宇都宮大学教育学部紀要
第六十四号
第一部
別刷
平成二十六年(二○一四)三月
寺山修司のテレビ・ドキュメンタリー『あなたは……』
︱︱出会いの「数学的幸福論」︱︱
守
安
敏
久
Terayama Shuji’s Television Documentary YOU……:
“A Mathematical Essay on Happiness” about the Encounter
正力松太郎がアメリカからの技術導入を背景にテレビ放送の実現に動 き出し、昭和二十七年七月、日本テレビ放送網がいちはやくテレビ放送 の予備免許を受ける。一方、戦前から技術研究所を開設して独自にテレ ビ 研 究 を 推 進 し て い た N H K は、 予 備 免 許 の 交 付 で は 遅 れ を と り な が ら、本放送では先陣を切り、昭和二十八年二月一日、東京テレビジョン 局が開局、舞台劇『道行初音旅』を放送した。ここに日本におけるテレ ビ放送が、その歴史を歩みだす。日本テレビ放送網の開局は遅れて同年 八月二十八日であっ た (1) 。ラジオ東京テレビ(略称KRT、現TBS、昭 30・ 4 開 局 )、 日 本 教 育 テ レ ビ( 略 称 N E T、 現 テ レ ビ 朝 日、 昭 34・ 2 開 局 )、 フ ジ テ レ ビ( 略 称 C X、 昭 34・ 3 開 局 ) な ど、 民 放 テ レ ビ の 開 局が続き、街頭テレビから浸透していったテレビ受像機も、やがて昭和 三十四年四月十日の皇太子御成婚パレードに合わせて各家庭へと一気に 普及することになる。 その草創期から「電気紙芝居」と揶揄され、それでもテレビは大衆社 会 に 食 い 込 ん で い く が、 大 宅 壮 一 か ら は「 〝 一 億 白 痴 化 (2) 〟 運 動 」 と 指 弾 さ れ( 昭 32)、 映 画 界 か ら も 格 下 に み ら れ た ま ま、 テ レ ビ 界 は 娯 楽 番 組 中心に推移していく。 そ の よ う な 中 で、 昭 和 三 十 二 年 十 一 月、 テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー の 草 分 け と も さ れ る 定 時 番 組『 日 本 の 素 顔 』( N H K ) が 始 ま る(~ 昭 39・ 4) 。 と り わ け ヤ ク ザ の 世 界 を 封 建 的 な 日 本 社 会 の 縮 図 と し て 捉 え、 実 際 の 賭 博 場 面 を ハ イ ラ イ ト と し た 第 八 回『 日 本 人 と 次 郎 長 』( 演 出 = 吉 田 直 哉、 昭 33・ 1) 、 あ る い は 熊 本 県 水 俣 で 発 生 し た 奇 病 に つ い て、工場公害を起因とする水銀中毒の疑いを指摘した『奇病のかげに』 (演出=小倉一郎、昭 34・ 11)などが反響を呼ん だ (3) 。 日 本 テ レ ビ で は 牛 山 純 一 が 総 合 プ ロ デ ュ ー サ ー を 務 め、 本 格 的 な ド キ ュ メ ン タ リ ー 番 組『 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン 劇 場 』( 昭 37・ 1 ~ 昭 43・ 3) が 生 み 出 さ れ る。 牛 山 純 一 は 番 組 企 画 の 芯 を 次 の 三 点 に 定 め る。 「 第 一 は、現代を象徴する人間の行動の軌跡を追跡するドキュメンタリー番組 を 制 作 し た い と 考 え た。 ( 中 略 ) 第 二 は、 制 作 者 の 署 名 性 を 重 ん じ た こ と で あ る。 ( 中 略 ) 第 三 に、 テ レ ビ 番 組 が 人 間 の 創 造 物 で あ る 以 上、 番 組成功の条件は『有能な人をあつめ育てる』ことに終始することを主張 し た 点 だ と 思 う (4) 。」 こ う し て 社 外 か ら、 劇 映 画 や 記 録 映 画 の 監 督 た ち ( 大 島 渚、 新 藤 兼 人、 羽 仁 進、 土 本 典 昭、 東 陽 一 ほ か ) の 参 加 も 得 て、 単 な る ニ ュ ー ス レ ポ ー ト で も 文 化 映 画 で も な い、 「 人 間 」 に 焦 点 を 当 て た 作 家 性 の 強 い 作 品 群 が 制 作 さ れ て い く。 第 二 回 放 送 の『 老 人 と 鷹 』 ( 演 出 = 西 尾 善 介、 昭 37・ 1) は、 山 形 県 真 室 川 町 の 老 鷹 匠 が 獰 猛 な ク マタカを狩りのために飼いならしていく様子を描いた作品で、カンヌ・ ユーロビジョン・フェスティバルのグランプリに輝いた。
寺山修司のテレビ・ドキュメンタリー『あなたは……』
︱︱出会いの「数学的幸福論」︱︱
守安
敏久
送 」( 略 称 T B S 、 以 下 こ の 略 称 で 表 記 ) と 社 名 変 更 す る (6) 。 ド ラ マ で も ド キ ュ メ ン タ リ ー で も 優 れ た 作 品 が 生 ま れ て い た と は い え 、 後 発 メ デ ィ ア で あ る 草 創 期 の テ レ ビ は 、 そ の 話 法 の 構 造 に お い て 、 先 行 メ デ ィ ア で あ る 劇 映 画 や 記 録 映 画 へ の 参 照 の う え に 、 築 か れ て い た 。 と は い え 映 画 的 手 法 と の 葛 藤 の な か か ら 、「 テ レ ビ と は 何 か 」 「 テ レ ビ な ら で は の 表 現 と は 何 か 」 を 問 い か け る 方 法 的 な 模 索 は 、 ど の 現 場 に も あ っ た 。 こ こ で は 昭 和 二 十 八 年 に ラ ジ オ 東 京 に 入 社 し 、 そ の 後 テ レ ビ 報 道 部 に 転 じ て 、 数 々 の 物 議 を か も す ド キ ュ メ ン タ リ ー を 制 作 し た T B S デ ィ レ ク タ ー 萩 元 晴 彦 の 軌 跡 を 辿 っ て い こ う。 特 に 構 成 に 寺 山 修 司 を 招 い て と も に 制 作 し た 作 品 群 こ そ は、 「 テ レ ビ と は 何 か 」 をめぐる先鋭的な実験となっている。 萩元晴彦は昭和五年三月七日、長野県飯田市で、弁護士の父隼人と母 美知子の長男として生まれる。昭和二十二年、松本中学の野球部投手と し て 中 等 野 球 信 越 大 会 を 制 し、 甲 子 園 に 出 場 す る も 成 田 中 学 に 惨 敗 し た。松本深志高校をへて昭和二十八年、早稲田大学文学部露文科卒業。 昭和二十八年にラジオ東京に入社し、録音構成『神これを癒し給う―― 心 臓 外 科 手 術 の 記 録 』( 昭 29) で 民 放 祭 賞 受 賞。 ラ ジ オ か ら テ レ ビ 報 道 部に転じ、 『あなたは……』 (昭 41、芸術祭奨励賞) 、『現代の主役 日の 丸 』( 昭 42) な ど 数 々 の ド キ ュ メ ン タ リ ー を 制 作。 政 治 圧 力 と 不 当 配 転 を発端に拡大した昭和四十三年の「TBS闘争」後、TBSを退社し、 同じく退社した村木良彦・今野勉らとともに昭和四十五年、テレビマン ユ ニ オ ン を 設 立、 社 長 と な る。 『 遠 く へ 行 き た い 』( 昭 45~) 、『 オ ー ケ ス ト ラ が や っ て 来 た 』( 昭 47~) な ど の 番 組 を プ ロ モ ー ト。 サ ン ト リ ー ホールのオープニングシリーズ・プロデューサー (昭 61)、カザルスホー ル 総 合 プ ロ デ ュ ー サ ー( 昭 62~) 、 長 野 オ リ ン ピ ッ ク 開 会 式・ 閉 会 式 の そして何よりも、七本もの作品でこの番組に関わることになる大島渚 が 演 出 し た『 忘 れ ら れ た 皇 軍 』( 昭 38・ 8) が 日 本 の ド キ ュ メ ン タ リ ー 史に屹立する。かつて日本兵として徴用されて障害を負い、戦後は日本 人でなくなったことから軍人恩給も受けられない「元日本軍在日韓国人 傷痍軍人会」の人々の無念の陳情活動を追った作品である。盲目となっ たり手足を失った人もいる一行は、どこでも相手にされず、周囲の日本 人 も 冷 淡 で 無 関 心 で あ る。 虚 し い 一 日 の 終 わ り、 居 酒 屋 で 酒 宴 と な る が、 仲 間 内 で も 諍 い と な り、 全 盲 の 元 兵 士 の 悲 痛 な 顔 を 凝 視 す る 画 面 に、 「 眼 の な い 眼 か ら も 涙 が こ ぼ れ る 」 の ナ レ ー シ ョ ン が か ぶ さ る。 韓 国・朝鮮人問題に取り組みながら、日本人のあり方に反問を差し出す大 島渚は、同時に「撮る」行為そのものの痛みとも向き合っている。 『 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン 劇 場 』 で は、 昭 和 四 十 年 の ベ ト ナ ム 戦 争 拡 大 を め ぐり、南ベトナム政府軍に密着取材した『ベトナム海兵大隊戦記』を、 三部作の予定で同年五月九日に第一部を放送した。戦争の狂気を伝える べく、南ベトナム兵が生首をぶらさげる場面もあえて放送したが、反米 的と受け取った政府・自民党から「残酷である」と抗議を受け、第二部 以降を放送中止とする出来事もあっ た (5) 。
