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システム志向的経営経済学に関する考究 : ハンス・ウルリッヒの見解を中心に

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 序

現代の経営経済学の主要な構想にはどのような学説があるかということに ついては、研究者によって多少の意見の相違があるに違いない。グーテンベ ルク (E. Gutenberg) の経営経済学が提出されて以後を考えると、ハイネン (E. Heinen) の意思決定志向的経営経済学がそれに属することに関しては衆 目の一致が得られる。われわれの見解では、ハイネンの構想とほぼ同様の時 期に提唱されたハンス・ウルリッヒ (Hans Ulrich) の構想、すなわちシス テム志向的経営経済学 (systemorientierte Betriebswirtschaftslehre) もその 独自性と後々の経営経済学説に対する影響から見れば、主要学説に含まれる べき経営経済学説である。 後々の経営経済学説に対する影響に関しては、われわれは次のように言え る。現代の経営経済学の潮流のひとつには、管理論的な経営経済学があるこ とは確かである。もちろん管理論的な経営経済学は最近特に盛んに主張され るようになったものの、その淵源は、若干過去に遡ることができ、少なくと も重要な淵源としてシステム志向的経営経済学が考えられる。 企業の管理という場合に、必ずと言って良いほどその基礎論として現れる のが、制御、統御、サイバネティクス等といった一連の概念である。そして これらの概念を包括しているのが、システム理論であり、またこのシステム 理論に基づいて一個の経営経済学説を展開しているのが、システム志向的経

システム志向的経営経済学に関する考究

ハンス・ウルリッヒの見解を中心に

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営経済学なのである。 われわれの本稿1)における課題は、ウルリッヒのシステム志向的経営経済 学の基本的特質を描き出すことにある。 われわれが本稿2)で検討対象とするのは、かれの『生産する社会的システ ムとしての企業:一般企業論の基礎 3)4)ならびにかれの若干の論稿5)である。 1) 本稿を完成するに当たり、筆者は2008年7月13日開催の経営経済学研究会において報 告をする機会を得た。この席上、貴重なご意見を下さった、深山 明先生 (関西学院 大学)、牧浦健二先生 (近畿大学)、山口隆之先生 (関西学院大学)、山縣正幸先生 (奈良産業大学) に深謝します。 2) 本稿は次の論稿に大幅に加筆修正したものである。 渡辺敏雄 (稿)「現代企業社会の特質と管理活動 ハンス・ウルリッヒの見解を 中心に 」、片岡信之・海道ノブチカ (編著)『現代企業の新地平 企業と社会の 相利共生を求めて 』(千倉書房、2008年)、第5章所収。

3) H. Ulrich, Die Unternehmung als produktives soziales System. Grundlagen der allgemeinen Unternehmungslehre, 2. Aufl., Bern u. Stuttgart 1970.

われわれは、この書物を本稿で引用する場合には、それを U と略記する。なお、 この書物の第1版と本稿で取り上げる第2版とは、その内容においてほとんど変わり がない模様である。

4) ウルリッヒのこの書物を対象にした書評には、次のようなものがある。

E.Die Unternehmung als produktives soziales System. Grundlagen der allgemeinen Unternehmungslehre. Besprechung des Buches von Hans Ulrich, in : Die Unternehmung (Schweizerische Zeitschrift Betriebswirtschaft), 24. Jg., 1970, SS. 6569.

われわれが本稿で、 リューリのこの書評を引用する場合には、 E. Buchbespre-chung とする。

K. Hax, (Buchbesprechung), Hans Ulrich : Die Unternehmung als produktives soziales System. Grundlagen der allgemeinen Unternehmungslehre, 2. Aufl., Verlag Paul Haupt, Bern u. Stuttgart 1970, 355S., geb. Fr. 54,-., in : ZfbF, 24. Jg., 1972, SS. 142144.

われわれが本稿で、 ハックスのこの書評を引用する場合には、 K. Hax, Buchbespre-chung とする。

5) われわれが本稿で用いるウルリッヒの若干の論稿とは、次のものである。

H. Ulrich, Der systemorientierte Ansatz in der Betriebswirtschaftslehre, in : Gert v. Kortzfleisch (Hrsg.), Wissenschaftsprogramm und Ausbildungsziele der Betriebswirt-schaftslehre, Berlin 1971.

われわれが本稿で、この論稿を引用する場合には、それを Ansatz と略記する。 H. Ulrich, W. Krieg, F. Malik, Zum Praxisbezug einer systemorientierten Betriebswirt-schaftslehre, in : H. Ulrich (Hrsg.), Zum Praxisbezug der Betriebswirtschaftslehre in wis-senschaftlicher Sicht, Bern u. Stuttgart 1976.

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 システム志向的経営経済学の方法論的基礎

ウルリッヒは、経営経済学が純粋科学か応用科学かという根本的問題に対 して解答するに当たり、次のように言う。 「われわれは、経営経済学を、目的志向的社会的システム特に企業におけ るいわゆる管理者の意味ある実践的行為への必要な前段階として把握してい る。」(Ansatz, S. 44.) かれは、経営経済学をこのように捉えるのであるが、この意味は、経営経 済学が単に理論的分析をするのではなくて、現実の実践的行為の支援をなす ことを目標とするということである。 さらにかれは、このことを経営経済学の教育的側面と関連づけて、次のよ うに言う。 ウルリッヒの見解によれば、「経営経済学は研究者の科学的好奇心から生 まれたのではなくて、実践的商人の教育要求 (  ) から 生まれたのである。経営経済学は教育 (Lehre) であったし、長らくそれ以 外の何物でもあろうと欲しなかった。」(U., S. 13.) 経営経済学の由来をこう説くかれは、大学の使命についてもそれと一貫し て次のように言う6) 「科学がそれ『本来の課題』に対する不快な環境からの影響に妨害されず に没頭できるために引き篭る象牙の塔 (Elfenbeinturm) という考えは、個 別の科学者にとっては全く魅力的かも知れない。だが、全ての社会的構成体 と同様に、大学も、それが積極的な肢体であるはずの社会のために生存して いるので、その考えは大学それ自体にとっては致命的である。多くの若人が 6) ウルリッヒはこのように、経営経済学の教育目的を強調しているのみならず、かれが 属しているサン・ガレン (St. Gallen) 大学における経営経済学の講義計画をも企画 し提示している。 それについては次を参照のこと。 H. Ulrich, U., SS. 5572.

