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陸軍現役将校学校配属制度の研究(上)

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(1)Title. 陸軍現役将校学校配属制度の研究(上). Author(s). 遠藤, 芳信. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 35(1): 17-30. Issue Date. 1984-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4961. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). 遠. 1. 藤. 芳. 信. は じめ に. 1925 年 4月 13 日勅令第1 3号陸軍現役将校学校配属令は, それま での中等学校以上の学校や師範. 学校の体操科中の教練を, 学校に配属された陸軍現役将校が教授することを通して, その 「振作」 を企図するものとされてきた. この教練の 「振作」 は, 日本教育史上, かつ, 日本軍制史上, 画期 的な事業とされ, 日本教育の軍国主義化を象徴的に明示していると今日ま で指摘されてきた。 ところで, 以上の教練の「振作」に対して, 近年, 「軍部の押しつけあるいは軍部の主導性による 1 ( )と指摘し 軍部や陸軍省側の主導性や関与を否定的o 配属将校制度の実施説には疑問が出てく る」 , 消極的に評価する見解があらわ れている。 これに対して, 陸軍現役将校の学校配属制度による教練 の 「振作」 に対する筆者 (遠藤) の見解は, 要約すれば次の通りである。 陸軍省は, 第一に, 教練 2 )として性格づけて展開すること(それにともなって兵役期間の短縮を目 を軍事教育。軍事予備教育( ざすこと) には, 否定的・消極的な立場を示してきたが, 第二に, 教練を国民の思想対策の一環と して性格づけることには,1 920年前後から積極的に主張しは じめ, その立場から中高等教育機関に 現役将校を配属し, 教練を 「振作」 することを企図した, ということである。 以下, 本稿 では, 上記の陸軍省の第二の位置づけを中心に, 陸軍現役将校学校配属令の成立過程 と背景を, 陸軍省と文部省との交渉関係を検討しつつ考察してみよう。. 1 1 学校教練の 「振作」 をめ ぐる経過と背景 まず, 学校教練の 「振作」 はどのような経過を経て, 当局から強調されたか。 ここでは, 陸軍省 と文部省との具体的な協議関係が生まれる以前の陸軍省等の動きを検討し, 学校教練の 「振作」 を めぐる企図を考察してみよう。 1925年4月に陸軍現役将校の学校配属制度による学校教練の 「振作」 が開始された時, その前月 の三月中9下旬 (3月1 6~28日) に, 配属予定の現役将校が東京に召集され (約1200名) , 陸軍省 文部省の当局によっ て種々の講 (口) 演り注意がなされた。 そして, そこ での諸講 (口) 演・注意 等々はそれぞれ陸軍省によって印刷された。 さらに, それらの印刷物は, 配属将校等々の指針や参 ( 3 )関 考にするという目的をもって,『学校教練振作の指針』という標題をもつ一 冊の冊子に集成さ れ, 係機関等に配付された. また, 同冊子は同年、 5月に, 『僧行社記事』第6 08号付録としても刊行され た。. ところで, 同冊子には,「第一編. 学校教練振作施設の経過」が冒頭に収録さ れている。 そこでは, 17.

(3) . 遠. 藤. 芳. 信. 学校教練の 「振作」 の強調をめ ぐっ て, 1917年の臨時教育会議における 「兵式体操振興ニ関ス ル建 4 } 0年代初頭からの陸軍当局の動きを以下のような文 脈の中で指摘している( 議」を指摘しつつ, 192 . すなわち, 第一に, 「近年, 社会の民心漸く 緊張を欠くに及んで, 学校に於ける教練も次第に其の 弊を承け, 往々 形式に流れて其髄を失うの嫌ひがないわけもなかった.」 と指摘し, 第二に, 「然る に一方欧米諸国に於ては, 世 界大戦の教訓に鑑み, 所謂軍事予備教育 なるもの徽に興り, 国民精神 の振作作興と国家総動員の準備に絶大の努力を払ふに 至った」と指摘し, 第三に, 「我が陸軍当局も 此等内外の情勢に稽へ, 民心作興の根本方策の 第一歩として, 先ず第二の国民たる青 少年の訓練に 着手するを切要と認め大正十一年頃から陸軍省で著々之が具体案に就いて研究 を進め」 たと指摘し て い る こ と であ る.. 922年頃から, 「民心作興の根本方策の第一歩」として, 学 以上の指摘から, 陸軍当局としては, 1 1926年には青年訓練所が設 校教練の「振作」もふくんだ青少年全般の教練としての「青少年訓練」 ( 置される) の本格的な研究を始めたことがわかる. それでは, 1922年頃から陸軍当局が 「青少年訓 練」 の研究を開始したことの動機や対社会認識はどのよう なものであっ たか. ( 1 ) 帝国議会における 「軍備縮少」 の建議と青少年訓練問題 22年頃からの青 少年訓 練問題の研究の開始の 直接的な契機に なったものとし 陸軍当局による19 1922年3月 25 日) があっ て, 第45回帝国 議会 (衆議院) における 「軍備縮少」 の建議案の採択 ( 「陸軍ノ整理 庚申倶楽部の統一建議案( 憲政会 国民党 政友会 すなわち たものと考えられる. , , , , 5 ( ) 縮少ニ関ス ル建議案 」 ) が採択されたが, そこ では陸軍歩兵の在営期間短縮 (現行の現役2年を1 年4ヵ月にする) も強調され, それらの在営期間短縮との関連 で青少年訓練の必要が各政党から議 論 さ れて い っ た.. 帝国議会では, すでに, 田中義 一陸軍大臣が, 現役将校を中学校や師範学校な どに派遣し, 体育 1920年第43回帝国 議会貴族院予算委員第四分科会, 7月 26 日) を指導することを言明していた ( . その後, 第4 5回帝国議会以降, 「軍備縮少」 と在営年限短縮と青少年訓練問題が具体的に 議論され ていっ た. たとえば, 第45回帝国 議会貴族院予算委員第四分 科会 (3月16日) において, 江木翼. が, 兵役期間短縮との関係で学校や青年団の体育の指導の充実のために文部省や内務省と協議して いるか否かを山梨半 造陸軍大臣に質問している. これに対して, 山梨陸軍大臣は,「国民ノ軍事予備 教育 ガ出来レバ, 兵役ノ・短縮ス ルコトガ出来ル (中略) 臨時教育調査会 (臨時教育会議をさす) ニ 於キマシテモ成ルベ ク中学校以上ニハ, 現役ノ将校ヲ置イテ, サウシテ此軍事ノ予備教育ニ従事サ. セタイ ト云フヤウナコトニ決定サレテ, 時日ノ・経ツテ居りマスガ, 今日ニ 至ルモナカナカ実行ガ出 来ナイ, 此実行ガ出来ナイ ト云フコトノ・ , 経済上未ダ之ヲ許サヌ 処ガアルカラ出来ヌト云フコ トニ 6 ( )と 他主務省との協 ナ ッテ居りマス. 併シ是ノ・是非共我々ノ・実行シタイ ト, 斯ウ思ツテ居りマス」 , 議については触れなか ったが, 経済的条件が整えられる ならば現役将校配属による教練の 「振作」 が可能であることを言明した. 他方, 上記の「軍備縮少」の建議案に賛成していた者は, 「軍備縮少 ト同時ニ, 是カラ先キ吾々手ヲ付ケナクチャナラナイ ノハ, 青少年及学生ノ訓練デアリマス」(3月 7 )と 青少年訓練の必要を強調していた ( 25 日, 衆議院における仙波太郎の発言) . , その後さらに, 「(兵役期間短縮のための) 予備教育 ガ足ラヌ ト云フナラ バ, 予備教育ラヤル為ニ 余程懇切 ッ タ事ラシテ貰ヒタイ, 国民教育ニ欠陥 ガアルナラ バ, 陸軍大臣ノ、色々御注文ヲ為サッテ 8 ( ) 「軍備縮少」 の建議)ノ・余程尊重ニナ ッテ然ノメミシト思ヒマス」 宜カラウ」「陸軍大臣等モ此建議 ( 23年1月 29 日)と, 陸軍当局が (第46回帝国議会衆議院予算委員会における下岡 忠治の発言, 19 国民教育に対して 積極的に要求していくことを求める発言もあらわれるに至っ た. なお, この下岡 18.

