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コンピュータ第一号に関する一考察

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··:; . - 商経学叢 第52巻第2号 2005年12月

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コンピュ

タ第

号に関する

考察

概要 コンビュータ第号はENIACである,することが通説となっていたが, 近 年疑問 かもたれて いる。 これこそが第一号だと言われるものが他に数種類ある。 ABC, Colossus, EDSACである。 それらの主張の根拠, それらのコンピュータの着想や作り出された背景, 人物について考察する。

Abstract The commonly accepted view is that ENIAC was the first computer, but in recent years, this view has come into question. Three other machines-the ABC, the Colossus, and the EDSAC-have also laid claim to being the first computer. H ere. we will examine the grounds for these claims, as well as the background to the con,eption and creation of these computers, and the people involved

キー コンピュタ, 歴史, 定義, プログラム内臓方式 原稿受理日 2005 年11月5日

(2)

399)-第52巻 第2号

1. は

じ め に

"ENGINES OF THE MIND"の著者シャーキンは

20

世紀の重要な発明として「原十爆

弾とコンピュータとト ランジスタ」を挙げている。 そのコンピュタとト ランジスタか結

びついたものか現在のコンピュータと言える。 コンピュタの歴史を考える場合, 作られ

た機械そのものに厭点をおくか, それらを作り出した背景や着想, 人物に重点をおくかて

あるが, コンピュータ第号について検討するには後者に比煎をおく必要かあるようた。

1946 (昭和21)年にモークリ(John William Mauchly)とエッカト(John Presper

Eckert)らを中心とするグル ープが, ペンシルバニア大学において, 米国陸軍の依頼に

よって製作したENIAC (Electronic Numerical Integrator And Computer罰をもっ

てコンピュータ第号とすることかほぼ定説となっている。方, 1942年にアイオア州立

大学のアタナソフ(John Vincent Atanasoff)と助手のベリ ー(CliffordEdward Berry)

によって製作されたABC (Atanasoff-Berry Computer)か実質的に現在のコンピュー

タの基本原理となっているとする説も有力である。 この説はもっぱらENIAC特許の有 効性が争われたミネアポリス地方裁判所での判決によっている121。 他に, 1943年にイギリ スで製作されたColossus, 1949 年にケンブリッジ大学のウィルクス(Maurice Vincent Wilkes)らによって製作されたEDSAC (Electronic Delay Storage Automatic Calcu ­ lator)とする説もある。 なぜこのように諸説か存在するのかの理由は三つ考えられる。 そ の第一は, 当時か第一次世界大戦前後の混乱期であったため, 極度に(特にENIAC にお いて)機密保持かなされていたことや特許申請かスムースに行われなかったこと。 第て は, コンピュータの定義が明確てないことによる。 どう定義をするかによってコンピュー タ第一号も変わってくることになる。 これらの開発以前にも, 多くの先駆者達によって機械式や電気機械式の計算機か製作さ (1) ENIACの原綴りをElectronic Numerical Integrator And Computerと している ものとE­

lectronic Numerical Integrator And Calculatorとして いるものかあるか, ENIAC計画の推進 者の1人であるH. H. Goldstineは1972年の著甚 "The Computer from Pascal to von Neumann" で前者としている。 (2) この法廷闘争は大企架(スペリーランド社とハネウエル社)を巻き込んで30"4-:間を超えて繰り 広げられ,1 9 73年10月1 9日に 裁決か行なわれて いる。 ラーソン判事の裁 定書の要旨は,「ア タナソ フとベリーか193 9年から1 942年にかけて,アイオア1-1-1

,r.

大学て世界最初の電子計算機を製作し た」と結論して ,「最初の電子計算機の発明者として25年以上にわたって高らかに宜伝され,そ れによって尊敬されてきたモークリとエッカトは 名脊の根拠となるコンピュタ基本特許 を持つ資格を失う…•••さらに, モークリはア タナソフから着想を受け継き, 30年以上もの間自 分のオ能によるものたと偽ってきた」として いる。(最相 力• 松本泰男訳,「ENIAC神話の崩 れたH」p.230 , 1 994年, 工業調杏会) 138

C 400)

(3)

