中国における「社会主義新農村建設」と「農村総合改革」
座 間 紘 一
目 次 はじめに Ⅰ 「三農」問題の概要 Ⅱ 都市農村の特殊な二元経済構造の形成とその解体過程 Ⅲ 「三農」問題の深刻化と「社会主義新農村」建設の提起 Ⅳ 「社会主義新農村建設」の概要 Ⅴ 「農村総合改革」 Ⅵ 農村行財政改革 Ⅶ 問題点と課題 おわりにはじめに
中国では本世紀中葉(2050 年)までに「社会主義現代化」を達成する目標のもとで、2020 年に 「小康社会の全面的実現」(1)を達成する課題が提起され、2006 年から始まった第 11 次 5 カ年「規画」 (計画)では、その実現のための観点、目標、方法、施策が具体化に打ち出された。「社会主義現 代化」と「小康社会の全面実現」にとって、関鍵的位置を占めるのがいわゆる「三農」(農業・農 民・農村)問題の解決である。改革開放、とりわけ 1990 年代以後の急速な経済成長のなかで、工 業と農業、農村住民と都市住民、都市と農村のさまざまな格差が拡大し、顕在化した。人口の過 半を占める膨大な農民が貧しいままにおかれていることが、国内市場を狭隘にしている状況のもと では、「社会主義現代化」も「小康社会の全面実現」も達成できない。そこで、「小康社会の全面 実現」にとって、「三農」問題の解決こそが、「重点中の最重点」であるという位置づけがだされ、 その解決策として打ち出されたのが「社会主義新農村建設」である(2)。 中国では、毛沢東時代には、立ち後れた農業国から重工業優先の工業化を達成すべく、都市工 商業の国有化と農村の人民公社化による国有・集団所有の 2 所有制度、戸籍による都市住民と農 村住民の分断、人々の都市の「単位」と農民の人民公社への封じ込めによる職業選択や移動に対 する極端な制限のもとで、行政指令型の計画経済運営がなされてきた。農業は工業化のための蓄 積と都市住民への食糧の低価格安定供給の役割を担わされ、農民は人民公社の集団経済制度のも とで自給自足を強いられてきた。これらの制度と運営はひとまとまりのもので、これが中国独特の都市農村分割の二元経済構造を形成してきた。改革開放以後の市場経済への転換は、この特殊な 行政指令型計画経済=二元経済構造から、社会主義市場経済=一元的経済構造への転換過程であ るといえる。 中国の市場経済制度への転換は漸進的に進められ、計画体系と市場体系が複雑に絡み合いつつ、 その位置と役割を転換し、次第に市場体系に一元化されていく過程を進んできた。二元構造の解 消過程は、経済・政治・社会の各分野で、その進展度はさまざまであり、政治や社会的側面では 立ち遅れ、市場経済化の進展によって、経済過程と政治、社会過程との矛盾が大きくなっている。 経済的側面では、市場経済化が進んだ分野とそこでの経済主体が、経済成長を牽引し、伝統的分 野と格差構造を市場原理に基づき、自己の論理に組み込み、利用してきた。農業・農民・農村では、 市場経済への移行過程で、二元経済構造に由来するさまざまの格差構造や差別的条件が利用され て、経済の高成長を支えてきた。例えば、低価格での農産物供給や 2 億人とも言われる「農民工」 と呼ばれる低賃金・低福利の膨大な出稼ぎ農民、開発コストを低減させる国有と集団所有の土地 の非農業への転用や資源利用、などである。その結果、経済発展の過程で、工業や都市の発展に 比べ、農業・農民・農村が大きく立ち後れ、格差がいっそう拡大するという事態が出現した。そ の反面で、市場経済化とヒト・カネ・モノの流動化は農村の貧しさや農村におけるインフラ未整備 や、教育、医療、社会福祉等の公共サービスの貧困とそれらの改善の必要とを顕現させた。「三農」 問題の解決と「社会主義新農村建設」は、そうした背景のもとで提起されたのである。 他方、市場経済化に向けての農村の体制転換である「農村改革」は、2006 年には新たな段階に 入り、「農村総合改革」として提起されるに至った(3)。1994 年の分税制改革により、中央財政収 入は増大し、逆に、地方財政収入は縮小した。地方財政の各階層間では「事務は下級へ、財政は 上級へ」の傾向が強まり、県や郷鎮の農村基層政府は、財政逼迫と行政事務の増大によって、様々 な形で農民負担を増加させた。その問題の解決策として打ち出された農業税撤廃に代表される「税 費改革」は農民負担を軽減したが、基層財政はいっそう逼迫し、政府はそのための新たな対応を 迫られることになった。「農村総合改革」は地方政府の職能転換や地方財政の事務や経費の再分配、 更に、地方政府機構改革に至る新たな段階へと進み、そのうち、財政管理体制改革、郷鎮機構改革、 農村義務教育財政改革が当面の主要課題となった。農村近代化に向けての政治・経済・社会改革 は新たな段階に入ったといえる。 「社会主義新農村建設」が「三農」問題解決の具体的青写真を示したとすれば、それを実施す るための体制的保障としての改革が「農村総合改革」であるといえよう。 本稿は、特殊な二元経済構造に由来する「三農」問題の所在と構造、「小康社会の全面実現」にとっ て「三農」問題解決の持つ戦略的意義、「三農」問題解決の具体的政策としての「社会主義新農 村建設」の概要を明らかにし、「農村総合改革」のうち、行財政改革に絞って最近の動きを整理し ようとするものである。というのは「農村総合改革」の体制的保障なしには「社会主義新農村建設」 は達成し得ない課題であるからである。
Ⅰ 「三農」問題の概要
1 「三農」問題とは 「三農」問題とは中国の特殊事情により、農村問題を農業問題、農民問題、農村問題のそれぞれ に切り離して問題にするのではなく、3 つの問題の相互関係を明らかにし、統一的に解決すべく打 ち出された理論的枠組みである(4)。 改革開放以後、GDP で見ると、農業は 1980 年の 30.2%から 2008 年の 11.3%へとシェアを激減 させ、その間、産業別就業人口では 68.7%から 39.6%へ、都市農村人口比では農村は 80.6%から 54.3%へと減少した。その結果として、工業化は進んだにもかかわらず、また、農業就業人口は減 少したにもかかわらず、農村人口の減少と都市化が進まず、依然として大量の過剰人口が農村に 滞留している(第 1 表)。それ故に、農民の貧困からの脱却は遅れ、農業の近代化は妨げられ、都 市農村の二元構造は拡大し、経済発展や工業化、都市化のあり方にも特殊な歪みが生じている。 2001 年から 2007 年までの貿易額の伸びを見ると、国民所得の伸びを大きく上回り、貿易依存度 は高く、貿易黒字は積みあがっている(第 2 表)。膨大な農村人口が貧困状態に置かれているため に、国内市場が狭く、輸出依存の経済成長になっている。また、非農業と都市の発展にあたって は、低賃金の膨大な出稼ぎ労働力の下支えがあるために(5)、産業構造の高度化と資本集約化・効 率化が進みにくいこと、小都市形成や、工商業、サービス産業の発展が遅れていること、などで ある。市場経済化は二元経済構造から一元的経済構造への転換過程であり、「小康社会の全面建 設」とは都市と農村の調和のとれた社会の構築ともいえる。そのなかで最大の難問が「三農」問題、 とりわけ農民の貧困問題である。農村過剰人口の非農業への移転と都市への移住をスムースにし、 農業人口を減少させ、農業を現代化・効率化することなしには「三農」問題は解決しない。「三農」 問題の解決なしには「小康社会の全面建設」はありえない。「三農」問題の解決が「小康社会の全 面建設」にとって「重点中の重点」として位置づけられ、解決にあたっては「城郷統籌」(都市・ 工業の発展と統一して計画案配する)方針がだされるに至った。