タイ農業 にお ける生 産基 盤 の整備
- と くに末 端 水 利 組 織 と土 地 改 良協 同組 合 との 関 係 に つ い
て-本 岡 武
Basic Requirementsfor Agricultural Developmentin Thailand
- On theRelation between theTerminalOrgani2;ationsof WaterUseand ttleIJand ImprovementCooperatives
-by TakeshiMoTOOKA
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は しが 善一農 業 生産発展 の基盤一 低 開発 国農 業発 展 のた めの基 礎 的 な政策 は,人 的要 因 と して は教育投 資 で あ り,物 的要 因 と して は生産基 盤条件 の整備 の た めの投 資で あ る。 その いずれ も必要不 可欠 で あ り, その軽重 を 論 ず る ことはで きな い。 教育投 資 ,いわ ゆ る man powerの質 的改善 , あ るい はその動員 な り,産業部 門間 の再配 置 につ いて は,別の機会 に論 じた い と思 う。 農 業生産 の基盤 条件 の整備 は公共投 資 と して行 なわれ る。 それ は工 業部 門投 資 のよ うに,一 ● ■● ●■● 見 はなば な しくはな い。 それ は速 効 的で な く,か な りの時間 的経過 の うちに, しだ いに効果 が 現 われ て くる。 した が って , と もすれ ば ,経 済発 展 を い そ ぐ低 開発 国 において ほ軽 視 され が ち で あ るが ,農 業生 産性 拡充 に priorityを お く経 済 開発計 画 において は, と くに重視 され な け れ ば な らな い。 農 業生産 の基 盤 条件 の主要 な もの は,な によ り港渦 排 水 で あ る。 これ は土地 条件 整備 と もい え よ う。 しか し,交通 ・市場 条件 の改善 も,生産基盤 条件 の整備 と して土 地条件 整 備 に劣 らず 重要 で あ る。 なぜ な ら,農業 開発 は,低 開発 国 において は,根本 的 には農 業 の 自給 自足段 階か ら商 品生産段 階へ の発 展 を意 味 す るか らで あ る。 (もちろん , そ うで ない場合 もあ る。 商品生 産 が進 んで い るが ,な おかつ食 糧輸入 を はか らねば な らな い型 , あ るい は食 糧不 足 のた め 自給 用 食糧生産 増大 をせ ま られ て い る型 もあ る。 その場合 で も,交通 地位 の改善 は,食 糧搬入 , あ - 91- 489東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 るいは食糧増産 の資材搬入 のた めの必要 欠 くべか らざ る条件 とな るで あ ろ う。) 。・ ・・・ 1) さきに拙稿で ,タイ経済 と農業 とのめ ざま しい最近10年 の発展 を と りあげた。 その論文 にお いて,わた くLはタイは低 開発国の経 済発展の モデル ・ケ ース と考 え, その経 済発展 の うち農 業 の はた して い る役割 を高 く評価 した。 経済 開発計 画のなかで農業 に priority をお くことに 強 く賛成 した。 た しか に,今 日までの タイ農業 の成長 発展 には,水 稲生産性 の増大 と安定 ,な らびに畑作 物の急激 な増産 ,いいかえ ると農業多角化 (agriculturaldiversi丘cation)の急速 な進展が見 られ る。 この うち,た しか に戦後 の水 稲生産性 の増大 と安 定 とには,濯概 排水 条件 の整 備が貢献 して い るところは大 きい。 もちろん ,タ イにおけ る潅概排 水計画 は,たん に水稲栽 培 のためだ けで な く,水 田裏 作 と しての畑作物導入 の ための濯概 を も目的 と して い る。 と りわ け,雨季 と乾季 とが明瞭 に区別 され るタイで は,乾季 の畑作物栽培発展のた め には,畑地港概 が きわ めて重要 で あ る。 (この点 ,タ イの裏 作濯概 は, 日本 の場合 に くらべ ると,い ち じる しく重要で あ るこ とに注 意 され た い。 また ,タイで2毛作 とい う場合 , マ ラヤの よ うに水稲-水 稲の 2毛作 を意 味 す るので な く, 日本 と同 じく水 稲一 畑作物 の2毛作で あ る ことが多い。水 稲 2毛作 は濯概 用 水 の不足 とい う制約条件 のため,ほ とん ど不可能で あ る。) しか し, タイにおけ る農業 多角化 の急速 な発展 の理 由 と して,(1)政府の奨励政策,(2)輸送機 関の発展,(3)漕概 事業 の進展,(4)外 国 と くにアメ リカと国連 の援 助, (5)開発可能地 の豊富 な存 荏,(6)農地制度改革 を またず して土地 の比較 的 に平 等 な配分,(7)政治的安定,(8)農業改良普及 事業 の展 開, (9)農民 の 自主 的な意欲,(10)世界 経済 の好況 と世界 貿易の伸長, (11は くに 日本 が タ 2) イか らの輸入 を米 か ら畑作物 に き りか えた こと,な どが あげ られ て い る。 この うち,わた くLは, と くに強調 したいの は,交通 条件 の改善 で ある。 タイの場合 ,かつ て植民地で なか ったために,交通 条件 はひ じ ょうに劣 って い た。 すなわ ち,植民地 の場合 ,翠 事的 目的 と植民地統治強化 のために,まず交通条件 の整備 ,鉄 道 な らび に道 路が重点 的 に と り あげ られ るのが普通 で あ った。 と ころが,タイは逆 に, この国の侵略防衛 の ために,む しろ交 通 の改善 を はか らないほ うがよい とい う考 え方 を と って きた。 もちろん投下資本 の不足 もその 一 因 とな って い る。 したが って,水 路以外 の交通 手段 は皆無 にひ と しか ったので あ る。 しか し ひ じ ょうに注 目すべ き ことと して,戦後 の, と りわ け過去10年 間の道路建設 は,ま さに交通条 件 の画期 的な改善 を もた ら した。 これ が消費財 の導入 を とお して農民 の生産意欲 な りmoti va-tion な りを刺激 し, 農産物 の搬 出を促進 し, さらに新 しく開墾作付を可能 に したので あ る。 と りわ け注 意 すべ きは, さきに触れ たよ うに従来 ,タ イは水運 の国で あ り,河川 な り運 河 にそ 1) 拙稿 「タイの経済発展と農業
」
『東南 アジア研究』第3巻第5号 (1966),pp.2-39.2) Lester良.Brown,AgriculturalDiversijicationandEconomicDeZJeZoPmentinThailand:A CaseStudy.ForeignAgriculturalReprtNo.8(Washington,D.C.:U.S.D.A.,1963),pp.23-26.
-本 岡 :タ イ農 業 にお け る生 産 基 盤 の整 備 3) って農 業が営 まれ て いた。 この水 路 か ら離 れ た地 域 は農 業 的 に は利用 され な か った。 こ こに鉄 追 ,道 路 が建 設 され るにお よんで ,畑 作 が急激 に伸 展 す る。 交通 条件 の改善 こそ農 業 多 角 化 の 最 も重要 な基 礎 的条件 な ので あ る。 本 稿 の主題 とす る と ころは,農 業 生 産 の基 盤 条 件 と して の濯 概 排 水 条件 の整 備 , と りわ け, その うちで の , これ まで 軽視 され て い る末 端 水 利 組 織 の整 備 問題 で あ る。 しか も, その 問題 を 技 術 的側 面 か らで な く,社会 経 済 的 ・政 策 的 側面 か ら, と くに現 地調 査 に もとづ いて ,検 討 し よ うとす る。 これ にた い し, もちろん 交通 条件 の改善 は,広 く経済 開発 政 策 に属 す る もの の ,狭 義 の農 業 開発 政 策 に は入 らな い の が普 通 だ。 しか し,少 な くと も, タ イの農 業 開発 を論 じ,生 産基 盤 条 件 の整 備 を と りあ げ る とき,交通 条件 の改善 に触 れ な いで お くことはで きな い。 その ため ,つ ぎに一 節 を設 けて , この問題 に,簡 単 なが ら, あて て お きた い と思 う。
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交 通 条 件 の整 備 発展 - と くに戦 後 の道 路建 設 計 画 の展 開 につ いて一 水運 の国 タ イで も自然 水 路 の恵 まれ た地 域 は中央 部 平 原 にか ぎ られ た, こ こで は 自然 水 路 を 改修 した り,運 河 を もうけた り して ,水運 の発 達 に まで 努 力 がむ け られ た。 その反 面 ,水 路 に 接 しな い地 域 は, い っ さい の交通 か ら隔離 され た孤立 的位 置 に あ るか ,未 開発 状 態 に おかれ てい
た 。 国 内交 通 手 段 の第 1次革命 は,第 1次世界 戦 争後 に急速 に進 め られ た鉄 道建設 で あ る。 タイの本 格 的 な鉄 道建 設 は,1897年 に着 工 され たBangkok-NakhonRatchasimaをむ すぶKhorat線 で1901年 その完 成 を見 た。 こ こで は じめて ,Bangkokと東 北 タイの入 口 とが む すば れ た。 その後 ,北 部 線 が延長 され , ま た南 部 線 は マ ラヤ か らの びて き たが ,第 1次世 界戦争直 後 にな って ,鉄 道建 設期 に入 り,1921年 に は Chiangmaiまで の北 部 線 が完 成。 1926年 に は
Cambodia国境 の Aranyaprathetに至 る東 部線 が竣 工 して ,Phnom Penhと の鉄 道連 絡 が 可 能 とな った。 他方1922年 , マ ラヤ の Penangにつ な が る南 部 急 行 (Southern Express)が 運 行 を開始 し,1926年 に は Nakhon Ratchasimaか ら Ubonへ む すぶ Ubon線 ,つ づ いて
Udonthani- の び る Udon線 が完 成 した。 (Laosの Vientiane対 岸 の Nongkhaiに至 る
Udonthaniか らの延長 線 は1955年 に完 成 。)
第 1次世 界 戦 争 終 了 か ら僅 か10年 た らず の問 に,現 在 の ,北 部 線 ・南 部線 ・東 部 線 ・東 北 部 線 (これ は NakhonRatchasimaか ら Ubon,Udonへ の2線 にわ かれ る) の鉄 道 網 が完 成 ,
3) "Thaiareariverinepeople:They builttheirhomes,theirtowns,in thelow-landsof
rivervalleys.Riversaretheirmeansofcommunication,theirhighways,therouteoftheir migrations."(RobertL.Pendleton,Thailand,Aspectsof LandscapeandLife.NewYork: 1963.p.3.)
