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[Forest Utilization and Practice of “Forest Creation” in Multi-ethnic Villages : Village Forestry and Agroforestry Cultivation in the Mountainous Area of Baoshan, Yunnan, China]

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東 南 ア ジア研 究 36巻 3号 1998年 12月

雲南 の多民族村 における森林利用 と 「

森林創 出

保 山の 山腹 地帯 にい きづ く集 団林 業 とア グロ フ ォレス トリー栽培

艶 春 *

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Yunnan,Chi

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GuoYanchun*

BaoshanisamountainousprefectureofwesternYunnanintheborderareawithMyanmar. Most mountainslopeswereformerlycoveredbydenseforests,butwiththeincreasingnumberofHam migrants,theforestscoverhasbeendenuded. Thebaremountainslopesontheeastsideofthe Nujiangriverareobviousproofofthis. Continuousforestdenudationhasresultednotonlyin the aggravation ofenvironmentalproblems(forexample,landslides and erosion)butalso in shortagesoHuelandtimberfortheinhabitants.

Incontrast,theforestsonthewesternslopesoftheNujiangriverarecomparativelyintacL Ontheforest-coveredslopes,therearemanyvillagesinwhichvariousethnicgroupsliketheHam,

Lisu,Yi,and Ba主livetogether. Themigration oftheseethnicgroupsand themixingoftheir culturalheritageshavealonghistory, Thegreenlandscapeinwhichthevillagesarelocatedis maintained by thepresenceoflarge agroforestry gardensand villagecommon forestsbesides paddy terracesand cornfields. Thiscombination ofland usehasachieved abalancebetween utilization and preservation ofecologicalresources_ Hence.a way to restore the degraded environmentinBaoshan maybesoughtintheanalysisofthislocallandscape.which hasbeen createdbyethnicminorities.

Thispaperexaminestheforestutilizationinthemulti-ethnicvillageslocatedonthewestside ofNujiangriver. Theutilizationofthevillagecommonforestsisobservedandanalyzed,andthe cr.eationtechniquesoftheagroforestrygardensareinvestigated. Inaddition,stockfarming,an occupation closely related totheforest,isdiscussed. Asawhole.thispaperaimstopresent detailsofthematerialcultureortheethnicminorities,theirecologicalbase,andtoextractthe people'sperceptionofnature.

は じめに

本論 で対 象 と して い るの は,雲南省 の西部 に位置す る保 山地 区の山腹 にあ る,多民族 か らな る村 落 におけ る森林利用 及 び森林創 出の実態 であ る。保 山地 区 には山が多 く, 山地面積 は総面

* 京 都 大 学 大 学 院 人 間 ・環 境 学 研 究 科 ;GraduateSchoolofHumanandEnvironmentalStudies,Kyoto University,46Shimoadachi-cho,Yoshida,Sakyo-ku,Kyoto606-8501,Japan

(2)

東南 アジ ア研 究 36巻3号 積 の92%を占め る。 古代 の南方 シル ク ・ロー ドは保 山の山々 を通 り抜 け, その当時 は保 山の地 には広大 な森林 が覆 っていた。雲南 の中で,保 山は最 も早 くi莫民族 に開発 された地であ った。 漠の時代 か ら,漢民族 の移民 は保 山盆地 に進駐 し,盆地での開墾が始 まった。長 い歴 史の中で, 人 口の増加 と生産技術 の向上 につ れて,保 山の森林 は開発 され,徐 々に減少 して きた。1950年 代 になる と,森林被覆率 は保 山地 区が42.6%,保 山市が33.3%となった。 しか し,1980年代 の 統計で は,それぞれ,29.8%と15.5%に落 ちた。 その結果,生態環境 は 日増 しに悪化 し,水土 流失が激 しい。保 山盆地 の周辺 に広 が ってい る裸 山の赤土 は,その森林減少 に よる環境悪化 の 現状 を如実 に示 してい る。 森林が急速 に減少 した原 因は,森林 の所有権 の変化 に密接 に関係 して きた。1958年 か ら1982 年 まで は,森林 が大集 団 (人民公社所有)林 と国有林 に区分 されていた。大集 団林 の破 壊 は政 治的失策 に よ り進 め られた。1958年 に開始 された3年 間の大躍進 の期 間 に,鉄鋼 の精錬 及 び, 大食堂 (村 び と全員が集 まって食事 を とる所)の開設 のため に,大集 団林 か ら多 くの燃 料 を収 奪 した。次 いで,1966年 に始 まった10年 間の文化大革命 の期 間には,大集団林 の管理 はほ とん どな されなか った。革命 の名の下 に行 われた乱伐 が常態 とな り,森林 の著 しい破壊 が再 び進行 した。一万,1958年か ら国の計画 によ り, イ ンフラな どの建設 の需要で,国有林 での丸太伐採 が続 いて きた。それは,原始森林 の減少 の直接 的 な原 因 とな った。 森林減少 に伴 う環境 劣化 の深刻化 は,森林保護 の運動 の土 台 とな り, 「林業 三走」事業 がそ の運動 の中で誕生 した。1982年 に行 われた 「林業三走」事業 は,再 び森林 を国有林 と集団林 に 区分 した。 それ まで残 った奥山にあ る原生林及 びそれに近 い天然林 は国有林 ,村 に近 い二次林 は村 の集団林 と して区分 された。 しか し,漢民族が集 まって住 んでいる怒江 (サ ル ウ イン川 の 上流)の東側 にお いて,林業 三定事業 を実施 した時点で は,森林 は山の頂上部 に残 った少量 の 二次林 しかなか った。その二次林 もまた,集 団林 と して分配 された後 まもな く消失 した。現在, 村 の周辺 はほ とん ど裸 山であ る。それ と対照的 に,怒江 の西側 の村 には比較 的森林 が残 ってい る。 それは,怒江 の西側 は少数民族が多 く住 んでいて,過去数十年 間の政治運動 に強 く影響 さ れなか った こ とと,この十数年 間において村が集 団林 の維持 に努めて きた こ とに基づ いてい る。 これ らの理 由か ら,私 は怒江 の西側 に残 る森林 に注 目 した。 長 い歴史の中で,怒江 の西側 において も,人 口の移動及 び民族 間の交流 で,現在大半 の村 で は,漢,傑儒 (lisu),葬 (yi), 自 (bai)な どの民族 が混住 してい る。 この ような多民族村 は一 般 に山の斜面 に位置 し,村 の周 りには畑, 山谷 には水 田,斜面 の上部 には集団林 が分布 してい る。 村全体 に樹 木が多 く,緑豊 かな景観 を呈 している。 村 の緑 の景観 の創 出 には,集団林 の他 に, もう一つ の森 が関与 している。 その森 とは村 の斜面 にあ る畑 と樹木が混交 したアグロフ ォ レス トリー園地であ る。 森林 が な くな った怒江 の東岸地域 においては,水土流失 や山崩 れな ど に よ り環境 が悪化す る とともに,住民 の生活上 の燃料,建材が深刻 な問題 となってい る。 それ 380

(3)

郭 :雲南 の 多民 族村 にお ける森 林利 用 と 「森 林創 出」 とは対 照 的 に, 怒 江 の西 岸 地 域 の集 団林 とア グ ロ フ ォ レス トリー園 地 は住 民 に効 率 的 に利 用 さ れ る と同時 に, 環 境 保 全 的 な役 割 を果 た して い る。 この よ うな集 団林 にお け る利 用 ・保 護 と, ア グ ロ フ ォ レス トリー園 地 にお け る創 出 ・利 用 の実 態 を解 析 す る こ とは, 保 山地 域 全 体 の環 境 回復

,

お よび人 と 自然 との調 和 的 な 関係 の再 建 を考 え る上 で 意 義 深

い。

以 上 の 問 題 意 識 の も と, 本 論 は怒 江 西 岸 の 山腹 の 多民 族 村 を対 象 と し, 村 の森 林 の景 観 を解 析 す る。 具 体 的 に は, 集 団 林 とア グ ロ フ ォ レス トリー園 地 を取 り上 げ, そ の 天 然 林 に対 す る利 用 と管 理 の実 態 , 及 び新 しい 人工 林 を創 出す る技 術 と人工 林 の利 用 につ い て考 察 す る。 そ れ に 加 え, 森 林 に関 係 深 い生 業 で あ る牧 畜 業 に も注 目 し, 村 の生 活 世 界 と村 落 生 態 系 の 関係 を明 ら か に した い 。

Ⅰ 調査地域の概要及び民族 の概説

1.調 査 地 域 の概 要 保 山地 区 は雲 南 省 の西 中部 に あ り, 東 経98005′-100002′, 北 緯24008′-25051′に位 置 して い る。 東 は臨槍 (Lincang)地 区, 東 北 は大 理 (Dali)白族 自治

, 北 は怒 江 (Nujiang)傑 僕 族 自

, 西 南 は徳 宏 (Dehong)俸 族 景 頗 族 自治 州 , 西 北 と南 は ミャ ンマ ー に接 して い る。 国 境 線

は167.78kmに亘 っ て い る。 当 地 区 は保 山市 と施 旬 (shidian)県, 騰 沖 (Tengchong)県 , 龍 陵

(Longling)県 ,昌寧 (Changning)県 の5県 か ら成 り, 面 積 は19,637km2で あ る (図 1参 照 )0 l・、 !ノノ'ー tl llL: 1 時 沖 / ◎ 脅 し L I.、 %

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° 回搬

・ 地区、州榊 '-・-. 県塊 根 ヽ_・ヽ 河川 ◎ 市、県政府所在地 0 10 20 3tlq J f ・1 -/ ." t t ㌔_ \ l r ' -@ ′ノ ㊥ ′ * 図 1 保 山地 区地 図 381

(4)

