• 検索結果がありません。

音楽における「教会的」とは何か フランツ・クサーヴァー・ヴィットの教会音楽論

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "音楽における「教会的」とは何か フランツ・クサーヴァー・ヴィットの教会音楽論"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに

  一 九 世 紀 半 ば よ り 南 ド イ ツ を 中 心 に 盛 り 上 が り を 見 せ た カ ト リ ッ ク 教 会 音 楽 改 革 運 動 で あ る ﹁ セ シ リ ア 運 動 ﹂ は 、 一般的にはグレゴリオ聖歌やパレストリーナ様式など模範的とされたア ・ カペラ様式の復興を推進する運動と 見られている 。 教会の機能が弱体化し ﹁ 世俗化 ﹂ が進んだと言われる時代 、 音楽においては 、 カトリックのミサ 曲 1 論文要旨   本稿では 、 総ドイツ ・ セシリア協会の創立者 F ・ X ・ ヴィットの教会音楽論 、 特にウィーン古典派三巨匠のミサ曲 に 対 す る 評 価 に 注 目 し 、 彼 の 考 え る ﹁ 教 会 的 ﹂﹁ 非 教 会 的 ﹂ と い う も の の 意 味 を 検 討 す る 。 彼 は ハ イ ド ン と モ ー ツ ァ ル ト の ミ サ 曲が持つ通俗性を ﹁ 非教会的 ﹂ とし 、 単純な形式のミサ曲が持つ ﹁ 崇高なもの ﹂ を ﹁ 教会的 ﹂ なものの重要な要素とした 。 しか しベートーヴェンのミサ曲に対しては 、 これとは異なった見方がなされている 。 彼はこの作曲家のミサ曲の ﹁ 非教会的 ﹂ な面を 指 摘 し つ つ も 、 そ こ に 宗 教 的 な 崇 高 さ を 見 て い た 。 こ の 作 曲 家 の ︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ は ﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ で あ り 、﹁ 一 つ の 普 遍的教会へとまとめられた人類による賛歌 ﹂ である 。 彼は現実の個々の教会を超越した ﹁ カトリック ︵ 普遍 ︶ 教会 ﹂ のためのミ サ曲という意味で 、 この楽曲が ﹁ 教会の概念 ﹂ や ﹁ 礼拝の範囲 ﹂ を超え出ていると考えていたのではないか 。 彼はしばしば 〝 伝 統崇拝者 〟 と言われるが 、 実際は礼拝や教会音楽のあり方について ﹁ 未来 ﹂ も見据えながら模索していたのである 。 キーワード   ウィーン古典派 、 ミサ曲 、 カトリック 、 世俗化 、 セシリア運動 『宗教研究』94巻3輯(2020年)

音楽における

教会的

とは何か

││ フランツ ・ クサーヴァー ・ ヴィットの教会音楽論 ││

(2)

が管弦楽によって巨大化し 、 またドイツ語テキストによる自由な教会音楽なども作られるようになった 。 すでに世 紀 前 半 よ り 、 エ ル ン ス ト ・ テ オ ド ー ル ・ ア マ デ ウ ス ・ ホ フ マ ン ︵

Ernst Theodor Amadeus Hoffmann

  一 七 七 六 ︱ 一 八 二 二 ︶ や ア ン ト ン ・ フ リ ー ド リ ヒ ・ ユ ス ト ゥ ス ・ テ ィ ボ ー ︵

Anton Friedrich Justus Thibaut

  一 七 七 二 ︱ 一 八 四 〇 ︶ は 、 器 楽やオペラなど世俗的なものの影響を受けた教会音楽への非難を表明していた 。 彼らの信条は後のセシリア主義者 に 受 け 継 が れ 、 と り わ け レ ー ゲ ン ス ブ ル ク の フ ラ ン ツ ・ ク サ ー ヴ ァ ー ・ ヴ ィ ッ ト ︵

Franz Xaver Witt

  一 八 三 四 ︱ 一 八 八 2 八 ︶ の も と で ﹁ 総 ド イ ツ ・ セ シ リ ア 協 会 ︵ Allgemeiner Deutscher Cäcilien-Verein   一 八 六 八 年 創 立 ︶ ﹂ が 創 立 さ れ た こ と に よ っ て 、 こ の 運 動 は 集 権 的 に 組 織 化 さ れ て い っ た 。 ま た 、 こ の よ う な 動 き の な か で 、 ハ イ ド ン 、 モ ー ツ ァ ル ト 、 ベートーヴェンといったウィーン古典派の三巨匠による大規模なミサ曲は 、 教会の礼拝に適わないとしてしばしば 批判の対象とされてきた 。   このように 、 セシリア運動は比較的新しい時代の教会音楽を否定するような側面を持っていたため 、 カトリック 教会の ﹁ 時代錯誤の試み ﹂ を表していると言われることもあっ た 3 。 またヴィット自身については 、 ハイドンやモー ツァルトによる管弦楽付き教会音楽を否定し 、 教会から排除しようとした伝統主義的な人物として 、 今でもしばし ば語られてい る 4 。 しかし近年 、 彼に関する研究が少しずつ進展し 、 その多面的で複雑な音楽思想が徐々に明らかに されつつある 。 たとえば 、 セシリア運動の研究者である福地勝美によれば 、 モーツァルトのミサ曲に対するヴィッ トの言動は 、﹁ 相手と発表媒体に合わせて 、 ニュアンスを巧みに使い分け 、 いわば ﹁ 玉虫色 ﹂ の色彩を帯びてい る 5 ﹂ ものであり 、 その楽曲の評価には複雑で錯綜したものがあったという 。 福地はヴィットの評価に一貫性がないこと の理由について 、 当時敵対していたオーストリア ・ セシリア協会のハーベルトからの批判に対処するため 、 あるい

(3)

音楽における「教会的」とは何か は総ドイツ ・ セシリア協会の支持基盤拡大のためであったとす る 6 。 しかし彼のテキストを詳細に検討すると 、 単な る政治的な振る舞いとは呼べないような 、 彼自身の 〝 葛藤 〟 に由来する ﹁ 玉虫色 ﹂ の態度が見えてくる 。   ま た 、 音 楽 学 者 ジ ェ ー ム ス ・ ガ ラ ッ ト は 、 一 九 世 紀 に お け る パ レ ス ト リ ー ナ 受 容 の 研 究 の な か で 、 ヴ ィ ッ ト の 〝 葛藤 〟 を含んだ音楽批評を取り上げている 。 そこでは 、 ヴィットが単に ﹁ 伝統を崇拝 ﹂ ︵ 注︵ 4 ︶参照 ︶ していたわけ ではなく 、 過去の作品と対峙するなかでいかに現代の教会音楽を作り出していくかを考えていた様子が描き出され てい る 7 。 しかしガラットは 、 ヴィットの教会音楽論が持つ 〝 あいまいさ 〟 や 〝 ねじれ 〟 を最も鮮明に表しているウ ィーン古典派三巨匠に対する批評について 、 あまり詳しく触れてはいない 。   近 年 の も う 一 つ 重 要 な 先 行 研 究 と し て 、 様 々 な 角 度 か ら ヴ ィ ッ ト を 研 究 し て い る 論 文 集

-が あ る 。 こ の な か の リ ッ ク レ ー ダ ー の 論 考 ︵ 注︵ 4 ︶参 照 ︶ で は 、 ヴ ィ ッ ト の 教 会 音 楽 論 が 簡 潔 に 紹 介 さ れ て お り 、 ウ ィ ー ン 古 典 派 三 巨 匠 に 対 す る 批 評 についても触れられている 。 ただし紹介にとどまるのみで 、 ヴィットの真意はあまり見えてこない 。   本稿では 、 以上の先行研究を活用しながらも 、 近代における教会音楽の問題に直面したヴィットの 〝 葛藤 〟 をよ りクリアに描き出すことを目的とする 。 とりわけ 、 ハイドン 、 モーツァルト 、 ベートーヴェンのミサ曲に対する彼 の評価を見ていくが 、 そこでは彼の考える ﹁ 教会的 ︵ kirchlich ︶ ﹂﹁ 非教会的 ︵ unkirchlich ︶ ﹂ というものの意味が問わ れることになる 。 これらを検討することによって 、 彼が教会音楽を取り巻く問題にどのように対処しようとしてい たのかということが見えてくるが 、 それはまた 、 彼のような当時のカトリック知識人が 、 自ら拠って立つ ﹁ 教会 ﹂ と芸術との新たな関係性をどのように模索していたのかを示すことにもなる 。

(4)

