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万葉思(しの)ひ草 十四 : 解釈迷執「ふふむ」(続)

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(1)

万葉思

しの

ひ草

十四



解釈迷執「ふふむ」



(続)

升田淑子

太安万侶は、 『古事記』序文を「夫れ、混元既に凝りて、気象未だ效 あらは れず。名も無く為 わざ も無し。誰れか其の形を知らむ。 」と書き 始めた。 たとえこの短い原文にして十七文字の文章が、 中 国の 『周易正義』 『列子』 の 「天瑞 」 や 『老子』 などに依拠して作ら れていたとしても、 宇宙の始原のありようを透徹する、 古代の容易ならざる心的内部の錬磨の形として写し見ることができる。 「既に凝りて」に、 「時」を捉えるかすかな手懸りを見せながら、混渾とした暗黒の世界を具象化しようとする表現意識は剛直なま でに余分なものを削ぎ落した。それが天地開闢に迫って行く力を生むことを、熟知しているかのようにである。序文に続く本文は、 「天地初めて発 ひら けし時、 」ときわめて簡素に書き起したが、序文を受けてむしろ重々しく、巧者の域を感じさせる。 『日本書紀』 本 文は、 「古に天地未だ剖 わか れず、 陰 陽 めを 分れざりしとき、 渾 沌 まろか れたること鶏 子 とりのこ の如くして、 溟 涬 ほのか にして を含 きざし ふふ めり。 」 と起草する。 天地開闢への序章は、 「時」 の胚胎という幻想から始まる。 を含む 「時」 の胚胎、 それを、 鶏子すなわち卵のよう だというのである。ここにおける形や規模の大小は、古代人にとって問題ではない。 を含む天地開闢の直前は、卵のように出入 口の無い密閉された空間に凝縮され、停雲のように「時」を抱いたまま無辺に浮かぶかの如き幻想をしたのである。やがて卵のよ うな容れ物に割け目が生じ、 そこから天と地が別れてそれぞれが形成されて行くのを、 さ ら に 次 のように 続 け る 。「其れ清 すみ 陽 あきらか なる ものは、 薄 靡 たなび きて天と為 な り、 重 濁 おもくにご れるものは、 淹 滞 つつ ゐて地と為るに及びて、 精 くはしく 妙 たへ なるが合へるは摶 むらが り易く、 重濁れるが凝りたる は竭 かたま り難し。故、天先づ成りて地後に定る。 」そして後に、神々が誕生する。 『日本書紀』は、明確に天と地が成る経緯を「時」の 概念をもって構成しており、 「鶏子の如くして、 溟涬にして を含めり。 」は 、「時」 の基兆を徴証的に描いたものであると 考 える ことができる。 こ こには、 天と地とが分れて行く 質 量 のう ね りに 対峙 し 得 る意 味 があり、 それを解釈することによって古代の 「時」 学苑 第八二一号 五 四 ~ 七 〇 ( 二〇〇九 三 )

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へ近付けるように思う。 「卵」や「含む」はその意味から、特殊な「時」の神化を指示する重要な語であったと考える。 前稿 (「万葉思ひ草 十 三 ― 解釈迷執 「 ふふむ」 ― 」『学苑』 第八一四号) で、 『万葉集』 の 「ふふむ」語彙が『万葉集』以降見られな くなることと、歌の内容を通した分析から、この語が上代特有のいわば上代孤語であることを述べてきた。植物の花や実、葉に関 係する形状語である「ふふむ」が『万葉集』以降例を見ず、あたかも交代形であるかのように中古以降に出現する「つぼむ つぼ み」 (『万葉集』には無い) を「ふふむ」の釈とするのが一般的である。しかし、万葉以前の「ふふむ」と中古以降の「つぼむ つぼ み」は全く異質な感覚に立ち、意味内容を異にする語であった。記紀神話には、口に含む呪術 (天照大神と素戔嗚尊による誓約生み) として、 「ふふむ」という表現がある。 「含 ふく む」は「ふふむ」を形成する重要な要素であるが、呪術の手段 方法としての例は今は 措き、 右に述べたような 「時」 へ の 源に向かい、 『万葉集』 の 「ふふむ」 の解釈のさらなる古代相を求めて、 次の記紀歌謡を見 て行くことにする。 古事記 いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道の 香妙し 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 人取り枯らし 三栗の 中つ枝の ほつもり (*本都毛理) 赤ら嬢子を 誘ささば (*伊邪佐佐婆) 良らしな 日本書紀 いざ吾君 野に蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道に 香ぐはし 花橘 下枝らは 人皆取り 上枝は 鳥 居枯らし 三栗の 中つ枝の 含隠り (*府保語茂利) 赤れる嬢子 いざさかば (*伊奘佐伽麼) 良な 右は、 語りの中では応神天皇が太子大鷦鷯 (後の仁徳天皇) に髪長媛を賜予し婚姻を勧める歌謡となっているが、 新嘗祭の豊明 に歌われたという設定から、原形は宮廷寿歌であった可能性が高い。 歌謡中の表現には、背景の物語に添っていない語がある。紀の「いざさかば 良な」は嬢子に対して「髪長姫よ、栄えてくれ」 (古典大系 『 古代歌謡集』 頭注) という意となり、 太子にあてたとしては記の 「誘ささば 良らしな」 、 つまり 「さあ、 今 ぞ妻 となさ るがよろしい」の方が相応う。記の「いざ子ども」は太子に対する 言 い方としては 不自然 で、これは「 老 人が 若者 たちに対して 言