そこで、財政による所得の再分 配や公共サービスの向上が重要性を持つに至った。 第 1 表 都市と農村の発展のアンバランス指標(単位 :%) 産業別 GDP 比 産業別就業人数比 都市農村人口比 1 次 2 次 3 次 1 次 2 次 3 次 農村 都市 1980 30.2 48.2 21.6 68.7 18.2 13.1 80.6 19.4 1985 28.4 42.9 28.7 62.4 20.8 16.8 76.3 23.1 1990 27.1 41.3 31.6 60.1 21.4 18.5 73.6 26.4 1995 19.9 47.2 32.9 52.2 23.0 24.8 71.0 29.0 2000 15.1 45.9 39.0 50.0 22.5 27.5 63.8 36.2 2005 12.2 47.7 40.1 44.8 23.8 31.4 57.0 43.0 2006 11.3 48.7 40.0 42.6 25.2 32.2 56.1 43.9 2007 11.1 48.5 40.4 40.8 26.8 32.4 55.1 44.9 2008 11.3 48.6 40.1 39.6 27.2 33.2 54.3 45.7 (注) GDP、総就業者数、総人口をそれぞれ 100 としている。人口は常住人口によって都市と農村に分類し ている。戸籍によって分類すれば農村人口の割合はもっと大きくなる。 (出所) 中国統計出版社『中国統計年鑑』(2009)38,89,114 頁。第 2 表 輸出依存の経済成長指標 GNI 成長率 貿易額の 伸び 貿易依存度 貿易 黒字額 輸出 輸入 2001 8.1 25.2 20.1 18.4 1,865.2 2002 9.5 21.8 22.4 20.3 2,517.6 2003 10.6 31.2 26.7 25.2 2,092.3 2004 10.4 35.5 30.7 29.0 2,667.5 2005 11.2 22.4 34.2 29.6 8,374.4 2006 11.8 20.6 36.6 29.9 14,217.7 2007 13.3 18.5 37.5 29.4 20,171.1 2008 8.9 7.9 33.4 26.4 20,868.4 (注) GNI 成長率は実質、貿易の伸びは名目、貿易依存度は輸出入額 を GDP(名目)で除した。貿易黒字の単位は億元。 (出所) 中国統計出版社『中国統計年鑑』(2009)37,40,723 頁。 2 「三農」問題の構造 1990 年代以降の「三農」問題の現れとその構造について述べよう。 (1)農業問題 農業は食糧や綿花、その他の各種の農産物を生産し、住民の生活と国民経済建設の必要を満た すこと役割を持つ。建国以来の農業政策の最大の課題は農産物の低価格安定であった。改革開放 以後、変動はありながらも農業生産は増加し、1996 年には中国は農業問題を基本的に解決し、農 産物は需給均衡段階に達した(第 3 表)(6)。流通面でも、国家計画に従う公定価格での「供出」 農業と都市での「配給」の流通統制はなくなり、市場向けの商品化産農業に転換している。これ によって、農業も量から質への段階、買い手市場のなかで如何にして生産性を高め、需要者のニー ズにあったものを生産するかという段階に達した。経営のあり方としても、小規模の耕種中心の単 一経営から、大規模な多角化、専業化、産地化、高付加価値化した経営への転換を迫られるよう になった。この段階に達すると、農産物は需要の所得弾力性が小さいという特徴を持つため、市 場の影響を受けやすくなり、生産の変動による農業所得の不安定さが増大した。 第3表 人口1人あたりの5年平均農産物生産量の伸び率(%) 食糧 果実 豚牛羊肉 水産物 1991 ~ 1995 -0.26 16.26 13.94 1996 ~ 2000 -0.96 7.20 5.90 10.54 2001 ~ 2005 0.76 25.38 4.26 2.96 2006 ~ 2008 2.53 5.47 0.76 2.85 (注) 豚牛羊肉の 1991 ~ 1995 については記載なし。 果実では 2003 年より果実用瓜が含まれている。 (出所) 中国統計出版社『中国統計年鑑』(2009)22 頁より計算した。 (2)農村問題 今日の中国農村は、自給自足の農業生産に従事する農家のみが立地する地域ではない。郷鎮企 業の発展や市場経済の農村への浸透によって、工業、商業、サービス業が立地し、出稼ぎ農民が
増え、農民が離農ないし兼業化し、多様な階層に分化したことによって、農村には多種の職業に 従事する住民が居住し、農村地域には「小城鎮」(=農村部での町)が形成され、ヒト・カネ・モ ノの面での農村内部での流れと農村と都市との間での交流が強化されている。こうしたなかで、 道路、上下水道、電気などのハード面、扶貧、教育、医療、衛生、年金、福利などのソフト面で の公共インフラの立ち後れが顕在化し、農村の相対的貧困が目立つようになっている。 (3)農民問題 ここで農民とは「農村戸籍」を持つものを指す。今日では農業従事、農村での自営の非農業従事、 郷鎮企業での就労、さまざまな形での出稼ぎなど、就業形態が多様化し、農民は専業農民、兼業農民、 非農業従事農民などに分化しつつある。農業従事のあり方も伝統的な耕種中心の農業から、商品 化、多角化、専門化、高付加価値化に対応する技術やノウハウを必要とするものになりつつある。 農村での非農業就労や出稼ぎはその職業に必要な知識やノウハウあるいは生活習慣の習得を必要 とする。出稼ぎは、その人数の増大と共に、その労働は単純肉体労働から技術や知識を必要とす る労働へ、就業形態は短期的一時的なものから長期的安定的なものへ、出稼ぎ地域もまた近隣の 都市から遠距離大都市へと拡大し、今や都市での建設や工業、サービス業を支える主力軍的な存 在になりつつある(7)。 問題は、戸籍制度によって、農村から都市への移動やそこでの就労が長期間制限されてきたた めに、農村に過剰人口が滞留し、就業構造のなかでの農業就業者の比重、住民構造での農村比重 が GDP に占める農業の比重に比べて過度に高いこと、それによって、農業や農村非農業の零細性 と前近代性、経営の非効率性が温存され、農民の貧困を基底条件とする、出稼ぎ農民の過度の低 賃金と、不安定で劣悪な労働条件が惹起され、都市住民との経済的・社会的格差が拡大しつつあ ることである(第 4 表)。 第 4 表 都市農村の格差の拡大指標 都市農村 収入格差 エンゲル係数 都市 農村 1980 2.50 56.9 61.8 1985 1.86 53.3 57.8 1990 2.20 54.2 58.8 1995 2.71 50.1 58.6 2000 2.79 39.4 49.1 2005 3.22 36.7 45.5 2006 3.29 35.8 43.0 2007 3.33 36.3 43.1 2008 3.31 37.9 43.7 (注) 都市農村の収入格差は都市住民 1 人あたり可 処分所得を農村住民 1 人あたり純収入で除し た数。 (出所) 中国統計出版 社『中国統計年 鑑 』(2009) 317 頁。
Ⅱ 都市農村の特殊な二元経済構造の形成とその解体過程