ハイドンとモーツァルトのミサ曲に対する批評

  ヴィットはウィーン古典派三巨匠のミサ曲についてどのような批評を行っていたのか 。 これまでにも 、 彼がそれ らの管弦楽付きミサ曲を ﹁ 非教会的 ﹂ なものとして非難していたということは言及されてきた 。 しかし彼の批評を 詳しく見ていくと 、 その ﹁ 非教会的 ﹂ という言葉は決して明確なものではなく 、 独特なあいまいさを持っているこ とがわかる 。 本節では 、 ハイドンとモーツァルトのミサ曲に対する彼の批評を見ていこう 。   ヴ ィ ッ ト は 総 ド イ ツ ・ セ シ リ ア 協 会 の 機 関 誌 と し て と という雑誌を刊行しており 、 そのなかでハイドンやモーツァルトのミサ曲について少なからず言及して いる 。 たとえば一八七 〇 年の において 、 彼はハイドンのミサ曲を以下のように取り上げている 。 ヨーゼフ ・ ハイドンの最も非教会的なミサ曲の一つは 、 四声と二つのヴァイオリン 、 二つのオーボエ 、 二つの ホ ル ン 、 独 奏 オ ル ガ ン の た め の ミ サ 曲 変 ホ 長 調 [︽ 大 オ ル ガ ン ・ ミ サ ︾ 引 用 者 注 ] で あ る 。 そ れ は 間 違 い な く コンサート ・ ミサ曲である 。 すべてがソロ ・ パートを演奏する 。 ヴァイオリンはハイドンのすべてのミサ曲に あるのと同じように演奏し 、 ソプラノはとくにベネディクトゥスにおいてアリアを歌い ︵ このとき他の声部は ソプラノを強力に援助する ︶、 アルトはグラシアスにおいて 、 テノールはエト ・ インカルナートゥスにおいて 、 バスは ﹁ スシぺ ﹂ においてアリアを歌う 。 オーボエにはちょっとした独奏があり 、 ホルンにはファンファーレ があ る 8 。   ヴィットは 、 ハイドンのミサ曲が教会ではなくコンサートで演奏されるほうが適しているほどにオペラ的 ・ 器楽

(5)

音楽における「教会的」とは何か 的であると考えており 、 技巧的で 、 華やかさと陽気さを持つこの作曲家の教会音楽を総じて ﹁ 非教会的 ﹂ と形容し て い る 。 彼 は オ ペ ラ や 器 楽 と い っ た 世 俗 的 な も の の 影 響 を 指 摘 し な が ら ﹁ 非 教 会 的 ﹂ と い う 言 葉 を 使 用 し て い る が 、 果たしてそれは音楽の評価の点でどのような意味を持つものであろうか 。 さらに見ていこう 。   ヴィットはモーツァルトのミサ曲についても 、 その ﹁ 非教会的 ﹂ な側面を指摘している 。 たとえばこの作曲家の ︽ 戴 冠 式 ミ サ 曲 ︵ ミ サ 曲 ハ 長 調 ︶︾ K V 317 の グ ロ リ ア に お け る ﹁ ド ミ ネ ・ デ ウ ス ﹂ の 音 楽 に つ い て 、 ヴ ィ ッ ト は 、 ﹁ 平 凡 で 、 驚 く ほ ど 非 教 会 的 な 、 し か し も ち ろ ん 快 い 響 き を 持 っ た ﹂ も の で あ る と し 、 そ こ に は ﹁ 子 供 じ み た 、 ま さ に 喜 劇 的 オ ペ ラ か ら 取 り 出 さ れ た ヴ ァ イ オ リ ン の 動 き と 、 舞 曲 の よ う な バ ス の 楽 節 ﹂ が 見 ら れ る と す る 。 そ し て 、 そのヴァイオリン音型は同作曲家の後年の歌劇 ︽ ドン ・ ジョヴァンニ ︾ 第一幕におけるレポレロの有名な ﹁ カ タログの歌 ﹂ のなかの音型とまったく同じであると述べ る 9 。 彼はこの作曲家がミサ曲とオペラの音楽とを同じよう な音型を使って作曲していることを指摘しながら 、 そのミサ曲の ﹁ 非教会的 ﹂ な面を非難しているのである 。   ヴィットはすでに 、 総ドイツ ・ セシリア協会を創立する直前の一八六五年に刊行された 、 教会音楽改革の包括的 な 方 針 を 示 し た 小 冊 子 ﹃ 古 バ イ エ ル ン の カ ト リ ッ ク 教 会 音 楽 の 状 態 ﹄ の な か で 、﹁ 私 は た だ 通 俗 的 な も の 、 平 凡 な もの 、 非教会的なものに対抗してい る A ﹂ と述べていたが 、 彼は単にグレゴリオ聖歌やパレストリーナ様式を理想化 し 、 現代の教会音楽を認めなかったというわけではなく 、 現代の教会音楽のなかでもとくに通俗的なものを ﹁ 非教 会 的 ﹂ と し て 非 難 し て い た の で あ る 。 そ し て 、 ハ イ ド ン の ︽ 大 オ ル ガ ン ・ ミ サ ︾ や モ ー ツ ァ ル ト の ︽ 戴 冠 式 ミ サ 曲 ︾ のように 、 オペラの要素を思わせるものは通俗的であり 、 それは同時に ﹁ 非教会的 ﹂ な音楽なのである 。   そ れ で は 、 ヴ ィ ッ ト に と っ て ﹁ 教 会 的 ﹂ な 音 楽 と は ど の よ う な も の か 。 彼 は 一 八 七 二 年 の に お い

(6)

て 、 ハ イ ド ン の ミ サ 曲 と 、 レ ー ゲ ン ス ブ ル ク の 教 会 音 楽 家 ヨ ハ ン ・ ゲ オ ル グ ・ ヴ ェ ッ セ ラ ッ ク ︵ Jo ha nn G eo rg W es -selack   一八二八 ︱ 一八六六 ︶ のミサ曲を比較しながら以下のように述べている 。 私自身 、 ヴェッセラックのアドラムスを ﹁ 率直に言って傑作ではない ﹂ と言った││技術に関しては 、 だが 。 し か し ﹁ そ れ は 効 果 の 面 で は 傑 作 を は る か に し の ぐ ﹂ の で あ る 。 ︵ 中 略 ︶ こ れ は 、 最 も 単 純 な も の が し ば し ば 最 も崇高なものであるということを示している 。 そして崇高さは教会音楽の第一の必要条件の一つであ る B 。   ハイドンは高い技術を持ち 、 そのミサ曲は形式的な美しさを備えているが 、 オペラなどの通俗的な要素が入り込 んでいるために ﹁ 非教会的 ﹂ である 。 一方 、 ヴェッセラックは技術的にはハイドンに及ばないが 、 そのミサ曲は単 純 で あ る が ゆ え に ﹁ 崇 高 さ ﹂ を 備 え て お り 、﹁ 教 会 的 ﹂ で あ る 。 ヴ ィ ッ ト に よ れ ば 、 ハ イ ド ン の ミ サ 曲 は ミ サ 曲 で はない 。 それは典礼で使用されるという ﹁ 目的 ﹂ を捉え損なっているからである 。 そして ﹁ 目的 ﹂ をはき違えた芸 術は ﹁ 崇高さ ﹂ を持ち得ないのであ る C 。   以上 、 ヴィットによるハイドンとモーツァルトのミサ曲に対する批評を見てきた 。 一見するとそこでは 、 通俗的 なものが ﹁ 非教会的 ﹂ とされ 、 逆に崇高さを持つものが ﹁ 教会的 ﹂ であるとされていた 。 しかしながら 、﹁ 教会的 ﹂ ﹁ 非 教 会 的 ﹂ と い う 言 葉 で 表 さ れ る ヴ ィ ッ ト の 教 会 音 楽 の 評 価 に つ い て 、 ハ イ ド ン や モ ー ツ ァ ル ト に 対 す る 態 度 だ けを見ていてはその問題点は浮かび上がってこない 。 おそらく彼にとって大きな問題として目の前にそびえていた のはベートーヴェンのミサ曲であった 。 この作曲家のミサ曲をどのように評価すべきなのかということが 、 彼の教 会音楽観に浅からぬ影響を与えていると思われる 。 次節では 、 この作曲家のミサ曲に対するヴィットの批評を取り 上げてみよう 。

(7)

