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明治国家体制における政治と軍事

著者

西川 吉光

著者別名

NISHIKAWA Yoshimitsu

雑誌名

国際地域学研究

5

ページ

141-167

発行年

2002-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003854/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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国際 地域 学研 究 第5 号2002 年3 月

明治 国家 体 制 にお け る政 治 と軍 事

西 川 吉 光* 141 は じ め に 大 日本 帝 国憲 法 を基本 とす る「明 治 国 家」 の 体制 にお い て は、民 主 主義 政 体を 前提 とし た英 米 流 の文 民 統制 シ ステ ムが 成立 す る余地 は なく、 そこで は、 プロ シャ の よう な絶対 君 主制 国家 と同 様 、 君主 であ る天皇 が 統帥権 を 有し 、軍 令 お よ び軍 政 の両 権 は 自己 の専 制 的支 配 の源 泉 とさ れた。 また 明 治国家 にお ける政 軍 関係 の大 きな特 色 とし て 、 政治 と軍事 を 制度 的 に分 離 させ た こ と(武 権 の 優 越) を 指摘 で きる が、政 治 と軍 事 を分 離 さ せな が ら、両 者 を調 整・ 統合 する た めの有 効 な制 度的 保 障 を欠 い てい たこ とが、 武権 の文 権 に対 す る優 越 を生 み出し 、 やが て大 日本 帝国 を崩 壊 させ る大 き な 原因 となっ た。 本稿 で は、 明 治 国家 体 制 にお け る政 軍 関 係 の特色 とそ の変 容過 程に 焦点 を あて 、 多元 的 な明 治 憲法 体制 が内 在し てい た国 務 と統 帥 の関係 を めぐ る矛 盾 が 次第 に拡 大し 、や が て軍 自 身 の消 滅 と明 治国家 体制 そ の もの の崩 壊 へ と至 っ た過程 を 俯瞰し たい。 1 明 治 建 軍 と 政 軍 一 元 主 義 の 採 用1867 年12月9 日 、王 政復 古 が宣 せ ら れて 兵権 が天 皇 に帰 属し た。 明 け て68年1 月17日、 維新 政 府 は「 三 職七 課」 の制 を敷 き、 総 裁(熾 仁 親王 )は「万 機 ヲ総 裁 シー 切 ノ事務 ヲ決 ス」、 つ まり、 国 政 と軍 事 に わた る全 権限 を与 え ら れた。 七 課 とは、神 祇、 内国 、 外 国、 海 陸軍 、会 計、 刑 法、 制度 で あ り、 各課 長 に、 議定 に よる事 務総 督 、 参与 によ る事務 掛 を置 き、 海 陸軍 総 督 は「海 陸軍 練 兵守 衛 緩急 軍務 ノ事 を督 ス」 と定 め ら れ、岩 倉 具 視、 嘉彰 親王 、 島津 忠義 が任じ られ た。 三職 七課 は「三 職八 局」 に部 分 改正 さ れた後 、68年 閏4 月21日、 新 た に「 太政 官制 」 が定 め ら れ た。 こ れは、 太政 官 内に議 政 (立 法)、 行政 ・神祇・会計・軍 務・外国 の五 官 (行 政)、 刑法 (司 法) の七官 を創設、 三 権分 立 を取 り入 れ た もの で、 軍務 官 が海 陸軍 の事 務 を管 掌 す る もの とさ れた。 次 い で69年7 月8 日 、官 制大 改 革 に伴 い軍 務 官 が廃 止 さ れて 兵 部省 が置 か れた。 さ らに1871年2 月2 日、 そ れ まで の藩 兵制 にか わ り 士薩 長 土 各 藩 の献 兵 に よ り約1: 万‘人 の 御 親 兵 が設 置さ れ る こ と に よっ て国 軍 として の 姿が よう や く整 い はじ め、 そ の武威 の 下 に政府 は廃 藩置 県 を断行(7 月14日 )。 同 月29日 に は「太 政官 職制 」 に より 太政 官 制 が改 正さ れ、 太 政官 に一 人 の太 政大 臣 を置 く こ ととし た。 太 政 大臣 (三 条 実美 が就任 ) は「 天皇 ヲ輔 弼 シ庶政 ヲ総判 シ祭 祀 外 交宣 戦講 和 立約 ノ権 海陸 軍 *東 洋 大 学 国 際 地 域 学 部 ;FacultyofRegionalDevelopmentStudies,ToyoUniversity

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142 国 際地 域学研 究 第5 号2002 年3 月 ノ事 を統知 ス 」る権 限 を もち、 政 治、 軍事 を 総括 する天 皇 の最 高輔 翼者 で あ り、太 政官 の 下 に大 蔵 、 工 部 、 兵部 、司 法、 宮 内、 外務 、 文 部の 七省 が整備 さ れ た。 さ らに翌 年2 月28日 の太 政官 達 第62 号 に よっ て兵 部省 に代 わ り陸 軍省 及 び海 軍省 が設置 さ れ、兵 部 省所 掌 の事 務 は夫々 両省 に移 さ れた1)。 この時 期 に おけ る統 帥 の特色 は、 維新 政府 が政軍 一 元主 義 を採 っ てい た ことで あ る。 もと も と太 政 官 制 度 は、 天皇 の下 にあ る太 政 官 を中 心 とする集 権 主義的 色 彩 の強 い制 度で あ る が、軍 事 に つ い て も同 様で 、陸 海軍務 は軍 政 と軍 令 を分 離さ せず、 太政 官 に 従属 す る海陸 軍卿 が 軍政 軍令 を一 元的 に掌 握 し、 そ れが太 政 大臣 の輔 弼 に よっ て天 皇の軍 事大 権 として 発動 さ れる シ ステ ムで あっ た。 こ うし た 政軍 一 元主義 の 採用 は、フ ラン ス軍制 の影響 によ る もので あっ た2)。1870年10 月2 日、政 府 は 「兵 制 ノ 儀ハ皇 国一 般 之法式 可 被 為立 候 共、 今般常 備 兵員 被 定候 二付 テ ハ、海 軍 ハ英 吉利 式 陸軍 ハ 仏 蘭 西 式 ヲ斟酌 御編 制相 成 候条 … … 」旨 の布 告を出 し たが3)、明 治初期 の陸軍 軍制 は、 大村 益 次郎 を 主 導者 と する フラン ス主 義 者 の下 に、 フ ラ ンス国防 組 織 の伝 統で あ る軍政 、軍 令 の国 務 大臣 責 任 制 が採 用 さ れた ので あっ た。 フ ラン ス式 が取 り入 れら れた のは、 当時 、 フ ラン スが世 界 最強 の陸 軍国 で あ る との認 識 に加 え、 ナポレ オン3 世 の幕 府へ の軍 事援 助 の大 きさ 等 そ れ まで の 同国 の我 が国 軍 制 に 及 ぼし て いた影響 力 の大 き さ を斟 酌 し て のこ とで あっ た・))。 後 の明 治憲 法 下 の政 軍 機 構 と比 べ る と、 太政官 制 の 方が、 国 政 の一 元性 、軍 事 に対 す る政 治優 先、政 治 統制 が 確保 さ れ てい た とい え る。 2 統 帥 権 独 立 制 度 の 導 入 フ ラ ン スの文 民優 位的 な軍事 制 度 の影 響 の下 に、 海 陸軍 に 独立 す る何 らの軍 令 機関 も認 め ず、 軍 務 の全 て は太政 官 に従 属し、 太 政 大臣 が 戦争 指導 の最 高発 言権 を 保持 す る とい う 維新 政府 初 期 の 統 帥機 構 は、 参謀 本部 設 置 に伴 う統 帥権 独立 制 度の 導入 に よっ て大 き く変化 す る。 即 ち 、1874年2 月 に佐賀 の乱 が勃 発し、 文 官た る大 久保 参議 兼 内務 卿 が軍隊 指 揮権 を持 つ や、 山 県 陸 軍卿 は陸軍 省 の外 局 とし て参 謀局 を 設 置し、陸 軍 卿 の下 に置 か れはし たもの の、 陸軍 の統 帥 は 武 官 であ る 参 謀局長 の専 任 に 属す る こ と となった。 そし て 山 県自 ら参 謀局 長 に任じ 、 天皇 の分 身で あ る 皇族 を総 督 に かつ ぎ、 自身 は参軍 とし て文官で あ る大 久保 の手 か ら 統帥権 を 回収 する こ と に成 功 し た。 さ ら に1878年12月6 日 の 参謀 本部 条 例公布 に よっ て、 陸軍 省 の外 局 であ っ た参 謀 局が 改 組 さ れ、 陸 軍 省 とは 独立し た 機関 で あ る参 謀本 部が設 置 さ れた。 参 謀本 部長 の 職務 は「帷 幕 ノ機 務 二 参 画 」(参謀 本部 条 例第2 条 )する こ とにあ り、 そ の権限 は「其 軍 令二 関 スル 者 は、専 ラ 本部 長 ノ 管 知 スル所 ニ シ テ、 参画 シ親 裁 ノ後 、直 二 之 ヲ陸軍卿 二下 シテ施 行 セ シム」(第5 条) と定 めら れ た。 この 参謀 本部 条例 の制 定 と、 そ れ に伴 う陸 軍職制 制定 、 陸軍 省 職制 章 程の改 正 に よ り、 陸 軍 にお ける 軍政 と軍令 は切 り 離さ れ、 太 政官 政 府 (1885年 に は内 閣 と改称 ) か ら統帥 権 が分 離独 立 し た ば か りで な く、後 者 を天 皇直 隷 とし 、政 治 を 担当す る政府 と参謀 本部 は対 等 の地 位 に置 か れた の で あ る。 参 謀本 部長 が軍 の 統率 に関 し て は政 府 を経由 する こ とな く、 大元 帥 であ る天 皇 に直 属し 、 直 接 に天 皇 に上 奏し て その 親裁 を得 る 権 限 は「帷 幄上奏 権 」 と呼 ば れたが 、軍 令事 項 が政 府 ( 陸軍 卿 )