H. Siegwart, H. Ulrich, H. Weinhold, Das St. Galler Lehrsystem, in : Gert v. Kortzfleisch (Hrsg.), a. a. O., SS. 269298.

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高等な教育を努力して受けている現代の教育社会 (Bildungsgesellschaft) に おいては、大学には、『良い就業』をなすための教育が期待されている。」 (U., S. 17.) それでは、教育としての経営経済学のなすべきことは何か。 端的に言えば、「成果の上がる行為 (erfolgreiches Handeln)」(U., S. 13) をなせるように人々を教育することがそれであり、一層詳細には、次のよう である。 「教育としての経営経済学の実践的目標は、将来の管理者 (  ) ならびに今日の管理者に対して、管理活動の成果の上がる実行にとっ て必要な知識を、かれらがそうした知識を十分な実践的能力にまで錬成する ように、媒介することである。」(Ansatz, S. 44.) その際、ウルリッヒは、管理者の範囲ならびに企業の属する産業分野に関 しては、以下のように広く把握している。 まず、管理者は特に最高管理者のみを指し示す訳ではなく、広く捉えられ、 中級管理者と下級管理者も含まれる7)。こうした管理者は、比較的高等な商 人 (Kaufleute) とも言われる (U., S. 37)。 次に、管理者あるいは比較的高等な商人については特に、それらの人々が 属する産業分野が限定される訳ではなく、経営経済学の教育計画は、一般に、 学生を、経済実践において一人立ちした働きをなすことができる経営経済学 士にするべきなのである (U., S. 56)。 こうして、特に産業分野を限定せず、一般にどの企業でも通用する人間に 教育することが、経営経済学の目標なのであるが、比較的高等な商人が、企 業が市場に存在する必然性から発生する職能と企業の中に存在する経営用具 の保全を含む職能とを担当するということから、市場という外部に向かって の企業管理と企業の内部管理について、成果の上がる行為をなせるように、 7) ウルリッヒの叙述においては、 のみならず、Manager という言葉も使 用されている。 H. Ulrich, U., S. 36.

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学生を教育していくことが、ウルリッヒの考える経営経済学の教育目的であ る。 こうして、かれの見解においては、実践において成果の上がる行為をなせ るように教育を施すことが重要な目的となり、ここから、経営経済学の内容 が規定される。 さて、実践において成果の上がる行為をなせるようにする教育としての経 営経済学の把握方法を強調することによって、かれの考える経営経済学の認 識目標がどのように規定されるのか。 かれは、そうした教育目的と一貫的に、かれの提唱する経営経済学は、応 用的な問題志向的科学であって、認識のみを行なう純粋科学たり得ないと考 える。かれは、経営経済学は形成学 (Gestaltungslehre) であると言う8) 経営経済学が純粋科学か応用科学かという伝統的な問いについて、かれは 明らかに経営経済学は応用科学であるという判断を行なっている。 経営経済学の教育的側面が強調されることによって、科学的活動が、研究 (Forschung)、理論形成 (Theoriebildung)、教育 (Lehre) という3つに分割 される。経営経済学が、このうち教育として規定されることについては、多 言を要することなく、先述から明らかである。

ウルリッヒは、教育の特殊性を、他の2つの行為すなわち研究と理論形成 に触れながら、次のように明らかにする。

研究は、認識獲得 (Erkenntnisgewinnung) と諸前提の検証 ( 

von Annahmen) を目指し、理論形成は、獲得された認識の体系化

(Syste-matisierung gewonner Erkenntnisse) と将来の事象の予測 (Voraussage  

Ereignisse) を目指し、教育は、成果の上がる行為に向かって人を訓練

することを目指す (U., S. 14)。科学的活動の論理的行程が要求する所によ れば、獲得された認識が教育の対象となる前には、まず研究が営まれ、理論 が展開されなければならない (U., S. 15)。

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この論理的行程は、次のようになる。 研究、理論形成、教育の3者の間には、理想的な場合には、密接で、一義 的な関連が存在する (U., SS. 2526)。異論のない範疇論の助けを借りて、 理論形成と研究の相互作用の中から、まず仮説が展開され、それがテストさ れ、理論にまとめ上げられる。そして、検証された理論は、教育の立場から 転形される。ここに、教育の立場から転形される、とは、理論が、特殊な対 象領域と問題設定とに応用されることによって、それが具体化され、処置 (Methode) に再定式化されることを言う。こうして、範疇を作ることから 始まり、理論が完成され、その後に教育が始められるという行程こそ、研究、 理論形成、教育の3者の間の密接で、一義的な関連である。 ウルリッヒが、この密接で、一義的な関連が、「理想的な場合」であると 言うには、理由がある。 「さて、今日経営経済学では、既に熱心な経験的テストを経ている説と理 論は余りに少なく、科学的活動のこの論理的経過は例外的場合にしか機能し ない程である。」(U., S. 26.) かれは、同様の事情を、次のようにも表現する。 社会科学の教科書では、理論の検証された説のほんの少数の使用例しか見 かけない「……ことの根本理由は、そもそもそうした (科学的活動の論理的 経過を経ながら検証された―渡辺) 説が欠如していることである。」(U., S. 26.) こうした現状故に、「教育は、今日では、未だに広い範囲で、……理論的 には不確実な知識と行為処置を媒介せざるを得ない。」(U., S. 26.) それ故、現代の科学論理学が理論に対して向けている基準を、教育におけ る言明にも向けると、教育における言明は言明としての地位を失ってしまう (U., S. 76)。 さて、われわれはここまでは、かれが言う教育の現状について明らかにし てきた訳であるが、そこでは、特に、理論が完成していないことが強調され ていた。つまり、理論がないことが現状として確認され、教育はこの現状確