音楽における「教会的」とは何か

ベートーヴェンのミサ曲に対する批評

  ヴィットがベートーヴェンの教会音楽について正面から取り扱っている論考は限られており 、 それに対する言及 自体は少ない 。 しかしそこに見出される言葉には 、 彼の教会音楽観を理解するうえで非常に重要なものが含まれて い る 。 ま ず 注 目 し た い の は 、 一 八 七 四 年 の に 載 せ ら れ た 、 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の ︽ ミ サ 曲 ハ 長 調 ︾ に つ いての論考である 。 その冒頭で彼は以下のように述べる 。 このミサ曲 [︽ ミサ曲ハ長調 ︾ 引用者注 ] は 、 我々に与えられた最も美しく現代的なものの一つである 。 ︵ 中略 ︶ それは典礼的 ・ 教会的なものではない 。 しかし 、 ヨーゼフ ・ ハイドンのミサ曲 、 それどころかモーツァルトの ミサ曲ですら 、 それらにある多くの美点と比べて 、 このミサ曲には宗教的情念や崇高さをより多く備えている というきわめて大きな長所がある 。 もっとも 、 まるでベートーヴェンのミサ曲がモーツァルトやハイドンのミ サ曲よりもはるかに非教会的であるという広く流布している誤った意見があるが 、 それがきっかけで私は 、 自 分の見解を正確に詳述するために 、 このミサ曲のいくつかの部分を検討しようと思 う D 。   ヴィットはこの引用部分に続いて 、 このミサ曲の各楽章 ・ 楽節ごとに 、 それが ﹁ 教会的 ﹂ か否かということを評 価していくのだが 、 部分的には ﹁ 教会的 ﹂ と考えられるところがあるとしつつも 、 全体としては ﹁ 非教会的 ﹂ であ るとす る E 。 しかし彼は 、 このミサ曲がハイドンやモーツァルトの楽曲に比べて ﹁ 宗教的情念や崇高さ ﹂ をより多く 持 っ て い る と も 述 べ る 。 ま た 、﹁ 創 作 意 欲 の あ る 音 楽 家 た ち に 、 一 方 で は 模 範 的 な 作 品 を 、 他 方 で は 注 意 の 一 覧 表 を差し出すため 、 このミサ曲について詳しく意見を述べ た F ﹂ とも言及しており 、 このミサ曲に対する彼の評価には

(8)

あいまいさが残る 。   さらにこの論考では 、 同作曲家の ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ にも触れられている 。 それはプロハスカなる人物による 批評を引用したものであり 、 それによれば 、 ベートーヴェンの二つのミサ曲は ﹁ この分野における最も雄大で輝か しい作 品 G ﹂ であるが 、 しかしこの作曲家は ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ において 、 イエス ・ キリストの苦しみではなく彼 自身の苦しみについて物語っているとされる 。 また 、 このミサ曲は 、 本来教会の祭壇で起こるドラマを支えるべき 音楽が前面に出てしまっているがゆえに ﹁ ドラマのなかのドラ マ H ﹂ と呼べるものであり 、 教会にはふさわしくない ものとされる 。 ただしヴィットは 、 この批評を信用できると述べるにとどめているため 、 彼自身のこのミサ曲に対 する評価は不明瞭であり 、 この論考だけでは彼の真意は測りがたい 。   続 い て 、 刊 行 時 期 は さ か の ぼ る が 、 一 八 七 〇 年 の に お け る 論 考 を 見 て み る 。 こ の 年 は ベ ー ト ー ヴ ェンの生誕百年記念の年であり 、 ヴィットはケーニヒスベルクでの記念祭にあわせて ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ の短い 論評を書いている 。 そのなかには次のような興味深い言葉が見出される 。 そ の 作 品 [︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ 引 用 者 注 ] は 教 会 の た め に 作 ら れ 、 ゆ え に 教 会 の な か で 聞 か れ な け れ ば な ら ない 。 ただしそれは 、 その最も精神的な意義によって 、 教会の概念や現状の形での礼拝の範囲をはるかに超え ている 。 ベートーヴェンのミサ曲は 、 一つの共同体へと結集した人類の信心を表現する 。 この理念においてそ の ミ サ 曲 は 、 そ れ が 教 会 的 に 捉 え た も の を 世 俗 的 に 捉 え た 第 九 交 響 曲 と 同 族 関 係 に あ る 。 ︵ 中 略 ︶ 彼 に と っ て テ キ ス ト [ ミ サ ・ テ キ ス ト 引 用 者 注 ] は む し ろ 、 た だ ミ サ 交 響 曲 の よ う な も の の た め の よ り ど こ ろ に 過 ぎ ず 、 そ の う え さ ら に そ の 楽 曲 は 、 一 つ の 普 遍 的 教 会 ︵ universale Kirche ︶ へ と ま と め ら れ た 人 類 に よ る 賛 歌 と し て の

(9)

音楽における「教会的」とは何か 未来のミサ曲になるために 、 劇的なもののなかへと逸脱し 、 その巨人のように支配する新たな精神気質におい て現状の [ 礼拝の 引用者注 ] 形を打ち砕いたのであ る I 。   ヴィットはここで 、 このミサ曲が教会のために生み出されたにもかかわらず 、 もはや礼拝に収まりきらないもの で あ る こ と に 言 及 し て い る 。 そ れ は 人 類 全 体 の た め の 賛 歌 と さ れ 、 そ の 意 味 で 、 人 類 の 兄 弟 愛 を 歌 う 同 作 曲 家 の ︽ 第 九 交 響 曲 ︾ と 共 鳴 す る も の で あ る と さ れ る 。 そ し て 興 味 深 い の は 、 彼 が ﹁ ミ サ 交 響 曲 ︵ Meß-Symphonie ︶ ﹂ や ﹁ 未 来のミサ曲 ︵ Zukunftsmesse ︶ ﹂ といった言葉を使っていることである 。   ﹁ ミ サ 交 響 曲 ﹂ に つ い て は 、 リ ヒ ャ ル ト ・ ヴ ァ ー グ ナ ー ︵ Richard Wagner   一 八 一 三 ︱ 一 八 八 三 ︶ が 著 書 ﹃ ベ ー ト ー ヴ ェ ン ﹄ の な か で 同 じ よ う な 表 現 を 使 っ て い る 。 彼 は ︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ に つ い て 、﹁ 正 真 正 銘 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の精神に満ちあふれた純然たる交響作品 ﹂ と述べており 、 ミサ ・ テキストを作曲家にとってあくまで詩的な素材に 過 ぎ な い も の と 考 え て い た J 。 そ れ は も は や 教 会 の 礼 拝 に 適 う 機 会 音 楽 ︵ Gelegenheitsmusik ︶ で は な く 、 交 響 曲 作 曲 家が生み出すような芸術作品とされたのであ る K 。   ま た 、 ヴ ァ ー グ ナ ー は ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 音 楽 に 美 を 突 き 抜 け た 崇 高 を 見 出 し て い た 。﹁ 崇 高 ﹂ の 概 念 は 、 一 八 世 紀後半 、 バークやカントによって 、 従来の ﹁ 美 ﹂ に対する新たな美的カテゴリーとして提唱されたものであるが 、 音楽論における崇高の概念は 、 一七九 〇 年代から見られるようになる 〝 器楽 〟 を称揚する議論 、 いわゆる ﹁ 器楽の 形而上学 ﹂ のなかで登場す る L 。 そして一九世紀半ば以降になると 、 美と崇高との対概念による弁証法的な展開が論 じ ら れ る よ う に な り 、 と り わ け ヴ ァ ー グ ナ ー は 、﹁ 崇 高 の 理 念 の う ち に 、 美 を 超 え る 芸 術 、 音 楽 の 本 質 を 見 出 そ う としてい た M ﹂。 彼によれば 、 作曲家や演奏家は 、﹁ 曲が鳴りだしただけで真っ先に効果を発揮する美の仮象を端緒と

(10)

