自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判
山奇加 代 子
I ワ ル ラスが母 国 フランスで受 け入 れ られなか った理由 本 論 文 の 目的 は,ワ ル ラス (L6on Walras,1834-1910)の純粋 経 済学 が, 同時代 の フラ ンスの 自由主義経 済学者 た ちか らどの ように敵視 されていたポ) を 示 す こ とに よ り,ワ ル ラス経済学形成過程 の一側面 を明 らか にす ることにある。 ワル ラスは,1870年 にローザ ンヌ大学 に着任 し,『純粋経済学要論』 (以下 『要論』 と略記)を出版 して数理経済学者 としての国際的な名声 を勝 ち得たあ とも,生 涯,故 国 フランスで教職 を得 ることが出来なかった。これは,19世 紀 の後半 ,フ ラ ンスの経 済学界 を支配 していた とされる正統派 自由主義学派 ( 1 ' 6 c o l e l i b e r a l e o r t h o d o x e ) とワル ラス との関係 による ところが大 きい。 こ の学派は,J.B.セ イ (」e a n _ B a p t i s t e S a y , 1 7 6 7 ‐1 8 3 2 ) やバスティア (Fr6d6ric 2 ) B a s t i a t , 1 8 0 1 - 1 8 5 0 ) などの経 済学 を信 奉 し, 自 由放任 主義 と私有財産制度 を 1 ) 本稿では, ワ ルラス 『要論』の書評集 B r i d e l , P . ( 1 9 9 6 ) : あθc ん彦物θθけデa 竹んぢけθc ι。 し晩 sあθcιθ α θ cθ ttpけθS?々θttαttS bぢbιづοθγの んをαttθs ttθs 2列あ協みθ物けsα'彦cοttο竹みづθ pο Jづけぢαttθ p物 ?んθ 冴θ L t t ο物 フレ初陶s , L i b r a i r i e D R O Z , G ёn e v e e t P a r i s を使用 した。 この タイ トル 『樫 の 木 と建築家』の出来 について,本 書 は興味深 いエ ピソー ドを紹介 している (Ibid,p.7) これは,nOte d'humeurと 呼 ばれるワル ラスの草稿の次の ような一節か らとった もので ある。 「人 は自分が何 を行 うのかを知 らなければならない。 もし短期間に収穫 を行いたいのなら, にん じんやサ ラダ葉 を植 えるべ きである。 しか しもし樫 の木 を植 える野心があるのなら, 自分 にこう言い聞かせ るべ きである :後 世の人び とが,こ の木陰 を私 に負 うのだ と。…私 は経済学者ではない。建築家である。 しか し私 は,経 済学者たちより,経 済学 をよく知 っ てい る。」 この草稿の引用 は,1935年 のジャソフェによる最初の引用以来,モ ンペ リエ大学 に保管 さ れている娘 ア リー ヌによる写 じを基 にされて きた。 しか し最近 ローザ ンヌ大学で発見 され たオ リジナルの草稿 では,「建築家」 の部分が 「社会主義者」 になっていた とい うことで あ る。 ちなみ にこの一節の前半部分 は,安 井琢磨 によって も「レオ ン・ワルラス 『純粋経済 学 要論』」(1957)で紹介 されている (安井1970,p.34)。この点 については根岸隆氏か らご 教示 を得 た。 御1 8 8 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号) 擁 護 す る経 済学者 た ちの集 団であ る。 ワル ラス は この こ とにつ いて,晩 年 「自 伝 ノー ト」で次 の よ うに振 り返 ってい る。 「… ローザ ンヌでの22年の在職期間中ずつと,私 の努力の成果が祖国で知 ら れ議論 されるようになることを,願 ってや まなかった。… 私 は自分の考 えを フランスに浸透 させ ようと何度 も試みたが,世 襲の特権的知識人たちの途方 も ない影響力 と,隠 された激 しい敵意 に直面 しなかったことは,た だの一度 もな かった。彼 らは科学の成熟 を妨 げる任務 を負 っているのである。」 (Walras,L. 1965,vol, I,p.7. 4卸出奇訳1998,pp。158-159) 著者 はかつて, ワ ルラスが生涯 フランスで教職 を得 ることがで きなかった理 由 として, 彼 の 「土地国有化 をは じめ とする政策的主張があまりにも社会主義 的だ と言 う評判」 をあげた ( 御崎1 9 9 8 , p , 3 1 ) 。しか し実際はそれだけではな く, ワル ラスの純粋経済学その ものが正統派か ら反 自由主義的な危険思想 と見 なさ 3 ) れていたのである。 P o t i e r ( 1 9 8 8 ) は, ワ ル ラスが正統派 自由主義経済学か ら敵意 をもたれた理 由 を三つあげている。それは,(1)彼の社会主義思想あるいは土地国有化論,(2)彼 の国家介入主義 (国家 による鉄道経営,貨 幣発行 の管理,労 働法),そ して(3) 数学の経済学への適用である。 この うち( 1 ) と( 2 ) はそれぞれ社会経済学 と応用経 済学 にかかわ り,(3)は純粋経済学の方法その ものにかかわる問題である。つ ま り純粋経済学は,社 会経済学や応用経済学 と同様 に,正 統派 による批判の対象 となっていたのである。これは20世紀の経済学者たちが,ワ ルラスの社会経済 4 ) 学や応用経済学 を軽視 して純粋経済学 を絶賛 したの とは対照的である。 この ような事実 を考慮すれば, もともと社会主義者だったワルラスが身分安 定のため に数理経済学者へ転向 した,あ るいは数理経済学 を隠れ表 に した とい 2)自 由主義経 済学 者 。保 護 主義 に反対 し1846年 「自由貿易協 会 (Associations pour