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認から出発しなければならないということが言われていたのである。 しかし、かれは、理論が完成していないという現状確認に留まらず、かれ の考える経営経済学にとっては、理論の形成が不可能であり、また、不必要 であるとまで言う。 われわれは、かれの見解に特徴的と見られる、理論の形成の「不可能性」 と「不必要性」の説を、以下で見ておこう。 ウルリッヒはシステム志向的経営経済学の認識理論上の考えうる可能性を、 記述模型の展開のみにあるのではなく、まずは、説明模型の展開とそれに基 づく予測ならびに意思決定模型の導出に見ている9)。かれは、このうちでも、 意思決定模型という実践的行為の支援に役立つ科学的営為を重視する。 かれは実践的行為の支援に対しては因果分析的研究が必要であるという説 には、次のように異を唱える10) その際、ウルリッヒは、次の2つの問いを投げかける。 「われわれにとって興味のある現実に関して因果分析的構想の意味におけ る説明模型は、そもそも可能 () なのか」、また「現実関連の説明に よるそうした迂回説明模型を通じた転形は、われわれにとって興味のある認 識の獲得にとっては必要 (notwendig) なのか」、 このようにかれは問う (Ansatz, S. 46)。 第1の問い、すなわち「説明模型の不可能性」については、かれは、企業 (Unternehmung) ならびに他の社会的構成体は、大いに複雑なシステムであ って、定義的に完全には記述不可能であり、その行動は因果分析的には説明 不可能なのである、と考えている (Ansatz, S. 46)。 第2の問い、すなわち「説明模型の不必要性」については、かれは、現実 の変更と新規形成に向かって合理的に導いてくれる知識を必要としている経 営経済学者にとっては、現実に関する説明というよりは、考えうる将来的現 9) H. Ulrich, Ansatz, S. 45. 10) 因果分析に対するウルリッヒの態度に関しては、次を参照のこと。 H. Ulrich, Ansatz, SS. 4549.

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実に関する構想とそのような構想の実現のための行為格率 (Handlungs-maxime) が必要であると言う (Ansatz, S. 47)。 第2の問いに関してかれは続けて、次のように言う。 われわれは、現実関連の把握を通じた生産迂回を取らないでも、成功を約 束する行為代替案に到達することができる。行為的形成者としての経営経済 学者は、純粋な自然科学というよりは、工学 (Ingenieurwissenschaft) に似 た科学を要求する。そうした科学は、今日的現実を説明する訳でもなく、将 来を予測する訳でもなく、行為する人間に対して意思決定基盤としての「考 えうる将来」を示そうとする未来学 (Futurologie) に似る (Ansatz, S. 47)。 「それ故、経営経済学は、私見では、基本的には形成学であって、これは、 自然科学からは、将来形成を目指し説明を目指してはいないという目標設定 で区別されるが、工学からは、『単に』特定の特質をともなう技術的システ ムではなく社会的システムをそれが企画しようとする点で区別されるだけで ある。」(Ansatz, S. 47.) いずれにせよ、明確なことは、かれが、経営経済学を形成学として捉えて いることと、形成学の展開に対しては因果分析的説明の努力は可能でも必要 でもないという態度を取っていることである。 ウルリッヒは、特に理論の形成の不必要性に関して、システム志向的経営 経済学の学際的特質に関連づけながら、次のように、それが成立する根拠を 言う。 サイバネティクス的基本構想と認識に基づいて、新規で大いに給付能力の ある機械 (Maschine) が構築できることは証明の要らないことである。シ ステム志向的経営経済学は、そのような基礎に基づくならば、同じように、 新規でよく機能する社会システムが企画できるという仮説を根底に置く。 この仮説は証明を必要とする。 形成学としてのシステム志向的経営経済学は、 必然的に学際的特質 (    Charakter) を持つのである。他の学科に対する経営経済学の画 定については、次のように考えられる (Ansatz, SS. 4748)。伝統的学科区

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分に従って、経営経済学は、経済科学 (Wirtschaftswissenschaft) であると 考えるか、あるいは経営経済学はさまざまな学科からの認識を取り込む学際 的特質を持つかの二者択一 (Entweder-Oder) しかなく、このうちシステム 志向的経営経済学は明らかに後者を選択した。経済科学としての経営経済学 の方を選択すれば、他の学科の認識を排除し、企業は意味深く形成されず、 管理者も直面する問題を解くことができない。 われわれの見解によれば、かれの言うことの要点は、次のように分解でき る。 第1に、経営経済学は教育であり、教育される内容の特質から言えば、そ れは形成学である。 第2に、経営経済学の現状に鑑みれば、そこには理論の在庫がほとんどな く、理論を前提にして教育をするという訳にはいかない。 第3に、形成学としての経営経済学にとって興味深い現実に関しては、理 論の形成は、不可能である。 第4に、形成学としての経営経済学にとって興味深い現実に関しては、理 論の形成は、不必要である。 第5に、形成学としての経営経済学のひとつの構想としてのシステム志向 的経営経済学は、学際的特質を保証し、この特質によって現実がよく形成さ れるので、形成学にとっては、理論の形成を迂回する経路を取らなくてもよ い。この説は、われわれが第4にあげた、理論の形成の不必要説の根拠とな っている。 しかし、われわれの見解によるならば、かれにとって興味のある現実に関 して因果分析的構想の意味における理論の形成は、不可能なのか、さらに成 功を約束する行為代替案に到達する際に、現実の説明が、不必要なのか、と いう疑問が、当然に湧く。 後半の疑問を換言するならば、かれの見解における形成言明の科学性はど のように保証されるのかが、われわれには不明確であるということである11) このように、理論の形成の不可能説と不必要説の両方に関して一層その根

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拠づけが行なわれなければ、われわれはそれらの説をそのまま受け取る訳に はいかないと考える。

