平成9年度∼平成'10年度科学研究費補助金基盤研究(C) 2
高度情報化社会における「言葉」の理解の差異についての分析
'D ifferenaccers.isns tthhei Ynnfg,elsa;in.dninsg. coifetLyanguage
(課題番号09610546)
研究成果報告書
平成11年3月
研究代表者関本英太郎
(東北大学言語文化部)′
目次
研究組織の概要等 はしがき 20世紀の建築の外「壁」論考 メディア・テクノロジーの進展とハッカーの言説関本英太郎
山根信二
広告の文面における「漢字、カタカナ、ひらがな」の表記の違いから生じる、意味の違い について根津大輔
言語のラベル化と国際関係生出恭治,相場徹
∼Information Overspill: How the Law fails to Constrain hfornation
Jeremy Simmons
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研究組織の概要等
1 研究組織 研究種目 課蓮番号 研究課蓮 研究代表者 研究分担者 研究分担者 研究協力者 研究協力者 研究協力者 基盤研究(C) 2 09610546 高度情報化社会における「言葉」の理解の差異についての分析:関本英太郎(東北大学言語文化部/大学院情報科学研究科教授)
‥ 生出恭治 (東北大学言語文化部/大学院情報科学研究科教授) :ジェレミ一・シモンズ (東北大学言語文化部/大学院情報科学研究科助教授) ‥ 山根信二 (東北大学大学院情報科学研究科) ‥ 根津大輔 (新日本製戴エレクトロニクス・情報通信事業部) :相場徹 (東北大学大学院情報科学研究科) 2 研究経費 平成9年度 2,200千円 平成10年度1,000千円 計 3,200千円 3 研究発表 1.学会誌等 (a)関本英太郎, 「テクノメディア時代前史のデイスクール分析上言語人文学会 「言語と人間」創刊号129- 140, 1997. (b)関本莫大恥「建築と錯乱もしくは精神分裂一都市を解剖するコールハース」 ・ 東北大学言語文化部「言語と文化」第7号, 1997. (C)山根信二澗本英太郎, 「ク1)プトアナーキズムの倫理J ,電子情報通信学会技 術研究報告97(184), FACE97-6・ 1 - 6, 1997・′
(d) ・Jeremy Simmons, EInformation and Property in Daily Life', ・Journalof La・n-guage and Culture (Tohoku University), vol・9, 29 - 58, 1998・
(e) ・Jeremy Simmons, 'The Disappearing Author: Dematerialisation and Copy-right'・ ・Journalof LangJuage and Culture (Tohoku University), vol・10, 1 - 27,
1998. (f)相場徹,生出恭治, 「インド学仏教学論文データベースINBUDSを用いた術語 間関係の大きさの推定について」 ,情報処理学会研究報告, 98-CHl37-2, 7- 14, 1998. 2.口頭発表 (a)山根信二7関本莫大恥「クリプトアナーキズムの倫理:暗号技術とパーソナル コンピューティング」電子情報通信学会情報通信倫理研究会(北海道大学知識 メディア・ラボラトリー), 1997/7/22・ (b)相場徹,生出恭治, 「インド学仏教学論文データベースINBUDSを用いた術語 間関係の大きさの推定について」 ,情報処理学会「人文科学とコンピュータ」 研究会(高松大学), 1998/1/31. (C)生出恭治,相場観「コンピュータによるテキスト解析」 ,大阪大学大学院言語 文化研究科主催研究会(大阪大学), 1998/3/20・
はしがき
高度情報社会の生死を決定するのは、決して情報の質ではなく、あくまでその絶対量 である。マス・メディア等から間`断なく流出する膨大な情報は、もはやその価値をひとつ ひとつ確認し判断する暇を与えない。情報に接するわれわれの神経はすでに麻痔し、無感 覚である。その証左のひとつが、他国の人にとって屈辱的な言葉、表現がプリントされた トレーナを着て平気で通りをかっぼする人の無神経さである。しかしわれわれは、彼を他 者の痛みをおもいやることのできない人として批判する必要はない。そもそも彼は、間蓮 の言葉、表現を「装飾」として、意味内容不在の記号として使用しているにすぎない。つ ま り彼は、それをマークのためのデザインとして理解している。したがって根本的に問わ れるのは、彼と彼に批判的な人との間に生じる言葉の意味理解の差異なのである。 本研究「高度情報化社会における F言葉』の理解の差異についての分析」は、この事 態に焦点を当てようとするものであった。すなわち、言葉・表現は、決して辞書的・慣習 的意味にとどまることはない。常にそれを越えて、使う人、聞く人が置かれた条件や文脈 の違いによって、理解の仕方がまったく異なる。それは、情報の余りの氾濫ゆえに言葉に 対する細やかな感性を失った、現在の高度情報社会の陥葬と言えるかもしれない。本研究 は、その事例をいくつかの分野にわたって綿密に調査・分析しようとするものであった。 平成9- 10年度に「基盤研究(C) 2」の研究課題として申請・採択された本研究は、 東北大学大学院情報科学研究科テキスト情報解析論講座の研究者および大学院生による共 同プロジェクトとして展開した。この間、建築デザイン、またマスメディア、広告を埋め るコピーの意味理解をめぐる違い、コンピューターに関連する専門用語が生み出す人々の 間の亀裂、情報の自由と法規制の抗争などをめぐって熱心な議論が行なわれた。 それぞれの担当分野は、次の通りである。 (1) 「建築デザインを解読する」 (担当:関本英太郎):建築はそれ固有の言語で構成され る。モダニズム建築にはその規範的な言語があり、またポストモダニズム建築はモダニズ ム建築に批判的な言語で成り立っている。しかしモダニズムにしろポストモダニズム建築 にしろ、今や都市に無秩序に入り組んで建っている状況では、その言語の意味もすっかり 変質している。建築言語はすでにその歴史的文脈を失い、街路を通る人たちにもはや生き た意味を投げかけることはない。まさに死んだ記号として吃立しているだけなのである。 このような建築の現在に、果して建築はかつてと同様に、生きた社会的メッセージを伝え るポテンシャルを残しているのか。それを探ることが本分野での課蓮であった。′ (2) 「メディア・テクノロジーの進展とハッカーの言説」 (担当は研究協力者:山根信二) : かつてネットワーク社会の到来によって水平型の市民社会が到来すると言われた。そのメ ンバーをネチズンと呼ぶ者もいる。しかし(コンピューター)リテラシーの差があらたな階 級をコンピューター空間にもたらしつつある。 「ハッカー」、 「インターネット」、 「情 報スーパーハイウェイ」などの理念を分析することによって、そこに繰り広げられる階級 闘争を調査・分析した。 (3) 「広告の文面における『漢字、カタカナ、ひらがな』の表記に違いから生じる、意味 の違いについて」 (担当は研究協力者:根津大輔):広告を見る者は、文面から自分にとっ て都合の良いある特定の意味を受け取る。しかし、そうした「言葉の意味」ではなく、 「漢 字、 ヵタカナ、ひらがな」という表記の違いに、意味理解の差異を求めようとする。その 際、一戸建て住宅、マンション、墓地の広告を、購入する世代等、いくつかのレベルにて その理解の違いを調査し、分析・整理した。 (4) 「言語のラベル化と国際関係」 (担当:生出恭治) :ある語桑が、一定の条件のもと に何らかのイデオロギー的色彩を帯び、それがついには特定の文脈なしに、それ自体とし て一定の価値を表現する事例を調査・分析した。すでに生出は"dutch"という言葉が、本 来中庸的な言葉でありながら、特殊な国際関係の中で否定的に使用される分析を行ってい るが、引き続きそれと同様の事例を探り、歴史との相関的な分析を試みた。 またデータ解析に当たっては、研究協力者である相場徹と共同で研究をおこなった。 ■
(5) Information Overspill: How the Law Fails to Constrain Information ( 「法