東 南 ア ジ ア研 究 36巻3号

保 山地 区は横 断 山脈 の南端 にあた るため山が多 い。主 な山脈 は,高黍貢 山 と,怒山,雲嶺 (主

にその余脈)で, それ らが南 北 の方向 にの ぴてい る。 主 な水系 を見 てみ る と,保 山地 区 にあ る

河川 はそれぞ れ に潤 槍江 (Lancangjiang, メ コ ン川 の上流)と, 怒江 (Nujiang,サ ル ウ イン川

の上沫),龍川江 (Longchuanjiang, イ ラワジ川 の支流),大盈 江 (Dayingjiang, イ ラワジ川 の

支流)の四つ の川 に属 してい る。 四つ の川 とも北 か ら南-流 れる。 保 山地 区 は低緯度 の 中間山 地亜熱帯モ ンスー ン気候 で ,地域 に よ り南, 中,北温帯 と南, 中,北亜熱帯,北 熱帯 の七つ の気候帯 に分 け られ る。 保 山地 区は山岳部が全地域 の面積 の92%を占めてい る。山々の間に78個 の盆地が分布す るが, その面積 は全地域 の8%にす ぎない。最 も大 きい盆地 は保 山盆 地で,耕地 の面積 は13,466.67 ヘ クタールであ る。 保 山地 区の行政 の中心 であ る保 山市 の標高 は1,654mであ る。 1996年末の保 山地 区の総人 口は226.02万人であ る。その中で,漢民族 は総 人 口の91%を占め, 少数民族 は総 人 口の9%にす ぎない。保 山地 区の漢民族が少数民族 よ り圧倒 的多数 になってい る理 由 は,古代 中央政府 に よる当地 に対 す る開発が早 か った こ とによる。 漢代 には,保 山は永 昌郡 とされ,その時か ら漢民族 の移民 は保 山地 区 に進駐 し続 け,明代 に主民族 とな った。一方, 昔 か ら保 山地 区に住 んで きた土着 の少数民族 は12あ るが,その内,人 口千人以上 は 7民族 しか いない。それ らの7民族 とは,葬族 (yi),俸族 (dai),傑傑 族 (li-su),自族 (bai),回族 (hui),

苗族 (miao)と阿 昌族 (a-chang)で あ る。 人 口が千 人以下 の5民族 は,徳昂族 (de-ang),侶族

(wa),満族 (man),納西 (na-Ⅹi)と壮 族 (zhuang)で あ る。 この よ うな多様 な民族 が存在 す る

保 山地 区 において,漢民族 は主 に盆地及 び交通沿線 に分布 し, 山岳部 に住 む漢民族 もあ る。 少

数民族 で は歴史的 に,奔族,傑傑族,苗族 な どは主 に山岳地帯 に,俸 族, 自族, 回族 な どは主 に盆地あ るいは川岸 に分布 して きたが,近代 の人 口移動 に よって,人 口の多 い地域 には複数の

民族が 同 じ村 に混住 しているのが現状 であ る。

2.

調査村 の概要

本論 の調査 の ため,保 山市 の苦寛 (mang-kuan)郷 白花林 (bai-hua-liれ)村 に滞在 した。調査

期 間 は1997年 9月か ら11月 までの2カ月間であ る。

(

1

)

苦寛郷 :民族 と景観 保 山市境 界内 には山脈 と河川が南北方 向 に沿 って分布す る。 この ような地形 に したが って, 保 山市 には,川岸 ・盆地,低 山 ・丘, 山岳 の さまざまな景観が形成 されてい る。 菅寛郷 は保 山 市 の西北部 にあ り,高黍貢 山の東麓,主 に怒江 の西岸 に位 置 してい る。 郷政府 の所在地 は苦寛 で,保 山の町 か ら131km離 れてい る。 菅寛郷 は民族 自治郷1)であ り,正式 名称 は 「菅 寛葬族 俸族郷」である。 保 山市 は漢民族 を主体 とした地域 であ るが,民族 自治郷 とされてい るの は, 382

(5)

郭 :雲南の多民族村における森林利用 と 「森林創出」 表1 苦寛郷の人口構造 (1990年) 単位 :人 総人口 漢民族 葬族 俸族 快便族 白族 苗族 回族 満族 怒族 布依族 33,773 14,308 7,368 5,070 3,571 1,673 1,528 204 40 9 2 100% 42.36% 21.81% 15% 10.57% 4.96% 4.53% 0.61% 0.12% 0.03% 0.01% そ こに少 数民 族 が 多 く住 んで い る こ とを表 して い る。 現 実 に, 当郷 に は漢民 族 以外 に,葬 族 と 俸 族

,

侠 僕 族 , 自族 , 苗 族 , 回族 , 満 族 , 怒 族 (nu)と布 依 族 (bu-yi)が 住 ん で い る。 1990年 の統 計 で は, 総 人 口 は33,773人 で あ り, 少数 民 族 はそ の うち の57.64%を占め て い た。 民 族 別 の 人 口及 びそ の割 合 を表 1に示 す 。 怒 江 は北 か ら南 へ 菅 寛 郷 を通 過 す る

苦 寛 郷 の内, 怒 江 の東 岸部 分 は怒 山 の酉 麓 にあ た り, 東 が高 く西 が低 い 山岳 地 形 を呈 して い る。 怒 江 の西 岸部 分 は高 黍 貢山の東 麓 にあ た り,高 黍 貢 山 に源 を もつ ラ ァジ ェヅ川 ,マ ンロ ン川 ,ラール ェ ン川 ,マ ンク ァン川 ,ウ- ラ イ川 ,ガ ンデ イ ン川 , コ ング ア ン川 , タ ンシー川 , ガ ン川, マ ンハ -川 な どが 高 黍頁 山 の東 麓 を通 って西 か ら 東 へ 流 れ て怒 江 に注 ぎ込 んで い る。 これ ら十 数 本 の川 の下流 に は小 さな扇状 地 が た くさん分布 し, そ れ ら をベ ー ス に, 怒 江 の 西 岸 に細 長 い盆 地 が形 成 され て い る (図 2参照)。 1950年 代 以 前 は, この細 長 い盆 地 が 「樟 気 の 地」 と され て い て, そ こ に は俸 族 しか住 んで い な か った。 図2 =巳寛郷地図 1)民族 自治郷 :中国における民族 自治地方の中で,最 も基礎 となる自治行政単位o民族 自治 とは,少 数民族が集 まり住 んでいる地方には, 自治機関 を設け, 自治権 を行使す る制度のことである。.中国 には,自治区 と自治州, 自治県, 自治郷の4級の自治地方政権がある。 3&3

(6)

東南 アジア研 究 36巻3号 表2 菅寛郷 にお け る土地利 用状 況 (1995年 末) 面積 人 口 人 口密 度 耕 地 の面積 1人当 りの耕 地面積 (km2) (人) (人/km2) (1km2-1,500ム ー) (ム ー) 290 33,773 116.46 69.62km2-104,435ム ー 3.1 高 黍貢 山の東 麓 の斜 面 に は多 くの民 族 (漢 や桑 , 白, 傑僕な ど)の人 々が住 み,主 に焼 畑 を し ていた。 1950年以 降,政府 の動 員で 山岳部 の人 々は下 に降 り,外 か らの移民 と合 わせ て,盆地 での開発 が始 まった。数多 くの川が港概 に適 し, また気 温 や降水量 も適 当で あ ったので,盆 地 の農業 は発達 して い った。 1995年末 の統計 で は,苦寛郷 にお ける土地利 用 の状 況 は表 2の通 り で あ る。 盆地 には水稲 ,サ トウキ ビ, コー ヒー,コシ ョウ,マ ンゴー,バ ナ ナな どが植 え られて いて, 斜面 には トウモ ロコシ畑 , ミカ ン園, クル ミ園, ク リ園 な どが広 が って い る。標 高 1,500m以 上 は森林 地帯 にな る。 農地 あ るい は村 に近 い森林 は村 の共 有林 で, その外 側 は国有 山林 と自然 保護 区で あ る。 森林地帯 は住 民 に よって牧場 と して利用 され る と同時 に,建材 や薪 を求 め る場 で もあ る。 菅 寛 郷 に は14の村 公所2)が あ り,私 が調 査 したの は 白花林 村 公所 で あ る。 白花 林 村 は苦寛 郷 の南部 にあ り,怒 江 の西 岸,高 黍 貢 山の東 麓 に位 置 して い る (図 2参 照)。郷 政府 か ら36km離 れ,バ スが通 る道路 まで は10km山道 を歩 か なけれ ばな らない。 (2) 白花林村 :村 落 の社 と人 口 ガ ンダ ン (同党)とい う小 さい村 の所 でバ ス を降 り, そ こか ら西 の方 向へ 一 本 の 山道 が延 び て い る。 この道 は1970年代 に政府 が高黍貢 山の木材 を伐採 す るため に, それ まで あ った民 間の 小 道 を改 良 して造 った林 道 で あ る。 1985年 まで に, この林 道 を使 ってた くさんの丸太 が外 へ運 ばれた。20年以上 をへ て い るが, これ まで林 道 の修繕整備 が な され なか ったため,路面 は相 当 荒 れて い る。乾季 には トラク ターや ジープな どが通 れ るが,雨季 にな る と,山崩 れが発生 して, 通 行不 能 とな る。 その際,村 び とは 自発 的 に集 まって道 を整備 す る。 この 曲が り くね った林 道 を登 りつづ けて い くと,急 に視 界が 開 け る よ うにな る。広 い山谷 の斜 面 には, い くつ か の村 落 が分布 し,村 の下部 には黄色 の棚 田が広 が ってい る。 秋 の収穫前 の水稲 で あ る。 村 の上部 の斜 面 には まだ ら模様 の畑 が あ って,農作 物 の緑色 や黄色 ,土 の赤色 な どが交 わ ってい る。 畑 の上 那 ,つ ま り山の頂部 には森 が見 え る。 また村 内及 び村 の まわ りには,樹 木 が茂 って い る (写真 1参照)0 白花林 村 公所 は八 つ の社 (村 落)か ら成 る。 す なわ ち, ハ ンロ ン (漠龍 ,ham-long), イー タ

