黒川本讃岐典侍
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宮内庁書陵部蔵
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宮内庁書陵部蔵の豊本讃岐典侍日記は、既に発表されている 八洲文藻所収本があるが、それに加えて、この度発表させてい ただく黒川置旧蔵本︵以下黒川本と呼ぶ︶は、近世国学者とし て、本居宣長の学風を継いで一家をなした黒川家の蔵本である。 讃岐典侍日記の伝本および本文研究についての文献について は、本学研究論集第25巻︵昭和53年2月号︶に発表したが、拙 著﹃校本讃岐典侍日記﹄出版後に発表された坊本は次の二本で ある。 1、清水浜臣旧蔵本讃岐典侍日記、桃園文庫所蔵本 岩清水 尚 ︵語学文学第十号 北海道教育大学語学文学会 昭47・3 ・20刊︶ 2、小山田本讃岐典侍日記党え書 彰考館文庫蔵 佐藤囲久 黒川本 讃岐典侍日記 翻刻彰考館文庫蔵・小山田本讃岐典侍日記 佐藤彌久・石田和子 ︵群女国文第5号群馬女子大短期大学国文学研究室 昭51 ・3・10刊︶ 以上の二本を加えて、次の要領で論を進めることにする。 一、讃岐典侍日記書本と現存形態 二、黒川本讃岐典侍日記の体裁 三、黒川家について 四、まとめ 五、翻刻 宮内庁書陵部蔵 黒川本讃岐典侍日記上下巻 一〇五黒川本讃岐典侍日記
﹃讃岐典侍日記﹄の盗癖について、現在所在が明らかなものは 三十二本である。じかし、本文を大きく訂正するほどの異本は なく、殆どが脱落や書写の誤りによるもので、卓越した善本と いえる江戸初期をさかのぼる古写本がないのは残念である。し かし、原本が書かれた天仁二年︵一一〇九︶の後、早くから人 々に読まれていたことが、﹃讃岐典侍日記﹄より六十年余り後に 完成した﹃今鏡﹄に記されている。万画二年︵一〇二五︶から 嘉応二年︵二七〇︶にわたって記述している﹃今鏡﹄の玉章の みそ ち 段に﹁この帝、三十にだに満たせ給はぬ、世の惜しみ奉る事限 ないし すけさぬき りなかるべし。その御あり様、内侍の典侍讃岐とか聞えし、細 ふみ かに書かれたる書侍りとかや。人の読まれしを、ひとかへりは 聞き侍りし。この中にも、御覧じてやおはしますらむ。﹂ ︵日 本古典全書・板橋倫行・昭25・10による。︶ このように、今より約八百年を逆る平安末期から鎌倉時代に かけては、原本に近い形態で人々に読まれていたと考えられる。 その後、鎌倉末期元徳二年︵=二三〇︶から元弘元年︵=二 三一︶頃の執筆である﹃徒然草﹄第百八十一段に﹁﹃降れく 粉雪、たんぱの粉雪﹄といふ事、米葺き節ひたるに似たれば、 粉雪といふ。 ﹃たまれ粉雪と言ふべきを誤りて﹃たんぱの﹄と は言ふなり。 ﹃垣や木の股に﹄と、或物知り申しき。昔より言 ひける事にや。鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せ 一〇六 られける由、讃岐典侍が日記に書きたり。L ︵徒然草全注釈・ 安良岡康作・角川書店・昭35・10による︶とある。 ﹃枕冊子﹄と共に古典随筆の重壁とされている﹃徒然草﹄に、 讃岐典侍日記のことが記されていることは、高い文献的価値を 持つ兼好の随筆である故に、信頼度も高く、この日記が中世に比 較的多くの人々に読まれていたと考えることができる。この頃 に乱世をまねく南北朝の争いがおきているが、それより、すこ し時代を経て、鎌倉後期か室町前期の成立とみられる日本最古 ほんちうしよじセもくろく の図書目録である﹃本朝書籍目録﹄に﹁讃岐典侍日記三﹂と記 されている。 江戸時代に入って、文政二年︵一八二〇︶に藤原美波留の書 いた﹃百人一首抄﹄の﹁麻生園蔵板書目﹂にも﹁讃岐典侍日記 応仁三巻近在﹂と記され、未刊の書とはいえ、この日記を三巻とし た記録があるが、現存伝本においては三巻本は全く見当らない。 そこで、先学の方々の現存形態の意見を纒めてみると、 三巻本説︵下巻欠落説︶ 玉井幸助 宮崎荘平 瓜生原和子 三巻本説︵中巻欠落説︶ 尾崎知光 森田兼吉 橋本奎子 二巻本説︵現存の上下巻︶ 石埜敬子 同じ欠落説でも内容において論説が違うが、結論的に大胆な 分類をすると、現在では右の論旨をみることができる。 現存伝本においては、江戸中期をさかのぼるものはないが、 奥書による書写年代を記したものにおいては、初期のものもあ る。年代順にその書写年代と伝本名を記してみる。ただし、その書写年代をそのまま書写した伝本の場合も同じ年代とした。 書写年代 寛永十六 慶安元年 元禄甲成秋 安永七年 安永八年 天明四年 寛政元年 寛政四年 寛政九年 文化二年 天保十四年 慶応三年 西 暦 (一 Z三九︶ (一 Z四八︶ (} Z八八頃︶ (】 オ七七︶ ︵一七七八︶ (一 オ八四︶ (一 オ八九︶ (一 オ九二︶ (一 オ九八︶ (一 ェ〇五︶ (一 ェ四三︶ (一 ェ六八︶ 右の書写年代を見ると、やはり、 に多く書写されている。勿論この期には、讃岐典侍日記だけで なく、古典研究の文献学的考証が重んぜられ、近世学術の発達 と国家意識の勃典に伴なって、あらゆる古典が甦えったと云えよ .フ。 では、黒川家の蔵書﹃讃岐典侍日記﹄は、どの系統に位置す るのであろうか。 伝写本名 秘書郎本系伝本 高橋貞一博士所蔵本 水戸彰考館小川彦兵衛写本 賀茂季隆本 多和文庫本・東大史料編纂二本 神宮文庫所蔵・勤思堂本 神宮文庫所蔵・御巫書本 神宮文庫所蔵・清渚集収所本 桃園文庫上巻本︵貢仲明書写︶ 桃園文庫蔵清水浜臣旧蔵本 宮内庁書陵部所蔵八洲文藻所 収本 西尾市立図書館所蔵岩瀬文庫 本 国学の隆盛をみた江戸中期
黒川本讃岐典侍日記
まず、上巻末の奥書と下巻末の奥書によって、群書類従本系 であることが知られる。宮内庁書陵部の橋本不美男氏のお言葉 によるならば、 ﹁黒川真頼の師であり、養父でもあった黒川春 村は、保己一門下として、続群書類従の編纂に参加しており、 その関係から、あるいは、本書は群書類従本版本のもとをなす ものでなかろうか已とのことである。左に黒川本の上下巻の奥 書を記し、つぎに、現存伝本の一覧表を記す。 上巻奥書石動備帖洞御本二本ヰ豪 明
室君暴く渋墨薯エ廟夙島卿一拳優ゑ
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下巻奥書善書官奉輝選書破偽鳶︽ふ秦
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﹁〇七讃岐典侍日記伝本一覧
7小路覚瑞氏所蔵本 祐徳稲荷神社所蔵 鍋島家中川文庫本 学都大学附属図書館所蔵 鍋島家本透写本 関西大学図書館所蔵本 彰考館文庫所蔵 続扶桑拾葉集所収本 と手文庫所蔵 貢仲明書写本 ヒ手文庫所蔵本 三手文庫所蔵 今井似閑本 ﹁山口県立図書館蔵 今井似閑本 宮内庁書陵部所蔵 黒川家旧蔵本 系 ︵15本︶ 島神宮木系 ︵3本︶ 群書類従所収本 九州大学図書館所蔵本 彰考館文庫所蔵八洲文藻所収本 宮内庁書陵部所蔵八洲文藻所収本 天理図書館所蔵 村田春海旧蔵本 桃園文庫所蔵 清水浜臣旧蔵本 桃園文庫所蔵二冊本 西尾市立図書館所蔵 岩瀬文庫本 無窮会図書館神習文庫所蔵井上頼囲旧蔵本 京大学附属図書館所蔵南葵文庫旧蔵本 無窮会図書館神習文庫所蔵﹁雑筆﹂所収本 f吉文庫所蔵本 東大史料編纂所々蔵 押小路家旧蔵本 和文庫所蔵本 神宮文庫所蔵 御巫書本 神宮文庫所蔵 勤思堂本 神宮文庫所蔵 清渚集所収本 野由之博士所蔵 賀茂季隆本 ”仙堂文庫所蔵 賀茂季隆本 橋貞一博士所蔵 鹿島文庫本轟馨旗章蝶清書写本
