第 6 章 応用例
6.1 蒸気圧降下と沸点上昇
6.1.1 概要
沸点(boiling point) とは、液体の蒸気圧が大気圧と等しくなる温度で ある。以下ではTbと記す。例えば、純水に食塩を溶かすと沸点が上昇す る、あるいは、沸騰している水に食塩を加えると一時的に沸騰が収まる ことは経験的に良く知られているだろう。これは、溶質の存在により溶 媒の蒸気圧が低下するからである。大気圧に逹して再度沸騰させるには、 さらに温度を上げなくてはならない。
溶質の存在による溶媒の蒸気圧低下については、前節でRaoult の法則 として見た。再掲すると、
ps = p∗sxs (xs ≃ 1)
xs < 1 なので ps< p∗sであり、蒸気圧は低下する。上式より、蒸気圧の低 下は
p∗s − ps = p∗s(1 − xs)
と表される。1 − xsは溶質のモル分率である。すなわち、
✓ ✏
溶媒の蒸気圧低下は、溶質のモル分率に比例する。
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溶質の種類は複数あってもよい。例えばn 種類の溶質がモル分率 x1, · · · , xn
で溶媒に溶けているとすれば、 xs+
n
∑
i=1
xi = 1
なので1 − xsは溶質のモル分率の総和である。上記枠内に記した性質は、
✓ ✏
溶質分子数の総和のみに依存し、溶質の化学的性質には依らない。こ のようなものを、「束一的性質」と呼ぶ。
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沸点上昇も溶質のモル分率の総和に比例する。次節で導出するように、 沸点上昇∆Tb= Tb− Tb∗は
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∆Tb
Tb∗ =
RTb∗
∆Hs,m∗(vp)
(1 − xs) (6.1)
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となる。∆Hs,m∗(vp) とTb∗ は純溶媒のモル蒸発エンタルピーと沸点である。
この式は、沸点上昇の割合∆Tb/Tb∗が、沸点の熱エネルギーRTb∗と溶媒 のモル蒸発熱∆Hs,m∗(vp) との比を比例係数として、溶質のモル分率1 − xs に比例することを示している。モル蒸発熱については4 章でも考察した。 上式に見られるように、溶媒の蒸気圧降下と同様、沸点上昇も束一的性 質である。
6.1.2 導出
式(6.1) を導出は以下の通りである。ここでは、溶質は不揮発性とする。 溶媒について、気相と液相の平衡条件は、
µ∗(g)s (T, ps) = µ(l)s (T, P, xs)
である。溶質を不揮発性としたので、気相には溶媒の蒸気のみが存在す るから、左辺には純物質を示す∗ を付けた。
大気圧をP = Paと書く。沸点Tbでは、蒸気圧psは大気圧と等しくな るので、上式は
µ∗(g)s (Tb, Pa) = µ(l)s (Tb, Pa, xs) となる。右辺に理想溶液の式(5.12) を用いると、
µ∗(g)s (Tb, Pa) = µ0(l)s (Tb, Pa) + RT ln xs
希薄溶液(xs ≃ 1) であるとして、純溶媒からの沸点上昇を調べる。式 (5.13) より µ0(l) ≃ µ∗(l)を用いると、上式は
ln xs = µ
∗(g)s (Tb, Pa) − µ∗(l)s (Tb, Pa) RTb
(6.2)
となる。右辺の分子は、1 モルの溶媒の蒸発に伴う Gibbs エネルギー変 化、すなわちモル蒸発Gibbs エネルギーである。これを
µ∗(g)s − µ∗(l)s = ∆Gs,m∗(vp) = ∆Hs,m∗(vp)− Tb∆Ss,m∗(vp)
と書く。(Tb, Pa) は省略した。
希薄溶液xs ≃ 1 では ln xs ≃ xs− 1 と近似できるので、式 (6.2) は xs− 1 = ∆H
∗(vp) s,m
RTb
− ∆S
∗(vp) s,m
R 純溶媒ではxs = 1, Tb= Tb∗なので、
0 = ∆H
∗(vp) s,m
RTb∗ −
∆Ss,m∗(vp)
R
上の2 式の差より、 1 − xs= ∆H
∗(vp) s,m
R
( 1 Tb∗ −
1 Tb
)
= ∆H
∗(vp) s,m
R
(Tb− Tb∗) TbTb∗
た だ し 、∆Hs,m∗(vp) の 温 度 へ の 依 存 性 は 無 視 し て 、∆Hs,m∗(vp)(Tb, Pa) ≃
∆Hs,m∗(vp)(Tb∗, Pa) とした。∆Ss,m∗(vp) についても同様。これらは希薄溶液で Tb≃ Tb∗であることによる。同じ理由により、上式右辺分母のTbはT∗
b で
近似する。沸点上昇を∆Tb = Tb− Tb∗と書けば目的の式(6.1) を得る。
6.2 質量作用の法則
これまでの議論を化学反応に拡張する。式(5.18) を再掲すると、 µi = µ0i + RT ln ai (6.3) µiとµ0i の(T, P ) 依存性は省略した。化学ポテンシャルは 1 モル当りの Gibbs エネルギーであるから、反応式の化学量論に従ってモル数をかけて 加減すれば、反応Gibbs エネルギーを計算することができる。
注意 もう少し正確に言うと次のようになる。式(2.19) dG = −SdT + V dP + µdN
を多成分系に拡張したものは、
dG = −SdT + V dP +∑
i
µidNi
であり、定温・定圧(dT = dP = 0)では dG =∑
i
µidNi
となる。この式のdNiを、反応に伴う分子のモル数変化とすれば、反応Gibbs エネルギーが求まる。3.3節の「補足」も参照。
例として、次式のように反応物A と B が n モルと m モル反応して、l モルの生成物C が生じる反応を考える。
nA + mB → lC (6.4) 反応Gibbs エネルギーは、