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号
その延長 約 3,200km。 これ に よ って ,第 1に,Bangkokが全 国各地 域 と結 びつ け られ , タイ の政 治 的 ・文 化 的 ・経 済 的 な統 一 が , は じめて確 立 され た ので あ った 。(た とえば ,鉄 道 開通 以 前 は,Bangkokか ら Chiangmaiに赴 くには,ChaoPhraya,Ping河 を さか のぼ る舟運 によ らざ るを えず ,最 も恵 まれ た河 川舟運状況下 で もって も,
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カ月 を必要 と したので あ った。 そ れ が20時間 た らず で到達 され るよ うにな った ことは革命 的で あ る。 この鉄 道 開通 以前 ,Tak以北 の北 タ イの外 国貿 易 は, ビル マの Moulmein経 由で 行 なわれ て いた 。) 同時 に南 部急 行完 成 のた め , タイの国 際交通 地位 が改善 され た こと も兄 のがせ な い。 (鉄 道以前 ,外 国 か らタイに は主 と して Singapore経 由で入 り,Singaporeと Bangkok問 は海路 1週 間 を要 した 。)
第 2は,経 済 的 開発 の促 進で あ る。 この鉄 道 開通 によ って ,中央部平 原 の米 , あ るい は東 北 部 の豚 ・牛 ・皮革 が Bangkokに急速 に 出荷 され るよ うにな り,Bangkokの商 業 的地位 が確 4) 立 され るとと もに,地 方- の消費 財 導入 の道 が 開かれ た。 いいか え ると, タイ農村 の商 品生産 化 は,第1次世 界 戦 争後 の鉄 道建 設 を契 機 と して, は じま った とい って も過言 でな か ろ うo と ころが ,道路建 設 には第2次世界 戦争 に至 るまで は, ほ とん ど手 が つ け られ なか った。 こ れ は, タ イ国政府 が 自動車 輸送 よ りも鉄 道輸送 優先主義 を と った ど ころか ,強 く鉄 道保 護主義 を うちだ した結 果で あ る。 したが って ,地方 各 県 と鉄 道 とを結 ぶ feeder road だ けが建 設 さ れ , それ 以外 は鉄 道連 絡 がで きない隣接 しあ う県 と県 とを結 ぶ道 路が ,部分 的 に,か ろ う じて 建 設 され た だ けで あ った。 (いか に,第
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次世界 戦争前 の道 路事情 が ひ どか ったか の1
例 を あ げよ う。 Bangkokか ら約 25km 北 にあ る Don Muang空 港 にゆ くの には,1935年 にな って も,鉄 道 の便 しか なか った。) 第 2次世 界 戦争 後 ,鉄 道輸送 よ り道 路輸送 に交通基本 政 策 の転換 をみた 。(た とえば ,現在 , 鉄道 は総 延長 3,600km で あ って,1930年代 以 降 ,Udon-Nongkhai線 の ほか は, ほ とん ど新 線 が敷設 され てい な い。) 国道 (highway)は,1945年 ,約 6,000kmで あ った。 道路状況 は きわ めて劣悪 で , その ほ とん どが雨季 には通 行不 能 にお ちい って いた。 道 路政 策 が本 格 的 に着 手 され た の は,1961-66年 の第1次経 済 開発6カ年計 画で あ る。 これ は,国道 9,000km を達成 目標 と し, うち 2,500km は コ ンク リー ト舗 装,720km の新 設 , 道 幅 の拡張 ,全 年通 過可 能 を その内容 と した。 さ らに1961年 に世界 銀行 (InternationalBank forReconstructionandDevelopment) の道路調 査 団 が訪れ , これ に もとづ いて ,8カ年計画 (1963-1970年) がた て られ た。 これ によ って国道 の ,
北 部 1,025km 4) Zbid.,pp.2881294.
-本 岡 :タイ農 業 におけ る生産 基盤 の整備 東 北 部 1,784 中央 部 1,263 南 部 1,369 計 5,441 の改修 ・新 設 が 目標 と され た。 その うち,4,000km が新 設,1,400km が 改修 ,全 線舗 装 ,追 幅 の拡 張 ,全 年通 行可 能 , さ らに道 路維 持経 費 を少 な くす る ことが計 画 され た。
この国道 の ほか ,国道 の feederroadと して の provincialroadが あ る。 この/U詩一道 は,堤
ご とをむ すぶ 目的 を もって い る。 しか しその ほ とん どが 辛 う じて 自動 車 が通 行 しうるか , あ る
い は通 行 不 可 能 な もので あ って ,約 2,000km にす ぎな か った。 また , その ほ とん どが乾 季 の
み通 行可 能 で あ った01963年 に, この provincialroadの所 管 が県 か ら国 に移 され,7カ年計
5) 画 (1964-1970年 ) の もと,2,500km の改善 に着 手 され た。 この国道 お よ び地方 道 路 の建 設計 画 は,調 査 研究 の不 十 分 な こと,土 木 建 設 技 術 の お くれ て い る こと,技 術 ス タ ッフの不足 , さ らに資 金 の不 足 な どのた め に,か な らず L も予定 どお り進 んで お らず ,経 済 開発6カ年 計 画 の後 期 計 画 設定 の さい ,修 正 され て い る。 しか し,道 路建 設 が タ イ国経 済 開発 に お いて priority を与 え られ て い る。 しか も, ア メ リ カの経 済 援 助 は軍 事 援 助 とむ す び つ いて , と くに東 北 部 の道 路 建 設 に重 点 を お いて い る。 その た め,Saraburiか らNakhonRatchasimaに至 るFriendshipRoadは タ イ随一 の ,しか も最 初 の近代 的 highwayで あ り, これ が1964年 には Laos国境 の Nongkbaiに まで の び た。 また ,
現 在 , タ イ湾 南 岸 のSatahipか らNakhonRatchasimaを む すぶ , いわ ゆ る BangkokBypass が建 設 中で あ る。 これ らは いずれ も, タイ東 北 部 の軍 事援 助 を主 目的 とす る もの の , これ によ
って ,東 北 部 道路 が い ち じる し く改善 せ られ た の は事実 で あ る。
また,1963年 以来 の オ - ス トラ リア によ る東 北 部 KhonKaen付 近 の feederroad の建 設,1964年 か らの南 部Songkhla付近 の 日本 の道 路 建 設 な ど,外 国援 助 は, タ イの 道路 建 設 上 の欠 陥 を ひ じ ょうに, お ぎな っ て い る。 しか も,都 市 内部 以 外 で は ,用地 買 収 の困難 さは ほ とん どな い。 予定 地 の大 部分 が平 地 で あ る。 した が って ,今 後 ,道 路 建 設 や改修 は加 速 的 に進 展 す る もの とみ
表 1 Highwaysお よび ProvincialRoads の形態別 内訳 (1965年末現在)
ーー一ーType一 二 「 一一 ConcreteRoad
LateriteRoad 1)
DirtRTO.at:1 j Source:HighwayDepartment
Length 78km 5,367 5,579 953 307 12,285
5) NationalEconomic Development Board,0托ce of the Prime Minister,The National EconomicDeuelo♪mentPlan,1961J966,SecondPhase;1964-1966(Bangkok:1964),pp.