一〇刈二 黒川春村系 本の体裁については、上下一冊本で、縦二六・七㎝、横一八・ 七㎝、袋綴上下合巻の一冊本、表紙は、金茶色波模様を捺染し た楮紙、表紙左に墨でかこみ枠をした楮題簑で﹁讃岐典侍日記 上下合巻﹂と示されている。本文用紙は楮紙、墨付上巻二七葉、 下巻三七葉、巻末遊紙一葉、一面は各十行書、一行の字詰は二 十三字前後、本文巻首には、右下方に﹁黒川真頼蔵書﹂の単画 方朱印があり、その下に﹁黒川真頼﹂の丸印がある。巻頭に﹁ 検校保己一集日記部﹂とあり、左側に、単画朱印で﹁黒川真 道蔵書﹂の印がある。奥書は群書類従版本と一致し、江戸末期の 書写と思われる。
三
第一葉の右下方に、黒川真頼蔵書の印と黒川真道蔵所印が見 られるが、江戸後期の国学者黒川春村の学統を継承し、後に養 子となった黒川真頼の蔵書を、子息の真道がうけ継いで蔵書と したものと思われる。 黒川家の系図を読史総覧︵人物往来社・昭41・2刊︶の国学系 図でみると次のように記されている。黒川本讃岐典侍日記
灘し騨斎﹂
明治三十九・ 八・二十九㈱岡本保孝1ね三蓋
黒川真道 大正十四・十二・十八㈹ 鈴木弘恭 明治三十・七・一二十一㈹叢職撰三三働
くろかわはるむら 黒川家の家学を形成した黒川春村は、徳川末期︵一七九九∼ 一八六六︶の国学者で寛政十一年江戸浅草田原町に生まれる。 せんそうあん はじめ二世浅草庵深沢守舎に従って狂歌を学び、その後をつい で薄庵と号し、のち三世浅草庵の号をついだが、これを、笠亭 仙果に譲って和歌をよくし、さらに、狩谷植斎について古学を 究めた。清水濱臣、岸本由豆流、伴信友らと交わり、本居宣長 の学風を継いで一家をなした。また、国語学、音韻学に長じ、 学風は考証に秀でていた。著書に﹁墨水遺稿﹂ ﹁地頭名義考﹂ ﹁音韻考証﹂などがある。真頼の養父である。 くろかわ ま より 黒川真頼︵一八二九∼一九〇六︶は、文政十二年十一月上野 桐生町に生まれ、本姓は金子氏。幼名は嘉吉、号は荻斎。幼 い時より穎語強記、早くより江戸に出て黒川春村について国学 をまなび、のちに、黒川家の養子となり、家学を継承した。性 質は、温良にして篤学、歌風もまた平易真率をもって知られ、 一〇九黒川本讃岐典侍日記
晩年は、空海の書風を愛し、造詣するところ深かった。また、 有職・風俗の研究は、もっとも力を注いだ之ころで編著も多い。 現今の裁判官の制服は、真頼が政府の命によって、わが国の古 代の服装を参こ口て案出したものといわれている。 真頼は、大学・芸術・教育の方面にわたって貢献し、その著 書には、 ﹁皇位継承篇﹂、 ﹁考古図譜﹂ ﹁語彙国史要略﹂ ﹁工 芸志科﹂ ﹁歴代天皇説号続例﹂ ﹁日本文典大意﹂ ﹁古事類苑﹂ および語彙の編纂にも参与した。維新後は、文部省、内務省博 物局などに出仕し、のちに、東京大学教授となり、旭日小授章 をたまわった。 ﹃国学者著述綜覧﹄によれば、︵備考︶に、﹁東京大学教授、宮内 省御歌所寄人、東京帝国大学名誉教授、帝国学士院会員、正四 位勲四等文学博士。国語及び有職に精通し、文学歌学にも自得 する所あり已と記載されている。 ﹃日本人物文献目録﹄による文献を左に転載すると、 ○黒川真頼先生言行録 佐藤利之 国学院雑誌 一二の十の一 二 明治39年 ○黒川真頼全集六巻六冊 黒川真頼編 国書刊行会 明治42年 ∼43年 ○黒川真頼伝附著述目録 黒川真頼編 大正8年 ○黒川真頼先生の事蹟、過渡期の学者伝のうち。大森金五郎 中央史壇、十三の十一 昭和2年 ○先師の面かげを描く、文学博士黒川真頼先生 植木直一郎 一 ○ 国学院雑誌 四十六の十二 昭和十五年 ○近代文学研究叢書八 昭和女子大近代文学研究室編 同大学 昭和33年 O近代文学資料研究日本文学篇、一四五、黒川真頼 甲斐知恵 子 学苑 昭和33年 ○黒川真頼略伝 国学院大学図書館編刊 神道書籍解説目録 第一輯 昭和35年 くろかわ ま みち 黒川真道︵一八六六∼一九二五︶は、真頼を父として、慶応 二年九月十日群馬県桐生市四丁目に生まれる。父真頼の学統を つぎ、明治二十一年文科大学古典講習科を卒業し、明治二十二 年古事類苑の編纂を嘱託せられ、同年より帝国博物館に勤務し、 明治三十二年五月一日より明治三十四年七月二十日まで、東京 帝国大学文科大学講師に嘱託せられ、国語国文国史学を講じ、 邦文帝国美術史編纂委員を命ぜられた。明治四十二年三月に日 本教育文庫編纂のため、一時帝室博物館を退官し、翌四十三年 四月ふたたび東京帝室博物館に勤務し、それより死去するまで 勤続した。大正十四年十二月十八日、享年六十才で、東京市浅 草区小島町で死亡する。著書に、 ﹁墨水一滴﹂ ﹁日本歴史文庫﹂ ﹁日本風俗図会﹂ ﹁喫茶史料﹂ ﹁越後史誌﹂などがある。四 黒川本讃岐典侍日記は、上巻一葉に﹁検校保己一集﹂と示さ れているように群書類従本である。九州大学図書館所蔵本は、 このような識語は一葉の最初に一切記されていないが、群書類 従本に類し、この三本の豆本は、墨付六十四丁、一葉十行書、 一行二十三字前後、字体も酷似している。ただ、黒川本のア行、 ワ行の使用が群書類従本と全く同じであるのに対して、九大本 は、八洲文藻本の二本と同じア行、ワ行の校異を持っており、 また、それは非類従本系とも同じである。 八洲文藻は水戸藩主齊昭公編纂によるもので、一葉の最初に ﹁八洲文藻巻第権中納言従三位源朝臣齊昭編集﹂の識語があり、 水戸彰考館所蔵本と、宮内庁書陵部所蔵本の二本あるが、群本、 黒川本、九大本の三本と共に、この五本は、奥書、本文の校合 などから群書類従本系と考えることが出来る。 そして、この五本のうち、校異の上からも黒川本が最も群書 類従本に酷似しており、群本を底本とすると、殆ど校異がなく、 九州大学図書館所蔵本がそれに近く、八洲文藻本の二本がこれ に次ぐものである。 この五本自体のもつ大きな異同はないが、例を挙げると、﹁を り む こなひ・をよぶ・をしはかる・をとる・をしあつ・をし入る・ をしあく・をとる・をととし・をと・をく・﹂等の﹁を﹂は、 八洲文藻本および非類従本系はア行の﹁お﹂を用いており、九
日川本讃岐典侍日記
大本は、数においては少いが同じ校異を持っている。また、反対 む に、八洲文藻本の二本と九大本は﹁おり・おします・おさなし﹂ などがワ行の﹁を﹂を用いており、類従本の﹁まいる﹂は、黒 川本と九大本が、同じく﹁まいる﹂に対して、八洲文藻本の二 本は、すべて、ワ行の﹁まみる﹂となっている。また、﹁よはげ ・さはぐ・ことはり﹂など並行であるのに対して、八洲文藻本 む の二本は﹁よわげ・さわぐ・ことわり﹂など、ワ行を用いている。 以上の場合、非類従本系の諸本は、殆ど八洲文藻本と異同を同 じくしている。 それでは、校合の結果校異といえるほどのものはみられなか ったが、群書類従本と黒川本の異同を左に記載する。 ︹群書類従本︺ ︹黒 川 本︺ 上巻五星8