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う語」 (土橋寛 『古代歌謡全注釈』 ) で独立歌謡と見ると、老人が若者を讃える寿歌が原形にあったと考えられる。しかし、歌謡の要 は、 嬢子が太子の結婚相手として今まさに理想的な姿を呈していることを表現した 「 赤ら嬢子」 「赤れる嬢子」 にある。 こ こは記 紀共に共通しており、勧誘歌のクライマックスを飾って一際明るい輝きを増す印象を与える。歌謡の中で「ふふむ」と関係するの が、記「ほつもり」紀「ふほごもり」 (以下、平仮名を用いる) である。 「ほつもり」の方は難解な語ではあるものの、これらの置か れた意味は 「赤ら嬢子」 への指趣であるべき重要な修飾的関係にあって、 これが 『万葉集』 の 「 ふふむ」 と相俟つ形で、 「つぼむ  つぼみ」との乖離をさらに彫り出してくるであろう。 記「誘ささば」 、紀「いざさかば」という勧誘がもたらす時の定位は、 「今」にある。すでに説かれているが、神の出現を幻視し た聖なる時空を知覚するのが「今」である。 「神楽歌」の「奥城に すめ神たちを 斎ひ来し 心は今ぞ 愉しかりける」や、 『万 葉集』の、中皇命「  朝猟に 今立たすらし 暮猟に 今立たすらし 御執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」 (巻一―三) 、 額田王 「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」 (巻一―八) 、 神功皇后伝説の鎮懐石を歌った 「  み手づ から 置かし給ひて 神ながら 神さび坐す 奇魂 今の現に 尊きろかむ」 (巻五―八一三) の「現」と「今」とを区別した例な ど、枚挙に遑がないといってよい。そして、さらには付け加えるならば、 「いざ」も「神楽歌」に (本「この篠はいづこの篠ぞ天に坐 す豊岡姫の宮の御篠ぞ宮の御篠ぞ」 の 末) 「篠分けば 袖 こそ破れめ 利 根川の 石 は踏むとも い ざ川原より い ざ川原より」 や、 「皆人の 幣は栄ゆる 大直毘 いざ我がともに 神の坂まで」 (大宜の末) などと見え、 神 事歌謡に、 魂を奮い起たせ聖所を祓う 呪詞として働らいていたことが分る。当該歌謡が、明確な指示語で表現しているわけではないが、意味内 容 から「赤ら嬢子」の 存 在 は 「 今ここ」 であることが 推測 される。 「これ」 と指定する表現も神事歌謡の 深 い意味を 担 うことが、 「神楽歌」 (本 「この 杖 は いづこの 杖 ぞ 天にます 豊岡姫の 宮の 杖 なり 宮の 杖 なり」 の末) 「 坂を 今朝こえくれば 山 人の 我にくれたる 山杖 ぞこれ 山杖 ぞこれ」 (『万葉集』に聖 武 天皇の歌として、 「あしひきの 山行 きしかば 山 人の我に 得 しめし 山 づとそこれ」巻 二十 ― 四二九 三と 類 歌がある。 山 人とは 仙 人など 異界 の人を指す) などによって知ることができる。 当該歌謡は 「今」 「これ」 「いざ」 の 構造 を 持 つ神事歌謡へと 収 斂 し、 「ほつもり 赤 ら嬢子」 「ふほごもり 赤れる嬢子」 の聖 性 が 証 される。 「赤ら」 「赤れる」 は 「 今」 「いざ」 という、 特殊 な 「時」 と の 連環 として 観 想 されている 象 徴 的 表 現 であり 、 今 まさに 成女戒 を 了 え、 結 婚 するに 一 番 良 い 状態 に あ る嬢 子の指 標 である 。 「赤ら」 「赤れる」は、 単 なる「赤 色 」ではない。 「赤」は 光 の 感 覚に 由 来し、 「明」に通 じ る形 状 語であるが、 単 独で用いられる 例は 上 代にはない (『時代別 国 語大 辞典 上 代 編 』) 。 歌 謡 「赤る」 を、 右 に 合 わせて土橋寛 『古代歌謡全注釈』 には 「 血色 のよい 生

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き生きとした顔色や肌色」 「顔色がつややかに照り輝いている意」と説いている。武田祐吉『記紀歌謡集全講』には、 「赤みをおび た意に体言を修飾する。 」 と いう。 本居宣長は賀茂真淵の 「 艶 ニホヒ やかに、 色づける顔 カホ 」 に 賛同し (『古事記伝』 ) 、 橘 守部 『稜威言別』 は橘の実の実際の色に基づき、 「彼 ノ 金 コガネ 玉 タマ と見ゆばかり、 黄 キ ばみ赤ばめる色」 と、 「ふほごもり」 を序としてこう解している。 そし て有坂秀世は守部のように、 「ほつもり」との関係から「多分紅顔を形容する語で、 「ポーット」赤らんでゐるといふ風な」という 微妙な解釈を加えた (1) 。 先に述べた、 「赤」 「明」が単独に用いられた例のないことを重視すると、この「赤ら嬢子」 「赤れる嬢子」の語尾「ら」 「れる」 の醸し出すニュアンスを、 どのような意味に読み取ったらよいか。 『万葉集』 には 「あから」 が直接付くのは名詞 「橘」 「柏」 と 「小舟」に一例ずつ、 「あかる」では「橘」に一例しか見えず、用例の多い「あかねさす」や「あからひく」に准じながらも異なり を持つ、特殊な観想に立つ語なのではないかと感じる。そのために、 「ほつもり」 「ふほごもり」の解釈は大切な意味を持つであろ う。なお、これについては後に述べる。 記 「 ほつもり」 を、 宣長は紀の 「ふほごもり」 との関連にもふれて、 「布本美都煩麻理」 の約めた形が 「本都毛理」 となったと する。 宣 長は 「都煩麻理」 について、 「 さ て 都煩牟 ツボム と云は、 古 言に非じかと思ふ人あるべけれど、 円 マロ なるを都 夫 良 ツブラ と云て、 都 夫 ツブ と 云る例多ければ、都煩牟 ツボム ともなどか云 ハ ざらむ、 」と言い及んでいる。丸い意を「つぶら」と言うことは、 『倭姫世紀』の「又其処 尓 円 奈留 有小山 支 。其 処 乎 都不良 止 号 支 。」(御船向田の国) 、『日本書紀』 履中天皇二年十月の条に人名 「円大使主」 を 「円、 此 をば豆夫羅 と云ふ」 と注記しており、 同 じ人 物 を 『 古事記』 安 康 天皇の条でも 「都夫良意 冨 美」 と 仮 名書きしている。 しかし、 「つ ぼ む」 と 「つぶら」 とでは意味が異なり、 やはり守部の言ったように 強 説であろう。 なお、 山 路平四郎 『記紀歌謡 評 釈』 は宣長説に 従 い、 「橘の実がようやく丸く小さくかた ま った 状態 」 だ としている。 紀 「 ふほごもり」 は、 契沖 『 厚 顔 抄 』に「 含隠ナリ 」 とあり、 橘守部 『稜威言別』 にも同 様 に「 含隠 フ ホ ゴモリ にて、 花 ノ 中に、 含 フヽ み 隠 コ モ る 実 ミ を云。 」と述べている。 こ の語については守部の説に 倣 い、 「ふふむ」 の 語 幹 「ふふ」と「こもる」 の 複合 語で (「ふほ」 となった のは 逆行 同 化 による。 土橋寛 『古 代 歌謡全注釈』 ) 、「 含籠 り」 と解して 諸 説がほ ぼ 一 致 している。 武田祐吉 『記紀歌謡集全講』 は 「 決 定的 ではない」 と 含 みを 残 す。 松岡静雄 『 新編 日本古語 辞典 』に は 、「ホ ( 穂 )コ モリ ( 籠 )の 畳 頭 ホホコ モリ の 転 」 と 説くが、 いずれにしても「こもり」は「 隠 り」として 間違 いない。記「ほつもり」と紀「ふほごもり」とは、歌謡が 初句 を 除 いて同じ詞で

