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活用を習得、探究との関係でデザインする  -コア・カリキュラムの全体性を手がかりに-

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Academic year: 2021

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(1)論 文. 活用を習得、探究との関係でデザインする . -コア・カリキュラムの全体性を手がかりに-. 教育学研究科学校教育. 金 馬 国 晴 はじめに. した上で、過去や現在、近未来のさまざまな状況に置. 大学院や学部のカリキュラムを再検討する際などに、. きつつイメージし直し、多層的な定義を創っていくこと. 小・中、高校で何を学んできたかが問題となる。単に入. にする。. 試が終われば忘れていいその場しのぎや浅漬けでいい. 活用はそもそも、全く新しい提起であるといえるのか。. ならば、その前提もない。とはいえ、出口で高い学士. 過去、日本の戦後教育を通じては、確かに用語として. 力または専門職性が求められている近年、こうした入口. 確立していたとはいえない。だが、使用例がなかったわ. での条件もいるだろう。. けでなく、また、概念としてならば、文字通りではない. ここで重要となってくるのが、後づけ的にであれ、学. にせよ、存在していたといえないか。. 部生や院生たちが、それまで習得してきた知識・技能. ここで、活用概念の一つの源流が、戦後新教育、と. を活用し、また補い学ぶような学習活動であろう(例え. くにコア・カリキュラムといわれる論や実践にあったと仮. ば、初年次教育や研究計画の指導などとして)。. 定してみよう。そう見た場合、活用ということがどうとら. 活用は、今や世界の教育界のキーワードとなっている。. えられ、いかに何と定義できるのか。3)本稿においては、. PISA(生徒の学習到達度調査。2000 年より 3 年ごとに. コア・カリキュラムという論を、単なる歴史的な存在にと. 実施)が大きなきっかけであり、日本でも、全国学力・. どまらず、現在のカリキュラム構成における道具として活. 学習状況調査(平成 19 年度~)に、主として活用につ. かすことにする。4). いて問うB問題が設けられてきた。教育関連学会や教. 周知のように、コア・カリキュラムは戦後初期、 「学力. 育行政関係者による論議、および出版もまた、重ねら. 低下」の元凶、 「はいまわる経験主義」( 矢川 1950:244). 1). れている。. などと批判され、その後の先行研究や概説的な本に至っ. 今回改訂の学習指導要領 ( 小学校編、中学校編は平. てもそうみなされてきた。. 成 20 年、高等学校編、特別支援学校編は平成 21 年. とはいえ、コア・カリキュラムには、 「カリキュラムの. の告示 ) でも、学校教育法第10条第2項における学力. 全体構造論」 (磯田 1971:542.本稿ではむしろ全体. の要素の規定でも、活用が明記された。上述の意味で. 構成論と表現し直したい)という点に、最大の特色があっ. 内発的に、その意義を受け止めたい。. た(馬場 1954:54 ほか参照)。. それらの法令で注目したいことがある。活用があくま. 全体的、総合的、統合的な視点(以下、全体性で代. で習得、探究(または学習意欲)と関わるものとして、. 表させる)をもって、カリキュラム全体をデザインするこ. 示されている点である。だが、探究との連続性じたいが. とが提起されていたのである。この全体性という発想を. 論じられた箇所はなく、それらに至る政策文書にさかの. 活かしつつ、活用の習得、探究との関係と、活用じたい. 2). ぼって見てみても、若干の指摘があるにとどまっている。. の定義とをデザインすることが、本稿がめざすことであ. そこで本稿では、活用なるものの定義を、習得、活. る。. 用、探究との間を連続的につなぐ作業を通じて試みた い。言い換えるなら、習得、活用、探究を、連続した. 1 活用をめぐる問題-習得、探究との連続性から. 流れと見なしてカリキュラムの全体に位置づけることで、. まず、改正学校教育法と改訂学習指導要領に、習得、. いかにデザインできるかを考えるわけである。デザイン. 活用、探究の各定義、およびそれらの間の関係がどう. する、ということでは、まず一般的な捉えられ方を整理. 示されているかを整理する。この作業を通じ、検討の 教育デザイン研究 第2号 103.