ここでは「三農」問題発生の根源である都市農村の特殊な二元構造の形成と解体過程について 述べる。 1 二元経済構造とは(8) 二元経済とは、一般的には、発展途上国あるいは地域において、伝統的農業部門のみの初発段 階から、生産力の発展・社会的分業の拡大に従って、工業部門が形成され、拡大する過程で出現 する、伝統経済部門と近代経済部門の併存状態をいう。発展途上国の経済開発理論として大きな 影響力を持つのがアメリカの経済学者の W.A.Lewis が提起し、J.Fei, G.Rannis 等の人が補正した L-F-R 二元構造モデルである。概括すると、二元経済構造は 1 国の経済発展の早期段階に存在す る普遍的現象であり、この時期には 2 種の経済あるいは 2 つの部門が併存する。そのうち、都市・ 工業部門は現代方法を用いて生産し、生産性は高く、賃金率も高い。農村・農業部門別の経済部 門は伝統的方法を用いて生産し、生産性は低く、労働報酬は低い。これが二元経済構造の基本特 徴である。この構造が形成され、長期間存在するための関鍵的要素は労働力の無限供給である。 L-F-R 二元経済モデルは、伝統部門では、資本と自然資源に対して、人口のストックが過大で、大 量の潜在的失業者が存在するので、労働の限界生産性が小さいか、ゼロ、あるいはマイナスになる。 しかもこの大量の潜在的失業人口は、伝統部門の生活水準を引き下げ、発展を阻害する根源であり、 また現代部門の拡張に必要な労働力の源泉でもある。それ故、経済発展の核心問題は、伝統部門 の過剰労働力を現代部門に移転させると共に、工業部門から農業部門への資本と技術の投入によっ て、農業部門の現代化を図ることである。 農業発展段階に関して、このモデルは 3 段階構想を提起する。第 1 段階は農業過剰労働力の工 業への移転であり、経済発展の無代価段階である。この段階の移転の内容は農業部門の過剰労働 力であり、彼らの流出は農業の総産出には影響せず、食糧の不足をもたらさない。それ故、工業 部門の交易条件の悪化と工業賃金水準の上昇をもたらさない。第 2 段階は農業部門の非過剰労働 力の工業部門への移転であり、農業総産出が減少し、食糧不足が出現する段階である。この段階 に流出する農業労働力の限界生産性はまだ平均産出よりも低いが、ゼロよりは大きい。それ故、農 業生産力の流出はもはやゼロ代価ではなく、農業総産出と食糧供給を減少させ、工業賃金を上昇 させる。第 3 段階は農業労働力が競争的商品になり、農業部門が商品化を完成させる。前の 2 つ の段階を経て、偽装失業者はすべて農業部門から流出し、農業部門の労働生産性は工業部門と均 しく、農業部門の賃金はその限界製品価値と基本的に一致し始め、農業労働力が競争的商品になり、 農業部門も工業部門と同様に商業化する。それ故、異質の二元経済構造は同質の現代経済構造に 代替される。 第 2 段階では、もしも農業労働生産性が急速に高まらなければ、農業余剰に不足が生じ、市場 メカニズムの作用のもとで、農産物価格上昇をもたらす。工業部門では賃金上昇が出現し、コストは増加し、利潤は減少し、工業化が停滞し、農業生産力は逆に流動し、二元経済構造の転換は不 可能になる。それ故、二元経済構造の転換のなかでは、農業労働生産性の向上、特に農業余剰の 持続的増加が鍵である。 L-F-R モデルのなかで、二元経済構造から一元経済構造への転型の条件は、農業部門の過剰労 働力が絶えず都市に移転するのを妨げる人為的な障害(とりわけ体制的障害)がなく、この移転 はスムースである、農業部門の労働生産性は絶えず高まり、工業部門の労働生産性と大体同じに なる、農業部門の過剰労働力の素質は高まり絶えず工業の必要に適合する、などである。 2 中国の二元経済構造の形成とその特殊性 二元経済構造は発展途上国おいて工業化に伴って形成され、その変遷メカニズムは基本的には L-F-R モデルに明らかにされた法則に従う。中国の「人多地少」(人が多く土地が少ない)という 国情と、計画経済体制下での特殊な工業化方式が、この二元経済構造に特殊性を与えている。国 情からみると、2001 年、世界の人口密度は 46 人 / 平方㎞、中国のそれは 133 人で、世界平均の 3 倍である。可耕地の占める割合はもっと少ない。大量の農村過剰労働力が限られた土地のうえに 滞留し、農業生産の現代化を困難にし、農村住民の 1 人あたり所得の増加を困難にし、農村経済 の繁栄を困難にし、それによって、都市と農村の格差は拡大し、二元経済構造がいっそう顕在化 している。 次に特殊な工業化方式がもたらした体制的要因をみると、改革開放以前においては、重工業優先 の工業化を目標とし、国民経済構成要素を都市=工業=国有経済=国有企業と農村=農業=集団 経済=人民公社との 2 種の所有形態・企業形態に改造し、人口を戸籍によって農村住民=農業戸 籍と都市住民=非農業戸籍に分割し、農村住民を人民公社に、都市住民を国有企業の「単位」に 封じ込め、そのうえで、行政指令型計画経済を運営するという経済システムを構築してきた。農 業は工業化の蓄積部門であり、都市住民の食料と工業への原材料の低価格安定供給部門であった。 ヒト・カネ・モノの都市と農村間、工業と農業間での直接的交流は消滅し、国家財政の農村への 投入は少なく、農民の移動や職業選択の権利は基本的には剥奪され、人民公社にあっては集団所 有と集団的運営のもとで農民の生産手段に対する財産権、経営権は剥奪されてきた。今日の農村 への過大な農民の滞留と大量の農村過剰人口の存在、都市と農村の過大な経済格差、農民の貧困、 農村の公共財の未整備などはこれに由来する。 国民経済構造面には以下の歪みが形成された。即ち、①農村人口の非農業への移転がスムース に進まないため、就業構造転換が産出構造の転換に比べて顕著に立ち後れている。②膨大な農民 人口が農村に滞留し、しかも農民が貧しいことによって、第 3 次産業の発展が経済発展に対して 立ち後れている。③以上の結果として都市化の発展レベルが工業化の発展レベルに比べて立ち後 れている。
3 二元経済構造の解体過程 1978 年末から始まる改革開放政策は、二元経済構造を次第に突き崩していった。 第 1 は、農村における「家庭承包経営制度」(家庭単位の経営請負制度)の導入である。この制 度は人民公社の集団の土地を家庭単位に請け負わせ、家庭単位で経営させ、収穫物に関しては「国 家への売り渡し、集団への留保を達成すれば、後は個人のものになる」というものである。この制 度は集団的土地所有のもとで、限定はあるとはいえ、農家の土地経営権と財産所有権を回復した。 これによって、個人が経営主体になり、逆に、集団の土地経営や、監督、労働報酬計算は不必要 になり、人民公社制度解体に道が開かれ、同時に、市場が解禁され、商品化と農業経営の多角化、 郷鎮企業の勃興、農村労働力の非農業への就業、移動の自由への道が開かれた。第 2 は、流通制 度の改革である。農産物の「統一買い付け、割り当て買い付け」制度は緩和から廃止へと向かい、 農民は都市に入って工商業を経営し、店や作業場を開設し、都市の市場やサービス施設を利用す ること、農民が機動車やトラクターを購入して物資の長距離輸送に従事することが認められていっ た。第 3 は、郷鎮企業の発展である。郷鎮企業は、人民公社時代の「社隊企業」を起源にし、農 民の都市への流入が大幅に制限されていた時期にあって、農村における過剰労働力の就業と所得 の増大、あるいは集団の財政力の増大の手だてとして始まった。当初は郷鎮や村の集団所有形態 が多かったが、次第に個人や私的所有的なものに拡大していった。一旦、道が開かれると、さま ざまな制限が突破され、所有や経営形態は多様化し、地域や行政体の枠を突破し、生産する商品 は農民の生産・生活資材から、全国や国際市場向けへと発展し、下請けや委託加工などの形態で の都市の企業や外資との連携を強め、国民経済の一大担い手へと発展していった。