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日本書翰文体史 ; 3 : 候文体

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Academic year: 2021

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(1)︱︱ 候     文. 体 ︱︱. 良Б. 日 本 書 翰 文 体 史 三. 一. 下. 少 納 言殿. 二月 廿 九 日. 侍従源. 、従 公務 之間 、無 寸 暇 之故也 、鬱憤之 腸 一時 右 久 不二 参謁 一 二 一 九廻、昨 日新少将相談 云、 明後 日雲上 人 々己尋 二花 二 一 林之 下﹁可レ 成二 蹴 鞠之 興 一 云 々、若有 二 誘引一 可二 相随 一 也汝 如何者 、答 以下 無二 之由上、 貴下定在 二 此告 一 議中 一 欺 、 某誠 無二 雖レ 蹴鞠之能 ヽ何 不レ 参二 勧 酒之 役 ﹁抑 又追従之甚也 、殊加 二 推挙之 詞 ﹁恐 々謹言、. 上啓. を多 量 に入れ た日本 式漢文体 の文 であ った。そ の見本 とし て、 ﹁ 明衡往来﹂ ︵ 群書類従 所収 ﹁ 明衡消息し の 一文を引 いてみよう。侍従 の源 何某 から少納言 源何某 に対し、蹴鞠 の会 に招く手 紙と、少納言 のそれ に対する返事 であ る。. 平安時 代中 ごろ以後 、書翰文体 とし て最も多 く用 いられ た のは、準漢文体 と いわれるも ので、漢字 で表記 した国語. 真. ) 9/ (ゴ.

(2) 日本書翰文体史 三. 恩章 一 事 謂二. 、倫 以 二 披 レ霧 望ブ天 恩 示 ﹁似 二 家 レ盆 対 プ壁 、 今 有 二 蟄 居 ﹁世間 之 事 、 如 二 故障 一 右 両 三 日有 二. 、 欣 悦 々 々、 遊 興 之 事 、. 案 乎 、 内 々承 二 高下 一 者 、 何撰 ・ 大会 一 一 ■︵ 招 ﹁若 下是 鸞 鳳 之 群 、偏嫌 中烏 雀之 類上欺 、其 理 可 レ然 く く、但 事 及 二 今無 ・ 干レ 侍 、 不具 謹 言 、 啓二 定 一 内 ﹁追 可 レ. 蠍時                                             少納 言 源. 抑 ﹂ ﹁殊 ﹂ ﹁世 間 ﹂ 誠﹂ ﹁ 之 由 ﹂ ﹁定 ﹂ ﹁ 汝﹂ ﹁ 相随﹂ ﹁ 之 故﹂ ﹁ 相 談 ﹂ ﹁雲上 人﹂ ﹁ 右 の文中 では ﹁之 間 ﹂ ﹁ 侍 ﹂ な ど多 数 が、国語 の漢 文 的 表 現 であ る。 其 ﹂ ﹁可然 ﹂ ﹁但 ﹂ ﹁内 々﹂ ﹁ ﹁. 、 雖 切 心 肝 ﹁難 遇 二 今 不 三遂 一 ■︵ 思﹁ 三 師 縁 ﹁干 レ 三 二. 、 次 にも う 一通 、高 山 寺 本 古往 来 を掲 げ よう 。 近 年 、広 島 大 学 の小 林 芳 規 教 授 ら が発 見 さ れ たも の で 平 安 時 代 の書. も な い。. な右 の例 文 は句 読 訓 点 が施 さ れ ている が 、往 復 さ れ た当 時 の原 文 は句 読 訓 点 が な か ったも のであ る こと は いう ま で. 被 借 給者 ﹂ は ﹁貸 し たま わ ら ば﹂ ﹁尤 ﹂ は ﹁最 も ﹂ であ ろ う 。 は ﹁然 る間 ﹂ ﹁罷 籠 ﹂ は ﹁ま か り こも る﹂ ﹁. 而 際﹂ 申 承﹂ は ﹁申 し 承 わ る﹂ ﹁ 適 ﹂ は ﹁たま たま ﹂ ﹁賜﹂ は ﹁たま う ﹂ ﹁ これ にも 漢 字 で書 か れ た 国語 が多 い。 ﹁. 者 、尤 所 望 也 、諸 事 不具 、謹 言 、 被二 借給 一.   一両月 之 間 、 罷 籠 ﹁ 彼 恩 約御 手 本 、 得 寂 莫 之 居処 ﹁暫 欲 二 於斯 ﹁働 尋 二 落 宗 大 歎 、 無 三過 二 而 際 日月 空 過春 秋 推 移 、一. 申 承 ﹁抑 年 来 学 文 之 志 拝 謁 ﹁棚 人之 間 、不 三能 三 謹 言 、昨 日適 雖 三賜 二. 翰 五十 六 通 を 集 録 し 、院 政 末 期 ころ の書 写 と いわ れ る。. (2) 9δ.

