氏 名 沼田 あや子 学 位 の 種 類 博士(教育学)
学 位 記 番 号 人博 第163号 学位授与の日付 2020年3月20日 課程・論文の別 学位規則第4条第2項該当
学 位 論 文 題 名 発達障害児を育てる母親のしなやかな覚悟の物語
-日常生活で紡がれる物語を探求する質的研究 論 文 審 査 委 員 主査 准教授 田中 浩司
委員 准教授 杉田 真衣 委員 名誉教授 浜谷 直人
【論文の内容の要旨】
Ⅰ 本論文の構成
序章 研究テーマと研究者の関係
1.研究者の個人的経験と研究の視座
2.発達障害児の母親支援と支援者としての不全感 3.本論における研究対象
4.対象を「母親」にする意味 5.本論の構成
第Ⅰ部 発達障害児を育てる母親の研究
第1章「障害児の母親」に関する先行研究の検討
1.障害児の母親の育児負担という問題
(1)家族生活調査から母親のストレスへの注目
(2)母親へのソーシャルサポート研究
(3)母親の献身を問い直す研究
2.障害児の母親の心理的葛藤という問題
(1)母親の障害受容研究とその批判
(2)葛藤の変容と日常生活の関係についての研究 3.先行研究の批判的検討
(1)育児負担という現実と、それでも育児に向かう力
(2)乗り越える・成長するという発達観を疑う
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(3)日常生活に着目して母親像を豊かにする
第2章 問いを探求する1. 本論の問いの所在
(1) 先行研究のどこに位置づこうとしているのか
(2) 先行研究と支援実践の関係
(3) 本論で探求すること 2. ナラティヴ・アプローチ
(1) 本論の目的とナラティヴ・アプローチ
(2) 本論の物事のとらえ方と質的研究の認識論
(3) 意味づけをとらえる枠組み
(4) もうひとつの物語と出会う研究
(5) 研究者の経験を含んだ探求
(6) 本論で用いる2つの探求方法
第Ⅱ部 発達障害児をもつ母親によるしなやかな実践の物語 第3章 日常生活におけるケアのなかでの我が子探求
1. 問題と目的 2. 研究方法の選択
(1)M-GTA の特性
(2)M-GTA の分析の流れ 3. 調査
(1) 調査対象
(2) インタビューの手続き
(3) 倫理的配慮
(4) 分析テーマの検討
(5) 分析の質の保障 4. 結果
(1) カテゴリー関係の概観
(2) ストーリーの概観
(3) カテゴリーを構成するストーリー 5. 考察
(1) ケアのなかの我が子探求 ―ケア理論との一致
(2) ケアする人を支えるもの ―支援実践のための考察
(3) 葛藤をともなう二者関係は閉じられているか 6.本章のまとめと課題
第4章 母親による父親とのつながりを形成・維持するプロセス
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1. 問題と目的
(1)家族という生活のフィールド
(2)研究における父親の断片的な姿
(3)母親が語る父親との生活 2.研究方法の選択
3.調査
(1)調査対象
(2)インタビューの手続き
(3)分析テーマの検討
(4)分析の質の保障 4.結果
(1)カテゴリー関係の概観
(2)ストーリーの概観
(3)カテゴリーを構成するストーリー 5.考察
(1)つながりを維持していく道
(2)母親が物語る父親 ~二つの像の共存
(3) “家族をつなぐことの引き受け”のとらえ方 ―支援実践のための考察 6.本章のまとめと課題
第Ⅲ部 母親と他者の対話が紡ぐ物語
第5章 迷いのなかにいる母親 ―親子のつながりについての再ストーリー化の対話 プロセス
1.母親を支えるための問題と目的
(1)主体的な生活者としての母親のある一面
(2)生き方にも及ぶ迷い
(3)迷いの語り、その背景の仮説
(4)母親のなにに寄り添うことができるのか 2.研究方法の問題と目的
(1)語りをもとにした仮説生成の課題
(2)当事者とおこなう検証
(3)対話志向のインタビューの試み
(4)仮説を開くことによる再ストーリー化の可能性 3.方法
(1)対象者
(2)対象者と筆者の関係
