無知の罪と倫理的責任 : なぜ持続可能なエネルギ ー社会を考え続けているのか
著者 壽福 眞美
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会志林
巻 66
号 3
ページ 5‑73
発行年 2019‑12
URL http://doi.org/10.15002/00022509
3.11の巨大地震・津波と福島核電の過酷事故は私にとってなぜ衝撃だったのか,どのような意味 をもった衝撃だったのか,その衝撃をどう受け止めたのか。世界中の誰もが何らかの「衝撃」を受 けたはずだが,その内容,深浅,方向性は千差万別である。
14時46分,私は自宅で遅い昼食をとっていた。すると,食卓上の照明が左右に軽く揺れ,しば らく続いた。私はたいした地震ではないなと思いながら,いつもの納豆卵海苔梅干,それに鯵の開 きをつまんでいた。が,揺れが収まらない。あわててテレビをつけると,地震・津波情報の字幕の 下に,大槌・田老・・・そして閖上の津波映像が延々と続く。12日からは福島核電だ。あまりに 非日常的な光景に圧倒され,何を思うこともなく,ただボーっとしながら画像を眺めていた。2~
3日経ったのだろうか,やがてある像が焦点を結んできた。長崎である。
〈私の被爆(曝)追体験reliving=経験experience〉
私は,1965年に大学に入学し,メキシコをめざして陸上ホッケーにのめりこんでいたのだが,
寮の同級生,H君と親しくなった。彼は,ゼミで長崎被曝者の生活史の聞き書きに熱心で,私にも 毎晩のようにその話をしてくれた。私は広島・長崎については通り一遍の知識しかもっていなかっ たが,彼が語る被爆者の体験,生活の実態,現在の状況等々が,絶対悪としての核兵器(以下,強 調筆者),したがって核兵器の完全廃絶という考えを私のなかに生み出すには充分だった。1966年 の夏休み,私は町中を駆け回っていた。国連に提出する核兵器廃絶の署名を集めるために,個別訪 問をしていたのである(1954年のビキニ環礁の水爆実験で現地住民や第五福竜丸等が被爆し,久 保山愛吉さんが亡くなった。1956年には被団協〔日本被爆者団体協議会〕が結成され,日本の反 核平和運動は大きなうねりとなっていた。そして,2017年7月7日,悲願の核兵器禁止条約が国 連総会で,122の国・地域の賛成で採択された。すべての核保有国とドイツ,日本等は参加しなか った。2019年4月現在,70の国が署名し,24の国が批准している)。だが,他面では,核電につい てはまったく関心がなかった,というより,頭の片隅に浮かぶことすらなかった(この無関心が,
核兵器とは異なる,否正反対の原子力,核エネルギーの平和的利用,核電という暗黙の了解の根底 にある思想である。1988年,二葉町に掲げられた「原子力,明るい未来のエネルギー」,1996年の 大熊町のスローガン「地球にやさしいエネルギー,原子力,人にやさしい大熊町」がその象徴であ り,それを実体化したのがいわゆる「原子力ムラ」の形成・発展である)。この分裂は,少なくと
無知の罪と倫理的責任
─なぜ持続可能なエネルギー社会を考え続けているのか─
壽 福 眞 美
も私の場合,1979年のスリーマイル島核電の過酷事故を経験してもまったく自覚できなかった。
1979年3月28日,私はエアランゲン大学(バイエルン州)にいた。テレビや新聞報道で断片的 な知識は入っていたし,友人との会話でも話題に上らないことはなかった。が,当時私の大きな関 心は,そしておそらくドイツの人々の関心も緑の党結成(1981年)にあった。その先駆者たちは,
1978~1979年の州議会選挙で相応の成果を収めていた(ただし,5%条項の壁は頑強であった)。
中距離核ミサイル・パーシングⅡのNATO配備が重大問題となり,反核平和運動の機運も高まって いた(ように思う。記憶違いかもしれない)。だから,核電問題が意識に上らなかったのは,ある 意味で当然の成り行きであった(もちろん,ECCS〔緊急炉心冷却装置〕の誤操作などいわゆるヒ ューマン・エラーは,当時も話題になっていた)。
だが,チェルノブイリ核電の過酷事故はまったく違った。私は,1986年4月26日,ブダペスト にいた。4月28日,スウェーデン政府は核電事故の可能性を発表したが,ソ連政府が危険性を公 表したのは,7月に入ってからだった。しかし,ハンガリーとウクライナは国境を接しており,ブ ダペストとチェルノブイリはわずか1000キロメートルしか離れていないので,ハンガリー政府の 対応は早かった。たとえば,私が4月末(5月はじめ?)にスーパーマーケットにテトラパック入 り牛乳を買いに行ったら,陳列棚は空っぽだった。
私がチェルノブイリ核電の過酷事故で学んだのは,核兵器と核電の同質性(核エネルギーの利用 形態の相違にもかかわらず)だけでなく,過酷事故が人間と生態系に不可逆的で永続的な「負の遺 産」をもたらすということであった。人間と核エネルギーは共存できないという確信が生まれた。
だから,ブダペスト経済大学の学生サークルで「資本主義でも社会主義でもなく,第3の道,すな わち,エコ・フェミ社会主義の道EcologicalFeministSocialism」(メラー 1993)をめぐって討論 するときにも,チェルノブイリを追体験することによって,核兵器廃絶と核電脱却を同じコインの 裏表問題として語ることができるようになっていた。(被団協も,2011年8月,経産省と東電に核 電再稼働の中止を要請し,その後公式に核電廃絶を表明する。すなわち,核エネルギーの軍事的・
平和的利用をともに拒否し,エネルギー転換の道を歩むことになった。)
〈2度あることは3度ある〉
そして,3.11である。3日,5日と経つうちに私の追体験は変貌していた。当初,鯵の開き,テ レビ映像,心,この3つ世界は分裂し何の関連もなく,映像の世界はたんなる出来事occurrence だった。だが,3度目の追想によって出来事は追体験になった。すなわち,私と関心の対象は,相 互に意味づけ意味づけられる関係になった(自分が対象を意味づけ,対象も私を意味づける関係)。
そして,今度の追体験からは新しい世界が開けようとしていた。なぜ過酷事故は起こったのか,な ぜ防止することができなかったのか,私の認識と実践に欠けているものがあったのではないか,何 が欠けていたのか。
この生涯にわたる長期目標を具体化するには乗り越えるべき制約条件がいくつかあった。
・2001年,妻が乳がんで亡くなった年,狭心症と心筋梗塞で6回の手術を受け,長期的な移動,
とくに海外調査はほぼ不可能だった。国内研究しかできない。
・エネルギー問題,経済社会の分析,自然科学には知識も経験もなく,ドイツ社会思想史history ofideasに限定された研究の経験しかない(人間は誰もが世界認識の枠組=知的パラダイムをもっ ており,この「眼鏡」を取り外すことはできない。そして,この眼鏡は体験とともに変化する)。
こうして,2011年度新学期からの研究計画ができた。核電事故の原因究明とエネルギー転換の 構想である。
Ⅰ 過酷事故の原因と深層防護に関する決定的な認識不足
(1)3.11までの核電の問題点の抽象的・一面的理解
〈現場100回〉
何はさておき現場である。どんな社会問題でも現場に足を踏み入れ,歩き回り,現地の人の声に 耳を傾けなければ何事も始まらない。
・2011年の夏休み/閖上小学校:基礎ゼミの学生有志11人と閖上小体育館で,流され収集された写 真の仕分け・洗浄を行った(法政大学ボランティアセンター・O君の引率)。日曜日,家族連れが 体育館いっぱいに張られたロープにぶら下がった写真を1枚1枚丁寧に眺めている。体育館の倉庫 には未整理のアルバム・ランドセル・位牌等が所狭しと並んでいる。
