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一経験論者,ジョン・ロックの言語観

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Academic year: 2021

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(1)Title. 一経験論者,ジョン・ロックの言語観. Author(s). 葛西, 清蔵. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 21(1): 14-24. Issue Date. 1970-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3976. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . l vo ・21 No .・. f 日0 l d i d。 Uni i f Bduca i Journa l。 i t t くa t ver s on (sec on t A) yo. l Ju y ,1970. 一 経 験論者, ジョ ン・ロックの言語観 葛. 西. 清. 蔵. 北海道教育大学函館分校英語学研究室. izo KASAE Lingui ic i ic Viewpoint of John Locke, the Empi t Se s st r. 内. oチョムスキーへの距離 o 無変化詞について. 容. 1. o 一般意味論的性格 。・. が指摘され, 0 . チョムスキーの文法理論を中心にして, 今までの経験主義的な言語観の弱点 デカルトの合理論が強力に取りあげられる様になって来た. 本稿に於いては, 少なくとも言語理 論に関する限り, よく問題とさ れる様に, 経験論対合理論という形で問うことが出来るものかど 一経験論者 ロ ックの場合についてその言語観にふれてみたい. うか等, その他二点につい て,・ 1, かつての文法理論では, 少なくとも言語習得に関しては, 経験論が前提とさ れており (パ ターン・プラクティスにもその例は見られよう) , 文法, 或は文法教育で扱うのは, もっ ぱら現実 に発せられた言語そのものであっ たと言っていい. しかしこの様な研究態度では説明さ れ 得ない 事項のあることが示され, ここで大きく方向を かえ, 発話に至る 心理的な過程が文法理論の中で も重要な位置を占めることになって来た, そしてこの心理 的な過程は人間に共通にみられる生得 的な能力にもと づくものであるとして, デカルトの合理論にその理論的な根 拠を求めていたこと はよく知るところである. 当時の哲学者も叉多くそうである様に, デカルトの著者の中でも言語 S C O“γs にふれた個所は散見さ れるのであるが,その中でも最も重視されているのは「方法序説」(DZ 1 ) 即ち 「いかほど愚鈍な人間にでも出来る程 de 勿 粥ゑ物od e ) の中の次の個所であると思われる, 度に, 目の前で出来る一切の意味に対して応答出来るだけの言葉をか れこれ按排する機械は考え られない」 とまず機械と人間の差異について触れ, 続けて 「理性」 はどんな種類の出来であって もこれに応用しうる 「万能の道具」 とみられ, 「色々の言葉をあっめて按排し, これらをもって 談話を構造し自分の思うことを解らせれぬほ ど鈍重で愚昧な人間は痴呆者を除外しないでも, 一 人も居ない」 という. 叉 「動物は……言語活動のなしうるものの皆無である」 ことが極めて著し い 事 実 で あ ると い う の で あ る,. こ の 内 容 の こ れ と して の 正 当 性も土言 うま で も な い が, こ れ こ そ チ. ョ ムスキーがデカル トを取りあげ, 人間の生得的な, 共通にみられるものとしての言語能力をふ Sおcs 〆”” 乙Z“g%Z ま え, 経 験 論と 対 立 的 に 自 分 の 理 論 を 展 開 す る 論 拠 と な る の で あ る. 事 実 CαγZ8 s. 2 ) 哲学的には, 経験 に於いては上掲の個所をまずあげて合理論の正当さの説明を展開している. - 14 -.

(3) . 「 : ・ 三. 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要(第ー部A). 昭和45年7月. 論の欠点は, 仮りにす べての認識が経験のみから来るものとすれば, 経験の異る人間の間に共通 の意識は成りたたない筈である, という一事をもってしても (叉これが合理論の重要な論拠とも な るの で あ ろ うが) 充 分 に 指 摘 さ れ 得 る.. い ず れ に して も チ ョ ム ス キ ー は, 「言 語習 得 に つ い て,. 3 )と言い, カッツは 「経験論 経験論は論破出来るものであり……経験論的考察は空虚である……」 4 )と言って経験論は不充分さを指摘するのである. 然しなが 的仮説では言語習得は説明出来ない」 ら後でも触れる様に, 当のチョムスキーが, 生来の生得的なものに加えて, 非常にわずかな未知 の部分は経験から来ることを示している様に, 経験そのものを全面的に否定し去ってしま ってい るわけではないと言えるわけで, 上に あげた様な言葉もあくま でその不充分さを述 べた言葉とし て受けとる方がより正確であろう. この様な立場があらわれると, 叉一方では, 合理論, 経験論の立場はそれとしてその依 って立 つところは認め, 「言語の習 得は人間に理性があるからこそ可能なのだが, どういう具体的な言 語を習 うかということは, その個人が後からおか れた社 会環 境によって後天的に定まる」 のであ って, 言語習得について は, 「「合理論」 と 「経験 論」 が仮りにあるとすれを, そ れはより高次の Synt he eへと揚棄されなけれ ばならない」 という素朴な折衷案でこの問題を提出しなおしている s ) 学 者 も い る.5. 合理論か, 経験論かという問題はそれとして哲学的に既に認 識論の中で扱われている問題であ るが, 言語理論に関してこういう形, つまり合理論か, 経験論か, 或は叉両者を Synthese へ と 揚棄したものか, という問題の設定の仕方が果してどういう意味を もつものであろうか, 一般的, 抽象的な議論よりも, まず当の経験論者であるロ ックの考えるところか ら探り出してみたいと思 う. 2.. ””7 z z Es班γ CD“GBγ〃〆“g 冴“’ ロ ッ ク の 理 論 が, 言 語 に 関 して よ く 展 開 さ れ て い る の は 月7. び Z“g ( 「人間知性論」 ) 7 2α好s郷7 2α , とくにその第三巻であろう. 彼の理論は言う , 「人間悟性論」 ま で も なく フ ラ ンス の合 理 論 に 対 立 す る も の と して う ち 出 さ れ た の で あ っ て, 既 に デ カ ル ト の. 