五ウ9
六オ6
六ウ7
八オ7
δオ6 下巻 二九ウー0 =充オ3 事 外 おほしめさは いかにたえさせ いみしう 提子 ひさけ 五 君はいはけなく 興しまいらせしは 事︵略字︶ 外︵略字︶ む おぼしめせば いかにた・させ り いみもう ひさけ ︵五︶の字なし 興しまいらせし四〇オ9 囲ウ6 吾オ9 五ニオー〇 五ニウ9 茜オ7 宍オ4 美オ7 美ウ5 六〇ウー 以上が、 を通して、 れず、 しかし、
黒川本讃岐典侍日記
くしてと ひきあて おもひつ・け をされたる む 御事と 童 わらは 心地すると いへくとひきむけ なかりし 人たちをみの くしてす ひきにて おもひつけ む をたれたる 御事を ︵童︶の字なし ルト 心地すると いへくとひさむけ ないりし 小忌 人たちをみの 黒川本が、 殊更に挙げるほどの異文は見出せなかったが、 学者で、清水浜臣、小山田与清などと交流を持ち、 としてその力を問われるほどの黒川家旧蔵本を現存伝本に加え ることが出たことは、本文研究に一冊でも多くの伝写本がのぞ まれる折に、まことにありがたいことである。 黒川本紹介に当っては、原本所蔵の宮内庁書陵部と、同所の 橋本不美男氏に、早くから未紹介の黒川本を拝見させていただ き、発表のお許しも得ておりながら、今日に至りましたことを、 この紙面をかりてお詫び申し上げると共に、全文の写真など多 大なご便宜を賜わりましたことを厚く御礼申上げます。 二本の伝本の異同である。管見では上下巻の全文 書写の誤りとみられるこれらの異同だけしかみら いかに類従本と近い関係にあるかが知られる。 近世国 保己一門下 書参考文献
名国学者著述綜覧
大人名事典 二
讃 史 総 覧 校本讃岐典侍日記国学者伝記集成
新刊世界人名辞典 日本人物文献目録執筆者
一二 関 隆治編 下中弥三郎編 監修葉田 淳 今小路三三 三谷 幸子三三校閲
叢鵬編
下中 邦彦 難輔齢職舞脳平凡社東名初人平森
著音物 北発
京撫葉凡聖
堂会房社社店
出版年月召8・6
日− 刀ロ8・ー ロロ9臼 − 昭41・2 刀口2●2 日4 1 刀ロ7。5 ロロ4 刀ロ8。−日4
1 昭49・6 讃岐典侍日記の伝本にみられる写者および所持者について片山依子 醐建確籔竪・3
魯翻刻
宮内庁書陵部蔵 黒川本讃岐典侍日記
〔灘
瀦M蟹簿闘懲
讃岐典侍日記 上 下 五月の空もくもらはしく田子のもすそもほしわふらむとこと はりも見えさらぬたに物むつかしきころしも心長閑なる里居に 常よりもむかし今の事おもひつ・けられて物あはれなれははし を見出してみれは雲のた・すまひそらのけしき思ひしりかほに 村雲かちなるを見るにも雲井のそらといひけんひともことはり と見えてかきくらさる・心地そするのきのあやめの雫にことな らす山ほと・きすも緒ともに音をうちかたらひてはかなく明る 夏の夜なくすきもていそのかみふりにしむかしの事を弓ひい てられて泪と・まらす思ひ出れば我君につかうまつる事春の花 秋の紅葉を見ても月の曇らぬ空をなかめ雪のあした御ともに侍 らひてもろともに八年のはる秋つかうまつりし程常は目でたき黒川本讃岐典侍日記
御事おほくあしたの御をこなひ夕の御笛の音わすれかたさにな くさむやとしいつる事ともかきつ・くれは筆のたちともみえす きりふたかりかて硯の水に涙落そひて水くきの跡もなかれあふ ご・ちして泪そいと・まさるやうにかきなとせんにまきれなと やするとて書たる事なれは涌すて山になくさめかねられてたへ かたくそ 一 六月二十日のことそかし 堀河 六月廿日の事そかし内は例さまにもおほしめされさりし御け しきともすればうちふしかちにて是を人はなやむとはいふなと 人々はめもみたてぬと仰られて世をうらめしけにおほしたりし ものをことおもらせさせ給はさりしおり御祈をしつみに有ける 御事をもゆつりまいらせらる・と我さたにもをよはぬ事さへそ おほゆる 一=二黒川本讃岐典侍日記
二 御ここち大事におもらせたまひて かくて七月六日より御心地大事におもらせ給ひぬれはたれも 月ころとても例さまにおほしめしたりつる事はかたきやうなり つれともこれかやうにくるしけに見参らする事はなくて過させ 給つるかくおはしませはいかならんするにかとむねつふれて 思ひあひたりその頃しも上腹だちさはりありてさふらはれすあ るは遵うみあるは母のいとま今ひとりはとうよりもこもりみて 此二三年まいられす御めのとたち藤三位ぬるみ心ちわつらひて 鳥羽 参らす弁三位は東宮のは・もおはしまさておひた・せ給へは心 のま・にさふらはるへくもなきにあはせてそれも此ころおこ り心地にわっらひてた・大弐三位われくして三人そさふらふさ れはた・あやしの人のわっらふたに人のいとまいりしたしくあ っかふ人おほくほしきに是はましてほし日のくる・ま・にたへ 白河 かたけにおほしめしたれは院にかくと案内申さするおとろかせ 給ひてちかくて御ありさまきかんとて我に北の陣に御幸ありて と奏すかくくるしうおほしめしたれはおほとなふら例よりも ちかく参らせなとする程にた・消にきえ入せ給ひぬあないみし 雅賓 忠實 となきあひて内大臣関白殿まいりてつど侍ちはせ給ふ大かたの 増誉 頼基 増賢 のしりあひたりそうよ僧正らいき律師そうけん律師なと召にや りつ・らいき律師すなはち参りて経よみ佛くときまいらせらる るほとにしはしはかりありて打身しろきせさせ給ふに今少し 益 の・しりあひぬ経よまる・をきかせ給ひて今はやくあらした・ 一一四 かりうつせよと仰られ出たれは立つくものなとめしてみてさ んりうつさる・おひた・しさはをしはかるへしうつりてその事 とはいはてかはめきの・しるさまいとおそろしすこし御かゆな とまいらすれはめしなとすれは嬉しさは何にかはにたる大臣は あるかと・はせ給へは大とのいらせたまひてさふらふよし申給 へは御幸は成ぬるかととはせ給へはしか成候ぬと申・させ給へは まいりて申せ今は何事もやくさふらはした・させ給ふ尊勝寺に て九壇の護摩と像法とさふらふへきなり又侍らはむすらん事はな に事もこよひ侍らふへきそあすあさてさふらへき心地し侍らす とおほせらるれはあまり護摩こそおひた・しく侍らへと申給へ 直 はこはいかにいふそかはかりに成たる事をはと仰らるれば御な 衣 をしの袖を顔にをしあて・立たまひぬそれをきかむ御めのとた ちもいかはかりおほえむ大殿かへり参らせたまひてされは去年 鳥羽 五才 をと・しの御事にもさるさたはさふらひしかと宮の御年のをさ なくおはしますによりてけふまて侍らふにこそとなむはへると 奏せらる・にそ何事もた・こよひさためさふらふへきそと仰ら るれはさは此御事にこそ有けれと今そ心うる 三 いも寝ずまもりまみらせて 誰もいもねすまもりまいらせたれは融けしきいとくるしけに て御あしをうちかけて仰らる・やう我はかりの人のけふあすし なむとするをかくめも見たてぬやうあらんやいか・みるととはせ給ふきくこ・ちた・むせかへりて御いらへもせられすたへか たけにまもりみるけはひのしるきにやとひやませ給ひて大弐三 長押 風なけしのもとに侍らひ給ふを見つけおはしてをのれはゆ・し