農村における 就業形態の多様化と郷鎮企業の発展は農村への市場経済の浸透を促し、「県城」(県政府所在地) や「建制鎮」(鎮政府所在地)の都市機能が拡大し、「小城鎮」が形成されていった。第 4 は、人 民公社制度の廃止による郷鎮の末端の政府機構の回復、行政村レベルでの村民委員会の設置であ る。行政活動と経済活動が分離され、行政の干渉をなくして、村民が自律的に経営活動を行う制 度的条件が形成されると共に、村民委員会は村民の自治組織として育成が図られることになった。 第 5 は、農村から都市への出稼ぎである。1980 年代までは出稼ぎは「盲流」と呼ばれ、正式には 禁止されていたが、1990 年代から制限が次第に緩められ、「民工」として認知され、都市の工商 業を下支えする主力軍となった。2000 年代に入ると、彼らに対する差別的取り扱いと賃金・生活・ 労働条件の向上が俎上にぼるまでになっている。その背景には、既に述べたように、「農民工」は 都市の工商業の主力労働力といえるほど、その役割が増大したからである。第 6 は、戸籍制度の 取り扱いである。1990 年代以降、建制鎮や建城への移住と戸籍移動が認められ、2000 年代に入っ て大都市でも都市によっては戸籍の移動が認められるようになり、今日では差別的戸籍制度撤廃 が技巧あちこちで実施されはじめている。 このように、改革開放以後、都市と農村を分離する制度的な枠組みは次第に取り除かれつつあ る。今日大きく問題になっているのは、農村の土地所有管理制度、出稼ぎ労働力の差別的取り扱い、 農業・農村に不利な財政税制度、農村の居住環境や教育、医療、年金などの立ち遅れ、そして戸
籍制度である。
Ⅲ 「三農」問題の深刻化と「社会主義新農村」建設の提起
1 「三農」問題の深刻化 改革開放以後の市場経済への転換過程は、これまでの特殊な二元経済構造から一元的経済構造 への移行過程であり、そこでは、農業・農村・農民の工業・都市・非農民とを隔てる壁が徐々に 取り外されていくなかで、依然として残るさまざま格差が利用され、工業・都市・沿海地域は高 速度で発展し、農村と都市および地域間の経済格差が拡大した。とりわけ、低賃金労働と土地や 資源の低コストは高成長の大きな要因である。農村からはき出される労働力は農民の貧しさと戸籍 による就業、移動の制限や差別的取り扱いを受け、労働市場の重層的格差構造が形成され、都市 の 2 次、3 次産業は出稼ぎ農民の低賃金、不安定雇用を下支えとして成長してきた。また土地は その農民的利用権の不安定をテコに、地方政府主体の低価格の土地徴用による都市化・工業化が 図られた。 これが国民経済構造に歪みをもたらしている。即ち、国民所得の低水準のもとでの生産力過剰 問題である。1 人あたり GDP が 1000 ドル水準で、生産財から消費財に至るさまざまの分野で生 産能力過剰が出現している(第 5 表)。 第 5 表 商品別生産能力稼働率 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 説明 冷蔵庫 61.3 67.1 63.5 65.2 67.2 低水準維持 エアコン 76.3 52.9 52.0 56.3 53.1 極度の悪化 洗濯機 55.1 59.8 48.5 56.2 57.0 悪化 電子レンジ 59.3 72.5 69.2 70.7 65.8 悪化 バス・マイクロバス 66.5 62.1 56.9 52.0 46.5 顕著な悪化 アルミニウム 87.3 74.5 60.8 69.8 74.8 80.5 改善、一部生産能力輸出 セメント 86.9 89.5 82.7 87.4 92.8 改善 粗鋼 92.4 89.9 89.0 92.4 96.7 改善 鋼(板材) 119.2 130.5 101.6 96.0 93.4 悪化 鋼(帯材) 92.4 95.5 86.9 95.3 96.6 安定 電力 49.6 52.5 56.2 56.3 55.0 52.0 51.2 悪化 (注) 2004 年までは実績、2005 年以後は予測 (出所) 陳佳貴主編『中国経済研究報告(2005 ~ 2006)』経済管理出版社 2006.4 22 頁。 しかし、他方で、これらの生産財と消費財は国民の必要をすべて満たしているわけではない。 広大な農村はとり残されている。これは国内市場の狭隘さの現れであり、とりわけ人口の過半を 占める農民の貧しさがその最大の要因になっている。これがために、経済成長は輸出と公共投資、 特に前者に依存したものになっている。これこそ「小康社会の全面建設」にとって最大の課題は「三 農」問題の解決であり、「三農」問題の解決こそ「重点中の重点」であるという位置づけの現実的基礎である。また土地や資源の低コストは資源多消費で、過度の労働力使用に依拠した低効率の 粗放型経済構造を作り出し、これが自然破壊や公害多発の原因ともなってきた。 2 「社会主義新農村建設」の提起 「三農」問題の解決が、都市と農村の二元構造からの脱却と結合され、同時に「小康社会の全面 実現」の一環としての「社会主義新農村建設」として具体化されていく政策的推移は以下のよう である。 社会主義新農村建設は 1998 年 10 月の中共中央第 15 期 3 中全会で提起されるが、当時は「三農」 問題解決を、二元経済構造の一元的経済構造への転換、そのためのマクロ経済運営の転換と結び つけて捉える考え方は提起されていなかった(9)。2002 年 11 月の中国共産党第 16 回大会で、2020 年までに小康社会の全面建設を実現する課題、農業、農村、農民問題を「三農」問題として統一 的に捉える考え方、都市農村経済社会発展の統一計画案配の考え方が提起された。2003 年 1 月に は、党中央、国務院は「農業、農村、農民問題を全党の工作と全国工作の重点中の重点に置き、いっ そう突出した地位に置き、片時も緩めてはならない」とし、経済発展戦略の調整の方向が打ち出 された(10)。2003 年 10 月の党 16 期 3 中全会では「科学的発展観」とそれに基づく「五個統籌」(都 市農村発展、地域発展、経済と社会発展、人と自然の調和的共存、国内発展と対外開放の 5 つの 統一的計画と案配)が提起され、都市と農村の発展の統一的計画案配が中心的環であることが提 起された(11)。ここでは、党の文件で初めて、二元経済構造という概念が使われた。2004 年 10 月 の党 16 期 4 中全会では胡錦濤は「両個趨向」(2 つの趨勢)を提起し、「工業反哺農業、都市支持 農村」(「工業が農業を逆に育て、都市が農村を支持する)戦略、および党の執政能力の向上が打 ち出された(12)。2004 年からは、農村工作を指導する「1 号文件」が、毎年連続して発表された(13)。 2004 年の「1 号文件」は農民の所得を増加すべく「多予少取放活」(多く与え、少なく取り、自由 にし、活性化する)方針を提起し、2005 年「1 号文件」は農業総合生産能力向上を目標として、 多くの具体的方法と措置を提起し、2005 年 10 月の党 16 期 5 中全会で「第 11 次 5 カ年規画」が 提起され(2006 年 3 月の第 10 期全人代第 4 回会議で正式に決定された)、「小康社会の全面実現」 の青写真と実現のための手だてが具体化された。社会主義新農村建設は小康社会の全面実現の中 心的内容である。引き続き党中央は同年 12 月に「社会主義新農村建設推進に関する若干の意見」 を決定し(発表は 2006 年 2 月 22 日『人民日報』)、その基本的内容が明らかになった(14)。 以上の諸政策にみる、「三農」問題の根本的解決の理論的枠組みは、3 つの理論的枠組から成り 立っている。1 つは、「小康社会の全面実現」である。この具体化の中で「三農」問題が浮かび上がっ た。「小康社会の全面実現」にとって最大の困難は「三農」問題であり、「三農」問題の解決なし には「小康社会の全面実現」はありえない。「三農」問題は党の工作の最重点課題として位置づけ られた。2 つは、中国独特の二元経済構造からの脱却である。「三農」問題の根源は二元経済構造 とそれを支える体制・システムにある。都市農村の一元的な経済構造と全国統一的市場経済シス テムを打ち立てるなかでしか、「三農」問題の解決はありえない。これによって、「三農」問題は都