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西川 :明 治 国家 体制 におけ る政 治 と軍事 143 の 権 限 外 と さ れ 、 軍人 の 専 管 事 項 と な っ た こ と に よ っ て 、 そ れ まで の フ ラ ン ス 流 の 文 民 統 制 原 則 は 崩 れ た5)。 な ぜ こ の 時 期 に 、 そ れ ま で の 政 軍 一 元 主 義 を 捨 て 去 り 、 統 帥 権 を 独 立 さ せ る 動 き に 出 た の か と い え ば 、(1)普 仏 戦 争 に お け る フ ラ ン ス の 敗 北 が そ の 影 響 下 に あ っ た わ が 軍 制 に お け る 一 元 主 義 を 動 揺 せ し め、 プ ロ シ ャ 式 軍 制 主 義 を 報 じ る 山 県 、 桂 ら の 帰 朝 と 共 に プ ロ シ ャ 軍 制 へ の 傾 斜 が 強 まっ た こ と(2)西 南 戦 争 に お い て 指 揮 系 統 の 確 立 や 参 謀 組 織 の 必 要 性 が 痛 感 さ れ た こ と、 さ ら に は(3)国 土 防 衛 軍 か ら 外 征 軍 へ とい う 建 軍 方 針 の 転 換 が 影 響 し て い た6)。だ が 、参 謀 本 部 独 立 は 、こ う し た 軍 事 用 兵 上 の必 要 性 の み に 起 因 し て い た わ け で は な く 、 当 時 の 我 が 国 政 治 状 況 が 政 権 と 兵 権 の 分 離 を 必 要 と し て い た こ と と も 深 く 関 わ っ て い た 。 先 述 し た よ う に 、 参 謀 本 部 独 立 以 前 は 、 太 政 官 政 府 の 下 に 政 治 権 力 ( 政 権 ) と軍 事 権 力 ( 兵 権 ) が 一 元 的 に 掌 握 さ れ る 建 て 前 に な っ て い た。 し か し 、 維 新 政 府 設 立 当 初 、 兵 権 の 中 核 は 薩 長 土 三 藩 の 連 合 兵 力 た る 御 親 兵 で あ り 、 し か も そ れ は 実 質 的 に 西 郷 隆 盛 等 一 部 指 導 者 の 人 格 的 指 導 下 に あ っ た 。 権 力 基 盤 の 未 だ 脆 弱 な 維 新 政 府 は、 御 親 兵 の 設 置 と 西 郷 等 の 参 議 就 任 に よ っ て 兵 政 両 権 を 掌 握 し よ う と 試 み た が 、 こ う し た 措 置 は 逆 に 実 質 的 に 兵 権 を 握 る西 郷 等 の 政 治 的 影 響 力 を 高 め る こ と に な っ た 。そ れ ゆ え、事 実 上 の 政 治 軍 事 支 配 者 が 仮 に 政 府 の 政 策 に 抵 抗 な い し 反 対 す れ 事 態 と な れ ば 、 彼 の 人 格 的 指 導 下 に あ る 軍 の 主 力 が 政 府 の 方 針 を 支 持 せ ず 、 さ ら に は 政 治 集 団 化 し て い く 危 険 性 が そ こ に は 内 在 し て い た。 し か も こ う し た 危 惧 は 単 な る 危 惧 に と ど ま ら ず 、 西 南 戦 争 を 含 む一 連 の 士 族 反 乱 や 、1878 年8 月23 日 に 起 き た 近 衛 砲 兵 の 反 乱 、 い わ ゆ る 竹 橋 事 件 の 発 生 に よ っ て 現 実 の も の と な り つ つ あ っ た 。 そ の う え 、 軍 の 動 揺 に 乗 じ て 自 由 民 権 運 動 の 波 が 軍 の 内 部 に 浸 透 す る こ と へ の 懸 念 も 高 ま る ば か り だ っ た 。 か か る 危 機 意 識 は 、フ ラ ン ス 流 の 自 由 な 気 風 の 軍 制 に 対 す る 懐 疑 を 維 新 政 府 に 生 み 出 す と と も に 、 一 部 指 導 者 の 政 治 目 的 に 軍 が 利 用 さ れ る こ と の 危 険 性 を 痛 感 せ し め 、 そ れ を 防 止 す る に は 「 後 害 を 防 ぐ 為 文 武 の 権 を 判 つ 事 」( 木 戸 孝 允 )、 つ ま り 、 兵 権 と 政 権 を 分 離 し 、 一 部 指 導 者 が 政 権 に関 与 す る と 同 時 に 兵 権 を も 掌 握 し 、 軍 が 政 治 化 す る 事 態 を防 止 す る 必 要 性 に 迫 ら れ た の で あ る7)。「 兵 政 の 分 離 」、「 政 治 と 軍 事 の 分 離 」 は 、 軍 の 国 家 = 政 府 へ の 忠 誠 を 確 保 し て そ の 政 治 化 を 防 ぎ 、 維 新 政 府 の 権 力 基 盤 を 強 化 す る 為 の 措 置 で あ っ た 。 そ し て そ の 具 体 的 施 策 が 、 兵 士 個 々 人 の 内 面 指 導 の た め の 「 軍 人 訓 誠 」(78 年10 月12 日 ) や 「 軍 人 勅 諭 」(82 年1 月4 日 ) で あ り 、 軍 機 構 面 に お け る 統 帥 権 独 立 制 の 導 入 だ っ た の だ8)。 軍 政 、 軍 令 二 元 主 義 を 採 用 し た 結 果 、 軍 令 に 関 す る こ と は 参 謀 本 部 長 の 権 限 に 移 り 、 軍 政 に 関 す る こ と は 陸 軍 卿 の 所 管 と な っ た が、 運 用 の 実 際 に お い て 軍 令 と 軍 政 と は 相 互 に 密 接 不 可 分 の 関 係 を 有 し 、 機 械 的 に分 離 し あ う こ と は 困 難 で あ る 。 本 家 で あ る プ ロ シ ャ に あ っ て も、 両 者 の 調 整 を 円 滑 な ら し め る た め の 事 務 合 議 規 定 が 制 定 さ れ た よ う に、 参 謀 本 部 が 独 立 し た 当 時 、 明 治 政 府 の 指 導 者 に お い て も政 軍 調 整 の 必 要 性 に 関 す る 認 識 が 全 く 欠 落 し て い た わ け で は な か っ た 。 例 え ば プ ロ シ ャ に 倣 い 、79 年 に は 省 部 事 務 合 議 書 な る も の が 定 め ら れ た 。 こ れ は 後 の 省 部 互 渉 規 定 の 基 を な す も の で あ る が 、こ れ に よ っ て も 陸 軍 省 及 び 参 謀 本 部 に 各 々 固 有 な 事 項 に 加 え 、両 者 協 議 の 事 項 が 依 然 と し

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144 国際 地 域学研 究 第5 号2002 年3 月 て多 数 存 在し た9)。 また参謀 本部 の長 が 参議(政府 閣 僚)を兼 任し てい た の は、 政 治 と軍事 の調 整 を 図 ろ う とす る一 つの試 みであ っ た。し かし 、この慣行 も内 閣制 度 の発足 以 後 は中 断 の憂 き目 に遭 う。1885 年12月23 日、 そ れ まで の太 政 官制 は廃止 され、 同 日付 け の「 内閣 職権 」 に よっ て内 閣総 理 大 臣及 び各 省大 臣 を もっ て 内閣 を組 織 する内 閣制度 に 改 めら れた。 こ れに よって、 陸 海軍 大 臣 が誕 生 し た が、重 要 な点 は、統帥 権 の独 立 を内 閣自 体 が明 文 を もっ て承 認し た こ とにあ る。「 内閣 職 権 ヲ 定 ムル ノ件 」 の第6 条 は、 参謀 本 部長 と太政 大臣 の権 限関 係 を明 ら かにし 、 各省 大臣 の 内閣 総 理 大臣 への 報 告義務 を課し た が、「事 ノ軍 機 二係 リ、参謀 総長 ヨ リ直 二上 奏 ス ルモ ノト雖 モ、陸軍 大 臣 ハ 其 事 件 ヲ 内閣総 理 大臣 二報 告 スヘ シ」と規 定し 、「軍 機」に関 す る もの につ いて は参 謀本部 長 より 直 ち に上 奏 し、総 理 は単 に大 臣 か らそ の報 告 を受 ける権 能 の みを有 す る こと を定 め、 参謀 本部 長 の管 掌 す る軍令 事項 は内閣 総理 大臣 の管 掌外 に あ る ことを明 ら かにし た。 か よう に、 統 帥権 の 独立 は軍 の 国政 に おけ る影響 力拡 大 を直 接 の狙 い とし た もの で はな く、 文 武 両 官 混 交 の時期 におい て、 軍事 機 能 の効 果的 発揮 の確保 や 、政 治 の道 具 た る軍 が一 部 指 導者 の私 兵 と化 し た り、政 争 の具 に堕 す こ とを 防ぐ た めの手段 として 導入 さ れ た。 し かし 、 軍 の非政 治 化 を め ざ し た こ の統帥 権 独立制 度 に は、 そ の後 の我 が国 の政 軍関 係 の展 開 から みて 重大 な 問題 が潜 んで い た。まず第 一 に、明 治政 府 は従 来 の兵 政両 権 の未分 離状 態 が軍 の政 治 化 を もたらし た事態 を反 省 し、 両 権 の分 離 に よっ て対処 し よ う とし た が、統 帥権独 立 に よって 政 府 と軍 令機 関 を対 等・ 並列 の位 置 に置 い た ため、 政府 (政 治) と軍 (軍 事 )が 制度・ 機 構上、 対 立 ・分 裂 す る契 機 を 内包 さ せ る こ と となっ た10)。 また、軍 が外 部 勢力 に よっ て利 用さ れ る危険 性 を排 除 する こ と、 つ まり政 治(そ れは、 専 ら「 党 派的 対立 」とし ての 政 治 がイ メ ージさ れて い た)の軍 に対 す る介 入 の防止 に力点 が 置 か れ、 軍 自 体 が軍 事的 合理 性追 及 とい う 美名 の下 に、 その組 織的 な利 益 の追 及拡 大 に腐 心 して 、政 治 (= 国家 とし て の政 策決 定 過程 ) を圧 倒 す る危険 性に つい て十 分 な認識 に欠 けて いた。 指 導層 に おけ る同 質性 し か し、 そ うし た構造 的 な問 題 を その初 期 から内 在 させ な が ら も、 明 治中期 (ほ ぼ日 露戦 争 終了 期 ) まで はそ の弊害 が 際立 た ず、 比較 的 有効 に政治 と軍 事 の調 整 統合 が 機能し た こ と も事 実で あ っ た。 そ の理 由の 第一 は、 当時 の権力 主 体 が薩 長藩閥 勢力 で あ り、 政党 勢力 は例外的 一 次期 (隈 板 内 閣 ) を除 い て政 権 から排 除 さ れて い たた め、軍 を政 治 (党 派的 対立 ) の 介入 から守 るた めに 統 帥権 独 立 が発 動 さ れ ねばな ら ない機 会 が稀 で あっ たこ とに よ る。 また、 明 治初 期 の軍 は藩閥 勢力 の権 力的 基盤 の一 つ であ り、 その点 か らす れ ば軍 と政 治 の関 係 は 密 接 で はあっ た が、 そ こで の関 係 は、“軍 と政 治 との関 係”と は意識 さ れ な かっ た。 未 だ文武 が渾 然 一 体 で 未分 離の状 態 の下 で は文 官 が軍 務 につ き11)、反 対 に武官 が本 来 政 治的 な問 題 に関与 し て も、さ ほ どの違 和感 は政 権 内部 に凭 れず、 現 代的 な越 権的 意識 は なか っ た。 そ こで は、 季題 的 な意 味 にお け る文民 統制 が 機能 して はいな かっ た が、 同時 に、 未 だ軍事 の 政治 に対 する優 位 とい う問 題 も表面 化 し な かっ た。 で は、 な ぜ 個人 的 な折 衝で 解 決で きた か とい え ば、 そ れ は、 政軍 両 指 導者 間 に同 質 性 が 存在 し てい た こ とに そ の要因 を求 め るこ とがで き よう。 た とえ軍 と政府 との間 に対 立 が 生じ た とし て も、 そ れぞ れの指 導者 の 間 に は藩閥 とい う強 固 な絆 と同 質性 が存 在し た か ら、対 立 は彼 等 の

