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「過剰性」とプロジェクション

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Academic year: 2021

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(1)認知科学 第 28 巻 第 2 号 (2021) pp. 217–221 https://doi.org/10.11225/cs.2021.002 Cognitive Studies: Bulletin of the Japanese Cognitive Science Society, Vol. 28, No. 2, pp. 217–221. 誌上討論. インタラクションから現れる生命性. コメンタリー. 「過剰性」とプロジェクション 嶋田 総太郎 ∗ 明治大学. Excessiveness and cognitive projection Sotaro Shimada∗ Meiji University. Ikegami (2021) proposes to reinstate excessiveness as a critical subject in cognitive science. In this commentary, I will discuss what this excessiveness is, taking a hint from the philosophies of Merleau-Ponty and Henry. When we create representations from bodily information, it is impossible to make representations of all the information we receive, and what leaks out here should be called “excessiveness”. In this context, the possibility of being able to handle phenomena that are difficult to verbalize, such as qualia and affectivity, emerges. Furthermore, in relation to deep learning, I would like to discuss contraction and expansion of the representation. Autoencoder is a technology for compressing data while maintaining the original information, and can be divided into an encoder part that compresses the input into latent variables, and a decoder (generator) part that restores the original information by appropriately expanding the latent variables. Generative deep learning is an extension of the generator, which can reconstruct information from appropriate latent variables. I would like to consider how this generative deep learning can regenerate excessiveness from contracted representation and discuss the relationship between the generator and cognitive projection. Keywords: excessiveness(過剰性),qualia(クオリア),affectivity(情感性),latent space(潜在空間),cognitive projection(認知的プロジェクション),embodied cognitive science(身体性認知科学) Received 29 December 2020. 1. 「過剰性」の認知科学 池上論文 (池上, 2021) は「この論考は,認知科学. 深層学習の関係について議論しようと思う. まず身体性認知科学について簡単にまとめておこ う.私たちの認知は身体による制約を受けている.. において生命性を復権させようというものである.. これは,まず第一には眼や耳などの感覚受容器が受. 生命性とは情報の流れに見る過剰性のことだと考え. け取れる刺激の範囲による制限から来る.私たちの. る.科学研究は,過剰性を圧縮して余分なものを捨. 眼は 380∼750 nm の波長の電磁波を受け取れるだ. てさることで本質が見えるとするが,ここではむし. けであるし,耳は 20∼20,000 Hz の波長の空気の振. ろ過剰性を引き受けることで,生命システムとして. 動を受け取れるだけである.この範囲を超える刺激. の知覚研究とする」という刺激的な文で始まる.ま. は私たち人間には知覚できない.このことはたとえ. ずはこの部分を「過剰性」 (=「生命性」だが,本稿. ば人間よりも高い波長の音(超音波)を聞き取れる. では一貫して「過剰性」という用語を用いる)の概. イヌやコウモリなどを考えればわかりやすい.第二. 念を鍵として,Merleau-Ponty(メルロ=ポンティ). には,私たちの脳神経系は環境において適切な行動. と Henry(アンリ)の哲学を参照しながら,身体性. がとれるように進化してきたので,自らの身体の運. 認知科学的に引き受けてみたい.さらにそこから情. 動制御に必要な情報を優先的に処理するようにでき. 報の縮約と展開について考え,プロジェクションと. ているということである.この世界で生き残るため. ∗ E-mail: sshimada@meiji.ac.jp. には,外界から入ってくるすべての情報に対して平. ISSN: 1341-7924 © 2021 Japanese Cognitive Science Society. 217.