(3) 二. 以 上 のよ う な 平安 時 代 や そ れ 以 後 の書 翰 で 、文 体 上 の特 徴 と し て気 の つく こと は いく つかあ る が 、 そ の中 で最 も 目. だ つ のは 、前 にも 記 し た よ う に 、文 末 の断 定 の表 現 であ る。 具 体 的 に いえば ﹁ 侍﹂ ︵ は べり ︶ と ﹁候 ﹂ ︵ さ ふら ふ︶. であ る。 こ の両者 は 、最 も 多 く 日常 語 の文 末 に用 いら れ た 国 語 で 、特 に、自 分 の思考 や振 舞 に つい て謙 遜 し て いう場 合 の表 現 や 、文 末 を 丁 寧 に いう場 合 の表 現 に用 いら れ た語 であ る。. 貴 人 の近 く に いる﹂ あ る いは﹁ 侍 ﹂ は 元来 は動 詞 で 、上 代 にお い ては ﹁ 神 o天皇 そ の他 尊 貴 の人 の支 配 下 に いる﹂ ﹁. 時 代 別 国 語 大辞 典 ・上 代 篇 ︶ な ど の意 味 の語 であ った が 、 それ か ら 拡 充 し て ﹁尊 貴 の人 の支 配 下 にあ って行為 す る ︵. 意﹂ ︵ 同 上 ︶ をも つ補 助 動 詞 にも 用 いら れ 、 さ ら に平安 時 代 に な って、次 第 に意 味 と用法 を広 げ て い った。. こ のく に にう ま れ ぬ る と な ら ば 、 な げ か せ た てま つら ぬ ほ ど ま で侍 る べき を 、侍 ら です ぎ ぬ る こと 、 か へす が へす ほ いな く こそお ぼえ は べれ 。 ︵ 竹 取物 語 ︶. 貴 人 の命 を 受 け よう と 待 機 す る﹂ ︵ 同 上 ︶ か た ち と いう 点 で 、 いさ さ か 異 な った ニ ュア ンス の語 であ った。. 貴 人 のそ ば に従 う ﹂ ︵ ふ﹂ と 読 み 、 ﹁ 時 代 別 国 語 大 辞 典 o上 代 篇 ︶ 意 であ った が 、 ﹁は べり ﹂ にく ら べると 、 ﹁そ の. ま た ﹁候 ﹂ は﹁さ ぶら ふ﹂ と 読 む が、 ﹁さ も ら ふ﹂ の転 じ たも ので、古 代 は多 く ﹁侍﹂ の文 字 があ てら れ て ﹁さも ら. べり ﹂ は ﹁ 焼 け る﹂ こと を 丁寧 に い った表 現 であ る。. 侍 り ﹂ は ﹁居 る﹂ と いう 意 味 の動 詞 で、日 前 の相 手 を 尊 敬 し た気持 の表 わ れ た言 い方 、 か な がき の ﹁は の、漢 字 の ﹁. き た な く侍 ると ころ のや け は べり に し かば 、 ︵ 枕 草 子︶. ﹁お ぼえ る﹂ こと を 謙 遜 し て い った助 動 詞 であ る。 ま た 、. 右 の文 中 、 便 宜 、漢 字 で表 記 し た ﹁ 味 の動 詞 、 か な がき の ﹁は べり ﹂ は自 分 が 貴 人 のそば に いる﹂ 音︹ 侍 り﹂ は 、 ﹁. (3) 95 三 郎 下 真.

(4) 日本書翰文体史 三 ). (イ 9イ. 日本 書 紀 の例 を 引 こう 。 以三 中 臣 上 祖 天 児 屋 命 、 忌 部 上 祖 太 玉命 、猛 女 上 祖 天 錮 女 命 焉。 ︵ 配侍 一 神 代 下 ・天 孫 降 臨 ︶ す べ て い つとも のを の神 を そ へさ も ら は じ め た ま ふ︶ ︵. 、鏡 作 上祖 石 凝 姥命 、 玉 作 上祖 玉 屋命 、 凡 五部 神 ﹁使 二. 、伺 惜 閤 之 隙 一 非常 ﹁ 門下 一 備二 乎 、故 侍 二 二. 於 六合 ﹁ ︵ 神 代 上 o石 窟 幽 居 ︶ 者 、 日神 之 光 満 二 開之 一 磐 戸側 一 則 引二 是 時 天 手 力雄 神 、侍 二 天 手 力雄 神 、磐 戸 のわ き にさも ら ひ て引 き あ け し かば ︶ ︵ 狂生 一 而 存 二国 家 ﹁若 有 二 戯 遊 ﹁不 レ 其 宴 楽 之 日、群 卿 百寮 、 必情 在 二 景 行 天 皇 五十 一年 ︶ ︵ ︵か れ 、 み か ど にさも ら ひ ておも ひ のほ か に備 へま つるなり ︶ 雄 略 天皇 七 年 ︶ 稚 媛 於 朋友 ﹁ ︵ 於 殿 側 ﹁盛 称 二 是 歳 吉 備 上 道 臣 田狭 、侍 二. 吉 備 上 道 臣 田狭 、お ほ と の の側 にさお ら ひ て、盛 り に稚 媛 を とも に ほむ ︶ ︵ 。 右 の ﹁侍 ﹂ は いず れも 動 詞 で ﹁さも ら ふ﹂ と 読 み 、 ﹁お そば に控 え て いる﹂ 意 であ る 、 し か し時 代 の経 過 に とも な って、 次 第 に ﹁は べり ﹂ と同様 な意 味 と用 法 と を 持 つよ う になり 読 み方 も ﹁さ ぶら ふ﹂ と な った。. 、 ︵ 源 氏 物 語 ・夢 浮 いと ど さ び し く 、 心 ぼ そき こと のみま さ る に 、 さ ぶら ふ 人 々も やう やう あ か れ 行 き な ど し て 橋︶ 、 、 ︵ 源 氏物 語 ・浮 舟 ︶. の ﹁さ ぶら ふ﹂ は 目上 の人 のそば に いると いう 意 味 の動 詞 であ り 荒 き 山 ご え にな む は べれ ど 、 こと に程 遠 く は さ ぶら はず の ﹁さ ぶら ふ﹂ は ﹁あ り ﹂ の丁寧 語、 ま た 、.

(5) (5) 98 郎 三 真 下. か ら い目 を 見 さ ぶら ひ つる 、 だ れ にか はう れ へ申 し さ ぶら はむ 。 ︵ 竹 取物 語 ︶ の ﹁さ ぶら ふ﹂ は 、自 分 の振 舞 に つい て いう 謙 遜 の意 味 の補 助 動 詞 であ る。 これ ら の ﹁さ ぶら ふ﹂ に漢 字 を 当 てれば ﹁候 ﹂ であ る。. 大 鏡 で は ﹁は べり ﹂ が ほ と ん ど であ る が 、 ﹁候 ﹂ も な いで は な い。 花 山 天皇 が 五月 雨 の降 る気 味 悪 い夜 、藤 原 家 の. 三公達 に ﹁一人 で御 殿 を 見 廻 って来 い﹂ と お っし ゃ ってお や り に な ったと ころ 、 道 隆 と 道兼 は途中 から 逃 げ 帰 っ た. が 、 道 長 だ け は な か な か 帰 って こな い。 よう や く 帰 ってき た ので天皇 が 、 ﹁どう し た か﹂ と尋 ね ら れ ると 、彼 は平 然 と し て短 刀 と木 の削 り 屑 と を 出 し 、次 のよう に答 え た。. た だ に て帰 り 参 り ては べら ん は 、証 候 ま じ き に よ り 、高 御 座 の南 面 の柱 のも と を け づ り て候 ふ な り。. ︵ 手 ぶら で戻 って参 り ま し たら 、 証拠 なご ざ いま せ ん ので 、 高 御 座 の南 側 の 柱 の下 の方 を[ 削 った のでご ざ いま す︶. 平 家物 語 に な ると ﹁候﹂ は頻 出 す る。 ﹁殿 上 闇 討 ﹂ で 、平 忠 盛 が 五 節 豊明 の夜 殿上 し た際 、 家来 平 家貞 が主 の身 を 案 じ て殿 上 の小 庭 に控 え て い て見 咎 め ら れ た時 の返 事 であ る。. 相 伝 の主 備 前 守 殿 、今 夜 闇 討 にせら れ給 ふ べき 由 承 候 あ ひだ 、其 な ら む様 を みむ と てか く て候 、 え こそ罷 出 ま じ け れ。. 以 上 のよ う に ﹁侍 ﹂ と ﹁候 ﹂ と は ほ ぼ同 時 ころ に現 わ れ る が 、 そ の用 法 のう ち 、文 末 に多 用 せ ら れ る助 動 詞的 なも. の の場 合 に 限 って いう と 、吉 沢 義 則博士 を は じ め 、幾 多 の学 者 の研 究 があ って、す で に明 ら か であ る が 、き わ め て大. ざ っぱ に言 わ せ て いた だ く と 、 ﹁侍 ﹂ のほう が古 く 、 か つ古 代 にお い ては優 勢 であ った。 これ に対 し て ﹁候﹂ は や や. 遅 れ て出 現 し たも の の、 ﹁侍 ﹂ に押 さ え ら れ て い た 。 し か し 平 安 時 代 にな って、次 第 に逆 に ﹁ 侍 ﹂ を 圧倒 し て い った. と いう こと が でき よう 。 そ れ は 、主 と し て ﹁侍 ﹂ を 使 った公 卿 と 、 ﹁候﹂を主 体 と し た武 士 の勢 力 と の興 亡 にも 関 係.