ン (魚 糖 ,yu-tang), グー シ ン (古 興 ,gu-Xing), タオー ユ ァ ン (桃 園,tao-yuan), バ

イ-2)村 公所 :村役場 の こ と。中国の農村 にお いて,一番 基礎 とな る行政単位 で,郷 の下 に設 け られて い る。

村 公所 にはい くつ かの集 落 (自然村 ) が あ り, それ らの集 落 は 「社」 とよぶ。

(7)

郭 :雲南 の多民 族村 にお ける森林利 用 と 「森 林創 出」

写真1 白花林村 の 景観

フ ァー リ ン (白花 林 ,b。i-h。a-1in上 マ - リー シ ャ ン (麻 栗 山, ma-1i-sham), マ ンガ ン 借 間,

mang-gang)とマ ンフ ァン (亡 兄,mang-huang)で あ る。

白花 林村 公所 の八つ の社 は全部 山の斜 面 に位 置 す る

海抜 が 一番 高 いの はハ ンロ ン社 で あ り, 標 高 1,500mで あ る。次 いで イー タ ン社 と グー シ ン社 が 高 く,標 高 は 1・400m で あ る。 タ オー ユ ァン とバ イ- フ ァー リン, マ - )- シ ャ ン, マ ンガ ンの 四社 は標 高 1.200m付 近 にあ る0 -番低 い科 こ位 置す るの はマ ンフ アン社 で,標 高 が 1・000mで あ る (図3参照 )。村 公所 はバ イ-フ ァー リン社 にあ り,正 式 的 な呼 び名 は 「保 山市モ 寛 俸 ・葬族 郷 白花林 人民 調 解 委 員 会」 で あ 図 3 白花林 村地 図 385

(8)

東 南 ア ジ ア研 究 36巻3号 る。 白花林村 には,487戸 に2,090人が居住 してい る。 1戸 に平均4.3人が住 む。 漢民族 の人 口は 1,141人で あ り,総 人 口の54.6%を占め る。一方,少 数民 族 の人 口は949人で あ り,総 人 口の 45.4%を占め る。 社 ご とに,漢民族 と少数民族 の割合 は異 なる。 次 の表 3は白花林村 にお ける 各社 の人 口及 び民族 的な構成 を示 してい る。 表 3に示 した よ うに,少数民族 の人 口が半数 を超 える社 は四つで,総社数 の半分 を占めてい る。 白花林村 の少数民族 とは,葬 と白,壮 ,榛 ,傑僕 , 回の6民族 の ことを指す。表4は, こ れ らの少数民族 にお ける人 口の多少 を, 白,傑僕 ,秦 , 回,壮 ,俸 族 の順番 で示 している。 白 花林村 において,漢民族 と少数民族 の間には融和 的 な関係 が見 られ,両者 の結婚 は普通 に見 ら れ る。 村 の長老 に よる と, 1950年代 以前 は漢民族が少数民族 と通婚 した例 はないが, それ以 降 両者 は通婚す るよ うにな って きた。 また,少 数民族 の間の通始 も一般 的であ る。 村 で は,漢民 族 と自族,漢民族 と傑傑族 の通姫が最 も多 い。通婚 に よって,村 び と達 の間 に民族 的 な溝 が な くな り,人 間関係 が融和 的 にな った。 表 3 白花林村 にお け る社 ご との人 口 と民族状 況 (1996年) 単位 :人 Li,il人 口 総戸 数 」 1.漢 民 族 社 名 2.少 数 民 族 198 45 138 69.7 60 366 81 175 47.8 191 165 37 74 44.8 91 156 33 52 33.3 104 368 89 269 73.1 99 302 74 126 41.7 176 404 94 238 58.9 166 131 34 69 52.7 62 ′ヽンロ ン イー タ ン グ - シ ン タ オーユ ア ン バ イー フ ァー リ ン マ - リー シ ャ ン マ ンガ ン マ ンフ ア ン 合 計 表 4 白花林 村 にお け る少 数民族 人 口 と分布状 況 (1996年) 単位 :人 社 名 葬 族 自族 壮 族 俸族 傑傑族 回族 合 計 ′ヽンロ ン イー タ ン グ - シ ン タ オーユ ァ ン バ イ- フ ァー リ ン マ - リー シ ャ ン マ ンガ ン マ ンフ ァ ン 386 12 25 12 77 9 3 11 34 52 18 60 64 78 1 5 3 57 1 22 85 8 3 74 18 1 20 34 160 1 1 60 19191 104 99 176 166 62 合 計 147 365 9 3 343 82 949

(9)

郭 :雲南 の多民 族村 にお け る森 林 利 用 と 「森 林 創 出」 閉鎖 的 な地理条件 の ため,白花林村 は公有 ・私有 的,公共 的 な施設 を備 えて い る。それ らは, 2軒 の小学校 ,1軒 の小型発電所 ,1つ の大型 パ ラボ ラア ンテナ,3軒 の診療 所,1人の獣 医, 11軒 の売 店で あ る。 また,社 会的 な組織 が い くつ か存在 してい る。 それ らは,農民生物 多様性 保護協 会,傑傑 族 ダンスチ ーム,マ ンガ ンキ リス ト教教 会で あ る。 それ に,ハ ンロ ン社 には, 1つ の 自然保護 区管理 ステ ー シ ョンがあ る。 この ステ ーシ ョンは行政的 に 「高黍蛋 山 自然保護 区管理処保 山管理所」 に属 し,1984年 に設 け られたので あ る。

Ⅰ 土地利用 と景観

白花林村 は高黍頁 山の東 麓 にあた り,山の中腹地 区 に位 置 して い る。年平均気温 は18-22℃, 最低気 温 は約3℃ (1月),最高気温 は約30oC (6月)で あ る。 一年 中霜 はほ とん ど降 りない。 年 降雨量 は700-900mmで,雨季 は主 に7-10月 に集 中 して い る。 全体 に,亜 熱帯 モ ンスー ン 気候 で あ る。 白花林村 の境 界 には二つ の川が斜面 に沿 って流 れてい る。 これ らの川 は農地 の主 な港概源 とな ってい る。 白花林村 の主 な生業 は農業であ り, それ以外 に,牧畜業が昔 か ら見 ら れた。 農 地 は主 に海抜 800-1,800mの間 に分布 し, 水田 と畑 と園地 に分 け られ る。 水 田 は主 に村 落 よ り海抜 の低 い谷 及 び棚 田に分布 し,畑 と園地 は主 に村 落 の周辺 及 び村落 よ り海抜 の高 い斜 面 に分布 して い る。 畑 は山の上部 まで伸 びていて,山頂付 近 の森 と接 してい る。 海抜 1,800m以上 の地域 は森林 地帯 で あ る。村 あ るい は畑 に近 い森林 はいわゆ る集 団 山林 (村 落 が所 有 す る山林)で,集 団 山林 の外側 にあ る森 林 は国有 山林 (国が所 有 す る山林 )で あ る。 国有 山林 の 中で, かな り大 きい面積 を占めて い るの は高梨貢 山 自然保護 区で あ る。 全般 的 に, 森林地帯 は気候 が涼 し く,雨量 も多

い。

年平均 降雨量 は1,000-1,500mmに及ぶ。住民 はそ こ で牛 や馬, ヤギな どを放牧 して い る。) 白花林村 が管轄 す る総面積 は27,070ムー (18.07km2)で あ り, その土地利用 は次 の表5に示 す通 りで あ る。 表5で い う林地 とは, 白花林村が所 有す る集 団 山林 を指 す。15,296ムーの集 団 山林 は,実 際 には各社 に分 けて所 有 されてい る。 また,社 に よって,集 団 山林 を管理 す る方法が違 う。詳 し い こ とは次 の節 に述べ る。 法定 耕地 は,1980-1983年 に 「家庭連 産承包責 任制」3)を実施 した 表5 白花林 村 の土 地利 用状 況 (1996年 ) (単位 :ム ー) 林 地 法定 耕 地 新開墾耕地 住 民 用地 相 内道 路 村 内河 川 養 魚池 荒 れ地 総 計 15,296 3,315 4,036 809 227 239 2 3,146 27,070 387

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東南 アジア研 究 36巻3号 時 に分配 した耕 地 の総 計 を指 す。新 開墾耕地 は,主 に1983年 以後,つ ま り 「林業三宝 」4)以後 に住民 が斜 面 で新 開墾 した農 地 の総計 を指 す。住 民用 地 は, 各村 落 (各社 )の建築用 地 及 び村 落 内の歩道 の総計 を指 す。村 内道路 は,村 落 をつ な ぐ トラク ターが通 れ る道 の総計 を指 す。村 内河川 は, 白花林村 の境 界 を通 るマ ンガ ン川 とイー ドン川 を指 す。 マ ンガ ン川 はマ ンガ ン社 と バ イー フ ァー リン社 の間 を通 り, イー ドン川 はハ ンロ ン社 の北 を通 る。 養魚 池 は,実際 にイー タン社 にあ る2ムーの養魚池 を指 す。 イー タン社 以外 の村落 には養魚池が ない。荒 れ地 は,農 耕 がで きない岩 山や痩せ た土地 を指 す。 この表 か ら, 1983年以 降 にで きた新 開墾耕地 の面積 は法定耕地 よ り大 きい こ とが分 か る。次 の表6はその新 開墾耕地 の内実 を示 して い る。 この表 は, 1955年 か ら1996年 までの30年 間に, 白花林村 の耕地 が倍 以上 に増加 した こ とを示 して い る。 それ に,増加 した耕地 はほ とん ど畑 であ る。 この変遷 の背景 には二つ の事情 が あ っ た。一つ は, 1964-1965年 に保 山地 区 にお いて,斜 面 を棚 田 と棚畑 に改造す る運動 が あ った。 白花林 村 もそ の運 動 に したが い, 斜 面 に500ムー ほ どの棚 畑 を造 った。 も う一 つ は, 1 980-1983年 に家庭連 産承包責任制 と林業三定 の政策が実施 された こ とが あ る。 家庭連 産承包責任 制 の政 策 の下 に,農地 が各 農家 に分配 された。林 業三定 の政策 で は, 山林 が国有 山林 と集 団 山林 に区分 され た。 さ らに集 団 山林 の うち, 荒 れ地 は各 農 家 に 「自留 山」 (個 人保 有 山)と して分 配 され,森林 の部分 は 「責任 山」 と して各農家 に分 け られ た場 合 もあれ ば,分 け られず に集団 林 と して管理 されて きた場合 もあ る。 政策 の方針 と して は, 自留 山 を植林地 と して,責任 山 を 林 の利用 と保護 とを両立 させ るため に設 けたが,実際 には,一人当 た りの耕地 が少 ないため, 多 くの農家 は分配 された個 人保有 山 と責任 山 を畑 に した。 以上 を要約 す る と, 白花林村 において, 1950年代 か ら1990年代 までの間 に,土地利用 にお け る最 も大 きい変化 は,村 の元林 地が耕地 に換 え させ られた こ とで あ る。 つ ま り耕地 の増加 は, 表6 白花林村における耕地 と人口の変遷 (1950年代∼1990年代) 年 代 耕地総面積 (ムー)1.水田(ムー)2.畑 (ムー) 人口(人)1人当 りの耕地面積 (ムー) 1954年 3,432 2,260 1,172 862 3.98 1965年 3,902 2,139 1,750 1,060 3.68 1984年* 3,315 2,111 1,204 1,755 1.89 1992年 3,315+4,036 2,111 1,204+4,036 1,952 3.77 1996年 3,315十4,036 2,111 1,204+4,036 2,090 3.52

