ジョン・コレットのキリスト教的 人文主義教育に関する一考察

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早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊15号 ‑1 2007年9月

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ジョン・コレットのキリスト教的

人文主義教育に関する一考察

‑ルネサンス教育論研究のための基礎的作業‑

大 川 なつか

はじめに

聖パウロ学校StPaul's Schoolは,聖パウロ司教座教会首席司祭Dean of StPaul's Cathedral Church ジョン・コレットJohnColet (1467P‑1519)によって設立された(1509‑1512年頃設立)。彼は私財を 設立のために投じただけでなく, 「聖パウロ学校規則」 Statuta Paulinae Scholaeの作成,校長の選任, 学校用テキストの執筆等を行うなど積極的に聖パウロ学校の教育にも関わった。また, 16世紀の代 表的な人文主義者エラスムスDesiderius Erasmus (1466P‑1536)ち,コレットの求めに応じる形で, 文法・修辞テキストの執筆,副校長の選定,少年司教式用演説や子どものための祈り文の作成などを 手がけた。

16世紀初期のイングランドでは,中等教育機関としての役割を担ったラテン語文法学校が興隆し た。ラテン語の能力は,国家の要職に就くために必要とされ,教育を受ける対象も聖職者から俗人へ と広がっていた。この時期はまた, 「古代世界の文化遺産を総体的に再生(1)」させる人文主義思想が 入ってきた。特にイングランドが位置する北方ヨーロッパでは,イタリアに端を発した人文主義思想 の中に,宗教性と教育的価値が兄いだされたのである。このような社会的背景において,聖パウロ学 校では古典的テキストを使った実用的なラテン語学習が行われたのみならず,そのようなテキストを 通した道徳的教育,すなわちキリスト教教育が行われた。

聖パウロ学校の教育及びその設立者であるコレットの教育観を考察した先行研究は,大きく二つの 立場に分かれる。一つは,リーチAELeach (1915)が主張するように,コレットがキリスト者にとっ ては「異教」と解されるギリシャ・ラテンの古典作品に否定的な態度をもってキリスト教教育に固執

したため,聖パウロ学校は中世的なままであるとする立場(2)である。もう一つは,ジョアン・サイ モンJoanSimon (1967)が主張するように,聖パウロ学校はルネサンス的思潮にあってエラスムス との協力関係において異教的古典作品を取り入れた人文主義的教育を行い,教育史上革新的であった とする立場(3)である。しかしながらこれらの先行研究は,設立者であるコレット自身の教育観とエ ラスムスが深く関わった聖パウロ学校の教育の実際にみる教育理念とを区別していない。設立者の教 育観と実際の教育との間にずれが生じていた原因には,コレットとエラスムスとでは異教テキストに 対して異なった扱いをしていたことが考えられる。従って,エラスムスとは異なるという視点からコ

レット自身のキリスト教的人文主義教育を再検討することが必要となってくる。

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本稿は,その基礎的作業と位置づけ,コレットの手によって書かれた「聖パウロ学校規則」の教育 内容に関する項目に着目し,異教的古典作品に対するコレットの見解をも含めて詳細に分析する。そ のような作業を通してコレット独自のキリスト教的人文主義教育とはいかなるものであったのかを明

らかにしたい。

1. 「聖パウロ学校規則」にみる教育内容と教育理念

1512年にコレット自身によって書かれた「聖パウロ学校規則」 (以下「学校規則」と表記)は,吹 の11項目から構成されている(4) ① 序, ② 校長について, ③ 副校長について, ④ 校長と副 校長の両教師について, ⑤ 学校付き司祭について, ⑥ 子どもたちについて, ⑦ 何を教えるべき かについて, ⑧ 絹織物組合について, ⑨ 規則改正に関する許可について, ⑲ 学校の資産につい て, ⑪ 支出規定について。

本節では,第7項目の「何を教えるべきかについて」の内容を検討する。なぜならここには,カリ キュラムとも言える教育内容にみるところのコレットの教育理念が述べられているからである。まず 冒頭においてコレットは,聖パウロ学校を開校するにあたって,次のような教育的意図を明らかにし ている。 「私(筆者註;コレット)は,この学校(筆者註;聖パウロ学校)において,教師たちや学 識ある者が何を教えるべきかと考えた時,私の頭の中には特別な計画や決意が浮かびます。しかし, この私の意図を一般的な言い方で簡潔に言うならば,それは教師や学識ある者が,常にラテン語やギ