くたゆみたる物かな我はけふあすしなんすればしらぬかとおほ せらるれはいかてたゆみ侍らはんするそたゆみ侍らねはちから のおよひ侍らふ事に侍らはこそと申さるれは何か今たゆみたる そいま心みんとおほせられていみしうくるしけにおはしたりけ れはかた駕御かたはらはなれ参らせすた・辛めのとなとのやう にそひふしまいらせてなくあないみしかくてはかなくならせ給 なむゆ・しきこそありがたくつかふまつりよかりつる御心のめ てたさなとおもひつ・けられてめも心にかなふ物なりけれは露 もねられすまもりまいらせてほとさへたへかたく暑きころにて 障子 御さうしとふさせ給へるとにつめられてよりそひ参らせてねい らせ給へる御かほをまもらへ参らせてなくより外の事そなきい とかう何しになれっかふまつりけんとくやしく覚ゆ参りし夜よ りけふまての事おもひつ・くる心ちた・をしはかるへしこはい かにしつる事そとかなしおとろかせ給へる御まみなと日ごろの ふるま・によはけに見えさせ給ふ御とのこもりぬる御けしきな れと我はた・まもりまいらせておとろかせ給ふらんにみな寝入 てとおぼしめせば物おそろしくそおぼしめすありつる嬉しさま にて有けるとも御らんせられむと思ひて見参らすれは御目よは けにて御らんしあはせていかにかくは寝ぬそと仰らるれは御覧 ししるなめりと思ふもたへかたくあはれにて三位の御もとより
黒川本讃岐典侍日記
さきくの御心地のおりも御かたはらに常にさふらふ人の見ま いらするかよきによく見まいらせよおりあしき心地をやみてま いらぬかわひしきなりと申せとえそつ・けやらぬせめてくるし くおほゆるにかくして心みんやすまりやすると仰られて枕かみ なるしるしのはこを御むねの上にをかせ給ひたれはまことに いかにた、させ給ふらんとみゆるまて御むねのゆる・さまそこ とのほかに見えさせ給ふ厚いきもたえくなるさまにて聞ゆかほ もみくるしからむとおもへとかくおとろかせ給へるおりにたに 物まいらせ心見んとて顔に手をまきらはしなから御重かみにを きたる御かゆやひるなとをもしやとく・めまいらすれは少しめ し又おほとのこもりぬ四いと弱げにのみならせたまへは
あけかたに成ぬるに鐘の音聞ゆあけなんとするにやとおもふに いとうれしくやうくからすの聲なと聞ゆ朝きよめの音なときく に明はてぬと聞ゆれはよし例の人たちおとろきあはれなはかは りてすこしねいらむとおもふに御格子参りおほとなふらまかて なとすれはやすまんとおもひてひとへを引かつくを御覧して引の けさせたまへは猶なねそとおもはせ給ふなめりとおもへはおき あかりぬおほい殿の三位ひるは御まへをはたはからむ休ませ給 へとあれはおりぬ待つけて我もつよくてこそあつかひまいらせ 給はめといふ中くかくいふからにたへかたき心地そする月のふ =五黒川本讃岐典侍日記
るま・にいとよはけにのみならせ給へは此度はさなめりと見ま 長治二 いらするかなしさた・おもひやるへしをと・しの御心地のやう にあっかひやめまいらせたらん何心地しなんとそ覚ゆる又人の ほらせ給へとよひにきたれは参りぬ物まいらせ心みんとて成けり 大弐三位御うしろにいたき参らせてものまいらせよとあれはち いさき御はんにた・露はかりをきあからせ給へるをみまいらす れは今日なとはいみしうくるしけによにならせ給ひたるとみゆ 殿のうしろのかたよりまいらせたまひけるも例のやうになとし て参らせ給ふこそしるけれ此ころはたれもおりあしければうち しめりならひておはしませはいかてかはしるからむおと・くとい みもうくるしけにおほしめしなからつけさせたまふ御心のあり かたさはいかてか思ひしられさらんかくくるしけなる御心地に たゆますつけさせ給ふ御心の哀におもひしられて涙うくをあや しげに御覧してはかくしくもめさてふさせ給ひぬれは又そひふ し参らせぬかくおはしませは殿もよるひるたゆますまいらせ給 へはいと・はれにはしたなき心地すれは三位殿もおりにこそし たかへかはかりに成にたる事になんてう物は・かりはするとあ れはいかかはせんとてすくす大とのちかくまいらせ給へは御ひ さたかくなしてかけにかくさせ給へは我もひとへをひきかっきて ふしてきけは御うらにはとそ事たるかくそ申たる御祈はそれ/ \なん始りぬる又十九巳よりよき日なれは御佛御修法のへさせ給 ふと申させ給へはそれまての御命やはあらんすると仰らるかなし させきかねておほゆ 五 中宮のぼらせたまひて 一一六 大殿た・せたまひぬれは引かつきたかひとへひきのけてうち あふきまいらせなとするほとに宮の御かたより宣旨仰かきにて 三位なとのさふらはる・おりこそこまかに御ありさまもき・参 らすれ大かたの御かへりのみきくなんおほつかなきむかしの御 ゆかりにはそこをなんおほしう身におほしめす今の御ありさま こまかに申させたまへとありたかふみそととはせ給へは何の御 かたよりと申せはひるつかたのほらせ給へと仰事あれはさかき て参らせ給へはひるつかたに成程に道具なととりのけてみな人 くうちやすめとておりぬされともしめす事もやとおもへは御障 子のもとに侍らふいかなる事ともをか申させ給ふらむいかてか はしらんしはしはかり有て御扇うちならしてめすそれとりてと 仰らるへき事ありけれはめして猶障子たて・よと仰らるよくそ おりてさふらひけると思ふなを仰らる・事有とみえたり立のく みさうしたて・御扇ならさせ給へと申させたまひけれは御さう しあく事むごになりぬ夕つかたかへらせ給ひぬれは誰もく参 りあひぬ御けしきうちつけにやかはりてそみえさせ給ふけふし かすこし夜のあけたる心地しておほゆれとおほせらる・きく心 地のうれしさ何にかはにたる。 六 御前の氷を御覧じて金椀 氷 御まへにかなまりにひのおほらかに入たるを御らんしてあれ みれは心ちのさはやかに覚ゆるひのおほきならんひさけに入て 人ともあつめてくはせてみむと仰らるれは女房たちみな立のき ぬ大殿はかりそさふらはせ給ふ大弐三位大殿の三位長くして夜 のおと・に入て戸口に御き帳たて・ほころひよりみれは大殿な 雅俊 けしのもとに侍らせ給ひてみすきのもとになかくと左衛門督源 国信 雅實 顕道 能俊 重資 中納言大臣殿の権中納言宰相中将左大弁なとめし入て大臣殿ひ とりて各にたふ我もせんと覚したるもてはやさんとなめりとみ えてひとつとり給ひぬみきちゃうのうちなる人かやうにて一と せのやうにやませ給へかしいかはかり嬉しからんと思ふ 七 加持参らせたまひて なといひあはせらる・を聞かせ給ふて何事いふそと仰らるれ はひるの程にはれさせおはしましにけることを申さふらうやと 申さるれは今は耳もはかくしく聞こえすと仰られていと・よは けに見えさせ給ふしはしはかりありて此度はさるへきたひと覚 ゆるそとおほせらるれはつ・ましけれとなとさはおぼしめすそ と申せば僧正のさしもかしらよりくろけふりを立ていのれと そのしるしと覚て心ちのやすますまさる心地のすれはと仰ら る・をきくは何にかはにたる明ぬれはおほいとのまひり給ひて 院の御使にて事ともありけなるけしきなれは心なきこ・ちじぬへ けれは寝たり何事にかこまやかに申させ給ふ御心ゆつりの事に やとそ心えらる・申はて・ふしたる所にさしよりて御かたはら に参らせ給へといひかけて立たまひぬ くれはてぬれは人・おほとなふらなと参らする程にいみしう くるしけに覚しめされたれは殿たちいそき参らせ給ふてそうよ 僧正なとめしさはく参り給へれは御凡帳たて・われらはすへり のきてきけは加持参り給ふ経よみなとすれけふやしつまらせ給 ひておほとのこもらせ給ふけしきなりかくいふは十五日の事と そおほゆるかやうにてこよひもあけぬれとなをよはけにみえさ せ給ふけふもくれぬ十七日の暁に大弐三位あからさまにまかて ・此むねのたへかたくおほゆれは諭すこし甘みて立かへり参ら むとて出給ひぬくる・とひとしく参りたまひてうち見まいらせ てあないみしひる見参らせさりつるほとにはれさせ給ひにけり