(2) 218. 嶋田/認知科学 (2021) 28(2) 217–221. 等に時間をかけて処理をする暇などないので,自分 の生存にとって必要な情報を瞬時に取り込み,適切 な行動をタイムリーに取れるようにと脳は進化して. 2. 過剰性とは何か それにしても,ここで失われてしまう「過剰性」. きたはずである.もちろん人間には身体性を超えた. とは何なのだろうか?それは,その中に池上が「生. 認知能力が備わっているのであるが,進化の歴史に. 命性」を見る何かである.ここで池上論文の中から. 目を向ければ人間の認知のあらゆる側面にその名残. 二つの可能性を見出すことができる.一つは Brooks. を見ることができる,というのが身体性認知科学の. のロボットに関する考察から,もう一つは海を久し. 基本スタンスであると思う.. ぶりに見たときのエピソードからである.. 第三に,これが池上論文の主眼であるのだが,身. まず前者から見ていこう.Brooks のサブサンプ. 体性の情報から「表象」を作り出す際に起こる制約. ション・アーキテクチャは, 「表象」がなくても環境. である.平たく言えば,私たちは上記の制約を通過. での「知的な」振る舞いが出現しうることを示した. して受け取った情報(既にこの時点で多くの「情報」. 歴史的な例である.私たちは,世界を(少なくとも. が抜け落ちている)のすべてを「表象」にできるわ. ある程度は)忠実に表現したものが脳のなかに存在. けではない.そもそも「表象」とは何か,というと. していると考えがちである.しかしながら計算論的. ころからして難しい問題なのだが,人間が脳(心). に考えれば,そのような表象は必ずしも必要ではな. のなかに作り出す参照・操作可能な「何か」だとと. く,外界からの入力情報に対して適切な行動を導く. りあえずしておいても,やはり受け取ったすべての. ためのルールが存在していれば十分だということが. 情報を「表象」にすることはできない,というのは. わかる.Brooks のサブサンプション・アーキテク. 正しいだろう.このときに漏れ落ちるものが「過剰. チャはその「ルール」を具現化したものであり,そ. 性」なわけである.. こには外界を表現する表象は存在しない.池上はこ. 身体性の哲学を打ち立てた Merleau-Ponty は,そ. れを推し進めて,Brooks における外界とは「表象. の著書『見えるものと見えないもの』(1964)の中. し得ない外部」であるとしている.従って,外部と. で, 「しかし世界のこの絶対的な近さは,それをよ. の接触はつねに「ミクロなびっくり」を引き起こす. く検討し,言葉に表現しようとするやいなや,不思. という.これこそが過剰性の第一の要素であろう.. 議なことに,埋めようもない距離になるのである」. もう少し解説しよう.いまロボットがある環境に. (Merleau-Ponty, 1964, p. 18 滝浦・木田訳 1989) と. 適応しなければならないとしよう.このとき,ロ. 述べている.筆者はこのくだり(ぼやき)が好き. ボットは環境の状態に応じて適切な行動を取らなけ. で,よく引用するのだが,まさに「過剰性」を扱う. ればならない.このルールを自らの内部に持ってい. ことの難しさが表れている.身体性のレベルでは,. なければならない.このとき環境からの詳細な情報. 多くの情報がすでに捨象されているとはいえ,こ. すべてを用いてルールを作成するとすると,ロボッ. の世界で行動するためには十分な情報が与えられ. トが遭遇する環境情報は全く同じということはあり. ている.生物はこの情報を十全に駆使してこの世. 得ないので(色や見えなど,あらゆる情報が常にす. 界で生きている.このような身体性レベルの情報を. べて同じだと仮定することはできないので),すぐ. Merleau-Ponty は「絶対的な近さ」と呼んでいる.し. に膨大な量のルールが必要となってしまう.従って,. かし,この情報をひとたび表象(ここでは「言葉」). ロボットはさまざまな状況において一貫して現れる. にした途端に何かが失われてしまい,それを埋め合. 重要な情報にポイントを絞って,それ以外の不必要. わせることは二度とできなくなってしまう.身体性. な情報を捨象した比較的シンプルなルールを持って. から言語へ,無意識から意識へ,あるいは生のデー. いることが望ましい.別の言い方をすれば,ロボッ. タから表象へと昇華する際に,そこにある「何か=. トのルールは「過剰性」を捨象したものであるべ. 過剰性」は失われてしまう.池上論文はこれをもう. きである.すると今度は,ロボットの環境との遭遇. 一度,認知科学の俎上に載せようという刺激的な提. は,常にこのルールからの逸脱,すなわち「ミクロ. 案である.. なびっくり」を必然的に含まざるを得なくなる.こ れはいわゆる「予測誤差」でもあるが,これが「ク オリア」ではないかという池上の指摘は非常に示唆.

