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中古和文における移動動詞の経路,移動領域の標示

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はじめに  中古和文における移動動詞と結びついた場所名詞の例を以下に挙げる注 1 (1) 疋布を千むら万むら織らせ,晒させけるが家の跡とて,深き川を舟にて渡る。 (20-更級 1059_00001・p.281) (2) ……とよみてやりて,狩にいでぬ。野に歩ありけど,心はそらにて,今宵だに人 しづめて,いととくあはむと思ふに,…… (20-伊勢 0920_00001・p.174)  (1)の「深き川」,(2)の「野」はともに移動が行われる場所を表している。しかし, 両者は格標示がそれぞれ「を」「に」と異なっており,移動が行われる場所としての意 味にも違いがある。すなわち,(1)の「深き川」は今いる場所から対岸へ行くまでに通 過する場所であり,(2)は「野を歩き回ったが,心はうつろで」という意で,起点や着 点など,別の場所への移動は含意されず,「野」は歩き回る場所である。また,現代語 では,(2)は「野に歩あるく」という言い方はできず,「野を歩く」というように古代語と異 なる助詞が用いられる。本稿では,中古和文における(1),(2)のような移動が行われる 場所の違いについて検討し,(1)を「経路」,(2)を「移動領域」と区別する。そのうえで,

松 本 昂 大

キーワード:移動動詞,経路,移動領域,格助詞「を」,格助詞「に」 要  旨  本稿では,中古和文における移動が行われる場所の格標示の違いに注目し,移動が 行われる場所を経路と移動領域に分類した。そのうえで,経路と移動領域を承けるか どうかによって,移動が行われる場所を承ける移動動詞を分類し,それらの場所格標 示の方法を明らかにした。その結果,経路の格標示は主に「を」が,移動領域の格標 示は主に「に」が担っていたということが明らかになった。経路のみ承ける動詞は経 路の共起率の高低によって,経路を必須補語とする動詞とそうではない動詞の 2 種に 分けられる。また,中世には,「に」が担っていた移動領域の格標示を次第に「を」 が担うようになるという展開を示した。移動領域を承ける動詞には,移動領域の格標 示が「を」に変わっていく動詞と中世も「に」が担いつづける動詞があり,前者は移 動の様態を表す動詞で,後者は着点を自ら決定しない統御不能な移動動詞であった。

中古和文における移動動詞の経路,

移動領域の標示

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経路,移動領域と移動動詞の結びつきについて考察する。 1. 先行研究 1.1. 移動が行われる場所の分析  現代語の研究では,加藤(2006)は経路格を有境界性(境界を明確に持っているという 特性)のあり方をどう捉えるかにより,通過点,移動経路,移動領域の 3 つに区分して いる。以下にそれぞれの例を挙げる(括弧内は筆者による)。 (3) のぞみ号が三河安城駅を通過する。(通過点。強い有境界性を明確に持つ) (4) 永代橋を渡る。(移動経路。有境界性を明確に持つ) (5) 校庭を走る。(移動領域。有境界性を明確に持たない)  「これらのあいだには,《移動経路》を中心に派生関係を想定することができると思わ れる」と三者に連続性を認めている。一方で,有境界性を明確に持たない移動領域につ いては「移動行為を行う領域ではあるが,通り道を移動するように線的に移動するとは 限らず,無秩序に見える移動であることも排除されない」と述べ,加えて,「領域内部 でのみ移動してそこから逸脱しなければ,用法の条件は満たされる」とも述べている。 先に見た(2)は,「歩き回る」と訳せるように,無秩序に見える移動であり,かつ「野」 という領域内に収まっている移動である。このように,移動領域の移動は,その他の移 動と異なる点がある。古代語の場合,(1),(2)のように,格標示の方法が異なることか らも,このような移動が行われる場所について詳しく検討する意義があると思われる。 1.2. 移動動詞の分類  現代語では寺村(1982)が移動動詞を大きく以下の 3 つに分類している。 (ⅰ) 出ル,降リル,離レル,(トビ)出ス,などのように,特に「出どころ(出 発点)」(Point of departure)と縁の深いもの(=「出ル類」) (ⅱ) 通ル,飛ブ,走ル,経ル,などのように,特に「通りみち(通過点)」(Path) と縁の深いもの(=「通ル類」) (ⅲ) 入ル,乗ル,着ク,(トビ)コム,などのように,特に「到達点(入りどころ)」 (Goal)と縁の深いもの(=「入ル類」)  このうちの(ⅱ)の動詞について述べる中で,「通りみち」が必須補語となる動詞を「通 ル,渡ル, ル,通リスギル(通過スル),経ルなど」,準必須補語となる動詞を「走ル, 歩ク,飛ブ,ハウ,進ムなど」,「行ク,来ル,帰ルなど」とし,ヲ格補語の必須性から 動詞をさらに区分している。  古代語について,松本(2016)は,今昔物語集を資料とし,起点と経路の標示方法に よって移動動詞を A 類の動詞(返る,越ゆ,過ぐ,通る,渡る)B類の動詞(至る,御す, 来たる,参る)C類の動詞(離る,去る)D類の動詞(出づ)に分類している。このうち