は過剰な情報にいかに有効に機能するのか」 ) (担当:ジェレミ一・シモンズ)法は情報 を一定の枠に押し込める。しかしこのような考え方はネットワークの現実に合敦しない。 ある種のデータだけいくら法によって保護しようとしても、情報自体が必ずしも一定の枠 に限定されるわけではないために、有効に機能しない。 オリジナルがあるから、パロディが生まれる。したがっていくら出来上がったものに 法的な措置を対抗させようとも、いつもパロディはその法を越えてしまう。タグの向こう に何があるかわからない。リンクされるのは、いつもテーマに関連するものとは限らない。 図書検索の向こうにPlayboyの世界が待っているかもしれない。こうなると、関心のない 人まで、ヴァーチャルな官能界へと誘惑することになる。こうした事例に対して、法は果 たしていかに有効に機能するのか。このように、法は現在、インターネット上に展開され る非実質的な情報を規制するルール作りのために、まったく新たな困難に直面している。
本報告書はこれらの課蓬に応えた研究成果の一部である。しかし、それは依然として それぞれの分野の個別的な研究にとどまっており、今後それら相互の関連を体系的に明ら
′
20世紀の建築の外「壁」論考
関本英太郎
20世紀建築の外観、つまり「壁」 「ファサード」を、そのデザインをいかに解読する か、もしくはしうるか。この問いに何らかの解答を見出すことによって、 21世紀の建築 のデザインに、その哲学・思想に寄与しうる萌芽を見出すことが、ここでの課題である。 ファッション・ジャーナリストとしても著名なデイアン・スジックが、都市について こう語っていた。 「都市は複雑な生命体であり、決して全てが快適であることはなく、ど こ かに暗部や苦しみを抱えているものだ。けれども、そうした危険と不安定の境界線こそ、 都市にこれほど異常な力をもたらせていることも確かだ。結局のところ、都市が最も生き 生きとしているのは、変化への動力としての役割を担う場合なのである」 (デイアン・スジッ ク、 46)。そうなのだろう。不特定のデベロッパーによって都市に無尽蔵に資本投資がな される。都市の街区を埋めるひとつひとつの建物は、隣の建物や周囲の景観との調和や釣 り合いなどを考慮しているとは、とうてい思えない。それぞれまったくばらばらで、そこ に未来を見据えた全体的計画性があるとはとても思えない。しかし、都市は、人間と同じ ように、表から見えることのない潜在的ポテンシャルをひめているのだろう。この隠され た存在とは、自ら抑制・統御することのできない無意識の欲望そのものだ。そう考えると、 都市はプランナーの机上の計算にしたがって理路整然と形成されるなどど思わない方がい い。そう考えないからこそ、都市は確かに不気味に見えてくみのだ. しかし、都市を形作る建築の形態自体は別だ。街に沿って奪え立つビルディングを個 別的に見てみよう。すぐに疑問が沸くだろう。どうして建築の形態は相変わらず「四角い 箱」のままなのか。それは依然としてインターナショナル・スタイルにとどまっている。 確かに、モダニズム建築の盛期と違って、壁は白ばかりがやたら目立つと言うことはない。 自以外の色彩を使うことにもはや抵抗は感じられない。材料にしても、モダニズム建築家 が時代遅れとみなした煉瓦・石・木をふんだんに使用している例もある。問題は形態だ。 ビジネス・ビルは基本的にマッチ箱を大きくした陳腐な直方体であり、ファサードは矩形 を描くだけである。果たして、誰かそれを見て不安を感じることがあるのだろうか。きっ と無感覚に違いない。都市に不気味さを感じることはあろう。しかし、現代に、殺伐とし た夜はともかく、ビルディングの形態自体を見て心が痔くとか、感情的に揺れるとかいう 経験をすることはあるまい。すでに建築のモダニズムは街の歩行者との内面的緊張関係を 失ってしまっているのだ。モダニズムの建築言語はもはや何も語らない。それは沈黙の要 塞なのだ。そうであれば、不安を感じなければならないのは、街をさまよう人々でなく、むしろ無力化した建物しか設計できない建築家の方なのではないか。 おまけに、それに拍車をかけるように、建築家に不利な建築の環境・条件が続いてい る。W・J ・ミッチェルは、 『ビット・シティ』の中で、高度情報化社会の到来によって、 ビットによる知の情報交換システムの発達によって、ハードな建築自体が次第に不要とな り消失する未来を予測している。一すでに今でも、図書館などは、内部の知的財産を保護す る、コンクリートなどの堅固な壁がもはや必要とされない事態を容易に想像することがで きる。美術館にしても、ヴァーチャルな複製画像の交信だけで済ませられるかもしれない。 お役所関係では、まさに人と人とが直接顔を合わせ話を交わす場面をまったく必要としな いだろう。まさにそれが高度に発展し一般的に普及したディジタルネットワーク社会の本 来的な姿だろうから。そしてそれを暗示する建築がすでにいく一つも登場している。たとえ ばL,'伊藤豊雄の『せんだいメディアテ-ク』がそうだ.まっすぐに建つ柱は1本もない. 13本の柱はチューブ状の形を保ちながら、まるで海草のように揺らめき、ねじれている。 安定を失い絶え間なく揺れる運動、モダニズムでお馴染みの直交回路からの離反は、まる で不確定の未来を象徴しているかのようだ。しかしこの建築の美的エッセンスは、この揺 れ動く内部が完全に透けて見えることだ。この建築はもはや外部の壁を必要としない。メ ディアの本質が公開にあることを教えるように、もはや内部を外の敵から守る容器を払拭 してしまっている。 こうして見ると,今や建築は過去と未来に挟まれて、身動きできない状態に陥ってし まっている。しかし、不思議に建築界にて比較的若い世代のひとたちは、それほど危機感 を抱いていないように見える。 1995年、 30歳そこそこの若さで、横浜港国際客船ターミ ナルのコンペを勝ち取ったスペイン出身の建築家アレハンドロ■・サエラ・ポロは、いとも あっさり口にする。 「夢見る時代はすでに終わっている」 、と。彼はクールに現実をみす え、現在にユートピアを追いかける虚しさを知っている。それはそれでいい。しかし、 「夢 を開拓するのが私たちの前の世代に課せられた役割で、その夢を再考して実現することが 私たちの世代の使命だ」と語る時、もしかしてそれは前世代の夢を食って生きつないでい ることにすぎないのではないか。 「われわれの世代は違う。さらに新しくより魅力ある夢 を追う時代ではなくなった。彼らの創造した夢のうち何が実現できるか、どう実現するか を追求する世代だ」 、と語るサエラを見るとき、それはまざれもなく前世代の遺産の恩恵 のもとに食いつないでゆくことを証言しているのではないか。 『ユーロア-キテクツ』の 著者、岡部明子は、 3 0代半ばにしてフランス大図書館のコンペで1等となり、世界的に 注目されるようになったフランスの建築家ドミニク・ペローについて、こう感想を述べて いる。 「一見、同じようなガラス張りの建物でも、ヌーベルとペローでは透明ガラスに託 すメッセージが明らかに異なっている。めまぐるしく変化し続ける時代にあって、建築の 現在を結晶させようという強い意思がヌーベルにはあるが、ペローにはない。ヌーベルの
′ 建築からは、崖っぷちに立たされた人間の強烈なパワーのようなものが伝わってくるが、 ペローの建築はそれに比べてさらっとしている」 (岡部、 19-20) 。サエラにしろペローに しろ、上の世代からは「こだわりがなくて調子いい」 、と形容される。建築デザインを通 して、建築の「壁」をもって伝えるべきメッセージにこだわりをもつことがない。しかし、 夢を語ることができないからと前て、建築の新たなヴィジョンを切り開くことができな いわけではない。建築を通して語るべき社会的メッセージは、いくらでもある。夢を語れ ないというのならば、まさにそれこそ建築家が建築を築く最大のメッセージとなりうるか もしれない。 確かにモダニズム建築家が抱いたような夢を育む時代は、もはや終わりを告げたに違 いない。人類の未来を建築で措こうとする時代は過ぎ去ってしまったのかもしれない。し かし、建築家の何よりの使命は、建築を通して自らの時代を赤裸々に問うことであったは ずである。時代に対する、ということは自らの前に開かれた世界と深く関わろうとするラ ディカルな意志表明こそ、建築文化もしくは哲学の要諦であったはずである。建築につい ての知識をもつ者は、誰でも未来派の建築家サンテリアの大胆なテーゼを記憶している。 「住宅の生命は、われわれの生命以上には持続せぬであろう。