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Powered by TCPDF ( Title 過失の共同正犯? : 一つの批判 Sub Title Fahrlässige Mittäterschaft? Eine Kritik Author ルイス グレコ (Greco, Luis) 佐藤, 拓磨 (Satō, T

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(1)

Title

過失の共同正犯? : 一つの批判

Sub Title

Fahrlässige Mittäterschaft? Eine Kritik

Author

ルイス・グレコ(Greco, Luis)

佐藤, 拓磨(Satō, Takuma)

Publisher

慶應義塾大学法学研究会

Publication year

2019

Jtitle

法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and

sociology). Vol.92, No.4 (2019. 4) ,p.57- 85

Abstract

Notes

資料

Genre

Journal Article

URL

https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-2019042

8-0057

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過失の共同正犯? Ⅰ   はじめに   過失の共同正犯をめぐる議論は、最近のドイツでは、平 穏な状況となっている (( ( 。共同正犯は故意犯との関係でのみ 問題になるとする従来の見解は、次第に、共同正犯は過失 犯にも拡張可能だとする見解の後塵を拝さなければならな くなった (( ( 。本稿の目的は、この拡張の正当性に疑問を提起 することにある。   議論状況のおおまかなまとめ(Ⅱ ( の後に、次の三つの ステップで論証を展開する。第一に、過失の共同正犯が抱 えるとされる解釈論上の難点について検討する。ここでは、 過失の共同正犯に対する批判者によって指摘される問題の 大 部 分 が、 実 は 存 在 し な い と い う こ と を 示 す( Ⅲ (。 次 い で、過失の共同正犯の支持者が満足な回答をしていない核 心的な問題を提起する。すなわち、過失犯の領域における 「 相 互 帰 属 (( ( 」 と い う 重 大 な 法 律 効 果 の( 理 論 的 な ( 正 当 化 の 問 題 で あ る( Ⅳ (。 こ こ で は、 そ れ を 正 当 化 す る も の は 存在しないということを示す。最後に、過失の共同正犯に は実務上の必要性すら認められないということを示すこと を試みる。 Ⅱ   議論の歴史の素描   Roxin の 記 念 碑 的 な モ ノ グ ラ フ ィ ー で あ る『 正 犯 と 行 為 支配』の中にその完成形を見出すことができる従来の関与

 

 

 

磨/訳

過失の共同正犯?

――

一つの批判

――

資 料

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形態の体系では、故意犯の領域においてのみ、様々な正犯 ( お よ び 共 犯 ( 間 の 区 別 が あ る。 過 失 犯 に は、 統 一 的 正 犯 体系が妥当する。つまり、あらゆる関与者が正犯、より正 確には、同時正犯なのである (4 ( 。あらゆる関与者に対して正 犯として(同時正犯として ( 責任を問いうるため、長い間、 この体系に基づいて、過失の共同正犯はまったく必要ない と考えられてきた。   しかし、現実は体系よりもやっかいなものであることが 明らかとなった。 「関与」が ―― 少なくとも(帰属可能な ( 結果の共同惹起の意味において ―― 既に疑わしい事件が起 こ っ た の で あ る。 そ こ で は、 た し か に「 犯 行 の 場 に い た 」 という限りでは人物が関与したことはわかるものの、その 人 物 の 関 与 が な く て も 結 果 が 発 生 し た で あ ろ う か ど う か、 また、その人物が結果を共同惹起したかどうかは、まった く明らかでなかったのである。議論は、とりわけ、二つの 事例を手掛かりにして行われた。すなわち、スイス連邦裁 判所のいわゆるローリング・ストーンズ事件とドイツの皮 革スプレー事件である (5 ( 。   ローリング・ストーンズ事件( BGE  (((  IV,  5  8 ( は、二 名の友人が、暇つぶしに、山で重量のある石塊を下方に向 けて転がしたという事案であった。一人の釣り人が、その うちの一つの石塊にぶつかり、死亡した。誰がその石を転 がしたのかは、判明しなかった。スイス連邦裁判所は、過 失致死の刑責について、疑わしきは罰せずによりこの二名 を 無 罪 と す る こ と を 望 ま な か っ た。 同 裁 判 所 は、 「 共 同 し て 行 わ れ た 全 体 行 為 と 生 じ た 結 果 と の 間 の 因 果 関 係 」 ( BGE  (((  IV,  6  0 ( を 問 題 に し た。 こ れ は、 実 際 の と こ ろ は、過失の共同正犯を認めたのと少なくともほぼ等しいも のであり (6 ( 、その結果、証明の問題はなくなった。   有 名 な 皮 革 ス プ レ ー 事 件( BGHSt  ( 7,  ( 06 ( は、 多 数 の 問 題 を 提 起 し た。 本 稿 と の 関 係 で 我 々 の 興 味 を 引 く の は、 その複雑な事案のうちの一部である。すなわち、皮革スプ レーの健康への有害性を知る手がかりがあったにもかかわ らず、取締役会の構成員が製品回収に関する議決の際に回 収に賛成票を投じなかったという部分である。取締役会は 九 名 に よ り 構 成 さ れ て い た の で、 各 構 成 員 は、 そ の 票 は まったく重要ではない、つまり、賛成に投じなかったこと が結果を惹起したということはあり得ないということを主 張することができたのである。連邦通常裁判所は、相互に 刑 事 責 任 を 免 れ る こ と を 認 め て し ま う の を 避 け る た め に、 法感情に訴えた。 「それが正当なものであり得ないことは、 明白である」 ( BGHSt  ( 7,  ((( ( としたのである。解釈論的

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過失の共同正犯? な観点では、連邦通常裁判所は非常に控えめな態度をとっ た。しかし、重畳的因果関係の形象を援用したようにみえ る( BGHSt  ( 7,  (( 0f. (7 ( (。   重畳的因果関係を介した根拠づけには、明らかに問題が ある。というのも、重畳的因果関係の事例状況は、過剰な 行為寄与はなく、複数の行為寄与が累積してはじめて結果 を 引 き 起 こ す も の だ か ら で あ る (8 ( 。 そ の た め、 こ の 判 決 は、 学説に従来の共犯理論体系の修正を目指すきっかけを与え るものとなった。過失の共同正犯を承認することに賛成す る見解が増え (9 ( 、それにより両事件における難点は容易に克 服しうるものとなった。もちろん、故意犯の場合に認めら れている共同正犯の要件は修正を要するであろう。故意の 共同正犯が成立するためには、主観面では共同の行為決意 ( 行 為 計 画 ( が、 客 観 面 で は 共 同 の 行 為 遂 行( ま た は 重 要 な行為寄与 ( が必要だとするので ((1 ( 、過失の共同正犯の支持 者は、通常、主観面では共同の作業の認識または共同の行 為計画 ((( ( が、客観面では注意義務違反 ((1 ( が必要だとするのであ る。 Ⅲ   (みかけ上の ( 解釈論的な難点   それにもかかわらず、従来の関与のモデルは、抵抗なく は放棄されなかった。しかし、過失の共同正犯を通じた拡 張に対する批判の大部分は、核心を突くものではなかった。 1. 過 失 の 共 同 正 犯 に 対 す る 非 難 と し て お そ ら く 最 も 広 まっているのは、過失の共同正犯には行為決意または行為 計画が欠けるというものである ((1 ( 。この非難は、この法律構 成の支持者に対して特に感銘を与えるものではないであろ う。彼らは、この新しい法律構成の要件は、過失犯の本質 に適合したものでなければならず、その結果、故意の共同 正犯にとって本質的なものと同じものではありえないと反 論することができるからである ((1 ( 。 2. 刑 法 典 二 五 条 二 項( 訳 者 注: 特 に 断 り が な い 限 り、 「刑法典」とは、ドイツ刑法典を指す。 「民法典」について も 同 様 で あ る。 ( に 反 す る と い う 主 張 も 時 折 み ら れ る ((1 ( 。 こ の論拠も特に厳しいものではない。第一に、なぜ「共同し て」という文言から故意の要件を読み取らなくてはならな