 システム構想の意味

問題志向的な形成学あるいは管理論的な経営経済学を営もうとするウルリ ッヒ12)にとっては、構想 (Ansatz) は次のような要請を満たさなければなら ない13) 第1に、構想は、古典的経営経済学の選択原理 (Auswahlprinzip) から論 理的に、区別されるものではなく、内容の上で区別される。かれの見解によ 11) 言明に関するウルリッヒの態度は、著作が出版される時期によって必ずしも一貫せず、 相互に矛盾する立場が提唱されている。われわれが本文中に位置づけたのは、かれの U、ならびに Ansatz 発表時すなわち1970年頃のシステム志向的構想が打出された時 のかれの態度である。 その後、かれは因果分析的説明の努力は可能でも必要でもないという態度を全く放 棄し、むしろこうした態度を真向から否定し、経験科学的な方法論に大きく近づいて、 なかでもポパー (K. R. Popper) の態度を大幅に取り入れようとする。こうした経験 科学的な方法論に対するかれの態度の変更あるいは接近は、かれの共同論文である Praxisbezug に如実に見受けられる。 しかし、われわれは、本稿では、システム志向的構想の成立当時の、かれの主要著 作が出版された頃の方法論的立場の方を重視する。 経験科学的な方法論の放棄と重視という、ウルリッヒの立場の非一貫性をわれわれ の検討対象よりも広くかれの業績を拾いあげて論じている研究者にヴェアハーン (P. H. Werhahn) がいる。 次の書物を参照のこと。

P. H. Werhahn, Menschenbild, Gesellschaftsbild, Wissenschaftsbegriff in der neueren Betriebswirtschaftslehre : Faktortheoretischer Ansatz, entscheidungsorientierter Ansatz und Systemansatz im Vergleich, Bern u. Stuttgart 1980, SS. 273294.

また、そうした非一貫性に関しては、シャフィッツェル (W. Schaffitzel) も指摘し ている。

次の書物を参照のこと。

W. Schaffitzel, Das entscheidungstheoretische  in der Betriebswirtschafts-lehre―Anspruch und Wirklichkeit―,1982, S. 221.

12) われわれは、ここでリューリによる評価を紹介しよう。 「このこと (システム論の高い秩序化能力―渡辺) によって、この構想はすでに存在 する題材の再定式化のみに導くのではなく、新しい関連を示し周知の問題領域の相対 的意味を評価することに向いている。こうして、この構想によって、特に、企業の構 造ならびにそこで起こっている根本過程を把握し、記述し、分析に近づけることがな され得る。」(E.Buchbesprechung, S. 69.) 13) H. Ulrich, U., SS. 4042.

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れば、古典的経営経済学における選択原理よりも比較的広範 (weiter) で比 較的無内容 (inhaltloser) でなければならないという点で、構想は、古典的 経営経済学の選択原理からは区別される (U., S. 41)。 第2に、構想は、そこに内容を満たしていくに連れて、教育において扱わ れるべき問題の合目的な範疇形成に導くことに適していなければならない。 ここに言う合目的な範疇形成とは、一方では、問題の有意味な分類と、他方 では、問題関連の提示を行なうことである (U., S. 41)。 第3に、構想は、経営経済学と他の諸学科との横のつながりを確保しなけ ればならない (U., S. 41)。 ウルリッヒによれば、これら3つの要請を満たすものこそ、一般システム 理論に基づくシステム構想 (Systemansatz) である。 かれは、さらに、一般システム理論に基づきながらも、応用科学的側面を 前面に打ち出した科学としてのサイバネティクス (Kybernetik) をも、かれ の思考に取り込む。 サイバネティクスは、システム構想の応用科学的部分と考えられるので、 われわれは、次に、システム構想ならびにそこに含まれるサイバネティクス に関してかれの言うことを跡づけよう14) ウルリッヒは、まずシステムの定義から議論に入る。 システムとは、「……何らかの関係が存在するかあるいは、何らかの関係 を作ることができる諸要素の秩序づけられた全体 (geordnete Gesamtheit von Elementen)」15) である。 ここに強調される3つの特質は、第1に、要素としての部分 (Teil) があ ること、第2に、統一 (Einheit) あるいは全体 (Gesamtheit ; Ganzheit) が あること、第3に、要素あるいは部分の間に秩序 (Ordnung) があること、 である16) 14) システム構想の特質あるいは一般システム理論から、ウルリッヒが取り込もうとして いる基本的概念と基本的認識に関しては、次を参照のこと。 H. Ulrich, U., S. 100 ff. 15) H. Ulrich, U., S. 105.

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このような特質は、全てのシステムが持ち合わせている特質であり、全て のシステムが持ち合わせている特質は、これらの3つに尽くされる。

ウルリッヒは、次に、企業という社会的システムには、それらの特質以外 にも、第4に、開放性 (Offenheit) を持ち、第5に、動態 (Dynamik) を示 し、第6に、目的志向と目標志向 (Zweck- und Zielorientiertheit) を示すと

いう特質が備わっていると言う17) このうち目的志向と目標志向に関しては、われわれは本稿の後の節におい て取り上げるとして、開放性とは、企業がその環境の要素と関連しているこ とを示し、動態とは、何らかの動きを示すことを言う。 ウルリッヒは、こうした特質を持つ動的システムとしての企業に関して、 その行動の基本概念を論じるとして、サイバネティクスの認識をここで取り 入れようとする。 われわれは、定義的な概念規定から入ろう。 サイバネティクスは、「動的システムの構造、関係、行動の一般的で形式 的な科学」18) である。 さらに、サイバネティクスは、純粋科学的関心よりも、形成志向の応用科 学的関心を持つ。つまり、サイバネティクスは、応用科学的な形成模型 (Modell zur Gestaltung) を作り出すが故に、形成学としてのシステム志向 的経営経済学を営むウルリッヒの関心を引く。 まさにかれは、経営経済学を応用サイバネティクス学であると言う。 サイバネティクスは、全ての動的で、目標志向的なシステムに対して妥当 する形式的形成原則 (formales Gestaltungsprinzip) が存在すると考える19) 。 ここに言う形式的形成原則とは何か。 16) H. Ulrich, U., S. 105. 17) H. Ulrich, U., SS. 111118.