(2) 活用を習得、探究との関係でデザインする . 余地が残る課題は何かを確かめよう。. 「本来 『活用型』の学習は、 『習得型』の学習成果を 『探. 学校教育法(昭和 22 年制定、平成 19 年一部改正). 究型』の学習に結びつけるために考え出されたもの. の第 30 条第 2 項は、 「生涯にわたり学習する基盤」を. であり、この意味で『探究型』の学習に結びつく『活. 培うことを目標に、 「特に意を用いなければならない」こ. 用力』を育てることが主眼でなければならない。」(安. ととして、以下の各点をあげている。. 彦 2008:5)。. 第一に、 「基礎的な知識及び技能を習得させる」こと. 活用 ( 力 ) は、習得とはもちろん、探究とも関係づけ. である。一般に学力と言われる知識と技能についてであ. てこそ、定義できるということになろう。. り、次にみる諸力との対比では、狭い意味での学力を. 本稿においては一貫して、活用を、習得、探究との連. 身につけさせることとも言い換えられよう。. 続的な関係を視野に入れて捉えてデザインしたい。そこ. そこで、習得ということを、 〈基礎的な知識・技能を. で、習得と探究の関係の間に活用が挟まれ作用すると見. 身につけること〉と定義できる。. て、まず (1) 習得と活用、(2) 活用と探究、とに分けて考え、. 第二には、これらの知識・技能を「活用して課題を解. (1)、(2) それぞれの内部における連続性と、(1) と (2) を. 決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の. 連続させたような (3) 習得と探究の関係性を、全体とし. 能力をはぐく」むことがあがっている。活用は、すでに. てつかめばよいことになる。. 習得した知識・技能について行われる学習、として読め. この時点では、次のような問題が浮上してくる。. る。しかも、活用をすることで、課題解決を果たすので. (1) 習得から活用へは、連続関係にあるとされている。. あり、そうするために必要な能力があるとされている。. まず知識・技能を習得した上で、習得されたその知識・. それが思考、判断、表現の三つに代表されるような力と. 技能を活用する段階に移る、という流れである。. いうわけだ。これらは広義の学力(能力)といえるもの. だが逆の方向性、たとえば、活用する場面で必要な. である。. 知識・技能が見えてきてから習得をする、という流れも. この学校教育法での規定から、活用とは〈思考力、. ないか。 (中教審関連のいくつかの文書で想定だけはさ. 判断力、表現力を育くむこと〉といえる。だが、活用力. れているが、具体的には示されてはいない。). とそれらの力はイコールなのか。活用自体は、異なる定. (2) 他方で、活用と探究との間は、連続関係というよりも、. 義もできるとみるべきで、本稿で、習得、探究との関係. 密接不可分と読めるものの、具体的にはいかなる関係か。. で独自な定義を試みるわけである。. なお実は、探究という用語じたいは、学習指導要領. 以上には、探究という用語は登場しない。最後の三. には、総合的な学習の時間 ( 以下、総合 ) に関わってし. 点めにあがっているのは、 「主体的に学習に取り組む態. か出てこない。だが、各教科でも探究が、また総合で. 度を養うこと」である。だが、第二の活用についての記. も活用が、なされることがあり得ないのか。. 述にあった「課題を解決する」ことを、今回の改訂学習. (3) 以上の延長線上で、活用が、習得と探究との間を媒. 指導要領で、総合的な学習の目標として挙がる「自ら課. 介するとされ、活用こそカギを握るのだが、それはいか. 題を見付け、自ら学び、自ら考え」るとの記述(これは. なる意味であり、活用はけっきょく何と定義できるのか。. 「生きる力」の定義の一要素でもある)に重ねて理解で. その習得、活用、探究という流れにおける位置づけや. きないか。そうすれば、この二点めのうちに、探究を読. 役割自体もまた、本稿の課題としたい。. み込むことができるだろう。. どれも、学習指導要領など中教審関係の文書のうち. 以上から、探究ということを、 〈自ら学び自ら考える力. に、指摘はあっても詳しく記されてはおらず、残された. を育成すること〉と定義できる。( なお、 「主体的な学. 論点となっているといえる。. 習態度」とは、習得、活用、探究の全てに絡む基底的. . なものとみるべきだろう。本稿では詳述しない。). 2 全体性あるコア・カリキュラム. これら習得、活用、探究は、以上のように、互いに切. そこで、あえて活かしてみたい道具が、コア・カリキュ. り離しても理解できるし、実際にそのように編集された. ラムというものである。その定義から明らかにしていこ. シリーズ本もある ( 浅沼編 2008 ほか )。とはいえ、改. う。. 訂に関わる中教審の委員を務めた安彦忠彦によれば、. カリキュラム論の概説、例えば日本カリキュラム学会. 104.

(3) 編『現代カリキュラム事典』では、教科相互の関連をど. たく教科の存在を認めない経験中心カリキュラムに比べ. う図るかという観点(山口 2001:21)から、教科カリキュ. て教科カリキュラムに近い」 (天野 2001:17、ほか)と. ラム、関連(相関)カリキュラム、融合カリキュラム、広. 指摘されてきたほどである。. ( 領 ) 域カリキュラムと挙げられるのに次ぎ、最後に挙が. この、周辺という課程こそ、習得が行われる場なので. る経験 ( 中心 ) カリキュラムの前段階として位置づけられ. ある。しかも、こうした習得にあたる課程は、コアとの. る(天野 2001:16-7)。. 連続性を持ちうるように、周りを取り囲む円として、はっ. コア・カリキュラムという類型は、しばしば、同心円. きり描かれてきていたのである。. でもって図示される。様々に解説がされてはきたが、例. ・広義には、コア・カリキュラムとは、以上でみたコアを. えば、日本教育方法学会編集の『現代教育方法事典』. 中心の円とし、その周りを周辺と名付けた円でとり囲ん. をみるならば、. だような図でもって、様々な意味で総合的なカリキュラ. 「カリキュラムにコア(中心、中核)をもうけ、そこ. ムの全体が意味されていた。