「方法序説」 を引いてみた様に, 合理論に於いては, 認 識は生得的な観念がありその合理性に基 づく, 人間共通のものであるからこそ人間としての, 共通な認識が成りたつのである, とするの l t abu a rasa) な の で あ っ て, そ こ に 個 々 の 経 験 か ら 単 純 な に対して, 人間の心はもともと白紙 ( 観念が受けとめられ, それらが集って, 一つのより複雑な観念, 複合観念ができていくのだとす 6 ) が言語で i る. そ して こ の 観 念 に 対 す る 記 号, 「words are sensible s gns(観念の可観的記号)」 あると定義する. ソシュールは概念とそれに対する聴覚映像の組合せを言語とし, 現在, 記号の 体系を言語と見るのも本質的には大して違うものではない. 後に順を追 って明らかになる様に, ロッ ,クの言語観の正当さは, まさに 「観念の可観的記号」 と言語を定 義 したところからはじまる. ) の中で極めて適切 観念と対応する記号と しての言語に関連して, フオル レソデルはその哲学史7 に次の様にの べている.. シラブル. 「我々の認識をなす この単純表象……から恰かも字母 から諸々の語節が. 出来上 る如く 悟性活動による助力によ って, 複雑な観念, 或は複合観念が出来る, ……複合表象 は全く我 々の悟性の抽象或は普遍化に他ならぬ」 (傍点引用者) のである. 即ち我々の個々の経 験から得られた個々の観念は, 恰かもアルフ ァベッ トの各文字から, その組合せによっ て様々な 語が出来るのと同様に, 複雑な観念が構成さ れていくというのである. 然るにロックにとっ てこ れらの観念の記号が言語だったのであり, これが論拠となって合理論的な言語観と対立するわけ である. ところでこの過程の中で軽視し てはならない極めて重要な点があることにふれてみたい. 傍点をほ どこした上掲の個所からも既に推測出来ることであるが, 単純な観念が集って複雑な観 - 15 -.

(4) . ・ VO I .1 .21 No. i f Educa i i t ido Univer t f Hokka lo on I A) Journa t on (Sec s yo. l Ju y ,1970. 念が出来上るというとき, そ れは観念がただ雑然と集 っ て複雑なものになるのではなく, フオー ル レ ソ デ ル の 言 い 方 を か り れを 「悟性の助力」 による抽象化, 普遍化によ っ てはじめて高次の複 合 観 念 が 出 来 て いく と い う こ と で あ る. ロ ッ ク 自 身 の 言 葉 に よ る と 「the mind. has a Power. ) のであっ て, この抽象力を通し 8 (心はその概念を抽象する能力をもつ)」 ) と は カン 9 べ て, 最終的に最も抽象的な観念に至るのである. 「す ての認識が経験からはじまる」 トの言葉であるが, (むろんそ れがす べてと言うことで はないのだ が) 我々の第一の認識の資料. to abstract i tsi dea s. となるものは個々の知覚によっ て得られたものであり, これが基礎になっ て一定の認識が成りた つ の で あ る.. こ の こ と は 心 理 学 的 に も, 叉 近 く は サイ バ ネ テ ィ ク ス な ど 脳 と の 関 連 に お いrて 人 間. l o ) 然し の認識能力が追求されるに従っ てますますその正当性が明らかになりつつあると言える. は が があ 先にもふれた 知覚 個人的な欲求に影響されること ること 心理学の教えるところである. 様に言語 は窓意的な記号の体系である, というのが今の言語の一般的な定 義であろうが, ここで 言う記号と は固有名詞的に一対一に対応するものばかりではないのであっ て, より正確に は個々 の具体的な指示物から抽象された観念, 或は概念に対応するものである。 この抽象する能力 は, それによっ て概念を構成す る という意味で概念構成の力, 概念化の力とよんでもいいものであろ ividua l s う. 「By thi s way of abstraction they are ・nade capable of rePresenting more ind. 1 1 )の thanone(こうした抽象という仕方で, 観念 は‐ 一つ以上の個物を代表出来るようにさ れる)」 1 ) とい うロッ 2 で あ り 「お よそ 言 葉 は 一 般 観 念 の 記 号 と さ れ る こ と に よ っ て 一 般 と な る の で あ る」. ク自身の言葉 からも彼の考えるところは明瞭である. この抽象能力, 概念構成能力がいかに言語 にと っ て重要なものであるか更に説明を要しまい. この能力こそが人間を他の動物から区別し, 人間の言葉を他の動物のものからはっき り 区別し て 特徴づけているものであることも推測に難く あるまい, この能力によっ て人間の言語習得が可能になるのに他ならない, (病的にこの能力を 欠く ものが典型的な失語症の一つであり) この能力こそ人間に共通で生得なものである, ここま で述 べて来ると既に ロック自身の言葉の中からも, 言語に関する限り極めてデカルトに近いもの をも感じとることが出来るであろう, この事については, 哲学者の中にも類似した意見をもつ者 も い る の で あ っ て, 例 えを , ヴィ ソデルバ ソトは, 我々の知識については全く同一の経験を意味 するものも稀であるし, 叉逆に一切の経験もなしに基礎 づけ られる普遍性もないとし, 「経験論 1 3 )(傍 は絶対的に先天的なものを否定しながらも相対的に先天的なものを認めないわけではない」 点引用者) という言葉で両論には相対的な 一面があることを指摘し ている。 合理論か経験論かという問題は先にも触れたように, 哲学の上で既に扱 われて来たものであっ て, 例えば, 「我々のあらゆる認識は経験と共に起始する (anheben) といっ ても必ずしもあらゆ 1 4 ) という言葉なども先の ヴイ デルバ ソトと は 叉 る認 識がすべて経験から発現するわけではない」 別の意味で両論の間に位置する一つの見方を示すものとし て受けとること が出 来る. いずれにし て も経験論, 合理論 はロックの言葉から推しても明らかだったように少なくともある点について は対 立的で はなく, 根拠を一つにするところもあると言えるのであっ て, 問題はむしろ視点の違 いと言えよう. 高橋はその 「認識論」 の中で, 「経験論においては合理論におけるよりも起源 の問題が一層重視されている…… むしろそれが最も重要な問題となっ ている. ……対象認識の本 )(傍点引用者) と一般論をの べているがこれなども, 特に ロ 1 5 性の見方に於いて は一致している」 ックにも見出される側面を示したものと言えよう. 然し結論的に最も重要なことは, ロック自身の言うところからも明らかに導き出される様に, 彼の理論の中で基本的に重要な役割を任されているのは実 は白紙とし ての心なのでは なくて, そ - 16 一.