ia libert6 des 6changes)」を設立。主著 に 『経 済 的調和 (Harmonies 6conomiques)』
(1850,Gulllaumin)があ る。 ワル ラスは,こ の著書 にかかわるバステ ィアとプルー ドンの
論争 に 『要論』の第1編の最後で言及 している (Walras,1988,pp.65-66,久武訳pp。39-40)。
この点 については,御 崎 (1998)p.125も参照 されたい。
3)ケ」え↓ゴ,Zylberberg(1990)pp.59-64。
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 1 8 9 う解釈 は成 り立 たな くなる。前者の解釈 の代表的な もの として ここでは,森 嶋 氏 の解釈 をあげてお こう。 「働 かなければ生 きて行 けない ワルラスは,ロ ーザ ンヌ ・アカデ ミーの教授 になる前 は,経 済雑誌社や出版社 に勤めた り,鉄 道会社や小 さな銀行で働いた りしていたが,こ の時代 に書いた論文 は,雑 誌 に投稿 して も多 くは没 にされて しまった。彼 自身が無名であるの と,彼 自身の社会理想 『土地国有化』が編集 者の反感 を買 ったか らである。彼 自身には十分 な恒産が なかったか ら,生 きて ゆ くためには,や っとの ことでかち とったローザ ンヌの地位の保全が必要であ り,そ のためには,彼 は妥協 しなければならなかった。 こうして彼 は,『科学』 と 『社会主義』 を切 り離 し,1874年 出版の 『純粋経済学要論』では,経 済学 は 純粋理論 (純粋経済学)と応用経済学 と社会経済学 に三分割 されるべ きだと宣言 した。…純粋理論 は全 く自然科学 と同様 に 『観察 し,記 述 し,説 明する』だけ であるか ら,そ こではその経済学者の価値観 は何 らの役割 も演 じない。これに 反 し社会経済学では,そ の学者の価値観,何 を社会正義 と考 えるかが,中 心問 題である。」 (森嶋1994,pp.29-30) 興味深 い ことに実際にはワルラスの純粋経済学 は,経 済学 を 「観察の科学」 として主張 しつづけた正統派 によって徹底的に批判 された。 一方,『要論』の規範性 をめ ぐって森嶋氏 と論争 をした」a能 は,ワ ルラスに とって純粋経済学が隠れ表であったことを主張する。すなわち 『純粋経済要論』 には,規 範的価値半J断が色 々なところに隠れているが,そ れにもかかわらずそ れが価値 自由な実証的理論の ように提示 されているのは,ワ ルラスがナポレオ 5 ) ン3 世 統治下での思想弾圧 をおそれていたか らだとい うのである。 しか し正統 派 との関係 か ら言 えば, 純 粋経済学 は, ワ ルラスにとつて隠れ衰 になるどころ か, 極 めてラデ イカルな挑戦だつたのである。 エ ワ ルラスと正統派経済学との関係 ワルラスの「自伝ノー ト」によれば,彼 と正統派 との敵対関係は青年時代には
じま る。
「1859年,私 は 『ジュルナル ・デ ・ゼコノミス ト8ournal des Economistes)』 誌 に入 り, 次 に1 8 6 0 年, ヴ イク トル・ボネ氏の推薦のお陰で 『ラ ・プ レス ( L a P r e s s e ) 』誌 に入 った。 しか し科学の状況 は, 当 時, 経 済学 に関す る限 り, 最 も悲惨 であった。皆が 目指 していた地位 は, 全 フランスで, 三 つの教授職 と八 つのアカデ ミー会員職であったが,そ れ らは正統派に独占されていた。正統派 とはつ ま り, しば しば矛盾 し常 に悪質な様 々な議論 によって, 現 在の社会体制 を, こ の世の終わ りまで人類 を満足 させることの出来る最上なるもの ( n e c p l u s u t t r a ) のように,我 々に示す学派のことである。正教授達 は学問の人 とい うよ りもはるかに政治家で,い くつ もの職 を兼任 しあってお り,現 職 による指名 と い うことを口実 に して,父 か ら息子 に,義 理の父か ら娘婿 に,叔 父か ら甥ある いは義理の甥 に,そ れ らの職 を自分達で廻 しあつていた。新聞,雑 誌の うち最 も重要な ものは,こ の派閥の支配下 にあった。 しか もすべてが政府の言いな り で,政 府 は政令 によってそれ らを発行停止 にすることがで き,新 しく発刊する に も認可が必要だった。」 ( W a l r a s , L 。1 9 6 5 , v o l , I , p . 3 . 御崎訳1 9 9 8 , p . 1 5 2 ) 実際,コ レージュ・ド・フランス (COlege de France)の経済学教授職 を晩年 ( 1 8 3 0 年か ら3 2 年) に 務 めた」.B.セ イか ら継承 したのは,正 統派の経済学者 たちであった。 まず1833年にロ ッシ (Pellegrino Rossi,1787-1848),そして 6 ) 1840年か ら1879年までシュバ リエ (Michel chefalier, 1806-1879), また1880 年 には,そ の娘婿 であるル ロワ ・ボー リュー (Pierre_Paul Leroy―B e a u l i e u , 1 8 4 3 - 1 9 1 6 ) が継承 していた。 