経験カリキュラムというよ. で生活(経験、活動)を広げ・深めることを目的と. りも、統合カリキュラムというべきもので、コア・カリキュ. する課程に、その手段(道具、用具)として必要と. ラム連盟 ( コア連、1948-53) の副委員長、梅根悟は、. なった教科の知識・技能を教える課程を、有機的. 太陽系にたとえて「コアを持ったカリキュラム」 、 「コアの. に関連させた総合的なカリキュラム」 (金馬 2004:. ある全体計画」 (梅根 1948:11)などとも表現していた. 534). わけである。. と定義されている。コア(中心課程)と周辺課程ほかの. ・では、なぜコアとして、活動にあたるものを据えた. 二つの課程が、一つ一つは自律的なものなのだが、か. のか。それは先行研究にいわれるような、経験、活. つ関係付いたものとして捉えられているのである。. 動を偏重するためではない。端的に言えば、当時の. さて、近年、習得、活用、探究と呼ばれるものは、. 学 習 指 導 要 領( 一 般 編 で い え ば 1947 年 版、1951. どこにあたるといえようか。同じコア・カリキュラムと呼. 年版)にいう生活単元学習に対して、sugar-coated. ばれるものでも、各論者、各校ごとに、また全国集会. education(あんころ教育)などと批判することを意. での論議においてさえ、多様に図示がされ、各課程は. 図してであった。生活単元学習とは、教科を学ぶにあ. 多彩に設定されていた。だがほぼ共通し、今日的にもい. たって経験、体験を導入し、生活的な課題や題目でもっ. えることも含めて整理してみる。. て単元(授業の数時間のまとまり)を組むものである。. ・当時コアとされたのは社会科(学校や論者によって. これは、(生活・活動の)教科内での活用(後述)と. は、理科、家庭科、特別活動を含んだ)であったが、. いえる。. この中心は、知識というより経験・活動・体験であって、. 近年でいえば、1990 年代の新学力観以降にもまた、. 上記の類型にいう経験カリキュラム的なものであった。. 各教科の中に経験、体験が導入されてきた。話す・聞. これが狭義のコア・カリキュラムにもあたり、コア・コース、. く、算数的活動、オーラル・コミュニケーション、造. 中心課程、中心学習などと呼ばれた。これは未分化な. 形遊びなどに近い考えのものであった。. 萌芽・原基が見出せる生活活動で、遊びのように自己目. だが、コア・カリキュラムとは、こうした生活単元. 的的、との特徴が見出されてきた。. 学習をはっきり批判して、経験、体験を手段として使. 以上の意味で、このコアといわれた課程とは、今でい. うのではなく、中心に据えた社会科他での活動にまと. う総合的な学習の時間、生活科(特別活動を含むこと. め上げて充実を図り、加えて、他の教科の知識・技能. もある)に近いものといえ、探究の場としてみなせる。. も、周辺と位置づけられた時間枠でしっかり教えると. ・同時に、周辺と名付けられるような部分がある。各教. 5) いう、二重的な形態をとるものだったのである。. 科にあたるものが独立した課程として立てられて、固有. なお、ここ数十年、コア・カリキュラムという用語. の位置が確保されているという点が、戦後初期に軽視さ. 自体は、世界的に流行しているものの、アメリカの中. れがちであったが重要である。. 等教育、日本も含めて近年の医学部、歯学部、薬学部. すでに、日本カリキュラム学会編集による事典ほかで. などについて提起されているものに見るように、 「共. も、 「周辺課程は教科的内容によって構成されるからまっ. 通必修課程」あるいは「基礎課程」(梅根 1949:10). 教育デザイン研究 第2号 105.

(4) 活用を習得、探究との関係でデザインする . との意味にすぎない場合がある。教員養成学部におけ. 4 (a)カリキュラム全体の形式・形態における活用. るモデル・コア・カリキュラムとの異同も、検討か再. の位置. 評価かの余地があろう(日本教育大学協会 2004)。. 活用はどこにあたるといえるのか。端的に言えば、コア ・. 他方で、日本の戦後新教育におけるコア・カリキュ. カリキュラムでいう、コア(中心)と周辺との境界線とそ. ラムの特色は、全員で取り組む必修との意味に加えて、. の近辺にあたるだろう。境界線というよりは、数学の集. 中心にあくまで活動(生活、経験、体験)を据える点. 合論で言う共通部分にあたる、境界帯ともいうべきもの. にこそあった。何らかの活動をカリキュラムの中心に. ではないか。. 据えるという発想によって、カリキュラムの全体が、. 活用は、コアと周辺が重なった部分に当たるもの、と. コアをもち、周辺を引き付けることによって、統一性. 考えたいのである。活用という帯のようなものが、接合. を帯びると考えたのである。. の媒介となっていく、という見方である。ある意味で、 市川伸一 (2008:32) の言うように、活用自体は独自に. 3 カリキュラム全体が意味するもの、3側面. 存在してはおらず、もし存在するとするならば、あくま. 以上のような、活動を中心に据えての全体性こそ、. で習得と探究の重なりの部分(共通部分)としてである、. 戦後初期でいうコア・カリキュラムにあえてさかのぼ. ということだ。. ることで初めてつかめる発想といえる。さらに、最終. さらに、活用は、グラデュエーションをなすと言おうか、. 的には、コア・カリキュラムの全体が何を示し、何に. コアに近い方と周辺に近い方とに分かれることになるだ. 向かって総合されていくと考えられていたかを整理し. ろう。冒頭の第 1 章に示した疑問に対応させて、層を分. たい。3つの側面がいわれていたといえる。. けて定義してみる。6). (a)カリキュラム上の統合。 (計画レベル-プラン、教 育課程). (1)応用的な問題。学習への活用。. 教科、科目、領域をどう配列するかにとどまらず、ひ. 習得から活用にかけての帯は、各教科や周辺課程の. とまとまりのカリキュラム全体をいかに統合性、構造性. 側からみるに、習得の内部における応用にあたる。習っ. などを帯びたカリキュラムとして構成するか、という形式・. たばかりの知識・技能をすぐ活用(いわば応用)してみ. 形態の相での問題である。. るような学習(活動)である。その教科の中での他の. (b)実践の中での統合(実践レベル-教育過程). 知識や単元に関する学習であり、または、他の教科に. そのカリキュラムの計画を、授業や特別活動などへと. おける学習もありうる。いずれにしても、各教科という. 