107-109.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号
表 2 HigllWayS の延長 の累年増加 (1945-1965年)
Year l Concrete E Asphalt l Laterite lCrushed R
o
a
dL DirtRoadSource:HighwayDepartment,Statistics(unpublished)
て よ い。 事実 ,統計 上 ,国 道 は
1
9
4
5
年 の6
,
2
3
0
km か ら1
9
6
5
年末 の9
,
4
9
2
km にのびて い る。 また ,Highway Departm entの所 管 す る国道 と地方 道路 を合 して1
2
,
2
8
5
km にのびて い るが
,1
9
6
5
年末 , その うちの 兄に近 い5
,
4
4
5
km は コンク リー トまた はア ス フ ァル ト道路 な ので あ る (表1,2
参照)。 この道路建 設改修 こそ, タイの国 内交通 に革新 を もた ら し, また農 業 開発 にかん して は,忠 速 に農 業 多角化 を もた ら した ので あ る。 こん後 , これ が い っそ うに促進 され るで あ ろ う し, そ れ によ る農 業 開発へ の影響 は きわ めて大 きい と考 え られ る。 わ た くLは, タイが経 済 開発 に あた り,国 内交通 政 策 の重点 を道路 にお きか え , これ に pri -ority を おいた ことにた い し,高 く評価 した い と思 う。3
水 利条 件 の整 備発展一一と くに戦後 の潅漑排 水 計 画 の展 開 について-(1)
タイ農 業 の 自然 的基 礎 の特殊性 と水 利条件 整備 の必 要性 タイ農 業 の 自然 的基 礎 はモ ンスー ンにあ る。 すなわ ち,降雨 が モ ンスー ンによ って もた らさ れ , この降雨 に もとづ いて タイ農 業 の主 作物 で あ る水 稲 が栽 培 され る。 494 96-本 圃 :タ イ兼業 におけ る生産基盤 の整備 モ ンスー ンの特性 と して ,1年 が雨 季 と乾 季 と に わ か れ る。 北 部 ・中央 部 お よ び東 北 部 で は ,雨 は5月 中旬か ら,降 りは じめ ,6月下 旬 か ら本 格 的 とな り,8月 上 旬 まで つづ く。 そ の あ と, 3- 4週 間 は雨 が少 な くな る。 9月 が最 多雨 月で,10月 に入 って も少 し降 るが ,11月 以 降 は , ほ とん ど降 雨 はな くな る。 5月 中 旬 か ら11月 中旬 へ か けて の6カ月 を雨 季 と し, そ の他 の6カ月 が乾 季 と され る。 これ にた い し,南 部 で は ,雨 は5月 は じめか ら降 りは じめ る。 降雨 が11-12月 で 終 る半 島 部 の 北 の Phetburi,Chumphon両 県 を のぞ くと,降雨 は11-12月 に 最 も多 く,1月 まで雨 が つづ く。 だ か ら,南 部 の雨 季 は9カ月 に な る。 年 間 降雨 量 は ,北 部 で 1,220mm,中央 部 で 1,360mm,東 北 部 で 1,110-1,660mm で あ るにた い し,南 部 の東 海岸 は 1,875mm,西 海 岸 は 2,600mm に達 し,南 部 はいち じる し く多 い (表 3参照)。 北 部 中 央 部 東 北 部 南 部 表 3 タイの地域別の降雨量 地 域 Mekong河にそった地域
雨
季 芦 全 年 1,075mm 1,140 1,450 1,220mm 1,360 1,660 中 央 地 域 東 海 岸 西 海 岸 1,1C
X
j
F 1,310 1,660 2,4∝
)
Source:RoyalIrrigationIkpartment,WaterResourcesDevelopmentin Tha2'landandItsPolicy.Bangkok,1963.p.1.
この よ うな降雨 は,主 と して夏 季 の南 西 モ ンス ー ンが もた らす。 しか し,東 シナ海 か らタ イ 湾 に吹 き こむ 台風 も降 雨 を もた らす。 冬 季 の東 北 モ ンスー ンは乾 燥 風 で あ り, タ イ の大 部 分 を 乾 季 にお くが , これ が東 シナ海 や タ イ湾 を とお って南 部 に吹 き こむ と き,湿 潤風 とな る。 た め に南 部 の雨 季 が長 くな り, 降水 量 が 多 くな る。 もと もとモ ンスー ン降 雨 の特 性 と して , その時 期 (始 期 と終 期 ) お よ び総 量 の不 規 則性 が あ げ られ るo と ころが , タ イの場 合 ,南 西 モ ンスー ンの もた らす降 水 量 だ けで は水 稲栽 培 に十 分 で な く,東 シナ海 の台風 の通 過 が もた らす降雨 を もって は じめて ,稲 作 に十 分 な 降水 量 が え ら れ る。 だ か ら,低 気圧 の来 襲 の少 な い年 に は ,降 雨 量 が不 足 す る。 と ころが ,低 気圧 が連 続 し て来 襲 す る と き (これ は主 と して9月 に生 ず る), 雨 が 集 中 的 に降 る。 そ の ころ土 地 には十 分 に水 分 が しみ こん で い るか ら,洪 水 を結 果 す る。 また ,5- 6月 , シナ大 陸 あ るい は オ ー ス ト ラ リアか らの乾 燥 風 のた め ,南 西 モ ンスー ンが お さえ られ ,雨 季 が お くれ る ことが あ る。6月 は じめ ご ろ,Bengal湾 のサ イ ク ロ ンの影 響 で MaeKlong,Phetburi河 水 源 地 帯 に集 申 豪
6) 雨 が あ って ,洪 水 が お き る ことが あ る1
6) RoyalIrrigationDepartment,WaterResourcesDevelopmentin Thailandand ItsPolicy (Bangkok:1963),pp.1--2.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号
つ ぎに,雨 の dischargeを見 よ う。 雨 が降 りは じめた ときは大地 は乾燥 しき って い るか ら,
当初 は土地 に吸収 され る。北 部で は傾斜 が急 だか ら,洪 水 はほ とん どないが , この北部 山地 の 水 が,Ping,Wang,Yom,Nanの河 川 に集 め られ , これ が Nakhon Sawanの合 流点 に集 ま る。 と ころが ,Nakhon Sawan付近で 3,500m3/secの ChaoPhraya河 の流水量が , その 下 流 の Angthong付近で 2,300m3/secに さが る ことが示 す よ うに,水 は 自然堤防 をの りこ えて,水 田にあふれ る。 この氾濫水 に中央部平原 の水 稲作が依 存 す る。 だか ら,降水 の時期 が お くれ ,6- 7月 に雨 が ない ときに は,作付不能 とな る。 また ,作付 して ま もな く,雨 が集 中 的 に降 ると,氾濫水 のた め若 い稲が溺れ る。 さ らに, 自然降雨 によ って作付 けた ものの, それ につづ く氾濫水 がない ときに は, 水稲 は成熟不可能 とな る。Ayutthayaで の測水結 果 によ る と,ChaoPhraya河が適 度 に水量 を中央部平原 に供給 しえた のは,132年間 の うち59年 ,つ ま り,2年 に1回の割 にな ってい る。 東北部 の大部分 は水 の不足 に悩 ま され て い る。 しか し,他 方 , この地域 の2大 河川で あ る Mu.n河 と Chi河 は, と くに 台 風 の あ るときには,沿岸低 地 に洪 水 を お こす。す なわ ち, ここの丘陵地形 は sandy loam で あ り,低地 には hard pan
が あ り, これ に Mekong河 の秋 の back waterの影響 も加 わ って,幅 10km に およぶ洪 水 が,両大河 川沿岸 に しば しば生ず るのであ る。 南 部 もまた集 中豪雨 によ る洪 水 に しば しば見舞 われ る。 自然的な水利条件 に恵 まれ て い るのは北部で あ って ,河川周辺 の 自然氾濫 ,地 形 を利 用 して古 くか ら発達 して い る液滴 水路 , さらに排 水良好 のた め,早魅 ・洪水 いずれ もの被害が 7) 少 ない。 したが って,水稲栽 培 の 自然的基 礎 と しての降水 は
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月中旬∼1
1月中旬 の水稲栽培期 間中の 水 田に直接 に降 る雨 だ けを と りあげ ると,半 島部 と南 東部 とをのぞ くと不足 し, 自然氾濫水で もって補 われ て い る。 しか し,降水 量が少 ない ときには,ただ ちに早魅 とな り,多 い ときには 洪水 とな る。 だか ら,問題 はむ しろ降水量 の平 均量 にあ るので はな い。平均量だ けを い うと,十 分 に降雨 8) が あ るとの説 明 (た とえば世界 銀 行報告 )が な りた ち,降 水 に 不足 す るとの説 明 (た とえば 9) Pendleton)はあた らな い と思 われ る。 年間 の降水量 の変 動 のはげ しい こと,また降水 の始期 ・終期 をは じめ とす る時期 的変動 が大 き い こ と こ そ, タイの水稲栽培 を不安定 た ら しめて い る。 その結 果 , タイの水 稲栽培 の特徴 の ひとつ と して ,水 田面積 ・水稲作付面積 ・水 稲収穫面積 のい ち じる し く異 な ることが あ る。 と くに,戦前 の1927-36年 の10カ年平均 を と ってみ ると, 7) Zbid.,pp.213.8) InternationalBankforReconstrlユCtionandDevelopment,A PublicDevelopmentProgram forThailand(Baltimore:1959),p.37.
9) Pendleton,pp.135-137.