リシャ語両方の良い作品,知識を伴った真のローマの雄弁さを備えた良い著述家を数えるべきであ る,ということであります。」特にここでは,ギリシャ,ラテンの両方の言葉の教育を理想とした点に,

コレットの人文主義的教育観が読み取れる。単に学校の役割が実用目的だけならば,ラテン語学習だ けで十分なのである。ギリシャ語の必要性を指摘した点を鑑みると,コレットがギリシャ・ラテン研 究を軸とする「新学問(5)」 NewLearningという学問的新思潮を,大学のみならず中等教育にも取り 入れようとしたと捉える事が出来るのである。

次に彼は, 「良い著述家」とはどのような人物かを定義している。それは「特に良い著述家とは, 韻文体や散文体の汚れのない純粋なラテン語で,自分たちの賢い行いを書くキリスト者」ということ である。その理由として「私の意図することが,この学校によって,子どもたちの中に神と,私たち の主であるイエス・キリストと,そして良きキリスト者としての生き方に対する知識と崇拝の念を富 ませることにあるからです」との宗教的動機を明らかにした。従って,聖パウロ学校での言葉の教育 とは,キリスト教教育のためにあり,この教育目標を達成するために,正しい古典語を書き,キリス トの教えを説いているそのような著述家,或いはそのような作品を通じて学ぶべきとの教育理念が示 されているのである。

次にコレットは,この目的を達成するための学習段階を定めている。 「この意図ために,私はまず 子どもたちに英語でのカテキズム全てを学ばせ, (筆者註;その次に)私が作ったラテン語の初級文 法書を,或は子どもたちがより早く適切にラテン語が話せるために,他に良いものがあるならばそ

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のような文法書を,その後に,私の求めに応じて学識あるエラスムスが書いた『キリスト者の手引』

Institutum Christiani hominisや同じくエラスムスの『表現と内容の豊かさについて』 De duplici copia verborumacrerumを,それから真なるラテン語を話すという目的のために最良と思われる,ラクタ ンティウス,プルデンティウス,プロバ,セドウリウス,ユウェンクス,バブテイスタ・マントウア ヌス,その他のキリスト的著作を学ばせるつもりであります。」

テキストとは,コレットが作成した英語のカテキズム,コレットが起草し,初代校長のウイリア ム・リリーWilliamLily (1468‑1522?)が執筆,エラスムスが校訂したラテン語文法書,英語のカテ キズムをエラスムスがラテン語訳に書き換えた『キリスト者の手引』,同じくエラスムスの手による 修辞テキスト『表現と内容の豊かさについて』,そして,具体的な著述家の作品であった。このように, 導入部分では子どもたちに身近な英語での宗教教育とラテン文法を教え,中級段階ではラテン語によ る宗教教育と修辞教育,最後に上級段階でラテン語教育と宗教教育との総仕上げとしての原典読解と いう,段階的な教材編纂が組まれていたと言える。なお具体的な著述家については,後の節で取り上 げる。

さて,次に書かれていた規定は,当時一般的に教えられていたラテン語に対するコレットの強い非 難とも読み取れるものである。それは逆に言えば,子どもたちが修得すべき理想的なラテン語を示唆 するものでもある。 「無学,分別のなさ,愚かさが,野蛮で,原文の改悪した,偽りのラテン語をこ の世にもたらせました。同様に無学,分別のなさ,愚かさが,キケロ,サスタートゥス,ヴェルギリ ウス,テレンティウスが使っていた時代の古いラテン語話法や正当なローマの言語を歪め見下してし まったのです。それはまた,ヒエロニムス,アンプロシウス,アウグステイメス,その他の多くの聖 なる博士が,彼らの時代に学んでいたラテン語のことでもあります。」このように,コレットが当時 使われていたラテン語の乱れに憤りを感じ,正しいラテン語‑の回帰を切望していたことが分かる。

ところで彼は,聖書解釈を行う際に常にスコラ的手法を批判していた。この規定文は,学問的泰廃 の根源に原典から逸れた中世のスコラ的体質を非難していたことを暗示している。 「野蛮で」と訳し たbarbaryは「教養に欠ける」 「優雅でない」, 「原文の改悪した」と訳したcorruptionは「堕落」や