実際に実行していったとき、うまく実践していくならば、. 領域内でのことではある。. その過程を通じて統合がなされていく。または、計画と. この場合を、 (知識・技能の)教科内活用(=応用)と. しては不完全であっても、実践の過程を通じて、さまざ. 呼ぶことにしたい。. まなものが統合されていくこともある。その具体的な授 業や単元の相である。 (c)人格の中での統合 (経験レベル-教育・学習の履歴、. (2) 実生活への活用。生活活動への活用。 もう一つ、活用から探究にかけて行われるような活用. 成果。学力). もありえる。当時の社会科、今で言えば、総合や生活. 最終的には、活動を通じて教わり学んだ学習者の内. 科のうちで、前に学校で得た何らかの知識・技能を活用. 面、意識、その体系化としての人格のようなもののうちに、. することから始まり、探究の活動を、課題を立てて深め. 学んできたことが総合されていく、その統一体としての. ていくような場合である。. 相である。学力などと表現される目標や成果は、この人. 総合における探究は、学校での生活や、学校で行う. 格の一部となる。. 活動、特別活動にも絡んでいく。さらに、日常の家庭、. 以下の節では、これらの順に考察を深め、習得、活用、. 地域での生活活動にも広がっていく。ともかく、とある. 探究という一連の流れのうちに置きながら、活用という. 知識・技能を、実生活や活動に即した必要が生じた時. ものを徐々に定義しデザインしていきたい。. 点で臨機応変に活用するような学習活動である。 (知. . 識・技能の)生活活動(さらには探究)への活用、と. 106.

(5) いうべき場合である。. 本義子教諭)をとりあげる。ここには、水道に関する学. ここでいう活用の力とは、PISA が測定しようとしてい. 習活動がかなり詳しく述べられている。社会科ではある. る「知識・技能を実生活において活用する力」に近い。. が、今でいう総合的な学習といえるほど多彩な展開がさ. 学校の教科の授業の時間内で、教わったことを応用して. れ、しかもここには、他の教科、領域の要素が、かな. 問題集、ドリルを解くことにとどまらない。結果としては、. り関連づけられているのである。. 各教科を道具として活用することで、学校と日常の生活. 単元の流れをあらかじめ示しておくと、高砂上水道見. をよりよくするような活動となろう。. 学(隣町の高砂市)を機に、加古川町に上水道を作ろ. 実生活での活用も含めつつ、少々狭く学校内での総. う、というもので、①上水道で見学したことを整理しよ. 合的な学習に焦点を絞った言い方で、 (知識・技能の)総. う。②加古川町に何故上水道が出来なかったか原因を. 合内活用と呼ぶことにしよう。7). 考えてみよう。③加古川町に上水道が出来ればどんなに. 以上のように考えるなら、活用は、応用される知識・. 便利か考えてみよう。④上水道を作って都合の悪い点を. 技能に重点を置く場合(教科内活用)と、活用する場の. 考える。⑤加古川町の井戸水 ⑥洗濯によい水と悪い. 生活活動に焦点がある場合(総合内活用)とに分けられ. 水を調べてみよう。⑦汚い水を美しくする方法 ⑧加古. る。. 川町に上水道を作る順序を考えよう。⑨加古川町の上. 学習指導要領では、活用は各教科内で、習得とセッ. 水道を模型で作ろう。と展開していった。. トにされたため、教科内活用ばかりが強調されて、総合. まず、見学から、それも秋の遠足という行事という活. 的な学習の時間におけるそれが明示されていない。だ. 動(領域で言えば特別教育活動か)から出発している点. が、探究との連続性まで視野に入れ、総合内活用にあ. が興味深い。教室にとどまらず、実際に外へ出かけ、地. たる活用も、強調されるべきではないか。. 域・社会に参加するという活動を学級として共通に、出. 前者の習得-活用は内容としての連続で、後者の活用. 発点として、そして次第に、カリキュラム全体のコアとし. -探究は活動としての連続といえる。 これらは質が異なっ. て取り組んでいる。. てくる。前者は知識・技能のブロックのようだが、後者. 見学事項としては、社会施設としての上水道の必要. はもっとダイナミックな活動としてのまとまりになる。こ. 性、工場も水が必要で水質が生産に大いに影響するこ. のような異質な両者をも接合し、連続させて、一連のカ. と、節水の重要性、水道の変遷・努力の跡を知り、今. リキュラムのうちにデザインしようとする試みにこそ、全. 後の生活改善に注意を向けるといったことであった。ど. 体性あるコア・カリキュラムの構成が活用できてくる。. れも日常生活に関わっており、しかも社会科的な知識を. . 活用する機会がすぐに生じることばかり、見学のポイン. 5 (b)カリキュラム全体を通じた単元の実践例. トに指定していたのである。. カリキュラムの形式・形態にとどまらず、さらに、コア. ①見学したことの整理では、石斗升合をメートル法に. と周辺との関係、および習得、活用、探究の関係につ. 換算する基礎学習、加古川の清流が主題の作詞という. いてデザインしたことを具体的にイメージしていくために. 文学表現、これに曲をつける音楽学習を組み合わせて. は、実際の単元に即して考えていくといいだろう。. いる。. 本稿では、あえて戦後初期にさかのぼり、兵庫県加. 他教科との関連づけは、教科全体ではなくて、あくま. 古川市立(加古郡加古川町立)加古川小学校の紀要に. で要素ごとであり、活用は、社会科 ( 今で言う総合に近. 掲載された実践記録を一例としてみる。その加古川プラ. い体験中心の学習 ) での活動に即してなされていた。こ. ンは、同県内にあった兵庫師範女子部附属小学校の明. れらこそ、いわば総合内活用といえ、今でいう総合にあ. 石プランほど知られていないが、ごく普通の公立の、か. たる社会科の単元の中に、算数、国語、音楽などの一. つ大規模校のものだけに注目したい。この学校には、コ. 部が組み込まれていたのである。この後でも、理科のこ. ア・カリキュラムでは珍しく実践記録集が残されている. と、および議会との関連で同じ社会科の中のことが活用. 点などでも注目できる。. されて学ばれている。. 研究紀要第3集『単元展開と評価-各学年の実際』 (1950)より、六学年の「電気と水道」の実践記録(松. ただし、すでに習得されたことの活用は、文字通りの 活用とはいえるが、まだ習得していない知識・技能につ. 教育デザイン研究 第2号 107.