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経路を取りうる動詞は A 類のみであり,経路は「を」「より」によって標示される。また, 「より」は「経路に特別な関心がある場合」にのみ経路を表すことを指摘している。し かし,松本(2016)で扱われているのは経路のみであり,移動領域については扱われて いない。そのため,移動が行われる場所の格標示について明らかにするためには,移動 領域と結びつく動詞についても調査が必要となる。  本稿では,移動動詞のうち,経路,移動領域といった移動が行われる場所を表す場所 格を承ける動詞に注目し,それらがどのような格標示を行うのかを観察する。 2. 調査方法  本稿で調査資料とした中古和文作品は,古今和歌集,土佐日記,竹取物語,伊勢物語, 落窪物語,大和物語,枕草子,源氏物語,紫式部日記,和泉式部日記,平中物語,堤中 納言物語,更級日記,讃岐典侍日記,蜻蛉日記,大鏡である。  調査対象とする動詞は,まず宮島ほか(2014)にて,意味分類に「進行・過程・経由」 「移動・発着」「走り・飛び・流れなど」「巡回など」「通過・普及など」「連れ・導き・ 追い・逃げなど」「進退」「往復」「上がり・下がり」が付与された動詞を抽出し,その うち,移動の意を主としない動詞,他動詞,敬語動詞,複合動詞(ただし,「たまふ」な ど移動動詞由来でない敬語補助動詞が下接した例は対象とする)を除外する。残った動詞の 用例を,国立国語研究所(2019)『日本語歴史コーパス』を用いて採集し注 2,採集した用 例の中に移動が行われる場所を表す場所名詞を承けた例が 1 例以上見られた動詞を本稿 の調査対象とした。対象とする用例は,人,動物,物の具体的な移動に限る。そのうち, (6)のように,代名詞に「より」が下接した場合は,時間的な起点を表す場合があるので, 代名詞が確実に場所を表していることが分かる例以外は調査対象外としている。 (6) 「あはれ。これより帰りなむ。屎つきにたり。いと臭くて行きたらば,なか なかうとまれなむ」とのたまへば,……。 (20-落窪 0986_00001・p.63)  以上の条件による選定の結果,調査対象とする動詞は「歩ありく」「行く」「帰る(「返る」 も含む)」「駆ける」「下る」「越ゆ」「さまよふ」「過ぐ」「漂ふ」「通る」「流る」「上る」「走 る」「渡る」となった注 3 3. 経路,移動領域の定義  本稿では,動詞がどのような移動を表しているかに注目し,移動が行われる場所を経 路と移動領域の二つに分けた。 (7) 疋布を千むら万むら織らせ,晒させけるが家の跡とて,深き川を舟にて渡る。 (1)再掲 (8) ……とよみてやりて,狩にいでぬ。野に歩ありけど,心はそらにて,今宵だに人 しづめて,いととくあはむと思ふに,…… (2)再掲

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 (7)は着点は明示されていないが,川を経由し別の場所,つまり対岸へ渡ったというこ とが含意されている。このように,移動の完了後に,移動が行われた場所とは別の場所 へ移動したことが明示,含意されている場合は,移動が行われた場所を「経路」とする。  一方,(8)は先にも述べたが,「野を歩き回る」という無秩序な軌道の移動であり,(7) のように別の場所への移動が明示,含意されない。このように別の場所への移動が明示, 含意されない移動の場合,移動が行われた場所を「移動領域」とする。  経路は「道」や「橋」を表す語に下接する例を典型的な例と考えるが,(9)の「浦」 のようにそれ以外の名詞を承けている場合も経路を表すと判断できる場合がある。 (9) 山の端に日のかかるほど,住吉の浦を過ぐ。 (20-更級 1059_00004・p.352)  また,「戸」や「関」など空間的幅がないものの場合も経路に含め,場所が点的であ るか面的であるかという点では区別しない。 4. 移動動詞の分類  調査対象とした移動動詞が移動領域,経路および起点,着点(以下,着点という場合に は方向を含む)を承けた例の割合(以下,共起率と呼ぶ)を表 1 にまとめた。  表 1 の移動が行われる場所である移動領域,経路との共起率に注目すると,移動動詞 を以下の 3 つに分類することができる。 移動領域のみ承ける動詞:「駆ける」「漂ふ」「流る」「さまよふ」 表 1. 移動動詞の場所格共起率 対象用例数 移動領域共起率 経路共起率 起点共起率 着点共起率 駆ける 5 40% 漂ふ 8 37.5% 流る 31 22.6% さまよふ 7 14.3% 歩く 92 10.9% 2.2% 1.1% 4.3% 走る 34 2.9% 5.9% 2.9% 5.9% 通る 21 81% 4.8% 9.5% 越ゆ 20 80% 5% 10% 過ぐ 55 34.5% 1.8% 1.8% 渡る 608 7.6% 0.8% 26.6% 上る 171 5.3% 3.5% 28.1% 行く 400 3% 0.5% 32.3% 下る 104 1% 2.9% 14.4% 帰る 461 0.7% 1.3% 8.2%