れているか, それらの原理と前述のいくつかのものと どう違うのか, さらにコンピュー の定義に照らし合わせてそれらの機能について考察してみる必要がある。

2. ABC

開発の経緯と機能

アタナソフは 1903年にニューク州で生れ, フロリダ大学で電気工学を専攻してい る。 当 人は数学と物理学を勉強したいとの希望かあったようで,その後大学院へ進み, ア イオワ1'1·1立大学て 1926年には数学の修士号, 1930年にはウィスコンシン大学で物理学の博 士号を取得し. アイオア1'1·1立大学で数学と物理学の助教授として迎えられている。 このよ うに,電気工学,数学, 物理学という領域の知識をもっていたアタナソフか数学,物理学 の膨大な計算を効率的に行いたいと考え,コンピュータ製作に典味を抱くのはごく自然と も言える。 1936年に同僚とラ プラス変換用のアナログ計算機を共同製作している。 当時, 計算機械としてはモンロ ー計算機汽IBM のパンチカド式統計作表機141な どが存在して いたが,もっぱらラジオに使用されていた真空管の性能が急速に向上してきており, アタ ナソフは計算機に真空管の利用を考えるようになっている 151。 そのような経緯の後,アタナソフは「将来はデジタル型のコンピュータの時代になる, もはやアナログ型のコンピュータを作っても意味はない」161との結論に至ったという。 大 学院生たちにモンロ ー計算機によって方程式の解法を研究させていて, あらゆる機械を調 べているうちに,「二進法を使わなくてはならないことに気がついた」17)という。 アタナソフは磁気記憶装置(後の磁気ドラムに類似)を使うことを検討しているか, レ ベルが低すきるとして断念している。 真空管を購入する資金に苦労しつつ, 大学院生ベ リ ーの協力を得て 1939年春に製作にとりかかり, 同年の秋には試作機を完成させている。 これは「電子回路が演算を行うだけの小さな装置Jl8)で,アタナソフ自身「簡単な計算をす るための複雑な機械Jと言っている。 アタナソフはこの機械の成果として次のように列挙 (3) 19 12年に科学技術計算にも対応てきる計算機として, アメリ カのモンロー ホルトウィンら か 製作・販売した歯車を用いた実用計算機。 (4) 1887年にアメリ カのホレリ スが 考案した。 パンチカドを利用した統計会計機でリ レを主と して用いている。 189 0年の国勢調在に採用され威力を発揮した。その後,ホレリ ス か設立した会 社 か曲折を経て192 4 年に IBM社となった。 (5) http/ /www.chienowa.eo.jp/ijinden2 / J one_Atanasoff.html参照

(6) Joel Shurkin, "EN GINES OF THE MIND", p. 86, W.W. Norton & Company Inc. 19 84 (7) 二進 法の概念については G.W. Leibnizが, 機械が 0と1 のみて論理作楽を成しうるであろう

と予見し , 1666年に「組み合わせの手法」と 題する論文を発表し , 1679年には了.進法の概念を完

成しているといわれる。 (8) Joel Shurkin, 前掲書p. 87

(4)

-第52巻 第2号 している(9)0 1)時計部分は機械的になっているが,演算機構はすべて電子的に行われている。 2 )演算機構に初めて真空管が使用された。 3)数々の利点がある二進法が始めて採用された。 4)演算機構に初めて論理回路が使用された。 5)すぺての演算が順次に処理された。 6)記憶素子としてコンデンサ(またはキャパシタ) が使用された。 7)回転卜‘ラム記憶装置にキャパシタが使用された。 8)アタナソフがジョギングと呼んだ(他の人は再生またはリフレッシュと呼ぶ) 手法 が初めて計算機に使用された。 全体で300本以上の真空管が使用されていて,10進数換算で8 桁の数を加えたり引いた りするもので, 特定の計算をするために設計された機械であってコンピュータと呼べるも のではない。大学の役員達がこの試作機を見学して,本格的な計算機を製作するために 850ドルの予算を認めている。19 40年1 月 からアタナソフらは製作にとりかかるとともに, 特許申請の準備も開始していたが,1941 年12月 7 日の日本軍の真珠湾攻撃を境として実質 的な開発は停止してしまっている。1942年9 月 の半ばから,特許申請を大学当局と特許弁 護士 トレクスラーに任せて, ワシントンの海軍兵器研究所で軍事研究に携わることになる が, 戦争中の混乱もあって結局特許申請は成されなかった。このことが前掲裁判の原因の 一つである。後掲のENIAC開発メンバー人であるモクリは海軍兵器研究所を 何回か(エッ カートは 1 回)訪れてアタナソフと話をしている00)0 ABCは入力手段としてはキードとパ ンチカドが使用できる。カ枚は15桁 からなる十進法の数字が5つ入力できるようになっており, 符号も付けられる。カードは 列になったプラシで読み取られる。数を記憶させるのに, 電荷を保持できるコンデンサ (ライデン瓶と呼ばれることもある) が使用され, 多数のコンデンサが直径8 インチ,長 さ1 1 インチの二個のベークライト製トラムのまわりに取り付けられている。それそれのド ラムは, そのトラックに50桁(50ビット) の 2進数を30個記憶できる。ドラムを回転させ て記憶されている数を読み取っていく仕組みである。 演算の中 間結果を一時的に記憶させるために, 電気火花でカド上の所定の位置を焦か すという方法を考えている。その焦げた部分は電気抵抗が下がるので,電流を流すとカー (9) 最相• 松本訳, 前掲書p. 55 00) このことと,アタナソフの自宅を訪問したことはモークリ自身も前記の裁判でも認めている が, 「何も得るところはなかった」としている。 -1 40