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成っているところから、同じ意に立つ語と考えることは妥当であろう。しかし、この二つには仮名遣上に違いがあるために、両者 を直ちに同じ意と見做せず、特に「ほつもり」は難解句として、その解決を待っている。 「ほつもり」と「ふほごもり」との仮名遣の問題であるが、 「籠り(語茂 ・ 利) 」の「茂」は乙類で、記「ほつもり(本都毛 ・ 理) 」の 「毛」は甲類であり、 『古事記』は「も」の仮名遣に厳しい。甲類の「もり」の意味には「守る 瞻る」があり、これをとる武田祐 吉『 全 講 』が 、「上方の番人、 ま たは最上の見ものの意」 と解している。 しかし、 土橋寛 『 全注釈』 は 、 そ れでは前後の文脈に合 わないとした上で明解を避け、 紀 「 ふほごもり」 について、 「ふほ」 に 『 古事記』 八千矛神歌謡群の中の 「ふはや」 を 引き、 「ふは」 と見ることもできようと、 他の問題提起をしている。 相磯貞三 『記紀歌謡全註解』 では、 橘守部が 「ほつもり」 の 「ほ」 の上に 「ふ」 を 落し、 「こ」 を 「つ」 に写し誤ったので、 「ふほこもり」 と同じだと言ったのにとりあえずは従うとしているが、 仮名遣の 問題は残る。 『新編日本古語辞典』 は 「ほ」 を 「穂」 に (「つもり」 はツミ (尖) ア リ ( 在) と) 、『時代別国語大辞典』 では 「秀」 に とって 「 守る」 に は言及しないが、 「毛理」 を武田祐吉 『全講』 のように 「守る」 とする解釈で、 「穂を守る」 あるいは 「秀を守る」 と説くことに仮名遣上の問題は無く、 「穂」 である可能性も見据えて、 その蓋然性について充分に注意を向ける必要があろう。 加 えるならば、 「秀」 は もちろん、 「火 ほ 」 も捨てきれないところである。 「穂」 は まさに、 古代では穀霊の籠る容れ物であり、 そこに 特別な 「 時空」 を 観じていたと考えられる。 そして、 「穂」 は その象徴として橘の実 (あるいは秀の象徴としても) へと観想された ことは想像することができる。 「穂」 は 、『万葉集』 で 見た植物の 「 ふふむ」 状態と同じ形而にあり、 「穂 (秀) を 守る」 と するな らば、 「ふほごもり」 と古代観想は違わないことになる。 ここに 「 赤ら嬢子」 に帰結して行く構図は保たれ、 異なるかに見えた二 つの語は「籠る」と「守る」によって同化し、互に潜在する霊妙な感応を発揮するであろう。 『万葉集』 の、 「たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り隠れる妹を見むよしもがも」 (巻十一―二四九五) 、「たらちねの母が養ふ蚕の繭隠 りいぶせくもあるか妹に はずして」 (巻十二―二九九一) 、「  たらちねの 母が養ふ蚕の 繭隠り 息衝きわたり  」(巻十三― 三二五八) は、 繭隠りの蚕のように、 人にも会わさず母親が大切にしている娘を歌っている。 会 うことの儘ならぬ若者の嘆きは、 破滅に向かうのかはたまた大いなる蛮勇を奮おうというのか、 面白いところである。 この娘は、 「人の親の 少女 児 据 ゑ て守 山辺 か ら 朝 な 朝 な 通ひ し 君 が 来 ねばかなしも」 (巻十一―二三 六〇 ) 、「 筑波嶺 の 彼 面 此 面に守部据 ゑ 母い守れ ど も 魂 そ ひ にける」 (巻十 四―三三九三) のように、母親が厳に守る子でもある。巻十―二二五一には、 「橘を守部の 里 の 門 田 早稲刈 る時 過ぎ ぬ 来 じとすらし も」がある。橘を守る守部の 存 在が 窺 われるが、 「あから」 「あかる」が万葉に四 例 、 内 二 例 が橘に 付 く 例 であったことも考え合わ

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せると、大切に隠る「橘娘子」のような聖女伝承のあったことが、想像の端に昇ってくる。結婚前の娘、特に成女戒にある乙女は、 守られ、忌み籠りに入っており、それは植物などに擬態する特殊な時空の中に封じ込められた観念的実習であったと考えられる。 言葉にすればそれは、 『万葉集』の「ふふむ」であり記紀歌謡の「ほつもり」 「ふほごもり」であって、古代人にとって、神話的  夢幻的な「時空」であったに違いない。 『万葉集』 の 「ふふむ」 は、 時の推移を留めた 「時空」 の中で忌籠りする状態であったこと、 それは、 永久に留まることの無い 人の世の 「時空」 へ と扉を押そうとしている、 開 封の時なのであったが、 「ほつもり」 「ふほごもり」 も同様に、 「時空」 を内蔵し て蠢く生命の容れ物であった。 「時」 が出入口のない密閉した容れ物の中に凝縮されるという驚異的な発想は、 現代の 「タイム  カプセル」に似てもいるが、古代の凄みは、啓蟄の如く「時」を待つ生命体を観じるという「空間」の知覚方法にあるのであって、 生命と「時」との関係に対して強悍なまでに純一であったということである。 「ほつもり」の「ほ」が「穂(秀) 」である蓋然性であるが、髪長媛が成女戒から今しも放たれる状態にあると解釈することがで きる捨て難い説として、そのまま取り入れてみたい。ただ、歌謡は橘と言っているので、若干の曲折を経なければならないであろ う。 「穂」が狭小であることは、原初的には穀霊の籠る所であったから「時空」として概念化するのに問題はない。 『万葉集』では 菟原処女を 「虚木綿の 隠りてませば」 (巻九―一八〇九) と表現しているがこれも狭小の相で、 空 間の大小に関する合理的現実性 は問題の範囲外にあって、 そ のことがむしろ、 「時」 の 凝縮と、 推移しない、 つまり変化を遂げない特殊な空間であることの証そ のものとなるであろう。 伝説上の 「小さ子」 や神話の極小の神を考えれば、 「ほつもり 赤ら嬢子」 が 、 神 話性を帯びた聖女とし て形而上に立ち現われてくる。 小さな容れ物に入って人間の世界、あるいは地上に渡り、容器から外界に出現した途端にすくすくと成長する話は、古代人が持 っていた「時」の概念を知る上で興味深い。時代は下るが、たとえば『竹取物語』のかぐや姫が、竹の中に籠って居る時は三寸ば かりの小さ子で、人間界に出現すると三日で成長する。この成長の異常な速さは、かぐや姫に月の国の霊 力 が 具 わっているからと する 見 方ができる一方で、竹の 筒 の中の時間とこの世の時間が異なることを如実に語るものと考えることができる。竹の中の「時 間」は凝縮されて、 動 くことはない。すなわち「時」が留まっているから、成長して 老 いて 行 くことはない。極小の神 少彦名 命は この 系統 に 先駆 ける 信仰 の 圏 内にあって、神話の「時」を容れ物として常世との間を 自由 に 飛翔 した神であったと 思 われる。 大国 主 神の国 造 りを 助 ける 少彦名 命は、 『日 本書 紀』 ( 第 八 段 一 書第六 ) によると、 高皇産 霊 尊 の 指 の間から 漏 れ 落 ちた神で、