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いのかが、既にあまり明らかではない ((1 ( 。加えて、類推禁止 および文言の限界は、もともと、総論においては、非常に 弱い働きしかしない ((1 ( 。第三に、この論拠は、仮にそれが当 を得ていたとしても、さしあたりドイツでしか意味を持た ないであろう。たとえば、この論拠が日本刑法典六〇条に 関して意味を持つかどうかはまた別の問題であり、それに 答える資格は筆者にはない ((1 ( 。 3. 第三のあまり説得力のない批判は、おそらく最も著名 な 過 失 の 共 同 正 犯 の 反 対 論 者、 つ ま り Puppe に よ っ て 述 べ ら れ て い る。 Puppe は、 こ の 法 律 構 成 を 用 い て 因 果 関 係 の証明を省く試みは誤っている、なぜならあらゆる共同正 犯は既に因果関係を要件とするのであり、それゆえ、これ によってはじめて因果関係を基礎づけうるのではない、と するのである ((1 ( 。この論証は、主張されている因果関係の二 つの異なる基準点を混同するものである。二つの基準点と は、つまり、共同の行為と最終結果である。個々の寄与の いずれもが、前者の基準点に対して因果的でなくてはなら ないというのは、同義反復である。いずれの共同正犯者も 関与しなければならない共同の行為なしには、共同正犯に はなり得ないのである。しかし、過失の共同正犯の支持者 は、 こ の よ う な 自 明 の こ と を 問 題 に し て い る の で は な い。 そうではなく、最終結果、つまり石が衝突したハイカーの 死亡または皮革スプレー使用者の健康侵害を問題にしてい るのである。いわゆる付加的共同正犯(銃殺部隊が典型的 な例である ( を承認することは、次のことを裏づけている (11 ( 。 すなわち、故意犯の場合でも、個々の寄与の最終結果に対 する因果性は要求されないということである (1( ( 。 Ⅳ     核 心 的 問 題 ―― 批 判 に 耐 え う る 相 互 帰 属 の 根 拠の欠如   前述した解釈論上の難点は、克服することが可能かもし れない。しかし、それに活気を与える過失の共同正犯に対 する反感は、正しい直観の表現であるといえるだろう。こ のことを以下では明らかにしたい。   Puppe は、 こ の 点 に 関 し て 問 題 の 核 心 を 明 確 に 述 べ、 過 失の共同正犯の支持者に対し、その法律構成に対する法倫 理的な基礎づけを提示するよう求めた (11 ( 。その理由は、共同 正犯は、他人の行為寄与を自分のものとして扱うこと、つ ま り、 一 般 的 に は、 も ち ろ ん い く ら か 不 正 確 で は あ る が (11 ( 、 相互帰属と呼ばれるものにつながり、それゆえ行為者に対

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過失の共同正犯? して特別の正当化が必要な法律効果につながるからである (11 ( 。   Puppe の 見 解 に は、 こ の 点 で は 完 全 に 同 意 す る こ と が で きる。だが、この機会に、この批判をさらに掘り下げたい。 以下の四つのステップでこれを行う。第一に、故意犯の共 同正犯に対する疑念と正当化の必要性をもう少し明確に示 し た い( Ⅳ. ((。 次 い で、 そ の 正 当 化 の 試 み の い く つ か に つ い て 検 討 す る( Ⅳ. ((。 最 後 に、 こ の 正 当 化 を 過 失 犯 に 転 用 す る こ と は 成 功 し 得 ず( Ⅳ. ((、 ま た、 他 の 独 自の正当化の論拠も同様に存在しないことを示したい(Ⅳ. 4(。 1.共同正犯の特別の正当化の必要性   厳格な自己答責性原理(完全に答責的な正犯の背後に正 犯なし ( に懐疑的な立場を採ったとしても (11 ( 、共同正犯が自 明のものではないことは認めざるを得ない。いわゆる相互 帰属という法律効果は、以下のことを意味する。すなわち、 友人AとBの間で、Aが被害者に拳銃を向け、Bが現金を 奪取するという合意をしたとき、両名は、あたかも各人が 「 生 命 ま た は 身 体 に 対 す る 現 在 の 危 険 を 伴 う 脅 迫 」 も「 奪 取」も自分自身で実現したかのように、強盗罪(刑法典二 四九条 ( により処罰されるということである。   問題の所在は、民法に目をやることで最も明確にするこ とができる。他人に対し、ある法律行為を行う権限を与え ることができる。行為するのは当該他人だが、その取引は 授権者に帰属する。そのような、取引が「直接本人のため お よ び 本 人 に 対 し て 効 力 を 生 じ る 」( 民 法 典 一 六 四 条 一 項 一号一文 ( という構成は、刑法には無縁である。犯罪行為 は法律行為ではない(契約締結詐欺や権限濫用による背任 さ え も そ う で は な い (。 こ の よ う な 構 造 の 相 違 は、 お そ ら く、刑法においては常に刑罰の正当化の条件が問題となっ ているということに基づくのであろう。刑罰は、まったく 特 別 の 性 質 を 有 す る 法 律 効 果 で あ る。 つ ま り、 ( 第 一 に ( 反 作 用 で あ る こ と、 ( 第 二 に ( そ れ が 人 間 と い う 属 性 ゆ え に帰属する、その限りで「生来的な」人間の権利、とりわ け生命、身体および自由に関わる反作用だということであ る (11 ( 。これに対し、民法は、取得しそして再び失うことが可 能なもの、つまり「後天的なもの」の領域である。人が人 であるがゆえに有する権利は、この意味で、一身専属的な ものである。そのような権利は、一身専属的な過ちを通じ て自ら失う場合にのみ、喪失する。換言すれば、刑罰の一 身専属的な性質から、犯罪行為の一身専属的性質が導かれ る。つまり、これが、我々が 責任原理 と呼ぶものなのであ

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る。   相互帰属の観念が、いま述べたことと著しい緊張関係に あ る こ と は い う ま で も な い。 共 同 正 犯 の 正 当 化 の 負 担 が、 間接正犯のそれよりも若干重いということも、間接正犯で は、通常は、完全には答責的でない者との協働が問題とな ること、また、厳密には他人の行為の帰属ではなく、行為 者の行為、つまりは道具への働きかけにのみ焦点があてら れなければならないことを考慮すれば、理解できよう。   そのため、学説では、繰り返し、多少なりとも広範にわ た る が な さ れ た。 Schröder は、 彼 の 名 前 を 冠 す る高名なコンメンタールの第一〇版で次のような見解を述 べた。すなわち、行為支配論は共同正犯の課題を解決でき るものではない、なぜなら、各人は、自分自身の寄与のみ 支 配 し て い る か ら だ、 と し た の で あ る。 Schröder は、 そ れゆえ、法規そのものが相互帰属を基礎づけるのだとした (11 ( 。 ま た、 Küper は、 共 同 正 犯 は、 実 質 的 に は、 「 共 犯 の 特 別 形 態 」 だ と し て い る (11 ( 。 降 伏 宣 言 の う ち の い く つ か は、 Haas が 書 い た も の の 中 で 読 む こ と が で き る 公 式 に み て と ることができる(しかし、おそらく実際のところはそうで は な い。 Ⅳ. (. b 参 照 (。 そ れ は、 共 同 正 犯 は、 法 に よ る擬制によって根拠づけられる例外的な帰責形態だとする も の で あ る (11 ( 。 つ ま り、 共 同 正 犯 の 存 在 が 許 さ れ る 根 拠 は、 単純に刑法典二五条二項(ないしは日本刑法典六〇条 ( に あると考えることができるとするのである。しかし、これ は、法実証主義的な、根拠づけの放棄だといえるであろう。 刑罰が干渉する権利は、生来的に、それゆえ法規よりも前 に存在するのであるから、立法者が処分しうるものではな い。立法者が相互帰属を定めることが許されるのは、それ に十分な根拠がある場合のみなのである。 2.共同正犯の正当化   共同正犯の歴史は、かなりの部分、相互帰属の根拠の探 究、つまり一身専属的な刑罰と他人の行為の帰属との間の 緊張関係の解消の試みと解釈することができる。   a ( Lange,  Sax お よ び 前 述 し た Schröder は、 共 同 正 犯 を 相互的な間接正犯 として理解することを提案した (11 ( 。しか し、この命題は正しくない。間接正犯は、共同正犯の事例 ではじめには存在している必要のないもの ―― 通常、背後 者によって利用された答責の欠如 ―― が要件とされるので ある (1( ( 。   b ( 学 者 の う ち の 小 規 模 で は あ る が 重 要 な グ ル ー プ は、 民 法 従 属 的 に で は な い が、 論 証 を す る。

