特 集
258 医療の質 ・ 安全学会誌 Vol.6 No.2 (2011)
災害時に必要な看護とは
─東日本大震災での災害支援ナースの活動から─
日本看護協会・都道府県看護協会災害支援ネットワーク
災害支援ナース ミッションコーディネーター
日本看護協会 看護研修学校
認定看護師教育課程 救急看護学科主任教員
石井 美恵子
ISHII, Mieko
はじめに
日本看護協会および都道府県看護協会は,1995 年阪神・
淡路大震災の教訓から大規模災害発生時に,円滑な看護支
援体制を整え効果的な活動を行うための相互連携支援シス
テムを構築した.被災県看護協会の要請により,研修を受
講し登録した災害支援ナースを,都道府県看護協会と日本
看護協会が調整し派遣するシステムで,これまでにも中越
地震や能登半島地震,岩手・宮城内陸地震などでの派遣実
績がある.
今回の東日本大震災を受けて,日本看護協会災害支援
対策本部は災害支援ナースの全国支援を行うことを決定
した.しかし,これまでの経験や想定をはるかに超える甚
大,かつ広域な災害であったことに加え,深刻なガソリン
不足と公共交通機関の途絶というアクセスの問題を抱えて
いた.そこで,全国の災害支援ナースを日本看護協会本部
に参集して,大型バスで現地へ派遣するという体制での大
規模支援が行われることとなった.
さまざまな状況から偶発的に実施された派遣体制であっ
たが,日本看護協会災害支援対策本部が Command とな
り,担当理事と現地コーディネーターが planning,日本
看護協会および都道府県看護協会が Logistics と Finance
を 担 い, 災 害 支 援 ナ ー ス が operations と い う よ う に
INCIDENT COMMAND SYSTEM が有効に機能する結果
となった.その活動の概要と今回の経験からの教訓に若干
の考察を加え報告する.
各被災県での活動概要
岩手県支援では,3 月 21 日から秋田県看護協会の災害
支援ナースが直接現地入りをして活動を開始し,3 月 24
日に全国から参集した災害支援ナースが現地入りをした.
その後,青森県看護協会からも災害支援ナースが直接現地
入りをしての活動が行われた.岩手県看護協会の担当者の
方が被災地のニーズに応じて派遣先の調整を行い,医療機
関や社会福祉施設,避難所等での活動展開となった.
福島県支援では,3 月 29 日から平田村へ看護研修学校
教員 2 名を派遣し,医療機関での支援活動を行った.4 月
4 日から南相馬市の保健センターへ保健師を派遣,4 月 6
日からは郡山市,大玉村,西郷村にある数カ所の避難所で
支援活動を行った.
宮城県支援では,支援要請のあった地域が広域にわたる
ことや要請件数が多かったことなどから,宮城県看護協会
の現地対策本部に現地コーディネーターを配置して派遣先
や人員配置の調整に当たることとした.
宮城県での災害支援ナースの活動の実際
それぞれの市町村の担当者らと現地コーディネーターが
連絡調整を行い,避難者が多い避難所,被害が甚大でライ
フラインの復旧の目処が立たない避難所,高齢者が多い避
難所などを優先して 1 日 60 ∼ 100 名の災害支援ナースを
20 ∼ 27 か所の避難所に配置した.災害支援ナースらは,
24 時間避難所に常駐し,夜間も活動を行いながら避難者
の健康管理,生活環境の改善に向けた活動を展開した.ま
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災害時に必要な看護とは─東日本大震災での災害支援ナースの活動から─ 259
た,避難所の避難者数,医療ニーズ,介護ニーズ,感染症
の発生状況,ライフラインの復旧状況,食事などについて
モニタリングを行った.その情報を現地コーディネーター
が集約して,物資の調達や関係機関への情報発信を行い,
避難者の生活と環境の改善に向けた活動をしながら地域の
課題を探っていった.
災害支援ナースが活動を開始したのは,発災から 10 日
が過ぎた時期であった.気仙沼市や石巻市には 150 カ所以
上の避難所が存在し,津波による壊滅的な被害を受けた地
域の小中学校も避難所となっていた.余震や津波の再来な
ど二次被害の危険がある地域を,強制退去や立ち入り禁止
区域にできない法律の壁があるらしいということに疑問を
感じながら,避難者と支援者の安全確保に不安を抱えての
活動であった.