(5) . 第 21 巻′ 第 1 号. 昭和45年7月. 北海道教育大学紀要 (第一部A). の働き, 心の作用, 機能面であるということ, 叉個々の経験 から知覚を通し て観念をつくり出す 抽象能力なのである. 「経験は能力を練磨するもの, す べき ものではあっ てもいわ ば内なる 「基」 であり, 「素」 である能力 はそれこそ習慣の以前に ある他はない. …… この働き の基礎が勝義に 6 1 ) と い う の が おそ らく ロ ッ ク の 言 葉 か ら 導 か れ る おけ る心 の 能 力 即 ち 「理 性」 に ほ か な ら な い」. 限りの最も妥当な評価と言えよう. 合理論の生得的な観念に対する ものとし ての経験論の基礎に は広義の 「理性」 とも言えるものが既に前提されている, とも言えるのであろう. 少なくともロックに関する限り, その言語観 からしては, 単純に経験論か, 合理論, 或は叉そ れらを総合的に揚棄するとかいう簡単な 問題の設定の仕方がいかにふさわしいものでない かが 明 ら かで あ ろ う. 「こ の 様 に し て 言 語 を習 う 子 供 は, む ろ ん “ 習 っ た “ こ と よ り も は る か に 多 く の ) と か 「何 かし っ か りし た 構 造 を 生ま れ た と き か ら 知 っ て い て, そ の 上 で 非 1 7 こと を 知 っ て い る」. 常にわずかな未知の部分を経験 からきめていけば, それで言語の構造 がわかると考えざるを得な 1 8 ) というチョ ムスキーと, (意識的にしろ, 無意識的にしろ) 結果的に は経験を重視する底に い」 生得的, 普遍的な 「理性」 的なものが前提とされているロックの言語観との間にどんな本質的な 距離があると言うのであろうか. 経験論を極めて概念化して一般的にとらえ, 単なる条件反射の 集 積 ほ どに 考 え る な ら と もか く, 少 な く と も, ロ ッ ク の 場 合 に つ い て は,. デカルトと同じほどに近い一面をもっということが出来る,. チ ョ ム ス キー の 距 離 は. (なお後にも明らかになる様に両者. ) の関心の違いは認めなくてはいけない. は 「人間知性論」 を四巻に分け, その 3 . さて次に一つの具体的な例をとりあげたい. ロック 第三巻を 「of words (言 葉 に つ い て)」 と 題し て い る. フ オル レ ソ デ ル は先 に 引 用 し た 「複 合 表 象は全く我々の悟性の抽象或 は普遍化に他ならぬ」 に続けて 「即ち意志伝達や精 神的交通ならし める事の悟性の方策に他 ならぬ. ロックが彼の主著の第三巻をそれに献げたる言語の研究の重要 1 9 ) と 言 語 を 扱 っ た 第 三 巻 の 意 味 を 明 ら か にし て い る. ロ ッ ク は こ の 巻 さ は こ こに 基 く の で あ る」 ic l es (無 変 化 詞)」 に あ て て い る。 ロ ッ ク の 考 え に よ る を更に十一章に分 け, 第七章を 「of part ides words whi ch are names of ideas in the mind, there are a great と 無変 化 詞 と は 「Bes igni fy the connexions that the mind givestoideas, os many others that are made use of t itions one wi th another or to propos , (心 の な か の 観 念 の な ま え で あ る 言 葉 の 他 に, 心 が 観 念 ,. 0 ) である, 無変化詞という 2 もしく は命題を相互に結合することを表意するために使われる言葉」 言葉そのものを か り で な く, ロ ッ ク 自 身 「to speak the language of grammarians (女 法 学 者 の 1 ) などという言い方をしているとこ 2 言語で言うと)」 .ろからもロックが当時の文法書を読んでいた ことは明白である. 当時出ていて彼が読んだと思われる文法書について調 べてみると品詞の分類 に関しては次の様になっ ている, 即ち Z P, Gr: Gγα創 粥αZZCα 47 Cα (1594) 2 gZ. 変化詞 (有数詞): 名詞, 代名詞, 動詞 不変化詞 : 副詞, 接読詞, 前置詞, 間投詞 A1 2α Co%gγ””” exander Hume: 0チ 物e o死 加増γ”力み彰 α7. 変化詞 (有人称詞): 名詞, 代名詞, 動詞 不変化詞 (非人称詞): 副詞, 前置詞, 接続詞, 間投詞 A1exander Gi l l: 乙ogo加 粥 卿 A7 ばα (1621) 2 gZ. 変化詞 : 名詞, 代名詞, 動詞 不変化詞 : 冠詞, 副詞, 接続詞, 間投詞 7- -1. T 物e β“加 粥 7 o7 2 g“” (1617).