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過失の共同正犯? Kindhäuser は、 共 同 正 犯 を 相 互 的 な 代 表 と し て 再 構 成 す る こ と を 提 案 す る (11 ( 。 Haas も 類 似 の 考 え 方 を 主 張 す る (11 ( 。 Haas は、 共 同 正 犯 を 相 互 委 任 と 解 釈 し て い る。 Haas の 主 張 は、 近 頃、 Renzikowski に よ っ て も 取 り 上 げ ら れ た( そ し て、 法 人〔 persona  moralis 〕 と い う 法 律 構 成 で こ れ を 補 っ た。 Ⅳ. (. d を 見 よ (11 ( (。 Renzikowski は、 「 個 々 の 共 同正犯者は、共同の行為計画を代表する」と書いている (11 ( 。   民法指向的な考え方が不可能だということは、前述した こと(Ⅳ. (( から明白であろう。犯罪行為は法律行為で はなく、他人により処理されうる取引でもないのである (11 ( 。   c ( それゆえ、民法を借用することをおよそ放棄し、刑 法内部で糸口を探すのが自然であろう。この方策は、とり わ け Puppe に よ っ て と ら れ て い る。 Puppe に よ れ ば、 共 同正犯の正当化は、それが 相互的な教唆 であるというとこ ろ に あ る (11 ( 。 Puppe の 見 解 に お け る こ の 論 拠 は、 教 唆 犯 の 根 拠 が 不 法 協 定( Unrechtspakt ( に あ る と い う 彼 女 の 理 論 と結びついている。教唆者が正犯者と同様に処罰されるの は、正犯者がその行為決意を教唆者に依存させているから だとする。つまり、教唆が認められるのは、教唆者が犯行 を放棄していれば、正犯者は犯行を放棄していたであろう といえる場合だとするのである (11 ( 。   こ の 見 解 に 対 し て、 既 に 犯 行 を 決 意 し て い る 者 ( omnimodo  facturus ( に 対 す る 教 唆 の 場 面 で 破 綻 す る と 批 判 す る の は 困 難 で あ る (11 ( 。 な ぜ な ら、 Puppe は、 教 唆 に 関 する彼女の最初の論稿以来、 omnimodo  facturus の法律構 成を拒絶しているからである (11 ( 。このアプローチが、実定法 上の偶然性、つまりドイツ法が教唆者に対して正犯に対す るのと同様の刑を定めていることに過度に依存してはいま い か と い う こ と を 問 題 に す る こ と も 可 能 で あ ろ う。 だ が、 日 本 法 も 同 様 の 規 定 を 有 し て い る の で( 日 本 刑 法 典 六 一 条 (、 こ の 問 題 は こ こ で は 触 れ な い で お く こ と に す る。 こ れに加え、このアプローチは、自らが認める以上に、主観 説または正犯意思の理論 (1( ( を内容に含んでいるようにみえる。   このアプローチの核心的な問題は、これも結局のところ 降伏宣言に属するというところにある(Ⅳ. (の末尾を参 照 (。 共 同 正 犯 者 が 相 互 に 教 唆 す る と い う こ と は、 相 互 的 な 正 犯 で は な く、 を 基 礎 づ け る に す ぎ な い (11 ( 。 その限りで、このアプローチは共同正犯を「一種の第二級 正 犯 」 と み な す も の だ と い う Jakobs の 描 写 (11 ( は、 い ま だ 手 ぬるいものである。このアプローチを首尾一貫すれば、冒 頭で挙げた強盗事例では、Aは強要罪と窃盗罪の教唆の観 念的競合で処罰され、Bはこれとは逆に窃盗罪と強要罪の

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教唆の観念的競合で処罰されるということになるであろう。 筆者には、これを基礎にしてどのように共同の強盗を認め ることができるのか理解できない。   d ( 強盗罪による処罰を認めるべきだということは、友 人AとBの事例と一人ですべてを自らの手で処理しなけれ ばならない孤独なCの事例と比較すると、特に明白になる。 つまり、Cを強盗罪で有罪とし、AとBは窃盗罪または強 要罪とこれらに関する教唆でのみ有罪とするのは不当であ る と 思 わ れ る か ら で あ る。 そ れ ゆ え、 現 在 で は、 Lampe,   Lesch ( と Jakobs (,  Joerden,   そ し て Renzikowski の よ う な 何人かの学者は、集合的主体のようなものを前提にした主 張をする。AとBは「不法システム (11 ( 」、集合的意味統一体 (11 ( 、 集 合 的 人 格 (11 ( ま た は 法 人( persona  moralis (11 ( ( を 構 成 し、 構 成メンバーがなしたすべてのことがこれに帰属されうると する。このような考え方は、実は長い伝統を有し (11 ( 、日本に もその主張者がいる (11 ( 。   集合的主体という考え方は、せいぜい、まさにこの集合 の処罰が問題となる場合にのみ説得力を持ちうるであろう (11 ( 。 これに対し、個々の者への全部の帰属は、これらの個人を 超えた集合を導入することを通じては根拠づけることがで きないのである (1( ( 。   e ( aa( この課題に関するおそらく大多数の回答は、 能的行為支配 の形態における行為支配という考え方である。 Roxin は、 「 共 同 正 犯 に 固 有 の も の は、 ま さ に 各 人 が 他 人 と共同して全体事象を支配するところにある」とする (11 ( 。共 同の目的を分業して達成しようとする者らには、共同して 目指されたものおよび実現されたものが共同の成果として 帰属される。換言すれば、各人はすべてを支配するのであ り、それゆえ各人は、自身が支配したことのみのために処 罰 さ れ る の で あ る。 Roxin は、 前 述 し た 二 人 の 事 例 を 用 い て こ の こ と を 説 明 す る。 す な わ ち、 「 共 犯 者 が 共 に 行 為 し た場合にのみ、計画が『機能する (11 ( 』」 、その限りで「各関与 者の『重要な地位』が存在する」 、「各人は、もし関与を拒 否 す れ ば、 行 為 を 失 敗 さ せ る こ と に な る (11 ( 」、 共 同 正 犯 者 と は、 「 企 て 全 体 の 成 否 が そ の 者 の 役 割 に 応 じ た 行 為 に か かっている者 (11 ( 」をいう、とするのである。実のところ、他 人 の 行 為 が 帰 属 さ れ る の で す ら な い。 Roxin は、 相 互 的 間 接正犯の考え方との論争において、そのように書いている。 相 互 的 間 接 正 犯 の 考 え 方 は、 「 あ る 者 が、 他 人 が 自 己 の 責 任において行ったことのために、正犯として処罰されるべ きだとする、責任原理と調和しない奇妙な想定」を具現化 し た も の で あ る と い う (11 ( 。「 と い う の も、 共 同 正 犯 者 自 身 の

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過失の共同正犯? 所為が、他人の行為の帰属なく、全体行為に対する共同正 犯をもたらすから」である (11 ( 。   bb( ここでは相互帰属、あるいは全体行為に対する答責 の法的な正当化可能性の根拠が述べられているということ について、本稿では詳細に説明することはできない。二つ のレベルに批判をまとめよう。すなわち、一般的なレベル での、行為支配の観念それ自体に対する批判 (11 ( 、そして、具 体的なレベルでの、行為支配という法律構成に共同正犯を 支える能力があるのかということに対する批判である (11 ( 。前 者の問題は措くこととする。   ⑴   こ の 後 者 の 具 体 的 な レ ベ ル の 批 判 の 第 一 の も の は、 もとより、先ほどの『正犯と行為支配』からの引用によっ て既に斥けられている。その批判は、本来の意味での支配 は、自分自身の関与した部分に関してのみ認められるとす る (11 ( 。しかし、関与の拒否によって企てを失敗に至らせるこ とができる者は、いかなる場合でも、 「最終成果」 、それど ころかある種の意味において彼の仲間の成果をコントロー ル し て い る。 時 折、 こ れ と の 関 係 で、 「 消 極 的 行 為 支 配 」 と い う 表 現 が 用 い ら れ る こ と が あ る (1( ( 。 近 頃、 Roxin は、 「部分支配」という語を用いている。すなわち、 「構成要件 実現に関するこの部分支配は、各共同正犯者が実行の一部 を行ったが、それが行われなければ全体計画が失敗した可 能性があったというところにある」とするのである (11 ( 。これ は、ただ(もしかすると誤解を招く形で (11 ( ( 説明を明確にし たものにすぎない。実際のところは、いまだなお重要なの は、全体計画への影響なのである。   ⑵   二 つ 目 の よ り 重 要 な 批 判 は、 こ れ へ の 反 論 で あ る。 そ の 反 論 は す ぐ に 思 い 浮 か ぶ も の で あ る こ と か ら、 Roxin も既に彼のモノグラフィーの中でこれに触れている。犯行 を失敗させる能力は、たしかに、二人の友人AとBの場合 には肯定できる。しかし、AとBが、彼らの弟たち a、( a、( aまたは( b、( b、( bに、それぞれ拳銃を被害者に向けるこ( と、および現金を奪い取ることを行わせることに成功した 場合はどうだろうか。銃殺部隊の事例、つまり付加的共同 正犯の事例はどうだろうか (11 ( 。これらの事例においては他の 犯 罪 行 為 が 存 在 し た で あ ろ う と い う Roxin の 元 々 の 回 答 (11 ( は、明らかに満足の行くものではなかった。なぜなら、循 環論法の疑いがあるからである。すべての共同正犯者とさ れる者のリスト化が常に「犯罪行為」に欠かせないのであ れば、これらの者のうちの一人の脱落がそのように記述さ れた犯罪行為を失敗に至らせるというのは、同義反復だか らである (11 ( 。現在の回答は、共同正犯者の支配または行為寄