(6) 活用を習得、探究との関係でデザインする . いては、習得の学習を後にまわして、後からしっかり、 いわば接合していくことになる。. ⑤からは科学的な研究が進む。各自分の家の井戸水 をコップに入れて持参して比較研究する。すると加古川. 続いて、②加古川町に上水道が出来なかった原因に. の近くは井戸がたいてい非常に深く、東部に移るにつれ. ついて、討議的に話し合わせている。自分たちの意見に. て井戸が浅いことも知る。 「透明の水は必ずしも良い水. 自信がないと見えて、町会議員をしている親がいたので. とは云えぬ、それは目に見えない細菌が入っているから. 尋ねることになった。町ではどこを掘っても良水が得ら. だ」といい出した児童もあり、学校看護婦さんに質問し. れる、工場は水質の良い水道をもっている、多額の費. た所、町の保健所で説明をしてもらうといい、となる。. 用がかかり学校や病院等にまだ必要な面がある、町の. ⑥洗濯には、軟水がいいか硬水がいいか、⑦水を清く. 主だった人は水道等より教育方面に関心を持っている、. するための様々な実験も行った。. しかし将来には当然作られるべきものである、といった 答えだったという。. ここでも教科で学ぶような科学をも活用する必要が生 じてきている。探究してきた課題に連なる専門的といえ. 自分たちで討議をし、わからない点は、さらに地域の. る知識が活用されている。さらに加えて、新しい知識が. 人から情報を得て活用することで、討議が深まってきて. 習得されてきたと予想もできる。 (いわば総合内習得とさ. いる。活用を含みながらこそ、探究というべき活動が連. え呼べそうな局面である。). 続していったのである。. ⑧「社会構成の面に触れる学習」として、社会施設が. ③上水道がいかに便利かについては、土木出張所長. 人々の要求をどんな過程を踏んで設けられるかを話し合. を父に持つS君が、加古川町はもうすぐ市になるから上. う。どうも意見がまとまらず、町会議員をしているお父. 水道は必ず建設されるだろうと言い出して、調べること. さんに話を聞くことになる。まさに政治教育 (今日的には、. になる。これも討議的に話し合って、 「伝染病の流行が. シティズンシップ・エデュケーションともいえようか)が、. 非常に減少して人々が安心して生活出来て、町の予算も. あくまで自分たちの学習かつ生活の問題に即してなされ. 衛生面において軽くなる」、水の必要な店や工場等、火. る。話し合いをした上で、解決できない問題を、大人に. 災時では便利になる、といった意見が出る。伝染病は. 聞くという流れになっている。探究が発展し尽くしてい. 当時、子どもの身近な生活問題だった。. るといえる。. 様々な人が関わってくることで、討議が架空でも想像. 最後に、⑨模型づくりである。自分達が請負者になっ. でもなくて、現実に大人が取り組んでいる社会問題へと. たつもりで、予算について土木出張所、町の収入役にき. 接続している。探究が、知識を活用しながら、実生活. き、設計図では、少しでも高い場所に作ることが給水に. や実社会へと広がり深まっている。. 都合よく、電力の節約になることということを考えつく。. ④都合の悪い点を考えようという問題も生じてきて、. 数年後の増加人口も考慮に入れ、工場の水の需要量も. 水道料金が月々必要で、電気・パイプ等が故障したり、. 考えたという。水道料金も決定した。加古川町と山上の. 水源池の水が涸れたり、氷結したりもする、夏はぬるく. 水道の模型を作って、保護者にみていただくことになる。. 冬は大変冷たい、といった意見が出る。教師は「それで. 土木出張所で勤めるお父さんも参観日に見てくださり、. は上水道は余り必要でないのではないか」と質問すると、. 山上に作った点はほめていただいたという。. 子ども達は一斉に「それでも伝染病の被害が多いからこ. 模型づくりは、①の段階でとある児童が言い出しては. んな害は極く小さい事で矢張り加古川町に上水道は絶. いたが、あくまで最後に、いわば集大成的な総合内活用・. 対に必要だ」と答える。かつ、不便な点を補うためには「上. 教科内活用として据えられたわけである。. 水道を敷設しても従来の井戸は矢張り作っておいた方 がよいのではないか」との結論を考えたという。. 担任教師としては、後から省みてみるに、展開面や展 開事項に反省があるが、 「子供達が一つの根本問題を. 切実な社会現実に取り組み、今や大人も直面してい. もって学習を見通し、次々と生れる問題を楽しげに誠実. る岐路に直面している。その上で、展望を見いだそうと. に、最後まで研究し遂に完成した時の満足気な様子を. 懸命に意見を考え、語り合っている。そのためにこそ、. 思い学習プロジェクトとして、単元の展開をなす事がモ. これまで習得してきた知識やすでに生活の中で知ってい. ザイク的な展開より更に一層効果的でないか」と痛感し. る知識も活用し、課題を探究しているのである。. たという。 . 108.

