の 出勤 が必 要で あっ た。 この 年「 二百 卅」 (二三
〇) 日の 出勤 を果 たし た大 山は 問題 なく 評価 の対 象と なっ たで あろ うが
、は たし て彼 の成 績が 如何 ばか りで あっ たか
、詳
い か
つま び
らか でな い。 文字 のす がた は、 全体 とし てか っち りと した 楷書 で書 かれ てい る。 行書 風 行書 風 行書 風 行書 風の の の の文 字文 字文 字文 字で で で で記 記 記 記し たし たし たし た酒 司宛 酒司 宛 酒司 宛 酒司 宛の の の の手 紙手 紙手 紙手 紙の の の の木 簡木 簡木 簡木 簡 3636 3636
(SD 五三
〇〇 出土
。京
― ) 3 4554
侍 者
(表)
謹 酒 司 光 余 恩 奠 虚 返 謹 状
(裏)
味 糟 小 々 必 扱 幸 々 甚 々
長さ 二二
〇㎜
・幅 二二
㎜・ 厚さ 四㎜
〇一 一型 式
二条 大路 木簡 の一 つ。 藤原 麻呂
(不 比等 の四 男) 邸の
「酒 司」 (酒を 担当 する 部署
)に
、酒 糟を 請求 する 手紙 の木 簡で ある
。わ
さけ かす
ざわ ざ「 味い 糟」 を指 定し てい る。 表面 の「 光余 恩奠 虚返
」は
、
うま
「いた だい たご 恩を 虚し く返 すこ とに なっ てし まっ た」 とい うほ どの ニュ アン スで あろ う。 恐縮 した 姿勢 も、 ある いは 上等 品を 依 頼し てい るこ とに 関わ るの であ ろう か。
「侍 者」 は、 今日 の「 様」
じ し ゃ
や「 御中
」の よう に、 相手 に敬 意を あら わす 機能 をは たす
。細 字 で書 かれ るこ とが 多く
、脇 付と 呼ば れる
。
わき づけ
とは 対照 的に
、流 れる よう な行 書風 の筆 づか いで 書か れて い 353535 35 る。 奈良 時代 には 珍し い書 風で ある が、 紙媒 体の 状や 啓と いっ
じょ う
けい
た今 の手 紙に あた る文 書で は、 この よう に書 かれ るも のが 比較 的 多い とさ れて いる
。( 黒田 洋子
『正 倉院 の訓 読と 注釈
―啓
・書 状
―』
〔平 成十 九― 二一 年度 科学 研究 費補 助金 基盤 研究 ( )「正 倉 C 院文 書訓 読に よる 古代 言語 生活 の解 明」
〈研 究成 果報 告書
Ⅱ〉
(代 表 桑原 祐子
)〕 二〇 一〇 年) 相手 に自 分の 意思 を伝 える ため に、 文字 のす がた も大 切に され てい る。 参河 国 参河 国 参河 国 参河 国か らの から の から の から の荷 荷札 札荷 荷札 札*
**
*
(SK 八二
〇出 土。 宮
― ) 41 41 41 41
1 426 (表)
参 河 国 額 田 郡 新 木 郷 丸 部 五 月
(裏)
長さ 二一 七㎜
・幅 二三
㎜・ 厚さ 五㎜
〇五 一型 式
丹後 国 丹後 国 丹後 国 丹後 国か らの から の から の から の荷 荷札 札荷 荷札 札
(SD 三〇 三五 出土
。宮
― ) 42 42 42 42
2 2260
丹 後 国 熊 野 郡 田 村 郷 刑 部 夜 恵 五 斗
長さ 一七 四㎜
・幅 一九
㎜・ 厚さ 三㎜
〇三 二型 式 は参 河国 額田 郡新 木郷
(今 の愛 知県 岡崎 市仁 木町 付近
)か ら
み か わ
ぬ か た
に い き
4141 4141 の荷 札。 品目
・数 量は 明ら かで ない が、 木簡 の形 態か ら米 の荷 札 の可 能性 が高 い。 貢進 者は 丸部 五月
。
わ にべ のさ つき
は丹 後国 熊野 郡田 村郷
(今 の京 都府 京丹 後市 久美 浜町 付近
)
た ん ご
く ま の
た む ら
4242 4242