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与の重要性は、事前の観点から決められなければならない というものである (11 ( 。   ⑶   この解決は、誤ってはいないが、完全に満足の行く ものではない。第三の批判は、この解決にも向けられてい るが、しかしそれだけにとどまるものではない。その批判 とは、 消極的行為支配幇助犯 も有しうる、つまりは、幇 助犯も事前の観点からは犯罪の企ての結果に対して重要な 寄与をなしうるというものである (11 ( 。ここでは、実際、回答 を す る 責 任 が 機 能 的 行 為 支 配 の 支 持 者 に あ る。 Herzberg やその他の学者は、規範化を用いて問題状況を解決するこ とを提案した。すなわち、役割の同等性を問題にする提案 である (11 ( 。筆者は、結論において、これに賛成する。しかし、 ここで、行為支配という考え方を不明確で、規範的なもの と事実的なものの間を揺れ動くプロテウスのようなものと して拒絶する批判者たち (11 ( の主張を正しいと認めるべきでは ないのであれば、この問題を考察するには、行為支配の観 念の構造に立ち返ることがなお必要である。   筆者は、それどころか、上記批判に対する回答は、行為 支配の事実的な核心から導きうると考える。支配とは、そ の存在が関与者らの相互関係における立場にも左右される と い う 意 味 で、 「 絶 対 的 」 で は な く で あ る と考えればよいのである。つまり、同等に位置づけられた 寄与は、これを上回る寄与がない限り、支配をもたらすの である。ここに、共同正犯者と幇助者との違いがある。共 同正犯者は相互に対等に向き合うものであり、幇助者は少 なくとも一人の正犯の下位に置かれるものなのである。こ の 理 論 構 成 の 代 替 案 と し て は、 正 犯 な き 幇 助 の 法 律 構 成、 つまりは、A家およびB家の構成員または銃殺部隊の構成 員を単なる幇助犯に位置づけることが考えられるが、明ら かに奇妙であろう (1( ( 。支配が認められるのによりふさわしい 者が彼らのほかに存在しなかったがゆえに、彼らは、行っ た犯罪行為について支配したといえるのである。このこと は、たとえば次のような場合にはあてはまらない。すなわ ち、銃殺部隊の中の一八人が小口径のピストルを使用する のに対し、二人が大口径のピストルを使用する場合である。 この事例では、小口径のピストルを使用する一八人は、幇 助の役割に追いやられる。   f ( ここで小括をしたい。共同正犯および相互帰属とい う共同正犯の法律効果に説得力ある根拠を与えるのは、機 能的行為支配の考え方だけなのである。

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過失の共同正犯? 3.  過 化( ):   話を過失犯に戻し、これまでの考察を過失犯に転用する ことが可能かを考えてみよう。   a ( それ自体は簡潔に行うことができるであろうし、ま た、既に否定されたアプローチを考慮に入れないでおくこ とは可能であろう。それでもなお、それらのアプローチと 過失との関係について手短に触れよう。間接正犯および教 唆という法律構成は故意犯のみに適用できるというのを固 持するのであれば (11 ( 、相互的間接正犯の理論も相互的教唆の 理論も過失犯には転用することはできない。民法に触発さ れたアプローチは、人は過失により代表されうるのかとい う 問 題 を 解 明 し な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 こ の こ と は、 もしかすると、とりわけ、いわゆる表見代理の基礎に関す る 議 論 を 用 い て 解 明 さ れ な け れ ば な ら な い か も し れ な い (11 ( 。 おそらく、このアプローチの大部分の支持者によって望ま れる結論に至る道のりには、解釈論的な障害は存在しない であろう。民法には他人の債務を帰属する方法が他にもあ るから、なおさらである(特に、民法典二七八条、三一条 類 推 適 用 (11 ( (。 過 失 の 共 同 正 犯 と 最 も 容 易 に 結 び つ く の は、 集合的人格の法律構成である。この理論構成は、共同の行 為決意のような心理的なものをまさに時代遅れのものにす るとされる (11 ( 。これらのアプローチ、つまり過失犯に転用可 能なアプローチは、しかしながら、既に基礎となる根拠か らして疑わしいものである。そしてまた、まさに相互帰属 に対してあまりにも寛大で、拒否されるべき条件を立てる がゆえに、これらのアプローチが、過失の共同正犯を根拠 づけることができるのだということも明白である。   b ( それ自体妥当な行為支配の観念は、機能的行為支配 としての具体化された形においても、故意犯を念頭に置い ており、それゆえ、もとより過失には拡張することができ ない。つまり、犯罪の故意は、支配にとって(共に ( 本質 的なものなのである (11 ( 。機能的行為支配の観点からは、すべ ての関与者に帰属したいものは、定義からして、分業的に 追 求 さ れ た 共 同 の 目 的 を 超 過 し て い る。 そ の 限 り で、 「 各 人 は、 自 分 一 人 だ け で 失 敗 す る (11 ( 」 と 断 定 的 に 主 張 す る Puppe に は 完 全 に 賛 成 す る こ と が で き る。 過 失 の 共 同 正 犯 は、超過部分の相互帰属の試みである。他人の過ちのため の処罰なのである。 4.過失の共同正犯の正当化(Ⅱ) :その他の論拠   た だ し、 こ の こ と が 過 失 の 共 同 正 犯 に と っ て「 ア ウ ト 」

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を意味するかどうかは疑問である。もしかすると、共同の 決意で捕捉されるものを超えて相互帰属を根拠づけること ができるさらなる論拠がありうるかもしれない。   a ( 以前の論稿で、筆者は、まさにこのような試みをし た (11 ( 。 公 正 に 根 差 し た 論 拠 を 提 案 し た の で あ る。 す な わ ち、 分業的に組織化した者は、その行為の可能性を拡大するた め、自由の拡大から生じた危険に対し、その者に責任を負 わせるのも妥当である、それゆえ過失の共同正犯は、一般 的な法原理の現われ、つまり自由と答責性の関係の現われ である、としたのである (11 ( 。私の以前の立場を顧慮しなかっ た Steckermeier の 最 近 の 業 績 は、 こ の 考 え 方 が ロ ー マ 法 に淵源を有することを明らかにした。つまり、利益を享け る者は危険を負う、という考え方である (11 ( 。   しかし、その後、この方法はうまく行かないことが、筆 者には明らかになってきた。先ほど挙げた法原理は、刑罰 を用いて生来的で一身専属的な権利をはく奪することに根 拠を与えることができるものではない。この法原理の本来 の適用領域は違ったところにある。つまり、妨害者責任 (1( ( お よび危険責任 (11 ( の根拠づけの際に適用されるのである。しか し、そこでは、刑罰の場合とは異なり、通常、後天的なも のが問題となるのであり、決して反作用が問題となるので はない。自分自身の行為の可能性の拡張は、状態であり行 為ではない。それはある者に降りかかってくることや、そ れ ど こ ろ か 押 し 付 け ら れ る こ と も あ り う る。 こ れ に 対 し、 刑罰は、ある者が自分自身で決断したものに基づかなくて はならないのである。   b ( 異なった法領域の法律構成について論じる負担を避 けるために、公正の考え方をほかの方法で取り入れるのを 試みることはできるであろう。公正を語るのであれば、ス ポーツの比喩を用いるのがうってつけである (11 ( 。ドイツ代表 チームは、二〇一四年にサッカーのワールドカップで優勝 した。この成功は、共同の成果として、選手全員に(そし てまた監督にも ( 帰属されうる。成功にあてはまることは、 同様に、失敗にもあてはまらなければならないように思え る。それゆえ、準決勝でのブラジルの屈辱は、同様に選手 たち(そしてまた監督に ( に帰属されうるに違いない。こ の視角からすれば、過失の共同正犯を拒絶することは、あ たかも目的を達成した場合にのみ相互帰属を認めうるかの よ う な、 お か し な 不 均 衡 の よ う に み え る。 Puppe の 主 張 に 反して、共同の失敗というものは、まったく存在しうるよ うに思える。   この実際に説得力のある論拠に対しては、二つの応答が