*

「家庭連産承包責任制」と 「林業三宝」が完成された後の初めての統計である。 3)家庭連産承包責任制 :1980-1983年に中国の農村において,農地を人頭で割 り各農家に分配 した政 策である。いわゆる農村における経済改革である。 4)林業三宝 :1981-1983年に,中国において,「山林の権限を安定 させる,個人保有山を定める,林業 生産責任制を確定する」 という林業に関する政策のことである。 388

(11)

郭 :雲南の多民族村における森林利用 と 「森林創出」 表7 白花林村の農作現状 秋播 きの作物(96年)面積 (ムー)春播 きの作物(97年)面積 (ムー) 園 地 面積 (ムー) 小 麦 そら豆 芋 類 魂 豆 110 水稲 1,450 茶 園 20 31 トウモロコシ 280 バ ナ ナ 園 12 97 大豆 50 ミカ ン園 43 175 サ トウキ ビ 2.500 コーヒー園 49 トウモロコシ 320 野菜 香 料 タバ コ 30 青飼 料 野菜 90 小計 853 58 クル ミ園 35 22 ク リ閲 50 花轍 な ど 47 林地 の減少 に よって得 られ た。 その変化 の背景 となる最 も基本 的 な原因 は,政策 の不安定性 と 人 口の増加 と見 られ る。 白花林村 の農作現 況 を表7に示す。

村 の集 団林 ・建材 ・薪 1950年 以 降の社 会的変遷,特 に大躍進 と文化大革命 に よって,保 山市 の森林被 覆率 は1950年 代 の33.3%か ら1980年代 の15.5%まで に減少 した。 その 中,怒江 の東側 の山地 における森林減 少 は最 も激 しい。怒江 の西側 で は,少数民族 が 多 く住 んで いて,外 か らの影響 は比 較的 に弱 か っ たので, 多 くの森林 が残 され た。現在 , 国有山林 と自然保 護 区 は主 にその地域 に設 け られてい る。 1982年 の林業 三宝事 業 に よ り, 白花林村 はか な り広 い集 団山林 を分配 して もらった。集 団 山林 は村 の周辺 に分布 し,実 際 に八つ の社 に分 け られた。 その分 け方 は,山林へ の距離 や面積 な どを考 えるので はな く,村 にお け る歴 史的 な慣 習,つ ま り山林 の境 界 に対 す る伝統 的 な決 り に従 って各社 の集 団 山林 を指 定 したO この慣 習 は少 な くとも1952年 の土地改革 に さかのぼ るこ とがで きる。 1952年 に政府が 山林 の面積 を考 えず に,村 落 の周囲 の山林 をその村落 の集 同山林 と して指定 した。 その よ うな村 落の集 団 山林 は1958年 に人民 公社 の もの とされた。 ところが, 1982年 の林業三宝 は基本 的 に1952年 の指定 を認 め,論争 のあ る所 だ け を改 めて区分 したL, ここで は以下 の内容 を理解 しやす くす るため に,集団 山林 を 「荒 山地」 と 「集 岡林」 に呼 び 分 け る。 白花林村 の八社 で は荒 山地 は各農家 に 自留 山 (個 人保 有 111)と して分配 され た。集 団 林 につ いて は,社 に よって,処理 の方法が異 な る。 白花林村 で は,集団林 に対 す る処理 は三つ の形 が見 られ る。 一つ 目は集 団林 を責任 山 として各農家 に分 け るや り方 であ る。例 えば, イー タン社 が その例 で あ る。 二つ 目は集 団林 を分 けず に社 の共有林 とす るや り方 で あ る。例 えば, マ ンガ ン社 がその例 であ る。 三つ 目は集団林 の一部 を責任 luと して各農家 に分 け,一 部 を共有 林 とす るや り方 で あ る。 例 えば, ハ ンロ ン社 が その例 であ る。 次 にこれ らの例 につ いて考察す る。 389

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東南 アジア研 究 36巻3号

1

.イータン社 の事例 イー タン社 で は

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戸 に

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人が居住 している。その中で,漢民族 は

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人で,総人 口の

4

7.

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を占めてい る。 少数民族 は

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人で,総 人 口の

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2%

を占めている。 少数民族 の中で は傑傑族 と白族が多数 を占めている。 人 口で見 る とイー タン社 は白花林村の中で規模 の大 きい村落であ る。

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年代 に, イー タン社 は分配 された荒 山地 を自留 山 (個 人保有 山),集 団林 を責任 山 と し て各農家 に分配 した。つ ま り集団山林すべ て を各農家 に分配 した。その後, 自留 山は もともと 樹木がないため,簡単 に畑 に変 え られた。責任 山で は,二次林が急速 に切 られて,同 じく畑 に 変 え られた。 この ような歴史が あ ったので,今 の イー タン社が所有す る地 には,森林が ほ とん どない。責任 山が切 られた原因 は二つあ る。 ひとつ は,眼前 の利益 を得 るために木が切 られ, 現金 に換 え られた ことである。 政策が変 わ りやすいため, イー タン社 の村民 は政府が また林地 を回収す る と信 じて, はやい うちに木 を切 って畑 を作 った方がか しこい と考 えた。切 った樹木 を木材 や薪 な どで売 り,家の現金収入 に した。畑 には トウモ ロコシや大豆 な どを植 え,穀物 の 収穫 も増 えた。政府がいつ 自留 山 と責任 山 を回収 して も自分 は損 しない ように した。 もうひ と つ は,1人当 りの耕地が少 ないため,耕地 を拡大す る要求が高 まっていた ことであ る。耕地 を 分配 した時点で は

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年代 の初 め),村落 の人 口は大 き く増加 していたので,耕地が足 りな くなっていた。 さらに

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年以 降 に生 まれ た人 と嫁 に きた人が土地 を持 てない とい う問題 も あ って,耕地へ の要求 は益 々高 くなった。その時, ち ょうど山地が分配 されたので,林地が畑 に変 え られたのは当然の結果であ った。責任 山 を設 ける本来の 目的 と違 って, イー タン社 には 今 日,林が な く,集団山林 は全部畑 になってい る (写真2参照)。 これか ら村 び とは どうや っ て建材 と薪 を得 るのか とい う疑問が出て くる。 この点 に関 して次で考察す る。 写真2 イー タン社 の耕地 に された集 団林

3

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郭 :雲 南 の 多民 族 村 にお け る森 林利 用 と 「森 林創 出」 (1) 建材 林 を切 った時点 で,大方 の農家 は子供 の ため に新 しい家 を建 て る建材 を残 した。 それ らの建 材 は池 や水溜 ま りに沈 めてあ り,十年 や二十年 は腐 らない。 も しそれで足 りない場合 は買 って 追加 す る。 イー タン村 の農 家 は木 を切 った時点 で は,子供 の世代 の こ とをち ゃん と考 えて い る が, その後 の世代 の こ とにつ いて は考 えて い ない。 (2) 薪 林 を切 った時, た くさんの枝 や雑 木 な どが薪 に された。 一部 の薪 は売 られたが,残 った薪 は 自家用 とされ た。 また,毎年 の農作物 か ら大量 のわ らが 出て, それが燃料 となる。 その ため, これ まで の ところ薪 の問題 は出てい ないそ うで あ る。 しか し, この ままで は, いつ か問題 にな る。 近年,植 林 を始 め た農家が 出て きて い る。主 に果樹 と用材樹 木 の コウ ヨウザ ンの植林 が 多い。 これ らの植林 活動 は村 び との林 に対 す る危機 感 に基づ いて い る と考 え られ る。 具体 的 な植 林方 法 な どにつ いて は,次 の節 で述べ る。 2.マ ンガ ン社 の事例 マ ンガ ン社 で は94戸 に404人が居 住 して い る。 そ の 中で, 漢民 族 は238人で あ り,総 人 口の 58.9% を占め て い る。 少数 民族 は166人 であ り,総 人 口の41.1%を占めて い る。 少 数民 族 の 中 で は,傑傑 族が最 も多 く,少数民族 人 口の96.4%を占めて い る。 マ ンガ ン社 は白花林村 の なか で 人 口の最 も多 い村落で あ る。 マ ンガ ン社 の集 団林 は村 落 に近

い。

村 落 の後 ろ側 に畑 が あ り, その畑 が 山頂 の方へ伸 びてい て,山の上部 の林 と接 してい る。 その林 が集 団林 で あ る。1982年 に,マ ンガ ン社 は分配 された 荒 山地 を各農家 に分 けたが,林 の部分 はその まま村落 の共有林 と した。社 は共有林 を二つ に分 けて,

