Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service Japanese Sooiety for the Soienoe of Design
環 境
と
切
り
結
ぶ
教 育
ゲ
シ
ュタ
ル
ト
か
ら
ア
フ ォ
ー
ダ
ン
ス
へEducation
Encountering
the EnvironmentsFrom
“
Gestaltung
”
to”
Affordance
”
石 黒 教子
ISHIGURO Noriko グラ フィ ックデ ザイ ナ
ー
Graphic Designer 「…
わ た く し は考え た、
わた くし がいつ もスクー
ル と呼 び なら わ してき た 託 児 所につ い て はこ の う え、
も う な に もいわ ない の がいちばんだ、
と。
学 校 など はこ こで は も は や消滅して しまっ てい たこ との 明白 さ をわた くし自身 見てい た か らだ。
だか ら、
わた く し は ちょっ と口 ご もっ て こ う い っ た。
’
L
わ た く し は、
そのス クー
ル と い う ことばを、
教 育シ ステ ムと いう 意 味に使っ て い たの で すが” …
」 これ は ウィリ ア ム・
モ リス 「ユー
ト ピアだ よ り (The
Ncws
from
Nowhere )」 (中公バッ ク ス1
世 界の名著」五島茂、
飯 塚一
郎訳)か ら の抜 粋で ある。
未 来の若 者は答え る。
「わ れ わ れの国の子 供た ち は“
教 育システム”
を通っ ていこ う といく まい と、
ものを学ぶ とい いき れ ま す。
もちろ ん、
こ の辺にいる一
r
一
供た ちの だれ ひ とり、
男 で も女で も、
水 泳 ができ ないK
一
は あ りません。
そ れ にだれで もが、
み な小さい森の仔馬 を 乗 りまわすの にな れ てい ま す。…
」 そ し て料理 や 大工仕事 も、
ま た大人の真 似をして文字を読むこ と書くこ と も で き る よ う になる、
とい う。
は じめ て これ を読ん だ と き
、私
に は なぜモ リ ス が 未 来のユー
ト ピ ア に 学校を作らなかっ たのか が 埋解 で き な かった。
し か し、
次 第に彼が教え る」 こと と 「学ぶ」 こ との 違い を はっ きりと 認識してい たの だ と思う よ う に なった
。
モ リ ス が 「ユ
ー
ト ピアだ より」 を 刊行し た の は1891
年、
その 数 年後、
ア メ リカでは ジョ ン・
テユー
イ がシ カゴ大 学の付 属 実験 学校の 責 任 者と な り、
料 理、
織り もの、
縫い もの、
大].
:仕 事な ど さ まざま な 作 業が学 科と してで は な く、
生 活の方 法として 取り 入 れ.
ら れ た。
学 校は、
暗 記と 試 験 に よ る 受動 的な学 習の場で は な く、
子 どもた ち が関心 を もって 活 動的 な社 会生活をい と な むこ との できる 小社 会でな け れ ばな ら ない とするデ ュー
イの 教 育 理論は、
第2
次 世 界 大 戦 後の 日本の 教育改 革 に も適用された が、
資 本 主義 社 会の細 分 化さ れ た分 業体 制の 進 行に押 し流さ れ て し まっ たのか、
あ るいは受 験 競 争の 中で忘れ ら れて い っ たのだろう。 い ま、
教 育の 危機が 叫ばれ て い る と き、
も う一
度 彼 らの考えを振り返り、
現代の 知 見 か ら彼 等の考え、
試み を裏付 ける こ と がで きな いだろ うか。
こ の 小論を書こ うと して いた矢先
、
デ ザイン学会 か ら1
感 性の脳 科 学」 という特 集が送ら れて きた。
現 在の 脳 科学、
認 知 科 学は、A
」.
を含むコ ンピュー
タ の理 論とMRI
等の 目覚 ま しい機器の発達か ら、
以前 と は 比較に な ら ない研 究 成 果 をあ げ続け て お り、
大 変 興 味 深いc な ぜ、
どの よ う に し て あ る 心 理的 効 果 が も た ら さ れ るの か、
定 量 的 科 学の側 面か ら解 明し ようとする試みだろう。 だ が、
我々デ ザイン の 徒は、
専 門 的な分 野の 知識は持ち合わ せ てお らず、
せ いぜ いその成果 を分か りや す く解説 して いただくに とど まっ てい る.