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易沮 かがみ (薬草の一種。 『古事記』 には一書と同じ 「羅摩」 とあり) の皮の舟に乗り、鷦鷯 (ミソサザイ。 雀よりも少し小形) の羽を衣とし、 大国主神の掌の上で跳ったと表現する。 また、羅摩船に乗り、蛾 (原文 鵝) の皮を内 に いで作った衣を着て (内 は全 。密 閉された容れ物の象徴的表現であろう) 、海上をやって来る。そして、熊野の崎から常世国に渡るのだが、別伝では淡路島に至って、 粟茎に弾かれて常世に帰るという極小の神であった。この、粟茎に弾かれるという文脈は、粟の穂を常世と地上中つ国とを往来す る容れ物と観じていたことを暗示する。神話ではガガイモの舟に乗ったり、蛾の全 の衣を身に纏っているだけで、直接「穂」の 中に居たという描写はないが、少彦名命が特別な「時空」にあることは、いかに極小であるかを奇抜に語る、舟や衣の細かな説明 によって推測することができる。それらは、常に「時」の留まって動かない、小さな密閉された容れ物に居ることの象徴として描 かれており、それを脱ぐことはないのである。従って常に特殊な「時」に入ったまま、つまり極小のまま、常世から渡って来る。 これによって少彦名命は、必要な時に随意に、現われ出ることができた。さらにこの神は、 『古事記』神功皇后の歌謡の中に、 「酒 の司 かみ 常世にいます 石立たす 少名御神の」と歌われて、酒の神であると共に石神として信仰を受けていたことが見えている。 このことも興味深い問題として、後に触れることになろう。 垂仁天皇の御世、田道間守は、天皇の命を受けて常世の国へ 「時じくのかくの木の実」 を求めて海を渡った (『日本書紀』 では天 皇の九十年二月。 「時じくのかくの木の実」は今の橘であると注記する) 。「時じくのかくの木の実」橘の実を得て帰国 (『日本書紀』では出 発してから十年後) したが、前年に天皇は崩御されていた。 田道間守は叫び哭いて死んでしまったという話である。 これまで述べ て来たところを基盤に据えてみると、この橘の実は、天皇が、この世の「時間」の中で齢が進みやがて衰えて行くことを忌避し、 永遠不変の寿齢を祈願するために求められたもので、具体的には、常世の国の「時」が封じ込められた実―容器―であったと考え ることができる。 『古事記』では「登岐士玖能 玖能木実」と表記し、 『日本書紀』では「非時香菓」と書かれている。橘の実に、常世の国の不老 不死の 「時間」 が時に非ず香り続ける 「時空」 、すなわち移ろいの 無 い 「時」 の 凝 まりが 持 ち帰られたことを意味する。 橘の実は 天皇の 生 命を 新 たな世 界 に 開 くための「時」の木の実であったということになる。留め得ず、直 線 的に って行くのみのこの世の 時間は 虚 しく 絶望 的であり、 山 上 憶良 も 八 大 辛苦 を歌う 長 歌の 反 歌で、 「常 磐 なすかくしもがもと 思 へ ど も世の事なれ ば 留みか ね つも」 ( 巻五 ― 八〇五 ) と くのである。 「時」 を 認識 し、それを留め得 ぬ ものと 覚悟 したのは、 何 時のことだったのであろうか。

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神の犯した、悔悟の許されない誤ちを語る神話がある。そこに、人間に与えられた有限の「時間」を一生という単位として映し出 し、生への慈しみと死への深い諦念を教える古代の、叡知を知るのである。 木花之佐久夜毘売 (木花開耶姫) と邇邇芸命の神話は、 天皇の命には限りがあること、 人間の生命は時と共に移ろい老いて行く ことの起源を語る。 大 山津見神 (大山祇神) の美麗な妹娘木花之佐久夜毘売を妻に求めた邇邇芸命のもとに、 姉娘石長比売 (磐長姫) が共におくられて来た。石長比売は醜かったために、父のもとに返されてしまう。この時、大山津見神は (なお、括弧内は紀の表記) 恥じて、次の言葉で詛う。 古事記 「我が女二たり並べて立奉りし由は、 石 長比売を使はさば、 天つ神の御子の命は、 雪零り風吹くとも、 恒に石の如くに、 常 は に堅はに動かず坐さむ。亦木花之佐久夜毘売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄え坐さむと宇気比弖貢進りき。此くて石長比 売を返さしめて、独木花之佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御壽は、木の花の阿摩比能微坐さむ。 」といひき。 故、是を以ちて今に至るまで、天皇命等の御命長くまさざるなり。 日本書紀 仮使天孫、妾を斥けたまはずして御さましかば、生めらむ児は壽永くして、磐石の有如 あまひ に常存らまし。今既に然らずして、唯 弟をのみ独見御せり。故、其の生むらむ児は、必ず木の花の如に、移 ちり 落ちなむ」といふ。一に云はく、磐長姫恥ぢ恨みて、唾 き泣ちて曰はく、 「 顕見蒼生 うつしきあをひとくさ は、 木の花の如に、 俄に遷 転 うつろ ひて衰 去 おとろ へなむ」 といふ。 此世人の短 折 いのちもろ き縁なりといふ。 (第九段 一書第二) 右は、 「花」 と 「石」 との闘争神話のような内容も呈していて、 背反する二つの神話的原質が、 婚姻を軸に表面化するという、 分り易い構図を持つ。 木の花が桜であるか他の木の花を言ったのか (筆者は桜説をとる) 、 あ るいは 「 あまひ」 の意味についての諸 説など、いくつかの問題はあるが、人間が短命であることの起源説話として、その経緯は非常に明確である。その上で、骨 格 とな

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る 「 木の花」 と 「 石」 との対峙を考えると、 「木の花」 の 名が 「佐久夜」 で あったところに、 古代人の 「時」 の 概念が鋭敏に組み 込まれているのに思い至る。 「木花之佐久夜毘売」 のみを妻としたために、 大山津見神の 「うけひ」 は破られる結果となった。 邇邇芸命が栄えようとも永遠 の生命を得ることはできなかった定命の宣告は、 「木の花のさくや」という神名自身が短命の呪言であったことによると解せよう。 神話は、栄えの呪であるはずの「木花之佐久夜」の名に短命の呪を重ねて、畢竟人の繁栄などということも夢の間に過ぎないとい うリアリティーが、神名の「咲く」に発していることを語っている。その呪を「阿摩比」という語で指陳する。この語の意味は不 明であるが、宣長は或説の「脆 モロ く不堅固 ハカナ き意」を支持し、 「阿摩」は「甘 アマ と同音なり」として「花の脆 モロ く移 ウツロ ひ落 チ る類 ヒ のことを、阿 摩と云る例は、いまだ見あたらざれども、物の堅固 カタ からぬを、あましと云る」と、漢籍や俗語を例に引いて説明している。大方は この説を受けているが、 『日本書紀』は、 「木花の如に、移 ちり 落ちなむ」といい、また「木の花の如に、俄に遷転 うつろ ひて衰去 おとろ へなむ」と、 咲く花が る生命の「時」の終焉を、苦懐なく言い放っている。その心は、咲く花の「時」の推移が人の世の時間のそれと共鳴し 合うことへの冷静な実在性にある。これは、前稿や本稿で先に述べた「ふふむ」 「ほつもり」 「ふほごもり」とは対極にある「時」 の概念である。 『万葉集』に、 「高山と 海こそは 山ながら かくも現しく 海ながら 然真ならめ 人は花物そ うつせみの世人」 (巻十三― 三三三二) という歌がある。 この歌の意味は 「 高山と海とこそは、 山そのままにこのように現実であり、 海 そのままにこのように 真実である。だのに人間は花の如きものよ。うつせみの世の人間は。 」 (『万葉集 全訳注原文付 三 』講談社) で、厳然とした海山と、対極 に置いた花とに、絶妙な「時間」からの観照をあてながら、人の世の儚さを歌っている。この中の「花」は、咲いた花を指してい るのだと解したい。 右の神話に通じる観想を持つもので、 「うつせみの世人」 と 言ったのを合わせて神話を踏まえた意訳をするな らば、咲いて人の世の「時間」を移ろう花、それは人間のうつせみの世を流らい何時かは枯れてしまう花であり、現実のこの世の 人であるからこそ人もまたその花と同じであるといった意味になる。底には、脆くも美しい、宿命的な退廃がある。 一方の「石長比売」の「石」は、 「花」に対峙している。 「石」の呪を、 『古事記』には「常はに堅はに動かず 坐 さむ。 」といい、 『日本書紀』には「常在らまし。 」と語っているが、そのままの意味で石の重 量 や堅固の不 変 であることを言っているとするのでは、 神話的解 釈 に 届 かない。また、神名「石長」の呪が「 盤 石で永久」という意味の 修飾関係 の語と見るのも、古代の真意に 届 いてい ないように思われる。 「木の花の咲くや」 に対極させて言うならば、 「咲かない」 、 つ まり人の世の時間に 入 らないことが神話的解