また出版者 ギ ヨーマ ンが (U,G.Guillaumin,1801-1864)力S 1 8 4 1 年か ら発行 した雑誌 『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』 (」o u r n a l d e s E c o n o m i s t もs ) は 正 統派経済学者の拠点 とな り,1887年 に雑誌 『レヴュー ・デコノ ミー ・ポ リテー 6 ) 理 工科学校卒業 のエ ンジエア。最初 はサ ン ・シモ ン主義派 に属 していたが, 自 由主義 に 転向。第二帝政の経済顧 問。 イギ リス と1 8 6 0 年に結 んだ 自由貿易協定 において コブデ ンと ともに立役者 となった。 シュバ リエの鉄道私営の主張 に対するワルラスの反論 「国家 と鉄 道」 は, 彼 の 『応用経済学研究』 に収め られている。 この点 については御崎 ( 1 9 9 8 ) の第 2 章 も参照 されたい。
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 191
ク (Revue d'ёconomie politique)』が発刊 されるまで, フランスにおける唯 一の経済学の定期刊行物 となった (Zylberberg,p.24)。またギ ヨーマ ンは,コ ッ クラン (C.COquelin)と ともに,『経済学辞典 (Dictionnaires de l'6conomie politique,l er ed.Paris,1852-53,2vols)』を刊行 し,当 時の経済学書の出 版 に も大 きな影響力 を及ぼ した。彼 はまたガルニエ (」.―C.Garnier)と ともに 1842年にパ リ経済学会 (la SOci6tё d'6cOnomie politique de Paris)を設立 し た。その他 にも正統派の牙城 となった学会 としては,パ リ統計学会 (la SOci6t6 de statistique de Paris),道徳政治科学アカデ ミー (1'Academie des Sciences morales et politiques)などが知 られている。 ところで ワルラス と正統派 との関係 は,最 初か らまずかったのではない。 と い うのは前褐の「自伝 ノー ト」の引用 にもあるように,1859年 (25才)頃には 雑 誌 『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』で働 いてお り,1860年 にはギ ヨーマ ン社 か ら処女作 『経済学 と正義』 を出版 し,ま たパ リ経済学会会員 にもなっている か らである。 関係がおか しくなったのは,1860年 末 にローザ ンヌ国際租税会議で報告 した 頃だ とされている (Breton et Lutfalla 1991,p,392)。ここで彼 は地代の国家収 用 を支持 したことによ り Fジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』 の怒 りを買 った。 この ように両者の敵対関係 の きっかけ となったのは,ま さしく土地国有化論で あった。そ して数学 による経済学の革新 とい う野心 を持つワルラスに対する正 統派 の態度 は さらに悪化 した。Breton et Lutfalla(1991)によれば,ワ ルラス は当時の正統派の代表者であったルロワ ・ボー リューたちの敵意 によ り,フ ラ ンスで教職 を得 ることは無理 と考え,1870年 にローザ ンヌ ・アカデ ミーに赴任 した。そ してそれ以降,数 理経済学の設立 に没頭 したのである。 1873年8月 にワル ラスは,パ リの道徳政治科学 アカデ ミーで「交換の数学的 理論 の原理」を報告 し,純 粋経済学 に関す る最初の成果 を発表 した。そ してこ の とき出席 していた正統派のルヴァスール (P.E.Levasseur)たちか ら酷評 を うけることになった。 1874年には,限 界効用理論が展 開された同報告論文 をきっかけにイギ リスの
1 9 2 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号)
ジェボ ンズ との交流が始 まった。そ して同論文 とその後 の ジェヴ ォンズ との書 簡 は 『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』 に掲 載 され た。 これ は当時編集長 をつ
の
とめていたガルニエ (」oseph―C16ment Garnier,1813-1882)が,ワ ルラスの 理解者だったためである。 しか し同年1874と77年に三分冊で公刊 された 『純粋 経済学要論』初版 については,『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』の新刊 リス トに掲載 されただけで正統派か らは無視 されることになった。 1879年,ワ ルラスはフランスでの教育普及活動 をもくろみ,文 部大臣に法学 部での経済学の教育の尽力 を申 し出たが うま く行かなかった。 また同年, レオ ン ・セイ (L6on Say,1826-1898Ⅲが フランス保険数理士協会の会長 に就任 し た途端,1874年 以来会員であったワルラスは追い出されることになった。 1881年 『ジェルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』の責任者がガルニエか らベルギー 人の経済学者Gustave de Molinariに交代 した。