今回、
私は極め て文 科 系 的であ り、
個 人的 な視 点か ら は じ めてみ よ う と思 う。
こど もの 頃、
夜眠 り につ く とき、
体の表 面の 感覚 を な くす 実 験を して いた事が あ る。
電 気 を消し、
暖 か い布 団の な か で 息 をころ して体 表を感じ な く な る ま で じっ と して い る と、
突 然 体が宇 宙と 同じ 大きさ になる。 す ぐ に 恐 く なっ て予 や指を動かし、
元の 大 き さの 「私」 に戻る。
私の 「境 界」 を確認 し、
安 心 する のだ。
「世界 とのずれ (差 異?)を感じ る牛.
」 こ れ が 「私 1 だと思っ た、
、
アフォ
ー
ダン ス と はア メリ カの 生態心 理学の創 始 者ジェー
ム ス・
ギ ブソ ン の造 語である。[環 境の アフ ォ
ー
ダン スと は、
環 境 が 動物に提 供す るもの、
良い もの で あれ悪い もの で あ れ、
用意し た り備え たりす る ものである。
ア フォー
ドする (atTord ) と い う動詞は、
辞 書に在るがアブ i一
ダン スとい う 名詞 は ない。
この 言葉 は 私の造語である。
ア フォー
ダンス と い う言 菓で私は、
既 存の 用 語で は表 現し得 ない 仕 方で、
環境と動 物の 両 者に関 連する も の を い22 SPLCIAi
.
[9SULOI・
」SSDVel I〔)Nじ
.
42〔,(〕3 テ ザ イン学 研究 特集号Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service Japanese Sooiety for the Soienoe of Design
い表わ し たいの で あ る
。
この 言葉は動物と環 境の相 補 性を包 含して い る。
」 (J.
J.
ギ ブソン著 サ イエ ン ス 社1985
占 崎 敬 ほ か 共訳“
生態 学 的視 覚 論”
)は じ めてギブソ ン を知った の は
25
年 以上前の学 部 卒 業 論 文で参照 し た 「沈 黙の こ とば」 「か くれた次 元」 (エ ドワー
ド・
ホー
ル)で のギブソ ンか らの 引用であ る。
読ん で み たい と 思っ た が翻 訳は な く、
原 著を読 む能 力も ないま ま あき ら めて いた。
その後 翻 訳 が 出 版さ れ、
彼の 「.
生 態学 的 視 覚 論: は ゲシュ タ ル ト心 理 学か ら発 展し たも のだと知っ た。
高 橋止 人氏が創 設した 1構 成」はGcstaltung
の邦訳 だ と聞い て い るが、
氏は そ の 著 書1
視 覚 伝 達の原理 1第2
部 「構成の 原 埋」 で 「ゲシュ タ ル ト理論」 をベー
ス に した視 知 覚 の理 論と、
さ ま ざ ま な造形表現の方法 を 紹介してい る。
1図 と地」か ら は じ まる視 知 覚のく 理 論 〉は、
現 在で もデ ザ イ ン 学校な ど で 教 え ら れて い る。
< 錯 視 〉 現 象の例な どはたし かにおも し ろ く、
デ ザイン を豊か に し て く れ てい る と 思 うの だ が、一
方で 「良 い連 続!.