から の荷 札。
「五 斗」 とい う数 量か ら、 こち らも 米の 荷札 と思 わ れる
。貢 進者 は刑 部夜 恵。
おさ かべ の や え
・ は似 たよ うな 文言 であ りな がら
、そ れぞ れの
「国
」「 郡」 41 41 41 41 42 42 42 42
「郷」 の字 を見 比べ ると
、字 形が 異な って いる こと がわ かる
。こ れら の文 字は 荷札 木簡 など でよ く使 われ
、特 に種 類が 豊富 であ る が、 それ でも 当時 の人 びと には その 文字 だと 通じ てい たの だろ う。 また
、 の「 部」 は、 まる で片 仮名 の「 マ」 のよ うに なっ てい 41 41 41 41 る。 これ は「 部」 の旁
「樊
」を 大き く省 略し たも の。 古代 には
「部」
つく り
がつ く人 名が きわ めて 多く
、そ のた め木 簡な どで はこ のよ うに 簡 略に 書か れる こと が一 般的 であ った
。 の「 部」 も似 たよ うな 字形 であ るが
、縦 画が 左に 払わ れて お 42 4242 42 り、
「マ」 より もむ しろ
「ア
」に 近い
。「 部」 は、 七世 紀に は「 ア」 のよ うに 書か れる こと が多 いが
、八 世紀 にな ると しだ いに
「マ
」 に似 た字 形に 変化 し、 定着 して ゆく
。こ の木 簡は 八世 紀の もの で ある ため
、や や古 風な 書き ぶり が顔 をの ぞか せて いる
、と 言え る かも しれ ない
。
「
「「
「麻 麻呂 呂麻 麻呂 呂」
」」
」を をを を合 合合 合わ わせ せわ わせ せ字 字風 風字 字風 風に にに に記 記記 記し した たし した た但 馬国 但馬 国 但馬 国 但馬 国の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札 4747 4747
(SK 三二 六五 出土
。宮
― ) 2 2715
村 長 語 部 廣 麻 呂
但 馬 国 養 父 郡 老 左 郷 赤 米 五 斗
天 平 勝 寶 七 歳 五 月
長さ 二七 七㎜
・幅 二六
㎜・ 厚さ 六㎜
〇三 一型 式 但馬 国養 父郡 老左 郷( 今の 兵庫 県養 父市 八鹿 町付 近) から の赤
た じ ま
や ぶ
お さ
米の 荷札 の木 簡。 赤米 は赤 みが かっ た米 で、 悪条 件に つよ く、 野 性的 な品 種と され る。 納め たの は語
部廣 麻呂
、天 平勝 宝七 歳は
かた りべ のひ ろ ま ろ
七五 五年
。「 歳」 は「 年」 と同 義。 唐( 中国
)で 一時
「年
」の 代
さい
とう
わり に「 載」 の字 を使 って いた こと にな らい
、七 五五 年正 月か ら
さい
七五 七年 八月 まで の約 二年 半の み「 歳」 が用 いら れた
。 男性 名に 広く 使わ れた マロ は、
「麻 呂」
「万 呂」
「末 呂」
「萬 侶」 など さま ざま に表 記さ れる
。厳 密な 使い 分け はな いが
、し いて い えば
「麻 呂」 がフ ォー マル
、「 万呂
」が 日常 用と 見ら れる
。こ の
木簡 では
、「 麻呂
」二 文字 が密 着し
、ほ とん ど一 文字 とな って い る。
「麻 呂」 のよ うに よく 使う 語句 では しば しば この よう な現 象 がみ られ
、こ こか ら今 も使 われ る「 麿」 の字 が生 まれ た。 これ を 合字 とい う。 それ でも
、や や形 式張 った 文書 で使 われ るこ との 多い
「麻 呂」 は「 呂」 を比 較的 はっ きり 書く こと が多 いが
、「 万呂
」や
「末 呂」 の場 合、
「呂
」を きわ めて 簡略 に書 いた り、 記号 的に 書い たり も する