(6) 日本書翰文体史 三 ). 92 (δ. し て いると 思 わ れ る 。 三. 、 かば か. 、 以上 のよう に 、 ﹁侍 り ﹂ は平 安 時 代 では文 末 に用 いら れ た 日常 語 であ った か ら 、 日常 語 を 写 し た書 翰 にも そ のま ま 用 いら れ た。. も ては な れ た り し御 気 色 の つ つま しさ に、 思 ひ給 ふ る さ ま をも 、え あ ら は し は ては べら ず なり にしを なむ. 源 氏 物 語 、若 紫 、源 氏 よ り 尼 君 り 聞 ゆ る に ても 、 お し な べたら ぬ心ざ し の程 を 御 覧 じ知 ら ば 、 いか にう れ しう。 ︵ に︶. ︵ 相 手 にも し な か った尼 君 の御様 子 が私 に はき ま り 悪 く 、 そ のため に思う こと を 十 分 打 明 け てし ま わ ず にな って. しま った こと を 、 どう も 残 念 に思 います る。 か よう に申 し あ げ ます こと で でも 、並 々で な い私 の思 いを御 承 知 にな・ ってく ざ いま す な ら 、 ど ん な に かう れ し い こと でし ょう ︶. か し こま り てな む 、 いか でか御 覧 ぜさ せ は べら む 、 戸 は いま だ あ き は べら ず 、さ ら に いと か た く なむ 、 いか にし て. 落窪物語 、 は べら む 、御 文 も いか でか御 覧 ぜさ せ は べら む と す ら む 、御 か へり は これ よ りも 聞 え さ せ は べら む。 ︵ あ こぎ よ り帯 刀 へ︶. 、お︲. ︵つ つし ん で拝 見 いた し ま し た、どう し てお 逢 わ せ す る こと が でき ま し ょう か 、 と ても でき ま せ ん 、戸 は まだ開¨. し ょう 、御 手 紙 も どう し てお 目 に かけ ま し ょう か き ま せ ん 、む し ろ い っそう 厳 重 になり ま し た 、 ど う いた し ま´ 目 にか け ら れ そ う も あ り ま せ ん 、御 返事 は私 か ら でも 申 しあ げ 奉 り ま し ょう ︶. さ ふら ふ︶ が 口頭 で用 いら れ た のは平 安 時 代 には い ってから のよ う であ る が 、書 翰 に用 いら´ 文 末 の ﹁さ ぶら ふ﹂ ︵ れ るよう にな った のは 、だ い ぶ遅 れ る。 や は り ﹁は べり﹂ に押 さ れ た結 果 であ ろう 。.

(7) (7)9ゴ 郎 三 真 下. し か し 男性 の書 翰 が 、上 記 のよ う に準 漢 文 体 で書 か れ る よう に な ってく ると 、 ﹁は べり﹂ も ﹁さ ぶら ふ﹂ ︵ さ ふら ふ︶ も そ のま ま漢 字 が当 てら れ てし ま う 。 ﹁候﹂ と な った例 であ る。 藤 原 忠 通 の書 翰 であ る。. 鎮 西 御 塔 、 可為 成 功 之 由 、 不存 候 、自 本 、為 表 懇 志 相 企 候也 、 已 入 見参 了 、以之 為 足 候也 、其 間事同国 相 尋 、重 可 令 奏 問 候也 、 以 此 旨 、 可被 披 露 者 也 、 謹 言 七月廿 六 日 ︵ 小 松 茂 美 ﹁日本 書 流 全 史 ﹂ に よ る︶. 次 に東 鑑 の書 翰 を 引 こう 。 元暦 元 年 十 月 廿 八 日付 で宝 塔 院 庄 お よ び弥 勒寺 庄 に つい て源頼 朝 が大 蔵 卿 に出 し た書 状 であ る。. 宝 塔 院 庄之 事 弥 勒 寺 庄之 事. 右 両条 、任 道 理 可有 御 沙 汰 之 由 、先 日被 仰 下 候畢 、 神 社 事 、殊 可被 行善致 候也 、自 然 被 黙 止 、 不 便事 候 、以 此 旨 可 令 披 露給 候 、恐 性 謹 言 、. 十 月 廿 八 日                                                    頼 朝 進 上  大 蔵 卿 殿. ︵こ の書 状 は ﹁東 鑑 ﹂ の中 で宛 名 の大 蔵 卿 の下 に◎ 印 を 付 し て小 書 し てあ る左 の文 によ れ ば 、実 際 に用 立 てら れ.