避難所の夜は早く,19 時には就寝時間となって,真っ
暗闇の中,ひっそりと静まりかえっていた.海と川が目前
にあり,地盤沈下によって道路は冠水し,周囲には凄惨な
光景が広がっていた.割れた窓ガラスをブルーシートで覆
い,電気も上下水道も暖房もない避難所で,おにぎりやパ
ンが配られる 1 日 2 食の生活が続いていた.平時であれ
ばあたり前にできる流水による手洗いや歯磨きもできず,
プールの水を汲んできて流していた学校のトイレは詰ま
り,排泄物が溢れ出した.避難所内のトイレが使えなくな
り,階段を降りられない,外の仮設トイレまで歩けない高
齢者は自らオムツをはいて寝たきり状態となっていった.
何よりも対応を困難にしていたのは,広範かつ甚大な被
害であったということである.現地の行政や医療機関のみ
ならず支援者らも,次から次へと現れる目前の問題対処に
追われ,最善を尽くしても解決しきれない問題を抱えてい
た.このままの状態を続けていては,ただただ現状維持に
奔走するだけで,いつまでたっても対応にあたる人々の負
担は軽減されず,被災者の生活改善も望めないと考えた.
さらに,医療に関する合同本部と地域の保健福祉担当部
署との連携や情報の共有が十分ではない状況も窺えた.合
同医療チームが巡回診療を行うために地域を区分し担当を
割り振っていたが,震災前からあった保健師らの地域の区
分けとは異なる区分けであった.そのことが巡回医療チー
ムと保健師との情報交換を複雑にしていた.
このような地域の状態を捉え,4 月はじめに市の健康推
進部などに避難所の集約化と人員の固定化を行うように働
きかけていった.まずは,150 カ所以上の避難所に分散し
ている病人や要介護者,要援護者らを収容できる医療機関
や福祉避難所を設置し,避難者を健康状態に応じた生活の
場に集約する.その集約化によって,移動しながら分散し
て活動している医療や保健福祉担当者らの活動拠点を固定
化することができ負担軽減につながると考えた.さらに,
いずれはボランティアなどの支援者が減少していくことか
ら,地域のマンパワーで対応が可能なシステムを構築する
支援が必要だと判断した.
その実現に向け,医療チームや保健福祉担当者らの協働
を推進し,健康推進課の保健師と連絡を密にしながら調整
を行っていった.医療チームには他県から医師がコーディ
ネーターとして派遣されており,ユニセフから派遣されて
いた医師も調整に加わった.災害対応では,平時から顔
の見える関係が大切だといわれるが,偶然にも,その医師
らと筆者は,国際救援活動等でともに活動してきた周知の
人たちであった.そのことは,医療チーム側の意見と保健
福祉関係者側の意見をオープンにし,円滑なコミュニケー
ションをもたらした要因の一つだと思われた.
4 月下旬に要介護者を対象とした福祉避難所と要支援者
を対象とした福祉避難所 2 カ所が開設となった.医師,薬
剤師,保健師,看護師,理学療法士,作業療法士,管理栄
養士,ケースワーカー,ケアマネージャー,介護職,行政
職員,移送ボランティアなどがチームとなって活動を行っ
ている.入所時には,歩行困難,食欲不振,不眠を認め,
無表情だった高齢者が,杖や歩行器を使いながら歩行し,
食事をし,睡眠薬がなくても眠れるようになって笑顔を取
り戻している.
考察
これまで幾度かの途上国支援を経験し,災害看護研修な
どの講師を務めてきたが,先進国であるはずの日本で,状
態の悪い避難所が長期間存在することになるとは想定でき
なかった.これまで行ってきた災害対策や教育の甘さに,
自分自身に対して強い怒りや憤りを感じた.行政や政府を
責め立てるような論調,風潮も垣間見られるが,今回のよ
うな事態を誰もが想定し得なかった,自分自身も想定して
いなかったという前提に立つことが必要だと感じる.国民
一人ひとりが,他者に責任を転嫁し,変化を求めるのでは
なく,自らが変化することで状況を好転させていくという
原因自分論1)
に立って事態を捉え,一つ一つの課題を迅速
に解決していく態度が求められているのだと思う.