「なまり」,そして「偽り」と訳したadulterateは「汚れた」などとも言い換えられる。よって,コレッ トが聖パウロ学校で教えようとしたラテン語とは,原文に近い,純粋で,洗練されたものを指すと言 えよう。

最後に彼は,教師たちに呼びかける形で次のように締めくくっている。 「それまでの無学の時代が 持ち込んだ,品のなさや口汚さはIiteratureというよりむしろbloterature (筆者註; blot 「汚れ,しみ, 傷付いた」に由来するコレットの造語)と呼んでも構わないでありましょう。私は教師たちに対して, bloteratureをこの学校から完全に排除し,そして善なるものを常に教え,子どもたちがきれいで汚 れのない雄弁さと学識の備わったギリシャ語・ラテン語の作品を読めるように指導することを命じま す。」このことから,コレットの捉える学びへの姿勢とは,原典に立ち返った学問の追求であり,ま たそれを子どもたちに指導していく教師たちの実際的な役割を重視していたのである。

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2.黄金ラテン期作品にみる純粋で真正なるラテン語

「学校規則」には,キケロMarcus Tullius Cicero (106‑43B.C),サスタートウスGaius Sallustius Crispus (86‑35B.C),ヴェルギリウスMaro Publius Vergilius (70‑19B.C.),テレンティウスPublius Terentius Afer (190P‑159B.C.)などのラテンの古典著述家の名が挙がっていたO この点からコレット が,異教の著述家を容認していたとする見方もできる。しかし,この箇所を精読するならば,彼は子

どもたちにこれらの著述家の作品そのものを読むようには書いていない。厳密にみれば,コレットは 彼らが使用していた時代の「純粋な,汚れのないラテン語」,そのようなラテン語の価値を認めてい たのである。従って,この時代のラテン語とはいかなるものであったのか,その特徴を明らかにする 必要がある。

キケロらが活躍していた紀元前1世紀頃のラテン語の特徴は,ラテン語の変遷を辿ったその歴史の 中で古典ラテン語期,ラテン黄金期と言われるラテン語期におおよそ属している。この期のラテン語 は,規範かつ美的範例としてのラテン語と特徴付けられている。この期の著述家たちは, 「言語を正 すことによって言語・文体の質の高さ(6)」を追究していた。言葉を正すとは,言語の純正さを求め ることであり,この純正さとは「文法上の誤りを避けるだけではく,表現ごとの最適な言い方を探る こと(7)」を意味する。そこで,ラテン語黄金期を築き上げた著述家たちのラテン語とその文体上の 特徴について,主に高津春繁,斎藤忍随両氏の説に依拠しながらまとめてみた(8)

1)キケロ(英語名;Tuiiy) ;古代ローマの哲学者 政治象 雄弁家。彼は修辞学的著作 哲学的 著作を残し, 「古典的ラテン語の創造者」と言われる。彼はギリシャ語の原典を翻訳し,またラテン 語にない語蓑や表現の翻訳語を作り出した。例えばhomoから派生したラテン語のhumanus 「人に 関する」の意味を「あるべき人間である」の意味へと大きく転換させた(9)。また彼の文体はラテン 語の模範とされ,近代ヨーロッパ諸言語の文語体形成に多大な影響を与えた。彼の哲学談義,演説は 平明にして美しい素直な文体で書き綴られ,また書簡においては,情感に満ちた見事な散文体となっ ている。他方,そのような文体とは全く異なって,イソクラテス式の長いピリオドの,豊かに流れる 大河のような言葉に満ちた文体を好む傾向も見られた。

雄弁家としてキケロの演説は100を超えたとされるが,その内58が伝存している。道徳哲学書 の中でも後世,中世を通じて近代に至るまで愛読されているものには「トウスクラーヌム談論」

Quasti∂nas Tusclanae 5巻, 「神について」 D否naturade∂rum 巻, 「義務について」 De officiis 3 巻がある。この他「老年について」 D否senectute, 「友情について」 D否amicitl虎の2/ト篇も知られてい る。彼の全ての著作は,道徳論が中心となって展開されている。