市や工業を含む、国民経済全体のあり方とのなかに位置づけられた。3 つは、国民経済の発展段 階を「2 つの傾向」として考えることである。即ち、発展段階を農業が工業を育てる段階と工業が 農業を育てる段階に分け、中国は工業化の中期段階に達し、その段階は工業が農業を育てる段階 であるとしたことである。国民経済構造や経済発展戦略の転換である。以上の枠組みのなかで描 かれた「三農」問題解決の青写真が社会主義新農村建設である。その中では、同じ時期に提起さ れる「農村総合改革」に見る財政を通じた富の地域間・産業間・階層間再分配のための行財政改 革が大きな位置を占める。
Ⅳ 「社会主義新農村建設」の概要
新農村建設計画の考え方は、明らかに既に述べた二元経済構造モデルを下敷きにして、中国の 工業化段階を明確にし、工業と都市の側からの投入によって、農民の所得向上を軸に、農村過剰 人口の削減、農村の都市化、農業の現代化を図り経済社会の一元的構造を構築しようとするもの である。ここでのキー概念は、「工業が反対に農業を育て、都市が農村を支持する」と「2 つの趨勢」、 「生産は発展し、生活は豊かで余裕があり、村の気風は文明的で、村の様相は整い清潔で、管理は 民主的である」の 3 つである。大ざっぱに農業を伝統的部門と農村、工業を非農業部門と都市と した場合、工業化の初期は農業が工業を育てる過程であるが、工業化が一定の段階に達すると工 業が農業を育てる過程に転換する(「2 つの趨勢」と「工業が反対に農業を育てる」)。この転換点 は工業化の中期段階であるとされ、そのメルクマールは国際的経験から得たものとして、① 1 人あ たり GDP が約 1,000 米ドル前後(購買力平価では 3000 ~ 4000 米ドル、②農業と非農業の生産額 比率が 15:85、③農業と非農業の就業者数比率が 50:50、④都市化水準が 40%、の 4 つがあげ られ、更に、中国の「反哺」がよりいっそう可能である条件として、⑤国家財政収入の急速な増 加、⑥エンゲル係数の大幅低下、⑦工業製品の輸出に占める比重の大幅増加と工業の競争力の増強、 があげられている(15)。 「生産は発展し、生活は豊かでゆったりとし、村の気風は文明的で、村の様相は整い清潔で、管 理は民主的である」は 新農村計画の全容を示すもので、その構成の第 2 大項目以下の 7 項目に具 体化されている。即ち、①産業的支柱としての現代農業建設、②経済的基礎としての農民所得の 持続的増加、③物質的条件としての農村インフラ建設、④社会事業の発展による主体としての農 民の資質や能力の向上、⑤体制的保障としての農村改革、⑥統治メカニズムとしての民主政治、 ⑦推進のための党の指導と全社会の支持、である。これらは、新農村建設のための布石として、 きわめて有機的統一的に配置されている。都市への農村過剰労働力のスムースな移動とそこでの 定住、国民所得の再分配としての財政の農村への傾斜的投入という 2 つの条件がそれを支えてい る。Ⅴ 「農村総合改革」
「農村総合改革」は社会主義新農村建設のための体制的、財政的保障を提供しようとするもので ある。 1994 年の分税制改革が中央と省レベルでは税種を国税と地方税、共有税に分け、全体として 中央の税収を大きくした。1995 年から 2004 年までの 10 年間中央級財政収入の総収入に占める割 合は平均して 52%を占め、支出のそれは 29.8%であった。地方は逆に収入では 48%で、支出は 70.2%であった(16)。省と省以下の財政関係では従来型の実績に応じて税収基準を決め、超過部分 を按分して両者が分け取る方式であった。また、財政収入の分配では上級が多く取り、下級は少 なく分配された。事務の配分は従来通りで、義務教育は主として県・郷鎮レベルが担っていた。 農村のインフラ整備や公共サービスが増大すると、当然このやり方では基層財政は成り立たな くなる。特に、農村財政では教育経費が大きな割合を占め、教育に力入れられるようになると、 義務教育経費を主に担う基層政府は財政的に逼迫するようになる。国務院発展研究センターの調 査によると、農村義務教育支出では、中央は 2%、省・地の二級は 11%、県級は 9%、郷鎮級は 78%負担した(17)。一般の農村地区では教育への投入は県郷級財政支出の 60~70%を占めるという 数字がある(18)。末端財政は破綻し、農民に負担が押しつけられ、農民の自己負担は増大する。こ れが「三提五統」や「三乱」として農民に押しつけられた。「税費改革」はこれまでの「村留保」、「郷 統一調達」を取り消し、末端政府が農民からむやみに税や費用を取り立てるのを禁止した。2006 年には農業税が撤廃された。これによって、県や郷の財政は、義務教育はおろか、吏員の給料を 払うことすらままならぬ情況になった。教育経費は特定補助金(財政移転支出)として中央と各 級地方政府が負担することになり、支給の方法や金額、各級の政府や財政の関わり方、学校の設立・ 運営主体の上級政府への引き上げなど様々な問題が出されている。 中国の地方制度は 3 級(省級―県級―郷(鎮)級)ないし 4 級(省級―区市級―県級―郷(鎮) 級)の階層からなり、地方行政や財政の政府間調整は極めて複雑である。地方自治は住民自治と しても団体自治としても確立されておらず、上級が権限を持ち、下級はそれに従属してきた。各 級の政府や党は一級下の政府を指導する関係にあり、一級下の政府や党の指導幹部の任免権も持っ ている。下級は上級から下放された権限の範囲で事務を行ない、県級や郷(鎮)級政府の事務や 財政の権限は規範化されてはいない。「社会主義新農村建設」で目指される「生産発展、生活余 裕、郷風文明、村容清潔、民主管理」を実現しようとすれば、基層政府の役割や機能の転換、地 方自治や地方財政の問題に踏み込まざるを得ない。「社会主義新農村建設」は従来通り中央や地方 政府の補助は補助金として事業項目毎に様々な補助割合で支払うやり方では進められない。特に、 その中心課題である農村義務教育の無料化、事務の担い手と経費負担のあり方をめぐって焦眉の 課題となったのが、省・地区・県・郷村の地方行財政管理制度のあり方と、政府間財政調整のあ り方である。 2006 年 9 月、国務院は全国農村総合改革工作会議を開催し、郷鎮機構、農村教育、県郷財政管理体制など 3 項目の改革を主な内容とする「農村総合改革」を、試点を基礎として全面推進し、5 年ないしやや長い期間にこれを基本的に完成する方針を提起した。 現在はいくつかの省レベル全体で、又県レベルでも「農村総合改革」が取り組まれている。
Ⅵ 農村行財政改革