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釈となろう。 す なわち、 「石」 の 中に、 「時間」 を 封じ込めて進むのを留めた密閉された空間が観想され、 そこに人間が人の世の 「時間」を重ねることなく、永遠でいられるという神話的幻想が生きてくる。 折口信夫は、 「たま」 が石に入るという話、 石が割れて神が出てくるという話 (筆者注 『古事記』 中 巻の、 巌を押し分けて出て来る 国つ神石押分の子。 『日本書紀』 神武天皇即位前紀には磐排別の子、 など) を記して、 石が特別な空間を内に有すると見る古代人の信仰 について書いている。また、成人戒に、石に入れないから石を積むという習俗のあることも伝えている (2) 。石が天磐船のような箱物 や、天岩戸のような神の忌み籠りの空間として観られるなど、石が容れ物となる例話は多い。木花之佐久夜毘売の神話でも、神名 石長比売の石を「時間」の容器として理解することができよう。そこに、神名木花之佐久夜と軸をずらすことなく、人間の生命の 長短に係わる起源が語られる。 これらを敷衍して行くと、神功皇后の「鎮懐石」についても、次のような解釈が可能となる。 『日本書紀』神功皇后摂政前紀に、 仲哀天皇崩後、 半 島遠征の指揮をとる皇后の記述がある。 「時に、 適皇后の開 胎 うむがつき に当れり。 皇后、 則ち石を取りて腰 みこし に插みて、 祈 りたまひて曰したまはく、 「事竟へて還らむ日に、 土に産れたまへ」 とまうしたまふ。 」『古事記』 には 「故、 其の政未だ竟へざ りし間に、其の懐妊みたまふが産れまさむとしき。即ち御腹を鎮めたまはむと為て、石を取りて御裳の腰に纏かして、筑紫国に渡 りまして、其の御子は阿礼坐しつ。 」とある。 『万葉集』にも「那珂郡伊知郷蓑嶋人建部牛麿」と伝承者の名を挙げて鎮懐石を歌っ た長歌 (巻五―八一三) があり、 この伝説が高い信憑性をもって伝播していたことを物語る。 序詞にも、 道行く人々は皇后が出産 を抑える為に、 両袖 ( 実 は御裳の中と注がある。 『古事記』 に 依 ったか) の中に 差 し 挿ん だという鎮懐石を見て、 敬拝 したと記してい る。 『筑前国 風 土記 逸文 』 には、 月 の神の 誨 えによって 「神石」 で腹と 心 を 撫 でたと、 切迫 した 様 子まで伝わるようである。 この 石の 大 きさについて『万葉集』の序詞は、 径 尺 の 璧 ( 直 径 一 尺 ) であると 詳 しく 寸法 を記している中に、 「 状 かたち は 鶏 子 とりのこ の 如 し」であっ たと伝えている。本 稿 の 冒頭 に挙げた天 地 開 闢 直 前を 思 わ せ る 卵 であるが、この石が 卵同 様 、 殻 によって 外 界 と 遮断 された特 殊 な 「時空」 を内 蔵 していると 類感 し、 かつ、 石は胎内とも 類 想されていたと 考 える 資 として注 意 してよいであろう。 鎮懐石と名 付 け られた 由縁 は、 『万葉集』の序詞によれ ば 出産を抑 制 し、 苦 しみを鎮 静 する 力 を 持 つとの 意 味 からであったようだが、 『記紀』は、 出産を 遅 ら せ ることを 霊瑞 とした石として 描 いている。 これは、 「時間」 に 関 わる 問題 として重 要 なことを 示唆 しているのではな いだろうか。 柳 田國男 の「生石伝説 ( 3 ) 」に見る、生長する石が妊 娠 の 危険 から 身 を 守 ると信仰されたというのは時代が 下 る話であろ

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う。神功皇后伝説の「石」は、現時の状態に留めて出産の時を遅らせる、神石としての力を持っていなくてはならない。それには やはり、 「時」を留める観想に帰す。 「時」を留めることは状態も共に留することであるから、卵のような形をしていたと指示する 『万葉集』序詞の説明は、古代相を基盤に置いて見てその意味が明白になってくるであろう。 『日本書記』 垂仁天皇三十四年三月の条に、 面白い話がある。 天皇が皇后の崩御後、 山背大国の不遅の娘 綺 かにはた 戸辺を婚りに出か ける。 「もし佳人 (*綺戸辺) に会えるなら今行く道に瑞よ顕れよ」と唱える。行宮の近くまで来た所で大亀が河の中から現れる。 そこで、 矛 をもって大亀を刺したところが、 「忽に石に化 為 な 」 った。 亀は突くと頭や手足を甲の中に収めて丸い形になる習性があ り、この形と石とは無関係に語られたのではあるまい。亀が海神の娘であったり使者であったことは、すでに周知であったろうか ら、出現しただけでその聖なる属性は生かされるが、その上に石になるという状態が付加される。これは、綺戸辺が婚姻前の忌籠 りの「時間」の中にあって、やがて後宮に上ることの予知を意味する事象であったと解する。 折口信夫は、 「たまごの古い言葉は、 かひ (穎) である。 」と い う 。「ものを包んで居るのが、 かひである。 」と 説 く (4) 。「かひ」 は に包まれた米もそうだというが、 『古事記』 仁徳天皇条に語られている 「繭」 も同じ 「かひ」 であろう。 皇后石之日売が奴理能 美の家で「三色に変る奇しき虫」すなわち「蚕」を見る話であるが、匐う虫、鼓、飛ぶ鳥と三度にわたって変身するという蚕は、 「時」の運行の理を擬態化した、まさに奇しき虫であった。 少し繁多になるが、 出 入口のない特殊な空間が産屋として登場するのを見ておきたい。 木花之佐久夜毘売のいわゆる 「一夜妊み」 の話には、 邇邇芸命に我が子であるかどうかを疑われた木花之佐久夜比売が、 もし害われれば他の人の子であると誓約をして、 「戸無き八尋殿」 「無戸室」 と称する出入口の無い産屋で、 火を放って子を生む。 火中に誕生した子は、 『古事記』 では火照命、 火 須勢理命、 火 遠 理命、 『日本書 紀 』で は 第九段 本 文 が火 闌隆 命、 彦 火火出見 尊 、火 明 命 。一 書 第二 が火 酢芹 命、 火明命、 火折 尊 。 第 三が火明命、火 進 命 (火 酢芹 命) 、火折 彦 火火出見 尊 。 第 に火明命、火 進 命、火折 尊 、 彦 火火出見 尊 である。 以 上、神 名 や 順 序 に 若干 の 異 同があるが、い ず れも三 柱 として 立 てている。この三 柱 は、 全 て 炎 が 燃 え 始 め、勢が 盛 んになり、やがて 炎 が 鎮 まって 行く 過程 を観 察 するのに 従 って命 名 したもので、 炎 の 燃 焼 の 劇的 変化を 可視的 な「時間」として見ている 写実 性がある。 産屋を 燃 やす火は、 そこが 「 戸無き八尋殿」 「無戸室」 で あるか ぎ り、 密閉 された 容器 の 原質 と同化する性 質 を持 つ であろう。 鵜葺草葺 不 合 命を生む 「火火出見 尊 」は「 穂穂 手見命」 と も 表 記され、 「火が 稲穂 の意味も 含 んでいる。 」 (『古事記事 』「火照命」