近 接 性」 な どと いっ たこと が ら が、
視 覚の 法則 と し て 扱 わ れ、
なぜその よ うに受け取られる の か とい う疑 問に は答えて く れ ない。
ギブソ ンはアフ ォ
ー
ダン スの概 念の 起 源をコ フ カ ら、
ゲシュ タル ト心叫学 者たち に お い てい る。
「ゲ シ ュ タ ル ト心 理学 者は、
自 己 (そ の当該K
’
)が経 験の な かの対 象 物で あり、
そ し て、
「緊 張、
(tension)が 現 象 的対 象 と 現 象 的自己 との問に 生 ずる とい うこ と を前 提と する ことによっ て、
誘因 価の 経 験の 直 接 性 と即時性を 説明したu」 (傍点 筆 者)。 そ して一
般に受 け入れ られて い る知 覚理論は、
「感覚以 外は直 接に経 験さ れ る こ とは ない し、
感 覚 以 外の あらゆる種 類の 経 験 は 感 覚に よ り媒 介さ れ る一
1 とす る 当時の 感 覚に 某 礎を 置 く伝 統 的理 論 を、
根 底か ら くつ がえ し始め た とい う。
し か し 「 誘因価 1 の なぜに 関 するゲシ ュ タ ル トの 人 た ちの 説 明 に は無理 が あ り、
「伝 統 的理論 を 越 えて ゆ くことは はかっ た」。
ギブソ ンは一
ア フ ォー
ダン スを知 覚す るこ と は、
価 値に満ちて い る生 態 学 的 対 象 を 知 覚 する過 程.
.
であ り 「物理 学 は 価 値 か ら 自 出で ある が、
生 態 学は そ う で は ない。
」 とい う。
そ して良いゲシュ タ ル トと は、
ま さにf
耐 直にっ い て の言 葉で あ り、
造 形 教 育 もま た一
人 ひ と りの価値の 体 系を育むことで は ないだろ うか。
数 年 前、
私は哲 学の分野で 同様に 「価値」を含ん だ 考えノ∫を 見いだした。
竹 田i
「f
嗣は [エ ロ ス の世 界 像」 (講 談 社 学 術 文 庫1997
)で メ ルロb
ボン テ ィ の 考 察に言 及し、
「人間 存 在は、
事 物の よ うに何らかの 要 素とその 閃 果の秩 序に還元で き ない し、
ま た その 相万関係にも 還 元でき ない。
それはつね に“
対象化 しつ つ あるよ う な存在”
だか らであ る。
」 と 述べ て い る。
そ し て 「ところ で、
現在では お よ そ世 界に存 在 するさ ま ざ ま な事 物は、
実証 主義科 学 に よっ て その ほ と ん ど が、
“
そ れ が何である か”
とい う問いを受け て お り、
そのため に、
自然世 界 全体 が一
つ の 因 果 的、
関 係 的な記 述の 体 系と して整 理さ れ 尽 く して いる。
そ の こ と に よ っ て、
さまざま な事 物が“
何である”
か は、一
般的に’
‘
自明の も の”
と し て存 在する よ う になっ たの であ る。
つ ま り、
近 代の鹽
L心 身二 元 論nyt
は鹽
身 体が 何であ るか”
、
ひい ては”
人 間 が 何 で あ る か”
という問い に、
こ のよ う な“
対 象 化さ れるもの”
の説 明 原 理 に よっ て答え るので あ る。
」こ こ で いわ れて い る説明原埋こそ
、
学校教 育の 本 流になっ ていは し ないだ ろ う か。
「自ら考える能 加 の 開 発 が 強く叫 ばれて いる が、
そ れ は記 号を操 作 す る能 力に なっ てはいないだろ う か。
竹冂]はギ ブソ ン の言う環境との 相 補 性 を 「エ ロス原 理一
と して、
認 識論 的 原 埋 と 区別して い る。
そし て こ の 1一
エ ロ ス原 理」 に よっ て、
個々 の 「価 値の審 級」 が生ま れ る と す る。
ギブソ ン の後継 者で あ るエ ドワ
ー
ド・
リー
ドは 「アフ ォー
ダ ン ス の心 理 学一一.
生 態心 埋学へ の 道1
(新 曜 社2000
細 田直 哉訳“
ENCOUNTER
[NG THEWORLD
Toward
an EcologicalPsychology
”
)のな か で 「心 理 学 と は動 物 内にある何かにつ い て の 研 究 で は な く、
1
凵.
界 内にある動 物につ いて の研 究 なのだ。
(主 観主義と)同 様 に、
あらゆる客 観主義も 斥 け ら れ.
る一
.