(5)

(402)-ドの内容を読み取ることができるという原理であるが,信頼性に問題かあり,「1 万- 1 0万 回に 1 回エラーが起こった」(II)という。 実用に耐えうるコンピュタのレベルには達して いなかったと考えられる。

3. Colossus

開発の経緯と機能

Colossusは, 第二次世界大戦最中の1943年にイギリス(諜報機関) で製作された。 当 時ドイツ軍か使用していたローレンツSZ42 暗号機による暗号を解読するために作られた 機械て, 2,500本の真空管が使用され, メモリは5ビットのシフトレジスタ5 個, クロック は 5KHz, 消費電力は4.5KWとなっている叫 Colossusはデータ読み込みに紙テプを使用しており, 処理速度は5, 000文字/秒で解 読結果はリレーを利用したバッ ファを介してタイプライタで印字される。 Colossusは 機密文書の解読を目的として開発された特定目的の機械であり, 汎用的に計算を処理する ような設計にはなっていない。 軍事機密として扱われていたため, 必ずしも全容が明らか ではなし氾

4. ENIAC 開発の経緯と機能

モークリとエッカトらを中心とするチムが, ENIACを開発した経緯については 比較的よく知られている。 モークリはジョン ・ ホプキンズ大学の工学部に入学した後, 物理学に転向して博士号 を取得している。 卒業後はアージナス大学の物理学教師を務め, 分子エネルギの研究か ら気象学へと関心か変わり, 天気予報の確率を高めるための統計データの分析のために, 計算機の必要性を痛感していた。 1939年, ニクで開催された万国博覧会に行って レミントンラ ンド社やIBM社が出品していた計算機を見ている。 この時, 真空管を使用 した高速計算機の着想を得たものと考えられる。 1 941年 6 月 (その頃は日米開戦必至の状況だったと思われる), ペンシルバニア大学の ムーアスクルで開催された夏期講座「国防要員養成コス」に参加した際, 同大学の大 学院生であったエッ カートと出会い, 真空管を用いた電子計算機の構想を練っている。 (II) 最相•松本眼, 前掲書p. 62 (12) http//www.infonet.eo.jp/ueyama/ip/history /colossus.html参照 141 C 403)

(6)

第52巻第2 号 エッカートはフィラ デルフィア帯で不動産開発や建設業を営む家庭に生まれている。 MITへの進学を希望していたか,両親の強い意向もあって,ペンシルバニア大学に入学し て電気工学を専攻している。当時のフィラ デルフィアは,アメリカ電気産業の中心地て あったことを考えるとこく自然な選択であったと考えられる。大学院生になってからは, いくつかの企業の技術上の相談にのったりしている。 エッカートはモクリより12歳年下になるが,すぐ気の合う友人となり,しばしば深 夜まで話し込んだという。モークリが計算機に真空管を用いる構想を話すと,ほとんど の人か「真空管のような不安定なものでは役に立たないてあろう」と答えるのに対して, エッカートはいつも「それはできないはずはない」と答えたu�という。その後,モ リーは自ら強く希望してペンシルバニア大学に移籍している。当時ムアスクルでは微 分解析機を用いて爆撃表を作成おり,その指導のために移ってきたゴールドスタイン (Herman H. Goldstine)が電子計算機の構想に大きな興味を示し,開発の企画書を作成 して陸軍(兵器局) に提出し認可された。開発計画が始まる直前の1943年5 月31日の会議 で,この計算機の基本的な事項が次のように決められている凡 r---―’ , プロジェクト監督 プレイナ 主任技師 エッカー i 第一顧問 モークリー