彼 は数学的方法 について前任 者 ほど寛容ではな く,関 係 はさらに悪化 したと言われる。一方で1880年頃から, ワルラスはイタリア,ア メリカなどで名声 を勝 ち取 り,フ ランスの経済学者の 反応 を気 にす る必要がな くなった とも考 え られる。なおローザ ンヌ大学ワルラ ス文庫 には,1880年 以降の 『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』がない。 これは ワルラスが この時正統派 との関係 を断ち切 ったことを物語 るものである。1887 年,友 人のシャルル ・ジイ ド (C.Gide)が 自由主義学派 に対抗 して 『レヴュー ・デコノミー ・ポリテイーク』誌 を創刊 し,ワ ルラスはこれに協力をは じめた。 『純粋経済学要論』は,ワ ルラスの存命 中,第 2版 (1889),第3版 (1896), 第 4版 (1900)と四つの版 を重ねたが,正 統派経済学者たちはい くつかの批判的 な書評 を書いている。次章では,ワ ルラスの 『純粋経済学要論』の形成過程 に 7 ) 自 由主義経済学者であ リジヤーナ リス ト。1 8 4 2 年パ リ経済学会設立。1 8 4 5 年か ら5 5 年と 1 8 6 6 年か ら8 1 年まで 『ジュルナル ・デ ・ゼ コノ ミス ト』の責任者 をつ とめる。1 8 4 7 年か ら 8 1 年まで土木学校 ( 1 ' E c o l e d e s P o n t s e t C h a u s s 6 e s ) で数学 の教授 をつ とめていた。彼 が ワル ラスの数学的方法 を拒絶 しなかったのは, こ の ような彼の数学の素養が原因だった と思われる。 8 ) 」. B . セ イの孫 。経済学者であ り。実業家。1 8 7 2 , 7 5 , 8 9 年 に大蔵大 臣を務める。 ワ ル ラスが北仏鉄道 に入った1 8 6 2 年当時その社長 を務めていた。その後, 二 人は協力 して協 同組合運動 に取 り組 んでいたが, そ の失敗 ( 1 8 6 8 年) 後, 両 者の関係 は悪化 していた。
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 おい て,正 統 派経 済学者 か ら受 け取 った批判 を検討す る。 回 人 間の 自由を数学は表現できない。 ワル ラスは,1873年 8月 16日と23日にパ リの道徳政治科学 アカデ ミーで「交 換 の数学的理論 の原理」を報告 し,限 界効用理論 を発表 した際,出 席 していた 3 人 の正統派の経済学者たちか ら批判 をうけた。ルヴァスール (Pierre_Emile 9 ) L e v a s s e u r , 1 8 2 8 - 1 9 1 1 ) , ヴァレッ ト ( C l a u d e _ D e n i s _ A u g u s t e V a l e t t e , 1 8 0 5 - 1 8 7 8 ) そ して ウロ ウス キー ( L o u i s W o l o w s k l , 1 8 1 0 - 1 8 7 6 ) であ る。彼 らは, ヮ ル ラ スの理論内容 に対 して反論 したというよりも,数 学 を経済学へ適用することに 対する激 しい拒否反応 を示 した。特 にこの とき最 も長い批判 を展開 したルヴァ スールの批判 について見てみ よう。 「ワル ラス氏 は経済学者のご子息ですが,自 身 も博識な経済学者であ り,新 しく決定的な方法 によって解決 しようとい う高遇な野心 を持 ち,そ れらの問題 の奥 まで進 もうとしています。氏は自分の主張に都合の良いテーマを選びまし た。なぜ なら最 も計算 に適 していると思われるのは経済科学においては,価 値 と交換 だか らです。同 じテーマを取 り扱 うために氏が示 した三つの方法,す な わち算術的方法,代 数的方法,幾 何学的方法のうち,氏 はそれらの証明に最 も 注意 を促す ことがで きるのにふ さわ しい ものを選 びました。つ ま り幾何学的な 構築 に頼 ったのです。それは多 くの場合,有 利 に使 われ ます。なぜ ならそれは 数の組合せ に基づいた理論 を把握するのを,よ り容易 な ものにするか らです。 それは どの ように役 にたったで しょうか ?一 方では買い手が与えられた商品 に対 して抱 く欲望の強 さを表現するために,ま た他方では,こ の強 さに対応す る価格 を表現するために役 に立 ちました。 もし欲望 と欲求を正確 に計測で きる 9)師 範学校,コ レージュ・ド・フランス,国 立工芸学院の教授 。多 くの経済史の著書がある。 ドイツ歴史学派の影響 を受ける。 自由放任,歴 史 と統計 を経済学 に適用することを擁護。 1873年よ り,す べ ての演繹的方法 と くに数学的方法へ反対。 しか し1910年レオン・ワルラ スの著作 の出版 を担当す るフランスの委員会の名誉会長になることを受け入れた。 10)ポ ー ラン ドの革命家。1830年にフランスに亡命。国立工芸学院の経済学教授。自由主義 的楽観主義者であ り,純 粋経済学の論理 に反対 し帰納法 と歴史 を擁護。