しながらも 、 崇高なるものの力を通じて作品の最も固有な性格が開示されるところまで一気に音楽を推し進め る N ﹂。 そして彼にとってベートーヴェンこそ 、 美を突き抜けて崇高へと至った偉大な先駆的作曲家だったのである 。 ヴィ ットもまた 、 このようなヴァーグナーのベートーヴェンに対する見方を共有するように 、 形式的な美を表現するに 過ぎないハイドンのミサ曲が持ち得ないような ﹁ 崇高さ ﹂ をベートーヴェンのミサ曲に見出していたが 、 美と崇高 の対比に基づく彼の議論は 、 同時代の教会音楽論のなかでも特異なものである 。   もっとも 、 ヴァーグナーの著書は一八七 〇 年一二月の刊行であるため 、 先に論考を発表しているヴィットがこの 著 書 か ら 影 響 を 受 け た わ け で は な い 。 し か し ヴ ァ ー グ ナ ー の ﹁ 未 来 音 楽 ︵ Z O ukunftsmusik ︶ ﹂ を 連 想 さ せ る ﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ と い う 言 葉 を 見 て も 、 ヴ ィ ッ ト の 批 評 が 、﹁ 新 ド イ ツ 派 ﹂ の ヴ ァ ー グ ナ ー 、 さ ら に は ヴ ァ ー グ ナ ー を 支 持 す る フ ラ ン ツ ・ ブ レ ン デ ル ︵ 注︵ 24︶参 照 ︶ と い っ た 〝 進 歩 主 義 的 〟 な 論 者 た ち の も の を 想 起 さ せ る こ と は 注 目 に 値 す る 。 ブレンデルは主著 ﹃ 音楽史 ﹄ のなかで 、 ヘーゲルの歴史哲学に基づきながら 、 パレストリーナの時代の音楽を ﹁ 崇 高 ﹂ の 段 階 、 一 七 ∼ 一 八 世 紀 の 音 楽 ︵ ハ イ ド ン や モ ー ツ ァ ル ト を 含 む ︶ を ﹁ 美 ﹂ の 段 階 と し 、 一 九 世 紀 に は そ れらが弁証法的に止揚された新しい段階に入るとしてい る P 。 そして ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ に言及する際 、 彼は 、 世 俗音楽の頂点にいるこの作曲家の音楽から新時代の教会音楽が始まる 、 つまり最も世俗的な音楽にこそ次の精神的 な 段 階 へ と 進 ん で い く 契 機 が あ る と 考 え て い る の で あ る Q 。﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ を 語 る ヴ ィ ッ ト の 口 振 り に は 、 こ の よ うなブレンデルの見解をも思わせるものがあ る R 。   ヴィットの ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ に対する評価は 、 ヴァーグナーの論考のように 、 それが教会の礼拝に適うかど うかということだけではなく 、 音楽自体の高い芸術性や崇高さをも重視するもののように見える 。 前節で見てきた

(11)

音楽における「教会的」とは何か ように 、 彼は ﹁ 非教会的 ﹂ な教会音楽の特徴としてオペラの影響による通俗性を指摘し 、 一方で理想的な教会音楽 の要素として崇高さを挙げていた 。 しかし 、 ベートーヴェンのミサ曲に関しては 、 それとは異なった見方がなされ て い る 。 確 か に 彼 は ハ イ ド ン や モ ー ツ ァ ル ト の ミ サ 曲 と 同 じ く 、 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の ミ サ 曲 に も 礼 拝 に は 適 さ な い ﹁ 非教会的 ﹂ な側面を認めていた 。 しかしまた 、 この作曲家のミサ曲は 、﹁ 非教会的 ﹂ でありながらも豊かな宗教的 情念や崇高さを持っているのである 。 このことについてどのように考えるべきだろうか 。   ここで 、 一九世紀のヨーロッパにおける ﹁ 教会 ﹂ と ﹁ 宗教 ﹂ という概念について少し補足しておきたい 。 宗教学 者の深澤英隆によれば 、 近代の思考のなかに ﹁ 宗教 ﹂ 概念が形成されていったのはキリスト教が ﹁ 脱自明化 ﹂ され た と き 、 そ の ﹁ 下 位 文 化 化 ﹂ が 進 ん だ と き で あ る と い う S 。﹁ 制 度 と 文 化 の 脱 キ リ ス ト 教 化 が さ ら に 進 み 、 そ れ ぞ れ の社会領域 ︵ 価値 ・ 機能システム ︶ が 、 それぞれの正当化根拠をもつに至る 。 このいわゆる社会分化の過程におい て 、 キリスト教がもはや全体社会を覆うことのない 、 下位社会たる一領野として表象されてくる 。 それはキリスト 教 ︵ 会 ︶ という固有名と同時に 、 他とならぶひとつの価値領域として 、﹁ 宗教 ﹂ という一般概念のもとに了解される ことにな る T ﹂。 つまり 、 キリスト教の自明性が疑問に付されたとき 、﹁ 宗教 ﹂ の本質と意味を問題化する意識が出て きたということであ る U 。   キリスト教はそれ以外の宗教とともに ﹁ 宗教 ﹂ 一般として扱われることになり 、 またそれによって ﹁ 教会 ﹂ とい う制度についてもあらためてその宗教性が問われることになった 。 そのような時代に 、 ヴィットのような教会音楽 のあるべき姿を追求する批評家が登場してくるのである 。 彼が教会音楽について ﹁ 教会的 ﹂ か否かということを問 題にしていたのは 、 教会音楽であれば当然 ﹁ 教会的 ﹂ であり 、 同時に ﹁ 宗教的 ﹂ であるという自明な前提が失われ

(12)

て い た た め で あ り 、 ま た そ の よ う な 前 提 が 失 わ れ て 初 め て 、 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の ミ サ 曲 に 対 し て 、﹁ 非 教 会 的 ﹂ で あ るが豊かな ﹁ 宗教 ﹂ 性を持っているといったねじれた評価が出てくることになったのであ る V 。   も っ と も 、 前 述 し た よ う に 、 啓 蒙 主 義 の 影 響 の も と で 教 会 へ の 不 信 心 が 広 が り つ つ あ っ た 一 九 世 紀 前 半 に お い て 、 すでにホフマンやティボーも教会音楽のあるべき姿を議論していた 。 しかし 、 プロテスタントの彼らによる教 会音楽の復興 ・ 刷新に関する議論においては 、 教会音楽がカトリック教会の実際の礼拝に適うかどうかは問題では なく 、 それが真に ﹁ キリスト教的 ﹂ であるかどうかということが問われていたのである 。 しかし世紀後半に至り 、 啓蒙の時代に弱体化していたカトリックが 、 プロテスタントや自由主義に対抗する形で再び隆盛を見せるようにな る と ︵﹁ カ ト リ ッ ク ・ リ バ イ バ ル ﹂︶ 、 教 会 音 楽 を 取 り 巻 く 議 論 の あ り 方 も 変 わ っ て く る 。 カ ト リ ッ ク 教 会 の 実 際 の 礼拝に適う音楽について 、 あらためて切実に議論されるようになったのである 。 ヴィットが教会音楽についての議 論を展開していたのは 、 まさにカトリックの宗派的な意識が高まっていた時 代 W であった 。   以上 、 ヴィットによるベートーヴェンのミサ曲に対する評価を取り上げてきたが 、 その叙述には 、 ハイドンのミ サ 曲 に 対 す る 評 価 に は な い よ う な 、﹁ 非 教 会 的 ﹂ と い う 言 葉 を 取 り 巻 く 音 楽 の 評 価 の あ い ま い さ や ね じ れ が 見 て 取 れ た 。 そ れ で は 、﹁ 非 教 会 的 ﹂ で あ る が 崇 高 さ を 持 っ て い る ︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ に 与 え ら れ た ﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ という言葉にはどのような含意があるのだろうか 。 そのことを考察するためにも 、 次節では 、 そもそもヴィットが 典礼における音楽の意義についてどのような考えを持っていたのかを整理する 。 そこから彼の考える ﹁ 教会的 ﹂ と いう言葉の意味がさらに見えてくるだろう 。

(13)

音楽における「教会的」とは何か

音楽のカトリック

普遍

  ヴィットは典礼における音楽の意義についてどのように考えていたのか 。 そのことを知るために 、 ここでは一八 六七年の に載せられた ﹁ 音楽と典礼 ﹂ という小論に注目する 。 彼 は そ こ で 、 同 時 代 の 教 会 音 楽 家 ・ 批 評 家 ア ル ベ ル ト ・ ゲ レ オ ン ・ シ ュ タ イ ン ︵

Albert Gereon Stein

  一 八 〇 九 ︱ 一 八 八 一 ︶ の 考 え 、 す な わ ち 、 礼 拝 の 目 的 と は ﹁ 教 化 ︵ 信 徒 の 敬 虔 な 気 持 ち を 高 め る こ と ︶﹂ で あ り 、 感 情 を 表 現 す る 音楽もまた ﹁ 教化 ﹂ を目的とすることで 、 音楽は礼拝と統合されるという考えを批判しながら 、 自らの考えを表明 してい る X 。   ヴィットによれば 、 ミサとは単なる信徒の祈りの場ではなく ﹁ 犠牲 ﹂ の儀式であり 、 本質的にはイエス ・ キリス ト自身が犠牲となり 、 同時に司祭となることを意味しているものである 。 それは神への崇拝 、 感謝 、 償いを果たす 場 で あ り 、 そ こ で は 信 徒 の ﹁ 教 化 ﹂ は 目 的 で は な く ﹁ 副 次 的 ﹂ な も の に と ど ま る Y 。 音 楽 も ま た 、﹁ 副 次 的 ﹂ な ﹁ 教 化 ﹂ を 目 的 と す る も の で は な く 、 ミ サ に お け る 本 質 的 な 要 素 を 形 成 す る も の で あ る 。 彼 い わ く 、﹁ 教 化 ﹂ が 音 楽 の 目的となってしまうと 、 音楽自体の ﹁ 重要性 、 威厳 、 地位 、 性質 ﹂ が損なわれてしまい 、 さらには 、 音楽は典礼に おいて非本質的なものだから省略されてもかまわない ︵ 音楽はコストもかかるし 、 そもそも典礼を堕落させるもの なのかそれを補うものなのか疑わしい ︶ という意見さえまかり通ってしま う Z 。 しかし彼にとって 、 典礼の一部であ る音楽はそれ自体高い宗教性を持つものであり 、 音楽は単に儀式で使われる ﹁ 副次的 ﹂ な道具ではないのである 。   そしてヴィットは 、 ミサの本質的な要素である音楽のあり方として 、 司祭が典礼文を唱え 、 聖歌隊がそれに嘆願

