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<古典資料の翻訳> デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」

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<古典資料の翻訳> デイヴィッド・ヒューム「迷信

と熱狂について」

著者

田中 敏弘

雑誌名

経済学論究

63

4

ページ

77-86

発行年

2010-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/3732

(2)

〈古典資料の翻訳〉

デイヴィッド・ヒューム

「迷信と熱狂について」

“Of Superstition and Enthusiasm”

David Hume, Essays, Moral, Political,

and Literary.

(edited by Eugene F. Miller, 1987, Indianapolis: Liberty fund)

田 中 敏 弘  

This is a tentative Japanese translation of David Hume’s essay, “Of Superstitions and Enthusiasm”, included in his Essays, Moral, Political,

and Literary (1777). It is only a part of the full translation of the Essays that is in progress by the translator. The text is based on the

E. F. Miller edition, 1987.

Toshihiro Tanaka

  

JEL

B31

Key words: David Hume’s Essays, Moral, Political, and Literary, Supersti-tion, Enthusiasm. History of economic and social thought

X

迷信と熱狂について

最善のものが腐敗すれば最悪のものを生み出すということは、格言(

maxim

になっていて、他にみれらる事例のなかでも、迷信(

superstition

)と熱狂

enthusiasm

)という、本物の宗教の腐敗・堕落のきわめて有害な結果によっ て、一般に証明されている。 こうした二種類の偽宗教は、いずれも有害だが、しかし非常に異なる性質

(3)

のものであり、それどころか相反する性質をもったものである。人の心は何か 理性によって説明しがたい恐怖や不安に陥りやすいものだが、それらの恐怖や 不安は私事や公事の不幸な状況や、不健康や、陰気で憂うつな性向から生じる か、それともこうした事情すべてが同時に発生することから起ってくる。この ような精神状態にあるときは、未知の力から生じる測り知れないほどの未知の 災いが恐れられる。しかも恐怖の真の対象が欠けていて分からない場合には、 その人の魂はそれ自身を傷つけるように働き、さらにそれのもつ支配的な性向 を助長し、想像上の対象を見つけ出し、それのもつ力と敵意に対していささか も限度を認めない。こうした敵はまったく目に見えず未知なものであるので、 彼らをなだめるための方法は同じく説明しがたいものであり、儀式、祭式、難 行苦行、犠牲、儀礼的な贈物、あるいはいかに馬鹿らしくたわいもないもので あれ、なんらかの慣行からなっている。そしてこうした慣行は愚かさか悪辣さ によって、理性を失い、恐怖にとらわれた軽信により実行を勧められるのであ る。それゆえ、心の弱さ、恐れ、憂うつが、無知と共に『迷信』の真の源泉な のである。 しかし人の心はまた説明のつかない高揚やずうずうしさにも左右されるの であり、これらはさいさきのよい成功や、盛んな健康や、強大な気力・活力や、 あるいは大胆で自信たっぷりな性向から生じる。このような精神状態にあると きは、空想力は極度に達するが、混乱したさまざまな概念と共に膨れあがり、 このような概念には地上のどのような美も享楽も対応することができない。死 をまぬがれず滅亡すべきものはすべて注目に値しないとして消えうせる。そし て目に見えない領域、すなわち精神界における空想に全精力が注がれるが、こ のような世界では、魂はありとあらゆる想像に自由自在にふけるのであり、こ の想像は魂の現在の好みや性向に最も合致することができる。ここから恍惚状 態、エクスタシー、空想の驚くべき飛躍・高揚が起り、自信とずうずうしさが なお一層増大する。こうした恍惚状態はまったく説明しがたいものであり、わ れわれの通常の能力の及ぶ範囲をはるかに超えていると思われるので、献身の 対象であるあの神的存在の直接的霊感によるものとされる。しばらくすると、 霊感を受けた人は、自分を神の特にすぐれた寵児とみなすようになる。そして

(4)

