香 川 生 物 研 究 会 の お い た ち
.坂 口 滑 (香 川 高 校′) ほしがき 現在香川生物研究会として,会長香川大学小野博士を中心にり 大発展している郷土生物 研究会のおいたちを書くよう望まれ,始めたものの,筆者誠に費弱で,研究者や研究物の鱒録漏ほ勿 論,誤記も多いことと思うが,郷土生物研究に.少しでも御参考に.なれば幸甚の至りである仙 H 明治時代まで 郷土で傑出の偉材平賀源内氏ほ,事保四年(1814)志度に生れ著書だけでも11種目1ZO冊を残し ている.この内の物療品隠五巻の記執即ち2000余程の薬用動植鉱物の説明申伺われるように,県 下の山野を随分抜渉し採集したことほ明かである(例柴草……大川山産上品仙 釣藤カラスノカギヅ ル‥1・金比羅山に産). 池田玄丈」氏ほ於平滞医であったが,襲糖法を十数年研究し成功せず,弟子向山周慶氏に.研究継続 を依頼し死亡したので,向山周慶氏ほ苦心の上,砂糖典港を創始し,文政2年(1819)死亡された. 橡島町向艮神社の祭神であり,蔭人艮助氏ほ密に甘煮苗を数本携え釆て白鳥村に植え周慶氏を援助 した人である.. 合英文山氏ほ琴平宝物蝶の問の(蝶蛾の外ハグロトンボ・チョウトンボ)執筆者で画家で上田の 人で後,琴平に.任し安政4年(1.857)死亡された..この尿模本ほ.尽誠高校にあり,本県て採集した ものもあるようで,日本最古の昆虫標本と政江崎悌三博士(1940来県調査)ほ申された. 日 A 香川腺博物学会時代(昭和18年頃まで) a,杉山鶴署氏ほ明治35年香川尿師範学校教諭となり,大正10年明善高女へ転任し,昭和17年死 亡せられるまで約40年間県下生物界の指導者で特に県下を限なく扱渉し,柏物の分質・岩石地 質■・海底生物(松平伯の御依頼)の調査を行われた取下生物研究の草分署で大正十年頃より本 児見放名勝天然記念物調査博物担当員として活動された。発表物として 大正1.0(1920)年香川尿史駄名勝天然記念物調査報告書第一職・昭和2年同第二報。昭和3 年第三報。同4年第四戟・同5年第五報・同8年第六報・同1ユ.年第七報。同12年第八報。同13 年第九報。同14年第十報・同15年第11報・同8年香川県天然記念物解説・同9年国宝並史蹟名 勝天然記念物・同11年讃岐海産生物及岩石解説・同14年讃岐の岩石と地層・同16年香川県老木 名木(脱柿)この外新聞雑誌に新化石Parastegodon sugiyamaiの発見等の執筆がある.. b,坂田勲氏ほ大正10年香川師範学校教諭と.なり昭和8年退職されるまで,杉山鶴首氏に次いで 県下生物界の指導者となり,児 ̄F■を隈なく扱渉し特に・植物の分布・岩石地質を調査所究され発 表物に大正13年(1923)−・新橋物学講義・昭和7年 香川尿師範学校郷土紀要二持 香川属地 質概就・同年三輯香川県地質図 ■同9年郷土研究があり,侍新関雑誌に香川県植物分類等の執 筆がある.. C,浦上仁一・氏ほ昭和初年香川児女子・師範学校教諭となり,昭和12年退職されるまで著書に.示す ように・,香川県下生物界の指導者研究者で,次記香川現高等女学校博物学会の世話役を勤め, 晩年香川県博物学会の創始的な御世語を・せられた..昭和7年讃岐島喚における地質鉱物及植物 の分布甥象・同年瀬戸内海の成因と島喚の鉱物植物。同8年郷土薬用植物標本目録・同10年讃 岐の紅葉・同11年讃岐薬用低物の実験的療法 香川生物 21−3,1959OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
2 B 香川頗ヰ学校博物学会同高等女学校博物学会時代 共に.昭和の始め誕生し各学校の博物科革当教員を以て組織し,毎年採集会・研究授業・捻会を もつ規定であり,この間京都帝大植物学教窒の田代誉太郎氏を四回,愛媛の薬用植物研究家猪方 松蔵氏を・一・固辞師と′して等辺寺・大滝・竜王・小豆島・西讃海岸へ採集会を行い指導を受けたい C 香川県博物学会(昭和16年生物学会と改称) 昭和11年浦上仁−・氏の御骨折で前記両博物学会を統一・し,さらに.県下の諸中等学校を加え県下 中等学校の博物担当を正会貞としたもので,毎年採集会・講演会・研究授業・総会をもち機関誌 、として香川県博物学会誌を発行する規定で,会長に山川波次氏(昭和11,12年)永井徳潤氏(同 12年∼18年騒然解散)がつき,世話役として浦上仁一・(昭和11年)筆者(昭和12年∼18年)が現 小野案明博士,規斉藤明菩短大学長等の御援助に.