技術調整係 ゴールドスタイン

---(I) 費用見積り•…••初期6カ月 間で61,700ドル。 (2) この計画は機密扱いとする。

(3) 名称をE lectr onic Numerica l Integrato r And Computer (電子式数値積分計算 機),略称をENIACとする。 (4) 扱う数値の最大桁数は10桁とする。 (5) 機械の各部分は基準回路に従う(参加者全員に徹底する)。 1946年夏に完成したENIACは,約18,000本の真空管(16種類の型),1,500個のリ レ ー 70,000個の抵抗器,10, 000個のコンデンサ,6,000個のスイッ チなどで構成されており,全 長 30.5m, 奥行き 9 0cm, 高さ 3 m, 重量 30トン,使用電力174kWという巨大なものであ る。 ゴールドスタインはENIACに対する貢献として次のように述ぺている051。①エッカー トの貢献はこの計画の全期間にわたって,他のだれよりも勝っていた。主任技師として全 03) Joel Shurkin, 前掲書p. 125 ⑭ H. H. Goldstine, 前掲書p. 169 (15) H. H. Goldstine, 前掲書p. 175-176 -142 C

(7)

404)-機構の中心的役割を果たした。 ②モークリは最初の着想を出 し, 同時にその着想に含ま れる多くの問題を原理的にどのように実現するかについて, 彼の膨大な知識を提供した。 ③指導的な役割を果たした技術者としてバークス (A. W. Burks)とシャプレス CT. K. Sh ar pl ess) をあ ける こ とができる。 ④ 累算機や関数表などの部分に対して主要な貢献を したのはデーヴィス (J. D av is) とショ ウ CR. F. Sh aw) である。 こ の 間問題となるのが, 1941年 6 月 13日から 4 日 間にわたってモークリがアイオ ワ の アタナ ソフ家を訪問 ・ 滞在 し, 計算機について昼 も 夜 も 詳細な説明を受 け , 大学で製作中 の ABCに も 接触している こ と06) である。 アタナソフによると, モークリは聞く ばかり 累 算 器 Accumulators 累 算 器 Accumulators 乗 算 器 Multiplier 除 �: 器 Divider 平方根算出器 Square Rooter 累 算 器 Accumulators 関 数 表 F'unction Tables 1てプ ロ グ ラ ム装閻 Master Programmer 同 期 装 置 Cycling Unit 開 始 装 置 Initiating Unit

----デ ィ ジ ッ ト ・ ラ イ ン Digit Trunk プ ロ グ ラ ム ・ ラ イ ン (下) Program Lines CBelow)

カード ・ リーダー

IBM Card Reader

カード ・ パ ン チ IBM Card Punch

ENIAC の構成 累 算 器 Accumulators 関 数 表 Function Tables 累 算 器 Accumulators 定数転送装置 Constant Transmitter プ リ ン ター Printer (1978年11月 に京都で開催さ れた 「世界歴史都市博覧会」で ENIAC が展示さ れた際の説明資料よ り ) 06) 最相• 松本訳, 前掲書 p. 68 -1 43 (405

(8)

)-第52 巻 第2 号

で自分か ら意見を 言う ことはなか った QT)と いう 。 その 後 2 人の 間で 交わさ れた 手紙か 残 っ

ており 悶 その 文面か らもモークリが この 訪問によ って 相 当の ヒント を得たであ ろう こ

と ことが 想像できる 。

現在のコン ピ ュータのほと ん どは ノ イ マン 型コン ピ ュダ19)と 呼 ば れる 。 この 方式か ノ

イ マン (Joh n von Neum ann)によ って 提案さ れたとさ れる ことに 由 来する 。 ノ イ マン

は 当 時 既に 高 名な 学者であり , 途中か らE NIA C計 画に 参加して いるが,E NIA C, そ の 後製作さ れたED VA C⑳に 関する 貢 献では 評価が 分か れて いる。 ゴール ドス タ インは 高く 評価して いる �I)のに 対して , シ ャーキンは , ノ イ マンは プログラム 内 蔵 型コン ピ ュー タ ( ノ イ マン 型コン ピ ュータ ) の 創案者ではな い。 この 利のコン ピ ュタの 構想は ノ イ マ ンが プロジ ェク トに 参加する 1 年 前か らムーアスクルで 討議さ れており , 彼はE NIA C には 何の 関 係もなく ,ED VA C 計 画に 携わ った 1 メンバ ーにす ぎな いのとして t ヽる 。