1 9 4 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号) のなら… もし出発点 に数学的な事実 を置 くのであれば,大 いに結構で しょう。 しか し実際 にはそ うでないのです。… これ らの曲線 には根拠がな く間違 ってお り危険です。それ らは,人 がある事実 を正確 に数学的に表現出来ると思いこま せ るか らです。実際 にはそ うではないのです。欲望 というものが,ワ ルラス氏 が示 したような規則 に従 って,増 加 した り減少 した りするとい うのは,ま った く事実ではあ りません。欲求が増加 した り減少 した りするのは状況 に依存 して お り,人 は思考す ることにより著者の数学的定式 によるもの よりもずっと正 し い考 えを抱 くものなのです。」 (Bridel,1996,pp。25-26) ルヴァスールの批判 は,効 用の可測性 に対する疑間であつた とも言えるが, 彼の最大の危倶 は,数 学の使用が人間の自由と両立 しない ということにあった。 彼 は批判 の しめ くくりに 「本質的に複雑であるものを,あ る単位 に還元 しよう とす ることの危険性」 を強調 し,「物理科学 にとっては優れていて も,そ の原 因が非常 に変化 にとみ複雑である種類の現象 には適用で きない方法 を,特 に変 化 にとみ代数の形態 には還元不可能な優れた原因,す なわち人間の自由が入 り 込 む種類の秩序 には適用で きない方法 を,経 済学 に適用することも同様 に危険 である」 (Bridel,1996,p.26)と述べ ている。 続いてウロウスキーは,ル ヴァスールの批判 を承認 し次のように付 け加 えた。 「経済学 を精密科学 にす ることによ り, レオ ン ・ワルラス氏 は,そ の真 の 性質 を無視 しま した。すなわち経済学は道徳科学であ り,人 間を出発点 にそ し てその 目標 に据 えるのです。」 (Bridel,1996,p.27) 二人の批判 についてワルラスは,1873年 9月 4日 のガルニエ宛の書簡で次 の ように述べている。 「… これ らの人びと (LevasseurとW010wskl)は ,数 学を経済学に適用する 目的が,市 場 における競争 メカニズムを計算で代用することだけにあると想像 してい ます。 まった くそ うではあ りませ ん。交換 の数学的理論 は (少な くとも 私 の ものは),ま った く別物です。それはこのメカニズムの数学的表現や,例 えば価格の構成要素の幾何学的な表現,本 質的に一般的で理論的な表現 につい ての研究 なのです。私 は曲線 (効用 曲線あるいは欲望 曲線)に よって二つの要素
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 195 『外延性』 と 『強度』 を考慮する個人にとってのある商品の効用 を表現 します。 もしやあなたは,私 が効用の強度 を測定可能だ と思 っているとお考 えで しょう か ?そ うではあ りません。私はそれがそのようなものではないことを良 くわかっ ています。 しか しこのような状況は,こ の価格の要素を数量的に評価すること を明らかに妨げますが,代 数的あるいは幾何学的な表現をまったく妨げるもの ではあ りません。私の理論に従って,人 々は,も はや効用だけを計算するので はなく,効 用 とその価格への影響を科学的に考察するのです。そこが重要なの です。同じような誤解が生 じうるのは,フ ランスにおいてのみです。話が終わ らないうちに反論 し,読 み終わらないうちに反撃する,非 常に知的な国だから です。」(W】ras,L.1965,letter 232) ワルラスは,1889年 に出版 された 『要論』の第 2版 で,序 文に次のような文 を付け加えたが,そ れはこのような正統派からの批判を意識 してのことであろ う。 「数学を知 らず,数 学 とは何であるかということさえ正確に知 らないで,数 学は経済学の原理の解明に役立たないと決めこんでいる経済学者について言え ば,『人間の自由は方程式であらわすことはできない』 とか,『数学は道徳科学 において存在する摩擦 を捨象する』 とか,そ の他同様の力 しかない他愛 もない ことを繰 り返 して言 っているだけである」(Walras,L.1988,p.20,久武訳, p.xix) 一方,ワ ルラスの頭 を悩 ませることになったのは,効 用の数学的表現が許さ れる ものか どうか とい う問題であった。1901年ワルラスは数学者のポワンカレ に質問状 を出 した。序数的効用 に関する限 りではあったが,ポ ワンカレか らの 承認 を得 て,ワ ルラスはついに数学の経済学の適用 に関 して,正 統派 に反論す ることがで きた と確信 したのである (Bridel,1996,p.445)。 「…あなたの稀少性の定義は,私 には正当なものに思われます。それは次の ように説明で きま しょう。満足 は計測 され うるで しょうか ?あ るものが他の も の よりも好 きなので,こ の満足 は他の満足 よりも大 きい と言 うことはで きます。 しか しこの満足の大 きさが,他 の満足の三倍あるいは三倍であるとは言 えませ