(一 期展 示
、二 期展 示 参照
)。 時に は全 く書 かな いこ と 43 43 43 43
45 45 45 45 もあ る。
「
「「
「戸 戸主 主戸 戸主 主」
」」
」を をを を合 合合 合わ わせ せわ わせ せ字 字風 風字 字風 風に にに に記 記記 記し した たし した た阿 波国 阿波 国 阿波 国 阿波 国の のの の白 白米 米白 白米 米の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札*
**
* 48 48 48 48
(SK 八二
〇出 土。 宮
― ) 1 419 (表)
阿 波 国 板 野 郡 井 隈 戸 主 波 多 部 足 人 戸
(裏)
秦 人 豊 日 白 米 五 斗
長さ 一六 八㎜
・幅 二〇
㎜・ 厚さ 七㎜
〇一 一型 式 阿波 国板 野郡 井隈 郷( 今の 徳島 県藍 住町
・鳴 門市 付近
)か らの
あ わ
い た の
いの くま
白米
(舂 米と もい う) の荷 札の 木簡
。「 郷」 の字 を書 き落 とし て
しょ うま い
いる
。「 五斗
」は 今の 二斗
、約 三六 キロ グラ ム。
「戸主
」は
、古 代の 戸籍 の単 位「 戸」 の筆 頭者 のこ と。 つま り
こ し ゆ
こ
この 木簡 は、 波多 部足 人が 戸主 を務 める 戸の 一員 であ る秦 人豊 日
は た べ
はた ひと のと よひ
が納 めた 白米 の荷 札と なる
。ち なみ に、 戸主 以外 の戸 の構 成員 を
「戸口
」と 呼ぶ
。
こ こう
ここ で「 戸主
」に 目を 向け ると
、「 戸」 の下 に「 主」 が入 り込 んで
、ほ とん ど一 文字 のよ うに なっ てい る。 まる で「 雇」 のよ う にみ える が、 書き 間違 いで はな く、 また この 木簡 だけ に見 られ る 特徴 でも ない
。「 戸主
」は 荷札 や戸 籍で よく 使わ れる 用語 のた め、 独特 の書 き方 が発 達し てい った
。こ のよ うな もの を合 字と 呼び
、
「戸口
」で も同 じ現 象が 認め られ る( 一期 展示
、二 期展 示 も 44 44 44 44
46 46 46 46 参照
)。
の「 麻呂
」→
「麿
」、 ある いは
「堅 魚」
→「 鰹」 のよ う 47 4747 47 に、 今も 使わ れて いる 類例 もあ る。
「
「
「
「ま いる まい る まい る まい る」
」
」
」の の のの 意味 意味 意味 意味 でで でで
「
「
「
「参 参 参 参」
」
」」 字 字 字 字を を を を用 用 用用 いた いた いた いた 木簡 木簡 木簡 木簡 5353 5353
(SD 四一
〇〇 出土
。宮
― ) 4 4100
散 位 □ □ □ 岸 田 逆
九 月 廿 九 日 参
長さ 一八 五㎜
・幅 一七
㎜・ 厚さ 三㎜
〇三 二型 式
「
「「
「み っつ みっ つ みっ つ みっ つ」
」」
」の のの の意 意味 味意 意味 味で でで で「
「「
「参 参参 参」
」」
」字 字字 字を をを を用 用用 用い いた たい いた た参 河国 参河 国 参河 国 参河 国の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札2 22 2*
**
* 5454 5454
(SK 八二
〇出 土。 宮
― ) 1 364
々 別 六 斤
参 河 国 播 豆 郡 篠 嶋 海 部 供 奉 正 月 料 御 贄 参 籠
並 赤 魚
長さ 三四 八㎜
・幅 三七
㎜・ 厚さ 六㎜
〇一 一型 式 は解 釈の むず かし い一 点。 形態 から は付 札と 考え られ
、す る 53 53 53 53 と「 九月