それぞれの世代が,自分た ちの都市を建設しなければならぬだろう」 (未来派展カタログ、 78) 0 モダニズム建築以降の建築家たちは、モダニズム建築を刻印する国際様式がメッセー ジ価値をすでに完全に失っていることを自覚して以来、それに対抗しうる「壁」のデザイ ンの構築に務めてきた。それは、サンテリアの宣言に忠実に、自分たちの世代に固有な様 式を求め、それにもとづく都市の新たな景観を探る営為であった。建築家の同時代的使命 もしくは課題とは、前の世代や時代に拘束されることへの抵抗であり、それからの解放・ 自由であるはずであり、そうであったのだ。モダニズム建築以降の世代にとってそれは、 「純粋」という唯一の原理によって統御・管理されること-の抵抗である。 「純粋」原理 を遵守するというのは、つまり、意味の-毒性、中心的・最終的意味の発見・確定であり、 この普遍主義的正当性によって「不純」なもの、汚れ・屑を排除・否定することである。 建築においてそれは、コルビュジェの「白」であり、ミ-スの「ガラス」、 「スキン・ア ンド・ボーン」であった。またコルビュジェの「ピロティ」についての考え方は象徴的で ある。彼はこの建築構造を適用することによって、自ら設計した純粋な幾何学的構成体を 汚れた大地から浮かび上がらせ、かくして解放させることを意図した0 しかし、今やこのような「二項対立」の原理によって指導的に操作される時代は、す でに終わりを迎えている。世界中の誰もが,今や「不安」の感情を抱かずして暮らしてい ない。ヒエラルヒ-的、ピラミッドもしくはツリー状の強固に安定した機軸・構造や秩序 に依拠しうる時代が過ぎ去ったことを知っている今、そして世界の現在に目を向け、民族・ 種族間の紛争がいたるところで生じ、しかも決して終わりそうもないことを知っただけで
も、多元的価値の共生・共存を現実にいかに確立してゆくのかが焦眉の課蓮として問われ ていることがわかる。互いに生の価値観の違う、伝統や文化がはなはだしく異なる人々の 間に安定した調和・均衡をいかに確立するのか。少し世界的事情を観察・認識すれば、否、 それほど背伸びしなくても、環境間遭、すさんだ学校など、ちょっと身の回りを見渡した だけでも、建築家が建築家として対時すべき課題は、たとえ若い世代であろうと、いくら でも発見しうるはずである。 こうして見ると、建築家の現在の思想的課蓮を大きく二つ提示することができるだろ う。ひとつは、モダニズム建築のエリート的な「純粋」原理をいかに克服するかというこ と、そしてもうひとつは、現代を特徴づける多元的価値・原理を、建築デザインとして、 建築の「壁」を通して、いかに象徴的に構成しうるかということである。そうした観点で 最近の建築を眺めた時、 A ・ヴイドラーの表現を借りれば、 「不気味な建築」というレッ テルを貼ることのできる何人かの建築家が注目されてくる。 たとえば、アメリカの建築家P ・アイゼンマン。彼は、思想・哲学の最新の動向に敏 感に反応する建築家だが、最近ではドゥルーズ-ガタリの哲学に依拠し、 「アロノフ・デ ザイン芸術センター」 (1996)を設計した。それは、川の流れのような線の流動性や摺曲 状態を強調することによって、 「動き・運動」もしくは「生成」自体を可視化しようとし ている。それは何か固定・確定しうる、一定の計量をになうものを描くのではなく、線と 線との間のスペースの動き、つまり「ずれ」を描き出すものとなる。この原理を「差異の 連続性の力学」と呼んでおこう。それは、一定の意味に解消されることを永遠に拒む力学 として構想されるのだ。だが、言うまでもなく,建築はそれによって矛盾を抱え込むこと になる。建築は、美の原則を除けば、実と強を基盤とし、それによって安定性と守られて いる、保護されているという安心感を与えることができるのであるから、アイゼンマンの デザインはそれに抵抗しようとする意志に満ちている。それをモダニズム建築の「機能性」 の制約・拘束からの解放とみなしうるかもしれない。しかし、建築は当然不断に静止状態 にあることを条件付けられているのであり、その意味では、アイゼンマン自身がいくら理 念的に「運動」するスペースを構想したとしても、実際の建築自体がそれを裏切るのであ る。そうして見ると、アイゼンマンの建築を静止と運動という矛盾した現象を同時に内包 した作品として解読しうる。 中心主義的思考からの脱却をはかることを通じて自らの時代との対質をはかる建築家 を他にいくらか紹介しておく。フランスの建築家B・チュミは、パリの「ラ・ヴイレット 公園」の設計、とりわけ「フォリー」とよばれる真っ赤な構成体の固有な配置・手法を通 じて、建築言語の慣習的規範の解体をもくろんだ。チュミは、 「ラ・ヴイレットとは絶え 間なく何かを産出しているとか、不断に変化しているとかいうための用語だ」 、と語って いる。彼は,言語が一定の意味を裏切る建築の現場の経験を構想した。 「サッカー選手が
サッカー場でサッカーをする」 。この命題に誰も驚くことはない。チュミはこの日常的慣 習にショックを与えようとする。サッカー場は戦場である。だが、別にサッカーだけの会 場と限定される必要はない。 「サッカー選手が戦場でスケートをする」 。形態は機能に従 うのではない。それは機能によって裏切られるのだ。 「人々は壁であり、壁はタンゴを踊 り、タンゴはオフィスに向かう」;こうした予測できないシュールな「イベント」を経験 する空間として、チュミは建築設計にあたる。建築グループ「コープ・ヒンメルブラウ」 のひとり、 W・D・プリクス。彼にとって建築は「感情」 「情欲」である。それは啓蒙の 理性・合理性からするりと抜ける身体の挙措へのこだわりである。 「最近はくらのデザイ ンは、手の仕草にしたがうドローイングを強調するようになった」 。作品のパラメーター は、敏捷な身体の運動であり、この身体に書きこまれた言語である。彼にしたがえば、こ の言語は前一理性的であり、いまだ明瞭に分節化されていない。建築家の課題とは、この 前象徴的な動的エネルギーを作品の静態的構成と変換することなのだ。 1999年ようやく 竣工したD ・リベスキントの「ユダヤ博物館」は、亀裂・断絶を随所に浮かび上がらせ、 その形態は折れ曲がっている。それは、啓蒙の原理が立脚する直線的な進歩の歴史観を徹 底して逆撫でするものである。過去にベルリンのユダヤ人たちが体験した不安、すなわち、 「自分たちがどこにいるのかわからない。そうした先が見えない不安」というのは、リベ スキントにとって現代のわれわれの不安にはかならない。原存在の拠り所をもはや見失っ てしまった「今」という時代-の認識が、リベスキントをして中心軸を発見できない複雑 な建築形態を不可避に選択させる。さらに幾人か紹介・説明することができるだろう。理 性や意識ではもはや制御しえない、無意識の狂気を内部にはらんだデザインを構想するR ・ コールハース、近代の進歩の思想から無用のものとして捨てられたたゴミ・屑を使用しそ のアクチュアリティを問うたF・ゲ-リなども、忘れてはいけないだろう。しかし、ここ では最後に、現代の建築界において最もラディカルに建築のありかたを問うているL ・ウッ ズの仕事を少しばかり詳しく紹介することによって、建築の「デザイン」 「壁」のありか たを問う最後の例としたい。 アメリカの建築家L ・ウッズもまた、時代が今や、多元性、複合性、不確実性の原理 によって動かされている以上、それを具体化しうる、それが見える建築デザインや形態を 実現しなければならないこと、そのために、建築はいかにあるべきか、を問わなければな らないとの姿勢を見せている。彼が措くのは、一言で表現すれば、 「衝突」とその終わる ことのない運動である。秩序と無秩序、新と旧、内部と外部、上位と下位の間の乱みであ る。その際彼が強調するのは、個々人の差異の原理である。個々人が自由に、固有の仕方 で、新たな生活スタイルを展開する。それによって、 「未知の、定義しえない、不確実な、 野心的な」都市が既存の都市の内部を撹乱するのである。そのスペースを何に使うかわか らない。 「フリースペース」と名づけられたこの空間では、機能別用途があてがわれたモ
