メディアを往復する『風音』 : 映画化、作者、コ ンテクスト
著者 藤城 孝輔
出版者 法政大学沖縄文化研究所
雑誌名 沖縄文化研究
巻 47
ページ 243‑298
発行年 2020‑03‑31
URL http://doi.org/10.15002/00023259
メディアを往復する『風音』
―
映画化、作者、コンテクスト
―
藤 城 孝 輔
はじめに
映画『風 ふう音 おん』(二〇〇四年七月公開)は目 め取 どる真 ま俊 しゅんが一九八五年に発表した同名短編小説の映画化作品である。 )1
(目取真が脚本を執筆し、『沖縄列島』(一九六九年)と『やさしいにっぽん人』(一九七一年)の二本で沖縄を主題に取り上げた東 ひがし陽一が監督を務めた。映画版は、短編小説「風音」のみならず「内海」「ブラジルおじいの酒」など他の目取真作品の要素を加えて内容が大きく改変されている(世良 は、脚本に基づきながらも映画にない独自のシーンを盛り込むことで「映画とは別の独立した世界を WindCrying The に長編小説化した『風音』が刊行された。目取真にとっては初の長編である同作 二ので取真自身の手さをら画映た、ま)。六目本劇二場公開に先立つ〇脚〇四年四三には、月
作り出すことをめざし」た作品である(『風音 The Crying Wind』二〇五)。小説の「風音」をめぐっては、度重なる改稿の過程がたびたび注目を集めてきた。一九八五年十二月から翌八六年二月にかけて『沖縄タイムス』に連載された際の初出のテクストから芥川賞受賞作を刊行した単行本『水滴』に併録された際の「大幅に加筆修正」(目取真『水滴』[一八九])が行われた改稿、そして二〇〇四年の映画化に際しての短編小説「風音」から長編小説『風音 The Crying Wind』への大幅な分量と内容の変更を先行研究は取り上げている。 )2(村上陽子は単行本版の「風音」と長編小説『風音 The Crying Wind』をそれぞれ論じ、前者においては喪失した対象に対する同性愛的な感情によって近似性を示す二人の登場人物のメランコリーを通して戦争の語りえない記憶が示唆されているとともに、声なき声である「音」を通して死者の記憶の表象不可能性が示されていると主張する(三七―四四)。これに対して後者では清吉のセクシュアリティの描写が削られ、記憶を喚起する音の主題が弱められることで喪失体験が残したメランコリーと死者の表象の主題が遠景化されていると説く(三五―三六)。一方、仲井眞建一は連載版と単行本版における異同を精査し、描写や比喩の変更を通して自己と他者の区別や生者と死者の断絶が導入されており、死者が所有不可能な他者としてとらえ直されていると主張する(一七五)。そして「一度映像化を経た『風音』の『小説化』」である『風音 The Crying Wind』については、共同体としての村の位置づけが強調され、風葬場の頭蓋骨「泣き御 うん頭 かみ」が破壊されることなく村の中での意味づけが保持され続ける点を指摘し、
以前の版とは「問題意識を異にしている」別作品として区別する(一七九)。仲井眞と村上がそれぞれ連載版から単行本への改稿、単行本版「風音」から長編小説『風音 The Crying Wind』への改作に伴う主題や意味の変化をつぶさにとらえる一方、両者において共通して等閑に付されているのは作品の間メディア的な特質である。どちらの論考でも議論の俎上に載せられるのは短編小説(単行本版および/または連載版)と長編小説であり、制作時期を基準とすれば短編と長編のあいだに位置づけられる映像作品『風音』へのアダプテーションが詳細に検討されることはない。「映画の脚本を元に書かれてはいるが、小説作品として独自の価値を持ち得るように、作者としてできる限りの努力をした」と目取真自身が語るように『風音 The Crying Wind 』は映画から独立した作品ではあるものの、みずからの手による自作のアダプテーション(短編小説からの脚本化)の再小説化として映画と密接な関わりを保っていることは無視できない(『風音 The Crying Wind 』二〇五)。小林昭は『風音 The Crying Wind』に見られる映画脚本からの影響を否定的にとらえ、「脚本は、話の運びを重視しなければならず、[…]書く文章に人物の形象化が粗くなることがどうしても避けられない。それをふたたび小説にするにあたっては、よく考え抜かれたに違いないのだが、やはりその粗さが残っていた」と評している(一三六)。評価の良し悪しは差し置くにしても、映画と文学という二つのメディアの関連を射程に入れた上で、映画からの影響と逸脱を検証することが求められる小説であることは間違いない。
作り出すことをめざし」た作品である(『風音 The Crying Wind』二〇五)。小説の「風音」をめぐっては、度重なる改稿の過程がたびたび注目を集めてきた。一九八五年十二月から翌八六年二月にかけて『沖縄タイムス』に連載された際の初出のテクストから芥川賞受賞作を刊行した単行本『水滴』に併録された際の「大幅に加筆修正」(目取真『水滴』[一八九])が行われた改稿、そして二〇〇四年の映画化に際しての短編小説「風音」から長編小説『風音 The Crying Wind』への大幅な分量と内容の変更を先行研究は取り上げている。 )2(村上陽子は単行本版の「風音」と長編小説『風音 The Crying Wind』をそれぞれ論じ、前者においては喪失した対象に対する同性愛的な感情によって近似性を示す二人の登場人物のメランコリーを通して戦争の語りえない記憶が示唆されているとともに、声なき声である「音」を通して死者の記憶の表象不可能性が示されていると主張する(三七―四四)。これに対して後者では清吉のセクシュアリティの描写が削られ、記憶を喚起する音の主題が弱められることで喪失体験が残したメランコリーと死者の表象の主題が遠景化されていると説く(三五―三六)。一方、仲井眞建一は連載版と単行本版における異同を精査し、描写や比喩の変更を通して自己と他者の区別や生者と死者の断絶が導入されており、死者が所有不可能な他者としてとらえ直されていると主張する(一七五)。そして「一度映像化を経た『風音』の『小説化』」である『風音 The Crying Wind』については、共同体としての村の位置づけが強調され、風葬場の頭蓋骨「泣き御 うん頭 かみ」が破壊されることなく村の中での意味づけが保持され続ける点を指摘し、 以前の版とは「問題意識を異にしている」別作品として区別する(一七九)。仲井眞と村上がそれぞれ連載版から単行本への改稿、単行本版「風音」から長編小説『風音 The Crying Wind』への改作に伴う主題や意味の変化をつぶさにとらえる一方、両者において共通して等閑に付されているのは作品の間メディア的な特質である。どちらの論考でも議論の俎上に載せられるのは短編小説(単行本版および/または連載版)と長編小説であり、制作時期を基準とすれば短編と長編のあいだに位置づけられる映像作品『風音』へのアダプテーションが詳細に検討されることはない。「映画の脚本を元に書かれてはいるが、小説作品として独自の価値を持ち得るように、作者としてできる限りの努力をした」と目取真自身が語るように『風音 The Crying Wind』は映画から独立した作品ではあるものの、みずからの手による自作のアダプテーション(短編小説からの脚本化)の再小説化として映画と密接な関わりを保っていることは無視できない(『風音 The Crying Wind』二〇五)。小林昭は『風音 The Crying Wind』に見られる映画脚本からの影響を否定的にとらえ、「脚本は、話の運びを重視しなければならず、[…]書く文章に人物の形象化が粗くなることがどうしても避けられない。それをふたたび小説にするにあたっては、よく考え抜かれたに違いないのだが、やはりその粗さが残っていた」と評している(一三六)。評価の良し悪しは差し置くにしても、映画と文学という二つのメディアの関連を射程に入れた上で、映画からの影響と逸脱を検証することが求められる小説であることは間違いない。