-本 岡 :タイ農 業 にお け る生産 基盤 の整 備 蓑 4 タイの水田面積 ・水稲作付面積 ・水稲収穫面積間の累隼別比較 (1,000Rai単位 ) 190 7-16 1917- 26 1927- 36 1937/38 1938/39 1939/40 1940/41 1941/42 1942/43 1943/44 1944/45 1945/46 1946/47 1947/48 1948/49 1949/50 1950/51 1951/52 1952/53 1953/54 1954/55 1955/56 1956/57 1957/58 1958/59 1959/60 1960/61 1961/62 1962/63 1963/64 area (A) ? ? 24,716 25,431 25,964 26,905 27,525 Plantedarea (B) ar(C)ea ll,389 10,931 15,953 13,914 19,697 16,894 1 28,145 1 24,808 ・ 22,672 29,648 30,425 30,824 31,515 32,421 34,914 36,454 37,782 38,507 39,183 39,645 40,594 27,370 17,973 25,924 23,834 25,387 : 23,831 23,514 24,887 30,156 32,573 17,794 21,932 26,901 30,812 32,926 31,016 34,625 37,245 33,551 38,575 ……;……… 日 …;……… 41,523 41,774 42,571 43,232 43,629 31,717 35,987 37,909 37,008 38,619 33,091 35,851 32,064 37,068 28,274 33,598 36,013 26,794 32,306 32,893 35,270 35,335 38,565 39,917 7 8 4 5 4 ? ? 9 2 4 0 6 7 8 8 8 8 1 3 2 4 ′0 8 4 4 1 9 1 5 0 0 7 9 4 1 0 6 5 1 ′0 8 2 5 2 4 ′b ′b 9 7 9 5 1 5 ′D Oノ l ′D 6 9 5 8 3 0 cO Oノ 8 8 7 7 8 8 8 8 9 9 9 8 8 9 7 8 8 8 8 0ノ 9 0 2 8 3 2 7 0 4 7 9 9 7 1 2 ノb l ′0 3 ′b 1 4 2 7 ′0 7 5 7 0ノ 8 5 1 5 1 3 5 8 0ノ 4 4 S /D 5 6 1 3 5 q / 8 8 8 8 8 8 0ノ /0 9 9 fノ 8 8 0ノ q ノ ○ノ Oノ 0ノ 9 8 0ノ 9 84.5 89.8 86.7 95.3 91.5 93.0 ? ? 8 2 5 ′b 7 7 1 3 0 0 8 7 ′b 7 7 4 2 5 1 0 1 0 3 7 4 7 7 1 7 7 8 6 7 7 5 ′0 7 8 8 8 9 8 9 7 8 8 ′b 7 7 8 4 3 3 4 5 ′0 ′b 3 3 5 ′D O 5 1 9 5 9 3 0 5 0ノ 5 3 3 6 96.7 F 87.6
Source:MinistryofAgriculture,AgriculturalStatisticsof Thailand,1963.Bangkok,
1965.pp.39-40. 水 田面 積 の
80%
しか 作付 け られ ず , 作 付面積 の86
%弱 しか収穫 され て い な い。1
9
3
7
/
3
8
年 以 降1
9
63
/
6
4
年 に至 る間 ,収穫 面積 の水 田面 積 にた い す る比 率 の最 も少 な い の は,1
9
42/
43
年 の6
0.
6
% で あ り,最 も高 いの は1
951
/
5
2
年 の9
1.
5
%で あ る。 この作 付面 積 が水 田面積 よ り小 さ く,収 穫 面積 が作 付面 積 よ り小 さいの は,主 と して 牛越 ・洪 水 によ るO その他 の原 因 と して は, イ ナ ゴを は じめ とす る病 虫害 ,労 力不 足 な どが あ るが , これ らは きわ め て マ イナ-な原 因で あ るO 収穫 面 積 の変 動 は まず 降水 条件 によ る とみ て よ い。 い いか え る と,降 水 条件 の不 規 則性 によ っ - 99 - 497東 南 7 ジ ブ 研 究 韓 4巻 第3号 て ,水稲栽培 が左右 され てい る。 しか し,注 意 すべ きは,1954/55-1963/64年 の最 近 の10カ年 平均 を と ってみ ると,水 田面積 にた いす る作付面積率 は87.8%,作付面積 にたいす る収穫 面積 率 は9
1
.0%で あ り,戦 前10カ年平均 に くらべ ると,い ち じる しく改善 され て い る。 また,戦後 20カ年 を とってみて も,傾 向 と して ,明 らか に改善 され つつ あ ることが認 め られ る。 これ は, 後述 す るところの漕概排水事業計 画 の進展 に大 き く負 っ て い る。 しか し,それ に もか か わ ら ず , この10年間 に,収穫面積 の水 田面積 にた いす る比率 は1957/58年 の64.5%か ら1954/55年 の 91
.3%とい うよ うに,大 きな開 きが あ り,なおかつ ,年 ご との変動 の激 しい ことが, うかがわ れ る。津慨 排 水事業 が いか に重要で あ るか は, この水 田 ・作付 ・収穫 の3
つの面積 の問 の比率 で もって 明瞭で あ ろ う。 (2) 前近代 的な港概形態 このよ うな降水 の不足 や変動 に対 応 す るため, タイで は古 くか ら, 自然 降水 の利用 が行なわ れ て いた。 それ が最 も古 くか ら発達 したのは北 部で あ る。 ここで は700年前 か ら,河 川 に堰 を つ くり,水 路 を設 け, さらに水路 か ら溝渠 をは って各 圃場 に水 をみ ちび いて きた。 きわめて, 集約的な潅
漑 綱 を もっていたので あ った. これ にた い して,中央部で は,河 川が大 きいため,堰 どめ る ことは不可能で あ り,ただ 自然 堤 防を こえての河川の氾濫水 に頼 るだ けで あ った。 もちろん ,中央部だ けで な く,北部 ,東北 部 において, 河 川 ・湖沼 ・低 湿 地 あ るいは水 路 に近 い と ころで は, 水寵 (woven basket)・ ひ しゃ く ・龍骨車 (dragon bone pumps)あ るいは水車 な どで ,水 が くみ あげ られ た。 龍骨 壷 や水車 は今 日もなお使 用 され て い る。 もちろん , これ らの水 利用 は早魅 の さいの応急対 策で あ ることが多か った。 注 意 すべ きは,19世 紀 に入 ると,中央部平原 の限界水 稲栽培地域 (いいかえ ると,氾 濫水 が かか らな い地域 あ るいは逆 に低湿 の沼沢地域) に,水 路 の 掘 聖 に よ る水 田開発 が は じま った が,その規模 はきわ めてか ざ られ て いた。 (た とえば,Chao Phraya 河 の東岸 の Bangkokの北 にあ る KhlongRangsit地 区,Ayutthayaの北方地 区,NakhonChaisi河 の西岸地 区,
NakhonChaisiと MaeKlong河 との中間地 区,ChaoPhraya河 と Pracllin河 との中間地 10)
区な ど。)
(3) 近代 的水 利開発 の発展
近代 的 な濯概排水事業 は19世紀 の終 りごろ私 的企業 と して開始 され た。 すなわ ち,1889年 ,
Siam CanalLandsandlrrigationCompanyが KhlongRangsitCanal開聖 の認可 を政 府 か ら得,1906年 に ChaoPhraya河 と NakhonNayok河 とを結 ぶ運 河を建設 , それ ぞれ の河 に接続 す ると ころに間門を完成 した。 この運河 は排水 と徳満 をか ね る。 従来利用 され なか った
10) )bid.,pp.139-141.
-本 岡 :タイ農 業 におけ る生産 基盤 の整備
低湿 地 は排 水 され ,他方 ,河 川が氾濫水位 に達 しな い とき以外 は作付 け され え なか った地域 も 運 河 によ って水位 が高 め られ て ,用水 が確保 され た。 か くて ,約 20,000haの水 田が造 成 され
た ので あ った。
20世 紀 に入 るとと もに,擢概 排水 事業 に政 府 が の りだ す こととな った。 すなわ ち,1902年 , 東 イ ン ドか らオ ランダ人 技 師 Homan van derHeideが招 碑 され , は じめて タイの濯概 計 画 を立 案 され た。 翌1903年農務 省 に Krom Khlong(DepartmentofCanals)が設 置 され た。 こ れ が , タイが国 と して港瀧 排水 事業 に と り くもうと した は じま りで あ るO今 日にいた るまで , 水利 計 画 は政府事 業 と して立案 実施 され て い る。 しか し, 当初 はPrathumthani以南 の中 央 平 原 東部 の運 河開 巻 , これ に と もな う舟運 用 間 門 と regulatorの建 設 が行 なわれ , この地域 に 120km 間 隔 の東西 に走 る運 河 が建 設 され た。 これ は舟運 の俊 を主 目的 と した が , 同時 に運 河 水位 を高 め る ことによ って ,濯概 に役 だ った。 1911-13年 の 草魅 のた め,舟運 に重点 を お く運 河計 画 か ら漕概 に重 点 が お き か え られ た。
1913年 にイ ン ドか ら SirThomasWardが招 博 され て ,Bangkok平 原 と半 島北部 の漉概 計 画 を提 出 した。 翌1914年 Krom Khlongは Krom ThotNam (ⅠrrigationDepartment)に改組
され た。
SirThomasWardの計 画 に もとづ き, まず着 手 され たのが ,South Pasak計 画 で あ る。
ここは Rangsit地 区 に北接 し,大 地主 制 が発達 して いた。1916年 に着工 され ,Saraburiの南 の Pasak河 に RamaVIDam を設 け,幹線水 路 96km,支 線水 路 3200kmを掘 盤 し, この 幹線水 路 は Chainatで ChaoPhraya河 に結 びつ け られ た。 か くて , こ の 地 域 の水位 を あ げ,約10万 ha の用水 を確 保 した。
つづ いて,1921年 に,Suphan Projectが 開始 され た。 これ は NakhonChaisi河 の両 岸 の約10万 haが対 象 と され , 戦 時 中, 工 事 が中止 され た が ,1953年 には完 成 し,115km の
Suphan河 が main canalとな った。 また,1921年 には,Nakhon Nayok計 画 が着 手 され ,
1930年 代 に入 ると ChaoPhrayaWestBank計 画 ,Phetburi計 画が着 手 され た。
と くに注 意 すべ きは,1927年 ,Krom ThotNam は Krom Chonprathanと 改 称 され た。