Ⅰ
萩元晴彦と寺山修司
昭 和 三 十 年 四 月 に 開 局 し た ラ ジ オ 東 京 テ レ ビ ( 現 T B S ) は 、 下 級 戦 犯 の 死 刑 判 決 を 扱 っ た 『 私 は 貝 に な り た い 』( 演 出 = 岡 本 愛 彦 、 昭 33・ 10、 芸 術 祭 賞 )、 映 画 と テ レ ビ の 業 界 人 の 闘 い を 描 い た 『 マ ン モ ス タ ワ ー 』( 演 出 = 石 川 甫 、 昭 33・ 11、 芸 術 祭 奨 励 賞 ) な ど 、 後 に 「 ド ラ マ の T B S 」 と 評 さ れ る に ふ さ わ し い 社 会 派 テ レ ビ ド ラ マ を 送 り 出 し て い た 。 ラ ジ オ 東 京 テ レ ビ の 名 も 昭 和 三 十 五 年 十 一 月 の 赤 坂 本 社 屋 の 完 成 に 合 わ せ て 「 東 京 放のいなかの貧しい家に生まれた。父は亡くなり、母は野菜の行商で彼 を育てた。野球だけが〝日のあたる場所〟に出る手段だった。高松一 高、西鉄と順調に球歴を重ね、昨年は優勝監督、もう押しも押されも せぬ第一人者だ――。六回裏、西鉄は玉造、ウィルソン、田中久の安 打で2点をとり同点にもちこんだ。ベンチにドッカリ腰をおろす中西 の表情には、もはや貧しい少年の面影はない……。 この試合は結局8対4で西鉄が負けた。この試合を選んだのは、負 け試合の方が中西の面影が躍如として出るからだそうだ。 寺山氏の話 外面からはわからない彼のドラマチックな半生を描いて み た い。 主 人 公 は 中 西 監 督 で す が、 〝 幸 福 と は 〟 と か〝 人 間 は 何 を め ざして生きているのだろう〟という問題を投げかけられればよいと思 う。 (『毎日新聞』 ) 番組は「プロ野球のスカウトと言うのは、今様の『人買い』であり、 プロ野球の球場は、買われた若者たちの人生を賭けた孤独な劇場なので ある」というナレーションに始ま る (9) 。寺山は、プロ野球を、選手自身が 商品価値を競う「市」であり、観客の熱狂に支えられた「劇場」である と捉える。そして高松の貧しい家庭に育った中西太が、選手としてホー ム ラ ン 王 や 打 点 王 に 輝 き、 「 陽 の あ た る 場 所 」 へ と 出 て い く「 幸 福 論 」 として描き出していく。六月七日の西鉄―東映戦の試合進行に寄り添い な が ら も、 青 年 監 督・ 中 西 太 の 人 生 そ の も の を、 む し ろ 焦 点 化 し て い る。それは野菜の行商で女手ひとつで中西太を育て、息子が栄光を手に した後も行商を続ける「偉大な母」と息子の物語でもある。貧しさへの 怨 念 が 競 争 原 理 を 通 し て ス ポ ー ツ を「 劇 場 」 化 し て い く 残 酷 さ を、 「 母 子 の 物 語 」 と と も に 描 い た 作 品 で あ り 、 寺 山 的 な 家 族 論 と も な っ て い る 。 シニアプロデューサー(平9)を務める。平成十三年九月四日死去、享 年七十一 歳 (7) 。 萩 元 晴 彦 は、 寺 山 修 司 と の 最 初 の 出 会 い に つ い て 回 想 し、 「 鮮 明 な 記 憶がない。それはたぶん昭和三十二年ごろで、そのころ有楽町の毎日新 聞 社 の な か に あ っ た、 ラ ジ オ 東 京 の ス タ ジ オ に、 谷 川 俊 太 郎 が 連 れ て き て 紹 介 し て く れ た 」 と 言 い、 「 む し ろ 競 馬 に つ い て の 思 い 出 ば か り 浮 か ん で く る。 ( 中 略 ) 私 た ち は 毎 週 末、 数 時 間 に わ た っ て 翌 日 の レ ー ス 検討を電話で行った。彼との会話はもちろん競馬の検討にとどまらず、 仕事や人生万般におよんだ。それは私にとって、極めて知的な快感だっ た。 寺 山 が よ く 書 い て い る よ う に、 い わ ば 友 情 の キ ャ ッ チ ボ ー ル で あ る」と記してい る (8) 。二人が協同で生み出したTBSのテレビ・ドキュメ ンタリーの数々を見ていこう。 T B S『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ 中 西 太・ 背 番 号 6』 ( 昭 39・ 7・ 14午後 10時 30分~ 11時放送)は、同年六月七日の西鉄―東映戦(平和台 球場)における西鉄監督・中西太の表情を三台のカメラでとらえ、これ に彼の生い立ち、野球人としての人生ドラマを織りこんだ人間ドキュメ ン ト で あ る。 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成 = 寺 山 修 司、 ナ レ ー タ ー = 水 谷 貞 雄。 放 送 日 の『 毎 日 新 聞 』( 昭 39・ 7・ 14朝 刊 ) テ レ ビ 番 組 欄 に は 次 の ような紹介記事が載っている。 萩元氏と構成をかって出た寺山修司氏は、貧しい家庭から怪童とよ ばれる大スター、そして青年監督となった中西に非常な興味を抱いて いたそうだ。 この日の試合は、4対2で東映がリードしている。コーチャーズ・ ボックスに立つ中西太の胸に少年時代の自分の姿が浮かぶ。彼は高松
こ の 作 品 で は、 前 半、 中 山 大 障 害 レ ー ス そ の も の と は 別 に、 サ ラ ブ レ ッ ド の 世 界 の 舞 台 裏 が、 馬 と 騎 手 の 視 線 か ら 描 き 出 さ れ る。 「 馬 の 世 界では、サラブレッドで生まれるということは一つの誇りである。由緒 ある血統で生まれるということが、そのまま将来の約束につながってい る の だ 」 と い う ナ レ ー シ ョ ン に 重 ね て、 「 離 乳 」 の 日 に 母 馬 か ら 引 き 離 されて泣き続ける子馬の姿がとらえられる。そして「子馬が誰かを憎む ことを知るのは、このときから始まるのかもしれない。なぜなら幸せな ものに闘志が芽生えるわけなどはないからだ」と語られる。さらに場面 は変わって、ふるさとを捨てて上京してきた少年騎手の「食欲と孤独と の 闘 い 」 の 中 に、 「 偉 い 騎 手 に な る ま で は 帰 り ま せ ん 」 と い う、 少 年 騎 手 の 母 へ の 手 紙 が 読 み 上 げ ら れ る。 こ の よ う に 馬 と 騎 手 の い ず れ も が 「母子の物語」として構成されているところが、寺山らしい。 作品後半は、フジノオー、タカライジン、両馬の騎手の家庭生活をも 素描しながら、当日の中山大障害レースの宿命の対決を実況する。そし て三度続けてフジノオーに負けたタカライジンに、再度の挑戦を期待し な が ら、 「 サ ラ ブ レ ッ ド に 闘 う こ と を 命 ず る こ と が、 サ ラ ブ レ ッ ド へ の 愛とは言えないだろうか」と結ばれていく。 TBS『カメラ・ルポルタージュ 勝敗(第一部) 』(昭 40・ 10・5午 後 10時 30分~ 11時放送)は、昭和四十年の囲碁・名人戦で二十三歳の林 海峯八段が、常勝の坂田栄男(栄寿)名人に挑んだ対局を描き出す。こ の名人戦は、おおかたの予想に反して九月十九日、林海峯が坂田栄男を 四対二で下し、名人位を奪取したが、第一部の放送では、その第五局に 焦点を当てている。演出=萩元晴彦、構成=寺山修司、音楽=武満徹、 ナレーター=福田豊士。四台のカメラで撮影した、白と黒の碁石が演出 T B S『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ サ ラ ブ レ ッ ド ― わ が 愛 』( 昭 39・ 10・ 13午後 10時 30分~ 11時放送)は、東京オリンピックのさなかにひっ そりと放送され、話題になることもなかったが、萩元晴彦が「競馬を愛 した寺山と私の感性がにじみ出たもので本当に思い出深い」と述懐して い る 作 品 だ )(1 ( 。 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成 = 寺 山 修 司、 音 楽 = 山 本 直 純、 ナ レ ー タ ー = 近 藤 洋 介。 放 送 日 の『 毎 日 新 聞 』( 昭 39・ 10・ 13朝 刊 ) テ レ ビ番組欄には次のような紹介記事が載っている。 きょうのTBSテレビのカメラ・ルポ(後 10・ 30)は、この十一日 に行なわれた中山大障害レースを舞台に、騎手や調教師、馬丁らが織 りなす勝負にかける人間ドラマを描いた「サラブレッド―わが愛」を 放送する。 レース当日、馬場にすえられた五台のカメラは、レースの模様を近 接 距 離 で 生 々 し く 追 う ほ か、 レ ー ス 前 後 の 関 係 者 の 表 情 を、 フ ジ ノ オー、タカライジンの両本命馬を主人公にして描いていく。構成は寺 山修司。 大障害レースは、四一〇〇㍍の長い馬場に大土塁、大竹サク、大い けがき、水濠などの障害があり、落馬、転倒などで出走馬の半分ぐら いしか完走できない難レース。フジノオーは昨年秋と今年春、秋の三 連続でこのレースに優勝し、タカライジンは連続二位をとったいずれ も 名 馬。 二 頭 と も オ ス 六 才。 ( 中 略 ) カ メ ラ は 試 合 前 か ら ず う っ と こ の二頭を追い、レースの迫力あるシーンをクライマックスに、きびし い勝負の世界を「人馬一体」となった人間と動物の愛情の世界を、力 強 い 画 面 構 成 で 見 ご た え あ る 見 も の に し た と 担 当 者 は い っ て い る。 (『毎日新聞』 )