さらに、映画へのアダプテーションの問題を抜きにして短編小説から長編小説への変化を目取真による単なる改作として論じることにより、作者性の問題も見えにくくなっている。村上と仲井眞の論考はそれぞれ「喪失、空白、記憶――目取真俊『風音』をめぐって――」「目取真俊『風音』の改稿について」と題され、著者名と作品名の並置によって目取真が作品の作者であることを当然の事実として示している。もちろん短編「風音」や長編『風音 The Crying Wind』が目取真の作であることに疑念を挟む余地はなく、映画『風音』においても彼は脚本を担当していることから彼の作家としての意図が映画にも少なからず反映されていることは明らかである。しかし文学テクストの意味の生成の場を執筆者の意図から読み手の解釈に移したロラン・バルトの論や、無限に拡大し得るテクスト群に「作品」としての輪郭を与え、その受容のされ方を定める文化的機能として作者を定義し直したミシェル・フーコーの論を筆頭に、作家個人が「作者」として作品の意味を統制するという伝統的な見方にはこれまで無数の反論が提唱されてきた(バルト
八八―八九、フーコー
館に所蔵されている本作の準備稿には二〇〇三年七月五日の日付が明記されており、製本や印刷に要 WindCrying The 六月初旬に完成に至ったという(。現在、東京都の松竹大谷図書』二〇四)『風音 を書き上げたのち「監督やプロデューサーの意見、撮影現場の条件などをふまえて手を入れ」て同年 な問題をはらんだものになるだろう。映画『風音』の脚本は、目取真が二〇〇三年五月ごろに第一稿 作者」の規定は文学り品の場合よ「も複雑作合、く間をはじめ数多場の人が監制作に携わる映画の督 三に、特)。七三―六 した期間等を考えると東や山上の意見を踏まえた上で目取真が修正し、二〇〇三年八月から九月にかけての撮影に用いられた原稿であると考えられる。 )3(立場の異なる複数の意見と映画化にあたっての諸条件を反映した脚本、脚本に基づいて実際に撮影された映画、脚本から目取真自身の手によって再小説化された長編小説、これら三者のどこまでにおいて目取真を「作者」と位置づけられるかは注意深い検討が必要である。本稿では、短編小説「風音」(単行本収録版を底本とする)から映画『風音』へのアダプテーション、そして映画から長編小説『風音 The Crying Wind』への再小説化を二つのコンテクストに位置づけることで把握したい。一つは映画の作者が誰であるかをめぐる一九五〇年代以降の作家主義の論争を踏まえた理論的コンテクスト、もう一つは作品を同時代の日本国内のメディアにおける沖縄表象の中でとらえる歴史的コンテクストである。作者性の議論を中心とする第一節では目取真俊の作者性を自明とする先行研究に反し、東陽一監督と山上徹二郎プロデューサーの連携によるシグロ作品と映画『風音』および長編小説『風音 The Crying Wind 』の連続性を示す。この作者の多重性により、とりわけ東が持つプリミティヴィズム(原始性、野蛮性)への関心が、短編小説版にはない、沖縄という他者に対するエギゾティックな視点を作品にもたらしていることを確認する。続く第二節では、一九九〇年代を代表する沖縄映画
)4
(の一つである『うみ・そら・さんごのいいつたえ』(椎名誠監督、一九九一年)との比較を通して、当時の日本における沖縄表象に広く見られた癒やしの主題が映画
さらに、映画へのアダプテーションの問題を抜きにして短編小説から長編小説への変化を目取真による単なる改作として論じることにより、作者性の問題も見えにくくなっている。村上と仲井眞の論考はそれぞれ「喪失、空白、記憶――目取真俊『風音』をめぐって――」「目取真俊『風音』の改稿について」と題され、著者名と作品名の並置によって目取真が作品の作者であることを当然の事実として示している。もちろん短編「風音」や長編『風音 The Crying Wind』が目取真の作であることに疑念を挟む余地はなく、映画『風音』においても彼は脚本を担当していることから彼の作家としての意図が映画にも少なからず反映されていることは明らかである。しかし文学テクストの意味の生成の場を執筆者の意図から読み手の解釈に移したロラン・バルトの論や、無限に拡大し得るテクスト群に「作品」としての輪郭を与え、その受容のされ方を定める文化的機能として作者を定義し直したミシェル・フーコーの論を筆頭に、作家個人が「作者」として作品の意味を統制するという伝統的な見方にはこれまで無数の反論が提唱されてきた(バルト
八八―八九、フーコー
館に所蔵されている本作の準備稿には二〇〇三年七月五日の日付が明記されており、製本や印刷に要 WindCrying The 六月初旬に完成に至ったという(。現在、東京都の松竹大谷図書』二〇四)『風音 を書き上げたのち「監督やプロデューサーの意見、撮影現場の条件などをふまえて手を入れ」て同年 な問題をはらんだものになるだろう。映画『風音』の脚本は、目取真が二〇〇三年五月ごろに第一稿 作者」の規定は文学り品の場合よ「も複雑作合、く間をはじめ数多場の人が監制作に携わる映画の督 三に、特)。七三―六 した期間等を考えると東や山上の意見を踏まえた上で目取真が修正し、二〇〇三年八月から九月にかけての撮影に用いられた原稿であると考えられる。 )3(立場の異なる複数の意見と映画化にあたっての諸条件を反映した脚本、脚本に基づいて実際に撮影された映画、脚本から目取真自身の手によって再小説化された長編小説、これら三者のどこまでにおいて目取真を「作者」と位置づけられるかは注意深い検討が必要である。本稿では、短編小説「風音」(単行本収録版を底本とする)から映画『風音』へのアダプテーション、そして映画から長編小説『風音 The Crying Wind』への再小説化を二つのコンテクストに位置づけることで把握したい。一つは映画の作者が誰であるかをめぐる一九五〇年代以降の作家主義の論争を踏まえた理論的コンテクスト、もう一つは作品を同時代の日本国内のメディアにおける沖縄表象の中でとらえる歴史的コンテクストである。作者性の議論を中心とする第一節では目取真俊の作者性を自明とする先行研究に反し、東陽一監督と山上徹二郎プロデューサーの連携によるシグロ作品と映画『風音』および長編小説『風音 The Crying Wind』の連続性を示す。この作者の多重性により、とりわけ東が持つプリミティヴィズム(原始性、野蛮性)への関心が、短編小説版にはない、沖縄という他者に対するエギゾティックな視点を作品にもたらしていることを確認する。続く第二節では、一九九〇年代を代表する沖縄映画