これ は,WaterResourceDevelopmentDepartmentと翻 訳 され るべ きで あ る。 この任務 と す ると ころは, 1)水 の貯蔵 2)潅概 3)排 水 4) 開 墾 5)洪 水 防御 - 101- 499
東 南 ア ジ ア 研究 第 4巻 第 3卑 6)水力発電 7)水運 で あ り,多 目的 な水資 源利用 開発 を 目的 とす る よ う に な った。 したが って ,いわ ゆ る Royal IrrigationDepartmentとよばれ て い る機 関 は, たん に濯概 排 水 だ けを担 当す る もので ない。 また ,港概 排 水事 業 は広 く水 資源利 用 開発事 業 の一環 と して , と りあっかわれ て い る ことに注 意 しな けれ ば な らな い。 戦 時 中 ,水 利事 業 は資 材 ・労力 の不 足 のた め 中絶 した が ,戦 後 , と くに ア メ リカの援 助 ,世 界 銀 行 の借款 によ り,大 規模 に再 開 され た。 その代 表 的 な もの は,GreaterChaoPhraya計 画で あ る。 これ は,Chainatで ,Chao Phraya河 を せ き と め,Chao Phraya本 流 の ほか
Suphan河 ,Noi河,Chainat-Pasak運 河 に分水 す るた めの配 水堰 と して のChaoPhrayaDam
の1951年 の着 工 か らは じま る。 こ れ が1957年 に 完成 を見 た。全計 画の漕概 面積 は 914,880ha, その工 費1,171百万Baht十18百 万 ドル. その大部 分 が現在 , 完 成 をみて い る。 一方 ,Chainat
の上 流 の Ping河 を Yanhiでせ き とめ るPhumiphon貯水 Dam が1958年着工 され,1964年 完成。56万kW の発電可能 とな った。工 費 は 937百 万Baht+66百 万 ドル。 これ が ,大 Chao Phraya計 画 とむ す びつ け られ る。 その他 ,NakhonNayok計 画,BangPakong河左岸 のTha Hat計 画 も完成 , さ らに1964年 か らは大 MaeKlong河計 画 (約40万 haを対象 ) に着 手 され た 。 北部 で の濯概 は さきに述 べ た よ うに,比 較 的簡単 で あ り,近代 的 な施 設 と して は,主 要河 川 に取入 口を設 け る ことにあ る。 と くに問題 とな るは,北 東部 の MuangPhayao南方 の断層運 動 によ る低 湿地 の排 水で あ る。 東北 部 の濯概 排水 は,1939年 開始 され た もの の ,戦前 には ほ と ん ど 行 な わ れ なか った。 戦 級 ,東北 問題 の重 要性 にかんが み ,積極 的 に濯概排 水 事 業 が進 め られ て い る。 これ に は,Mun
河上流 の Lam Takhong,Thung Samrit,中 流 支 流 の HuaiSanaeng,Mekong 河 ぞ い の HuaiNamman,HuaiLuangな どの液瀧 計 画 が実施 中で あ る。 また , 洪 水 防 御 計 画 と し
て は,北 部 の ThungNam Khong, 中部 の Banthum,Banthiw,Thung Saengbadan計 画 が
,
濯概 用水供 給 を あわせ 目的 と して実施 され て い る。東 北 タイで , と くに注 目すべ きは,1955年 に は じめ られ た 溜 池 (tank)建 設 で あ り,1963年末 に58が完成 し,18万 haに給水 さ れ ,な お,37コ,32万 haの給水 が 計 画 され て い る。 これ は,Mahasarakham,RoiEt,Ubon,
udonthani,Buriram の諸県 に と くに多 い。 この溜 池 の港概 面 積 は小 さいが ,最 大 で2.4万 ha
に達 す る。 ここで は, ダ ムサ イ トの少 な い こと,水 の流入 の不 確定 な こと,人 口密度 の小 さい ll)
ことな どのた め, ダ ムよ りもタ ンクが望 ま しい と され て い る。
ll) RoyalIrrigationDepartment,pp・4-8・Pendleton,pp・14ト148・
02-本 岡 :タイ農 業 におけ る生産 基盤 の盤僻
(4) 近 代 的水 利 開 発 の成 果
現 在 国 営 の水 利 開発 事 業 は ,大 規模 潅流 事 業 (StatelrrigationProjects)・小 規模 徳満 事 業 (PeopleIrrigationProjects)・溜池 事 業 (Tanks)・貯水 ダ ム事 業 (StorageDamsProjects)
・緊 急 ポ ンプ事 業 (PumpIrrigation Projects forEmergency Purpose)お よ び畦 ・溝 事 業 計 画 (DikeandFieldDitchProjects)にわ かれ て い る。
1964年8月現 在 (1963年末 完成 と1964年施 行) の国営事 業 の進 行状 況 をみ よ う。 大 規模 港概
事 業 は34地 区で竣 工,12地 区 が工 事 中で あ る。 これ よ り重 要性 は劣 るが小 規模 潅概 事 業 は72地
区で 完成 ,7地 区で工 事 中 , さ らに溜 池 事 業 は149カ所 完成 し,5カ所 が工 事 中で あ る。 また , 大 規模 な ダ ム建 設 は,1964年末 に貯水 量 12,200百万m3の YanhiDam が 完成 した ほか ,中規
模 の ダ ム, す なわ ちKangKrachan(710百万m3),Lam Pao(900百万m3),Lam Phraploeng
(152百万m3),Lam Takhong(220百万m3)が 工 事 中で あ る。 した が って , きわ め て大 規模 な
全 国 にわ た って の感慨 排 水 事 業 が展 開 され て い る ことが 明瞭 で あ ろ う。
水 利 開発 事 業 の成 果 と して,1963年度 末 現 在 の RoyalIrrigationDepartmentの発 表 によ 12)
る と,つ ぎの よ うに要 約 され る。
1) 漕概 排 水 面 積 は,KingChulalongkon (RamaV)統 治 の終 った
1
91
0
年 には 4.8万
ha にす ぎなか った のが ,つ ぎの よ うに増 大 して きた。 1910年 (KingChulalongkon統 治末) 1925年 (KingWachirawut統 治末 ) 1941年 1947年 1957年 1963年 48,000ha 156,800 486,080 610,880 1,160,912 1,708,048 この うち,大 規 模 潅概 ・小 規模 潅概 ・緊 急 港概 面積 の比 率 は 大 規 模 潅概 1,499,456ha 87・8% 小 規模 濯 鶴 136,384 8・0 緊 急 濯 概 72,208 4・2 計 1,708,048 100・0 とな る。 した が って大 規 模 濯 鶴 事 業計 画 を中心 と して ,戦 後 , と くに過 去10年 の間 に急速 に漕 淑 面 積 が増大 した。 しか し, な おかつ , この液 概 面 積 は1963年現 在 で水 田面積 約 730万haの 23%に す ぎな い ことに注 意 すべ きで あ る。 2)洪 水 防御 につ いて は,東 北 タイを 中心 とす る149の溜池 が,56,240haの 洪 水 防御 に役 12)RoyalIrrigationDepartment,pp18-13・ 一 10
3
-
501表5 タイにおける漕艇事業 (1964年8月現在) NumberofProjects completedlUs7rdScrtiTnn-Iproposed tTotal ∫rrigated Area inha. CanalSystem under Construction inha. stateIrrigation NorthRegion1.EaveerpLnasin Tl___ヱ__⊥.._ Projects Peoplelrri ga-tionProjects 2.MaeWang RiverBasin 3.MaeYon RiverBasin 4.MaeRok RiverBasin Total centralPlainl・CRPvaeorpBharsq芸a Region Northeast Region SouthRegion GrandTotal 2.BangPakong RiverBasin 3.MaeKlong RiverBasin 4.Phetburi RiverBasin 5.Rayong RiverBasin Tota1 1.Mekong R iverBasin 2.ChiRiver Basin 3.MumRiver Basin Total (1)GreaterChao PhrayaProject (2)OtherProjects Sub-total 1 5 5 3 8 2 1 1 1 2 4 2 2 3 9 I 3 2 2 1 3 1 1 2 1 -2 1 21 51,340 12,320 35,840 26,560 126,060 914,880 310,880 1,225,760 122,660 388,320 53,920 4,800 1,795,460 23,920 49,440 58,510 131,870 16,000 2,069,390 26,880 50,880 34,880 81,220 116,100 12,300 325,920 21,920 476,240 16,000 10,640 26,640 16,000 569,760 NorthRegionl・:iaveerWBaa:lgn 2.MaeYon RiverBasin 3.MaeNan RiverBasin -一 2 3日H 4 淋 卦 7 ・} 7 雪 舟 井 4 鮮 半 3 ヰ
Central Region Northeast Region 4.MaePing RiverBasin 5.Sakaekrang RiverBasin Total 1.PasakRiver Basin 2.ChaoPhraya RiverBasin 3.BangPakong RiverBasin 4・Mae Klong RiverBasln 5.Ku River Basin 6.R ayongRiver Basin 7.OtherBasins Tota1 1.ChiRiver Basin 2.Mum River Basin Total SouthRegion1.EastCoast
2.WestCoast Total GrandTotal
TanksProjectsNortheastRegion OutsideofNortheast GrandTotal StorageDamsProjects PumpIrrigation Projects 0 1 2 」7 4 3 2 4 7 3 7 0 2 1 2 7 3 ′0 0ノ 3 1 4 日リ : [ 一 1 1 7 一 一 l . 一 上 ….o:i 87,968】 】 6,400r 1,336j 】 13,600き 47,040 3,200 400 2,448i 1 4,480【 4 7 3 8 1 9 1 ▲ 2 7 5,488 47,818 1,280 1,520 2,8001 40,000 9,472 49,472 188,058 5 一 5 11…… i 432:……… 5 I L 5 ‡ 468
.