・2013月年の夏休み/飯舘村・川俣町・郡山市:専門ゼミの学生有志4人と一緒にタクシーで飯舘 村を回り,午後,南相馬農業高校飯舘校の高校生・先生の話を聞く(郡山市に避難中。H先生の厚 意による)。
・2013年秋/仙台市・石巻市・川俣町・丸森町:1982年のゼミ卒業生が津波に流され,お義母さん
が犠牲となった。仙台の高台に新築したので同級生4人でお祝いに駆けつける。大川小学校を中心 に石巻を案内してもらった。帰途,ゼミの友人が運営している丸森町の放射線「市民測定室」を訪 問する。
・2013年初冬/富岡町:国際シンポジウム「エネルギー政策の転換と公共圏の創造」(2013年12月)
の報告者,前ヴッパータール研究所所長ペーター・ヘニッケ,ドイツ議会議員(緑の党)ジルヴィ ア・コッティング=ウール,朝日・読売・聖教新聞等の記者と一緒に富岡町を案内してもらう。特 別許可を得て,立ち入り禁止区域にも足を踏み入れることができた。分断され,人間の生活しない 町がどのような姿になるのかを,まざまざと見せつけられた。
・2014年秋/南相馬市・浪江町・福島市:第49回環境社会学会福島大会。南相馬町・浪江町の復興 プロジェクトを案内してもらう。小高地区の農家民泊でK会長・N先生と一緒に,深夜までT夫妻 から話を聞く。
〈3.11以前の認識レベルの再確認〉
あまりに抽象的・一面的で,ほとんど無知に近い状態であることを再確認した。2009年度の講 義要綱と講義ノートがそれを如実に示している。
➡
2009 2012
(講義要綱,2009/2012)
〈核技術(核電)の内在的・構造的危険性〉
一般的に言って,危険性がゼロ,すなわち,100%安全な技術は存在しない。人間の認識能力に は本質的な限界があり,すべての起こりうる事態および危険性を予測することはできないからであ る。したがって,危険性を減らし安全性を高めるためには,経験的な学習過程が必要である。つま り,故障や事故の経験から試行錯誤を繰り返し,改善を行うことによって危険性を減らしていく。
また,技術には本質的に異なる2つの種類がある。1つは,危険性があってもそれを上回る利益 が存在し,かつ,危険性を減らすことが可能な技術である。航空機が墜落し,船舶が沈没し,自動 車が死亡事故を起こしても,それらには時間的・空間的な移動手段としての利点がある。医療用の 核エネルギーにも,被曝の危険性を上回る利益(たとえば一部のガンにたいする治療)があり,か つ,危険性を低減させる改善が可能である。もう1つは,たとえなんらかの利益が存在するとして も,人間と環境に「深刻な,あるいは不可逆的な被害」*を与える可能性のある技術である。核電
(と核兵器)は,その典型的な例である。その理由は,次の6点である。
*「環境と開発に関するリオ宣言(1992年)」第15原則:環境を保護するため,予防的方策は,各国 により,その能力に応じて広く適用されなければならない。深刻な,あるいは不可逆的な被害のおそれ がある場合には,完全な科学的確実性の欠如が,環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を 延期する理由として使われてはならない。
①核電は,核分裂の連鎖反応による膨大な熱エネルギーによって高温の蒸気(2千数百度,最高 2800度。二酸化ウランの融点は,2840度である!)をつくりだし,冷却によって低温化した蒸気
(約300~400度)によって発電する技術システムである。核燃料および核分裂生成物質は崩壊熱を 出し続けているから,つねに冷却が確実に継続されなければならない。したがって,原子力発電所
(NPP:nuclearpowerplant)は,冷却用の配管と設備が複雑に組み合わさった巨大なシステムであ り,配管の破断等による冷却材の喪失(LOCA:lossofcoolantaccident)および/あるいは交流電源 喪失(SBO:stationblackout),全電源喪失による冷却機能の喪失という可能性をはらんでいる。
言い換えると,過酷事故(severeaccident)の危険性がある。
規制は,安全対策設備(ハード面)のみならず,安全対策の実施の仕方(ソフト面)も含むもの でなければならない。それなくして「安全」は担保できず,電力会社や規制当局への信頼がなけれ ば,「安心」は実現できない。「絶対的な安全」が保証されず,事故による被害の大きさも算定でき ないのであれば,核電が存在する限り,安全と安心は望めない。
そして,万一過酷事故が発生すれば,放射性物質の放出による被曝と汚染は,時間的にも(現在 の世代だけでなく,未来の世代にも),空間的にも(核電のない国・地域の人々に地球規模で)重 大な影響を及ぼす「負の遺産」となる。
②核電は,通常運転の場合でも放射性物質(キセノン,クリプトン,一部のヨウ素など)を大気中 に放出し,汚染された温排水(100万キロワットの核電は,300万キロワットの熱を発生し,200万 キロワットを海に捨てる。海温より7度高い温排水70トン/秒)を出している。基準値以下であっ ても,それらが人間と環境にどのような負荷を与えるのかは分からない。
③核電は,被曝労働者(exposedworker)がいなければ成立しない技術である。ウラン採鉱,ウラ ン濃縮,核燃料の製造,核電の運転・保守・修理,使用済み燃料(の再処理)および高レベル放射 性廃棄物の貯蔵などすべての過程において,被曝労働者が必要不可欠である。しかし,一部の人間 に負担を押しつけることによって多くの人間が「便益」を享受するという不平等な構造は,公平性 という倫理的原則に反するものである。
とりわけ,国際放射線防護委員会(ICRP:InternationalCommissiononRadioactiveProtection)
の年間被曝線量限度(社会:1mSv,専門家:100mSv/5years+50mSv/a以下)は,安全性を約束する ものではなく,危険性と社会的費用を秤にかけた「我慢量」であって,科学的概念ではなく,社会 的概念である。実際に,同委員会は,LNTモデル(LinearNon-ThresholdModel)を前提に,「被 曝線量は,できるだけ少ない方がよい」と主張している(ただし,これらにたいする批判も存在す る。フランス科学アカデミー,アメリカ核協会など)。
④核燃料サイクル,とくに再処理と高速増殖炉。
☆プルトニウムの毒性:「許容限度」=1/4000万グラム
☆高速増殖炉の危険性:①出力密度の高さと高温,②プルトニウム炉心内増量の多さ。
⑤使用済み燃料および高レベル放射性廃棄物の最終貯蔵の方法と場所が未確定である(フィンラン ド,スウェーデン,フランスを除く)。しかも,核分裂生成物および放射性廃棄物は,少なくとも 10万年以上にわたって「安全に」保管・処理されなければならない。だが,このことは可能であ ろうか。「トイレなきマンション」に住み続けることは不可能なのである。
⑥プルトニウム・核兵器拡散の危険性。
(環境倫理講義ノート2009/6/22=壽福2019:2012/4/26)
(2)具体的原因の探究
過酷事故の原因についてまったく無知であった。スリーマイル島,チェルノブイリの事故を追体 験しながら,その調査・分析を徹底的にすることもなく,人為的ミスだけに着目していた。日本の 場合には,とくに地震と津波を深く研究すべきであった。
①福島核電事故年表作成(9報告書の比較分析作業)
事故に関する書籍,とくにルポルタージュを片っ端から収集することから始めた。読んでも読ん でも読み切れない。2011年12月の政府事故調査委員会中間報告を嚆矢として,各種報告書が公表 されるので,専門ゼミ有志で年表作成作業に入る。その最終的な成果が次の表である(2016年8 月)。
②東京電力は,3・11以前に地震と津波についてどれほど知っていたのか?