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西 川 :明 治国 家体 制 にお け る政 治 と軍 事 145 個 人的 折衝 と調停 に委 ねら れヽ 分 裂 の事 態 へ と拡 大す る前 に 解消 が図 ら れた ので あ る。 もと もと維新 政府 の 構成員 は、一 部 の 公家 出 身者 を除 け ば各 藩 の下 級武 士階 級 が大部 分 分を占 め てい た。 よってヽ 新 政府 成立 後、 文 官 の 職 に就 く者 も、あ るい は軍 務 に従事 する にせ よ、軍 事的 な 素 養 は等し くこ れを共 有し て お り、 職 制上 の文 官 も軍隊 指 揮 も不 可 能 なこ とで は なかっ た。 未だ政 治 と軍事 の 機能分 化 がそ れほ ど進 行し てい な かっ たこ の時 期 におい て は、 統 帥権 独立 という 制度 の 存 在 に も拘ら ず、 こうし た 同質 性 の存 在 が、 イ ン フ ォーマ ルな か たち で政 治 と軍事 の 統合 を可 能 な らし めた のであ る。 日清 戦 争 におい て効果 的 な 政治 と軍 事 の統 合が 図 ら れた の も、 同様 の理由 に よ る ものであ っ た。 そ もそ も戦 時 の大 本 営 は制 度上 、国務 と統 帥 の統 合 を めざ す戦争 指 導機 関で は な く、 作戦 指 導に専 念 す るた めの純 然 た る統 帥 機関 であ っ たが、 日 清 戦争 で は明 治天皇 の特 旨に よ り 首相 と外 相が そ の構成 員 に加 わ り、 制度 を超 越 し て実質 的 な戦 争 指 導機 関 とし て巧 く機 能し た。 なかで も首 相で あ る伊藤 博文 は軍 部 に対 し て終始 強力 な指 導力 を発 揮し て 、軍 に対 する政 治 統制 を貫 いた。 戦術 的 な優 位 より も講 和 の 実現 を優 先 すべ く、伊 藤 は現地 軍首 脳 が主 張し た 北京 ・ 天津 攻 略作 戦 に強 く反対 し て これ を退 け 、 そ れがた めに山県 第一 軍司 令官 は事 実上 の解任 とな り、 本 国 に召還 さ れ た史 例 は それを 物語 る もので あ る。 軍 と政治 が対 立項 とし て受 け 止 めら れる よう に なる の は、シ ビリ アン と ミリタ リ ーの一 身 的同 質 性 を具 有し てい た藩 閥 政 治家 や元 老 が姿 を消 し、代 わっ て政党 政 治 の時 代 に入 っで 政 治 =政 党 政 治” の認 識が 生 ま れ始 め た以 降 の こ と とい え よう。 第三 に、 建国 間 もない 当 時 の日本 が置 か れて い た小国 的 な環境 も影 響し てい た。 国力 が 乏し く、 列 強 から の干渉 の危 険 が常 に意 識 さ れ てい たこ の時 期 にあっ て は、 軍 事的 勝利 や 軍事 的 な合理 性 の 追求 以 上 に、外 交 や政略 が 優先 さ れ ね ばな らな かっ た。 こ うし た 厳し い環 境 が、 国務 と統帥 の分裂 回避 を必 要な らし め たので あっ た12)。 3 大 日 本 帝 国 憲 法 と 政 軍 分 離 シ ス テ ム の 確 立 統帥 権 独立 の定 式化1899 年2 月H 日 、大 日本 帝 国憲 法 が発 布 さ れ、 既に制 度 化さ れて いた 統帥 権 独立 の制度 は国法 シ ステ ム におい て定 式化 す る。 この憲 法 にお け る権力 の中 心 は、 い う まで もな く天 皇で あ った。 大 日 本 帝国 憲 法 におい て 天皇 の大 権 は4 ∼16 条 まで に規 定さ れて い るが、 補 弼 の 機関 お よ び行 動 の形 式 に より、 学問 的 に は(1)国 努上 の大 権(2)皇 室 大権(3漱 帥大 権(4)祭 司 大 権(5)栄典 授与 の大権 の五 つ に分 類 さ れた 。 この うち(2)は皇 室 の家 長 とし て行使 す るもので あ り、 宮 内大 臣 が補弼 する性 質 の もの、(4) は祭司 王 とし て皇祖 皇 宗、 歴代 天 皇 お よび皇 族 の霊 を祭 る性 質 の もの、(5)は天皇 が臣民 お よび皇 族 に栄典 を賜 う性 質 の もので あ る。 ここ で問題 とな るの は(1)の国 務 上 の大権 と(3)の統帥 大 権の 関係 であ る。 明 治憲 法 は その第55条 で 「国 務大 臣 は天 皇 を 補弼し そ の責 に任 ず 」 と規 定し 、国 務上 の大権 に つ い て は国 務 大臣 が補 弼 す るこ と とさ れた。 そし て、 この 第55条 に定 めら れた国 務 大臣 の補 弼権 に は 規 定上 何 の制限 もない こ とか ら、憲 法 第55条 に 定 めら れた国 務 大臣 の 補弼 権 に は制 限 が なく、 軍 令

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146 国際 地 域学 研究 第5 号2002 年3 月 事項 に も及 ぶ とい う解 釈 を取 る こ とも可能 で あっ た。 だがヽ 実 際 に はそう し た解 釈 ゜運 用 は採 ら れ ず 、明 治 憲法 の運 用 におい て は、 国家 統 治 の大権 と陸海 軍 統 帥の 大権 とを分離し 、後 者 に つい て は 内 閣 の職 貴 の外 に置 き、 国務 大臣 がそ の責 に任じ な い とい う政軍 (兵政 )分 離 主義 が採 ら れた13)。 陸 海 軍統 帥 の大権 とは、軍 事 全 般 を指 す のでは なく、 軍事 大 権 を軍令 大 権 と軍政 大 権 に分 け 、軍 令 大権 の みを 指 す との解釈 が一 般 で あっ た。 その う えで、 明 治憲 法第H 条の 「天 皇 ハ陸 海 軍 ヲ統 帥 ス」 は軍 令大 権、 つ ま り軍 隊 を 指揮 す る権 限 (作 戦・ 用兵 ) を 規定し 、 第12条「 天皇 ハ陸 海軍 ノ 編 制 及 ビ 常備兵 額 ヲ定 ム」 は軍 政 ( 編成) 大 権 を規定 す る もの と解し 、軍 政大 権 は「 軍 隊 を 編成 し、 軍 事 に関 する諸 般 の設 備 を整 え、軍 事 の必 要 のた めに国 民 に 負担 を命 ず る等全 て軍 事 に 関 す る国 家 統治 権 の作 用」14)であ り輔 弼 を要 す るが、 軍 令大権 は国務大 臣 の輔 弼 を必 要 とし な い趣 旨 と理 解 さ れて いっ た15)。こ こに統 帥権 独立 の制 は定 式化 し、文 民 統制 的 な軍 制 の建 議が 憲法 に盛 り込 まれ る こ とは な かっ た。もっ と も、実 際上 軍 令 と軍 政の 区別 は必 ずし も明 瞭 で はな く16)、特 に常備 兵 額(兵力 量 ) に つい ては争 い があ り、 ロ ンド ン海 軍 軍縮条 約締 結 の際 に は海 軍軍 令部 が建 艦 計 画 す ら統 帥権 にあ た る とし て政 府 の締 結 方針 に 反対し た こ とから 大問題 となっ た。 また、 軍政 大 権だ けが 一般 国務 と同 様 に国務大 臣 (陸海 軍 大 臣) の補 弼 の範 囲 に属 し、 軍 令 大 権 (統 帥権 )に つい て は国務 大 臣 の補 弼外 で 軍令 機関 の補 佐 に より行 う とさ れた が17)、統 帥権 だ けが 国 務 か ら 独立 す る とい う明 文 規定 が 憲法 上存 在し ない た め、 その 法的 根 拠 は(1)明 治建 軍以 来 、 あ るい は古 来 から の慣 習、伝 統及 び ②軍 隊 の本 質的 な特質 といっ た憲 法 外 の理由 に求 めら れた'‰(l)は憲 法 制 定 前 の1878年 にお け る参 謀本 部 の独 立以 来、 実際 に行 わ れて きた ことで あ り、 ま た軍人 勅 諭 にお い て、 軍 隊 に対 す る天皇 直 率 の原 理 を宣明 し たこ とが 統帥権 独 立 の思 想的 根拠 の 根本 とさ れ た。(2) に つ い て は、 軍 の機 密性 と機敏 性 、 そ れに作 戦用兵 という 専門 技術 性 の 要請 が挙 げ ら れた。 弱 い 内閣総 理 大臣 の権 限 とこ ろで 、 こ れらの大 権 は憲 法 上 は統 治権 の総攬 者 とし て の天 皇 が自 ら行使 す る こ とが予 定 さ れ て お り 、天 皇大 権 の各 補弼 機関 は天皇 の 下に 各々 並立 し、 相互 の関 係 は憲法上 定 め ら れて い な かっ た。 従 って 制度 上、 国務 を担当 する 内閣総 理 大臣 は、 軍 の統帥 権 に関 与 す るこ とは で きず、 し か も 明 治 憲 法下 にお いて 内閣 総 理大 臣 の 地位 は陸 海軍大 臣 ら各 国務 大 臣 と は同 等で あ っ た。 憲 法第55 条 を受 け た内 閣官 制 (勅令 ) は、 内 閣総 理 大臣 を「同 輩中 の首席 」 に と めお き、 各 国務 大 臣 は個 別 に 天 皇 に 補弼 責任 を負う も の とし 内 閣 とし て の連帯責 任 を否 定し た。 その た め、 内 閣総 理 大臣 は組 閣 の大命 を受 け各 国務 大臣 を選任 で き る こ と、 各大臣 が 天皇 に上 奏 す る場 合 お よび 内閣 官 制 第3 条 に 定 め る場 合 の行 政各 部 の処 分、命 令 の 中止 権 の3 点し か各大 臣 に優 越 す る権限 は認 めら れ てお ら ず、 各 大 臣 の罷 免権 もなかっ た。 この よ うに 権力 基盤 が極 めて脆 弱 で あ りな がら、 統 帥部 との間 で 実 質 的 な総 合調 整 を彼 に期待 する こ とな ど、制 度を離 れ、当 該総 理 自身 が個 人 的 な実力 を有 す る場合 や、 あ るい は総 理大 臣 が現 役 の陸海 軍 大将 で もない限 りは不 可 能で あ った。 そ のう え、明治 憲 法 は君主 主義 を基調 とす る天 皇親 政 の絶 対主 義 的 な論理 を と りなが ら、同 時 に、 立憲 君 主主 義的 な一 面 も内 在 させ てお り、 実 際の運 用 にあ たっ て は、 後 者の英 国 流 の立憲 君 主 主 義 が為 政 者 の間で は次第 に理 想像 とさ れて いっ た。 それ は、 天皇 に政治 責任 が及 ぶ こ とを 恐 れ たた め