黒川本讃岐典侍日記
八 御もののけあらはれて 久住者 きのふより山のくちうさとも召たれは十二人の供従者まいり て加持まいりの・しるさまいとおひた・しめておぼしめし たるかたのなきにや大臣殿をめし院に申せ一年の心地にもさも と仰られし行尊めしてたへと申させ給へれはやかてすなはち参 りたれはやかて枕かみちかくめしていのらせ給ふ三井寺のひ とくは千年経をたもちたれはそれをそいとたふとくよまる・ 請 御悩消除して寿命長からむとゆる・かにすせらる・きくそたのも しき心地するかやうにいみしき人たちあまたさふらひて我もを 一七黒川本讃岐典侍日記
とらしといのり参らせらる・けにや御物のけあらはれてりう僧 頼 豪 正らいかうなと名のりの・しる人あらはれさせ給ふて一とせの 行幸の後光見まいらせはやとゆかしくおもひ参らするにそのと くなけれはおとろかしまひらするそといふをきかせ給ひていか にも此二三製品さまに覚ゆる事のあらはこそ行幸もあらめちか きほとたになし此こ・ちゃみたらはこそは年の内にもあらめと 仰らる・ほとよりくるしけにならせ給ひにたり 九 ふたたび中宮御参内ありて 例の御かたより人つかはしたりさる心なとなき人ときけとせ めて思ひやる方のなけれはいふなりこなたへた・今のほりまい りなんや道なとそふたかりてかたはらいたくおぼしめせとおほせ られたれはいかてかは参らしと申さん承りぬと申たれはさらは 今の程にと仰られたれは参ぬはなれぬ人なれば宣旨をそあそ はさせ給ひて御心地のありさまとはせ給ふ文まいらするま・に申さ んとおひた・しく申ちらしけりなともれ聞えてあしき事もやな と覚ゆれはさもえ申さす又わさと召てとはせ給ふに申さ・らんも あしかりぬへけれはた・のほりて見参らせ給へさはいみしうく るしけにみえさせ給ふと申せばさはもしやとほりよからんひま にと申てとくかへしつかはしつ参りてみれは殿や大臣殿院より 戒うけさせ給ふへきなりと奏せさせ給ふけりとてせんせい法印 めすへきさたせられその御もうけともせらる・程なりけりかや =八 うの後ならは夜も明ぬへけれは宮の御かたよりめしつれは参り たりつれはかうくこそ仰られつれと申道の所せはきそとよ はけに仰らる・くるしけに覚しめしたり殿にものほりてみせま いらせばやと申させ給ひけれは今の程宮のほらせ参らせん物さ はかしからぬさまにと思ふにのほらせ給ひぬれは御かたはらに 人のなきかあしきそとさたせられてそのよしを申されけるなめ りかへり参らせ給ひてた・すけはかりは侍らへと仰らる・さて 三位殿おはして殿たち皆障子の外に出させたまひぬなけしのき はに四尺の御凡帳立らせたり御枕かみにおほとなふらちかく参 らせてあかくとありけるにそひふし参らせたりはしたなき心 地すれとえのかす宮のほらせたまひたれとあない申せばいつら いつなと仰らる・は無下に御捻もきかせ給はぬにやとおもふに 心うく覚ゆその御凡俗のもとにと申せばいつらと御凡帳のつま を引あけさせ給へはこ・にと申させ給ふ物なと申させたまはん とそおぼしめすらんと思へは御斎の方にすへりおりぬちかひて なけしのうへに宮のほらせ給ひしはしはかり何事にか申させ給 ふ殿の御聲にて久しくこそ戒ぬれ御かゆなとはや参らせんやと 仰らる・に驚きかせ給ひて今はさは帰りなんあすの夜もと仰ら れてかへらせ給ひぬ 一〇 御丸うけさせまみらせて 例のかたはらにまいりて氷なと参らす殿たちまいらせ給ふて磐 今は法印めし入よとてふたまなるけいなと参らせて戒のさたせ させたまふ法印まいらせ給ひぬれはみき丁はかりへたて・御なを しとりてまいれと仰らるれは取て参りたり御手水まいらすへけ れとおきあからせ給ふへきやうなけれは紙をぬらして御手なと のこはせ参らせなとする程そかなしき御かうふりなと持てまい りたれはするかせぬかのほとにをし嘗て御なをし引かけて参ら せたる御ひもさ・むとおぼしめしたるなめりさ・んとせさせ給 へと御手もはれにたれはえさ・せ給はぬみる心ちそ目もくれて はかくしう見えぬかね打ならして事のおもむき申あきらめ給 ふ十戒を先の世にうけさせ給ひてやふらせ給はさりけれはこそ 此世にて十善の位なかくたもち適法をあかめ一切衆生をあはれ みさせ給ふ心いまたむかしょり今に至るまてかはかりの帝王お はしまさすいと・こよひの御里のしるしにすみやかに御悩消除 せうさんして百年の御命なかくたもたしめ給へと申さる、きく にた・今やませたまひぬるときこえてめてたきさて御戒うけさ せまいらすれはいとよくたもつ/\と仰らる・殿たちたもっと 仰らる・やと申させ給へはうなつかせ給ふ 一一 法華経を諦せらるる 顕 房 うけさせまいらせばて・法印出させたまへは故右大臣の子に 定海 ちやうかいあさりといふ人のもとよりさふらはる・御枕かみに ちかくめしよせ仰らる・やう経すしてきかせよちやうかいか聲
黒川本讃岐典侍日記
きかむもこよひはかりこそきかめと仰られていみしうくるしけ におほしめされたれと御涙もえ出すそれを聞人心地たれかはな のめなる心ちせんたれもたへかたき心地そするあさりゃ・もい らへなし経の聲も聞えぬはあれもためらはる・なめりと聞ゆし はしはかりありてすこし出されたるをきけは方便品の比丘褐に か・るほとの長行をそよまる・つくくときかせ給ふて衆中之 糟糖佛威徳故去といふ所より御書うちつけさせたまひて露はか りかほとと・こほろ所なくゆふくとよませたまふ御聲たふと きあさりの御煎をしけたれてきこゆあさりもとりわきてそこを しもよみきかせ参らせらる明暮一二の巻をうかめさせ給ふとき ・をき給へる事なれはなめり 一二 むけにおもくおはしまして か・る程に三位のもとよりむけにおもくおはしますよし聞て 女房おこせてこまかの事きくに威にけりいませ給ふともまいり てつほねなからもき・まいらせんよそにてしからせ給ふのほら せ給へといへはやかてくしてまいりぬみれは大弐三位うしろの かたいたきまいらせて大殿の三位有つるま・にそひふし参らせ られたり御跡のかたについ居たれは大弐三位くるしうせさせ給 へは申つるそそのあしとらへまいらさせ給へとあれはとらへま いらせ覧たり御あせのこひなとせさせたまふ大殿の三位かくし つまらせ給へる程にせまほしき事のありしてまいらんとてまい =九黒川本讃岐典侍日記