(4) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). 忠治の発言に 対して, 山梨陸軍大臣は, 「(国民教育への要求は) 遠慮ナク是ノ・注文ヲ出シテ居ルノ デアリマシテ」「文部省ト協議ヲ致シテ居りマス」 と述べ, 「陸軍ト致シマシテハ, 如何 ニ国民ノ予 備教育ガ出来ネバナ ラヌカト云フコトニ付テハ, 大綱ノ・定ッテ居りマシテ 其順序等モ出来テ居ル , ノデアリマスカラ, ソレハ文部省ト逐次ニ実行 シテ行キタイ ト云フノデ, ソレハ文部省ノ手ニ移シ 9 ( 〉と 文部省と協 テ, 今文部省デ ドレダケノ事ガ出来ルカト云フ域ニ漸次進ンデ才 テクノデアリマス」 , 議が進められていること, また, 陸軍省としての 「(軍事) 予備教育」 の 「大綱」 ができ上っている ことを言明した。 ここで, 山梨陸軍大臣が「(軍事)予備教育」と称しているものは 青少年訓練(教 , 練) を指している。 また, 上記のよう に, 政党が提出した 「軍備縮少」 の建議案などに含まれたと ころの兵役期間短縮と軍隊外での軍事予備教育との連 関を図る発想は, 日本軍隊の建軍当初からあ 1 0 ( ) らわれている発想である (山田顕義など) 。 以上のように, 政党から提出さ れた兵役期間短縮と, それにともなう青少年訓練の強化の方向は, いわゆる 「護憲三派」 内閣 (憲政会, 政友会, 革新倶楽部) において, さらに明確になった。 たと 1924年7月1 3日) における木越安綱の 「軍事ノ予備教 えば, 第4 9回帝国議会貴族院予算委員会 ( 育ヲ国民教育ノ上ニ及ポスト云フコトニ御意志ガアリマスカ否ヤ」 という質問に対して, 加藤高明 首相は,「大体ニ於キマシテハ私モ至極御同感デアリマス, 政府ニ於キマシテハ, ソレ ゾレ取調べ ヲ 致シマシテ木越男爵ノ御希望ニ副ヒタイ考ヲ有 ッテ居りマス, 但シ何時頃カランレラ実施スルト云 フコトニ付テハマ ダ只今申上ゲ兼ネマス, 篤ト調査ヲ致シマシタ上デ, 果シテ宜シイ ナラ バ成 ルベ 1 1 )と 政府として調査をしていることと 早 { ク早ク実行ノ緒ニ着キタイ ト云フ考ヲ有 ッテ居りマス」 , , 期に実施する旨を答えていった。 ( 2 ) 陸軍上層部における青少年訓練問題の把握 以上のように, 1922年の第45回帝国議会(衆議院)における「軍備縮少」の建議案採 択とともに, 兵役期間短縮と青少年訓練問題が議論されていったが, これに対して, 陸軍の上層部は どのように 青少年訓練問題を把握しただろうか. この 戴こついて, 宇垣一成と永田鉄山の見解を検討してみよ つ。. ①. 宇垣一成における対社会認識と青少年訓練問題の把握. 宇垣は1923年の年頭において, 前年の1922年の社会状況を次のように回顧している. 忌禅なく申せば昨年は吾人に採りては実は余り難有からず, 面白からざる歳でありました, 即 ち一般社会の方面 で申せば,彼の思想界は先年来より引 続き不相変混沌として縦談横議を違うし, 動もすれば享楽 的利己的非国家的の 「バチルス」 が益々繁殖増長して時に 版眉跳梁せんとするの 1 2 }(以下略) 徴をも示しつつあった( 10年代後半から すなわち, ここ で宇垣は 「思想界」 の変化・動揺を危倶 しているが, それは, 19 の民主主義諸運動の高揚を意味し, それらの高揚を危倶しているのである. 他方, 軍関係において ) も, 同年6月にはシベ リア派遣軍の撤退が決定さ れ, 7月には陸軍軍縮計画(いわゆる「山梨軍縮」 思想界」 の変 が発表され, 軍内部の志気の 沈滞は明白であっ た。 しかし, 宇垣は, 以上のような 「 , 化。動揺と志気の沈滞を 「軍事予備教育」 の普及によって克服しようと構想するのであっ た。 近時国内到る処に志気の振興生活の緊粛, 能率の向上の絶叫せられ, 或は軍備の整理縮少によ り生ずる欠陥は 必ずや国民一般の尚武思想の振作と体育殊に軍事予備教育の普及に 依りて補はれ ざるべからずが如き声が逐日高まりつつある等は果して何を意味するか, 余は弦に確に機運の回 1 3 ) 転革新の曙光 を認むるものである( 。 以上のような宇垣における 「軍事予備教育」 の位置づけは, 上記の臨時教育会議の 「兵式体操振 19.

(5) . 遠. 藤. 芳. 信. 興ニ関スル建議」 に対して当時の軍部代表者が積極的に 発言しなかったことと比較する ならば, そ 1922 の積極性に関しては相 当の差がある.なお,通常, 陸軍現役将校の学校配属制 度は,「軍備縮少」( むしろ 説されることがあるが 年, 1923年, 1925年) による将校人員 整理の救済策として解 , 「軍 , 備縮少」 の関係 では, それによる志気沈滞の克服問題と兵役期間短縮問題に 注目すべき である. そ 1 4 ( )( 192 3年8月及び9月稿, 宇垣によれば, 1922年夏より研究に着 の後, 宇垣は 「陸軍改革私策」 手したとされている) において, 「補習教育青少年団の指導を奨励し壮丁素質の 向上を図ること。 之が為例の青少年訓練の実現を条件とすること」 とか 「中等学校程度以上の各学校に 現役将校以 下若干を派遣して体育及軍事訓練の教育指導に 当らしむること, 同時に之に配当の時間を増加する こと(毎週少く も五時間, 毎月少くも一回の野外教練) . 而して右効果の挙かるに 伴ひ両者の在営期 を一ヵ年 (青少年訓練出来れは八ヵ月) に 短縮し優秀者を退営時に曹長に 任命して予備将校の候補 者とし, 爾後の復習の際の結果に依り少尉任命の適否を決す, 予備将校候補者たらさる者は兵卒, 伍長, 軍曹の階級に止む」 と, 青少年訓練の強化, 特に, 中等学校等に現役将校等を派遣すること を具体的に構想している. なお, 宇垣は, 欧米の青少年の 「軍事予備教育」 について関説している 0師団(姫路)の師団長であっ た時の国民向けの講演でも, それらの状況が強調され が, 宇垣が第1 922年度の陸軍記 念日軍事講話が開催された ているよう である. たとえば, 第10師管下における1 が (小中学校児童生徒と青 年および在郷軍人その他有志者 を対象, 総数約29,000人) , その軍事講 話の景況は 「冊子 『帝国陸軍々備ニ就テ』 中殊ニ列強ノ軍事予 備教育ノ状況ヲ敷宿セルモノ甚少ナ 1 5 ( )とされているように 第1 3箇所) 66人, 9 0師団の 多くの将校によ って( カラス」 , 欧米の青少年 , の 「軍事予備教育」 の状況が力説されていっ た. ② 永田鉄山等における兵役期間短縮問題および国家総動員構想と青少年訓練問題の把握 宇垣一成の上記の 「陸軍改革私案」 は, 青少年訓練の普及・強化に関しては, 兵役期間短縮問題 と結合させることにこ だわっているよう である。 また, 「軍事予備教育」 や 「軍事訓練」 の用語o概 1 6 ) 青少年訓練の普 念に関してもあいまいな使い 方をしている. これに対して, 永田鉄山の場合は( , 及。強化を兵役期間短縮に短絡させて把握しなかっ た. また, 「軍事予備教育」「軍事訓練」「軍事教 育」 の用語o概念に対して も, リアルさをもっ て観察していた. まず, 永田は欧米の青少年 (軍事予備) 教育に関 心をもち, 少なからぬ研究も蓄積していた (後 『国家総動員に関する意見』 という著作物を残 述) . また, 永田は臨時軍事調査委員の仕事と して, してし る. そこ では, 永田は国家総動員との関係における 「軍部外の教育」 に対して, たとえば, 「学生, 生徒をして軍人, 軍隊等に接触せしむるの機会を多く し国家総動員 上に於ける戦友相 互の 1 7 )と 学生・生徒と軍隊との接触の重要性を強調していた. ( 情宜を厚ふする事を図らざるべからず」 , ところで, 永田は, 青少年訓練問題と兵役期間短縮との関係については, 「或論者は, 青年に軍事 予備教育を施すことに依て常備 兵を減廃し得る であらふと 云ふようなことを云ふが, 之も帝国のや 1 8 )とか「青少年訓練と 致しまして 欧米の某々 ( うな境遇の国では到底採るべからざる愚論である.」 , の一部を兵営外で施すと云ふやり方は 軍事教育 国で実施致して居りまするやうに, , 却って日本の 1 9 ( } 国情に於ては不利 であると云ふ事に就て, 一二私の考も持って居ります」 と指摘し, 「軍事教育」 の一部を兵営外で実施すること, および, そのことによる常備兵の 「減廃」 を強く 反対していた. 永田の以上のような 主張は, 「軍備縮少」 と同時に兵役期間短縮を主張し始めた政党 (上述) の動き を強く 意識しているものと考えられる. さらに, 永田の以上の主張は, 日本軍の戦争遂 行観 (大陸 にお ける短期決戦型の戦争~いわゆる 「少数精鋭」 の戦闘) を反映しているとともに, 「戦士を養成 するには之に適するやうに整理された環境, 言葉を換へて言えば兵営の中で, 十分に整頓された教 2 0 ) ( 育設備の下 で教育を施すのが時間 的にも,物質的にも最も経済であって,其効果も最も 大である.」 20.