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経路のみ承ける動詞:「通る」「越ゆ」「過ぐ」「渡る」「上る」「行く」「下る」「帰る」 移動領域と経路の両方を承ける動詞:「歩く」「走る」  このうち,移動領域のみ承ける動詞は,起点,着点を承ける例がない。移動領域は移 動が行われた場所とは別の場所への移動が明示,含意されない場合の場所格であり,反 対に,経路はそれが明示,含意される場合の場所格であった。したがって,経路のみ承 ける動詞,移動領域と経路の両方を承ける動詞は,着点と共起することができるが,移 動領域のみ承ける動詞は着点と共起しない。  一方で,起点は移動領域のみ承ける動詞には例が見られないが,それ以外の動詞につ いても例が少ない。そのため,移動領域のみ承ける動詞と起点が共起する例が見られな いのは偶然の可能性もあり,着点の場合のような制約が存在するとは考えない。  以下では,上の 3 グループごとに,移動動詞がどのように場所格を標示するかについ て具体的に見ていく。 5. 経路のみ承ける動詞  まず,経路のみ承ける動詞の場所格の標示方法をまとめると以下の表2のようになる。 格助詞に係助詞・副助詞が承接した場合は,それぞれの格助詞の例に分類している。 5.1. 経路  経路のみ承ける動詞の経路標示には,大きく分けて 4 つの方法があった。格助詞「を」 「より」,格助詞以外の助詞(係助詞・副助詞),および場所名詞に助詞がつかない形式(以 下「無助詞」と呼び,引用文中では Ø で示す)である。 (10) 弥生のつごもりがたに,山を越えけるに,…… (20-古今 0906_00003・p.74) (11) 京にありわびてあづまにいきけるに,伊勢,尾張のあはひの海づらを行くに, 表 2. 経路のみ承ける動詞の場所格標示 経路 起点 着点 対象 用例数 を より 無助詞 係助詞副助詞 より に へ 係助詞副助詞 その他 通る 21 5 9 2 1 1 2 越ゆ 20 6 8 2 1 2 過ぐ 55 11 1 5 2 1 1 渡る 608 21 6 14 5 5 136 24 2 上る 171 3 5 1 6 40 8 行く 400 5 5 2 2 68 44 4 13 下る 104 1 3 9 6 帰る 461 3 6 32 6

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浪のいと白くたつを見て,…… (20-伊勢 0920_00001・p.119) (12) 階を上りもはてず,ついゐたまへれば,「なほ上に」などものたまはで,…… (20-源氏 1010_00047・⑤総角 p.259)  (10)∼(12)は「を」の例である。(10)は,山を通り,山を挟んだ向こう側へ移動した 例,(11)は「あづま」に移動する途中に「伊勢,尾張のあはひの海づら」を通った例で ある。また,(12)の「階」はそこを通り,「上」へ行くことが含意されている。いずれも, 移動の完了後に,移動が行われる場所とは別の場所への移動が明示,含意されているた め,これらの「を」は経路を表している。経路標示の例が最も多い助詞は「を」であった。  経路を表す「より」は,松本(2016)の指摘の通り,経路に特別な関心がある場合に 用いられる。松本(2016)は,特別な関心がある場合を「複数の経路のうち特定の経路 を選択する場合」と「通常は通行しないと考えられている経路を通行する場合」として いる。 (13) さやうの折,召しありけるにも,台盤所の方よりはまゐりたまはで,弘 殿 の上の御局の方より通りて,二間になむさぶらひたまひけるとこそうけたま はりしか。 (20-大鏡 1100_02007・p.258) (14) つくづくと臥したるに,四の君見るに,顔の見苦しう,鼻の穴よりは人通り ぬべく,吹きいららげて臥したるに,…… (20-落窪 0986_00002・p.163)  (13)は,特定の経路を選択する場合であり,「台盤所の方ではなく,弘 殿の上の御 局の方を通って二間に行く」という移動を表している。また,(14)は通常通行しない経 路の場合で,顔の醜さを言うための比喩表現であり,実際に通行するわけではないが, 「鼻の穴」をあえて経路とした表現である。どちらも経路に特別な関心がある例である。 (15) 事ども多くして帰る道に,奈良坂といふ山 Ø 越えけるほどより,…… (20-源氏 1010_00053・⑥手習 p.279)  (15)は無助詞の例であるが,(10)と同じように「山」を越えるという例である。古典 語の対格は「を」のほか無助詞でも標示されるということが指摘されており(松尾 (1944),此島(1973)),(15)のように経路も同じく無助詞で標示されることがある。「を」 と無助詞の上接する場所名詞や経路の関心の有無については,両者に目立った違いは見 られないため,両者が表す意味に異なりはなく,「を」も無助詞も単に経路を表すもの と考える。  係助詞,副助詞については,「は」「も」「だに」「など」が見られ,「通る」「越ゆ」「過 ぐ」「渡る」が承けた。  また,「行く」については,以下のような例が見られる。 (16) 五月ばかりなどに山里にありく,いとをかし。草葉も水もいと青く見えわた りたるに,上はつれなくて,草生ひしげりたるを,ながながと,たたざまに 行けば,下はえならざりける水の,深くはあらねど,人などの歩むに,走り