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過失の共同正犯? 出てくる。第一に、これによって提供されるのは、過失の 共同正犯ではなく、未遂段階にとどまった共同正犯の可能 性の論拠だと反駁することができるであろう。ここでの共 同の所産は、敗戦ではなく、勝利の(失敗 ( 未遂なのであ る。この応答が説得力を有するかどうかは、私には定かで はない。そのため、別の応答の方を優先しよう。この比喩 には、サッカーには、チームスポーツとして、成功および 不成功が直接に帰せられるところの集合的主体があるとい うところに問題がある。サッカーの観点からは、クローゼ やネイマールの行為はなく、あるのはドイツまたはブラジ ルの行為のみである。なぜなら、彼らではなく、ドイツま たはブラジルが勝利のために戦っているからである。これ に対し、刑法では、まさに自分自身のもの、自分自身の首 ( Hals ( が問題になっているのである (11 ( 。   c ( このことは、いまだ、過失の領域における相互帰属 を根拠づけることが可能な別の論拠を示すことができない であろうということを意味するものではない。しかし、そ の よ う な 論 拠 が ま だ 存 在 し な い こ と は、 ほ ぼ 明 白 で あ る。 本稿では立ち入ることはできなかったが (11 ( 、過失の共同正犯 の構成に関する多くの提案は、主としてまさに構成を提供 するものであり、根拠づけを提供するものではない。 共同 の行為計画 (11 ( は、既に一体をなしており、その限りで共同の ものを構成する個々の寄与を統合しうるのみである。なぜ なら、これを共同の行為の根拠づけに援用することは同義 反復になるだろうからである (11 ( 。とりわけ、過失の領域にお ける相互帰属の根拠づけのために幾度も照準をあてられる 危険増加 の観点は、不十分なものである (11 ( 。たしかに、危険 増加の観点は、なぜ我々が相互帰属に関心を持つのかを説 明するものではあるが、なぜ関与者が相互帰属を甘受しな くてはならないのかを説明するものではない。関与者に対 してもそのような正当化を得ようとするのであれば、根拠 づけは、実際は、公正を指向する論拠に形を変えるのであ る。しかし、その論拠は、前述した理由により、説得力を 持ち得ない。 Ⅴ   過失の共同正犯の必要性の欠如   過失の共同正犯は、Ⅱでみたように、必要に迫られて生 まれたものである。そうすると、過失の共同正犯を非難す ることは、この必要に対して目をつぶることを意味するの であろうか?

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1. 第一に、いま述べた実際上の懸念の重要性を相対化し なくてはならない。たとえ刑事政策と刑法体系の接近を擁 護するとしても (11 ( 、これは、刑法体系が、主張されまたは知 覚されるあらゆる処罰の必要性を受け入れる態度を示すべ き だ と い う こ と を 意 味 す る も の で は な い。 「 刑 事 政 策 と 刑 法体系」という標語は、正確な理解では、立法者だけでは なく、法適用者も正統な処罰の条件を考慮しなければなら ないということを意味する。これらの条件に数えられるの が、一身専属的な責任の原理または責任原理である。責任 原理の侵害を正当化しえたような必要は、存在しないであ ろう。しかし、正統なことを主張することは、それが非実 際的ではないということがわかれば、容易となる。以下で は、そうであるということの証拠を示す。 2. より厳密にみれば、冒頭で挙げた二つの事例によって それぞれの特徴が示されるような二つの事例状況に区別す ることができる。第一の、ローリング・ストーンズ事件の 事例状況では、通説的な因果関係の理解にしたがえば、問 題すら生じない。これに対し、第二の、過失の合議決定の 事例状況は、通説の因果関係の理解が、理論的な理由から だけではなく、修正を要することを明白な形で裏づける。   a ( 第一の事例状況 は、実際のところ、容易に解決され る。この事例では大きな岩塊が下方に向けて転がされてい るが、これが社会生活上必要な注意に反することは、詳細 に根拠づけるまでもない。より詳しくみると、これに対し て は 一 つ だ け で は な く、 二 つ の 理 由 が あ る こ と が わ か る。 第一に、制御されずに加速して山を転がり落ちる石からは、 多数人の生命、身体および財産に対する明白な危険が発生 する。第二に、このような無意味で明らかに危険な暴挙へ の関与は、事件がそれほど無意味ではありえないことの明 白な証拠となる。それによって、第二の理由から、許され ざる危険が創出される。つまり、他の関与者の第三者を危 殆化する動機の強化から許されざる危険が創出されるので ある (11 ( 。というのも、一人の関与者の行為が、他の関与者の 動 機 を 強 化 す る 形 で 作 用 す る か ら で あ る( 逆 も ま た し か り (。   これは、誰の石が被害者を死なせたのかとは無関係であ る。義務違反行為を自ら行った者は、既に条件公式にした がって、結果に対する条件を設定した (1( ( 。その結果、行為と 結果との間の因果関係は疑いようがないのである。加えて、 この結果の中には、上述した許されざる危険の第一のもの、 または 、第二のものが実現しており、客観的帰属も肯定さ

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過失の共同正犯? れうる。要するに、過失の協働を共同正犯ではなく同時犯 として理解する従来の解釈は、この事例ではまったく問題 な い の で あ る (11 ( 。 こ こ で は、 ( 因 果 関 係 で は な く ( 客 観 的 帰 属に関して、実際のところ、二者択一が存在していること、 つまり(同種ないし不真正の、争いのない ( 択一的認定 の 状況が存在しているということは、滅多には明示的に強調 されない。   こ の 考 察 は、 シ ュ レ ー ス ヴ ィ ヒ 上 級 州 裁 判 所 の 事 案 ( NStZ  ( 98 (,  (( 6 ( を 解 決 す る こ と を 可 能 に す る。 二 人 の 侵入盗が、明かりを得るために複数のマッチを使用した後、 それらを火が付いたままの状態で投げ捨てた。そのマッチ は、 高 度 に 引 火 し や す い ド レ イ ロ ン 材 を 含 ん で い た た め、 火災を引き起こした。誰が火災を引き起こしたマッチを投 げ捨てたのかは証明され得なかった。ここでも、二人が結 果を引き起こした。そして、その結果の中に、自手的に創 出された(直接の (、または間接的に創出された(つまり、 他人の動機を介した ( 放火の危険が実現したのである。   しかし、これに対しては、 遡及禁止 が介入することを看 過するものだと異議を申し立てることが可能であろう。す なわち、いずれの過失犯も自己答責的であり、その過ちを 他人に負わせることは許されないという異議である (11 ( 。遡及 禁止のトポスに対する確固とした立場表明をここでは示す こ と は で き な い (11 ( 。 私 の 懐 疑 の 理 由 を 二 つ の 簡 潔 な 論 拠 に よって示すことにしよう。第一に、完全に答責的な第三者 による損害を最小限に抑えることを目的とする注意規則は ま っ た く 存 在 す る。 防 火 規 則 を 想 起 さ れ た い。 な ぜ、 「 危 険な行為を行うよう隣人を励ますことなかれ」という内容 の注意規範を定めることが、法秩序に禁じられるべきなの か、筆者には理解できない。第二に、遡及禁止を支持する 際の原理に対する忠実さは、過失の共同正犯、つまりは他 人の過ちについての処罰を認める用意が同時にあるのだと したら、筆者には疑わしく感じられる。   しかし、上記の批判は、正当な核心を有している。あら ゆる悪しき模範が、それだけでその模範にしたがった者の 過ちに基づく結果に対する正犯的な過失の答責性を根拠づ けるのに十分でありうるというわけではないのである。こ の部分は、つまり、いかなる限度で「過失の教唆」が可罰 的 か と い う 問 題 は、 実 際 の と こ ろ、 解 明 す る 必 要 が あ る。 というのも、夜間に相前後して無灯火で走行し、その結果、 対向して走行してきた自転車との衝突をもたらして、同自 転車に乗っていた者を死亡させたという二人の自転車乗り 事 件( RGSt  6 (,  (9 ( ( で は、 一 般 的 に、 後 方 に い た 自 転 車