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項桜 楓 社 ) と説かれるように、 「火」と「穂」とが通じる観想にあったことをあらためて思い起こす。炎が時を追って変化するこ とは、 「時」 を留めるということと矛盾するように見えるが、 炎の三段階の変化はその一つ一つが神誕生の原郷となる。 天孫の直 系となる「火火出見尊」を何故炎の盛んな時ではなく衰えた時の誕生としたのかは、末子優位の思想からだけでは処理し切れない ものを感じる。上代人の不思議な感覚であるが、それは、やがて神武天皇に がる外界の「時間」の中に入って行くものとして定 位させるためではなかったかと考える。これも後で触れるが、 「赤」と「境界」とが結びつく古代相を見ることが可能であろう。 『万葉集』巻二に載る持統天皇の天武天皇挽歌には、訓と解釈上から難解歌の一つとして知られる次の歌がある。 「燃ゆる火も取 りて裹みて袋には入ると言はずや面知るを雲」 (一六〇) であるが、 持統天皇の作意にかかわる主要素となるのは、 「火」 と 「袋」 とであることから、この歌には構想上、右の神話に近いものがあると予測できる。持統天皇は、天武天皇の「時間」を留める象徴 としての「火」 、同様に容れ物としての「袋」を求めるものの、それを得る手段はもはや無く、天武天皇が再び人の現の世の「時」 の中に戻ることの出来ない絶望を「入ると言はずや」 という語に込めて歌う。 「入れるというではないか  天武天皇の死に向か う「時」を留める火も袋もあるというではないか。それなのに」と、悲痛な叫びをあげていると解釈する。このように持統天皇の 「悲」 が二つの主要素に収斂されるということは、 や はり 「袋」 自 体にも生命に向かう 「時空」 が観想されていたはずである。 「火」 も「袋」も、 「時」を留め移ろいを止める特殊な空間を持つ容れ物である。 「袋」がこのように解釈できることを、次の神話は語っ ている。 『古事記』の伊邪那伎神の黄泉国訪問。 走神話で、禊祓の際には誕生する神々の中に、 「時量師神」の名が見える。黄泉国から 帰還した伊邪那伎神は、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をする。その折「身に著ける物を脱くに因りて生れる神」十二柱、 「御身を ぐに困りて生れるかみ」十四柱が化生する。この内、先の十二柱の神の二番目に、 「次に投げ棄つる御  み ふくろ に成れる神の名 は、時量師神。 」とある。物実となる身に着けている物は杖 帯   衣 褌 冠 左右の手纏それ ぞ れから三神 (な お 、 こ の内の と冠は『日 本書紀 』には見えない) である。この中で、 は 他 の物実との 関連 が無く統 制 の 枠 を外れるとして、 「 裳 」の 借 訓と見る 説がある。それは ま た、 「時量師神」にも 影響 を 及 ぼ すことになるのだが、 「量」を「 置 」とする説があって、意 味 上でもさらに 複 雑 化する。 今 、 諸 本 の 校異 を『 諸 本 集成『古事記』 』(小 野田光雄編 ) によって 分類 してみると、次のようになる。 一  御   真福寺 本 、 道 果 本 、伊 勢 本 ( 道 祥 本 ) 、伊 勢 一 本 ( 春瑜 本 ) 、 校 訂 古事記

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裳 鈴鹿登本、前田本、曼殊院本、猪熊本、寛永版本、延佳本 (鼇頭古事記) 、訂正古訓古事記 二  時量師 量 真 福寺本、道果本 (訓注 トキヲキ) 、伊勢本 (道祥本、訓注 トキヲキシノ) 、伊勢一本 (春瑜本、訓注 トキヲキシノ) 、鈴鹿 登本、前田本、曼殊院本、猪熊本、校訂古事記 置 寛永版本、延佳本 (鼇頭古事記) 、訂正古訓古事記 以上、甚しく分散しており、意味上にも揺れの多いことが予見されるが、現在、表記を真福寺本に依るものが一般的である。 宣長は右の文章を 「投棄御裳所成神名。 時置師神。 」 と書き、 「時は解 トキ なり」 として 「こは御裳を解 置 トキオキ たまふ意の御名にや有 ル ら む」 (『古事記伝』 ) と説くのに対し、 これに従うものも多い。 しかし、 「解き放 はか し」 の借字と見る倉野憲司氏が、 それでも 「どうも しっくりしない 。 結 局 お 手 あげである 。」 (『古事記全註釈』 ) と い っ て い る よ う に、 表 記 に対す る 恣 意 性が感じ ら れ て、 賛 同 で き な い。 まず「 」であるが、大久間喜一郎氏は「 」のままに取り、問題提起の形ではあるが、古代相を衝く三つの見解を挙げている (5) 。 一つには死者の国に存在する無限の時間を袋に入れて持ち帰ったこと、二つには生者としての自分の持つ有限の時間を切り離して の中に詰め込んで持ち帰ったこと、三つには農耕を左右する大地母神の住家でもある黄泉の国から、農作の時期を に詰めて持 ち帰ったことを説き、 「時」 は 「時間」 の意味として一貫して袋との相関の上に考察している。 一と二については、 を投棄した ということを、それが呪的行為であれ実際の行為であれ、その後のことをどのように解釈したらよいか。また三については、穀物 が殺された女神大冝都比売神の死体に生るところから、黄泉国との関係で魅力的ではあるが、黄泉国に行った目的とずれてしまう。 また、そのような余裕を持てない程、黄泉国の醜女たちに追跡され事態は切迫していた。そこに 走の面白さがあると思う。しか し、 「時」を袋に入れて持ち運ぶ着想は、古代を照らす、卓抜なものであったと考えるのである。 「袋」はやはり、これまで見て来 た容れ物と同じ本質を持ち、持統天皇の天武天皇挽歌を俟つまでもなく、特殊な 空 間を 擁 し 守 る神 秘 な力を持っていたということ であろう。 『 万葉集 』の「 ふ ふ む 」も『 古 事 記 』 序 文の 鶏子 の「 含 む」 も、 形 状 的には袋 状 の容れ物の中の 状 態を 言 っている。 「 」 を、 「時」を 凝縮 し 封 じ込めて 推移 さ せ ない容れ物と解することは、 充 分に成 立 する。 「 」が 他 の神との関 連 に 合わ ないと説かれることに対して、 他 の 十 一神との係 わ りを見ておく 必要 があろう。 ここに 化 生した 神 々 は、まず「 杖 」から生まれる神で、 『 日 本書 紀 』には「 此 よりな 過ぎ そ」といって 杖 を投げたのが 岐 ふなと 神 のか み 、『 万葉集 』のいう衝 立 船戸 神で、 塞 神説に従う。 「 帯 」は『 記 紀 』 共 に「 道 之 長 乳歯 神」 「長道 磐 神」 といって長い道の意に、 「 衣 」は『 記 紀 』 共 に「 和