(6) . VO 1 ,21 No .I. i i i i do Uni lof Hokka Journa t t t on (Sec on 工A) ver s y of Educa. l Ju y ,1970. l l Char Z es But er: E7 S珍 Gγα粥粥αγ (1634) 2gZ. 変化詞 ; 名詞, 代名詞, 動詞 不変化詞 : 副詞, 前置詞, 接続詞, 間投詞 Be I I Jons on: β7 2g/癖姦 Gγα伽粥αγ (1640). 変化詞 : 名詞, 代名詞, 動詞 2 ) 不変化詞 : 副詞, 前置詞, 接続詞, 間投詞2 が そ う で あ る. そ の 分 類 の 類 似 して い るこ と に 驚 か さ れ る が, こ れ は トラ ッ ク ス (Thrax) , プ i i リ ス キ ア ヌ ス (P r s c anus ) を中心にする分類法が中世を通じて伝統的にうけつがれて来たもの. である. 何れにしても ロックが無変化詞と言うとき, 具体的には大体上のような品詞を指してい l l marks of た と 考 え て 誤 り で は な い で あ ろ う. 上 述 の 言 葉 に 更 に 続 け て ロ ッ ク は 「they are a ion o ft he some action or imitat. mi nd 「それら (無変化詞) はす べて心のある動き ある いは,. 2 3 ) と言っ て いる 即ち彼にと っ て無変化詞とは先にもふれた様に 「命題 ほのめかしの印である)」 。 を相互に結合することを表意する」 役割をもつ, 関係をさす言葉だ っ たわけであり, 観念をつな ぐ働きをする, 「心のある動き」 を表わすものだっ たのである. この言葉は極めて明瞭に日本の 古 い国語学者, 鈴木眼 (1 764~183 7) の言葉を想いおこさせる. 時枝 誠記によると鈴木は語は大 ’ ‘ ’ ‘ き く, ‘詞’ と ‘て, に, を, は’ に 二 分 し, 更 に ‘ 詞’ を ‘ 体 の 詞’ , 作用 の詞 , 形 状 の詞. に分けたと いう. そ してその ‘詞’ と ‘て, に, を, は’ の性質の違いを対照的に次の様に 示し て い る. 即 ち 三 種 の ‘詞’ が 「さ す 所 あ る」 に 対し て, ‘て, に, を, は’ に は 「さ す 所 なし」 で あ り, ‘詞 ’ は 「玉 の 如 く で あ る」 に 対 し て, そ の 玉 を つ な ぐ 働 き を す る の が ‘て, に, を, は’ で あ り, ‘詞’ は r て, に, を, は’ な し で は 働 か ぬ」 の に 対 し て, ‘て, に, を, は’ は 「詞 な ‘ ’ ’ ‘ しで は つく 所 なく」 , 詞 は 「物 事 を さ し 顕 し て 詞 と な る」 に 対 し て, 「 て, に, を, は はそ. の ‘詞’ に つける心の声」 であると言うのである. ロックは無変化詞を, 心が……命題を結合す る こ と を 表 わ し, 心 の 動 き を 表 わ す も の, で あ る と 言 う に 対 し て, 鈴 木 は, ‘て, に, を, は ’ を. 詞を玉として, そ れをつなぐ緒の如きものである, とか心の声だとして いることがその類似を示 す. 無論, 形式的, 表面的な比較は軽卒にすべきではないが, 時枝は鈴木の考え方を発展させて, 詞と辞の二分をし次の様にの べている. 辞には助詞, 助動詞, 感動詞, 接続詞などがあてられ, 詞には名詞, 代名詞, 動詞, 形容詞, 形容動詞があてられて いる, 叉辞につい ては鈴木が ‘て, に, を, は’ に対してあげたのと同様 の性質を あげている. 時枝によるとこの様な性質を基準に した語の二分類は日本語に限るもので はなくす べての言語に共通なものだと言うのである. つまり, 「語に次元を異にした詞と辞の存 することは, 日本語特有の現象ではなく, 凡そ言語といわれるものには通有の事実と考えられる」 ものであり, 「ヨー. ロッ バ語に於 い ても前置詞, 接続詞の如きはそれ自身辞と考えること が出来 2 5 ) と の べ てとこ ろ か らも 知 れる こ の様 な分 類 は他 の 文 法 家に よ っ て も いろ いろ る 品 詞 で あ る」 . ) は, 用 語 の 固 有 の 意 味 を も つ 6 な か た ち で 裏 付 け ら れ て い る も の で あ る, 例 え ば, J . ライ オ ン ズ2. ものを major な品詞として, 名詞, 動詞, 形容詞を含め, それ自身では意味を有せず, 他の品詞 に つ く こ と に よ っ て 意 味 を な す も の を minor な品詞として, 前置詞, 接続詞等を含めている. 7 ) のものも結果的には類語と 叉正確さを期すため従来 の文法とは違っ た方法で分類したフリーズ2 してちょうど従来の名詞, 形容詞, 動詞, 副詞の一部, それ以外のものが機能語として分類され 8 ) は フ リ ー ズ の 類 語 を レ ン ガ, そ れ 以 外 の も の を モ ル タ ル に1輸え て い る 個 て いる. ○. トマ ス2 .. 々の命題を結合することを表意‐ する 言葉, 玉に対する緒, レンガに対するモルタル等その表現に - 18 -.