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(3)インタビューの手続き
(4)倫理的配慮
(5)分析の対象と視点 3.結果と考察
(1)対話のプロセス
(2)対話の転機の考察
(3)新しいテーマ・新しい言葉を創出する理論の考察 4.本章のまとめと課題
第6章 母親として生活していく物語 ―三つの研究の総括
1.生きるために必要な母子の依存関係を開く
2.母親として生活していくという受動的で能動的な物語 3.発達障害児の母親の語りを支える
終章 まとめ
1.本論の意義と課題
(1)言論空間における位置づけ
(2)研究方法への示唆
(3)支援実践への示唆
(4)本論の課題
2.発達障害児の母親研究の今後の展開
(1)日本社会における養育環境の変化
(2)ケアは母親がやって当然の社会構造
(3)支援と距離を置く母親たち
引用文献
Ⅱ 本論文の概要
序章 研究テーマと研究者の関係
本論は、発達障害児の母親が子を育てる日常生活において紡いでいる物語を探求する質 的研究である。従来の障害児母親研究によって形作られてきた大きな物語とは違う、もうひ とつの物語があるのではないか、それはどのようなものか、という問いから始まった研究で ある。本論は、研究者の個人的経験を基盤にして、支援実践と研究の問いに密接につながっ ている。そのため、研究対象と支援対象は「発達障害児を育てる母親」であることを明示し た。
第Ⅰ部 発達障害児を育てる母親の研究
第
1章 「障害児の母親」に関する先行研究の検討
◎まず、障害児の母親研究が問題として扱ってきたことを
2つに分けて概観した。
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一つ目は「育児負担」という問題である。障害児を育てる母親の育児負担は、生活調査か ら研究の俎上に載った(Hewett, 1970:久保,1975)。同時期にストレス研究もおこなわれ たが、その領域ではまだ母親のストレスは子への悪影響として扱われていた(橋本,
1976)。 ストレスは家族成員に起因するものではないとし(新美・植村,1980) 、母親へのソーシャ ルサポートが検討されるようになったのは
1980年代に入ってからである。問題がストレス として外在化されたこと、母親がサポート対象として他の家族成員と差別化されたことの 意味は大きい。
ソーシャルサポート研究においては、有効性を測るものが多くおこなわれた。母親の心理 面へのサポートのニーズは高いにもかかわらず、サポートの質と有効性の関連は明らかに なっていない(野田,
2012)。障害児の母親研究の知見が蓄積されてくると、
1990年代に主 に社会学分野において、母親の障害のある我が子への献身を問い直す声があがってきた(石
川,
1995:要田,1999)。育児負担をソーシャルサポートで軽減させるだけでなく、家族の
あり方そのものも問題とされた。現在では、脱家族論は家族の実態に合ってないという批判 がされ(土屋,2002:藤原,2006) 、家族の「ケアに向かう力」 (中根,2005)を否定しな いソーシャルサポートのあり方を検討する段階に入っている。
二つ目は「心理的葛藤」という問題である。臨床事例の研究から母親による子の障害受容 の段階論が生成された。母親の障害受容は研究者の関心となり、多くの研究がおこなわれ、
子の障害受容はその子そのものの受け入れであると定義され、子の障害受容は人間的な成 長と関連付けて語られるようになった。その研究の蓄積が、一方では障害児を育てる負の側 面を強調し、一方では障害児の母親は困難を乗り越え成長するものだというモデルを示す こととなり、批判の対象となった(夏堀,
2003:高岡,2013)。そして近年、障害受容を前 提としない母親研究が行われ始めた。母親の心理変容を日常生活のケアと結びつけた研究 である(中川,2003;前盛,2009;得津,2009) 。