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西 川 : 明 治 国 家 体 制 に お け る 政 治 と 軍 事 147 で あ る。 神 聖 に し て 侵 す べ が ら ざ る 天 皇 が 権 威 と 権 力 の 象 徴 とし て の 存 在 か ら 踏 み 出 し て 生 の 政 治 権 力 を行 使 し ヽそ の 行 使 に 伴 う 責 任 を 負 う 自 体 の 出 現 は、絶 対 に 避 け ね ば な ら な か っ た19)。そ の た め 、 政 府 の 決 定 し た最 終 案 は そ の ま ま裁 可 さ れ る の が 通 例 と な り 、 天 皇 自 身 が 政 策 決 定 に イ ニ シ ア テ ィ ブ を 発 揮 す る こ と は き わ め て 例 外 的 な ケ ー ス と な っ た 。 つ ま り 、 明 治 国 家 は 、 制 度 上 あ ら ゆ る 権 力 を 天 皇 に 集 中 さ せヽ 国 務 と 統 帥 の 最 終 的 な 統 合 は 天 皇 に よ っ て な さ れ る べ き も の とし な が ら 、 実 際 に は 天 皇 を 権 力 の 象 徴 に と ど め 、 権 力 行 使 を 天 皇 大 権 に よ っ て正 当 化 さ れ た 並 列 的 諸 機 関 に委 ね る と い う 極 め て 多 元 的 ・ 分 立 的 な 政 治 シ ス テ ム を 採 っ た の で あ る。 こ の 結 果 、 軍 事 問 題 と 国 政 一 般 の 整 合 を 図 る こ と は 、 理 論 上 も、 現 実 問 題 に お い て も 次 第 に 困 難 と な っ て い く。 さ ら に 統 帥 権 独 立 の 思 想 は 軍 の 国 務 か ら の 独 立 だ け で な く 、 軍 内 部 に お い て も 軍 令 の 軍 政 に 対 す る 優 位 と両 者 の 分 裂 を 招 い た ほ か 、 陸 海 軍 そ れ ぞ れ が 直 接 天 皇 の 統 帥 に 服 す とい う 二 元 並 列 統 帥 の 実 態 は、 陸 海 軍 相 互 の 対 立 と 軍 事 戦 略 の 分 裂 を も引 き 起 こ す こ と と な っ た 。 陸 海 軍 二 元 統 帥 と 軍 事 戦 略 の 分 裂1878 年 に 天 皇 直 隷 の 参 謀 本 部 が 設 け ら れ 、 軍 令 事 項 を 参 謀 本 部 長 の 専 管 事 項 とし 、 本 部 長 が 機 務 に 参 画 し て 親 済 を 仰 ぐ こ と( 惟 幄 上 奏 権) を 定 め 、 陸 軍 の 軍 政 、 軍 令 機 関 が 分 離 し た こ と は 先 に 見 た が 、 一 方 、 海 軍 で は1884 年 に 海 軍 省 の 外 局 と し て 軍 事 部 が 設 置 さ れ 、 海 軍 卿 の 下 に は じ め て 軍 令 専 掌 機 関 が 設 置 さ れ て い る 。 そ の 後 、1886 年3 月 に 参 謀 本 部 条 例 が 改 正 さ れ 、 参 謀 本 部 長 は 皇 族 を 充 て る こ と 、 そ の 下 に 陸 軍 部 、 海 軍 部 を 設 け る こ と と さ れ 、 参 謀 本 部 は 陸 海 軍 の 軍 令 を 管 轄 す る こ と と な り 、 こ こ に 軍 令 の 一 元 統 合 が 実 現 し た 。 次 い で1888 年 に は 参 軍 官 制 を 制 定 し 、 参 謀 本 部 長 を 参 軍 と 改 称 、陸 軍 部 、 海 軍 部 は そ れ ぞ れ 陸 軍・海 軍 参 謀 本 部 に 格 上 げ さ れ た が20)、89年 に は 早 く も 参 軍 官 制 は 廃 止 さ れ、 陸 海 軍 の 軍 令 組 織 が 参 謀 本 部 と 海 軍 参 謀 部 に 再 び 分 か れ て し まっ た 。 そ し て 海 軍 は 海 軍 大 臣 の 隷 下 に海 軍 参 謀 部 を 置 き 、 海 軍 大 臣 に よ る 軍 政 ・ 軍 令 の 一 元 化 を図 っ た 。 し か し 、 海 軍 力 の 増 大 や 、 大 日 本 帝 国 憲 法 の 施 行 に伴 う 国 務 と 統 帥 の 分 離 の 要 請 、 さ ら に は 、 当 時 、 藩 閥 政 府 に 対 抗 し て 発 生 し た 民 権 勢 力 は 軍 事 費 削 減 を 政 府 に 迫 っ て い た た め 、 軍 令 権 を 議 会 の 干 渉 外 に 置 い て 政 治 的 圧 力 か ら の 回 避 を 図 ろ う と い う 意 図 か ら 、 海 軍 は海 軍 省 か ら 独 立 し た海 軍 参 謀 本 部 の 設 置 を 提 議 し た(1893 年1 月) 。 だ が 、 陸 主 海 従 の 考 え 方 に 不 満 を 抱 く海 軍 に 対 し 、 陸 軍 は 二 元 統 帥 を 認 め る こ と に な る とし て こ れ に 強 く 反 対 し た た め、 事 態 を 憂 慮 し た 天 皇 の 命 に よ り 陸 海 軍 首 脳 の 間 で 協 議 が 重 ね ら れ た 。 そ の 結 果 、1893 年5 月19 日 、 海 軍 軍 令 部 条 例 が 制 定 さ れ、 海 軍 省 か ら 分 離 、 独 立 し た 海 軍 軍 令 部 が 設 置 さ れ 、 海 軍 軍 令 部 長 は 天 皇 に 直 隷 し 、 惟 幄 の 機 務 に 参 じ る も の と さ れ た。 と 同 時 に 陸 海 軍 の 不 統 一 を 回 避 す る た め戦 時 大 本 営 条 例 が 制 定 さ れ、 陸 軍 の 参 謀 総 長 が 平 時 に あ っ て は 陸 海 軍 全 軍 の 大 作 戦 を 計 画 す る も の と し 、 戦 時 に 大 本 営 が 設 け ら れ る 場 合 に は 参 謀 総 長 が 天 皇 の 幕 僚 長 と な り 、 海 軍 軍 令 部 長 は そ の 下 に あ っ て 指 揮 を 受 け る こ と と さ れ た( 第21898 年 海 軍 大 臣 に 就 任 し た 山 本 権 兵 衛 は、 陸 主 海 従 の 諸 規 定 改 正 に 強 い 熱 意 を 示 し た 。 折 か ら 日 露 戦 争 の切 迫 とい う 国 際 情 勢 も加 わ っ て 、1903 年12 月 、 よ う や く 陸 海 軍 両 大 臣 の 妥 協 が 成 立 し 、 山 県 ・ 大 山 両 元 帥 の 名 に よ っ て 戦 時 大 本 営 条 例 の 改 正 案 が 上 奏 さ れ た 。 改 正 案 で は 、 陸 軍 参 謀 総 長 と