2)サルステイウス(英語名;サルストSalust) :古代ローマの歴史家,政治家。彼はカエサル GaiusJuliusCaesar (10244B.C.)と親交を結び,一時ヌミディアを統治した。その著には『ユグルダ 戦記』 Bellum Iugurthinum, 『カティナ戦記』 Bellum Catilinaeがある。彼の作風は,事実を記す歴史 作家というよりは,その素晴らしい語り手,文体の作り手という観点から,後のラテン文学に多大な

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影響を与えた。

3)ヴェルギリウス(英語名;ヴァ‑ジルVirgil) ;古代ローマの詩人。彼はラテン文学随一の『ア イネ‑イス』 Aen否isなどラテン叙事詩の極致を残した。そこには,比類のない詩句が満ち,詩的に技 巧的に琢磨された美が認められる。彼は幾行にも渡る長文を用いて,韻律の切れ目を超えて文をつな ぎ,更に簡潔な表現の中に深長な意をひそませるという,一つの新しい文体を創造した。また『牧歌』

Bucolica十篤のうちの第4歌は,黄金時代を切り開く子どもの誕生を予言しているかのような内容で あり,キリスト者はこれを救世主の予言と重ねた。

4)テレンティウス(英語名;テレンスTerence) I古代ローマの喜劇詩人。彼の典雅なラテン語法 は,ラテン文学の粋としてカエサルやキケロからも洗練された喜劇として賞賛された。彼のラテン語 は,当時の上流の人々の用いた純粋な,俗語を交えないラテン語であり,穏やかな作風を作り上げた。

そもそも古代の詩人や思想家たちは, 「自然と社会における人間の在り方(10)」を追求し,中でもラ テン文学と言われるものは, 「その基本的価値『フマニタス』 (humanitas;人間理解・教養),自由, 正義などの精神のみならず,神話,英雄伝,修辞法,詩作技法,文芸的領域をギリシャ文学と共有し,

「古典文学」 Classical Literatureという名称の下に,ギリシャ文学と一体をなして捉えられてきた(ll)。

このギリシャ・ラテンの「古典文学」には,広く歴史,道徳論,法廷演説,好色文学が含まれる。こ のような異教作品が,キリスト教教育には不適切だという考えは中世以前からあった。その主な理由 として「詩人たちは多神教的であったし,神々について,とりわけすべての神々の父について詩人が 語る物語はたいてい,精神的教化を欠いていたり,徹底的に反道徳的であったりした。ローマの修辞 学は,正しい目標に使えば有益であろうが,純朴な信心を失って演説と議論をますます達者にさせる ばかりだった(ユ2)」からである。また異教作品自身にも「人間あるがままの姿をよしとするのか,古 来の美風を尊ぶべきか(13)」という人間の行為ありようを問う態度が混在している。古典作品の中に は,質の高いラテン文体による作品だけではなく,幼い子どもたち‑の道徳的テキストには不向きな 作品や文言などが多く含まれていたことに留意しなければならない。

15世紀のラテン研究,すなわち古典テキストの研究基本であるテキスト伝承学と校訂学の第一人 者ロレンツオ.ヴァッラLorenzoValla (1407‑1457)は, 「ラテン語の作文において古典的模範を重視 していたので,キケロ風のラテン語を第一に礼賛する(14)」傾向にあったo他方,もう一人,ラテン 研究の第一人者とされるアンジェロ・ポリティアスヌAngelo Ambrogini Politianus (1454‑1494)は,

そのようなキケロ至上主義を拒否し,あらゆる作家のラテン語文体を取り入れていた。エラスムスも また1527年に『キケロ派』 Ciceronianusを出版し,行き過ぎたキケロ信奉者が冒す多くの過ちを郷 旅している。しかしながら,これは,キケロがラテン文体上いかに重用されていたかを示すものでも

ある。

従って,コレットが学ぶべき人物として挙げた古典著述家たちに共通してみられる点を検討するな らば,それらの作品が何を題材にし,そこで何を訴えたかったのかという内容的側面をコレットが重

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祝していたというよりも,むしろラテン語の素晴らしい文体への追求者,創造者という共通性をもっ て,彼等の使用したラテン語そのものに教育的価値をおいたと言えよう。仮にコレットが「義務に ついて」などに代表されるキケロの哲学的著作をも重視したのであれば,エラスムスが校訂した「恩 恵について」 De beneficiisや「寛容について」 De dementiaを著わしたセネカSeneca Lucius Annaeus (B.C.5‑A.D.65)にコレットが言及しなかったことは不自然である。キケロとセネカの違いの一つは, 彼らのラテン文体である。セネカは.古典修辞学の規範やキケロの文体聖典と決別し,生活に即した 口語文体に近づこうとしたのだった(15)

3.教父作品にみる学識あるラテン語と宗教性

「学校規則」には,ヒエロニムスSt.JeromeEusebiusHieronymus (347P420?),アンプロシウスSt.