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あがりたる,いとをかし。 (20-枕草 1001_00207・p.346)  (16)は,「山里にありく」という別の場所への移動が含意されていない移動の描写に続 くものであり,「行く」についても別の場所への移動という含意は見られない。しかし, 「ながながと,たたざまに行けば」と直線的な移動であることから,領域内を移動する のではなく,別の場所へ向けての移動という方向性を読み取ることができ,経路の可能 性も排除しきれない。そのため,この例は判断を保留し,表 2 の例には含めなかった注 4 5.2. 起点,着点  経路のみ承ける動詞の起点は「より」が表す注 5 (17) ……,百済国より渡りたりける尼して,…… (20-大鏡 1100_02010・p.337)  着点は「に」「へ」のほか,副助詞(行くに係る「まで」4 例)が表す。 (18) 雲林院の親王の舎利会に山にのぼりて帰りけるに,桜の花のもとにてよめる (20-古今 0906_00009・p.168)  「はじめに」では「に」が移動領域を示す例を見たが(用例(2)),経路のみ承ける動 詞に係る「に」はすべて着点を表す注 6。例えば,「上る」の場合,(18)のように「山に のぼる」という言い方があるが,これは「山」自体が移動の目的地となっており,「に」 は着点を標示していると考えられる注 7  「その他」には,「こち」「いづち」や接尾辞「がり」など,普通「に」や「へ」など の助詞を伴わない語を分類した。 (19) ……,母ぞこち渡りたまへる。 (20-源氏 1010_00051・⑥浮舟 p.164) (20) ……,ありし女のがり行きたりけり。 (20-大和 0951_00001・p.383) 5.3. 共起率の比較  次に経路のみ承ける動詞の場所格共起率について比較していく。  表 3 を見ると,経路の共起率には,81∼0.7%と幅があり,経路共起率が高い動詞と 低い動詞があるということが分かる。「通る」「越ゆ」「過ぐ」は,経路共起率が 81∼ 34.5%であり,経路共起率が 10%以下の「渡る」∼「帰る」と比べると共起率が高いと 表 3. 経路のみ承ける動詞の場所格共起率 経路共起率 起点共起率 着点共起率 経路共起率 起点共起率 着点共起率 通る 81% 4.8% 9.5% 上る 5.3% 3.5% 28.1% 越ゆ 80% 5% 10% 行く 3% 0.5% 32.3% 過ぐ 34.5% 1.8% 1.8% 下る 1% 2.9% 14.4% 渡る 7.6% 0.8% 26.6% 帰る 0.7% 1.3% 8.2%

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言える。  「過ぐ」は経路共起率が 34.5%と「通る」「越ゆ」よりも低い。これは,「過ぐ」には「そ の場を通り過ぎる」というような意味の例が多く,経路が明示されない例が多いためで ある。 (21) ……,あはれに人はなれて,いづこともなくておはする仏かなとうち見やり て過ぎぬ。 (20-更級 1059_00001・p.294)  本稿では,「通る」「越ゆ」「過ぐ」を経路共起率の高い動詞,「上る」「行く」「下る」「帰 る」を経路共起率の低い動詞とする。また,共起率が 7.6%と両者の中間に位置する「渡 る」については,本節で後述する。  経路共起率の高低から見ると,共起率の高い動詞「通る」「越ゆ」「過ぐ」は,情報構 造上,通過するのがどういう場所なのかを明示することが重要な動詞であると言える。 『日本国語大辞典 第二版』(小学館)では,「通る」は,「ある所を過ぎて,先へ進む」,「越 える」は,「山,峠,谷,川,溝,関所など,障害となるものを通り過ぎて向こうへ行く」 などと説明されるように,(通り)過ぎる場所,つまり経路を介することが動詞の意味 に含まれている。これらの動詞にとって,経路は必須補語である。  一方,共起率の低い動詞「上る」「行く」「下る」「帰る」は,その情報構造上,経路 を文中で明示,含意させる必要はなく,(11)(12)のように,経路を承けることも可能で はあるが,その数は少ない注 8。特に経路共起率が 1%以下と極めて低い「下る」「帰る」 の経路標示は 4 例見られたが,すべて「より」で標示され,経路に特別な関心がある場 合に限られる((22)は行きの道である東の大宮と帰りの道である西の大宮を対比している例, (23)は差しさわりがあったことによって,粟田口を通って帰ったという例である)。 (22) ……仁和寺へまゐらせたまふ行き帰りの道を,一度は,東の大宮より上らせ たまひて,一条より西ざまにおはしまし,また一度は,西の大宮より下らせ たまひて,二条より東ざまなどに過ぎさせたまひつつ,…… (20-大鏡 1100_02011・p.392) (23) この殿は御馬にて,帥殿は車にてまゐりたまふに,障ることありて,粟田口 より帰りたまふとて,…… (20-大鏡 1100_02009・p.326)  「渡る」は,本来,(24)のように「川」「橋」のような場所を移動するということが原 義であるが,(25)のように経路が明示されず,単にそこへ「行った」という移動しか表 さない例もある。 (24) 月のいと明かきに,川をわたれば,…… (20-枕草 1001_00216・p.351) (25) ……,北の方,わが御殿の桃園なるに渡りて,いみじげにながめたまふと聞 くにも,…… (20-蜻蛉 0974_00004・p.178)  (24)のような「渡る」は,単に移動を示すだけでなく,どのような経路を通ったかを 示しており,経路と結びつきが強い動詞であると考えられる。しかし,経路のみ承ける

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動詞の中では経路共起率が低い。このような違いはなぜ生じるのであろうか。  「渡る」はその例数が多いが,608 例のうち 445 例は敬語「給ふ」「せ給ふ」が下接し た形である。敬語が下接した例に限ってみると,経路共起率は 445 例中 8 例と,1.8% にまで下がる一方,敬語が下接していない例では,経路共起率は 23.3%にまで上昇する。  中村(2001)は,「渡る」は「水上の移動についてだけではなく,「行く」「来」を併 せ意味して,ある部屋から別のある部屋へとか,ある住まいから別のある住まいへとか いうような,その間の移動をいう場合にも,頻度高く用いられてきている。」と原義か ら離れた移動として用いられることがあること,また,「中古においても,「わたる」は, (略)もっぱら,「わたりたまふ」「わたらせたまふ」などの形で,貴人の移動をいう表 現に用いられた」と,敬語表現を伴うことが多いということも指摘している。  このように「渡る」は原義を離れ,「行く」のような意味を表す用法が多く,その場 合は「上る」「行く」「下る」「帰る」と同様に,経路共起率が低くなる。敬語下接例の 多さと敬語下接例における経路共起率の低さはこのことの証左となる。 6. 移動領域のみ承ける動詞  移動領域のみ承ける動詞の移動領域の標示方法をまとめると表 5 のようになる。 6.1. 移動領域  移動領域を最も多く表す助詞は「に」である。 (26) 秋の夕,龍田河に流るる紅葉をば帝の御目に錦と見たまひ,…… (20-古今 0906_00001・p.24) 表 4. 「渡る」と「渡り給ふ」「渡らせ給ふ」の経路標示 対象用例数 経路共起率 を より 無助詞 係助詞・副助詞 渡る(敬語下接) 445 1.8% 3 3 2 渡る(非敬語下接) 163 23.3% 18 3 12 5 表 5. 移動領域のみ承ける動詞の場所格標示 対象用例数 移動領域 に より 流る注 9 31 5 2 漂ふ 8 3 さまよふ 7 1 駆ける 5 2