(6) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). と述べているように, 兵営の中で, 軍隊の中で戦士を養成することが最も経済的り効率的 であると いう思想にもとづいていることに注意しなければならない。 以上の永田の見解はその後も一 貫して いる. たとえば, 『新軍事読本』 ( 2年, 財団法人社会教育会編) では, 「我が『教練』は軍事教育 193 ではなく従って在営年限短縮の代償施設では断じてない」( 12ページ)と述べ, 「陸軍の教育」(岩波 講座教育科学第18冊所収, 1933年) では, 「学校教練や青年訓 練は決して軍事専門教育の兵営外委 譲ではない」( 19ページ)と述べている。 すなわち, 永田は, 学校教練や青少年訓練の強化り普及を 国民教育の一環として位置づけていたの である。 なお, 以上の永田鉄山における青少年訓練問題と兵役期間短縮との関係把握は, 臨時軍事調査委 員( 1 915年に, 第一次世界大戦の進展状況を調査するために陸軍部内に配属さ れる) などの把握と 共通してい た たとえば, 臨時軍事調査委員著『交戦諸国戦役後ノ兵制問題ノ概要』( 1921年陸軍省 印刷)は, 「青年軍事予備教育ヲ全国ニ亙り統一的ニ実施シ軍隊教育トノ連繋ヲ密接ナラシムルハ現 下ノ情勢ト既往ノ実績ニ徴シ容易ノ業ニアラス之力為ノ努力ト費途ノ・到底現役ノ一部短縮ニ依り償 フ能ハサ ルヘク其ノ目的トスル所ノ・目ラ他ニ存シ在営期限ノ問題 ・別 箇ニ研 究ス ルノ要ア ルヘ シ」 ( 224 ペー ジ)と, 「青年軍事予備教育」は, 在営期限短縮問題とは区別 して別箇に研究する必要 を述べている。 また, 軍備整理のために設置された制度調査委員( 1 919年3月 8 日 設 置, 1923 年 12. 月 27 日改正) の 「制調議案第11号」 ( 19 24年3月 27 日 幹事案) として提出された 「工卒雑役制 度改善及在営年限短縮案」 には, 注記として 「在営年限ノ短縮ノ・目下審議中ニアル青少年訓練案実 現ノ暁ニ於テ是非共実行ヲ余儀ナクセラルヘキ関係 ニアルラ以テ本案ノ実行力在営年限ノ短縮ヲ伴 フ限り之力解決ノ・青少年訓練問題ト同時ニキ テフラ可トスル意見アルモ本案ノ・暫ク之ヲ顧慮外ニ置ケ 2 1 ( )と 在営年限短縮と青少年訓練との関係を指摘する意見が紹介されている しかし 同案は リ」 , , , 。 在営年限短縮との関係における青少年訓練問題を暫く の間は顧慮外に置くとした。 以上のように, 永田鉄山等は, 青少年訓練問題を兵役期間短縮とは別問題として把握し, これら の主張が, 学校教練の 「振作」 を目 ざす軍当局の見解になるのである。 ( 3 ) 陸軍当局における欧米諸国の 「軍事予備教育」 に関する研究 前掲 『学校教練振作の指針』 の 「第一編 学校教練振 作施設ノ経過概要」 は, 欧米諸国の 「所謂 軍事予備教育なるもの」 を指摘している。 ところで, 陸軍では, 欧米の青少年訓 練問題に関して , その都度, 『情行社記事』 などで紹介してきた (雑誌o新聞記事などの翻訳等々) 他方 陸軍関係 。 , 者が欧米の青少年訓練問題に関して, 比較的にまとまった研究著作物として発表したものには以下 の も の が あ る。. ①臨時軍事調査委員『欧州戦と列強の青年』 ( 1916年陸軍省印刷) ②歩兵中尉加藤一平「米国普 通学校ノ軍事教育ノ実況及日本ノ学校ニ於ケル軍事教育ニ対スル私見」( 『借行社記事』第5 02 03 ,5 号, 1916年5, 6月) ③二等主計森武夫 「米国ノ少年教育」 ( 『僧行社記事』 第520号, 19 17年 11月) ④歩兵大尉永田鉄山 「交戦諸国の社会的青少年教育」 (帝国軍人後援会機関紙 『後援』 第 191~194 , 197 号, 1918 年 12 月 ~1919 年 6 月 に 分 載). 育ノ現状」(『潜行社記事』第56 7号, 192 1年11月). ⑥. ⑤歩兵大尉長谷川美代次「米国民軍事教 歩兵大尉大井浩「英国ニ於ケル社会的. 青年教育」 ( 『僧行社記事』第57 9号, 19 22年11月). ⑦歩兵中佐田中静登「英国軍隊粒軍事予備 教育ニ就テ」 ( 『借行社記事』 第583号, 19 23年3月) ⑧参謀本部 「伊太利ニ於ケル国民ニ対ス 2 2 )( { ル軍事教育」 1924年1 1月 .陸軍省へ送付) ⑨陸軍省『欧米諸国軍事予備教育 の状況』 ( 19 24. 年12月. 陸軍省印刷). 第611号, 1925年8月). ⑩歩兵少佐関亀治 「米国に於ける軍事予備教育 の状況」 (『 ず酪テ社記事』 ⑪歩兵少佐大井浩 「体育上より観たる仏国青年の軍事予備教育」 ( 『借 21.