◎先行研究の批判的検討:本論ではこれらの先行研究の動向から、障害児の母親研究は乗り 越える・成長するという発達観の偏りがあるととらえ、 「葛藤乗り越え物語」が主流になっ ていると考えた。一方、小さな潮流ではあるが、日常生活のケアから母親の心理を見つめる 研究がおこなわれており、①障害受容ありきではないこと、②家族というフィールドが意識 されていること、③乗り越え・成長物語ではない物語の可能性を示していること、に注目し た。しかし、この潮流にある研究では重症心身障害児の母親を対象にしたものが多く発達障 害児を育てる母親を対象にした研究はまだ不十分である。
第
2章 問いを探求する
◎本論は「葛藤乗り越え物語」に対し、 「もうひとつの物語があるのではないか」という問 いを持ち、本論の目的を次の三つとした。
① 発達障害児を育てる日常生活のケアのプロセスを知り、ケアのなかでどのような物語
を紡いでいるのかを探求する。
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② 発達障害児を育てる母親の父親への関わりを知り、家族のなかの母親としてどのよう な物語を紡いでいるのかを探求する。
③ ①と②をふまえて、心理的支えとなる支援実践の検討をおこなう。
◎これらの目的の性質に合わせ、本論ではナラティヴ・アプローチを用いることとした。
第Ⅱ部 発達障害児をもつ母親によるしなやかな実践の物語 第
3章 日常生活におけるケアのなかでの我が子探求
母親の日常生活における子への関わりについて母親9名にインタビューをし、その語り を修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を用いて分析した。本章の研 究から明らかになったものは日常生活における発達障害児への関わりは我が子像の探求が コアであるケアプロセスだった(図1) 。ストレスや葛藤とは別の側面に光をあてることが できた。ケアを通した母親と子の専心的な二者関係があり、 「ケア対象を知ろうとする気持 ち」 「過去の経験」 「未来の希望」が母親の気持ちを支えているという考察に至った。重症心 身障害児の子育てとは医療的ケアの有無という点で違いはあるものの、ケアという枠組み によって共通する点を確認することができた。考察の最後に、この二者関係は家庭というフ ィールドのなかで閉じられたままなのだろうかという問いが生まれた。
第
4章 母親による父親とのつながりを形成・維持するプロセス
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家庭というフィールドにおいて母親は 父親にどのように関わっているのかとい うことについて母親
10名にインタビュー をし、その語りを
M-GTAを用いて分析し た。本章の研究から明らかになったものは、
時には問題を棚上げして時には子育てに 父親を巻き込むという戦略から始まり、母 親が父親への関わりをしなやかに変化さ せつつ自分のなかで折り合いをつけて父 親とのつながりを形成・維持するプロセス であった(図2) 。母親は平穏な家族生活 を送ることを第一に考えて葛藤や衝突は 意図的に回避していた。さらに、母親は父 親を多面的にとらえることにより父親と の距離を縮めていた。すれ違いを乗り越え るのではなく、すれ違いと共存していくプ ロセスから見えてきたものは、家族をつな ぐことを引き受ける物語であった。しかし、
インタビュー協力者のなかには分析結果 と一致しない母親がおり、この引き受けの 物語をすべての母親に求めることはできないという課題が残った。
第Ⅲ部 母親と他者の対話が紡ぐ物語
第
5章 迷いのなかにいる母親-親子のつながりについての再ストーリー化の対話プロセ
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第
3章と第
4章の研究から主体的な生活者としての母親の姿が見えたが、インタビュー 協力者のなかには、コンテクストが読み取りづらく、後悔の言葉や自問自答の言葉が不規則 に現れる「迷いの語り」をする母親がいた。それは二項間の揺れではない、生活全体にまで 及ぶ迷いであるととらえた。