田中:デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」 この狂乱がひとたび起れば、これは熱狂の頂点なのであるから、どのような奇 想・奇行も聖化されてしまう。人間の理性や道徳さえ誤った指針として拒否さ れる。したがって狂信的な狂人は、想像上、突如くだる霊と天上からの霊感に 盲目的に、無条件に身を委ねる。それゆえ、希望、自負心、ずうずうしさ、興 奮した想像力が、無知と共に、『熱狂』の真の源泉なのである。 これら二種類の偽宗教は多くの思索を引き起すことができよう。しかし私は さしあたり、統治と社会に対するそれらの異なる影響に関する幾つかの見解に 限定することにしたい。 私(1)の第一の見解は、迷信が聖職者の権力にとって有利であり、熱狂が健 全な理性と哲学に劣らず、あるいはそれらより一層聖職者の権力に反している ということである。迷信は、恐怖、悲しみ、意気消沈にもとづいているので、 それは人間をきわめて見下げたように彼自身に見せるため、人間は神の前に近 づくに値しないものと自らの目に見え、したがって自然と誰か他の人物に頼る ことになる。その人物は、高潔な生活や、もしくはおそらくそのずうずうしさ と狡猾さのため、自分よりも神の恩寵をより多く受けていると想像されるか らである。このような人物に迷信家は彼らの信心を託す。この人物の配慮に、 迷信家たちはその祈りと請願と犠牲を託すのである。こうしてその人物を介し て、彼らは自分たちの祈願が激怒した神に受け入れられるようになることを請 い願う。ここに『聖職者』(

PRIESTS

)の起源がある(2)。聖職者は臆病で卑 しむべき迷信が発明したものとみなされてしかるべきであろう(3) 。迷信はい つも自らに自信をもってないので、自らの信心をあえて直接神に捧げるのでな く、愚かにもそれを神の支持者や従者と想定される人々を介して神に託そうと 考えるからである。迷信はほとんどあらゆる宗教、最も狂信的な宗教において さえ、重要な要素であり、こうした説明しがたい恐怖を完全に克服できるのは 哲学以外には存在しないので、ここからほとんどあらゆる教派には聖職者が見 出されることになる。しかし、迷信の混入が強ければ強いほど、それだけ聖職 者の権威は高くなるのである(4) 。 他方、見られるように、熱狂的な信徒はすべて聖職者の束縛から自由であっ たし、形式や儀式や伝統を軽べつして、彼らの献身における大きな自主独立を

(5)

示してきている。クエーカー教徒(5)は、これまで知られているうち、最もす ぐれた、同時に最も無害な熱狂的信徒である。また彼らはおそらく彼らの間に 聖職者をけっして認めなかった唯一の教派であろう。イギリスの教派のすべて のうち、独立教会派(6) は、その狂信ということと、聖職者の束縛からの自由と いう点において、クエーカー教徒に最も近い。長老派(7) がこのいずれの点に おいても同じ距離をおいてこれに続いている。要するに、もしわれわれが、熱 狂はずうずうしい自尊心と自信から生じるので、なんら人間的仲介者なしに、 自分自身で神に近づく資格を十分与えられていると考えることを考慮すれば、 この考察は経験にもとづくものであり、また同時に理性にもとづくものと見ら れよう。熱狂的信仰はきわめて烈しいため、瞑想や霊的交わりの方法で、実際 に神に近づくことさえできると考える。このことから熱狂は、外的な儀式や祭 式のすべての遵守には聖職者による助けがどうしても必要だと、その迷信的で 熱烈な信徒たちの目には思われる。それらの儀式や祭式をすべて軽視すること になる。狂信者は自らを聖化し、自分自身に神聖な性格を与えるが、この神聖 な性格はいかなる形式や儀式上の諸制度が他の者に与えうるものよりも、はる かにすぐれているのである。 こうした種類の偽宗教に関する私の第二の見解はこうである。すなわち、熱 狂の性質をもつ宗教は、迷信の性質をもつ宗教よりも、それが最初に生じた 時には、激烈であり猛烈であるが、しかししばらくすると、より穏やかで寛 容になる。この種の宗教の烈しさは、その新奇さに刺戟され、それに対する 反対により活気づけられたときに現れることは、無数の事例から明らかであ る。たとえばドイツにおける再洗礼派(8) 、フランスにおけるカミザール教徒(9) (

camisars

)、イングランドにおけるレヴェラーズ(10) とその他の狂信家たち、 スコットランドにおけるコヴナンター派(11) (

Covenanters

)がその例である。 熱狂は、強烈な気力・活力と、ずうずうしい大胆な性格にもとづいているので、 当然最も極端な決断を生み出す。とくに熱狂が発展して、錯覚した狂信者が神 の啓示を受けたという信念や、理性、道徳、思慮分別の一般的規則に対する軽 蔑を鼓吹するほどの高さに達したあとにおいては、そうである。 このようにして、熱狂は人間社会に最も残酷な無秩序を生み出す。しかしそ