(8) た書状 のよう である。︶ ◎本文書 ハ石清水 八幡 宮記録 ヲ以 テ校合 ス 鎌倉時代 す でに ﹁ 候﹂ が文末用語 の主流 であ った ことがわ かる。 小松茂美博士 の ﹁日本書 流全史﹂ の中 から、藤原定家 の書翰 を引用させ ていただく。. 連 夜、摂 所経廻候旨 、彼物未撰出、其 思候也、抑夜前以或 人説 、如夢承及事 候、已被定其 人候欺、愚分 いづれかに. 候はん、老少軽重 、必 可承在 候、如此 、別 二罷入候、極 面目候也 、必 々、察 し可仰給 候、恐 々謹言 四. 侍﹂ はよう やく衰え 、 ﹁候﹂ が優勢 にな ってく る。試 みに、古往来 上記 のよう に、書翰 では、平安時代末期 ごろ ﹁. 明 衡 往 来         東 山往 来. 一二七. 貴 嶺 間答 数. 〇〇 二〇 九           一一 総. 〇. 翰. 七 八              一. 三〇. 書. ﹁侍 ﹂ を 用 いたも の. 一五             九. こ の表 によ れば 、 ﹁侍 ﹂ を 使 っている のは明 衡往 来 のみ で 、東 山 往 来 にな ると わ ず か にそ の痕 跡 があ り 、貴 嶺 問答. ﹁候 ﹂ を 用 いたも の. 古往来 の研究︶ のよう にな っている ︵. 東山往来﹂ ﹁ 貴嶺問答﹂ に ついて、文末を調査された石川謙博士 の統計 を拝借すると、次 物 の中 から ﹁明衡往来﹂ ﹁. (8) θθ.

(9) (9) 89. に な ると ﹁侍 ﹂ は跡 か たも な く な って、 ﹁候 ﹂ ば か り と な って いる。 ﹁候﹂ はす でに明衡往 来 に は相 当 多 く 見ら れ る。 が 、 そ の後 は 急 速 に増 し て いる 。. 明 衡 往 来 は藤 原 明衡 の編 集 と 見 ら れ る か ら 平 安 時 代 末期 、東 山 往 来 は堀 河 天皇 ころ であ るから 院 政 ころ 、貴 嶺 問 答 一. は文 治 年 中 の ころ と 見ら れ る か ら 鎌 倉 時 代 初 期 と 推 定 し てよ い。 これ ら によ っても ﹁侍﹂ から ﹁候 ﹂ への推 移 の痕 が﹃ 察 せ ら れ る。. と も あ れ ﹁候 ﹂ の生命 力 は強 く 長 い。 平 安 時 代 に武 士 と と も に誕 生 し 、鎌 倉 時 代 ・室 町時 代 を 武 士 と とも に生 き て. き た ため 、普 通 一般 の文 体 表 現 に用 いら れ る よ う にな って、 記 録 にも 法 令 にも 証文 にも 常 に頻 用 さ れ る 。 特 に書 翰 で. は 、断 定 の意 味 を あ ら わ す 最 も 主 要 な 語 と な った。前 記 の三往 来 物 に引 き つづき 、室 町時 代初 期 の作 と いわ れ て いる・ 消 息 往 来 ﹂ によ って、 ﹁候 ﹂ の使 用 例 を 見 よ う 。 ﹁ そ の文 例 を 示 す 。. 有 候 、 彼 時 之 御 遊 宴 之 事 、 未 二見 及 一   争 今 一度令 二 候之 者 也 、 一日之 見参 難 レ 参 会 ﹁ 可レ 述二 心懐 一 候哉 、 抑 来 月 十 五. 候 、精 進 潔 斎 之 間 、忘 二 賀 茂社 一 参二 候之 処 也 、 帰 宅 之 刻 、 可 レ 日、可 レ 他事 一 令レ 中二 案内 一 候、 就 レ 其 可 レ有 二御 渡 一候 、. 明月 一 折 節 也 、相 構 々 々、 可 レ 就 中 彼 比者 可 レ翫 二 有二 候 欺 、毎 事 期 二 御来臨 一 後 信之時 一 候 、恐 々謹 言 、. 七 月廿 五 日                                                  左 衛 門尉 経 平 進 上  藤 内 兵 衛 尉 殿. 断 定 は ほと ん ど みな ﹁候 ﹂ に よ って表 現 さ れ て いるから 、室 町時 代 初 期 には ﹁候﹂ が極 度 に発 達 し た と いえ る。. よ り 証拠 、 こ の時 代 に著 わ さ れ た往 来 物 を 見 る と 、単 な る文 末 を 表 わ す ﹁候﹂ だ け でなく 、 ﹁候 故 ﹂ ﹁候 之 処 ﹂. な 論.

(10) 日本書翰文体史 三. 88 (`θ リ. ﹁候 ﹂ の いろ いろ な形 の自 由 な 用 例 を 見 る こと が でき る。. 条 件 を 示 す︶ 候者   ︵. 内 容 を 下 へ続 け る︶ 候之 旨 ︵. 候 之 条 ︵理由 や 原 因 を 示 す 古 い形 ︶. 候条   ︵理由 や 原 因 を 示す ︶. 逆 態 の接続 の古 い形 ︶ 候之 処 ︵. 逆 態 の接続 ︶ 候処   ︵. 候 之 間 ︵理由 や 原 因 を 示す 古 い形 ︶. 候 間   ︵理由 や 原 因 を 示 す︶. 候乎   ︵ 疑 問 と泳 嘆 ︶. 候欺   ︵ 強 い疑 問 ︶. 候耶   ︵ 単 な る 疑 問︶. 候哉   ︵ 疑 問︶. 候了   ︵ 強 い言 いき り︶. 候詑   ︵ 強 い言 いき り ︶. 強 い言 いき り︶ 候畢   ︵. 候也   ︵ 強 い言 いき り︶. 消 息 往 来 ﹂ ﹁新 撰 類 衆往 来 ﹂ ﹁家 求 臀 鷹 往 来 ﹂ な ど に現 わ れ る ﹁候﹂ の形 は 、次 のよう に多 い。 ﹁. こ こでま た石 川謙 博 士 の調 査 さ れ た結 果 を拝 借 す れ ば 、室 町時 代 の ﹁異 制 庭 訓往 来 ﹂ ﹁ 新 撰 遊覚 往 来 ﹂ ﹁ 庭 訓往 来 ﹂. ど.