)4
(の一つである『うみ・そら・さんごのいいつたえ』(椎名誠監督、一九九一年)との比較を通して、当時の日本における沖縄表象に広く見られた癒やしの主題が映画
『風音』に導入されていることを明らかにする。そして第三節では、長編小説『風音 The Crying Wind』を目取真自身の手による「風音」の映画脚本化に対する応答としてとらえ、映画からのさらなる変更点に注目することでその意義を考察する。「作者として 00000できる限りの努力をした」(二〇五、引用者による強調)という、先に引用した『風音 The Crying Wind』のあとがきに目取真が記した言葉は、作品に対するみずからの作者性を保持しようとした原作者の意志の表れとして新たな意味で理解されることになるはずだ。
一 作者の複数性
バルトが「作者の死」(一九六七年)や「作品からテクストへ」(一九七一年)などの論考で行った作者と読者のテクストに対する関係の相対化、そしてフーコーの一九六九年の研究発表における作者の機能を求める文化的要請の分析。フランスの文芸批評におけるこれらの動きは、一九五〇年代以降のフランス映画において、映画の作者の挑発的な読み替えが批評家の側から進められていたことと無関係ではないだろう。一九五四年十一月の『カイエ・デュ・シネマ』誌に掲載された評論「フランス映画のある種の傾向」の中で、フランソワ・トリュフォーは「脚本家の映画」による文芸作品のアダプテーションを糾弾した(一〇)。ジャン・オーランシュとピエール・ボストのコンビに代表される
当時の脚本家は小説の中に映画化不可能なシーンがあると決めつけ、それらを彼らの言う「等価」のシーンで置き換えることで原作小説を陳腐化させている(一一)。さらに彼らの脚本を撮影する監督(metteur en scène)もまた「彼らのテクストを画 えにする職人」の役目に甘んじている、とトリュフォーは不満を訴える(二四)。これに対し、彼は映画を通じた大胆な試みを辞さないロベール・ブレッソンやマックス・オフュルスら「映画作家」(auteur)によるアダプテーションを称揚し、「映画の脚本は映画の人間によって書かれなければ価値がないとわたしは考える。というのも、オーランシュ=ボストの眼はいつも文学のほうに向いていて、映画を過小評価し、蔑視しているところが、わたしにはひどく気にかかるのである」と主張する(一八)。脚本に演出が従属する「脚本家の映画」を退けたトリュフォーをはじめ『カイエ・デュ・シネマ』誌の批評家たちにとっては、映画という媒体の独自性を活用する映画作家こそが小説から映画へのアダプテーションの唯一の作者であった(Andrew 一二三)。 )5
(
しかし、このように芸術的な才覚やヴィジョンを備えた個人がみずからの作品に対して絶対的なコントロールを発揮する「作家の映画」という概念は古びたものになりつつある。近年ではむしろ、作者性の帰属は複数の作者候補による競合という形で理解されることが多い(Cobb 一〇六)。トーマス・リーチは「作者性」(authorship、作品の制作において先導的な役割を果たすこと)と「作家性」(auteurship 、作者性の広い認識を求める資格)を区別し、作品の大半がアダプテーションである映
『風音』に導入されていることを明らかにする。そして第三節では、長編小説『風音 The Crying Wind』を目取真自身の手による「風音」の映画脚本化に対する応答としてとらえ、映画からのさらなる変更点に注目することでその意義を考察する。「作者として 00000できる限りの努力をした」(二〇五、引用者による強調)という、先に引用した『風音 The Crying Wind』のあとがきに目取真が記した言葉は、作品に対するみずからの作者性を保持しようとした原作者の意志の表れとして新たな意味で理解されることになるはずだ。 一 作者の複数性
バルトが「作者の死」(一九六七年)や「作品からテクストへ」(一九七一年)などの論考で行った作者と読者のテクストに対する関係の相対化、そしてフーコーの一九六九年の研究発表における作者の機能を求める文化的要請の分析。フランスの文芸批評におけるこれらの動きは、一九五〇年代以降のフランス映画において、映画の作者の挑発的な読み替えが批評家の側から進められていたことと無関係ではないだろう。一九五四年十一月の『カイエ・デュ・シネマ』誌に掲載された評論「フランス映画のある種の傾向」の中で、フランソワ・トリュフォーは「脚本家の映画」による文芸作品のアダプテーションを糾弾した(一〇)。ジャン・オーランシュとピエール・ボストのコンビに代表される
当時の脚本家は小説の中に映画化不可能なシーンがあると決めつけ、それらを彼らの言う「等価」のシーンで置き換えることで原作小説を陳腐化させている(一一)。さらに彼らの脚本を撮影する監督(metteur en scène)もまた「彼らのテクストを画 えにする職人」の役目に甘んじている、とトリュフォーは不満を訴える(二四)。これに対し、彼は映画を通じた大胆な試みを辞さないロベール・ブレッソンやマックス・オフュルスら「映画作家」(auteur)によるアダプテーションを称揚し、「映画の脚本は映画の人間によって書かれなければ価値がないとわたしは考える。というのも、オーランシュ=ボストの眼はいつも文学のほうに向いていて、映画を過小評価し、蔑視しているところが、わたしにはひどく気にかかるのである」と主張する(一八)。脚本に演出が従属する「脚本家の映画」を退けたトリュフォーをはじめ『カイエ・デュ・シネマ』誌の批評家たちにとっては、映画という媒体の独自性を活用する映画作家こそが小説から映画へのアダプテーションの唯一の作者であった(Andrew 一二三)。 )5
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しかし、このように芸術的な才覚やヴィジョンを備えた個人がみずからの作品に対して絶対的なコントロールを発揮する「作家の映画」という概念は古びたものになりつつある。近年ではむしろ、作者性の帰属は複数の作者候補による競合という形で理解されることが多い(Cobb 一〇六)。トーマス・リーチは「作者性」(authorship、作品の制作において先導的な役割を果たすこと)と「作家性」(auteurship、作者性の広い認識を求める資格)を区別し、作品の大半がアダプテーションである映
画監督のアルフレッド・ヒッチコックやプロデューサーのウォルト・ディズニーといった映画作家たちはみずからの名前にブランド名としての権威を付与することで原作者や脚本家、ディズニーの場合には他の監督さえも抑えて作品の作者と認識されることに成功したと示す(Leitch 二三七)。映画『風音』の場合、目取真俊が原作の提供のみならず脚本の執筆を担当している点、そして一九九七年に「水滴」で第一一七回芥川賞を受賞したことで日本国内において彼の作家としての権威が広く認知されている点の両方が目取真の作者性と作家性を保証していると言える。だがその一方で本作には監督の東陽一やプロデューサーの山上徹二郎といったその他の作者候補が存在し、作者性の競合が起きている点が先行研究では見過ごされがちになっていると言えるだろう。目取真が東と山上の意見を取り入れて脚本を書き上げたことは前述のとおりである。これに加え、完成した映画『風音』に対しても三者の作者性の競合を見出すことができる。『風音』の劇場用プログラムの冒頭に掲載された解説には次のような記述が見られる。