6
0
0
0 0 0 = I 28 . 28 ー 92 日 リ 日 日 = 5 淋 菌 ︰ B Jf 淋 淋 日 計 耳 か 粋 粗 桝 甜 8 肺 寮 Dikeand FieldDitchProjects東 南 プ ジ ア 研 究 第4巻 第3号
だ って い るにす ぎな い。 また ,PhumiphonDamは 160万 haにわ た る洪水 防御 が可能 だ とい われ て い るが , この効果 は正確 には判 定 しな い。
3)東北 タイの溜池 貯水 は,表 作 51,360ha,裏 作 16,000haの開墾 を可能 にす ると計 算 さ れ た。農 民 の squatters'rightが 確認 され な いた め, 実 際 の 成 果 は 明 瞭 に つ か めな いが ,
32,000ha程 度 の開 墾が可能 にな った と推 定 され て い る。 また,PhumiphonDam の貯水 で ,
160,000haの水 稲作,320,000haの裏 作拡張 が可能 だ といわれ て い るが , これ は こん どの問題 で あ る。
4)
水 運 と して は,1,327kmの水 路 が改修 され , またChainat分水堰 か らAyutthayaに至 る 137km の年間 舟運 が確 保 され た。 5)発電 につ いて特筆 すべ きは,PhumiphonDamによ って,35県 に配 電で き る56万 kwの 発電 が可能 とな った ことで あ る。1965年末現在 で,14万kw が発 電 され ,14県 に給 電 され て い る。 だが ,火 力発電 も水 力発 電 との補 充 のた め必 要で あ ると され ,MaeMoおよび Krabiで 発見 され た亜炭 によ る亜炭 火力発電所 が MaeMoで建 設 され た (12,500kw)0 (な お,Krabi で4万 kw,Bangkok付 近 で 15万 kw の発電 所 が計 画 中で あ る。) 最 後 に,1963年末 現在 で , 完成 な らび に施工 中 の濯 概計 画 を一 括 す ると,263万 haの水 田 濯 概 が可能 にな る (表6参 照)。 表 6 タ イの漕 概 事 業 面 積 (1963年 末 完 成 と1964年 施行 中) 柵 可能面積 l 網 実施面積 L建設中の水路網出所 :RoyalIrrigation Department,Table
s
Showing
WaterResourcesDeZ)eZoPmentinThailand.Bangkok,1964.
注 * KangKrachan,Lam Pao,Lam Phraphloeng,Lam Takhong貯水ダム地域を含む ** 計画中 (5) 水 利 開発事 業 にお け る問題点 以上 の よ うに タイの水 利 開発事業 は20世 紀 に入 って は じま り,戦後 ,大 規模 に全 国 にわ た っ て展 開 され て い る。 戦 後 の濯概排 水 計 画 の進展 が少 な くと も中央部平原 を中心 と して の米 の増 産 に貢献 した ことは明 らかで あ る。 もっと も米 の増産 の うち潅概排 水 事 業 に attributeされ る 比 率 の計 算 は別 の機会 にゆず る。 ここで と くに注 意 した い ことは米収穫 面 積 の増大 , すなわ ち 504 - 10
6-本 岡 :タ イ農 業 に お け る生 産 基 盤 の整 備 戦 前 の1927-36年 平 均 1600万 raiが1963年 に4000万 rai近 くに , い い か え る と2.5倍 に達 した ことの重 要 原 因 が 濯 概 水 利 事 業 の発 展 に もとめ られ よ う。 また 漕 概 地 域 に お け る収 量 の安 定 増 大 も,現 地 調 査 に よ って 確 認 され る。 米 の増 産 の最 も重 要 な要 因 は横 瀬 水 利 事 業 の発 展 に あ っ た とい って も, け っ して過 言 で は な い。 ひ ろ く,低 開 発 国 農 業 の 開 発 計 画 に お い て , 津 概 排 水 計 画 の 緊 急 性 が 指 摘 され , それ に priorityを お くことが 強 調 され るが , タ イは この農 業 開発 の原 則 を忠 実 に守 り,具 体 的 に実 施 に うつ して きた。 また , その成 果 を あ げて きた。 この意 味 で ,農 業 開 発 の モ デ ル ・ケ - スで あ る とい って よ か ろ う。 1959年 の世 界 銀 行調 査 団 も, =タ イの 港 概 排 水 事 業 は全 体 と して , よ く計 画 され 実 施 され , RoyalIrrigation Departmentは そ の成 果 を誇 って しか りだ ", と批 評 して い る。 また , "タ イの 潅 概 計 画 は水 の供 給 の季 節 的変 動 の軽 減 で な くて ,河 川 流 水 の分 配 とよ り広 い地 域 - の供 給 とを 目的 と して い るが , この 潅 概 計 画 の方 針 を理 解 した いた め に
批
難 が 生 まれ て い る日, と 13) 述 べ て い る。 しか し, タイ の水 利 事 業 計 画 を よ り効 率 的 に す る た め に は , い ろい ろ な 問題 が あ る。 こ こ 14) に ,非 技 術 的 な側 面 につ いて の 問題 点 を指 摘 した い。 第 1に ,国 営建 設 事 業 の最 大 の欠 陥 と して , タ イ に か ぎ らず , 日本 を は じめ そ の他 諸 国 に共 通 的 に見 られ るの は , 事 業 の 利 回 り計 算 , い い か え る と 利 潤 追 求 原 理 にた た な い ことで あ る。 その弊 害 を た だ す た め ,公 共 事 業 の経 済 効 果 測 定 が ,や か ま し くいわれ る ことが 多 い。 に もか か わ らず ,私 的企 業 で な いた め ,投 下 資 本 にた い す る利 回 りの計 算 の考 慮 が中 心 課 題 か ら 15〕 はず され る。 この こ とが ,工 事 期 間 を , ひ じ ょうに長 くか か らせ る根 本 原 因 とな る。 タ イの 潅 概 事 業 の工 事 期 間 も, きわ め て長 い。 戦 前 に着 手 され た もの が,1950年 代 の終 りに 完工 した もの が 多 い 。これ は ,戦 争 を は さん だ た め に ,いた しか た な い と して も,戦 後 着 工 され た もので10年 以 上 に お よぶ の が普 通 で あ る。 た とえ ば ,Yom河 流 域 のMaeYom計 画 (Phrae 県 ) は 3.6万
haを対 象 と して1948年 に着 工 され た が ,16年 の ちの1964年 に な お竣 工 を み て い な い。 ただ,CbaoPhraya Dam は6カ年 (1951-59年 ),PhumiphonDam は8カ年(195813) InternationalBankforReconstructionandDevelopment,p.48.
14) 詳 しくは拙稿 「東南アジアにおける政治的・経済的・社会的要因と水資源開発
」
,
『東南アジア研究』, 第3巻第4号 「1966),pp.15-19を参照。 また技術的問題については,富 士 岡 義一「タイ国のかん がい排水事業 と今後の課題」,
『東南アジア研究皿 第 4巻第2号 (1966),pp・123-136を見 よ。なお, 第 3巻第 4号は東南アジアにおける水資源の農業的利用にかんす るシンポジウムの特集号であり, 日 本人によってなされた研究の総括である。 15) 拙稿 「干拓の経済的特質とその諸問題」,
『農業経済研究』, 第27巻 第1号 (1955).有明海干拓 は, 干拓工事の技術的特殊性 にもよるが,20年近 くかか るのが普通であり,その結果,造成水田のコス ト をいち じるしく高いものにしている。 これにたいし, 日本での電力会社による発電建設工事がいかに 短期間に終了されるようになったかを比較 されたい。電力会社は利子負担軽減のため,全力をあげて 工事期間の短縮 に努力す るのだ。 - 107- 505東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巻 第 3号
∼1
9
6
4
年)で 完成 して い る。 この いずれ もが ,けたはずれ て大 きい分水堰 と貯水 ダムで あ るo これ が タイ と して は短 い期 間でで きたのは,積極 的な外国技術の導入 とと もに,世界銀 行借款 によ ったた めで あ る。 すなわ ち,借款条件 と して ,工事期間の短 い ことが強 く要請 され たため で あ るとみてよい。 根本 的 に経済計算 にたたないため,工事期間 がのび る。 その他 の要 因 と して ,調査 ・計画段 階 においての河川状況 ・流域状況 な どの基礎調査 の不十分 , したが って計画樹立上 の誤謬 とい う技術上 の欠 陥が あげ られ る。 また建設技術 その もの に も反省の余地 が あ るよ うだ。 しか し, 同時 に多数 の計画 が一挙 に実施 され ,資金 ・人員 ・資材 の不足 とな り, ときには一方 で人員 ・ 資材 が遊 んで い ることさえ も招 いてい る。 た とえば,1
9
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年 には大規模 濯概計画 を1
1地 区,小 規模 濯概計画 を6
地 区,溜池 を5
コ,貯水 ダ ム建設 を4
地 区で実 施。 また ,Di
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地域で展開 され て い る。 政治的圧 力 も一 因 とな って い るよ うだが,限 ら れ た資材 ・人員 が分 散 され る ことは,工事期間延長 の最 も大 きな原 因で あ る。 ときには,工事 がのび たため,洪水 の被害 を大 き くす ることが あ る。 事業実施 地 区の数 をか ぎ り,工事期間 を で き るだ け短縮 す ることが望 まれ る。 これ が ,水 利開発事業の経済効果 を高 め る最 も重要 な手 段で あ る。 第2
は,受益者負担 の問題で あ る。 これ は受益農民 の 自主性 ・自覚性 につ いてのbe