らせ給へとあれはそひふしまいらせぬしはしはかり有て例のち やうかいあさり御几帳のぞはにめし入て観音品読てきかせよと 仰られるれはいとたふとくよみ給ふいかに覚しめすにか掲をよ めと仰らる・おぼしめすやうあるなめりと心えかたし大臣殿の 三位帰り参られたれは御足うちかけて御手をくひに打かけさせ たまへはえはたらかねは三位殿我みたるやうに御跡のかたにさ ふらはる例の氷なと参らせ御あせなとのこへとおほせられは御 楽かみなるみちのくに平して御ひんのわたりなとのこひ参らす る程にいみしく漏るしくこそなかるれ我は死なんする成け りと仰られて南無阿弥陀佛とそ仰らる・をきくにた・におはし ますおりにかやうの事は□くの下人まていまくしき事にこ そいふを御口よりさはくおほせられ出すときくは夢かなとま てあさましければ涙もせきあへす殿御かほにあて・佛を念せさ せ給へか・せ給ふとき・まいらせし御筆の大般若はいっこにか おはしますそそれをよく念しまいらせ給へと申給へはふたまに こそあらめと仰らるれは殿聞てとりてまいらせ給ふ是にやなと みせまいらせ給へはこれなりと仰らる・なをくるしうこそ成増 るなれとてた・せきあけにせきあけさせ給毒けしきにてた・A7 しなんするなりけり大神宮たすけさせ給へ南無平等大会講明法 華なと誠にたふとき事とも仰られつ・くるしうたへかたく覚ゆ るいだきおこせと仰らるれはおきあがりていたきおこし参らす るに日ごろはかやうにおこしまいらするにいと所せく、いたき にておほえさせ給へるなりけりいとやすらかにおこされさせ給 ﹁二〇 ひぬ大弐三位御うしろに居給ひたり御せなかをよせかけまいら せて御手をとらへまいらせなとする御かひなひややかにさくら れさせたまふかはかりあつきころかくさくられ給ふはとあやしあ さましたとへんかたなし =二 崩御あそはさる 僧正めし十二人の供従者めしよせて大かた物も聞えす成にた り大臣殿の三位甘口に手をぬらしてぬりなとし参らせ給ふ念佛 いみしく申させ給ふさまこそ欄外なれともすれば太神宮たすけ させ給へと申させ給ふも其しるしなく無下に御目なとかはり行 僧正とみに参らせ給はすや・ひさしく有て参らせ給へれは日ご ろへたつれと何の物おぼえんにか物のはっかしとも覚えむた・ひ とつにまとはれて僧正三位殿二人御前我身五人のひとくひと つにまとはれあひたり聲をおしますかしらより誠くろけふり 立はかりめも見あげす下し入て佛をうらみくとき申さる・さま いとたのもし例ならぬおりはあやしの僧たにも物いのるはた のもしくこそなるこ・ちすれかはかりの人の一心に心に入て年 ごろ仏につかうまつりて六十鯨年になりぬるにまたされとも佛 筆つきすすみやかにこの御目直させ給へと人なとをいふやうに をそしくとあれと何のしるしもなくて御口のかきりなん念佛 申させ給へるもはたらかせ給はすならせ給ひぬ殿御忙ししりて 俊明 今はさは院に案内申さむと申させたまへは民部卿こなたにめして混みすをしあけ物理ひやかにいかに仰らる・にか仰らるれはた ・れぬ大臣殿よりて今は何のかひなしとて御漏なをしていたき ふさせ参らせつ殿たちみなた・せ給ひぬ僧正なを御かたはらに そひみ給ひて何の事にかしのひやかにつふくと申きかせ給ふ か、るほとに日はなくとさし出たり日のたくるま・に御色の 月ころよりもしろくはれさせ給へる御かほの清らかにて御ひん のあたりなと御けつりくししたらむやうにみえてた・おほとの ごもりたるやうにたかふ事なし
︼四人びといみじうなきかなしみて
僧正今はと見はて奉りてやをら立て御かたはらの御障子を忍 ひやかに引あけて出国ふに大弐三位あなかなしやいかにしなし 出させ給ひぬるとたすけさせ給へと聲もおしますなき給ふを聞 てさなからなきとよみあひたり左衛門督中納言大臣殿の権中納 言中将の弘めのと子の君たち十絵人女房のさふらふかきゆ聲を 震 と・のへてせめておほゆるま・に御障子をなみなとのやうにか はくとひきならしてなきあひたるおひた・しさ物おちせん人 はきくへくもなし今一度見まいらせんとてしたしき上達部殿上 人我もく参れとうときはよひもいれす大弐三位おほとのごも りたるやうなる人を我きみやいかにして方々をはすておはしま しぬるそむまれさせたまひしよりかた時はなれまいらせすあや 厚 しのきぬの中よりおほしまいらせていつれの行幸にもはなれす黒川本讃岐典侍日記
しりにたちさきにたち病の心ならぬさとみ十日はかりするにも 恋しく床しくおもひまいらせつるにかた時見まいらせていかて かさふらはんた・くしておはしましね今一度おとろかせたまひ て見えさせ給へあなかなしやこひしさをいかにしてか侍らはん た・めしてそと御手をとらへてをめきさけひ給ふきくそたへか たきこの聲を撃てそこらの・しりつるくしうさともひしとやみ ぬ山の座主今そまいりて僧正の出たまひぬる障子引あけ給へは 仁源 三位山の座主をも今は何にせんするそといひつ・けてなき給ふ御 さうしよりなけ入らる・物を何ぞとみれは我局に置たる二あみ のからきぬかつきたるものなけ入て人のみるをみれは藤三位殿 のかくときって参り給へるなりけりあな心うや例さまにうち見 あげ給ひつらんを今一度見まいらせす成ぬるこ・ろうきを何 のものいみをしてよひ給はさりつるそ年ごろの御病をたにはつ る・事なくあっかひ参らせて限の度しもかくこ・地をやみてけ る身のすくせの心うき事といひつ・けてなき給ふ我は御あせを のこひまいらせつるみちのくにかみを顔にをしあて・そへるら れたるあの人たちおもひ参らせらるらむにもをとらすおもひまい らすと年ごろは思ひつれと猶をとりけるにやあれらのやうに聲 たてられぬはとそおもひしらる・大臣殿参らせ給ひてうちみま いらせていかにおほしとくにか持たまへる扇の骨をた・みなか 格 らはらくとうちすりてなきて出費ひぬと思う程に今は御かう 子 し参れとありけるにやとみえてすなはちしたしき殿上人なめり 顕 国 源中納言の四位少将あきくに右大臣殿の加賀畑町さたあかあか 一二一黒川本讃岐典侍日記
と日のさし入てあかきにはらくとおろしていぬあなあさまし こはいかにしつるよとえさらぬ心にまかせぬ日のくる・たにお ほとなふらをとくさし出よかしとまたおろさぬ先に心もとなく おほえしものをはなくとさし出たる日におろしこめてわさと くらくなすよと覚ゆるに物そおほえぬ藤三位あないみしかくは いかにおろしつるそやかひなき御かほなからもあかりて守り参 らせてあらんとこそおもひつれと聲もおしますなき給ふ大臣殿 またまいりて御そ今はぬきかへさせ参らせて御た・みA7はうす くなさんとえもいひやり給はすの給ふて御ひとへ取よせ給ふて ひきかっけまいらせなとせられぬなけしの下にまかりいてさせ 給ひぬと見まいらするま・に大臣殿の三位まろひおりてやかて そこにおなしさまにていきも干たるさましてふし給ひたる大臣 顕通 歌調著て子の中納言めしてあれるてのけよとあれは其方の女房中 納言としていとたのもしくめてたけにてかきいたきていぬさる 援 ほとに大弐三位も御子播磨守出雲守なといふ人々かきすくひて るていぬ藤三位殿は例ならぬよはけにみえつる入のなけ入られ つるよりとらて、こゑたにもせすいひつ・けてなき給ふさまこ とはりとみゆれとすきいられぬるにやと見ゆれは子の加賀守を 見おこせてそれいたきのけたてまつらせ給へといとよはけにみ えさせ給ふさまをは物の覚え侍らぬそたすけたまへとあれ といふかひなししもにおりさせ給へとひきのくれと何事の給ふ そうるはしくておはしましつる御顔をAヱ度見せさせ給はすな りぬるはうらめしさはいふかたなしとあちきなく人のつみのや 