*1997年7月,電気事業連合会(会長:東京電力)の作業部会報告では,8.6メートルの津波が福 島第1では起こるだろうと計算していたが,東京電力は,3.1メートルという想定を変更しなかっ
た。
*2002年7月,政府は,1896年の明治三陸沖地震(マグニチュード8.3)と同様の地震が,三陸沖 から房総沖のどこでも発生する可能性があると予測していた。東電は想定津波を5.7メートルに変 更した。
*2006年7月,東京電力はマイアミの第14回国際原子力技術会議で,慶長三陸津波(1611年)と 延宝房総津波(1677年)を調査し,地震の最大マグニチュードを8.5と予測し,13メートル以上の 津波の確率を0.1%と計算したと報告した。しかし,対策をとらなかった。
*2008年5月,東京電力の作業部会は,明治三陸沖地震のマグニチュード8.3を想定して津波高を 15.7メートルと試算した。しかし,対策をとらなかった。
*2008年12月,東京電力は,貞観地震のマグニチュード8.4を想定して試算し,9.2メートルの津波 を予測した。しかし,対策をとらなかった。
*2009年9月,東京電力は,政府の核・産業安全性機関にたいして,津波は最高で8.9メートルと 報告した。
*2011年3月7日,東京電力は原子力安全・保安院(NISA:NuclearandIndustrialSafetyAgency)
に,9メートルの貞観津波で試算して,10メートルを超える可能性ありと報告した。
◎2011年3月11日 地震マグニチュード9.0,津波15m以上(?)
(「福島原発告訴団」〔http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/p/blog-page_5112.html〕,2012 年6月11日,から引用) (壽福 2019)
☆ 海 渡(2018) は, 東 電 刑 事 裁 判 の 審 議 内 容 を 詳 細 に 検 討 し て い る。 東 京 地 裁 の 判 決 は,
2019/9/19に予定されている。
②学術会議の事実認定(2019/5/21)
日本学術会議も同じ事実を確認している。
(学術会議 2019)
(3)深層防護(defenseindepth)の探究
深層防護の概念,具体的内容についてもまったく無知であった。
まず,国際原子力機関(IAEA)の深層防護を簡潔にまとめた西ヨーロッパ核規制協会の5段階の 防護措置を確認しよう。故障・損傷の予防と対策に始まり,炉心溶融・過酷事故防止・対策を経て,
放射線の外部放出防止・影響緩和に至る。
①〈WENRA:WesternEuropeanNuclearRegulators’Association〉
②学術会議の判断(2019/5/21)
保安院,東電は,これらの国際基準をほぼ無視してきた。とりわけ,過酷事故発生後の第4~5 層の対策は皆無である(過酷事故はありえないという「安全神話」)。自分の無知,その根底にある 無関心がそれを許容し,過酷事故を引き起こし,今なお多くの人々を苦しめている。
では,新規制基準(2013年7月)によって,この事態は変化したのだろうか。
(山本 2015:10)
③新規制基準とその問題点
〈新規制基準〉
〈新規制基準の問題点〉
〈核電評価基準 3S+3E〉
① 安全性(safety)
② 環境保全(environment)
③ 安全保障(security:DBT設計基礎脅威,サイバー・テロ,航空機テロ)
④ 非軍事利用(safeguard:RDD 汚い爆弾,IND 即席核爆弾)
⑤ 供給安定性(energysecurity)
⑥ 経済性(economy)
〈安全性の考え方―規制の役割と限界〉
1 核電技術の特殊性①一般の技術:故障や事故を踏まえ,改良し,安全性を高めることが可能。
実用化の条件として安全性+経済性+機能性+環境適合性。事故被害の上限が予測でき,社会的受 容の合意が可能。
しかし,核電は,放射性物質を大量に溜め込む。いったん過酷事故が発生すると,制御不能に陥 り,放射性物質の放出が不可避となる。被害は莫大で予測できない(市民委2014:138)。
②確率論的リスク評価は適用できない:リスク=被害の大きさ×事故の確率
☆問題点①:稼働を前提に(脱核電を排除して!)事故対策費用と事故発生確率の低減を天秤にか けて,対策の是非を判断する方法(139)。事故確率は経験値には基づかず,推論・仮定に基づく 予測に過ぎない。たとえば,過酷事故の発生確率は,「100万炉年に1度」とされてきた(⇒2500 年に1度=100万÷400基)。
しかし,事実は「8~10年に1度」(2011-1957=54年÷7回=8あるいは54年÷5回=10)
・1957/9/29 マヤーク事故(旧ソ連の高レベル放射性廃棄物貯蔵所の冷却不能・臨界)
・1957/10/10 ウィンズケール事故(イギリスの軍事用核炉の火災)
・1961/1/3 SL-1事故(StationaryLowPowerReactorNumberOne:アメリカ・アイダホホー ルズの軍事用核炉の水蒸気爆発)
・1979/3/28 スリーマイル島事故(アメリカの2号機の炉心溶融)
・1986/4/26 チェルノブイリ事故(旧ソ連の核炉爆発)
・1999/9/30 JCO事故(日本の東海村核炉の臨界)
・2011/3/11 福島事故(日本の福島原発の炉心溶融・溶融貫通)
☆問題点②:被害の大きさは予測・計算不可能で,かつ,その影響は未来永劫に続く。
2 新規制基準(2013/7)の問題点
(1)「原子炉立地審査指針」(1964年決定。1989年一部改訂)を適用しないという大改悪!
①自然条件(地震・津波,洪水,火山活動等)に関する立地条件の検証をしない(144)←→「大 きな事故の誘因となるような事象が過去にも将来にもないこと」,「災害を拡大するような事象も少 ないこと」
②過酷事故に対する立地評価(=公衆被ばく評価)をやめる!
・放射線被ばくの量的制限を外す(145)←→「重大事故(⇒改訂原子炉等規制法:「重大事故」
=「炉心の著しい損傷その他規則で定める重大な事故」=過酷事故),仮想事故でも周辺の公衆に 放射線障害を与えないこと」(250ミリシーベルト。2000年代は100ミリシーベルトで運用:145)
・福島事故における敷地境界での被ばく積算線量の実測値は,事故後1年間で最大1190ミリシー ベルトに達し,立地評価の目安250ミリシーベルトをはるかに上回る⇒田中俊一原子力規制委員会 委員長「福島事故を仮定すると,立地条件に合わなくなる」=過酷事故を想定すると,すべての核 電で立地評価の目安値を超えるので,立地評価自体をやめる!