廿 九日
」に
「参
」っ たの は何 らか の物 品、 岸田 逆 た
にじ ゅう
きし だの さか う
ちは その 物品 配送 の責 任者 と目 され る(
「岸 田逆
」の 上の 判読 不 能の 三文 字も 人名 か)
。 ただ し、 文面 から は逆 たち が九 月二 九日 にい ずこ かへ 参上 した こと の記 録の 可能 性も 捨て がた い。 その 場合 は、 元は 今よ り大 き な材 に日 にち ごと の参 向者 を書 き記 した 帳簿 のよ うな もの であ り、 それ を二 次的 に付 札の かた ちに 加工
・整 形し たと 想定 され る。 いず れに せよ
、「 参」 の字 が「 まい る」 の意 味で 使わ れて いる こ とは 確か であ る。 なお
、「 散位
」は 位階 だけ 持っ てい て官 職に つ
さ ん に
いて いな い者 のこ と。 は参 河国 幡豆 郡の 篠島
(今 の愛 知県 南知 多町 篠島
)か ら御 贄
み か わ
は ず
しの じま
み に え
54 5454 54 とし て貢 進さ れた 赤魚 の荷 札。 赤魚 はア コウ ダイ
・カ サゴ
・ウ グ
あか うお
イな どの 可能 性が 考え られ るが
、詳 細は 不明
。参 河国 幡豆 郡か ら の贄 は通 常「 斤」 とい う重 さの 単位 で表 示さ れる こと が多 く、 こ
きん
の木 簡の よう に「 籠」 で数 えら れる もの は珍 しい
。
かご
荷札 木簡 の物 品の 数量 は、 一般 的に は通 常の 漢数 字(
「三
」な ど) で書 くが
、こ の木 簡の 場合 は字 画の 多い
「参
」を 用い てい る。 これ は、 改ざ んを 防ぐ ため にわ ざと 複雑 な字 体の 文字 を使 用す る もの で、 大字 と呼 ばれ る。 壹、 貳、 参、 肆、 伍、 陸、 域、 捌、 玖、 拾、 佰、
だ い じ
いち
に さん
し
ご ろく しち
はち
く じゅ う ひゃ く
仟、 萬な どが ある
。
せん
まん
「
「
「
「檸 檸 檸 檸」
」
」
」と と と と「
「
「「 呻呻 呻呻
」」
」」 の の の の使 使 使 使い い い い分 分 分 分け け け け ここ で注 目し たい のは
、そ れぞ れの 木簡 にみ える
「参
」の 文字 の形 であ る。
「参
」(
「參
」) とい う漢 字に は、 日本 語の
「ま いる
」 と「 みっ つ」
、二 つの 意味 があ る。 奈良 時代 にも
「み っつ
」の 意 味の とき は簡 単な
「三
」を 使う のが 普通 だっ たが
、今 でも 領収 書 など の数 字に はわ ざわ ざ難 しい
「参
」を 書く こと があ るよ うに
、 昔も 特別 な場 合に は字 画の 多い
「参
」を 使う こと がよ くあ った
(た だし
のよ うに 荷札 で用 いら れる のは 珍し い)
。 545454 54 とこ ろが
、木 簡や 正倉 院文 書な ど、 生の 史料 に書 かれ た「 参」 の字 形を よく 観察 する と、 下半 部を
「彡
」と 書く もの はひ とつ も なく
、あ るの は「 龝」 と「 三」 の二 通り のみ であ る。 しか も、 今 では
「ま いる
」と
「み っつ
」の どち らの 意味 でも 同じ
「参
」を 用 いる けれ ど、 万葉 びと は意 識し て、 意味 によ り字 形を 使い 分け て いた らし いこ とが わか って きた
。( 桑原 祐子
『正 倉院 文書 の国 語 学的 研究
』思 文閣 出版
、二
〇〇 五年
) の「 参」 は下 半が
「龝
」、
は下 半が
「三
」の 字形 で書 かれ 53 53 53 53
5454 5454 てい る。 これ は の「 参」 が「 まい る」 の意 味で ある のに 対し