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148 国際 地 域学研 究 第5 号2002 年3 月 海軍 軍 令 部長 はと もに惟 幄 の機 務 に協同 奉 仕 する もの とさ れ、 つい に海 軍 の悲 願で あっ た 陸 海 軍軍 令 機 関 の対 等 が明 記 さ れ、陸 海二 元 統 帥 が確立 す る22)。そし て、この二 元 統帥 の調 整 機関 とし て、同 時 に 軍事 参議 院 が設 置 さ れた。 以後 、 こ の体 制が1945年の 敗戦 まで続 く こ とにな る が、二 元 統 帥 の 悪弊 から、 最 後 まで陸海 軍 の 統一 的戦 争 指 導体制 は 確立 され る こ とはな く、天 皇 の 下 に2 人 の幕 僚 長 が 並立 す るこ とに なり、 陸 海軍 相 互 の不 信 と対 立 も解 消さ れ る こと はな かっ た。 し か も二 元 統帥 体制 の確 立 は戦時 にお け る作戦 指 導 の混 乱 を招 いた だ けで はな かっ た。 兵力 整備 に関し て も、 陸軍 と海 軍 は独 自の 道 を歩 み始 め るこ とに な る。 即 ち、 日露 戦 争直 後の1907年4 月、明 治天皇 に よっ て裁可 さ れ た「 帝国 国防 方 針」 にお い て、 陸 海 軍 そ れぞ れ の想定敵 国 が分 裂 す る事 態 とな って早 速 そ れは表 れた。1906年、 元 帥 山県 有朋 は、 陸 軍 中 佐 田中 義一 に国 防 方針 案 の策 定 を命 じ、 寺内 陸相 か ら原案 を受 領後 、 そ れ を もとに 「 帝国 国 防 方針 案 」 を起草 し、 同 年10月、 元 帥 とし て上 奏し た。 そし て こ れに基 づ き12月、 奥 参謀 総 長、 東郷 海 軍 軍 令部 長 に国防 方針 の策定 が 命じ られ、 陸海軍 の 協議 を 経て「帝国 国 防 方針」「 国防 に 要 す る兵 力 」「 帝 国軍 の 用兵 綱領 」 が策 定 さ れ、1907年2 月 に上 奏、4 月 に裁 可 さ れた ので あ る。 この 「帝 国国 防 方針」 の内容 は次 の よう な ものであ っ た。 「 国 防 を 策 定 せ ん とす る に は 、須 ら く先 ず我 敵 手 た る べ き も の を 想 定 す る を 要 す 。(略) 露 国 は明 治37 、8 年 の 敗 戦 後 、 国 内 の 大 紛 擾 あ る に も拘 ら ず 、 戦 役 前 に 於 け るよ り も 、 尚 優 勢 の 兵 力 を 極 東 に 配 置 し 、 且 営 々 とし て 海 軍 の 再 建 を 謀 り つ つ あ り 、 是 れ 他 日 機 の 乗 る ず べ きあ れば 、 報 復 戦 を 敢 て し、 満 鮮 に於 け る 我 利 権 を 侵 害 し 、 以 て 数 百 年 来 の 国 是 を貫 徹 せ ん と欲 す る も の に 非 ず し て 何 ぞ や。 故 に もっ と も近 く有 り得 べ き 敵 国 は、 蓋 し 露 国 な る べ し 。米 国 は 我 友 邦 と し て 、之 を 保 護 す べ き も のな り と雖 も 、地 理 、 経 済 、人 種 及 宗 教 等 の関 係 よ り 観 察 す れ ば 、 他 日 劇 甚 な る 衝 突 を惹 起 す る こ と な き を 保 せ ず 」。 「 右 の 如 く論 じ 来 る 時 は、 帝 国 の 兵 備 は 、左 の 標 準 に 基 づ くを 要 す 。陸 軍 の 兵 備 は、 想 定 敵 国 中 、我 陸 軍 の作 戦 上 、 もっ と も重 要 視 す べ き 露 国 の極 東 に 使 用し 得 る 兵力 に 対 し 、 攻 勢 を 取 る 度 とす 。海 軍 の兵 備 は、 想 定 敵 国 中 、 我 海 軍 の 作 戦 上 、 もっ と も重 要 視 す べ き米 国 の 海 軍 に対 し 、 攻 勢 を 取 る を 度 とす 」。 「 以 上 述 ぶ る 所 を 綜 合 す れ ば、 左 の 要 旨 に 帰 す。 甲 、 帝 国 の 国 防 は 攻 勢 を 以 て 本 領 と す 。 乙 、 将 来 の 敵 と 想定 す べ き も の は、 露 国 を 第 一 とし 、 米 、 独 、 仏 の諸 国 之 に 次 ぐ 」23)。 一 国 の陸 海軍 に おい て、 そ の主 た る想定 敵 国 が異な る とい うの は国 家戦 略 の分 裂以 外 の 何 もの で も ない 。 当 然、 こ の国防 方 針が 策定 さ れる段 階 にお い て陸 海軍 の 間 で激し い 議論 が交 わさ れた 。 陸 軍 を代 表 する山 県 は、陸 海 軍が そ れ ぞれ 想定 敵 を異に す るの は問 題あ り とし て、 国軍 とし て想 定 敵 国 の統 一 を図 る べ きだ とし て、 海軍 も従来 どお り、 ロ シア を想 定敵 とす る よう要 請し た が、 山 本 権 兵 衛海 軍 大将 はこ れ に反対 し 、海 軍 とし て 次 に備 え る べ き はア メ リ カ で あ る とし て 最 後 まで 譲 ら な か っ た のであ る。ロ シア を想定 敵 にせ よ とい われて も、ロ シア海 軍 は既 に撃 滅 さ れて お り、 存 在し ない 相手 を敵 に はで きない とい う のが海 軍 の言い分 であ る。 こ れに対 し アメ リカ はグ アム、 フィ リ ピ ン を占 領し てい るう え に、ハ ワ イ を併 合し てお り、 パ ナマ運 河 開通 も迫っ てい た。 両 洋艦 隊 とな る ア メリカ 海軍 を想 定し てそ れに 備 える 必 要 は高い とい うの が その論 拠 であっ た が、 もっ と も海 軍 も、 ロ シ アに代 わっ て アメ リカ が直 ちに 日本 の脅 威 に なる との切 迫感 を抱 い てい た わけ で は な く、

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西 川 :明 治国 家体 制にお ける政 治 と軍事 149 対 米戦 を 望 んでい た わけで もで もな かっ た。 むし ろ、 その本 音 は海軍 力整 備 の目 標 に米 海 軍 を選 んだ とい っ た ほう が適 切 であ る。し か も、 海 軍 は海 洋 を自 由航 行で き る世界 共 通 の戦 力 であ り 、艦艇 に はロ シ ア もア メリ カ もない 。米 海 軍 に備 えるか ら といっ てロ シ ア海軍 への備 え にな ら ない こ とはない とい う発 想が そ こ にはあ っ た。 また マ ハ ン流 の シーパ ワ ー論 を信奉 し てい た山 本 とし て は、 海 軍力 の 整備 こ そが 覇 権国家 へ の道 を約 束 す るもの と確 信し てい た ので ある。 裁 可さ れた「国 防 に要 す る兵力 」 に よ れ ば、 「 海 軍 : 帝 国 国 防 方 針 に 従 い 、 海 軍 用 兵 上 最 重 要 視 す べ き 想 定 敵 国 に 対 し 、 東 洋 に在 て 攻 勢 を 取 ら ん が 為 に は、 我 海 軍 は常 に 最 新 式 、 即 ち最 新 鋭 な る 一 艦 隊 を 備 へざ る べ か ら ず 。 而 し て 其 兵 力 の 最 低 限 は 、左 の 如 くな る を 要 す 。 戦艦 凡2 万 屯8 隻 装 甲 巡 洋 艦 凡1 万8 千 屯8 隻 」2'l) つ まり、海 軍 は戦艦8 隻 、巡 洋 艦8 隻 のい わ ゆる八八 艦 隊 の整 備 を決 めた のであ る。 海軍 は、 対 米 戦 は避 け なけ れ ばなら ない と考 えつ つ も、 自 らの軍事 力 整備 の拡充 を はから ん んが た めにア メ リ カ を想定 敵国 にし た ので あっ た。 ここ に、国 軍 思想 は「 南守 北 進」 と「北 守 南 進」に分裂し 、以 後、 陸 軍 はロ シ ア(北 進)、 海 軍 は ア メリ カ (南進) とそ れぞ れが 異 な る思想 を 抱 くこ とに なっ た。 敗 戦 まで、 こうし た 思想 の不 統一 が統 合 さ れるこ と はな く、 また そ れだ け の力 を 持っ た国家 機 関 も なか っ たので あ る。 早 く も日 露戦 争直 後 に、 その後 にお ける 日本 の軍 事 的 自滅 の 要因 が存 在し てい た の であ っ た。 陸軍 と海 軍が 史上 初 めて とい わ れる統 合作 戦計 画 を打 ち 出し たの は、 実に 敗戦 直 前の1945年1 月の 「帝 国陸 海軍 作戦 計画 大 綱」、つ まり本土 決 戦計 画で あ っ た。も はや北進 も南 進 もな く、本土 が 戦場 となりつ つあ っ た か らで あ る。 東 条 が遺 言 に残し た軍 事 問 題 に関 す る最後 の 言葉 は「 我 が国 従 来 の統帥 権 独立 の思 想 は確 かに 間違っ てい る。 あ れで は陸海 軍 一本 の行 動は採 れ ない 」 とい う もの であ っ た。 天皇 親政 主義 と立憲君 主 主義 の乖 離 大 日本帝 国 憲法 にお け る統 治 の原理 は天 皇親 政 であ り、 天皇 に形 式 上 全 ての 権力が 集 中 する体 制 で あっ た。 こ れは権力 中 心に 位置 す る 唯一 絶対 の存 在(天 皇) によ っ て統合 さ れ るとい う構 図 であ り、 各大 権 の間 に阻誤 や対 立 が生 じ た 時 に は、 そ れを調整 し 得 る機 関 は天皇 以 外 に明文 上 は存 在し ない 。 し かし 、「天皇 の 大権 を行 う は独 裁専 断 に 依 るに非 ず、 必 ず臣 僚 の補 翼 に よる」(美濃 部 達吉 「 憲 法提 要」)との見 解 に代表 さ れ るよ う な憲 法機 関 が当 時 の慣 例 、 運用 で あ り、 特 に大 正期 以 降 は天 皇 が 積極 的 に統 合調整 機能 を果 た す とい う こ と は例 外的事 態 とな り、 臣 下 の合 意し た政 策 に天皇 が 真 正面 から反 対 する こ と も同 様 に異 例 なこ とであ っ た。 天皇 は中 空構 造 とい う 歴史 的風 土 に よっ て集 権 的 な権力 行 使を行 うこ とを求 めら れて はい なか っ たので あ る。 こ れ を理論化 し た もの が美 濃部 達 吉 の 天皇 機関 説で あ り、大 日 本帝 国 憲法 の“ 密教 ” と も呼 ば れ る部 分 で あ る25)。

