北九州から熊本に来て、すでに18年が過ぎた。この間、地震や台風の 直撃もなく、熊本の歴史、文化、自然を満喫していた。しかし、明治の 物理学者で随筆家としてもよく知られている寺田寅彦が「災害は忘れた 頃にやってくる」と言った至言のとおり、それは、熊本地域を突然襲っ てきた。
2016年4月14日と16日の二日にわたり、震度7を超す大きな地震が益城町を中心に発生した。この時 点まで、熊本を南北に二分するように、大分県まで延びている布田川断層と日奈久断層が存在しているこ とは、ほとんど知られていなかった。八代市(県南)出身の知人によると、子どもの頃から「八代の地下 に断層が走っており、いずれ大きな地震がやってくる(九州が二つに割れるかも知れない)」と言い聞かさ れていたそうである。八代市の人々は、直撃の地震ではなかったが、とうとうやってきたと感じたことだ ろう。
今回の地震を体感して、今まで北九州や東京で体験した地震 は、本物の地震ではなかったのではないかと思えるほど、心の 底から恐怖を感じた強烈な震動・衝撃であった。益城町、西原 村、南阿蘇村とその周辺地域は、壊滅的打撃を受けた。阿蘇地 域では、カルデラ盆地の入り口にあった黒川に架かる阿蘇大橋 が崩落し、熊本地域の人々の心の拠り所でもある阿蘇神社の大 部分が崩壊した。さらに江戸初期に加藤清正公によって築城さ れ、日本三名城の一つと言われ、明治22年の地震にも耐えてき た熊本城が半壊した。幸運にも私の住家は、地震に持ちこたえ たが、震源に近い黒瓦の屋根を持った伝統的な日本家屋は、ほ とんど倒壊した。さらに、多くの地域密着型の商店や小規模の 製造所は、地域の崩壊とともに廃業の危機に瀕した。こよなく 愛する第二の故郷である熊本が瓦解していく様相は、耐えがた きものがあった。
本震発生後は、余震が引っ切りなしに発生していたが、時間 の経過とともに徐々に沈静化してくると被災を受けた人々の経 済的、精神的ケアが求められるようになってきた。阪神淡路大
震災、新潟中部震災、東北大震災を経験している人々は、いち早くボランティアとして熊本に駆けつけ、 現場での献身的な活動を続け、また全国からの物心両面の支援は、継続的につづけられた。熊本県民とし て、心から感謝するばかりである。
震災直後から、破損した瓦や家具などが持ち出され、1ヶ月も経過すると震源地を中心に大量の震災ゴ ミが、道路脇に通常ゴミとは別に高く積み上げられてきた。地震を含む自然災害は、人間生活のみならず 自然を破壊し、環境へ膨大な負荷を与えるものである。しかし、自然災害だからといって、ゴミ処理問題 を看過できない。災害ゴミ問題は、被災した地域の大きな社会問題(環境問題)である。
『熊本地震から環境問題を考える』
<住家被害状況>
熊本県環境センター 館長 篠原 亮太
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