、 53 53 53 53 は数 字で ある こと によ る。 奈良 時代 の初 めに 少し 例外 があ るだ 5454 5454 けで
、特 に七 三〇 年代 以降
、こ の使 い分 けは ほぼ 完璧 に守 られ て いる
(そ の背 景に は大 字を 用い る地 方財 政の 決算 報告 書、 正 税 帳
しょ うぜ いち ょう
の書 式整 備が ある らし い)
。 こう なる と「 檸」 と「 呻」 は、 字形 の違 いと いう より も、 互い に 意味 の異 なる 別の 文字 の関 係に あっ たと みた 方が いい かも 知れ な い。 ちな みに
は、
「参 籠」 の「 参」 が数 字で ある こと はも ちろ ん 54 54 54 54 だが
、「 参河
」の
「参
」も
、今 では 一般 に「 三河
」と 書か れる よ うに 数字 の意 味で あり
、同 じ字 形で 書か れて いる
。
ⅣⅣⅣⅣ 木 簡 木 簡 木 簡 木 簡 か ら か ら か ら か ら 万 葉 歌 万 葉 歌 万 葉 歌 万 葉 歌 を の ぞ く と を の ぞ く と を の ぞ く と を の ぞ く と
(前 略)
我 が 毛 ら は み 筆 は や し 我 が 皮 は み 箱 の 皮 に
あ
ふみ て
我 が 肉 は み 膾 は や し 我 が 肝 も み 膾 は や し
し し
なま す
我 が み げ は み 塩 の は や し
(後 略) 吾毛 等者
御筆 波夜 斯 吾皮 者 御箱 皮尓
吾完 者 御奈 麻須 波夜 志 吾伎 毛母
御奈 麻須 波夜 之 吾美 義波
御塩 乃波 夜之
(巻 一六 ー三 八八 五)
(・・・私の毛は筆の材料、私の皮は箱の材料、私の肉
は膾の材料、私の肝も膾の材料、私のミノ(胃)は塩
辛の材料・・・)
芸能 者が 家々 の門 で歌 う「 門付 け」 の一 節。 猟で 殺さ れそ うに なっ
か ど づ
た鹿 の言 葉。 鹿の 利用 を具 体的 に述 べる
。鹿 は食 材と いう 側面 も含 め 利用 価値 が高 かっ た。 鹿
鹿 鹿 鹿の の の の干 肉干 肉干 肉干 肉の の のの 付札 付札 付札 付札 11 11
(SE 四七 七〇 出土
。京
― ) 656565 65
1 86
鹿 干 宍
長さ 一一 五㎜
・幅 一四
㎜・ 厚さ 四㎜
〇三 二型 式
鹿 鹿 鹿 鹿の の の の干 肉干 肉干 肉干 肉の の の の付 札付 札付 札付 札2 2 2 2
(SD 五二
〇〇 出土
。宮
― ) 666666 66
3 3174
鹿 宍 一 斗 二 升
長さ 八五
㎜・ 幅一 七㎜
・厚 さ四
㎜
〇三 二型 式
「鹿宍
」の 付札
。「宍
」は 肉の こと
。貢 進者 の情 報な どが 記さ れ
かの しし
しし
てい ない こと から
、荷 物に つけ られ た荷 札で はな く、 届い た物 品 を管 理す るた めの 札と 考え られ る。
の「 干宍
」は 干し 肉の こと
。
ほ じ し
65 65 65 65
は宍 とし か書 かれ てい ない が、 こち らも 干し 肉で あろ う。 ただ 666666 し66
、万 葉歌 によ れば 鹿肉 は膾
にさ れる こと もあ った よう なの で、
なま す
干し 肉と 明記 され ない
は膾 用の 生肉 の可 能性 もあ る。 66 66 66 66 万葉 歌に よる と、 鹿は 肉の みで なく 内臓 も食 用と して 利用 され てい たら しい
。平 城宮 では
「鹿 宍〈 在五 蔵〉
」と 記さ れた 木簡 も 出土 して いる
(宮
―
)。 これ 自体 は『 延喜 式』 など に規 定さ
え んぎ し き
3 3565 れる 釈奠
(孔 子を 祀る 儀式
)で 使用 され る犠 牲( いけ にえ
)用 の