・新規制基準の「格納容器外への放射性物質の放出制限」=「環境への影響をできるだけ小さくと どめること」=「セシウム137の放出量が100テラベクレルを下回ること」で,立地評価をカバー するとされるが,公衆の放射線被ばく量を安全な水準以下に抑えることはできない(146)。
☆一番早く流出する放射性物質は希ガスとヨウ素であり,燃料溶融が進むにつれてセシウムおよび その他の核種が放出される。希ガスはフィルタでは除去できない。もし希ガスの炉内蓄積量の全量 が大気中に放出されると,立地評価の目安値を上回る可能性が濃厚である(滝谷紘一「立地評価を しない原子力規制の基準」,『科学』,2013年6月号,615~619頁)。したがって,セシウム137の量 的制限だけでは公衆の安全を守ることはできない。また,放射性物質の放出量自体は,核電の隔離 距離(非居住区域,低人口地帯,人口密集地帯)とは無関係な物理量であり,隔離距離の妥当性を 評価することにはならない。
③原子力規制委員会「原子力災害対策指針は策定するが,防災対策計画の妥当性については審査し ない」(146)。
(2)地震・津波に耐えられない!
①耐震規制の変遷
・新規制基準は,耐震面を改善せず,津波・過酷事故対策に偏重している(147)。
しかし,近年,想定より小さい地震によって設計用基準地震動を超える例が3度ある。
*2005/8宮城県沖地震(7.2):女川核電の揺れが基準地震動(375ガル)を超えた。
**2007/3能登半島地震(6.9):志賀核電の揺れが基準地震動(490ガル)を超えた。
***2007/7新潟県中越沖地震(6.8):柏崎刈羽核電で基準地震動(450ガル)を超えて1699ガル を記録した。
・2006年改訂耐震設計審査指針(地震による過酷事故発生の可能性を初めて認める!)による既 設炉耐震安全性再評価(耐震バックチェック)⇒原子力安全委員会「安全審査のやり直しは必要な い。既往の設置許可・事業許可等は有効」+全基チェックではなく,サイト毎代表プラント1基選 定し,通常運転を許容しながら,耐震上重要な機器・構造物だけを審査+津波は地震随伴事象とし てバックチェックなし(148~149)。
②津波,基準地震動,活断層評価の問題点
・画期的な基準津波の新規定:プレート間地震に起因する津波波源について「日本周辺海域におけ る既往津波の発生の有無にとらわれることなく,日本周辺のプレート構造及び国内外で発生した Mw9(モーメントマグニチュード。2004年スマトラ沖地震Mw9.1~9.3,1960年チリ地震Mw9.5)
クラスの巨大地震による津波を考慮する」(149)*津波波源例示
・基準地震動を超える現実の地震:2007/7新潟県中越沖地震(6.8):柏崎刈羽核電で基準地震動
(450ガル)を超えて1699ガルを記録した。2009駿河湾地震(6.5):浜岡核電で,M8の想定東海地 震に対する地震動予測値(375ガル)を超える416ガルを記録した。
・基準地震動策定の過小評価:数々の仮定を重ねるため不確実さが多く,基準地震動を既設設備の 許容限界内に収める余地が生ずる(151)。
・活断層審査をめぐる対立:活断層による影響は地震動だけでなく,地盤のずれ(変位)による傾 斜が直上の構造物に致命傷を与える⇒新基準「耐震重要施設の設置は地盤変位の生ずるおそれのな いこと」と初めて明記=長大活断層でなくとも,破砕帯(断層)があれば,活動性の明確な否定・
改修工事実施がなければ廃炉!
*敦賀2号機:活断層認定で審査中,大飯:活断層不認定,東通・志賀1・2号機:審査中
③残余のリスク
・2006年改訂耐震審査指針:残余のリスク=「策定された地震動を上回る地震動が生起すること は否定できず,その影響が施設に及ぶことにより,施設に重大な損傷事象が発生すること,あるい はそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくによる災害を及ぼすことのリスク」がゼロで はない=過酷事故は起こりうる!しかし,「『残余のリスク』の存在を十分認識しつつ,それを合理 的に実行可能な限り小さくするための努力が払われるべきである」=電力会社の努力目標=公表さ れた残余のリスクの試算値は0基!
・新規制基準では,「残余のリスクを試算し,立地審査指針を適用して,合理的な立地不適の判断 を下すべきであったが,残余のリスクの概念も立地審査指針もすべて抹消された」(152)
(3)現行過酷事故対策は無対策に等しい=基本設計の抜本的見直しが必要
①過酷事故対策実施の不確実性と不安定性
・過酷事故対策とは,「設計基準事故」対応設備がすべて破綻した時に,外部から仮設あるいは部 分的に恒設の電源や冷却水を供給することである(153 代替電源設備+代替注水設備+フィルタ 付格納容器ベント設備+水素燃焼装置など:162)。しかし,人間の手で対処するから,確実に機 能する保証がないこと,大規模地震の場合には地割れや余震,交通渋滞が予想されること,事故の 進展によっては被ばくの恐れも出てくること,危険や恐怖と隣り合わせの作業であること等から,
信頼性に乏しい。
現に福島事故ではケーブル接続,消火系配管の接続,ベント操作など,その大半が適切にできな かった。訓練すれば必ずできるものではなく,条件次第でまったく機能しないこともある。炉心溶 融という心理的プレッシャーと時間に追われる中で,設備が使えない可能性もある。「こうした過 酷事故対策で確実に事故の進展を防ぐことは不可能であり,『過酷事故対策があるから安全』とす ることは,『新たな安全神話』,『幻想』である」。
☆設計基準事故と過酷事故の関係(154)
②地震による安全設備破壊の可能性は?