一九九二年の『橋のない川』以来、東陽一監督と組んで映画を製作してきたプロデューサーの山上徹二郎が十八年前[引用者註、一九八六年]に設立したのが、『風音』の製作会社シグロである。[…]シグロの記念すべき第一回作品が、沖縄で撮影した記録映画『ゆんたんざ沖縄』であった。
沖縄の芥川賞作家・目取真俊が脚本を初めて手掛け、三十五年ぶりに沖縄をテーマに選んだ東陽一が監督を務め、そして、第一回作品から沖縄にこだわり続けてきたシグロの山上徹二郎の三人がタッグを組んで創り上げた映画が『風音』という作品として結実した。(一)
ここでは三者の作品への貢献が「タッグ」というプロレスリングのチーム戦に由来する暗喩表現によって同程度のものとして示される。さらに、山上の製作会社である『シグロ』の第一回作品が沖縄を主題にしている事実を挙げることによって、映画『風音』が沖縄をテーマにした山上のプロデュース作品の連続性の中に位置づけられている。 )6(こうして作者の複数性および山上の作者性が示唆される一方、同プログラムに掲載されたインタビューの中で東は彼自身の監督としての作者性に言及する。東は文字表現と映像表現を区別した上で、「シナリオに忠実な映画、というのは原理的にあり得ないんです。もともと次元の違う、別の表現だから。[…]〝監督の思いを盛り込む〟なんてことは、別に大したことじゃなくて、映画を作っていく喜びと苦しみのプロセスそのものが、いやでも盛り込まれていく〝監督の思い〟なんです」と語る(四)。東は過去のエッセイにおいても、映画の独自性をストーリーとは別の視覚表現に置くことで監督を「映画の作者」とする論を展開し(「文学の『映画化』」三一)、シナリオを「『文学』の尾骶骨。あるいは『演劇』の尾骶骨」と否定的にとらえて他の芸術表現とは異なる映画の独自性に対する憧憬を表明してきた(「メモ」三二)。『風音』のインタ
画監督のアルフレッド・ヒッチコックやプロデューサーのウォルト・ディズニーといった映画作家たちはみずからの名前にブランド名としての権威を付与することで原作者や脚本家、ディズニーの場合には他の監督さえも抑えて作品の作者と認識されることに成功したと示す(Leitch 二三七)。映画『風音』の場合、目取真俊が原作の提供のみならず脚本の執筆を担当している点、そして一九九七年に「水滴」で第一一七回芥川賞を受賞したことで日本国内において彼の作家としての権威が広く認知されている点の両方が目取真の作者性と作家性を保証していると言える。だがその一方で本作には監督の東陽一やプロデューサーの山上徹二郎といったその他の作者候補が存在し、作者性の競合が起きている点が先行研究では見過ごされがちになっていると言えるだろう。目取真が東と山上の意見を取り入れて脚本を書き上げたことは前述のとおりである。これに加え、完成した映画『風音』に対しても三者の作者性の競合を見出すことができる。『風音』の劇場用プログラムの冒頭に掲載された解説には次のような記述が見られる。
一九九二年の『橋のない川』以来、東陽一監督と組んで映画を製作してきたプロデューサーの山上徹二郎が十八年前[引用者註、一九八六年]に設立したのが、『風音』の製作会社シグロである。[…]シグロの記念すべき第一回作品が、沖縄で撮影した記録映画『ゆんたんざ沖縄』であった。
沖縄の芥川賞作家・目取真俊が脚本を初めて手掛け、三十五年ぶりに沖縄をテーマに選んだ東陽一が監督を務め、そして、第一回作品から沖縄にこだわり続けてきたシグロの山上徹二郎の三人がタッグを組んで創り上げた映画が『風音』という作品として結実した。(一)
ここでは三者の作品への貢献が「タッグ」というプロレスリングのチーム戦に由来する暗喩表現によって同程度のものとして示される。さらに、山上の製作会社である『シグロ』の第一回作品が沖縄を主題にしている事実を挙げることによって、映画『風音』が沖縄をテーマにした山上のプロデュース作品の連続性の中に位置づけられている。 )6(こうして作者の複数性および山上の作者性が示唆される一方、同プログラムに掲載されたインタビューの中で東は彼自身の監督としての作者性に言及する。東は文字表現と映像表現を区別した上で、「シナリオに忠実な映画、というのは原理的にあり得ないんです。もともと次元の違う、別の表現だから。[…]〝監督の思いを盛り込む〟なんてことは、別に大したことじゃなくて、映画を作っていく喜びと苦しみのプロセスそのものが、いやでも盛り込まれていく〝監督の思い〟なんです」と語る(四)。東は過去のエッセイにおいても、映画の独自性をストーリーとは別の視覚表現に置くことで監督を「映画の作者」とする論を展開し(「文学の『映画化』」三一)、シナリオを「『文学』の尾骶骨。あるいは『演劇』の尾骶骨」と否定的にとらえて他の芸術表現とは異なる映画の独自性に対する憧憬を表明してきた(「メモ」三二)。『風音』のインタ
ビューにおいても小説やシナリオといった文字表現とは異なる映画独自の映像表現にこそ「監督の思い」が刻印されることを力説することにより、監督の作者性を示していると考えることができるだろう。他方、目取真はみずからが映画の脚本を担当した点について「監督が脚本を書けば、自分が撮りやすいように書けるはずです。僕が書いたことで、監督にも縛りが出てくる。監督と脚本家のぶつかり合いによって、今までと違う新しい手法での映画作りがなされることを、山上さん(プロデューサー)が期待したのではないでしょうか」と述べている(『風音』劇場用プログラム
真俊作品から複数の作者の作品への変化であったことを示す。 )7 本節では映画『風音』と東陽一監督の他のシグロ作品との比較を通して、小説からの映画化が目取 複数の作者性の競合の場として把握していることが窺える。 本家、プロデューサーの三者の関係に「ぶつかり合い」という表現が用いられる点から、映画作りを 八)。監督、脚
(目取真の原作に見られず、東/山上の作品において特に顕著な主題は非近代性、原始性、野蛮性を含むプリミティヴィズムに対する関心である。東は主人公の清吉について、「清吉の判断、生き方は、もっとプリミティヴ(野蛮で、かつ根源的)です。[…]こういう生き方は一見たしかに不合理で、得策じゃありません。しかし、そういうウエイ・オブ・ライフをもっている人間がいてもいいんじゃないか」と語っている(『風音』劇場用プログラム
でいで現表たきて用り、し返り繰に際るあ彼説や『ん含を』さ朴素』のさ稚幼『は「で中す解を自作 六「プリミティ上」という言葉は、山ヴ)。といが東降、以』川な最の橋作『共の初の