ダニズム建築の「ユニヴァ-サル・スペース」と異なって、人は「未知の日的もしくは意 味」 、個人個人の生活スタイルを自ら考案し、外部の物理的な条件に応じて、形態などを 決定する。自己裁量に大きく依存する内部の侵食運動。 『ラディカル・リイコンストラク ション』においてそれは、 「新しい構造は、埋め込まれる」 、と表現される。ここには融 和や調和の観念が欠けている。タ糟拓は平穏、しかし内部は不断に内部を巣くう運動が、 「隠 れた都市」が進行する。古いものと新しいものとが隠れたままに同居している。目指すの は、古い秩序にあって、そこに進行する新たな秩序を作り出すことである。そこではもは や人々はひとつの指令系統で統御されることはない。個人が、既成の権威、慣習、秩序に 抵抗し、それを撹乱的に占拠してゆく運動がイメージされる。それを称してウッズは、 「建 築は戦争であり、戦争こそ建築である」 、と宣言した。最新の「ハバナ・プロジェクト」 では、決定不可能に侵食運動を繰り返すフリースペースの内部と圃随な国際様式の外部と が激しく衝突する。大地に縛られた都市から解放されて、メディア・テクノロジーの恩恵 を受けた新たな都市が大空を自由自在に飛び回る。階層的秩序に維持された下位のビルディ ングの管理・統御権を、上位、いわばメタレベルにある無秩序的な自由な空間が剥奪して しまう。建築はこうした戦場の場として措かれるのである。当然実際に築くことはできな い。ウッズの作品は、すべてドローイングもしくはプロジェクトにとどまる。 冒頭で述べたように、建築の世界は依然としてモダニズムの国際様式が支配的である。 機能性と効率性が経済原則とされる限り、そのスタイルはさらに続くであろう。しかし時 代の原則は、もはや普遍主義的思考で貫徹されることはない。 P ・アイゼンマンは、論文 「誤読」のモットーとして、 A・ロースの宣言「家はくつろぎ、芸術は憎まれる」 、を引 用した。建築は、モダニズム建築のスタイルが教えるように、. 「制度を作り出す」 。しか し、建築が建築であるためには、 「この制度化に常に反抗しなければならない」 。制度に 抵抗する建築は、人に不快な感情を与え、憎まれる。そんな日に会いたくなければ、今ま でどおり豆腐のように味気ない四角の箱を作りつづければよい。しかし、今、コソヴオ紛 争のように、民族間の争いや虐殺・殺我のニュースがほとんど毎日流れる。世界は決して 安定していない、むしろ世界自体が日下非常事態下に、厳戒体制下に置かれている、と見 たほうがよい。そうした世界状況の中で、果たして人々は、そこに住む人たちは、どれほ ど豊かな感情を抱いて生活しているのだろう。ほんとうに幸福で心安らかな毎日を送って いるのだろうか。むしろ老後のこととか、回りとの人間関係とか、悩みの種が尽きず、毎 日不安な日々を送っているのではないか。こうした時代精神に忠実であろうとすれば、そ れを建築のコンテクストの中に取り込もうとするならば、ウッズに代表されるように、建 築のデザインは、その外「壁」は、もはや現状のままに甘んじているわけにはいかない。
参考文献
・未来派1904-1944 展覧会カタログ(1992・4・11-6・1)・セゾン美術館 ●宮内康・布野修司編/同時代建築研究会著『ワードワップ現代建築 ポスト・モダ ニズムを超えて』新曜社 f993 ・日経ア-キテクチュア(1999.2-8, No・633)日経BT ●岡部明子『ユーロア-キテクツ』学芸出版社1998 .関本英太郎「 『ずらし』の思想- P・アイゼンマンの琴築の理念」東北大学言語 - 文化部「言語と文化」第3号1995 ●関本英太郎「対立と複合性を越えて-ベルナール・チュミの建築思想」東北大学 言語文化部「言語と文化」第4号1996 ●関本英太郎「建築と錯乱もしくは精神分裂一都市を解剖するコールハース」東北 大学言語文化部「言語と文化」第7号1997 ●デイアン・スジック『新世紀末都市』植野糾(釈) 鹿島出版会1994● LWoods・ Terra Nova, in Architecturle in Transition・ Prestel, 1991
. LWoods, Lebbeus Woods Anarchitecture: Architecture is a Political Aci・ Academy
}
Editions, 1992
'L.Woods, Fl・eeSPaCeand the Tyranny, in The End of Architecture?・ Prestel, 1993
+ L Woods. The Havana Projekt. Architecture again・ Prestel・ 1996
+ L. Woods. Radical Reconstruction. Princeton, 1997
メディア・テクノロジーの進展とハッカーの言説
山根信二
【概要】コンピューターテクノロジーがあらたな階級の言説を社会空間にもたらしつつある。 本論では「ハッカー」 「インターネット」といった理念の受容を分析することで、そこに 繰り広げられる諸階級の意識を分析し、その格差について考察する。 【キーワード】ハッカー,クラッカー,イソターネット 1 ハッカーの歴史: 1950S-1990S ここではハッカーを中心に、コンピュータテクノロジーの普及とともに形成された言 説について検討する。 1.1 ハッキングの発明: MITにて ここではハッカーに村する誤解(あるいは無知に基づく偏見)を避けるために、まずハッ カーの系譜をたどる。 ハッキングの起源はコンピュータの発明以前、ボストンのMIT (マサチューセッツ工 科大学)に遡ることができる。 MITでは創意工夫をこらしたユーモアをハックと呼ぶ伝続 } があり、 MITミュージアムには今世紀の歴代のハックが公開されている。 MITミュージ アムはその集成の出版も行ない12、さらにオンラインでも「ハックの殿堂」を公開してい る3。 このようにハックが称揚されるのには、ハックが創意工夫とチームワークの結晶であ るという了解がある(世界的にも有名なMITのロボットコンテストもまた見事なハッキ ングを競う場であると言えよう)。たとえば、 1994年には一夜にして大ドームの上にパト カーを載せるというハックが行なわれ、その映像は世界中に報道された。これは市民を仰 天させるのみならず、 MITの学生のアイデアと行動力を示すものとして賞賛されている401 Leibowitz, B. The Journal of lhe Inslilule for Hacks. Tomfoolery q・nd Pra77・ks al MIT・ MIT MllSellm,
Cambridge, MA, 1990・
2Harverson, I and Fultoll-Pearson, T., Eds. -Is This The Way To Baker Houselg'': A Compendium of MIT Hacking Lore. MIT Museum, 1996・
3tIRL: http : //web. nit ・ edu/museum/exhibits/hacks ・ htm1
1.2 コンピュータハッカーの業績 このMITの伝統の中で、 1950-60年代、自由奔放なアイデアと優れたテクニックによっ てコンピュータの性能を引き出す者がhackerと呼ばれるようになる。これが現在一般的 に知られているコンピュータハッカーの起源である。コンピュータハッカーの功績がなけ ればハッカーという言葉が広く流布することもなかっただろう。 たとえばMITの学生達は、パンチカードを事務員に処理してもらう(つまり,ユーザー が計算機に触ることができない)計算機環境を改造し,対話型インターフェースやマルチ ユーザーシステムを実現するというハックをやってのけた。これはやがてパーソナルコン ピューティングの碇になるものだ5。やがて計算機科学者や人工知能研究者のあいだでエ レガントなプログラミングがハックと呼ばれるようになり6、卓の腕前を持つ者をハッカー と呼ぶようになる。ここで言うハッカーとはプログラミングやツールの操作がちょっと上 手といった程度のマニアではなく、マイクロコンピュータの革命期から現在まで、コンピュー タサイエンスに輝かしい業績を残した人々のことを指していた。 コンピュータハッカーの功鏡は、単なる技術開発だけでなく、それを支える文化を生 み出したことも現在では知られている。これはインターネットの成功によって認知される ようになったものだ。インターネットの元祖であるARPANETの構築と相互接続も、大 企業よりはむしろ伝説的ハッカーたちに負うところが大きい7。それはすなわちノウハウ やフリーソフトウェア(ソースコード公開のソフトウェア)を書いて配り、ほかのハッカー との情報共有をすすめるというやり方である。ハッカーが情報を共有すればするほどソー スのバグフィックスや新機能の追加が速やかに行なわれ、ネットワークのさらなる利用の ゾ 可能性を広げることになる。インターネットが中央制御なしに運用できているのはこのよ うなハッカーの自由と協調の精神(hackerethic)に負ってい88.