ことだという結論に達したわけです。非常に単純なことだけれども、 視聴者とブラウン管内の時間同時進行ということが、一番の正解じゃ な い か と 思 っ た の は そ の 番 組 を や っ て か ら で す。 そ の 発 想 を も と に 作ったのが小澤征 爾 )(1 ( なんです。 」 (萩元晴彦「インタヴュー 映画的手法から脱却せよ」 ) 動きの少ない囲碁の対局など、およそ「絵」になどならないと誰もが 思うところだが、この第一部では、対決する二人の棋士の表情中心に、 「 大 写 し 」 で 追 っ て い く。 盤 面 の 碁 石 の 攻 防 な ど は ほ と ん ど 写 さ れ な い。煙草を吸ったり、茶を飲んだりしながら黙考する緊迫した時間のう ちに、扇子をパチパチやったり、碁石をつまぐったり、虫の音さえ聞こ えるなか、残り時間を告げる声ばかりが響きわたる。視聴者はその「緊 迫した時間」に立ち会うことそのものを「密室ドラマ」として受け止め る構造となっている。出来事らしい出来事などなくても、勝負に挑む表 情と所作そのものが人間ドラマである。 翌 週 放 送 さ れ た T B S『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ 勝 敗( 第 二 部 )』 ( 昭 40・ 10・ 12午 後 10時 30分 ~ 11時 放 送 ) は、 第 一 部 の「 密 室 ド ラ マ 」 とはがらりと趣を変えた作品となっている。第六局を制して坂田栄男を 破り、囲碁名人となった林海峯の日常を追い、さらにかつての兄弟弟子 で今はサラリーマンをしている男性との比較を通して、勝負の世界に生 きることの意味を考察していく。演出=萩元晴彦、構成=寺山修司、音 楽 = 日 暮 雅 信、 ナ レ ー タ ー = 福 田 豊 士。 放 送 後 の『 毎 日 新 聞 』( 昭 40・ 10・ 14朝 刊 ) テ レ ビ ・ ラ ジ オ 欄 「 見 て ・ 聞 い て 」 に 作 品 評 が 載 っ て い る 。 第二部は林名人とかつて兄弟デシだった、無名の一サラリーマンを する「密室ドラ マ )(( ( 」。この作品を制作しながら、萩元晴彦は、 「テレビは 時間だ」と発見していく。 『展望』 (昭 43・5)の「インタヴュー 映画 的手法から脱却せよ」で、萩元晴彦はこう語っている。 「 何 年 か テ レ ビ を や っ て 痛 感 す る の は、 テ レ ビ は 絵 じ ゃ な い と い う ことです。ふつうテレビは絵だという場合の『絵』は非常に映画的絵 なんです。テレビで働いている人間の中に映画的文法が浸透している 感 じ が 強 い、 最 近 は 変 っ て き ま し た け れ ど。 じ ゃ 絵 で な け れ ば 何 だ と い わ れ る と 時 間 だ と 思 う ん で す。 ( 中 略 ) 簡 単 に 言 い ま す と、 ブ ラ ウン管の中の時間と視聴者の創造的イマジネーションをかき立てるよ うな時間とが同時進行するという、テレビそのものの媒体としての特 殊 性 と い う こ と か ら 出 て く る 発 想 で す。 ( 中 略 ) 自 分 で や っ と 鉱 脈 を 掘りあてたという感じがしたのは、碁の名人戦をやったときのことな んです。坂田さんを口説き落して、坂田・林海峯戦の対局室に初めて カメラを入れたわけです。全部同時録音で、カメラを二台おいて対局 全 部 を 両 側 か ら と る。 武 満 徹 さ ん が 音 楽 を つ け て、 ラ ッ シ ュ が 三、 四時間になりましたが、この迫力の凄まじいこと、すごいんです。い ま考えるともっと近寄った方がよかったという反省もあるけれども、 とにかくカメラは据えっぱなしで顔だけ 取 (ママ) っている。二人とも何もし ない、ただ考えているだけです。高段者だから二時間ぐらい考えたり する。煙草を吸ったり、茶を飲んだり、わからん、わからんと呟いた り、扇子をパチパチやったり――それだけなんですが、すごい迫力な んですよ。ところがそのフィルムを編集する段階で、いろいろおもし ろいところをモンタージュしてみたけれど、だめなんですね。とにか くカットは長けりゃ長いほどいい、ある意味ではモンタージュしない
う。とはいえ、これはこれで、勝負の世界を下りた敗者に注ぐ寺山の眼 差しを感じさせ、ささやかな家庭生活に見出した「幸福論」でもある。 ナ レ ー シ ョ ン 、 音 楽 、 映 像 編 集 を 抑 制 し 、 先 鋭 的 な 方 法 論 で 息 詰 ま る 勝 負 の 「 時 間 」 に 立 ち 会 っ た 第 一 部 、 そ し て 逆 に ナ レ ー シ ョ ン も 音 楽 も 映 像 編 集 も 雄 弁 で 、 む し ろ 通 俗 的 に 物 語 化 し た 第 二 部 。 こ の 対 比 的 な 配 合 と 構 成 の 妙 味 で 、 二 部 作 あ わ せ て 一 つ の 作 品 『 勝 敗 』 に 仕 上 が っ て い る 。
Ⅱ
正と反との「対比」構造
「『 あ な た に と っ て 幸 福 と は 何 か?』 と い う 質 問 だ け の ド キ ュ メ ン タ リーを作りたい」という萩元晴彦の企画提案に、ただちに寺山が乗り出 し、岩月昭人カメラマン、村木良彦ディレクターの賛同を得て制作され た の が、 T B S『 あ な た は ……』 ( 昭 41・ 11・ 20午 後 10時 30分 ~ 11時 30 分放送)であ る )(1 ( 。演出=萩元晴彦・村木良彦、構成=寺山修司、制作= 吉兼実、音楽=武満徹、撮影=岩月昭人ほか、インタビュアー=村木真 寿美・古垣美和子・高木史子。第二十一回芸術祭テレビ・ドキュメンタ リ ー 部 門 奨 励 賞 受 賞 作 品。 放 送 日 の『 朝 日 新 聞 』( 昭 41・ 11・ 20朝 刊 ) テレビ番組欄には次のような紹介記事が載っている。 こ の 番 組 は、 職 業、 年 齢、 性 別、 体 験 が ち が っ た 八 百 二 十 九 人 に 「あなたは幸福ですか」 「戦争を思いだすことはありますか」など十七 項 目 を、 駅、 深 夜 喫 茶、 デ モ の 横 田 基 地、 結 婚 式 場 な ど、 東 京 都 内 二十数カ所で、いきなり質問した。このうち百数十人の代表的な答え と表情をえらんで構成、視聴者といっしょに「幸福とは何か」を考え てみようとする。芸術祭ドキュメンタリー部門参加。 (『朝日新聞』 ) 通して、林名人を描写した。この手法は、手法としてありうると思わ れ、 苦 心 も 察 せ ら れ る が、 残 念 な が ら 不 成 功 に 終 わ っ た。 視 聴 者 に と っ て は、 こ の 友 人 は 全 く 無 用 の 存 在 で あ っ た か ら で あ る。 そ の 上 に「勝敗」について、苦しい勝負の世界に生きるよりは、碁をやめた 平凡人の方が、人生的には勝ちであるかのような印象を与える「ひか れ者の小唄」みたいな低俗な哲学が編集の底に流れていて、見るのに 困 難 な 感 じ を 与 え た。 「 勝 敗 」 に つ い て 新 し い 解 釈 を 加 え る の は い い が、その解釈が全然浅薄平凡でなっていないのでは見られない。むし ろ素直に若い林名人をたたえた方が印象的だったろう。 (村松) (『毎日新聞』 ) 第二部には、第六局で坂田栄男が苦悩し、考え込む姿や、ついに王者 が敗れて「長い夢の終わり」に向き合うさまなども描かれているが、新 名 人 と な っ た 林 海 峯 と か つ て の 兄 弟 弟 子( 現 サ ラ リ ー マ ン・ 松 浦 ) と の 交 流 が 中 心 と な っ て い る。 作 品 は こ の サ ラ リ ー マ ン 松 浦 を 視 点 人 物 「 私 」 と し て 林 海 峯 を 叙 述 し て い く 描 法 を と っ て い る。 厳 し い 勝 負 の 世 界に生き、いまやスターとなった林海峯と、勝負の世界から転身したサ ラリーマン松浦とが比較される。松浦は林海峯の名人祝賀会に出たり、 彼のアパートを訪ねてプレゼントを渡し、ともにキャッチボールをした りする。いまやパパになったばかりだという松浦は、入院中の産後の妻 のもとへ行き、赤ん坊をのぞきこむ。作品は「私はいまとても幸せであ る。なぜなら一つかみの碁石よりも、生まれたばかりの赤ん坊の方が、 ず っ と ず っ と 重 い か ら で あ る 」 と い う 松 浦 の 心 情 描 写 で 結 ば れ る。 一 面、先の『毎日新聞』批評にあったように「碁をやめた平凡人の方が、 人 生 的 に は 勝 ち で あ る か の よ う な 印 象 」 を 与 え か ね な い の は 確 か だ ろ17、最後に聞きますが、あなたはいったい誰ですか。 