(3) 嶋田/認知科学 (2021) 28(2) 217–221. 219. 的である.私たちは自らの表象の内部にクオリアを. い出したとき,その情感性を追体験することは可能. 実現することはできないが,目の前の事物の入力に. である.表象に情感性を引き起こす力が残されてい. よって,つまり外部の助けを借りてクオリアを体験. ることは確かであろう.しかし表象の中にそのまま. するのだという考え方は説得力がある(ロボットが. (縮約されずに)情感性が保存されているというの. クオリアを感じるのかという議論はひとまずここで. も違うだろう.少なくとも実物を目前にしたときと. は脇に置いておく).クオリア=過剰性は表象でき. 同じ強度の情感性は表象には残されていない.おそ. ないが,体験できるのである.クオリアは「表象の. らくは,表象を「展開」するときに情感性が再び現. 向こう側」の現象なのである.. れるのであろうが,そのメカニズムは十分に検討し. もう一つの後者の例を見てみよう.池上はドライ. なければならない.ここでは「情感性」もまた「過. ブをしていて久しぶりに海を見たときの「あ,海だ」. 剰性」として表象から漏れ落ちるものであるという. という「純粋な驚き」について述べている.これは. 可能性を指摘しておくことにしたい.. 「縮約の向こう側」であり「過剰性」だという.こ こに現れている過剰性は何だろうか?上で述べたよ. 3. 縮約と展開=プロジェクション. うなクオリアだと言っても良いのだが,筆者はここ. オートエンコーダは元の情報を保ったままデータ. にもう一つの契機を見たい.それは「情感性」であ. を圧縮する技術である.これは入力を潜在変数へと. る.おそらくその「驚き」は海の美しさを見たとき. 次元圧縮するエンコーダ部と,それを適切に展開し. の「喜び」であったり,あるいは海の激しさや厳し. て元の情報を復元するデコーダ(ジェネレータ)部. さを見たときの「恐れ」であったかもしれない(も. に分けられる.このジェネレータ部を発展させて,. ちろん「驚き」も基本情動の一つであるが).. 適当な潜在変数から情報の逆構成を行えるように. 情感性とは哲学者 Henry の言葉であり,情動や感. したものが,池上論文でも取り上げられている生成. 情の本質を成すものであり「自己が自己自身を感じ. 的深層学習であり,GAN はその代表である.GAN. ること」である (Henry, 1963 北村・阿部訳 2005).. を用いれば元の情報をさまざまに変換することが可. 情感性とは,知覚が表象を介さずに直接引き起こす. 能であり,例えば写真を入力としてゴッホのような. ものである.いま私たちの目の前に久しぶりに見た. タッチの絵を生成することができる.これを用いれ. 海が広がっている.このとき,私たちは「海」の表. ば現実に限りなく近い「非現実」を生成することが. 象を賦活させ,その結果として情動を生じさせてい. できる.経験したことのないことを「経験」するこ. るのだろうか?Henry の考えでは,そうではない.. とが可能になる.池上が指摘するように,ここには. 海を見たときに私たちの中に湧き上がる情動は決し. 単なる縮約ではない,生成的な表象があると考えら. て表象を賦活させた結果ではない.そうではなくて,. れる.. 海の知覚が直接的に情感性を引き起こしているので. 筆者がここで考えたいのは,仮に情報が表象にな. ある.LeDoux (1996) が示したように,恐怖刺激を. る際に「過剰性」を失ったとしても,それを再び展. 処理する脳の経路には速い経路と遅い経路があり,. 開する際に「過剰性」を自ら付加していくことはで. 速い経路は表象を介さず直接扁桃体を賦活させ,恐. きないのかということである.表象を展開する際に,. 怖反応を引き起こす.一方の遅い経路は大脳皮質を. 失われた身体的意味や情感性を付加していけるので. 経由して対象に対する精確な処理を行う.情感性は. はないだろうか.このとき最終的に表れるものは,. 速い経路を介した身体的な反応であり,表象は必ず. 