行 動主義 者の いう 「法則」 で あ れ、
構 造主義 者の いう 「規 範」 で あ れ、
完 全 な心 理 学を もた らす も の では ない。
心 理学と は…
(省 略 )…
動 物 が 自 己 の周囲とい か に切り結ぶ か とい うこ と につ い て の研 究なの である。
」 といっ てい る。
“
私”
が 世界と 切 りデザ イ ン 学 研 究 特集 号 SPL 〔
11AL
ISSUE 〔⊃1・
.
tSSD Vo]10No,
420 〔B 2/1Japanese Society for the Science of Design
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結ぶ現 場を と ら えずに
、
美や価値 につ い て何ご と が い え るだろ う か。
今、
イン ター
ネッ トの時 代に あっ て、
学 校という場 所が 必要 だと す れば、
そ れ は知 識 の伝 授のた め で は な く、
リー
ドの いう 「探 索し、
選 択し、
決 定 する」 と いう行 為の な かで、
価 値を求め る場 所、
自分と他 者との差 異 を 知る場 所と し て以外 に な い のではな か ろ う か。
そ して、
普 通 の社 会は も と も とそ の よ う な 場所の はず だ。
彼が言うよ う に 「学 校と はおか し な場 所で、
普 通の社 会な ら 当 た り前 の こと 知 ら ない こと を友 達に 聞 く とい う よ う な が ルー
ル違反になる場 所」なのだ。
人 は どの よ う に し て“
セ ンス”
を身に付けて い く のだろ う か。
どのよ う に して美 的 価 値判 断の 基準を つ くっ て いくのだろ う か。
これ は、
デ ザインを教え る立 場にいる 人間として、
常に気に か かっ て い る 問 題で ある。
私は 「身体性」 にその墓 盤を置き た いと 思う。
まず、
デ ザイ ナー
な らだれでも鉛 筆を紙の 上 で動 か す こ と、
手の動き をコ ン トロー
ル し、
丁度 良いと 思える濃 度のグレー
を作ること、
ま た、
なめ らかな 線を 引 くこ との訓練をし て い るは ずだ。
こ こで は紙 の表 面の肌 理や鉛 筆の固さ と、
手の 動 き を 調整 する こと に よっ て痕 跡が 見 えるようになる。 そ して、
納 得の行く線が出 来上 がるま で作 業はつ づ けら れ る の だが、
これ は一
内 なるイメー
ジ を表 現」 してい る行 為なのだろ う か。
「まず 内的 な イメー
ジ があり、
脳が 指 令を下し、
身 体を動かすu 上予に体をコ ン トロー
ルでき る よ うになると思い ど お りの イ メー
ジ が紙の 上に表 現でき る よ う に な る。
」 というのが、
普 通の 人々 が抱い て いる 「上達」 の観 念 だろ う が、
実 際に は、
手は鉛 筆と紙に アフ ォー
ド さ れて形 をつ く り出 し ている、
というのが実 感で は ないだ ろ う か。
も ち ろ ん訓 練は必要であ る。
しか し、
「よ く訓練」 さ れ、
鉛 筆を持っ た手が、
紙にア フ ォー
ドさ れ て形が 出現 す る とい う 場 面 は、
退屈 な会 議や電 話 を して い る最 中な どにしょ っ ち ゅ う み られる。
デ ザ イ ナー
の木 村 恒 久は以前インタ ビュー
の な かで、
彼のポスター
に あ らわれ る独 特な螺 旋状の 形 態 につ い て、
「電 話 中に 無 意識にメモ用紙に描い て い る 線で す」 と言っ てい24 SpECIA1
.
1SsLEOFJSSDvoi 10No.
42003 デザイン学研究特 集 号るが
、
形は内なるイメー
ジ が あ る か ら 表 現 さ れ る と い う もので は ない というこ とを物 語っ て いる。文 字の形も また
、
こ の ような関 係書く も の と 書か れ る もの (支 持 体)
、
そ し て身体のなかから 立ち あ ら わ れ
、
そ して 「書 体」 と な るのでは ないか。
図版 1は あ る授 業での課題 「読め ない
.