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150 国 際地 域 学研究 第5 号2002 年3 月 こうし た 乖離 は、 天 皇親 政主 義 と天 皇 超政 主義 の折 衷が もた らし た 産物 で あ る とと もに、 憲 法 規 範等 まず西 欧 に基 本 とな るモ デ ル を捜し 求 め、 そこ に日本 的 意思 決定 システ ム の特性 を継 ぎ接 ぎし よう とし た こ との結果 で もあっ た。 こ の シス テムに おけ るイ デ ア・ 規範 (建 て前 ) と運 用 にお け る 現 実 (本 音) のズレ は、 日本 社 会 にお いて し ばし ば存 在す る傾向 で あ り、 こ れが例 えば、 一 方 で 法 律 を国民 生 活 に とっ て真 に身 近 な もの とす るこ とを妨 げ続 け、 他 方で は、 日本 的 社会 シス テ ムの 不 明 瞭 さ とし て諸 外国 の懐 疑 と批 判 を招 く要因 ともな る。 それ はさ てお き、 こ の明 治 憲法 に お け る規 定 と現 実的 慣 行 の矛盾 を 結果的 に 埋 め わせ るさせ る こ とにな った の が、元 老 とい わ れた 非 公式 集 団 だっ た の であ る。 日 露 戦争 以 後、 日本 も西欧 列強 と同 様 に 植民地 に恒 常的 に軍隊 を駐 留 さ せる よ うに な る と、 植民 地 経 営が 国家 政策 の上 で 大 きな比 重 を占 める こと とな り、平 時 にお い て も国 家 の基 本 方針 や 戦 略 が 軍 隊 の意向 を無 視し て決 定で きな い ように な る。 そ こで 、天 皇 の みが国 務 と統 帥、 国 務大 臣 間 お よ び陸 海 軍 の統 合 機能 を保 有 す る といっ た体 制 と、 天 皇自 ら が積 極的 に 統合 機能 を行 使 し ない とい う 慣例 、 運 用 との 間隙 を埋 めるた め、 各 種 機関 の設置 ・活 用 が必 要 となっ て き た。 そ の一 つ は枢 密院 であ っ た。1888年4 月30日の枢 密 院官制 と枢 密院事 務 規程 の 公布 に よっ て設 置 さ れ た枢 密 院 は、大 日本 帝 国憲 法 第55条 に よる と「 枢 密顧問 は枢 密院 官制 の定 む る所 に より天 皇 の 諮 詞 に応 へ 重要 の国務 を審議 す」 と あり、 内 閣総理 大臣 お よび 各 国務 大臣 とと もに大 日 本 帝国 憲 法 に明 記 さ れた天 皇 の諮問 (諮詞 ) 機関 で あ る。 従 って 、国務 に関 す る重 要な事項 に つい て は、 枢 密 院 へ諮 問し て、 天皇 の政 治 的判 断 が下 さ れ る こととな る とい うの が大 日本 帝国 憲 法下 の明 文 上 の 体 制 で あ る。 し か るに、 実際 に は枢 密院 が そ の よう な機 能 を発揮 する こ とはな く、 枢密 院 の顧 問 官 は 後 に 名誉 職的 な もの となっ た。 次 に1898年1 月 に設置 さ れ た元 帥府 だ が、 こ れは「 元帥 府 に列 せ ら るる陸海 軍 大将 に は、 特 に 元 帥 の称 号を賜 ふ 」(元 帥 府 条例第1 条 )、「 元 帥府 は、 軍 事上 に 於 いて 最高 顧問 とす」(同 第2 条 ) と あ る よ うに、 陸海 軍 の枠 を越 えて 軍事 上 にお ける天 皇 の最 高顧 問 とし て 機能 する こ とが 求 め ら れた が 、一 定 の法律 上 の職務 はな く、 定期 的 に会 議を 開く こ と もな かった。 最初 に元 帥府 に 列せ られ た 陸 海 軍大 将 は、 陸軍 か ら は小松 宮彰 仁 親王 、 山県有 朋、 大 山厳 の三 大 将、 海軍 か ら は西郷 従 道 で あ り 、 ま さに、 軍 部の 実力 者 とし て 天皇 の最 高 顧問 にふ さ わし く、 ま た軍 の中 にお いて 絶大 な 権 威 を 有 し、 あ た か も軍 におけ る元 老 の よう な地 位 であっ た。 し かし 、昭 和期 に入 る と、 皇 族 や長 老 の 優 遇 という 意味 に変 質し 、 軍事 問題 に対 す る統合 とい う 意味 に変 質 し、 軍部 にお け る強力 な統 合 調 整 機能 は次 第 に失 わ れてい っ た。 さ ら に軍事 参 議院 だ が、 こ れは重 要軍 務 の諮詞 に 応じ る場 (軍事 参議 院 条例 第1 条 )で 、 諮 詞 を 待 っ て 参議会 を開 き、 天 皇 に意 見 を上 奏 する (同 第2 条)機 関 で あり、 枢 密院 と比 せ ら れ る もの で あ る。 元 帥、 大臣 、総 長 お よび専 任 の 軍事 参議官 から構 成さ れ、 従っ て前3 者 は その 職責 上 あ る程 度 統 帥 に関し 天皇 の補 弼 に責 任 を有 す る者 であ るた め、 軍事 参 議院 が機 能 する に は専任 の 軍事 参 議 官 の任 命 に大 き な比重 が か かる こ と となっ た。だが、こ れ も枢 密 院顧 問官 と同 じ く名 誉職 化 し て いっ た。 陸海 軍合 同 の軍事 参 議会 が 開 かれ る こと は希 で あ り、 当 初期 待 さ れてい た陸 海 軍 の統 合 調 整 機

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西 川 : 明 治 国 家 体 制 に お け る 政 治 と 軍 事 151 能 は果 たせ な かっ た( 陸海軍 の う ち一 方 に 係 る事項 につい て は、陸 海 ど ちら か一 方 の軍 事 参議 会 を 開 くこ とが可 能 であ り、 事 実そ れ はし ばし ば開 か れた)。 こうし て、 内閣 、 参謀 本部、 軍 令 部 を はじ め、 枢密 院、 軍事 参 議会 等 々 天皇 の顧問 あ るい は補弼 機関 のい ず れ もが 天皇 大権 の代 行 機 関足 り え ず、 これ らの 特定 機関 が 他 の機 関 の統 合調整 を 行う こ とも な く、 大 日本帝 国 憲法 体制 の 統合 機 能 不足 は非 公式 また は超 法規 的 な存 在に よっ て埋 めら れね ばな らなか っ た。 そし てそ の機 能 を担 っ た のが明 治後 半∼ 大 正期 にお け る元老 とい わ れる 集団 であ り、 彼 ら は次期首 相 を決定 し た だ けに留 ま らず、 国家 存立 に か かわ る重 要 な問 題 に対 し て あ る程度 の統 合調整 機 能 を果 たし、 憲 法上 の 要 請で あ っ た政治 と軍 事 (統 帥) の二元 制 に基 づ く対立 問題 に つ い て も元 老 が介 入し て、 解 決 に導 い たの であ っ た。 4 非 公 式 シ ス テ ム と し て の 元 老 政 治 元 老 を定義 すれ ば、明 治 維新 か ら大 日 本帝 国憲 法の制定 によ り一 応 の完 成 を見 た日本 の国家 体 制 成立 に貢 献 を なし、 そ の権力 基盤 が確 立し た後、 非公 式 ポ スト た る天皇 の 政治 的 顧問 とし て、 そ の 下問 に答 え、 天皇 の大権 行使 に 大 きな 影響 力 を行 使 する よ うに なっ た政 治家 ( 集 団)で あ る。1889 年II月 に伊 藤博文 と黒 田 清隆 に 元勲 優 遇 の詔 勅 を与 えた の を皮切 りに、 その後 、 山県有 朋、 松 方正 義、 井上 馨、 西 郷従 道、 大山 厳 の5 人 を加 えて、 明治 期 にお け る元 老 集団 が形 成 され た。 さら に、 桂太 郎、西 園公 望 の2 名 が 大正 初期 に元 老 に列 せ ら れた。し かし そ れ以 後、元老 の補充 は なさ れず 、 上 記 各元 老 の死 去に 伴い、 日 本 政治 か ら やが て完 全 にそ の姿 を消 し てい くので あ る。 日 本史 上、 彼 ら元老 が 活躍 し た時 代 は、 第一 次桂内 閣 の誕 生 (1901年 ) から 最後 の元 老 であ る西 園寺 が死 去 (1940年 ) する まで の約40 年 間で あっ た。 そ れ以 前 にお い て は、 明 治 維新 の功 労者 (元 勲) 自身 が総 理 大臣 の座 を占 め、国 家 意志 の最終 的 な統合 調 整 は基 本的 に は 未だ 内閣 におい て行 わ れ てい た。 こ のうち 、第 一 次松 方内 閣以 後 にな る と、 次期 首 相 の任 命 につ いて 天皇 が伊 藤、 山県 、 松 方 、井 上、 大 山、 黒田 、西 郷 の7 名 に下 問 す る ように な るな ど、 後 の元 老政 治 シ ステ ムの原形 が 形 作 ら れて いっ たが 、 内閣総 理 大臣 は依 然 とし て元勲 の う ちの一 人 が 就任 して お り、政 府 と元 老 と は 未分離 の状 況 にあ っ た。 だ が、 第四 次 伊 藤内 閣 の総辞 職 に伴 い桂 太 郎が 総理 大臣 に就 任。 この こ とは、 維新 の元 勲 とい わ れた政 治家 が 第 一線 を退 き、 桂 及 び西 園寺 に 代表 さ れる 次世代 の政 治家 に 政 権 を担当 さ せる こ とを意味 し た。 そし て こ れ以 降、 元 勲 は総 理大 臣 な ど憲 法 に定 めら れた 政府 の 公 的地 位 を占 める こ とは なく、 純 然 たる 天 皇 の最 高政 治顧問 (元老 ) とし て、 い わ ば大 御所的 立 場 か ら政 治 に関与 す る こ ととな る。 日露 戦争 :元 老集 団 の戦 争指 導 日露 戦争 は、国務 を担当 す る内 閣 と戦 争 遂行 お よび 統帥 を担 当 す る大 本営 、 そし てそ の両 者 を元 老 集団 が 統合 す るこ とで、 比 較的 理 想 に近 い戦 略 指導 が なさ れた 例で あ っ た。 日露 の関 係が 緊迫 の 度 を深 めてい っ た1903年以 降 、対 露 政策 決 定 のた め に元老 会 議が 頻 繁 に開 か れる よう にな る。 当時 存 命中 の元 老 は、 伊 藤博文 、 山形 有 朋、 松 方正 義 、井 上馨 、 大 山厳 の5 人 であ っ た(大 山 厳 は当時