・とくに地震による安全設備の機能喪失の分析が不十分である(154)。国会事故調と田中(2013/9)
は,地震による配管破損(⇒冷却材喪失)が1号機の事故原因である可能性を示唆している。格納
容器の破損及びスロッシング(プール水面の動揺)による圧力抑制機能(水蒸気をプールに導き凝 縮させ体積を減らすと,圧力上昇を抑制する)の喪失の可能性も懸念される。
・2号機の原子炉を減圧する主蒸気逃し安全弁(SR弁)の不作動(155)
・核炉圧力容器や格納容器からの漏洩経路も推測にとどまる。また,水素や放射性物質の格納容器 からの漏洩の定量的な評価も不十分である(154)。
・炉心溶融後の機器・装置の作動が保障されないと,過酷事故対策は無意味である。
③過酷事故時にも作動する機器が必要=核炉状態の適切な把握が必要
・福島事故では水位計,温度計,圧力計,放射線モニターなどの故障が続発し,炉心の冷却状態の 適切な把握が不可能となり,運転員の事故対応を著しく困難にした(155)。スリーマイル島事故 の教訓が生かされていない*。
*給水ポンプの故障後の複数機器の故障,弁の開け忘れ,制御盤表示の不可視などの偶然に加え,水位 が把握できず,間違った判断によりECCSを止めてしまい,炉心溶融に至った。炉心溶融を起こすと,計 測器による基本パラメーターの把握が困難になり,制御不可能となる。LOCAを事故の代表とする設計 基準の根幹が破たんしていることを示している。
・計測装置類が過酷事故条件下で作動することを保障しなければならない。
④外部電源の耐震性の抜本的強化
・福島事故で炉心溶融を生じた直接的原因は,全交流電源喪失である⇒外部電源の耐震性をSクラ スに高める(156)。
⑤格納容器は,放射性物質を閉じ込める受動的安全(PassiveSafety)装置(動力を用いずに例え ば重力で機能する安全システム)である。
・設計圧力を超えると,壊れる危険があるので,やむなく排気(ベント)せざるをえない⇒基本設 計を見直すべき(156 後藤,『世界』,2013/5)。
・フィルタベント装置をつけても,水位が確保できなかったり水温が上昇すれば,フィルタ機能は 失われる。
・何より,格納容器貫通部から放射性物質が大量に漏洩する危険性があり,また水素は漏洩しやす い(⇒水素爆発)。
⑥航空機衝突・テロ攻撃に対して義務づけられた「特定安全施設」(炉心損傷時に核炉建屋から隔 離された第2制御室,非常用電源,格納容器巣プレイポンプ,溶融炉心冷却ポンプなどを備えた施 設)は,無力。
・1985年の日航ジャンボ機墜落事故に耐えられるか(157)。
・欧米ではテロ攻撃に対して武装警備部隊を配備している。過酷事故時に社員や警備員に核電死守 を命令できるか。
(4)適合性審査で明らかになった過酷事故対策の問題点
・現在審査中の核電は,加圧水型12基,沸騰水型6基である(158)。
・電力会社が格納容器破損防止対策の有効性評価として取り上げている「大破断LOCAと全交流電
源喪失の同時発生」事故では,
① 炉心溶融と核炉容器の破損を防ぐことはできない=事故発生後19~22分で炉心溶融し,約1.4 時間後には核炉容器破損⇒井野:2014/3:333~345
② 炉心溶融後の格納容器の破損を防ぐことはできない←コア・コンクリート反応(溶融燃料とコ ンクリートの相互反応により,水素,一酸化炭素などが発生するとともに,コンクリートが侵食さ れる⇒近藤駿介「最悪のシナリオ」)を防げない+水蒸気爆発(溶融燃料と水が接触)を防げない
+水素爆発(燃料被覆材ジルコニウムと水の反応。格納容器内水素濃度の爆轟防止の基準値13%
以下が審査基準だが,各核電の最高値は約10~12.8%であり,余裕がない。水素の発生量,濃度の 空間分布を考慮すると,13%を超える)を防げない(159)+追加設備の完全機能を前提に炉心溶 融に伴う格納容器破損は防止されると結論しているが,追加設備の故障・運転員対応のミスなどの おそれについてはまったく評価していない(160)。
③ 確率論的リスク評価による過酷事故発生確率は,過小評価⇒1参照
☆規制委は「安全目標」を,炉心損傷頻度は1万年に1回以下,格納容器隔離機能喪失頻度は10 万年に1回以下,管理放出機能喪失頻度及びセシウム137放出量100テラベクレル超事故の頻度は 100万年に1回以下と決定した(2013/4)が,電力会社はこれを検証せず,規制委は検証を求めて いない(159)。
(5)新規制基準は「世界最高水準」ではない!
① EPR(EuropeanPressurizedReactor)との比較
ただし,EPR水準の安全対策を備えたとしても,過酷事故による放射線災害のリスクはある。
(6)「原子力安全協定」と「原子力災害対策指針」(2012/10/31)に基づく「地域防災計画」(原子 力対策編)の問題点
① 安全協定は事業者と立地自治体(道府県と市町村)のみに限定されているが,規制委が「緊急 時防護措置を準備する区域(UPZ:UrgentProtectiveactionplanningZone)」の自治体(およそ30 キロメートル圏内)に地域防災計画の策定を義務づけたことに鑑みると,安全協定締結対象自治体 を拡張すべきである。
*安全協定の主項目:排気・排水中の放射性物質の濃度と放出量,新増設・設計変更・運転・廃止 措置等の事前了解,立ち入り調査・(必要な場合には)使用停止要請,故障・事故等の通報,損害 補償
**茨城県の例:「核炉や再処理施設など大型の核施設を有し,かつ,地域住民の関心もとくに高 い」という理由で,日本原子力研究開発機構・日本原子力発電との安全協定を隣接自治体にも拡張 している。さらに,1999/9のJCO臨界事故を踏まえ2社以外の事業者についても隣接自治体に拡張
(166)。
② 国際原子エネルギー機関(IAEA:InterntionalAtomicEnergyAgency)の安全文書に従い,「事 前対策を講じておく区域(PAZ:PrecautionaryActionZone,5キロメートル圏内)と「対策実施 基準(オンサイトのプラント状態に基づく緊急事態判断基準EAL:EmergencyActionLevelとオ
フサイトの放射線率に基づく防護措置実施判断基準OIL:OperationalInterventionLevel)」を採用 した(167)。
しかし,福島事故で「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:Systemfor PredictionofEnvironmentalEmergencyDoseInformation)」が即座に公開され,避難に活用されて いれば,飯舘村周辺などの住民被ばくは低減できた(かもしれない)。また,浪江町では高線量の 津島地区への避難で被ばくを強いられ,請戸浜周辺では低線量にも関わらず避難指示が出て,津波 被災者の救出活動ができなかった。
・国際原子エネルギー機関の安全文書に従えば,あらかじめ決められた避難先に避難することにな り,余分な被ばくを強いられる可能性があり,UPZでは毎時500マイクロシーベルトの高線量で初 めて避難となるから,あらかじめ予測して避難することはできない。PAZでも事故が短時間で進展 すれば,被ばくを避ける避難は困難となる。
・福島事故では飯舘村とその周辺(30~45キロメートル)が計画的避難区域に設定され,3月16 日の福島市(60キロメートル)では毎時20マイクロシーベルトが観測された。また,規制庁の拡 散シミュレーションでは7日間に100ミリシーベルトの被ばくが,最大42キロメートルまで広がっ た⇒UPZは最低50~60キロメートルが必要(167)。