(11) 87 ゴ) (ゴ. 三 郎 真 下. 候 得共 ︵ 逆 態 の接 続 で強 い︶ 候 上者 ︵ 条 件 を 肯 定 し て下 に続 け る︶. これ ら の実 例 を 上 記 の往 来 物 や ﹁貴 嶺 問 答 ﹂ ﹁ 新 札 往 来 ﹂ ﹁新十 二月 往 来 ﹂ な ど を参 照 し て示 そう 。 ︹候 也 ︺ 町 小 路 之 名 共 、能 々可有 鍛 錬 候 也 ︵ 新 撰 類 衆︶                 . 昨 日以 出 仕 之 次 、令 相 談 御 門 弟 之 人 々之 処 、皆 以同 心 候 也 ︵ 蒙求 腎 鷹 ︶ ︹候 畢 ︺ 芳 札 之 趣 、委 細 承 候畢 、如 来 命 、遥 不 中 承 、自 然 不 審 無 極 候 ︵ 遊覚 ︶ ︹候 了︺ 新 十 二月 ︶ 御 札之旨謹以承候了 ︵ 黄 菊 一本 謹 以 令 拝 領 候 了 ︵ 新 十 二月 ︶ 戸候 哉 J 摺 墨者 何 林 、 硯者 何 石 、吉 候哉 、 不 審 々 々 ︵ 遊覚 ︶ 戸候 耶 ︺ 東 男 之 初 京 上 、此 謂 乎 、此 分 可有 御 意 得 候 耶 ︵ 新 撰 類 衆︶ 戸候 欺 ︺ 新礼︶ 御 評 定 始 、来 七 日任 例 可被 行之 条 、 役 者 等 定 御 存 知 候欺 ︵ ︹候 乎 ︺ 貴嶺 ︶ 何 事 候 乎 、去 十 七 日関 白 有 春 日詣 事 、相 扶 老 病 同 道 、去 夕 罷 帰 ︵.

(12) 日本書輸文体史 :三. 86 (ゴ 2). F候間 J 新 撰 類 衆︶ 普 請 共 日 々連 続 候 間 、更 以弗 得寸 暇 候 ︵ ″候 之 間 コ 遊覚 ︶ 久 不 致 面拝 候之 間 、 不 審 之 処 、御音 信 為 悦 無 極 候 ︵ F候 処 ︺ 新 撰類 衆 ︶ 下 着 以 後 、従 是 可 啓 案 内 存 候処 、依 私 之 恋 劇 、 子今 延 引 ︵ 庁候 之 処 J 庭 訓︶ 欲 自 是 令 申 候 之 処 、遮 而 預 恩 問 ︵ 庭 訓︶ 只今 欲 進 使 者 候之 処 、遮 而 預御 音信 候 之 条 、相 叶 本 望 者 也 ︵ P候 条 ︺ 庭 訓︶ 依 公 私 恋 劇 、令 憚 怠 候条 、越 度 之 至 ︵ ︹候之 条 ︺ 遊覚 ︶ 久 不 申 承 候之 条 、自 然 之 憚怠 、失本 意 候 畢 ︵ 戸候之 旨 ︺ 庭 訓︶ 遂参 上 可 申 入 候之 旨 、 可 令 披 露 給者 也 ︵ ︹候者 ︺ 庭 訓︶ 先 日申 入 候 掛 塔 僧 事 、無 相 違 預 許容 候者 、 畏 存 候 ︵ 新 十 二月 ︶ 若 一定 候者 、可 奉 相 伴 候也 ︵ ︹候 得 共 ︺.

(13) 3) 85 (ゴ. 郎 三 下 真. 此 間 香 合 払 底 仕 候 間 、無 心 申 状 候 得 共 、名 香 一両 姓 拝 領 仕 候者 、可為 生前 面 目 候 ︵ 異 制庭 訓 ︶ ︹候上 者 ︺ 異制庭 訓︶ 御 意 承 置 候 上 者 、 不 残 心 底 、 可存 切 磋 之 儀 也 ︵.  それ か ら 発 生 し た さ ま ざ ま な形 態 が頻用 せら れ る ので 、 後 世 か よう な書翰 文 体 を か よ う に ﹁候﹂ を 主 体 と し て、. 候 文 体 ﹂ と いう のであ る 。 そ し て ﹁候 文 体 ﹂ は鎌 倉 時 代 ・室 町時 代 o江戸時 代 と 一貫 し て用 い続 け ら れ ていく ので ﹁ 次 例 は小 松 茂 美 博 士 の ﹁日本 書 流 全 史 ﹂ によ る︶ あ る。 ︵. 先 途 事 、奏 当機 慶 、甚 以 後 可 申 請 之由 、種 々雖 致 調 法 、 遂 年 無 力 過法 候之 条 、 予 今 不 構 得 候 、如 今者 此 儘可 沈綸 之.  一流 者 、為 朝 家 可訓 潤 色候 、無 一度 之 拝 趨 、居 万 機之 重任之 条 、 云 条 、歎 息 只此 事 候 、 所詮 被 係 累之余 慶 被 指 置 、. 例 云 儀 、雖 不 可 然 洗 季 之 作 法 、無 力此 事 候 、更 不 可 足 後 比 候 、勅 許無 子細 候者 、 両機 相 兼 、早 々可致 拝賀 候 、此 趣. 五月 廿 三 日                                                      一条 兼 良. 可 然 様 、得 奏 達 候者 、 可 為 本 望 候 、謹 言. 広 橋中納 言 殿. 昨 日之 御 能 終 日見 物 候 、 役 も 出来 候 、 不 及 申 候 、先 々山 鼓 中 々絶 言語 候、末 代 にも 如 此 之 事 、奇 特 千 万 候 、心中 令.  一筆 申 候、尚 使 者 可 申 候   か し く 察 候 、 我 等 事 同 前 候 、 以 面猶 申 度 候 へ共 、伏 見 へ相 越 候 之 間 、. 細 川︶ 幽 斎 廿 八 日                                                      ︵. か よ う な ﹁候 文 体 ﹂ は 漢 字 表 記 を本 体 と し て いる か ら 、 元 来 漢 字 では表 記 さ れ な か った国 語 も 無 理 に漢 字 が当 てら.

(14) 三. 、 し 、 も れ る結 果 と な った。 も と よ り助 詞 や助 動 詞 の中 に は 古 く漢 唐 の中 国風を そ のま ま移 て わ が 国 で用 い てき た の. と も oど も. た ぐ ・た し. まじく. 共 と 書 く        候 共 ・候 得 共. 度 と書 く       申 上 度 ・目 出 度. 間 敷 と書 く     致 間敷. し く               敷 と書 く       宜 敷. へ                得 と書 く        候得 共. る ・る る          被 と書 く       被 成 下. ては              而 者 と 書 く     就 而 者. て                而 と 書 く       就 而. ば                者 と書 く       然者. 文 体 ﹂ を 用 い る 人 々は. 指 定 ︶ 也 と書 く なり ︵ 、 多 い。 これ ら に対 し ても ﹁候 など であ った。 し か し ま た他 の品詞 や語 尾 な ど の中 には 漢 字 の当 てら れ な いも のも 、次 のよ う に表 記す る こと を 考 え た。. 味 嘆 ︶ 哉 と書 く かな ︵. 味 嘆 ︶ 哉 o也 と書 く や  ︵. 疑 問 ︶ 哉 ・乎 と書 く や  ︵. 疑 問 ︶ 欺 と書 く か  ︵. 主 語 ︶ 者 と書 く は  ︵. も あ る。 た と え ば 、. 日本書翰文体史 ). gイ :(fイ.