(7) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和45年7月. 見る共通点が興味を引く. ロックの無変化詞に対するこの様な洞察力に富んだ見方は, 1 でも触 . れた様な論拠か ら発するものであって, それに沿っ て理解されるべきものである 即ち ロックは . 単純観念が集ったものから, 抽象力によっ て 般化が行なわれ, 一層抽象的な複雑 な観念が出来 上るも のとしたが, その抽象化, 概念化の過程に段階がある筈なのである おなじ様に最初から . 関係を表わす非常に抽象の度合 の高いものから比較的抽象性の少な いもの, つまり具体性の高 い ものまで存 在するのである, この前者に属するものが多く, 命題の結合を表わすも のとしてのロ ックの無変化詞の一般的な性質であったと解すべきである. むろん程度問題で変化詞と無変 化詞 を単純に明確に 二分出来るものではないのであって, 中間的なもの, 両方にまたがるものもあ る 2 9 ) としてその連続した 性質を のであり, これは時枝の場合も同様であって, 最近では 「連続説」 指摘される様に なった. 対象とする言語が違い, 時代的背景が違 い, 接触のない別々のアプローチの中でこの様な本質 的 な 点 を 一 哲 学者 ロ ッ ク が 見 て 取 っ て い た と い う こ と は 一 つ の 驚 き と い う よ り 他 は な い .. 4 . 最後に, ロックの言語観につ いて触れた い第三の点は, 今で言う一般意味論的性格である. ロ ッ ク は 「言 葉 に つ い て」 と 題し た 第 三 巻 の 最 後 の 三 章 を 夫 々, 第 九 章 「of the lmper fect ion of Words(言 葉 の 不 完 全 に つ い て)」, 第十章 「ofthe Abuseof Words (言 葉 の 誤 用 に つ い て)」 ,. 第十一章 「ofthe Remedies ofthe foregoing lmperfection and Abuses (前 途 の 不 完 全 と そ の 救済法に ついて)」 ともっぱら言語の実用 的な面の問題にあてて いる. 仮りに一般意味論 (これは いわゆる哲学的或は心理的意味論等に比して, 元来極めて実用的な 0 ) に 従 っ て ま と めて み る と す れ ば 次 色 彩 の 強 い も のだ と 思 う の だ が) の 目 指 す と こ ろ を ハ ヤ カ ワ3 のよ うに な る で あ ろ う. 1) A map i s NOT the territory it stands f r (地図はそれが代表する現地ではない) o. . 言 語は指示物そのも のではないと いうこと, 言語はあくまでその指示するものに対 する窓意的な記 号なのであっ て, 記号即ち指示物であると考えてはいけないことである. 2) The meanings of words are NOT in the words; they are in US . (言葉の意味は言 葉の中 にあるのではない. 意味はわれわれ自 身の中にある) ということ 記号に意味を与える の . は人間の方なのであっ て, その意味は個人個人で違うものであると 考えてもよい 意味は個人の . 言語生活を通じ て習得されていくものであり, 当然そこには生活背景の違いから来る個人差が生 じ得る. この様な点からも意味は個人の中にあると言える . ions whi 3) Beware of de五ni t ch are words about wo rd s , ,(定義に気をつけよ, それは言葉. についての言葉である) . できるだけ言葉に ついての言葉という抽象化された段階で考えずに, 実 例で考えよ, ということ. ある意味では一般意味論研究 の目的はここに集約出来ると言えるであ ろう. 言葉を正確に使えと いうことであり, 2) とも関連するが, 言葉は多く各人各様に使われて いる から, そこから実際的な発話の中でどんな誤解が生じないとも限らな い そこで言葉の上だ . けの抽象的な議論よりも 言葉としての記 号に対応する実際の指示物に基いてやれば 効果的な議論 が出来ようと い うものである. 4) Use i“〆Bメ 7 2”削ろ8γs and dates as reminders tha t7 zo w“ 〆〃 〃8γ ぁαsg%”c zり 肋BSα粥8. 例紹諺“g ZWZ c e . (どの様な話も二度と同じ意味をもたないとい うことを思 い出させるものとして 見出し番号や日付を使え) . これはむ しろ上記の目的を達するための具体的な方法 の一つと考える べきで, 意味の正確さを期すために, その当の語が いっ どういう意味に使われたか を示す べく , 見出し番号や日付 を付けようと いうことである. むろんこれは, 当の意味が客観的にと らえ得る - 19 一.

(8) . l Vo .I ,21 No. i i t f Educat i iver on I A) t on (Sec ido Un s lof Hokka Journa yo. l Ju y ,1970. 性質のものでない 限り大した意味 をもつものでないこ とは容易に 想像出来る, 結局その四点に し ぼってみて言えることは 意味の本質の追求よりはむしろ言葉としての 記号とその表わす指示物と のずれに関 するものと見て間違いではない. これらの点をふまえながらロックの上掲の三章を読むとき, その一般意味論的な性格をも つこ とに驚かされるが, 以下具体的な例をあげて比較してみたい, . まず 「言葉の誤用につ いて」 と題する章のなかに様々な言葉の誤用につ いて触れて いるが, そ hi h i inctideas t l s le using of words without clear and di の 一 つに, 「t , W c s worse, slgns ,or igniaed (明 噺 判 明 な 観 念 な しに 言 葉 を 用 い, あ る い は な お 悪 い こ と だ か, な thoutanythings wi. )をあげている, これは言わば, 1) の, 地図は ある 1 3 にも表意するものなしに記号を用 いること」 が暖昧か, 或はす っ かりず れてしまって いる様な場合 と考えられよう. 記号としての言葉がその 対応する指示物をはっきり指示して いないために起る誤用である. 「誤用」 に次ぐ, 「前途の不完 l l k 全とその救 済法」 と題する第十一章の中で, この様な誤用に 対しては, 「a man sha ta e care. tstand ichhe n lakesi ion no name without an idea wh igni行cat thout a s to use no word wi ,. 3ゎ とか叉別の個 所で (名まえをそ れで表わそうとする観 念なしに用いないようにす べき である)」 1y thei r words as near as may be to such ideas as は 「they must also take care to aPP common use ha s annexed them t o(言葉に結びつけ られて いる観念にできるだけぴったり言葉. を あてはめる様にも人々は心 がけねばならぬ)」“) と観念と記号のず れから起きる誤用に対する極 めて具体的な対策をの べて いる. il l ltis hard to 負nd a discourse written on any subject 次 に, 上記の誤用の他に, 「 , espec a y l not observe,if he read with attention, the same words of controversy, wherein one shal. (and those commonly the most materialin the discourse, and upon which the argument imes for another (論 lect ion ot s ingl e ideas, and somet turns) used sometimes for one col. 