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乗りの注意義務違反と結果との間の保護目的連関が(他人 の自転車を照らすことが点灯命令の趣旨ではないという論 拠によって ( 否定されているが、他人の注意義務違反を動 機付ける各々の寄与が注意義務に反するのだとすれば、も はやこのように判断され得ないであろうからである (11 ( 。また は、 カ ー ル ス ル ー エ 上 級 州 裁 判 所 の 事 件( MDR  ( 986,   4(( ( が取り上げられよう。この事件は、 「Kがその納屋の 建 物 を 取 り 壊 す の を 一 番 見 た い な あ 」 と い う 発 言 の 後 に、 Kがその建物を取り壊したというものであったが、裁判所 は、この発言をした者に対し、過失による文化財の破壊の 同 時 正 犯 を 理 由 に 有 罪 判 決 を 言 い 渡 し た。 こ の カ ー ル ス ルーエ上級州裁判所の結論は、行き過ぎであろう。しかし、 そこに存在する限界の解明は、他の機会に委ねなければな らない。   b ( 我々により大きな問題をもたらすのは、第二の事例 状況、つまり 過剰な票を伴う過失の合議決定 である。ここ では、実際、従来の見解の土台から離れなければならない。 過剰な票は、既に定義からして、結果と条件関係には立た ない。すなわち、その票を取り去って考えても、結果が欠 けることにはならないのである。先ほど述べた方法、つま り他人の行為への働きかけを理由に責任を取らせることも、 うまく行かないようにみえる。決議に参加する(または参 加しない ( 者が、同時に他人の投票行動に影響を与えると は軽々に主張することはできない。このアプローチにした がうと、思いもよらない結果に至ることになろう。一番手 として票を投じた者のみが責任を負い、最後に票を投じた 者は責任を負わないという結果である(というのも、既に 行 わ れ た 他 人 の 行 為 は、 も は や 惹 起 さ れ 得 な い か ら で あ る (。 ま た、 秘 密 投 票 の 場 合 に は 責 任 を 問 う こ と が で き な い。言い逃れの余地を与え、また、証明の困難性、つまり は利益原則の問題が生じる。   筆者は、過失の合議決定の事例状況は、因果関係の理論 の領域における誤った想定から決別するチャンスと捉えら れるべきだと考える。条件公式が、既に、いわゆる択一的 因果関係または多重因果関係の事例状況で破綻しているこ と は、 数 十 年 前 か ら 知 ら れ て い る (11 ( 。 し か し、 こ れ ま で は、 作られた反例(有名な致死量の二倍の毒が入ったコーヒー の 事 例 (11 ( ( に よ る 理 論 的 な 圧 力 だ け が 存 在 し、 そ の 圧 力 は、 Traeger と Tarnowski に よ る 条 件 公 式 の 修 正 に よ っ て 克 服されたと考えられてきた (11 ( 。その修正とは、結果が欠ける こ と な く、 択 一 的 に は 取 り 除 い て 考 え る こ と が で き る が、 重畳的には取り除いて考えることができない複数の条件は、

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過失の共同正犯? す べ て 当 該 結 果 に 対 し て 因 果 的 で あ る と す る も の で あ る。 しかし、この方法は、いくつかの理由から、説得力を有し ない (11 ( 。それにもかかわらず、このことが妨げになるとは感 じられなかったのは、単なる教科書事例だったからであろ う。過剰な票を伴う合議決定により、実生活に根ざした圧 力が生じており、この圧力からは、もはや呑気に逃れるこ とはできない。   このチャンスを二重の観点から利用することが重要であ る。第一に、個別事案をみるだけで、それゆえ一般化ない しは自然法則を要求することなしに、因果関係に関して言 明することが可能だ ((11 ( という条件公式の暗黙の前提から離れ るために利用すべきである。条件公式は、実は、自然法則 に依拠している。二つの個々の出来事(Aによる発射/B の死、Xによる賛成票/Yの健康侵害 ( を結びつけるため には、常に「橋」として、一般化する意味でこの生活の具 体的事象を超え出る命題が必要だからである ((1( ( 。条件公式を 放棄して合法則的条件説を採用した多くの学者も、このこ とを悟っている ((10 ( 。   第二に、そしてとりわけ、合法則的条件説により自然法 則を用いて二つの個別の出来事を結びつけることができる 場合には因果関係があるとすることで満足することはもは やできない ((10 ( 。この自然法則の論理構造およびその個別事例 への適用に関してより正確なことを述べる努力を省くこと はできない。ここでも、合法則的条件説を 最低条件説 に発 展 さ せ た Puppe の 基 礎 的 な 考 察 を 引 き 合 い に 出 す こ と が で き る ((10 ( 。 Kindhäuser も、 最 近 ま で か な り 近 い 立 場 で あ っ た ((10 ( 。この見解にとって、原因とは、結果の十分な最低条件 の必要不可欠な構成要素である。AがBの心臓に向けて撃 ち、Bはすぐ死亡したとする。Aの射撃は、最低条件の必 要不可欠な構成要素として ―― 素人的で、技術的・医学的 ではない表現の仕方では ―― 以下の内容を示しうるであろ う。 す な わ ち、 「 誰 か に 向 け て 弾 丸 を 発 射 し た 場 合 に は、 重要な臓器、たとえば心臓が損傷を受けうる、そして、心 拍が止まり、死亡する」という内容である。   この見解の大きな強みは、条件公式が格闘しなければな らない周知の難点を克服しているところに現れている。そ れは、とりわけ択一的因果関係または多重因果関係の事例 状況にあてはまる ((10 ( 。ここでは、最低条件の必要不可欠な構 成 要 素 は、 「 九 票 の う ち の 五 票 」 で あ る。 仮 に、 九 名 全 員 の投票権者が同じ意見に投票した場合でも、全員を(その つど異なる五票のグループ分けにおいて ( そのような結果 の 最 低 条 件 の 部 分 と し て ま と め る こ と が で き る。 つ ま り、

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この場合、Aの投票行動は(たとえば、B、C、Dおよび Eとともに ( 一つの原因だったといえる。Bの投票行動も ( 他 の 四 名 の 行 動 と 結 び つ い て ( 同 様 で あ る。 以 下、 九 番 目、つまりIまで同じことの繰り返しである。付言すると、 この見解に向けられた多くの批判は、誤解に基づいている ((10 ( 。 この見解は複雑すぎるとした(いずれにせよ ( 特別に深い 熟慮に基づくものではなかった筆者の批判は ((10 ( 、明示的に撤 回する。 Ⅵ   まとめ   過 失 の 共 同 正 犯 は、 た し か に、 考 え る こ と は で き る (Ⅲ (。しかし、まだ説得力のある形では根拠づけられてい な い( Ⅳ (。 こ の こ と は、 過 失 の 共 同 正 犯 を 説 得 力 あ る 形 で根拠づけることはできないのではないかという疑念を強 める。誤った条件公式と決別し、最低条件の考え方を採用 するならば、過失の共同正犯は、実際的にも必要であると はいえないであろう(Ⅴ (。 ( ((   そ れ で も な お、 Steckermeier,  Der  Tatentschluss  von   Mittätern,  ( 0( 5,  S.  (( 6  ff. お よ び Böhringer,  Fahrlässige   Mittäterschaft,  ( 0( 7 ( 二 九 七 頁 以 下 で こ の 法 形 象 を 否 定 する ( を見よ。 ( ((   その証拠として、後掲注( 9( 参照。同じく、このよ う な 立 場 が い ま や 学 説 に お い て 優 勢 だ と 評 価 す る も の と し て、 Haas,  in:  Matt/Renzikowski,  StGB,  ( 0( 5,   §  (  5  Rn.   (00. ( ((   こ こ で 引 用 符 を 用 い て い る 理 由 に つ い て は、 IV. (. e注( 56(。 便 宜 上、 本 稿 で は 広 く 用 い ら れ て い る 概 念 を 放棄しなかった。 ( 4(   『 正 犯 と 行 為 支 配 』 の 初 版 で は、 過 失 犯 は、 い ま だ 義 務 犯 と し て 構 想 さ れ て い た。 そ の 帰 結 と し て、 正 犯 と 共 犯 の 区 別 は 可 能 で あ っ た( Roxin,  Täterschaft  und   Tatherrschaft,  ( . Aufl.,  ( 967,  S.  5 (7  ff.;   同書の「過失犯の 正 犯 お よ び 共 犯 」 に 関 す る 第 一 一 章 は、 第 三 版 以 降 に は 存在しない。 ders,  Täterschaft  und  Tatherrschaft, (.  Aufl.,   (975,  S.  5( 7 ff.;  9.  Aufl.  (0 (5,  S.  5( 7 ff. 参照 (;  過失の領域に お け る 統 一 的 正 犯 概 念 に 賛 成 す る の は、 Jescheck/ Weigend,  Lehrbuch  des  Strafrechts,  AT,  5.  Aufl.  ( 996,  S.   655;  Kühl,  in:  Lackner/Kühl,  StGB  (8.  Aufl.  (0 (4,   §  ( 5  Rn.   (( ; Wessels/Beulke/Satzger,  AT,  47.  Aufl.  ( 0( 7,  Rn.  740;   Heine,  Sch/Sch-StGB,  ( 8.  Aufl.  ( 0( 0,  vor   §  (  5  ff.  Rn.  (((  f. (その後の版では異なっている。後掲注( 9( を見よ (。