(7) . 遠 藤 芳 信. 2月) 行社記事』 第639号, 1927年1 上記の中で, ⑨の著作物は, 学校配属将校などの 参考にさせるために印刷配布さ れたもの である. ところ で, 上記の陸軍関係者による欧米諸国の青少年訓練の研究に おいて注目されるのは, アメリ カの中高等教育機関における軍事専門科目の講義と演習を基本にした軍事予備教育 である. アメリカ では南北戦争を契機に普通学校 (大学, 中学校) における軍事予備教育が盛んに なった. ‐Grant そ の 一 つ に, 1862 年 7 月 の 法 律 に よ っ て 設 立 さ れ た ラ ン ド・ グ ラ ン ト ・ カ レ ッ ジ (Land. l Co l )がある。 これは, 各州が農工技術の課程と軍事予備教育の課程をもつ学校を設立する場合 ege には, 政府が土地を無償譲与するという主 旨の法律である. 政府は, その後, ラン ド・ グラント・ カレッ ジに現役将校 を派遣し, 民兵幹部の養成に努めてきた. 同校の数は1899年には37校 であり, 000人) とされている (上記⑩の文献) 13年には49校 (生徒数, 約24, 第一次世界大戦勃発前の19 . ini f i ) の 設置を奨 ngCorps cersTra 第 一 次世 界 大 戦 後 は, 陸 軍 当 局 は 予 備 将 校 訓 練 団 (Reserveof 励 した. こ れ は, 4 ヵ 年の課程をもつ専門学校 以上の学校(青年部)と, それ以外の公私 立学校(幼. 年部) に設けられ, 青年部の修了者は予備 少尉に任命さ れるシステムに なっ ていた. そして, 予備 将校訓練団には教官助 手として将校 (現役, 退役) や準士官以下数名 が派遣され, 兵器・馬匹・材 0年現在では, 350団, 団員 料等の軍事予備教育の資材は官給された. この予備将校訓練団は, 192 (上記⑤の文献) されている に達していると 2 9人 数約11万6千人, 教官将校大佐以下3 . , 以上のようなアメリカの 中高等教育機関にお ける軍事予備教育 (軍事専門科目の重視, 予備将校 養成の目的) に近いのが, フランスやイ タリアのそれであっ た. これに対 して, 「軍事予備教育」と ソや旧ロシアで 称しても, むしろ, 精神的修養や服従・規律・秩序の教育を重視したのが, 旧 ドイ、 内務三大臣連署による 軍 文部 14年8月に陸 , あっ た. 第一次世界大戦開始後の旧ドイツ では, 19 , 青年の軍事予備教育の布告が発さ れ, さらに, 陸軍大臣による軍事予備教育の標準が示されたが, 徒手教練が主であり, 銃の操作や射撃は含まれていなかっ た。 そこでは,「青年ノ護国勤務予備教育 ノ特性トシテ軍事関係ノ専 門家ニ依り純粋ナル練兵的訓練ヲ為スハ 厳禁トス此ノ誤ニ陥ルコトナク 1917年1月陸軍省発布「戦時 而モ総テノ練習ニ際シテ厳格ナル訓育及厳粛ヲ維持セサルヘカラス」( 4 ペー ジ所収) とされ, 厳格な規律・秩序や 中ニ於ケル独 逸青年ノ軍事予備教育」 . 上記⑨の文献16 服従の教育が主眼とされた. 日本陸軍が欧米諸国の青少年訓練の調 査・研究において注目かつ手本 にしたのは, 以上の旧 ドイツなどの 「軍事予備教育」 であっ たことはいうまでもない. ( 4 ) 学生等の陸軍施設における教練演習の実施 日露戦争後, 軍が 「良兵良民」 のスロ ーガンのもとに, 国民教育・学校教育へ の接近を進めよう としたことは周知の通りである. そのなかには, たとえば,「国民ト軍隊トノ意志ヲ疎通シ且国民教 2 3 )のもとに軍隊施設への参観・宿泊等を積極的に奨励 した「地方官公吏小学校教員 ( 育ニ資ス ル目的」 2 1914年10月 29 日陸普第3103号) などがある. この軍隊宿 泊の件は, 192 軍隊宿泊ニ関ス ル件」 ( 到甫された. 他方, 文部省側 では, 軍隊と国民教育との 05号によっ て, より整 年1 2月 2 日陸普第61 接近 (特に, 学校教練の 「振作」 との関係において) をどのようにうけとめていただろうか. この 2日の社団法人大日 本国防義会の講演会 点に関して, 関屋龍吉文部省普通学務局長は,1925年2月1 ()内は遠藤) で次のように述べている ( . 学 育会議後 ( 1917年臨時教 , 学校教練の 「振作」 を) 不十分に感じて居りましたろ学校では, く, 即ち表て 校と其土地の連隊或は 師団等と直接に交渉を 致しまして, 現役将校の派遣をして戴, 向き文部省の承認を受くると 云ふこと でなく, 学校と軍隊との関係だけに於て, 全く 好意的で軍 隊から現役将校に来て戴いて, さうして, 教練の方を監督して戴くといふ風な向が段々に 多くな 22.

(8) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). りまして, 殊に中学校の校長達は非常に熱心でありまして, 以前から現役将校の派遣を毎年決議 して居る現在も全国に亘りますると, 現役将校が行っ て教へて居られる学校が相当の数になって 居ります。 殊に東京に於きましては, 一橋の商科大学 でありまするが, あの学校が未だ以前の高 等商業学校の時代に於きまして( 1920年に東京商科大学になる) , 教練の振作の為に, 陸軍戸山学 4 2 ) ( 校に御依頼しまして, 戸山学校から将校の派遣を願っ て居っ たのであります (以下略) すなわち, 中高等教育機関の学校が, 教練の 「振作」 のために, 文部省を介さず, 軍隊側と直接 的に交渉し, 現役将校の派遣等を要求し実施していたことが示さ れている。 次に, 以上のような教練の 「振作」 を目ざす学校側の個別の動きと, 軍隊側の対応について第一 2 5 } 師団の報告にそっ て具体的に検討してみよう( 。 第一に, 「学生の軍事研究」 なるものがある。 これは従来の乗馬演習を一歩すすめ, 「軍事の研究 をなさんとする者と欧米の軍事予備教育の実施並に帝国の現況に鑑 み国民の国防観念を滋養するの 必要を認めたるに起因せるもの」とされている。 具体的には, 1923年5月~9月ま でに, 早稲田大 学 (のべ12 0人) 2 2人) 22人) の学生が, 騎兵第1連隊や野砲兵第1 , 東京商科大学 ( , 明治大学 ( 連隊などで, 宿泊訓練り乗馬演習や, 軍隊の野営演習への同行を行っ ていった. 第二に, 「地方団体 の野営」がある。 これは, 「地方青年, 学生等を廠営せしめて団体的訓練をなし軍隊の演習見学, 講 演, 幕営, 遠足, 登山其他の運動をなし以て心身気力の鍛錬に資し規律服従の観念を誘発し間接に 軍事思想の普及を図るを目的とし」ているとさ れている。 具体的には, 1923年3月以降計画され(国 民新聞社と協議し, 同社の主催にする) , 富士演習場廠営を利用し, 夏季休 暇時に実施したものであ る。 この野営に参加 した中高等教育機関在学の学生生徒は, 法政大学( 12人, 歩兵第4 9連隊) , 開 成中学校 ( 31人, 以下歩兵第1連隊) 71人) 26人) , 早稲田実業学校 ( , 浜松中学校 ( , 攻玉社中学 校( 20人) 45人) 200人) , 埼玉県不動岡中学校 ( , 東京帝国大学 (約20人) , 東京府立商業学校 ( とされている。 他に, 青年団体等11団体が参加し, 全参加者数は約1,40 0人であった。 他方, 第1 7師団 (岡山) では, 1923年8月に 「岡山中等学校学生夏季軍事研究」 なるものを実施 している。 これは欧米の青少年訓練 (団体訓練, 軍事思想の普及) の状況を念頭に入れつつ, 歩兵 第5 4連隊などにおいて, 総計95名の学生を対象に, 宿泊訓練, 歩兵教練, 日本原野営演習, 馬術 訓練などを実施したものである。 参加学生の内訳は, 岡山師範学校, 岡山商業学校, 吉備商業学校, 岡山第一中学校, 岡山工業学校, 関西中学校, 東京物理学校, 京都高等蚕業学校である。 以上の実 施は, 第17師団の場合は初めての試みであっ たが, 同師団はその後, ただちに(8月中) , 「青少年 訓練用銃器其他ニ就テ」 という規定をつく った. この規定は, 師団の銃器を青少年訓練用に貸与す ることを主旨としたものであるが,「地方ノ依頼ニ応シ隊務ニ差支ナキ範囲ニ於テ現役将校ラシテ衛 2 6 ( }という 項目も含ま れている すなわ 成地ニ ア ル学校或ノ・青少年団ノ為メニ軍事教育ラナサシム」 . 2 7 ( ) ち, 「国防思想ノ普及」 を目ざし, 青少年訓練のために現役将校の派遣を規定したもの であっ た. 以上のように検討してくると, 19 25年4月からの現役将校の学校配属による学校教練の「振作」. とは, 第一次世界大戦後の民主主義諸運動の思想の高揚に対する思想対策, いわゆる 「軍備縮少」 問題から発生した志気低下へのまきかえしと兵役期間短縮要求 (政党) への対応, 欧米諸国の青少 年訓練への対応, 教練 「振作」 の一部の先導的施行を背景にしつつ, そして, これらの背景が国家 総動員 体制確立に吸収される方向を目 ざし,軍が1 920年代初頭から積極的に計画化していったと考 えることができる。 次に, 現役将校の学校配属をめぐって, 陸軍省と文部省との具体的な交渉 o 協 議を考察しよう.. 23.