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(27) 船の行くにまかせて,海に漂ひて,五百日といふ辰の時ばかりに,海のなか に,はつかに山見ゆ。 (20-竹取 0900_00001・p.31) (28) ……,大将も督の君も,みな下りたまひて,えならぬ花の蔭にさまよひたま ふ夕映えいときよげなり。 (20-源氏 1010_00034・④若菜上 p.138)  (26)∼(28)は「に」で標示された場所の中で移動が行われていることを表しており, 別の場所への移動は明示,含意されていないため,「に」は移動領域を表している。 (29) 一町かねてあたりに人もかけらず。 (20-大鏡 1100_02001・p.157) (30) 屋の上にをる人々にいはく,「つゆも,物,空に駆けらば,ふと射殺したまへ」 (20-竹取 0900_00001・p.68)  また,(29)は「駆ける」という移動動作よりも,人がいないということに文の主眼が あり,(30)は,空を駆けるものがあれば,それを射殺せという旨の発話である。このよ うな例を見ると移動領域は,存在する場所を表す「に」と近い側面もあると言える。  「より」は「流る」とのみ共起する。(31)(32)は無情物の移動の例で,別の場所への 移動は含意されず,これらの「より」は移動領域を表している注 10 (31) 弥生のつごもりがたに,山を越えけるに,山川より花の流れけるをよめる (20-古今 0906_00003・p.74) (32) 雨と聞こえつるは,木の根より水の流るる音なり。 (20-更級 1059_00004・p.348) 7. 移動領域と経路を承ける動詞  移動領域と経路を承ける動詞の場所格の標示方法をまとめると表 6 のようになる。 7.1. 経路  移動領域と経路を承ける動詞の経路の標示は無助詞の例のみである。 (33) この常不軽,そのわたりの里々 Ø,京まで歩きけるを,暁の嵐にわびて,阿 闍梨のさぶらふあたりを尋ねて,中門のもとにゐて,いと尊くつく。 (20-源氏 1010_00047・⑤総角 p.321) (34) うらみつる人々,怨じ心憂がりながら,藤侍従の,一条の大路 Ø 走りつる 表 6. 移動領域と経路を承ける動詞の場所格標示 対象 用例数 経路 移動領域 起点 着点 無助詞 に より 無助詞 係助詞副助詞 より に 係助詞副助詞 歩 あり く 92 2 5 2 2 1 1 3 1 走る 34 2 1 1 2

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語るにぞ,みな笑ひぬる。 (20-枕草 1001_00095・p.189)  (33)は着点「京まで」と共起しており,「そのわたりの里々」は着点へ移動するため の経路であると考えられる。(34)は藤侍従が作者一行の車を追う場面である。場所名詞 が「一条の大路」という「道」を表す語であり,別の場所への移動は明示されていない が,作者一行の車に追いつくことが着点と見立てられるため,これも経路の例と解せる。 7.2. 移動領域  移動領域と経路を承ける動詞の移動領域の標示には,大きく分けて 4 つの方法があっ た。格助詞「に」,「より」,格助詞以外の助詞(係助詞・副助詞),および無助詞である。 (35) ……とよみてやりて,狩にいでぬ。野に歩けど,心はそらにて,今宵だに人 しづめて,いととくあはむと思ふに,…… (2)再掲 (36) ここには大夫ありければ,いかに,土にや走らすらむと思ひつる人も,車に 乗せ,門強うなどものしたりければ,…… (20-蜻蛉 0974_00010・p.295) (37) ……「この木に,すべて,いくらもありくは,いとをかしきものかな」と。 (20-堤中 1055_00001・p.415)  (35)∼(37)は「に」の例である。(35)は(2)の再掲である。(36)は火事の場面であり, 家の外を逃げ回るというような意味で,別の場所への移動の含意はない。(37)は「歩く」 動作が興味深いのではなく,そこにいるもの自体について言及している。 (38) つち Ø ありく童べなどの,ほどほどにつけて,いみじきわざしたりと思ひて, 常に袂まぼり,人のにくらべなど,えもいはずと思ひたるなどを,そばへた る小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。 (20-枕草 1001_00037・p.91) (39) 「神拝といふわざして国のうち Ø ありきしに,水をかしく流れたる野の,は るばるとあるに,木むらのある,をかしき所かな,見せでとまづ思ひ出でて, ……」 (20-更級 1059_00002・p.318)  (38)(39)は無助詞の例である。(38)は,「屋外を歩き回る」意を表す例であり,移動 領域の例である。(39)の例は作者の父から作者に宛てられた手紙である。「神拝といふ わざして」とあることから,神社という着点が含意されているように見える。しかし, その後に,「をかしき所」を見つけたが,作者に見せてやれないで残念に思うというこ とを述べている内容が続いており,神社へ行くための移動というより,「国のうちを歩 き回る」移動であるということに主眼がある。 (40) 「おいらかに,『あたりよりだにな歩きそ』とやはのたまはぬ」といひて, …… (20-竹取 0900_00001・p.25) (41) いかでいひつかむと思ふ心ありければ,つねにこの家の門よりぞ,歩きける。 (20-平中 0960_00001・p.488)  「より」は「歩く」のみに見られた。(40)は「この付近を歩くことさえ許さない」と