(6)

田中:デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」 の烈しさは雷鳴や暴風雨のそれのように、しばらくすると力尽きて弱まり、大 気を以前よりも静かで穏やかなものにする。熱狂の最初の火が燃えつきると、 人々はあらゆる狂信的教派において、神聖な事柄に関して最大の気のゆるみと 冷淡さに自然と落ちこんでゆく。これらの教派には、十分な権威を与えられ、 宗教的活力を維持することが利益であるような人々の集団が存在しないからで ある。日常の生活に入りこみ、神聖な原理を忘却から守りうる典礼も儀式も神 聖な戒律も一切存在しないからである。これとは反対に、迷信は徐々に目に 見えないうちに忍び込み、人々をおとなしく従順にし、為政者に受け入れやす く、民衆にとって害にならないように思われる。そしてついには、権威を確固 なものとした聖職者は果てしない論争、迫害、宗教戦争によって、人間社会の 圧制者、撹乱者となる。ローマカトリック教会はなんとすらすらとその権力の 獲得をすすめたことか。しかし、その権力を保持するため、ローマカトリック 教会は全ヨーロッパをなんという惨憺たる動乱に投げこんだことか。他方、わ が国の教派の信徒たちは、以前にはあのような危険な狂信者だったのに、今で はきわめて自由な思慮分別をわきまえた人になっている。そしてクエーカー教 徒は世界の理神論者(12) たちの唯一つの正規な団体、すなわち中国の学者・文 人たち(

the literati

)つまり『孔子』の弟子たちにほとんど近づいていると思 われる(13) 。 この問題に関する私の第三の見解は、迷信は政治的自由(

civil liberty

)に 対する敵であり、熱狂はそれに対する味方である。ということである。迷信は 聖職者の支配のもとに呻吟し、熱狂は聖職者のあらゆる権力を破壊するので、 このことは今述べられた見解を十分説明している。熱狂は大胆で野心的な気質 をもつという欠点であるので、自然と自由の精神をともなうことは言うまでも ない。これとは反対に、迷信は人々を従順で卑屈にし、彼らを隷属状態に適合 させる。イギリスの歴史から分かるように、内戦中、独立教会派と理神論者た ちは、彼らの宗教的原理においては最も相対立するにもかかわらず、しかし彼 らの政治的原理においては一致し、共和政体を求めて等しく情熱を燃やした のであった。こうしてウィッグ党とトーリー党の起源以来、ウィッグ党の指導 者たちは、その原理において理神論者か、あるいは公然たる宗教的自由主義者

(7)

latitudinarians

、すなわち寛容の味方であり、キリスト教徒のどの特定の教 派に対しても中立的であった。すなわち、すべて熱狂の強い色合いをもってい た諸教派は、いつでも例外なくウィッグ党と一致した意見をもち、政治的自由 を擁護したのであった。迷信に関した類似性から、高教会派トーリー党とロー マ・カトリック教徒は、長い間連合して排他的特権や王権を支持した。もっと も、ウィッグ党の寛容の精神の体験は、最近、カトリック教徒をこの党と和解 させたように思われるのだが。 フランスにおけるモリナ派(

molinists

)とジャンセン派(

jansenists

)は、 常識をそなえた人ならとうてい考慮に値しないような無数の不可解な論争を 行っている(14) 。しかしこれら二教派を主として区分するもので、ただ唯一注 目に値するメリットは、彼らの宗教の異なる精神である。モリナ派はイエズス 会派(

