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ヘルダーの人間形成論 -その人間観・宗教観・自然観に定位して-

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ヘルダーの人間形成論 −その人間観・宗教観・自

然観に定位して−

著者

寺川 直樹

学位授与機関

Tohoku University

学位授与番号

11301甲第17285号

URL

http://hdl.handle.net/10097/00120784

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課程博士学位論文内容要約 ヘルダーの人間形成論 ――その人間観・宗教観・自然観に定位して―― 東北大学大学院教育学研究科 総合教育科学専攻 寺川 直樹

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本論文の目的は、ヘルダー(Herder, Johann Gottfried. 1744-1803)の人間形成 論を、彼の人間観・宗教観・自然観によって構成される世界観に定位して究明 し、「人間性(フマニテート)形成」としての人間形成のあり方を探究するこ とにある。 本論文は、全七章から構成されている。まず序章第一節では、本論文の目的 とその意義について言及する。細谷恒夫(1904-1970)の『教育の哲学』(1962) によれば、教育諸科学の一部門たる現代の教育哲学の使命とは、「(人間)形 成」(Bildung)という事象を根源的で全体的な出来事として捉えることにある。 そして遡るに、この言葉を教育学的・人間学的に捉え、「人間(性)形成」と い う 意 味 合 い へ と 変 容 さ せ た 人 物 こ そ が ヘ ル ダ ー で あ る 、 と ヴ ィ ス ベ ル ト (Wisbert, Rainer. 1947-)のヘルダー研究やガダマー(Gadamer, Hans-Georg. 1900-2002)の『真理と方法Wahrhait und Methode』(1960)において指摘され ている。こうした観点から、本論文ではヘルダーの人間形成論(人間性(フマ ニテート)形成思想)について考察するが、ヘルダーの人間形成論を現代教育 (哲)学において取り上げるさらなる理由がある。現代の日本社会および教育 の状況をみるに、物質的な豊かさに相反して、西谷啓治(1900-1990)が『ニヒ リズム』(1949)で指摘しているように、精神的空洞化、つまりニヒリズムが 蔓延しているといえる。こうした状況を打破し、新たな人間観を構築するため の一契機として、務台理作(1890-1974)は「ヒューマニズムと時代の支え」(1953) においてヒューマニズムを掲げるが、それによれば、現代のヒューマニズムは、 自然主義的ヒューマニズム、神のヒューマニズム、人類ヒューマニズムの3つ に分類される。『現代のヒューマニズム』(1961)で語られているように、務 台自身は人類ヒューマニズムに立脚し、近代人によってひき裂かれた人間と自 然・社会・他者との関係を全体的に回復することを企図して「全体的人間」と いう思索を展開したが、その構想は、務台の人類ヒューマニズムよりもむしろ ヘルダーのヒューマニズムのうちに確認することができる。というのも、務台 の人類ヒューマニズムは、自然や「神的なもの」から引き裂かれた人間をその 視座の中心に据えているが、ヘルダーにとって人間とは、自然や「神的なもの」 と緊密に連関し合う「全体的人間」そのものであり、それを基調としたより根 源的ヒューマニズムをヘルダーは展開していると言えるからである。 序章第二節では、国内外の研究史について概観する。まずドイツを中心とす る海外での研究史については、三つの時期に区分して概観していく。第一期で は、ヘルダーの人間形成論の精神史的位置づけをめぐる研究が盛んであり、続 く第二期では、歴史社会学・概念史・有機体思想・国家社会主義・歴史主義と いった新たな視角に基づく研究が生じ、そして第二次世界大戦以降の第三期で