こ こ に は 具 体 的 ・ 現 実 的 な 質 問 と 、 観 念 的 ・ 形 而 上 的 な 質 問 と が 混 在 し て い る 。 萩 元 晴 彦 は 「 方 法 と し て の 『 質 問 』」 ( 前 掲 ) で こ う 証 言 し て い る 。 あの作品はあの質問(= 「あなたにとって幸福とは何か?」 、引用者 註)が軸で、他の十六の質問は「幸福とは何か」を答えさせるための 伏 線 に 過 ぎ な い。 い や、 も っ と 正 確 に 言 え ば 答 え は 必 要 な か っ た の だ。 「問うこと」だけに意味があった。問うことは根元的(ラジカル) だった。君(=寺山、引用者註)はぼくも予期しなかった凄い問いを 最 後 に 突 き 付 け た が、 そ れ は 君 の 生 涯 の 主 題 で も あ っ た。 「 い っ た い あなたは誰ですか?」 その問いに君は自分ならこう答えたいと言っていたっけ。 「寺山修司だ」 (萩元晴彦「方法としての『質問』 」) 実 際 の 作 品 を 見 る と、 「 あ な た に と っ て 幸 福 と は 何 で す か 」 と い う 質 問 に つ い て は、 具 体 的 な 将 来 の 夢 を 語 る 者、 社 会 的 な 一 般 論 で 答 え る 者、現状を肯定する者、不満をぶつける者など、皆がそれぞれの幸福論 を 述 べ て い る。 し か し「 最 後 に 聞 き ま す が、 あ な た は い っ た い 誰 で す か」と問われたとき、多くの人が戸惑いの反応を見せることになる。混 雑する駅のホームで、それまですらすら答えていた三十代のサラリーマ ンが、口ごもって遂に答えられなかったり、二十代の女性は、ちょっと 間を置いて考えた末に「東京に住んでいる者と考えておけばいい」と答 えている。即座に名前を答えたのは小学生の男の子くらいだ。寺山が差 質問項目については、萩元晴彦と寺山とが赤坂の旅館に一晩泊まりこ んで、二人で百五十くらい考えた中から、十七項目に絞ったとい う )(1 ( 。以 下がその十七項目であ る )(1 ( 。 1、いま一番ほしいものは何ですか。 2、あなたは月にどれ位おかねがあったら足りると思いますか。 3、もしあなたが総理大臣になったらまず何をしますか。 4、あなたの友人の名前をおっしゃってください。 5、天皇陛下は好きですか。 6、戦争を思い出すことがありますか。 7 、 ベ ト ナ ム 戦 争 は あ な た に も 責 任 が あ る と 思 い ま す か 。( あ る と 答 え た ら)ではあなたはその解決のために何をしていますか。 8、昨日の今頃、あなたは何をしていましたか。 9、それは充実した時間でしたか。 10 、 人 に 愛 さ れ て い る と 感 じ る こ と が あ り ま す か。 ( あ る と 答 え た ら ) それは誰にですか。 11、今一万円あげたら何につかいますか。 12 、 祖 国 の た め に 戦 う こ と が で き ま す か。 ( で き る と 答 え た ら ) 命 を か けてもですか。 13、あなたにとって幸福とは何ですか。 14、ではあなたは今幸福ですか。 15、何歳まで生きていたいですか。 16 、 東 京 は あ な た に と っ て 住 み よ い 町 で す か。 ( よ い と 答 え た ら ) 空 が こんなに汚れていてもですか。
クローズアップを基本として、カットを割ることなく、回答の時間進行 を そ の ま ま 視 聴 者 に 共 有 さ せ る こ と )(1 ( 。『 あ な た は ……』 は、 こ の 方 法 論 こそが先行した作品である。 確 か に 映 像 は 表 情 の ク ロ ー ズ ア ッ プ を 基 本 と し て 構 成 さ れ て は い る が、一部に終始ロング・ショットだけで構成されたインタビューも交え られている。作品冒頭は数十頭のマグロが並んだ築地の魚市場で、鮮魚 業者らしき男性にインタビューしている全体構図(表情はわからない) だし、あるいは山形から妹の結婚式のために夫婦で上京したという四十 代男性へのインタビューも、遠くから公園を歩いてくるロング・ショッ トである。ちょうど『カメラ・ルポルタージュ 勝敗』の第一部と第二 部 と が 対 比 的 な 配 合 と 構 成 で 成 り 立 っ て い た よ う に、 『 あ な た は ……』 もまた「対比」構造を意識しながら編集されている。 例えば、居酒屋らしき場所で、いま一番ほしいものは「お酒です」と 答える六十代の男性は、少し酩酊しているようにも見えるが、差し出さ れたマイクに口を寄せて、いたって真面目に答え続ける。カットなしの クローズアップでその表情を撮っているが、回答するこの男性の顔の後 ろには、ほろ酔い気分で死んだように眠っている高齢者の寝顔が同時に 映りこんでいる。老いと存在の消失を意識させるこのインタビューに続 いては、一転、若者ばかりが集う騒々しい音楽喫茶が舞台となる。一人 の三十前後の男性が答えているが、画面は初め別の青年が音楽に合わせ て 身 体 全 体 で リ ズ ム を 刻 ん で い る 様 を と ら え て い る。 カ ッ ト が 変 わ っ て、当初声だけが聞こえていた当の男性に切り替わる。幸福とは「何か や っ て る こ と 」 だ と い う 彼 は、 「 何 歳 で も ね、 く た ば る ま で ね、 ず う ず う し く 」 生 き て い た い と 続 け る。 映 り こ む 光 景 も 含 め て、 前 の イ ン タ ビューとは対照的に、ここには若さと存在の主張がある。 し 出 し た こ の 最 後 の 質 問 は、 ど の よ う に で も 答 え ら れ る が、 答 え 方 に よって自己の存在証明を試されるような、単純に見えて同時に形而上的 な質問となっている。 またこの作品でのインタビューは、相手の回答に応じて質問を工夫し ていくような一般的な質疑応答ではない。あらかじめ用意された質問を 矢継ぎ早で機械的に、相手にぶつけていく方法をとっている。聞かれる 側は、次々と繰り出される質問に、瞬時の対応を迫られることになり、 回答内容もさることながら、その反応そのものが見所ともなっている。 こ の イ ン タ ビ ュ ー の 手 法 に つ い て、 萩 元 晴 彦 は「 『 あ な た は ……』 の 制 作意図」 (『TBS調査情報』昭 42・2、 「番組研究 あなたは…」所収) で、次のように語っている。 八二九人という素材を通して、テレビの視聴者に直接結びつくため には、インタビュアーは出来得る限り、情緒的であることを避ける必 要があった。 ぼくたちは、インタビュアーの女子学生に、相手からの聞き返しや 反論に対し、一切説明を加えることを禁じた。 イ ン タ ビ ュ ア ー と 相 手 と の 間 に、 い わ ゆ る 情 緒 的 な コ ミ ュ ニ ケ ー ションを成立させないように、訓練した。アナウンサーでなく、女子 学生でなければならなかった最大の理由はそのことである。 ぼくたちの得た当然の結論。インタビューのテンポは能う限り早く なければならない。そして、カットは絶対に割ってはならない。 (萩元晴彦「 『あなたは……』の制作意図」 ) インタビュアーは情緒を排して矢継ぎ早に質問し、その撮影は表情の
で、就業中の女子工員に問いかけ、幸福とは「人を愛すること」と聞き 出している。 このようにこの作品は、方法論を先行させつつも、その方法論からこ ぼ れ 落 ち る よ う な 場 面 を も 加 え た「 相 反 物 の 一 致 」 と「 対 比 」 構 造 に よ っ て 成 り 立 っ て い る。 十 七 項 目 の 質 問 を 投 げ か け た 十 八 名 を 描 い た 後、 「 人 に 愛 さ れ て い る と 感 じ る こ と が あ り ま す か 」 お よ び「 あ な た に とって幸福とは何ですか」の答えだけを抜粋編集した場面で作品は結ば れる。背景に武満徹のジャズ音楽が流れ、モンタージュ映像にリズムを 刻む。朝のラッシュ時に、駅のホームで「あなたにとって幸福とは何で すか」と次々聞いて回る場面などもある。行きずりでは答えられないよ うな質問に、 「起き抜けにあなたのようなきれいな人と話ができること」 と一人が当為即妙に答え、インタビュアーの高木史子が恥じらう姿も見 られる。 ここでは放送直後の同時代の反響をいくつか紹介しておこう。 二 十 日 夜 の T B S の 芸 術 祭 参 加 ド キ ュ メ ン タ リ ー 「 あ な た は … … 」 ( 寺 山 修 司 構 成 ) は 、 女 子 学 生 三 人 を イ ン タ ビ ュ ア ー に し て 、 八 百 人 以 上 の い ろ い ろ な 階 層 の 人 々 に 対 す る 質 問 の 答 え を 収 録 し た も の だ が 、 こ れ は お も し ろ か っ た 。 十 七 項 目 の 質 問 も う ま く で き て い て 、 こ れ に よ っ て 答 え る 人 た ち が 、 い ま 現 在 ど ん な ふ う に 生 き て い る か が よ く わ か る 。 