jesuits

)の指導を受けた迷信の大の味方であり、外的な形式と儀式の厳 格な遵守者で、聖職者の権威と伝統に対して献身的である。一方、ジャンセン 派は熱狂者であり、情熱的な献身と内的生活の熱烈な促進者で、権威にはほと んど影響を受けない。したがって一言で言えば、不完全なカトリック教徒であ るにすぎない。こうした帰結は上に述べた推論にまさに合致している。イエズ ス会派は民衆の圧制者であり、宮廷の奴隷である。そしてジャンセン派は、フ ランス国民のうちに見出されるべき自由の愛好のわずかな火花を消さずに守っ ているのである。 (1) 〔A 版と B 版では、このパラグラフとそれに続く三パラグラフは次のように書 かれている。「私の第一の見解は、熱狂の性質をもつ宗教は、迷信の性質をもつ 宗教よりも、それが最初に生じた時には、激烈で猛烈であるが、しかししばらく すると、より穏やかで寛容になる。この種の宗教の烈しさはその新奇さに刺戟さ れ、それに対する反対により活気づけられたときに現れることは、無数の事例か ら明らかである。たとえばドイツにおける再洗礼派、フランスにおけるカミザー ル教徒、イングランドにおけるレヴェラーズとその他の狂信家たち、スコットラ ンドにおけるコヴナンター派がその例である。熱狂は強烈な気力・活力と、ずう ずうしい大胆な性格にもとづいているので、当然最も極端な決断を生み出す。と

(8)

田中:デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」 くに熱狂が発展して、錯覚した狂信者が神の啓示を受けたという信念や、理性、 道徳、思慮分別の一般的規則に対する軽蔑を鼓吹するほどの高さに達したあとに おいては、そうである。 このようにして、熱狂は人間社会に最も残酷な無秩序を生み出す。しかしそ の烈しさは雷鳴や暴風雨のそれのように、しばらくすると力尽きて弱まり、大気 を以前よりも静かで穏やかなものにする。この理由は、熱狂を他の種類の偽宗教 である迷信と比較し、各々の自然的結果を辿ることによって、明らかとなるであ ろう。迷信は恐怖、悲しみ、意気消沈にもとづいているので、それは人間をきわ めて見下げたように彼自身に見せるため、人間は神の前に近づくに値しないもの と自らの目に見え、したがって自然と誰か他の人物に頼ることになる。その人物 は、高潔な生活や、もしくはおそらくそのずうずうしさと狡猾さのため、自分よ りも神の恩寵をより多くうけていると想像されるからである。このような人物に 迷信家は彼らの信心を託す。この人物の配慮に、迷信家たちはその祈りと請願と 犠牲を託すのである。こうしてその人物を介して、彼らは自分たちの祈願が激怒 した神に受け入れられるようになることを請い願う。ここに『聖職者』の起源が あり、聖職者は臆病で卑しむべき迷信が発明した最もとんでもないものとみなさ れてしかるべきであろう。迷信はいつも自らに自信をもっていないので、自らの 信心をあえて直接神に捧げるのでなく、愚かにもそれを神の支持者や従者と想定 される人々を介して神に託そうと考えるからである。迷信はほとんどあらゆる宗 教、最も狂信的な宗教においてさえ、重要な要素であり、こうした説明しがたい 恐怖を完全に克服できるのは哲学以外には存在しないので、ここからほとんどあ らゆる教派には聖職者が見出されることになる。しかし、迷信の混入が強ければ 強いほど、それだけ聖職者の権威は高くなるのである。現在のユダヤ教とローマ カトリック教は、とくに後者はそうだが、世界にこれまで知られた最も野蛮で馬 鹿気た迷信であるので、その聖職者によって極度に奴隷化されている。イギリス 国教会はローマカトリック教の有力な混合物を持ち続けていると言われてしかる べきであるから、国教会もまたその組織の根源のうちに、聖職者の権力と支配へ の傾向をもっている。とくにそれは国教会が聖職者に対して強制する尊敬の念に おいてそうである。したがって国教会の見解によれば、聖職者の祈りは信徒の祈 りに伴われねばならないとはいえ、それにもかかわらず、聖職者は信徒会衆を代 弁する口であり、彼の人格は神聖なものであり、彼の出席がなければ、信徒はそ の献身、あるいは秘蹟とその他の典礼が神に受け入れられるとはまず考えないで あろう。 他方、見られるように、熱狂的な信徒はすべて聖職者の束縛から自由であった し、形式や伝統や権威を軽べつして、彼らの献身における大きな自主独立を示し てきている。クエーカー教徒は、これまで知られているうち、最もすぐれた、同

(9)