18) H. Ulrich, U., S. 118. ただし、この定義は、フレヒトナー (H. J. Flechtner) のもので ある。

なお、サイバネティクスについてのウルリッヒの見解に関しては、次を参照のこと。 H. Ulrich, U., SS. 118133.

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サイバネティクスの関心は、動的システムの行動の特殊側面、すなわち統 御 (Steuerung- und Regelung) ならびに適応 (Anpassung) の側面である。

統御については、それは、与えられた目標を達成するために、目標の達成 度に関しての情報をフィードバックしつつ、目標が未達成の場合には、自身 で修正処置を選択しながら行動することである。 適応については、いくつかの適応形態があげられるが、われわれはここで、 基本的な形態と考えられる超安定性 ( ) と、 多重安定性 (   ) の概念を見よう。 超安定性とは、制御が行なわれ、特定の類型と強度の妨害については安定 性を維持することができて、現状の均衡状態が維持できなくなると、新たな 均衡状態が実現されるまで行動が変更されるというシステム特性を言う。こ の場合の行動の変更とは、目標の変更、給付可能性の変更、構造の変更、過 程展開の変更を指し示す。 全体システムを巻き込んで均衡の達成を図ろうとするので、超安定性は、 素早い反応が必要な場合には、むしろ均衡達成には妨げになる。そこで、サ ブシステムが相対的自律性を持ちつつ、それぞれのサブシステムがそれぞれ の環境に対して管轄し、この意味でそれらのサブシステムが超安定的システ ムの特性を持つならば、システム全体は比較的素早く反応できる。 そして、そのような特性を多重安定性というのである。 制御と適応の内容は、以上のようである。 それらは、サイバネティクスにとって、従って応用サイバネティクス学と してのシステム志向的経営経済学にとって、根本的に重要となるので、われ われはそれらの制御と適応の概念を検討しておくこととする。 制御の内容は、目標の達成のためには現状と目標との乖離を確認しつつ 「何らかの」手段を講じよというだけのことを示している。このように形成 原則あるいは技術論的言明としての内容が乏しいのは、現実に関するその情 報内容が著しく乏しいからである。しかし、もちろん、制御の構想は理論に とっては出発点あるいは公理的な地位を持つのであって、それだけを見て情

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報内容の多さを議論するのは建設的ではないであろう。 われわれは、そこからどのような現実関連的で情報内容の豊富な形成言明 が導出されるのかを問う必要がある。 制御の構想から現実関連的で情報内容の豊富な形成言明を生み出す方向に 一歩を踏み出すのが、適応の概念である。なぜなら、制御の概念だけでは、 目標の達成に関する手段については、何も具体化されないが、適応形態の区 別によって、多少ともこうした具体化が行なわれ得ると考えられるからであ る。 しかし、かれの書物においては、適応形態の方も企業の現実に対して適用 されつつ何か提言が行なわれる程の具体化は、全く見られない。 制御というほとんど無内容な構想と若干それを具体化した適応形態の区別 という抽象的段階に終わっているのがウルリッヒの『生産する社会的システ ムとしての企業』公刊当時の経営経済学説の特徴である。 ところで、われわれは先に、制御の概念の形成原則としての内容が乏しい と言う場合、制御が言う内容が現実に関して持つ情報内容が乏しいのだと言 った。ここにわれわれは、かれの言明に対する態度を検討する必要がある。 かれは、経験科学的な研究の不可能と不必要を説いた。 ところが、制御の概念に見たように、それを形成学の内容として有意義に 伸ばすためには、経験科学的研究が不可避である。 われわれは、経験科学的研究の拒否すなわち情報内容の乏しい状態の言明 の肯定という態度のままでは、システム志向的経営経済学には大きな限界が あると言わざるを得ない。 しかし形成学としての科学における経験科学的研究の不可能性と不必要性 を論じたウルリッヒにも、一応の根拠はあるようにも見える。 なぜなら、かれは、一般システム論に基づき、これに現実の方を引きつけ れば良いと考えているからである。 ただ、経験から切り離された場面から出発しつつ、経験から切り離された 形成模型にむしろ現実の方を近づけるという態度は、そこにおける出発点の

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情報の経験との関連が意識されていないものの、一般システム論における制 御や適応は、有機体を含むシステム一般にできるだけ現実的に妥当している 法則として摘出されたのであって、それらの概念は、経験と切り離されてい る訳ではない。 かれは、この限りで経験から抽象を行なった場面から研究を開始している のであって、かれの研究は出発点において経験と無関係な訳でもなく、これ を伸ばしていくにも経験科学的研究は不可避であると目される。 それ故、ウルリッヒの経験的研究の放棄の態度は、この時点において、わ れわれには既に納得のいかないものである。 制御と適応の概念に関しては、われわれはさらに別の側面から次のように 言える。 概念あるいは言明は、必ず価値あるいはイデオロギーを背景に置いている。 制御の構想も、この例外ではない。その構想は、とりわけ、全体の維持とい うことを至上命題とする。 システム構想は、部分を問題にする場合には、常に、全体の維持との関連 が取り上げられる。確かに、部分もそれ自体一種の全体ではあるが、かれが その書物において主として全体として考えるのは企業全体である。 すなわち、システム構想の制御と適応の構想は、専ら企業全体に適用され ることを目指されている。 部分を見る場合に常に全体の維持という面から見るという、制御が持って いる至上命題は、全体を「管理」する側が持ち合わせる観点であり、われわ れは、その至上命題は、管理論を根拠づけていると言える。 すなわち、かれのシステム志向的経営経済学は、戦後の経営経済学が管理 論の方向にも歩一歩と発展していくひとつの契機となった。 全体の維持という至上命題は、動的均衡の維持あるいは生存の確保という ことであり、それは、システム志向的経営経済学における企業の目的論と目 標論にも明確に現れるので、われわれは次に、ウルリッヒの見解における企 業目的と企業目標の内容を跡づけよう。