(9) . 遠. m. 藤. 芳. 信. 「教練二関スル陸軍, 文部両省協議覚書」 の成立過程. ( 1 ) 関東大震災前における陸軍文部両省の協議 192 3年1月に, 白川義則陸軍次官から各省次官に対して, 青少年訓練に関する下記の要旨の「内 談案」 が提示され, その意見を求めたとされている. 青少年ヲ訓練シテ其ノ心身ヲ鍛錬シ団体的観念ヲ体得セシメ以テ国民ノ資質ヲ向 上スルコトハ 国力ノ増進並国防上必要ナル要件ナリ之し大戦後欧米各国力種々ノ形式ニ於テ之力実現ニ努力シ ツツアル所以ニシテ帝国ノ実情ノ・欧米各国ニ比シ切要ノ度一層ナルコトノ・周知ノ事実ナリ今ニシ テ之力実施ニ努メサルニ於テハ遂ニ百年ノ悔ヲ飴スニ至ルヘシ 本件ノ実施ニ伴ヒ国家トシテ支出スヘキ経費ノ増加ノ・固ヨリ免し サ ル所ナリト離 之力為国家 国民ノ享クル利福ヲ稽フルトキハ蓋シ易々 タルモノタルヘク又之力成果ニ伴ヒ自然兵卒ノ在営期 2 8 ) 限ヲ若干短縮シ得ルニ 至ルヘシ( すなわち, 陸軍省の 「内談案」 は, 青少年訓練を, 「団体的観念」 の養成として位置づけ, そ の成果の結果として, 自然に, 兵役期間短縮がありうると述べている. これに対して, 各省は賛 同し, 当面, 陸軍, 海軍, 文部, 内務, 農商務の五省で協同して研究をすすめることに なったと 2 9 ) この五省の研究は同年4月から始められ その内容の 一部は 『教育時論』 に報道 さ れている( , . さ れて い る。. それによれば, 文部陸軍両省の研究調査の要綱としては,「青少年の体育を奨励し義務 心団結心 を酒養し規律ある国民を養成す」「国防は所謂国民の国防なりとの本義を明かにし一朝有事の日に 3 0 } また 具体的 当りては挙国 一致困難に当るの準備と 覚悟を有せしむ」 ことが紹介されている( , . な実施項目として研究さ れるべきものとしては,「大中小各学校に於ける体育並に軍事教育普及の 程度」「軍隊と学校との連繋」「少年団青年団の教育方案」「青年団教育の地方産業に及ぼす影響及 1 3 } 其効果を挙くる為めの施設」 「兵役短縮程度」 が紹介されている( . しかし, 以上の研究協議は, 陸軍省側より提出した既成原案を基礎にして協議したことにとど まり, 今後, さらに, 文部省案の作成をもっ て第二回目の研究協議を開くことにした. 文部省は, 3 2 } ただちに, 督学官がその原案作成にあたり, 以下のような骨子内容が立案された( . -, 名称 「青少年教育」 近来世間 では学生の軍事研究に対し軍閥の走狗であるとか或は軍国思想の宣伝に利するもの であるなどと曲解するものがあるので国民の 誤解を招かぬ様殊更に此点に留意して命名せるも の であ る.. -, 大中小学校生徒の体育の向上と, 軍事教育の普及並に軍隊と学校 との関係 ”) (略~遠藤) ( ) 中等学校は従来中学校卒業生にして服役する者は一年志願兵たる特典を有したが今後中 口 等学校生徒に対しては在学中 既に一年志願兵と同様なる軍事教育を施し教育の 真髄を破壊せぬ 範囲に於て中等学校 生徒は殆ど画一的に軍事的素養を具有せしむること ◎ 大学学生は各専門的に学術の葱奥を研錯するものであるが為体育的運動及び遊戯を奨励 するも中等学校生徒の如く所謂軍事教育的色彩を無からしむること -, 少年団並に青年団との関係 (以下略~遠藤) ( 4 )で検討し 1 ここ では, 「名称」 の箇所で学生の 「軍事研究」 なるものが云々されているが, 本稿1 たものを指しているものと考えられる. また, 第二項◎においては, 中等教育と大学教育とを区別 24.

(10) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). し, 大学教育には 「所謂軍事教育的色彩」 をなくそうと配慮していることは注目される。 なお, 第 二項( 口米 ついては,同趣旨の内容を砂田重政が第45回帝国議会衆議院予算委員第四分科会において 質問していた( 1922年2月 3 日, 中学校以上の学校に現役将校を派遣し, 「一年間ニ軍隊内デ教育ス 3 3 ( } 卒業時に士官や准士官の適任証を与えること ルコトラ, 四年ノ中学ノ学年間ニ於テ教育ラシテ」 , の可能性) しかし この砂田の質問に対しては 山梨半造陸軍大臣は 「余程之ノ・考ヘモノデハナイ 。 , , 3 4 ( ) カト思ヒマス」 と否定的に回答した。 それ故, 文部省案第二項( 口に ついては, 陸軍省側は反対した ものと考えられる。 ところで, 以上の五省の研究協議のその後の経過は不明だが, 同年9月の関東大震災によっ て, ( 3 5 }し た と さ れ て い る しか し 同 年 11 月 10 日に「国民精神作興に関する詔勅」が出さ 「一時中絶」 。. ,. れ, 翌192 4年に, 同詔勅の趣旨を徹底させ るために「時の文部大臣岡田良兵氏と宇垣陸軍大臣と の 間に, 文部管内の中等以上の諸学校へ現役将校を配属して, 学校教練の振作を図る件に関して相談 3 6 ( )とされているように 陸軍文部両省のトッ プにおいて 現役将校の学校配属による学校 が纏まり」 , , 教練の 「振作」 の合意が成立したの である。 ( 2 ) 関東大震災後における陸軍文部両省の協議. その後の陸軍文部両省の協議過程は, 『教育時論』 に一部紹介されている。 まず, 第1回の協議が19 24年8月 25 日 7開かれ, 文部省から松浦鎮次郎陸軍次官の関屋龍吉普 通学務局長らが出席し, 陸軍省から畑英太郎軍務局長らが出席した。 そこでは, 青少年訓練の大体 に関しては一致したとされ, 同29日には, 畑軍務局長は文部省側に対して, 青少年訓練の綱領と訓 3 7 ) ①「管轄」として 「青少年訓 練草案を手交したとされている。 それらの内容で注目されるのは( , , 練は文部大臣及び内務大臣の主管とし陸軍大臣は之れを援助し監視す る」 と, 文部内務両省を管轄 機関とし, 陸軍省を補助的な機関にしていること である. ② 「現役将校派遣」 として 「成績最も優 秀なる少尉乃至大佐を派遣して訓練の指揮に当らせる」とされるように, 少尉も派遣させようとし, 配属将校の階級6年齢に幅をもたせてい ることである。 次に, 第2回の協議が同年10月 3 日になされた。 この協議に先立って, 両省の間には, 「文部省 3 8 ( )その中 で 「文部省 協定案」「陸軍省実施案」「文部省提案に対する陸軍省回答案」が交換さ れた。 , 協定案」 では, 配属将校の人事関係 (身分関係, 勤務権限, 勤務心得, 経費, 教員 資格など) が主 に提示され, 特に,「配属は陸軍大臣の指揮に僕つべきも若し学校長に於て学校管理上不適任と認む る時は之が更迭を請求し得るの余地を存せ しめられたきこと」 と, 学校側における配属将校の更迭 要求の措置を求めていることが注目される。 また, 「将校は成るべく大尉以上の人を希望す」 とし, -学校における勤務時間をおよそ3年としている。 他方,「陸軍省実施案」では, 青少年訓練の内容。 方法と実施体制 (青少年訓練の目的, 管轄関係, 陸軍の担任事項, 成績審査, 特典, 学校認定, 徴 兵延期, 中学校り師範学校又は之と同等以上の学校に在学していない者に対する訓練の扱い方など) が提示されている。 そこ では, 管轄関係として,「陸軍大臣は訓練者の範囲訓練科目及其程度並に訓 練時間其他軍事以上必要と認むる事項に関し所用の要求を為し且つ訓練の成績を審査す之が為師団 長及連隊区司令官は当該管区に於ける青少年訓練に関し軍事関係事項を 管掌す」 と, 陸軍大臣や師 団長の権限が提示されている。 また, 中学校以上の学校の訓 練の時間が1週につき3時間とされた ことに対して, 師範学校では1週につき4時間と増加されている。 特典関係 では, 現制の一年志願 兵制度の廃止, および, 在学間の訓練に応じて在営年限を短縮するとされた (期間は別途に研究) 。 また, 徴兵延期においては, 在学者はすべて 徴兵適齢年において徴兵検査を受ける現制度を改め, 徴集延期の終末年に徴兵検査を実施することとした。 なお, 「文部省提案に対する陸軍省回答案」で 25.