いて、『古風』ですらありながら、なにか『根源的』な」世界を意味する(「『橋のない川』」一五)。こうしたプリミティヴィズムの称揚を批判的に論じたのがレイ・チョウである。チョウは近代化した西洋とエギゾティックな東洋の二項対立に還元されがちなオリエンタリズムをめぐる議論の限界を指摘し、プリミティヴィズムへの志向を同一社会における他者化の過程であるとする(三〇―三一)。西洋のモダニズムが非西洋の文化を流用し、性や表現のプリミティヴィズムを称揚したのと同様、エリート知識人階級はみずからの社会の中にエギゾティックな他者を見出し、女性や子ども、被差別者といったサバルタン階級をプリミティヴな素材として利用することで自己を「近代的で高水準の技術に裏付けられたもの」として位置づける(四一)。東は山上の製作で映画を撮り始めて以降、部落差別、少年犯罪、アルコール依存といった社会問題を繰り返し取り上げており、日本社会におけるサバルタンに相当し得る周縁化された人間を積極的に描く姿勢から「社会派」という形容詞が冠せられることも少なくない(毎日新聞デジタル)。しかし東のプリミティヴィズムへの志向が沖縄に向けられる時、沖縄をプリミティヴな他者としてとらえる日本人の主体のまなざしという形として表れる。東のデビュー作『沖縄列島』においても、善意と社会的使命に基づくものではありつつもエギゾティックな他者として沖縄を対象化する左翼知識人のまなざしが公開当時批判を呼んだ(仲里
は、目取真が原作小説においてみずからの生まれ育った沖縄本島北部の生活や風習、歴史に対して向 一一けしざなまの化者他るお―七』音風画『映)。五七一に
ビューにおいても小説やシナリオといった文字表現とは異なる映画独自の映像表現にこそ「監督の思い」が刻印されることを力説することにより、監督の作者性を示していると考えることができるだろう。他方、目取真はみずからが映画の脚本を担当した点について「監督が脚本を書けば、自分が撮りやすいように書けるはずです。僕が書いたことで、監督にも縛りが出てくる。監督と脚本家のぶつかり合いによって、今までと違う新しい手法での映画作りがなされることを、山上さん(プロデューサー)が期待したのではないでしょうか」と述べている(『風音』劇場用プログラム
真俊作品から複数の作者の作品への変化であったことを示す。 )7 本節では映画『風音』と東陽一監督の他のシグロ作品との比較を通して、小説からの映画化が目取 複数の作者性の競合の場として把握していることが窺える。 本家、プロデューサーの三者の関係に「ぶつかり合い」という表現が用いられる点から、映画作りを 八)。監督、脚
(目取真の原作に見られず、東/山上の作品において特に顕著な主題は非近代性、原始性、野蛮性を含むプリミティヴィズムに対する関心である。東は主人公の清吉について、「清吉の判断、生き方は、もっとプリミティヴ(野蛮で、かつ根源的)です。[…]こういう生き方は一見たしかに不合理で、得策じゃありません。しかし、そういうウエイ・オブ・ライフをもっている人間がいてもいいんじゃないか」と語っている(『風音』劇場用プログラム
でいで現表たきて用り、し返り繰に際るあ彼説や『ん含を』さ朴素』のさ稚幼『は「で中す解を自作 六「プリミティ上」という言葉は、山ヴ)。といが東降、以』川な最の橋作『共の初の
いて、『古風』ですらありながら、なにか『根源的』な」世界を意味する(「『橋のない川』」一五)。こうしたプリミティヴィズムの称揚を批判的に論じたのがレイ・チョウである。チョウは近代化した西洋とエギゾティックな東洋の二項対立に還元されがちなオリエンタリズムをめぐる議論の限界を指摘し、プリミティヴィズムへの志向を同一社会における他者化の過程であるとする(三〇―三一)。西洋のモダニズムが非西洋の文化を流用し、性や表現のプリミティヴィズムを称揚したのと同様、エリート知識人階級はみずからの社会の中にエギゾティックな他者を見出し、女性や子ども、被差別者といったサバルタン階級をプリミティヴな素材として利用することで自己を「近代的で高水準の技術に裏付けられたもの」として位置づける(四一)。東は山上の製作で映画を撮り始めて以降、部落差別、少年犯罪、アルコール依存といった社会問題を繰り返し取り上げており、日本社会におけるサバルタンに相当し得る周縁化された人間を積極的に描く姿勢から「社会派」という形容詞が冠せられることも少なくない(毎日新聞デジタル)。しかし東のプリミティヴィズムへの志向が沖縄に向けられる時、沖縄をプリミティヴな他者としてとらえる日本人の主体のまなざしという形として表れる。東のデビュー作『沖縄列島』においても、善意と社会的使命に基づくものではありつつもエギゾティックな他者として沖縄を対象化する左翼知識人のまなざしが公開当時批判を呼んだ(仲里
は、目取真が原作小説においてみずからの生まれ育った沖縄本島北部の生活や風習、歴史に対して向 一一けしざなまの化者他るお―七』音風画『映)。五七一に
けるまなざしとは相容れないものであろう。東/山上の他の作品との連続性に注目することで、作品に混在する複数のまなざしを紐解くことができると考えている。映画『風音』においてプリミティヴィズムへの関心がとりわけ顕著に表れているのが、現代の子どもたちの物語である。短編小説「風音」における現代の子どもたちの登場シーンは、風葬場の泣き御頭のそばにテラピアを入れた瓶を置く冒頭シーン(五三―六一)、風音が鳴らなくなったという村の噂を聞いて子どもたちが心配するシーン(一〇九―一一三)、アキラが瓶を回収するために一人で風葬場に来て泣き御頭を壊してしまうシーン(一一七―一二〇)、風葬場で父親の清吉と出会ったアキラが一緒に家に帰るラストシーン(一二五―一二八)のみである。これらのうち三番目のシーンでは父子のやり取りが交わされるのみで子どもたち同士の交流はなく、最後のシーンは海から聞こえる風音を耳にする清吉の主観が中心に描かれている。あくまで短編の物語の軸となっているのは、特攻隊員だった加納の遺体を父親と葬った清吉の物語と特攻隊の訓練期間中に加納と同じ兵舎にいた藤井の物語の対比である。一方、映画『風音』では母親と一緒に村にやって来る少年マサシと清吉の孫アキラ(二〇〇四年の時代設定に合わせて息子から孫に変更されている)の交流を中心とする物語がマサシの母親である和江と継父の久松の物語とともに加えられ、合計四つのストーリーラインが交錯する構成が採用されている(村上
おじーの畑から果物を盗む挿話として転取真の短編小説「ブラジルおじいの酒」を子どもたちが切耳 きりみみ 三に子)。さら目るれか描が流交の人老のどもたちと村に住む異四者端 ()8
用するなど、現代の子どもたちの物語が原作よりも大幅に拡大されている。子どもの存在の拡大化は、『橋のない川』および『絵の中のぼくの村』といった東/山上の作品群との連続性を強調するものである。十代後半の少女や成人女性の性を主題とする作品が多かった一九八〇年代とは対照的に、一九九〇年代に山上徹二郎の製作によって映画を撮り始めた東は思春期前から中学生までの子どもを主人公にした作品が多くなる。これには子どもをプリミティヴな存在としてとらえる東の児童観が色濃く反映されている。そのことがよくわかるのが『絵の中のぼくの村』を映画化した動因として東が挙げる次の二点の問いである。
その一つは、双子という宿命から生じる強い愛情や、それが逆に激しい対立や憎悪に転化したりする日常の激しい関係を、ダイナミズムを失って青ざめ、すっかり希薄なものになってしまった現在の人間関係に対置するものとして取り出せないかということ。もう一つは、自然=環界と自分とがひとつながりになっていてみな同じ生き物だと感じる、幼少年期特有の未分化な心の動きを、映画としてうまく表現できないかということだった。(「文学の『映画化』」三〇)。
ここで東はまず現在を生きる双子の存在を捨象し、双子の「日常の激しい関係」を「現在の人間関係」の対極にある非現在、とりわけ過去のものとして位置づけている。双子の激しい感情を「ダイナ