2

人 の 「護林 員」 (森林 を管 理 ・保護 す る人)を村 び との なか か ら選 んで,林 の管 理 を させ た。1982年 か ら現 在 (1997年 10月)まで の15年 間 にお いて,護 林 員 は何 回 も変 わ ったが, 森 林 に対 す る管 理 の 申 し合 わせ は守 られ てお り, 利用 もされ て い るが,林 は大 き くな って き た 。 護 林 員の ミ- さん は44歳で,傑 傑 族 の男性 で あ る。 彼 が護林 員 にな ったの は1992年 で あ る。 5年 間の森林 を管 理 す・る経 験 を持 つ ミ- さん は, 「林 は私 た ちに木材 や薪 を提 供 して くれ るか ら,私 た ちは林 を大事 に保護 しなけれ ばな らない。乱伐 な どは絶対 に許 しませ ん」 と話 した。 ミ- さんの話 を整理 す る と,マ ンガ ン杜 の共有林 に対 す る管 理 は以下 の ようであ る。 391

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東 南 ア ジ ア研 究 36巻3号

(

1

)

建 材 今 まで,建 材 の多 くは昔 (林 業 三宝 以 前)に伐 採 され て置 か れ て い た もの で あ る。 これ らの 木材 はた いて い池 や水 溜 ま りに浸 して保 存 されて い る。柱 や梁 の用材 が 多 い。 また,近所 の 自 然保 護 区管 理 ステ ー シ ョンか ら も建材 を買 って い る。そ れ は過 去 に乱伐 され て も外 に運 ばれず , 自然 保 護 区 に置 か れ て きた樹 木 (直 径 が 1m, 長 さが 50m ほ ど)で あ る。 この十 数 年 , 共 有 林 に頼 る建 材 の多 くは垂 木 の よ うな細い 用 材 だ けで あ る。 垂 木用 の建材 を伐 採 す るため に は, ま ず ,村 民 は社 委員 会 に 申込書 を出す 。杜 委員 会 は審 査 した上 で伐 採 の許可 を発行 す る。 この許 可 に は伐 採 す る木 の本 数 が決 まって い る。 伐採 は護 林 員 が指 定 した,一般 に樹 木 の繁 茂 した所 で行 う。 護林 員 は伐 採 を監 督 し, 「山本 費」 を徴 収 す る。 山本 費 は 「架」 (1架 - 2本)とい う 単 位 で計 算 す る。

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架 の垂 木 に対 して

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(

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年)を徴 収 す る。 徴 収 して得 た金 は護 林 貞 と 社 で半 々 に分 け る。半 分 の金 は護林 員 の賃 金 で あ る。 ミ- さん に よる と, これ まで大 きな樹 木 を切 らない よ うに して きたが ,今 年 は切 らない とい け ない状 況 にな った。 なぜ な ら,家 を建 て たいが建 材 を持 た な い農家 が 多 くな って きた。 この 状 況 に応 じて,社 は今 年 の乾 季 に (秋 か ら冬 の時 期 )一定 の木材 を伐 採 す る計 画 を立 て た。 大 きな樹 木 を伐 採 す る こ とは垂 木用 建材 の伐採 と違 って,次 の よ うな一連 の手 続 きを しな けれ ば な らない。 a.社 委員 会 は新 し く建 て られ る家 の件 数 に従 って (1軒 当 た り8m3 と して)伐 採 計 画 を立 て る。 b. 村 民 大会 で計 画 を可 決 し, その後 村公 所 に出 して審 査 を受 け る。 C. 審査 され た計 画 と と もに郷 林 業 管理 所 (市 林 業 局 に属 す る)に伐 採 許 可 を 申請 す る。 そ の際 ,林 業 管理 所 へ 伐採 費 と して80元

/

m

3 を払 う。 d.社 委 員会 の指 定 した場 所 で,護 林 員 の監 督 の もとに伐採 を行 う。 e.伐採 した木材 を用 途 別 に異 な る価 格 で 申請 した農 家 に売 る。 f. 木材 を売 って得 た金 は護林 員 と杜 が半 々 に分 け る。 以 上 の よ うな伐 採 方法 は 白花林 村 の ほか の社 にお いて もほぼ 同 じで あ る。 (2) 節 薪 の ほ とん どは社 集 団林 に頼 って い る。 マ ンガ ン社 で は薪 の伐採 につ いて以 下 の よ うな規 定 があ る。 薪 にな る樹 木 は, a.主 に曲が った木 や雑 木 (主 に クヌギ)な どに限 って い る。 そ の ほか,b. 大 きい木 の枝,C.自然 に枯 れ た木 ,d.垂木用建材 の伐採 余剰 生 産物 , この 4つ で あ る。 薪 の量 に関 して は, 各 農 家 が 毎 年 共有 林 か ら2パ イ (1パ イ -0.5m3)の薪 を伐 採 す る こ と が で きる。 伐採 の方 法 は次 の 二 つ が あ る。a.各 農家 は護 林 員 が指 定 した場 所 で指 定 した樹 種 392

(15)

郭 :雲南の多民族村における森林利用 と 「森林創出」 を伐採 す る。 その場 合 は農 家が20元 を山本費 と して払 う (その うちの10元 は護林 員 に,10元 は 社 に分 け られ る)。b. 農 家 が 護 林 員 に頼 んで 伐 採 して も ら う。 この場 合 の 山本 費 は30元 に な る (そ の うちの20元 は護林 員 に,10元 は社 に分 け られ る)。 伐採 した薪 はす ぐに家 に運 ばず に, そ の まま現 地 に置 いて乾 かす 。乾 か した後 に,午 あ るい は馬 で 家 まで運 ぶ 。乾 か して い る間 に,社 委 員会 の人が 各農 家 が伐採 した薪 の量 を測 りに行 く。 一般 に,伐採 す る期 間 は農作 物 の収穫 が終 わ った後, つ ま り乾 季 の秋 と冬 で あ る。 乾 かす期 間 は大 体3, 4カ月で, 農暦 の正 月前 に家 に運 ぶ 。 共 有林 以外 に, 国 有 山林 と自然 保 護 区の実験 区 (自然 保 護 区の外側 部 分)で の枯 れ た木 や折 れ た枝 な ど も薪 にな る。 (3) ミ- さんの護林 史 ミ- さん は 白花 林 の 出身で はないO ミ- さんの先 祖 は山奥 に住 んで いた傑僕族 で あ る。 ミ-さん は1951年 に高 黍貢 山 の 山奥 に生 まれ,1952年 (土 地 改 革 )に父親 が政 府 に動 員 され 家族 を 連 れて 白花林村 に降 りた。マ ンガ ン村 (今 のマ ンガ ン社 )に編 入 され,土 地 を分配 して もらった。 そ れか ら ミ- さん一 家 の定 住 生 活 が始 まった。 「私 の阻 父 は狩猟 で生 活 を して い た」 と ミ- さ ん は言 う。 ミ- さんの母 親 は傑 僕 族 の首 領 の家 に生 まれ, ミ- さん一 家が 白花 林へ 降 りて きた 時, 母 親 の実 家 の部 落 はすべ て ミャ ンマ ー- 移動 した。 ミャンマ ーで何 が あ ったの か は分 か ら ないが, 大部 分 の 人 は亡 くな った よ うで あ る。 ミ- さんの母 親 は1958年 に亡 くな った。 ミ- さ ん一 家 の よ うに,1952年 に はた くさんの傑傑族 が政 府 の動 員 に応 じて 山 か ら降 りて きた。 この 事 件 の際 , 多 くの傑僕族 が初 め て 白花 林 に入 った。傑僕 族 は漢民 族 や 自族 な どか ら水 田で の稲 作 を学 びなが ら, 山林 で の 狩猟 も続 けて い た。 狩猟 は 自然 保護 区が設 け られ た1982年 まで続 い たが1982年 以 後 は禁 lLされ た。 ミ- さんが 護林 員 に選 ばれ たの は1992年 の こ とで あ った。 ミ- さん は ま じめ な人 だ と陳 さん (私 の調 査 協 力 者 )は言 った。 当初 , ミ- さん は この 仕 事 の難 しさ を恐 れ て, や りた くな い と 言 った。 しか し,社 長 は共 有林 をな くして はい けない と言 って, ど う して も管理 の仕事 を受 け て欲 しい と頼 んだ。林 をな くして はい け ない とい う気持 ちか ら, ミ- さん は護林 員 にな った。 ミ- さんが管 理 す る林 の面 積 は正 確 に測 った こ とが な いが ,1,000ム ー近 い とい う (つ ま り マ ンガ ン社 の村 落 共有林 は合計2,000ム ーほ どと推 定 で きる)。 林 の管理 に一番忙 しい季節 は秋 の初 めか ら冬 の終 りまでで あ るO この期 間 は乾 季 で あ り,伐採 の季節 で あ るC ミ- さん は この 時 期 に は, 毎 日2- 3回林 を巡 視 す る。 仕 事 の一 つ は マ ンガ ン社 の 人の伐採 (垂 木 また は薪) を監督 す る こ とだ。 もう一 つ は他 の社 あ るい は村 の 人 に よる盗伐 を防 ぐこ とで あ る。 ミ- さん が 忙 しい時 は家族 の 人 も手 伝 う。雨 季 は伐採 の季節 で はないので,比 較 的 ひ まで あ る。 ミ- さん は社 委 員会 と20年 の契約 を した。契約 の 内容 は以下 の よ うで あ る。 393

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東南 アジア研 究 36巻 3号 a.護林 員の主 な仕事 は盗伐 を防止す るこ とであ る。 盗伐が行 われた時,護林員が犯人 を捕 まえ られなか った ら,犯 人の代 わ りに護林 員が 4元/本 の罰金 を納 め る。 犯 人 を捕 まえ た場合 は,伐採 された木 の大 きさに よって,犯人が

4-4

0

元/本 の罰金 を納 め る。 b.樹木が大 き くなる まで,賃金 と して,村民が垂木や薪 な どの山本費 と して払 った金額 の 半分 を護林員が もらえる。 樹木が大 き くな った ら,木材 を生産 して売 って得 た金額 を護 林 貝 と社 に半 々に分 ける。 C.契約期 間に, 山林 に対 す る体 制が変 わ った ら (例 えば, 山林 が政府 に回収 され るな ど), 社委員会 は護林員 の損失 を補償 す るため に,契約 した 日か ら契約 を取 りやめ る 日まで, 毎 日5元 の金額 を払 う。

d.