(11) . 遠 藤 芳 信. は, 身分関係において, 学校側の配属将校更迭要求の措置には不賛成を示し, たんに,「配属は陸軍 大臣の指揮に僕つべきも配属将校は学校長の区処に属す」 とした. また, 将校は 「少佐若は大尉と す」 とした. その他は, 文部省提案にほぼ同意を示した. そ の 後, 10 月 2 1日の閣議において, 宇垣, 岡田両大臣の種々 の協議の結果, 現役将校 父の学校配属 は, ①1925年度より中等学校で実施すること, ②専門学校 では任意とすること, ③現役将校の俸給 等の経費を明年度予算に計上すること, ④青少年訓練をうけた者の在営年限短縮を図ること, が合 3 9 ) なお 在営年限短縮に関しては 文部省は11月 7日に松浦次官や関屋普 意されたと報道された( , , . 通学務局長らが協 議した結果, 教練の成績に応じて, ①中等学校卒業者は1年に短縮, ②専門学校 卒業者は10ヵ月に短縮, ③師範学校卒業者は5ヵ月に短縮, ④-年志願兵制度は従来の通りにする こと(費用を特別の事情によって前納 できない者には国庫補助する) , などの案がまとめられたとさ ) れ て い るに0 .. 第3回の協議は, 11月 28 日になされた. そこでは, ①教練の時間数(特に普通体操との時間配当 関係や, 執銃教練を何学年に実施するか, など) , ②現役将校の身分関係として, 学校長が不適当と 認めた場合の扱い方(勅令で規定) , ③教練の成績審 査の関係, が協 議されたが, ③に関しては両省 4 1 ) 間 の 一 致 を み る こ と は な か っ た( .. ( 3 ) 「青少年訓練二関シ 蟻 両省協定事項要綱」 の作成 第4回の協議は, 12月 5 日に, 畑軍務局長, 松浦文部次官, 関屋普通学務局 長らが出席して開か れ, 青少年訓練の大体が決定された. そこでは, 主に教練時間の配当, 成績考査, 夜学校卒業者の 扱い方などが協議された◎. そして, 両省の合意として作成されたのが, 「青少年訓練二関シ 鰯 両 4 3 )(活版1 ( 2 ペー ジ, 以下 「要綱」 と略記する) である. 「要綱」 は, 12月 27 日;こ 省協定事項要綱」 陸普4862号として, 陸軍の関係機関に送付することが通牒された. さて, 「要綱」は, 「尚ホ若干ノ 変更ヲ見ルコトアノ. シ」と表紙に尚書きされているが, その内容の主要点は以下の通りである(上. 述での検討と重複しないものを主に考察してみよう) . 第一に, 「要綱」 の標題は 「青少年訓練」 とされているが, これは, 「全青少年ニ対シ可成速ニ本 訓練ノ普及ヲ期スル」とされているように, 全青少年を対象にする目 的をもち, 「要綱」は, 中等学 校以上の在学者に対して実施するものとしていること である, そして, その実施の「名称」として, 「現役将校ヲ配属シテ従来学校課程ノータル教練 (又ノ・兵式体操) ニ若干ノ改善ヲ加 へ之ヲ一層確 実有意義ニ実施セムトスルニ過キサルラ以テ別ニ新ナル名称ヲ付スルコトナク単ニ之ヲ教練ト名ツ ク」 と指摘し, 従来の体操科中の 「教練」 に, (現役将校配属によ って) 若干の改善を加えることに すぎないと強調 した. この叙述は, 配属将校制度による学校教練の 「振作」 に対して種々の批判が 発生していることを意識し, いわば, 弁解的に 控え目に表現しているように考え られる. 第二に,. 実施の範囲は, 師範学校, 中等学校中一年志願兵の資格ある官公私立学校の全部, 高等学校及び大 0月21日の閣議での宇垣, 岡田両 大臣の合意より 学予科並に専門学校官公立学校の全部とさ れ, 1 も範囲が拡大されている. なお, 私立学校には強制せず, 学校の任意とし, 大学では随意科とし志 望者に対して実施することにしている. 第三に, 教育担任者には, 現役の 「佐官又ノ、大尉」 があて られた. 第四に, 業務関係およ び配属将校と学校職員との関係では,「配属将校ノ・業務上ニ関シテハ 学校長ノ区処ヲ承クルコト」とさ れ, 「配属将校ヨリ業務上ニ関シ 上司ニ提出スヘキ書類ノ・総テ学校 長ヲ経由セシムルコト」とされた. 第五に, 教育時数においては, 師範学校の第一部が毎週3時間, 同第二部が毎週2時間とされ, 当初の陸軍省案よりも減ったが, それぞれの最終学年において, 3 週間の 「軍事講習」 を兵営又は野営地で実施することと された. また, 中学校は第1~3学年が毎 26.

(12) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上). 週2時間, 4~5学年が3時間とされた。 高等学校o大学予科り専門学校は, 体操科の教授時数を 毎週2~3時間とし, その中で教練を最小限1.5時間を配当するとされ, 大学は「適宜」とされた。 第六に, 実施に伴う特典としての兵役期間短縮では,11月 7 日の文部省案にほぼ一致した期間短縮 が示された。 また, 「検定試験合格者, 夜学校ノ卒業者等学歴ヲ有セサルモノモ学力アル者」は, 入 営後の試験によって予備役幹部候補者に編入し, 学歴を有する者と同様の扱いをするとさ れた。 第 七に, 教練の成績の審査と検閲の項目は 「部外秘」 とさ れているが, ①教練成績の合否は配属将校 の採点及びその調製した考科にもとづくこと, ②最終学年で不合格の者には予備役幹部候補者の資 格を与えないこと, ③陸軍大臣は, 任命した将校をして, 毎年少くも1回, 現役将校が配属されて いる学校の教練実施の状況を査閲させること, ④教練実施の成績が不良の学校には, 陸軍文部両大 臣協議の上, 現役将校の配属を取消し, 当該学校卒業者に対しては在営期間短縮の特典を与えない こと, が示された. 第八に, 兵役法の改正, および, 改正ま での経過的事項としては, ①兵役法の 改正実施に至るま では, 在営期間短縮に関しては帰休制度を採用し, 一年志願兵 o 一年現役兵の名 称を従来の通り用いること, ②中等学校以上 (師範学校卒業者を除く) の諸学校卒業者で, 在営期 間短縮の特典を有する者の服役費用は自弁とし, 貧困にして自弁できない確証ある者には官費を給 す る こ と, と した.. 以上の 「要綱」 の中で注目すべきことは, 特典の箇所に一部分出ているが, 「予備役幹部候補者」 の補充が学校教練の 「振作」 と結合させて展望されていることである ( 1927年兵役法における 「幹. 部候補生制度」 ) 。 さて, 以上の 「要綱」にもとづく学校配属将校制度と学校教練の「振作」の計画は, 12月10 日 に 内閣総理大臣加藤高明によって文政審議会 (総裁は加藤高明, 副総裁は岡田良平文部大臣) に諮問 された. 文政審議会での審議経過 ( 12月13~翌19 25年1月10日) は, 平原春好の上掲研究 (注記 1 ) )に詳しく紹介されている。 諮問内容は, 「諮諭第四号 学校ニ於ケル教練ヲ振作セムカ為中等 の( 程度以上ノ学校ニ現役将校ヲ配属セシメ学校長ノ指揮監督ノ下ニ之力教授ニ当ラシメムトス. 右ニ. 関スル意見ヲ求ム 説明 (略~遠藤)」とされている。 なお, 文政審議会での審議内容は, 特に, 配 属将校の身分や学校における業務関係, 学校教練 「振作」 の目的としての 「国防能力ノ増進」 の解 釈に集中した。 そして, 1月1 1日の答申では, 上記の諮問に賛成し, 希望事項として, ①配属将校 の 監督に関する文部陸軍両省の系統を明かにすること, ②中等学校に在学しない一般青年に対して も速かに教練を実施すること, を掲げた。 ( 4 ) 「教練ニ関スル陸軍, 文部両省協議覚書」 の作成 文政審議会における学校教練の 「振作」 に関する答申が出さ れた後も, 陸軍文部両省の協議がつ づけら れ, 現役将校の学校配属の実施に関する具体的な法令が起案されていった。 そして, 以上の 法令の基盤になるべき 「教練ニ関スル陸軍, 文部両省協議覚書」 (以下, 「覚書」 と略記する) が, 前年12月の 「要綱」 を一部削除補足するかたちで, 2月に作成された。 陸軍省では, この 「覚書」 は3月 3 日に軍事課から大臣官房に提出さ れ,3月 6 日に陸普第75号をもって陸軍関係機関に配布 4 4 ) なお 現役将校の学校配属の予算的関係面は 第5 することが通牒された( 0回帝国議会(衆議院 , , . 4 5 ) ( 予算委員会は 1月 28 , 29 日, 貴族院予算委員会は2月 27 日, 3 月 5 日, 7 日, 等) に お い て 一 部が審議されていった。 ところ で, 上記の 「要綱」 に対する 「覚書」 の主な削除増補は以下の通りである。 第一に, 「要綱」 における 「名称」 の部分が全文削除されている。 これは, 上述したように, あま りにも弁解的なニュアンスを含んでいると判断したものと考えられる。 第二に, 配属将校に要する 27.