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いう例,(41)は女に言い寄りたいがために,「女のいる家の門の前を歩き回る」という 例であり,どちらも移動領域に特別な関心がある例と言える。  係助詞は「歩く」に係る「も」が 1 例見られた。 7.3. 起点,着点  起点は「より」,着点は「に」,副助詞「まで」(用例(33)の「京まで」1 例)が表す。 (42) 黒谷とかいふ方より歩く法師の跡のみ,まれまれは見ゆるを,…… (20-源氏 1010_00053・⑥手習 p.349) (43) かくにぎははしき所にならひて,来たれば,この女,いとわろげにてゐて, かくほかにありけど,さらにねたげにも見えずなどあれば,いとあはれと思 ひけり。 (20-大和 0951_00001・p.381)  移動領域と経路を承ける動詞は,このように起点,着点を承けるが,移動領域が起点, 着点と共起する例はない。一方,(33)のように経路は着点と共起する例がある。 おわりに  本稿では,移動が行われる場所を承ける移動動詞を経路と移動領域との共起によって 分類し,それぞれの場所格標示の方法について見てきた。ここまで述べてきたことをま とめると以下の表 7 のようになる。  中古和文では,移動が行われる場所は,経路と移動領域の 2 つに分けられ,経路は主 に「を」が,移動領域は主に「に」がその標示を担った。経路のみ承ける移動動詞は,「を」 も「に」も両方承けたが,「に」は着点を標示するものに限られた。一方,移動領域と 経路を承ける動詞および移動領域のみ承ける動詞は「に」は承けるが「を」を承ける例 は中古の段階では見られなかった。しかし,「はじめに」でも述べたように,現代語では, これらの動詞にも「を」を承ける例が見られる。そこで,その後の展開として,移動領 域を承ける動詞の格標示が,中世以降ではどうなっていたか調査する。国立国語研究所 表 7. 中古の移動の場所を承ける移動動詞の場所格標示 を に より へ 係助詞副助詞 無助詞 経路のみ承ける 動詞 経路 着点 経路起点 着点 経路着点 経路 移動領域と経路 を承ける動詞 移動領域着点 移動領域起点 移動領域着点 移動領域,経路 移動領域のみ承 ける動詞 移動領域 移動領域

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(2019)を用いて,鎌倉,室町期について調べる。調査方法,検索条件は 2 節と同様で あり,調査資料は,鎌倉期は方丈記,宇治拾遺物語,十訓抄,徒然草,海道記,建礼門 院右京大夫集,東関紀行,十六夜日記,とはずがたり,室町期は,虎明本狂言集,天草 版伊曽保物語,天草版平家物語である注 11。調査の結果は,以下の表のようになった。  「歩く」「走る」「駆ける」について見ると,鎌倉,室町期にかけて,「を」が経路のみ ならず,移動領域でも用いられるようになったということが分かる。 (44) まるごしでくに 〳 〵をありく共くるしからぬ, (40-虎明 1642_04015・上 p.524) (45) 狂人の真似とて大路を走らば,則ち狂人なり。 (30-徒然 1336_01085・p.148) (46) それより飛長房,通力を得て,靍の羽がひにのり,世界をも自由ざんまいに かけり候, (40-虎明 1642_08001・下 p.449)  一方で,「に」を用いる例は,鎌倉期には 2 例のみで,室町期には例が見られない。 このことから,鎌倉,室町期に「を」が「に」の用法に進出したということが窺える。  しかし,「さまよふ」「漂ふ」「流る」では,この時代を通してみても,移動領域の標 表 8. 鎌倉期の経路,移動領域標示 対象 用例数 経路 移動領域 を 無助詞 を に 無助詞 歩 あり く 24 1 走る 45 1 1 駆ける 4 1 1 さまよふ 2 1 漂ふ 5 3 流る 33 7 表 9. 室町期の経路,移動領域標示 対象 用例数 経路 移動領域 を 無助詞 を に 無助詞 歩 あり く注 12 26 1 5 走る 12 1 2 駆ける注 13 40 3 さまよふ 1 1 漂ふ 10 10 流る 15 1