契約期 間に,盗伐が多 く,共有林 が破壊 され るようであ った ら,社委員会 は護林 員 を替 える。 その際,護林員が林 の損失 を賠償 しなければな らない。 厳 しい規則 であ るが, ミ- さんはこれ まで 5年 間 よい評価 を得 ている。 5年 間で, ミ- さん は盗伐 の犯人 を捕 まえた こ とが3回あ った とい う。 3回 ともマ ンガ ン社 の人で はな く,近所 の 村 び とであ った。ミ- さんは 「この山林 は私が管理 してい るが,勝手 な伐採 が禁止 されている。 あなたが見つ け られた ら,あなたが罰金 を納 めなければな らない。 あなたが見つ け られなか っ た ら,私が罰金 を納 めなければな らない。 どち らが罰金 を払 うに して も損失 に しか な らない」 とい うような説明 を した。マ ンガ ン社 の村民 は共有林 に対 す る管理規則 を守 り,護林 員の仕事 を評価 してい る。 他村 の村民 も盗伐 に来 な くなるよう, ミ- さんは林 の管理 を熱心 に続 けてい きたい と話 した。 ミ- さんの家 には, ミ- さん以外 に,秦 (44歳)と,長男夫婦 (22,20歳),次男 (17歳),蘇 (1歳)が い る。 ミ- さんの家の農作状 況 は表 8に示す ような内容 とな っている。 一年 に農作 物 か ら約8,700元 の現 金収 入 と, これ に ミ- さんの護林員 に よる賃 金 を加 えて, 表8 ミ-さんの家の農作状況 (1997年) 項目 小計水サ トウキ ビ田 水稲 小計 トウモロコシ 杉 +サ トウキ ビ コー ヒー畑 大 豆 数量 5.8ムー 3ムー 2ムー 10ムー 3ムー 4ムー 1ムー 2ムー 用途 換 金用 自家消費 飼料 杉 :自家消費サ :換 金用 換 金用 自家消費 家 屋 の 庭 内 1 牛 豚 394 鷲 300m2 1本 10本 2頭 10頭 12羽

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郭 :雲南の多民族村における森林利用 と 「森林創出」 約 1万元 の総 収 入 が あ る。 この金 で農業生 産費用 を含 む一 年 の暮 ら しを支 えてい る

「貯 金 は ないが,生活 は大丈夫 だ」 と ミ- さん は言 った。 (4)採 集 採集 はマ ンガ ン社 の村 び とだ けで はな く, ほかの村 落で も一年 を通 じて森林 で の採 集 を行 っ て い る。共 有林 以外 に, 国有 山林 と自然保 護 区 の実 験 区で も採 集 が で きる (伐採 は禁止 )。利 用 され る林 産物 は多 いが,大体次 の種類 に ま とめ られ る。 それ らは筒, キ ノコ類 , 山菜 (木本 の若芽 を含 む),澱粉類 ,野生 の果物 ,薬草 な どであ る。

3.

ハ ンロン社 の事例 ハ ンロ ン杜 で は45戸 に198人が居住 して い る。 その 中で漢民族 は138人,総 人 口の69.7%を占 めてい る。 少数民族 は60人,総 人 口の30.3%を占めてい る。 少数民族 の 中で は イー タン社 と同 じように傑傑族 と白族が 多数 を占めてい る。 白花林村 においてハ ンロ ン社 は比較 的規模 の小 さ い村 落で あ る。 1982年 に,ハ ンロ ン社 には集 団 山林 が分配 された。その時,ハ ンロ ン社 は荒 山地 を自留 山 (価 人保有 山)と して各 農家 に分 配 した。次 いで,村 落 に近 い一部 の集 団林 を責任 山 と して各農家 に分 けて,村 に遠 い集 団林 を分 けず に村落 の共有林 と した。村 に近 い林が 自留 山 とされて も, 村落 の最 も近 くにあ る林 は分配 され なか った。 なぜ な らば, その林 は村 の水源林 と考 え られて い るか らで あ る。 水源林 は 「青龍 山」 といい,切 って はい けない と昔 か ら伝 え られて きた。 ハ ンロ ン社 の村落 は斜面 の凸部 に位置す るため,村 落 を通 る渓流が ない。水 は主 に井戸 に頼 って い る。 その ため,青龍 山 は水源林 と して大事 に されて きた。青龍 山 を除いた近 くの林 が責任 山 と して各農家 に分配 され たが, これ らの責任 山 はイー タン社 のそれ と同 じ運命 にあ った。つ ま り多 くの農家 は責任 山の林 を切 り, そ こに畑 を作 った。 トウモ ロコシや大豆 な どを植 え る農家 もあれ ば,果樹 を植 える農家 もあ った。木 を切 りす ぎたため,水源林 は保護 されていた ものの 村 の井戸 か ら出 る水が少 な くな って きた。水 に対 す る危機感 が あ って,村落 の社 長 は長老 たち と話 し合 い,1991年 に責任 山 を回収 した。 回収 され た責任 山の名義 は村 落共有 と し, 回収前 に 植 えた果樹 な どはその まま植 えた人の所有財 産 と した。 また,畑 にな った山地 には,植林 をす る方針 が決 め られ た。植林 の方法 は,有志者 が荒 山地 を植林 す る ものであ る。 植林 の樹種 は, 果樹 ,用材樹 木,薪炭林 な どの いず れで もよい。植林 した者 は樹 木 を永遠 に所 有で きる。 この ように,昔 の森林 の景観 を回復 しようと,ハ ンロ ン社 において いろいろな植林 活動 が始 まった。 果樹 や用材 を植 える とき,多 くはアグロフ ォレス トリー栽培 の形式 を と り,裸 にな った斜面 を 緑 で覆 うこ とにな った。 その方 法 につ いて は次 の節 で詳 し く述べ る。 以 上 の よ うな変 化 が あ ったハ ンロ ン村 にお い て は,建 材 と薪 を巡 って,次 の よ うな対 策 を 395

(18)

東南 アジア研 究 36巻3号 とってい る。 (1) 建材 ハ ンロ ン村 において,集 団林 の一部 は分配 されなか ったか ら,建材 の多 くはそ こで求め るこ とになる。集団林 の管理 を専任 す る人 はいないが,社長が世話人の ような役割 を果 たす。集団 林 は主 に村 び との相互監視 で守 られている。 だれ も勝手 に集 団林 で木 を切 るこ とがで きない。 一連 の手続 きを した うえで,建材 とす る樹 木 を切 ることがで きる。 その一連 の手続 きは上 に述 べ たマ ンガ ン社 の例 と同 じであ る。 実際 には,近年 において,ハ ンロ ン社 で は家 を建 て る農家 が少 な く,近 い将来 に も多 くの農家が家 を建 て る見込 み はない。 この背景 には,家屋 の広 い農 家が多 く,子供が結婚 して も一緒 に住 め ることと,新 しい家 を建て る余裕が ない とい うことが あ る。 (2) 蘇 ハ ンロ ン社 において,薪 は主 に集団林 に頼 っている。 薪 の伐採 は乾季 に行 われ,一般 に一年 分の薪 を伐採す る。 お互 いの監視 が きび しいか ら,大量 に薪 を伐採す る人 はほ とん どいない と 村 び七 が言 っていた。

4.

まとめ 保 山地 区の森林 にお け る最 近 の歴 史 は大 き く二段 階 に分 け られ る。 す なわ ち,1950年 か ら 1980年 までの30年 間 を第一段 階,1980年代 か ら現在 までの十数年 を第二段 階 と して区分 けで き る。 第一段 階 において,保 山地 区の森林 は中央政府 の林業政策 に したが って,主 に国有 山林 と大 集団山林 (人民公社所有林)の形で管理 されていた。1958年 に開始 した大躍進 と1966年 に始 まっ た文化大革命 に よって,国有 山林 と大集団山林 の多 くは破壊 された。それに政府指令 による伐 採が加 わ り,30年 間に保 山の森林 の半分以上 は消 えた。今 日の保 山地 区 に赤土が露 出 してい る 山々はその森林破壊 の結果 であ る。 第二段階 にお いて は,林 業三走事 業 によ り,森林及 び森林地帯 が国有 山林 (自然保護 区 を含 め る)と集 団山林 に再 び区分 け された。 国有 山林 は相変 わ らず国の林業部 門 に管理 され,集団 山林 は農村 の最 も基本的 な生 産組合 で あ る社 (村落)に管理 され るよ うにな った。 国有 山林 で 伐採 が行 われ る一方で,林業局 に よる荒山地での植林 も進 んでいる。集団山林 を区分 した際 は, 基本的 に歴 史上 の慣 習 を認 め,その村 に近 い山林 をその村 の集団山林 と した。集団山林 は荒山 地 と二次林 の二種類 の林地 を含 む。二次林 は住民 に集団林 と呼 ばれ, 区分 した時点で大 きい樹 木が ほ とん どなか ったが,以後,20年近 く住民 に建材,節,牧場 ,林産物 を提供す る場 と して 396

(19)