(7) 以上の実践を通じては、習得、活用、探究が、一方. のカリキュラムは・・・コアを持つ全体性のある、. 通行ではなくて、互いに入れ代わり立ち代わりつつ、連. 構造性のあるカリキュラムであるべきことを主張す. 続的につながりながら展開している。モザイク的な寄せ. るものであることをのべようとしたものである。 」 (梅. 集めでなく、問題の追究 ( 探究 ) を軸として、活用をきっ. 根 1977:29). かけにして習得がされたり、探究のただ中で活用、習得. 梅根の言う、教科目「を生かして、あるいは取捨選択. がなされたりして、社会科というより総合×いくつかの. して使っていく主体」とは、あるとき、活用するのに必. 教科の要素という形で、単元全体が展開していき、全体. 要な知識・技能が何であるかを、膨大な要素の中から. として総合的、連続的、統合的なひとまとまりの活動が. 判断し選択できるような主体、そして実際に習得に踏み. 成立していったといえる。. 込み、活用することまでし、その活用を通じて探究を深 めていけるような主体、と言い換えられる。 すでに戦後初期、コア・カリキュラムを構成してきた. 6 (c)人格像を示すものとしてのカリキュラム全体 さらに、(3) 習得と探究の連続関係をも実現する条件. 学校に即して見ても、各個別の学力を身につけさせるに. としては、教科内活用と総合内活用の両方をつなげるし. とどまらず、ほぼどの学校も、理想とする人格像まで提. くみがいりそうだ。加古川小の単元で、それが実現しか. 案していた。たとえば、先の加古川小学校が示した目. かっていたが、実現のカギは、両方を含んだ活動、い. 標が端的である。すなわち、. わばひとまとまりの単元を、教科と総合をまたいで設定. 「一、健康で耐久力が強く道徳的生活のできる人. することにあると考える。少なくとも、教科と総合を合. 二、文化を理解する豊かな感情をもった人 三、. 科する必要性はある。そのような、カリキュラム全体を. 物事を科学的、合理的に処理実践できる人 四、. 通じた発想によってこそ、コア・カリキュラムといえるよ. 責任感が強く民主的な生活のできる人 五、限界. うな全体構成を、統一的に実現することができる。. が広く識見に富む人」. とくにポイントとなってくるのは、コアから周辺への回. 三や五は、知識・技能が活用できてこその人格像だろ. 路といえる。例えば、探究の活動において、直面した問. う。他に、附属学校でいえば、 「歴史的現実に立って、. 題に即して必要となった知識・技能を、機を逃さずに連. 凡ての問題を民主的に解決し処理しうる実践的人間」. 続的に習得する、という流れである。先の水道の実践に. (兵庫師範学校女子部附属小学校、いわゆる明石附属. も見たように、活用したくなった知識・技能は必ずしも. 小学校)、 「人間としてつよい人間」 (奈良女子高等師範. すぐ前に習得したものとは限らない。すでにかなり前に. 学校附属小学校)といった像が設定されていた。. 習得したものもあり、さらには、これから習得する・で きるものも含まれてくる。 このような、探究から習得という、通常とは逆にみえ. これらは、知識・技能を習得するにとどまらず、活用 もできてくるような「主体的な学習態度」をもった人格 像である。しかもまだ学んでないことを活用する際も、. る流れをも実現させていくにも、学び活動する人間の側. 自ら進んで習得もするような人格、としてとらえなければ. に、何らかのコアがいらないか。. 実現しないデザインではないか。. ここで、戦後初期にも論じられていたことではあるが、. こうした像は、すでに現在、多くの学校においても掲. 梅根が 1970 年代、教育制度検討委員会(第一次)、中. げられていることであろう。以上をふまえて、活用を改. 央教育課程検討委員会の委員長を務めた時期に、コア・. めて定義するならば、単なる受容や継承でも、使うとい. カリキュラム論を想起しながら、総合学習を論じたこと. う単純な意味でも無い、主体的な摂取、あるいは主体. を参照したい。. 的な再構成、といったニュアンスを含むものとなろう。. 「本来総合学習の思想は分科的多岐的な、専門 教科科目の全面的否定を意味するものではなく、. おわりに -まとめと今後の課題-. そのような専門的な諸教科科目の羅列でなしに、. 本稿では、活用という概念を、コア・カリキュラムを. それらを生かして、あるいは取捨選択して使ってい. 活かしつつ、習得、探究との関係で、どうとらえ直せて、. く主体の育成を目指す部分(コア)を全体の中核と. いかにして、何と定義し、デザインできるかについて考. して位置づけるべきであるということ、全体として. 察してきた。. 教育デザイン研究 第2号 109.