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は、初期ヘルダーの著作から研究を進め、特に啓蒙主義との関係について考察 する研究潮流と、後期ヘルダーの初期古典主義に立脚した研究潮流という二大 潮流があることを確認し、特に前者の系譜を引き、現在ヘルダーの人間形成論 に関する教育学的研究の第一人者であるヴィスベルトの諸論考に着目する。ま た、日本における研究史についても、ドイツ文学の領域を射程に入れながら概 観し、とりわけ現在日本でヘルダーの人間形成論に関する研究を行っている濱 田真の諸論考について詳細に検討する。 しかし、こうした先行研究におけるヘルダーのヒューマニズムおよび人間形 成観の理解は、上述のような人間観およびその基底をなし、「自然」「人間(歴 史)」「神的なもの」によって構成されるところのヘルダーの世界観を一面化・ 矮小化して捉えていると言える。具体的に言えば、ドイツでの諸研究では、ヘ ルダーの世界観を「神的なもの」と「人間(歴史)」との関係を中心に考察す る一方で、日本での諸研究では、「自然」と「人間(歴史)」との関係に着目 して考察する傾向が強い。しかも、ガダマーが『真理と方法』において指摘し ているように、「(人間)形成」概念それ自体が「神的なもの」「歴史」「自 然」と密接に関連していることもふまえ、序章第三節では、本論文の探究の視 座を、彼の世界観全体を基調とするヘルダーの人間形成観を再構成することに 定め、その際「人間性(フマニテート)」および「力」(Kraft)という根本思 想に着目しながら考察を進めていく。 第一章では、ヘルダーの初期言語哲学の代表作『言語起源論Abhandlung über

den Ursprung der Sprache』(1772)と『近代ドイツ文学についてÜber die neuere deutsche Literatur』第一断章集(1767)(以下、『断章』第一集と略記)を中心

に、彼の人間観、さらにはそれと連動して展開される人間形成観について考察 する。先行研究でもしばしば指摘されているように、『言語起源論』では、ヘ ルダーの人間観、さらにはそれを支える世界観の萌芽が端的に描かれている。 また、『断章』第一集では、後に『人間性形成のための歴史哲学異説Auch eine

Philosophie der Geschichte zur Bildung der Menschheit』(1774)(以下、『異説』

と略記)にも継承されていく「年齢期」説が言語形成の過程にも導入されてお り、『異説』の「年齢期」説およびそれを基調とした人間形成観をよりよく理 解するためにも、『断章』第一集で展開される言語の「年齢期」説を取り上げ ることが必要である。以上のような理由から、第一章ではヘルダーの初期言語 哲学をもとに彼の人間観・人間形成観について検討していく。 第一節では、『言語起源論』第一部を取り上げ、言語の起源を探究する過程 で明らかにされていくヘルダーの人間観を看取していく。彼によれば、人間は 動物(自然)との間に連続性(感性・動物語)を有するが、しかしその連続性

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に留まらず、その連続性をふまえて理性や人間言語といった非連続性に向けて 自らを形成していくのである。このように、人間と動物(自然)との連続性を ふまえた両者の非連続性という関係がなぜ成立するのかと言えば、それは、人 間の魂のうちに感性と理性の両者が包み込まれているからであり、そしてその 魂に包摂される感性と理性との全体的作用たる内省力(Besonnenheit)を基調と して、人間は言語を生成(創造)するからである。さらに言えば、ヘルダーに とってこうした連続性/非連続性を背後で支えているものこそ、人間と動物(自 然)を包み込む根源的自然であり、人間の魂を創造した神なのである。このこ とから、ヘルダーの捉える人間は、自然と「神(的なもの)」との「中間存在」、 さらには感性と理性の統一体たる「全体的存在」と表現することができる。 また、第二節では、『言語起源論』第二部で展開される言語形成の過程をも とに、それと並行して展開される人間形成観について検討する。まずは、言語 の継続的形成の過程と、感覚や精神的諸力の洗練という自己形成の過程が相連 関して展開されることを確認する。しかし、言語の継続的形成および人間形成 は、各人の自己形成においてのみ実現されるわけではない。ヘルダーによれば、 人間にはその自然的本性として社会性が備わっている。そしてその社会性を実 現する紐帯こそが言語教育およびそれを基調とした教育などの 伝承行為であ る。この(言語)教育によって人々は統一的方向に進み、同一の家族語・民族 語を形成するのだが、それは翻って他の家族・民族(の言語)との相違を際立 たせ、その結果として多様化・個性化をもたらすのである。このように、言語 の継続的形成と並行して展開される人間形成の過程は、人々の統一化と個性化 (多様化)という表裏一体の両方向性を有するが、しかしそれでもなお、ヘル ダーは、人類全体は同一の根底の上に立脚していることを強調し、人類史全体 を通じて言語の継続的形成および人間形成が展開されるとみなしている。 そして、第三節では、『断章』第一集で展開される「年齢期」説を基調とし た言語形成の過程のうちに垣間見られるヘルダーの人間形成観について検討す る。この言語の「年齢期」説において特筆すべき点は、ヘルダーにとって言語 形成および人間形成の過程が、単なる直線的・前進的・連続的・段階的な発達 観ではなく、直線性と循環性との融合によって構成されていることである。ま た、同節では、本章第一節で確認したように、動物(自然)との連続性/非連 続性の関係や、感性と理性という両面性(全体性)を重視するヘルダーの思考 態度を、言語の「年齢期」説のうちに看取していく。 このように、第一章では、ヘルダーの人間観と人間形成観の考察に重点が置 かれているのに対し、続く第二・第三章では、彼の世界観に焦点を当て、その 世界観と人間形成観との関係について検討する。