∆G = lµC− (nµA+ mµB) (6.5) となる。式(6.3) によれば、例えば A の項は nµA= nµ0A+ RT ln(aA)n と なる。B と C の項も式 (6.5) に代入し整理すれば、
∆G = ∆G0+ RT {ln(aC)l− ln((aA)n(aB)m)}
= ∆G0+ RT ln
( (aC)l (aA)n(aB)m
) (6.6)
を得る。ただし、標準状態(a = 1) の値 µ0から来る部分を
∆G0 = lµ0C− nµ0A− mµ0B とした。これを標準反応Gibbs エネルギーと呼ぶ。
式(6.6) の対数項の引数を
q = (aC)
l
(aA)n(aB)m
とおく。これは、反応商(reaction quotient) と呼ばれる。希薄溶液や気相 反応では活量を濃度や分圧で近似してよい。
q ≃ [C]
l
[A]n[B]m or
(pC)l (pA)n(pB)m
ただし、5.1.1 節の「注意 1」で指摘したように、上式において濃度 [A] 等 はmol dm−3で計った濃度の数値、分圧pA等はbar 単位で計った圧力の 数値とする。
平衡状態でのq が平衡定数である。これを K と書くことにする。 K = qeq =
( (aC)l (aA)n(aB)m
)
eq
添字eq は平衡 (equilibrium) における値であることを示す。上式は「質量 作用の法則」として良く知られたものである。このように、質量作用の 法則は化学ポテンシャルの式(5.18) から自然に導かれる。
平衡状態では、∆G = 0 が成り立つ。このとき式 (6.6) は 0 = ∆G0 + RT ln K すなわち
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∆G0 = −RT ln K (6.7)
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となる。平衡状態において平衡定数K を測定すれば、上式から ∆G0を決 定できる。
反応系が平衡状態から外れているときは、系は平衡状態へ自発的に緩 和しようとする。このとき、活量(濃度や分圧) は平衡状態における値と は異なるので、q は平衡定数 K とは異なる値をとる。したがって、∆G は もはやゼロではなく、その符号が自発的変化の方向を決定する。∆G < 0 ならば正反応、そうでない場合は逆反応が起こる。これを見るには、式 (6.7) を (6.6) に代入して得られる
∆G = RT ln(q/K) を考えればよい。これより、
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q < K のとき ∆G < 0 となるので正反応が進行する。 q > K のとき ∆G > 0 となるので逆反応が進行する。
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このようにして、濃度バランスが平衡からずれたときに生じる反応性が Gibbs エネルギーの言葉で定量的に表現される。
練習問題 フェノール水溶液の酸電離、
C6H5OH(aq) −→ C6H5O−(aq) + H+(aq) の平衡定数は、298 K で K = 1.3 × 10−10 である。 問1 標準反応Gibbs エネルギー ∆G0 を計算せよ。
問2 [C6H5OH] = 0.1 mol dm−3 と [C6H5O−] = [H+] = 10−5 mol dm−3 の混合溶液を用意したとする。自発的に起こるのは正反応・逆反 応のどちらか?
解答 (問1) ∆G0 = −8.314 · 10−3· 298 · ln(1.3 · 10−10) = 56 kJ mol−1
(問2) ∆G = 56 + 8.314 · 10−3· 298 · ln(10−5· 10−5/0.1) = 5.1 kJ mol−1 > 0な ので、逆反応が自発的。すなわち、生成物濃度が反応物濃度の1/10000であっ ても逆反応が起こる傾向にある。それほどにフェノールは弱い酸であることを 示している。
補足 式(6.7)に関して、Gibbs–Helmholtzの式(2.23)の典型的な適用例を示 す。G0
RとG0Pの各々についてGibbs–Helmholtz式が適用できて、それらの差を 取れば
d dT
( ∆G0 T
)
= −∆H
0
T2
を得る。標準Gibbsエネルギーでは圧力と物質量は定まっているので、Tに関 する全微分とした。∆H0は標準反応エンタルピー(標準反応熱)である。これと 式(6.7)から直ちに
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d ln K dT =
∆H0 RT2
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を得る。これは、van’t Hoff式と呼ばれる。平衡定数の温度依存性と反応熱を 結び付ける重要な関係である。
練習問題 発熱反応∆H0< 0と吸熱反応∆H0 > 0の違いに注意しながら、温 度変化に伴う平衡定数の変化について考察せよ。
略解 van’t Hoff式はdK/dT = (K/RT2)∆H0と変形され、右辺の括弧内は正
なのでdK/dT と∆H0の符号は等しい。よって、吸熱反応のときは温度上昇に
伴い平衡定数は増大する。これは、反応物よりも生成物のエンタルピーが高い ときには、温度上昇により生成物側に平衡が移動することを意味する。発熱反 応の場合も同様で、
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温度上昇は高エンタルピーの側に平衡を移動させる。
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