(14)

で応唱する ﹁ 交互歌唱 ﹂ を取り上げ 、 次のように述べる 。 交互歌唱は教会にとって 厳かな 0 0 0 礼拝の本質的な要因となった 。 たとえばグロリアやクレドを司祭が唱え始め 、 聖歌隊がそれを先へ進める 。 聖歌隊は嘆願によって司祭に応唱し 、 それによって 、 執行司祭が歌うもの 、 聖歌 隊が歌うものは 、 別々ではなく一つのものとして現れる 。 その一つのものについて 、 司祭は始めを 、 聖歌隊は 続きを引き受けるのである 。 聖歌隊の非常に高い威厳はまさにそこにある !   しかしこの交互歌唱の原則とい う点を 、 多くの音楽著述家は見落としている 。 この原則がいかに重要であるのか 。 それは 、 合唱隊がその原則 によって祭式に忠実なものとして動員され 、 ともに賛美し 0 0 0 0 0 0 、 参加する 0 0 0 0 ││少なくとも会衆はある意味では合唱 隊において参加するのであるが││ということから見えてくるのであ る a 。   ヴ ィ ッ ト に よ れ ば 、﹁ 交 互 歌 唱 ﹂ は 司 祭 の 先 唱 と 聖 歌 隊 の 応 唱 が 、 別 々 の も の で は な く ﹁ 一 つ の も の ﹂ と し て 歌 われるべきものであり 、 またそこにこそ 、 典礼における聖歌隊の威厳があるとされる 。 合唱隊はこの ﹁ 交互歌唱の 原則 ﹂ によって典礼に組み込まれ 、 本質的な要素としてミサに寄与するのである 。   このような記述のなかに 、 典礼における音楽の意義についてのヴィットの考えが見出される 。 第二節で見たよう に 、 彼はハイドンの ︽ 大オルガン ・ ミサ ︾ について 、 四声の歌手すべてがアリアを歌っていることを指摘し 、 その 様子を ﹁ 最も非教会的 ﹂ と非難していた 。 そもそもオペラなどで見られる抒情的な独唱であるアリアは 、 個々の歌 手 の 技 量 や 華 や か さ を 披 歴 す る も の で あ る 。﹁ 交 互 歌 唱 ﹂ を 教 会 音 楽 の 理 想 の 形 と し て 考 え る 彼 に と っ て 、 ハ イ ド ンのミサ曲の独唱は個々の歌手それぞれの 〝 見せ場 〟 のようなものであり 、 たとえミサ ・ テキストが一言一句忠実 に歌われていようとも 、 司祭と聖歌隊 ︵ あるいは聖歌隊において参加する会衆 ︶ が一つになるべき教会音楽として

(15)

音楽における「教会的」とは何か は採用できないものである 。   前述したように 、 ヴィットにとってミサとは単に祈りを唱える場ではなく 、 イエス ・ キリストの ﹁ 犠牲 ﹂ の儀式 で あ る 。﹁ 犠 牲 ﹂ は 神 と 向 か い 合 う 人 類 全 体 に 対 し て 行 わ れ た も の で あ り 、 そ れ を 感 謝 し 償 う 儀 式 で は 、 人 類 全 体 が 教 会 に 集 い 、﹁ 一 つ の も の ﹂ と し て 臨 む べ き で あ る 。 そ し て 彼 ら が ﹁ と も に 賛 美 し 、 参 加 す る ﹂ た め に は 、 礼 拝 の音楽が人類全体に適合する普遍性を持つべきである 。 ヴィットは他の論考において 、 カトリックの礼拝は ﹁ あら ゆる地域 、 教育段階 、 年齢 、 性別の人間のためのも の b ﹂ であり 、 また教会音楽は技巧的になってはならず 、 誰もが 理解できる ﹁ 最高の単純明快さ 、 わかりやす さ c ﹂ を持たねばならないとも述べている 。   ま た 、 ヴ ィ ッ ト は 別 の 論 考 の な か で 、﹁ キ リ ス ト の 教 会 は 地 域 教 会 ︵ La nd es kir ch e で は な く 、 す べ て の 人 の た め の 、 普 遍 的 で 一 般 的 な 、 カ ト リ ッ ク ︵ universell, allgemein, katholisch ︶ で あ る べ き で あ る d ﹂ と も 述 べ て い る 。 キ リ ス ト 教 の な か に は ﹁ 地 域 教 会 ﹂ と ﹁ 普 遍 的 教 会 ﹂、 つ ま り 地 上 に 存 在 す る 個 々 の 具 体 的 な 教 会 と 、 時 代 や 場 所 を 超 え て存在する超越的な教会とを区別する考え方がある が e 、 彼にとってのキリスト教会は ﹁ カトリック ﹂ 教会であり 、 そ れ は 個 々 の 教 会 を 超 越 し た ﹁ 普 遍 的 教 会 ﹂ で あ る べ き で あ っ た 。 そ も そ も ﹁ カ ト リ ッ ク ﹂ と は 、 語 源 と し て は ﹁ 普 遍 ﹂ を 意 味 す る 言 葉 で あ る 。 彼 は 教 会 音 楽 が そ の よ う な ﹁ 普 遍 的 ︵ = カ ト リ ッ ク ︶ 教 会 ﹂ に ふ さ わ し い 一 般 性 を持つべきであると考えていたのである 。   ここで再び 、 前節で見たヴィットによるベートーヴェン ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ に対する記述 ︵ 本稿三二 ︱ 三三頁 の引用 ︶ を見てみよう 。 彼はそのミサ曲を ﹁ 非教会的 ﹂ なものとしているが 、 しかしそれは ﹁ 一つの共同体へと結 集 し た 人 類 の 信 心 を 表 現 す る ﹂ も の で あ り 、 ま た 、︽ 第 九 交 響 曲 ︾ の 合 唱 の な か で 表 明 さ れ た 、 人 類 の 兄 弟 愛 の 理

(16)

念を共有するものであった 。 そして彼は 、 地域 ・ 身分 ・ 宗派の違いを超えて人類全体が ﹁ 星空の彼方の神 ﹂ のもと で 一 つ に な る と 歌 う ︽ 第 九 ︾ と 共 鳴 す る こ の ミ サ 曲 の な か に 、﹁ 交 互 歌 唱 ﹂ が 表 す カ ト リ ッ ク ︵ 普 遍 ︶ 性 と 似 た も のを見出そうとしているように見える 。   確かにヴィットは 、 ヴェッセラックの楽曲のような技巧的でない単純な音楽を ﹁ 教会的 ﹂ であるとし 、 教会音楽 は 単 純 さ や わ か り や す さ に よ っ て 万 人 が 理 解 で き る 普 遍 性 を 持 つ べ き だ と 考 え て い た 。 し か し 彼 は 、︽ ミ サ ・ ソ レ ムニス ︾ においては 、 形式的な単純さやわかりやすさによる普遍性ではなく 、 そのミサ曲が持っている普遍的な理 念に注目しているのである 。 では 、 なぜとりわけベートーヴェンの音楽に人類全体の普遍的な理念が見出されたの だろうか 。   ヴ ィ ッ ト は 、 ホ フ マ ン ︵ 注︵ 21︶参 照 ︶ や ヴ ァ ー グ ナ ー と 同 様 に 、 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 音 楽 に 崇 高 さ を 見 出 し て い た 。 カール ・ ダールハウスが言うように 、 それ以前の作曲家の音楽には見られなかったようなその ﹁ 人を圧倒するよう な 記 念 碑 的 要 素 ﹂ は 、﹁ 集 合 体 と し て の 人 々 お よ び 個 々 人 の な か の 人 道 的 な 実 体 ﹂ で あ る ﹁ 人 類 ﹂ に 対 し て 語 り か け る も の で あ っ た f 。 そ し て 、﹁ 人 類 ﹂ へ と 向 け ら れ た そ の 音 楽 は 、 こ の 作 曲 家 自 身 が 人 間 的 な 感 情 や 思 想 を 積 極 的 に ﹁ 自 己 主 張 ﹂ す る こ と に よ っ て 生 み 出 さ れ た も の で あ り 、 主 体 的 に ﹁ 人 間 的 な ド ラ マ ﹂ を 表 現 す る も の で あ っ た g 。 前 述 し た よ う に 、 ヴ ィ ッ ト は 、︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ が イ エ ス ・ キ リ ス ト の 苦 し み で は な く 作 曲 家 自 身 の 苦 し みを物語る ﹁ ドラマのなかのドラマ ﹂ であるとする批評を引用していたが 、 彼はこの作曲家の 、 他に類を見ないほ ど の 強 烈 な ﹁ 自 己 主 張 ﹂ に よ っ て こ そ 、﹁ 人 類 ﹂ の 信 心 に 訴 え か け る 普 遍 的 な 理 念 と し て の ﹁ ド ラ マ ﹂ が こ の ミ サ 曲のなかで表現されたと考えていたのではないだろうか 。