時に最も無害な熱狂的信徒である。また彼らはおそらく彼らの間に聖職者をけっ して認めなかった唯一つの教派であろう。イギリスの教派のすべてのうち、独立 教会派は、その狂信ということと、聖職者の束縛からの自由という点において、 クエーカー教徒に最も近い。長老派がこのいずれの点においても同じ距離をおい てこれに続いている。要するに、もしわれわれが、熱狂はずうずうしい自尊心と 自信から生じるので、なんら人間的仲介者なしに、自分自身で神に近づく資格を 十分与えられていると考えることを考慮すれば、この考察は経験にもとづくもの であり、また同時に理性にもとづくものと見られよう。熱狂的信仰はきわめて烈 しいため、瞑想や霊的交わりの方法で、実際に神に近づくことさえできると考え る。このことから熱狂は、外的な儀式や祭式のすべての遵守には聖職者による助 けがどうしても必要だと、その迷信的で熱烈な信徒たちの目に思われる。それら の儀式や祭式をすべて軽視することになる。狂信者は自らを聖化し、自分自身に 神聖な性格を与えるが、この神聖な性格はいかなる形式や儀式上の諸制度が他の 者に与えうるものよりも、はるかにすぐれているのである。 それゆえ、迷信が聖職者の権力に対して好意的であり、熱狂が健全な理性と哲 学と同程度、あるいはそれ以上に聖職者の権力と相いれないことは、まったく間 違いのない規準である。この結論は明白である。熱狂の最初の火が燃えつきると、 人々はあらゆる狂信的教派において、神聖な事柄に関して最大の気のゆるみと冷 淡さに自然と落ちこんでゆく。これらの教派には、十分な権威を与えられ、宗教 的活力を維持することが利益であるような人々の集団が存在しないからである。 これとは反対に、迷信は徐々に目に見えないうちに忍び込み、人々をおとなしく 従順にし、為政者に受け入れやすく、民衆にとって害にならないように思われる。 そしてついには、権威を確固なものとした聖職者は果てしない論争、迫害、宗教 戦争によって、人間社会の圧制者、撹乱者となる。ローマカトリック教会はなん とすらすらとその権力の獲得をすすめたことか。しかし、その権力を保持するた め、ローマカトリック教会は全ヨーロッパをなんという惨憺たる動乱に投げこん だことか。他方、わが国の教派の信徒たちは、以前にはあのような危険な狂信者 だったのに、今ではきわめて自由な思慮分別をわきまえた人になっている。そし てクエーカー教徒は、中国の学者・文人たち、すなわち孔子の弟子たちを除けば、 おそらく世界における理神論者の唯一つの正規な団体であろう。」〕 (2) 〔次の注は D 版から N 版までに付された。「聖職者によって私がここで意味する のは、権力と支配力、さらに徳と立派な道徳とは区別された性格上のすぐれた神 聖さをねらう詐称者だけである。こうした人々は、法律によって神聖な事柄の世 話をし、われわれの公的な信仰心をより大きな節度と秩序をもって指導するよう にきめられている牧師とは大いに異なる。この後者ほど尊敬されるべき人の階層 は他には存在しない。」〕

(10)