一二二 うにうらみなきたまふもことはりにそ聞ゆる御かひなをさくれ はいまたひえなから例の人のやうにたをやかにさくらるれは心 みかてらしはしもさらはたかへ参らせて物の給へかしとおもへ はいたくもす・めてもろともに御かひなをとらへて居たれはい つの程にかはるにかた・すくみはてさせ給ひぬ今はかひなしと おもひていささせ給へさふらはせ給ふとも今はかひなし一言も こそもしやとおもひつるほとこそ有つれと引のくれと大かた取 つき参らせていかて一所をきまいらせていかむするそとの給ふ 加賀守のさはかりあるはいたきのくへき心ちもせねは加賀守に 我はえいたき給ふましくは局の人をよひ給へといへはさはかりの 物もおほえすけなる人のとりあへすいかて我君のおはします所 下衆 にけすをはよせんとていみしうなかる参りさまにいたかれたり つれはせめて物のおほえてかとそおほゆるされは我方の女房と もよひよせてひたうに引のするやうに人のせなかにおほせてや りつ御めのとたちた・れぬれは因幡内侍とて明暮あまたの内侍 の中にとりわきつかうまつりつきたりし人とふたり御かたはら にむごにちかくさふらふあはれおほく侍らひつれと契ふかくもつ かうまつりはてさせ給へるなといひつ・けていみしうなかる、 さまそいと・もよほさる・心地してたへかたきつ.ほねよりいそ きたるけしきにてきとおはしませ三位殿たえ入せ給ひぬといひ て引さけてゐていぬ誠になき人のやうにて大かたいきもせす暮 か・る程にあつまりてかきのせてゐていぬ御まへのかたかいす みていつの間にかはるにか日ころおひた・しく物も聞えすの、しりつるけしきともしめくと火をうちけちたるとは是をいふへ きにやとおほえて音もせす大弐三位の局かへをひとえたてたる なくけはひともして昼の聲とものやうに泣あひたる中に三位の 格子 御聲にて哀かやうに日のくる・に御かうしとくまいれかしと心 もとなくおほえしにいふへき事もなくしなしまいらせつるはい かにしつる事そや是たすけよやた・おはしますらん所へ我をめ せやをひをひとくときたて・なかる・をとすきくそいと・たへ かたき 一五 神璽宝剣のわたらせたまふとて 日の御座のかたにごほくと物とりはなす音して人々のこゑ あまたすなり何事にかときく程におまへよりおなし局に我かたさま にてさふらひつる人うちきていみしう物もいはすなく見るにい と・其事ときかぬになきふさる・心地そするしはしためらひて いふやうあなご・ろうやた・今神璽宝剣のわたらせ給ふとての のしりさふらふそ日の御座の御物具のわたり御帳のひき御か・ みなと柔いてさふらふ御帳こほっをとなりけりといふにかなし さそたへかたきひるより美濃内侍をやかて殿のはかしにつけさ せ給ひつれはっき参らせておはしつるやうなとかたる我は朝か れみのおましのことはしらさりつれは此人のかたをき・て何に かはせん
黒川本讃岐典侍日記
讃岐典侍日記 下 一六 出仕の御沙汰ありて 嘉羨二 かくいふ程に十月に成ぬ弁三位殿より御ふみといへはとり入 てみれは年ごろ宮つかへせさせ給ふさま御心のありかたさなと 自河 鳥羽 よくき・をかせ給ひたりしかはにや院より社このうちにさやう 動 なる人のたいせちなりたうし参るへきよし仰ことあれはさる心 地せさせ給へとあるみるにそ浅ましくひかめかと思ふまてあき れられけるおはしまし・おりよりかくは聞えしかといかにも御 いらへのなかりしにそさらてもとおぼしめすにやそれをいっし 七十 かといひかほにまいらむ事あさましき周防内侍後冷泉院にをく 七十一 れ参らせて五三条院より七月七日まいるへきよし仰られたりける に 後拾 天河おなしなかれと聞なから渡らん事はなをそ悲しき 堀河 とよみけんこそけにとおほゆれ故院の御かたみにはゆかしくお もひ参らすれとさし出ん事なを有へき事ならすそのかみたち出 したにはれくしさは思ひあっかひしかとおやたち三位殿なと してせめられん事をとなん思ひていふへき事ならさりしかは心 のうちはかりにこそあまのかるもにおもひみたれしかとけに是 も我心にはまかせすともいひつへきことなれと又世をおもひす =三黒川本讃岐典侍日記
てつときかせ給は・さまて又画せちにもおほしめさしと思ひ見た れて零すこし月ころよりも物おもひそひぬる心地していかなる ついてをとり出んさすかにわれとうきすてんもむかし物語にも かやうにしたる人をは人もうとましの心やなとこそいふめれ我 心にもけふとおほゆる事なれはさすかにまめやかにもおもひた・ かやうにて心づからよはりゆけかしさらはことつけてもと思ひ つ・けられて日ごろふるに平めのとたちまた六位にて五位にな らぬかきりは物まいらせぬ事なり中耳三日六日八日そよき日と くくとあるふみたひく見ゆれとおもひ立へき心地もせす過 にし年月たにわたくしの物思ひの後は人なとに立ましるへき有 さまにもなく見くるしくやせおとろへにしかはいかにせましと のみおもひあっかわれしかと御心のなつかしさに人たちなとの 御心も三位のさて物し給へはその御心にたかはしとかやはかな き事につけてもようみせられてのみ過しに今さらに立出て見し 鳥羽 世のやうにあらん事もかたし君はいはけなくおはしますさてな らひにし物そとおぼしめす事もあらしさらんま・にはむかし のみ恋しくてうらみむ人はよしとやはあらんなとおもひつ・く るに袖のひまなくぬるれはかわく間もなき黒染めの挟かな哀むか しのかたみと思ふにかやうにてのみ明くる・にかく里に心のと かなる事かたし五六日なれは内侍のもとより人なし参れといふ ふみのこしなとおもひつ・けられて過す程に御即位なと世にの 塞帳 のしりあひたり大納言のめのととはりあけし給ふへしとて安芸 の前司の三位殿こそ故院の御ときとはりあけはせさせ給ひけれはそ ︸二四 の例をまねはんなとたつねらる・ときくほとに大納言日ごろ例 ならて俄におもりてうせ給ひてときこゆいとこ・ろほそき世か なと思ひかこちぬ夕暮に三位殿のもとよりとはりあけすへきよ しあれはいとあさましくて日ごろはき・すくしてのみ過つるを まいらしとおもふなめりと心得させ給ふてをしあてさせ給ふな めりとおもふにすへきかたなしたのみたるま・に例の人よひて かうくなん院より仰られたるをいか・はせむするといへはい か、せさせ給はむせ中わっらはしく侍らふめりた・とく思しめ したつへきなめりまいらしとさふらは・我為にこそよしなき事 出まうてこめ我君さるへきとおほしめさせ給ふへきになとさた 忠實 しあひたる程にくらのかうの殿より人参らせたり院宣にて摂政 素服 殿の承りたて侍ふ堀河院の御そふく賜りたらはとくぬくへきな りと宣旨くたりぬとくぬかせ給へといひにをこせたりかはかり 道理 の事たに心にまかせすたうりにぬくへきおりもまたすぬきてん 事心うきにせりつみしといひけんふることを身に思ひよそへら る・かくさたするを撃てせうとなる人あはれ男の身にてかくい はれ参らせばやうら強しくもおほえさせ給ふかな女の御身にて さらても有なん故院の御時に年ごろの人たち斜めのとこたちな 素服 とのたまはりあはれしそふくを何はかりの年ごろさふらはせ給 はさりしかと給はらせ給ふ今の多時に又なを大せちにいるへき 人にて月もまたすぬけと宣旨くたるもあやしなといひつ・くる 惟成 兼家 を聞程にあぢきなくはっかし花山院のおりにこれしけの弁を入. 