けるまなざしとは相容れないものであろう。東/山上の他の作品との連続性に注目することで、作品に混在する複数のまなざしを紐解くことができると考えている。映画『風音』においてプリミティヴィズムへの関心がとりわけ顕著に表れているのが、現代の子どもたちの物語である。短編小説「風音」における現代の子どもたちの登場シーンは、風葬場の泣き御頭のそばにテラピアを入れた瓶を置く冒頭シーン(五三―六一)、風音が鳴らなくなったという村の噂を聞いて子どもたちが心配するシーン(一〇九―一一三)、アキラが瓶を回収するために一人で風葬場に来て泣き御頭を壊してしまうシーン(一一七―一二〇)、風葬場で父親の清吉と出会ったアキラが一緒に家に帰るラストシーン(一二五―一二八)のみである。これらのうち三番目のシーンでは父子のやり取りが交わされるのみで子どもたち同士の交流はなく、最後のシーンは海から聞こえる風音を耳にする清吉の主観が中心に描かれている。あくまで短編の物語の軸となっているのは、特攻隊員だった加納の遺体を父親と葬った清吉の物語と特攻隊の訓練期間中に加納と同じ兵舎にいた藤井の物語の対比である。一方、映画『風音』では母親と一緒に村にやって来る少年マサシと清吉の孫アキラ(二〇〇四年の時代設定に合わせて息子から孫に変更されている)の交流を中心とする物語がマサシの母親である和江と継父の久松の物語とともに加えられ、合計四つのストーリーラインが交錯する構成が採用されている(村上
おじーの畑から果物を盗む挿話として転取真の短編小説「ブラジルおじいの酒」を子どもたちが切耳 きりみみ 三に子)。さら目るれか描が流交の人老のどもたちと村に住む異四者端 ()8
用するなど、現代の子どもたちの物語が原作よりも大幅に拡大されている。子どもの存在の拡大化は、『橋のない川』および『絵の中のぼくの村』といった東/山上の作品群との連続性を強調するものである。十代後半の少女や成人女性の性を主題とする作品が多かった一九八〇年代とは対照的に、一九九〇年代に山上徹二郎の製作によって映画を撮り始めた東は思春期前から中学生までの子どもを主人公にした作品が多くなる。これには子どもをプリミティヴな存在としてとらえる東の児童観が色濃く反映されている。そのことがよくわかるのが『絵の中のぼくの村』を映画化した動因として東が挙げる次の二点の問いである。
その一つは、双子という宿命から生じる強い愛情や、それが逆に激しい対立や憎悪に転化したりする日常の激しい関係を、ダイナミズムを失って青ざめ、すっかり希薄なものになってしまった現在の人間関係に対置するものとして取り出せないかということ。もう一つは、自然=環界と自分とがひとつながりになっていてみな同じ生き物だと感じる、幼少年期特有の未分化な心の動きを、映画としてうまく表現できないかということだった。(「文学の『映画化』」三〇)。
ここで東はまず現在を生きる双子の存在を捨象し、双子の「日常の激しい関係」を「現在の人間関係」の対極にある非現在、とりわけ過去のものとして位置づけている。双子の激しい感情を「ダイナ
ミズム」を喪失した現代以前の理想的な過去と見なすことで、現在に対する過去、洗練に対する野蛮、理性に対する感情というプリミティヴィズムと近代の二項対立を踏襲していると言えよう。さらに、子どもの認識を「自然=環界と自分とがひとつながりになって」いるものと理解していることから、子どもを成人よりも自然に近い存在と見なしていることが窺える。映画『風音』は子どものシーンや子どもの目線を通したシーンを増やすことにより、現代では失われたプリミティヴな世界として沖縄の村を描いていると考えられる。子どもの目線は『風音』オープニングのマサシと和江がバスに乗って村に向かうシーンで提示される。ここで映画は目取真の台本の該当シーンには登場しないオオゴマダラを用いてマサシの目線を観客の目線と同化させる(『風音』映画脚本
おたトッョシ視の年少え変らとを生高子女のに点わオてえ消る。ラダマゴオはと戻をす線視が年少 ゃ年の背景でバスが橋に差し掛かる。少年が蝶から目をそらすと、バスの通路でおしべりをする三人 ラが少年の視線の先にあるものであると明らかになる。少ダ視線を向けている。これによりオオゴマ により近づいたショットに切り替わる。母親は窓の外を眺めており、少年は一心に車内の斜め前方に ラのショットが挿入された後、今後は母子ダの一番奥に母子が座っているのが見える。再びオオゴマ いった窓外の景色が流れていく。続くショットではバスの内部の様子が映し出され、閑散とした座席 やとチービ海座上にりす手の部席オいる。あでトッはオシお青はで景背り、てゴっま止がラダマョ 一た座二)。冒頭はバスの席えを斜め後ろからとら―
り、少年は目で蝶の行方を探す。このオープニングでは橋を渡るというバスの動きによって、短編「風音」には登場しない少年(マサシ)と母親(和江)が外から来た者として特徴づけられている。マサシのショットと彼の視線の先にあるもののショットの反復によって確立されるアイライン・マッチは、無表情で車窓の外を眺める和江ではなく、オオゴマダラに好奇の目を向けるマサシの目線に観客を同一化させる。オオゴマダラは死者の霊魂の輪廻を象徴する生物として「ブラジルおじいの酒」に登場しており、『風音』の劇場用プログラムの中でも「沖縄で蝶は、死んだ人の魂を意味するという」と説明されている(二二)。マサシが目を離した一瞬のあいだに起こるオオゴマダラの消失は、蝶がマサシの目にしか見えていない超自然の存在であった可能性をほのめかしている。外から来た子どもの異界との遭遇として解釈できるこのシーンでは、近代的な価値観では説明のつかない死者の霊魂がプリミティヴな対象として好奇の目線を向けられるとともに、「幼少年期特有の未分化な心」と神秘的な異界との親和性が表されていると言えるだろう。マサシと和江は目取真の短編小説「内海」に由来する登場人物であるが、成長して大人になった主人公が四歳の頃に本島北部の村に戻ってきた記憶を回想する短編小説の形式とは異なり、映画『風音』のマサシは小学四年生のまま成長することはない。また「内海」で母子が家庭内暴力を振るう父親と生活していた場所も、那覇市近郊と見られる沖縄本島内のアパートであり、東京ではない。映画は本土から来た子どもの目線を導入し、村の風葬の風習や沖縄戦の死者の記憶を
ミズム」を喪失した現代以前の理想的な過去と見なすことで、現在に対する過去、洗練に対する野蛮、理性に対する感情というプリミティヴィズムと近代の二項対立を踏襲していると言えよう。さらに、子どもの認識を「自然=環界と自分とがひとつながりになって」いるものと理解していることから、子どもを成人よりも自然に近い存在と見なしていることが窺える。映画『風音』は子どものシーンや子どもの目線を通したシーンを増やすことにより、現代では失われたプリミティヴな世界として沖縄の村を描いていると考えられる。子どもの目線は『風音』オープニングのマサシと和江がバスに乗って村に向かうシーンで提示される。ここで映画は目取真の台本の該当シーンには登場しないオオゴマダラを用いてマサシの目線を観客の目線と同化させる(『風音』映画脚本