(15) 5) 83. (ゴ. っか ま つ る. た てま つ る. 仕 と書 く. 奉 と書 く 可仕. 奉大 賀. 五. こ の時 代 の ﹁候 文 体 ﹂ を 見 る と 、 そ こに 一定 の叙 述 の順 序 が構 成 さ れ てい る こと に気 づ く 。 たと えば 庭 訓往 来 の冒 頭 ﹁新 年慶 賀 ﹂ の文 章 を 引 こう 。. 春 始 御 悦 、向 貴 方 、先 祝 申 候 畢 、富貴 万福 、猶 以幸 甚 々 々、抑 歳 初 朝 拝者 、 以 朔 日元 三之 次 、急 可中 之 処 、被 駈催 人 々子 日遊 之 間 、乍 思 延 引 、似 谷鴬 志措 花 、苑 小 蝶 遊 日影 、頗 背 本 意 候畢 、. 左 術 門 尉 藤 原 知貞. 将 又楊 弓 雀 小 弓 勝 負 、笠 懸 小 串 之 会 、草 鹿 円物 遊 、 三 々九 手 挿 、 八的 等曲 節 、近 日打 続 経 営 之 、尋 常 射 手 、馳 挽 達. 者 、少 々有 御 誘 引 、 思 食 立 給 者 、本 望 也 、. 心事 雖多 、為 期 参 会 次 、委 不 能 腐 墓 、恐 々謹 言 、 正月 五 日 謹 上   石 見守 殿. こ の形 式 の原 型 は 、古 く上 代 の漢 文体 にも 存 し て いた が 、庭 訓往 来 の例 は典型 的 な も のと し て、 の 他 用 件 でも 、書. し て ﹁恐 々謹 言 ﹂ で閉 じ て いる。. これ で見 る と 、 ま ず ﹁春 始 御 悦 云 々﹂ と いう 冒 頭 の扶 拶 語 に は じ ま り 、次 に ﹁富 貴 万福 ﹂ と 先 方 の宮 貴 な る こと を 祈 り 、次 に本 文 に は い って、新 年 の慶 祝 を こと ほ ぎ 、最 後 に ﹁ 為 期 参 会 次 、委 不能 腐 毛 ﹂ と 述 べて、終 わ り の文 句 と. 三 「 虫 「 真 下.

(16) 日本書翰文体史 三. 82 (ゴ δ). 翰 の形 を と る 限 り こ の踏 襲 を 指 摘 す る こと が でき る. 。 つま り こ の形 式 は 、   一応 考 え ら れ る 書 翰 の必 要 事 項 を 集 め て い. し し る と 思 わ れ 1 1 数 多 い往 来 物 の中 で は庭 訓 往 来 が最 も 古 いも の のよ う で あ る ︱ ︱ 以 後 の往 来 物 の内 容 を 規 定 て ま った と い ってよ い。. 。 このような形式は、江戸時代にはいるとさらに整備される。庭訓往来 の例と同じ新春 の賀状をとりあげよう. 申入 一 候 、御 慶 為 レ可 二 迎年 一 令二 御座 候 、弥 御 健 固御 越 年 、 日 出 度 存 候 、拙者 儀 無 L 心 有 二尽期 一 青 陽之 御 嘉 詞 、 不 レ可 レ   曾子保 十 九 年 板 、年 中 往 来 ︶ 永 日之 時 ﹁恐 慢 謹 言 、 期一 候 、猶 レ 進 み見之 一 如 此 候 、随 而 扇 子 一箱 、致 レ 一 こ の書 状 を 見 る と 、 冒 頭 の部 分 で、 時 候 の挨 拶 先 方 への見 舞 拙 者 儀 云 々﹂ と 、 を 記 し 、 つづ い て ﹁ 当 方 の状 態 を 報 告 す る語 句 がは いり 、 本文 猶 期 永 日之 時 ﹂ と 、 のあ と には ﹁ 末 尾 のき ま り 文 句 、 を 置 い て、最 後 に ﹁恐 怪 謹 言﹂ と 末 尾 の挨 拶.

(17) 7)8ゴ (ゴ. 郎 真 下 三. で し め く く って い る 。 こ の形 式 は 、庭 訓 往 来 で落 ち て い た と 思 わ れ る点 を増 補 し て、  一応 考 え ら れ る書 翰 の必要 事 項. を 集 め て いるよう に 思 わ れ る完 全 形 式 と い ってよ い。 し た が って賀 状 に限ら ず 、江 戸時 代 のあ ら ゆ る書 翰 は ほと ん ど. こ の事 項 を 備 え て い る よ う であ る。 い いか え れ ば ﹁候 文 体 ﹂ の書 翰 の標 準型 と いえ よ う 。 こ の標 準 型 は 、大 正時 代 に. な って ﹁候 文 体 ﹂ が消 滅 す るま で、 以 後 連 綿 と続 い て いく の であ る。 も っと も 個 々 の語 句 の表 現 には変 遷 があ る。 冒 頭 の語 は ﹁拝 啓 ﹂ ﹁謹 啓﹂ ﹁拝 呈﹂ な ど が作 ら れ 、本 文 には いる場. .であ る 合は ﹁ 扱﹂ とか ﹁ 陳 者 ﹂ な ど の語 が用 いら れ て本 文 こと を 明確 にす る。 ま た最 後 の結 び の語 も ﹁謹 言﹂ のほか. に ﹁ 敬 具 ﹂ と か ﹁不 一﹂ と か ﹁不具 ﹂ ﹁不宣 ﹂ ﹁勿 々﹂ な ど が用 いら れ た。敬 具 は ﹁ 敬 って申 し ま す﹂ 不 一は ﹁何 や か や中 し ま し た﹂ 不 具 は ﹁文 言 が十 分 整 って いま せ ん﹂ 不 宣 は ﹁ 述 べ尽 し てお り ま せ ん﹂ 勿 々は ﹁と り いそぎ 走 り書 き し ま し た﹂ な ど の意 味 であ る。. な お 江 戸時 代 に 、書 状 の中 で冒 頭 に ﹁一筆 啓 上﹂ ま た は ﹁一筆 啓 達 ﹂ と いう語 句 のあ るも のが多 い。 これ は 一種 の 流 行 であ る。. 一筆 啓 達 仕 候 、甚 暑 之 節 御 座 候 処 、益 御 勇 健 可レ 被レ 成二 御 座 ヽ珍 重 御 儀 奉レ 存 候 、一 随 而 不 レ珍 品 二候得 共 、 西 瓜 三 、 柳 御 見 舞 証迄 、 懸 二 御目 一 申 候 、 誠 二当 年 者 大 暑 難 レ堪 御 事 、 折 角 御 凌 可レ被 レ 成 候   先 者 暑 中 御 尋 問 芳 如 是 二御 座 候 、 不宣. ︵ 商 家用 文 章 、広 島 屋 伊 助 板 ︶. こ の流 行 は江 戸時 代 に は い って間 も な く は じ ま った ら し く 、 ﹁ 武 江 年 表 ﹂ の寛 永 年 間 の記事 に次 のよ う にあ る。 世 上 通 用 の書 翰 の起 頭 に 、  一筆 啓 上 致 候 と書 く事 、此 頃 よ り始 る と 見 え たり.