Ambrose (339P‑397),アウグステイヌスSt. Augustine (354430)の名も挙がっていた。彼等が活躍 した時代は,共に紀元後4‑5世紀である。この時期のラテン語は,どのような特徴があったのであろ うか。この期はラテン語の歴史の中でも,文体の洗練化がみられ,また学術的専門書が出現した時期 であり,口語と文語が一層乗離していった時期である(16)。教父らが使用したラテン語は,キリスト 教を土台にした学者的性格が付されていたために,口語を主とする民衆語とは大きく異なるものだっ

i .

他方この時代は,ローマ帝国が395年に東西に分裂しながらも拡大していった時期と重なるた め,ラテン語は公用語としての性格も強めていった。ラテン語は,ローマから離れた遠隔地にいくに したがい,つまり時と共に地方や属州の退役軍人の下,教育を受けない層によって「田舎風の租野 rustictias」な性格を帯びていった。ジヤクリーヌ・ダンジェルJacquelineDangel (2001)は,変容し つつある当時のラテン語を「教養人」 litteratusと「無教養人(民衆)」 illiteratusとが使用するものに 分け,分類している(17)

このIitteratusという言葉は,上述のように学校に行くことによって習得した「ラテン語を読み書 く能力」を内包するものとなったが,時代が下り13世紀末になると「ラテン作品‑通暁する能力」

を意味するようになった(18)ラテン作品に精通するほどに教養のある人Iitteratusと,教育の機会を 得ずに,そのような教養を持ち得ない一般的民衆illiteratusとが使用するラテン語に分化していった のである。従って,コレットはラテン語が顕著に多様化し乱れていく以前の,学識高く洗練されたラ テン語を教父作品にみてとったと言える。以下にそれぞれの教父とその作風をまとめる。

1)ヒエロニムス;キリスト教の教父・聖人。激しい実践的禁欲主義的聖書学者。彼が大改訂した ラテン語訳聖書『ウルガ一夕聖書』 (390405年) Vulgataは公認聖書となる。また『書簡』 Epistl (70 2)の中で,自身の経験をもとに,異教の教育を受けた正統的なキリスト教徒が直面したデイレンマ を, 「申命記」 Deuteronom (21 10‑13)を取り上げることによって表現した0

2)アンプロシウス;ミラノ司教(374‑397),聖人。東方ギリシャ敦教父の神学に通じ,アレクサ ンドリア学派の聖書解釈を紹介し,自らも聖書解釈と説教,禁欲的生活を通じ人々に影響を与えた。

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また典礼を改革して聖歌を作曲するなどした。キケロの『義務について』にあるストア的な内容を改 変し,キリスト教の倫理的規範を説いた『聖職者の義務について』 Deofficiisministrorumを著わした。

3)アウグステイヌス;北アフリカのヒツポレギウスの司教,西洋古代最大のキリスト教の教父。

キケロが『雄弁家』で表した修辞学上の三つの文体の理論を,キリスト教説教師にも有効に利用で きるよう改作し『キリスト教教義について』 Dedoctrina Christianaを書いた。彼は古典ラテン語の規 範とキリスト教教会で使用されるラテン語との質的な差を明確に区別しえた。このため北アフリカで

は,地理的条件に関わらず,正しいラテン語の知識が残った(19)。また彼は新プラトン主義の影響を 受けつつも,使徒パウロの深い理解者として,ギリシャ哲学とキリスト教を統合させ,独自の神学を 構築した。

以上,教父たちに共通して言えることは,洗練されたラテン語を使用したこと,異教哲学や道徳 的作品を改変させることによって,キリストの教えを見事に書き表したことである。コレットはキ ケロなどの異教作品に対しては,そこに純正なるラテン語が追求されていたために,修辞学的文体上 の模範をみてとり,また教父作品からはキケロの時代にはないキリストの精神に沿う新しいキリスト 教用語としてのラテン語をみてとったと言える。例えば, 「政世主」 salvatorは,キケロの時代には servator (救い手)が使用されていたが,これは「奴隷」 servusとも同じ語源のservare 見張りをする) の派生語であり,宗教的雰囲気に欠けていたため,教父の時代には「安全,安泰」のsalvusから新 語が作られた(20)。