現在採られている農村行財政管理体制改革は行政階層を減らす、上級の下級に対する管理監督 を強化する、下級政府の組織管理の簡素化、人員削減による郷鎮政府の県政府の出先機関化、郷 鎮財政の撤廃と県財政への引き上げといった大規模化、上からの合理化、近代化である。 中国の村民自治とは地方政府レベルでの自治ではなく、日本で言えば大字レベルの村落レベル の自治である。これは中央政府と地方政府、国家財政と地方財政という国家の制度化された統治 システム外での共同体での自治の問題である。中央政府と地方政府、各級地方政府間での事務の 配分とそれに伴う財源配分が住民自治や団体自治の精神に基づいて行われるのではなく、中央政 府から地方政府へ、上級から下級へと事務権限と財源が賦与され、下級は上級に従う原則の下に 地方の運営がなされてきた。 「分税制」以後、中央政府と地方政府間では税種に基づく中央税と地方税の区分がなされたが、 地方政府間では税種による区分はなされていない。財政による富の再配分を考えた場合、中国の ように地域間格差が大きい場合、国家財政による調整の役割が大きくなる。 第 6 表 2006 年中央と地方の歳入歳出(決算) (単位:億元、%) 歳 入 2006 年 2007 年 歳 出 2006 年 2007年 中 央 級 中央本級収入 20,456.62 96.3 27,749.16 97.0 中央本級支出 9,991.40 41.7 11,442.06 38.7 地方からの移転収入 787.27 3.7 862.79 3.0 税収返還と補助金 13,501.45 56.4 18,137.89 61.3 合計 21,243.89 100.0 28,611.95 100.0 合計 23,492.85 100.0 29,579.95 100.0 地 方 級 地方級収入 18,303.50 59.0 23,579.62 56.6 地方級支出 30,431.33 97.5 38,339.29 97.8 税収返還と補助金 13,501.45 41.0 18,137.89 43.4 中央への移転支出 787.27 2.5 862.79 2.2 合計 31,805.03 100.0 41,710.51 100.0 合計 31,218.60 100.0 39,202.08 100.0 収入:中央本級/全国 52.7 55.1 支出:中央 / 全国 24.8 23.0 :地方級/全国 47.2 56.9 :地方 / 全国 75.7 77.0 (注) 収入 : 中央本級 / 全国は中央本級収入 / 全国収入× 100、支出もそれと同じ方式で計算した。 (出所) 『中国財政年鑑』2007 年版 316-9 頁、2008 年版 338 ~ 341 頁。 中央と地方の総収入に占める中央のシェアは 2006 年と 2007 年ではそれぞれ 52.7%と 55.1%、 総支出に占める中央のシェアは 24.8%と 23.0%である。収入合計に占める本級収入の割合は、同 じく中央が 96.3%と 97%、地方が 59%と 56.6%である。地方の税収返還と補助金の総収入に占め る割合は 41%と 43.4%で中央に対する依存度は大きい。税収返還も含めて、中央財政収入の 6 割 以上が地方政府によって支出されている。中央政府は極めて強い財政支配権を持っている。しか も地方の支出割合が大きく、実際には財政は分散的使用となっている。地方への移転支出のあり方が問われることになる。 第 7 表 2006 ~ 2007 年東部、西部のいくつかの省市の財政一般予算収支決算表 (%) 2006 2007 上海 広東 江蘇 四川 貴州 雲南 上海 広東 江蘇 四川 貴州 雲南 本級収入 77.9 66.6 69.8 40.6 34.6 39.7 81.5 68.0 73.5 41.8 31.9 38.5 中央移転収入 18.4 16.2 20.0 51.5 59.6 53.6 15.4 14.3 17.6 51.3 63.3 54.5 国債転貸収入 0.0 0.0 0.2 0.1 0.2 0.3 0.1 前年繰越収入 3.6 16.3 8.3 7.5 5.4 4.0 3.0 15.4 7.6 6.7 4.7 4.2 その他 0.1 0.8 1.6 0.1 0.1 2.5 0.0 2.3 0.1 0.1 0.1 2.8 本級支出 88.8 78.0 84.8 90.1 93.0 93.3 93.3 96.8 95.0 98.5 99.8 99.9 中央移転支出 7.3 2.3 5.0 0.4 0.3 0.9 6.6 2.9 4.8 0.2 0.2 0.1 増設予算回転金 0.1 0.2 0.1 0.1 0.0 0.0 0.1 0.2 0.1 0.1 0.0 0.0 繰越 3.8 19.3 9.8 9.1 6.3 5.5 11.2 16.6 5.7 8.0 5.5 0.9 (注) 収入は総収入を 100 としたときの%、支出は総支出を 100 としたときの%。 (出所) 『中国財政年鑑』(2007、2008)中国財政雑誌社より。2007 年版 332、333、345、350、351、352 頁、2008 年版 354、355、367、 372、373、374 頁。 2006 年および 2007 年について、省レベル財政についていくつかの東部沿海地域と西部地域 とを比較すると、本級収入の総収入占めるシェアでは、上海は 77.9%と 81.5%、広東は 66.6%と 68.0%、江蘇は 69.8%と 73.5%であるのに対して、四川は 40.6%と 41.8%、貴州は 34.6%と 31.9%、 雲南は 39.7%と 38.5%である。東部地域は当然、自主財源に対する依存度が高く、その割合は 2007 年には上昇している。西部地域は自主財源に対する依存度は低く、貴州、雲南は 2007 年に は低下している。それに対応して中央からの移転収入のシェアは東部地域が 10%台であるのに、 西部地域は 5 割を超え、貴州は 63.3%である。 先の財政の地方での分散的使用と相まって、地域間財政格差が大きい中国では、中央と地方の 税源配分と並んで、中央による「平衡交付金」的な財政移転が問題になる。 次に地方政府各階層の財政収支上を見ると、第 8 表のようである。 第 8 表 2004 年全国および地方各級の財政収支状況 (単位 : 億元、%) 全国 中央 地方 省本級 地本級 県本級 郷鎮級 収入合計 26,396.4 14,503.1 11,893.4 2,914.4 4,320.6 3,120.7 1,337.7 支出合計 28,486.9 7,894.1 20,592.8 5,340.7 6,322.8 7,179.2 1,750.1 全国収入=100 100 54.9 45.1 11.0 16.4 11.8 5.1 全国支出=100 100 27.7 72.3 18.7 22.2 25.2 6.1 省以下収入=100 100 24.9 36.9 26.7 11.4 省以下支出=100 100 25.9 30.7 34.9 8.5 収入-支出 -2,090.5 6,609 -8,699.4 -2,426.3 -2,002.2 -4,058.5 -412.4 支出/収入 107.9 54.4 173.1 183.3 146.3 230.1 130.8 (注) 出所の違いのためか、収入では地方収入と省本級 + 地本級 + 県本級 + 郷鎮級の数字とは一致しない。4 級を加え た収入は 11693.4 億元である。支出は一致する。 (出所) 全国、中央、地方の数字は『中国統計年鑑(2005)中国統計出版社 276 ページ、省級以下の数字は『地方財政統 計資料(2004)』中国財政経済出版社の 1555 ~ 6 頁の数字より計算した。