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の問題 につ なが る。 もと もと設計上 ,沈澱 ・侵蝕 ・塩分侵入 ・望損 な どにつ いて注意 が 不 十 分 だ と い われ て い る。 これ に加 えて水路や構造 物の管理 が適 切で な く,急速 に施設 や水路状況 が悪 くな って い る ところが多 い。 と くに,水牛 が水 浴 した り,水 路 をわ た って ,水 路を こわ すが, これ も農民 が は って お くことが, しば しば見 られ る。 また農民 が 自分 の 田に水 を ひ くため,勝手 に水 路 を こ わ す こと もある。 これ は,受益農民 が 自分 た ち の 水 路 で あ り施 設で あ るとの 自覚 にか くた め だ。 タイで は,建設工事 につ いて受益者負担金 がかか らない。 また建設工事後 の水路や構造 物 の 管理 (維持修理) は,Ro
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が直接 に担 当 し,水利組合 もなけれ ば , 水利費 も受益者 が負担 す る ことはない。 その理 由 と して ,漕 翫 排 水 事 業 が 農民 の 自覚 に もとづ く自主 的な要求 によ らず , ま った く 「上 か ら与 え られ る」政府事業 と して営 まれ て い るためで あ る。 だか ら, も し受益者 負担金 や 水利費 が農民 に課せ られ ると,いまの ところで は,かれ らの ほ うが,ま った く驚 くに ちがいな か ろ う。 ことほ どさよ うに,農民 は 自主性 ・自覚性 に欠 けて い る。 これ と関連 して ,農民 の経済力 は 506 - 108-本 岡 :タイ農業 におけ る生産 基盤 の整備 の ちに述 べ るよ うに, きわ め て弱 い。 さ らに , と くに中央 部平 原 にお いて は,農民 間 の協 同意 識 に乏 しく,具 体 的 には共 同 作 業 が ほ とん ど行 なわれ な い。 しか も,注 意 すべ きは タイの租税 体 系で あ る。 タイの国家財 政 収入 の
9
0
%以 上 は間接 税 で あ る。 閏税 収入 が 国家 収入 の45-50% を 占め る。 直 接 税 (主 と して法 人 ・個 人所 得 税 ) は8- 9 16) % に しか , あた らな い。 地 租 は, ほ とん どネ ダ リジブル で ,水田 raiあた り1
Bahtが標 準 と な る。 タイは間接税 の 国で あ り,農 民 は きわ めて軽 い地 租 以 外 の租税 や組 合 費 を払 う慣 習が な い。 その うえ ,水 利費 を支 払 うと して も,水 路 , あ るい は隣 りの水 田か らの氾 濫 水 によ って水 稲栽 培 を営 んで い るか ぎ り, どれ だ けの水 が 潅 翫工 事 によ って得 られ たか , その 計 算基 礎 が把 握 で きな い。 その結 果 ,水 路 や施 設 に た い して ,農民 が い よ い よ無 関 心 とな る。 水 路 の破 壊 な ど意 を介 し な くな るの だ。 幹線 水 路 や施 設 の管 理 を も,国 か らで き るだ け農民 の手 に委 ね る ことが望 ま しい。 しか し, それ は , い まの段 階で は望 む べ く して 望 み え な いの で あ る。 せ めて末 端 水 路 だ けは農 民 によ っ て 自主 的 に管理 され る組 織 が 必 要 で あ る。 そ して , その組 織 にた い して ,農民 が水 利費 を払 う の が最 も適 切 な方 法 と考 え られ る。 こ こに末 端 水 路 の 問題 が ,か らんで くる。 第3
に, もと もと タイの濯 概 計 画 は設 計 上 ,水 が支線 水 路 か ら直 接 水 田に と りいれ られ る。 これ はか な り広 い面 積 の水 田 にた い し, その最 高 地 点 で水 が水 路 か らと りいれ られ , その あ と は,水 が Beld dikesを こえて ,つ ぎか らつ ぎ- と, 圃場 を 流れ て ゆ く仕 組 み に な って い る。 しか もこの水 路 か ら圃 場 に水 を と りいれ る補 助構 造 物 ,た とえ ば regulatorや
outletにつ い て の配 慮 は不十 分 な の で あ る。 した が って ,水 が十 分 に あ り, しか も農 民 が協 同 的 な ときには, この方 法 で , まず さ しつ か え な い。 しか し, その ときで も,標 高 が少 し高 ま って い る水 田で は水 が十分 にえ られ な い こと が起 こる。 また ,低 い水 田で は水 位 が高 ま りす ぎ る。 しか し,水 が十分 で な い とき, しか も農 民 が非 協 同 的 な場合 に は,水 利 用 が十 分 で な いだ けで な く,農 民 問 に トラブル が起 こ り, さ ら に農 民 が水 路 を破壊 す る こと とな る。 しか も, か か る事 態 は幹 線 ・支 線 水 路 が 完備 され て いて さえ も, しば しば発 生 す る。 さ らに,畑 作 物 へ の 潅 概 , あ るい は液 鶴 によ る裏 作 導入 の た め に は,従 来 の幹 線 ・支 線 水 路 だ けで は, ど うに もな らな い。この ことは ,世 界 銀 行調 査 団 に よ って も指摘 され,Phumiphonダ ム・Chainat分水 堰 や 幹線 ・支 線 水 路 の 完 成 した大 ChaoPhraya計 画 が , その 目的 を達 成 す るため には,ぜ ひ と も,個 16) NationalStatisticalO氏ce,0氏ceofthePrimeMinister,Statisil'calYearbookof Thailand,
1964(Bangkok:1965),p.384.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 17) 々の 圃場 まで の水 路 ,つ ま り末 端 水 路 の必 要 で あ る ことが 強調 され た。 これ は,港 翫 計 画 が重点 を お いて い る中央 部 平 原 だ けの 問題 で な い。東 北部 で奨 励 され た溜 池 濯 敵 も,技 術 的 な溜 池 漏水 の 問題 に悩 ま さ れ て い る と と もに,用水 路 がで きて い な いた め 18) に ,実 際上 の 港概 に役 だ って い な い場合 が 多 い。 した が って ,水 の効 果 的利 用 , あ るい は水 の節 約 の た め には ,末 端 水 路 の整 備 が重 要 な 問題 とな る。 と くに ,大 ChaoPhraya計 画 にお いて ,最 も緊 急 に必 要 と され る。 これ は また 受益 者 負担 ,水 利費 の 問題 におのず か ら解 決 の道 を開 くで あ ろ う。 最 後 に簡 単 に触 れ て お きた い 問題 は,水 資 源 利用 開発 が か な らず Lも全 部 RoyalIrrigation Departmentの 担 当 す ると ころで な い ことで あ る。 これ と別 に,同 じ Ministry ofNational
Developmentの なか に,NationalEnergy Authority が あ り, 水 力発 電 を行 な って い る。 (東 北部 Nakhon Sawan県 の Nam Pong Dam は1965年11月竣工 。 これ は 6,300kwの電 力
19)
と10万haの 港 概 を 目的 とす る。) 他 方 ,Royal lrrigation Departmentは, さき に述 べ た よ うに,火 力発 電所 もすで に建 設 し, こん ご火 力発 電 計 画 を拡 大 しよ うとす る。 この官庁 間 の sectionalism は, こ こで まず 強 く指 摘 して お きた い と思 う。
(6) 末 端水 利 計 画 の 問題 と対 策-Dikeand Field Ditch Project につ
いて-タ イの溶 融排 水 計 画 の , ひ とつ の基 本 的 な問題 と して指 摘 した と ころの ,末 端 水 利計 画 は , RoyalIrrigation Departmentに よ り,Dikeand Field Ditch Projectと して , と りあ げ ら
20)
れ て い る。
そ の 目的 とす る と ころは, さきに簡単 に触 れ た よ うに,第
1
は表 作 の水 稲栽 培 のた め の水 の 合 理 的 な配分 ・利 用 で あ る。 現 実 に,main canalと lateralcanalの段 階 に と どま ると き には, あ る
圃
場 は水 の過 剰 に, また あ る圃場 は水 の不 足 に悩 む。 水 の 不 足 す る 農 民 は,勝 手 に lateralcanalの堤 防 を こわ して ,導水 す る ことが , しば しば生 ず る。 また , 水 の過 剰 に悩 む 農 民 は, その 圃場 か らの排 水 がで きな い。 圃 場 の水 の コ ン トロール が不 可 能 な た め ,収 量 増大 17) InternationalBankforReconstruction andDevelopment,p.50.なお,戦 後 派遣 されたFAOの タイ農業調査団は, つぎのようにこの問題の重 要 性 を指 摘 している。HSystem planniTlgthat willassuresatisfactorywaterdeliverytoeveryfarm wouldbeoneofthemostimportant improvementsinThailand'sirrigationpolicy. Thisrequeststhatcontrolled delivery t把 arrangeddirectlytotheindividualfarm ;togroupsoffarmsirrigatedasaunitasmust bethecasefordeep-waterrice. Thisdeliverymaybemadeonrequestwherecontinuous 且ow ispossible,orbytllrnWhereeachfarmerisallottedacertainquantityofwaterat speci丘edtimeintervals. Onoldprojectssystem adjustmentsshouldbemadetoproduce thesameresults. (Food and AgricultureOrganization,United Nations,Reportofthe
F.A.0.MissionforSiam. Washington,D.C.:1948)
18) 安芸敏一 「東南アジアにおける水利開 発の 問題 点について」, 『東 南 ア ジ ア研 究.ロ, 第3巻 第1号 (1965),p.58.
19) Bangkok World,Nov.15,1965. 20) RoyalIrrigation Department,p.22.