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152 国 際地 域学 研究 第5 号2002 年3 月 参謀 総 長で あ った が、 元老 の 資格 で 参加 し、 参謀 総長 とし て の発 言 をす る こ とはな かっ た とい わ れ る。ま た桂首 相 お よび西 園 の両 名 は まだ元 老 に列せ ら れて いな い)。も ゛J)ともヽ元 老 だ け の会議 は ほ と ん ど開 か れ ず、 元 老 と内閣 の主 要閣 僚 (桂首 相、 寺内 陸 相、 山本 海 相、小 村 外相 、 曽禰 蔵 相 ) と の連 絡会 議 、もし く は桂 首 相が 政府 側 を代 表し て元 老 に意 見 を聴 く という 形式 が ほ とん どで あ っ た。 開戦 に至 る経緯 はこ こで は触 れな い が、主 戦論 に立 つ 参謀 本部 と慎重 論 の元老 との間 に意 見 の隔 た り があ っ た。 だが、 政 府 と元 老 との 合同 会議 もし く は首 相が事 前 また は事 後 に元 老 の承 認 を得 る とい う形 で 対露 方針 は決定 さ れ、 対外 政 策 の方針 は政府 お よび 元老 が 決定 す る とい う 格好 が守 ら れ た。 陸軍 を中 心 とす る軍部 が表 面 に立 っ て、 国政 を引 っ張 っ てい き、 ともす れ ば二重 外 交 とい わ れ た よう に、 陸海 軍 統帥 部 が表 に 現 れて こな いこ とは、昭 和 期 の戦 争指 導 と比 べて 軍部 に対 す る政 治 側 の優 位 が保 た れてい た から で あ る。 但し 、元老 といっ て も、大本 営 会議 に おけ る軍部 の 決定 に関 与 で きる元 老 は、現 役 の陸 軍大 将(元 帥 ) で ある 山形 有朋 の みで あり ( もう一 人 の現 役の 陸軍大 将 大 山厳 は日露戦 争 開始 当時 は参 謀総 長 で あ り、 その資 格で 大本 営会 議 に列 席、 後 満 洲軍総司 令 官 とし て大 陸 に赴任 し た た め、 元 老 会議 等 へ の 参加 は不 可能 で あっ た)、陸軍 に 関 す る決定 はす べて 山県 と内 協 議 を経 た後、山県 、首 相、陸相 、 参 謀 総長 、 次長 の定 例会 議で 決 定 さ れ、海 軍、 外交 、財 政 に 関す る もの は、 それ ぞ れの 機関 との 調 整 を経 て、 大本 営会 議 の場 に提 出 す るこ と が通例で あっ た。 海 軍 に関 し て は、 元 老で あっ た西 郷 は 既 に 死 去し て いた もの の、 当時 の海 軍 大臣 山 本権兵 衛 が海軍 部 内 にお け る指導 権 を確 立 し、 戦 争遂 行 に関し て部 内 をよ く統率 して い た。 講 和 に関 し て も、昭和 期 の陸軍 と は異 なり、山県お よび大 山 の二人 の軍人 出身 の 元老 が部 内 の統 率 力 を発 揮し 、 陸軍 の独走 を抑制 し た。 具 体的 に は、1905年3 月 の奉 天 会戦 の勝 利以 降、 日本 陸軍 の 戦 争 継 続能力 が限 界に達 する と、 当時 の 参謀 総長 であ っ た山 県 は、 政 府主 要 閣僚 に対 し て 、戦 争 の 前 途 は憂 慮 す べ き状 況 にあ ると の意 見書 を出 し、 ま た、満 洲軍 総司 令 官 であっ た 大山 も同 様 の認 識 から 、 講和 を 促進 す べき とい う意 見 を出し 、 児玉満 洲 軍総 参謀 長 を東 京 へ派遣 し た よう に、 むや み に戦 争 遂行 を叫 ぶ こ とな く、 陸 軍 お よび 日本 の国力 を冷静 に見 極 めた う えで戦 争 指 導に あ たっ て い る。講 和 条約 の締 結 に際し て も、1905年3 月 か ら14回 にわ たり 首相 と元老 が会 合 を重 ねた ので あ る。 こ うし て、 元 老 の存 在が国 務 と統 帥の対 立 を纏 めあ げ る上 で有効 に機能 し た こ とが、世 界 の予 想 を裏 切っ て こ の戦争 を 日本有 利 の う ちに終 結 し得 た大 き な要因 で あっ た。 元老 とは、 自 ら の若 い と きの 経験 に基 づ き、 そ の一 身 にお いて 政 治家 であ る と同 時 に軍 事専 門 家 とし ての デ ュア ル な思 考 発 揮 が で きた人 材 であ っ た。 その 一 身 に同 質 性 を具有 す る彼 ら は維新 の 指 導者 とし て、 自分 たち が 作 りあ げた新 生 日本 の限 界 を身 を もって 実感 し ていた。組 織が すっ か り固 まり 、組織 の論 理 に縛 ら れ、 或 い はそ の代 弁 者 とな るこ とに よ って の み栄 達が保 障 さ れる、 セ ク ショ ナリズ ム に毒 さ れ た昭和 期 の行 政官 僚 や軍人 官 僚 など と は違い 、 組織 の虜 に な るこ と もなかっ た。 彼 ら の行動 原理 は官 僚 の そ れで はな く、 組 織 の論理 より も国家 の観点 と論 理優 先 させ る もので あっ た。 日 露戦 後の 満洲 経営 日 露戦 争 の戦 争指 導 におい て 、政 府 と元 老 の連携 が効 を奏 し、 また、 軍部 も戦 争 指 導に 際し て表

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西川 :明 治 国家 体制 におけ る政治 と 軍事 153 だ っ て政府 の方針 に反対 する こ と はな かっ た。 戦 争終了 後、 朝 鮮半 島 にお け る以 前 から の日本 の権 益 を確 保 し、 さ らに南 満洲 は日本 の 勢力 下 に置 かれる こ と となり 、 こ こに大 陸で の本 格的 な植民 地 経 営 とい う新 た な課題 が我 が国 政 治 上 に大 き なウ エ ート を以 て登場 す るこ とに な る。 そして、 自分 た ち が軍事 力 の みで勝 ち取 っ た領 土 で あ る との軍部 の誤 謬 意識 か ら、 外 地運 営 のあ り方 を軸 に、以 後 軍部 の政治 へ の干渉 及 び軍部 の政 治権 力 化 が急 速に 進 み、 陸 軍 の満 洲 経営 に対 す る発 言力 が 次第 に大 き くな り、 政 府 の抑制 が効 かな く な る事態 が発生し 始 め る よう にな る。 そ もそ もポー ツマ ス条約 の追加 約 款 で は、 日露 両軍 は18ヶ 月以 内 に満 洲 から撤 兵 す るこ とに なっ てい た。 だ が、 日露戦 争後 、 日本 陸 軍 は部 隊 を南 満洲 に駐留 させ た ままで撤 兵 せ ず、 逆 に締 結後 、 日本 は関 東総 督( 陸軍 大将 大 島義 理 昌 総督) を新 設し、 その指 揮 下 に2 個師 団約1 万 人 の兵力( 後 の関 東軍 の前 身) を満洲 に駐 留 させ る とと もに、 陸軍 は各 地 に軍 政署 を設 け軍政 を敷 く姿勢 を取 り 始 め るよう にな る。 そ もそ もロ シ アに よる満 洲 独占 に反対 し、 その 機会均 等 ・門 戸 開放 を主 張 して 英 米 と提 携 す る形 で戦 争 を戦 っ て きた 日本 で あ るか ら、 清国 及び 英米 両 国 か ら もこうし た日 本 の独 占閉 鎖的 な 態度 に対し 抗議 の書簡 が 寄 せ ら れて いた。 そ のた め、 南 満洲 で の軍 政 を継 続さ せ、事 実 上満 洲 の独 占 を図ろ う とす る陸軍 の行 動 を憂 い た伊 藤博 文 は各元 老 の了 解 を取 り付 け、「満 洲問 題 に 関 す る協 議 会」 を開 催さ せ、 児 玉 源太 郎 参謀 総長 を筆 頭 とす る陸 軍 の独 走 の歯 止 めを かけ よう と す るので あ る。 当 時 の日 本の 政 治状況 は、 日 露戦 争 終 結後 の1906年1 月 に第一 次 桂 内閣 か ら第一 次 西園寺 内 閣 に なっ てお り、当時 の外務 大臣 加 藤高 明 は門 戸 解放 論 に傾 き、 満洲 の 軍政 継 続 を希望 す る陸軍 と対 立 し た。同 年2 月11日加 藤 外相 は伊 藤 博 文 を訪 ね、こ の問 題 を訴 えた が、彼 の日 記 に は、「数 個 の件 に 関し て 侯( 伊 藤博 文) と議 す。 就中 、 最 も重 要 な るもの は陸軍 側 の 満洲 門戸 解放 政 策 に対 す る態 度、 即 ち其 主義 が全 く陸 軍 側に よっ て無 視 さ れ てい る ことで あっ た」と記さ れてい る。 さ ら に同 月16日 、 加 藤 は「伊 藤 侯の 招 きに依 り大 磯 に赴 く。 山県 、大 山、 西 園寺 の三 侯、 児 玉大 将( 当 時参 謀総 長) お よび井 上伯 も亦 会 す。 南 満 に於 け る陸軍 側 の 態度 に関 し、 半 日間 を論 議 に費 や す。 数件 は解 決 し たが、 他 の すこぶ る重 要な 案件 は、 児 玉 大将 が 熱 心に主 張 す る為 に解 決 す るこ とが出 来 なかっ た 」( 大 磯 秘 密会談)。結局 、加 藤外 相 は 鉄道 国有 化 問題 を表 向 き の理由 にし て、3月 に外 相 を辞 任 す る。 加 藤 外 相辞任 後 の4 月、 西 園寺 首相 が 満 洲 を隠 密裡に 視察 し、 そ れ と入 れ替 わる よう に伊藤 朝 鮮 統 監 が朝 鮮 から日 本 に帰国 し てい た。「 日本 の軍部 は、露 国 占領 当時 より も満 洲 の門戸 を閉 ざし て い る。 か かる事 情に 対し 、米 英 両国 厳 重 な抗 議 を提 出した 。宜 し く統 監 の善 処 をお 願い し たい」 との 駐 日英 国 大使 マ クド ナルド か ら の書状(3.31付) を伊 藤 は既 に受 け取 っ てい た が、一 方 で、 満 洲問 題 につ いて は 実行 に関し て軍 部 と外務 省 との 意見 が あわ ず、 そ のた め外 国 に対 す る回答 も遷延し 、 外 国 側 の疑 惑 を招 く虞 があ り、 西園 寺首 相 の満洲 視 察を伝 え た山 県 の書 状 も届 い てい た。 こ の ような 状 況 の中 で、 満洲 問題 の 解決 に元 老 伊 藤博 文 が乗 り出し た ので あ る。 伊 藤 は、西 園寺 首 相の帰 国 を待 っ て 西園 寺首 相 に「満 洲 問題 に関 す る協 議 会」 を 開催 させ た。 同 会 議 は5 月22日首 相官 邸 にお い て開 か れ た。 出席 者 は伊 藤( 朝 鮮 統監)、 山県( 枢密 院 議長)、 松 方( 枢 密院 顧問 官)、 大 山、井 上 の各 元 老 、西 園 寺(内閣総 理 大臣)、 寺 内正 毅(陸軍 大臣)、 斉 藤実(海