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過失の共同正犯? ( 5(   BGH  VRS  ( 8,  4 (6   ( 4((  f. (   も見よ。共同正犯ではなく、 過 失 の 領 域 に お け る 同 時 正 犯 の み が あ る と し た。 OLG   Schleswig  NStZ  ( 98 (,  (( 6  よ び  BayObLG  NJW  ( 990,   (0 (( は、 複 数 の 注 意 義 務 違 反 者 が 互 い に 競 合 し、 証 明 の 問 題 が 生 じ た 事 案 で あ っ た。 裁 判 所 は、 過 失 の 共 同 正 犯 を 援 用 す る こ と を 考 え た( 明 示 的 に こ れ に 反 対 し た の は、 OLG  Schleswig (。 ( 6(   この判決が、実質的に過失の共同正犯を承認したとす るのは、 Maurach/Gössel/Zipf/Renzikowski,   §  4 9  Rn.  ((( ;  異 な っ た 解 釈 を す る の は、 Böhringer   ( 前 掲 注( ((( , S.   (0. ( 7(   「 と い う の も、 彼 の 部 分 的 寄 与 は ―― 他 の 取 締 役 の 部 分的寄与と合わさって ―― 因果的だからである。 」 ( 8(   Greco,  ZIS  ( 0(( , 674  ff.   参照(六八二頁にさらなる文 献も挙げられている (. ( 9(   以 下 の 注 に 挙 げ ら れ て い る も の の ほ か、 Bloy,  GA   (000,  ( 9(  ff.   ( (95 (;  Dencker,  Kausalität  und  Gesamttat,   (996,  S.  ( 74  ff.;  Feijoo Sánchez,  Derecho  penal  de  la   empresa  e  imputación  objetiva,  Madrid,  ( 007,  S.  (((  ff.;   Frister,  Strafrecht  AT,  6.  Aufl.  ( 0(( ,  §  (  6 Rn.  4  ff.;  Greco,   ZIS  ( 0(( , 687  f.;  Häring,  Die  Mittäterschaft  beim   Fahrlässigkeitsdelikt,  Basel  u.a.,  ( 005,  ( 0(  ff.;  Heine/ Weißer,  Sch/Sch-StGB,  (9.  Aufl.  (0 (4,  vor   §  ( 5  ff.  Rn.  (( 4  ff. ( Heine,  Sch/Sch-StGB,  ( 8.  Aufl.  ( 0( 0,  vor   §  (  5  ff.  Rn.   (( 5  f. で は、 ま だ 異 な っ た 見 解 が 採 ら れ て い た (;  Kaspar,   AT  ( . Aufl.  ( 0( 7,   §   9  Rn.  6  9  ff.;  Köhler,  Strafrecht  AT,   (997,  S.  540;  Kuhlen  in:  Canaris  u.a.   ( Hrsg. (,  Festschrift   5 0  Jahre  BGH,  Bd.  IV,  (000,  S.  647  ff.   ( 670 (;  Lampe,  ZStW   (06   ( (994 (,  68 (  ff.   ( 69 (  f.,  7 (4  Fn.  ( 60 (;  Lesch,  JA  ( 000,   7 (  ff .  ( 7 8 (;  R en zik ow sk i,  F S  O tto , ( 00 7,  S.  4( (  ff.  ( 4( 9 ( ;  Roxin,  Strafrecht  AT  II,  ( 00 (, §  ( 5  Rn.  ( 4(  ( LH  Cerezo,   (00 (,  S.  96 (  ff.   [ 974  f. ]  で は、 ま だ 因 果 性 の レ ベ ル で の 解 決 が 試 み ら れ て い た (;  Schünemann,  LK-StGB,  (( . Aufl.   (007,   §  (  5  Rn.  (( 6  f.;  Utsumi,  Jura  ( 00 (,  5( 8  ff.   ( 540 (;  dies.,  ZStW  (( 9  ( (007 (,  787;  Steckermeier   (前掲注( ((( ,  S.  (( 6  ff.;   慎 重 に 肯 定 す る の は、 Hilgendorf,  NStZ  ( 994,   56 (  ff.   ( 56 ( ( お よ び Stratenwerth/Kuhlen,  AT  6.  Aufl.   (0 (( ,  §  (  6  Rn.  7.   ら な る 文 献 に つ い て は、 Heine/ Weißer,  in:  Schönke/Schröder  Strafgesetzbuch,  ( 9.  Aufl.   (0 (4,  Vorbem.   § §  ( 5  ff.  Rn.  ((( ;  学説の細部における違い については、 Böhringer   (前掲注( ((( , S.  9 9  ff. も見よ。 ( (0(   多 く の 文 献 に 代 え て、 Roxin,  AT  II,   §  (  5  Rn.  ( 90  ff.,   (98  ff. ( (((   Heine/Weißer,  Sch/Sch-StGB,  vor   §  (  5  ff.  Rn.  (( 6;   Greco,  ZIS  ( 0(( , 688;  Gutiérrez Rodríguez,  La  responsabilidad   penal  del  coautor,  Valencia,  ( 00 (,  S.  (( 4 f.;  Luzón/Díaz y