(17)

音楽における「教会的」とは何か   ヴィットにとって ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ は ﹁ 一つの普遍的教会へとまとめられた人類による賛歌 ﹂ であった 。 前 述 し た よ う に 、﹁ 普 遍 的 教 会 ﹂ と は 個 々 に 存 在 し て い る 教 会 を 超 越 し た も の で あ る 。 彼 は そ の よ う な 超 越 的 な 、 人 類全体の信心を受けとめる ﹁ 普遍的教会 ﹂ のためのミサ曲という意味で 、 この楽曲が ﹁ 教会の概念や現状の形での 礼 拝 の 範 囲 を は る か に 超 え て い る ﹂ と 考 え て い た の で は な い だ ろ う か 。 確 か に ︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ は 伝 統 的 な ﹁ 交互歌唱 ﹂ とは規模がまったく異なるが 、 それでも彼はこの楽曲に 、﹁ 未来のミサ曲 ﹂ が持つべきカトリック ︵ 普 遍 ︶ の可能性を見ようとしていたように思われる 。 それは単に 、 いわゆる ﹁ ローマ ・ カトリック ﹂ の教会で使用さ れ る 音 楽 と い う も の に と ど ま ら な い 、﹁ 普 遍 的 = 全 人 類 的 ﹂ と い う 意 味 で の ﹁ カ ト リ ッ ク ﹂ の 教 会 で 聞 か れ る 音 楽 なのである 。

おわりに

  ヴィットは 、 ハイドンとモーツァルトのミサ曲に対する批評のなかで 、 通俗的な要素を含む音楽を ﹁ 非教会的 ﹂ とし 、 一方で崇高さを持つ音楽を ﹁ 教会的 ﹂ であると評価していた 。 しかし 、 ベートーヴェンのミサ曲に対する批 評 で は 、﹁ 非 教 会 的 ﹂ で は あ る が 豊 か な 宗 教 的 情 念 や 崇 高 さ を 持 っ て い る と い っ た ね じ れ た 評 価 が 下 さ れ て い た 。 そのねじれは 、 彼がこの作曲家のミサ曲について 、 現実の教会の礼拝に適うかどうかということだけではなく 、 音 楽自体の高い芸術性や崇高さも重視していたことに由来する 。 そして彼は 、 とりわけ ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ に現状 の 礼 拝 形 式 を 超 え 出 る よ う な ﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ と し て の カ ト リ ッ ク ︵ 普 遍 ︶ 性 を も 見 出 そ う と し て い た と 思 わ れ る 。 しかし残念ながら 、 彼はこの楽曲に対して詳細な分析を行うことはなかった 。

(18)

  教 会 音 楽 は 教 会 音 楽 で あ る が ゆ え に ﹁ 教 会 的 ﹂ で あ る と い う 自 明 の 前 提 が 失 わ れ た 時 代 に 、 ヴ ィ ッ ト は 何 度 も ﹁ 教 会 的 ﹂ と は 何 か を 問 い 続 け た 。 教 会 音 楽 の あ る べ き 姿 、 そ の ﹁ 未 来 ﹂ を 見 つ め る 彼 は 、 現 代 の 神 学 者 ハ ン ス ・ キ ュ ン グ ︵ 注︵ 4 ︶参 照 ︶ が 言 う よ う な 単 純 な 〝 伝 統 崇 拝 者 〟 で は 決 し て な か っ た 。 グ レ ゴ リ オ 聖 歌 や パ レ ス ト リ ー ナ 様式などの古典作品を復興すること 、 そしてそれらを模範として新しい作品を作ること 、 これだけを主張するなら ば 、 彼 に と っ て 簡 単 な こ と で あ っ た だ ろ う 。 確 か に パ レ ス ト リ ー ナ 以 前 の 声 楽 ポ リ フ ォ ニ ー の 楽 派 は 、﹁ ま さ に そ の行為によって教会 的 h ﹂ であった 。 しかし 、 現代の作曲家が持つ ﹁ 精 神 i ﹂ を重視する彼にとって 、 ベートーヴェン の よ う な 新 し い 教 会 音 楽 を ﹁ 非 教 会 的 ﹂ と し て 簡 単 に 教 会 か ら 除 外 し て し ま う こ と は で き な か っ た の で あ る 。﹁ 教 会的 ﹂ というものが過去ではなく ﹁ 未来 ﹂ に向けて問われるものだとすれば 、 彼によって ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ に 与えられた ﹁ 未来のミサ曲 ﹂ という言葉にも積極的な意味が見出されてくる 。 彼にとってこのミサ曲は 、 価値づけ に困難さを伴うものでありながら 、 その崇高さゆえに 、 これからの教会音楽が持つべきカトリック ︵ 普遍 ︶ のあり 方を切り開く可能性のあるものとして考えられていたように思われる 。   ヴィットは近代におけるカトリックの危機のなかで 、 礼拝や教会音楽のあり方を 、 過去だけではなく現在と ﹁ 未 来 ﹂ をも見据えながら模索していた 。 その論考は 、 カトリック教会の後進性を表しているとしばしば言われてきた セシリア運動の再考を促すものでもある 。 注 ︵ 1︶ ミ サ 曲 は 通 常 、 キ リ エ 、 グ ロ リ ア 、 ク レ ド 、 サ ン ク ト ゥ ス ︵ ベ ネ デ ィ ク ト ゥ ス を 含 む ︶、 ア ニ ュ ス ・ デ イ の 五 楽 章 か ら 構 成 さ

(19)

音楽における「教会的」とは何か れ る が 、 こ の 五 つ は ミ サ の 祈 禱 文 で 基 本 的 に 変 化 の な い 部 分 で あ り 、﹁ 通 常 文 ﹂ と 呼 ば れ る 。 本 稿 で 見 て い く ウ ィ ー ン 古 典 派 三 巨匠のミサ曲も ﹁ 通常文 ﹂ を一字一句余すことなく使っており 、 基本的にはミサ曲の伝統に則っている 。 ︵ 2︶ ヴィットは一八三四年 、 バイエルンのヴァルダーバハに生まれる 。 レーゲンスブルクの神学校で神学と科学を学んだ後 、 大聖 堂の聖歌隊員となる 。 五六年 、 司祭に叙せられ 、 三年間地方の教区で活動した後 、 レーゲンスブルクの神学校で聖歌を教える 。 その頃カール ・ プロスケの改革思想に出会う 。 六七年には 、 聖エンメラム教会の神学校の視学官と教区教会の聖歌隊長に就任 。 同年 、 インスブルックで開催されたドイツ ・ カトリック教会の総会において 、 ローマ ・ カトリックの教会音楽の改革を目的とす る機関の創立を提唱し 、 六八年に総ドイツ ・ セシリア協会を創立 、 グレゴリオ聖歌とポリフォニーの復興に尽力する 。 七 〇 年に はピウス九世より協会が認可される 。 八八年 、 ランツフートで死去 。 ︵ 3︶ 福 地 勝 美 ﹁ F . X . ィ ッ ト と J. E . ー ベ ル ト ││ セ シ リ ア 運 動 内 の ド イ ツ 派 と オ ー ス ト リ ア 派 の 対 立 を め ぐ っ て ﹂︵ ﹃ 成 城 美 学美術史 ﹄ 一六号 、 二 〇 一 〇 年 ︶、 三八頁 。 ︵ 4︶ たとえば現代のカトリック神学者ハンス ・ キュングは 、 ヴィットによるモーツァルトの ︽ 戴冠式ミサ曲 ︾ への辛辣なコメント ︵﹁ ま っ た く の 不 道 徳 か ら 成 る 、 教 会 の な か の オ ペ ラ ﹂︶ を 取 り 上 げ な が ら 、 彼 が ﹁ 理 性 の 代 わ り に 伝 統 を 崇 拝 し 、 神 聖 な 音 楽 と 世俗的な音楽とを不愛想に切り分けようとし 、 音楽の教会様式など存在しないことを知らなかったか 、 あるいは知ろうともしな か っ た ﹂ と 批 判 的 に 述 べ て い る ︵ Hans Küng, (München, Piper Verlag, 20 06 ), S . 61 ︶。 な お 、 キ ュ ン グ の論考については Christoph Lickleder, „ Franz Xaver Witt ︱ ein streitbarer Kirchenmusiker Spagat zwischen dem 19. und 21. Jahrhundert, “ in -, herausgegeben von Msgr. Paul Mai (Regensburg, Verlag Schnell & Steiner, 2009 ), S. 29-30 に教え られた 。 ︵ 5︶ 福地 、 二 〇 一 〇 年 、 二 〇 頁 。 ︵ 6︶ 同上 、 三八頁 。 ︵ 7︶ James Garratt,