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示には「に」が用いられており,「を」は,これらの動詞の移動領域の格標示には進出 していないということが分かる。このような中世の「を」との共起の有無で動詞を分け ると,「歩く」「走る」「駆ける」と「さまよふ」「漂ふ」「流る」とに分けることができる。  「を」が進出した「歩く」「走る」「駆ける注 14」は,移動の様態を表す動詞であると言 える。これらの動詞は,移動行為そのものを言い表す場合には,様態が背景化され,経 路を明示することができる。そのため,もっぱら経路を表す「を」とも共起し,その「を」 が移動領域の標示も担うようになったと考えられる。一方,「さまよふ」「漂ふ」「流る」 は,着点を自ら決定することのない,統御不能な移動動詞であると言える。そのため, 着点にたどり着くための経路を取ることもなく,経路を表す「を」と共起することもな い注 15  このように「を」が経路のみ承ける動詞だけでなく,移動の様態を表す動詞とも(さ らに現代語では,統御不能な移動動詞とも)共起するようになるという変化は二つの面か ら重要である。  まず,「を」の用法の拡大という側面から考えると,中古では,「を」は経路を表し, 「に」は移動領域を表すという使い分けがあったが,「を」は中世に「に」の用法に進出 した。元々「を」の用法である経路と,「を」が新たに獲得した移動領域を比べてみると, 両者は移動後に別の場所への移動が含意されているかどうかという点に違いがあるもの の,移動が行われる場所を表すという似た性質を持つ場所格であるため,「を」はこの 用法に進出しやすかったのだと考えられる。そのような意味で,場所格の「を」は中古 の時点では現代語よりも用法が限定的であったと言える。  また,「に」の用法という側面から考えると,「に」は従来,場所格としては,存在や 行為の行われる場所,着点を表すとされてきた。しかし,特定の移動動詞と共起する場 合は,着点だけでなく,移動領域をも表す。移動領域は,着点や存在,行為の場所と異 なり,現代語において「を」にその統語的位置を一定程度譲る場所格である。このよう に「に」の用法の縮小という観点からすれば,「に」の移動領域を表すという用法は他 の用法と区別して捉えるべきである。  今後は,経路,移動領域以外に,起点の「を」についても,同様に調査し,古代にお ける経路と起点の連続性を明らかにしていきたい。さらに,移動が行われる場所を承け ない移動動詞についても検討し,移動動詞の場所格標示の全体像を明らかにしたい。 注 1 本稿の用例は,国立国語研究所(2019)『日本語歴史コーパス』を用いて採集した。用例 の所在は(サンプル ID・『新編日本古典文学全集』のページ数)のように示す。表記は一 部改めた。 注 2 検索語は,語彙素読みをそれぞれ,アリク,アルク,イク,イタル,イヌ,ウツル,オ モムク,カエル,カケル,カル,キタル,クダル,クル,コユ,サカノボル,サマヨウ,

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サル,シゾク,シリゾク,スギル,スグ,ススム,スベル,タダヨウ,タツ,タミル,タ ユタウ,ツク,ツタウ,ツタワル,トオル,ナガレル,ノク,ノボル,ハシル,ハセル, ヘル,マカル,マワル,ムカウ,メグル,ワタルとし検索。その後,同音異義語,韻文の 例を除外した。 注 3 「来」,「巡る」は場所名詞を承ける例が 1 例ずつあったが,前者は「道来る人」で「追手」 の意味を表す(『新編日本古典文学全集』頭注)特殊な表現であり,後者は「そばひら」の 解釈に「周辺」や「がけの斜面」など揺れがあるため,ともに調査対象外とした。 道 Ø 来る人,「この野はぬすびとあなり」とて,火つけむとす。 (20-伊勢 0920_00001・p.125) その山,見るに,さらに登るべきやうなし。その山のそばひらをめぐれば,世の中に なき花の木ども立てり。 (20-竹取 0900_00001・p.32) 注 4 以下の例は絵に描かれている風景の描写であり,別の場所への移動の有無や,直線的な 動きであるかどうかが読み取ることができないため,用例から除いた。同様の例がもう 1 例ある。 十月,紅葉いとおもしろき中を行くに,散りかかれば,仰ぎて立てり。 (20-落窪 0986_00003・p.273) 注 5 起点を表す格助詞としては,他に「を」が考えられる。松本(2016)では,起点「を」 を承ける動詞として,C 類(離る,去る),D 類(出づ)の動詞が挙げられている。本稿の 調査資料の範囲でも,これらの動詞が起点「を」と共起した例は見られる。中古和文でも 起点を標示する「を」は存在するが,本稿で対象とした動詞とは起点標示としては結びつ く例がなかったと言える。 年経つる浦を離れなむことあはれに,…… (20-源氏 1010_00018・②松風 p.401) 罪に怖ぢて都を去りし人を,三年をだに過ぐさず赦されむことは,…… (20-源氏 1010_00013・②明石 p.252) 注 6 以下の例のような「に」は方法・手段を表し,場所格を表すものではないと考える。 ……,ある修行者,御嶽より熊野へ,大峰どほりに越えけるがことなるべし,……。 (20-蜻蛉 0974_00007・p.247) 注 7 現代語では「山をのぼる」という言い方もあるが,「をのぼる」の上接語は「階」「坂」 を表す語に限られ,調査範囲では「山にのぼる」という言い方しか現れなかった。 注 8 着点共起率について見ると,経路共起率が低い「上る」「行く」は,経路共起率が高い動 詞「通る」「越ゆ」「過ぐ」より高く,着点との結びつきが強いということが分かる。一方, 同じく経路共起率が低い動詞でも,「帰る」「下る」は着点共起率が低い。これらの動詞の 場合,着点は移動の動作主が元々いた場所や所属している場所,あるいは(都に対して漠 然と)地方であることが多いため,「帰る」「下る」先は明示されなくても文脈によって理 解される。そのため着点共起率が低いのであろう。 注 9 「流る」は,①「川」などの液体の中や表面を物体が流れる②ある場所に液体が流れると いう 2 つの移動の動作が考えられるが,両者の間で結びつく格に違いはなかった。また,「流 る」には以下のように「まで」を承ける例があるが,「御慈しみの波」が起点を離れ,「八 洲のほか」という別の場所へ行きついたというよりも,「八洲のほか」まで「御慈しみの波」 が広がったということを表しているため,この「まで」は限度を表す例とし,着点と区別 する。