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 企業の目的と目標

シ ス テ ム 志 向 的 経 営 経 済 学 に と っ て 典 型 的 で あ る の は 、 企 業 の 目 的 (Zweck) と目標 (Ziel) に関する思考である。 システム理論的見地からすれば、企業は孤立しているのではなくて、より 広範なシステムの中に存在する。ここに、システム志向的経営経済学におい て企業の社会的関連が取り上げられる素地があるのだが、この節との関連で は、企業が、より広範なシステムの中に存在するという事態が重要である。 なぜなら、この認識は、企業目的の議論を規定するからである。 すなわち、企業がより広範なシステムの中に存続し続けるためには、社会 に対して何らかのアウトプットを生み出さなければならないのであり、物的 財あるいは非物的財の供給こそ企業にとっては、第一次的に重要なことにな るのである。 社会に対して生産的機能 (produktive Funktion) を果たしていくことこそ 企業の第一次的目的である20)。それ故、かれは、この関連では、企業の主要 目的は経済的なものであると考えていて、企業は経済構成体 (Wirtschafts-gebild) であると言う21) われわれは、かれがここで企業を経済構成体として把握したことを銘記し ておきたい。 さて、ウルリッヒが考える現在の資本主義経済体制は、そこにおいて活動 する企業に対して何らかの生産的機能を果たすという制約しか課していな い22) 。それ故、企業にとっては、目的設定の自由があることになる。ある企 業が、社会にどのような財を給付するのかは、その企業の自由な判断に任さ 20) H. Ulrich, U., S. 166 ff. 21) H. Ulrich, U., S. 166. 22) ウルリッヒは、現在の資本主義体制を、初期資本主義的経済体制から区別して、社会 市場的経済体制 (soziale Marktwirtschaft) と規定する。社会市場的経済体制とは、自 由な市場経済の原理に基づきつつも、国家の様々な側面への介入がある場合の経済体 制である。その際、特に、基礎的土台構造の整備が国家によって行なわれるというこ とが強調される。

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れている。 資本主義体制における自由は、こうした目的の選択の自由であるのみなら ず、目標の決定の自由でもあるというのがウルリッヒの見解である。 そこで、次に企業の目標に関するかれの議論を取り上げよう23) ウルリッヒの見解においては、目標とは、どのような質のものを、どれだ け、いつ、どこに、給付するのかということを指し示す。 ここに、企業目的と企業目標の関係は、目的においては、社会に対して 「何を」生産するのかということが決められるだけであるのに対して、目標 においては、それが、質的、量的、時間的、空間的な面に関して、一層具体 化されているのである。かれもまた、この意味における目標を、具体的な目 標規定と呼び24)、それが販売市場に直結した目標であるということから市場 目標とも呼んでいる25) しかし、かれは、他方において、こうした意味における目標は、手段であ って、この手段で達成される比較的具体的ではない目標観念 (Zielvorstel-lung) も考えている。かれは、比較的具体的ではないこうした目標観念のこ

とを、最終的目標 (letztes Ziel)、比較的上位の目標 (Ziel)26)、最高

目標 (oberstes Ziel)27)と呼ぶこととなるのであるが、このように表現され る目標は、市場目標を決定する場合の意思決定基準を意味しており、ウルリ ッヒはそうした意思決定基準の役割を果たす目標は何かを議論している。 以下では、目標と言えば市場目標の上位にあり、それを導く目標のことを 排他的に意味することとして、われわれは、目標に関するかれの見解を跡づ けておきたい28) 。 23) H. Ulrich, U., SS. 186211. 24) H. Ulrich, U., S. 162. 25) H. Ulrich, U., S. 188. 26) H. Ulrich, U., S. 162. 27) H. Ulrich, U., S. 188. 28) 市場目標の上位にあり、それを導く目標あるいは目標システムについてのウルリッヒ の見解に関しては、次を参照のこと。 H. Ulrich, U., SS. 186197.

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ウルリッヒは、まず古典的経営経済学に言われてきた、企業の最高目標は 利潤極大化 (Gewinnmaximierung, Erzielung eines maximalen Gewinns) であ るという説を検討することから始める。かれは、企業が環境から強制的にあ る目標を取るように仕向けられているのかという問いと、そうではないなら ば企業が自ら進んでその目標を取るのかという問いを分けて論じ、かれは、 利潤極大化は、まず、環境から強制的に課せられた目標ではないと言う。 なぜなら、かれの見解によれば、自由な市場経済は、できる限り経済的な 行動が間接的に強制されるように構想されているのであって、極大利潤の達 成が要請されている訳ではない。 さらに、利潤極大化の方向には向かない期待が企業に掛けられている昨今 では、この事態は、一層妥当する。 次に、利潤極大化が、外部から強制されていないとなると、それは、企業 者の固有の衝動から追求されているのであろうか。 この問いに関してかれは、多くの企業管理者は、適正利潤 (angemes-senes Gewinn) をもって満足するという事態と、今日の心理学的成果から 大多数の人間は、物質的目標にのみ導かれているのではなくて、多様な動機 を示し、全く複雑な価値体系によって導かれているという事態をあげる。そ して、それらの事態の指摘によって、かれは、企業者が固有の衝動から利潤 極大化を追求しているということを否定する。 こうして、かれは利潤極大化に代えて、同時に追求される多数の目標があ ると考え29) 、それらの複数の目標が含まれるという意味で目標システムとい う言葉を用いているのである30) 。 かれは、目標システムに含まれる複数の目標の間の対立を克服しなければ ならないとして、その方法として希求水準の設定をあげるのだが、結局、希 求水準の設定自体もより上位の価値がなければなされ得ないので、かれは目 29) H. Ulrich, U., S. 190. 30) 例えば、次を参照のこと。 H. Ulrich, U., S. 187, 190, 191.