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まず第二章では、ヘルダーの宗教観、とりわけ彼の世界観および人間形成観 における「神的なもの」と自然との関係を中心に考察していく。先行研究では、 「神の恩寵などによってもたらされるところの、人間の内なる神的似像性の回 復」という宗教的形成から、「外的環境の影響などによって引き起こされると ころの、人間に内在する自然的本性の展開」という自然的形成へと移行する「(人 間)形成」概念の変遷過程において、ヘルダーの人間形成論が後者に位置づけ られている。しかし、ヘルダーには神学者という一面もあるなど、彼の世界観 および人間形成観が単純に後者に位置づけられるとは言えない。そこで第二章 では、ヘルダーの人間形成論における「神的なもの」と自然との関係について 論究していく。

第一節では、『人類の歴史哲学のための構想Ideen zur Philosophie der Ge-

schichte der Menschheit』(1784-1791)(以下、『イデーン』と略記)第一部第

四巻第六章で展開されている「神的似像性」論について検討する。それによれ ば、人間は自分よりも高貴な存在を知らないために、人間よりも高貴な存在た る神を人間の姿形において認識し、表現せざるを得ないのであるが、しかしそ れは、師ハーマンが指摘する「神のへりくだり」、つまり神が自らを人間の姿 形として啓示することによって初めて可能となる。こうした「神のへりくだり」 と人間の主体的な認識・表現との協働によってはじめて、人間は神的似像性を 獲得するのだが、その際人間の姿形としてへりくだるところの真正なる神とは、 無形の「力」(Kraft)とみなされるのである。 そこで、第二節および第三節では、『神に関する幾つかの対話Gott. Einige Gespräche』(1787)(以下、『神』と略記)を中心に、「力としての神」の理 念について考察する。第二節では、『神』第二・第四の対話を中心に、「力と しての神」の理念について、それが成立する思想史的背景(スピノザ(Spinoza, Baruch de, 1632-1677)・ライプニッツ(Leibniz, Gottfried Wilhelm. 1646-1716) の思想との関係)もふまえながら考察していく。同書において、ヘルダーは真 正なる神を「あらゆる諸力の根源力」とみなし、単数形として捉えている。し かし、その「あらゆる諸力の根源力」たる真正なる神は、現実世界においては 複数の力として作用し、それに応じて様々な有機体という「現存」(Dasein) として「表出」(Ausdruck)されることから、それは自然力、つまり自然の内 に存在する「力としての神」ともみなされるのである。このように、ヘルダー において神と自然は、「力」の思想を基調として密接に関わっていることが窺 える。 そして第三節では、『神』第五の対話で取り上げられている十の自然法則の うち、第一~第三自然法則に焦点を当て、ヘルダーの人間形成論における「神