田中:デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」 (3) 〔「最もとんでもない発明の一つとして」。D 版から N 版まで。〕 (4) 〔ここに D 版から P 版までは、以下のものが加えられている。「現在のユダヤ教 とローマカトリック教(とくに後者)は、世界にこれまで知られた最も非哲学的 で馬鹿気た迷信であるので、その聖職者によって極度に奴隷化されている。イギ リス国教会はローマカトリック教の有力な混合物を持ち続けていると言われてし かるべきであるから、国教会もまたその組織の根源のうちに、聖職者の権力と支 配への傾向をもっている。とくにそれは国教会が司祭の人格に対して強制する尊 敬の念においてそうである。したがって、国教会の見解によれば、聖職者の祈り は信徒の祈りに伴われねばならいとはいえ、それにもかかわらず、聖職者は信徒 会衆を代弁する口であり、彼の人格は神聖なものであり、彼の出席がなければ、 信徒はその献身、あるいは秘蹟とその他の典礼が神に受け入れられるとはまず考 えないであろう。」〕 (5) 〔クエーカー教徒としても知られるフレンド派は一七世紀半ばに「ジョージ・フォッ クス(George Fox,〈1624-91〉)によりイングランドで創立された。その教義に は、人間のうちにある内なる証人あるいは神的原理の信頼、暴力および戦争の放 棄、スピーチと衣裳の簡素さ、任命された聖職者をもたない礼拝の執行が含まれ ている。〕 (6) 〔独立教会派、もしくは組合教会派(Congregationalists)は一六世紀にイング ランドに出現し、一七世紀の共和政下で大きな影響力をもつに至った。彼らは地 方の信徒組合を真の教会とみなし、こうした信徒組合の、他の世俗および教会組 織のすべてからの独立を主張した。〕 (7) 〔長老派教会は、キリスト教を原始キリスト教会の教会政治形態にもどそうとす るジョン・カルヴィン(John Calvin, 1509-64)の努力から起った。イングラン ドとスコットランドの長老派は、監督制、すなわちその任命を国王に負う監督に よる教会政治の拒否という点で組合教会派と意見が一致するが、しかし彼らは、 地方の信徒組合による牧師と長老の選出はそれよりも大きな教会会議、すなわち 中会(Presbyteries)による正式の確認を受けねばならないことを認めた。〕 (8) 〔プロテスタントによる宗教改革期にヨーロッパで始まった再洗礼派の動きは、 幼児洗礼問題に関してルターとたもとを分かち、悔い改めた成人だけが正当に洗 礼を受けることができると主張した。教会と国家との完全な分離に関する彼らの 熱烈な主張と、世俗の宣誓を行うことを彼らが拒否したことのため、再洗礼派は 世俗の権力により大いに迫害された。一五二五年の農民一揆では、トマス・ミュ ンツァー(Thomas Miinzer, 1489-1525)の指導下にあったドイツの急進的な再 洗礼派は、世俗の権威との戦いを始め、絶対的平等と財の共有にもとづくキリス ト教共和国を実力で樹立しようと企てた。〕 (9) 〔カミザール教徒は、ルイ一四世(Louis XIV,1638-1715)によるナント勅令

(11)

の廃棄(一六八五年)の結果生じた一七〇三年の反乱において立ちあがったフラ ンスのカルヴァン派であった。ナント勅令はプロテスタントに公けの礼拝を行な う権利と世俗の役職につく権利とを与えていたのであった。〕 (10) 〔レヴェラーズは共和政下のイングランドにおける急進的な平等主義的党派に与 えられた名称であり、彼らはクロムウェル体制に対して、それが真に貴族制と決 別するものではないという理由にもとづいて反対したのであった。〕 (11) 〔一七世紀半ばに、コヴナンター派という名称はスコットランドで長老派による 教会政治形態を擁護した党派に与えられた。一六六二年の監督制の再確立とこれ に反対する牧師の迫害の結果、コヴナンター派は武装して反乱を起し、国王の軍 隊により力によって鎮圧された。〕 (12) 〔理神論者(deist )という言葉はヒュームの時代には、一人の神を認めるが、こ の信仰を啓示宗教よりもむしろ理性にもとづくとした著作家たちに対してひろく 用いられた。理神論者たちは彼らの間では、神の道徳的役割や摂理や来世のよう な事柄については意見を異にした。〕 (13) 中国の学者・文人には聖職者ないしイギリス国教会の指導者層は入っていない*。 〔孔子(551-479B.C.)は教師であり理想家であり、徳と人間関係に関する彼の見 解は中国の伝統的な生活と思想に深甚な影響を与えた。儒教の教えには、道徳的 意義をもつ宇宙の精神力としての天に対する畏敬が含まれている。〕 *〔この注は D 版から K 版にはなく、他の版の本文では、「そしてクエーカー教 徒は世界の理神論者たちの唯一つの正規な団体、すなわち中国の学者・文人たち、 つまり孔子の弟子たちにほとんど近づいていると思われる」となっている。〕 (14) 〔一七世紀カトリック教会内部におけるこの論争は、自由意志と予定説に関する 問題に集中していた。ジャンセン派が救いの基礎を善行よりもむしろ神の恩寵で あるとみたのに対して、モリナ派は人間の意志のより大きな役割を維持すること を求めた。〕 (追記) 訳出に関する凡例については、『経済学論究』61-2、2007 年 2 月、「デイヴィッド・ ヒューム「芸術と学問の生成・発展について」(1)、35-36 頁を参照。 このエッセイの既訳は、福鎌忠恕・斉藤繁雄訳『奇蹟論・迷信論・自殺論』(法政大 学出版局、1985 年に収められている。

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