③ 避難計画は実行不可能
・地域防災計画(2014/1):123/135対象市町村(91%),避難計画:58(43%)だが,至近施設の 要支援者には屋内退避(=閉じ込め政策),また,実際の避難は不可能(山や河川,バス確保,道 路寸断,交通渋滞等,雪害や台風,地震・津波・核電過酷事故の複合災害),さらに,「放射能プル ーム通過時の防護措置を実施する地域(PPA:PlumeProtectionPlanningArea)」が未定,プルー ム通過前ヨウ素剤配布の困難さ,緊急モニタリングの実施主体・周知方法が未定⇒現実的な避難計 画の欠如(169)。
・適合性審査には防災計画・避難計画の審査が必須←→規制庁「管轄外!」
(環境倫理講義ノート2014/9/24)
☆中弁連(2015)は,さらに踏み込んだ問題点の指摘をしている。
〈旧規制基準の問題点〉
① 立地審査指針により非居住区域と低人口地帯の設定を予定しているが,福島事故では仮想事故 で想定された放射線量の1万倍の放射性物質が検出され,きわめて広範な居住圏が汚染された。
② 安全設計審査指針では,重要な安全機能を有するものは2つ以上あり,1つの事故原因では同 時にすべての安全機能が失われないことを前提に設計されていた。しかし,福島事故では単一 故障の仮定どおりには事態は進まず,1つの原因で必要な安全機能がすべて同時に故障した
(共通要因故障)。地震・津波の自然現象を原因とする事故であれば,多数の機器に同時に影響 を及ぼすことがありうるから,異常事態に対処する安全機能を司る機器のうち1つだけが機能 しないという仮定は,非現実的である。
③ 外部電源の重要度分類が最低ランクである。福島事故では,地震の揺れによる送電鉄塔の倒壊,
送電線の断線,受電遮断器の損傷等により,冷却機能に不可欠な外部電源が喪失した。耐震性 のもっとも低い設計が許容されるCランクであった(S,B,C)。
④ 東北地方太平洋沖地震は,過去数百年間の資料では確認できなかった巨大地震であり,仮に過 去数千年間の地震・津波の記録に基づいたとしても,それが今後発生する可能性のある最大の 地震・津波であるとはかぎらない。つまり,従来の想定手法では,原発で想定すべき地震・津 波を想定できない。
〈新規制基準の問題点〉
① 立地評価を改める基準がつくられていない。少なくとも福島事故と同等の事故および放射能の 広がりを想定して,立地審査指針の隔離要件の判断をし直すように基準を改定すべきである。
② 共通要因故障を設計に導入していない。
③ 外部電源についても,重要度分類,耐震重要度分類を変更していない。
④ 脆弱性は,基準地震動の策定基準を見直し,基準地震動を大幅に引き上げ,それに応じた根本 的な耐震工事を実施することによってしか解消できない。
⑤ 過酷事故対策が不充分である。(コアキャッチャー,フィルター付きベント,第2サイトなど)
〈避難計画が新規制基準の対象外であり,しかも現時点の避難計画の策定ないし実効性がきわめて 不充分である〉
〈放射性廃棄物の最終貯蔵や貯蔵先等は解決の見通しがたっておらず,再稼働は将来世代に過大な 負担を引き継がせる結果となる〉
〈再生可能エネルギー100%社会に向けた再エネ導入計画を策定すべきである〉
(再エネ全量優先無条件接続が重要である)
調べれば調べるほど,過酷事故と深層防護に関する自分の無知と無関心がますます明るみに出て くる。過酷事故は起こるべくして起こったのであり,今後も過酷事故を排除できないのである。
Ⅱ 総合エネルギー政策論の欠如
脱核電,脱化石燃料,再生可能エネルギーに言及してはいた(講義要綱 2009)が,それらを 総合した省エネルギー(エネルギー消費の絶対的削減+効率性向上)+再生可能エネルギーによる エネルギー供給についてもまったく無知であった。そのために,ドイツのエネルギー転換の歩み
(1980年~)を系統的に勉強しながら,日本のエネルギー計画のあり方を検討した。
(1)ドイツ「エネルギー転換」の史的探究
まず,取り組んだのは,「エネルギー転換」の歩みをその初期段階から勉強することであり,基 本文献を読み直し翻訳することであった。最初の成果が,ドイツ核エネルギー政策史年表(壽福 2016)であり,次いで資料集(壽福 2018)である。
ⅰ ドイツ核エネルギー政策史年表
ⅱ エコ研「核エネルギーと石油なしのエネルギー供給」(1980年)
核エネルギーと並んで,戦後エネルギー政策の主柱をなしていた石炭(褐炭)利用は,2038年 度末までに廃止される。
ドイツのエネルギー転換は,国家政策としては2011年に始まるが,政策研究(シナリオ分析)
としては1979~1980年に始まる。その嚆矢が,応用エコロジー研究所の研究である。これは,ロ ビンズ,リーチ,フィヒトナー,マイヤー-アビッヒ等ドイツ内外の専門家による研究に基づくプ ロジェクトで,その最初の成果が,クラウゼ/ボッセル/ミュラー-ライスマン『エネルギー転換―
石油とウランなしの成長と豊かさ』であり,その要約版がクラウゼによるパンフレット『核エネル ギーと石油なしのエネルギー供給』(壽福 2018:241~262)である。
このシナリオ分析(1980~2030年)は,1973~1977年段階のエネルギー・サービス消費の形態・
質・量という現実に立脚する(図1,2)。1次エネルギー消費3億2400万トン(石炭換算)にた いして利用エネルギーは1億800万トン(33%)であり,後者つまり最終エネルギー消費の内訳は,
狭義の熱エネルギー消費74%(暖房・温水52%,プロセス熱22%)が最大で,交通が18%,電力 はわずか5%である。
大前提は,核エネルギーの断念である。枯渇し高騰するウランをどのように調達するのか,核エ ネルギーは電力しか供給できないが,これで熱・燃料を代替しようとすると,巨大施設ゆえに驚く ほど高価になる(最終エネルギー需要の90%は非電力需要で,エネルギー問題とは何よりも熱と 燃料問題なのだ),核廃棄物の安全な最終貯蔵は可能なのか,スリーマイル島の過酷事故が示して いるように,何よりも事故の危険性を回避できない,プルトニウムと核兵器の拡散は防止できるの か。
分析の出発点は,1973年段階の技術によって達成できるエネルギー消費の削減である。暖房70%,
自動車60%,産業用プロセス熱,電気動力30%を中心に合計すると,2億5400万トン(1973年)
から1億5000~1億7700億トン(2030年)まで減少し,国内総生産が3.2倍になるにもかかわらず,
30~40%削減できる(表1)。経済の構造転換(エネルギー集約部門の縮小)と人口減少を加味す ると,40~50%になる。
これを石炭と再生可能エネルギーで供給すれば,どうなるか(図3,4)。家計用等低温熱4400 万トンの50%,産業用低温熱(300度)の30%は太陽エネルギー,後者の70%は石炭直接燃焼(渦 層技術)熱電併給によって満たされる。電力需要の40%,2600万トンは熱電併給全体が,残りは 水力・風力発電で供給できる。交通部門の燃料需要3100万トンはバイオマスでカバーでき,これ を輸入と農地転用で補う。
最終的に1次エネルギー消費3億2400万トン(1975年。石油50%,石炭31%,天然ガス14%等)
の大部分を占めていた化石燃料投入は1/3に減少し,二酸化炭素排出も1/3に削減される。
このような転換を実現するために必要なことは,唯一我々の政治的決断である。
図1 ドイツのエネルギー消費*(石炭換算100万トン,1975年)
*非エネルギー的消費を除く
(出典:「ツァイト」紙,1977年1月7日)