座 怠癖一条院にわたりてもとのことくろくさにてつかはんと仰られたるをたに我君につかうまつりし事のそれにつけても思ひ出 られぬるへけれはっかさ位をすて・法師に成にけん我身の何の 思ひ出にていにしへのはっかしさにおもひこりすさしいつへき あまたの女房の中になと重しも二代まてかくはあるましきめを みるへからんとおもふに先の世の契も心うけれとさるへきにこ そはと思ひなして流の水をむすひさやかになりしたしくなれつ かうまつるしうとならせ給へはおぼろげならぬ契にこそとおも ひなくさむれと藻に住むしのわれからとのみ世にありてか、る めも見ることかなしけれとさてあるへき事たらねはいそき立ぬ しもの人なとは年ごろも・しきの中にあそひならひたる心ちに つくくとおもひたえたり里ゐは口おしう思ひけるにか・る事 々きたるを嬉しうおもひたるけしきにて心ちよけにおもひける を見るはつれなくうらめしきに霜月にも成ぬ 一七 御月忌に参りて 一九日に例の参らんと思ふに雪よるよりたかくつもりてこち たくふるいそかしさといく程なく残りすくなく成にたれは大か たの人も夜をひるになして物もきこえぬまていそくめれは我は この日ならんからにいそかしとてまいらさらむか口おしさに出 たつをひとりうけ引人なしさはかりいそがしくしちらさせ給ふ 雅實 てよかしけふまいらせ給ひたらんに院も大臣殿もよにいみしと もあらし参らせ給はすともあしき事もあらしかはかり雪は道も
黒川本讃岐典侍日記
みえす降めり我御身こそ車のうちなれは籾もおはしまさめ御供 の人はいかてかたえむするそなとわひあひてと・めつれと人た ちによしと思はれむとてまいる事ならはこそあらめ此月ならむ からにいそかしとてかくへき事かはいさましく嬉しきいそきに てあらんたにそれにさはるへき事かは我をすこしも哀とおもは ん人はけふと参らせよといふま・にけしきもかはるかしるきに やいはれぬる人ともさはかり思しめしたらむ事さまたけ参らす へき事ならす車よせよ供の人よはせなとする程に例はしまるほ と・おもふほとやうく日たくるにまいらてやみなんするな めりとおもふ口おしくわりなき人ともきぬれはとくくといへ は嬉しくてのりぬ道のほとまことにたへかけに雪ふる車のうち にふりいりて雑色うしかひみなかしらしろく成にたりうしのせ なかもしろきうしに成にたり二条の大路には大宮のみちもなき まてふる参りたれは人々あないみし例よりも日かけつれはけふ はえまいらせ給はぬなめりことはりそかしいそかしくおはしつ らんと申あひたりけるにおほろけならぬ御心さしかなけふはと あはれかりあひたり十一月もはかなく過ぬ 一八 御即位に帳簑げをつとめて 十二月朔月また夜をこめて太極殿にまいりぬ西の陣に車よせ 莚道 てえんたうしきて入へき所とてしつらひたるに参りぬほのく ﹁二五黒川本 讃岐典侍日記 と明はなる・ほとにかわらやとものむねかすみわたりてあるを 見るにむかしうちへまいりしに過さまに見えし程なと思ひ出ら 櫃 れてつくくと要るに北の門より長ひつにちはやきたるものと もすはうのこきうたるくはうこぐの出しきぬ入てもてつ・きた
別
るへちにもおもしろく見ゆへき事ならねと所からにやめてたし 人とも見さはきいみしく心ことに思ひあひたるけしきともにて たたイ 見さはけとも我は何事にも目もた・すのみおほえて南のかたを 八腿鳥 みれはれいのやたからす見もしらぬものとも大かしらなとたて わたしたる見るも夢のこ・ちそするかやうのことは世継なとみ るにもその事か・れたる所はいかにそやおほえてひきこそかへ されしかうつ・にけさくと見る心地た・をしはかるへし日た かくなる程に行幸なりぬとての、しりあひたり殿原里人なと 玉のかうふりしあるは錦のうちかけ近衛つかさなとようひとか やいふ物着たりしこそみもならわすもろこしのかたきたるさう しの日の座にたちたるみる心地よとあはれにかくて事成ぬお 昆紗門 そしくとて衛門の重いとおひた・しけにひさもんなとをみる 心ちして我にもあらぬ心地しなからのほりしこそ我なから目く れて覚えしか手をかけさするまねしてかみあけよりてはりさし つ我身いてすともありぬへかりける事のさまかななとかくしを きたる事にかとおほゆ御前のいとうつくしけにしたてられて御 もやのうちにゐさせ給ひたりけるを見参らするもむねつふれて そおほゆる大かた目もみえすはちかましさのみ世に心かくおほ ゆれははかくしくみえさせ給はす事はてぬれはもとの所にす 一二六 へり入ぬ夜に入てそかへりぬるあるかなきかにて帰りたれはか ほをあやしけにおもひてまもりあひて御顔の色のたかひておは しますはいかになといひあへるはまたなをらぬにこそとしほし ほとなかれぬる 一九 ついたちの日に出仕して しはすも漸つこもりに成て緋のすけ殿の文といへはとり入て みれは院より三位殿大納言のすけなとさふらはぬ朔日のさやう のおりはさるへき人あまた侍らふこそよけれ参るへきよし仰ら れたるとそあるいか・せんとて参らんとそいそきたつ朔日の日 の夕さりそ参りつきて陣いる・よりむかし思ひ出られてかきそ くらさる・つほねにいきつきてみれはこと所に渡らせ給ひたる こ・ちして其夜は何となくてあけぬつとめておきてみれは雪い みしく降たり今もうちぢる御まへを見れはへちにたかひたる事 なき心地しておはしますらん有さまことくに思ひにされてい 粉 たる程にふれくこゆきといはけなき御気はひにて仰らる・聞 ゆるこはたそたか子にかと思ふほとに誠にさぞかしおもふに浅 ましく是をしうとうちたのみ参らせてさふらはんするかとたの もしけなきそ哀なるひるははしたなき心地してくれてそのほる こよひなきに物まいらせそめよといひにきたれはおまへのおほ となふらくららかにしなしてこちとあれはすへり出てまいらす 茎 るむかしにたかはす御たいのいとくろらかなるこきなくてかはらけにてあるそ見ならはぬ心ちすはしりおはしましてかほのも とにさし上りてたれそこはと仰らるれは人々堀河院の側めのと こそかしと申せばまこと・覚したりことの外に見まいらせし程 よりはおとなしくならせ給ひにけりとみゆをと・しの事そかし 弘徽殿 参らせたまひてこきてんにおはしまいしに此御方にわたらせ給 ひしかはしはしはかり有て今はさは帰らせ給ひね日のくれぬさ きにかしらけつらんとそ・のかし参らせ給ひしかは製しはしさ ふらは・やと仰られたりしそいみしうおかしけに思ひ参らせ給 へりしなと只今の心地してかきくらすこ・ちすそのよも御かた はらにさふらひたれはいといはけなけに御そちかにふさせ給へ る見るそあはれなる 二〇 摂政殿参らせたまひて 明ぬれはみなひとくおきなとしてみれは御まへのみすいと 芦 鈍 おひた・しけなるあしとかいふ物かげられたりへりはにひ色な り御さうしの御きちゃうおなし色の御几帳の手しろきなり御け つりくしの大床子もなしか・るおりにはなきにやおさなくおは しませはかとそ物なと参らすれうけくにしてめすそ哀なるひる 忠實 つけて殿参らせ給ひて人々みなをりなとすれは物をまいらせさ してた・んもおとなにおはしまいしにそさやうのおりもわか す立しか又おとなしくなともつけさせ給ひしか是はうちすて・ た・はよき事やいはれんとすると思へはなをみたるもかくこそ