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豆良比能宇斯能神」 「煩神」 (わづらひの神) で、 宣長の、 「物に障り滞る」 (『古事記伝』 ) と説くのでよい。 「褌」 は 『古事記』 が 「道俣神」で『日本書紀』が「開囓神」 (この神、 『古事記』では冠から。意味は不明であるが道に関係した神であろう) 、「履」を『日本書 紀』は「道敷神」 (『古事記』に履は登場しないが、この神を伊邪那美命の別名とする) とし、これも道に関係する。最後に『古事記』で は、左右の手纏から「奥 疎 さかる 神、奥津那芸佐毘古神、奥津甲斐弁羅神、辺疎神、辺津那芸佐毘古神、辺津甲斐弁羅神」が化生する。 「甲斐弁羅」 の意味は不明であるが、 宣長が 「奥 オキ と波 限 ナギサ との間 方 アヒベ 」 と説くのに従った大系本頭注 「遠い沖と汀の間を掌る神」 と解 しておく。そして、右に、 「 」から化生した「時量師神」が加えられることになる。 「時量」 の 「時」 はそのままの意にとり、 先の大久間氏説豊作の時期、 時を量る時間の神 (『古事記大成 本文 』) 、 時を司る神 (渡部義直 『 古事記講話』 ) 、 時 間のかかる神 (尾崎暢殃 『古事記全講』 ) の解釈。 そして、 「 」 を 、 旅行用具や食糧を入れるものと見 て、 「旅行の行程と密接にかかわる」 「時間の測定ということに関わる神 (6) 」とする説がある。 「量る」という概念は古く、 『出雲国風 土記』 「楯縫郡」には宮の縦横を測る「御量」 、『古語拾遺』の瑞殿用の木材を測る「天御量」があり、 「天」という称詞を付すなど、 「量」 が神聖な道具あるいはその行為としてあったことが知られる。 『播磨国風土記』 「宍禾郡」 に は、 天日槍神に後れた伊和の大 神が、 「度 はか らざるに先に到りしかも」 といった例がある。 これは 「前もって知る」 (『時代別国語大辞典 上代編』 ) の意で、 微かでは あるが「時」の概念の見える「度 はか る」であろう。また、天皇位が空白になり、天つ日継の絶えることを憂いて言った「今大王、時 を留め」 (『日本書紀』 允恭天皇即位前紀) という言い方をしている例もある。 このような感覚は、 実は現代でも我々の中に引き継が れて、 「感動の余り、 まるで時間が止まったようだった」 といった言い方をする。 それはとりもなおさず、 現実と異なる時間に留 まっているということである。ともあれ、神話の「 」と「時量」とは、 「時間」を軸として結ぶと、乖離することはない。 右の神話の神名を 追 って行くと、 伊邪那 伎 神が 帰還 した後に、 ど のような行動をとったのかを 描 き出すことができる。 「語る神 話」の 面 白さは 聞 く 者 にとっての生命であり、ここにはその 力 が生き生きと 働 らきか け てくるのを覚える。 黄泉 国と 地 上との間を 遮断 する 塞 の神から 始 まって、 密 閉 された 「 」に 封じ込 めた 推移 しない 「時」 ( 外界 の事 象 に動かされない) に 守 られて 無 事 帰還 し、 地 上の「時間」に 戻 って、さらに 走 を 続 け る。 黄泉 国の 領域 から 少 しでも遠く へ逃 れようとする 心 が道をいくつも ら せ 、 途 中で行き 悩む こともあったが、最後は 海 域 へ と 至 るところで 第一 部が 終 る。神々の 誕 生の 経緯 は、 黄泉 国に 対 していかに 忌避 や 畏怖 の念が 強 かったかを見 せ てくれる。 このように行程を 次 々と って行く方 法 は、 古代の 表 現の 特色 の 一 つであり、 「 六月 大 祓 」 に も見られる。 人 々の 犯 したさま

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ざまな罪穢は山から一気に流れ下る川によって運ばれ、海に出、やがては海中の底深く送られて、罪穢は永遠にさ迷うという呪詞 である。 そ して、 この行程には要所々々に罪穢を運ぶ女神が待ち構えているのも、 今の神話と同じ構造なのである。 「 」と「 時 量師神」の持つ意味は、神話の流れで、素戔嗚尊に帰還後の行動の「時間」を与えるところにある。危険な死者の国黄泉に下るの に、 「時」 を封じ込め留めた 「 」 を身に着けて行き、 黄泉国の領域からの誘引を断截する。 地上に還った時にそれを投棄しそこ から「時量師神」が生まれたというところには、地上の「時間」に戻るという意味が隠されている。それはまた、黄泉国からの解 縦の徴だったということになるのである。 エリアーデは、 『聖なる空間と時間』 の中で、 神話の中の時間の 「 不均質性」 ということを言っている。 聖と俗とに分化した未 開人の時間が均質ではなく、 どの宗教も 「凝縮した時間」 「稀薄な時間」 「強い」 時、 「弱い」 時の概念を持つと説いてい る (7) 。森 朝 男氏は、 「時じ」の解釈から「本質としての超時性 (無時間性) 」と「本質を暗示せしめる現象としての非定時性 (異常性) 」という、 「時」 の二義性を説 く (8) 。 古 代人の 「時間」 はこのように随時に切り取られ、 ある時は 「時間」 が空間を移動すると幻想することに よって、 彼らは 「時」 を鮮明に 「見る」 ことができた。 そうすると、 「時」 の認識や概念はきわめて自由なように見えるが、 古 代 人には厳粛な定義がある。それは今見て来たように、地上と異界、聖と俗の「時間」があって、それを入れる容れ物が観想された というところに尽きる。 古代人の研ぎ澄まされた感覚による鋭い観察は、 光りの少しの翳りも見逃さない。 そのような中で、 「ふ ふむ」 「ほつもり」 「ふほごもり」は古代人が「見て」いる「時」の顕現であって、 「赤ら」 「赤れる」はその啓示的な意味を呈して くるのである。 古代人にとっては、火も日も血も同じであり (9) 、「赤」はそれらの象徴としての意味を本質的に内包する。これまでしばしば、 「隠 る」 を基調とした 「ふふむ」 ということを述べてきたが、 開くのを待ち焦がれる 「ふふむ」 が、 「籠る」 時を了えたことをどのよ うに予知し知覚し、あのように胸躍らせる歌ができたかについてはあまり触れてこなかった。しかし、 「ほつもり」 「ふほごもり」 する 「赤ら嬢子」 「赤れる嬢子」 の 「 赤」 が、 彼らが 「 見た」 古 代の 「時間」 であり、 成女戒の終わる境界に立つ嬢子の象徴であ り、植物など自然に擬態した大いなる「時」を開く徴だったことに 思 い 及 ぶと、見えてくるものがある。 この歌 謡 が 橘 を歌っているところから、 「赤」 との 整合 性がさまざまな 論 を 呼び 、 橘 の 香 りの呪と 埴輪 にあるような 「 顔 を赤く 塗 った聖女」 の呪とを 関係 させて嬢子の 原像 を見る、 守 屋俊彦 氏の説などが出てくる ( ) 。が 、「 赤 」の 古 代 認 識 は「 彩色 」 の概念 以