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154 国 際地 域学 研究 第5 号2002 年3 月 軍 大臣 )、 坂 谷芳 郎 (大蔵 大臣 )、 林 董 (外務 大臣 ) の各 大臣 、 陸軍 大将 桂 太郎、 海 軍大 将 山 本 権兵 衛、 参謀 総長 児玉 源 太郎 の13名 であ っ た。 会議 冒頭、 伊 藤 は演 説 を行っ た26)。 「(満 洲に軍政 を敷き欧州諸国 に満 洲の 門戸 を閉鎖し てお り) かかる状態 にて は、 列国の物議 を醸し、 ひい ては朝 鮮の安 定 に悪 影響 を招来す る虞 が大であ るので、自 分の職責 として も等 閑に附し 得ない。( 中略)清国側 の官民 の 不満 は憂慮せ ざるを得ない。若し 今日 のま まに放任した ならば、た だ北 清の みば かりでな く、21省の人心 は、 終 に日 本に反抗 するに至るであろ う」。 ま ず 自 ら の 情 勢 認 識 を 述 べ 、 さ ら に 伊 藤 は 続 け た 。 「( 中 略 )今 日 露 国 か ら 譲 渡 さ れ た も の を 保 持 す る の は当 然 で 、 何 人 も意 義 を 挟 む 筈 が な い 。 然 る に 実 際 の 事 実 は、 此 範 囲外 に 出 つ つ あ る の だ 。 軍 政 署 の 綱 領 な る もの を見 る と 、若 し 之 を 実 施 し た なら ば、 清 国 人 の 活 動 す る 余 地 は さ ら に 無 い 。 否 、 領 事 と い え ど も活 動 す る こ と は で き ぬ。( 中 略 )余 は こ こ に 直 言 し た い こ と が あ る。( 中 略 ) 軍 事 当 局 者 は 、 撤 兵 期 間 は18 ヶ 月 で あ る か ら 、 明 年4 月 まで は 戦 時 中 と同 様 、 軍 事 的 措 置 を とっ て 差 し 支 え な い と の 解 釈 だ そ う であ る。 此 の 解 釈 に 基 づ き 、 或 い は種 々 なる 事業 に 着 手 し 、 或 い は租 税 を 徴 収 し て 居 ら る る よ う で あ る。(中 略 ) 如 此 解 釈 を 取 ら る る の は 、 余 の甚 だ 了 解 に苦 し む と こ ろ で あ る。(後 略 )」 か よ うに伊 藤 が満 洲で 排 他的 に軍 政 を行 う 陸軍 に対 す る不信 を 露にし た後 、 各 出席 者 の討 論 が 始 まっ た。 当 然、 伊藤 と児玉 参謀 総長 との対 立 がこ の会議 の中心 とな る。 児 玉 は、 現地 の状 況 は伊 藤 が 指摘 する ほ ど悪化し てい ない と反論 す るが、 こ れに伊 藤 が怒 り を顕 に する。 伊 藤 統 監 :「( 前 略) 一 言 児 玉 大 将 に 注 意 し た い 。 軍 人諸 君 の 職 権 に 関 す る事 であ る か ら、 勿 論 余 が 冗 弁 を 弄 す る も の と し て 御 聞 取 り 願 い た い。(中 略)名 は 軍 政 署 で あ る が 、其 実 は 純 然 た る民 政 庁 で あ る 。殊 に 施 政 の 方 針 を 云 々 し 、 満 洲 を目 す る に新 占 領 地 を以 て す る が 如 き は 、 徹 頭 徹 尾 、 軍 政 以 外 に 進 出 し て 居 る も の と 言 わ な け れ ば な ら ぬ 」。 児 玉 参 謀 総 長 :「 余 は 最 近初 め て此 書( 満 州 軍 政 実 施 要 領) を 手 にし た の で 、 一 読 此 の 不 穏 当 な る こ と を 感 じ 、 直 に関 東 総 督 の 注 意 を 促 し て 置い た 。 此 の 如 き規 定 は 領 事 が 赴 任 す れ ば 、 凡 て 無 用 に 帰 す る で あ ら う 」。 児 玉 が よう や く軍政 要領 の 問題 を認 め、 領事 がく れ ば問題 は解決 す る と述 べ たが 、伊 藤 はこ れ に 対 し て も反 論 を加 え る。 伊 藤 統 監 :「 領 事 は 人 民 の 保 護 者 で は な い 。( 中 略 )人 民 保 護 の 権 は、 宜 し く 之 を 清 国 に 譲 ら な け れ ば な ら ぬ 」。 ( 中 略 ) 寺 内 陸 軍 大 臣 :「( 前略 ) 要 す る に 、 中 央 に 於 い て は平 時 の思 想 で 凡 て立 論 し 、 彼 の地 に 於 い て は 戦 時 の 思 想 を 抱 い て 行 動 す る か ら 、 種 々 の 問 題 が 生 じ て来 る の で あ る。( 中 略 )従 来 関 東 総 督 は 戦 時 命令 に し た が っ て 行 動 し た の で あ る が 、 平 和 克 腹 の 今 日 は之 を 平 和 の状 態 と符 合 する よ う に 改 正 す れ ば よ い の であ る 。 即 ち、 従 来 は 単 に参 謀 総 長 の 命 令 に 従 っ て 専 ら 軍 事 的 に 行 動 し た の で あ る が、 今 後 は 之 を 更 め、 日 本 政 府 の代 表 者 とし て 行 動 せ し め な け れ ば な ら ぬ (中 略 )」。 林 外 務 大 臣 :「 凡 て 平 時 の精 神 で 事 を 処 理 せ ね ば な ら ぬ。 さ う で な け れ ば 、 条 約 を履 行 す る こ と は 出 来 ぬ 」。 ( 略 ) 山 県 枢 密 院 議 長:( 児 玉 に向 か い )「 自 分 自 ら が 内 閣 総 理 大 臣 の地 位 に あ る 心 得 で 、 万 事 を 処 理 し て も らい た い 」。 山 本 海 軍 大 将 :( 児 玉 に 向 かい )「 私 も山 県 侯 の 意 見 に同 意 で あ る ( 後 略 )」。

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西 川 : 明 治 国 家 体 制 にお け る 政 治 と 軍 事 155 伊 藤 統 監 :「 余 の 希 望 す る 所 は 、 外 交 方 面 と 軍 事 方 面 と が、 互 い に符 合 す る 施 設 を 為 す こ と で あ る 」。( 略) 児 玉 参 謀 総 長 :「 南 満 州 は 将来 我 が 国 と 種 々 な る 関 係 を 生ず る。其 内 に 於 い て 軍 事 は も っ と も簡 単 で あ る 。何 故 な れ ば、 明 年4 月 以 降 に至 れ ば 鉄 道 守 備 隊 を 残 す の み と な る か ら で あ る。 け れ ど も満 州 経 営 の 上 か ら 見 れ ば 、 将 来 種 々 な る 問 題 が 発 生 す る 事 で あ ろ う。 而 し て 是 等 の問 題 が 一 度 内 地 に 移 れ ば、 各 省 個 々 別 々 の主 管 と な っ て 取 扱 い 手 続 き は 実 に 煩 雑 極 ま る もの と な る 。 日 本 の 勢 力 を 扶 植 し て あ る 南満 州 の開 港場 は 、 漢 口 と か 上 海 と か と 異 な る の は 言 う まで もな い 。 故 に 満 州 に於 け る主 催 を 、 誰 か一 人 の 手 に委 ね 、 前 陳 し た や う な煩 雑 な る 事 務 を ー 箇 所 に ま と め て 、 一 切 を 指 導 す る 官 衛 を新 た に 組 織 し ては ど う で あ ら う 」。( 略) 伊 藤 統 監 :「 余 の見 る所 に 依 る と、児 玉 参 謀 総 長 等 は 、満 洲 に 於 け る 日 本 の 地 位 を 、根 本 的 に誤 解し て 居 ら れ る や う で あ る。 満 洲 方面 に 於 け る 日 本 の 権 利 は 、 講 和 条 約 に依 っ て 露 国 か ら 譲 り 受 け た もの 、 即 ち 、 遼 東 半 島 租 借 地 と 鉄 道 の外 に は 何物 も無 い の であ る 。 満 洲 経 営 と い う 言 葉 は、 戦時 中 か ら我 が 国 人 の 口 に し て居 た所 で 、 今 日 で は 官 吏 は 勿 論 商 人 な ど も切 り 満 洲 経 営 を 説 く け れ ど も、 満 洲 は 決 し て 我 が国 の 属 地 で は な い 。 純 然 た る 清 国 領 土 の 一 部 で あ る。 属地 で もな い 場 所 に 、 我 が 主 権 の 行 は る る 道 理 は無 い し 、 従 っ て 拓 務省 の や う な も の を 新 設 し て 事 務 を 取 扱 はし む る 必 要 もな い 。 満 洲 行 政 の 責 任 は 宣 し く清 国 に 負 担 せ し め な け れ ば な ら ぬ 」。 こ うし たや り取 り を見て もわか る よ うに、 満 洲 にお ける 日本 の 権益 独占 及 び軍 政継 続 を めざ す陸 軍 (児 玉 参謀総 長 )に伊 藤 が抑 制 を か け、 他 の元老 も伊 藤 の方 針 に反対 し な い とい う態度 を取 っ て い る。 陸軍 の 大御 所で あ る山県 の 態 度 も、 陸軍 と外務省 との調 整 不足 が直 接 の 原因 であ る との見 方 で あ り、寺 内 陸軍 大臣 の態 度 に近 く 、表 だ っ て は伊藤 の方 針に 反対 し てい な い。 山本 海 軍大臣 は、 「 軍 は政 治 に従う べし 」 との 方針 で あ っ た。 結局 、 陸軍 が孤 立 する とい う構 図 に なり 、伊 藤 ら文 治 派が勝 利し 、 関 東総 督 の機 関 を平 時 組織 に する こ と、軍 政署 を順 次廃 止 す るこ とが決 定 さ れ、軍政 継 続 は解 消 させ ら れた。 こ の段 階で は 陸軍 の外地 で の 独走 を抑 える だ けの力 が 元老 集 団 に は残っ てい た ので あ る。 だ が、元 老 とい う重 石 が な くな る と陸軍 が 独自 の大 陸 経営論 を もっ て政 府、 外務省 と公 然 と対立 し始 め る。 また、 南 満洲 の 経 緯 に 関し て は、天 皇直 隷 で あっ た総 督 府 が廃 止 さ れ、代 わっ て外 務 大臣 の 指揮 を受 け る関東 都 督府 制が 敷 か れたが 、総 督 の大島 大 将 は代 わ らず 、以 後 の満 洲経 営 は都 督府 、 満 洲鉄道 、 領事 館 の三頭 政 治の様 相 を呈し 一 元性 無 き もの と な る27)。 大 正期 の 政治 と軍 事: 同質 性 の消 失 と元 老 シ ステ ムの 動揺 藩 閥 勢力 の後 退 に よる支 配層 内部 にお け る同 質性 の喪 失 と政党 勢 力 の躍 進 、近 代軍 制 の確立 に 伴 う軍事 官 僚の台 頭 、 それ に日本 の 国際 的 地 位 の変化 等、 日 露戦 争後 、 そ れ まで政 治 と軍事 の調整 を 促し てい た諸 要因 は徐々 に消滅 し てい く。 逆 に、 元老制 が 次第 に 衰退 へ と向 か う なか、 統帥 権独 立 は軍 事 と政 治の機 能 分化 を加 速し 、 さ ら に は当 初 想起 さ れた意 図 を大 きく離 れ、 軍部 の 自立化 と政 治に対 する 優越 を もたら すマ シ ーン とし て機能 する よう にな っ てい く。 まず、 日 露戦争 と第一 次大 戦 が日 本 を帝 国 主義 列 強の一 翼 に加 え せし めたこ とで 、政 治優 位 を 不 可 避 なら し めた 国際 環境 を緩 和 させ る と ともに、 国 防の第 一 線 が大 陸 に拡 大し た こ とは、 植民 地 政 策 及 び大 陸 政策 の形 成 と遂行 におい て 陸 軍 の比重 を高か らし め るこ とに なっ た。 また、 第 一 次世 界 大戦 か ら生 まれた「 総力 戦 」 の概念 は国 防 の概 念 を拡大 さ せ、 も と も と不 分明 な政治 と軍 事 の境 界

参照

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