さらに,この経験を風化させることなく,教訓とし,災
害時の対応計画を立て直す必要がある.しかし,危機感を
持ち続けては生きていけないのが人間の性であり2)
,復興
までの長い道のりは社会から忘れられ,教訓は風化してい
くのが常である.阪神・淡路大震災からの教訓として,水
冷式ではなく空冷式の自家発電装置が推奨され,収納棚の
固定が必要だということも言われた.しかし,平成 18 年
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東京都救急医療機関 687 施設の調査3)
では,自家発電設
備の設置は 80%で,そのうち空冷式は 54.4%,収納棚の
固定は 50%であった.人はミスを犯すものである,とい
う前提に立ってリスクマネジメントが行われるようになっ
たのと同様に,人は危機感を持ち続けては生きていけない,
という前提に立って,災害時の危機管理を行うシステムの
構築が必要である.
医療機関では,診療報酬に結びつかない非日常的な災害
対策の優先度は低いのが一般的で,組織的かつ継続的な災
害対策への取り組みを行っているところは少ない.阪神・
淡路大震災の経験で 50%の対策が取られたとするならば,
今回の大震災を経験して,危機を乗り越え成長していくこ
とが人の叡智であり,近い将来には成熟した社会となって
100%の対策が取られることを切に願う.
今回の大震災での支援活動を経験して,医療機関も医療
救援活動を行う支援者も医療という狭い範囲での計画・訓
練を行ってきたということを思い知らされた.医療と保健
福祉,環境衛生,ロジスティックスなど,個々の活動が徒
労に終わらないように組織的な地域連携もしくは社会の危
機管理システムを構築する必要がある.特に,医療と保健
福祉を結ぶ役割では,看護師の存在が鍵となるということ
を今回の経験から学んだ.
迅速さが重要な危機管理において,平時のシステムをそ
のまま適用するということは,あまりにナンセンスである.
縦割りや要請主義,権威や面目から脱却する勇気と自律性
が,一人ひとりに求められているというのが実感である.
そして,その根底にあるべきものはヒューマニズムであり,
誰のために,何をするのかという目的を見失うことなく,
その目的に向かって目標や課題を明確にするロジカルな思
考と課題達成型のスピーディな会議の運営が重要なのだと
思う.
おわりに
今回のような想定を超える事態は,平時のシステムや災
害対策マニュアルで対応しきれるものではない.どれだけ
万全の計画を立てたと思っても,想定を越える事態は今後
も起こるかもしれない.危機管理システムの構築,地域の
ネットワークの構築,備蓄や訓練など,もちろん重要であ
るが,全ての想定を超えたときに残されるのは個人の能力
や人間力であると心から思う.
現地で出会う有効かつ有益な活動をしていると感じる人
は,ヒューマニズムという信念,哲学を持ち,自らが判断
し行動できる人である.平時から問題意識を持ち,それは
なぜか,それは何であるのかという好奇心や探究心を持ち,
コンサルテーションやコーディネーション,交渉の術を持
ち,ネットワークを持つ人たちである.
これは個人の印象であるが,日本の社会はつながりを大
切にするがゆえに,上記のような自律した人材が育ちにく
いのではないかと感じる.平時から,自律した人材を育成
し,活用して,さらなる成長へと向かわせる社会や組織,
管理者の存在も重要なのだと改めて認識しているところで
ある.
最後に,犠牲になられた皆様のご冥福お祈りし,未だ困
難の中にある被災者の皆様に心よりお見舞いを申し上げま
す.
引用文献・参考文献
1) 堀紘一 : 会社が放り出したい人 1億積んでもほしい
人.PHP 研究所,2007.
2) 広瀬弘忠 : 人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理
学.集英社,2004.
3) 東京都福祉保健局医療政策部救急災害医療課災害医
療係:医療機関の地震対策マニュアル等に関する調
査 報 告 書.2006. http://www.metro.tokyo.jp/INET/
CHOUSA/2006/07/DATA/60g7b100.pdf#search=
4) E.H.Schein(1999)/稲葉元吉・尾川丈一訳:プロセス・
コンサルテーション̶援助関係を築くこと̶.白桃書
房,2007.
5) 細谷功:地頭力を鍛える問題解決に活かす「フェルミ
推定」.東洋経済新報社,2007.