郭 :雲南 の 多民 族 村 にお け る森 林 利 用 と 「森 林 創 出」 働 いて きた。 次 いで, 白花林村 を例 に して,村 落 の集 団 山林 の実態 につ いて考 察 を行 った。 白花林 村 の八 社 にお いて,荒 山地 が各 農 家 に分配 され, ほ とん どの農 家 はそ れ を畑 に変 えた。集 団林 に対 す る対 処 及 びその結果 につ いて は,以下4点 に まとめ られ る。 ① 社 の集 団林- の対 処 に三つ の路線 が あ った。 路線 - は,集 団林 の全部 を責任 山の形 で各 農家 に分 配 した。 路線 二 は,集 団林 を各 農家 に分配せ ず に, すべ て を村落 の共有林 と した。 路線 三 は,集 団林 の一部 を責任 山 と して各農家 に分配 し残 った部分 を村 落 の共有林 と した。 この三つ の路 線 と関係 な く,村 落 の 水源林 と思 われ る森林 が共有林 とされた。 ② 三つ の路線 の もと,集 団林 は違 う運 命 をた どった。 路線 - の場 合 は,集 団林 が短期 間で全部切 られて,畑 に変 わ った。 そ の原 因 は政 策 に対 す る不信 と 1人当 りの土 地が少 ない現状 にあ る と見 られ る。 今 日,森林 の ない村 で は植林活動 が積 極 的 に見 られ る。 路線 二 の場 合 は,集 団林 が村 落 レベ ルで管理 され て いて,村 び とに建 材 ,薪 ,林 産物 な ど を提 供 して きた。 路線 三 の場合 は,責 任 山に され た一部 の森林 は路線 一・の森 林 と同 じ運 命 をた どった。つ ま り林 が切 られ て林 地 が畑 に変 わ った。 その結果 ,村 の水源 に悪影響 を及ぼ したため,責 任 山 が再 び村 に回収 され,植林 地 とされた。村 の共有林 とされ た部 分 は村 落管理 の もと,村 び と に建材 と薪 を提 供 す る一方 ,林 産物採 集 の場 と して も働 いた。 水源林 と思 われ る共 有林 は保護 され て きた。 ③ 共有林 に対 す る管 理 は,村 落 の 申 し合 わせ ,村 び との相 互 監視,村 び との信 仰 に よ り行 わ れて い る。 ・建 材 の伐採 は,郷 政府 に よる一定 の規則 , 及 び村 落 の 申 し合 わせ の もとに行 われ る。 ・薪 の伐採 は,村 落 の 申 し合 わせ , あ るい は村 び との相 互監視 の もとに行 われ る。 ・水源林 に対す る保護 は村 び との信仰 が もとにな って い る。 ④ 現状 と して, 共有林 とされ た集 団林 は,村 び とに利用 されて い るに もか か わ らず ,樹 林 が 旺盛 に保 たれて い る。 以 上 の 白花林 村 にお け る集 団林 の実態 は以 下 の い くつ か の こ とを示 して い る と考 え る。 その- は, 国家 の政 策が村 社 会 に大 きい影響 を及 ぼす こ とで あ る。基 本 的 な政 策 が不安 定 な ら,村 社 会 に影響 し, そ の結 果 ,村 の生 態 系 に悪 影響 を及 ぼす 。 その二 は,集 団林 の管理 に対 して, 利用 と保 護 の両方 の 目的 に達す る には,村 落共 有林 とい う形 が最 も有効 で あ る。 その三 は,少数民族 が集 団生 活 をす るための適 正 な集 落 規模 が存 在す る こ とで あ る。,そ の規模 は 自然 村 落 で あ る。 そ の規模 を超 えた り (つ ま り大 集 団の 一 員 にな る こ と), そ の 規模 よ り小 さ くな 397

(20)

東南 アジア研究 36巻3号 る (つ ま り個 人 にな るこ と)こ とは望 ま し くない。 この よ うな認識 は複 数民族が混住 す る場合 に も,強 く現 れている。

村 の牧畜業 と森 白花林村 は半分以上 の土地が林地であ るが, これ らの林地 は放牧 に広 い場 を提供 してい る。 村 にお ける家畜 の種類 は牛や馬 な どの大型家畜 と, ヤギ,豚,家禽であ る。

1

.家畜 の飼育及び管理 (1) 大型家畜 の飼育 大型家畜 とは,水牛, あか牛,局, ラバ, ロバの ことを指す。村 び との言葉で は 「大牲畜」 とい う。意味 は体型 の大 きい家畜であ る。村 の大型家畜 は主 に農業生産 のための畜力 を提供 し ている。 白花林村 には トラクターを有す る農家 は少 な く,多 くの農家 は水牛 とあか牛 を使 って 田んぼや畑 を耕 し,局, ラバ, ロバ を使 って穀物 や薪 な どを運ぶ。つ ま り農家 に とって, これ らの畜力 は欠かせ ない。表9は白花林村 の大型家畜 の飼育状 況 を示 してい る。 大型家畜 の飼育 は,一般 に昼 間に放牧 して夜 に畜舎 に入 れ る。放牧が農家個 々に行 われ る場 合 もあれば, い くつ かの農家が一緒 に行 う場合 もあ る。 一 日の放牧 回数 は牧場 の速 さで決め ら れ る。 また,季節 に よって も異 なる。例 えば,村 に近 い草 山な ら,一 日に2- 3回放牧す る。 遠 い草 山だ った ら,一 日に1回だけ放牧す る。 また,夏 な ら,早朝 の放牧 と夕方の放牧が重視 され る。 その理 由は,夏 の早朝 の草 は最 も新鮮 で栄養 のあ る飼料 と考 え られてい る。 一方,夕 方 は涼 しく,家畜 も気持 ちよ くて革 をた くさん食べ る。放牧 の担 当者 は主 に子供 と年寄 りであ る。 夜 になる と,大型家畜 は家の周 りにあ る畜舎 に入 れ られ る。 畜舎 は一般 に瓦 または草 の屋根 表9 白花林村の大型家畜の飼育頭数 (1997年) 社 名 水牛 あか牛 馬 ラバ ロバ 小計 ノヽンロン イータン グ-シン タオーユ アン ノヾイーファーリン マ-リーシャン マンガン マンフアン 29 38 11 19 45 55 12 38 28 17 2 22 24 21 3 20 32 71 6 16 43 43 9 11 65 20 8 35 10 20 7 8 1 98 1 151 69 68 125 106 128 45 合 計 276 285 58 169 2 790 戸 平 均 1.62

3

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郭 :雲南 の多民 族村 にお ける森 林利用 と 「森林創 出」 で あ り,正面 は欄干式 の壁及 び ドアで,他 の三面が土 の壁で あ る。 特 に冬 には夜 に草 や水 を1 回与 える農家が あ る。 大体 の農家 は,大型家畜 の うち,労役 と して使 う もの,子供 に授 乳 して い る もの,幼 い もの,病 気 に雁 って い る もの な どに適 当 な穀物 の飼料 を与 える。 それ以外 の家 畜 にはほ とん ど穀物 の飼 料 を与 えず に,放牧で育て る。穀物 の飼料 は主 にそ ら豆 や魂豆, トウ モ ロコシの粉 ,小麦粉, お粥 な どで あ る。 それ以外 に豚 の油 や赤砂糖,玉子 な どを与 え る場 合 もあ る。 また,役畜 の場 合で は,力仕事 を始 め る前 及 び終 わ った後 に,必ず村 の獣 医が家 まで 呼 ばれて,打 ち身用 の薬 や肥育 の薬 な どが役畜 に与 え られ る。 以上 の ように, 白花林村 の大型家畜 の食料 は主 に山の天然草 本 に頼 っていて,補助 の飼料 と して トウモ ロコシや水稲 な どのわ らと少量 の干 し草 が用 い られ る。 この ようなパ ター ンは白花 林村 以外 の山岳部 の村 々に も共通す る。 (2)ヤギの飼 育 白花林村 を含 め た高泰貢 山 山地 で最 もよい 品種 と言 われ る家畜 は黄 山羊 (huang-sham-yang) とい う名 のヤギであ る。黄 山羊 は高黍貢 山の住民が野生 のヤギ を順化 して得 た品種 で,環境 に 対す る適応性 の強 い動物 だ と言 われてい る。 また,黄 山羊 は成長が早 くて, 肉の臭 みが な くお い しい と評価 されてい る。黄 山羊 は主 に海抜 が1,300m以上 の山地 に生息 し,群 れの生活 を好 む。 その外 貌 は特徴 的で,足 と頭部 に黒 い毛が, それ以外 の全 身 に黄色 の毛が生 えてい る。 オスに は角が あ り, メスには角が ない。両方 とも肉用 とされ る。 白花林村 において,黄 山羊 を飼 う農家 は主 にハ ンロ ン, イー タン, グーシ ンの3社 に集 中 し てい る。 この 3杜 は斜 面 の上 部 の海抜 が高 い (1,400-1,500m)所 に位置 す る。 表10は白花林 村 の黄 山羊 の飼 育状 況 を示 して い る。 黄 山羊 の飼育 は大型家畜 の場 合 とよ く似 てい る。つ ま り昼 間 に放牧 して,夜 に畜 舎 に入れ る。 ほ とん どの農家 は黄 山羊 と大型家畜 の放牧 を一緒 にす るが,畜 舎 は別 に設 けてあ る。 黄 山羊 の 畜舎 は家の周 りに作 られて いて.その四方 を欄干 で取 り囲 んでい る。屋 根の あ る もの もあれ ば, 屋根 のない もの もあ る。 一般 に高床式 で,地面 か ら 1m ほ どの高 さにあ る。床 の板 の間 に一定 の間隔が あ るが, それ は山羊 の糞 な どを落す ためで あ る。 黄 山羊 はほ とん どが放牧で育て られ てい るが,草 の生育旺盛 な季節 の夜 には新鮮 な草 を与 え られ る場 合 もあ る。黄 山羊 は主 に農家 の現 金収 入の源 とされてい るが, 自家消 費す る場 合 もよ くあ る。 表10 白花林村 の黄 山羊 の飼育頭数 (1997年 ) 社 名 ハ ン ロ ン イ ー タ ン グ - シ ン 合計 黄 山 羊 94 12 65 171

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東南 アジア研 究 36巻3号 表11 白花林村の豚 の飼育頭数 (1997年) 社名 ハンロン イータン グ-シン タオーユ7ン バイーファーリン マ-リーシャン マンガン マンフアン 合計 戸平均 豚 154 302 138 135 287 220 352 93 1,681 3.45 (3) 豚 の飼育 豚 は白花林村 の主 な現金収入 の源であ り,村民 の肉消費 の源で もあ る。 農家 は豚 を飼 うこ と が最 も大事 なこ とと考 えて,毎 日豚 のため に青刈飼料 を採 った り,それ を煮 た りし,大量 の労 働 力 を使 う。 豚 を飼 わない農家 はいない。表11は白花林村 の豚 の飼育状況 を示 している。 豚 に対 す る飼 育 は二段 階 に分 け られ る。 第一段 階 は 「吊架子 (diao-jia-z

i

)