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Garcia  FS  Roxin  I,  ( 00 (,  S.  575  ff.   ( 605 (;  Kamm,  Die   fahrlässige  Mittäterschaft,  ( 999,  S.  ( 96  ff; Küpper,  GA   (998,  5 (9  ff.   ( 5( 7 ( ; Ransiek,  Unternehmensstrafrecht.   Strafrecht,  Verfassungsrecht,  Regelungsalternativen,   (996,  S.  70;  Renzikowski,  Restriktiver  Täterbegriff  und   fahrlässige  Beteiligung,  ( 997,  S.  ( 88;  ders.,  FS  Otto,  S.  4 (9   ff.;  Maur ach/Göss el/Zipf /Renzi kowski ,  §  4  9  Rn.  (( 0;   Riedo/Chovjka  ZStR  (( 0  ( (00 ( ( , ( 5(  ff.   ( (6 ( ( ; Rodríguez   Montañés,  FS  Roxin  I,  ( 00 (,  S.  ( 07  ff.   ( (( 6 ( ; Roso Cañadillas,  Autoría  y  participación  imprudente,  Granada,   (00 (, S.  580  ff.;  Weißer,  Kausalitäts- und  Täterschaftsfragen   bei  der  strafrechtlichen  Würdigung  pflichtwidriger   Kollegialentscheidungen,  ( 996,  S.  ( 47,  ( 56;  dies.,  JZ  ( 998,   (( 0 ff.   ( (( 6 f. (;  Schünemann,  LK-StGB,   §  (  5 Rn.  (( 7.   類似 す る も の と し て、 Kuhlen  BGH-FS,  S.  670   お よ び Kaspar,   AT   §   9  Rn.  7  0 は、 共 同 正 犯 を 認 識 あ る 過 失 に 限 定 し よ うとする。 Schlehofer  FS  Herzberg,  ( 008,  S.  ( 55  ff.   ( (68 (  は、刑法典三〇条二項の意味での合意を要求する。 ( (((   その際、義務というのが一つの共同義務でなくてはな ら な い の か ど う か は、 明 ら か に さ れ て い な い( 必 要 だ と す る の は、 Weißer   [ 前 掲 注( (((] , S.  ( 47,  ( 56 [ dies.  JZ   (998,  (( 6  は、 異 な っ た 立 場 が 採 ら れ て い る よ う で あ る ];  Kamm   [ 前 掲 注( (((] , S.  ( 88  ff,  ( 0( ; Utsumi,  ZStW   (( 9  [ (007 ] , 775 ( さ ら な る 日 本 の 文 献 が 挙 げ ら れ て い る (,  787;   お そ ら く Otto,  FS  Spendel,  ( 99 (,  S.  ( 7(  ff.   [ (8 (  f. ] ; ders.,  Grundkurs  Strafrecht,  AT,  7.  Aufl.  ( 004   §  (  (  Rn.  (( 4,  (( 9 ff. も同様の立場である (。 ( (((   たとえば、 Bottke,  GA  ( 00 (,  46 (  ff.   ( 474 (;  Gropp,  GA   (009,  ( 7(  f.;  Heine,  in:  Sch/Sch-StGB,  ( 8.  Aufl.  ( 0( 0,  vor   §    (5  Rn.  (( 6;  Hilgendorf/Valerius,  Strafrecht  AT,  ( . Aufl.   (0 (5,   §  (  (  Rn.  45;  Jäger,  AT  8.  Aufl.  ( 0( 7,  Rn.  ( 66;  Puppe,   ZIS  ( 007,  (( 4 ff. ( (4 (;  (( 6 は、行為計画の概念により多く のものを求める (;  Vassilaki,  FS  Schreiber,  ( 00 (,  S.  499  ff.   ( 50 (  f. ( ( (4(   Otto,  FS  Spendel,  ( 99 (,  S.  ( 8( ; ders.  AT,   §  9   Rn.  (( 5;   同様に、 Brammsen,  Jura  ( 99 (,  5( 7;  Greco,  ZIS  ( 0(( , 687;   Gutiérrez Rodríguez ( 前 掲 注( ((( (,  S.  ((( ; Heine/ Weißer,  Sch/Sch-StGB,  vor   §  (  5 ff.  Rn.  (( 4;  Knauer,  Die   Kollegialentscheidung  im  Strafrecht,  ( 00 (,  S.  ( 8(  ff.;   Renzikowski   (前掲注( (((( , S.  ( 84;  ders.,  FS  Otto,  S.  4 (( ;  Riedo/Chvojka,  ZStR  (( 0  ( (00 ( ( , ( 57  f.;  Maurach/Gössel/ Zipf/Renzikowski,   §  4  9  Rn.  (( 4;  Roxin,  AT  II,   §  (  5  Rn.   (4 (;  Schünemann,  LK-StGB,   §  (  5  Rn.  (( 7;  Utsumi,  ZStW   (( 9  ( (007 (, 774,  786;  Weißer,  JZ  ( 998,  ((( . ( (5(   そのように主張するのは  Bottke,  GA  (00 (,  46 (  ff.   ( 474   f. ( ; Kraatz,  Die  fahrlässige  Mittäterschaft,  ( 006,  S.  (( 6  f.,  

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過失の共同正犯? (66;  Gropp,  GA  ( 009,  ( 7(  f.;  ders.,  AT  4.  Aufl.  ( 0( 5,   §  ( 0   Rn.  (( 5;  Lackner/Kühl,  StGB  ( 8.  Aufl.  ( 0( 4,   §  (  5  Rn.  (  (  ( Kühl,  Strafrecht  AT,  8.  Aufl.  ( 0( 7,   §  (  0 Rn.  (( 6d および 末尾は、明らかにより控えめな主張をしている (。 ( (6(   同 様 に 、 Heine/Weißer,  Sch/Sch-StGB,  vor   §  (  5 ff.  Rn.   (( 4;  Kaspar,  AT   §  9  Rn.  70;  Renzikowski   (前掲注( ((((,  S.  (8 8;  M au ra ch /Gö ssel /Z ip f/Re nz iko w ski ,  §  4  9  R n.  (( 8;  Rengier,  AT  8.  Aufl.   §  5  (  Rn.  ( ; Steckermeier   ( 前 掲 注 ( ((( , S.  (( 7;  van Weezel,  Beteiligung  bei  Fahrlässigkeit,   (006,  S.  ( 6(  f. ( (7(   Roxin/Greco,  AT  I  5.  Aufl.  ( 0( 9,   §  5  Rn.  4 (  ff. 参照。 ( (8(   過失の共同正犯と法規の文言の整合性に関する日本の 議論状況については、 Utsumi,  ZStW  (( 9  ( (007 (, 770  f. ( (9(   Puppe,  JR  ( 99 (,  (8   ff.   ( ( ( (;  dies.,  GA  ( 004,  (( 9  ff.   ( ((( , (( 6 f. (; dies.,  ZIS  ( 007,  (( 4 ff.   ( (40 (; 同 じ く 、 Samson,   St V  ( 99 (,  (8 (  ff.  ( (8 4  f. ( ; Ho ye r,  GA  ( 99 6,  ( 60  ff.   ( (7 ( ( ;  Sofos,  Mehrfachkausalität  beim  Tun  und  Unterlassen,   (999,  S.  ( 57;  und  Becker,  Das  gemeinschaftliche  Begehen   und  die  sogenannte  additive  Mittäterschaft,  ( 009,  ( 8(   ff. ( Becker は過失の共同正犯を受け入れるが、 各関与者の 共 同 正 犯 的 な 寄 与 を 通 じ た 結 果 の 惹 起 は 必 要 だ と す る (;  Böhringer (前掲注( ((( , S.  (0 (,  (( 5 ff.   これを批判するの は、 Renzikowski   ( 前 掲 注( ((( (,  S.  ( 86  f.;  Greco,  ZIS   (0 (( , 687;  Rotsch,  ZIS  ( 0( 8,  (   ff. (あまり明確ではないが、 九頁 (。 ( (0(   し か し な が ら、 Puppe,  GA  ( 004,  ((( , (( 6 は、 付 加 的 共 同 正 犯 は「 例 外 」 だ と し な け れ ば な ら な い と す る。 dies.,  ZIS  ( 007,  ( 40  f.   も見よ。これに対し、一貫している の は、 Becker   ( 前 掲 注( (9(( , S.  ( 67 で あ る。 Becker は、 共 同 正 犯 を 認 め る に は、 各 個 別 の 寄 与 の 因 果 性 が 必 要 だ と し、 そ れ ゆ え 付 加 的 共 同 正 犯 を 拒 絶 す る。 こ れ と 非 常 に 近 い も の と し て、 Böhringer ( 前 掲 注( ((( , S.  (( 5  ff.,   (( 8 f.,  (66.   さらに、結合犯の共同正犯の事例状況を想起せ よ。 ( た と え ば 強 盗 の 事 例 で ( 奪 取 を 行 っ た 者 は、 も は や 共 犯 者 に よ っ て 行 わ れ た 脅 迫 ま た は 暴 行 行 為 に は 因 果 的 ではあり得ない。詳しくは、 Renzikowski,  FS  Otto,  S.  4 (7   f. ( (((   Beulke/Bachmann,  JuS  ( 99 (,  7( 7  ff.   ( 74 ( ( ;  Hilgendorf,  NStZ  (994,  56 (;  Hoyer,  FS  Puppe,  (0 (( , S.  5( 5  ff.   ( 5( 4  ff. (;  詳 し く は、 Renzikowski,  FS  Otto,  S.  4 (6  ff.;   Häring   ( 前 掲 注( 9( (,  S.  ( 40  ff.,  ( 77  ff.;  Jakobs,  FS   Herzberg,  ( 008,  S.  ( 95  ff.   ( 400  ff,  405 ( 特に、 Knauer   (前 掲注( (4(( , S.  ( 4(  ff,  ( 58  f, ( 68. ( (((   こ の 要 求 に つ い て は、 特 に、 Puppe,  GA  ( 004,  (( 9  (「 各 人 は、 自 分 一 人 だ け で 失 敗 す る 」( , ((( ;  ら に、 Murmann,  SSW-StGB,   §  (5   Rn.  (4;  ders.  AT  4.  Aufl.  (0 (7,  

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