2004 年の場合、中央の収入は全国収入の 54.9%を占め、支出は全国支出の 27.7%を占める。収 入と支出が同額ではないので、正確ではないが、大雑把に言えば、収入の半額は地方支出にまわ していることになる。地方は全国収入の 45.1%を占め、全国支出の 72.3%を占めている。これまた 大雑把に言えば、収入の 1.6 倍を支出していることになる。地方各級の収入、支出のシェアの順序 を見ると、収入では地区、県、省、郷鎮級の順であるが、支出では県、地区、省、郷鎮級の順になっ ている。支出/収入では県、省、地区、郷鎮級の順で、県級は収入の 2 倍以上を支出し、財政依 存度の高さが目立つ。分税制以後の財政状況について、「省級政府は基本的に満足、地級財政はやっ ていける、県級財政は大変困難、郷級財政は農民からの費用徴集に頼る」といわれ、県級財政の 困難さが伺われる。 問題は地方政府階層間の事務と財政がどのように配分され、それらが釣り合っているかである が、地方政府間では「財権は上級へ、事務は下級へ」の傾向があり、それによって県や郷鎮級の 財政が逼迫し、郷鎮機構改革や県郷財政管理改革を迫られているのである。
Ⅶ 問題点と課題
これまでの考察と我々が調査した四川省井研県、湖北省宜都市の実態を踏まえて西部地域の「社 会主義新農村建設」の問題点について、特に推進組織及び推進メカニズムと担い手の形成を中心 に検討する。 1 経済面:農業主体の形成 農村、特に西部地区農村の全般的傾向は農村人口の高齢化、出稼ぎ兼業化による主要労働力の 退出と不在とによって「三チャン農業」化が進展し、高齢化と若年労働力の不足が深刻化し、主 体的担い手形成の問題が出現し、農業の荒らし作り、「第二種兼業化」している。 他方、農村へ農業関連企業を誘致し、それら企業を中核にした様々な統合が進められている。 例えば養豚と食肉加工の統合である。企業が農家に優良品種の子豚を販売し、飼料や薬品を供給し、 飼育方法を伝授し、肥育豚を企業に納入させ、加工販売する。企業は「竜頭企業」と呼ばれ、企 業と参加農家は「専業合作社」或いは「専業協会」を組織し、生産資料の販売、技術指導、肥育 豚の購入を行う。我々は四川省井研県で養豚、養兎、湖北省宜都市で柑橘加工を見学したが、行 政は「竜頭企業」の誘致に力を入れ、企業主導型農業の産業化を進めていた。「専業合作社」な いしは「専業協会」は行政が主導し、企業と行政が農民を組織し、農民の参加は必ずしも主体的 でなかった。こうした「上からの」農業の産業化、インテグレート化によって、商品経済に巻き込 まれ、農民が生産資料や商品の需給や価格変動に曝されつつある。「専業合作社」は農民の「竜 頭企業」への従属と、下請け化出あるように思われる。農民の主体性を基礎にした協同組合原則 に基づく様々な合作社への組織化、合作組織の地域を跨いだ横の連携と組織の広域化、全国化は 全く遅れている。2 行財政面:補助金方式の財政再分配 農村義務教育の無料化の背景にあるのは、商業的農業の発展、農村労働力の様々な形での非農 業への就業、農村への非農業の進入などに見られる農村の市場経済化への包摂によって、教育、 医療、福祉、農村の生産、生活面でのインフラなど公共需要が増大し、従来の財政のあり方では 対応できなったことである。地方行政と地方財政のあり方が根本的に問われることとなった。 郷鎮政府は「税費改革」と農業税撤廃により財政基盤は弱体化し、県財政も又分税制によって 弱体化した。事権(事務)と財権(経費)の再調整が必要になっている。今試点で行われて地方 財政管理方式の改革は「郷財県管」と「省直管県」である。郷レベルでは村を合併し郷にする(撤 村併郷)が採られている。 農村の義務教育の経費負担は、従来は圧倒的に郷鎮財政や村や農民の負担に依拠していたが、 無料化によって農民負担をなくすと共に、中央や上級に地方政府の負担を増やし、主として補助 金に拠る運営に転換した。 「新農村建設」の「試点村」(=モデルケース)での様々な事業も項目毎に補助割合を決めた補 助金と自己負担によって行われている。湖北省宜都市の「試点村」では、市からの各補助率は 20 ~ 30%と低く、農家は事業を行うには相当な持ち出しを必要とする。また、特定の使途目的の決まっ た補助金に頼る方式では農村の自主的発展はない。またこの方式でもどこを受け皿とするかが問 題になる。 3 農村地域主体の形成:地方自治と地方財政の構築 中国の地方行政は中央集権的に行われているが、実際の事務は分散的に行われている。しかも 地方政府の自主財源は極めて少なく、中央政府からの補助金が大きな割合を占めている。地方政 府の階層を減らし、事務や財政の効率化を図る考え方はうなずけるが、その手法は「省直管県」 にしても「郷財県管郷用」にしても「上から」の規範化、効率化である。果たして、こうした中央 の統制や管理の強い行財政で地方、とりわけ西部諸省の発展が進むのか大いに疑問である。長期 的には財政の政府間調整では平衡交付金方式による一般財源の拡充と行政事務と経費の地方分権 化と地方自治の確立という課題が俎上に上らざるを得ないと思われる。
おわりに
日本農業では、1961 年の「農業基本法」は、高度成長を支えるべく大量の労働力を農村から引 き出し、農業では畜産・果樹への選択的拡大を進めつつ、経営規模拡大によって自立農家の育成 を目指した。人口流失は「地すべり的に」進んだが、農業では規模拡大は余り進まず、兼業化が 進んだ。それによって農家所得は増大したが、農業は衰退し、自給率は大幅に低下した。1999 年 の「食糧・農業・農村基本法」では「目は農業者の生活にではなく、“国民生活”に、そして農業 にではなく、“国民経済”に向けられている」。今や日本農業は衰微、解体している(19)。これまでみてきたように、中国が「科学的発展観」に基づき、これまでの成長方式を転換し、 「人間本位」のバランスのとれた、資源節約、環境友好型の調和社会としての「小康社会の全面実 現」計画で、「重点中の重点」に「三農」問題解決に置き、「新農村建設」として大々的に打ち出 したことは、日本の農業政策と農業、農民の帰趨、そして経済構造の外需依存型歪みを考えると、 きわめて新鮮で、希望があると思われる。しかし、現実とのギャップは極めて大きく、「工業が農 業を哺育し、都市が農村を支持する」段階で財政と金融を使った国富の「第二次分配」で地方や 農村を引き上げようとする段階に来て、これまでの中央集権的手法に基づく分散的地方統治では、 もはや西部地域問題や「三農」問題は解決できず、地方自治や地方財政のあり方そのもの改革に 直面せざるを得なくなっている。「社会主義新農村建設」や「農村総合改革」が進展するとすれば、 上に述べた問題が首尾良く解決軌道に乗った場合であろう。 「農村総合改革」ではその問題に対して、「上からの近代化、効率化改革という側面が前面に出 ている。「社会主義新農村建設」や「農村総合改革」は、問題解決の主体形成、地域住民を主人 公とした地方行財政改革と農業・農村の近代化・産業化という問題の立て方になっていない。こ の問題は事態の展開の中で俎上に上らざるを得ないであろう。 いずれにしても事態は始まったばかりで、課題は長期的である。今後の過程は動態的に進まざ るを得ないだろう。 (付)本稿は拙稿「中国における『三農』(農業・農民・農村)問題と『社会主義新農村建設』」『山 口経済学雑誌』第 55 巻第 6 号(2007.3)を加筆修正したものである。 