争について書かれた論文で, 注意深く読むと同 じ言葉が, ある場合は単純観念のある集りに使わ れ, ある場合は他の集りに使わ れると いうことの観察さ れないような論文を見出すことは困難で 9 ) と言葉の 「使用 の一定しない」 ことを あげて いる. これは上記のものとも関連する, あ 4 ある)」 る意味では地図と現地のずれであるが, これこそまさにハヤカワの言う 「いかなる語も正確には 二度と同じ意味をもたない」 と言うところとその意味するところは全く同一である, 3 5 ) を 叉 同 章 の 中 で, 誤 用 の 一 つ に 「taking words for things (言 葉 を 事 物 と 間 違 え る こ と)」. あげて いる, ロックにとって言語は観念に対する記号であることは最も本質的なことで, いく度 かふれて来たが, 今度の誤用は両者のずれ ではなく, 両者即ち記号と 指示物の混同を警告 したも ので ある, これは幼児, 未開人の間ではよく観察される事実であ り, 言葉には常にそれに対 する 実体がある (こういう意味では実在論) としそれと 同一と考える ものである.「名前と事物を同一 3 6 ) となるいわゆる未開人によく見 られるタ ブーは多くこの混同にその基礎が 視すること が問題」 あることは人のよく知るところである. 観念と記号のずれと同様, 記号と実体との混同というの は言語をもつものが無意識のうちにおかし易い あやまちであり, 思考力をもつ人間を良い意味で も悪 い意味でも特徴 づけるものであると言える, ハヤカワ の言う 「地図は現地ではないのであり, 言葉は物ではない」 という個所は表 現の仕方までそのま で あ る. 「言 葉に つ い て」 の終りの三章は既に述 べて来た様に もっぱら実用的な面に あてられており,. その扱 って いるところは概して言葉の肉離れ現象と言わ れる. ”ずれ” であるが, 最後にもう一つ. l 関 連し た 例 を あ げ た い. 同 じく 「誤 用」 の 中 で, 「men having by a long and famiiar use. - 20 -.

(9) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). de annexed to them certaini s(人々は長く使 い なれると, a. 5年7月 昭和4. 言葉に一定の観念を結びつけてしま. cβ う)」 こ と があ る の で あ っ て 「they are apt to imagine so 7 2弧γ α7 ssα“ ” co7 2%8%Zo7 2〆 “g 2 ろ郷wee彰 劾87 s α“〆 物B S忽 物万cの め7 ⑦ 〆“, that they forwardly suPPose z 坊 の 錫彫 物e“ 2の”e i r meaning i s; (そ の た めに 人 々 は と も す る と 名 ま え one cannot but understand what the. とその名まえの使われる 意味表示との間にきわめて 緊密で必然 的な結合を想像するので, だれ で 3ゎ と言 も名まえの意味するところを理解しないわけにはいかないと早まっ て想定 するのであ る)」 う. この意味するところは既に明白なように, 意味の暖昧な言葉もいく度かきくう ちに理由もな く理解出 来た様な錯覚をもつことがあることの指摘である. これは我々が日常的に経験するとこ ろであり, 話し合が抽象的になってしまう大きな原因でもあるが, 通信手段が極度に 発達し, す べての情報 が大衆的な方法で一方的に伝達され, 言語の裏に意図されて いるものを確か めること の出来ない現代では, 今まで掲げて来たどの誤りにもましておかし易 い誤 りであると言わなけれ ば な ら な い.. おな じイギリスの経験論者 ベーコンは 我々の真の認識をさまたげるものとして 四つの偶像をあ げ, その一つを ‘市場の偶像’ と名 づけた. これこそ記 号としての言語と それに対応する指示物 とのずれを問題としたものである. 即ち, 我々は言葉が単なる記 号であることをわすれて, 言葉 には常にそれに対応する実体があると考えやすい が, この様なことが我々の認識をくもらしてし ま う と 考 え た の であ る. こ の 意 図 す る と こ は ま さ に ロ ッ ク に 相 通 ず る も の で あ る.. 一般にこの様なことは哲学者の共通の関心であったらしく, ロックに先だつおなじイ ギリスの 9 8 ) の 中 で 「こ と ば の 悪 用」 と い う 項 を も う け て そ の 例 経 験 論 者, ホ ッ プ ス は 『リ バ イ ア サ ン』 , ,. を四つほどあげてこの点に触れているが, そこでも類似したものを発見することが出来る. 例え ば, その一つに 「人々がかれらの語のいみが不定であることに よりかれ らの思考とまちがって記 録する ばあい であって, そのためにかれらはかって心に いだいたこともないものを 概念として記 録し, こうして かれら自身をあざむくのである」 と言い, 叉その二つには, 「かれらが語を比輪 的に, すなわちその語が定められている以外のいみにもち いる ばあ いがあって, これによって他 人をあざむく」“) と言うあたりは同類の関心の深さを示してあまりある, 哲学者は言語に対して非常な関心をもつのが常であって, その著書の中にも, 叉言語学の歴史 の中にも言語に関連したことが発見出来ることが多 いが, 彼らがそうするのも当然であろう. 何 故なら 「No matter. i losopher takes ofthe nature andscopeofphi losophy what a view a ph ,. l ic elaborations ofitis dependent on hi hi s explanations and pub s use ofl anguage . (哲 学. 者が哲学の本質とその領域をいかに考えようとも, 哲学者は, 言語を使用してのみ, 哲学の説明 ) からである ある意味では正確な言葉による定 4 0 もでき, 人々に哲学の詳述もできるのである)」 , 義こそ がその目的であるとも言えるであろう. カルナッ ブは哲学の問題は言語の問題であ ると感 1 ) 彼 ら は 言 語に 関 心 を 持 た ざるを 得 な か っ た こ の こ と に 関 し て 特 に じて い たと 言わ れ て い る.4 ,. 4 2 ) の中で 興味を引くのは, 哲学的な根拠を異にすると言われているデカルトがその 『哲学原理』 言うところによれ ば, 我々が言語を使用するときに, 我々の表現しようとする概念を常にこれを 表記する言葉と結合してでなければ覚えていないために, 後になると伝 えようとする当の概念よ り言葉の方をより容易に想い出してしまう. それ故, 「その概念をば言葉の 〔示す〕 あらゆる概 念内容から分離するほど判明な概念をもつことは殆んどない」 のであり, 「思惟は事物よりもむ しろ言葉を相手にする」 のだと言う, だから, しばしば 「かっ て理解したと思い込み, 或は正し く理解した他の人から聞いたと いうことで, 実は理解されていな い言葉に同意を与える」 と い う - 21 -.