質 問 が や つ ぎ ば や で 、 飾 っ た 答 え を す る 余 地 の な い の も よ か っ た 。 職 業 や 階 級 を も っ と ひ ろ げ た ら 、 な お お も し ろ い 、 重 要 な 作 品 と な っ た に ち が い な い 。 デ モ の 総 指 揮 者 が 一 切 ノ ー ・ コ メ ン ト だ っ た り 、 小 学 生 ら し い 子 ど も が て き ぱ き と 答 え た り 、 東 大 生 が い か に も 東 大 生 ら し い 答 え を し た り 、 ま こ と に 生 き 生 き と し た こ の 音 楽 喫 茶 で は も う ひ と り 二 十 代 の モ デ ル 志 願 の 女 性 に イ ン タ ビューしているが、はきはきとテンポ良く答えたその次のインタビュー は、一転、屋外で七十代の男性がいかにも緩やかに訥々と語る静かな場 面 と 変 わ る。 鳥 小 屋 め い た フ ェ ン ス 囲 い の 傍 で 語 る そ の イ ン タ ビ ュ ー は、時として脱線ぎみで、年齢特有の冗長さに溢れている。インタビュ アーは粘り強くその長い話につきあっているが、カメラは堪りかねて飛 び 立 つ 鳥 の 映 像 を モ ン タ ー ジ ュ し た り す る。 「 イ ン タ ビ ュ ー の テ ン ポ は 能う限り早くなければならない。そして、カットは絶対に割ってはなら ない」と自ら方法化しながら、敢えてそれに反する場面も抱え込んでい るところに、正と反との「対比」構造を認めておくべきだろ う )(1 ( 。 厳かな結婚式場で、新郎の横で「今のような時が一番幸せ」と恥ずか し そ う に 答 え る 白 無 垢 の 二 十 代 の 花 嫁 の 場 面 が あ る か と 思 う と、 次 に は、 喧 騒 の 駅 の ホ ー ム で、 満 員 電 車 に 乗 り 込 ん で 答 え な が ら、 「 無 理 だ よ、もうドアが閉まる」と呟いた三十代サラリーマンの朝のラッシュ場 面が続いている。 アメリカによるベトナム侵略反対のデモ行進に参加した人々を撮った 場面では、一方で、繰り出される質問に「ナンセンス」と言ったまま憮 然として回答拒否した総指揮の三十前後の男性を配し、また一方で、旗 をもって行進しながら、幸福とは「平和な世の中にすること」などと誠 実に答えていく純朴な二十代の勤労青年を配している。さらにこれとは 別に、三十代アメリカ軍人にインタビューした場面もあり、彼は「戦争 を 思 い 出 す こ と が あ り ま す か 」 の 問 い に、 「 い ま 戦 争 中 だ よ 」 と 答 え て いる。 同じ二十代女性へのインタビューでも、新車ショーの華やかな美人コ ン パ ニ オ ン に イ ン タ ビ ュ ー し た 後 に は、 工 場 生 産 ラ イ ン に も ぐ り こ ん
職 業、 性 別、 年 齢、 体 験 の ち が っ た 人 び と に む か っ て、 「 あ な た は 幸 福 で す か?」 「 も し 総 理 大 臣 だ っ た ら 」 な ど 十 七 項 目 を 質 問 す る。 記録ものの新方向である。あかせずに一時間、おなじ質問のくりかえ しだけで引っぱりきった。構成・編集のキュートな切れ味である。寺 山修司の作品。 人さまざま。その千差万別の反 能 (ママ) 。世代のちがい、生きかた、考え か た の 差。 ド ラ マ よ り、 も っ と ド ラ マ チ ッ ク な 人 間 の 声 と 心。 つ ま り、現実の人間をエネルギッシュに追い、ドラマのエッセンスを、あ ざやかに記録するのに成功した。 なによりも、歩きながら質問しているのがよい。歩きながら聞き、 歩きながら答える。画面にリズムと現実感がゆきわたる。質問と答え が、ジャブとカウンター・パンチの応酬ににてくる。そのスピード感 が、対話に活気をあたえる。思考に停滞をゆるさない。 (虫明亜呂無) (「テレビ〈直波曲波〉新鮮なドキュメント」 、 『週刊朝日』昭 41・ 12・9) こ の ド キ ュ メ ン ト の 本 領 は、 回 答 の 統 計 的 な 数 字 に あ る の で は な い。 そ れ な ら、 活 字 メ デ ィ ア の ほ う が す ぐ れ て い る。 こ の 企 画 の ユ ニークなところは、質問された瞬間の表情とか、答える仕方――つま り一人一人の人間のなまの姿を、みごとにとらえていることである。 同時性と映像というテレビの特性をいかした企画であり、演出の成果 であろう。 (「 〈サンデー・ジャーナル〉総理大臣にも『あなたは…』 」、 『サンデー毎日』昭 41・ 12・ 11) 画 面 の 連 続 で あ る 。 (杉山誠) (「 〈テレビ週評〉多様な〝人生〟つかむ」 、 『読売新聞』昭 41・ 11・ 22朝刊) 17の質問を組み合わせた意図はよくわからないが、突然マイクを突 きつけられた人たちの表情と答えの内容は、現代日本人の平均値を正 確に出していたようだ。人間の欲望は限りなく、いまを幸福とは感じ ていないが、だれも不幸とも思っていないのである。日本は平和であ るということであろう。幸福の目標も個人、家庭までが限度で社会ま で言及したのはデモ隊の青年の類型的な表現だけ。義務を口にしたの はベトナム休暇の米兵一人であった。 (中谷不二男) (「 〈見て・聞いて〉現代日本人の〝平均値〟 」、 『毎日新聞』昭 41・ 11・ 22朝刊) 「 あ な た は 天 皇 を ど う 思 う?」 と か「 愛 国 心 が あ る か?」 と い っ た 問題をいろいろな人に聞くのだが、まじめに答える人あり、茶化す人 あり、黙秘権を使う人ありで、これでは本当のところはわからないと 思った。ラッシュ時の駅構内で「あなたは幸福ですか」と矢つぎばや に聞いていたがこれは答えられないのが当然だろう。こういうインタ ビュー、構成方法に疑問をもった。 (東京世田谷区・近藤明子) (「 〈マイクへ一言〉質問方法に疑問」 、 『毎日新聞』昭 41・ 11・ 24朝刊) 芸 術 祭 ド キ ュ メ ン タ リ ー 部 門 参 加 作 品「 あ な た は ……」 ( T B S、 十一月二十日)はクリーン・ヒットだった。
「 何 を 投 げ こ む か?」 と い う こ と に そ の 記 録 映 画 作 家 の 独 創 性、 ア イデアの秘訣があるという事になるのである。 (中略) ところで、ドキュラマとは何か。 と い う こ と が、 私 の 問 題 で あ る。 ド キ ュ ラ マ と い う 怪 物 的 な 造 語 は、分析すれば「 ドキュ 0 0 0 メンタリー」と「ド ラマ 0 0 」の結合であって、 責任ある「ものの投入」者を持った記録芸術である……ということに なる。 そ れ は、 例 え ば 点 を 配 置 す る こ と に よ っ て 空 間 の 位 相 を 想 起 さ せ る よ う に、 「 も の の 投 入 」 に よ っ て、 現 実 の 実 相 を つ か み と ろ う と す る、一つの劇的で立体的な記録論のこころみである……ということに なる。 (寺山修司「ドキュラマ論」 、傍点原文) 「 記 録 芸 術 」 と し て の テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー『 あ な た は ……』 に 即 し て い え ば、 さ ま ざ ま な 年 齢 層・ 職 業 の 人 々 に 対 し て、 矢 継 ぎ 早 の 「 質 問 」 と い う「 も の の 投 入 」 を 通 し て、 揺 さ ぶ ら れ 反 応 す る 人 々 の 「劇的で立体的な」表情のドラマこそが、つかみとられた「現実の実相」 ということになる。 質問することによって、相手に働きかけたとき、ある人は戸惑って考 え こ み、 あ る 人 は 饒 舌 に 語 り だ し、 あ る 人 は 憮 然 と し て 拒 絶 す る。 「 も のの投入」に応じたさまざまな波紋が作品に刻まれ、インタビュアーが 非情緒的である分、逆に答える人々の存在感が強く現前化する。ここに は後に寺山がしばしば口にすることになる「半世界」の思想が、二重の 層で織りこまれている。 作者は世界の半分を創造する。
Ⅲ
質問という手法、
「半世界」の思想