1次エネルギー消費 324
石油 163
石炭 102
天然ガス 45
核エネルギー 7 水力 5 電力輸入 2
転換
最終エネルギー 234
家庭104
産業84
交通46
転換損失90
最終エネルギー消費 234
利用エネルギー 108
非利用エネルギー 216 55
49
45
39 8 38
図2 原油投入とドイツの最終エネルギー消費構造 石油投入(1次エネル
ギー) 1977 最終エネルギー消費構造 1974 原材料 12%
電力 6%
交通 30%
プロセス熱 15%
暖房・温水 37%
電力固有の利用* 8%
交通 18%
プロセス熱 22%
暖房・温水 52%
*ここでは次のような利用と解する。電力の投入を必要とする 利用,あるいは,多くの転換損失と発電費用が正当化される ような電力投入の利点が際立っているような利用である。こ れはたとえば夜間電力利用暖房・直接暖房・電気的給湯には 当てはまらない。
期間 1973
―80 1981
―85 1986
―90 1991
―95 1996
―2000 2001
―10 2011
―20 2021
―30 1人当たり年間国内総生
産の平均的成長 3.0 4.0 3.5 2.5 2.0 1.5 1.0 0.5
表1 豊かさの成長,エネルギー利用の改善,最終エネルギー需要(1973年+2030年)
部門
エネルギー消費 (1973年,石炭換算 100万トン)
エネルギー・サービス 最終エネルギー需要(石炭換算100万トン)2030
2030年までの変化
指標(1973=1.0) 固有消費指標
(1973=1.0) 利用改善のみ 成長のみ 成長と利用改善
単位 絶対値 1人当たり (1欄×4欄) (1欄×3欄) (1欄×3欄×4欄)
1 2 3a 3b 4 5 6 7
家計全体 65 21 87 30
暖房 54 居住面積 1.3 1.7 0.3 16 70 21
温水 4 リットル 1.3 1.8 1.0 4 5 5
電気機器用電力 4 3.0 4.0 0.3 1 12 4
暖房・温水(風
呂)用動力 3 ― 0.0 0.0 ― ― ― ―
小規模消費者全
体 47 20 64 26
暖房 32 居住面積 1.3 1.8 0.3 10 42 12
非電気 5 1.8 2.5 0.6 3 9 5
プロセス熱 3 1.0 1.4 1.0 3 3 3
照明・動力 3 2.0 2.7 0.7 2 6 4
軍事 4 1.0 1.4 0.6 2 4 2
交通全体 46 24 a)59
b)60 a)31 b)33 乗用車・ステー
ションワゴン 27 キロメートル 1.2 1.5 0.4 11 32 13
貨物自動車 9 キロメートル/トン a)1.5
b)1.7 2.1
2.3 0.7
0.7 6 a)14
b)15 a) 9 b)11
電気鉄道 1 1.2 1.6 0.9 1 1 1
バス・航空・航
行等 9 1.3 1.8 0.7 6 12 8
産業全体 96 生産価値 1.7 2.3 a)0.39*
b)0.54* 68 a) 89
b)124 a)63 b)88 基礎産業 70 生産/トン a)0.7
b)1.2 1.0
1.6 0.7
0.7 49 a)49
b)84 a)34 b)59
投資財産業 11 産業価値 2.3 3.2 0.7 8 25 18
消費財産業 15 生産価値 1.0 1.4 0.7 11 15 11
最終エネルギー
全体 254 国内総生産 2.3 3.2 a)0.26*
b)0.30* 133 a)299
b)335 a)150 b)177
内電力 31 a)40
b)47 a)26 b)31
*利用改善と構造転換の連結値
表は,シナリオの成長とエネルギー利用の改善を合わせた,大幅に単純化された姿を提供している。
産業発展の技術集約的・エネルギー集約的変換は,a)と b)で表わす。貨物輸送ではいくらか異なる。
家庭の温水消費では固有の消費指標は1.0に等しい。食器洗浄機と洗濯機の,電力による温水供給が考慮されている。
(壽福 2018:245~246,250~251,256,258)
図3 1次エネルギー投入(1973―2030シナリオ)
1970 1980 1990 2000 2010 2020 2030
ウラン 天然ガス
石油 風力・水力
太陽光 バイオマス
石炭・褐炭 石炭換算100万トン
400
300
200
100
0
図4 利用改善と豊かさの成長における2030年のエネルギー源別1次エネルギー投入と最終エネ ルギー供給(石炭換算100万トン。表1の技術集約的バリエーション)
必要な石炭投入は,1970年代はじめの投入に照応する。バイオ物質の利用は,ゴミと農業・林業の廃棄物に限定 する。
最終エネルギー 1 次エネルギー 216
太陽光 26
熱電併給 39
精製 28
バイオ物質 50 水力・風力 3 12
石炭(直接) 58
(源) 150 太陽光 58
(所産) 150 低温熱 59
高温熱 34
電力 26 交通燃料 31 石炭(直接) 49
熱電併給:熱 18 風力+水力 15 石炭精製 11 バイオ物質 20 電力 11
ⅲ ドイツ議会専門家調査委員会「未来の核エネルギー政策」4つのシナリオ(1980年)
連邦議会と主要政党のなかでは,カルカールの高速増殖炉建設にたいする反対運動への対処が焦 眉の課題であった。遠因としては2度の石油危機を経た省エネ・脱石油問題の再・急浮上がある。
連邦議会は,スリーマイル島事故の翌日,1979年3月29日,委員会の設置を決めた(壽福2013:
247~261)。これはドイツ内外の専門家の委託研究,ヒアリングも踏まえ広範な検討を行い,4つ のシナリオを提起した。高速増殖炉を含む核エネルギーの積極的利用,増殖炉なしの核エネルギー 利用,省エネ中心の道,省エネ+再生可能エネルギー利用(エコ研!)である。結果的に第4の道 は拒否されたが,議会の討議の対象とされ,エネルギー政策の柱の一つとして位置づけられたこと 自体が,歴史上画期的な出来事であった。
(壽福 2013:255)
ⅳ ゴアレーベン国際シンポジウム・ニーダーザクセン州政府声明・全州合意「核エネルギー政策 の終焉の始まり」(1979年)
・市民社会の意思と核エネルギー政策の相克
他方,国民の意思はエコ研・第4の道の歩みとは大きく異なっていた。すなわち,チェルノブイ リに至るまで,大多数の国民は多かれ少なかれ核エネルギーの利用を一貫して支持しており,粘り 強い地域住民運動の展開・発展とはかけ離れていた(図1~5)。が,1986年,拮抗関係となる
(表1)。
この転換には,もう一つの地下水脈が影響している。それは,1970年代の地域住民運動の力で あり,それに支えられた法廷闘争と数多くの判決である。とくに1979年,ゴアレーベンの再処理・
核廃棄物最終貯蔵問題は焦眉の課題となっていた。「トイレなきマンション」は死活問題なのであ る。
地域および全国の住民運動と核エネルギー積極利用の国家政策の板ばさみになったニーダーザク セン州首相アルプレヒトは,窮地に立たされた。彼は国際シンポジウムを企画した。
〈国際シンポジウム〉(1979/3/28~4/3)
ニーダーザクセン州政府主催の公聴会は,スリーマイル島核電事故と同じ28日に始まった。著 名な核物理学者カール・フリートリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカー*を議長として,世界中から 批判派25人(内ドイツ人5人),推進派37人(同15人)の専門家が参加し議論した(表Ⅰ)。