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的なもの」と自然との関係、つまり宗教的形成と自然的形成との関係について 検討していく。その際、特に第三自然法則で取り上げられている「類似の規則」 に着目する。それによれば、「力としての神」の自己表出によって有機体が成 立することから、すべての有機体は「力としての神」と類似するのだが、その 中でも最も類似性が高いとされるのが人間である。しかもこの人間のうち、と りわけ自己に内在する「力としての神」の自己表出に進んで従おうとする者は、 「力としての神」の自己表出によって人間が形成されるにもかかわらず、あた かも自分が自らを形成していると感じることができるのである。つまり、ヘル ダーの人間形成論は、人間と「力としての神」との相互的・協働的関係による.........................、 「力としての神」 ........ の似姿へと向けた ........ 人間に内在する有機的諸力(自然的本性) ................... の展開...なのである。 さらに、第三章では、ヘルダーの自然観、特に彼の人間形成論における自然 と歴史(人間)との関係について探究する。自然と歴史(人間)は、元来密接 に関わり合っていたが、近代自然科学および近代歴史学が確立していく過程で、 両者は対立するようになっていった。しかも、先述のとおり、この自然と歴史 (人間)という両原理は、「(人間)形成」概念においても重要な役割を担っ ているとともに、ヘルダーの世界観の構成要素でもある。そこで、本章では、 ヘルダーの世界観および人間形成観における自然と歴史(人間)との関係につ いて考察するが、その際、鍵を握るのが、前章で考察したヘルダーの宗教観で ある。そこで、第三章では、ヘルダーの宗教観を手掛かりとしながら、両者の 関係について考察していく。 第一節では、『異説』をもとに、本論文第一章第三節で取り上げた「年齢期」 説に再び着目する。ヘルダーは『異説』において、古代史に「年齢期」説を適 用し、オリエントの時代を人類の幼年時代、エジプト・フェニキアの時代を人 類の少年時代、古代ギリシアの時代を青年時代、そして古代ローマの時代を壮 年時代と表現し、その後北方民族の時代において新たな「年齢期」説へと移行 し、そこから「啓蒙の世紀」へと至る、と指摘している。つまり、歴史哲学を 基調としたヘルダーの人間形成観においても、歴史を基調とした直線性(前進 的発展)と自然を基調とした循環性(個性的完成)とが融合しているのである。 さらに、その循環性を支えるモチーフとして、本稿では「輪廻」思想との関係 についても言及するとともに、直線性と循環性との融合によって成立するヘル ダーの人間形成観を支える端緒として、「神的自然の摂理」が存在し、その神 的自然の摂理と人間との協働によって、人間形成の過程としての人類史が展開 されることを指摘する。 続く第二節では、『イデーン』第一部および第三部第十五巻第三章をもとに、

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前章で取り上げた「力としての神」の理念を軸として、自然史と人類史との関 係について検討する。前章第二・第三節で確認したように、ヘルダーによれば、 「力としての神」は自然に内在するが、歴史(人間)の内にも同じ「力として の神」が存する。それゆえ、宇宙における諸天体の関係から鉱物、植物、動物、 そして人間へと展開していく自然史、そしてそれを基盤としてさらなる発展を 遂げる人類史の両過程において、「力としての神」は自らのうちに包摂する「主 型」(Hauptform)を発現するのであり、この点で自然と歴史(人間)は連続性 を有すると言える。そして、その連続性は、人間形成の過程としての人類史に おいても、諸力の拮抗を経て調和的均衡状態へと至るという「持続状態」と呼 ばれる自然法則が作用している、とヘルダーが捉えているからも明らかであろ う。しかし、人間はその歴史において、「力としての神」との協働関係を通じ て、動物(自然)を基盤としながらもその段階を超越しようとするのであり、 ここに自然と人間(歴史)との非連続性を読み取ることができる。 さらに、第三節では、同じく『イデーン』第二部第七巻を中心に、より具体 的な現実における自然と歴史(人間)との関係、つまり風土と人間との関係に ついて、人間形成の視点から考察する。人間は風土という具体的現実の内に生 き、その風土によって個性化(風土化)を果たすのだが、それは風土化作用と 人間に内在する有機的諸力との拮抗によって実現される。つまり、人間は歴史 的風土的存在である以上、有限的ではあるが、共通の基盤として「普遍人間性」 としてのフマニテートを有するのであり、それを「現存」としての人間が個性 的に発現しつつ伝承することで、「普遍人間性」としてのフマニテートの形成 が成立するのである。 ここまで確認してきた内容をふまえて、第四章では、ヘルダーの世界観・人 間形成観・教育観(学校観)の重層的構造について、『1769年わが旅日記Jornal