最初に受け取った情報と全く同じであるとは限らな. しも必要ない.. い.というよりは,むしろ自らがそのときに発現で. 上の議論でもわかるように情感性は「表象」では. きる内発的な過剰性でそれらを補うのであるから,. ない.とすると,この情感性も情報を表象へと縮約. そこには「自らにとっての過剰性(=身体的意味). する際に抜け落ちるものなのだろうか.おそらくそ. に彩られた認知」が現れるであろう.すなわち,認. うだと筆者は考える.しかしながら,表象が情感性. 知はその都度生成的であり,その都度異なるものに. を賦活させることができないかというと,決してそ. なる.. んなことはないというのも一方では真であるので, 厄介である.自分が感動した出来事を後になって思. これを実現するのが認知的プロジェクション(投 射)である (嶋田, 2019; 鈴木, 2019, 2020).プロジェ.

(4) 220. 嶋田/認知科学 (2021) 28(2) 217–221. クションとは,従来の認知科学における知覚から表. 事実上不可能であることを指摘している (Bergson,. 象へと向かう処理の流れを逆転する考え方であり,. 1896 合田・松本訳 2007).これはプロジェクション. 内部表象を外部の対象に投射することで世界を認識. の考え方とも親和性が高いといえる.一方,Meillas-. するというモデルである.プロジェクションの詳細. soux はこの Bergson の見解を放棄することで,すな. は他へ譲るが,ここではプロジェクションとは一種. わち「記憶」が入り込まない純粋な知覚(=減算). のジェネレータであるという点を指摘したい.GAN. を考え抜くことで,新たな哲学を打ち立てようとし. のジェネレータは潜在変数を与えることで,それら. ているようだが,それがどこまで成功するのか,そ. しい情報を逆構成できる.プロジェクションはこれ. れは Meillassoux の哲学がジェネレータ部の豊潤さ. と同じで,元の内部表象を賦活させることで,外部. についてどこまで説明できるのかにかかっているよ. の対象を認識するための表現を生成するのである. うに思える.. (ここで対象とのずれ=「誤差」が生じれば「ミク. 一方,深層学習が認知のモデルとなり得るのかに. ロなびっくり」が引き起こされ,さらなる「過剰性」. ついては,今後の興味深い展開が期待できそうで. が生み出されるだろう).これまでの認知科学や心. ある.エンコードするときに私たちは「過剰性」を. 理学のモデルがエンコーダ部に着目してきたのだと. どこまで削ぎ落しているのか,そしてジェネレータ. すれば,プロジェクションはジェネレータ部に着目. はそれをどこまで復元できるのか.つまるところ,. した認知モデルだと言える(もちろん両方とも重要. 表象とは何であるのか.それを考えるための一つの. なのは言うまでもない).. ツールとしての価値を,今後の深層学習研究は含ん. プロジェクションの考え方によれば,私たちは世. でくるだろう. 「ニューラルネットワークの Z 空間. 界を認識するときに内部表象を賦活させそこから世. (潜在空間)の縮約を解くアプローチの中に生命的. 界を認知するのだが,このとき単純に知覚的表現だ. な認知の本質がある」.池上論文の結論部は,今後. けを再現するのではない.そうではなくて,そこに. の認知科学の一つの方向性を指し示しているとい. 認知的な「意味」を付加しながら再現を行うのであ. える.. る.たとえば,おばあちゃんのお墓参りをしたとき を考えてみよう.このときおばあちゃんのお墓の前 で墓石を見るわけだが,単に四角くて灰色の石を見 た,というのでは認知として十分ではない.私たち はそこに「おばあちゃんの存在」を感じながらお墓 に手を合わせ,おばあちゃんに対して話しかけるの である.この心的プロセスはエンコーダ部だけをい くら考えても説明ができないだろう.これを説明す るための鍵は明らかにジェネレータ部,すなわちプ ロジェクションにある.