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前の、きわめて形而下的な形をとる。結論が先行するが、いわゆる「境界の色」という感応があったのだろうと思う。太陽が昼間 は天空を渡り、西に落ちて「夜籠り」の状態に入り、再びこの世界に姿を現わす時、人々は水平線や地平線、山の端など、あらゆ る境界線でそこが一瞬赤い光の帯となり、炎のような、血のような輝きを発するのを見たであろう。すぐに赤い光の帯は空に向か って溶けて広がり、 青味 (水色) をおびて空の色となって行く。 柿本人麿はこの時、 日 並皇子の忘れ形見である軽皇子に、 新しき ものの生命の力を観じて「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」 (巻一―四八) と歌った。この「かぎろひ」を『時代 別国語大辞典』では、 「ほのかに光を発する。ちらちら光る。 」意の「かぎる」に「ふ」のついた形と見るのには「ひ」が乙類なの で難点があるとして、 「炎の燃え立つのに見立てたもの」と解する。実際に文字遣は「炎」 (巻一―四八、巻六―一〇四七) 、「香切火」 (巻二―二一三) 、「 火」 (巻二―二一〇、 巻十―一八三五) 、「  火」 (巻九―一八〇四) と、 「火」 をあてている。 その一方で、 「かぎ ろひ」 は 「かぎる」 を 「語の構成要素として持つものであろう。 」 と も説く。 「 (玉) かぎる」 の表記には 「 玉限」 (巻一―四五、 巻 十一―二五〇九、 巻十三―三二五〇) 、「玉垣入」 (巻十一―二三九四) と、 限界や境界を示す文字が用いられる例があり、 人麿の歌の 「玉かぎる 磐垣淵の」 (巻二―二〇七) の、 岩に囲まれた渕の周りがきらきらと輝いていると歌ったように、 その趣意は 「限界  境界」 、 い わゆる 「わが命の全けむかぎり」 (巻四―五九五) 、「たまきはる 現の限は」 (巻五―八九七) 、「天雲の そくへの限り」 (巻九―一八〇一) のようなところへ至り着くと考えてよいであろう。 「ほつもり 赤ら嬢子」 「ふほごもり 赤れる嬢子」の「赤」は、太陽の光がこの世界との境を射るように、忌籠りとこの世との 境界に立つ嬢子の上に目にも鮮やかな 「 時」 の訪れたのを、 可視的にとらえる心的世界の表現であった。 「誘ささば 良らしな」 「いざさかば 良な」 には、 赤 き輝きとしてはっきりとその 「時」 を目にした古代的野性の響きがある。 「赤」 ではなく 「赤ら」 「赤れる」 である微妙さは、 こ の境界観想に根差しているのかもしれない。 人 麿の見た 「かぎろひ」 にも、 このような古代の原質 が映発していたと考えるのである。夜と朝との境界が「あかとき」であるのも思い合わされよう。上代の「時」の問題を説いた粂 川光樹氏の詳細な論があり、 その中で氏は、 「 「 ウツル」 によって示される時の推移は、 系統的には植物の変化からの類 推  」と 述 べている。花は咲くことによって人の世の時間に入り、その流れの中でやがて移ろって散る 宿 命を る。これは、人の生命に 与 え られた 宿 命の 縮図 である。ただ、植物は 循環 という 恒久 的な「時間」を 有 していると観じていたから、 年毎 の 開 花は 永遠 を見るこ とへと がり、 れへと誘った。

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花は、 開 く前、 堅 く結んだ花弁を少し緩めた境目に、 惜 しむように中の色を見せる。 花は開いた直後に一番強い香を発する。 「にほひ」が視覚関係の言葉であったことも興味ひかれる問題であるが、 「ふふむ」は、常に異次元の「時空」から人の世界を伺う 霊的存在としてあり、 人はそれを常に懐に迎え入れたいと心を構えて待っていた。 「ふふむ」 状態がとる、 袋のような包みのよう な、穂や卵のような、さらには石のような形状は、形状を越える幽遠な「時」の在り処であり、生命の原郷である。したがって、 本質を異にする「つぼむ つぼみ」から解釈することによって、古代を見失うことになる。 「ふふむ」は早い時期から、 「ふふんで いる」 という訳では通じない語になってしまった。 が、 それでも細微な 「時」 の感覚は、 『万葉集』 に言葉と共にまだ残っている のである。言葉の解釈は難しいが、 「ふふむ」は、万葉の歌人達の中に潜入する手段に大きな示唆を与えてくれた。 参考文献〉 (1) 有坂秀世 「第一部 古代日本語に於ける音節結合の法則 古事記にあらはれる音節結合の法則について」註の項 (『上代音韻攷』昭和 30  7  25 三省堂) (2) 折口信夫 「霊魂の話 神の容れ物としての石 石こづみの風習」 (『折口信夫全集 第三巻』 昭和 41 1  25 中央公論社) (3) 柳田國男 「生石伝説」 (『定本柳田國男集 第五巻』 昭和 48 6  25 筑摩書房) (4) 折口信夫 「霊魂の話 発生に於ける三段の順序」 (『折口信夫全集 第三巻』昭和 41 1  25 中央公論社) (5) 大久間喜一郎 「『古事記』私解 二 」 (『明治大学教養論集 第百四十六号』 一九八一 二) (6) 山口佳紀 「『古事記』 注解の試み (七) ―伊邪那伎命の禊祓―」 時 量師神の項 (『論集上代文字 第 二十一冊』 平成8 2 9 万 葉七曜会) なお、 「時量師神」 については 勝俣 隆氏 の論文に 詳 しい。 (「伊邪那伎命の禊祓の段における時量師神の解釈について」 『平成八 年度 古事記 年 報 三 十九』平成9 1  28) (7) ミルチャ エ リアーデ 「第十一 章聖 なる時間と 永 遠 再始 の神話 時間の 不均 質 性 」 (『 エ リアーデ 著作 集 第三巻 聖 なる空間と時間』久 米 博 訳 一九八一 三 一 〇 せりか書房) (8) 森朝 男 「常世とうつせみ―時間の古代語をた ど りつつ―」時じの項 (『 叢刊 日本の文学6 古代文学と時間』 一九八九 九 三 〇新 典 社) (9) 中 西進 「 Ⅱ 神 統譜 の物語 5 象徴 と神話 力 6古代人の 認識 法」 (『神話 力 日本神話を 創造 するもの』 平成3  10  30 桜楓 社) ( 10) 守屋俊彦 「花 橘 と 赤 ら 嬢子 ―記四三番歌の原歌―」 ( 梅澤 伊 勢 三 先 生 追悼 記紀論集』 平成4 3  25 続群 書 類従完 成会) ( 11) 粂川 光樹 「「時は 経ぬ 」 考 ―試論 家持 の時間―」 (『論集上代文学 第七冊』 昭和 52 2  28 万葉七曜会) (ますだ よしこ 日本語日本文学 科 ) (ますだ よしこ 日本語日本文学 科 )

参照

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