(10) . Vo l .I .21 No. ion I A) i i lo f Hokka ido Univer t ty of Bducat Journa s on (Sec. l Ju y ,1970. 言葉も, 既にあげたロックの 「人々は長く使 いなれると, 言葉に一定の観念を結びつけて」 しま い, 「だれでも名まえの意味するところを理解しないわけにはいかな いと早ま っ て想定してしま う」 と言うのと は表現の仕方にすぎな いと言えよう. 最後に, 同様に言葉の正確な使い方を表わす言葉としてショ ウペ ンハウェルの 「かすり傷でも 断じて許さる べきではない. 表現を明確, 正確にする力, 手段こそ, 一つの言語に価値を与える 4 3 ) と 言 っ て る と こ ろ も あ げ て お い て よ か ろ う. か らで あ る」. 論拠に異なる立場をとりながら言葉 の性質について同一の見方をしてい たと いうことは, 1 .で も触れた様に, 合理論 か経験論かという問題につい てロックの経験論の一面を表わすものとして, 叉言語に関して合理論か経験論かと (少なくともロックにつ いて) 単純に問うことが いかに危険 であるかを一層明確に示すもの であると受けとれよう. プ 5 . 以上三点に限っ て, 同じ経験論のホッ ス, 対立する合理論のデカルトの具体的な言葉の 比較によっ てロッ ク の言語観の一面をのぞいてみた, その全体を通じての言葉に対する洞察力に とんだ, 正確な把握の仕方を認めないわけには いかな い. 英文法においては, 中世を通じて来た ラテン文法を抜け出し, 言語をよく書き, よく話すための 「べし」 とし ての術ではなく, 言語事 実をありのま 見 よ う と す る い わ ゆ る 科 学 文 法 が ス ウ ィ ー ト (1845~1912), イ エ ス ベ ル セ ソ (18 60~1943) 等 に よ っ て う ち 出さ れ た の は そ う 古 い こ と で は な い.. 然 る に ロ ッ ク (1632~1704) は. 言語を観念に対する記号と見, 両者のずれに注目しそ の対策まで考えていたのであった, 全体が 経験論の立場にたつ認識論を基礎にしてるわけであっ て, その色彩が強いのは当然である (これ に対し て輿水はその 『言語哲学』 の中で 「それは, 言語の問題が人間悟性の領域に移さ れたこと のみな らず, さらに, それ がいわ ゆる認識論的に吟味せられる機会を作ったものとし て, 斯学の 4 4 ) と高く評価している.) がそれだけに言語 プロパーの研究では達し得な 上に重大な意味 がある」 かっ た点を既に見取 っていたと言える. 無変化詞についてはあまりに概念的, 一般的にす ぎるが そ れ以上 は望みすぎというものであろう, なおつけ加える べきはロッ クが言語を扱った個所の題 は of words で あ っ て, of language で は な い こ と で あ る. 結局ロ ックの言語観の特徴は, それを観念に対する記号と定 義し, そこから両者のずれの原因 を探り, その対策を 考えたり, 哲学的ではあるがあくまで人間の伝達の手段としてその正確さを 求めるという目的を失わな かっ たことにあると言える, これは 「誤用」 等を 扱った部分にも明瞭 flanguage, as the instrument of knowledge, ls o にあらわれ て い る. 「Were the imperfectiol ies that make such a noise in more thoroughly weighed, a great many of the controvers. the world, would of themselves cease; and the way to knowledge, and perhaps peace too, t do l ie a great deal sooner than i e s (か りにもし知識の道具としての言葉の不充分さがもっと. 徹底的に考量された ら, あれほど世を騒がせた論争の多くはひと りでになくなり, 知識への道は, 4 5 ) と い う言葉はそれが書かれた1 697から そし て平和への道は, 今よりずっと開けるであろう)」 270年ほど経た今日, 何ら古さを感じさせないばかりか, 今のような時代にはむしろ一層新鮮さを もっ て来るとさえ言えるであろう, 然し, 上 述 のよ う に 深 く 言 語 を 洞 察 し た ロ ッ ク が 言 語 の 起 源 に つ い て は, 「こ と ば のさ い し よ 4 6 ) と 言 う ホ ッ ブ ス と 同 様 に, 「God igned men for の作 者 は 神 自 身 で あ っ て … …」 , having des so with language, which was to be the greatest a sociable creature.,., furnished him al ie o fsoc iety instrument and common t . (神 は 人 間 を 社 交 的 の 被 造 物 で あ る よ うに … … 共 通 の 紐. ) と共に言語の起源を神に帰しているのは, 「神を信じ 4 7 である べき言語を人間に備えたもうた)」 2一 -2.