こ の よ う な 質 問 だ け の ド キ ュ メ ン タ リ ー を 発 想 す る に 当 っ て、 萩 元 晴 彦 は、 ジ ャ ン・ ル ー シ ュ が ア フ リ カ 黒 人 に イ ン タ ビ ュ ー し た 民 族 学 的 な ド キ ュ メ ン タ リ ー 映 画 を 見 て、 ヒ ン ト を 得 た と 語 っ て い る )(1 ( 。 ジ ャ ン・ ル ー シ ュ は「 シ ネ マ・ ヴ ェ リ テ 」( Cinéma vérité = 映 画 真 実 ) を 先 導 し、 映 像 人 類 学 に 貢 献 し た フ ラ ン ス の 記 録 映 画 作 家。 「 シ ネ マ・ ヴ ェ リテ」は、一九六〇年代にフランスに新しく生まれたドキュメンタリー 映画及びその製作グループを指し、その名称はソビエトのジガ・ヴェル ト フ 監 督 の ニ ュ ー ス 映 画『 キ ノ・ プ ラ ウ ダ( 映 画 真 実 )』 ( 一 九 二 二 ~ 二 五 ) の フ ラ ン ス 語 訳 を 淵 源 と す る。 あ ら か じ め 内 容 を 決 め る こ と な く、街頭インタビューなどの撮影を通して、人間と社会の真実をつかみ と っ て い く 手 法 を と っ た。 『 あ な た は ……』 が 制 作 さ れ た 昭 和 四 十 一 年 当 時、 「 シ ネ マ・ ヴ ェ リ テ 」 の 作 品 は、 一 般 に は ほ と ん ど 日 本 公 開 さ れ ていなかったが、映画雑誌では紹介されてい た )(1 ( 。 また「地球儀を見ながら私は『偉大な思想などにはならなくともいい か ら、 偉 大 な 質 問 に な り た い 』 と 思 つ て い た の で あ る 」( 歌 集『 田 園 に 死す』跋、白玉書房、昭 40)と語る寺山修司にとっても、質問すること が 本 質 的 な 手 法 そ の も の と な る。 寺 山 に は、 「 人 生 は た だ 一 問 の 質 問 に すぎぬと書けば二月のかも め )11 ( 」という短歌もある。 寺山は「ドキュラマ論」 (『記録映画』昭 38・2)において、ドキュメ ンタリーの使命が「いまあるままの現実」よりも「本来の現実」をとら え る こ と に あ る な ら ば、 現 実 に 働 き か け、 「 も の の 投 入 」 と い う 方 法 が 選ばれねばならない、としてこう述べる。像 さ せ る の で あ る。 も は や、 「 便 所 の 中 に 閉 じ こ も っ て、 た っ た 一 人 で 幸 福 に な ろ う 」 と す る こ と は で き な く な っ た。 「 人 が 群 衆 の 中 に い ると喜びを感じるのは、人間が数の増大を好むことの神秘的なあらわ れ 」 で あ り、 「 出 会 い 」 は こ う し た 数 学 的 幸 福 論 の な か に、 よ り 多 い 可能性を見出そうとする。 (寺山修司『幸福論』 ) 八 百 二 十 九 人 へ の イ ン タ ビ ュ ー の 中 か ら 選 択 構 成 し た 『 あ な た は……』もまた、出会いの「数学的幸福論」から成り立っている。同じ 質問を繰り返していくその「反復と変奏」の累積は、同時代のポップ・ アートの動向とも呼応している。アンディ・ウォーホルはマリリン・モ ンローやエルヴィス・プレスリーといった時代のイコン、あるいはキャ ンベル・スープ缶をカンヴァスに反復的に写真転写し、鮮やかな着色の シルクスクリーン作品群を生み出した。マリリン・モンローの作品だけ 見ても、大画面に数十の同じ顔写真を反復的に並べたり、あるいは一画 面一写真の均等なサイズを着色変化させていくつも並べたり、写真の複 数性・反復性と戯れた。しかも自らの工房を「ファクトリー」と呼んだ ウォーホルは、同じ手法のちょっとした変奏で大量のマリリンを送り出 し て い く。 「 反 復 と 変 奏 」 と も「 複 製 化 」 と も 呼 べ る そ の 身 振 り は、 数 の増大と累積によって「陶酔」を呼び込んでいく。 また『あなたは……』は、あらゆる職業、年齢、性別の人々に問いか けたインタビュー集成だが、その人間カタログは一種の「物尽し」であ り、列挙の方法論と図鑑の思想に支えられている。 例 え ば 「 父 上 様 、 三 日 と ろ ろ 美 味 し ゅ う ご ざ い ま し た 。 干 し 柿 、 も ち も 美 味 し ゅ う ご ざ い ま し た 。 敏 雄 兄 、 姉 上 様 、 お す し 美 味 し ゅ う ご ざ い ま し た 。 克 美 兄 、 姉 上 様 、 ブ ド ウ 酒 、 リ ン ゴ 美 味 し ゅ う ご ざ い ま あとの半分を補完するのが、受け手側の創造というものである。表 現は相互作用によってのみ一つの世界を完遂する。 (寺山修司「半世界――受け手の表現 イントロダクション」 、 『芸術倶楽部』昭 48・9〈特集=半世界――受け手の表現〉 ) 制 作 者 は 質 問 を 方 法 論 と し て さ ま ざ ま な 人 々 に 働 き か け、 「 あ と の 半 分」は答える人々が自由に描き出していく。そして番組作品を見る視聴 者は、あたかも答える人々と同じ時間を共有したかのように、その質問 をわがこととして、答えについて思いを巡らすかもしれない。視聴者も また「あとの半分」を描き出そうとするのだ。質問する側と答える側、 番組作品の送り手側と受け手側、それぞれのレベルで補完しあい、相互 作用による創造に参画する。萩元晴彦は「 『あなたは……』の制作意図」 (前掲)で、 「ぼくは八二九人の人々に意見を聞いたのではない。八二九 人の背後にいるすべての人々に質問したのだ。八二九人は素材に過ぎな い。 『あなた』に質問したのである」と語っている。 職業、年齢、性別、体験を異にする人々に、すべて十七の同じ質問を 投 げ か け て い く こ と。 し か し そ の 答 え は、 そ れ ぞ れ に 特 有 で 多 彩 で あ る。この「反復と変奏」の累積が、この作品の魅力となっている。寺山 修司は『幸福論』 (筑摩書房、昭 44)のなかで、 「出会い」の幸福論につ いて次のように語っている。 「 出 会 い 」 の 幸 福 論 は、 つ き つ め て ゆ く と 数 学 の 問 題 に な っ て ゆ く。 沢 山 の 人 に 出 会 い た い、 ( ま た は 沢 山 の 人 と 知 合 い に な り た い ) と い う 願 望 は、 た と え ば ボ ー ド レ ー ル )1( ( の「 数 は 一 人 一 人 の う ち に あ り。数は陶酔なり」の詩句のように、より複雑な出会いの幾何学を想
『 尤 之 双 紙 』 に み ら れ る、 一 種 の 一 貫 性( 常 軌 を 逸 し た 一 貫 性 で は あ る)のある列挙とは、発想と効果は異なるのである。 (ジャクリーヌ・ピジョー『物尽し――日本的レトリックの伝統』 ) 『 第 一 之 書 ガ ル ガ ン チ ュ ワ 物 語 』 で 数 十 種 類 も の 尻 を 拭 く 妙 法 を 数 え 上 げ た ラ ブ レ ー を 愛 読 し て い た 寺 山 だ け に 、 例 え ば 詩 「 マ ル の ピ ア ノ に の せ て 時 速 一 〇 〇 キ ロ で 大 声 で 読 ま れ る べ き 六 五 行 の ア メ リ カ 」 ( 前 掲 ) な ど を 読 む と 、「 一 貫 性 の あ る 列 挙 」 よ り む し ろ 、 ち ぐ は ぐ な 物 ・ 言 葉 を 取 り 合 わ せ る 「 突 飛 な 列 挙 」 の 方 に 近 い だ ろ う 。 そ し て 『 あ な た は ……』 の 人 間 図 鑑 に つ い て も、 「 突 飛 な 列 挙 」 と ま で い え な い も の の、 「 相 反 物 の 一 致 」 と「 対 比 」 構 造 に は い く ら か そ の 傾 向 を 窺 うことができよう。 丹羽美之「一九六〇年代の実験的ドキュメンタリー――物語らないテ レ ビ の 衝 撃 )11 ( 」 は、 N H K『 日 本 の 素 顔 』、 日 本 テ レ ビ『 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン劇場』が啓蒙的な一貫性ある「物語装置」となっていたのに対して、 T B S『 あ な た は ……』 を は じ め と し た 一 九 六 〇 年 代 の ド キ ュ メ ン タ リ ー が「 反 物 語 」 の 試 み に な っ て い る、 と 指 摘 し て い る。 こ の 意 味 で は、 『あなたは……』は、 「物語」を解体して表情のドラマを陳列してい く、テレビ・ドキュメンタリーならではの人間図鑑である。それは数学 的な「反復と変奏」の累積による陶酔的な「物尽し」となっている。矢 継ぎ早の「質問」に揺さぶられ、戸惑いながら回答していく人々の姿を 見ながら、視聴者もまた幸福の在り処と自己の存在証明を自問すること だろう。そのような「半世界」の余白をも同時に差し出しながら、寺山 はこの出会いの「数学的幸福論」を構成したのだ。 同様の「質問」手法のテレビ・ドキュメンタリーは、日本人の日の丸 し た 。 … … 」 と「 食 べ 物 尽 し 」 が 延 々 と 続 く マ ラ ソ ン ラ ン ナ ー 円 谷 幸 吉の遺書を引用して、寺山は「彼の遺書は彼の記憶の中をゆっくりとマ ラソンのような平均ペースで走りつづけ、そこを通りすぎてゆく正月の 食べものの思い出は、彼の心象風景となり、すばらしい一編の詩となっ て い た の で あ っ た 」 と 評 し て い る し )11 ( 、「 ロ ー ト レ ア モ ン の 詩 篇 よ り も、 東京都の電話帳の方が、詩としてのアクチュアリティを持っている」と も 語 る )11 ( 。 寺 山 自 身 の 詩 作 品 で も、 「 マ ル の ピ ア ノ に の せ て 時 速 一 〇 〇 キ ロで大声で読まれるべき六五行のアメリ カ )11 ( 」は、代表的なアメリカの固 有名詞を次々と読み込んでいく列挙形式の詩である。 このような「物尽し」については、あらゆる動物を召喚した「ノアの 方舟」の図像や涅槃図などが代表的なものだし、図鑑への情熱も洋の東 西を問わない。日本では『北斎漫画』や伊藤若冲『動植綵絵』 『百犬図』 を挙げてもいい。 『枕草子』 『梁塵秘抄』など日本の古典文学に見られる「物尽し」の修 辞的な特徴を比較文学の視点で考察したジャクリーヌ・ピジョー『物尽 し――日本的レトリックの伝統』 (平凡社、寺田澄江・福井澄訳、平9) は、次のように考察している。 ラブレーもちぐはぐな物・言葉を取り合わせるのが好きであるが、 発想は「枕草子系」のとは違う。というのは、彼は意外な共通性をみ つける機知を示すわけではなく、何の関係もない物、または言葉(俗 語や方言やギリシャやラテン語系の学者語など)を混合して、突飛な 列挙を作るのが、彼独特の趣向であるからである。物と物の衝突、言 葉 と 言 葉 の わ け も な い 隣 接 が、 上 述 し た パ ロ デ ィ ッ ク な 意 味 と は 別 に、 世 の 無 秩 序、 人 間 の 狂 気 を そ の ま ま 表 す の で あ り、 『 枕 草 子 』 や