meiner Reise im Jahr 1769』(1846)(以下、『旅日記』と略記)の学校構想を

手がかりに検討する。『旅日記』で展開される学校構想は、ヘルダーの代表的 教育論としてしばしば取り上げられ、同章第二・第三節で詳述するように、「実 科クラス」と「言語クラス」によって構成されている。当時は、人文的教養(主 にラテン語)を学ぶ古典語学校、母国語を学ぶ民衆学校、職業的・実学的な事 柄を学ぶ実科学校など、様々な学校が存在していたが、ヘルダーの学校構想は それらを総合したものであり、当時としては独創的な構想を企てていた。そし て、この独創的な構想の背景にあるのが、ヘルダーの人間形成観およびそれを 根底で支える世界観なのである。そこで、第四章では、『旅日記』の学校構想 をもとに、ヘルダーの世界観・人間形成観・教育観(学校観)の重層的構造に ついて考察していく。

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第一節では、上記重層的構造について考察する前提として、『旅日記』とそ れ以降の著作、とりわけ『異説』および『イデーン』における世界観・人間形 成観との連続性について確認する。『旅日記』においては、学校構想と並び、 「世界形成の普遍史」構想もまた有名であるが、この構想を実現したのが、『異 説』や『イデーン』である。それゆえ、『イデーン』において鮮明に描かれて いる彼の世界観、すなわち「神的なもの」・人間(歴史)・自然の関係構造が、 『旅日記』においてもすでに垣間見られることを確認する。さらに、『旅日記』 では、「人間の魂の若さと老いに関する作品」の構想についても言及されてい るが、そこで展開されている人間形成観もまた、直線的・前進的・連続的・段 階的な発達観に留まらず、後に『異説』において大成される「個性的完成」の 思想の萌芽を内包していることを指摘する。 その上で、第二節では、学校構想の「実科クラス」にもその世界観・人間形 成観が反映されていることを看取していく。まず「実科クラス」学科表では、 三つのクラスが設定されており、その各クラスにおいて三段階の学習内容が用 意されている。この三段階とは、「自然」「歴史」「抽象」であり、これがま さにヘルダーの世界観の三要素を反映していることを指摘する。また、この実 科クラスの各段階は、それぞれ「感覚・感情」「想像力」「理性・悟性」とい った人間の諸能力を育む役割を担い、クラスごとに主として養成する能力が定 まっているが、しかし、実科各クラスにはすべての段階およびその各段階で要 請すべき能力が配置されており、それゆえ、ヘルダーの実科クラスは、上述の 諸能力を段階的であると同時にその各段階において常に全体的かつ調和的に発 展させようとすることを指摘する。 くわえて、第三節では、『旅日記』と同様に初期の論文である「学問語を熱 心に学ぶことについてÜber den Fleiß in mehreren gelehrten Sprachen」(1764)や 『言語起源論』の知見も引き合いに出しながら、「言語クラス」にみられるヘ ルダーの言語教育論について考察する。ヘルダーは言語教育において、単に言 語(知識)を教え込むのではなく、常に事物との密接な関わりを意識しながら 言語(知識)を習得させること、つまり「生きた言語・知識」の習得を重視し ており、それが言語形成およびそれと並行して展開される人間形成において重 要な役割を担うことになる。こうした前提をふまえた「言語クラス」は、「実 科クラス」と連動するように構成されており、言語教育を通じて「実科クラス」 の諸段階で学ぶ内容をより深く体得していくことが目指されている。 そして第五章では、ヘルダーの根本思想である「フマニテート」(Humanität) について取り上げ、彼の世界観との関連からその核心に迫る。先行研究では、 ヘルダーのフマニテート思想は、言語や理性といった「人間の特性」、つまり