(13) . 遠. 藤. 芳. 信. 経費が明記され, 俸給や赴任転任等の費用を陸軍省負担とし, 学校勤務中の費用を学校負担とし た 第三に, 「教育担任者」 の箇所では, 配属将校の勤務期間を 「成ルヘクニ年以上」 とし, 交迭の時期 を可能な限り学年又は学期に一致させることを増補した. 第四に, 配属将校の業務や学校職員との 関係 では,「配属将校ニ関シ必要ナル事項ノ・学校長ヨリ文部大臣ニ具申シ文部大臣ノ・之ヲ陸軍大臣ニ 通報スルコト」「教練査閲ノ為陸軍大臣ノ任命スル将校ノ・査閲ノ結果ニ関シ所要ノ事項ヲ直接配属将 校及学校長ニ指示スルコトラ得」 とされ, 文政審議会答申における希望事項をやや明かにしている (配属将校の監督系統) . 第五に, 「教育課程」の項目が新設され, 「教育課程ニツキテハ別ニ両省ヨ リ委員ヲ挙ケテ協議スルコト」 とした. 第六に, 「教育時数」 の箇所では, 師範学校の 「軍事講習」 に要する経費は 「文部省若クハ地方庁ニ於テ負担スルコト」 と, 文部省・地方庁側に負担させるこ とに した. また, 「野外教練」の経費は, 将来は国庫より支出する方針であるが, 当面は当該学校の 経費の許す範囲内で実施を促すことを明記した. 第七に, 特典などの箇所では, ①-年現役兵で現 役終了後4カ月間の勤務演習の後, 予備役将校に任する制度は,1925年以後は予算がないために廃 止すること, ②-年志願兵制度では, 勤務演習を行うことなく予備役将校同相当官に任すること, ③ -年志願兵の学校認定に関しては, 現制度の他に教練を実施する条件を加え, 徴兵令第1 3条第1 項第2号の学校に対しては認定した学校のみに現役将校を配属すること, また,「教練ヲ妨害シ又ノ・ 真面目ニ教練ヲ行ハサルカ如キ学校ニ対シテハ仮借ナク認定ヲ取消シ其ノ他機宜ノ処置ヲ取 ルコ ト」 を明記していることが注目される. なお, 一年志願兵の名称はそのまま使用するが, 将来の徴 兵令改正の際には他の適当な名称 (たとえば, 予備役幹部候補者など) を付ける, とした. 以上の 「覚書」 をみると, 文政審議会答申の希望事項をやや明かにするかたち で, 業務関係・経 費負担関係などを明記し, 学校教練 「振作」 と予備役将校の補充とを結びつけることが企図されて いることがわかる. なお, この予備役将校の補充は, 1927年兵役法においては, 「幹部候補生制度」 として成立した。. IV I925年陸軍現役将校学校配属令の成立 (以下, 次号) V. 陸軍現役将校学校配属制度の展開. (注) 9 7 1 ) 平原春好 「配属将校制度の成立に関する研究 (その五)」 神戸大学教育学部研究集録第62集, 6ページ, 19 ( 1 1 977年) ~65集 ( 9 80年) に分載されて 8集 ( 年, 1 0月. 平原の同研究はぼう大なものであり, 同研究集録第5 い る.. ( 2 ) 軍事教育・軍事予備教育の定義を, 筆者 (遠藤) は, 軍事や戦闘行動に関する知識・教養と技術・技能の習得 形成を目的・内容にした教育, と考えている. 25年3月, 陸軍省印刷)1~2ページ. なお, 配属予定将校召集の ( 3 ) ( 4 ) 陸軍省軍務局『学校教練振作の指針』( 1 9 最終日(3月 28 日)に, さらに, 宇垣一成陸軍大臣から口演があった. この口演要旨も印刷され, 配付される予 定であったが, 印刷未了のために配布されなかった. したがって, 本冊子にも収録されていない. しかし, この 3月 28 日陸軍大臣口演要旨は, 「部外秘」として, 「新ニ任命セラレタル配属将校及教練査閲官」に配布するよう 2 に, 翌 1926 年 8月 2 日に関係機関に通牒された(陸密第2 5号) . それによれば, 3月 28 日陸軍大臣口演旨は「学 1ページ活版)と標題が付されたが, 次の点が注目される. 校配属将校会同席上陸軍大臣口演要旨(第二次)」(全1 第一に,現役将校学校配属制度の反対者に対する態度として,「反対者必スシモ根絶セリトノ・謂ヒ難タシ敢テ反対 28.

(14) . 陸軍現役将校学校配属制度の研究 (上) セサルモ之ヲ歓迎スルニ至ラサル者ナキニアラス就中注意スヘキハ所謂左傾思想ヲ抱持スル者ノ妨害是ナリ蓋 シ此等ノ反対ノ・其ノ主義ニ立脚スルモノナルカ故ニ一時其ノ声ヲ潜ムト難機ヲ捉ヘテ其ノ気勢ヲ煽ルニ至ルヘ キハ想察ニ難カラサレハナリ其ノ他軍人ノ識能伎楠ヲ過低ニ評価シテ事ノ成否ヲ疑ヒ或ノ・事業ノ前途ヲ憂慮セ ル者ナキニ非ス此等モ亦批難攻撃ノ資料ヲ得ルニ至ラハ起テ反対ノ態度ニ出ツルコトナキラ保セス諸官ノ・能ク 此ノ間ノ消息ヲ審ニシ此等ノ者ニ反対ノ為ノ機会ト材料トラ与ヘサルカ如ク注意スルハ勿論進ンテ十分ナル効 果ノ発揚ニ依り謬見謬想ヲ是正一掃スルノ覚悟ナカルヘカラス」(第四項) と述べ, 第二に, 学生の 「同盟休校」 などに対しては, 「夫ノ学生力同盟シテ業ヲ休ムカ如キ不祥事ノ・欧米諸国ニ殆ント其ノ例ヲ見サル所ナルモ我国 \ ノ学校ニ於テ往々之力発生ヲ見ルハ識者ノ夙ニ痛恨事トスル所ナリ諸官赴任ノ後正道ヲ履ミ赤誠ト熱情トラ以 テ業務ニ従ニ従事セラルルニ於テハ少クモ教練ニ関シ斯ノ如ク忌ムヘキ事象ノ発生センコト絶無ナルヘキラ信 スルモ万一此ノ種事態ノ発生スル場合ニ於テハ機ヲ失セス具ニ其ノ原因ヲ尋ネ荷モ事ノ教練ニ関スルモノニ在 りテハ全責任ヲ負フテ堂々校長ニ対シ進退ヲ同ヒ其ノ他ノ場合ニ在りテハ校長及職員ニ準シテ行動スヘク何レ ノ場合ニアリテモ速ニ詳細事情ヲ具シテ軍部上司ノ指示ヲ仰クヘシ」(第五項) と述べ, 第三に, 「軍隊ト地方上 流及中流社会トノ接触融和」 のための 「連鎖機関」 として, 学校配属将校は期待されていると述べているように (第八項) 9 2 6 , 思想対策が強調されていることである (防衛研修所戦史部所蔵 〈陸軍省大日記〉 中 『永存書類』1 年甲輯第一類訓令訓示第4号所収) . ( 5 ) 建議文は「政府ノ・陸軍歩兵ノ在営期ラー年四箇月ニ短縮シ且ツ各種機関ノ整理統一ヲ実行シ以テ経費四千万円 ヲ 減少セラ レ ム コ ト ラ望 ム. 右建 議 ス」 であ る.. ) 第4 ( 6 5回帝国議会貴族院予算委員第四分科会議事速記録第1号, 9ページ,()内は遠藤. ( 7 ) 『官報号外衆議院議事速記録』 第35号, 94 22年3月 26 日. 3ページ, 19 ( ( ) 第46回帝国議会衆議院予算委員会議録 (第3回) 8 ) 9 6~1 7ページ,()内は遠藤。 ,1 ( l o ) 拙稿 「兵式体操の成立と軍の対応」 北海道教育大学紀要第一部 C 83年9月, 参照。 , 第34巻第1号, 19 { 1 1 ) 第4 9回帝国議会貴族院予算委員会議事速記録第3号, 2ページ. { 1 X 1 ) 宇垣一成「新しき年に処する吾人の覚悟」『信行社記事』 第5 2 3年1月. なお, 「思 2 3 81号, 3~4ページ, 19 想界」 の変化・動揺と陸軍内部の改革との関係については, 拙稿 「大正デモクラシー下の日本軍隊の思想動向」 『歴史学研究』 第497号, 1 98 1年1 0月, 参照. 1 ) 国立国会図書館憲政資料室所蔵 『宇垣一成文書』 所収 「陸軍改革私案」 ( 4 . 1 ( 5 ) 同上 『宇垣一成文書』 所収 「大正拾登年度諸調査統計表」 中 「陸軍記念日軍事講話景況一覧表」 . 1 ) 軍隊教育や社会教育に対して永田鉄山が果した役割については, 拙稿 「軍隊における学校教育 (教科書等) 研 ( 6 究」『生活指導』291号, 1 9 81年1 1月, 参照。 9 20年陸軍省印刷. ( 1 7 ) 臨時軍事調査委員 『国家総動員に関する意見』11 1 6ページ, 1 5~1 ( 1 8 ) 永田鉄山「国防に関する欧州戦の教訓」『第四回中等学校地理歴史科教員協議会議事及講演速記録』2 99ページ, 1919年 8月1日に東京女子高等師範学校で開催された同協議会での講演, 1 20年同協議会発行, 9 26年9月. 大日本国防義会 ( 1 ) 永田鉄山 「国家総動員の概説」『観 大日本国防義会々報』 第9 3号, 33ページ, 19 9 ( 1912年 設立, 1924 年法 人設 立 認 可) に お け る 1926 年 7月 16日の講演. 6年. 永田が 92ページ, 192 ( 2 0 ) 永田鉄山 「国家総動員準備施設と青少年訓練」 沢木孟虎編 『国家総動員の意義』1 「軍事教育」「軍事訓練」という称呼にもこだわっていたのは正当のように考えられる. たとえば, 永田は学校教 練の 「振作」 や青少年訓練の開始に対して, 「之を 『軍事教育』 とか 『軍事訓練』 とか称呼しますと, 言論界等で は一般の耳に入り易い此種類の詞を盛に用ひ出しまして, 名はどうでもよいと云へはそれ迄でありますが名ばか 1 92 6年8月 7 )ますのは遺憾至極であります」と述べている ( りではなく実質迄が誤り伝へられるという風のあr 「 10 」2ペー 青少年訓練参考 第6 2 4号別冊付録 『 情行社記事 』 青年訓練指導者講習会での講話 日文部省主催全国 , 件 学 9 学校教練ニ関スル著作及教練ノ施行等ニ関スル 日陸普第8 1 7号「 なお 1 9 2 6年3月 ジ, 1926 年 9月) , . 校配属将校へ通牒」は,「配属将校ニシテ往々国防能力ノ増進ヲ以テ本教練ノ目的ノ首位ニ置キ心身ノ鍛錬ヲ副目 的ノ如ク説明シ学校教練ヲ軍隊教育ト同一視セル力如キハ根本的誤謬ニ属ス又配属将校ニシテ動モスレハ 『学校 教練』 ト称ヘスシテ 『軍事教練』 又ノ・『軍事教育』 ナル語ヲ平然トシテ使用スル者アリ極メテ些事ナルカ如シト 錐誤りタル用語ノ常套的使用ノ結果目ラ教練ノ目的精神ヲ誤解セシムルニ至ルノ虞ナシトセス深ク注意セサル 『永 4 )のく陸軍省大日記〉中・ ヘカラス」と, 「軍事教育」等の称呼・用語の使用に対Lて注意を促している (前掲注( 1号所収. ’ 6年甲輯第四類教育検閲第5 存書類』192 例 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『大正十三年一月 制度調査ニ関スル書類 共五 其壱』 所収. 92 4年乙輯第二類第七冊図書第41号所収。 ( 2 2 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『永存書類』1 4年甲輯第一, 二類官制官規第31号所収, ( 2 3 ) 前掲 〈陸軍省大日記> 中 『永存書類』191 925年4月. 7~6 8ページ, 1 5号, 6 @ ) 関屋龍吉 「学校に於ける教練に就て」『法更大日本国防義会々報』 第8 4 29.