たは……」を担当したTBSディレクター)です」 天皇陛下はお好きですか。 「つきあってみなければ、わかりません。しかし、このチャンスのな い段階では、好きでもきらいでもないですね」 戦争の日を思い出すことがありますか。 「戦争は思い出すものではなく、いまもあるのです。過去形ではあり ません。思い出ではないのです」 ベトナム戦争に、あなたは個人として責任があると思いますか。 「僕の文学と家庭に責任があるのと同じように、あると思います。い や、家庭というより僕の創作活動ですね。そう直してください」 そのためになにかしていますか。 「僕の創作活動を、より充実させるかたちで、僕自身の責任をとって います」 きのうのいまごろ、なにをしていましたか。 「 歩 い て い ま し た。 ( 時 計 を み て ) い や、 中 央 競 馬 会 の モ ニ タ ー 会 議 で発言していました」 充実した時間でしたか。 「充実した時間でした。僕はつねに充実しています」 一万円あげたら、何に使いますか。 「理由もなく一万円もらうというのもなんだが……そうだな(しばら く考えて)カメラマンのリチャード・アベトンと作家のトルーマン・ カポーテのつくった写真集〝オブザーベーション〟を買います。六千 円ちょっとするかな」 祖国のために戦うことができますか。 「自分のためになら、戦うことができます」 に 対 す る 意 識 を 問 い か け る T B S『 現 代 の 主 役 日 の 丸 』( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成 = 寺 山 修 司、 昭 42・ 2 ・ 9) 、 ア メ リ カ 人 の 考 え 方 と 日 本 観 を 引 き 出 す T B S『 ア メ リ カ 人・ あ な た は ……』 ( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成=寺山修司、 「マスコミQ」昭 42・ 10・9、 「現代の主役」昭 42・ 10・ 12)に引き継がれていく。 最 後 に い さ さ か 長 く な る が 、 放 送 後 に 寺 山 修 司 自 身 が 、『 あ な た は … … 』 と 全 く 同 じ 質 問 に 答 え た イ ン タ ビ ュ ー 記 事 「 寺 山 修 司 さ ん 『 あ な た は … 』 / テ レ ビ ・ ド キ ュ メ ン ト 構 成 の 作 家 に 質 問 す る と / 作 り た い 〝 ド キ ュ ラ マ 〟」 (『 毎 日 新 聞 』 昭 41・ 11・ 28夕 刊 ) を 紹 介 し て お こ う 。 ド キ ュ メ ン ト 「 あ な た は … … 」 と い う 番 組 が T B S テ レ ビ か ら 二 十 日 夜 放 送 さ れ て 評 判 に な っ て い る 。 街 頭 の 人 人 に 質 問 を 機 関 銃 の よ う に ぶ っ つ け て 、 そ の 反 応 を と ら え た の だ が 、 人 が と ま ど う の を 見 せ る な ん て 悪 趣 味 だ と い う 批 判 も あ っ た 。 そ こ で 、 こ の 質 問 項 目 を つ く り 番 組 を 構 成 し た 寺 山 修 司 氏 ( 作 家 ) 自 身 に 、 同 じ 質 問 を あ び せ て み た ― ― 。 いま一番ほしいものは? 「馬です。サラブレットの馬をダービーで優勝させたい」 月にどのくらいお金があったらいいですか。 「五百万円あってもたりないですね」 もしも総理大臣になったら、まずなにをやりたいですか。 「僕は総理大臣にはなりません。どんな社会になっても」 あなたの友人の名前をあげてください。 「 限 り な く あ り ま す が、 そ の 質 問 に 合 う 意 味 で は、 萩 元 晴 彦( 「 あ な
満足できない。もっと人間の内部にふみこんで、人間の存在に〝?〟 を提出するようなものをつくりたい。いまは〝さめた狂気〟のような も の が 必 要 な 気 が し ま す ね。 そ の う ち〝 ド キ ュ ラ マ 〟( ド キ ュ メ ン タ リーとドラマを合わせたもの)をつくってみたいですよ。日常的なこ とのなかから〝?〟をひき出して番組をつくっていけば、テレビは有 効なメディアになると思うんですけど…」 こういいおえると、寺山氏は雨にぬれる〝ネオンの荒野〟のなかに 消えていった。 (『毎日新聞』 ) [付記 1] 『 あ な た は … … 』( 演 出 = 萩 元 晴 彦 ・ 村 木 良 彦 、 昭 41) は 、 現 在 「 T B S オ ン デ マ ン ド 」 で 配 信 さ れ て い る 。 また以下の上映会に多大な啓発を受けた。 ・「 第 四 回 座・ 高 円 寺 ド キ ュ メ ン タ リ ー フ ェ ス テ ィ バ ル 」( 座・ 高 円 寺 2、 平 25・2・ 10上映) T B S・ B S i『 報 道 の 魂 あ の 時 だ っ た か も し れ な い 』( 演 出 = 是 枝 裕 和、平 20) ・「 テ レ ビ ジ ョ ン 再 検 証・ 中 継 の 思 想 」( T B S 報 道 局 + 東 京 藝 術 大 学 芸 術 情 報 セ ン タ ー 主 催、 東 京 藝 術 大 学 中 央 棟 第 三 講 義 室、 平 25・ 5・ 20~ 7・ 8 上映) 『ド キ ュ メ ン タ リ ー の 時 代 』( 演 出 = 秋 山 浩 之、 J N N 五 十 年 記 念 番 組 )、 『 あ な た は ……』 ( 演 出 = 萩 元 晴 彦・ 村 木 良 彦、 昭 41)、『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ 中 西 太・ 背 番 号 6』 ( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 昭 39)、『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ サ ラ ブ レ ッ ド ― わ が 愛 』( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 昭 39)、『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ 勝 敗 』 第 一 部・ 第 二 部( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 昭 40)、『 現 代 の 主 役 小 澤 征 爾「 第 九 」 を 揮 る 』( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 昭 41)、『 現 代 の 主 役 直 木 賞 作 家 誕 生 』( 演 出 = 宝 官 正 章、 昭 42)、『 現 代 の 主 役 わ た し の ト ウ ィ ギ ー』 ( 演 出 = 村 木 良 彦、 昭 42)、『 現 代 の 主 役 ク ー ル・ ト ウ キ ョ ウ 』( 演 出 = 村 木 良 彦、 昭 42)、『 マ ス コ ミ Q わ れ ら の 時 代 』( 演 出 = 村 木 良 彦、 昭 42)、『 マ ス コ ミ Q 羽 田 空 港・ 午 後 4 時 』( 演 出 = 宝 官 正 章、 昭 42)、『 日 本 列 島 の 旅 わ た し の 火 山 』( 演 出 = 村 木 良 彦、 昭 43)、『 報 道 の 魂 d A の 時 いのちをかけてもですか。 「はい」 あなたは人に愛されていると感じることがありますか。 「そう感じたいと思います」 あなたにとって幸福とは? 「幸福とは幸福を捜すことだということばがありますね。子供のころ からよく覚えています」 いま幸福ですか。 「はい」 何才まで生きていたいですか。 「二百才まで」 東京は住みいいですか。 「たいへん住みいいです。新宿歌舞伎町が一番すきです」 空がスモッグでこんなによごれていてもですか。 「はい」 ところで一体あなたはだれですか。 「僕は僕です」 × × × インタビューを終わって、寺山氏の大好きな東京・新宿歌舞伎町へ 出る。ここは寺山氏の小説「ああ、荒野」の舞台であり、新宿文化劇 場 で 公 演 中 の 「 ア ダ ム と イ ヴ 」 の 舞 台 で も あ る 。 歩 き な が ら 彼 は 語 る 。 「 こ ん な 質 問 が 僕 自 身 に く る と は 全 く 予 想 も し ま せ ん で し た ね。 模 範答案は書けませんよ。自分で答えてみると、あんな早さで答えるべ きじゃないという気もします。もっとゆっくり答えた方がいいんだろ うな。でも、僕は事件の表面を知らせるだけのドキュメンタリーには