(11) . 第 21 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和45年7月. 4 8 ) と言うように個人の宗教的, 叉は時代的背景によるのであ るのは心情であって理性ではない」 時代的背景に ろ う, 註 1) 『方法序説』 落合訳 (岩波, S .69 .33)pp , 70. 2) (Harper & Row.1966) p .4 3) ASP8 f 1 『 c so プ『彰 r跨仰か oヂ S夕霧α% (M.1 .54 , T.1967) p . c.5, 53 larper & Row.1966) p 4 ) T彬 P徹郎物妙 oヂ エα”耳””gB(ト .255. 5) 『言語』「言語の構造と機能」 服部 (東大出版会, 196 7)p .20 f 『 S 1 1 4 3 2 8 9 哲学 岩波講座 意味 」( c 「 』 岩波 ) p . . , . , 6) A7 i l l i t zg 2α好sねれ燐”g, Vo s班ツ Co”GBγ”粥翌 猛“加伽 び7 ca )p onINC, .2 ,8 , (Dover pub 7) 『西洋哲学史□』 粟田他訳 (岩波, S 35 .25)pp .234 ,2 8) A7 i f )P 2 Es sの.(物.c . .101. 9) 『純粋理性批判 (上) 』 天野訳 (岩波, S .18)p .55 10) 『生物と情報』 桑原 (日本放送出版協会, S )pp .43 .72 , 73 『現代の心理学』 今田 (岩波, 19 65)pp 2 3 5 2 3 6 . , 『新哲学入門』 山崎他 (講談社, S 1 )pp .43 ,6 , 62 11) A7 sの,(ゆ,c” )p 2 Es . .17 12) ず ろ溺.p .17. 13 ) 1 4) 15 ) 16). 『哲学概論』 第一部 (岩波, S 1 .32)p ,23 m 『純粋理性批判』( 5 5 ) OP p . . . (岩波, S ,23)pp .58 , 59 『哲学大系』2 0 )p .43 ,25 . (人文書院, S. i 17) Aspeds 『 )p . .(ゆ,c ,33 2 18) 朝 日 ジ ャ ー ナ ル, 1966 ,9 , 5日 号 19) 『西洋哲学史口』( o p .αの p.235 20) A7 i f )p 2 βs sの.(op . ,c ,98 21) の′d p .102. 22 0)pp ) 『英文法史』 渡辺 (研究社, S 7 -31 .4 .184 23) A7 z gs sの.(物. メム) p .99. 24 2 34 ) 『国語学原論』(岩波, S .41)pp .23 ,2 25 7)pp ) 『日本文法・口語』(岩波,196 .65 , 66 26) み“γ 〆 i dge ‘ od“c o” f o T彩り s (Cambr γ貌伽ZLZ”gz禽”c .273 ,1968) p 27) r卿 s z粥c畑だ oず β”考協力 (Longman l Z Gγα粥加αγ α“dr彰 7 T 28 t ) Tm郡元ァ ’卿 飾れα z e α効け oヂ E7 g臨海 (Ho .53 ,1965) p 4 S 8 8 5 29) 『講座日本語の文法』2 6 2 ( 明治書院 ) p p . . , , . i 30) 乙α”g””ggz Zα”d AGZ 〆 z r卿z省ん o z zs courヒ ,1 . Hayakawa(Har ,314‐315 ,1964) pp 31) A“ E 1 2 2 ( i の s s q 物 c P y . . . 32) ず り幼.p .152 33) 〆鰯α .P .154 34) 通す α ・125 .P み斌.P 35) 省 .132. 36) 『意味論』 ピエール・ギロー, 佐藤訳 (白水社, 196 7)p .70 l 37) A7 『 )p 2 ES Sの.(り.c . .141. 38 7‐69 ) 水田訳 (岩波, S .42)pp .6 39) 必ず α . 40) GB”好餌 ”’智“煽す c s o γy s粥 卿ツ. R, H, Robins .A” 虜か瞬間f ,(Longmans ,358 ,1965) p i inger 41) S f lmberg c sα“” 品“加姻 Co粥粥””にαZ γ堀畑γα “”翌“煽す o” ,B, Ma ,(Spr ,2 ,1967) p. 42 7‐6 9 ) 『哲学原理』 桂訳 (岩波, S .42)pp .6 43) 『読書について』 斎藤訳 (岩波, S 1 ,44)p .6 44) 新版 『言語哲学』(明治図書, 1 96 6)p .62 45) A” βs ) PP sの.(o力 .c誌 . .119 , 120. ! 46) 『リヴァイアサ ン』(噂.c Z )p . ,66 i 47) A7 f )P 2 βs sの.(OP . .c .3. 4 8). ミンセ』 上, パスカル, 津田訳 (新潮社, S 1)p ,3 .184. 3- 一2.

(12) . VO I ,l .21 No. i f Educat i i i do Uni t lo f Hokka on 工 A) ty o on (Sec Journa ve rs. t r彰 Useα“〆 朋i s榔eoヂ 乙α”罫卿gB ,1966) , Hayakawa ,(Fawcet ,ed ! 乙伽翌“αgB 肋卿” “翌 α”〆 順α粥γずり,ed, Hayakawa,(Harper & Brothers ,1953) 6 S 1 ) ( 『認識』 カッシラア, 矢田部訳 培風館, . 『言語』 カッシラア, 矢田部訳 (培風館, S ,16) 『一般意味論』 A・ラボポート, 真田訳 (誠信書房, S ,40) 『論理とことば』 B・F・フッペ, J・力ミンスキー, 大久保訳 (紀伊国屋書店, 1964) 『ロ ック』 田中他 (清水書院, S ,43) 『人間知性論』 ロ ック, 大槻訳 (中失公論社, S .42) 6) 『行動と思考における言語』 ハヤカワ, 大久保訳 (岩波, 195. 一 24 一. Jul y ,1970.

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