*彼が公平な議長役を務めることができた1つの要因は,この時期が決定的な思想的転換過程にあたる ことも大きく影響している。すなわち,彼は1970年代を通して,核エネルギーの推進派から批判派に転 換したのである。その経過を彼は次のように回顧している。「私は学問的出自からして,1970年代初めは 自発的な核エネルギーの支持者であった。もちろん1968年には戦争時の核施設の防護のために眠れない 夜もあった。1974年から1975年の冬,研究・技術省の顧問として必ず生じる公共的核エネルギー論争を 指摘した。核エネルギーにたいする公共的批判が語られる形態を,私は差別なくありのままに受け入れ た。・・・私は,現在でもそうだが,核エネルギーの物理学的危険を暴力行為,とりわけ戦争との関係だ けで見ていた。1970年代の私の発言ではつねに,この危険にたいする技術的な安全性を不可欠なものと して要求していた。・・・だがこの要求は何の効果もなく,その間に私は,この要求が満たされるという 希望を放棄した。
現在私は確固として,主要なエネルギー源としての太陽エネルギーを支持し,技術的に可能なエネル ギー節約に賛成し,主要なエネルギー源としての核エネルギー賛成の決定に反対する。同様に化石燃料 を長期的な未来のエネルギー源と見なすことはできない。・・・私は遠い将来核エネルギーが人類にとっ て重要な役割を果たすことを排除できないし,また排除する意思もない。但し前提がある。それ以前に 世界の平和が政治的かつ文化的に,つまり人間の行動のなかで保障されるならという前提だ。これがい つ実現されるのか,現在誰にもわからない」(Meyer-Abich/Schefold,21986:15~16)。
アルプレヒト首相は開会の挨拶で,「問題は統合処理計画の安全性の問題である。・・・施設の周 辺で生活する人間や施設で働く人間が危害を受けてはならない。・・・シンポジウムの課題は,第
1に,この決定発見過程で賛否の論拠がどの程度真剣に比較考量されるかが,誰にとっても明白に なることだ」と語り,対象をゴアレーベン計画にできるだけ限定した上で,ここで得られた情報と 論争が政治的意思決定にとってもつ意味を強調した(15)が,討論の過程でその目論見は綻びを 見せることになる。
「核処理センターは安全技術上基本的に実現可能だが,州政府は連邦政府にたいして,再処理の プロジェクトをこれ以上先に進めないよう勧告する」(191)。そればかりか,再処理自体に関して も,懐疑的ではないけれども,「中立的」である。というのは,「連邦共和国が将来軽水炉,高温炉,
あるいは高速増殖炉を決定するかどうかに応じて,再処理の問題は改めて取り組むことができる」
と述べて,先の4条件が満たされれば推進するという立場を明示していないからである。
それと同時に,再処理如何にかかわらず使用済み燃料の処理が必要なことは明々白々だから,政 府声明は新しい処理計画の決定を要求している。①長期的中間貯蔵所の即時建設,②放射性廃棄物 の安全な最終貯蔵の研究・開発,③ゴアレーベン深層ボーリングの実施(肯定的な結果の場合には 鉱員による探査,否定的な結果に終わった場合には,他の最終貯蔵所の探査),④放射性廃棄物の 扱いと最終処理のもっとも合目的的な形態に関する決定がそれであり,「この計画が安全な処理を 保証する。それは未来にたいするいかなる可能性も排除せず,処理と結びついた危険性を最小限に 制限する」(192)はずである。
最後に,アルプレヒト首相は,長期的中間貯蔵所の建設,低・中レベル放射性廃棄物の最終貯蔵,
高レベル物質最終貯蔵用探査の推進を約束し,「ニーダーザクセンの・・・特別な責任」を改めて 強調して演説を終えた。
シュミット首相は,これを「反核電運動の部分的な勝利」(1979/4/30アルプレヒト首相との会話。
Tiggermann,2010:784)と呼び,ラートカウも「核エネルギーの最初の深刻な敗北」(784)と評 価しているが,実は,「核『処理』と核エネルギーの歴史における本質的転換」(662)であり,ド イツの核エネルギー政策の破綻の始まりであった。というのは,9月の首相と全州の合意では,① 1ヶ所に限定しないが,当初の統合処理構想は引き続き追求する,②ゴアレーベン以外に縮小した 再処理施設を複数建設する,③再処理しない使用済み核燃料の直接貯蔵を検討する,④ゴアレーベ ンの探査は追求するとされ(Ebd.,683),これ以降の核エネルギー政策の基本方針となったが,③ を除いて他のすべての方針は,紆余曲折の末最終的に放棄されるからである。まず,1980年7月 にドイツ再処理会社,郡議会,各自治体が契約した中間貯蔵施設(使用済み核燃料と低レベル放射 性廃棄物)は,1981年に認可が下り,1984年に完成したものの,使用済み核燃料の搬入は10年に わたって阻止され,ようやく1994年に始まった搬入も阻止行動に阻まれている(Ebd.,699, Anm.386)。次に,最終的にヴァッカースドルフに予定された再処理工場の建設も反対運動(「提出 された異議は881,000で,史上最高であった」。Radkau,2010:371;Held,1986)の結果,ドイツ再 処理会社は,1989年5月,建設中止に追い込まれた(Jufuku,2014a)。そして1994年には再処理な き直接最終貯蔵が再処理と同等の位置を占める(第7次核法改訂)ようになり,国外委託されてい た再処理自体(1977年,ドイツ再処理会社とフランスのコジェマ社は使用済み核燃料の再処理と
貯蔵の契約を結んでいた)も2000年に放棄される。また,高レベル放射性廃棄物の最終処理に関 しては,2000年にゴアレーベン探査が中止され(Tiggermann,2010:589,Anm.896),2013年の
「高レベル放射性廃棄物最終貯蔵施設立地の探査および選定に関する法律」(StandAG)によって,
根本からやり直すことになった。
(この項,壽福 2016:112~113,133~135を改稿)
(舩橋/壽福 2016:86-87)
・国際シンポジウム:世界中から賛成反対の優れた専門家が参加していることが一目瞭然である。
(ibid.:88-89)
(2)ドイツ「エネルギー転換」の現在(2016年)と課題
エネルギー政策の政治的意思形成過程をより深く理解するために,2013年のエネルギー・フロ ーを一瞥した(図1)後,2014~2015年(部分的に2016年)段階の「エネルギー転換」の現状を 簡単に見てみよう(以下,主として経済・エネルギー省(以下,経済省)『未来のエネルギー 第 4次エネルギー転換 監モニタリング視 報告』(2015年11月)に依拠する)。
現在のエネルギー政策「エネルギー転換」の(核脱却を除く)基本的骨格は,2010年9月の「エ ネルギー計画」(表1)に基づいている。この計画は,2050年までの長期的政策であり,しかもエ ネルギー問題と気候変動問題を統合し,電力・熱・交通燃料を網羅した総合的・体系的な政策であ ると同時に,数値目標を明確化した画期的な政策である(ただし,この計画は,核エネルギーを
「再生可能エネルギーの時代に至る道における・・・『架け橋の技術』」として利用し続けることを 含んでおり,2011年の「エネルギー転換」で撤回された)。
まず,この計画の数値目標を再確認しよう(表2)。
2050年の主たる目標は,節約と効率化によって1次エネルギー消費を半減すること,最終エネル ギー消費に占める再生可能エネルギーの割合を60%にすること(とくに電力では80%を達成する),
温室効果ガスの排出を1990年比で80~95%削減することである。そこに至る10年毎の短中期目標 も明確である。