( 13) 萩 元 晴 彦「 方 法 と し て の『 質 問 』」 (『 太 陽 』 平 3・ 9〈 特 集 = 寺 山 修 司 ア ン グ ラ 世 界 の 万 華 鏡 〉) 、 萩 元 晴 彦・ 村 木 良 彦・ 今 野 勉『 お 前 は た だ の 現 在 にすぎない』 (前掲)参照。 ( 14) 「 イ ン タ ビ ュ ー を 考 え る ⑩ 嘗 て、 萩 本 (ママ) 晴 彦 が 寺 山 修 司 と 共 に 試 み た こ と」 (『 Studio V oice 』昭 58・7) ( 15) 「番組研究 あなたは…」 (『TBS調査情報』昭 42・2) ( 16) 「 T V ド キ ュ メ ン タ リ ー へ の 挑 戦 萩 元 晴 彦 氏 イ ン タ ビ ュ ー」 (『 日 本 読 書 新聞』昭 42・3・ 13)で、萩元はこう述べている。 「 萩 元 ひ と り の 人 物 に 質 問、 こ の ま え の『 あ な た は …』 の 場 合 に は 十 七 の 問 い を ぶ つ け、 そ の 人 物 が 答 え る 様 子 を そ の ま ま す べ て 映 し カ ッ ト し な い わ け で す。 そ の た め に 四 台 の カ メ ラ を 用 意 し た。 そ れ は、 放 映 さ れ る と き に、 答 え る 人 物 の 正 面 ア ッ プ ば か り を 映 す た め だ っ た の で す。 そ し て、 被 写 体 の 時 間 と テ レ ビ の 時 間 と を 同 じ に す る。 言 い か え れ ば、 質 問 を う け て 答 え る と い う と き に か か る 時 間 と、 そ れ が テ レ ビ で 放 映 さ れ る と き の 時 間 と を 同 一 に す るということです。 」 ( 17) テ レ ビ マ ン ユ ニ オ ン 四 十 五 周 年 記 念 プ ロ ジ ェ ク ト「 今 野 勉 の『 勉 塾 』」 第 一 期「 〈 テ レ ビ 的 な る も の 〉 の 現 在 」 第 一 日「 死 者 た ち へ 捧 げ る バ ラ ー ド ~ 先 人 た ち の 思 想 と 実 作 」( テ レ ビ マ ン ユ ニ オ ン 本 社、 平 25・ 8・ 30) で の、 今野勉による講義を参照した。 ( 18) T B S・ B S i『 報 道 の 魂 あ の 時 だ っ た か も し れ な い 』( 演 出 = 是 枝 裕 和、平 20・5・7放送)に収録された萩元晴彦へのインタビュー。 ( 19) ジ ョ ル ジ ュ・ サ ド ゥ ー ル「 シ ネ マ・ ヴ ェ リ テ と 映 画・ 眼 」「 続・ シ ネ マ・ ヴ ェ リ テ と 映 画・ 眼 」( 『 映 画 評 論 』 昭 39・ 6 ~ 7、 丸 尾 定 訳 )、 岡 田 晋「 カ メ ラ に よ る 告 発 の 論 理 シ ネ マ・ ヴ ェ リ テ 私 論 」( 『 映 画 評 論 』 昭 40・ 10) な ど。 ( 20) 『 寺 山 修 司 全 歌 集 』( 風 土 社 、 昭 46)「 未 刊 歌 集 テ ー ブ ル の 上 の 荒 野 」 所 収 。 ( 21) 引 用 は、 ボ ー ド レ ー ル の 未 刊 の 遺 稿 で、 『 火 箭 』 と 題 さ れ る 草 稿 の 一 節 か ら で あ る。 各 種 の 邦 訳 に 照 ら し て み た が、 こ こ で の 訳 文 に そ の ま ま 合 致 す る 訳 本 は 見 出 せ な か っ た。 例 え ば 齋 藤 磯 雄 訳( 『 赤 裸 の 心・ 火 箭 』 三 笠 書 房、 昭 27) で は、 「 群 集 の 中 に 在 る 時 の 快 感 は、 数 の 増 加 を 楽 し む 神 秘 的 な 現 れ だ。 / 全 体 は 数 だ。 数 は 全 体 の 中 に あ る。 数 は 個 の 中 に あ る。 陶 酔 は 数 だ 」 と な っ て い る。 こ の ほ か に 堀 口 大 學 訳( 『 感 想 私 録 』 第 一 書 房、 昭 14再 版 )、 河 上 徹 太 郎 訳( 『 赤 裸 の 心 』 角 川 文 庫、 昭 26)、 阿 部 良 雄 訳( 『 世 界 文 学 大 系 33 ポ オ / ボ オ ド レ ー ル 』 筑 摩 書 房、 昭 34)、 矢 内 原 伊 作 訳( 『 ボ ー ド レ ー ル 代』 (演出=秋山浩之、平 21)(すべてTBS作品、上映順) [付記 2] 本 稿 は 国 際 寺 山 修 司 学 会 第 十 五 回 春 季 大 会 で の 口 頭 発 表「 寺 山 修 司 の テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー」 ( 多 摩 美 術 大 学・ 上 野 毛 キ ャ ン パ ス、 平 25・ 5・ 11)に基づいている。 [付記 3] 本 研 究 は、 J S P S 科 研 費 課 題 番 号 2 5 3 7 0 2 0 4 の 助 成 を 受 け たものである。 [註] (1) NHK放送文化研究所監修『放送の 20世紀』 (NHK出版、平 14) (2) 通 例 「 一 億 総 白 痴 化 」 と 呼 ば れ て い る が 、 今 野 勉 『 テ レ ビ の 青 春 』( N T T 出 版 、 平 21) に よ れ ば 、 大 宅 壮 一 に よ る 表 現 は 「 一 億 白 痴 化 」 で あ り 、「 総 白 痴 」 の 語 を 用 い た の は 松 本 清 張 だ と い う 。 な お 差 別 的 な 表 現 だ が 、 原 表 現 の ま ま 示 し た 。 (3) 読売新聞芸能部編『テレビ番組の 40年』 (NHK出版、平6) (4) 牛 山 純 一「 テ レ ビ・ ジ ャ ー ナ リ ズ ム の 25年 ―― あ る 体 験 的 ド キ ュ メ ン タ リー論――」 (『世界』昭 53・7) (5) 註(3)に同じ。 (6) 『TBS 50年史』 (東京放送、平 14) (7) 萩 元 晴 彦・ 村 木 良 彦・ 今 野 勉『 お 前 は た だ の 現 在 に す ぎ な い 』( 田 畑 書 店、 昭 44)、『 萩 元 晴 彦 著 作 集 』( 郷 土 出 版 社、 平 14)、『 テ レ ビ マ ン ユ ニ オ ン 史 1970 ~ 2005 』(テレビマンユニオン、平 17)参照。 (8) 萩 元 晴 彦「 『 い っ た い あ な た は 誰 で す か 』」 (『 現 代 詩 手 帖 』 昭 58・ 11臨 時 増 刊〈寺山修司〉所収) (9) 『 カ メ ラ・ ル ポ ル タ ー ジ ュ 中 西 太・ 背 番 号 6』 の ナ レ ー シ ョ ン は、 寺 山 修 司『 遊 撃 と そ の 誇 り 』( 三 一 書 房、 昭 41) 所 収「 中 西 太 論 」 の 記 述 と 多 く の重なりがある。 ( 10) 萩 元 晴 彦「 優 し い ギ ャ ン ブ ラ ー」 (『 鳩 よ。 』 平 2・ 6〈 特 集 = 最 後 の 曲 芸 詩 人 寺山修司〉 ) ( 11) 『朝日新聞』 (昭 40・ 10・5朝刊)テレビ番組欄。 ( 12) T B S『 現 代 の 主 役 小 澤 征 爾「 第 九 」 を 揮 る 』 ( 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成 = 谷 川 俊 太 郎、 昭 41・ 2・ 10放 送 )。 昭 和 四 十 年 十 二 月 二 十 五 日、 日 本 フ ィ ル ハ ー モ ニ ー を 小 澤 征 爾 が 指 揮 し た ベ ー ト ー ベ ン 交 響 曲 第 九 番( 日 本 武 道 館 ) の 演 奏 ド キ ュ メ ン タ リ ー。 編 集 カ ッ ト を 抑 え、 据 え っ ぱ な し の 望 遠 カ メ ラでひたすら指揮する小澤のクローズアップを撮り続けた。民放祭賞受賞。
全集Ⅱ』人文書院、昭 38)も参照した。 ( 22) 寺山修司『青少年のための自殺学入門』 (土曜美術社、昭 54) ( 23) 寺 山 修 司「 ア リ ア ド ー ネ の 法 則 ――〈 半 世 界 〉 表 現 カ タ ロ グ 集 」( 『 芸 術 倶 楽部』昭 48・9〈特集=半世界――受け手の表現〉 ) ( 24) 『現代詩文庫 52 寺山修司詩集』所収(思潮社、昭 47) ( 25) 伊藤守編『メディア文化の権力作用』所収(せりか書房、平 14) (平成二十五年九月二十七日受理)