せき てん
まつ
鹿の 可能 性が 想定 され てい るが
、干 し肉 のみ でな く、 内臓 付き の鹿 肉も ある 程度 流通 しう る状 況に あっ たこ とは 注目 にあ たい する
。 阿波 国 阿波 国 阿波 国 阿波 国か らの から の から の から の鹿 鹿鹿 鹿の のの の荷 荷札 札荷 荷札 札
(SD 四七 五〇 出土
。京
― ) 67 67 67 67
1 445
〔 鹿 薦 ヵ 〕
北
阿 波 国 贄 □ □ □
長さ 一七 五㎜
・幅 二一
㎜・ 厚さ 五㎜
〇三 一型 式 阿波 国( 今の 徳島 県) から の贄 の荷 札。 現状 では 墨痕 はき わめ て不 明瞭 であ るが
、お そら く「 鹿薦
」は
「鹿 薦纏
」と 思わ れる
。
こも
まと い
贄と ある ため
、食 用品 であ るこ とは 間違 いな いが
、詳 細は 不明
。 鹿肉 を薦
(マ コモ やワ ラで あら く織 った 筵
)で くる んだ もの で
むし ろ
あろ うか
。
ひ さ か た の 雨 も 降 ら ぬ か
蓮 葉 に 溜 ま れ る 水 の 玉 に 似 た る 見 む
はち すば
た
久堅 之 雨毛 落奴 可 蓮荷 尓 停在 水乃
玉似 有将 見
(巻 一六 ー三 八三 七)
(雨が降らないかなあ。蓮の葉に水が溜まって、玉のよ
うに見えるのが見たい。)
兵衛 府で の宴 席で
、料 理が 盛り つけ てあ った 蓮葉 を題 材に
、兵 衛が
ひ よ うえ ふ
即興 で詠 んだ 歌。 蓮葉 や兵 衛は
、木 簡で もお なじ みの 顔ぶ れで ある
。 片岡
片岡 片岡 片岡 の の の の所 領所 領所 領所 領か らか らか らか ら届 届 届届 けら れた けら れた けら れた けら れた 蓮 蓮 蓮 蓮の の の の葉 葉 葉葉 の の の の送 送 送 送り り りり 状 状 状 状1 1 1 1 686868 68
(SD 四七 五〇 出土
。城
― 上) 21 9 (表)
片 岡 進 上 蓮 葉 卅 枚 持 人 都 夫 良 女 о
(裏)
御 薗 作 人 功 事 急 々 受 給 六 月 二 日 真 人 о
長さ 二三
〇㎜
・幅 二五
㎜・ 厚さ 二㎜
〇一 一型 式
片岡 片岡片 片岡 岡の のの の所 所領 領所 所領 領か から らか から ら届 届届 届け られ た けら れた けら れた けら れた 蓮 蓮蓮 蓮の のの の葉 葉葉 葉の のの の送 送送 送り りり り状 状状 状2 22 2 6969 6969
(SD 四七 五〇 出土
。京
― ) 1 176
持 人
(表)
о 片 岡 進 上 蓮 葉 矢 枚 о
都 夫 良
(裏)
о 女 六 月 廿 四 日 真 人 о
長さ 一七 九㎜
・幅 三一
㎜・ 厚さ 四㎜
〇一 一型 式 長屋 王家 木簡 の一 つで
、片 岡か ら蓮 葉を 進上 した 際の 木簡
。片 岡は
、現 在の 奈良 県北 葛城 郡王 寺町 から 香芝 市に かけ ての 地を 指 す地 名。 片岡 には
、長 屋王 家の 領地 があ った
。片 岡周 辺に は聖 徳
太子 建立 とさ れる 般若 寺( 片岡 尼寺
)や 片岡 王寺 など があ り、 般
は んに ゃじ
若寺 境内 から 長屋 王宅 と同 じ型 式の 軒丸 瓦 が出 土し てい るこ と
のき まる がわ ら
も、 木簡 を考 える 上で 手が かり とな る(
『平 城京 左京 二条 二坊
・ 三条 二坊 発掘 調査 報告 書』
(奈 良県 教育 委員 会、 一九 九五 年)
)。 この 二点 の木 簡で は、 片岡 から 平城 京の 長屋 王邸 まで
、
「都夫 良女
」と いう 女性 が蓮 の葉 を運 んで いる
。「 真人
」は おそ ら
つ ぶ ら め
く道 守真 人で
