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雑誌名 新島研究

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Academic year: 2021

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新島先生が1875年宇治川で描いたスケッチ「山と川 と釣り人」の場所を特定

著者 田島 繁

雑誌名 新島研究

号 105

ページ 200‑201

発行年 2014‑02‑28

権利 同志社大学同志社社史資料センター

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014150

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−200−

コラム

新島先生が1875年宇治川で描いたスケッチ

「山と川と釣り人」の場所を特定

田 島   繁

 本井康博先生から2年前、新島が宇治川で釣りをしている人をスケッチ した場所を見つけて欲しいと言われた。

 私は2011年4月、新島先生が1875年4月に歩いたコース「大阪・奈良・宇治・

坂本・叡山越え京都三条」を教え子や友人と歩いた。新島先生は4月3日 に宇治の旅籠「菊屋」から船で隠元橋まで行く。その宇治川の両側にはスケッ チのようにそそり立つ山はない。

 新島先生は黄檗山萬福寺から三室山の裏山の高峰山で道に迷い(迷った 道を検証し『新島研究』103号に掲載)、炭山から二尾へ行き、松田孫左衛 門宅で昼食を戴いた。松田氏が用意した牛(牛車)に乗って石山寺まで行く。

その二尾から宇治川に出る最初の場所が曽束大橋である。そこから石山寺 の方へ2km 程行くと南大津大橋が見える。その入口で下記の景色が見られ た。

 京滋バイパスの南郷 IC を降り、242号線と交差する点が南大津大橋北詰 で、その南大津大橋の入口から見た景色が新島先生のスケッチした場所と

新島のスケッチ 南大津大橋の袂から見た景色 南大津大橋付近の地図

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−201−

新島先生が1875年宇治川で描いたスケッチ「山と川と釣り人」の場所を特定

そっくりである。

 左の新島先生のスケッチでは右側の山林が川辺にそそり立ち、川は左に 蛇行している。奥には高い山(太神山 600m)がそびえ、その右にも小さな 山の頂きが見える。手前には川幅の広い川(瀬田川)が流れ、左にも木々 が見られる。私が訪れた12月19日は渇水期で水が少ないが、新島が歩いた 4月頃には水嵩が増え、右の河岸段丘のような所は水に覆われていたであ ろう。新島の頃は川幅も広く、釣り人も川に突き出た岩の上で釣っている。

現在は浚渫し砂や岩を削り取っている。

 川の流れる方向、木々が川辺に聳え立つ景色、後ろの高い山々は135年余 り経ってもかわらない。

 曽束大橋は滋賀県(瀬田川)と京都府宇治市(宇治川)との分岐点である。

 新島がスケッチした場所は曽束大橋より滋賀県側なので、今は宇治川で はなく瀬田川である。

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