ところで,言葉の純粋性の追求には宗教上の動機が認められる。コレットに代表されるキリスト教 的人文主義者に共通する純粋なラテン語への執着に,渡辺誠一氏(2000)は宗教性をみてとった(21)。

渡辺氏は,キリスト教的人文主義者が「汚れのない」言語に固執する理由を,言葉のもつ神性さに求 めている。ヨハネによる福音書は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であっ た」 (1:1)という文言で始まる。 Logosとは「人々が話す言葉」であると同時に,それは三位一体 の第2位としてのキリストを意味する。聖書が書かれたラテン語,ギリシャ語,ヘブライ語という言 葉自体には,キリスト教的人文主義者に共通に認められる「聖書の言葉に内在する神からの啓示」と

しての意味が内包されている,と渡辺氏は指摘する。

従って,原典に書かれた言葉を追求する姿勢は,学問と信仰とを結びつけたキリスト教的人文主義 者の使命であり,スコラ学者が行っていた原典から乗離した改変は許されないことだった。コレット が行ったパウロ書簡に関する聖書解釈的方法論は,スコラ神学のそれと対峰している。このように彼 が子ども達に純正なる言葉を学ばせたいという意図は,宗教的理由からも説明できよう。

4.キリスト教的著述家作品にみる卓越した修辞学的技法と宗教性

コレットは,ラクタンティウスLactantius, Lucius Caecilius Firmianus (240?‑320/330?),プルデ ンティウスPrudentius, Aurelius Clemens (348P‑404?‑),プロバProba (360?活躍),セドウリウス

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Sedulius (5世紀前半活躍),ユウェンクスJuvencus, Gaius Vettius Aquilinus (330?活躍),バブテイ スタ・マントウアヌスBaptista Mantuanus (1447‑1516)の6名を学ぶべき著述家として具体的に列 挙している。そこで,活躍した時代も異なるこの6名の代表的な著作とその作風をまとめてみる。

1)ラクタンティウス;神学よりも修辞に優れ「キリスト者キケロ」と呼ばれたラテン教父,修辞 家。ニコメディアで修辞学を教え,のちにコンスタンテイヌス大帝に招かれ,ガリアで帝の長男クリ スプスCrispusの教育係をした(312‑318)。 『神の労作について』 Be opificio Deiでは,神の作品とし ての人間の身体組織から神の存在と摂理を弁証した。 『神聖な教理』 Institutione divinae,では,異教 哲学者に対して其の宗教としてのキリスト教を弁論し,異教・哲学・ユダヤ教の空虚さを論じた。他 に『神の怒りについて』 DeiraDeiがある。

2)プルデンティウス;キリスト教的宗教詩を作ったローマの詩人。兵士,弁護士,判事などになり, 中世において「キリスト者ピンダロス(Pindar, 522?440?B.C,ギリシャの叙情詩人;ギリシャの勝 利をたたえる頒歌Epinikiaで有名)」として知られ,専らキリスト教的宗教詩を作成した。彼の『魂 の戟い』 Psychomachiaは,比倫的方法を用いた魂における善悪の闘いが措かれおり, 16世紀にはヴイ

ヴェスLudovicusVives (1492‑1540)によって学校用テキストとしても使用された。また「日々の歌」

Cathemerinonなる讃歌集や聖書中の物語を主題とした詩,三位一体を論じたものなどがある。

3)プロバ;キリスト教ラテン詩文編者。聖書全体から抜粋した逸話を題材に,キリスト教ラテン 詩文の寄せ集め詩集を編んだo彼の『ヴェルギリウス収集詩』 Centones Virgilianiは,ヴェルギリウ スの詩句を「キリスト者の生活」,或いは「キリストの生涯」を描写するため,そうした文脈から寄 せ集められた収集詩である。

4)セデュリウス;キリスト教徒ラテン詩人。修辞学校教師で,異教徒にキリスト教の偉大さを知 らしめるべく,ヘクサメーター(六脚韻詩型)でイエス・キリストの生涯を歌った「キリスト讃歌」