そして、主体性をもちながら も迷いのなかにいる母親の 背景には、母親規範や子育て の被傷性があるという仮説 を立て、そのような母親のな にに寄り添うことができる のかという問いが生まれた。
筆者の仮説の検証をインタ ビュー協力者とともにおこ なうことで、前回の語りが生 活に根差したものであるこ とを確認するとともに、仮説 を開くことで再ストーリー 化の可能性があると考え、対 話志向のインタビューを試 みた。対話のナラティヴ分析 をおこなったところ、対話プ ロセスにおいて対話の方向 が変わる転機があることが わかった(図4-2) 。その4 つの転機を「母親自身の傷つ きへの焦点化」「理解できる という想定を手放す」「断絶 の物語の容認」「オルタナテ ィヴ・ストーリーへの関心」
と名づけた。お互いのズレを 抱えたまま対話を続けることで新しいテーマが生まれること、支援者が自分の想定を手放 すことによって新しい言葉が生まれること、そしてそのプロセスを明らかにした。
第
6章 母親として生活していく物語 ―三つの研究の総括
◎生きるために必要な母子の依存関係を開く:母子の依存関係は批判対象となる傾向が
強いが、本論では、第
3章でみられた専心的な二者関係の考察から、障害児を育てる母親に
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とってその依存関係は生きるために必要なものと解釈した。一方、その依存関係が膠着状態 にあり、母子の被害と加害の線引きが曖昧になってしまっている母親がいる。そのような二 者関係を開いていくためには、他者との対話が必要であることがわかった。支援者はその対 話において、自身の想定を手放し余白を作る必要がある。つまり母親より先に支援者自身が 開かれていなければオルタナティヴ・ストーリーが生まれないということを述べた。
◎母親として生活していくという受動的で能動的な物語:三つの研究結果から、母親は、
障害児を育てるという強いられた状況に対して、 「引き受け」の覚悟をもち、その覚悟を何 度も更新させているのではないかと考えた。それは葛藤を乗り越え成長しようとする能動 性ではなく、母親として家族と生活していくことを引き受けるという受動的な能動性であ る。受動的でもあり能動的でもある態度とは、自分で好んで選び取った道というわけではな いが無理矢理押しつけられたというわけでもない、という態度である。これは、障害児を育 てる家族の「ケアへ向かう力」を尊重する中根(2005)がもつ家族のイメージと一致する。
本論では母親の人生が我が子に浸食される様(専心的な二者関係、迷い)が明らかになった が、それを否定せず、そのなかで他者とともに自分なりの物語を紡ぐことの可能性と重要性 を述べた。
◎発達障害児の母親の語りを支える:本論で描いた「しなやかな実践の物語」と「迷い」
は、 「母親として生活していく覚悟の物語」に包摂されると考察した。 「母親として生活して いく」ということは母親ならば自明のことと され、社会の陰でおこなわれていたために、
言説空間には表れにくいものであったが、本 論ではそれが母親の実践と迷いで構成され ているものとして言語化した。しなやかな実 践の物語は日常生活に必要であり細く長く 継続するものであるもの、一方で迷いは状況 によって巻き込まれるものである。その関係 を図で示した(図5-1) 。
第
5章で明らかになったように、発達障害 児の子育てには(傷つき体験に代表される)脆弱性があるが、母親たちは物語を状況に応じ てしなやかに書き換えることでその脆弱性に対応していると考察した。母親が紡ぐしなや かな覚悟の物語は、障害受容という限局された概念ではなく、ひとりの人間の生き方につな がる態度であり、だからこそ必然的に多様な物語が存在する。本論で問うてきた「母親の心 理的支えとなる支援」とは、母親との対話において、その人固有のものとして物語を書き換 えるとき、その物語を紡ぐ証人となることであると結論づけた。
終章 まとめ
言説空間での位置づけ:本論の総括で示した「母親として生活していく覚悟の物語」は、障
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