(8) 活用を習得、探究との関係でデザインする . コア・カリキュラムとは、カリキュラムの全体構成論と. その場合、ひとまとまりの活動を想定することが有効. してとらえ直すなら、全体的・総合的・統合的・統一的・. ではないか。コアから周辺へ。具体的にはコアと見なせ. 連続的な視点を提起したものだった。. る探究の活動において、直面した問題を解くのに必要と. では、今日で言う習得、活用、探究を含めつつ、逆に、 コア・カリキュラムというものをどう定義しなおせるか。. なった知識・技能を、機を逃さずに連続的に学ぶこと。 また、逆に、教科内活用、すなわち、習得したことを、 教科内であれ活用する活動。これらの活動を設定する. 探究の活動をコアとみなし(狭義)、そこに他の. ことで、周辺をコアに引き寄せやすくなり、探究へも連. 教科で習得した要素をできるかぎり関連づけて(い. 続していく道筋が開ける。習得したことのうちの一部で. わゆる活用の活動、能力などを媒介として)、また. あっても、時間を確保して活用を行うことで、探究につ. は必要となった要素を新たに習得することと関連づ. ながる余地が確かに生まれてくるのではないか。. けて、全体性・統一性・統合性・総合性をもたせ た連続的なカリキュラムの全体構成(以上、広義). 以上のように考えていくと、活用を、いわば多層的に 定義・デザインすることができる。 さらに、本稿を通じていえるのは、カリキュラムに全. といった定義になろう。. 体性、あるいは連続性をもたせることは、単にカリキュ. このようにカリキュラムの全体像をデザインしてみる. ラムの形式・形態の上で、統合性をもたせるためだけで. と、本稿を通じて、冒頭の第 1 章で示した問いは、以下. はない、ということだろう。また、実践に全体として統. のように解けてくる。. 一性をもたせることも課題だが、それも手段にすぎない. (1) 活用には習得から連続するような例があり、これ. はずだ。. は学習への活用、教科内活用、すなわち応用といえる。. 最終的には、学習者の相で、人格としての統一性、. ただし、逆の方向性もありえ、活用をする必要性が感じ. いわば、知識・技能を活用しそうして課題を探究するよ. られてから、その知識・技能の習得が始められることも. うな人格の育成をめざすからこそではないか。. ある。生活、活動の側から見ると、手段、方法として使 われていることになる。 (2) 活用には、探究と密接な例もあり、この場合には、 実生活への活用というべき例だろう。学校内に限定する. そうした人格像を実現するためにこそ、活用というたっ た一つの学習や活動自体が、カリキュラム全体に対して もちうる意義が、重く見えてくる。やはり活用自体が注 目に値するものなのだ。. ならば、当時の社会科、現在で言う生活科・総合的な. とはいえ、活用のみを取り出して定義をしたり、その. 学習の時間における総合内活用といえる。総合でも活用. 学習活動を考えたりすることは一面的、というのが本稿. が行われるし、これこそ本筋とさえいえないか。一般的. の主張である。. には、ある知識・技能を、実生活・活動に即した必要. 活用は、習得、探究との関係でこそ定義でき、意義. が生じた時点で、臨機応変に活用する場合といえて、結. が見える概念であり、実際の学習、活動である。さらに. 果としては、各教科の知識・技能を活用し、かつ探究. 今後も、活用の定義や役割を、コア・カリキュラムでの. を進めて、学校や日常の生活をよりよく豊かにするので. 習得、探究にあたる各課程との関係を視野に入れるなど. ある。 (こうなると、生活活動内活用と言うべきものにま. して検討していきたい。. で進むが、ここでは、総合的な学習で代表させた。) この場合には、生活、活動の側から見ると、それ自 体が目的であり、いわば自己目的的である。 (3) 活用は、習得と探究の間を媒介するのだが、その 場合、習得と探究、または周辺とコアとの間の境界線、 むしろ境界帯ともいえる捉え方がいり、コアに近い方が (2) で、周辺に近い方が (1) にあたる。 さらには、教科内活用と総合内活用の両方をつなげ る回路が必要になってくる。. 110. 注 1)例えば、著書に限って言えば、安彦編 2008、斉藤・ 『悠+』 編集部編 2009、人間教育研究協議会編 2009、西岡・田 中編著 2009、弘前大附属小他編著 2010、長谷川 2011、 木原 2011 など。 2)中教審(中央教育審議会)に関わった論者でも、例えば市 川伸一が、習得と探究の関係を論じたことは知られているが ( 市川 2004:30-35)、氏の主張からして、活用型を一つの 型として考察してはいない ( 市川 2008:32)。 (ただし、安.

