大学の東日本大震災緊急支援 (特集 東日本大震災
と国際協力)
著者
山本 太郎
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
192
ページ
8-9
発行年
2011-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004151
論文の資料を探すため、神保町 を逍遥していた。そのとき、 突然、 足下が二度大きく揺れたかと思う と 古 書 が 音 を 立 て て 崩 れ 落 ち た。 二〇一一年三月一一日午後二時四 六分のこと。首都圏の鉄道はすべ て運行を停止し、 その夜、 東京は、 徒歩で帰宅を目指す人の群れで溢 れた。 震源は、牡鹿半島の東南東約一 三〇キロメートル、深さ二四キロ メートル、マグニチュード九 ・ 〇、 海溝型地震の発生であった。地震 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ た 津 波 は、 三陸地方を中心に大きな被害をも たらした。 筆者は、震災後二日目に、非営 利 特 定 活 動 法 人 A M D A と と も に、被災地に入り、岩手県遠野市 に長崎大学の拠点を立ち上げ、同 県上閉伊郡大槌町で緊急医療支援 活動を行った。本稿では、その時 の経験をもとに、国内緊急支援に お け る 今 後 の 国 際 協 力 の あ り 方、 あるいは大学の役割について考え てみたい。 その前に、筆者を緊急支援に向 かわせたものは何か、それについ て、少し触れる。
●緊急支援に向かわせたもの
今回の震災は、被害地域の大き さもあって、当初、被害規模の推 定が困難を極めた。震災直後繰り 返し流された映像は、支援の必要 性を強く感じさせるものであった が、どこで何をすればよいか、わ からないという状況が続いた。そ のことに、不安と無力感と焦燥感 を感じたことを覚えている。そう した状況のなかで、わたしたちを 緊 急 支 援 に 向 か わ せ た も の は 何 だったのか。ある知人は、それを 「 共 感 」 と 呼 ん だ。 そ れ は ま さ に 私の思いでもあった。共感を通し て地域の人々と重荷を分かち合え るとすれば、行動する意味はある と思った。一方で、不安と無力感 が醸成するものが、他者の力への 希求であったり、他者に対する憤 りであったりといったものである とすれば、それに対して、私たち にできることは、自らが行動する ことであろうとも考えた。この二 つの思いが筆者を支援に向かわせ た気がする。●
限
ら
れ
た
資
源
の
な
か
に
お
け
る医療活動
私 が 専 門 と し て い る 国 際 保 健 は、主に、開発途上国の医療保健 問題を扱うが、それは、資源が限 られた状況下での医療や保健を扱 う 学 問 と 言 い 換 え る こ と が で き る。 今回の震災の被災地における医 療・保健活動は、一時的にではあ るにせよ、資源が限られたなかで の活動が求められた。 被災地では、 医療従事者の多くが、他の被災者 と同様に被災し、医薬品は津波に 飲まれ、通信を含むインフラはい た る と こ ろ で 寸 断、 破 壊 さ れ た。 情報は混乱した。そうした状況下 での医療支援活動は、まさに、資 源が限られた状況下での医療活動 であった。国際NGOやあるいは 海外での医療・保健活動を行った 経験を有する医療関係者が、いち 早く被災地における医療支援活動 を 開 始 し た 背 景 も そ の あ た り に あったように思う。そして支援活 動に参加した多く国際協力経験者 が、一様に語ったことは、調整と ロ ジ ス テ ィ ク ス の 重 要 性 で あ っ た。海外(開発途上国)での経験 が そ れ を 教 え て く れ た と 語 っ た。 それが、今回、教訓として生きた というのである。一方、海外の経 験が支援の方針に影響を与えた例 もある。筆者たちの支援を一例と してひく。●自立支援
筆者が、震災後三日目に現地に 入り活動を開始したとき、すでに 多くの避難所では自治活動を行う 組織が出来上がっており、医療を 含む生活改善に対する、自立的な 取り組みが始まっていた。筆者た ちは、そうした活動を前に、支援 は、第一に地域の自立的活動を後 方から支えるようなものでなくて は な ら な い と 考 え た。 あ く ま で、 活動の主体は地域の人々にあると大学
の
東
日本大震災緊急支援
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本
太
郎
特集
東日本大震災と国際協力8
アジ研ワールド・トレンドNo.192 (2011. 9)考えたのである。一時的な 「保護」 は必要であるとしても、それはあ くまで一時的なものであるべきだ と考えた。そう考えた理由のひと つ は、 過 去、 海 外 の 国 に お い て、 強制的かつ地域の意向を無視した 外部からの援助が、地域を破壊し た 例 を み て き た か ら に 外 な ら な い。そうした学びもあり、筆者ら の医療支援チームは、地元医師の 指揮のもと、地域の医療活動を行 うことにした。 こ れ は 、 考 え も し な か っ た 学 び を 私 た ち に 教 え て く れ た 。 な か で も 大 きな 学 び は 、 地 域 に 存 在 す る 「 知 」 の 大 き さ で あ っ た 。 被 災 地 で は 多 く の 医 薬 品 が 流 さ れ た 。 過 去 の 診 療 記 録 の 大 半 が 失 われ た 。 避 難 所 に 暮 す 患 者 た ち が 、 ど の よ う な 種 類 の 薬 を 投 薬 さ れ て い た か 、 そ れ を 教 え て く れ る も の は な い 。 支 援 に き た 多 く の 医 師 は 優 秀 で あ っ た が 、 数 多 あ る 高 血 圧 の 薬 の な か か ら 、 一 人 ひ と り の 患 者 に 最 適 な 薬 の 組 み 合 わ せ を 予 想 す る こ と は で き な か っ た 。 長 い 治 療 期 間 を 通 じ た 試 行 錯 誤 の 結 果 と し て 考 え ら れた 投 薬 の 組 み 合 わ せ は 、 複 雑 か つ 芸 術 的 な も の で あ る 。 そ れ を 地 元 の 医 師 は 、 患 者 の 顔 を 見 る と 思 い 出 し 、 再 現 し て い く の で あ る 。 あ る い は 、 最 初 、 思 い 出 さ な か っ た と し て も 、 患 者 と の 会 話 の 端 々 を 糸 口 に 、 そ れ を 再 現 し て い く 。 そ の 姿 は 、 感 動 的 で さ え あ っ た 。 こうした自立を支えるといった か た ち の 支 援 活 動 は、 い ま 振 り 返っても意味のあるものであった と思う。