より毎会30人以上の会員が参加され,活溌な愉 快な会として今に.惜しまれている..発表物と.して 昭和11年香川県薬用栢物。同年会誌第一・号・同12年香川堪植物分類日録・同13年会誌第二号・ 同14年会誌第三号・同15年会誌第四骨・同16年香川県地下資源調査報告(日本的の必要から他県 に兜んじ県工業会の依願で会貞九氏が分担した調査物で会誌第五∵号)同18年会誌第六骨がある。 当時研究会・採集会に講師として指導されたのは,早大徳永重靡博士(象化石)高知大蒲原稔博 墓(魚質)・故池田嘉平博士・(解剖生理実験二回四日問)・東京水産大寺尾新博士(講演)。岡山大佐 藤教授(生理実験)であり侍香川県に御出張を機会に.主に採集分顎の指導を受けたのほ北大松村■ 稔年博士(昆虫)・寛京農大神谷−・男博士(昆虫)・九州大敵江崎悌三博士(昆虫,本県人放生物 関係偉人)・棄京教大藤本治義博士(岩石地質)。故平瀬信太郎成瑛教授(貝)・京大黒田徳米博士 (貝)・神奈川大酒井恒博士(かに)。岡田要博士・−・行(魚類発光動物)で香川麻生物界に貢献され たのである.侍大阪市大三木茂博士が学生噴から児内苗代アマモ(あやめ石)の化石研究に貢紗 され,また本県蝶類女献申草分時代の執筆者脇逸郎氏≡村費氏三枝幹夫民堀川博氏ほ当時高橡−・ 中生物教堂(筆者担当)の14,5才の生徒のときである“ 小豆島の採集会で会員多数の得たヤハクこ・シキマイマイ(高松申八幡栄作氏より黒田徳米博士 に贈)の発見も特筆すべきもの■であろう.文部省中等学校教員へ科学研究補助剤度が創められ, 第・一周のためか日本全国網で轟々しく掲示されたのもこの時代で,石田農校(甘藷の貯蔵法)筆 者(香川奥の蝶。時給・輝・蟹・只の分布と利用)が補助された州 侍濠州軍隊長より要語で県を 代表し筆者が興産昆虫標本を土産に差上げたのもこのときである.当時の著書報告者として昭和 11年香川児地方の薬用植物 高知営林局・同13年四国における植物の分布とその生態瀾木篇同草 木篇同局・同14年線合郷土研究香川県師範学校がある. 巳)終戦直後(昭和24年まで) 香川原生物学会も自然解散となり,激戦中ほ中止状態であったが,戦災落後大高於建設構想の ・一・つとしての大博物館建設のための高松博物館趣味の会(現有)(会長市長,世話役筆者採集会 実機研究会を行い研究物を集積)・讃岐生物談話会(現/j、野博士顧問 世話役氏家由三氏 採集会・ 生物談話会を行事とす)・西表生物同好会(和気俊郎氏世話役 採集会を主に行い昭和22年寛大本 田正次博士を讃岐生物談話会と共催で琴平山の採集会に.招きコ十ヒラシハイスミレの発見あり)・ 高等学校生物研究会(現存)(世話役坂田勲氏 研究会・採集会を行う)・日本科学会の生物部会 が発足したのであるが,戦災と戦後の悪条件で遅々の歩みであった..侍当時の著書には昭和24年 讃岐樹木血・覧,松浦太市県林政課があり・小富島でヒラマガシの採集者平間氏が植物を,樋誠絢 氏が小豆島陸産貝を採集調査せられ,八代田貰−・郡民が順化園を継続研究に着手され,豪京∴大前 川助教授のカンカケ、ニラを発見したのもこの時代である.
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3 輯 昭和25年以後現香川生物研究会 香川大学学芸学部・県立香川農大(香大農学部)の発足と共に香川生物研究会を創始せられ, (会長小野博士現在引続く)地方大学にほ稀な秀れた教授陣(日本第一人者の動物行動学の小野嘉 明博士,同昆虫学甲虫の中条博士の外多士)が中心となられ,特に甚だ御熱心な博学な小野博士と 常任理事の御世話で会員111人例会さえ既に75回をもたれ,梯関詰も発行されている盛況である・ さらに両学部より報告書は勿論,学会雑誌に毎年数々の研究発表があり,また大学の発足で多くの 日本国内学者の来県研究は勿論,外国人学者の来県もあり多彩な記事も紙面制限のため,記されな い.著書として昭和26年香川県文化財調査報告(坂田勲民生物埴当)1.・同28年 2.・同29年 3. 同31年 4.同24年讃岐土性説明書 農商務省・同25年四面地方地質国中国四国巣試・同年日本地 方地質誌四国地方小林貞一・同26年四国化石図譜 篠原勇・同30年小豆島の自然 大阪市立博物館・ 同33年 鬼が島 観光学術読本・同年日本蝶類分布表 白水隆があり,この外県内外の研究場試験 場から本県の生物関係の報告書等数多く発表されている. 原稿受付 Feb.28,1959