5. EDSAC 開発の経緯 と 機能

1 9 4 5年に イギリスか ら 何 人かの チームがムアスクルを 訪問したのがき っか けとな っ て , イギ リスでの 計算機開発の 機運が 盛り 上か った 。 製作さ れた 上な機械は , 19 49 年ケ ン ブ リッジ 大 学のEDSA C(El ec tr oni c D el ayed S tor age Au tomatic Comput er), 数 学 者 チ ューリング (Al anM athis on Turi ng-)によ って 設計さ れ, 19 50 年に 試験機か , 19 58

年に 完成した 国立物理学研究 所のA CE Au to( m atic Compu ti n g E ngine)な どが ある 。

EDSA Cはケン プリッジ 大学のウィルクス (M auric e Vi nc ent Wilk es) らによ って製

作さ れたもので , 約4,000 本の真空管, 遅延線 メモリか使わ れ, 消 費電 力は 1 2k W , 占 有 面

積は 20m 'であ った 叫EDSA Cで特筆さ れるのは , 二進 法か 採用さ れて いる ことと, プ

ログラム 内臓方式である こと 空 である。

07) 最相 • 松本訳 , 前掲督 p. 69

08) 最相 • 松本訳, 前掲 書 p. 70 -72

09) ス ト アード プログラ ム (stored program) 方式と も 呼 ばれ プ ロ グラ ムを 記憶装 i社に格 納 し

れ を 順番に読み込んで 実 行する 方式。 ⑳ ENIACの後継機と して , 19 50年に製 作され た プログラ ム内臓式の コ ンピュータ。 (20 H. H. Goldstine, 前掲 書 p.22 5 ⑫ Joel Shurkin, 前掲書 p.191 , 19 8 図 彼が 考案 し た チ ューリ ング・ マ シ ン は 理論のみの ものであるが , 現在のコン ビ ュタ も 原理的 には 同 じと 考 え られる。 ⑳ http//www.infonet.eo.jp/ueyama/ip/history /edsac.html参照 ⑳ これが 世 界で は じ めて であることは, ENIACの 開発 メ ン バーてある ゴール ド ス タ イ ン も 忍め て t ヽる 。 H. H . Goldstine, 前掲 書 p.2 40 -144 ( 4 0

(9)

6)-6. お わ り に ( コ ン ピ ュ

タ の 定義を巡 っ て )

混 乱の 原 因の 一つは第二次世界 大戦にともなう 混乱期てあ った ことにもよるが , 他の 一 つは, 何をも ってコンピュータと 言うのか,ンピュタの定 義が定かでな い ことに 起因 して し ヽる 。 コンピュータ第 1 号議論を行う 前提として, 何をも ってコンピュタと するのか , コン ピ ュータか 貝備すべき 条 件は 何かを 考察しておかな けれ はならな い。JIS 「情報処理 」 で も 定義がなされて いるが , 時代の 進 展に 伴 って 若干の 変化がみられる ⑳〇 計算機の 歴 史を 概観すると, ダ ・ ビンチの 構想以 来も っぱら 用 いられたのが 歯車の 組合 せである 。 歯 卓を 回転さ せる 動 力として , 当 初は 人 力 , 後に 電気モータが 利用されるよう にな った 。 (算 盤 ネーピアの 骨木, 計算尺と い った 歯車を 用 いな いものもあるが , これら は 計算の 道具として 区 別した い ) 。 電 子回路で演 算が行われる 計 算機

(ABC, ENIAC

な と ) の 前後に 開 発されたものとして , プ ッ シ ュ

(Vannevar Bush)

の 微分解析機 , エイケ

(Howard H . Aiken)

ASCC (Automatic Sequence Controlled Calculator)

があ

る 。

1 930

年に マ サチューセ ッ ツ工 科 大学のブ ッ シュとその 学 ヘ イ ゼ C H .