おたトッョシ視の年少え変らとを生高子女のに点わオてえ消る。ラダマゴオはと戻をす線視が年少 ゃ年の背景でバスが橋に差し掛かる。少年が蝶から目をそらすと、バスの通路でおしべりをする三人 ラが少年の視線の先にあるものであると明らかになる。少ダ視線を向けている。これによりオオゴマ により近づいたショットに切り替わる。母親は窓の外を眺めており、少年は一心に車内の斜め前方に ラのショットが挿入された後、今後は母子ダの一番奥に母子が座っているのが見える。再びオオゴマ いった窓外の景色が流れていく。続くショットではバスの内部の様子が映し出され、閑散とした座席 やとチービ海座上にりす手の部席オいる。あでトッはオシお青はで景背り、てゴっま止がラダマョ 一た座二)。冒頭はバスの席えを斜め後ろからとら―
り、少年は目で蝶の行方を探す。このオープニングでは橋を渡るというバスの動きによって、短編「風音」には登場しない少年(マサシ)と母親(和江)が外から来た者として特徴づけられている。マサシのショットと彼の視線の先にあるもののショットの反復によって確立されるアイライン・マッチは、無表情で車窓の外を眺める和江ではなく、オオゴマダラに好奇の目を向けるマサシの目線に観客を同一化させる。オオゴマダラは死者の霊魂の輪廻を象徴する生物として「ブラジルおじいの酒」に登場しており、『風音』の劇場用プログラムの中でも「沖縄で蝶は、死んだ人の魂を意味するという」と説明されている(二二)。マサシが目を離した一瞬のあいだに起こるオオゴマダラの消失は、蝶がマサシの目にしか見えていない超自然の存在であった可能性をほのめかしている。外から来た子どもの異界との遭遇として解釈できるこのシーンでは、近代的な価値観では説明のつかない死者の霊魂がプリミティヴな対象として好奇の目線を向けられるとともに、「幼少年期特有の未分化な心」と神秘的な異界との親和性が表されていると言えるだろう。マサシと和江は目取真の短編小説「内海」に由来する登場人物であるが、成長して大人になった主人公が四歳の頃に本島北部の村に戻ってきた記憶を回想する短編小説の形式とは異なり、映画『風音』のマサシは小学四年生のまま成長することはない。また「内海」で母子が家庭内暴力を振るう父親と生活していた場所も、那覇市近郊と見られる沖縄本島内のアパートであり、東京ではない。映画は本土から来た子どもの目線を導入し、村の風葬の風習や沖縄戦の死者の記憶を
異界のものとして他者化する。オオゴマダラを見るマサシを描いたオープニングは本作のまなざしを象徴するシーンであろう。プリミティヴィズムへの関心は、劇中で使用される音楽にも見ることができる。『風音』で沖縄の伝統音楽が使用されるのは清吉の家のラジオから聞こえる「かぎやで風節」のみであり、主要な劇中音楽としてはルーマニアのロマ音楽のバンド「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」が演奏する音楽とヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲が用いられる。東は本作の音楽について、ギリシア悲劇の翻案に日本の尺八の音色を取り入れたピエル・パオロ・パゾリーニの例を引き、映像と音楽を衝突させる意図があったと述べている(北川
性の物語であるという主題的類似、夫の了承ないし黙認の下でヒロインが愛する相手と小舟に乗って ンと)年三九九督、監オ間ピンカン・ーェジ(の一テ父女クれさ圧抑に制長た家をし、ス性ト生み出 と映のンマ画イナビ』恋のィナは『楽音楽音気のた『日』ンッレノ・アピスし確を人ので立本 Rafutiる。題主てしそをす現表情激る曲「ル・」を提供したマイケナイマンの内なのィビナいなのと オペラ『カルメン』のアリア「ハバネラ」は音楽映画の主人公であるにもかかわらずみずから歌うこ 称ド」とで「れるアラン中るてし愛ル劇は謡民イさラジのーンビ・ュジルョゼし、憧ド徴のへを憬象 の音楽に比べて音楽の物語上の役割が明確である。アシュレイ・マックアイザックが演奏するケルト 司監の裕江中』(恋画ィビナに『映縄沖一の督、で九の時』音風は『画映江九中が、るあが)年九代 一同異)。同様に文化的に質たな音楽を取り入れ〇 島を出ていくというプロット上の類似を示唆する。『風音』ではこのような物語の内容と音楽の直接的な連関は見られず、『ナビィの恋』の音楽とは目的を異にしていることがわかる。『風音』に使用されるロマ音楽やバッハは、むしろ『橋のない川』以降の東の映画に一貫して見られるプリミティヴィズムへの志向の文脈で理解されるべきものである。『橋のない川』で使用されたボリビアのエルネスト・カブールによるフォルクローレについて、東は「この音楽から受ける強い印象こそが、私の考えていた『プリミティブ』な映画というものの特徴を、もっとも端的に表現している」と語る(「『橋のない川』」一五)。さらに『絵の中のぼくの村』では中世ヨーロッパの音楽が「無心な、それを聞いただけでは悲しいんだか嬉しいんだかよくわからない無垢で素朴な音楽」(「監督」一四)として採用され、『わたしのグランパ』(二〇〇三年)においてもヨーロッパの古楽器、民族楽器を用いた日本のバンド「タブラトゥーラ」の音楽を採用している。そして『ボクの、おじさん THE CROSSING』(二〇〇〇年)では「どこかに土俗の素朴な風の匂いのする」音楽としてアシュレイ・マックアイザックらが演奏するケルト音楽が用いられている(「ボクの」一三)。東はバッハの音楽について「いろんな民族のいろんな土俗的な古謡、そういうものを巧みに取り込んで、リファインして作っているんですね。[…]全く土俗の匂いを感じさせないくせに、奥深い底の方では、そういう土や血の匂いを持ってるんだ」と語っていることから、『風音』におけるロマ音楽とバッハの両方についても「土俗的な旋律に対する憧憬」を示していることが推測できる(「ボクの」一四)。欧米
異界のものとして他者化する。オオゴマダラを見るマサシを描いたオープニングは本作のまなざしを象徴するシーンであろう。プリミティヴィズムへの関心は、劇中で使用される音楽にも見ることができる。『風音』で沖縄の伝統音楽が使用されるのは清吉の家のラジオから聞こえる「かぎやで風節」のみであり、主要な劇中音楽としてはルーマニアのロマ音楽のバンド「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」が演奏する音楽とヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲が用いられる。東は本作の音楽について、ギリシア悲劇の翻案に日本の尺八の音色を取り入れたピエル・パオロ・パゾリーニの例を引き、映像と音楽を衝突させる意図があったと述べている(北川