(Cambridge University Press, 2002

), pp. 144-153. ︵ 8︶ Franz Xaver Witt, „ Tonbilder in bunter Reihe aus den modernen Kirchen-Componisten, “ in , 3. Jg, Nr. 6, 1870, S. 41. ︵ 9︶ Franz Xaver Witt, „ Tonbilder in bunter Reihe aus modernen Kirchen-Compositionen, “ in , 19. Jg, Nr. 10

(20)

u. 11, 1886, S. 123. ︵ 10 ︶ Franz Xaver Witt, ( ) (Regensburg, Coppenrath, 1865 ), S. 3. ︵ 11

Franz Xaver Witt,

Liturgie und Kunst,

“ in , 5. Jg, Nr. 4, 1872, S. 26. ︵ 12 ︶ Ebd., S. 26. ︵ 13

Franz Xaver Witt,

Der Prager Domchor und Beethovens C-dur-Messe,

“ in , 7. Jg, Nr. 3, 1874, S. 18. ︵ 14 ︶ Ebd., S. 18-19. ︵ 15 ︶ Ebd., S. 19. ︵ 16 ︶ Ebd., S. 19. ︵ 17 ︶ Ebd., S. 19. ︵ 18

Franz Xaver Witt,

„ Umschau, “ in , 3. Jg, Nr. 8, 1870, S. 62. ︵ 19 ︶ リヒャルト ・ ワーグナー ︵ 三光長治他訳 ︶﹃ ベートーヴェン ﹄ 法政大学出版局 、 二 〇 一八年 、 一六五頁 。 ︵ 20 ︶ ﹁ ミ サ 交 響 曲 ﹂ に 似 た 表 現 は 、 ル ー ト ヴ ィ ヒ ・ ノ ー ル ︵ Ludwig Nohl 一 八 三 一 ︱ 一 八 八 五 ︶ の ベ ー ト ー ヴ ェ ン 論 に も 見 出 さ れ る 。 彼 は ︽ ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス ︾ を 、﹁ あ る 意 味 で ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 別 の 交 響 曲 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 こ れ ま で た だ 交 響 曲 の 諸 楽 章 だ け に あ っ た よ う な 、 最 も 崇 高 な イ メ ー ジ の 主 題 を と も な っ た 別 の 交 響 曲 ﹂ で あ り 、﹁ い わ ば ミ サ ・ テ キ ス ト を テ ー マ に し た 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 巨 大 な 合 唱 幻 想 曲 0 0 0 0 0 ﹂ であると述べている ︵ Ludwig Nohl, , 3. Bd.: Die letzten zwölf Jahre, 1815-27 (Leipzig, Ernst Julius Günther, 1877 ), S. 190 ︶。 彼 も ヴ ァ ー グ ナ ー と 同 様 に 、 ベ ー ト ー ヴ ェ ン が ミ サ ・ テ キ ス ト を 素 材 と し て 、 交 響 曲 を 生 み 出 す よ う にこのミサ曲を作曲したとしているが 、 このような考え方がカトリック教会の文脈を顧みないプロテスタントの論者たちに見ら れることに注意したい 。   なお 、 ノールの ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ 論については 、 清水康宏 ﹁ ルートヴィヒ ・ ノールの ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ 論││ ﹁ フモ リスト ﹂ ベートーヴェンの教会音楽 ﹂︵ ﹃ 美学 ﹄ 六九巻 、 一号 、 二 〇 一八年 ︶ を参照 。 ︵ 21 ︶ ドイツ ・ ロマン派のルートヴィヒ ・ ティーク ︵ Ludwig Tieck 一七七三 ︱ 一八五三 ︶ が早世したヴィルヘルム ・ ハインリヒ ・ ヴ ァ ッ ケ ン ロ ー ダ ー ︵ Wi lhe lm He inr ich Wa ck en rod er 一 七 七 三 ︱ 一 七 九 八 ︶ の 遺 稿 に 手 を 加 え て 出 版 し た ﹃ 芸 術 に 関 す る 幻 想 ﹄︵ 一 七 九 九 年 ︶ で は 、﹁ 交 響 楽 ﹂ が ﹁ 崇 高 な 演 劇 ﹂ で あ る と さ れ て い た ︵ W ・ H ・ ヴ ァ ッ ケ ン ロ ー ダ ー ︵ 毛 利 真 実 訳 ︶﹃ 芸 術

(21)

音楽における「教会的」とは何か に 関 す る 幻 想 ﹄ 鳥 影 社 、 二 〇 〇 九 年 、 一 四 五 頁 ︶。 ま た 、 ホ フ マ ン に よ る ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 第 五 交 響 曲 に 対 す る 批 評 で は 、 こ の 作 曲 家 の 音 楽 が ﹁ 戦 慄 、 恐 怖 、 驚 愕 、 苦 痛 の 挺 子 を 動 か し 、 ロ マ ン 主 義 の 本 質 た る 無 限 の 憧 憬 を 喚 び 覚 ま す ﹂︵ ホ フ マ ン ︵ 鈴 木 潔訳 ︶﹁ ベートーヴェン ・ 第五交響曲 ﹂﹃ 無限への憧憬││ドイツ ・ ロマン派の思想と芸術 ﹄ 所収 、 三四七 ︱ 三六五頁 、 国書刊行 会 、 一九九七年 、 三五二頁 ︶ ものとされ 、 単なる形式美の観点からだけでは計れない音楽の崇高さが説かれていた 。 ︵ 22 ︶ ワーグナー ︵ 三光他訳 ︶、 二 〇 一八年 、 池上純一による解説 、 五二四頁 。 ︵ 23 ︶ 同上 、 一三六頁 。 また 、 解説の五二六 ︱ 五二七頁も参照のこと 。 ︵ 24 ︶ ﹁ 未来音楽 ﹂ とは一八五 〇 年代に論争の的となっていた言葉である 。 ヴァーグナーの主要論文 ﹃ 未来の芸術作品 ﹄︵ 四九年 ︶ の 影響などによって保守派と進歩派に二分された当時の音楽論争では 、 もともとヴァーグナーの理念的な概念であった ﹁ 未来 ﹂ と いう用語が 、 保守派陣営において嘲笑的な意味として歪曲され 、 ヴァーグナーやフランツ ・ リスト ︵ Franz Liszt 一八一一 ︱ 一 八 八 六 ︶ な ど の 革 新 的 な 傾 向 の 音 楽 が ﹁ 未 来 音 楽 ﹂ と 呼 ば れ る よ う に な っ た 。 進 歩 派 の フ ラ ン ツ ・ ブ レ ン デ ル ︵ Franz Brendel 一八一一 ︱ 一八六八 ︶ は嘲笑的な ﹁ 未来音楽 ﹂ という用語を放棄して 、 新たに ﹁ 新ドイツ派 ﹂ を提唱することになるが 、 当の一 派の筆頭に据えられたはずのヴァーグナーはこの提唱から距離を置き 、 むしろ ﹁ 未来音楽 ﹂ の用語を自らの芸術理論と結び付け て い っ た ︵ 彼 は 六 〇 年 に ﹃ 未 来 音 楽 ﹄ と い う 音 楽 論 を 書 い て い る ︶。 ヴ ィ ッ ト が 使 っ て い る ﹁ 未 来 の ミ サ 曲 ﹂ と い う 用 語 は 、 嘲 笑的 ・ 否定的な意味ではなく 、〝 進歩的 〟 な音楽を意味するものと考えられる 。   なお 、﹁ 未来音楽 ﹂ と ﹁ 新ドイツ派 ﹂ については 、 上山典子 ﹁ フランツ ・ ブレンデルの ﹁ 新ドイツ派 ﹂ とその概念の変遷 ﹂︵ ﹃ 音 楽学 ﹄ 五九巻 、 一号 、 二 〇 一三年 ︶ に教えられた 。 ︵ 25 ︶ ブ レ ン デ ル の ﹁ 崇 高 ﹂ と ﹁ 美 ﹂ に つ い て は 、 Andrew Kirkman, ““