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「(狭義の)人間性」(Menschheit; Menschlichkeit)と捉えられることが多く、 人間を超えた存在、すなわち「神的なもの」や自然、とりわけ後者によって基 礎づけられたものではなく、悪しき意味での人間中心主義的概念とみなされる こともある。しかし、本論文第一~第三章で確認したとおり、ヘルダーの人間 形成論(人間性(フマニテート)形成思想)においては、彼の世界観およびそ れを基調とした人間観がその背景にあり、彼のフマニテート思想もまた、「(狭 義の)人間性」よりも広範な射程を有すると考えることができる。そこで第五 章では、ヘルダーのフマニテート思想を彼の世界観を基調として考察していく。 第一節では、『イデーン』第一部第四巻第六章を中心に、ヘルダーのフマニ テート思想の概要について確認していく。それによれば、フマニテートには、 「理性」「自由」「精緻な感覚と衝動」などへと向けた人間形成のすべてが包 括されており、具体的には「平和」「人間にふさわしい性衝動」「共感」「家 族愛」「正義(公平性)」「礼節」「宗教」が数え上げられている。このよう に、フマニテートは、「人間の道徳性・社会性」および「人間の理性」といっ た「(狭義の)人間性」にくわえて「人間の宗教性」も包摂しており、すでに 本論文第二章第一節で確認したように、ヘルダーのフマニテート思想が「神的 なもの」との関係(「神的似像性」)に支えられていることが明確に読み取れ るのである。

続く第二節では、『フマニテート促進のための書簡Briefe zu Beförderung der

Humanität』(1793-1797)(以下、『フマニテート書簡』と略記)第二集第二 十五書簡および同書第三集第二十七~第三十二書簡をもとに、ヘルダーのフマ ニテート思想について、さらに考察を進めていく。そこでは、『イデーン』の フマニテート思想が踏襲され、理性や公平性、宗教などについて思索がさらに 展開されていく。そのため、『フマニテート書簡』においても、フマニテート は「(狭義の)人間性」および「人間の宗教性」(「神的似像性」)を含むの である。しかし、『イデーン』および『フマニテート書簡』におけるフマニテ ートの説明のうちには、「自然」との関係もまた度々示唆されており、フマニ テート思想の射程に「自然」という要素が内包されていると考えられる。 そこで、第三節では、「フマニテート」と「自然」(「人間の自然的本性」) との関係について、本論文第二章および第三章で取り上げた「力」や「主型」 の視点から考察する。本論文第三章第二節でも取り上げたように、「力として の神」は、自然史において自らのうちに包摂する「主型」を発現するのだが、 ヘルダーによれば、それはフマニテートへと向かうのである。つまり、「力と しての神」に内在する「主型」、あるいは「力としての神」そのものがフマニ テートであり、「力としての神」ないしは「主型」を介して、フマニテートは

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自然(人間の自然的本性)と密接に関わると言える。しかも、本論文第一・第 二節で確認したように、フマニテートには「人間の宗教性」(「神的似像性」) が含まれることからも明らかなように、フマニテートとは、そこへと「神的な........ もの」「人間」「自然」が集摂され................、そこからその三者を表出するところの根.................. 源的な力....なのであり、「神的なもの」と自然との間の..............「中間存在」たる人間を........... 人間..たらしめる力......なのである。 そして、終章では、これまで探究した内容を総括しながら、ヘルダーの人間 形成論の教育学的意義について言及していく。 第一節では、ヘルダーの「中間存在」「全体的存在」としての人間観とそれ を支えるフマニテート思想が、現代哲学の人間理解や「型」の思想にも通ずる ことを確認する。ロムバッハ(Rombach, Heinrich. 1923-2004)が『構造人間学

Strukturanthropologie. »Der menschliche Mensch«』(1987)において指摘してい

るように、「人間らしい人間」とは「宇宙的・世界的・自然的人間」であり、 フマーヌム(Humanum)は人間や宇宙・世界・自然がそこから生成される「始 源」であると同時にそこへと向かう「目的」であるが、それはまさに、ヘルダ ーの人間観およびフマニテート思想に通ずる。また、源了圓(1920-)の『型と 日本文化』(1992)によれば、「型」は日本文化と密接に結びついているが、 西洋語(「パターン」「タイプ」「スタイル」「フォーム」)の訳語として「型」 が用いられた経緯をふまえ、同書ではそれらと「型」との関係について考察が なされている。このことをふまえて、本論文でもまた、「型」の思想をもとに ヘルダーの「主型」概念、つまりフマニテート思想を捉え返す。源によれば、 「型」とは「超越と内在が一つになった超越」であるが、いみじくもカッシー ラー(Cassirer, Ernst. 1874-1945)が『近代哲学と科学における認識問題 Das