注 (1) 「小康社会の全面実現」戦略の提起の経過と内容、その持つ意味については拙稿「中国経済の現局面―『小康 社会』の建設はどこまできたか―」『経済』NO.134 2006.11 を参照して欲しい。 (2) 「新農村建設」という言葉は中国では民国時代の晏陽初、梁漱溟等の新農村建設運動に起源を持ち、第 1 次 5 カ年計画時期にも使われている。温鉄軍によれば、今回は、林毅夫が 1999 年に理論界で最初に「新農村運動」 として提起したという。また、その内容については、「社会主義新農村建設=新農村運動(国外)+新農村建設(国 内)+幾つかの基層での経験(地方)」である。温鉄軍主編『新農村建設 理論探索』文津出版社 2006.5 2 頁。 (3) 温家法は「農業税の撤廃は、我が国の農村改革が総合改革に入り始めたメルクマールである」と述べている。『国 務院召開全国農村総合改革工作会議』(http://ks.cn.yahoo.com/question/1406121221574.html)。 (4) 陸学芸に拠れば、「三農」理論は 1980 年代後期に提起され、今日では政界、学界の共通認識になっているとい う。陸学芸『“三農”新論―当前中国農業、農村、農民問題研究』社会科学文献出版社 2005.5 51 頁。 (5) 魏礼群は次のように述べている。「国家統計局の調査によれば、2004 年全国の都市に来て就業するものと郷鎮 企業に就業する農民工総数は 2 億を超え、そのうち都市に来て就業するものは 1.2 億前後である。農民工は国 民経済の各業種に広範に分布し、そのうち加工製造業では従業員の 68%を占め、建築、採掘業では 80%近く を、環境衛生、家政、飲食などのサービス業では 50%以上を占めている。農民工は我が国の工業化、都市化、 現代化建設で重要な役割を発揮している。過去 20 余年、もしも農民工がいなかったならば、我が国の工業化、 都市化の進展過程はこれほど速くはなり得なかったし、沿海地区の新興産業と開放型経済は猛烈には発展し得 なかったであろう」。国務院研究室課題組『中国農民工調研報告』中国言実出版社 2006.4 2 頁。 (6) 陸学芸は次のように述べている。「1996 年は、中国農業発展史上の一里塚である。中国農産物の需給のあり方 が変わり、長期の不足、供給不足から需給バランス、豊作年は余る局面に変わった。中国の主な農産物は売り
手市場から買い手市場に変わった。中国の農産物は数量追求から、数量品質の両方を重んじ、主として品質を 重んじる段階に変わった。中国の農業生産は資源制約を受けるだけでなく、市場の制約を受ける段階に入った。 それ故、1996 年の特大豊作以後、中国農業発展は新たな段階に入り、中国の農村発展も新たな段階に入った」。 前掲『“三農”新論―当前中国農業、農村、農民問題研究』社会科学文献出版社 2005.5 57 頁。 (7) 注(3)を参照して欲しい。また、陸学芸は① 2000 年の国有と集団所有の 2 次、3 次産業従業員は 8504 万人、 ② 2000 年の第 5 次人口センサスで戸籍の所在地を半年以上離れている人口は 1.2 億人、そのうち、③土地を 離れ村を離れた農民工は 9460 万人いる。③は①を上回り、建築、建材、採掘、紡織、アパレル、玩具などの 業種では、第 1 線の職工の 80%以上は農民工である、農民工は既に労働者階級の重要な構成部分になった、 と述べている。前掲『“三農”新論―当前中国農業、農村、農民問題研究』社会科学文献出版社 2005.5 260 頁。 第 5 次人口センサスによれば、農民工の第 2 次産業従事者に占める割合は 58%、第 3 次産業は 52%で、うち、 加工製造業は 68%、建築業は 80%であるという。前掲『中国農民工調研報告』中国言実出版社 2006.4 4 頁。 (8) 二元経済構造モデルについての叙述は、于連坤主編 姜魯鳴 沈志華副主編『当代中国特色社会主義経済学 思想研究』人民出版社 2005.8 146 ~ 149 頁に依拠している。後に述べるように、中国の開発路線は、最も基 本的な枠組みとしては、この二元経済構造モデルを下敷きにしていると考えられる。 (9) 陳錫文「農村経済本身与整体国民経済之間関係」。(http://www.ccrs.org.cn/『中国農村研究網』2007.01.11)。 (10) 江沢民「全面建設小康社会、開創中国特色社会主義事業新局面―在中国共産党第十六届全国代表大会上的報告」 (2002.11.8)。(http://www.sina.com.cn『新華網』)。 (11) 「中共中央関于完善社会主義市場経済体制若干問題的決定」(2003 年 10 月 14 日中国共産党第十六届中央委員 会第三回全体会議通過)。(http://www.sina.com.cn『新華網』)。 (12) 「中共中央関于加強党的執政能力建設的決定」(2004 年 9 月 19 日中国共産党第十六届中央委員会第四回全体会 議通過)。(http://www.politics.people.com.cn『中国共産党新聞』)。 (13) 「1 号文件」はいずれも中共中央、国務院の連名でだされ、その表題は次の通りである。2004 年が「農民の収 入の増加を促進することに関する若干の政策的意見」、2005 年が「農村工作をいっそう強化し農業総合生産能 力を高めることに関する若干の政策的意見」、2006 年が「社会主義新農村建設を推進することに関する若干の 意見」、2007 年が「現代農業を積極的に発展させ、社会主義新農村建設を着実に推進することに関する若干の 意見」。 (14) 「第 11 次 5 カ年規画」の全文は本書編集組編『以科学発展観統領経済社会発展全局―“十一五”規画《綱要》 学習補導』2006.3、人民出版社に、「社会主義新農村建設推進に関する若干の意見」の全文は本書編集組『建 設社会主義新農村大参考』紅旗出版社 2006.5 に記載されている。以下での内容の検討はこれによった。 (15) 例えば王偉光主編『建設社会主義新農村的理論与実践』中共中央党出版社 2006.2 206 ~ 207 頁。 (16) 孔善広(http://www.ccr.org.cn/article view.asp?ID=8086)。 (17) 同上。 (18) 孔永興「農村総合改革風向標:税費改革暴露二元治理難題」『瞭望』2006.8.7。 (19) 中村政則『戦後史』岩波書店 2005.7 216 ~ 225 頁。なお、「食糧・農業・農村基本法」では以下の引用は『日 本農業年鑑』(2000 年)の梶井功執筆の孫引き。 参考文献(注であげたものは除く) 馬斌著 『政府間関係:権力配置与地方治理―基于省、市、県政府間関係的研究』浙江大学出版 社 2009.4 張占斌著 『省直管県体制改革的実践創新』国家行政学院出版社 2009.1 王方華・顧海英主編『新農村 新思路 新発展』中国農業出版社 2006.12 董忠堂主編 執行主編斉子忠・彭樹人『建設社会主義新農村論綱』人民日報出版社 2005.12 韓俊主編 『中国三農 100 題 政策性・知識性・実用性』中国発展出版社 2004.8 張占斌主編『重農時代 新農村建設機遇』上海遠東出版社 2006.8 王方華・顧海英主編『新農村 新思路 新発展』中国農業出版社 2006.12
叶敬忠著 『農民視角的新農村建設』社会科学文献出版社 2006.11 李云才著 『社会主義新農村建設的関鍵是什麼』湖南人民出版社 2006.7
潘維・賀雪峰主編『社会主義新農村建設的理論与実践』中国経済出版社 2006.6 董忠堂主編『建設社会主義新農村論綱』人民日報出版社 2005.12