(9) 彦忠彦-教育デザインフォーラムにて講演いただき、本号に も講演記録を掲載-はそれらの関係を盛んに論じてきてい るので、そうした論のいくつかを引用していきたい。 ) 3)橋本(2008)は、及川平治ら明石女子師範学校附属小学 校の「生活単位のカリキュラム」に活用型学習の事例をみる。 だが管見では、戦後教育の諸系譜については、活用論を発 見した論考はない。 4)コア・カリキュラム自体とその現代的意義に関しては、臼井 編著 2004 他を参照。 今日でも例えば、上越市、横浜市などのカリキュラム基準が コア・カリキュラムを下敷きにしているといえる。 『上越カリキュ ラム』( 上越カリキュラム開発研究推進委員会 2009)、 『横 浜版 学習指導要領 総合的な学習の時間編』( 横浜市教 育委員会 2009) などを参照。 なお、アメリカほかの中等教育、国内外の高等教育では、コア ・ カリキュラムの全体構成論が、戦後初期の日本のそれとは 異なるものだが、活用されて提起されている。アメリカのハー シュの議論の検討 ( 谷川 2003)、ドイツのものの検討 ( 吉田 2010) を参照されたい。 5)たとえば、梅根悟はこうしたカリキュラムをとる学校を、著 名な『新教育への道』 (1948)の改訂増補(1951)で、二 重学校と呼び、それを論じる章を新設していた。 6)山口県防府市立華陽中学校でも、平成 17 年度からの文科 省指定研究を通じて、活用型授業のイメージが、 『習得寄り の活用』と『探究寄りの活用』の二つに分かれることが見え てきたという(斉藤ほか編 2009:27-29)。 7)厳密には、三層四領域論でいえば、これは生活実践課程 =日常生活課程であり、これまでみてきたコアである生活充 実課程=問題解決課程とは、異なる意味のコア(第二コアと 呼ばれた)である。他日に検討したい。 〔引用・参考文献〕 浅沼茂編 (2008) 『「活用型」学習をどう進めるか』および 『「探 究型」学習をどう進めるか』教育開発研究所 安彦忠彦編(2008)『 活用力を育てる授業の考え方と実践』 図書文化社 ―――(2008)「いま、なぜ『活用力』なのか」、同上 天野正輝 (2001)「 カリキュラムの類型」、日本カリキュラム 学会『現代カリキュラム事典』ぎょうせい 磯田一雄(1971) 「コア・カリキュラム運動におけるカリキュ ラム構造理論の展開」、肥田・稲垣編『講座戦後日本の教育改 革 教育課程総論』東京大学出版会 市川伸一(2004)『学ぶ意欲とスキルを育てる—いま求めら れる学力向上策』小学館 ――― (2008)『 「教えて考えさせる授業」を創る』図書文化社 臼井嘉一編著(2006) 『シティズンシップ教育の展望-ラッ グの思想とコア・カリキュラム』ルック 梅根悟 (1977) 「総合学習思想の近代教育思想史上の位置」、 梅根・海老原治善・丸木政臣編『総合学習の探究』勁草書房. 木原俊行 (2001) 『活用型学力を育てる授業づくり-思考・判断・ 表現力を高めるための指導と評価の工夫』 、ミネルヴァ書房 金馬国晴(1994) 「コア・カリキュラム」、日本教育方法学会 編『現代教育方法事典』ぎょうせい 斉藤一弥、月刊『悠+』編集部編(2009) 『これ1冊でわか る活用型学力のすべて』ぎょうせい 上越カリキュラム開発研究推進委員会 (2009) 『上越カリキュ ラム』 (システムファイル) 谷川とみ子(2003) 「E . D . ハーシュの『文化的リテラシー』 論における共通教養-『コア・カリキュラム』の分析を通して-」 関西教育学会編『関西教育学会紀要』、第 3 号 西岡加名恵・田中耕治編著(2009) 『「活用する力」を育て る授業と評価-パフォーマンス課題とルーブリックの提案』学 事出版 日本教育大学協会 (2004) 『教員養成の 「モデル・コア・カリキュ ラム」の検討-「教員養成コア科目群」を基軸にしたカリキュ ラムづくりの提案-』 人間教育研究協議会編(2009) 『教育フォーラム 43〈活用〉 の力とは何か-新しい学習指導要領の理念と実践』、金子書房 橋本美保(2008) 「歴史に見る活用型学習のカリキュラム」 、 浅沼茂編集『 「活用型」学習をどう進めるか』 、教育開発研究所 長谷川康男(2011) 『活用する力を育てる学習活動事典』東 洋館出版社 馬場四郎(1954) 「日本生活教育連盟 カリキュラム研究運 動小史 (1)」、 『カリキュラム』1 月号 弘前大学教育学部附属小学校他編著(2010) 『授業におけ る「活用」』、東洋館出版社 横浜市教育委員会(2009) 『横浜版 学習指導要領 総合 的な学習の時間編』、ぎょうせい 文部科学省(2008) 『小学校学習指導要領』、および『中学 校学習指導要領』 矢川徳光(1950) 『新教育への批判-コア・カリキュラム批判』 刀江書院 山口満 (2001) 「広域カリキュラム」、日本カリキュラム学会『現 代カリキュラム事典』ぎょうせい 吉田成章 (2010)「現代ドイツのカリキュラム論に関する研究 -コアカリキュラム (Kerncurriculum)論を中心に」日本カリキュ ラム学会『カリキュラム研究』第 19 号 ※この研究には、科学研究費補助金若手研究(B)、平成 17 - 19 年度「戦後初期のコア・カリキュラム問題-全体構造 論としての可能性と問題点を中心に」課題番号 17730450、お よび同平成 21 年度- 23 年度「習得、活用、探究の連続関係 の考察-コア・カリキュラムと三層四領域論を手がかりに」課 題番号 21730616 を活用した。 ※史資料をご提供いただいた加古川市立加古川小学校、加 古川市教育研究所、兵庫県立教育研修所ほか各位に対し、こ こに記して感謝の意を表します。. 加古川小学校 (1950)『 加古川プラン第3集 単元展開と評 価—各学年の実際』. 教育デザイン研究 第2号 111.

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参照

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