インターネットで第-に参照されるオンライン文書RFC(Request For Commentsの
略)も、そのようなインターネット上でのノウハウ共有をするめるために発明されたもの だ。そのRFCの一つとして『インターネットユーザー用語集』が提案された時、侵入者
を「クラッカー」と定義し、 「ハッカー」と区別したのには上記のような背景がある。以
5Levy, S. HackersI Heroes of the Computer Revolulio77・・ Penguin Books, Nov・ 1994・ With
"After-word: Ten Years Later". Originally published from Anchor/Doubleday, 1984・
6Bernstein,.I. 「心をもつ機械:ミンスキーと人工知能」 Mind and Machin・e.・ ProPle ofMarvi71・
MiTl・-sky.岩波書店, 1987.
7cerf, V・ "Twas the Night Before Start-upH'Request For Co7nm・entS・ Dec° 1985・ RFC968, 2pages・ Seealso Cohen, D. uWorkillgwith Ion, Tribute delivered at UCLA, October 30, 1998m Request For
Com・me77・ls. Nov. 1998. RFC2441 (Status: Infomational), 6pages・
下に1996年に更新されたRFC 「インターネットユーザー用語集」からハッカーに関わる 定義を引用する。 ハッカー システム,特にコンピュータやコンピュータネットワークの内的なはたらさを 深く理解することに喜びを覚える人.この語は正しくは「クラッカー」と呼ばれる べき蔑視の文脈でしばしば誤って使われる.クラッカーも参照せよ. クラッカークラッカーとはコンピュータシステムに権限を持たないのにアクセスしよう とする人物である.これらの人物はハッカーとは対照的にしばしば悪意を抱いて行 動し,システムに侵入する多数の手段を駆使する.ハッカー,コンピュータ緊急対 応チーム(CERT),トロイの木馬,ウイルス,ワームも参照せよ. 9
1.3 ハッカー精神は廃れたか
ハッカーが実践してきた自由と協調の精神はエリートだけが維持している古き良き精 神であり、ユーザー(非プログラマー)には関係ないという考え方もある。しかし、ハッカー 文化は今後も無視できない存在になりつつある。ノウハウを公開してさらに育てていこう とするハッカーの運動はすたれることなく、その裾野はパーソナルコンピューティングや ネットワーク社会の進展にともなってさらに広がっている。たとえば、いまやハッカーに よって公開と改良を重ねられたフリーソフトウェアだけで、いまや電子メールからソフト ウェア開発、本の出版まで実現できる。そしてフリーソフトウェアが利用者を増やしてい くにつれて、フリーソフトウェアの有料サポートがビジネスとして成立するまでになって いる10。 一2 ハッカー虚報の歴史
前章ではもっぱらハッカーの業績を記述した。しかしハッカーの業績が輝く一方で、 ハッカーをはみ出し者のヒーローと理解し、さらに不良ファッションのように紹介する風 潮が出現する。その結果、 MITに由来するハッカー文化はアンダーグラウンド文化やカ リフォルニア文化と混同されもするようになった。そしてそれに伴い、 「自称」ハッカー が出現することになる。その実態は大抵クラッカーや独創性のかけらもない模倣犯なのだ が、マスコミが何の検証も確証もなく彼らを天才あるいはハッカーとしてとりあげるよう になる。この章では、それらの報道に見られるハッカー像を検証する09Malkin, G., Ed. `ilnternet Users'Glossary''. Request For Commenls・ RFC1983,Ang・ 1996・ (Also
FYI18) (Obsoletes RFC1392), 53 pages・
既知の手法による侵入事件が天才の手口として騒がれ、専門家がそれを訂正してまわ るという事態はくりかえし発生している。たとえば、かたっぱしからパスワードを試すよ うなことはハッカーどころか初心者でもできるものだが、その理解に立った上でコンピュー タ侵入事件を報道しないとどうなるか考えてみればよい。ちょっとした侵入を大惨事のよ うに報道したり、そのような初心者に対抗する技術が存在しないかのような勘違い記事を 出すことになる。アメリカで1988年に起こったインターネット・ワーム事件の報道では、 そのような初心者とネットワーク専門家の格差が明瞭になった11。ここでは日本での報道 を検証する。
2.1 1990年5月「高校生らハッカー40人がウィルス開発」
日本のマスコミによる1987年の「西独からトリスタンを狙って集団ハッカーが侵入」 騒ぎ(実際の侵入はその2年前に対処済みだった)や1989年末大地震研計算機ウイルス感 染騒ぎなど、おおげさな報道は数えきれないが、その中でもこの誤報事件はまったくのガ セネタとして知られている。 事の起こりは、高校生がコンピュータウィルスを開発したいう1990年5月2日の朝日 新聞の1面スクープ記事である。 (そのウイルスはⅩ68000マシン用のゲームソフトに入っ ていたもので、当時はソフトウェア製品が感染している事例は珍しかった。 )このトップ 記事は、ある高校生が「ライバル企業に頼まれて全国のハッカー40人で開発した」とい う告白と(自称)専門家の警告を掲載したものだ。しかし、その翌日に各社が高校生に敬 材したところ、ウイルス製作は嘘で、少年が自作したというワクチンプログラムも別人が 作った既知のプログラムだと判明し、 4日の一面では誤報のFぉゎび」が掲載されること になる。そしてこの報道の中でハッカーはウイルスプログラムを書く人物として解説され ている。 どうして『科学朝日』 FASAHIパソコン』という専門誌も出していた朝日新聞社が自 称ハッカーにだまされたのか。ちょっとしたコンピュータ利用者なら「ウイルスプログラ ムを作るのに40人も必要なのか?」とすぐ疑うだろう。それに判断しかねる記事を堂々と 一面に掲載したことは単なる無知という以上の意向が働いている。そもそも冷静にウイル スの影響を想定すれば、ホビー機のゲームソフトがウイルスに汚染されたことは一面記事 になるような大事件ではない。高校生をマスコミに紹介した日本コンピュータクラブ連盟 山本隆雄理事長が「被害は5万台」と紙上で予測しているが、確かな根拠は示されていな い。ようするに、この誤報は単なる高校生の虚言というだけではなく、マスコミのコンピュー タ文化に対する不勉強(あるいは偏見)と、そこにつけこんで不正確な情報を売り込む「目llReynolds, J. "Helminthiasis of the lnternet'', Request For Com・me77・ls・ RFCl135, Dec・ 1989 (Status: Informatiollal), 33 pages
立ちたがり屋」が招いた事件だということができる。 表4.1に主な報道の見出し名を挙げる。読売、日経、毎日の各紙も(朝日新聞のように 朝刊1面の断定記事ではないものの)、高校生が名乗りをあげた事実を報道している。そ して扱いの程度が小さいものの、各紙横並びに「ウソだった」という追加記事を出してい ることがわかる。 メディア 亢ネ馼,ネハ偬 +X-ネ+リ,リエネ駟kツ 朝日新聞1b90/4/23(31) 5 ク8 5ネ7H6x, X488ク5 ケ (ヒ96H螽エ *ィ刮 S " 5/2(1) 5/2(19) 5/4(1) 6H螽エ 4X488ク5畏(ユゥ h.x*ィ、ゥJメ o C ノ_ h 8* 5h88 ク7hエ ォI Y *" k 調べ" "5万台被害の可能性/パソコンウイルス/「連盟」注意呼びかげ' "通産省も事実調査へ""シャープは回収始める" "パソコンウイルスの作り話/警察が高校生を説諭""おわび" 読売新聞5/2(26) 5 ク8 5ネ7H6x4X488ク5 リ(蓼*ゥ グノkネ h.Sr 5/2夕刊(14) リ(蕀 グネ,ネ5 ク8 X488ク5 ョ仂i ル Y,ネ4ィ5 . ,ィ蝌 *ィ馼 韶h、ィ趙" 5/3(27) 5 ク8 5ネ7H6x4X488ク5 グツ リ(蓼*ヲ ル I"x/ 5 EB 日経新聞5/2夕刊(17) リ(ユゥ h.x*ィ゙ノ ツ 5 ク8 ,ノ6H螽エ 4X488ク5 5/3(9) 5/3(35) 8 4 99 Y│ゥGゥW「 5ネ7H6x, xヲX " ・'ヾソコン.ウイルス侵入/甘かつた?ソフト管理体か "ウイルスではなかった/高校生作成のプログラム" 5/4(31) )fネ,ノ (,ル 9YH4X5ハ84X488ク5萎ノ ネ,Xリ(ユゥ b" 毎日新聞5/2夕刊(1) 5/3(27) 5h88 ク7h7 5ネ5(99 *H4X488ク5 リ(ユゥ h*ゥ(xュH,h、ゥJメ X詹: シh *ゥ_ j2 40人で情報交換し" ・「本当は作っていない」/パソコンウイル又/高校生が証言翻す'' 5/4(22) 7 5ネ5(984X488ク5 *H+ク+ +レ2 リ(ユゥ iDh- . 雑誌SPA!5/16 (リ(ユゥ h4X488ク5 ケ: ,X.リ* +ル 8+X*(5(98788X ク5 ネ諄*)_イ "ZOOMUP" h82リ7huモc ,俶Hァネ* .x.ィ+メx鳧フ Iゥ&Xナ X488ク5Y,(,H巉+龝 週刊文春与/1734-37 ハH684「リ晳D 冽 x+8.ィ+ル* ゥ i[r lィ6x6(7h*」)?ィホ8, リ*掩ネ- r 週刊現代5/2639-41 週刊プレイボーイ5/29 * ゥ i[x6ylィ6x6(7hエネ駛8,ノ Xホケ_ 6H螽エ 4X488ク5愛ゥJリ,リリ(ユゥ h,ネ゙ネ.掩" だった" "パソコン犯罪報道はなぜハズしているのか?'' bil1990/6 68 yk簇 X*(, 佩ケ_ " 新潮451993/ll 侘9 8ヤクヤツツ(齷:馮ノo8エ ,iF韭リ7リ5 (7 表4.1:誤報資料1