1 9 6 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号) ん。それはそれ自身何の意味 も持たないし,意 味を持ちうるとすれば,恣 意的 な取 り決めにおいてのみで しょう。 したがって満足は,あ る大 きさではあるけ れども計測可能な大 きさではあ りません。さて計測不可能な大 きさは,ま さに そのことによってすべての数学的思索から排除されるものでしようか ? 決 し てそうではあ りません。例えば温度は…,計 測不可能な量です。恣意的にそれ は定義 され,水 銀の膨張によつて計測されました。他の物体の膨張によってそ れを正当に定義 し,こ の関数が常に増加するというのであれば,こ の膨張の任 意の関数によってそれを計測することも同様に出来たで しよう。同様に,あ な たは,こ の関数があらわす満足 と同時に常にこの関数が増加するというのであ れば,恣 意的な関数によって満足 を定義することが出来るのです。」 (Walras, L.1965, letter 1496 bis) V 人 間は奴隷ではない。 1889年に出版 された 『要論』の第 2版 についてのオット (Augusute Ott,1814-1903)に よる書評 は,正 統派の執拗 な敵意 と無理解 を反映 しているとも言える。 『ジュルナル・デ・ゼ コノ ミス ト』誌の1890年1月号 に掲載 されたこの書評 は実 1 1 ) に17ペー ジ (pp.98-114)に及 ぶ長 い もので あ るが,内 容 の乏 しい ものであ る。 実 際 ワル ラス は,1890年 3月 18日にイ タ リアの統計学者Lugio Perrozzo(1856-1916)宛の手紙 において,「・・・オ ッ ト氏 の批判 につ いては,正 直 に告 白す る と, 私 は最 後 まで読 み ませ んで した」 (Walras,L.1965,letter 969)と 言 ってい る。 しか しその読 まれ なか ったであ ろ う最後 の部分 には,正 統派が ワル ラスの純 粋 経 済学 の方法 をいか に とらえていたか を如実 に示す主張 が展 開 されてい る。 11)そ の後,『要論』第 3版 (1896)と第 4版 (1900)に寄せ られた正統派経済学者Rambaudの 書評は,さ らに内容が乏 しい。 しか しそこには,教 学に対する無知 というある意味では正 統派の本音が隠されているように思われる。 「まずこの著作は,万 人向けに書かれたものではない。ジェヴォン氏のライバルである ワルラス氏による F純粋経済学要論』を読むためには,特 別な数学についての流暢な能力 を持たねばならないからである。」 (Bridel 1996,p.406)
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 1 9 7 「科学的である と主張 される (ワルラスの)生産理論 は私 には,経 済学 におけ る非科学的なものが よ り多 く存在すると思われる。…特 に人間に与えられた経 済的な役割,そ れは物 と同列 におかれ,土 地や資本 と同 じ資格で並べ られてい るのをどう言えばいいのであろうか。あたか も人間がすべての経済活動の原則, 主体,目 標ではないかの ように,あ たか も人間が不在のまま,土 地用役や資本 用役 を問題 にすることがで きるかのようにである 1ワ ルラス氏の理論 によれば, 人間の年々の労働価値 を資本化することによ り,人 間の価格が決定で きるとい うことになる。 さらに彼 自身それが奴隷制社会 においてのみ可能であることを 認識 しているのである。 しか し奴隷が存在す るためには,自 由な人間が存在せ ねばな らず,ロ ーマ法 は,す でに自由な人間の価値が無限であることを認めて い る。実 はワル ラス氏 の体系 とい うのは,逆 転 した経済秩序 なのであ る。」 ( B r i d e l , 1 9 9 6 , p . 3 3 5 ) ワルラスは,実 際 『要論』第 4編 「生産の理論」第17章 「資本 と収入 につい て,三 つの用役 について」 において,人 間を土地や狭義の資本財 と同列 に広義 の 「資本」の中に含 める。 「ひともまた自然 的資本 である。 しか しそれは消費 しうる,言 い換 えれば, 使用 によつて消耗 され事故 によって消滅 しうる資本である。ひとは消失するが, 時がたてば,再 生 させ られた世代 によって再び現れて くる。その量 も決 して不 変ではな く,あ る一定の条件の もとに際限な く増加 しうる。このことに関 して 注釈 を加 えておかなければな らない。人が資本であ り,時 を経て再生産 される 世代 によって再現 されるといって も,ま す ます一般に認められてきている社会 道徳上の原則,す なわち人は物 として売買 されるべ きものではな く,ま た牛や 馬 の ように農場や種馬飼育所 において増殖 し得 られるものではない とい う原則 を考慮 しなければならない。この理由によって,こ れを価値決定の理論の中に 入 れることは無益 であると考 えられるか もしれない。 しか しまず,人 的資本 は 交換 される ものでない に して も,人 的用役すなわち労働 は, 日々市場 において 供給 され需要 されるものである し,次 に人的資本 はそれ 自身 も少 な くとも評価 す ることが出来 る し,ま た しば しばそ うしなければならないことがある。その
1 9 8 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号) うえわれ われ は, 純 粋経済学 が, 正 義 や利益 の観点 をまった く捨象 し, そ して 人的資本 を土地資本 や動 産資本 と同様 に もっぱ ら交換価値 の観点 か ら考察す る こ とを建前 と してい る こ とを率直 に認 め なければな らない。そ こで我 々は,奴 隷制度の是非 とは無関係に労働の価値 を語 り,ま た人の価格 ということさえも 語 りつづけるであろう。」(Walras,L。1988,pp。270-271,久武訳p.200) ワルラスが続 く 『要論』第 5編 「資本形成および信用の理論」において実際 に取 り扱ったのは新資本財の価格であるが,そ こで求められた純収入率は,純 収入率均等の法則により他の資本 (土地,人 的能力)についても成立するため, 賃金がわかれば,理 論的には人的能力つまり人間の価格 も決定可能となるので ある。 