(15) . 遠 藤 芳 信 9ページ, 192 3年11月. 90号, 78~7 ( 2 め 第一師団司令部 「国防思想普及及実施に就て」『情行社記事』 第5 23年9月1日, 帝国在郷軍人会岡山支部発行 ㈲② 『帝国在郷軍人会岡山支部報』 第31号, 6~7ページ, 19 α纏め 注( 3 )の2ページ. 3年4月 5 日. 侶 o脚) 『教育時論』 第13 6 8号, 38ページ, 1 92 1~4 2ページ, 192 3年4月 5 日. 岡 『教育時論』 第1 375号, 4 観癌) 第45回帝国議会衆議院予算委員会第四分科会議録 (第1回)14ページ ( 3班6 ) 注( 3 )の3ページ 4年9月1 5日 ( 413号, 33ページ, 192 3 7 ) 『教育時論』 第1 4年10月 5 日. 415号, 3 1~3 3ページ所収, 192 縄 『教育時論』 第1 4年11月 5 日. 触 り 『教育時論』 第1 4 18号, 29ページ, 1 92 ペ 回 『教育時論』 第1 ージ 1 2 4年1 1月15日. 41 9 3 1 9 , , 4年12月 5 日, 組 ) 『教育時論』 第1 42 1号, 4 1ページ, 1 92 ◎. 『教育 時 論』 第 1422 号, 39~40 ペ ー ジ, 1924 年12月 15 日.. 鰹 ) 前掲 〈陸軍省大日記〉 中 『永存書類』19 2 5年乙輯第二類第五冊図書第12号所収. 目次の内容は, 目的, 名称, 実施ノ範囲, 教育担任者, 配属将校ト学校職員トノ関係, 教育ノ時数, 教育資材, 実施ニ伴フ特典及実施期, 成 績ノ審査及検閲, 兵役法ノ改正及改正マテノ経過事項, である. 付録に, 青少年訓練に関する説明資料として調 製された 「青少年訓練に就て」 が収録されている. 3 ) る こも収録されている. 0号所収. 注( 回 前掲 く陸軍省大日記〉 中 『永存書類』19 2 5年甲輯第四類教育演習第2 ) 第50回帝国議会衆議院予算委員会議録参照. そこでは, 宇垣陸軍大臣は, 現役将校学校配属による教練の「振 { 4 5 19 17年臨時教育会議~遠藤)ニ於テ決議サレ, 作」は「決シテ陸軍ノ発意デナク, 最初ノ起りノ・所謂臨時教育会( 答申サレテ, ソレカラ出発シテ文部ノ要求ニ応ジテ, 陸軍側ガ之ニ共鳴シ参同シテ, 今日マデ進捗シテ居ッタ次 925年1月 28 日)と述べ, 文部省側の要求として発意されたこと 第デアリマス」(同会議録第3回, 2 0ページ, 1 を強調し, 陸軍側が表面に出ないことを印象づけようとした. 他方, 岡田良平文部大臣は, 「従来此軍事教育(現 役将校学校配属による教練の 「振作」 ~遠藤) ヲ余り岡田文部大臣ガ御主張ナラ ズニ, 今日ニナッテ非常ニ熱心 ニ御主張ナルト云フコトノ・ , 世間ガ軍事教育ニ対シテ是ニ陸軍将校ノ捌口ヲ文部省ニ求メタノデアルト云フ, 此 議論ガ中々世間ニ強クナッテ居りマスルニ対シマシテ (中略~遠藤) 如何ニモ疑惑ヲ一層増サシメル感ガアルノ デアリマス」(加藤源五郎の発言)と観察されていたが,「文政審議会,其当時臨時教育会議ト申シマシタ, 私モ其席ニ 列シテ居ッタノデ, 非常ニ此問題 (教練の 「振作」 ~遠藤) ニ付テハ熱心ニ主張シ, 又出来ルダケノ心配モシテ 居ッタノデアリマス」と述べ, 191 7年臨時教育会議の時点から, 自己が現役将校学校配属による教練の「振作」の 25年1月 29 日) 熱心な主張者であることを印象づけようとした(同会議録第4回,37~38ページ,19 . 4年8月下旬段階で,「在営年限ノ短縮ノ・国民教育ト至大ノ関係アレ 92 なお, 政友会や革新倶楽部などの政党は,1 ハ軍事教育ノ普及 (教練の 「振作」 と普及~遠藤) ト相僕テ文部省ト諒解ノ下ニ其ノ短縮スルモ差支ハナシトノ 2月中旬には, 「衆議院ノ各派」 も現役将校学校配属制度に大体賛成していると陸軍から観 方針」 を出し, 同年1 6年, 東京大学出版会) 6 8ページ, 197 察されていた (上原勇作関係文書研究会編 『上原勇作関係文書』1 ,1 . (本学助教授・函館分校). 30.

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