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標システムに含まれる複数の目標間の対立の克服に必要な価値を次に問うこ ととなる。

そして、目標システムに含まれる複数の目標間の対立の克服に必要なこう

した価値とは、 かれの見解によるなら、 企業と環境の間の動的均衡 (

  zwischen Unternehmung und Unwelt) の維持なのである31)

それ故、企業と環境の間の動的均衡の維持が、まさに最終的で最高の目標 になる。 先述のように、市場目標の上位にあって、その決定を導く価値は、最終目 標、より上位の目標あるいは最高目標と呼ばれ、複数の目標を含む目標シス テムであるということが触れられた。かれの見解を跡づけた今や、さらにそ の上位に価値が覆い被さっていることが了解され得る。 われわれは、ウルリッヒの目標と目的に関する議論のうちから、まず目標 システムについて取り上げよう。 目標システムは、かれの見解によれば、単なる利潤極大化のみではなくて、 複数の目標を含んでいたのである。そして、このことは、かれが、古典的経 営経済学の経済性に対する一辺倒の志向を排除した事態と結びついているの である。 かれは、企業は環境なかでも社会において存在するという事態を強調し、 目標システムには、様々な関係集団からの利害が入ってくると考える。 こうした複数の目標には、他の企業の要求たる公平な行動や協働、地方共 同体の要求たる租税の支払い、国家的経済政策の支持、国民的関心における 行為、上位国家的組織の要求たる政治的目標設定と経済的目標設定の意味に 沿う行動、一般国民の要求たる様々な目的に対する財政的援助、一般の利害 に矛盾しない行動が含まれる32) かれは、このように要求をあげて、結局、様々な要求を目標の中に考慮す 31) H. Ulrich, U., S. 194. 32) H. Ulrich, U., S. 183. その頁における図17を参照のこと。

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る企業像が、現実に即応するものだと考えている。 すなわち、かれは、利潤極大化に志向する企業像を現実に程遠い模型構想 としてこれを意味深くないとして排除して、同時に追求される複数の目標あ るいは唯一の目標に代えた目標集合こそ事実に沿うと見る。 われわれは、かれが、目標に関する経営経済学的認識を事実に則しつつ現 実化しようと試みていると言える。 われわれは、ここで目標に関するウルリッヒの見解に関して検討を施して おきたい。 まず、事実として、企業の目標は複数化し、目標システムという思考こそ 現実に即応するという考えについては、われわれは、次のように考える。 確かに、かれの言うように、社会から企業に対しては様々な要求が生まれ てきて、企業は、全面的にか部分的にか、そうした要求に応えているのが事 実ではあろう。 しかし、われわれがウルリッヒがあげている社会からの要求を見るに、そ れらの要求を満たすには当然、資金がいる。企業の財政的基礎のない社会的 行動等というのは、われわれの位置づけによるならば、およそ考えられない からである。 ウルリッヒの書物についての書評においてハックスは言う。 「……経営経済学士は、第一次的には経済的財務的成功に対して責任を負 う。明らかに企業の目標は複雑である。しかし、財務的成功が否定的な結果 に終わるならば、全てのそれらの目標は保証されない。33) 」 さらに、われわれが言いたいのは、企業の目標といっても、生産活動によ って直接的に達成しようとする目標と、達成された成果をもってさらに達成 しようとする目標の2つがあるということであり、企業が社会に対して行な うとされる先述の行動は、後者の側面に含まれると見られる。 この点に関して、われわれの見解によるならば、利潤なくしてそれらは達 33) K. Hax, Buchbesprechung, S. 143.

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成できないという思考が、ウルリッヒの考察からは脱落しているのである。 これに対して、生産活動によって直接的に達成しようとする目標について は、依然として利潤追求努力が支配的であると言っても、そのことは、かれ の考察とは矛盾しない。こうした利潤追求をしつつも、企業は、かれの言う 所の社会的な要求を満たし得るからである。 さらに、社会的要求を満たしていくことは、長期的な利潤追求努力を支持 する布石にもなることもまたここで指摘されるべきであろう。 ここまでは、目標システムに関して、われわれの見解を述べたのであるが、 次に、われわれは目標システムの上位にある動的均衡の維持に関して論じよ う。動的均衡の維持は、存続 () の確保とも言われ、それはシス テム理論に固有の構想であるが、この内容がほとんど限定されないままにな っていることも事実である。 かれの見解においても動的均衡の維持については、十分な意味の画定がな されてはいない。かれの見解からは、動的均衡の維持とは、生存し続けるこ とであるということが読み取れ、動的均衡の維持あるいは存続の確保のため には、西側の市場経済的に組織化された貨幣交換経済においては、十分な支 払手段の維持がなされねばならないと言われている。 どのような状態になれば、動的均衡であるのかということについては、理 解できないものの、動的均衡の維持の構想の導入によって、利潤追求の意味 が高く位置づけられているのである。 かれの見解によれば、短期的な費消成果均衡が常に達成されるとは考えら れないので、十分な支払手段の継続的維持は、良好な時期に成果余剰すなわ ち利潤の達成によってなされる。そして、この達成されるべき利潤の水準は、 傾向的に高くなる34) こうして、動的均衡の構想が導入されることによって、ますますかれの見 解には、利潤の否定どころか、その意義の肯定が生まれることとなる。 34) H. Ulrich, U., SS. 194195.