(18) 日本書輸文体史 三 8θ (ゴ 8). お そら く戦 国武 士 の間 から は じ ま ったも のであ ろ う 。 例 の本 多 作 左 衛 門 の書 翰 と し て有 名 な文 句 も ﹁一筆 啓 上 ﹂ では じ ま っで いる。 一筆 啓 上   火 の用 心  お せ ん泣 かす な  馬 肥 や せ. 時 候 の挨拶 ﹂ ﹁先 方 への安 否 見 舞 ﹂ ﹁当方 の状 態 報 告 ﹂ ま で 、す な わ 冒 頭 の語﹂ ﹁ な お ま た書 翰 の冒 頭 の部 分 で、 ﹁. 前 文 ﹂ と称 し て、書 翰 の必 要事 項 と な って いる が 、火 急 の書 翰 で、す ぐ さ ま 本 文 の用 件 に 本 文 ﹂ 以前 の部 分 を ﹁ ち ﹁. 前 文 御 免 被 下度 候﹂ 前 略 ﹂ と か ﹁冠 省﹂ と かあ る いは ﹁ 前 文 ﹂ を 省 略 せざ るを得 な い。 そ の場 合 は ﹁ 移 り た い時 は ﹁ な ど と書 く よ う に な った。 これ は 江戸時 代 中 ご ろ 以 後 の こと であ る。 エ ハ. 明 治時 代 にな っても ﹁候 文 体 ﹂ は書 翰 用 の文 体 であ った。 し かも そ れ は学 校 にお け る義 務 教育 の対 象 にま でな って いる。. 学 制 ﹂ が発 布 さ れ て、大 ・中 ・小学 の教育 内 容 が規 定 さ れ て 明 治 五年 八月 二 日、文 部 省 から 布達 第 十 三号 と し て ﹁. 書 順﹂ は 候 書 贖 ﹂ が掲 げ ら れ て いる が、 こ の ﹁ いる。 そ の中 の ﹁小 学 校 ﹂ の部 の ﹁下等 小 学 ﹂ の教 科 目を 見 る と 、 ﹁ 文 の書 翰 文 の教 育 の事 であ る 。. 読書 ﹂ の中 へ包 含 さ れ てし ま っ   のち 明治 十 四年 五月 四 日 の文 部 省 達 第 十 二号 で ﹁ 書 贖 ﹂ と いう教 科 目 は 、 この ﹁. 作 文﹂ を 含 ん で い て、次 のよ う に現 定 さ れ て、表 面 には出 な く な った。 し か し こ の ﹁読 書 ﹂ の内 容 は 、実 質 的 に は ﹁. て いる。 、 近 易 ノ諸 物 フ解 セシ メ、之 ヲ題 ト シ、仮 名 ニテ単 語 ・短 句 を 綴 ラ シ ム ル ヲ初 ト シ、梢 進 テ ハ近 易 ノ漢 字 フ交 へ. 次 二簡 短 ノ仮 名 交 り文 ヲ作 ラ シ メ、兼 テ ロ上 書 類 ヨリ 日用書 類 二及 フ ヘシ、中 等 科 及高 等 科 二於 テ ハ日用 書 類 ヲ作.

(19) (19) 79 郎 三 真 下. ラ シ ム ルノ外 、 既 二学 習 セ シ所 ノ事 実 二就 テ志 伝 等 ヲ作 ラ シ ム ヘシ. と あ る。 つま り 国 語 の散 文 を も って 日用 文 を作 ら し め る こと がね ら い のよう であ る。 し か し事 実 は 、 日用 書 類 に は候. 文 を 教 え る こと に終 始 し た。 候 文 は相 変 わ ら ず 文 体 の主 流 と し て、 証 文 にも書 翰 にも 用 いら れ た。. 小 学 校 でも 、 ﹁作 文 ﹂ の指 導 は 国語 文 を 教 え る の でな く 、候文 の書 翰 を書 か せ る こと であ った。 それ は 一つに は 、. 教 師 に 国語 文 を 指 導 す る能 力 も 思 想 も な か った ため であ ろ う が 、も う 一つには 、世 間 の風 潮 が、書 翰 と いえ ば 候 文 体. であ る と き め 込 ん でし ま う 所 にあ った。 そ のた め 、 教 師 は頑 是 な い こど も たち に向 か って、 ﹁ 拝啓﹂ と か ﹁ 敬 具﹂ と. か あ る いは ﹁ 時 下 春 暖 之 候﹂ ︵ じ か し ゆん だ ん の こう ︶ と か ﹁ 拙 宅 一同 無事 消 光 罷 在 候 間 、乍 他事 御 休 神 被 下 度 候﹂. ︵せ った く いち ど う ぶじし ょう こう ま か り あ り そう ろ う あ いだ 、 た じ な がら ご き ゆう し ん く だ さ れ た く そ う ろ う︶ な. ど の表 現 と表 記 と を 教 え た の であ った。 し た が って大 人 が書 く 日常 の書 翰 に候 文 を 使 用 し た こと は いう ま でも な い。 明 治 三 十 一年 か ら 書 き は じ め た芦 花 の ﹁不如 帰 ﹂ 中 の川島 武 男 の書 翰 であ る。. 流 汗 を揮 ひ つ つ華 氏 九 十 九 度 の香 港 る 申 上 候 、佐 世 保 抜 錨 迄 は先 便 已 に申 上 置 た る通 り に有 之 候 、 佑 佐 世 保 出 帆 後. は 連 日 の快 晴 に て暑 気 如 熾 、流 石 神 州海 国 男 子も 少 々辟 易 、尤 も 同僚 士 官 及兵 の中 八九 名 日射 病 に襲 は れ た る者 有 之 候 得 共 、小 生 は 至 極 頑 健 ︵ 後 略︶. 七 月   日        香 港 に て                                        武 男 お浪 ど の. ま た 明 治 の終 わ り ご ろ に は す っか り 国語 を 使 う よ う に な ってし ま った島 崎藤 村 も 、 明 治 三、 四十 年 代 は整 った候 文 の書 翰 を 書 い て い る。.