2.2 1996年「天才高校生ハッカー」と「伝説の超大物ハッカー」騒ぎ
「目立ちたがり屋」に踊らされたことに対するマスコミの反省はなく、スキャンダラ スな報道はさらに続くことになる。実像とはかけ離れたハッカー像が極限まで肥大したの が1996年にマスコミをにぎわせた天才ハッカーと伝説のハッカーである。今回もまたワ ナビ-(なりたがり、自称ハッカー)の高校生がクラッキングを自慢すれば、直ちに「天才 高校生ハッカー登場!」と報道される。高校生をマスコミに紹介した自称専門家も前回と 同じく、日本コンピュータクラブ連盟の山本隆雄理事長。 そして、その高校生に架空口座を売っていた男(クラッカーを名乗り、 Ni氏yServeの パスワードを破るクラッキングマクロを配っていた)が逮捕されたら、こんどは天才より もすごい、ということで(言うに事欠いて) 「伝説の超大物ハ;カー」として報道される。 おそらく、同時期に翻訳された『テイクダウン』の副患「若き天才日本人学者VS超大物 ハッカー」をふまえた形容だと思われるが、実際はこの副蓮は表紙に書いてあるだけで原 書も翻訳の中身もハッカーを正統的な意味で用いている12。ここに至ってハッカー像は実 像とはまったく無縁なものになりつつある。 マスコミが「伝説の超大物ハッカー」 」と呼ぶ人物の手口の実態は、当てずっぽうの パスワード破り、そして郵送で偽造した架空口座をパソコン通信で売買、その他あやしげ な通販といったもの。これらの犯行にはコンピュータに関する理解は必要なく、セキュリ ティツールや通信ソフトウェアのユーザーであれば誰にでも可能である。ましてや天才的 犯罪者などではない。この「超大物ハッカー」と呼ばれた自称クラッカーは1997年5月 に有罪判決を受けた。 一連の報道記事を表4.2に示す。 1990年の高校生ハツカニ騒ぎが大新聞の一面から始 まったのに対し、 1996年の高校生ハッカー騒ぎは週刊誌(ゴシップ雑誌を含む)が自称ハッ カーの自慢を掲載し、大新聞もそれに乗って「週刊誌に登場した有名ハッカー」という安 易な報道を拡大再生産している。 2.3 マニアの時代の終わり 一連の「天才高校生ハッカー」騒ぎでは、マスコミは自称ハッカーを天才的犯罪者と して騒ぎ立てるだけで、正確な情報提供を放棄したかに見える。たとえば「パスワードク ラッキングは素人にも可能」といった技術的説明がなく、セキュリティを強化する対策の 紹介もない。また、裏付けのない不安(偏見)を晴らすような「パーソナルコンピューティ ングのあらゆる分野にハッカーが貢献してきたが、格好だけの自称ハッカーが現れてきた」12shimomura, T., and Markoff, I. Takedown.I The pursuit a77・d capture of Kevin Mil77・ick・ America 's most wanted co7nPuler oullawZ by the man who did ill Seeker & Warburg, 1995・
記事名(備考) FOCUS 1996/2/28 FRIDA Y 4/19 週刊新潮5/30 週刊朝日6/14 FRIDA Y 6/7 AERA 9(26) 7/1 産経新聞9/6 週刊プレイボーイ 10/1 -毎日新聞10/13 毎日新聞10/27 毎日新聞11/15 週刊文春11/21 毎日新聞12/04 毎日新聞 週刊文春1998/7/2 " 「高校生ハッカー」年収1000万円一基ビデオ屋、口座屋にパスワードを売る手口" "日本もここまで来たハッカーがパソコン通信でアナタの「銀行口座」を盗む!" "年収二千万円の高校生ハッカー7'(大阪新聞5/17の記事紹介) "高校生ハツ*r荒稼ぎの手口/あなたのパスワード、カード番号を狙う" `年収3千万円!?大阪の天才高校生ハッカーが明かす「パソコンを欺す」仝手口" 百舌鳥伶人"日本のハッカー/中高生が大金稼ぎ師匠に上納" オンライン版http://www・asahi・com/aera/962602.htmi "天才高校生ハッカーパソコン通信で墓穴" "コンピュータ掲示版はSEX無法地帯だった/天才少年ハッカーが ワイセツ通販ビジネスで逮捕!" 社説∝<ハッカー>不正アクセスを防ぐには" オンライン版http://aulos・maimichi・co・jp/scaJlet/hothot/newinfo/9610/ 立石勝規"<論説ノート>日本はハッカーの「天国」が' オンライン版http://aulos・mainichi・co.jp/scarlet/hothot/newinfo/9610/ "口座屋は大物ハッカー" オンライン版http://aulos.mainichi・co・jp/scarlet/hothot/newinfo/9611/ " 「銀行口座販売」摘発でわかった「天才高校生ハッカー」の荒稼ぎぶり" "パソコン通じ他人の口座売り起訴 超大物ハッカーを再逮捕/京都" オンライン版http‥//aulos・mainichi・co・jp/scaJlet/hothot/newinfo/9612/ 猪狩浮- "パソコン通信利用の詐欺犯に有罪一一京都地裁」 オンライン版http://aulos・mainichi・co・jp/scarlet/bothot/newinfo/9705/ 河崎貴- (週刊文春記者), "パソコン少年犯罪白書2 年収4000万円の高校生ハッカー7' ゾ 表4.2:誤報資料2 という時代背景の説明もない。 しかし、数少ない例外として以下の表4.3の記事が挙げられる。 どちらの記事も、 「パスワードクラッキングは素人でもできる技術」と冷静な解説を 行なっている。そしてクラッキングに対する技術的理解に基づいて書かれたこれらの記事 が、どちらもハッカーとクラッカーを峻別しているのは偶然ではない。クラッキングに恐 怖せずに冷静に対処することは、コンピュータという至便の利器を広めてきたハッカーを 知ることにもつながる。
メディア 亢ネ駟kツ 毎日新聞大阪版.1996/12/07(28) IEリ4 85h5 モHケY ネ+ +ル5hワク6 (4ィ イ" 朝日新聞大阪版1997/5/27(25) ,ゥ リ6ネ6(6x,ニ 敢 x,x*HフH-H6 (4ィ ク淙- 4 (4ィ ク-brr 表4.3:例外的報道
3 今後の課題
章の冒頭でハッカーによるフリーソフトウェア運動について述べたが、最後に1998年 に起きたこの運動の大きな変化について述べる。 Netscape社が自社製品についてソース コード公開のみならず開発作業までオープンにすると発表してから、フリーソフトウェア (オ丁プンソース)運動は大いに注目されるようになった.そして本研究の〆切間近になって、この運動の主導者の声明を集めた書籍が出版された13。これは"A Brief History of
Hackerdom"ではじまり"The Revenge of the Hackers"で締めくくられる構成になって
おり、その結果一つの長大なハッカー文化論となっている。本論では「ハッカーの運動は すたれることなく、その裾野はパーソナルコンピューティングやネットワーク社会の進展 にともなってさらに広がっている」と書いたが、ハッカーの方法が注目されたこれからは さらに新しい事態が待っているのではないだろうか。 また本論ではハッカーの社会的政治的状況での発言をフォローすることはできなかっ た。コンピュータテクノロジーの条件下にある我々の生活の意味を再吟味するためには、 さらにハッカーの具体的な闘争を評価検討する必要があるだろう。
13DiBona, C., Ockman, T・ and Stone, M., Eds. Open Sources: Voices Pom the Open Source RevoEu-lio77・. 0'Reilly &Associates, Jab. 1999.