Carmen paschaleを書いたO神殿における博士たちの間で少年博士としてイエスを措写した彼の著作 に,コレットは魅了されたと言われている。

5)ユウェンクス;キリスト教ラテン叙事詩人。その生涯についてはほとんど知られていないが,

『福音書物語』 Historia Evangeliaにおいて,福音的パラフレーズを書いた。彼は,四福音書の著者に 付された伝統的な象徴を重んじ, 『福音書物語』の序で,マタイを立法者,マルコを鷲,ルカを雄牛,

ヨハネを獅子(後世の著述家らによって,ヨハネとルカは置き換わった)となぞらえている。また, 伝統的な叙事詩の文体を維持しようと努め,古典ラテン語の翻訳を史料として用いた。

6)バブテイスタ・マントウアヌス;「キリスト教的ヴェルギリウス」と称されるカルメル修道会托 鉢士。彼の『牧歌』 Bucolicsは,ヴェルギリウスの『選詩』 (短い選り抜きの詩) Ecloguesの租野な 部分を取り除き,優雅に仕立てた作品である。またこれは,エリザベス朝(1558‑1603)の一般的な 文法学校用教科書として使用された。

以上, 6人の著述家は,いずれも散文体で書かれた福音書を韻文体に表現し直し,キリスト教的色

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彩の濃い作品を残している。コレットは,道徳的要素を取り入れたラテン語教育の最終段階として, これらキリスト教的著述家名を挙げた.トラップJ.B.Trapp (1990)は,コレットが彼等を推薦した 理由には,その宗教性に加えて,彼等の福音書に対する解釈上の方法論的手法,すなわち修辞的技法 に注目していたからだとみている(22)そのため,原典の典拠先には16世紀の著述家も含まれ,必ず

しも古典的作品でなければいけないという事にはならなかったのである。

中級段階で学ぶとされたエラスムスの『言葉と内容の豊かさについて』にみる修辞法とは,一つ の言わんとする主旨に沿って,多種多様な表現方法で書き表せるということである。上級段階で読 解として取り上げられた6人の著作は,福音書にみるイエスの一貫した教えを,卓越した修辞的技法 によって表現したものなのである。聖書には,多様な表現方法が駆使され,隠隙や寓話が多く使用さ れている。聖書を読み解くことは,幼い子どもたちとっては難解な作業と言える。これら6人の著 作を通してみる聖パウロ学校の言葉の教育の目的は,キリストの教えをそれぞれの子どもが直に読み 解いていくために必要な技術や手段,判断力を身に付けさせることにあると言えよう。ブルバチャー Brubacher (1984)は,コレットの求める修辞的技法が神‑の賛美や聖書の原典批判を可能にし,ま た修辞教育の刷新を促すものであったと評価している(23)

ところで, 6人の著述家の1人であるバブテイスタ・マントウアヌスは,全作品においてキリスト 教的宗教性を一貫して書き著した。コレットは同時代人である彼に対して,聖パウロ学校生のために 宗教詩を作成してくれるよう依頼しており,彼を非常に気に入っていた(24)。事実コレット自身,オッ

クスフォードでの聖書解釈講義の中で,マントウアヌスのギリシャ語訳を引き合いに出しながら聖書 解釈を行っていたのである(25)。現在, 6人のうちでマントウアヌスの『パルテニアユ(処女の子ども たち)』 Partheniaeのみが実際に聖パウロ学校において使用された教材として確認されている(26)。彼 の作品は,古典的文体によってキリスト教的素材を扱ったという点で,エラスムスを始めとして,普

く高い評価を受けていた(27)。また「共同生活兄弟国」 Brethren of the Common Lifeや初期の「イユ ズス教団学校」 JesuitCollegesにおいても使用されていたのである。このことは,彼の作品がキリス

ト教的人文主義の精神に合致する「新しい敬慶」 Devotio Moderna,すなわち,平信徒向けの敬慶で 禁欲的態度を伴った内的信仰の確立を促すことに適した教材と捉えられたとみる事ができる。

このように,聖パウロ学校の子どもたちは,キリスト教の基盤を学び,ラテン語の文法,修辞学習 を終え,マントウアヌスらの著作を読む事で,実用的なラテン語を自由に操れるのみならず,聖書と 直接対話できる自律した信仰をもつことが望まれたのである。