私たちは墓石だけでなく, それがおばあちゃんのお墓だという情報を頼りに, 「おばあちゃんの存在感」という「過剰性」を生み 出しているのである.. Meillassoux (2008 岡嶋訳 2018) の「減算」モデ ルは,クオリア的なエンコーダ部の哲学としては 有効かもしれないが,ジェネレータ部を考えるのに も果たして有効なのだろうか?「純粋知覚」を際立 たせるためとはいえ,Bergson の「記憶力」を切り 捨ててしまったときにこのジェネレータ部について の可能性も切り捨ててしまってはいないだろうか?. Bergson は私たちの知覚には常に過去の記憶が入り 込んでいること,知覚と記憶とを区別することは. 文 献 Bergson, H. (1896). Matiere et memoire. Presses universitaires de France. (ベルクソン, H. 合田 正人・松本 力 (訳) (2007). 物質と記憶 筑摩書房) Henry, M. (1963). L’essence de la manifestation. Presses universitaires de France. (アンリ, M. 北村 晋・阿部 文彦 (訳) (2005). 現出の本質 (上・下) 法政大学出版局) 池上 高志 (2021). 生命理論としての認知科学:減算と 縮約の哲学をめぐって 認知科学, 28 (2), 198–210. https://doi.org/10.11225/cs.2021.007 LeDoux, J. (1996). The emotional brain: The mysterious underpinnings of emotional life. Simon & Schuster. ` proMeillassoux, Q. (2008). Soustraction et contraction: A pos d’une remarque de Deleuze sur Mati`ere et m´emoire. Philosophie, 96, 67–93. https://doi.org/10.3917/philo. 096.0067 (メイヤスー, Q. 岡嶋 隆佑 (訳) 減算と縮 約:ドゥルーズ, 内在,『物質と記憶』 メイヤスー, Q. 岡嶋 隆佑・熊谷 謙介・黒木 萬代・神保 夏子 (訳) (2018). 亡霊のジレンマ:思弁的唯物論の展開 (pp. 211–264) 青土社) Merleau-Ponty, M. (1964). Le visible et l’invisible, suivi de notes de travail. Editions Gallimard. (メルロ=ポンティ, M. 滝浦 静雄・木田 元 (訳) (1989). 見えるものと見 えないもの みすず書房) 嶋田 総太郎 (2019). 脳のなかの自己と他者:身体性・社会 性の認知脳科学と哲学 共立出版 鈴木 宏昭 (2019). プロジェクション科学の目指すもの 認知 科学, 26 (1), 52–71. https://doi.org/10.11225/jcss.26.52.

(5) 嶋田/認知科学 (2021) 28(2) 217–221 鈴木 宏昭 (編)(2020). プロジェクション・サイエンス:心 と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学 近代科 学社. 221 嶋田 総太郎(正会員). 2001 年慶應義塾大学理工学研究 科計算機科学専攻博士後期課程修 了.博士(工学).東京大学大学 院総合文化研究科にて日本学術振 興会特別研究員(PD)等を経て, 2006 年から明治大学理工学部専任 講師.同准教授を経て,2015 年より同教授,現在 に至る.脳機能イメージングおよび行動実験の手 法を用いて,身体性と社会性の認知脳科学研究に従 事.人工知能学会,日本心理学会,Society for Neuroscience,他各会員..

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