(20) 日本書翰文体史 三. 78 (2θ ). 、 、 御 手 紙 辱 く拝 見 仕 候 、 ﹁罪 と罰 ﹂ 拝 読 を 終 り 申 候 猶 拝 借 いた せし ニイ チ エ文 集 と 共 に 不 日小包 に て御 返 送 中 上. べく 候 、 メ レジ コゥ スキイ の論 文 と や ら は 、此 際 拝 見 せば 一層 の参 考 と相 成 り 可 申 、 是 非 拝 借 いたし度 候 、猶 ﹁罪 、 ︵ 後 略︶ と 罰 ﹂ に つき 、委 敷 こと は拝 眉 の上御 話 申 度 、御 来 遊 奉 待 候 明 治 三十 六年 ︶十 一月 十 九 日 ︵. 小学 校 令 ﹂ を も って、次 のご と く ﹁読書 ﹂ を 改 め て 明 治 三十 三年 八月 二十 一日、文 部省 は文 部 省 令 第 十 四号 の ﹁ ﹁国 語 ﹂ と し 、 そ の教 育 内 容 を規 定 し た。. 、 、 国 語 ハ普 通 ノ言 語 、 日常 須 知 ノ文学 及 文 章 ヲ知 ラ シ メ 正確 二思想 ヲ表 彰 ス ルノ能 ヲ養 ヒ 兼 テ知 徳 ヲ啓 発 ス ル ヲ. 、 、 以 テ要 旨 ト ス尋 常 小 学 校 二於 テ ハ初 ハ発 音 ヲ正 シ仮 名 ノ読 ミ方 書 キ方 綴 り方 ヲ知 ラ シ メ、漸 ク進 ミ テ ハ日常 須. 知 ノ文 字 、近 易 ナ ル普 通 文 二及 ホ シ、 又 言 語 ヲ練 習 セ シ ム ヘシ 、 、 ﹁文 を 作 る﹂ こと は 、従 来 と 同 様 に 教 科 内 容 の 一部 と な って いる が こ のた び は 日用 書 類 ・書 翰 な ど の語 に触 れ. 普 通 文 ﹂ な る用 語 を 出 し てき て いる。 こ の普 通文 は 、当 時 の 日常 の こと ば を使 った文 章 を 指 す も の て いな いし 、 又 ﹁ と 思 わ れ 、 や は り 明 治 十 四年 の ﹁達 ﹂ と 同 様 に、 国語 文 を 重 視 す る発 想 であ る。. こう いう 布 達 によ って、 国語 文 は よう や く 国 民 の間 に意 識 さ れ て い った。 当 時 の人 々 の間 にも 国語 文 を も って書 翰 を も のす る 人も 出 てき た。. こ こ で漱 石 の書 翰 を 引 く。漱 石 は改 ま った場 合 や 面識 のな い人 には 、 よ く 候 文 を 書 いた。. 拝 啓 先 日御 申 越 に相 成 候拙 句 、 御依 頼 通 原 稿 紙 に認 め御 送 申 上 候 、 両 方 共 認 め 候 に つき 御 気 に入 り た る方 を 御 存 し.

(21) ) 77 (2ゴ. あ ま れ るを 祉 捨 被 下 度 候 、御 気 に召 し 給 は ず は猶 幾 枚 に ても 書 き直 し 可申 候 、草 々頓 首. 明治 四十 四年 ︶ 一月 二十 八 日                          夏 目金 之 助 ︵. し か し そ う でな い場 合 に は崩 れ た候 文 も 書 き 、 国語 体 も も ち ろ ん使 った。 鏡 子 夫 人 に宛 てた手 紙 で、 二 日後 のも の と を 並 べ て掲 げ る。 内 容 は大 体 同 じ であ る。. 、 着 物 と 草 履 と雑 誌 は受 取 った 、大 嶋 の着 物 を 不断 着 にす る程 悪 く し て仕舞 った のか な 、あ の羽織 のがら は嫌 だ 買. った も のだ か ら 仕 方 が な いから着 る、実 は ド テ ラも も う 大 な し にな ったよ 、ど う せ仕 着 る な ら 大 嶋 も よ こし て呉 れ 、 後 略 ︶      ︵ 明 治 四十 四年 ︶ 二月 二 日 ︵. 着 物 届 き 候 、 大 嶋 の衣 物 と 下着 と は よ く考 へる と実 は 不 用 に候 、然 し 此 方 へ取 って置 き 候 、大 嶋 の下 に着 る下着 の. 後略 ︶ 胴 の色 、 あ れ では 羽 織 の裏 の如 く 甲 斐 絹 と 同様 に て見 悪 く候 、自 茶 か あら い模 様 宜 し と申 し た る積 に候 ︵ ︵ 明 治 四十 四年 ︶ 二月 四 日. や が て大 正時 代 に な る と 、候 文 は急 に 凋 落 し てし ま う 。 これ は 一方 では、上 記 のよ う に 、散 文 の流 行 と散 文 によ る. 自 由 に自 分 の こと ば で物 を 言 いた い﹂ と いう考 え 方 が主・ 作 文 教 育 の徹 底 な ど の理由 によ る の であ る が 、他 方 には 、 ﹁. 張 さ れ て、 そ れ が書 翰 に影 響 を与 え 、形 式 を 重 ん じ る 候 文 体 では自 由 な 意 見 や 思 想 を 述 べる のに不適 当 だ と し て忌 避 さ れ た と いう こと が挙 げ ら れ る。. か く て長 年 月 を 生 き てき た ﹁ 候 文 体 ﹂ は 、 昭 和 に は い って 国語 文 体 が これ に代 わ る。 国語 文 にな ると 、卒 直 に自 己︺.

(22) 日本書輸文体史 三. (22) /δ. の感 懐 を 述 べ、用 件 が ほ と ん ど手 にと るご と く 伝 え ら れ る。 そ のため 候文 の形 式 は 、 あ る部 分 、 たと え ば 前 文 や後 文. な ど は表 現 を 代 え て生 か さ れ た にし ても 、 そ の最 も 大 き な特 徴 であ った文 末 の ﹁候 ﹂ を 失 い、 ﹁候 文 体 ﹂ は こ こに滅 ぶ の であ る。 ︵ 本学 教授 ︶.

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