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あまねき御慈しみの波,八洲のほかまで流れ,ひろき御恵みの蔭,筑波山の麓よりも 繁くおはしまして,…… (20-古今 0906_00001・p.29) 注 10 (31)は,『新編日本古典文学全集』では「題詞によれば,山に登って偶然,花が流れて いる川を見たようであり」と解説が加えられ,(32)は同じく『新編日本古典文学全集』で 当該部分が「雨の音と聞こえたのは,木の根方を水の流れる音だった。」と訳されている。 それぞれ,偶然に見たことと,聞き違えていたことに注目すれば,「より」に何らかの強調 の意があるとも思われるが,本稿では移動領域に特別な関心がある例とは考えない。 注 11 テキストは『新編日本古典文学全集』(小学館),『大蔵虎明能狂言集 翻刻 解』(清文 堂出版)を用いた。 注 12 室町期には「あるく」の用例が 12 例見られた。そのうち経路の「を」と共起した例が 3 例,移動領域の「を」と共起した例が 4 例見られた。 注 13 「先を駆ける」「真っ先を駆ける」という例が見られたが,これは慣用的な表現として場 所格の例には計上しない。 注 14 「駆ける」は移動領域のみ承ける動詞に分類しているが,中古でも歌の例では経路を承 けると見られる例がある。 秋の夜のつきげの駒よわが恋ふる雲居をかけれ時のまも見ん (20-源氏 1010_00013・②明石 p.255)  駒に,恋する人を束の間見るために雲居を駆けることを願う例であるため,恋する人の もとが着点であると考えられる。そのため,この「を」は経路を表す例であると考えられる。 注 15 「さまよふ」「漂ふ」については中世においても起点,着点を承ける例は見られなかった が,「流る」については,鎌倉期に起点「より」が 1 例,室町期に起点「から」が 2 例,着 点「へ」が 1 例見られた。 ……,夜の御殿に参りたれば,御帳の中より血流れたり。 (30-宇治 1220_06009・p.221) 「大雨がふつて,山などがくづれて,山のいもが川へながれて,それがうなぎに成と申 (40-虎明 1642_04016・上 p.531)  「流れる」移動には上から下などの一方向性があり,その一方向性が前面に出た結果,「移 動領域内を動く移動」から「起点から出て,経路を通り,着点へ至るというような移動」 へ移動の意味に変化が生じ,起点,着点と共起するようになったのだと考えられる。 参考文献 加藤重広(2003)『日本語修飾構造の語用論的研究』ひつじ書房 加藤重広(2006)「対象格と場所格の連続性」『北海道大学文学研究科紀要』118,加藤(2013) 所収 加藤重広(2013)『日本語統語特性論』北海道大学出版会 金水敏(1993)「古典語の「ヲ」について」仁田義雄 編『日本語の格をめぐって』くろしお出 版 国立国語研究所(2019)『日本語歴史コーパス』https://pj.ninjal.ac.jp/corpus_center/chj/(2019 年 10 月 1 日確認) 此島正年(1973)『国語助詞の研究 助詞史素描』桜楓社(初版は 1966) 近藤泰弘(2000)『日本語記述文法の理論』ひつじ書房

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杉本武(1995)「移動格の「を」について」『日本語研究』15 寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版 中村幸弘(2001)「存在詞「わたらせたまふ」と,その周辺」『國學院雑誌』102-11 松尾拾(1944)「客語表示の助詞「を」に就いて」橋本博士還暦記念会編『国語学論集 橋本博 士還暦記念』岩波書店 松本昂大(2016)「古代語の移動動詞と「起点」「経路」──今昔物語集の「より」「を」──」『日本 語の研究』12-4 三宅知宏(1996)「日本語の移動動詞の対格標示について」『言語研究』110,三宅(2011)所収 三宅知宏(2011)『日本語研究のインターフェイス』くろしお出版 宮島達夫,鈴木泰,石井久雄,安部清哉(2014)『日本古典対照分類語彙表』笠間書院 ──スリーエーネットワーク── (2020 年 1 月 25 日 第 1 稿受理) (2020 年 9 月 8 日 最終稿受理)

(18)

34

Keywords: motion verbs, route, areas of motion, case marker wo, case marker ni

This paper focuses on differences in the case markers of locations where

mo-tion occurs in Early Middle Japanese sentences and categorizes such locamo-tions

into routes and areas of motion. Depending on whether the verb of motion

can be used with a route or an area of motion, those that can be used with an

area of motion were categorized, and the methods by which they marked

loca-tion were identified. The results revealed that the case marker for a route was

usually wo, and the case marker for an area of motion was usually ni. Verbs

that can be used only with routes were divided into two types and assessed for

whether they had a high or low co-occurrence rate with routes, namely, those

that take a route as an essential complement and those that do not. The

find-ings also indicated the process of development in Late Middle Japanese

through which wo gradually assumed the role of a case marker for an area of

motion, for which ni had previously been used. Verbs that can follow an area

of motion include verbs for which the case marker for the area of motion

changed to wo and those for which it continued to be ni into Late Middle

Japa-nese. The former are verbs that express the manner of motion, and the latter

are non-control motion verbs, that is, verbs that cannot determine the arrival

point by themselves.

M

ATSUMOTO

Kōdai

Marking Routes of Motion Verbs and Areas of Motion

in Early Middle Japanese Sentences

参照

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