しか しワルラスがここでことわっているように,そ れはもちろん現実に人間 そのものが市場で取引されていることを意味 しない。純粋経済学 という理念的 世界において,土 地夕狭義の資本,人 的能力を広義の資本 として対等に扱い, それらの用役価格 (地代,利 子,賃 金)の決定を他の財 と同じ次元で議論 しよう 1 2 ) としたワルラスの意図はここではまった く理解 されていない。 この ような無理解 は,正 統派の経済学者たちが 「観察の科学」 としての経済 学 とい う」.B.セ イの主張 に忠実であったことに起因す る。彼 らは現実の詳細 な観察 によって,自 由主義の優位 を説 こうとした (Zylberberg 1990,p.25)。 これはワルラスが理念的なモデルを使 って自由競争の効率性 を証明 し,そ れを 現実経済 に応用 しようとしたの とは対照的である。ワルラスの純粋経済学 にお ける絶対的 自由競争は,す でに広 く現実 に存在 している秩序ではない。ワルラ スは,そ れが適用可能な領域 とそ うでない領域 を区別 し,前 者 にのみ 自由競争 制度 を現実 に組織 して行 くことを自らの応用経済学の課題 としている。「観察 の科学」 としての経済学 に回執する正統派は,こ のようなワルラスの経済学の 方法 を理解で きなかったのであ り,そ こに反 自由主義的な要素 を見出 したので ある。 オ ッ トは次の ように批判 を続 ける。 12)そ の詳細 については,御 崎 (1998)第 2章 ,第 3章 を参照 されたい
自由主義学派によるワルラス純粋経済学批判 199 「物質的世界 を変化 させて生 きて行 くために,自 然 と欲求に向 き合っている 人間社会 を目に見 える形で示 さずに,そ の目標である共通の繁栄の観点か らそ の ような変化 と,こ の労働 の生産物の分配の手段である労働 を第一に考察せず に,こ のような結果 を達成するのに最 も適 した社会的な配置は,個 人の意志 に もとづ く自由な分業 と生産物の同様 に自由な交換 にあるということを認めずに, そ して価値や価格の問題 は,こ れ らの配置か ら生 じる二次的な関係 としか関連 しない とい うことを認識せず に,ワ ルラス氏 にとっての経済科学は,価 値の間 題 にのみ存在す る。主要な点 を構成 し,す べてがそこか ら出発する中心 もすべ てがそ こへ帰着する中心 も,価 値である。すべての経済活動 は,供 給が需要 と 等 しくなる均衡価格 を確立す る傾向のみをもつ。生産は最初 に無視 された 『状 況』であるが,こ の均衡価格を達成するためにのみ増加 した り減少 した りする のであ り,す べての生産用役の価値が依存するのはこの価格なのである !その ことはすべて,数 学的方法を経済学に適用 しようと執着 したからであ り,価 値 の理論だけがこの方法においてある点まで適合 したからである !」(Bttdel,1996, p 。3 3 5 ) IV 結びにかえて 以上のような批半Jを受けなが らも,ワ ルラスは1880年頃からフランスにおけ る終生の支持者を得ていた。シャルル ・ジイ ド(Ch】es Gide,1847-1932)であ る。ワルラスは「自伝 ノー ト」で次のように書いている。 「ジイ ド氏が初めてスイスまで私に会いに来たのは,1881年だったが,そ れ からは度々訪ねて来た。彼は,私 の 『ルヴュー ・デコノミー ・ポリテイーク』 誌上での私の論文を,す べて受け入れて くれ,私 のすべての出版物を,彼 自ら, 誌上で紹介 して くれた。彼はただ単に ドイツ歴史主義の言いなりになるのでは 1 3 ) 経 済学者であ り協 同組合運動 の理論家。1 8 7 4 年か ら1 9 1 9 年までボル ドー大学,モ ンペ リ エ大学,パ リ大学の法学部の経済学教授 を歴任。1921年か ら30年までコレージュ ・ド・フ ランスの教授 となる。 自由主義者 に対抗 して雑誌 『レヴュー ・デコノ ミー ・ポ リテーク』 を創刊。 シヤルル ・リス トと共著の F 経済学説史― フイジオクラー トか ら現代 まで』 ( 初 版 1 9 0 9 年) が有名。
2 0 0 両 頭正明教授退官記念論文集 (第323号) な く,フ ラ ンスの大学 の経 済学 を,官 製 の学派 の専制 か ら解放す るこ とを望 ん で い たので,私 の方法 と学説 を評価 して くれていたのだ と思 う。1900年の 7月 と 8 月 にパ リで開催 された 『社 会科学教 育 国際会議』 の報告書 の 中で,彼 は次 のような文を書いている。『もうひとつの大 きな欠落は,経 済学における,更 にいえば特に数理経済学における,方 法に関する教育の不在である。考えてみ れば全 く恥ずか しいことだが,数 理経済学 に関 しては卓越 した地位 を占め,ク ルノー とともに数理経済学 を創始 した国,こ のフランスで,こ の分野 に関する 教育が全 くない。それを教 え られる教師 もおそ らく一人 もいないであろう。奇 妙 な皮 肉ではあるが,こ の教育 を20年間ローザ ンヌで輝か しく担当 したのが, 一人のフランス人であった。だが彼は全世界で,ス イス人 として知 られている のである 1ワ ルラス氏である。』」 (Walras,L.1965,vol I,p,11.御崎訳 1 9 9 8 , pp.163-164) この後 「自伝 ノー ト」 には,1904年 頃か らフランスの経済学者たちのワルラ スに対する態度が少 しずつ好意的なものにな り,か つて厳 しい批判 をしたルヴァ スール とも和解 した様子が書かれている。 