絵画から歴史を紐解く
当史料館が今秋開催する企画展「近江の街道と宿場のまちなみ」では、文字史料とともに街道絵図
など視覚に訴える史料も多数展示される。ここでは、滋賀大学経済学部の玄関に飾られている150 号
の絵画を題材に絵画資料から歴史の一こまを読み解いてみよう。
この絵には、韓国済州島に伝わる漢帑文化祭をもとに民俗色豊かな数々の神話、伝説に基づき、漁
民・農民それぞれの生業が、踊の形でいきいきと表現されている。その作者は昭和10 年に本学部の
前身彦根高商を卒業し、グリコに入社してからは子供の喜ぶ数々のおまけを考案していった故宮本順
三氏である。在校中の氏は美術部を創設し、東北地方の飢饉救援のために彦根丸菱百貨店で絵画即
売会を開催したり、文芸部に所属して『湖畔文学』を発行するなど旺盛な文化芸術活動を展開した。ま
た、小幡人形など郷土玩具・郷土文化の魅力に早くから目覚め、卒業後も日本あるいは世界各地の玩
具や人形を集め、郷土色豊かな祭を見聞しては、その感動を幾多の絵に認め、各地の公共機関に寄
贈されてきた。
そんな氏の自伝的回想録『ぼくは豆玩』のなかには、彦根高商時代を回顧して「人口3万ばかりの彦
根にアメリカ人のスミス牧師が教会内に朝鮮人学校を開き、10 歳から 20 歳くらいの生徒に、朝鮮語と
商業、算数、地理などを高商の学生達が先生となり教えていたのである」(51 頁)という一節が登場す
る。ここに登場するスミス牧師とは、彦根高商の英語教師も務めておられたパーシー・A・スミス氏のこ
とで、昭和6年、彦根城とキリスト教の文様を取入れた美しい和風教会堂(スミス記念堂)を建立し、日
米小学校児童の相互交流を図ったり朝鮮人学校を開設したりしていたことで知られる。
この絵画を前にし、またスミス記念堂が10 年にわたる市民運動の末今秋再建・竣工の時を迎えるに
あたり、私は、宮本氏とスミス牧師にはともに、和と洋、そしてアジア・朝鮮の文化を相互尊敬する思想
と、子供達の心をつなぎそこに幸せをもたらそうとする心情が脈々と流れていることを感じる。私たちの
先達・先輩が残してくれたこうした精神こそ、グローバル・スペシャリスト養成を目指す本学部に相応し
い歴史的遺産であるといえよう。
(史料館長 筒井 正夫)