Under Such Heavy Chains

: The Discovery and Evalua

-tion of Late Medieval Music before Ambros, ” in , Vol. 24, No. 1, 2000, pp. 89-112 の pp. 107-110 を参 照 。 ︵ 26 ︶ Franz Brendel, (Leipzig, Hinze, 1852 ), S. 408-409. ︵ 27 ︶ しかし ︽ ミサ ・ ソレムニス ︾ 論に関するブレンデルの影響は ︵ ヴィットはブレンデルの論考をしばしば引用しているが ︶ はっ きりしない 。 ︵ 28 ︶ 深澤英隆 ﹃ 啓蒙と霊性││近代宗教言説の生成と変容 ﹄ 岩波書店 、 二 〇〇 六年 、 六頁 / 四六 ︱ 四七頁 。 ︵ 29 ︶ 同上 、 六頁 。

(22)

︵ 30 ︶ 同上 、 四六 ︱ 四七頁 。 ︵ 31 ︶ ヴィットはモーツァルトの教会音楽を評価する際に次のような発言もしている 。 この作曲家の教会音楽は ﹁ すべて非典礼的で あ り 、 非 教 会 的 ﹂ で あ る が 、 典 礼 を 考 慮 に 入 れ な い 場 合 は 次 の よ う に 問 わ れ る 。﹁ そ れ ら は オ ペ ラ 風 で あ る か 、 真 に 宗 教 的 で あ る か ﹂。 ヴ ィ ッ ト は 答 え る 。﹁ 一 部 は オ ペ ラ 風 で あ り 、 一 部 は 宗 教 的 で あ る ﹂︵ Franz Xaver Witt, „ Die Litaneien in der Litur -gie, “ in , 2. Jg, Nr. 7, 1867, S. 58 ︶。 つまり彼はこの作曲家の教会音楽につい て 、 全般的に 〝 教会 〟 的ではないが 、〝 宗教 〟 的なものはあると述べているのである 。 ︵ 32 ︶ 一八六 〇 年代のドイツでは 、 プロテスタントが支持するプロイセンによる 、 カトリックが支持するオーストリアを抜いた国家 統一への動きが強まり 、 カトリックとプロテスタントとの緊張が高まっていた 。 カトリックは一八六六年の普墺戦争におけるオ ーストリアの敗戦によって大きな危機感を感じていたが 、 そのことでカトリックとしての意識をいっそう強く持つようになった ︵ ロ ジ ェ ・ オ ー ベ ー ル 他 ︵ 上 智 大 学 中 世 思 想 研 究 所 編 訳 / 監 修 ︶﹃ キ リ ス ト 教 史 9   自 由 主 義 と キ リ ス ト 教 ﹄ 平 凡 社 、 一 九 九 七 年 、 一七九 ︱ 一八一頁 ︶。 ︵ 33 ︶ シ ュ タ イ ン に つ い て は 、 清 水 康 宏 ﹁﹁ 教 会 音 楽 ﹂ と ﹁ 宗 教 音 楽 ﹂ ││ ア ル ベ ル ト ・ ゲ レ オ ン ・ シ ュ タ イ ン の 教 会 音 楽 論 ﹂︵ ﹃ 音 楽学 ﹄ 六四巻 、 二号 、 二 〇 一八年 ︶ を参照 。 ︵ 34

Franz Xaver Witt,

Musik und Liturgie,

“ in , 2. Jg, Nr. 3, 1867, S. 28. ︵ 35 ︶ Ebd., S. 26. ︵ 36 ︶ Ebd., S. 26. ︵ 37 ︶ Franz Xaver Witt, „ Die grossen Umwälzungen auf dem Gebiete der Kirchen-Musik, “ in , 1. Jg, Nr. 12, 1868, S. 91. ︵ 38 ︶ Ebd., S. 91. ︵ 39 ︶ Franz Xaver Witt, „ Der deutsche Volksgesang in der Kirche. I. Die liturgische [lateinische ] Sprache, “ in , 3. Jg, Nr. 1, 1868, S. 2. ︵ 40 ︶ 神 学 者 ア リ ス タ ー ・ エ ド ガ ー ・ マ ク グ ラ ス に よ れ ば 、﹁ 新 約 聖 書 は ギ リ シ ア 語 の エ ク レ シ ア と い う 言 葉 で 地 域 教 会 あ る い は 礼 拝のために集まった共同体をさすが 、 もちろん 、 それはその地域団体を超えた何かを現し 、 具体化しているとみなされている 。 個別の教会は全体教会 [ = 普遍的教会 引用者注 ] ではないが 、 その全体性に与っている 。 この ﹁ 全体性 ﹂ の概念が後に ﹁ カト リック ﹂ という言葉によって言い表されるようになった ﹂︵ A ・ E ・ マクグラス ︵ 高柳俊一訳 ︶﹃ 宗教改革の思想 ﹄ 教文館 、 二 〇

(23)

音楽における「教会的」とは何か 〇〇 年 、 二六九頁 ︶。 ︵ 41 ︶ カール ・ ダールハウス ︵ 杉橋陽一訳 ︶﹃ ベートーヴェンとその時代 ﹄ 西村書店 、 一九九七年 、 九五頁 。 ︵ 42 ︶ 三浦信一郎 ﹃ 西洋音楽思想の近代││西洋近代音楽思想の研究 ﹄ 三元社 、 二 〇〇 五年 、 二二五頁 。 ︵ 43 ︶ Franz Xaver Witt, „ Was haben die modernen Kirchencomponisten zu meiden? “ in , 7. Jg, Nr. 9, 1874, S. 77. ︵ 44 ︶ Ebd., S. 76.

(24)

What Is “Kirchlich” in Music?

Church Music Theory of Franz Xaver Witt

S

HIMIZU

Yasuhiro

This paper explores how Franz Xaver Witt, a German priest and founder of the Catholic choir association , expressed the meaning of “kirchlich (appropriate for the church)” or “unkirchlich (inappropriate for the church)” in his church music theory, focusing particularly on his evaluation for the Masses of the three great masters of the Viennese Classic.

 Witt viewed the vulgarity of the Masses of Haydn and Mozart as “unkirchlich;” meanwhile, he considered “Erhabenheit (the sublime)” inherent in the Masses with a simple form as an important factor of “kirchlich.” However, when it comes to the Masses of Beethoven, he expressed a different view. Pointing out the “unkirchlich” aspect of the Masses of the composer, he also found the religious sublime in them. He called Beethoven’s “Zukunftsmesse (the Mass of future)” and considered it a “hymn of the human united into one universal church.” Witt might have thought that this Mass meant more than the “concept of the church” and the “range of the liturgy,” for the Mass was for the “Catholic (universal) church” which was beyond each individual church in reality.

 Witt has often been seen as a traditionalist, but in fact, looking into “the future,” he groped for the way of the liturgy and the church music.

参照

関連したドキュメント

We construct a Lax pair for the E 6 (1) q-Painlev´ e system from first principles by employing the general theory of semi-classical orthogonal polynomial systems characterised

Part V proves that the functor cat : glCW −→ Flow from the category of glob- ular CW-complexes to that of flows induces an equivalence of categories from the localization glCW[ SH −1

Standard domino tableaux have already been considered by many authors [33], [6], [34], [8], [1], but, to the best of our knowledge, the expression of the

It is suggested by our method that most of the quadratic algebras for all St¨ ackel equivalence classes of 3D second order quantum superintegrable systems on conformally flat

Amount of Remuneration, etc. The Company does not pay to Directors who concurrently serve as Executive Officer the remuneration paid to Directors. Therefore, “Number of Persons”

「旅と音楽の融を J をテーマに、音旅演出家として THE ROYAL EXPRESS の旅の魅力をプ□デュース 。THE ROYAL

「1.地域の音楽家・音楽団体ネットワークの運用」については、公式 LINE 等 SNS

また、手話では正確に表現できない「波の音」、 「船の音」、 「市電の音」、 「朝市で騒ぐ 音」、 「ハリストス正教会」、