(22)

われわれは、このことを指摘しておきたい。 われわれは、以上の紹介及び検討を要約しておこう。 目標システムに関するウルリッヒの見解には、唯一の目標ではなく目標シ ステムの存在の主張があるが、一方において、企業の目標を生産活動によっ て達成される目標と成果をもって達成される目標に2分割すれば、かれの見 解は、事実として単一の利潤目標を否定できているとは考えられないし、他 方において、システム理論的構想に典型的な動的均衡の概念を導入すること によって、ますますシステム志向的経営経済学には、利潤の意味が否定され 得なくなっていると考えられる。

 システム志向的経営経済学の特質と問題―結びに代えて―

われわれは、ウルリッヒのシステム志向的経営経済学における管理論志向 の中における人間の取り扱いについて考察することによって、かれの学説の とりまとめとしよう。 なぜなら、かれは、グーテンベルクの学説から乖離し、企業の現実を見る 必要があるとしたのであり、そうした見方が実際に取られているかどうかは、 かれによる企業の中の人間の扱いを見極めることによって最も明確になると 考えられるからである。 ヴェアハーン (P. H. Werhahn) はウルリッヒのシステム志向的経営経済 学の管理論的志向について、次のように明確に指摘している。 「……われわれは、システム理論の統合力とならんで、システム構想に導 いたのが統御側面の強調であることを認識しなければならない。それ故、こ のシステム構想は、管理問題を中点に置く最初の構想となる。35) ウルリッヒのシステム志向的経営経済学の検討に当たってとりわけわれわ れは、それがグーテンベルクの経営経済学に対峙する意図をもって出現した ことを想起したい。 35) P. H. Werhahn, a. a. O., S. 312.

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つまり、グーテンベルクの経済学的な志向から乖離し、現実の企業で生起 していることに目を向けるという意図が、ウルリッヒの見解のさまざまな場 面で現れている。 第1に、その意図は、企業の目的の把握に現れ、企業の目標内容は、単な る利潤極大化志向からは乖離し、複数の目標を含むシステムである、と見ら れる認識がなされた。しかし、その認識は、システム理論の動的均衡の維持 への志向によって、ウルリッヒの意図どおりには、多面的な目標の取り入れ には至らず、むしろ結局、利潤の意義を高揚する結果となった。ここに、グ ーテンベルク的認識にシステム論が被さった時には、システム全体の維持と いう側面の強調によって、必ずしも、利潤以外の目標が目に入らないという ことが理解され得るのである。 第2に、その意図は、人間という企業内の要素についての把握に現れ、ウ ルリッヒによれば、大多数の人間は、物質的目標のみではなくて、多様な動 機を示し、全く複雑な価値体系によって導かれていると認識される。ところ がここでも、結局、実質的には、他の動機づけに対する経済的な動機づけの 最優位が選択されていた。多様な動機に対応して経営管理に協調的な態度を 引き出そうとする理論である動機づけ理論を含む各種行動科学の手法すらも、 詳細に論じられることはなかった。さらにましてや労働者の立場に踏み込ん だ労働の人間化の実証的研究や理論的研究について、われわれはウルリッヒ の見解にはその片鱗も見出せない。 これらの事態が起こる理由は何か。 それは、ウルリッヒが、広い現象を取り入れようとしているのに対して、 取り上げられた現象については、システム論的統御の概念が覆い被さるから であると解され得る。つまり、システム論的統御の思考には、全体の維持と いう発想が強く浸透していて、これがシステムの機能的思考の現れであるこ とは言うまでもない。こうした機能的思考の帰結として、人間は、他の要素 とならんで企業全体の維持のために働くべきものであるという発想が出てく ることには何の不思議もないのである。

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ヴェアハーンは、次のように言う36) システム構想は、企業における人間の特別の地位、特に、その自己価値か ら出発する。こうした特質づけは、ウルリッヒが、企業を個人と人間集団か らなる社会的関係組織として把握することから派生する。ヴェアハーンは、 こうした把握からして、ウルリッヒの見解においては、社会的関係が、方法 論的個人主義 (methodologischer Individualismus) の意味において、個人的 行動に引き戻されて理解されようとする意欲が見られるとする。 ヴェアハーンの位置づけは、ウルリッヒが、全ての個人は最初から、社会 的文脈において生きていることを指摘しながら、まさに全体の強調に基づい て、方法論的個人主義を克服しようとして、社会的システムの独立性を把握 しようと努力している、というものである。ウルリッヒの見解においては、 企業の経済的構成体としての位置づけから生まれるその協働者への要求が、 企業内部の個々人の考え得る努力と利害に一致させられる。ヴェアハーンに よれば、このようなウルリッヒの考える完全な調和は、かれ自身も「理想郷 (Utopie)37)」 と見ていると指摘する。ウルリッヒ的理想郷では、葛藤がある 場合には、企業構成員から、企業の生産的要求の方に対する適応行動が取ら れることが期待されるので38)、企業の経済的目的が重視されることとなる。 ヴェアハーンは、結論的に、システム志向的経営経済学における人間の取 り扱い方を次のように要約する39) 。 ウルリッヒにおける社会的形成の面においては、人間の地位に特別の考慮 がなされているが、結局、心理社会的現象 (psychosoziales) が無 視され、人間が、要素理論的構想 (faktortheoretischer Ansatz) に拠りつつ、 生産要素あるいは経営要素として把握され、他の要素と同列に置かれている 36) P. H. Werhahn, a. a. O., SS. 341342. 37) ヴェアハーンは、ウルリッヒのこの見解に関して、次の箇所の参照を求める。 H. Ulrich, U., S. 256. 38) ヴェアハーンは、ウルリッヒのこの見解に関して、次の箇所の参照を求める。 H. Ulrich, U., S. 256. 39) P. H. Werhahn, a. a. O., S. 343.

(25)

のである。協働者はそうした位置づけでは、多様に利用し得る財、すなわち、 生産的に活動する所の相対的に継続的な要素となる。ここでは、労働と労働 条件は、生産性と利潤獲得の観点から考察され、労働関係の変更に関する目 標設定は、与件とされる40) われわれの結論としては、ウルリッヒの学説は、企業の現実を把握しよう とする姿勢は見せたものの、必ずしもその取り扱いは、企業の現実に接近す ることを果たせなかった、というものである。 この事態と関連しているのは、かれの因果分析的研究の不可能説と不必要 説という方法上の特質であることについては、われわれは容易に想像できる。 われわれの次の課題は、かれの方法上の特質を詳細に取り上げ、その特質と かれの見解の内容上の特質との関連を探索することである。 (筆者は関西学院大学商学部教授) 40) ヴェアハーンは、ウルリッヒのこの見解に関して、次の箇所の参照を求める。 H. Ulrich, U., S. 234.

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