おわりに

コレットが規定した「学校規則」に掲げられた教育内容ともいうべきものを考察した。そこでコ レット自身が理想とするキリスト教的人文主義教育とはいかなるものであったのかを,次の4点にま とめることができる。 1つは,キリスト教教育を言葉の教育の第一目的に定めていたこと。しかしそ れは,中世的な,つまり教会教義に縛られた上からの信仰ではなく,各人が原典批判を行うことで,

(10)

80       ジョン・コレットのキリスト教的人文主義教育に関する一考察(大川)

「新しい敬慶」運動と人文主義との融合にみられる,禁欲的で内的な信仰の確立を目指すものであっ た。 2つは,キケロらが活躍した時代にみる純粋なラテン語文体の修得を目指していたこと。この意 味でコレットにおいて,ギリシャ・ラテンの古典作品は,道徳的価値ではなく修辞上の規範としての み認められた。 3つ目は,教父らが使用した教養溢れた格調ある聖的なラテン語の修得を目指してい たこと。 4つ目は,ラテン語学習の集大成として宗教的色彩が強く,修辞的技法にも優れた著述家の 作品を読むことで, 「神を冒涜するかのごとく汚れた学び」 blotera山reではなく, 「イエスの生き方に みる,キリスト者としてのふるまい方と智恵が備わる学び」 literatureを追求していたということで

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注(1) L.D.レイノルズ, N.G.ウイルソン著,西村賀子,吉武純夫訳『古典の継承者たち‑ギリシア・ラテン語テ クストの伝承にみる文化史』国文社, 1996, p. 195f. Cf., LD.Reynolds and N.G.Wilson, Scribe and Scholaars, Oxford Univ. Press, 1968.

(2) AF.Leach, The Schools ofMedieval England, Methuen, 1915.

(3) Joan Simon, Education and Society in Tudor England, Cambridge at the Univ.Press, 1967.

(4) J.H.Lupton, A Life ofJohn Colet, Burt Franklin Reprints, 1974 (repr.of 1887) , pp. 271‑284.

(5) Frederic Seebohm, The Oxford Reformers:John Colet, Erasmus, and Thomas More, AMS Press, 1913.

(6)ジャクリ‑ヌ・ダンジェJk 遠山一郎,高田大介訳『ラテン語の歴史』白水社 2001, p.49.Cf.,Jacqueline Dangel, Histoire de la langue latine, (coll. ≪ Que sais‑je?) no. 1281, Paris, P.U.E, 1995.

(7)同書, p.49.

(8)高津春繁,斎藤忍随著『ギリシャ・ローマ古典文学案内』岩波書店, 2004.

(9)小林標著『ラテン語の世界一ローマが残した無限の遺産』中公新書 2006, p.193f.

(10)岡道男著『ギリシャ悲劇とラテン文学』岩波書店, 1995, xii.

(ll)同書, xii.

(12) L.D∴レイノルズ, N.G.ウイルソン著,前掲書 p.65f.

個 久保正彰著『ギリシャ・ラテン文学研究』岩波書店1992, p.500.

吐4) L.D.Vイノルズ, N.G.ウイルソン著,前掲書, p.218.

(15)ジヤクリーヌ・ダンシャル著,前掲書, p.49.

(16)同書, p.57f.

(17)同書 pp.59‑62.

L.D.レイノルズ, N.G.ウイルソン著,前掲書, p.172.

(19)小林標著,前掲書 p.249.

w 同書, p.236.

(21)渡辺誠一, 「ヒューマニストの言語観と言語教育思想」教育史学会第44回発表要旨,埼玉大学教育学部, 2000年10月1日.

担 J.B.Trapp, Erasumus, Colet and More: The early Tudor Humanists and their Books, The British Library, 1991, p.117.

担3) Demas Brubacher, Epidectic Rhetoric in the Works ofJohn Colet, Memphis State University, 1984.

Edit, by Peter G.Bietenholz, Contemporaries ofErasmus, Vol.2, Univ. of Toronto Press, 1986, p. 375.

John Colet, trans.introd. and noted by J.H.Lupton, Opera, Vol.1, Gregg Press, 1878, p. 33.

J.B.Trapp, op.°it., p. 1171

位7) Edit, by Peter G.Bietenholz, op.cit, p. 375.

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