、片 岡の 長屋 王家 所領 の管 理担 当者 だっ たら しい
。
ち もり のま ひと
片岡 から はジ ュン サイ も進 上し てお り、 領地 の中 に沼 沢地 も含 ん でい たよ うで ある
。 一回 に運 んで いる 蓮の 葉の 枚数 は三
〇枚 と四
〇枚
。長 屋王 邸の 宴会 一回 で利 用す る枚 数と して
、こ の程 度が 標準 的だ った のだ ろ う。 二条 大路 出土 木簡 には
、蓮 葉を 二〇
〇枚 進上 した とい う例 が あり
、宴 会の 規模 によ って 必要 な蓮 葉の 枚数 も異 なっ てい た。 兵部 省 兵部 省 兵部 省 兵部 省か らの から の から の から の兵 衛兵 衛兵 衛兵 衛の の の の呼 呼 呼呼 び び び び出 出 出 出し し しし 状 状 状 状
(SD 五一
〇〇 出土
。城
― 下) 70 70 70 70
22 8
左 兵 衛 出 雲 佐 為 麻 呂
(表)
兵 部 省 召 出 雲 浄 麻 呂 右 今 日 不 過 参 向 省 家
江 野 麻 呂
付 □ 村 安 万 呂
(裏)
天 平 八 年 十 一 月 廿 八 日 大 録 田 辺 史 真 立
長さ 三〇 二㎜
・幅 三八
㎜・ 厚さ 五㎜
〇一 一型 式 武官 の人 事や 兵士
・兵 器の 管理 を司 る兵 部省 が、 左兵 衛府 の兵
ひょ うぶ
さ ひ ょ う え ふ
衛三 人に 当日 中に 本庁 に来 るよ う命 令し てい る召 文の 木簡
。二 条
めし ぶみ
大路 木簡
。当 時の 兵部 卿( 長官
)は 藤原 麻呂
。呼 び出 され た兵
きょ う
衛た ちは
、皇 后宮 の警 備に あた って いた ので あろ う。
こう ごう ぐう
召文 は呼 ばれ た人 がそ の木 簡を 持参 する 例が 多い とさ れる が、 この 木簡 の場 合、 呼ば れた 人が いた 付近 で廃 棄し てい る可 能性 が ある
。兵 衛達 は、 首都 防衛
・警 護部 隊の 主力 であ る。 休日 でも
、 遠出 は原 則禁 止で あり
、ま た時 には 呼び 出し を受 けて
、あ わて て
出勤 した りと
、楽 しい ばか りで はな かっ たか らこ そ、 宴会 とい う もの を余 計に 楽し んで いた のか もし れな い。 宮殿 宮殿宮 宮殿 殿を をを を守 守守 守る るる る兵 兵衛 衛兵 兵衛 衛た ちが たち が たち が たち が記 記記 記さ れた され た され た され た木 木簡 簡木 木簡 簡*
**
* (SK 八二
〇出 土。 宮
― ) 7171 7171
1 91
〔戸
〕 磯 宗我 八尸 河内 養徳 (表)
北 炬 兵 衛
石前 錦部 道守 枝井 田部 若麻 (裏)
合 十 二 人
尾張
長さ 二五
〇㎜
・幅 三一
㎜・ 厚さ 四㎜
〇一 一型 式 北炬 門の 警備 にあ たる 兵衛 名を 列記 した 木簡
。S K八 二〇 出土 木簡
。北 炬門 は内 裏北 側に 開い た門 のう ち、 夜間 もか がり 火を 焚 いて 開け て管 理し てい た門
。こ のS K八 二〇 から は、 この 木簡 同 様に
、門 名の 下に 人名 が列 挙さ れた 木簡 が多 く出 土し てお り、
「西 宮兵 衛木 簡」 と通 称さ れて いる
。西 宮兵 衛木 簡は
、そ れぞ れの 門 の守 衛に あた る兵 衛に 関す る日 々の 記録 であ り、 当番 の日 の食 料 を請 求す るた めの もの でも ある
。 西宮 兵衛 木簡 には いず れも 年紀 はな いが
、他 と同 じく 天平 末年 のも のと 推定 され る。 人名 中、
「八 尸」 は八 戸、
「枝 井」 は榎 井
・朴 井か
。 兵衛 達は 夜と なく
、昼 とな く、 平城 宮の 治安 と、 天皇 の安 全を 守っ てい た。