Erkenntnisproblem in der Philosophie und Wissenschaft der neueren Zeit 』第四巻

(1957)において、ヘルダーのフマニテートを「超越と内在が一つになった超 越」のように捉えていることから、フマニテートを「人間形成ないし世界形成 の型」として捉えることができる可能性を示唆する。さらに、フマニテートは 「人間形成ないし世界形成の型」であるだけでなく、「(人間)形成」(Bildung) という言葉を構成する「像」(Bild)そのものであることや、「言葉以前の言 葉」とみなすことができる点についても言及する。 続く第二節では、フマニテート形成としての人間形成のあり方についてまと めていく。本論文第一章第三節および第三章、ならびに第四章などで取り上げ たように、ヘルダーの人間形成観(フマニテート形成思想)が直線性(前進的 発展)と循環性(個性的完成)の両面を有することをふまえ、すべての人間は、 有限的ではあるにしてもフマニテートを個性的に発現していることから、子ど

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ももまた、理性と感性の統一体という一人の全体的存在であり、それゆえ大人 と子どもの区別立ては、フマニテートの発現の仕方の相違に基づくものにすぎ ないことを指摘する。さらに、「自我に関する断章Das Ich. Ein Fragment」およ び「自己に関する断章Selbst. Ein Fragment」(ともに1797)という二編の詩をも とに、このフマニテート形成を「脱自」として捉え返していく。それは、具体 的には、人間が「神的なもの」や自然、そして他者などから分離した「自我」 としてのあり方から離脱し、自らの内に潜む「(本来的)自己」、すなわち「力 としての神」あるいは「フマニテート」を究明し、それを発現せしめる過程で あると言える。この「(本来的)自己」としての「力としての神」ないし「フ マニテート」こそが、そこから「神的なもの」「歴史(人間)」「自然」、そ して「私」と「他者」もが表出するところの「始原」だが、しかし、有限的存 在である人間はそこへと到達することはできない。だからこそ、教育をはじめ とする伝承行為が必要だが、しかしこの伝承行為もまた、ヘルダーによれば、 脱自によってのみ成立するのである。それでは、如何にして脱自および伝承(教 育)が可能となるのだろうか。 そこで第三節では、細谷が『教育の哲学』で指摘する「教育的行為の超越論 的構造」を参考に、フマニテート形成における教育者の役割について考察する ことで、上記問題を解決する糸口を模索する。〈教育者―被教育者〉関係の連 続性と断絶性をふまえたところに成立する「教育的行為の超越論的構造」とは、 教育者が自らを抜け出て被教育者の側に立つという意味での超越と、教育者が 自らにも与えられていない境地へと被教育者を導こうとするという意味での二 重の超越のことを指すが、それはヘルダーのフマニテート形成思想にも通ずる と言える。つまり、教育者は、自らの有限性を自覚しながらも、そこから自ら と被教育者が発現する始源としての真正なるフマニテートを予感しつつ、その 真正なるフマニテートの自己展開との相互的・協働的関係に基づいて、未だ知 ることのない真正なるフマニテートの発現を自ら試みる一方で、被教育者にと っては自らが真正なるフマニテートの体現者であるかのように見えることを引 き受け、被教育者をして、つまり被教育者とともに、その被教育者に内在する ところの真正なるフマニテートを発現させようと試みること、それこそがフマ ニテート形成における教育者の役割なのである。それは一見すると不可能に思 われるが、しかし教育者は、被教育者とともに真正なるフマニテートに包み込 まれているために、そのような役割を担うことができる。だからこそ、有限的 存在である教育者は、その真正なるフマニテートそれ自体を未だ知らず、そこ へと完全に到達しえないとしても、真正なるフマニテートを予感し、その予感 を得るためにも、自らフマニテート形成に努めることが求められるのである。

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引用参考文献

Cassirer, Ernst, Das Erkenntnisproblem in der Philosophie und Wissenschaft der

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Gadamer, Hans-Georg, Wahrheit und Methode. Grundzüge einer philosophischen

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(ガダマー、ハンス=ゲオルク著、轡田収ほか訳『真理と方法 I 哲学的解釈 学の要綱』法政大学出版局、1986年。)

Herder, Johann Gottfried, Werke in zehn Bänden, hrsg. von Martin Bollacher, Jürgen Brummack, Ulrich Gaier u. a., Frankfurt a. M. 1985-2000.

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参照

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