ところで19世紀 における正統派の数学への拒否反応 は,ワ ルラスに対 してだ けでな く,ク ルノーや,ま たデュピュィをは じめ とするエ ンジエア ・エ コノ ミ 1 4 ) ス トたちにも及んでいた。彼 らの方法 はワルラスのそれに比較すると,「観察 の科学」 としての経済学 によ り忠実であった と考 えられるにもかかわ らず,攻 撃 をうけていたのである。興味深い ことに,当 時の代表的な数理経済学者であ る三人は,内 容 は異 なるものの全員,国 家介入主義者であ り,そ の点で も正統 派 と相容れなかった (BretOn et Lutfalla 1991,pp。395-396)。自由主義,そ し て「観察の科学」を主張 し続けた正統派経済学者 たちの思想的源泉 と,そ れに対 決 し経済理論史上 は じめて数理経済学 を生み出 したフランスの経済学者たちの 苦闘の過程 を明 らかにす るのが今後の課題である。 14)エ ンジエア ・エ コノ ミス トと正統派 との関係 については,栗 田 (1999)を 参照 されたい
自由主義学派 によるワル ラス純粋経済学批判 201 参照文献
1.Breton,Y.et Lutfalla,M。 (1991):あ'Ecθ?仰物″ pοιづけを切θ θtt F陶?πθ a切 野 sぢθcJθ,
Econonllca, Paris.
2.Bttdel,P.(1996):Lθが後緒嫁 θけデa箕シガ物ctt」%s彼た力 砲 ca呼炒燃 竹/湖涯 碗bιづ9冴昭免ガ砕ιθs
αθs翌ヨι彦//豚れけsα'彦cOttθ9物ぢθ pOιうけづαttθ p切?4θ αθあ彦0竹 フレあι?1体, Librairie DROZ, Gёneve et Paris. 3.栗 田啓子 (1999):「開発 と公正一 フラ ンスのエ ンジエア ・エ コノ ミス ト」 西沢保 ・服部 正治 ・栗 田啓子編 『経済政策思想史』有斐 閣。 4.御 崎加代子 (1998):『ワルラスの経済思想― 一般均衡理論 の社会 ヴイジ ョン』名古屋大 学 出版会。 5.森 嶋通夫 (1994):『思想 としての近代経済学』岩波新書。
6。 Potier, J.―P, (1988):L6on Walras, critique de l'6cole lib6rale orthodoxe francaise,
あθs Caんあθ/s αθ ι'九ssoctaしづοtt θんattθs Cウαθ, Volume 2.
7.安 井琢磨 (1970):『 安井琢磨著作集』第 1巻 創 文社。
8。 Walker, D.A.(1996):ン レ名aιγas's yoγ んθけ〃。αθιs, Cambridge University Press,
Cambridge.
9.Walras,L。 (1965):∽ 解θspο物冴てれcθげ Lめ 竹 レン色ιγtt a?oα ttιttθα p∽ θ俗,ed.William
」ar6, 3 vols, North_Holland,Amsterdam。
10. ヽValras, L.(1987):Mも ↓attgθs冴'どcOttOη力θ pOιぢけ竹物θθしSοCめa↓θ,ム 切θttsけθθけあ彦0物
予ウあι?la品 口切υγθs θCOnOnllques complθけθs, ed, Pierre Dockёs et al, t.IIl, Econonlica,
Parls.
11.Walras, L.(1988):gι 彦 物 句 あsが 彦 cο %ο 物 づθ pο ↓づけを 物 θ p物 解 ο tt Tん ど ο 7SPiθ α θ Ja ttcん θ ssθ sοcづaιθ, Attθttsけθ θけああοtt Nはιγas,(ゴ切υγθs ttco%θ竹力?物θS cOttp↓θけθs, ed. Pierre Dockё s et al,t.Ⅷ ,Economica,PaAs.(久 武 雅 夫 訳 『純 粋 経 済 学 要論 』 岩 波 書 店 1984.)
12.Zylberberg,A.(1990):L切 しοttγ乃づθ%をaけ族効協けを切 て物 FΥttCθ ゴJ紹 ゼ切″,Economica, Parls.
Walras's pure economic theory and French liberal
eco■omists
Kayoko MIisaki
This paper airns to sho、 v ho、v Walras's pure econornic theory 、 vas attacked by his contemporary liberal econonlists in France. They refused Warlas not only because of his thoughts of socialism and government
intelference, but also because of his applicatiOn of mathematics to econonlic theory. His method of rnathematical econornics was considered as incompati一 ble 、vith the idea of individual freedom. This nlisunderstanding arises from their belief that econo■lic theory should be strictly based on the observa一 tion of the reality.