文字」 の作 例 だ。
レタリ ング という退 屈で面自 みの ない作 業で は な く、
考 えつ つ 身 体 的訓練も する よ うな授 業はで きないだろ う か と考え た。
10
年 以上前、
まだコ ン ピ ュー
タ を使うこと が ま れ で あった頃のものだ。 面 相 筆を使って形 を整える こと やホワイトで修正 す る練 習な ど は必 要だ が、
書体を その ま ま 写すこと は、
そ ろ そ ろDTP
も 可能に なっ てき た時 代にそ れ ほ ど必 要 な技 術とは思えな かっ た。
そ こで、
「文 字」 と はfi
・∫だ ろ う か、
文字ら しさはとは どの よ う な形態上の特 徴 をもっ て い る の か を、
「探 索し、
選択し、
決 定 する」 とい うプロセスを と お し て経 験できるよ う な課題 と して出し た ものだ。
まず、
“
書 く もの”
と“
書か れる もの”
を 選 ぶ。
紙と筆と墨 汁でもかま わ ないが、
尖 らせ た割 り箸とアルミ箔、
粘十 板 と 釘 なども考え ら れ る。
そ して 腕 や 手の運 動の痕 跡によっ て、
文 字ら し く 見 え る 形、
fi
!l∫T
一
年 後かの 考 古 学 者が、
文 字だと 思っ て解 読を試み る よ う な 形 を残す。
それ を元にし て、
活字の書 体ライ ト とボ
ー
ル ド.
一
をデ ザイ ンする。
に れ はデ ザインを』
‘
一・
回性”
の アー
ト に し ない ためだ。
)そ の時 点で は 考 え ていな かっ たこ とだが
、
こ の課 題 は 「読むこ とをア フォー
ドす る 形」 をつ く る作 業 だっ たの では ない か。
学生 はこ の 文字が どのよ う な 文化 圏で何を使っ て書か れたのか、
とい うこ と も 発 表し なけれ ば な ら ない の だが、
ス ター
ウォー
ズの世 界や身体 を仙って 通信する文 化な ど、
ユ ニー
ク な 発 想が相 次いだ。
図 版2
は同じ課題を今 年試みた もの だ。
ユ ニー
ク な 発 想 をする学 生は多い のだ が、
パ ソコ ンを使っ て の作 業が 当 た り前 に なっ た現 在で は、
有 機 的な 形 を ト レー
ス しつ つ 整え る とい っ た仕 事は面 倒らし く、
イ ラス ト レー
ター
を使い、
頭で 作っ てし ま う 傾向が 強い。
ど う す れ ばもっ と“
身 体 性”
を 取 り人れ る こ と がで きるだ ろうか。
N工 工一
Eleotronio LibraryJapanese Society for the Science of Design
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伊 ごレ〜∫1垂 鱒皇
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●.
事 アフ ォー
ダン ス という と.
D.
A.
ノー
マ ンに よ る 「誰のた めの デ ザ イン ? 」 (新 曜 社 認 知 科 学 選 書1990
野 島 久雄 訳)が すぐ思いう か ぶ。
⊥業 デ ザイ ン の分野 はでは 考 慮 さ れ る よ う に なっ て きた 考え方 だ が、
グラ フf
ックとは縁が な いと 思 わ れ てい るの で は ないだろ う か。
し か し 踉、い連 続」 「近 接 性」 な ど を法 則として教え るので は な く、
その 形、
その レ イアウ トが何をアフ ォー
ド (ある教 育 学 者に よ れば 「 おさ そ い 」)するの だろ う か、
と問い かける ことに よっ て、
少 な く とも、
考え議 論を する と い う展 開が 期 待さ れ る。
そ して、
学 校 とい う制度が まだ必要だ と す れば、
探 索し、
選 択し、
決 定し、
相互 に 開 示 し あえ る場と してで は ないだ ろ う か。
今は 亡 きエ ドワー
ド・
リー
ドの 「過 度の ナンセ ン ス を避け る ひ とつ の 方 法は自 分の アイデアをでき る か ぎ りオー
ブン にし、
でき る かぎり多くの人 と共 有 するこ と であ る」 とい う言葉に後 押し さ れ て、
こ の つ た ない文を公表するこ と に した。
コ ンピュー
タ の 前で、
キー
ボー
ド とマ ウス を使い記 号 を 操 作する と い う方 向に向か いがち な デ ザイン教育の 現場が、
少 しで も身体を と り も ど し、
人 と 人が交 流し助け合う 本当の意 味で の社 会にな ればと 願っている。
デ ザイ ン 学 研 究特 集 号 SPL,