広告の文面における「漢字、カタカナ、ひらがな」の表記の違
いから生じる、意味の違いについて
根津大輔
1 前文 広告が、それを見る者及び読むもの(以下、読解者)にとって自分に都合の良い意味 を受け取るメディアであるとすれば、広告の文面にある「言葉の意味」は、広告の文面を 裏作した者(以下、製作者)の意図を越えて、読解者の窓意性に左右されることになる。 このように、製作者と読解者の間に宙ぶらりにされた広告の文面を理解するために、本論 は「言葉の意味」ではなく、表記の違いに意味理解の差異を求めるアプローチを試みる。2 分析対象としたデータの元について
本論文が分析対象としたデータの元(以下、参考とした広告)となったのは、以下の新 聞折込広告である。参考とした広告について
地域: 神奈川県川崎市 ∨ 期間: 1999年1月15日∼2月14日 対象物: 新聞 折込広告対象業種: 不動産 折込広告の数量: 302 また上記の新聞折込広告の文面中、分析対象としたデータは以下の事項を除く文章中 より抽出した名詞、形容詞、形容動詞、動詞類(助詞、助動詞等のように一般的にひらが な表記される品詞を除く)である。分析対象としない事項
1.広告される事物の名称、価格 2.広告される事物の諸元(性質、成分、構成) 3.広告主について書かれてある事実(名称、その他)4.その他、明らかに広告コピーとして書かれたのではない文章。 したがって、常に漢字表記、カタカナ表記、ひらがな表記されるもの、常に数字で表記さ れるものなど、決まりきった形式でしか表記されないものは除き、製作者の窓意でもって 表記の仕方が変えられる言葉のみを分析対象とした。
3 分析対象としたデータの元の選定理由について
分析対象としたデータの元の選定理由は以下に示す通りである。 3.1 地域について 地域は論者の居住地とした。このことは、国内を無作為抽出でサンプリングする作業 を経たデータとは異なって、本論文では地域特性を無視していることを意味する。したがっ て本論文で最終的に結論付けられる事柄について、地域による相違やきわめて特異な相関 特性などが現れる地域の可能性を否定できないが、そうした地域特性をも考慮に入れた研 究に関しては今後の課蔑もしくは他に委ねることとする。 3.2 期間について 期間については、本年1月15日から2月14日とした。建設省発表の「新設住宅着工 戸数」及び民間調査機関である不動産経済研究所の「マンション市場動向」が、国内の住 宅着工統計として標準的な指標であるが、これらの統計での季節特性、月毎特性は無視し ている。というのも、本論文が研究対象とする「表記の違いに意味理解の差異を求める」 アプローチは、現時点において研究の端緒に就いたばかりであるため、絶対必要最低数量 としてのサンプリング数量を定めることができない。したがって、今回は1ケ月の間サン プリングし、数量251で調査した。 3.3 対象物 対象業種を不動産とした理由は、 2つある。まず第1に、広告の想定読解者を「漢字、 カタカナ、ひらがなを問題なく解する良識的な一般人」と仮定したかったからである。こ こで「良識的な一般人」と言うのは、マス(大衆)の一人として本来存在するはずのない 理想化された広告の想定読解者である。こうした理想的被験者に類似する概念は、認知心 理学など一部の学問で使用されることもある。本論文では、広告の想定読解者を以下の通 りとする。漢字、カタカナ、ひらがなを間是なく解する者(したがって、幼児など若年者 を除く。また、新聞等で一般的に漢字で書くべき文字を解する者と仮定) 住宅(マンション含む)を購入する世代(20歳代後半から60歳代程度)で、平均的 な良識を持って生活している者(不動産広告に全く興味を示さない事がないと仮定)第2 に、論者のやり方で不動産を大別すると3種類(一戸建住宅、マンション、墓等その他) にまとめることができ、不動産というものが類型化のしやすい広告対象物だったからであ る。また、賃貸であるか分譲であるかも、一戸建、マンションについてはそれぞれ分類し ている。
4-分析対象としたデータ一覧
分析対象としたデータ一覧は以下の通りである。 (1)一戸建、 (2)マンション、 (3)墓等その他、で3分類し記してある。 (データサンプルの直後に括弧書きしている のは、 「ひらがな、巧タカナ」表記されている場合、意味を表すための漢字及び漢字かな 交じりの表現) 4.1 一戸建 本物、素材、我が家、家づくり(家作り) 、最適資金計画、とっておき、満ち足りた、 春の、予感、ゆとり、グレード、高めた、空間設備、永住仕様、プラン、快適、住環境、 計画的、整える、街、新生活、特別内覧会、優、雅、潤う、気高さ、洗練、仔まい、夢、 賢人、知恵、住みかえ、暮らしかえ、好立地、好環境、ガーデニング、バーベキュー、広々 ガーデン、史上最大、公園隣接、緑豊かな、利便性、静寂、共有する、暮らしやすい、エ リア、幸せ、始める、英国、気品、風格、趣、漂う、邸宅街、背景、アメリカンスタイル、 伝続、成熟した、憧れた、実現、育む、憩い、暮らしやすさ、随所、健康、快適、頑強 4.2 マンション ゆとり、ツボ、決め手、のびのび、住まい、あなた、暮らし、絶景、すぼらしい、自 然、スケールメリット、満喫、ナチュラル・テイスト、四季、移り変わり、楽しむ、生活、 多彩な、都市、顔、眺望、わが家、休日、永く、快適、暮らす、調和、とれた、生活空間、 便利、静か、楽に、通勤、ゆっくり、散歩、 ON、 OFF、じっくり、考える、造られる、 お隣、毎週休日、便利な、暮らし、豊かな、環境、調和、生活至便、立地、お買物タウン、 直通アクセス、自慢、桜並木、満開、お花見、採光、充分、晴れた日、富士山、姿、気分、 一新、南面、見晴らす、優雅、賛沢、エリア最大級、開放感、あふれる、コミュニティ、近接、上質、時間、開放感、満ちた、住空間、グランドオープン、 MUSE、丘、南欧、風、 包まれて、フラットな、遊歩道、個性豊か、演出、閑静、深緑、新しき、象徴、四季潤う、 大理石、光沢、旺い、グレード感、静護な、永住スペース、格調、快適性、重視、恵まれ た、生きる、田園都市生活、寛ぎ、邸宅仕様、元気、でる(出る) 、専用庭、光、溢れる、 堂々、すべて、ドラマ性、コミュ三ティ、創りました、近未来的な、動線、流線、路地空 間、五線譜、協奏曲、奏でる、抱かれた、溶け込む、風景、ガーデニング、ワイド、明る く、開放感、優れた、街並、眺望生活、待ち望まれていた、ただいま、絵に、毎日、上質、 ホテル、エントランス、パティオ、回廊、アプローチ、永住品質、素敵、魅力、思い描い た、待ちわびて、邸、魅了、相応しい、美学、品質、穏やかな、質感、カタチ、洗練、爽 快、満喫、まぶしい、彩られる、降り注ぐ、咲き誇る、悠々生活、棲む、熟成 4.3 墓等その他 合掌、杜、豊かな緑、喧騒、いい(良いの意) 、あなた、心、つたえたい(伝えたい) 美しい、公園墓地、著名、永眠、永劫の、歴史、刻まれた、由緒正しい、仔まい、心かよ う(通う) 、おだやかなる、真心、うつろい
5 分析1 「データ出現頻度まとめ」
まず、それぞれのデータに占める、漢字、カタカナ、ひらがなの各割合を以下に示す ことにする。 ■ 1.一戸建 ●母数66個 .湊字かな交じり表現: 59 (89.蛸)のうち、漢字のみ表現: 40 (60・6%) ● ひらがな表現: 2 (3.0%) ● カタカナ表現: 5 (7.6%) 2.マンション ●母数164個 .漢字かな交じり表現: 137 (83.5%)のうち漢字のみ表現: 51 (52・4%) ●ひらがな表現: 12 (7.4%) ●カタカナ表現: 15 (9.1%)3.墓等その他 ●母数21個 ●漢字かな交じり表現: 16 (76.2%)のうち、漢字のみ表現: 9 (42.3%) ● ひらがな表現: 5 (23.8%) ● カタカナ表現: 0 (0.0%) 「(3)基等その他」については、標本数が少なかったこともあり、信頼性のある数字が出 ているかどうかはわからないが、 「(1)一戸建」と「(2)マンション」では、 (1)の方が漠 字かな交じりの「漢字を用いた表現」が多いことは明らかである。また、 「漠字のみの表 現」についても、一戸建の方が、パーセンテージが高くなっている。また、 「ひらがな表 現」に着日すると、 (2)のほうが(1)の2倍以上の頻度で生起している。これらの数字は いったい何を物語っているのだろうか。