性の物語であるという主題的類似、夫の了承ないし黙認の下でヒロインが愛する相手と小舟に乗って ンと)年三九九督、監オ間ピンカン・ーェジ(の一テ父女クれさ圧抑に制長た家をし、ス性ト生み出 と映のンマ画イナビ』恋のィナは『楽音楽音気のた『日』ンッレノ・アピスし確を人ので立本 Rafutiる。題主てしそをす現表情激る曲「ル・」を提供したマイケナイマンの内なのィビナいなのと オペラ『カルメン』のアリア「ハバネラ」は音楽映画の主人公であるにもかかわらずみずから歌うこ 称ド」とで「れるアラン中るてし愛ル劇は謡民イさラジのーンビ・ュジルョゼし、憧ド徴のへを憬象 の音楽に比べて音楽の物語上の役割が明確である。アシュレイ・マックアイザックが演奏するケルト 司監の裕江中』(恋画ィビナに『映縄沖一の督、で九の時』音風は『画映江九中が、るあが)年九代 一同異)。同様に文化的に質たな音楽を取り入れ〇 島を出ていくというプロット上の類似を示唆する。『風音』ではこのような物語の内容と音楽の直接的な連関は見られず、『ナビィの恋』の音楽とは目的を異にしていることがわかる。『風音』に使用されるロマ音楽やバッハは、むしろ『橋のない川』以降の東の映画に一貫して見られるプリミティヴィズムへの志向の文脈で理解されるべきものである。『橋のない川』で使用されたボリビアのエルネスト・カブールによるフォルクローレについて、東は「この音楽から受ける強い印象こそが、私の考えていた『プリミティブ』な映画というものの特徴を、もっとも端的に表現している」と語る(「『橋のない川』」一五)。さらに『絵の中のぼくの村』では中世ヨーロッパの音楽が「無心な、それを聞いただけでは悲しいんだか嬉しいんだかよくわからない無垢で素朴な音楽」(「監督」一四)として採用され、『わたしのグランパ』(二〇〇三年)においてもヨーロッパの古楽器、民族楽器を用いた日本のバンド「タブラトゥーラ」の音楽を採用している。そして『ボクの、おじさん THE CROSSING』(二〇〇〇年)では「どこかに土俗の素朴な風の匂いのする」音楽としてアシュレイ・マックアイザックらが演奏するケルト音楽が用いられている(「ボクの」一三)。東はバッハの音楽について「いろんな民族のいろんな土俗的な古謡、そういうものを巧みに取り込んで、リファインして作っているんですね。[…]全く土俗の匂いを感じさせないくせに、奥深い底の方では、そういう土や血の匂いを持ってるんだ」と語っていることから、『風音』におけるロマ音楽とバッハの両方についても「土俗的な旋律に対する憧憬」を示していることが推測できる(「ボクの」一四)。欧米
を中心とするさまざまな地域の民族音楽や古典音楽に土俗性や素朴さを見出す東の音楽の選択は、非西洋の文化をプリミティヴィズムの表象に流用したヨーロッパのモダニズムやパゾリーニに代表されるアート・シネマに通じるものである。東/山上の映画に通底する「プリミティヴへの情熱」(チョウ
より明確に見えてくるはずである。 部分が多い。当時の沖縄映画の中に位置づけて本作を読み解くことにより、映画『風音』の問題点も は、プリミティヴな他者としてのイメージを沖縄に投影する東/山上の作者としての傾向と共通する 二〇〇〇年前後に最盛期を迎える癒しやエギゾティシズムといった主題を前面に押し出した沖縄映画 時代の日本映画における沖縄表象のコンテクストで理解することにしたい。一九八〇年代にはじまり 目線や映画音楽の選択に見られることを本節では確認した。次節ではこうした東/山上の作者性を同 ルジアが沖縄という他者に仮託されていると言える。他者化の傾向が映画『風音』における子どもの として表象するものである。その表象では日本本土が近代化とともに見失った原初性に対するノスタ 四社会三の他者本日を縄沖は、)内 二 沖縄映画という文脈
癒しの主題と沖縄のエギゾティックな風景に特徴づけられるジャンルとしての「沖縄映画」は一九七五年の沖縄海洋博に代表される沖縄の観光地化の後を追うように一九八〇年代以降一般的なものになった。それらの映画では青い海、白い砂浜、ハイビスカスなどの亜熱帯の動植物、来訪者を優しく受け入れるおおらかな現地の人々といったステレオタイプがふんだんに用いられ、「本土から来た主人公たちが沖縄で何かを見つけたり、誰かに出会ったりして成長し、美しい南島の自然と人情に心癒される」というプロットのパターンを持つ(世良
「二〇〇〇年度のキネマ旬報ベスト・テンの邦画部門( が田洋次監督、一九八〇年)切皮』(りとされるこのパターンは、山の花いスカスビイハ郎次寅よ 四らー)。寅さんシリズつの第二五作『男二は
20
00年度」六一―六四)にて『顔』
(阪本順治監督、二〇〇〇年)に次ぐ二位を記録した『ナビィの恋』の商業的および批評的成功や二〇〇一年の
NH
K連続テレビ小説『ちゅらさん』の高視聴率により、日本の映画やテレビにおける定番の沖
縄表象として量産されることになった。このような日本のメディアにおける類型的な沖縄表象に対しては、実際の生活者の体験や歴史が捨象された祝祭的なイメージによって沖縄をめぐる政治や支配の構造を隠蔽しているといった批判が行われてきた(田仲
、恨みなどの負の感情には触れないとい江裕司の映画を中心に「明るいというのは、暗い現実や妬嫉 とっし 一目中四―二〇五)。に取特た、ま七俊真も
を中心とするさまざまな地域の民族音楽や古典音楽に土俗性や素朴さを見出す東の音楽の選択は、非西洋の文化をプリミティヴィズムの表象に流用したヨーロッパのモダニズムやパゾリーニに代表されるアート・シネマに通じるものである。東/山上の映画に通底する「プリミティヴへの情熱」(チョウ
より明確に見えてくるはずである。 部分が多い。当時の沖縄映画の中に位置づけて本作を読み解くことにより、映画『風音』の問題点も は、プリミティヴな他者としてのイメージを沖縄に投影する東/山上の作者としての傾向と共通する 二〇〇〇年前後に最盛期を迎える癒しやエギゾティシズムといった主題を前面に押し出した沖縄映画 時代の日本映画における沖縄表象のコンテクストで理解することにしたい。一九八〇年代にはじまり 目線や映画音楽の選択に見られることを本節では確認した。次節ではこうした東/山上の作者性を同 ルジアが沖縄という他者に仮託されていると言える。他者化の傾向が映画『風音』における子どもの として表象するものである。その表象では日本本土が近代化とともに見失った原初性に対するノスタ 四社会三の他者本日を縄沖は、)内 二 沖縄映画という文脈
癒しの主題と沖縄のエギゾティックな風景に特徴づけられるジャンルとしての「沖縄映画」は一九七五年の沖縄海洋博に代表される沖縄の観光地化の後を追うように一九八〇年代以降一般的なものになった。それらの映画では青い海、白い砂浜、ハイビスカスなどの亜熱帯の動植物、来訪者を優しく受け入れるおおらかな現地の人々といったステレオタイプがふんだんに用いられ、「本土から来た主人公たちが沖縄で何かを見つけたり、誰かに出会ったりして成長し、美しい南島の自然と人情に心癒される」というプロットのパターンを持つ(世良
「二〇〇〇年度のキネマ旬報ベスト・テンの邦画部門( が田洋次監督、一九八〇年)切皮』(りとされるこのパターンは、山の花いスカスビイハ郎次寅よ 四らー)。寅さんシリズつの第二五作『男二は
20
00年度」六一―六四)にて『顔』
(阪本順治監督、二〇〇〇年)に次ぐ二位を記録した『ナビィの恋』の商業的および批評的成功や二〇〇一年の
NH
K連続テレビ小説『ちゅらさん』の高視聴率により、日本の映画やテレビにおける定番の沖
縄表象として量産されることになった。このような日本のメディアにおける類型的な沖縄表象に対しては、実際の生活者の体験や歴史が捨象された祝祭的なイメージによって沖縄をめぐる政治や支配の構造を隠蔽しているといった批判が行われてきた(田仲
、恨みなどの負の感情には触れないとい江裕司の映画を中心に「明るいというのは、暗い現実や妬嫉 とっし 一目中四―二〇五)。に取特た、ま七俊真も