と呼 ばれ,豚 の 骨格 を生長 させ るとい う段 階で あ る。 第二段階 は 「催肥 (cui-Lei)

と呼 ばれ,豚 を肥育す る と い う.段階であ る。 第一段 階で は,農家 は昼 間,豚 を放牧 し,夜 に豚小屋 に入れ る。 一般 に,早朝 に豚 に飼料 を 食べ させ て, それか ら放 牧す る。 夕方 ごろに もう一度食べ させ て,豚小屋 に入れ る。 放 牧 と 言 って も,豚 自身が村 内及 び村 の周辺 の山林で 自由に食物 を探す こ とである。 夜 になる と豚が 自分 で帰 って来 る。 この段 階の飼料 は主 に青刈飼料 (カジ ノキの葉 や野菜,サ ツマ イモ の葦 な ど)であ る。 普通,青刈飼料 に少量 の米 ぬかや小 麦のふす まな どを混ぜ て豚 に食べ させ る。 1 年 ほ ど経 ち,豚 の骨格 が出来上が る と,第二段 階 に入 る。 第二段 階 に入 る と,放牧 されな くな り,豚が豚小屋 を出 るこ とはな くなる。 農家 は豚 に主 に 穀物飼料 (主 に トウモ ロコシ)を食べ させ て,早 く肥 える ように多食 させ る。 酒 を作 る農家 で は酒かす も食べ させ る。 この時期 には青刈飼料 も必要であ り, カジノキの葉 や野菜 な どが常 に 使 われる。 豚小屋 は家の周 りに設 けてあ るが,その構造 は大型家畜 のそれ とほぼ同 じであ る。 一般 に, 豚小屋 と大型家畜 の畜舎 は別 々に設 けるが,両方 を一つ にす る農家 もあ る。 厩肥 は農地の肥料 とす る。 (4) 家禽 の飼育 白花林村 で は,上記 の大型家畜,ヤギ,豚以外 に,鶏 もた くさん飼 ってい る。 またア ヒル と ガチ ョウも少 しい る。鶏 に対 す る飼育 は,一般 に昼 間に家の周辺 に放 し,夜 に鶏小屋 に入 れ る。 鶏が村 で 自由に虫 な どの食物 を探 す以外 に,一 日に2回以上飼料 を食べ させ る (最低 で も朝 と 夕方 の 2食 を食べ させ る)。飼料 は穀物 の トウモ ロコシや米,米 ぬか な どであ る。 鶏小屋 はほ とん ど庭 に設 けてあ って,竹 や板 で作 られた ものが多 い。鶏の繁殖 につ いて は,農家 自身が ひ よこをか えす。農家 は鶏 を売 った り, 自家消費 した りす る。 表12は白花林村 の鶏の飼育状 況 を 示 している。 400

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郭 :雲南 の 多民 族村 にお け る森 林利 用 と 「森林創 出」 表12 白花林村 の鶏 の飼 育状 況 (1997年 ) 単 位 :那 社名 ハンロン イータン グーシン ダ寸-ユ7ン バイー77-7)) マ-i)-シャン マンガン マンフアン 合計 戸平均 鶏 160 320 150 140 310 250 360 120 1.810 3.72 鶏以外 に, 白花林村 にはア ヒルの姿 も しば しば見 られ る。 ア ヒルは元 々盆地 の家 禽で, 白花 杯村 に見 られ る よ うに な ったの は近年 の こ とだそ うで あ る.村 に は水 のあ る所 が多 くないが, 水溜 ま りで数羽 の ア ヒルが 見 られた。村 全体 で も数戸 の農家 しか ア ヒル を飼 って い ない。 ア ヒ ルの飼 料 は主 に穀物 や米 ぬか,小麦 のふす まな どで あ る。 ア ヒル と同 じ盆地 の家禽で あ るガチ ョウ も白花林村 にい る。 そ の状 況 はア ヒルのそれ とほ と ん ど変 わ らない。 ア ヒルや ガチ ョウの飼 育 は, 白花林村 の住民 に よる新 しい家禽種 類 を導 入 し よ う とす る試 み と して考 え られ る。

2

.牧草 及び飼料 (11 牧草 及 び飼料 の資 源 以上 の結果 か ら, 白花 杯村 にお け る家畜 の牧草 及 び飼料 は次 の6種類 に ま とめ るこ とがで き る。 つ ま り,① 放 牧用草 山 に生 え る草 ,② 村 のあ ち こち (畑 のあぜ な ど も含 む)に生 える雑草 , ③ 穀物 ,④ 農作物 の わ ら,⑤ 酒 かす ,⑥ カジ ノキの葉 や野菜 な どであ る。 こ こで い う放 牧用草 山 とは,主 に村 の周辺 の 山林 を指 す。具体 的 に,草 が主 な植生 となる山地 や,疎 らな林 の林地 , 放 牧 で きる天然 林 地 (村 落 共有 林)

,

鹿木 林地, 休 閑地 な どを指 す。 これ らの草 山 は家畜 に新 鮮 な草 を提 供 して い る。 牧草 にな る草 の種類 が 多 いが, イネ科 の早 茅 (Schizach,vriも仰 delat・ayi

(Hack.)Bor.)や 自茅 (Imperatac_vlindrica (Linn.)Beauv.)な どが主体 で あ る。

革 山以外 に,畑 の あぜ や空 き地 に生 えてい る革 も家畜 の飼料 になる。 穀物 飼料 は主 に トウモ ロコシや そ ら豆 ,小麦 な どであ る。 また,米 ぬかや小麦 のふす まな ど も穀物 飼料 にな る。 飼料 にな るわ らは,主 に水稲 の わ ら,トウモ ロコ シのわ ら,豆 (そ ら豆 と大豆)のわ らで あ る。 小麦 の わ らは堅 い ため飼 料 に しない。 村 には米 で酒 を作 る農家が結構 多 く見 られ る。 酒 かす を他 の飼 料 と混ぜ て家畜 に食べ させ る の は普通 であ る。 カジ ノキの葉 や野菜 な どは主 に豚 の青刈飼料 と し,他 の家畜 の飼料 には しない。 以上 の6種類 の以外 に, 保 山の他 の地域 で は,涌 かす (油 菜 の種子 か ら搾油 した後 に残 った かす)やサ トウキ ビの しぼ りかす な ど も家畜 の飼料 にな ってい る。 401

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東南 アジア研究 36巻3号

(

2)

飼料 の加工 加工 され る飼料 は主 に上で述べ た(参穀物,④ 農作物 のわ ら,(参カジノキの葉 や野菜 な どであ る。伝統 的 な加工方法 は,a.粉 にす る (製粉機 あ るい はひ き臼 を用 いる),b.山刀 で切 る, C. 押 し切 りで切 る,d.煮 る,の 4つ があ る。 具体 的 に,穀物 を まず粉 に し,その後 に生 で,あ るい は煮 てか ら家畜 に食べ させ る。 農作物 のわ らは一般 に粉 に して,煮ず に他 の飼 料 (穀物 や 青刈 飼料 な ど)に混ぜ て家畜 に食べ させ る。 その うち,水稲 のわ らは押 し切 りで短 く切 ってか ら直接畜舎 に置 いて牛 や馬 な どの大型家畜 に食べ させ る。 カジノキの葉 や野菜 な どの青刈飼料 は まず 山刀 あ るいは押 し切 りで細 か く切 り,その後 に生 で食べ させ た り,煮てか ら他 の飼料 に 混ぜ て食べ させ た りす る。 これ らの加工パ ター ンを整理す る と,図4の ようになる。 3.まとめ 以上, 白花林村 の牧畜業 における家畜 の飼育及 び管理 の実態 と,牧草及 び飼料 の状況 か ら, この村の牧畜業の特徴 を次 の 4点 に まとめ ることがで きる。 ① 家畜 に対す る飼 育 は主 に放牧 で行 う。 放 牧す る場所 は村周辺の 山々,つ ま り森林 地帯 で あ るO 放牧 の期 間は一 日を単位 とす るが,遊牧 はほ とん どしない 。 (参 家畜 に対す る管理 は主 に家 をベ ース としてい る。 夜 には必ず家畜 を畜舎 に入 れ る。 (参 牧草 は主 に草 山,つ ま り森林 地帯 に頼 ってい る。 穀物飼料 は主 に畑作 に頼 っていて, そ れはアグロフ ォレス トリー栽培 と密接 に関係 してい る。 トウモロコシのわら 402 a+d _>豚 +8 -. -> 牛,局,豚 +c l 牛,局 カジノキ

+b(C)+dー 豚 図 4 飼 料 の加工パ ター ン 注 :a.粉にする (製粉機あるいはひき臼を用いる) b.山刀で切る C.押 し切 りで切る d.煮る

(25)

郭 :雲南 の多民 族村 にお ける森林利 用 と 「森林創 HJ.」 ④ 牧畜業 は村 び とに畜力,肉食,現 金収入,肥料 を提供 し,村 の生活 に大 きな役割 を果 た している。 これ らの特徴 は,牧畜業が一つ の孤 立 した生業で はない ことを示 している。 牧畜業 は林莱, 農業 に密接 に関係 し, 白花林村 において も,高黍貢 山の山地 において も,人 と森林 を結ぶ生業 の一つ であ る。 この ような,村 び と一牧畜業 一村 の生態系, この3者 の相互 関係 は図 5の よう に描 くことがで きる。 図5 村 び と ・牧畜業 ・村 の生態系 の相互 関係 畑 :農林複合栽培 の園地 を含 んで い る 山林 :園地 を除いた森林地帯 を指す 403

図 6 カジノキ ・茶園の断面図 写真 3 青刈飼料 とされるカジノキの菓

参照

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