L. Hazen)

製作した 微分解析機は,その後

10

年間電 気工学者の 実用に 供されて いる 。しかし , その基 本 的な 構成要素は 積算電 力計を 改造したものが使われて いた ⑰と いう ことである 。 電気的 な 入 力と機械 的な 回 転運動による 出 力で , ア ナログ 計算機である 。

1 944

年に ハード 大 学の エイケンが

IBM

社の 技 術 陣と協 同で製作した

ASCC

(MARK- I

とも 呼 はれる )は , リ レーを 主体として ギ ヤ,カム , ス イ ッチな ど

75

万個以 上 の 部 品と 延 べ

500

マイルに 達する 配線から 成る 巨大なものてある 。 符 号 付の

23

桁の 数を 記 憶できる

72

個のカ ウンタを 備え, パンチ テプから 命 令が ,ンチカドからデタか 人 力され, パンチ テプか テ レタ イ プから 出 力された 。 しかし演 算 部 分は

3,000

個の リ レー (2� JIS ハ ン ド プッ ク 1 971 ては , 「 与え られた プ ロ グ ラムに 従って , 一連の 演算を 人手の 介入な しに 行 う 計数刑計算機。 通常これは 演算 装憐, 制御装置, 記憶装置, 人力装償, 出 力 装 置か ら 構成さ れる。」 これに 対して , 近年で は , 「内部的に 祀憶されたプ ロ グラムによって 制御される 計算機 て あ って , プ ロ グ ラムの 全 体 又は 一部分, 及 びその プ ロ グ ラムの実 行に 必要な データの 全部又は 一 部分のた めに 共通の 記憶装 置を 使用することができ, 利用 者の 作成 した プ ロ グ ラム又は 利用 者の 指定した プ ロ グ ラムを 実行し , デ ジ タ ルに 表現した 離散的データに 対して 算 術演算 及 び論理演算 を 含 む利 用 者の 指定した 探作を 行い , 実行 時に 自 分 自 身の 内容を 変 更する プ ロ グ ラムを 実行でき るもの 。」と されている 。

⑰ H. H. Goldstine, 前掲 碁 p 92

- 145

(

407

(10)

)-第52 巻 第2 号 と 4 馬力の モータで駆動する合計72個の歯車式計算機てあって⑳ 電子回路を用いていな し' o コンピュータとは,[電 子素 子を使用して演算するもの」 と考えると, 第号コンピュー タは ABCであることは明白であるが, 他にも欠かせない要素が挙げられる。 (1) プログラムの機能を有すること。 (2) 目 的か ( 暗号解読といった) 特定のものではないこと。 (3) 人力,記憶,演算,制御 出力の機能を有すること。 このような条件を付加しも残る問題は,(1)のプログラムは内臓方式を指しているのか, 外 部からス イッ チ操作やワ イ ヤーリングで与えるものも含んでいるのか,である。 この 際 現在のコンピュータが採用している二進法は条件とする必要はない。 なぜなら,二進 法が絶対的なものではなく,現在でも一部で三進法採用の優位性が主張されている。 プログラムは内臓 方式であるべきだ, とすると第 1 号はEDSACとなり, 内臓 方式に拘 らなければENIACということになる。 しかし, ENIACチームもそ の製作過程で,①プ ログラムが ダ イ ヤル, ス イ ッチや配線によっていたため,変更作業が容易にできないこと と,②記憶用累算器が20個では記憶容量 か小さすきることには気づいていた。 1950年に完 成したENIACの後継機EDV AC (E lect r onic Discr ete V a ri abl e A utomatic Compu­ t er)では,プログラム内臓方式と二進法が採用されている。 EDSAC開発のチームが見学四 を通してENIACに触発され,大いに参考にしたことは 自明のことであり, また ノ イ マ ンがまとめた報告書 「EDV ACに関する報告 書 • 第一稿」 も読ん たであろう。 ENIAC開発のメンバー人か製作中の ABCを見学し,そ の構想 を聞いている事実から,( モークリは否定しているか) ENI AC開発の助 けになったであ ろうことは容易に想像できる。 ⑳ 小 田 徹 「コンピュータ史ム 社 1983. p. 54 (29) 1945年の見学, その後 ノ イ マン が 書 い た. プ ロ グ ラ ム 内臓方式にも触れている 「EDVAC に関

する報告書•第一稿J (First Graft of a Report to the EDV AC) を読ん て プロ グ ラ ム 内臓方式の

構想を得たと考え ら れる。

参照

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