110-本 圃 :タ イ農業 にお け る生 産 基盤 の整備 た げ られ る。(水 の コ ン トロール が ない場合 ,施 肥 の効果 が激 減 す る ことは,い うまで もなか ろ う。)第2の 目的 は,裏 作用水 を確 保 して ,裏 作 を はか る ことで あ る。 すなわ ち,ditchで もっ て 開場 の水 を コ ン トロール す るだ けで な く, この dikeの な かの 圃場 の水 を排水 用 の ditchで もって ,表 作 の収穫 の あ とす ぐにのぞ き,
圃
場 を乾 燥 させ ,ただ ちに第2作 の作付 に入 る こと が必要 で あ る。 そ うで な い と,土壌 が汚染 し,裏 作 物 の収量 が減少 す る。 しか も,裏 作期 間 中 に圃場 に漕概 す る ことが可能 で あれ ば ,収量 は 激 増 す るo と くに,大 ChaoPhraya計画 に おいて は,CroppingArea と して , (i) 水 稲一 畑作 物 の2毛 作 (ii) 水 稲一 水 稲 の2毛 作 (iii) 畑作物- 畑作物 の2毛 作 (iv) サ トウキ ビ (Ⅴ) 野 菜 の2毛 作 が構 想 され る。 この うち,畑 作物 を裏 作 とす る2毛作 が中心 とな る。 (水 稲2毛 作 は,裏 作水 稲 の た めの漕概用水 に絶対 的 に不 足 す る。) 畑 作物 と して は,Maungbean,大 豆 , モ ロコシ 類 , ゴマ , トウモ ロコシ,落花 生 ,野 菜類 (スイ カ ・ナ ス),緑肥 作物 (Sesbania,Chrotolaya)な どが , この地 域で は と りいれ られ うる。 一部 の高地 (と くに Suphanburi地 区)で はサ トウ キ ビが , すで に導入 され て い る。 したが って ,畑作物栽 培 のた めの潅潜 が ,大 Chao Phraya
計 画 の効果 をよ り高 め るた め に, きわ めて必要 で あ る。 それ には,い っそ うに,末 端水 利組織 が重要 とな る。
もと もと,RoyalIrrigationDepartmentは,DikeandFieldDitchProjectの重要性 を 認 め,1941年 に TheFieldDikesand Ditches Actが公布 され た が , さ らに1962年新 た に
TheDikesand Ditches Actが公布 され た。 つ いで 同年世界 銀 行 か ら262万 ドル の借款 をえ て ,大 ChaoPhraya地 域,1963年 か らは Phetburi地 区 に 実 施 して い る。大 ChaoPhraya
地域 は約 81万ha,Phetburi地 区は 5.3万 haに わ た る。 ほか に,北部 の MaeTang,Lam Pao,Lam Phraploeng地 区 に も小面積 で あ るが ,着工 した。 もちろん , その重点 は,大 Chao Phraya地 区で あ り, 最 初 は年 間 9.6万 haに実施 , 近 く1年 の事 業量 を 16万haに増 加 す
る。 (注 意 すべ きは,大 ChaoPhraya地 域 は約 91.5万 haの港翫 面積 を もつが , その うち,
10万haは低地 (depression)で あ る。 これ は Ayutthaya周辺 に多 いが,ChaoPhraya本
流 は もちろん , その支 流 に もそ って ,縦 に走 って い るO こ こで は flOatingriceが栽培 され ,
DikeandDitchProjectは実施 され な い「 タイ- の来訪者 が Bangkok-Ayutthayaの flOating rice地 域 だ けをみて も, しば しば タイの水 田に誤 った 印象 を もつ 。 この点 と くに ここに付 記 し
東 南 ア ジ 7 研 究 第4巻 第3号
て お きた い 。)
21)
この Dike and Ditch Projectの基本 的 な構 想 はつ ぎのよ うにな る。 (図 1参 照)大 Chao Phraya地 区 で は main canalと lateralcanalは す で に完 成 して い る。 Dike.and Ditch
表T DikeandFieldDitchProject(1964年建設中)
計 画
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港概可能面積l
費 用 L 建 設 期 間 Gre
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ChaoPhraya Phetburi 計 809,600ha 53,O
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862,6C
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Baht ドル 82,030,000+2,320,000 5,109,000+ 300,000 87,139,000+2,620,000 1961 - 1968 1963 - 1967Source:RoyalIrrigationDepartment,Tables,Bangkok,1964.p.18. 注 :費用の うち Bahtは タイ国政府直接支 出, ドルは IBRDよ り借入れ
M ainCanal
図1 DikeandDitchProjectの基本構想
21) なお,DikeandDitchProjectの基本設計 としてほ,前掲富士岡論文 p.132所収 の図3とも,あ わせて参照 されたい。
2-本 岡 :タ イ農 業 にお け る生産 基盤 の整備
Projectは この Canal組 織 を うけて の 末 端 水 利組織 とな る。 まず ,lateralcanalに 1km
の間 隔 ごとに,farm turnout,pipeあ るい は regulatorが設 け られ , ここか らlateralcanal
に平 行 して mainditchが は られ る。 その延長 は約 1kmにな る。 この mainditchに 400m
間隔 で diversion boxが設 け られ , そ こか ら,lateralditchが は られ る。 lateralditchの 延長 は約 1-2km にな る。 この地域 の農家 の経 営面 積 は1戸 あた り 30rai(4.8ha),それ が 2間場 にわ かれ るっ したが って 1圃場 は 2.4ha。400mx600m の もの が典 型 的で あ る。 そ こ で lateralditchに そ って 600m 間隔 に pipeが設 け られ , そ こか ら farmers'ditcbが は られ る。 (pipeだ けで ,farmers'ditchが は られ な い場合 もあ るO 畑作物 の ときには, farmers'ditchの必要 度 が高 く,水 稲作 だ けの ときには,必 要度 が小 さい。) さ らに, 圃場 は dikeで もって か こむ。dikeの高 さは 40cm と して ,水 稲栽培 の最 高 湛水深 度 を 30cm と す る。dikeの中の 圃場 が平 坦で な い ときは これ をな らす。 この面積 1,000rai(約33農 家) に 1人 の COmmOn irrigatorを 農 民 の な か か ら え らんで お く。 さ らに,10,000raiに1人 の irrigationofncerを おいて管理 に あた る。
もちろん ,mainditchおよび lateralditch,また lateralcanalか ら main ditch,main ditchか ら Iateralditch-導 水 す るた めの構造 物 は RoyalIrrigationDepartmentが建 設 す る し, ま た そ の管理 もす る。 さ らに Iateralditchか ら farmers'ditch- む すぶ pipe
の敷設 さえ,RoyalIrrigation Departmentが担 当 す る。 だ か ら, 農 民 が 建 設 す るの は
farmers'ditchだ けで あ る。 そのかわ り, この施工 ず みの 区域 で は, 農民 が1作 ご とに,ra主
あた り 0.25Bahtを負担 す る。1961年 か ら開始 され た大 Chao Pbraya計画 の Dike and DitchProjectは順調 に進 行 して お り, まず ,上 流地域 が1965年 まで に完成 した。1968年 に予 定 どお り完成 を み る進捗 状況 にあ ると報 告 され て い る。 また,1965年末 にcommonregulator
と して ,1,000人 が 任 命 され た。水 利費 を支 払 う農 家 が約30,000戸 にのぼ った といわれ て い る。
しか し,わ た くし自身,1965年 この 「完成地 区
」
を調査 した感 想 と して ,main canalとI a-teralcanalとは, ほぼ予定 どお り竣工 され て い るが ,mainditchと lateralditchが は りめぐらせ て い ると ころは, きわ めて , か ぎ られ て い るよ うな印象 を うけた。 さきの報 告 に あ るよ うに,3万 戸 とい うと,約 90万 raiにの ぼ る。 これ は1965年 まで の施工 地 域 の約30% で あ る。
だ か ら,実 際 の施 工 面積 は報 告 よ りも,ず っと少 な いの で は な い か と い う,わ た くしの観 察 を, あ る程度 まで裏 書 きす る。 しか し, この報 告で さえ過大評 価 の感 じが す る∩ しか し, その 内容 を チ ェ ックす る ことは,わた くLに と って は不 可能で あ る。
大 ChaoPhraya計 画 の Chainat付 近 の地 域 で は, この DikeandDitchProjectの有無 にかかわ らず ,水 稲作 のた めの水 利が安 定 し,た め に収量 の安 定 と増収 が は っき り して い る。
東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巻 第 3号
水利 計画前 ,平 均収 量
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上 部地 区で さえ ,裏 作 率 は5%
に達 して いないので あ る。 それ に して も, ほ とん ど皆無で あ った と ころか ら,5%
近 くにまで ,裏 作 率が数年 の うちにの び た ことは,お どろ くべ き発 展 といわ な けれ ば な らな い。この
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が , 予期 した ほ ど実状 において進行 して いない と思 われ る が , その と くに重要 な理 由 と して ,つ ぎの2点 が あげ られ よ う。第
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は,経 費 の 問 題 で あ る。 大Cha
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あた りの工 費 は,正確 に計算 す ると (表7
参照),
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9.
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ドル(
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5
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円) にす ぎな い。 この程度 の費 用 を もって ,末 端組 織 の水 路網 を は りめ ぐらす ことは, ど う し て も無理 だ と思 われ る。 第2
は,や は り農民 の協 力 の問題で あ る。農民 に は さきにあげた1
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の建設 に,農 閑期 (同時 に これ が 工 事期 で あ る) に無償 労力 を提 供 す るな らば ,経 費 はい ち じる し く節 減 され うるで あろ う。 事実 上