6 分析2 「表現と意味の対応関係についての解釈」
表現に漢字が多いことは何を意味するのだろうか。漢字が多いということを定量的に 考えることにすると、もし同一のフォントを用いたとすれば、一つのフォント全体が占有 する面積のうちインクが染みをつけない空白部分が少なくなる傾向にあると言うことがで きる。簡単に言うと、漢字が多ければページは黒くなるということである。このことは視 覚的に明らかであろう。これを、広告に当てはめるとどうなるか。もし、ある一つの文字 ■ を印刷した時にできるフォント中の空白の印象から受ける視覚的感覚が、建物に対する身 体感覚を実は呼び覚ますことが出きるとしたら、マンションの広告表現の中に盛んに多用 される、 「光」 、 「開放感」 「旺しい」といったイメージを、インクの染みを少なくする ことができる「ひらがな」 、 「カタカナ」表記の力を借りて実現することができるのでは ないだろうか。逆に、個人の住宅に一般に望まれる特性である「しっかりと地面に建って いるという最低限のこと」を表現するために、軽やかなひらがなやカタカナよりも、漢字 を用いることの視覚的効果が広告読解者の身体感覚に訴えるものがあるのではないだろう か。7 まとめと今後の課題
表記の違いに意味理解の差異を求めることは、とりもなおきず、ある感覚的な刺激に 対して別の身体感覚が呼び覚まされ、それと連関する意味を記憶の中から探そうとするこ となのではないか。今回とは異なって、分析対象となるテキストが広告ではなく、小説や詩を代表とする文学作品、絵画や彫刻を代表とする美術作品、音楽、写真、映画、新たな 技術に依存する諸芸術、あるいは法律であったとしても、上記のようなアプローチは可能 ではないだろうか。例えば、 ∫.S.BACHによって書かれた音楽作品の音符の数で、重厚 な建築物を想像することは過去の音楽批評家が恋意的な批評としてすでに行ってきたこと だが、それを、新たなテクノロジー(コンピューター?)を用いて定量的に解析した上で 批評してみるということも可能であろう。感覚的刺激が別の身体感覚を呼び覚まし、それ が最初に与えられた身体感覚とは異なった意味理解をするためのきっかけになるというこ とをいわゆる文学的に語るのではなく、新たなテクノロジーを用いて定量的に解析した上 で改めて深く論じることを今後の課題としたい。
言語のラベル化と国際関係
生出恭治,相場徹
1 はじめに 我々の日常生活にあっても、人相互に、何らかの固定的なイメージを相手に対して持っ ていることがよくあるが、国家間相互においても、しばしば、相手国とその国民に対して、 何らかの固定的なイメージを持っているように思われる。 その善悪はともかく、こういった現象は、決して日常生活にとどまる訳ではなく、例 えば、文学作品などにもしばしば現れる。かつて、 ShakespeareのTroilus and Oressidaという作品を取り上げて、歴史上に有
名な『トロイ戦争』の当事者となる2つの陣営、すなわちトロイとギリシャに、それぞれ 象徴的な意味が与えられていることを論証したことがある。 また、その際、こういった現象が決して特殊で例外的なものではないことを示すため、 Shakespeareがその作品において"Jew"をどう捉えているかを調査してみたが、その分析 結果は、 "Jew"に対するある種の固定観念が、ユダヤ人を巡る長い歴史を反映するもの であることが判明した。
さらにその後、同じShakespeareのHamletとThomaS NasheのPierce Penilesseの
間に影響関係が認められることを論証した際にも、 Thomas NasheのPierce Penilesseに おいて、オランダ人が、しばしば、例えば"swinish drunkard"などと呼ばれて、あから さまに侮蔑の対象となっていることを発見した。 こういった現象は、個人的な経験の集積を初めとしていろいろな要因によって起こり 得るものであると推測されるが、少なくとも、集団的に共有され、固定的なイメージを内 包して言語表現として定着するに至るもの、言い換えれば、相手国とその国民に対する固 定的なイメージが言語表現上ほぼラベルに等しい機能を持つに至るものは、何らかの形で、 関係当事国間の国際関係に起因するのではないかと推測される。この点を、科学的に論証 するためには、一方では、当該言語表現の初出年代を突き止めてそれが一般的に定着する 過程を跡付ける必要があるし、他方では、そのことと、関係両国間の国際関係がどのよう に相関するかを調査分析する必要がある。
2 テキスト・データの収集
上に述べた目的を達成するためには、何よりも先ず大量のテキストデータを収集し なければならないが、この点が、現段階では、先ず最初に逢着する難問となる。 まず我々は、 CD-ROMや電子ブックなど、このプロジェクトに着手する段階で入手 可能であった電子媒体で供給されているテキスト・データを用いた調査をおこなった。し かし、我々が入手できたテキストデータは文学系統のものに偏っており、調査分析の目的 を達成するに見合うだけの有意のデータが得られないと考えられた。 この間題を解決するため、新たなテキストデータの源泉資料としてOED2onCDを 用いることとした○最初に、 OED2on CDに附属する検索嘩能を使い、 "Dutch"の用例 を収集したが、その際、調査分析のベースとなるデータを網羅的に収集し、調査分析を厳 密なものにするため、 "Dutch"の派生語・関連語までも可能な限り収集した。。収集対象とした主な派生語: uDutcher,〟"Dutchee," ''Dutchie," "Dutchify," "Dutchy,,,
uDutchman-like)n GDutchwoman,n etc.
・収集対象とした主な関連語: "Dane,''"Danish," "Netherlands,''"Holland," etc.
また、 "Dutch"に関する分析結果の補強材科として、 ".Jew," "Jews," ".Jewish"等の
類例、さらに"English"等その他のいくつかの類例も同様に収集した。
3 0ED2on CDからのテキスト・データ収集方法
} 上記の語嚢は、すべて、先ずOED2 on CDに附属する検索機能を利用して収集した が、収集に際しては、何通りかの検索式を構成してデータの収集を試みた。我々は、最悪 の場合は目視による解析を覚悟せざるを得ない場合も想定し、 50年単位でデータを収集 することにした。このようなデータを収集するために以下のような検索式を用いた。select quotation qt=(Dutch) and qd=(1601-1650) into (J:\Dutch_5)
検索の結果得られたデータ数は1ナ552件となった。
このデータ数は、目的とする調査分析に必要なデータ量としては、決して満足できる
ものではないが、一通り目視によって解析した結果では、データにほとんど偏りがなく、
取り敢えず目的に叶うであろうと判断した。このようにして収集したデータをワークステー ションに取り込み、次節で述べるような作業をおこなった。